第18話 32秒
組織に属する者は、その所属組織の名を冠して呼ばれることが多い。
警察庁に属する者は警察官と呼ばれるし、消防庁に勤める者は消防官と呼ばれる。
あるいはシンプルに”隊員”と呼ばれることもあるだろう。
【救世の契り】のような反社会的組織も”構成員”と呼ばれている。
では【循守の白天秤】の隊員が”天翼の守護者”という全く異なる名で呼ばれるのは何故か。
それは、天翼の守護者が【循守の白天秤】の一部門でしかないからだ。
そう、【循守の白天秤】には天翼の守護者以外にもいくつかの天使がいる。
例えば【循守の白天秤】における秘密警察──公安と言える組織。
”威錫の統制者”。
主に国家体制を脅かす事件を担当し、また白天秤の隊員を取り締まる役目も担っている。
ここで言う「国家体制」とは、すなわち国の支配者──華族のことだ。
華族社会の近衛として活動し、かつ同組織内の汚職・不穏分子へと目を光らせる。
その役割上、実力もまた折り紙つき。
白天秤の公安という看板に偽りなく、全国合わせても千人に満たない選りすぐりのエリート集団である。
その彼女たちが都合、十数人。
島根・出雲間を繋ぐ、たった6両の御料列車に配備されている。
──否、いた。
♢♢♢♢♢
──時は遡り、イブキとクシナがそれぞれの襲撃を開始した、30秒後
「おい、応答しろ……!」
御殿と見紛うような豪華な内装の車内。
その4両目で近衛隊長が語気を強めた。
華族にとっては年に一度の警護責任者を務めていることからも分かるように、彼女は威錫の統制者の中でも特別優秀だった。
通信機の向こうは1両目と2両目の部下。
先ほどから反応がなくなった彼女らにすぐに気がついたのは、近衛隊長によって緻密に組まれた警護プログラムの賜物といえよう。
だから近衛隊長は焦ることなく、緊急時のプランに沿って背後の部下に命令する。
「おい、お前、前の車両に確認しにいけ」
この特別警戒体制が敷かれた走行中の車内で、一切の戦闘音なしに襲撃されている可能性は低い。
機器の不具合である公算が高い。
機器の用意をした者の始末書は免れないが、通信機の不良ならばそれでいい。
そうでない場合でも、確認に行かせた部下からのレスポンスによって状況は理解できる。
単純かつ的確な最善手。
仮に襲撃されていたとしても、同様にロジカルな対応をできるだけの能力が、近衛隊長には備わっていた。
──彼女にとっての不幸は、相手がこの天稟社会においても常識外れな存在であったことだろう。
「…………? おい、どうし──」
背後の部下へ目をやった近衛隊長が言葉を失う。
自分の後ろに控えていたはずの四人の部下が、居眠りでもするようにガクンと首を垂らして左右の座席に座っていた。
当然、警護中に居眠りはおろか、着席だって許されていない。
明らかな異常事態。
瞬き一回ほど停止した思考にぬるりと入り込むように鈴の音が鳴った。
「なんだか、お疲れだったみたい」
咄嗟に身体を翻して銃を向ける。
銃口の先には、座席で悠々と足を組む人影。
「大変よね、お貴族様のお守りって」
【救世の契り】の黒衣に散るは、鮮烈なる彼岸花。
座席にばらりと広げられた長い袖はどこか子供っぽくも見える。
「もっとのんびりやりましょ?」
組まれた脚は長く、ローブ越しにも女性らしい起伏が見てとれる。
けれども、どうしてか幼気な雰囲気が拭えない。
そういう人物だったと聞いている。
「〈刹那〉……櫛引ハキリッ!?」
思い至るや否や、脊髄反射で銃の引き金を引こうと──、
「だーめ」
いつの間にか、銃身に〈刹那〉の手がのせられていた。
眼前には、見通すことのできないフードの闇。
ひゅっと息を呑んだ次の瞬間。
手の中から無骨な銃が消える。
──《転移》……!?
