794.魔女の弟子と魔女の弟子の弟子
「つまりクレプシドラは元々ああ言う人間だったわけではなく、僻地の開拓の時に起こった騒動のせいで、おかしくなった…と?」
「まぁ纏めるとそうだね。例の一件で生き残った数少ない生き残りの証言を元に俺なりに考えた結果だけどね…」
クレプシドラの過去を聞いて、エリスが思ったのは…『世も末』だ。口減しの為僻地に飛びされた民を守る為クレプシドラが同行、でも僻地と王都を繋ぐ鏡が割れてしまい、尚且つ救援もなかなか送れず、結果クレプシドラは毒物を盛られてああなった…ってのが事件の顛末だけど。
世も末でしょう、口減しそのものを否定するつもりはないが…言ってしまえば捨てた筈のクレプシドラが怪物になって戻ってきて結局クロノスタシス全体が危機に陥っているんだ。なんだかなぁ、世も末だよ。
「んー…その時、オリフィスさんは何をしてたんですか?」
「姉様が救援を送ってきている事そのものはすぐに知れ渡った、だが一向に父が救援を送りそうにないから…幼いながらに色々交渉してみたりしたよ」
「そう言えば五歳くらいですよね」
「ああ、けど救援の話が進む都度戦況が悪くなったり街で騒動が起きたりして進まなくてね…最後は父の前で首にナイフを突きつけて『今すぐ姉様に救援を送らなきゃここで死ぬ』って言って騒いでようやくさ」
「す、凄い覚悟ですね…」
或いはそれだけの事をしなきゃいけないくらい、遅々として進まなかったのか。でも意外だ、話が進む都度って事は父親自身には助ける気があったと言うことか。てっきり見捨ててるもんかと思った。
「にしても、あれですね。分からない点がいくつかありますね」
「え?説明不足だったかい?」
「と言うより、鏡が割れた辺りから多くの物事が不明瞭です…そもそも鏡を割ったのは誰?新鏡都クロノスからの救援が遅れてたのは何故?そもそもどっから毒が出てきたの?いろいろ分からない場所がありますよね」
鏡が割れたところから…何かしらの意志を感じる。クレプシドラを陥れようとする意思を。
最後まで鏡を割ったのが誰かは分からなかったし、救援が遅れた理由も曖昧。何より毒だ…どこから出てきた。村人達はクレプシドラが水を独占した水泥棒だから殺そうとしたって形だったけど…その殺そうとする過程に毒物を使用する意図が分からない。
だって、水がない極限の状況で…ワインに毒を入れて毒殺を考えるなんてどう考えてもおかしい。ワインに毒を入れるくらいならそのワイン自分で飲んで毒はまた別の時に使うよ、エリスならね。だってそれがないと自分が死んじゃうから。
殺す方法なんかいくらでもあった、なのに毒のワインを使った。うーん…不可解だ。
「恐らく鏡を割った犯人がクレプシドラを陥れたんでしょうね」
「と言っても分かりようがないよ。生き残った数少ない民から何年もかけて話を聞いて…それでもそれ以上の事が出てこなかったんだ。結局鏡を割ったのが誰かなんて分からなかった」
「毒を盛ったのは誰ですか?」
「その人が言うに村人のリーダー格が入れたって言っていたけれど……その人はその後の水不足で気が狂って死んでしまったそうだからね。と言うか姉様を陥れた村人の殆どが死んでるから真実は分からない」
真実は分からないですか…それって本当に分からないんですかね。まぁオリフィスさんも姉の身に何が起きたかくらい…必死になって調べているからこれ以上の情報は本当にないんだろうな…。
でも、オリフィスさん…一つ見逃している可能性があるんじゃないか?
