799.魔女の弟子と両界を訣る戦い
鏡の世界は今、驚天動地の只中にあった。あと数時間以内に計画を遂行しなくてはならない、ミロワ・カレイドスコープを月に焚べなければならない。それがクレプシドラの(スケジュール』であるなら、クロノスタシス王国軍は動かなければならない…何がなんでも。
「民間兵を動かせ!国民に武装させミロワ・カレイドスコープを探させろ!!」
「城内をくまなく探せ!あと三時間…いや二時間しかない!」
「もし時間を超過したら…クレプシドラ様がどんな判断をするか!」
「バリスタ起動を急げ!恐らくだが悠長に準備している暇は無くなった!」
「リューズ様は!?えぇ!?引きこもってる!?なんで!」
「オルロージュ様!オルロージュ様はどこだ!?至急連絡したい事が!」
「国民よ武器を持て!ようやく我ら民間兵の出番が来たぞ!」
「クロノスタシスの一員として!この国の強さと言うものを見せてやろう!」
「にしてもクレプシドラ様は何をしようとしてるんだろう」
動く、動く、動く人の群れ。さながら黒い川が城内に蠢くように…大量の人間が動き続ける。城の中はもう大パニックだ、そんな中……私は。
「ありがとうございます、モルトゥスさん」
「礼を言われるような事はしていない、これは誘拐だ」
「ありがとうございます」
モルトゥスさんに抱えられながら人気のない部屋の中に隠れていた。クレプシドラに捕まった私を奪い返してくれたのはまさかのこの人だった、一度は私を誘拐した人だったけれど…今はありがたい。
「だから礼はいらない、…言うならそっちに言え」
そう言って、モルトゥスさんは部屋の中にある机の下を指差す。そこから出てきたのは…。
「ゼルカロ…?」
「う……」
「なんであなたがここに…」
ゼルカロだ、アドラさんの息子のゼルカロ…それが机の下からおずおずと出てきて、目を逸らすんだ。なんでここにいるんだろう…彼も誘拐されたのかな。
「え、えっと…僕が…モルトゥスさんにお願いしたんだ。君を助けてくれって」
「え?なんで?」
こいつ嫌な奴なのにどうして……と思っているとゼルカロがギロリと私を睨み。
「僕は、君より恵まれてる!」
「え?はあ…そうですか」
「才能もある!」
「そうですか」
「けど……けど、僕は…君が羨ましいと何度も思った。外に出て修行して、師匠を得て強くなって…僕には出来ない事が出来るようになる君を羨ましいと思った」
「…………」
「だから、決着をつけるために…まだ、いなくなってもらったら困るんだ…」
「ゼルカロ……」
目を伏せ、納得する。なるほど、そうですね…そりゃあそうです、私達はカレイドスコープ…決着をつけるために生まれ、その生涯にわたって勝負をする決闘、何より。
「ええ、私達は争い合いこそすれ、相手の排除は望まない。相手がいるからこそ私も高みを目指せるし、私がいるからこそ…貴方もまた強くなれる、そうでしょう」
「ああ、僕達はカレイドスコープ…鏡合わせのように相手を見つめ続ける存在。どちらかが居なくなったら、元から破綻する…だから、ミロワ。僕は君を倒すために、君を助けるよ」
「はい、そしてマレウスを救いましょう…マレウスの貴族カレイドスコープとして!」
「うん!」
ゼルカロもまた貴族の一員だったんだ、嫌なやつだけど…そう言う部分で一致できて嬉しい。なにより敵は強大だ…味方は一人でも多い方がいい。
「話はまとまったか?それならとっととこの国を出るぞ」
「はい!モルトゥスさん。出口は分かりますか?」
「さっぱりだな」
「なら案内します!神鏡の間という部屋から出られるはずです」
「そうか、なら早く移動するぞ。クレプシドラが本気で動き始めたら手がつけられない」
クレプシドラ…あの人は、悲しい人だ。全てを見失っている、さながら魂を無くした抜け殻、肉体だけの亡霊だ。だが同時に凄まじく強い…見つかったらどうなるか分からない。早く館に戻らないと…。
「よし、俺について来い。あまり離れるなよ」
そういうなりモルトゥスさんは部屋を出て走り出す、私もゼルカロもそれについていくんだ…それにしても。
「あの、モルトゥスさん…一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ、あまり無駄話をしてる暇はないから手短に」
「なんで、ゼルカロと一緒にいるんですか?」
「む……」
「クレプシドラが言ってました、レナトゥス様の弟だって。レナトゥス様も私を助けてくれましたしもしかしてモルトゥスさんも…」
「レナトゥスがお前を…!?」
そこで思い出した、そう言えばレナトゥス様はモルトゥスさんに対していい感情を抱いていなかった事を。エリス師匠が話すと『まだ生きてたのか』と吐き捨てたり…実際モルトゥスさんもあからさまに嫌そうな顔をして。
「まさか、レナトゥスもここに来てるのか?」
「い、いえ。もう帰りましたが…」
「そうか……俺がゼルカロに協力してる理由は一つ、あの女とお前を重ねたからだ」
「え?私とレナトゥス様を?」
嬉しいなぁ、あんな立派な人と重ねてもらえるなんて。とニヨニヨしてるのモルトゥスさんにギロリと睨まれてしまった。反省。
「才能があって、目をかけられている子。お前もレナトゥスもそう言う身の上だからな…ゼルカロと俺は同じ、お前達のように魔蝕の才能を持たず生まれ、その上でお前達魔蝕への叛逆を目指す者同士だからな」
「えぇ…そんな事言われましても、別に魔蝕とか言う才能が欲しくて手に入れたわけではないですし…」
「だとしてもだ…それと。もう一つの…」
「もう一つ?」
モルトゥスさんはチラリと廊下の窓から外を眺め、足を止める…私もまた足を止め、少し遅れて息を切らしたゼルカロが追いついて来る。窓の外には街が見える…クロノスタシスの街だ、敵地だけど…綺麗た街だと私は思うよ。
「俺は抜け殻だ」
「へ?」
いきなりモルトゥスさんから告白される、抜け殻だと…どう言う意味?人間に見えるけど。
