表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/12

その女子高生 異世界に降臨する

その日の夕方。

世間では「北高」と呼ばれているとある高校の一室から部活動中の女子四名、男子一名の計五名の生徒と顧問である女性教師ひとりが忽然と姿を消した。


いうまでもなく、それは大事件であり、発覚直後から大騒ぎになるはずなのだが、家族をはじめとした関係者は誰一人として声を上げることはなかった。

もちろんそれはあり得ぬ話なのだが、真相を知れば納得できる話でもある。


その真相。

それは彼女たちの存在はこの世界から消えると同時にこの世界に住む全員の記憶からも消されていたのである。


当然ながら、そのようなことを、誰が、何のために、そして、それがどのようにしておこなわれたのかという疑問が浮かぶわけなのだが、それよりもまず考えなければならない大事なことがある。


そう。

消えた彼女たちはどこに行ったのか?

その答え。

それは、もちろん……。


異世界。


「まりんさん」

その声に目を覚ました彼女が小野寺麻里奈十五歳。

そして、彼女を起こした声の主である地味顔のメガネ少女は立花博子で、ふたりは幼馴染である。


「ヒロリン。私は……」

寝てしまったのかと言いかけたところで、麻里奈は気づく。

ここは自分が先ほどまでいた教室ではないことを。


……青空が見えるということは外か。


視界のほぼすべてを埋める博子の顔のバックにあるその青さから自分が屋外にいることを理解した麻里奈は少しだけ視線を左に動かす。

……見渡すかぎりの草原。

……しかも知らない場所。

……いったい、ここはどこじゃ。


我ながら馬鹿なことを言っていると思ってみたものの、やはりその場所は記憶にはない。


そもそも、このような何もない草原にどうやって自分は運ばれてきたのだ?


……どうやら、頭を打ったようだ。

……脳震盪を起こし、混乱している。

……そうでなければ、夢を見ている。

……まずは落ち着け。


そう自分に言い聞かせた彼女は一度目を瞑り、それからもう一度目を開ける。


だが、残念なことに、やはり視界には先ほどと変わらぬ景色が広がっている。


……ということは、脳震盪でも夢でもないということか。

……仕方がない。


聞きたくはないが、聞かねばならぬ。

今の状況を把握するために。


そう決心した彼女が口を開く。


「ヒロリン。ここはどこ?」


もちろん彼女にはこの後にやってくる幼馴染の言葉は想像できる。

それとともに起こる嘲笑も。


だが、彼女の予想は大きく外れる。

目の前の顔は少しだけ歪む。

それは困ったときに見せる彼女のものだ。


そしてその中心にある口がこう言った。

「今のところはなんとも」


「どういうこと?」

彼女のさらなる問いにその口が答える。

「ですから、私たちは突然知らない場所にやってきたようです」


「一応、現在わかっていることを話します」

地味顔メガネ少女は少しだけ顔を上げてから言葉を続ける。

「まず、ここは私たちが知っている場所ではないこと」

……それはわかった。


「それから?」

「そこに追加して、ここは私たちが住んでいた世界とは違う世界でもあります」

……ん?

……それは理解できん。


彼女は尋ねる。

「どういうこと?」

「私たちがいた世界にはあのようなものは飛んでいませんでしたから」

彼女の問いに答えるようにそう言いながら、メガネ少女は視線をはるか上空に向ける。


「……ん?」

釣られるように視線を動かした麻里奈が見たもの。

それは……。


「ドラゴン?」

それはまさしくドラゴンと紹介して誰もが納得するフォルムを持つ飛行生物だった。


メガネ少女が言葉を続ける。

「まあ、あれがこの世界でドラゴン呼ばれているのかはわかりませんが、少なくても、私たちがいた世界であのようなものが空を飛行していたら大ニュースになること間違いなしでしょうね」