「因みにですがオリフィスさん、生き残った村人の数は何人ですか?」
「二人だが、姉様を合わせて三人か」
「一千人もいて三人しか生き残らなかったをですね。因みになんでその人達は生き残ったんですか?」
「え?姉様は…毒入りだったが一度は水分補給が出来たからだろうけど、他の二人に関しては……」
「その人達なんじゃないですか?犯人」
「え!?」
エリスならそう考える、だってそうでしょう?さっきも言いましたが態々ワインに毒を入れて消費するってのはおかしいんです。クレプシドラを陥れた犯人だって喉が渇いているのにワインに毒を入れて消費してしまうなんて…勿体無い、それを飲まなきゃ死んでしまう。
けどそれをしなかった、つまり犯人は飲む必要がないくらいには水に困ってなかった…死ぬ心配がなかった。なら濃厚なのは生き残った連中だろう。
「けどその二人だけだとこの話は完結しません。外部から干渉し、その二人の村人を拐かし利用した真犯人がいる…それも村の中にじゃなくて、外…つまり王宮側に」
「……………」
「まぁ、それが誰かまではエリスも分かりませんが」
「考えも……しなかった、いや……違うか、目を背けていたのか」
エリスは首を振ってこの話を切り上げる。オリフィスさんはエリスの話を聞いて深刻そうな顔で黙ってしまった。何故その可能性に気が付かなかったのか…と、まぁ気がつかないでしょう、これは悪口でもありますが…オリフィスさんはとことん甘いから。
それがいいところでもあるし、悪いところでもあるんだ…。
『名推理か?名探偵』
(バカにしてるんですか、シン)
『いや?別に。しかしクレプシドラにそんな過去があったとはな、病的な奴だとは思ってたがまさか本当に色々なものを抱えていたとは』
(……そうですね)
クレプシドラは今無数の病を抱えている、心の病と脳の病だ。しかも毒物に使われた水銀は一生残り続ける…クレプシドラはこの病に永遠に悩まされることになる。
そして、その上であいつはあの強さだ。万全とは全く言えないコンディションでありながら世界最強クラスにまで上り詰めている。人間性と言う部分に目を瞑れば…ある種、尊敬してしまうよ。
あれはただの才能で得られた物じゃない、奴も奴なりに努力してあの力を得ている…しかも無数にハンデを抱えて。まるでダアトのようだ。
(クレプシドラ・クロノスタシス…時と人に恵まれなかった努力の天才。それがアイツの正体か)
『エリス、またアイツと戦るんだろ…どう立ち回る』
(どう立ち回るもクソもないです、雷冥乱舞で手も足も出ないんじゃ立ち回りも何も関係ない…エリスも第三段階に行くしかない)
『だな、だったら…』
(今夜、ぶっ通しで修行お願いします)
体だけ寝かせ、意識だけを精神世界に飛ばせば擬似的に体を休める事は出来る。もう時間がない…シンと徹底して追い込みをかけていかないと。
「…………」
「オリフィスさん?」
そんな事を考えていると、ふと…オリフィスさんが呆然と虚空を眺めているのが見える。何を見てるのかと思って視線を追うが何もない、多分…エリスには見えない物を見てるんだろう。
「どうしたんですか?」
「いや、俺はずっと…姉様を止める、殺してでもと考えていた。けど今日初めて姉様と相対し、そして改めて口でその過去を語り…今、俺がやろうとしている事の意味が…理解出来た気がする」
呆然と虚空を眺めるオリフィスの瞳から涙が伝う。
「結局、俺もまた…姉様のように過去の呪縛に囚われていただけなんだ。姉を助けられなかった…その後悔と苦しみを無かったことにするために、姉が間違っていると断じて否定していただけで…そして」
そして、涙に濡れた瞳がエリスの方を向いて…。
「この後悔を紛らわす為に…俺は、君を妹にしたのかもしれない」
結局は、それは誤魔化しであるとオリフィスさんは述べる。姉が怪物になったのは、自分に力がなかったから、助けることができなかったから、例え僻地に向かったのがクレプシドラの意思で、その後クレプシドラがどんな怪物になろうともそこは変わらない。
だから、その狙いの本質を理解する前から間違っていると断じ、直接対決を避け、今日まで受け入れることなく…生きてきた。でもそれはただ今の姉を拒絶する事で自分が助けられなかったことから目を背けているに過ぎないのだ。
そしてエリスを妹にしたのもそう。エリスに対して冷酷に立ち振る舞うことができなかったのもまた…クレプシドラさんを助けられなかった事、そしてそれを切り捨てようとしている事への慚愧の念から…と。
「俺は君を大切にする事で、姉への後悔を…紛らわせようとしていただけなんだ…なんてさもしい本性なんだ。自分で自分が嫌になるよ」
「オリフィスさん…」
「姉を殺してでも国を守る?違う…俺はただ今の姉を許せないから、国を言い訳にしているに過ぎなかったんだ…事実、君の言うように真犯人の可能性から目を背けていたのは…見つけても無駄だと考えていたから……」
オリフィスさんは膝を拳で叩いて涙を垂らす。己の情けなさに悔しさを吐露する。
「やってる事は、あの時の父と同じだ。気に食わない物を国を言い訳に排除しようとしている…!俺は!……なんで自分と向き合ってこなかったんだ…!」
