その女子高生 異世界の理を破壊する
異世界にやってきて最初の朝。
「さてと……」
上空を飛行する二匹のドラゴンを眺めながらなどという元の世界では絶対に体験できないシチュエーションでの豪華な朝食を済ませた彼女は小さく呟く。
「今日は周辺を探索してみるか」
何がいるのかもわからぬ、いや、目の前にいるのだから少なくてもドラゴンは存在するその世界。
そこを探索するというのはいかがなものかとなりそうなものなのだが、実はそうでもない。
なにしろ幼馴染のメガネ少女の魔法によってこうして安全は確保されている。
そして、そのもっとも重要な安全が担保されているのであれば、せっかく来た異世界を見聞しようと彼女が言い出すのはごく自然の成り行きだといえる。
「当然だな」
ひとりは単に面倒、もうひとりはそんなところにいけば自分がひどい目に遭うだけではなく笑いものにもなる。
理由は異なるが男女ふたりが露骨に嫌という表情を浮かべたなか、彼女の言葉に対して声高に賛意を示したのは美少年風少女だった。
だが、それに続いてその少女が口にした言葉はやや意外なものだった。
「そうは言っても、出かけるにあたり問題がないわけではない」
……ん?
このようなことにはもろ手を挙げて賛成するはずの美少年風少女からのものとは思えぬ後ろ向きの言葉に彼女は戸惑う。
……全くもって春香らしくもない。
……どういうことだ?
一方、美少年風少女は彼女のその表情にニヤリと笑う。
……そうでなければならん。まりん。
心の中でそう呟くと、言葉を続ける。
「どうも腑に落ちないようだな。では、聞こう。異世界を歩き回れば当然出会うものとはなんだ?」
美少年風少女のその問いに彼女が答える。
「それは異世界の魔獣のことだろう。だが、それについてはヒロリンの魔法でなんとかなる。このように」
そう言って彼女は視線を上空にやる。
釣られるように視線をやってから相手が口を開く。
「そんなことは言われなくてもわかっている。私が言っているのは別のものだ」
「別のもの?なんだ?それは」
「実際には見てはいないが、この世界にも人間はいるのだろう?」
「いるだろうな」
「そのほかにも知的な生き物はいるのではないか?」
「まあ、それもいるだろうな。なにしろここは異世界だからな」
「では、それを踏まえてまりんにもう一度問おう。奴らは何語を喋るのだ?」
「あ~~~」
そこで彼女はようやく理解した。
この美少年風少女が何を言いたかったのかを。
「……言葉か」
「そう。少なくても彼らには日本語は通じまい」
……つまり、どうやってコミュニケーションを取るのかということか。
「だ、だが、それについては元の世界でもあったことなのだ。世界中のいたるところでそれはおこなわれ、日本でも多くの先祖ができたことなのだから私たちだって努力すれば克服できるのではないのか」
「なるほど」
言い訳がましい彼女の言葉に美少年風少女が人の悪い笑みを浮かべながら頷く。
「まあ、たしかにそれはできなくはないだろう。だが、それはすぐにできるものなのか?まりんに」
「私?」
「そうだ。そういう奴らとの交渉はまりんの役目だろう」
そう言われた彼女は再び唸る。
なにしろ美少年風少女が語ったことは言外のものも含めてすべて正しかったのだから。
……たしかに春香の言うとおりだ。
……この場でそのような交渉をおこなうことができるのは私とヒロリン。
……しかし、ヒロリンには魔法行使に集中してもらわなければならないので、必然的に交渉役は私となる。
……そうは言っても、普段私がおこなっているのは相手の弱みに突いた一方的な譲歩を求めるもの。
……だが、相手はどこの誰かもわからないうえに日本語が通じない者となれば話はまったく変わる。
……相手にはこちらの言っていることが正確に伝わらないのだから意思疎通ができない。
……つまり、脅しが利かないどころか、そこまでも辿り着かない可能性が高い。
……もちろんヒロリンの魔法を使ってねじ伏せるということは可能だろう。
……だが、それをやってしまうと交渉という手札は捨てなければならなくなる。
……つまり、どんなときでも力を行使して屈服させるという一択のみ。
……そうなれば、私たちにはこの世界の民を敵に回すことになる。
……魔王志願の春香なら大喜びで賛成するだろうが私は御免被る。
……だが、困った。
彼女が口を開く。
「……たしかにそうだな。それで、春香にはその問題を解決するアイデアがあるのか?」
「すべてを解決するものとは言えないが、とりあえずはある」
……話の進め方から考えてそういうことなのだろうな。
彼女は心の中でそう呟き、それからもう一度口を開く。
「では、聞こうか。そのすばらしいアイデアを」
「……ボディランゲージ」
それが正解として美少年風少女が用意していたものだった。
もちろん美少年風少女は身振り手振りという本来の意味でその言葉を使ったのだが、元の世界で同性からの過剰な愛情表現に悩まされていた彼女がその言葉を聞いて想像したものは百合色の香りがするもっと奥深いものだった。
「……本気か?」
やっとの思いで口にした彼女の言葉に本来の意味しか思いつかない美少年風少女が女性らしさの欠片もない平らな胸を張って答える。
「もちろん」
「い、言っておくが、私はそんなものをやる気はない」
「はあ?」
自分のものとはどこまでもかみ合わない彼女の言葉に少々戸惑いながら、美少年風少女はとりあえず軌道修正を加えながら言葉を続ける。
「まあ、そう言うな。とりあえず導入部分は私が引き受けるから」
そう言ってなおも不機嫌そうな顔の彼女を眺めながら美少年風少女はさらに言葉を続ける。
「まりんがおこなう本交渉に入るには、まず私たちが敵ではないということを示す必要がある」
……もしかして、春香の言うボディランゲージとは私が考えているものとは別のものなのか?