「俺はマレウスを良い国にする為に、マレウスを強く国にする為に、戦ってきた…つもりだった、けど。仲間を失い、組織を失い、俺はもう一人だ。この世界はたった一人では変えられないくらい大きい…最早俺に出来る事はないのかもしれない」
モルトゥスさんは師匠に負けた、真っ向から戦い吹っ飛ばされた。そして影の内閣は全員捕まりこの人だけになった。私がこの人を警戒していないのも…そう言う部分がある、もうこの人には組織がない。何も出来ない。
「ただ、マレウスを強い国にしたかっただけなのに…それすら出来なかった。だから、せめて…未来のマレウスを担う子を守る事にした、それが…ゼルカロだ」
「……私も未来を担う子なんですけど」
「お前はもう誰かに守ってもらう側じゃないだろ、それに俺が守りたいのは…極論を言えばマレウスだけだ」
っ…そうだった、私はもう守る側、師匠の言うように戦える人間は守る側に回るんだ…なら、私はもう守ってもらう側じゃないのか。
マレウスを守りたい、やり方は過激で思想は危険だけど…それでもモルトゥスさんもまたマレウスを守りたいのはマレウス人なのか。それなら…そう言う部分は私達と同じなのかな。
「さて、ミロワ…このまま走って神鏡の間に急ぐぞ。なにやら城の中が騒がしくなってきた。どうやら…お前を助けに来たメンツが乗り込んだらしい」
「助けに来た…まさか」
ああ、やはり…やはり来てくれたのか。……師匠!
…………………………………………………………
「ここからスタートですか」
エリスは燃え盛る館から鏡を抜けて…クロノスタシスへと立ち入る。そこは…神鏡の間、虧月城の中心部の地下。今回はここでクレプシドラが待ってるなんてこともなく、エリス達は揃って鏡の世界に立つ。
「さて……」
胸に手を当て決意を改める。メレクさん…必ずミロワちゃんを助けますから。
「夕暮れまで残り数時間もない…エリス、逸る気持ちもあるだろうけど一旦落ち着いて話を聞いてくれ」
「分かってますよ、ラグナ…」
「みんなも聞いてくれ、おおまかな流れは話した通りだ」
ラグナはみんなを集めて最後の会議を…と言うか確認事項を羅列する。
「もうここまで来ちまったらやるしかない。やれる事、やる事は多くない。まず最優先事項であるミロワの救出はエリス、お前に任せる…展望台にいるクレプシドラのところに行ってミロワを奪い返してくれ」
「はい、任せてください」
「そして、俺達は…バリスタの破壊だ」
城の四方を囲むように存在するバリスタ、これがある限り月の墜落という懸念事項が残り続ける、だから破壊する人達が必要…しかも時間が少ない以上手分けをする必要もある、だから。
「バリスタ破壊チームは昨日も言った通りだ。メルクさん、ナリア、アマルト、そしてメグ…この四人だ」
この四人でバリスタの破壊を行う、本来はナリアさんは入っておらずデティが行く予定だったが直前でナリアさんが『僕に行かせてください!』と立候補した為変更になった。ラグナもナリアさんとデティが交代する方が都合がいいと判断したんだ。
「そしてネレイドは…万が一を頼む」
「うん…なんとかするんだよね、月を」
そしてネレイドさんの担当は…月だ、赫末の虧月。そちらをなんとかするのがネレイドさんの仕事。現状唯一規格外の力を持つ彼女の仕事はこれまた規格外。どうするのかは決まっていないが…月を落とさないよう、落ちないようにするのがネレイドさんの役目。
「そして、俺とデティはエリスの後を追ってミロワを受け取り次第警護し外に送り届ける役目だ、終わり次第みんなと合流する」
ラグナとデティの仕事はエリスと同じ、ミロワちゃんの救出…けどその後守りつつ外に逃す役割も持っている。正直ミロワちゃんを受け取ってから敵の攻撃が熾烈になる事を考えればラグナとデティの二人は適任とも言える人員。この二人なら…最悪クレプシドラが襲ってきても凌げるはずだ。
「そしてオリフィスさん達は…」
「ああ、遊撃手…という名の自由配置でいくんだろ?分かってる、一応サブリエはネレイドさんについて、シャーロウはラグナ君達につけるつもりだ」
「オリフィスさんは…」
「俺は…やる事があるから、そっちに行くよ」
やる事がある、そう濁すんだ。この場面で変に濁すって事は…多分聞いても教えてくれないんだろう。なら…聞かない。後で聞けばいい。
「よし、そういうわけだ。はっきり言って今回の敵は今までとは比較にならない、戦いの苦しさも段違いだろう。だけど…俺達はまだまだやらなきゃいけない事がある、守らなきゃいけない物がある。それなのにこんなところで世界なんか滅させてたまるかよ!行くぞ…みんな!」
『おー!!』
「エリスも、頑張れよ…いや、死ぬな」
「分かってますよ……」
そしてエリスはラグナと拳を交わし…コートを翻す。エリスの機動力なら…他のみんなよりも先んじて行動出来る。故にエリスはみんなに別れを告げ…走り出す。
階段を上がり、城の中を駆け抜け、廊下の窓を突き破り…外に出て。
「『旋風圏跳』!!」
風を纏い、空を飛ぶ…赫末の虧月が浮かぶ天に向けて、飛び上がる。ミロワちゃんが誘拐されたと言う事実は忸怩たる物だが、それでもこうなる事は確定していた。
クレプシドラとは決着をつけるつもりだった。だが……やっぱり。
『怖いか、エリス』
シンがエリスの内心を察したようにそう告げる。怖いかと言えば怖いさ、怖くない戦いなんかどこにもない、だが今回の怖さは…別のところにある。
(そりゃ、今のところ勝ち目がゼロなので)
エリスは幾多のリベンジ、大逆転にて逆境を乗り越えた。けれどそのどれにも勝算があり、敵の絶対性を打ち崩す算段があったから出来たこと。
けど、今回はない。クレプシドラの弱点…レナトゥスの言っていた唯一の欠点について考えていたが、結局なにも浮かばず…なにより今のまま戦っても勝ち目なんかまるで見えないくらい、実力の差は埋まっていない。
それでも、勝負が避けられないところにある。…怖いよ、戦うのが…きっと負けるから。
でも……でも!!
