第28話 ようこそ
「普段は支部に詰めとるやんかぁ。飲んだ後にこない動き回ることないんよ……ぅぷ」
あと酒は好きやけど別に強ぅない……と、欄干に縛り付けられたミスズリは青い顔で言った。
その前で微妙な表情で立ち尽くす俺とクシナ。
ミラ様はミスズリの横で姉妹仲良く縛り付けられている。
その妹をちらりと横目で見てから、姉は俺たちを見上げた。
「なあ、都合がええこと言うてるんは分かってるんやけど……ミラだけでも見逃してやってくれんかなぁ?」
俺とクシナが顔を見合わせる。
ミスズリは真剣な表情のまま、俺たちを見つめていた。
「そもそもなぜ狙ってきたのかも分からない相手の言葉を易々と受け入れるとでも?」
俺の指摘にミスズリは渋い表情を浮かべた。
「それは──」
「理由は分かっているわ」
何かを答えようと口を開いた彼女を遮ったのは、意外なことにクシナだった。
「大祓の邪魔をする賊を捕えれば、家の評価を持ち直せるからでしょう?」
「…………」
沈黙でもって肯定を表すミスズリ。
「十年前、貴方たちはあたしを取り逃した。それで随分と信用を失ったと詳しい奴から聞いてるわ」
「……そや。元より御子柴は評判が良いとは言えん血筋やんかぁ」
あ、それは知っている。
『わたゆめ』のミラ様の目的は家の名誉を取り戻すこと、だったからな。
元々、御子柴家は華族の中でも歴史が古い家らしいのだが、家臣として仕えていた主家を裏切った過去がある。
それ自体は何百年も前の話なのに、いまだに裏切り者のレッテルが貼られてしまっているのだとか。
そのため現代でも生業とするのは、暗殺や間諜のような後ろ暗いことばかり。
そんな御子柴に救いがあったとすれば、家の次代を担う姉妹が軒並み優秀だったこと。
ミラ様は優秀な姉に追いつくために研鑽を重ね、そのために天翼の守護者として活動している。
……というような説明が、原作だともう少し未来でされていた。
「つまり、ざっくり纏めると名誉挽回のためにクシナを捕まえようとしたと」
そこで一つ思い出す。
「そういえばミスズリ……さん達は天翼の守護者じゃないですよね?」
「……ん〜? なんでそう思われはったん?」
きょとんとした表情で首を傾げるミスズリ。
「だって天翼の守護者なら、もっと連携して行動しているはずでしょう? こんな自由に個人で動けるわけないし」
「まあ、それは隊員によるやろうけどなぁ……と、誤魔化してもええんやけど、ここは素直に頷いとくわぁ」
生きるも死ぬも返答次第やろ? と物騒なことを言いながら、彼女はクシナの顔色を窺っている。
生殺与奪権を片手で弄んでいる姿がよく似合う幼馴染は不服そうに口をへの字に曲げていた。
「うちもこの子も威錫の統制者や」
「……そう、ですか」
やっぱりミラ様もか……。因縁の相手が何故かルイじゃなくてヒナタちゃんになってたし、こっちもちょっと違うなぁ……。
…………ルイの時みたいに俺のせいじゃないよね?
「んで、うちは別にどうなっても構へんさかい、この子は見逃してやってくれん? うちと違ぅて、クシナはんについてもあんまり知らへんよ。元々御子柴なんか比べられんくらい格式高い生まれっちゅうことくらいやわぁ」
「どうかしらね」
「うちはこれでも支部じゃ偉い方やから知っとるだけや。家も一応、古いしなぁ」
「…………」
クシナは腕を組んで瞑目する。
随分と長いこと沈黙を挟んでから、彼女は口を開いた。
「あたしに一つ、案があるわ」
♢♢♢♢♢
と、いうような事後処理が終わって。
俺たちは無事桜邑にある自宅へと戻ってきた。
「あ〜、帰ってきたって感じする〜」
ソファに寝転がってごろごろしていると、家!という感じがしてとても落ち着く。
あれから、疲れ切っていた俺たちはとてもじゃないが、そのまま観光なんて気分になれず桜邑へ。
色々と荷物も増えていたことだし、帰り際としてはちょうど良かったのだと思う。一応、目的のお墓参りとお礼参りは済ませたわけだし。
……ただ、どこか物足りなく感じるのは、この旅で俺が何も変化しなかったからだろうか。
いや、ツクモから貰った伸びる棒(あのあと回収した)は手に入れたし、クシナの過去も教えてもらったけどね?
