第13話 〈乖離〉
その列車は、煌びやかな装飾に満ち溢れていた。
煌びやかと言ってもそれらはギラギラと品のない物ではなく、どこか気品すら感じられる。
淑やかな金箔の屏風に、しめやかな山水画。
異国情緒あふれる赤絨毯の車内に、不思議と調和した日本的な逸品の数々。
そんな豪華な車両が、八両。
普段の編成よりも多い、特別編成が線路を走っていく。
それが向かう先に待つ陸橋。
その上に、黒いローブの人影が待ち構えていた。
先頭車両が橋下を潜り抜けると、ローブの裾が巻き上がり彼岸花の紋様が宙を泳ぐ。
「さあ、はじめましょう」
列車が通り過ぎる頃には、その姿は影も形も残されていなかった。
♢♢♢♢♢
「さ、はじめよっか」
イブキは歩きながら、できるだけ呑気にそう呟いた。
足を進める先は白亜の建築群。
その正面玄関にイブキは向かっている。
門から直線に伸びた橋の上を、逃げも隠れもせずに真っ直ぐに。
「とまれ!!」
「何者だ!!」
当然ながら、門の前に立つ二人の警備係に誰何の声をかけられる。
物々しい雰囲気を隠すこともせず、はっきりとした敵意が込められていた。
けれど、思う。
(質の悪い守衛だな)
さもありなん。
自分は今、黒いローブを纏っているのだ。
黒ローブ姿を見て、この世界の警邏がいち早く思い出さねばならない存在こそが【救世の契り】。
お前は誰だ?などと呑気な問答をする暇もないのが、本来の守衛の在り方である。
【循守の白天秤】のエリートならば、見るだけで即取り抑えにかかっている。
どこぞの主人公のように初任務かつその相手が男だったくらいでないと、わざわざ問いただしもしないはずだ。
「まあヒナタちゃんはそういう慈悲深いところがとても可愛いのですけども!」
「はぁ? なんだお前!」
「何を訳の分からないことを言っている!」
「ヒナタちゃんは天使だろうがッ!! 訳分かれッ!!」
しかも彼女に関しては慈悲深い上で(イブキがイレギュラーでなければ)きちんと任務も遂行しているのだから、比べようもない。
──目の前で、未だ後ろ手を組んで突っ立っているだけの阿呆どもとは。
「ふッ……!」
二人の門番めがけて駆け出す。
その段になってようやく彼らは構え、
──《分離》。
構え終わるより前に、一人が吹き飛ぶ。
盛大な音と共に白柵の門へと、門番が激突。
代わりに先ほどまで彼が立っていた場所には、黒いローブを靡かせるイブキが立っていた。
「なっ!?」
「次」
もう一人の理解が及ぶよりも前に肉薄し、イブキは回し蹴りを放つ。
門番は慌てて受け止めようとするも、
──《分離》対象:地面、及び門番の足。
踏ん張ることすらできずに吹き飛ばされる。
その先は、
「──あ」
橋の欄干を大きく飛び越えた、空中。
「ああああああああああああ!?」
橋下の川へと真っ逆様に落ちていく門番を尻目にイブキは肩をすくめた。
「ま、死にはしないよ。子供二人が落ちても平気だったからね」
さっさと視線を切って確認するのは、門に激突した門番。
彼はさっきの一撃ですっかり気を失っていた。
「〈剛鬼〉くんならピンピンしてたんだけどな」
苦笑しながら両開きの門に手をかけ、
──《分離》対象:右の門、及び左の門。
両者が分離された一瞬で、勢いよく押し開く。
がしゃあん!と盛大な音を立てて吹き飛ばされる鉄柵。
同時にけたたましい緊急鈴が施設に鳴り響く。
「十年ぶりに、お邪魔するよ」
フードの下でイブキは──〈乖離〉は、静かな微笑を湛えた。
広い場所を避けるために全速力で施設内へと駆け込んだ〈乖離〉は、その懐かしい様子に不思議な感傷を覚えた。
「こんなところに懐かしさなんて覚えたくなかったけど……」
軽く見回せば、エントランス兼待合室。
研究所と銘打ちつつも、ぱっと見は大きな病院に近かった。
人はいない。
それも当然、現時刻は早朝五時である。
絶好の襲撃タイミングだ。
そんな人気のないエントランスにも、今はサイレンが鳴り響いている。
「急がないとな」
ここの警備の質が悪いと言っても、大人数に囲まれるようなことになれば面倒なのは間違いない。
なるべく広い空間ではなく、狭い空間を移動し続けたい。
幸いと言っていいのかは微妙なところだが、かつて被験体だった〈乖離〉はこの建物自体に馴染みがある。
どこを通ればいいかは、朧げながらも覚えていた。
〈乖離〉はエントランスから研究所の本館へと続く通路に駆け込む。
「目指すは研究棟の中央……!」
この研究所は湖畔に沿って横長に伸びている。
右端にエントランスがあり、その隣に天稟や代償の測定をするための施設。
その奥に研究棟があり、そこの設備や資料を丸ごとお釈迦にしてやるのが、今回の〈乖離〉の目的である。
男の天稟に関する研究所など全国でもここくらいしか聞いたことがない。
貴重な設備や資料を失ってしまえば、その打撃は計り知れないものになるだろう。
こんな予算も少ない研究所なら立て直しは不可能に近いはずだ。
「っと、来たな」
奥へ奥へと走っていく〈乖離〉の正面にわらわらと人影が見え始めた。
「いたぞー!!」
「もうこんなところまで!?」
まさか向こうも侵入者が昔の被験者だとは思うまい。
こちらの進行速度の速さに面食らっている。