(やらなきゃいけないんです、…レグルス師匠の弟子として…ミロワちゃんの師匠として、みんなが生きるこの世界を守る使命がエリスにはある)
『ああそうだ、もうここまで来たら恐れも迷いも全て不要だ。張れ、滅びを前に意地を』
「はい!シン!」
貫くように天へと駆け上がり、エリスは城の展望台…この鏡の世界で最も空に近い場所へとやって来る。見渡すような巨大な空間はさながら城の上に皿が乗っているようにも見える。そして、その中心に立つのは……。
「お前まで来ましたか、エリス」
「クレプシドラ……」
腕を組み、ムッとした表情でこちらを見ている。既に奴はエリスがこの世界に入ってきた事を認識していたようで。大して驚く事もなくジロリとエリスを睨み続ける…そんなクレプシドラの前に立ち、エリスは。
「ミロワちゃんを返してもらいますよ」
「…………」
「ん?」
クレプシドラはエリスの言葉に返事をせずクイッとエリスの背後を顎で指す。なんでしょうか?と背後を向く、どうせクレプシドラはこういう場面で不意打ちをするタイプではない…と、そこにはいつぞや見た魂を抜き出す魔力機構が置かれていた。
……それだけだ。
「あれ!?ミロワちゃんは!?」
「攫われました」
「えぇ!?誰に!」
「モルトゥスです、貴方の差金ではないようですね」
「モルトゥス…!?」
あいつ生きてたのか…って言うか、アイツがミロワちゃんを攫った!?なんでお前まんまと攫われてんだよ!くそっ…なんか途端に話がややこしくなってきたぞ。そう感じるなりエリスは咄嗟にポケットから遠距離念話用の指輪型魔力機構を取り出し。
「ラグナ、すみません。ここにミロワちゃんはいませんでした。モルトゥスって言う白髪赤目の男がミロワちゃんを攫ってます。どうせアイツはこの城から出られないのでどこかにいるはずです、見つけてください」
この魔力機構は一方通行だ、会話は出来ない。だからラグナにこのメッセージが伝わった事を祈るしかない。
「ミロワ・カレイドスコープはやや勘違いしすぎたようですね。妾は計画において彼女が必要なだけ…故にこれ以上ジタバタするようなら、妾も彼女を来賓扱いするのをやめ…次は手足を切り裂いて、身動きができないようにします」
「……ラグナが彼女を守りますから、そんな事する必要はありませんよ」
「ん?なんですか?守る?…ふむ……」
するとクレプシドラは周囲を見回す。なにを見ているのかと思ったが…直ぐに彼女はギロリとエリスを睨み。
「なるほど、前回の仲間と一緒に来たようですね。今度はミロワの奪還のみならず妾の計画まで邪魔しようとしているようで…相変わらず不敬ですね」
「はい、月…落とす気ですよね、させません」
「はぁ…愚かな事を。どいつもこいつも…妾の意志を挫けるつもりでいる」
するとクレプシドラは組んでいた腕を解き、拳を握り…凄まじい魔力の波動を解き放つ。ただ魔力を出しただけで…大地が揺れるんだ。
「妾がやる…と言ったのです、準備は盤石にして万全、一点の曇りもなく遂行されます」
「現状、上手く行ってるようには見えませんが」
「どのような道を辿ろうとも、既に未来は決まっているのですから…過程などこの際どうでもいいのです。ただ始点と終点が繋がってさえいればいい、そして」
一歩、踏み出す。クレプシドラの動きに合わせて、城全体が揺れる、鏡の世界が揺れる、まるで今この瞬間…この世界に於いて、全ての意思を決定する存在が誰かを表すように。
「その終点に通ずる道、その最後の壁がお前であると妾は判断しました…故に今回は確実に殺します。大丈夫、今回はたっぷり時間をとっている…感謝するよう」
「……勿論、今回はお互い納得いくまでやりましょう」
「ええ、今この時…この場で決する勝敗が、明日を別つ」
そして、神の如き魔力を持った存在は今、エリスを見て笑い。
「始めましょう、王者と貧者の…あり得ざる戦いを」
鏡の世界と現実世界を巻き込む、最後にして最大の戦いは…エリス史上最強の敵、その口から発せれた言葉によって始まるのであった。
…………………………………………………
虧月城北東エリア…。
「居たぞ!侵入者だ!」
「早速おいでなすったぜ、メルク!」
「ああ、速攻をかけるぞ…」
虧月城北東付近を走るのは私とアマルトの二人。その目の前に迫るのは無数の軍勢…当然カレイドスコープ邸に来ていたのとは比較にならない数だが…。
「邪魔!」
「退いていろ!」
「ぎゃぁぁぁあ!?」
一撃、二人の魔力衝撃を伴う攻撃により兵士達は散り散りに吹き飛ぶ…雑兵程度に今更足を止めていられん…!