ここでようやく自分が大いなる勘違いをしていたことに気づいた彼女はそれを大急ぎで心の隅に追いやり、その勘違いはどこにも存在しなかったことにすると、何事もなかったかのように次の言葉を口にする。
「ま、まあ、そうだな。それで?」
こっそりと正しき道に辿り着いた彼女の言葉にそうとは知らぬ美少年風少女は満足そうに大きく頷き、もう一度口を開く。
「つまり、私にはその部分に秘策があるということだ」
「秘策?どんな」
「初めて会った相手の前では必ず橘を厳しくお仕置きして私たちが交渉するに値するまっとうな人間であることを示す」
「チョット待て」
美少年風少女がそこまで言ったところでふたりの会話に割り込んできたのは当然そこに直接関りを持つ人物である。
「なぜ異世界の者と交渉するために俺が毎回お仕置きされなければならないのだ。しかも俺を理不尽なお仕置きするおまえがまっとうとはどういうことだ?」
この場にいる唯一の男子のその言葉はどこをとってもすべて正しい。
だが、それと同時にこのグループ内では力関係がすべてに優先され、たとえ正しいことを言ってもその主張が通るというわけではない。
そして、それはすぐに証明される。
「おかしなことを言う橘だな」
美少年風少女は視線を唯一の男子に向けるとその言葉を投げつけた。
「なんだと」
「俺の言っていることのどこがおかしいと言うのだ?」
顔を真っ赤にした男のその言葉に美少年風少女が答える。
「まず、しばらくはここで生活する以上、私たちはいずれ異世界人と接触する。つまり、彼らと様々な交渉をしなければならない」
「それはわかる」
「そこでおまえが役に立つのだ。ここで大活躍すればまみたんの好感度ももれなくアップだ。すなわちまみたんとの異世界デートも夢ではない」
「それはすばら……いやいや、騙されないぞ。俺が言っているのは、そこでなぜ俺がお仕置きされなければならないのかということだ」
「よく考えろ。おまえはお仕置きされることが生きることと同じ意味を持つ最高ランクの変態だ。そして、おまえが変態であることはどこの世界のどれほど知性が低い生き物でもわかる。その変態を目の前で成敗すれば私たちは偶然近くにいただけでおまえとは無関係な者たちだと証明され、さらに変態のおまえとは違い私たちは交渉するだけの価値がある者たちだとわかってもらえる。むろん、それだけではない。大勢の前でお仕置きされるということはおまえにとっては最高のご褒美。つまり、これは私たちの役に立つうえにおまえの被虐趣味も満足できる一石二鳥の見本のようなものだ。どうだ。これだけ親切丁寧に説明すれば、いくら馬鹿なおまえでも自分がお仕置きされなければならない理由が理解できただろう」
「ふ、ふざけるな。理解もしないし、そもそもそんなもの断固拒否だ」
「なぜを拒む?もしかして、それは噂のお預けだか放置だかいう新しいお仕置きなのか?だが、それは相手がやるものであって、自分がやるものではないぞ」
「そんなことはわかっている。とにかく俺はそんなものには絶対手を貸さん」
「ほう。この世に存在する意味がないお荷物以下のおまえにも活躍できそうな場所を用意してやると言っているのに、拒絶するとはいい度胸だ。そういうことなら仕方がない。予定を変更してまずはこの場におまえが存在する意味を教え込むためのお仕置きタイムだ」
その言葉のあとに当然やってきたそれが終了したそれから五分後。
「まあ、十分に笑えるのでハルピの案も悪くはありませんが、即効性という点では難がありといえます。それにその案ではより譲歩を迫られるのは私たちのような気がします。それではまりんさんもハルピも不本意でしょう」
それまで会話に参加せず聞き役に徹していたメガネ少女がようやく口にしたその言葉に彼女と美少年風少女が顔を歪める。
「ヒロリンはそう言うが、実際問題として言葉の通じない異世界の者と交渉するには面倒でも地道にことを進める以外に手はないと思うが」
渋い顔をしたままで彼女がそう言うとメガネ少女がすまし顔で答える。
「いいえ。あります。即効性があり、かつ根本的な問題が解決する名案が」
「もしかして、ヒロリンが魔法で翻訳するのか」
「まあ、近いですが、そうなると皆さんは私を介してでなければ異世界の人と会話ができません。私の案はもっと簡単にコミュニケーションが取れるものです」
「わかった。魔法で人数分の翻訳機を用意する」
「もう一声」
……つまり、まだ足りないということか。
……だが、これ以上に何があるのだ?
