閑話 その女子高生 理想の男性像を語る
その日の夜、すなわち異世界最初の夜。
実は、男子高校生を除く、四人の女子高校生とひとり女性教師は突如現れたコテージの屋根に設えられた豪華な露天風呂を楽しんでいた。
シャワーどころかトイレすら使用することが許されなかった器の小さい男子高校生がこの待遇の差を素直に受け入れるはずもなく、盛大な抗議の声を上げるはずなのだが、そうならなかったのには訳がある。
それを出現させたメガネ少女の防御魔法は、安全を完璧に担保しただけではなく、音を漏らさない防音機能も備えていたため、テントを組み立てられなかったためやむを得ずコテージのすぐ隣で哀れな姿で寝ている男子生徒に気づかれることはなかったのだ。
もっとも、それに気づいたからといって恩恵に浴する可能性などゼロである彼にとっていいことなどひとつもない。
それどころか、間違って自分もその露天風呂に入りたいなどというささやかな希望を口にしていれば、「無礼者」という声とともに再び理不尽なお仕置きがおこなわれていたのは確実なのだから、それはまさに「知らぬが仏」的な不幸中の幸いといえるものだった。
さて、そこで始まった女子会。
格差社会を体現するような諸事情により実に微妙な表現になったものの、まずはお約束通り、お互いのある部分についてのサイズとフォルムと感触を讃え合うと、すぐにこのような場での定番であるあの話が始まる。
「ここはやはり恋愛経験豊富な大人な私が……」
そうして語り始めたあることないこと、いや、そのすべてがないことないことで塗り固められた顧問の恋愛談を「つまらん」というひとことで封殺した美少年風少女が狙いを定めたのは麻里奈だった。
「それにしても、まりんの男嫌いは堂に入っているな」
男嫌い。
すなわち、同性である女子が好き。
その言動に似合わず中身は正真正銘の乙女で面食いでもある美少年風少女の口は言外にそう言っていた。
実際に麻里奈の中学生時代から異世界に転移するまでの三か月の高校生活ではその言葉を地で行くような出来事が次々と起こっていた。
だから、美少年風少女の言葉は誇張されてはいてもそう間違っているものとはいえない。
だが、実際はどうかといえば、麻里奈はこの状況を喜んでいるどころか、「その件に関しての一番の被害者は私だ」とぼやいていた。
つまり、彼女自身その気がまったくないのだ。
イコール、彼女は同性の同級生たちに一方的に言い寄られているだけということになる。
だから、彼女の言葉は当然こうなる。
「言っておくが、私は男が嫌いなわけではない。馬鹿で軟弱な男が嫌いなだけだ」
不愛想の見本のような顔で答えた麻里奈のその言葉に美少年風少女が黒い笑みを浮かべる。
「……ほう。それはおもしろい。つまり、条件が合えば、まりんはその男と付き合うということなのか?」
「そうだ」
「では、問おう。まりんが描く理想の男性像というものがどういうものであるのかを」
「……いいだろう」
美少年風少女に促された長身の少女は一度わざとらしい咳払いをしてから口を開く。
「まず、私より強いこと」
その瞬間、その場に微妙な空気が流れる。
当然である。
なにしろ麻里奈は小学生時代から習っていた護身術を極め、圧倒的な戦闘力を有していたのだから。
「は~い。この時点で北高男子の三分の二が消えました」
「そうですね。まりんさんは本当に強いですから」
「だが、条件は条件だ。仕方がない」
表面上はそうは言ったものの、心の中ではこういう場合の答えに一番ふさわしくない手札を初手から繰り出してきた麻里奈に盛大にクレームを並べていた美少年風少女が感じた嫌な予感はすぐに当たる。
「……それで、次は?」
「私より成績が良いこと」
「終~了~です」
「そうですね。入学試験をトップで合格し、新入生代表として挨拶をしたまりんさんより成績上位になるような男子にまりんさん以上の強さを求めるのは……難しそうです」
「つまらん。実につまらん」
自らが期待した「おもしろい」場面などまったくやってこないまま、あっという間に試合終了となり、天を向いて不貞腐れる美少年風少女。