私達は城の東西南北を囲むエリアに存在するバリスタを目指し走っている最中だ。既に仲間達はそれぞれのエリアに向けて走っている…。
私の担当は北にあるバリスタ、アマルトは東の担当だ。道中までは一緒にいた方がいいと言う判断から共にいるわけだが…。
「にしてもよ、メルク」
「なんだ」
共に駆け抜けながら、アマルトは口を開く。その顔はいつになく真剣で。
「俺はさ、正直。今回のラグナの判断には疑問があるんだよ」
「なに?」
「あのクレプシドラっての。ありゃあ多分コルロなんか比じゃないレベルの怪物だぜ…それが守るミロワの救出をエリス一人に任せるって…どうなんだ」
クレプシドラのところにはエリスが向かうことになっている。アマルトはそれがどうにも納得がいかないようで…。
「戦力面を考えるならネレイド…いや、一旦全員で行ってからでもいいだろ。あと数時間しかないつってもあと数時間はあるとも言える。ならまずは一番やばいクレプシドラを倒してミロワの安全を確保してからでも…俺はいいと思う」
「なら何故それを言わなかった、あの場で」
「…………」
「分かっているんだろう、それは現実的じゃないと」
今、城の上空でひしめく凄まじい魔力。あれは恐らくクレプシドラの物だろう…およそ一人の人間が放っているとは思えない代物だ、間違いなく…あいつはこの旅で出会った存在の中で最強格に位置する存在だ。
「クレプシドラは強い、だが分かっているのはそれだけだ。我々は未だクレプシドラの底を見ていない…奴がまだどんな隠しダネを持っているかも分からない。もしかしたら月を落とす計画にもまだ裏があるかもしれない…だから急いで対処した方がいい」
「だけどエリス一人に行かせる必要は……ああクソ、この反論じゃねぇな。なんて返されるか分かっちまう」
「ああ、もしこの中で一人しかクレプシドラに割けないのなら…それはエリス以外あり得ないからだ」
確かに強さで言えばネレイドの方が強い。だが…我々は知っている、エリスには強さ以上の何かがある。曖昧で不確かで確証のある物ではないが胸を張って言える、エリスには絶望を覆す力がある。
ラグナはそれに賭けている、逆を言えばそれに賭けるしかないレベルで現在の状況は絶望的とも言える。
「でもよぉ…俺ぁ仲間一人に背負わせるってのはどうにもこうにも…」
「気持ちは分かる、だったらバリスタを破壊してエリスの援護に向かうぞ」
「ああ、そうだな!……だけど、多分だがそう簡単には行かないぜ」
まぁそうだろうな、敵は多分我々の到来を予見している。それなら……。
『待たれぇええええええいッ!』
「おっと、来たぜ…早速」
足を止める…廊下に響き渡った声、怒号にも似たその野太い声を前に我々は足を止めれば、廊下の奥に見えてくるのは。
「やはり来たな、エルフから報告を貰っている…ミロワ・カレイドスコープを奪い返しに来たどころか、まさかバリスタの存在まで把握しているのか…ううむどこまでも見過ごせん奴らめ」
「出たな割れ顎…番人気取りか?」
ドスンと我々の前で足を踏み鳴らし現れたのは、銀の甲冑に身を包む大男。割れた顎にキュッと顔の中心に集まるような目と鼻と口、そしてオールバックの金の長髪。間違いない、以前我々の道を阻んだ男…確かオリフィス殿曰く、彼の名は。
「我が名はベゼル!クロノスタシス王国軍を率いる大将軍!ベゼル・ディックタックである!!」
ベゼル…クロノスタシス王国軍の頂点に君臨する男であり、あのヴァントゥーア騎士団さえ統括する存在。少なく見積もってもあのヴァントゥーア以上なのは確定の大物…だが都合がいい、アマルトと別れる前に大物と会えた。
「貴様達が我々の邪魔をしに来ることなどお見通しよ!既にお前達の対応にはそれぞれ女王の最側近を配置してある…私もその一人」
「へぇ、そりゃすげぇや…で、それで俺らを止められるかい」
「無論、女王は弱き者は側には置かない。私もデイデイトもクロックもオルロージュ殿もまた全員が最強の使い手集団…侮らん事だ」
むフーン!と鼻息荒く腕を組む。確かにオルロージュもかなりの使い手だった、あれレベルが四人か…そりゃ他の組織じゃクロノスタシスとやり合えないわけだ。戦力の質が別次元すぎる。
だが、アマルトが言いたいのはそう言うことじゃないと思うぞ?
「あのな、俺らってのはここにいる二人だ。分かるか?あんた二対一だぜ?」
「むはははっ!寧ろ丁度良いというもの!なんせ私はクレプシドラ様の最側近の中の最側近、両翼と呼ばれる男よ!私の役職は将軍のみならず防衛大臣、軍備費管理大臣、装備品点検主任、女王警護庁長官、騎士団特別顧問、市街警邏部隊代表、王宮ワインソムリエ、謁見の間清掃責任者、そして女王の自室のベッドメイキングまで任されている」
「働きすぎだ!」
「給料えぐそう」
クロノスタシス王国の労働環境はどうなっている!?途中から割とどうでもいい役職まで混ざっていたし、こいつ都合よく使われすぎじゃないか!?