……確かに。


「ちなみにあれが襲ってくることはないの?」

「結界を張りましたので大丈夫です。もっとも、あれは草食なのかもしれませんが」


「さすが」


……それにしても草食のドラゴンとは。

……聞いたことがない。そんなもの。

……だが、恐竜だって草食のものがいたのだ。いても不思議ではないな。たしかに。


「……なるほど。あとは何かある?」

「この世界に来たのは私たちふたりではなかったこと」

……ああ。


「……それについてはすぐにわかったよ。あれだけ騒々しければ」


そう言って麻里奈は、自らの言葉の根拠がある方向を眺める。

そこにいたのは、簡易ベッドでだらしなく惰眠を貪る大人の女性。

それから一方的ではあるが、とりあえず現在諍い中の制服姿の男女。

そして、心配そうにこちらを眺めながら、お茶の用意をしているもうひとりの制服女子。

つまり、場所こそ違うがいつもの光景である。


「とりあえず創作料理研究会の関係者は全員いるわけだ」

「そうなります」


ある目的のために自分がつくり、そして当然就いたそのクラブの代表でもある彼女の確認の言葉をメガネ少女が簡素な言葉で肯定する。


……だいたいのことはわかった。

……本当にここが異世界かどうかは知らないが、とにかく来てしまったものは仕方がない。


……さて、これからどうするか?


そう思いながら、彼女はこうして落ち着き払っている自分を少しだけ笑う。

……こういう時はもっと大騒ぎするものではないのか。

……なにしろこの身ひとつで知らない世界に放り出されたのだから。

……もっとも、騒いでも目の前の問題が解決するわけでもないのだけど。

……それに……。


そこまで呟いた彼女は目の前にいる幼馴染でもあるメガネ少女をもう一度眺める。

……ここにはヒロリンがいる。

……ここがどのような場所かは知らないが、それだけで私たちがうまくいくことが約束されているのだ。

……つまり、心配することは何もない。


……せっかくだ。しばらくこの世界を楽しんでいくことにしよう。


「さて」

彼女は上半身だけ起こすと、自分を見下ろすように立っているメガネ少女を上目遣いに眺めながら尋ねる。


「ふたりだけのうちに聞いておきたいことがある」


……まあ、ヒロリンもそのつもりだったのは間違いない。

……だから、ひとりでやってきた。他の人を足止めして。

……そうでなければ、あのまみたんが私を放置して悠長にお茶を入れていたりするはずがないのだから。


最後に実に微妙な結論に達して思わず苦笑いしてしまった麻里奈がもう一度口を開く。


「まず、私たちをここに飛ばしたのはヒロリンの仕業?」

「いいえ。この魔法が発動したときに私はまりんさんたちと部活動をおこなっていたので、この儀式魔法をおこなったのは私ではありません」


……この簡素で断定的な言い方は嘘や冗談を言うときのヒロリンではない。

……特にこの件に関しては。

……つまり、それは事実。


「つまり、この魔法を使った相手にヒロリンは心当たりがない?」

「いいえ。知っています。ただし、諸事情により、今はその名前を明かすことができませんが」

「では、時間がないのでもうひとつだけ。というか、これが最も重要なこと。……私たちは元の世界に戻れるの?」

「それについてはイエスでありノーであるという答えがもっとも正しい表現だと思われます」


……戻れるが、戻れない?

……意味がわからん。


「理由を聞いてもいい?」

「ここは元の世界からみれば異世界にあたる違う別の次元の世界であることは間違いありません。私たちはそこに転送されたのですが、この魔法執行者の目的は私たちを元の世界から消すことだったので、転移先の時間軸の設定をおこなっていません。もっとも、それをおこなえるほど彼の能力は高くありませんでしたが」


……なるほど。ヒロリンはそいつの能力まで知っているわけか。

……ん?


「……彼?つまり、相手は男ということか」


それに気づいた麻里奈のその言葉にメガネ少女は苦笑した。

「話さないはずのことを喋ってしまいましたが、まあ、言ってしまったものは仕方がありません。そのとおりです。せっかくですから、ついでにもう少し話しておけば、相手はまりんさんに恨みを持つ男子生徒です」


……私に恨みを持つ男子?