ほら、何かのヒントを手に入れるとか、何かの答えを得るとか。
そういった旅の目的みたいなものを全然手にできなかった気がする。
「それは流石に旅に浪漫を求めすぎか……?」
納得いかずに、ぼーっと天井を眺める。
「なんの話?」
にゅっと、天井が遮られる。
頭の上からクシナが俺を覗き込んでいた。
「いや、なんでも──ちょ……っ」
クシナが右へ左へと頭を揺らす。
長く滑らかな黒髪が俺の顔をくすぐってきた。
「くすぐったいって、やめ……っ」
「ふふっ。や〜だ〜」
いたずらっ子のように、にまにまと笑うクシナ。
同じシャンプーを使っているはずなのに何故か良い香りがする髪に理不尽さを覚えながら顔を守る。
「子どもか……!」
くすくす笑いながら、クシナは逃げるようにキッチンに向かう。
冷蔵庫を開けて一通り確認し、
「あ、昨日バター買ってくるの忘れちゃった」
「俺買ってこようか?」
「ん、そうね……」
俺がソファから身を起こし、リビングのドアに近づいたところで、クシナが首を横に振った。
「やっぱり大丈夫。だって──」
その瞬間、ドアが勢いよく開いた。
こちら側に猛スピードで開く扉を慌てて《分離》で受け止める。
そして、その向こう側に立つ少女に息を呑む。
彼女は下を向いて全身を震わせていた。
いつのまにか俺の隣にいたクシナが、俺の手を握りつつ、言う。
「ミラ、ちょっとお遣いに行ってきてくれる?」
扉の向こうに立っていたのは──御子柴ミラだった。
そう、クシナがミスズリに提示した案こそが、この状況。
ミラ様を人質として桜邑に連れてくることだった。
代わりに、ミスズリのことは見逃し、クシナと俺のことを内緒にすることを約束させた。
こっそり、あの威錫の統制者に人質なんて意味あるのか訊いたのだが、クシナは意味ありげに「そう聞いてるわ」と答えただけだった。
まあクシナが言うなら、そうなんだろう。
この子のことだし、きっと他にも狙いがあるんだろうし。
というわけで(寝ていたミラ様以外)満場一致で、ミラ様を人質とすることで松江での一件は手打ちとなった。
して、連れてこられたミラ様だったが、納得するはずもなく……。
「〜〜〜〜っ!!」
俯いているため表情は見えないが、お察しだった。
なぜなら、
「その前にっ! この格好はなんですのっ!?」
黒いミニ丈のワンピースに、フリルを付けられまくったエプロン。
白いニーハイソックスと、黒の混じる金髪の上にはホワイトブリム。
黒のゴシックドレスを愛用していたミラ様は、どうしてか見るも無惨な”メイド服”に衣替えを強いられていた……。
「あら、可愛いじゃない」
目のやり場に困って視線を逸らす俺の横で、クシナが愉快そうに言う。
まるで着せ替え人形を買ってもらってはしゃぐ少女のような明るい声音だった。
「〜〜〜っ! このっ、私にっ! 女中の……っ!!」
あまりの羞恥に目尻に涙まで溜めて、顔を赤くしているミラ……様。
様付けが似合わなくなってきた彼女は、ぎゅうっとスカートの裾を握って、反抗的にクシナを睨みつけた。
「いいんですの? 私を外に出してしまって、ここから逃げるとは──」
「できると思う?」
「──ひぃっ!?」
これなんだよなぁ……。
ミスズリとの交渉の後、目覚めてからのミラ……様はどうにもクシナに怯えているようにしか見えない。
どうしちゃったんだろ、誇り高き『ミラ様』……。
涙目のままバターの買い出しに出ていくミラ……を見ながら俺は遠い目をするのだった。