もちろん〈乖離〉はその動揺まで考慮していた。
ここ最近のヒナタやルイとの戦いでイレギュラーが起こりすぎたため場当たり的な対応の目立つ〈乖離〉だが、本質的には用意周到。
というより、色々と予測を立てたり次善策を用意しておかなければ落ち着かない性質なのだ。
前日の幼馴染との話し合いでは「明日も早いんだから早く寝なさい」と強制的に布団に寝かしつけられるまで、思索を巡らせていたほどである。
当然、敵がやってきてからの対応も決めてある。
数人の警備隊が手にしている銃を見た〈乖離〉は、即座に攻撃を決断。
「出番だぞ」
ローブの右袖から滑り出てきたのは、黒染めの六角棍。
今は三〇センチほどの長さだが、
「はァ……!!」
十メートルほど前の敵めがけて突き出す。
瞬間、棍が射出されたかのように伸びた。
前と──後ろにも。
「いや使いづらっ!!!」
前に伸びた先端は狙いどおり敵群の一人の鳩尾を抉り意識を刈り取っていたが、問題は背後にも伸びた逆端である。
慌てて縮むよう念じると、今度も一瞬にして三〇センチほどまで縮まった。
「普通に念じるとどっちも伸びるんかい……ツクモらしい欠陥秘密道具……」
〈乖離〉の脳裏で、尊大な幼女幹部が腰に手を当てて自信満々に笑っていた。
首を振って妄想を振り払うと再度構える。
その先には、正体不明の攻撃で仲間がやられた驚愕から立ち直っていない警備隊。
警備とは名ばかりのその姿にも気を抜かず、〈乖離〉は距離を詰めんと地を蹴る。
慌てて彼らが銃を構えた瞬間、〈乖離〉は棍を持っていない左手を振り払った。
腕輪が起動し、眼前に彼岸花の花弁のような紙吹雪が展開される。
その向こうで鳴り響く銃声。
数度にわたる発砲を、〈乖離〉は鼓膜ではなく眼で捉えていた。
(一……二、三、──四)
紙吹雪とそれらが交差する一瞬を、見逃さず、《分離》。
推力を失った銃弾がカラカラと地面に転がっていく。
「は……?」
鉄の乾いた音が響きわたる廊下に、乾いた驚嘆が落とされる。
次の瞬間、赤の吹雪を破って現れる黒い影。
肉薄を許した警備隊の中央に滑り込んだ〈乖離〉が頭上で六角棍を回転させた。
それに合わせて棍の両端が伸び、警備隊の面々に触れ、
(耐久性が問題なら、俺には問題にならない)
──《分離》対象:六角棍、及び警備。
都合、四回の天稟行使。
周囲の警備隊が吹き飛び、壁に叩きつけられた。
激音響いた通路に、沈黙の帷が落ちる。
「ふう……」
敵が気を失っているのを確認して、〈乖離〉は息を吐き、それから再び奥へと向かい始めた。
「よし、終わった」
数人の警備員と研究員とが寝転がる研究棟中央管制室。
他にも数カ所の記録保管所や実験機器の置かれた場所で破壊の限りを尽くした〈乖離〉は、あまりの簡単さに拍子抜けしていた。
これだけ破壊しておけば、充分に研究所にダメージを与えられることだろう。
……そのはず、なのだが。
「あんまりにも上手くいきすぎて怖い……」
もちろん計画は練りに練った。
一日だったが、まるで情報のなかった第十支部潜入時と比べれば数倍マシな状況。
加えて、そこに詰めている人材は比べるのも烏滸がましいくらいの差がある。
だからと言って上手くいきすぎれば不安になるのが人間の性というものだ。
「……さっさと出るか」
そそくさと管制室を出ると、他よりも広い通路が続いている。
来る時はそんな余裕もなかったが、終わったとなると感傷が戻ってきた。
通路の右側は一面のガラス張りで、その向こうには宍道湖が広がっている。
昔はよく、この風景を見ながらこんな通路を歩いたものだ。
別に面白い記憶でもないので、振り切って視線を戻した〈乖離〉の前に、
「──ごきげんよう、【救世の契り】幹部〈刹那〉が唯一の部下、〈乖離〉さん」
欧風のドレスに身を包んだ美少女──御子柴ミラが立っていた。
♢♢♢♢♢
数刻前。
「こんなに早く起きる必要、ありますの?」
あくびを噛み殺したミラが姉、ミスズリに尋ねると彼女は飄々と答えた。
「知らへん」
「ええ……」
松江駅と宍道湖周辺が一望できるホテルの最上階。
その一室にて、ミラとミスズリは窓の外を眺めていた。
早朝四時にそうしはじめてから、かれこれ一時間は経過しようとしている。
「華族への襲撃を防ぐのが目的だというなら、駅ででも待っていればよいでしょうに」
「そやけどなぁ……ウチの勘が、どうにも騒ぎよるんよ」
「…………」
敬愛する姉の勘がよく当たることを知っているミラはそれだけで口を噤んだ。
次の瞬間、
「……えっ!?」
宍道湖北岸の研究所で異常事態を示す赤灯が点いた。
「……まさかと思いましたが。本当に姉様の予想が当たるとは」
「ふふん」
「いきましょう」
「──待ちぃ」
踵を返しかけたミラは立ち止まって姉を見る。
ミスズリは未だ外を見ている。
「向こうは二人おるやろ?」
「はい」
「──同じ場所に行きはるとも限らへんのやないかなぁ?」
「…………!」
「なにせ、あないな施設、クシナはん一人で充分やさかい。なぁ?」
ミラはごくりと喉を鳴らした。
この姉はどこまで冷静に状況を俯瞰しているのだろうか。
「ミラ、あんたは研究所に行きぃ」
「は、はい。姉様は……?」
「ウチはぁ──」
ミスズリが、その異色の瞳を蛇のように細めた。