……と言われても、数が多すぎて絞れん。


そう。


彼女は正真正銘の美人ではあるが、自他とも認める男嫌いでもあり、それを知らず外見に惑わされて近づいてきた男子たちをことごとく公開処刑にして辱めを与えていた。

つまり、彼女に心身両面で痛めつけた男子は山ほどいるということである。


さらに彼女には百合属性が皆無にもかかわらず同性を引き付けるという特別な才があり、多くの少女を虜にしていた。

そして、彼女が不本意ながら所有する豪華な花園の中にはクラスどころか学校で一番かわいいという評判のまみたんこと松本まみも含まれていることから、彼女に思いを寄せる男子から麻里奈はひとかたならぬ恨みを買っていた。


そういうわけで、麻里奈の心の声のとおり、それについて彼女には身に覚えのあることが山ほどあったのである。


……だが、とりあえず私にもっともひどい目に遭わされていると思っている男子なら心当たりがある。


「……もしかして、それって恭平のこと?」

麻里奈がその名を挙げたのはふたりの共通の幼馴染であるその男子である。


だが、メガネ少女はこれ以上ない冗談といわんばかりに笑いながらそれに応える。


「よく考えてください。まりんさん。もしそうであれば、あの小心者の恭平君がまりんさんと一緒にここに来ることなどあるわけがないではありませんか。というか、それほどの魔術が使えるなら、ああやって毎日ハルピにお仕置きされているわけはありませんし、お仕置きをしているハルピが無事で済んでいるはずもありません」


……たしかにそうだ。


「ということは、やったのは別の人物ということか。まあ、誰かは知らんが、元の世界に戻ったらたっぷりお返しをする必要があるな」


的外れなことを言ったことに気づき、少しだけ顔を赤くした彼女の言葉にメガネ少女が頷く。

「それについては、できるかぎりの協力をさせていただくことを約束するということで、とりあえず話を進めます。そういうことで、術者が転移の際に時間軸を設定しなかったこともあり、私たちはこの世界の時間軸のどの部分にやってきたのかがわかりません」


……時間軸?

それは彼女にとって聞きなれない言葉だった。

……まあ、その響きから想像はできるが。


「それって重要なことなの?」

それについて詳しく説明させると意味不明の文字列が延々と並ぶのは間違いないため、とりあえずわかったことにした麻里奈は結論だけを抜きとりそう尋ねると、メガネ少女はその言葉を語り始める。

「もちろん重要です。たとえば、元の世界に戻る。その一点だけであれば、私といわずある程度の魔法の使い手なら今すぐにでも可能です。ただし、時間軸の設定をおこなわずにその魔術をおこなった場合には、元の世界のうちどの時代に戻るのかはわかりません」


……たしかにそれはよろしくない。

……いや、それはそれで面白いか。

テレビや映画で何度も使われた設定である過去にタイムスリップした現代人を実体験できるチャンスと思った麻里奈だったが、とりあえずそれはあとのお楽しみすることにして、まずは目の前にある問題に集中する。


「でも、私たちが帰る場所は二十一世紀の日本でしょう」

「もちろんそのとおりです。ですが、それはゴールであって、スタートではありません。転移魔法を詠唱する際にその両方が必要となるのです。転移の日時がピンポイントの場合には」

「では、とりあえずまず元の世界に戻り、それから再転移して元の時代に戻ることはすれば?」

「もちろんそれは可能です。ただし、それをおこなった場合には私たちの心身にダメージを与える可能性があるうえに転移前後の時代にも多大なる負荷がかかり悪影響を及ぼします。下手をすれば、無事その時代に戻ったはいいが、その世界そのものが元いたときとは変わっており、戻った私たちには浦島太郎、いや浦島花子的なことが待っているということだってありえるのです。そうならないために、異世界からダイレクトに元の世界に戻ることが望ましいのです」


……なるほど。どこの誰かは知らないが、私をこの世界に送ったその男がその転移先を異世界にしたのは自分に影響が出ないようにするためか。

……安全な場所から悪事を働く。

……いよいよお仕置きする必要がありそうだ。


麻里奈は未来のお仕置き候補にそう告げてから、とりあえずまず尋ねなければならない目の前の重要案件を口にする。

「私は魔術師であるヒロリンと違って魔法について詳しくないけどヒロリンの言いたいことはなんとなくわかった。それで、わかるものなの?その時間軸とやらは」

「時間をかければ」

「つまり、それまではこの世界で生活することになる」

「そういうことです」


「了解した」


短いが重要な密談も終わり、その相手であるメガネ少女とともに四人の知り合いがそれぞれの方法でくつろぐ場所にやってきた麻里奈はあらためてその様子をじっとりと眺め、ため息交じりにその言葉を口にした。


「この事態によくもそうやっていられるよね」


自分のことは棚に上げという金文字で書かれた条件はつくものの、たしかに彼女の言葉は正しい。

なにしろ全員がすでにメガネ少女から自分たちが現在どのような状況に陥っているかを正確に聞かされているはずにもかかわらず、この場には緊張感の欠片もないいつもと変わらぬゆるい雰囲気が漂っているのだから。