「あんたなぁ、随分仕事してるみたいだが、それ逆にあれだぜ…クロノスタシス層の薄さを証明してるぜ」
「む!?なんでだ!?」
「だって、あんたにそれだけ任せなきゃいけないくらい、他にいい奴がいないって事だろ?」
まぁそうなるな、一人にそれだけの責務を負わせるのは賢いやり方とは言えん。だがそれを聞いたベゼルはニコッと微笑み。
「ああそういう事か!なら安心されよ!」
「は?なんで───」
瞬間、景色が変わる…目の前からベゼルが消えて代わりに壁が現れて…いや違う、壁が現れたんじゃない。
私が壁に叩きつけられているんだ。
「ガァっ!?」
「ぐぅっ!?」
一瞬だ、我々でも見抜けぬほどの速度で突っ込んできたベゼルが私とアマルトを殴り飛ばし、両側の壁に叩きつけたのだ。私はともかく…アマルトは第三段階だぞ!?
「他に良い者がいないのではなく…。女王を除けば…私よりも強い者がこの王国にはいないからだ。故に結局私がやった方が早い」
「ぐっ、こいつ…!」
「安心されよ、私はクロノスタシス側近陣の中で最強の存在。二人程度ならばいくらでも相手に出来るわ」
フゥ…と口から白い煙を発し、迸るような魔力を滾らせるベゼルに私とアマルトは舌を打つ。どうやら…これは長引きそうだ。
…………………………………………………………………
「ナリア様、傷の方は大丈夫ですか?」
「問題ありません!解毒もしてもらったし傷も治ったので問題なしです!」
「それはそれは」
そして、僕達は虧月城南西方面の廊下を走る。既に僕達を阻止しにきた兵士達は片付けて…後はバリスタに向けて走るだけ、という場面で一緒に走るメグさんに心配される。
僕は南のバリスタの担当、メグさんは西、道中までは一緒に行った方が安全ということでこうして共に走っているのだが…。
「大丈夫ですかね、皆さん」
「心配はいらないでしょう、敵は強いですが…皆ここまでの戦いを乗り越えてきた方々なので」
「それもそうですよね…」
今回は敵がいつもより強い、雑兵クラスでさえ他の組織よりも強かった…改めて今回僕達が戦っている相手の恐ろしさというものを理解させられたよ。でも僕達だって今までの戦いで強くなってる。なら大丈夫だよね。
それに……今回は僕だって負けられないんだ。
(クロック…アイツはどこにいるんだろう)
クロックだ、道化師のクロック…アイツには因縁がある。だから出来れば僕が戦いたいけど…。
「よいしょ!あら変な部屋に出てしまいました」
「ここはなんでしょうか…かなり生活感がありますが」
「恐らくダイニングでしょう」
廊下を抜けバーン!と扉を開けて入った部屋は大きなダイニングだ。豪華そうな絨毯の上に黒い木製の長机、そして数々の戸棚には豪華そうな食器が並べられている。多分だがメグさんのいうようにここはダイニングだろう。
と言うことは、クレプシドラは普段ここで食事してるのか……そう言えばここは敵のアジトでもあり、クレプシドラの居城、つまり自宅だ。当然彼女が生きるスペースもあるか。
こうして見ると、クレプシドラもまた食事をして眠る一人の人間なんだなと痛感する。一人の人間なのに…どうして世界を滅ぼしてまで自分の目的を優先させられんだろう。
「メグさん!窓の外を見てください!バリスタが見えますよ!」
ふと、僕はダイニングに配置された窓から見える巨大な塔を確認する。いや…具体的に言うと塔のように見えるが、よくよく観察するとそれは何かを放つ為の砲塔のようにも見える。現実世界のエルドラドにはあんなものなかった。クロノスタシスが後から作ったものなんだろう。
「あらまぁ、思ってたより大きいでございますね」
「そうですね…でも月を引き摺り下ろすならやはりあれくらいが…」
「私はコーヒーを淹れられるくらいのものかと」
「そのバリスタとは違うと思います」
みんなが言ってるのはバリスタ砲の方では?エスプレッソを入れてくれる方ではないと思う。と言うか流石に今この場面でコミカルにツッコミは出来ませんよと戦慄していると…瞬間。
「む!」
そんなメグさんの顔色が変わり……。
「危ない!」
「わっ!?」
瞬間、メグさんは僕を抱えて飛び上がり…ダイニングの中心に着地する。一体なにがと見てみれば…先程まで僕達が立っていた場所に穴が空いている。白く光る不思議な穴…それはみるみるうちに消えていく。あの穴…鏡の世界に来た時に通った光と同じ…ってことは。
「おや、現実世界にお帰り願おうかと思いましたが…随分とこの城が気に入ったようですね、お客様」
「やはり貴方ですか…」
そして、同時に虚空に開いた穴からぬるりと現れたのは漆黒の執事服を着て、手足に黒い具足を装着。口元には黒金の虎挟みのような器具をつけた…黒髪の執事がゆったりと地面に着地する。
あれは……以前クロノスタシス王国から脱出する時に邪魔してきた…。
「デイデイト…でしたか?」
「おや、執事如きの名前を覚えていてくださるとは…光栄だ」
クレプシドラの最側近が一人、執事長デイデイト・ディンドン…曰く鏡の世界と現実世界を自由に行き来できる魔術と覚醒を持つクロノスタシスの柱とも言える存在、オリフィスさんが言うに…最もクレプシドラに近い両翼と呼ばれる者の一人らしい。
そして、こうも言っていた…デイデイトは戦闘から職務までありとあらゆる事柄を完璧に達成する『全能の執事』だと。
その全能の執事を前に…万能のメイドであるメグさんはゆっくりと僕を地面に降ろし。
「ナリア様、お先にどうぞ」
「メグさんは……聞くまでもないですね」
「ええ、どの道あれを倒さないと先には進めない。なら…その役目は私でしょう、どう考えても…」
女王を支える執事と皇帝を支えるメイド、全能と万能、そして共に空間を渡る力を持つ者同士…互いに意識するところがあるらしく、メグさんはデイデイトの前に立ち、デイデイトも僕を狙う気配がない。
「しかし、よく避けましたね。今の…音もなく開く穴を察知できるはずもないのですが」
「私は無双の魔女カノープス様の弟子、空間の揺らぎくらい肌感覚で認識出来ます…先程のように現実世界に追い出そうとするのは、お勧めしませんよ」
「そうですか、なら……実力で排除しましょう」
「……ッ!」
瞬間、二人揃って動き出す。動き出したのは分かった、それでもその動きまでは見切れない。二人の姿は一瞬にして影に変わり、凄まじい速さで部屋内を乱反射し幾度となくぶつかり合うんだ。
す、凄い…凄い衝突だ!全然見えないけど!全く同型質の使い手が、同じ段階の使い手が、今全力で戦っているんだ。
「中々やりますね」
ザッと音を立ててデイデイトが長机の奥で停止。
「そちらも、結構なお手前で」
ストッと音を立ててメグさんが長机の手前で停止…。
二人とも無傷、変化はない…いや、いやある!変化が!それは!
