第19話 玉
6両編成の列車における5両目。
事故の際に生存確率が高いとされる、中央後方の車両だ。
内装は華麗なる西欧風でありながら、その床は畳。
和洋折衷が不思議と成り立つ空間の中心に、彼女は一人、座っていた。
正座していることで、彼女の背後には十二単の裾が扇を描いている。
両手は膝の上に置かれ、背筋はすっと伸びたまま微塵も揺らがない。
陶磁のように白い肌は、いっそ彼女から人間味を奪っていた。
不動。
その心中を表すように両の瞼は固く閉じられている。
同じように真一文字に結ばれていた彼女の口が、不意に開かれた。
「客人か」
硬く、冷たい声音が響く。
「此度の行幸は十二支に一度の禊である。邪魔は赦されぬ。疾く、失せるがよい」
「──あら? 招待状なら八年間もらい続けてるわよ?」
明朗にして不遜な返答。
しかして、うつけを認めるべく目を開く。
その琥珀の瞳に映るは、音に聞く真紅の彼岸花。
「なるほど。よくぞ参った、〈刹那〉殿」
彼女──天堂カルマは眼前の超越者を前に、微かに口の端を上げた。
♢♢♢♢♢
クシナの目的は殺しではなかった。
というより、クシナは今まで誰かの命を奪ったことはない。
不殺主義などという高尚なものではない。
1秒の価値を知っているからこそ、他人のそれを奪えないというだけの話だ。
それは今も同じ。
求めるのは自らの安寧ただ一つ。
この場にたどり着いた時点で、ほぼ全ての障害は乗り越えている。
あとは、ほんの少しだけお話をするだけでいい。
「座るがよい」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
鷹揚な言葉を受けて、クシナは腰を下ろす。
言葉の主が僅かに眉根を寄せた。
「その紗幕は取れ。見苦しい」
「嫌よ。面倒だもの」
「相も変わらず不遜な」
不愉快そうに鼻を鳴らす天堂カルマ。
「我ら皇堂十二公の前で斯様な態度を取るのは貴様程度だ」
華族とは、近代日本の貴族階級だ。
西洋のそれと同じように華族の中にも序列がある。
上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五爵制。
特に公爵家は華族の中でも最上位にして最も数が少なかった。
その数、十二。
ゆえに、皇堂十二公。
古来、天皇を輩出してきたことから、家名に「堂」の字を冠することを許された特別な華族である。
天堂家はその一つだった。
各家の癖が強い皇堂十二公にあって、中立を重んじるバランサーのような役割を担っている。
その現当主こそが、クシナの眼前に座す天堂カルマだ。
実年齢はとっくに五十路を回っているはずだが、冴えざえとした美貌は十代後半とすら錯覚してしまうほどの魔性を保ち続けている。
そして彼女は──かつてクシナを管理していた相手でもあった。
「して、何用か」
とはいえ対面するのはこれが初めてだ。
クシナにはほんの少しの気負いもなかった。
「単刀直入に言うけど、ウチの娘にこれ以上手を出すのはやめてもらえるかしら?」
早々に切り出すと、カルマは表情を変えずに返す。
「何を申すかと思えば、意味が分からぬ」
「とぼける気?」
「笑止」
クシナの詰問に、一国の最高権力たる女は動じない。
その眦は鋭く、
「為人誠実たるは強者の特権なり」
その言葉には巌の如き重みがあった。
「妄言綺語は弱者のためにあると知れ、〈刹那〉よ」
「…………っ」
思わずクシナが息を呑んでしまうほどの力に満ちた言葉だった。
「故に我らは虚言など弄さぬ。貴様の言う『手出し』とやらにも心当たりはない」
「…………」
クシナは黙して考える。
(どういうこと? 嘘を吐いているようには、とても見えない。でも桜邑にいるあたしに追っ手がかかっていたのは間違いない)
それは【救世の契り】の仲間たちからも聞いている。
クシナ自身、まだ〈刹那〉として活動し始めるより前に襲われたことだってあった。
(とすれば……天堂家とは別にあたしに追っ手をかけている者がいる……?)
それが他の皇堂十二公なのか、それとももっと別の組織、あるいは個人なのかは杳として知れないが……。
「考えは纏まったか?」
クシナがはっと視線を上げると、カルマは再び瞼を落とし、その琥珀色の瞳を隠していた。
「訊きたいことがそれだけならば謁見は終わりだ。去れ。直に湖を超えるぞ」
「……優しいのね?」
「ふん。貴様を捕らえようとて、徒に兵を減らすだけよ」
クシナは少し逡巡してから、立ち上がった。
生家に対する牽制という当初の目的はとっくに果たされている。
新たな疑問は生まれたものの、いくつか情報を得られたことを考えれば悪くない成果だったと言えよう。
「ひとつだけ」
去り際。
走行中の車内にあって、不思議なほど明瞭に声が響いた。
「付け加えておこう、〈刹那〉──否、櫛引ハキリよ」
クシナが足を止める。
肩越しに振り返れば、カルマは相変わらず一心に前を向いたまま言葉だけを紡いだ。
「今は貴様がいるから手を出さぬだけ。──いずれ必ず”玉”は返してもらうぞ」
「…………」
玉とは恐らく、いや間違いなくクシナのことだろう。
抑止力の喪失を隠さなきゃいけない理由がまた一つ増えてしまった。
──ごめんね、もう少しだけ頑張って、母さん。
クシナは言葉を返さず、謁見の場から姿を消した。
♢♢♢♢♢
──そして時は現在。
研究所の一室に囚われたイブキは、恐怖の主を睨みかえす。
その眼光は、温度を失った紅蒼の瞳とぶつかり──押し勝った。
ミスズリはどこか色気を感じさせる吐息を漏らす。
「たまにおるんよなぁ、天稟効きづらいナメクジ。そない時は何時間でも、何日でも、掛け続けとくんやけど……」
ふっと、重圧が失せる。
「今回は時間もないさかい、この辺にしといたるわぁ」
「っ、はあ……っ」
胸の奥の重しから解放され、息を吐き出す。
そんなイブキから興味を削がれた様子で一升瓶を煽ったミスズリは口元を拭うと、
「本来の予定通り、続きはクシナはんの相手してからゆうことで」
ぬるりと笑みを浮かべる。
その言葉に剣呑な視線を返しつつ、イブキの脳裏では不明瞭だった情報が徐々に輪郭を帯びはじめていた。
考えるに、ミスズリが会話に興じた理由はこちらの反応から自分の求める情報の有無を探るためだ。
探るのは、相手がその情報を持っているかどうかだけでいい。
あとは《恐怖》という拷問で吐き出させることができるから。
力技も甚だしいその手段はともかく、彼女には明確に「聞き出したい何か」が存在するということの証左でもある。
「──姉様、終わりましたの?」
はっと目を向ければ、先ほどミスズリが入ってきた扉の傍に黒いドレス姿の少女が立っている。
「ん〜、ダメだったわぁ」
「……へえ」
不機嫌そうに相槌を打つ少女──ミラを、イブキは全くと言っていいほど意識していなかった。
それよりも衝撃的な言葉に思考回路の全てを回していたからである。
それすなわち、「ねえさま」という単語。
ねえさま。
禰栄醒魔。
寝絵左馬。
根柄狭間。
「────姉様!?!?!?!?!?」