だが……。


「何を言う」

彼女が口にしたその言葉に即座反応したのはたった今までこの場にいる唯一の男子生徒に理由もなく厳しいお仕置きをおこなっていた極端に髪の毛が短い少女だった。

「金を払っても体験できないことを無料で経験できるのだ。これを喜ばずに何を喜ぶというのだ。まりん」


馬場春香。

それがその言葉の主である同級生の名である。

そして、彼女が常々口にする自らの行動指針がこれである。


それが面白いかどうかが、すべてのことに優先する。


つまり、彼女のその変わった価値基準に照らせば、異世界に飛ばされたという現在の状況はその最高峰に位置するということになるのである。


「それだけではない。これを見ろ」

その容姿にはどこをとっても女性らしさというものが感じられない美少年風少女の人差し指が示していたのは……。


顧問の教師がだらしなく寝転ぶプールやビーチではおなじみのプラスチック製のベッド。

そして、彼女を含むそのほかの全員が座る椅子。

それから、その椅子の中心にあるカラフルな色のパラソルがついたテーブル。


麻里奈はそれらをもう一度見回し、それから口を開く。

「これがどうした?取り立てて驚くべきものは……」

そこまで言いかけたところで言葉が止まる。


そう。

元の世界では珍しいものではなかったので今まで見過ごしていたが、これらはすべて今ここにあってはならぬものである。

しかも、テーブルに置かれたティーポットから湯気が立つ。

どこにも火の気がないにもかかわらず。


美少年風少女がニヤリと笑う。

「……どうやら気づいたようだな。ちなみに、なぜこうなっているかわかるか?」

「……いや」


もちろんこの言葉は嘘である。

なぜなら、彼女は幼馴染のメガネ少女が元の世界においても最高ランクの魔法使いであることを知っていたのだから。


「それで、正解は何だ?」

知っていることすべてを覆い隠す、いかにもそれを今初めて聞いたと言わんばかりの表情で彼女が尋ねると、それがまるで自分のことのように美少年風少女が膨らみのまったくない胸を張って自慢気に答える。


「実はヒロリンが出した」


……まあ、この状況ではそれしかないな。

……というか、それ以外の答えだったら、本気で驚く。


もちろん、心の声を出すことなく彼女は渾身の演技を続ける。


「出した?ヒロリンが?」

「そうだ。魔法で。つまりヒロリンはこの世界に来て魔法使いになったのだ。どうだ。この話を聞けばまりんも楽しくなってきただろう?」


……それは否定できないな。

先ほど心の中で漏らした言葉を思い出し、彼女は苦笑する。

……だが、それは私がヒロリンの能力を完全に把握しているからであって、湯沸かしくらいしか見ていない春香にヒロリンがいるから安心などと言えるはずがない。

……それにもかかわらずそこまで言い切るとはさすが春香。

……少なくても彼女の頭のネジは数本どころか数十本飛んでいるのは間違いなさそうだ。

麻里奈は口に出さない言葉でそう呟いた。


彼女の心の声は続く。

……もっとも、ここが異世界であると確定してしまった以上、自分たちでできることなどほんの僅かしかない。

……ここはうろたえることなく行動するしかないのだ。

……それはここにいる全員がわかっていること。


……まあ、そういうことで頼むよ。ヒロリン。


「まあ、それはともかく原理はわからぬが、とにかく魔法とは本当に便利なものだな」

屋外でのティータイムを満喫しながら、美少年風少女はその言葉を口にした。

「たとえ二十二世紀になろうが、これよりも便利になっているとは思えぬ。なにしろ無から有を一瞬で生み出すのだからな」


実感の籠るその言葉に一同が頷くのは当然である。

テーブルに置かれているカップにはまみが注いだコーヒーや紅茶が満たされているものの、それらのもとになったものは器を含めてすべてメガネ少女が魔法によって生み出したものなのだから。