「えッ!いつのまにお皿を!?」
いつの間にか二人の背には重ねられた無数の銀皿が同じ枚数乗っていた、ふと見れば戸棚が全て開いておりそこに置かれていた食器全てが持ち出されていたんだ。いつの間に、見えなかった、と言う感想以上に…何故!?と言う感想が出る。
「…………」
「…………」
しかしそんな疑問すら無視して、二人は長机を挟み、銀皿を手に睨み合い…しばしの静寂の後。
「はぁあああああ!!」
「フッッッ!!!」
投げた、まるでチャクラムを投げるように鋭い軌道で銀皿を投擲したんだ。今度は遠距離戦か!と思ったが銀皿は互いに相手に当たる前に失速し、静かに机の上を滑り…。
まるで狙ったかのように等間隔に並べてられていく。メグさんは左側に、デイデイトは右側に凄まじい速さで皿を並べ…そして。
気がつけば、机の上には十数人分の皿が綺麗に並べられているんだ。そう…食事の準備が完了した……。
「いやどう言うこと!?」
戦ってるんだよね!?二人は!?いやでも二人はめちゃくちゃ真面目に睨み合っているし、ふざけてる様子はないし……。
「ッ……これは」
「フッ、どうやら決まったようだな」
「え!?」
メグさんは膝を突き、デイデイトは勝ち誇る。え?なに?これ勝敗の判定があるの?どう言うこと?出来れば初心者にも分かりやすく教えて欲しいです!
「手前から四番目の皿と五番目の皿の間隔が…3ミリ短い。私とした事が完璧な等間隔に並べられないとは…」
「見事な給仕術だった、だが…」
「ええ、…地の利はそちらにあると。流石にホームグラウンドではそちらの方が強いですか…」
つまり…いつもここで仕事をしているデイデイトさんの方が完璧に皿を並べられたって事?…分からん、メイドと執事はこう言う戦いをいつも繰り広げているのだろうか。僕は門外漢なので分かりません。
「執事とメイド、その実力は給仕の完璧さに直結する。実力は伯仲、されど地の利はこちらにあり…即ち」
「私は…不利ですか…!」
そして、二人は風のように移動しササっと皿を元あった場所に戻し。パチリと戸棚を閉めつつ、睨み合う。
「ですが、肉弾戦はまた一味違いますよ」
「同じだ、完璧な仕事が出来ないお前には…私は倒せん」
「それはどうでしょうか…」
ようやく始まるようだ、今のはなんだったのか分からないが二人の中で格付けが決まったようだ。メグさんはその場で構えを取り…。
「メグセレクション!!」
時界門に手を突っ込み装備を取り出して……。
「あら?なにもない?」
しかし、時界門からいつも飛び出してくるはずの武器が出てこない。メグさんはキョトンとしながらなにも握られていない自分の手を見る。
「なにか武器でも取り出そうとしたか?…現実世界にある武器を」
「ッ…しまった、ここは鏡の世界でした…!」
あ、そうか!メグさんの時界門では鏡の世界と現実世界の行き来が出来ない!だから現実世界にあるメグセレクションを取り出せないんだ!!ま、まずくないか…それじゃあメグさんのいつもの戦い方が出来ない!
「やはり地の利はこちらにある、故に…消えてもらおうか。メイド!」
「ッナリア様!早く先へ!私がこいつをなんとかします!」
「ですけど!」
「いいから!!」
瞬間、飛びかかってきたデイデイトの拳を防壁を纏わせた拳で受け止めるメグさんは叫ぶ。先に行けと…でもメグさんは万全じゃないし……でも。
「分かりました!すぐ終わらせて助けに来ます!!」
僕は走る、メグさんを信じて。そうだ、敵は強い…けどそれでも僕達だって数多の戦いを潜り抜けてきた。その経験があれば大丈夫…とは言い切れないけど、それでもその戦いを乗り越えたメグさんなら!
そう信じて僕は走り出す。そのままダイニングを超えて扉を開けて廊下を走り…裏口のような扉を開けて…。
「っこっちにバリスタが……」
扉を開けた先は外だった。目の前には回廊がある…石の回廊、強い風が吹き抜ける回廊の先には天を向く巨大な砲塔が見える。あれが月を下す機構…あれを破壊すれば、少なくともクレプシドラは計画を遂行できない!