肩を震わせ、悔やむ。過去を語るってのはまぁつまり、もう一度向き合わなければ出来ないこと、思い返すとはつまり、過去に立ち向かうこと。それ故に彼は自分がずっと抱えていた自己矛盾から目を背けられなくなった。
そりゃあさ、言えばいくらでもやりようはあったよ。クレプシドラが救援を送った時一番最初から命懸けの説得をしていれば…とか、クレプシドラが僻地に行くのを止めていれば…とか。
狂ってからもそうだ、偽りの月を作るのを止めるとか…真摯にぶつかって思い直させるとか、やりようはあった…と言えば、そりゃそうなる。そして結局彼はそれをせずただいまの姉を認められないから、でも立ち向かうのは怖いからと言う理由で放置してきた。そこが過ちだと指摘することもできる。
けど…けれどだ。
「そんなに悔やむ必要はないんじゃないですか?」
「え……」
エリスも隣に座り、微笑みかける。別に涙を流して悔やむほどじゃないだろ、泣くなよと言ってるわけじゃない。泣きたいなら泣けばいいし、流れる涙は彼個人の物だからエリスがどうこう言って止めるわけにもいかない。
でも……そこまで悔やむもんでもない。
「オリフィスさんは、今まで目を背けてきた事実を過去の呪縛と呼んでいましたけれど、別に呪縛ではないと思いますよ」
「だが俺がやろうとしているのは、姉を助けられなかった事への慚愧故の行動…父と同じように、目を向けたくない事柄を消そうとしているに過ぎない」
「でも、そんな事言ったって仕方ないですよ。だって過去は変えられないんだから」
エリスは頭を掻きながらそう言う。悔やむのはいい、だが過去そのものを否定したって仕方ないでしょうよ、だってどれだけ悔やんでも過ぎ去った時は戻らないから。
「楽しかった事、気に食わない事、嬉しい事、苦しい事、全部ひっくるめて過去なんです。そして今を形作るのは過去だけです…例え自分でどれだけ情けない、唾棄すべき過去であっても、それがあるから今の自分が出来たんです」
「今の…」
「過去の怠慢から不出来さが露呈することもあるでしょう、不出来さを罵倒される事も自虐的にもなるでしょうし、その事実は変えられない。けど、その時感じた屈辱と情けなさが今を作るんです、なら呪縛なんて言い方をせず、糧と捉えればいいんです」
エリスなんか失敗を山ほどしてきましたからね、結果ここまで来れたんです…そしてオリフィスさんもまたそうだ。
「オリフィスさんは過去に姉を助けられなかった経験から、エリスを妹に見立てて守ろうとしてくれたんでしょう?」
時に必死になり、時に体を張って、エリスを守ろうとした…過去の失敗が消えないならその行いだって消えないだろう。事実エリスはそう言うオリフィスさんだからこそ、仲間だと感じ助け合おうと思えたんだ……まぁ、つまりなんだ。
「つまり!…いいお兄さんしてましたよ、オリフィス兄さん!」
「は…ははは、妹に励まされるとは…これまた情けない。だけど…そうだな、昔はどうあれ…今は今だけ。過去が今を作るなら、今が作るのもまた未来だ…だったら作ろうと思うよ。今度こそ、恥じる事のない未来」
オリフィスさんは立ち上がり、エリスに笑顔を向けて…。
「ありがとうエリス、やっぱり君は……いや、君を選んでよかった」
「ンフフ、エリスもいい妹やれるでしょう?」
「ああそうだな、…俺は今回の戦いでは力不足かもしれない。けれど…一度君を妹と呼んだなら、今度こそ守ろうと思う。守れなかった姉の分だけ…妹を」
まぁ何が出来るか分からないんだけどね!と笑いながらオリフィスさんは拳を握る。けれど分かるよ、エリスは。
オリフィスさんは決めた。覚悟を決める覚悟を決めた…もう迷わないだろう、姉と訣別し変えられない過去と向き合い、戦い抜くと決めたんだ。
ならエリスもそれに報いよう。……よし!
「よーし!じゃ!エリス寝てきます!」
「え?あ…ああ、随分気合を入れて寝るんだね」
「今夜は一晩中修行です!」
「寝るんじゃないの?」
気合い入った!次こそ勝つぞ!そう決めてエリスは寝床に向けて走り、シンに頼み込んで走り出す…今日は寝ながら修行だ!
………………………………………………………………
そして…翌日、朝からクロノスタシスの襲撃があった…わけではなく、普通に朝起きてご飯を食べて…普通の日がやってきた。
忙しない様子もなく、特別な何かが起こるわけじゃない。ラグナの言った通り敵も用意を重ねてくるようだ…なら。
今日はミロワちゃんに修行をつけよう!そう思いミロワちゃんと訓練場に向かい、いつものように修行を始めようと思ったんだが…。
「なに見てるんですか!!!」
「いやぁ、お前がどんな修行つけるのかなぁって」
「正直、エリスが子供にどのような指導をするのか興味がある」
「怪我したら治す役必要でしょー」
「頑張ってください!エリスさん!ミロワちゃん!」
いる、訓練場に、エリスの友達が。アマルトさん、メルクさん、デティにナリアさんと…野次馬がいるんだ。なにがエリスがどんな修行をつけるか興味あるだ、見られてたらやり辛いったらないよ!