「だが、納得いかないこともある」

「何?」

「決まっている。ヒロリンだけが魔法を使えることだ」

そう言って、短髪美少年風少女は自分も魔法を使えるか散々試したことを麻里奈に説明した。


もちろん、彼女はそれが無駄な努力だと知っている。

だが、それを言うわけにはいかない彼女は相槌だけは必要以上に打った。

ついでにといわんばかりにリップサービスをおこなって。


「もしかしたら、これから魔法が使えるようになるかもしれん」

「そうか?」

「なんと言ってもここは異世界だからな」

「何でもありの世界だから、ありえるということか?」

「そういうことだ」


「それはいいわね。まあ、私なら使えるのは魔法ではなく錬金術がいいけど。それで、春香は魔法が使えるようになったら何がしたいの?」

そこに割って入ってきたのは強欲守銭奴おばさん貧乳教師と麻里奈たちが呼ぶ顧問の上村恵理子だった。


自分はまだ二十四歳だからまだおばさんではないと強硬に主張する恵理子の言葉に、身体のある部分についてライバル関係にある美少年風少女が答える。


「それはもちろんこの世界を征服し歴史に残るくらいの悪逆非道なことをおこなう。と言いたいところだが、まずは橘を仕置きするのに魔法を使う。火あぶりとか水責めとか電撃とか。せっかく異世界に来たのだ。魔物を召喚し橘を齧らせるのもいいな」


もし、その男が彼女の言うようにお仕置きされることを無情の喜びを思っているのなら、彼は春香の言葉に大きく頷くだろう。

だが、実際はといえば……。


「ふざけるな。言っておくが、俺は男らしく我慢に我慢に重ねているだけであってお仕置きされたいなどと思ったことは一度だってないからな。それに俺だって魔法が使えたら……」

「使えたら何だ。言ってみろ。ただし、それによって今後のお仕置きのレベルが変わることを肝に銘じて答えろよ」

「いや、その、世界平和とか色々……そういうものに使いたい」

「ふん」

いつもどおり、自己評価は異常に高いが、実は器の小さい小心者である顔が良いだけが取り柄という唯一の男子生徒を盛大に甚振ってから、短髪少女は麻里奈に視線を向ける。

「で、これから、どうする?」


……どうすると言われても……。


その言葉とともに視線が集まるものの、麻里奈自身何か打開策をもっているわけではなく、必然的にそれを持っている唯一の人物に目が向く。


「どうしたものかな。ヒロリン」

彼女に尋ねられたメガネ少女が口を開く。

「そうですね。……いずれこの世界の住人と接触しなければなりませんが、しばらくはここに留まってその準備をすべきでしょう」

「つまり、無意味に動くべきではないと」

「そういうことです。少なくても今日は。もうすぐ夜になりますし。そして、今の私たちが何よりも先にやらなければならないのはやはり衣食住の確保でしょう」


「衣食住?」

「正確には食住衣ですが。まずは食べ物を手に入れることと拠点の構築」

「……なるほど」

メガネ少女の言葉に一同納得しかかったところで、彼女の言葉にはある問題が含まれていることに気づく。


食料の確保。


現状ではそれについても彼女の魔法に頼るしかないわけだが、それこそが彼女たちが恐れる問題の根幹にあった。

身を持ってそれを知る色々な意味で唯一の男子生徒が口を開く。

「おい、ヒロリン。ひとつ尋ねる」

「なんでしょうか。恭平君」

「おまえの魔法は食材を出すことは可能か?」

「もちろん。私が知っているものなら」

「調理器具は?」

「私が使用したものであればノープロブレム」

「では、俺は食材と調理器具を要求する」

「自分でつくるということですか?」

「当然だろう。こっちに来てまで馬鹿なおまえがつくる劇薬以上に危険な化学物質を体に入れたくないからな」


つまり、そういうことである。

そして、この男子、橘恭平は麻里奈の「入部したらまみたんとデートさせる」という言葉を信じ、かつて向こうの世界に存在した「創作料理研究会」なる怪しげな組織に誘い込まれ、さらに騙されてメガネ少女専用の味見係をさせられ、料理下手などという言葉ではとても収まらない破壊的レベルの彼女が製造した各種「生産物」によって日々懲らしめられていたのだ。


ちなみに、男嫌いの麻里奈が、幼馴染とはいえ、この橘恭平を自らがつくった組織に引き入れたのは、彼女が恭平を男という生き物と見なしていなかったという悲しい現実が成せる技であり、恋愛感情という要素は一切存在していない。


