第3話 今更ですが
「願いがあるんだったら跪いて足を舐めなさい?」
こ、このポンコツお嬢……。
最近、分かってきたけどミラ様ってポンなところあるよね!?
足舐め、オタクによってはご褒美になるんだからな!?
「お、俺は君のために言ってるんだけどなぁ」
「ハッ、下手な言い訳ですわね」
ニヤニヤと嘲笑っているポンコツお嬢に、ぎこちない笑みを返す。
「そもそも君はいいのかな? そんな格好見られても」
「…………っ」
ミラ様は口をへの字にして眉根を寄せた。
それから、薄らと頬を赤らめながら、それでも胸を張る。
「ふ、ふんっ、顔見知りでもない人間に一度見られるくらい、なんてことありませんわ!」
めっちゃ顔見知り〜!
因縁のライバル〜!
一度見られたら尊厳破壊確定〜!
……言いたいッ、でも言えないッ!
これはもう、やるしかないのか?
いやでも推しの足を舐め──というかミラ様は下民の男に足舐められるのとか嫌じゃないの?
見上げてくる彼女の瞳は、潤んでいた。
……これは本人的にも嫌なんじゃない?
それでも俺に屈辱を味あわせるために命令してるってこと?
プライド高すぎるでしょ……。
「……ミラさん、土下座だけじゃダメ?」
「……べ、別に──」
『──お兄さん? どうしたんですか?』
「「っ!?」」
俺たちの間に微妙な空気が流れ始めた時。
階下からヒナタちゃんの声がした。
咄嗟にミラ様の腕を引いて階段下から見えないところに移動する。
「ちょっ──」
「ちょ〜っと、ね、猫! その、猫が入ってきちゃって!」
反射的に口をついて出る言い訳。
ミラ様は目を見開き、
「はぁっ──むぐっ!?」
何か言いかけたその口を手でふさぐ。
が、今度は下から、
『え、猫!? 見たいです!』
かなりテンション高めの声が返ってきた。かわいい。
──いや言ってる場合か。まずい、そうだ、ヒナタちゃん猫好きだった!
「や、違くて! ちょっと待って!」
リビングから出てきそうな気配があったので慌てて止める。
「もういなくなったんだけど、粗相を! 野良猫が粗相をしていきまして!」
「〜〜〜〜っ!?!?」
”粗相をした野良猫”扱いされたミラ様の暴れ具合が悪化する。
──ごめんなさい、ミラ様!
しかたなく少し強めに抑え込む。
「…………っ」
あとで殺されるんだろうなぁと諦め気味に思うが、意外にもミラ様は大人しくなった。
「だから、ちょっと下で待っててヒナタちゃん。すぐ行くから!」
『そうなんですか。わかりました……』
ちょっとしょげた声を聞きつつ、一安心してミラ様から離れる。
「ごめん、猫扱いして」
「…………」
「話を戻すけど──ミラさん?」
ミラ様は俺が離れてからも無反応だった。
その頬は暗がりでも分かるほどに上気している。
彼女は名前を呼ばれると、はっとしたように目線を上げた。
「……え? ああ」
どこかぼんやりした様子のミラ様。
何度か瞬きすると、その瞳に力が戻る。
そして、
「ねえ、貴方さっきヒナタと呼びました?」
「────」
俺は天を仰ぎたくなる衝動を必死に抑える。
ああ、終わ──ってない!
「……呼んだけど? それが?」
開き直って堂々と肯定する。
メイド様は腕を組み、片手を口元に当てた。
「ま、そんなに珍しい名前ではありませんわよね」
「俺の友達の名前が、何か?」
「いえ、別に」
つん、と澄ました様子で顔を背けるミラ様。
彼女は横目に俺を見上げて、
「クシナ様に報告しておきますわ。家主がいない間に貴方が女を連れ込んでる、と」
ふん、と鼻を鳴らして、ミラ様は自室に戻っていった。
どういう感情の変化……?
取り残された俺は困惑しつつ、一言。
「いや、家主は俺なんだけど……」
あと、別にクシナに報告されてもヒナタちゃんだし。
やましいことはないから、全然問題ないんだけど。
「まあ、いっか……」
難局は乗り越えたっぽいからな。
というわけで、一階のリビングに戻った俺を──、
「──お、おかえりなさいませ、ごしゅじんさま……」
顔を真っ赤にしたメイド服姿の推しが出迎えてくれた。
「………………あぽえ」
俺は天に召された。
♢♢♢♢♢
膝から崩れ落ちた俺を見て、大層慌てたヒナタちゃんにソファへとエスコートしてもらい、心臓を落ち着かせること5分。
「あの、ヒナタちゃん」
ようやく秒速3回くらいまで脈拍が落ち着いてきたところで、俺は横で俺を支えてくれている少女へと水を向ける。
視線は一切向けないが。心臓がちぎれるので。
「な、なんですか」
「なんで、メイド服を着てるのかな?」
「ごめんなさい、クシナちゃんのなのに」
その恥ずかしげな声音に「違うけどね!?」と言いたい気持ちを抑えこむ。
「でも、その……お兄さんが喜ぶかなって」
「え、天使?」
「ええっ? 言い過ぎですけど、うれしいです。えへ」
しまったっ、本音が出たっ。
だって仲良くしている相手だからといって、異性の欲ぼ──要望を叶えてあげたいだなんて健気すぎるでしょ。間違いなく天使だ……。
そう思った瞬間。
「────」
不意にモヤっとした感情が胸に渦巻いた気がした。
「…………?」
なんだろう、と胸を押さえる。
すると、俺のその仕草を見たヒナタちゃんが横で、
「あっ、これはその……っ」
と、突然ワタワタしはじめる。
思わずそちらを見て──後悔する。
「む、胸のリボンが締まらなくて……」
ヒナタちゃんは頬を赤くして、メイド服の胸元をきゅっと手で押さえていた。
「────」
っっっっっぴ(割愛)
……ミラ様のメイド服は胸元のリボンを結んで締めるタイプの、ちょっと上側の露出が激しい感じのやつである。
そんな開放的なメイド服さんも、ヒナタちゃんの女性的な起伏に富んだスタイルを納め切るには少々力不足であったらしい。
ミラ様も普通にスタイルには恵まれているはずなんだけどな……。
ヒナタちゃん、ミラ様より7.2156cmも背低いよね?