実を言えば、メガメ少女以外のふたりも美少年風少女と同じくこの話はここで決着がついたと思っていた。
だが、それは大きな間違いであったことをすぐに気づかされる。
「待て」
そう。
麻里奈は美少年風少女に告げたのだ。
まだその話は終わっていないことを。
「まだ条件の半分も終わっていない。この話題を持ちだしたのは春香なのだから、最後まで聞いてもらうぞ。私が考える理想の男性像を」
……いらん。
心の中でそう叫んでいたものの、この美少年風少女も最低限もマナーはある。
渋々ながらそれに同意する。
「……わかった。聞いてやるから残りをさっさと言え」
「背が最低でも私より高いこと。諸々考えればできれば十センチは高いことが望ましい」
「……百七十五センチのまりんさんより十センチ高いということは百八十五センチ……喧嘩が強くトップの成績を取っているだけではなく高身長……」
「これはまさに蛇足の見本です」
「まったくだ。そんな奴はあの古いだけが取り柄の田舎の公立高校にやっと入ったポンコツ男子の中には存在しない。というか、日本中探してもそうはいないぞ」
「それから……」
「まだあるのか?」
「当然だ」
……これは完全に嫌がらせだ。
麻里奈のその言葉にそう心の声を漏らした美少年風少女だけではなく巻き込まれた形となった顧問がため息をつく。
一方、まんざらではないのが、学校一可愛いと評判のまみである。
彼女はこの中で唯一麻里奈の追っかけ、いわゆる「麻里奈教徒」である。
当然憧れの麻里奈の好みが知りたい。
……将来の参考にするために。
「ぜひ聞かせてください。た、たとえば見た目とかはどうですか?」
これまでとはまったく違う積極的なまみの言葉に少しだけたじろいだものの、よく考えれば部活動中はいつものこうだったので、すぐに精神を立て直した麻里奈が再び口を開く。
「見た目か。まあ、それについては悪いよりもいいほうが望ましい程度だな。私はそれよりも中身を重視する」
「中身?たとえば?」
「誠実さの欠片もない小心者。金に汚くすべてにおいて器の小ささを感じさせる。そのくせ他人の評価に比べて自己評価が異常に高い。こういう奴と対局な男がいい」
「つまり、橘と真逆な奴か」
「……まあ、そうなるな」
「とりあえずそれで終わりでいいな」
「ついでにつけ加えるのなら、女子にキャーキャー言われているのをはべらせて私の飾りにするのも悪くないな。もちろん金持ちであることは条件のひとつであることは言うまでもない。もっとも、そういう奴が私よりも強く、学力があるとは思えんが」
「……よくもそれだけハードルを高くできるものだな」
「そうですね。ですが、これだけの条件を出されたらさすがに……」
「いますよ。金持ちかどうかはまだまだ就職していないのでなんとも言えませんが」
いるわけがないと言おうとしたまみを制してその言葉を口にしたのは麻里奈との付き合いが一番長いメガネ少女だった。
「いるのか?」
「いるのですか?」
自らの言葉にふたつの口から同じ疑念の言葉が発せられると、メガネ少女が大きく頷く。
「いますよ。それもすぐ近くに」
「まさか橘だというオチではあるまいな」
それは最悪の冗談だと顔に書かれた美少年風少女の真剣な問いにメガネ少女は鼻で笑って応じ、それを完璧な形で否定する。
「違うということか。では、誰だ?」
「もちろんお兄さんです」
「お兄さん?誰の?」
「まりんさんの」
「まりんの兄貴?」
もちろん麻里奈本人はそれを大急ぎかつ全力で否定したわけだが、麻里奈の言葉をさらに上書きするように否定したのは、それまで出番なしの状態だった顧問の女性だった。
「……いいえ。ヒロリンの言葉は間違っていないわね」
「先生はまりんの兄貴を知っているのか?」
「もちろんよ」
そのあとに顧問の教師の口から語られたのは、ある男子生徒がバレンタインデーの大惨敗を受けてため息交じりに口したことがその始まりといわれる「全校男子の敵」という偉大な称号を持つ、恵理子より二つ年下の麻里奈の兄小野寺徹がいかにカッコよかったかという内容のなんとも表現しがたい物語だった。