「今すぐバリスタを破壊してメグさんのところに……」
「あーー、やめてくださいやめてください」
「ッ……」
足を止める、聞いたことのある声が響いたから…その声は、僕が探していた声。され姿は見えない…咄嗟に僕は周囲を見回し…。
「バリスタなんて嫌な言い方はしないでください。あれは『落月機構ルーナカンデス』と言うんです、オシャレに言いましょう?役者さん」
「クロック…!」
天から飛び降りてくる、城の屋根から華麗に降りて着地するクロックは僕とバリスタ…ルーナカンデスの間に降りて、ゆっくりとこちらに顔を向け…笑う。
「また会いましたね、性懲りも無く」
「……嬉しいですよ、この場面でまたお前と会えるなんて」
カレイドスコープ邸で煮湯を飲まされた相手が、まさかまさかの土壇場で…こうしてやってきてくれるとはまた。なんとも誂えたような状況じゃないか…!
「ふふふふ、残念でしたね。他の人ならまだ可能性もありましたが…一度負けた相手とこうしてここで戦わねばならないなんてねぇ」
「一度負けた相手?貴方…もしかして知らないんですか?」
「ん?なにがです?」
こいつをすぐに倒して、ルーナカンデスを破壊して…そしてみんなを助ける。こいつを前座だ、前座も前座…されど僕にとっては一世一代の復讐劇。ならばこそ燃えようこの心、情熱のまま…焼き殺してくれよう道化師を。
「主人公ってのは、最後に勝つから主人公なんです」
ペンを取り出し、構えを取る。それを見たクロックはケラケラと笑い…。
「うふふふははははは!そうですかそうですか…でも、もしこれが最高に笑える悲劇なら…これ以上ないくらい最高のシチュエーションですよね」
「道化師が身を滅ぼすって題目ですか?面白くなさそうですがリクエストに応えて演じてあげますよ…」
「口減らず、ですがいいでしょう。もうすぐ月が落ち、全てがジョークに終わるまであと数時間、それまでに特大のネタを披露するとしましょうか」
クロックはナイフを取り出し一礼し…幕が開く、役者と道化師の不毛な争い、観客はなく…喝采もない寂しい劇場にて。
今、最初からクライマックスの時を迎える。
………………………………………………
各地で轟音が鳴り響き始めた、魔女の弟子とクレプシドラ…そして最側近達の戦いが始まったんだろう。これは世界の命運を分ける戦いだ、魔女の弟子達が敗北すれば即ち世界は滅び、全てがなくなる。
鏡の世界は物理的に、現実世界は過去改変により、消えてなくなる。それを阻止する為…一歩も引けない戦いが始まったんだ。
申し訳ないと思いつつ、俺はありがたくも思うよ…彼らと言う仲間を得られた事実を。だけど、ごめん。エリス…ラグナ君。
俺は今、俺の為の戦いをしようとしている。
「なにをしているんですか?」
「……オリフィス?」
名を呼ばれ、俺は静かに扉を開けて部屋に入る。ここはバリスタ…ルーナカンデスを起動させ、赫末の虧月を動かす為の制御室。紫色の光に照らされた機器に四方を囲まれた城の一室。
そこで俺は、…戦いもせずこの部屋にて残っているその人物に声をかける。敵も味方も全員戦っているのに…この人はなにもせず、まるで戦いの趨勢を見守るかのように静観していた。
やはり、やはりここにいると思いましたよ…。
「オルロージュ叔母さん…貴方、戦わなくてもいいんですか?」
「……なにを言うかと思えば、裏切り者の貴方が…」
オルロージュ・クロノスタシス…俺と姉にとっての叔母。彼女が制御室でなにやら怪しいことをしていたんだ。各地で戦いの音が聞こえていると言うことは姉様は配下に戦闘を命じているはず。なのに…最側近の一人であるこの人が何故ここにいる。
……俺は、姉様が狂うきっかけになったあの事件の真相を追ってきた。もしかしたらこの事件には真犯人がいたのではと思う日は何度もあったが…終ぞその真犯人に辿り着くことはできなかった。
出来なかったと言うより、疑ってはいたが…決定的な何かが見つからなかった。だが…エリス、君が言った通り民そのものを籠絡していたとしたなら。
「裏切り者はどっちだ…!オルロージュ…!姉様をあんな風にしたのは…お前だろ!」
オルロージュだ、新鏡都クロノスに通じる鏡を割ったのも、民に水銀入りのワインを渡したのも…こいつしかいない。だってこいつなら出来るからだ…他者の籠絡など、こいつならお手のもので……。
「フッ、今更なにを言いにきたかと思えば…いつの話をしにきたのかしら。それとも名探偵気取り?だったら言おうかしら?ええそうよ。あの日鏡を割ったのも、毒入りのワインを渡したのもね…満足かしら」
「は……!?」
「ぶっちゃけあの日クレプシドラには死んでもらうつもりだったのよね、僻地に行ったら勝手に飢えて死ぬと思ったんだけど全然死なないし、だから強硬手段に出たのよ。いや私も若かったわねあの頃は」
そう言ってオルロージュはなんでもないことのように口にして、制御装置をなにやら動かし始めるんだ。いや…なに言ってるんだこいつは、姉様が地獄の苦しみを味わったあの事件を…そんな、そんななんでもないことのように。
「お前…!分かってるのか!お前があんな事したから姉様は……」
「死んでもらうつもりだったけど、なんか生きてたし。なんか面白くなってたし、これは利用できると思ったからね…結果オーライかしら。で?あんな事?何か重要かしら」
「重要って…」
「今この場面で私に恨み言ぶつける為にここに来たの?あんたはいつも遅すぎよ?気がつくのも行動も、甘ったれで民を疑えないし姉も疑えない、そう言うところはあんたの父…インデックスにそっくり」
オルロージュはこちらをチラリと見て唇を吊り上げて笑い。
「ああそうだ、ならいいこと教えてあげましょうか名探偵。赫末の虧月をクレプシドラに作らせたのも私、ミロワの話を仕入れてクレプシドラに教えたのも私、アイツは全部私の掌の動いているに過ぎないの…」
「お前が……」
「バカよねクレプシドラも、あの程度の魔力じゃ八千年前になんか飛べない。あれはそもそも私が過去に飛ぶ為のもの…つまり五百年前に飛ぶ為の物なのにね」
全部…全部こいつが裏から糸を引いていたのか…あの事件だけじゃなくて、この騒動も…こいつが!