いや、というか。
リボンが締められないってことは…………ひょっとすると大変なことになっているのではありませんでしょうか?
「まさか、ずっと手で押さえてなきゃいけない感じ?」
「…………っ」
ヒナタちゃんは、こくんと首を縦に振って肯定した。
「ぎりぎり、みたいな感じです……」
「そ、っかぁ……」
ミラ様の言いつけを守って目ぇくり抜いておけばよかったな。
さすがミラ様だぜ、この展開を読み切ってたんだろう、はは……。
いや違うわ。
そもそもの話、である。
「ヒナタちゃん、気持ちは本当に嬉しいんだけど……着替えてこない?」
「……かわいくない、ですか?」
「っ!?!?!?」
こちらの言葉を受けて眉尻をしょんと下げるヒナタちゃんに、俺は自分の失態を悟り大慌てした。
なにやってんだこのオタク! まずは推しを褒めろ、首を刈り取るぞ!?!?
「っ、かわいい! かわいいよ、超かわいい! だけど、ほら、君も恥ずかしいだろうし、俺のためにそこまでしてくれるのは……」
「────」
必死に言い募る俺だが、自分でも分かるほどに顔に血が昇っていくのが分かった。推しのメイド服隣に座って見るとか愉快な自殺でしょ。
そんな必死な俺を見たヒナタちゃんが肩をぴくんっと揺らし、目を少し見開く。
それから、
「──へえ」
にまぁっと唇が弧を描いた。
その隙間をちろり、と舌が這う。
「やっぱりこういう格好がお好みなんですね?」
頬はやはり少し色づいていたが、それ以上に潤んだ瞳の桃色がこちらの視線を捕らえて離さない。
そのまま身を乗り出した彼女は固まる俺の腕に片手を絡ませると、そっと胸元を抑える手を離す。
「〜〜〜〜っ!?」
本来なら飛び退いて然るべきなのだが、俺の腕で胸元が抑えられている以上、暴れるわけには……っ。
「あのっ、ヒナタちゃん!? ちょ、それは近過ぎっ」
「おにーさんと私の仲じゃないですか。近いのは当たり前、ですよ?」
「…………っ」
……確かに? ”幼馴染”ではあるけど、だがしかしっ。
困惑する俺にますます身を寄せるメイド様。
一層硬直する俺を蠱惑的に見上げて、彼女はくすと笑う。
「わたしも効くんですね」
「へ?」
「なんでもありませんっ」
やけに上機嫌に首を振ると、俺の気持ちが通じたのかもう一度胸元を抑えてぱっと離れた。
そのまま立ち上がり、スカートの左右を両手で少しつまんだ。
「っ!?」
少しつまんだだけでも見えてしまいそうな眩しい太ももから目を逸らす。
反射的に反応してしまってから、それはただのカーテシーの仕草だと気づいた。
くすり、と漏れる微笑。
「それでは、お茶、淹れてきますね? ご主人さま♡」
勝手知ったるなんとやら、という感じでハーフツインテールをぴょこぴょこ揺らしながらメイドさんは台所に向かっていく。
「…………アリガトウ」
ふわふわと一緒になって揺れるスカートから今度こそ目を引き剥がして、俺はぎこちなくお礼を言った。
「──それじゃあ、お邪魔しました。また!」
「うん。またね、ヒナタちゃん」
元気な笑顔を浮かべる少女に、微笑を返して手を振る。
明るい声音に重なるように耳に蘇ったのは、
──『お、おかえりなさいませ、ごしゅじんさま……』
先ほど耳にしたばかりのセリフだ。
それは紛れもなくヒナタちゃんの口から聞いた言葉。
非常に可愛らしい。
天使が連れ戻してくれなかったら俺はそのまま天に召されていたであろうことは確実。
しかし、である。
──『傍陽ヒナタ』って”あんな感じ”じゃなくないか?
いや、疑問符をつける必要はない。
『傍陽ヒナタ』なら、ああいうセリフは言わない。絶対に。
それは俺が一番よく知っている。
『傍陽ヒナタ』ならば、仮に原作第一話で『指宿イブキ』の正体がバレずにこの時系列までやってきたとしても、あそこまで男に無警戒な姿を晒すことはない。
めめめメイド服なんて以ての外である……!
それはここ2ヶ月で俺がヒナタちゃんと仲良くなったことも多少は影響しているのだろう。
だが、そういった細かいことは今はどうでもいい。
問題はヒナタちゃん自身に──否。
俺の心の中にあるんだ。
「〜♪」
上機嫌な様子で隣の家に入っていく彼女の後ろ姿。
それが、どうしても俺の中にある”傍陽ヒナタ像”とズレて見える。
このモヤつく感じは、そう──。
「解釈、違い……?」
昼下がりの日差しに灼かれるアスファルトが、じわじわと俺の足裏を揺らしている気がした。
プロローグは、これでおしまい。
『”疑”翼のフィロソフィー』はじまります。