「……つまり、まりんの兄貴は学校中の女子の心をひとり占めしていたのか」
「そう。と言いたいところだけど、実はそうじゃないわね」
「どういうことだ?」
「生徒だけじゃなかったのよ。小野寺君に熱を上げていたのは」
「もしかして教師もか?」
「それから生徒の親も。当然そこには本物のおばさんまで含まれる」
「だが、そこまでの花園をつくり上げると迫害を受けるのではないか。『全校男子の敵』として。特に腕力だけが取り柄のような器の小さいゴリラ先輩とかに因縁をつけられそうだ」
「そうね。そして、実際にそうしようとした人はいたけど、結局実現しなかった。そもそもすべてにおいて男の鑑みたいだったから同性からも人気があったし、なによりも本当に強かったから。喧嘩が」
「つまり、因縁をつけたゴリラは返り討ちにあったのか?」
「そういうこと。しかも、喧嘩が強かっただけではなく頭もよかった。入学から卒業まで一度もトップを譲らなかったそうよ」
「なるほど。そして、先生はまりんの兄貴に猛アタックしたものの玉砕したわけか。まあ、底辺女子がナンバーワン男子を狙いにいったのだから当然のことではあるが、とりあえずご愁傷様といってやろう」
もちろん美少年風少女は「猛烈な」という形容詞がつく嫌味のつもりでその言葉を口にしたわけなのだが、現実はそれよりさらに悲惨なものだった。
「そうなればよかったのだけど……」
……つまり、玉砕ではないということか。
……まさか。
顧問のその言葉に、最悪の、もちろんこれは美少年風少女にとっての最悪なのだが、とにかく最悪の事態を想像した彼女はおそるおそる尋ねる。
「どういうことだ?」
「そこまで辿り着かなかったのよ。告白するライバルが多すぎて。告白する前に時間切れになって……あっ」
そこまで言ったところで、顧問の教師は思い出す。
彼女にとっては非常に重要なある約束の存在を。
「まりん。あなたは私が料理研究会の顧問を辞めて自分がつくったクラブの顧問になったら小野寺君とデートさせてやると言ったわよね。あれはいったいどうなっているの?」
……このタイミングでそれですか。
……笑える。
……さすがにここでは……。
三人分の嘲りに満ちた心の声が漏れるなか、そこに加わり損ねたもうひとりが口を開く。
「まあ、あれだ。先生が兄貴とデートをする算段については元の世界に戻れたらゆっくりと相談しようではないか」
「今度こそ本当でしょうね」
「もちろん。今までは野暮用が多くでできなかったが、実現する日を大船に乗った気持ちで待っていてもらおうか」
何を言おうが、ここは異世界。
いくらでも空手形が発行できる。
麻里奈はある事情によりそれが爪の先ほども実現できないことも知っている。
当然、無駄な努力などする気など今も昔もまったくない。
だが、そのようなことは言葉のどこにも表すことはなく、巧言令色的な口から出まかせであっという間に顧問を黙らせ、これで手際よく一件落着。
……のはずだったのだが、実はそうはいかなかった。
「ポンコツおばさん教師の与太話などどうでもいい。それよりも、おもしろい、もとい、ある重要な事実がたった今判明したぞ」
その言葉とともにニヤリと笑うのは平らな胸を精一杯張ってみせる美少年風少女。
彼女の嬉しそうな顔を見た瞬間、麻里奈はすぐにそれを察し、盛大に後悔した。
……しまった。
……この話を長引かせ兄貴から話題を遠ざけるべきだった。
しかし、後悔後に立たず。
当然のようにそれはやってくる。
「まさか、まりんがブラコンとは思わなかったな」
……やはり、そうなるか。
……それもこれもヒロリンが兄貴の話を持ちだしたからだ。
麻里奈はニコニコ笑うメガネ少女を睨みつけるものの、それで何かが解決するはずもなく、ついに手に入れた「おもしろい話」を美少年風少女が簡単に手放すはずもなく、彼女の追求は延々と続くのであった。
「私がブラコンなどという評価は絶対に認めん」
それは異世界の夜空に響く麻里奈の心からの叫びだった。