その哀れな男子生徒の要求に、メガネ少女が答える。


「まあ、どうしてもそうしたいのならそれでもいいですよ。ただし、どのような食材が出るかはわからないということは承知してください。それと、こちらでも部活動中と同じで出されたものはすべて食べてください。そうでないと死ぬより怖い厳しい罰が待っています」

「どんなものが出てきても少なくてもおまえがつくる危険物質よりはいい。よし、わかった。その勝負受けて立つ。ついでに言っておく。これは今回だけではなく、今後ずっとということだから忘れるな」

「わかりました。それで、残りの皆さんはどうしますか?」


もちろんそれはすべてそこにいる男子高校生に任せているので、実際に食べたことはない。

だが、エセ文学少女という肩書を持つ彼女がつくりだす名前だけはおしゃれでおいしそうだが、外見からすでに危険物質と認定され、中身いたってはさらにその数段上をいく、食材をどのように弄りまわしたらそのようなものが生まれるのかと思いたくなる料理とは無縁のその生産物の恐ろしさを知っている関係者は全員彼に続くかと思われたその時、ひとりが口を開く。


「ちなみに出来上がってくるそれはヒロリンが考える完成形だよね」

「もちろん」

「それでは私はヒロリンが魔法で出すものを食べる」


メガネ少女が男子高校生を実験台にして積み上げてきたこれまでの輝かしい実績を考えれば、これは驚くべき決断である。

だが、その人物である麻里奈に続いて、短髪美少年風少女もそのことに気づく。


……ヒロリンが目指しているのはあくまでこの世に存在しないような絶品料理。


……まあ、いつもの結果についても、この世に存在しない、いや、この世に存在してはいけないものにはなっていたのだが。


……だが、魔術によって生み出されるかぎり、ヒロリンの料理は彼女が希望するようなものが出来上がる。


……つまり、安全どころかとんでもなく美味しい。


「……なるほど。では、私も」


「まりんさんがそうするのなら、私もお願いします」

「みんながそうするなら私もそうする」


結局恭平を除く全員が食材を使って恐ろしい物質を生み出し続けるメガネ少女の魔法料理を所望した。


「全員異世界に来て頭がおかしくなったようだな。いいだろう。俺意外の全員がこれまで俺が三か月間味わった屈辱の味を噛みしめるがいい」


腰に手を当てて高笑いをして勝ち誇る恭平。

だが……。


わずか数分後、彼にとってあり得ぬことが起こっていた。


「……理不尽だ」


自分以外の全員の前に並ぶのは部活動中にはお目にかかれなかった豪華な料理。

そして、肝心の自分の前には……。


「……キャロライナ・リーパー」


絞り出すように彼が口にしたそれは、忘れたくても忘れられないこちらに来る数日前にタップリとお世話になった食材の名である。


短髪少女がニヤリと笑う。

「最高級の辛さを誇る唐辛子が山ほど。まさに辱めを受けることを最高の悦びと公言する被虐趣味の権化である貴様にふさわしい食材ではないか。なあ、橘」


もちろん予想外のものの出現に彼は慌てる。

「お、おい、ヒロリン。他はどうした?」

「今日はこれだけですね。他で魔力を使ってしまったもので。どうやら調理器具も無理なようです。ですが、これなら丸かじりできますから道具は不要ではありますが」

「ふざけるな。絶対に納得できない」


 だが、メガネ少女に掴みかからんばかりに猛烈な抗議をおこなう彼の背後から再びあの声が響く。

「おまえが納得するかどうかは関係ない。とにかく約束は約束だ。早くそれを食え。なんなら、口に押し込むのを手伝ってやるぞ」

美少年風少女のその言葉にメガネ少女が笑顔で応じる。

「ハルピ、その点はご心配になく。私の魔法で恭平君の口にこれを転移させることができますから。では、今日は初日ですので、さっそく無料でそのサービスを……」


「や、やめろ。ヒロリン。それだけは……」


それから二時間後。

唐辛子を強制的に口の中に追い込められドラゴンのごとき火を噴いたひとりを除く全員が豪華な食事に満足したところで、次の課題に挑むことになった。


次の課題。

つまり、衣食住の住。

すなわち今晩の寝床の確保である。


「一応、結界内であればどこで寝ても大丈夫ですがどうしますか?」


「やっぱりベッドで寝たい」

「私も」

「お風呂は無理でも最低でもシャワーは欲しい」

