第4話 図書館の指揮者
俺の推しは彼女なのか?
言葉が足りないので付け足そう。
俺の推しは本当に彼女なのか?
いや、現実に彼女が存在している以上、彼女が原典であることには違いない。俺ごとき一介の雑草オタクに疑問を挟む余地はない。
しかし、今のヒナタちゃんは「原典そのもの」なのであって「原作そのもの」ではない。
俺の好きだった『私の視た夢』に出てくる『傍陽ヒナタ』ではないのだ。
それは分かっているつもりだったが、その上で彼女が「俺の推しである『傍陽ヒナタ』なのか?」と自問すると……。
──『やっぱりこういう格好がお好みなんですね?』
先日、我が家に降臨したヒナタちゃんの蠱惑的な表情を思い出す。
少なくとも『傍陽ヒナタ』はあんな表情はしない。
だからこそ思ってしまったのだ。
それは果たして”推し”と認識していいのだろうか、と。
これは俺の認識の問題だ。
ヒナタちゃんを煩わせる必要はない。
その代わり重要参考人として、変わる前から彼女を一番よく知っている人に聞いてみることにした。
「と、いうわけでやって参りました」
俺は少し離れたところにある巨大なビルを見上げる。
ここは桜邑区営の図書館。
十年前に新宿が壊滅した際に第十支部と一緒に再建されたものだった。
ゆえに(かどうかは知らないが)第十支部に似て白亜の外装を誇っている。
第十支部と違うのは、あそこまで高い建造物ではないということだろうか。
それでも遠くから見て判別できるくらいには高く──なにより横に大きい。
かなりの蔵書を誇る都内でも有数の図書館だ。
財源がどこなのかは知らないが、よくこんな立派な建物造ったなという感じである。
聞けば建物内には図書館だけではなく、ちょっとした劇場なんかも入っているらしい。
劇はもちろん、年に一度天翼の守護者のコンサートなどもやっているそうだ。
……ふふふ、今までは推しが入隊していなかったから観に来ていなかったが、今年はどんな手を使ってでもチケットを手に入れてみせる!
と、今回の用事には関係ないところで息巻いていると、
「暑い中、待たせたわね」
上からかけられる声。
ぱっと振り返ると、天翼の守護者の証である白い隊服姿の少女──雨剣ルイが浮いていた。
「ほとんど今来たところだよ。それに──日陰だからね。大して暑くもない」
今いるのは図書館から少し離れた、ビルとビルの間の狭い路地裏。
ルイが飛んで来るのに目立つ場所じゃダメだろうと俺が「近場の路地裏」と指定したのである。
……つい今の今まで一人で路地裏に潜み、天翼の守護者のコンサートに思いを馳せて会場をニヤニヤ眺めている弩級の不審者だったわけだが、それは考えないことにする。
「そう、ならよかった」
少女は地面に降り立つと、胸元の青いブローチに触れ、
「換装」
と、小さく口にする。
瞬間、青白い光に包まれた。
──変身バンク!? 急な変身バンクの供給がッ!! あ、やばい、血中推し濃度が上がりすぎてクラクラしてきた……。
「くぺぁ……」
今際の一言を絞り出した俺を置いて光が収まった。
そうして見えるようになった彼女の服装は──、
「かっっっっ」
先ほどまでの清廉な白の隊服とは真逆。
Tシャツだけは白だったが、その上には黒革のジャケットを羽織り、デニム生地のショートパンツとこれまた黒革のロングブーツを合わせている。極めつけに、首には青色のヘッドフォンが掛けられていた。
非常にかっこいいストリート系のファッションだ。
注目すべきは、いつもは下ろしている薄水色の長髪をポニーテールに纏め上げていることである。
細い首と顔の小ささが強調されていて、モデルが素足で逃げ出しそうなスタイルの良さを存分に見せつけてくる。
び、美的センスが天才すぎる……。
いつもよりちょっとだけアイラインが濃いめで少しだけ髪先が巻かれていたのはこの服装のためだったのですね……。
これが芸術的センスがカンストしている雨剣ルイ……目が幸せ……。
「ん。どうかしら」
「とっても非常にマジで似合ってる」
呆然と見ている俺にやや居心地悪そうに問うてくるルイ。
さすがに本人に「目が幸せです」と言ったらまずい。自重して最小限のオタクに抑えこんだ俺を褒めてもらいたい。
「そう」
ルイはそれだけ答えて、スタスタと路地裏を出ていってしまう。
「クールだなぁ」
そのそっけない調子に苦笑いしながら俺は後を追う。
彼女の歩調がやけに早いことに気づいたのは、追いかけ始めてすぐのことだった。
♢♢♢♢♢
前述したとおり、桜邑区営の図書館は大きい。
端っこの方なら【循守の白天秤】隊員と【救世の契り】構成員が内緒話をするのに打ってつけだろう、とルイから提案されて訪れた次第である。
さすが我が推しにして同志ルイ、なんと素晴らしい天衣無縫の作戦だろう!
「お金のかからない場所で遊ぶのは、ワタシ得意よ」
「ふ、ふうん。そうなんだ」
誇らしげにふふん、と口角を上げるルイ。
俺は曖昧な微笑を返すにとどめた。彼女の境遇を思い出して、おいたわしいので。
「それじゃ、昔から来てるの?」
巨大な円形の空間にはエレベーターやエントランスがあり、螺旋階段が上の吹き抜けの階層に通じている。
そこから放射状に配置された本棚の間を歩き、本の隙間から本棚の向こう側を覗き込むようにしながら、俺はルイに尋ねた。
「まあ、そうね。ヒナと会う前は特によく来ていたわ。最近は忙しかったから久しぶりに来たけれど、全然変わってない。慣れた場所って感じで自分でも不思議ね」
言葉通り、彼女はろくに周りを見渡すこともなく歩いていく。
「最近」と彼女は言ったが、養成学校に入ってから今までのことだろうから、数年単位で来ていなかったはずなのに慣れた様子である。
やがてたどり着いた窓辺には大きめの机がたくさん置かれていた。
この図書館の外周に沿って配置されているのだろう。
特に奥まった座席を確保し、ようやく本題──現状のヒナタちゃんに対する諸々の所感を俺は述べた。
もちろん、原作がどうとか、そういう部分を伏せて。
「……アナタ、なにを言ってるの?」
聴き終えたルイから、冷たい声音が返される。
彼女は肘掛けに肘を乗せて頬杖をついていた。
どうでもいいけど、頬杖って手のひらに顎を乗せるパターンと緩く握られた拳を頬の支えにするパターンあるじゃないですか。ルイは後者なんですけど、めちゃくちゃ解釈一致で大変好きです。なんかこう、王座に座ってる女王とかがするタイプの仕草。メイン三人衆の中で一番生育環境に難があったルイにその所作が似合うのがとても良きだと思うんですね。実際そういう様もあって「指揮者」なんて支配者を連想させる二つ名が付けられているわけでしょう? 『わたゆめ』作者もこの世界の住人たちもセンスがよろしくて、一介のオタクからするとその解像度の高さに震えるしかないわけです。全ての『わたゆめ』&雨剣ルイオタクを代表して最大限の感謝を。
「──ありがとう」
「頭がおかしくなったの? ……いえ、元々おかしかったわね。ごめんなさい」
それから、憂いの籠るため息を一つ。
「最近、優しくしてあげていたから勘違いさせてしまったかしら」
深海の氷のような瞳が俺を見た。
「ワタシの座右の銘は『天上天下ヒナタ独尊』よ。ヒナに疑いを抱くとかアナタ、背信者ということでいいわね?」
冷たく鋭い、そんな視線だった。