さすがにネタが尽きた彼女は隣にいる美少年風少女に視線を送る。
だが、こちらはさらに前からお手上げだったようで諦め顔でそれに応じる。
渋々という心情がはっきりとわかる表情の彼女が口を開く。
「……降参だ。答えはなんだ?」
彼女のその言葉に笑顔で応じたメガネ少女はそれを楽しむように少しだけ時間をおいてから解をあきらかにするために口を開く。
「この世界の言語を日本語に統一します」
「……日本語に統一?」
……さすがにひとこと言わざるを得ない。
彼女はそう思った。
……たしかにそれは私たちにとってはありがたい。
……だが、この世界に住む者にとってはどうなのだ?
……というよりも、そもそもそのようなことが可能なのか?
「ヒロリン。魔法でそこまでできるのか?」
「もちろん」
そう答えるメガネ少女に彼女以上に疑わしそうな顔をした美少年風少女が問う。
「だが、それはこの世界の理を改変するのと同じであり、この世界に住む者にとっては不利益になることはないのか?」
……さすがの春香でも躊躇したか。
彼女は心の中で苦笑いする。
……もっとも、その点を考えないヒロリンではない。
……なにか仕掛けが施されているのだろう。
……だが、その見た目とは違い本質的には支配階級に属する魔術師らしく冷徹だから、案外自己の利益のために生じる他者の不利益など気にしないかもしれない。
……さて、なんと答えるかな。ヒロリンは。
彼女の興味深そうな視線を送られたメガネ少女が口を開く。
「彼らの意識は何も変わらず、今までと同じように喋り、そして書く。ただし、それは日本語になるというだけです。ちなみに、私たちの身内での会話は彼らにとっては異世界の言葉のままです」
……つまり、彼らが使用する言語はすべて自動翻訳されて私たちに届くというわけか。
……しかも、私たちの言葉は相手に対して使用するときのみ翻訳される。
……これなら、相手の情報は常にオープンで、私たちのそれは都合の良いように操作できる。
……悪くない。
「それはいい」
「そんなことまでできるとは驚きだな」
「そうですね。私も驚いています」
「だが、どうやってそれができるとわかるのだ?」
「天の声が知らせてくれるのです」
「ほう。それは随分便利だな」
……まあ、ヒロリンは裏世界を統べる五大魔術師集団のひとつを率いる者の娘だからそれができるのであって、こちらに来て突如できるようになったわけではないのだが。
……だが、それを簡単にやってのけるところをみると、元の世界でもこの魔法を使用したことがあるに違いない。
……あとで問い質す必要があるな。
驚き、そして問う美少年風少女の言葉に笑顔で応じるメガネ少女を眺めながら彼女は心の中でそう呟く。
「せっかくですから、他にもカスタマイズするものはありますか?」
「時間」
「それから、長さや重さの単位も日本と同じにしておけば、交渉がしやすくなる」
美少年風少女と、メガネ少女の幼馴染のリクエストにメガネ少女が答える。
「わかりました。では、今日からこの世界は一日二十四時間。一年は三百六十五日とします。長さや重さも日本と同じということで」
「それで、今日は何月何日にする?」
「元の世界に合わせて七月二日にしましょう。時間は……」
そう言ってメガネ少女は腕時計を眺める。
「この時計では現在は午前九時なので、そこに合わせましょう」
「異議なし」
「お金は?お金はどうするの?」
「ここでお金の話を持ち出すとはさすが守銭奴教師」
「でも、必要でしょう?」
「たしかに必要ではあります。ですが、そこは今までどおりでいいのではないでしょうか?さすがに日本の通貨を異世界で流通させるわけにはいきませんし、かといって、銅貨を出されて五十円と言われたら私たちが混乱します。そして、何よりも日本のお金が使用できたら異世界に来た感じがなくなります」
「そうだな。せっかく異世界に来たのだ。銅貨や銀貨を使ってみたい」
「そ、そうね。それに手ぶらで飛ばされたからどっちみちお金を持っていないし」
「まあ、あとは必要になったときにカスタマイズするということで、今回変更するものはこれくらいでいいしょうか?」
「いいよ」
「私も異存ない」
「では……」
少女はそう言うと、両手を天に掲げる。
「我は願う。この世の理を我が望みのままにいざなうことを」
もちろんこの時点では相手がいるわけではないのでこの魔法が本当に成功したのかはそれをおこなった者以外の誰にもわからない。
だが、実際はどうかといえば、間違いなくこの世界を動かしていた多くの理がメガネ少女の言葉によって捻じ曲げられていた。
……この世界に住む者の誰にも気づかれることなくこっそりと。
そして、それはこれからおこなわれる多くの改変の始まりであった。
次回は、「その女子高生 異世界での装備を整える」です。
お楽しみに。