「五百年前に飛んで…私は無限の大地を、マレウスという国を手に入れる。一緒にマレフィカルムも頂こうかしら、未来の知識があればいくらでもなんとでも出来る。ガオケレナから不死身の体を貰えば私は晴れてマレウスの国王となるの!最高でしょう!」
「お前!正気か!」
「正気かってこっちのセリフよ。私がただ調子に乗ってベラベラ喋ったと思う?あんたを生かして返すつもりがないからよ」
「はッ……!?ぐっ!?」
瞬間、オルロージュは振り向きざまに指先から高密度の魔力による抗戦を放ち、これの脇腹を穿ち…吹き飛ばす。
「この時代にやり残したことがあるとするなら、あんたのそういう顔が見たかったくらいかしら。真相を知って、私に恨み言を吐くあんたの顔…来てくれたおかげで叶いそうだわ」
「オルロージュ…!」
「あんたバカね、私のところに来てなにするつもりだったの?私に勝てると思う?あんた程度が」
オルロージュは両手を広げ、クツクツと笑い始める…。
「もうすぐ百万近いクロノスタシス軍がこの城に傾れ込む、ヴァントゥーアの指揮の下、城内で暴れる魔女の弟子を取り押さえる。アイツらがいくら強くとも城の中というか逃げ場のない空間で絶えぬ攻撃に晒されれば直ぐに折れる…!」
「………」
「そして赫末の虧月による時空断層の座標をここに移せば!過去に渡るのは私一人!ほんと!バカな奴ら!あんたもクレプシドラも魔女の弟子も!ロクに生きてない小童がこの私に逆らおうなんて十年早いのよ!」
オルロージュはケラケラと笑い出し、最早勝った気でいる。だが事実として今ここに百万近い軍勢が近づいているんだろう、そして俺は…彼女には勝てないだろう、だが、それでも。
「オルロージュ…お前は、理解してないみたいだな…」
「んん?なにが?」
「彼らの強さをだ、一人の願望により数多の人々の命を危険に晒す行為を彼らは許さない…お前の野心は挫かれる。そして」
脇腹を抑え、立ち上がる。俺は別に…ここにオルロージュへの恨み言を言いに来たわけじゃない。ただ、精算を求めに来ただけだ…全てを狂わせ、この国をおかしくした責任の清算。そして…我が姉を殺した(・・・)責任を!
「俺の覚悟を…甘く見ないでもらおうか…、ここで俺が…お前に全ての責任を果たさせる!」
待っていてくれエリス、曲がりなりにも俺を兄と呼んでくれたお前にだけ…全てを背負わせない。俺だって…戦って、勝って、守ってみせる!
…………………………………………………………
オルロージュの言うように、虧月城に兵士の軍勢が迫っていた。城下町に居た民間兵や城外の訓練場にいた兵士…その数百万に上る大軍勢。
その先頭に立つのは…負傷し動けなくなったツヴェルフに代わり、副団長のエルフが歩む。背後にはヴァントゥーア騎士団全メンバーが揃い、その後ろには数多のエレファヌスが続く。
クロノスタシスという大組織の武器の一つである、圧倒的兵力が…ゾロゾロと城の城門前に進み、甲冑音を響かせ、…そして。
「全体!止まれ!!」
エルフが叫び、軍が止まる。城を前に立ち止まる。そしてエルフは武器を片手に…前に出て。
「まさか、我々の行進を止める気か?」
前に立つ…その存在に目を向ける。それはまるで城を守るように立ち、中で戦う仲間達の邪魔はさせないとばかりに腕を組み、コキコキと首を鳴らす。返事はしない、する必要がないからだ。
「ふっ、ナメられた物だな…まさか、この人数を相手に戦う気か?愚かな」
エルフ含め、地の果てまで続く大軍勢、一国さえも落とす大兵力。ヴァントゥーア、エレファヌス、フェリヌス、ムリヌス、イノセヌス…その全てが揃っている。
クロノスタシス軍…その総勢を九十六万名。
対するは…。
「戦う気、聞くまでもないでしょ」
ネレイド・イストミア…その総勢を一名。
たった一人で百万近い軍勢を前に立ち塞がるネレイドは、組んでいた腕を解いて。
「それじゃあ、やろうか。全員相手をしてあげるから…遠慮なく、来て」
浅く笑う。ただの一人も城には通さない、仲間達の邪魔はさせない。そして…あの月も…なんとかしてみせる。
マレフィカルム最強の軍団と、魔女の弟子最強の個人が今…衝突する。
クライマックス前ですが書き溜めが途切れたのでここで一旦お休みに入ります、次回更新は12月8日!一週間後!年内にはこの章を終わらせたい!ので!頑張ります!お待たせして申し訳ありません!