てっきり〈刹那〉自身しか転移できないものだと思っていたが、銃が消えたということは、その発動条件は……。
「はい。タッチ」
先ほど前まで銃を持っていた近衛隊長の手を、〈刹那〉の手が優しく握った。
──発動条件は、手で触れること。
「このまま列車の外に《転移》させてもいいのよ?」
近衛隊長は汗を滲ませながら、奥歯を噛み締める。
「…………なにが、目的だ」
「そりゃ決まってるでしょ? あんたらがお守りしてる華族連中がウチの娘にちょっかいかけ続けてるからさぁ」
フードの奥でクスリと笑う気配がした。
「いっぺんお灸を据えとかなきゃなって」
♢♢♢♢♢
「これで偽装工作は終わり、と」
意識を失った近衛隊長を座席に寝かせて〈刹那〉──クシナは一息つく。
こうして彼女の振りをする度に、なんとも言えない心地になる。
大人のくせに自身の感情に素直でどこか幼さを残した──誰よりもあたたかい人。
そんな、自分とは似ても似つかない母親だった。
「感傷に浸っている暇はないんだけどね」
フードの奥でクシナは思案げに目を細める。
『寿命の消費』という、一個人にとってはこの上なく重い代償。
以前ヒナタにも言ったように、これが命の期限をすり減らすものであることは間違いない。
だが、『寿命の消費』というのは正確な表現でもなかった。
より正しくは『寿命』ではなく『死の運命』とすべきだろう。
例えば、元々は『60年後に病気で死ぬ』という運命だったものが、天稟行使によってそれが早まり『30年後に交通事故で死ぬ』に変化する、というような。
そうでなければ──想像したくもないが──天稟を使うたびに自分は歳を取っていくはずなのだ。けれど、そうした老化現象は見られない。
その意味では、若々しい彼の隣で衰えていく自分を見せずに済んだのは幸いだったと心底思う。
まあ、外見に現れようが現れまいが、命の期限が迫っているのは確かだ。
自分だけに聞こえる死神の足音は、秒針と同じ歩幅で近づいてきている。
しかし、実のところ、それ自体はクシナにとって恐怖に値しなかった。
だって生き物は皆、いつか必ず死を迎えるものだから。
クシナと違い感じ取れずとも、死は全人類に平等に待ち受けている。
『死の運命』までは絶対に死ぬことがないと分かっているだけ、いつ訪れるともしれない死への怯えから自分は解放されている。
そんな風にすら、クシナは思っていた。
と、こんな感じでいちいち『死の運命』と表現すると説明が面倒くさくなる。
だからクシナは分かりやすく『寿命』と表現しているのだ。
もちろんイブキはクシナの代償を正確に理解している。
そして今回の旅では、母・ハキリの天稟が《転移》だったこともイブキに伝えた。
彼女の存命を偽るべく、《転移》だと誤認させるようクシナが立ち回っていることも。
それに納得したことからも分かるように、彼はクシナの本当の天稟も知っている。
自分以外の全ての動きを奪う能力、《停止》。
それが櫛引クシナの、二代目〈刹那〉の天稟の正体だ。
比類なき強さの天稟。
けれど、その影もまた濃く──なにより捻くれていた。
クシナの天稟と代償は等価交換ではないのだ。
例えば、1秒の《停止》を行使したとしよう。
その場合、代償で消費される寿命は2秒になる。
単純に止めた分の二倍になる──だなんて簡単なものだったら、どれほど良かっただろうか。
この寿命の消費は、指数関数的に増えていくのだ。
2秒の行使で、4秒。
3秒の行使で、8秒。
4秒の行使で、16秒。
一度に5秒止めただけで、およそ6倍の32秒の寿命が減る。
6秒で64秒──およそ1分。
10秒で1024秒──およそ17分。
11秒で34分。
12秒で1時間。
16秒を超えると、1日が無くなり。
19秒で、1週間が。
22秒で、1ヶ月などとうに超え。
25秒で、1年が消える。
そして32秒で、一生が終わる。
無論、そこまで連続で天稟を行使することはない。
たかが12秒の《停止》でも、馬鹿らしいことに1時間以上寿命を削るのだ。
一度に使っていいのは「ど〜しようもない時に10秒まで!」とイブキにも厳命されていた。
普通に考えれば、やけに理不尽な代償だろう。
他ならぬクシナだけは、その理不尽の理由にも見当はついていた。
けれど、クシナがそれを他人に語ることはない。
それはクシナ本人にしか理解できない感覚だから。
なんにせよ自分に残された時間は少なく、だからこそやらねばならぬことがある。
「…………」
クシナは5両目へと続く扉を、冷ややかな視線で見据えた。