「いやいや、ここはやはり露天風呂だ。サウナも必要だな」

「それでは、異世界感は台無しですね」

「別に来たかったわけではない」

「まったくよ。でも、安全というのなら、やはり景色は楽しみたいかな」

「まりんさんの身体は私が洗って差し上げます。タップリと時間をかけて」

「いらん」

全員が好き勝手なことを言うが、どうやら一部を除きそのリクエストは叶えられるらしい。


メガネ少女が口を開く。

「では、異世界の夜空が十分に満喫できるように天井がガラス張りになっているコテージにしますか。それから、申しわけないのですが、私は魔力を回復しなければならないので一人部屋。残りは同部屋でお願いします」

「うれしいです。まりんさんと同じベッド」

「いやいやいや。ベッドは違うから……」


いつものことである百合の香りがするまみのお誘いを必死に断る麻里奈の会話を聞こえなかったことにした美少年風少女がメガネ少女に尋ねる。

「ところで、全員が同部屋というが橘はどうするのだ?まさか、この変質者と同室などという喜劇が用意されているわけではあるまいな。そこの貧乳教師が誰と不純異性交遊をしようが勝手だが、私は辱めを受けることを唯一の生きがいにしているこの変態と同じ部屋で寝る気などまったくないぞ」

「私だって嫌よ。橘君みたいな貧乏人と同じ空気を一晩中吸うなんて」

「俺だって春香のような男だか女だかわからないようなかわいそうな胸のやつと一緒の部屋などにされて、見たくもないものを見せられたうえに○%×$☆♭♯▲!※」


「まあ、それについてはご心配なく」


言わなくてもいい地雷ワードを口にした元男子高校生に対する該当者からの厳しいお仕置きが終了するのを待っていたメガネ少女が口を開く。


「命じる。この者に相応しきテントを顕現させよ」


呪文を口にしたメガネ少女が地面を指すと浮き出るように一人用のテントが現れる。

もちろん組み立てられてはいない。

「では、恭平君はこれを使ってください」


だが、それを見た唯一の元男子高校生は当然納得しない。

猛烈な抗議をおこなう。


「……おい。これは何だ?」

「見ればわかるでしょう?だから恭平君専用テントです」

「そもそも俺だけがテント生活ということがどう考えてもおかしいだろう。それに……」

元男子高校生が指さしたのは「売れ残り品につき特価480円(税込み)」と書かれた小さな値札だった。

「なんだ?これは」


そう。

ピンキリで言えば、圧倒的なキリである。


「わざわざ粗悪品を出してきたわけではないだろうな」

「そんなことはありません。私の呪文を聞いていたでしょう。恭平君にふさわしいテントをくださいとお願いして、出てきたものがこれなのです。つまり、神様が恭平君にはこれで十分と判断したのです。文句があるのならこの世界の神様に言ってください。それに寝れば都と言うでしょう」

「それは住めば都の間違いだろう」

「まあ、似たようなものです。とにかく、早く組み立てないと寝られませんよ」

「くそっ。だいたいこういうものには設営サービスが初回特典としてついているものだろう」

「いやいや、せっかくの異世界ですし、せっかくのサバイバル生活です。そういうことは自分でやりましょう」

「屋根付きの家のベッドに寝る奴のセリフとは思えぬ。まったく納得できん」


散々ごねたものの、結局メガネ少女に口で勝てるはずもなく、言い包められた火吹き男子高校生は薄暗いなかで設営を始めたものの、取扱説明書もないそれを、そのような経験がないうえに最高級の不器用であるこの男が組み立てられるはずもなく、結局彼は無駄な努力に多くの時間を費やした挙句それにくるまって寝ることになる。


「寝る前のシャワーくらいは使わせてもらえるのだろうな」

「何を言っているのですか。ここは昔から男子禁制ですよ」

「たった今現れたばかりだろうが」

「とにかくダメなものはだめです。向こうに川があるようですからそこで水浴びしたらどうですか?ただし、結界の外ですが」

「行ってこい。橘。そして、魔物に齧られろ」

「ふざけるな。と、とりあえず、今日はシャワーなしで我慢する。それでトイレは?」

「その辺でしたらいいだろう。ただし、露出狂の貴様の粗末なものなど見せられたくない。できるだけ遠くでやれ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