「師匠、この人たちは師匠の仲間なんですよね」
「え?ええ、頼りになる仲間達です」
ミロワちゃんは不思議そうにアマルトさん達を見ている。ミロワちゃんからすれば知らない人達だし…やっぱり見られてたら嫌かな。
「嫌なら追い払いますよ?」
「いえ!師匠のお仲間なら…気になります、どれだけ強いのか」
「どれだけ強いのかって…」
そう言われた瞬間、エリスと四人組はそれぞれ目を合わせて…。
「ぶっちゃけこの中ならアマルトさんが一番強いですかね」
「まぁ第三段階だしな、飽くまで現状は俺が上かも」
「でもでもここにいない人も合わせたらネレイドさんもめっちゃ強いよね」
「正直、あの強化幅はちょっとやそっとの修行では抜ける気がせんな」
「皆さん強いですよねぇ…、でもどれだけ強いって言われると困りますよね。僕達より強い人たちなんか山ほどいますし、弱い人も山ほどいますし」
弟子達の中での序列というか、強さの順というか、そういうのは割と変動する。エリスが一番な時もあったし、アマルトさんが一番の時もあるし、ラグナが一番の時もある、今はネレイドさんってだけだ。いつか超えてやる!とはみんな思ってるけどね。
「じゃあ、……私と手合わせしてください!」
「え?」
「私、理解したんです。自分の身を守れるように…そんな師匠の言葉の意味を、この世界は…私が思ってるよりずっと残酷で、厳しいものだって…昨日の一件で学んだんです。だからお願いします。皆さんと手合わせをさせてください、今は少しでも実戦経験が欲しいんです!」
「って言ってもなぁ…どーするよ、エリス師匠」
「正直、早い気もします。実戦形式での修行は」
はっきり言おう、エリスはミロワちゃんを今日まで育ててきたが…かなり急ピッチで進めてきた。時間はたったの二週間ちょっと、基礎の基礎も積み重ねていない。今はただ古式魔術を安定させるしかさせられない。
けど同時に、時間がないからこそ…一足跳びに修行をさせる事もできるが……。
「お願いします!師匠!」
「……わかりました」
「いいのかよ、エリス」
「ただし、やるのはエリスです。デティ、治癒魔術の準備を」
「ちょっ、どこまでやる気?本気出さないよね」
「さぁ、ミロワちゃん次第です」
それでも、弟子が望むなら…答えてやるのも師匠の務めか。なら…やろう、どの道明日には戦いが始まるんだ。
なら、ある意味これは最後の修行になる…なら。
「ミロワちゃん、エリスと組み手をしましょう…いつもの打ち合いと違ってエリスは打ち返します。覚悟して打ってきなさい」
「はい!師匠!」
エリスは上着を脱ぎ、籠手を外し、その全てをアマルトさんに預ける。さぁやろうか…とミロワちゃんを見れば彼女も準備を始め……。
「ミロワちゃん」
「へ?」
「そっちではないですよ」
そんな準備を見て、エリスは首を振るう。今ミロワちゃんが持ってるのは木剣…けど、違う。これは実戦形式、なら使うべきは…。
「真剣ですか…?まさか…」
「ええ、構えなさい」
「っ……」
ミロワちゃんは腰に差していた剣、冒険者協会からもらった剣を抜いて、その刃が持つ輝きを目に…若干の恐れを抱く。だが望んだのは貴方ですよね、なら決めなさい覚悟を。
「エリスはおっかねぇ…けど、まぁ実戦形式なら真剣でやるべきだな」
「やはりというかなんというか、スパルタとはまた違う厳しさだな…」
「エリスさん、キマり過ぎですよね」
仲間達も若干ドン引きだが構わない。エリスは静かに腰を落とし…拳を構える。ミロワちゃんも首を振って迷いを振り払い、構えを取る。マレウス王国軍式の軍剣術の構え方…その辺はしっかり習得しているか。なら…。
「さぁ、いきますよ!!」
「はいッ─────えッ!?」
踏み込む、握った拳を振り抜き…ミロワちゃんの顔面を打ち抜き、殴り飛ばす。
「ぅぐうぅぅ!?」
「ちょっ!?」
ミロワちゃんが転がる、ナリアさんの驚きの声が響く…だが止めない、エリスは拳を握ったまま倒れるミロワちゃんに近づき、足を振り上げ…。
「ッ師匠!?ぐっ!?」
ミロワちゃんは気がつく、倒れてもこの組み手は終わらないと。故にその場で転がりエリスの踏み付けを回避し、即座に剣を振り払いエリスに切り掛かり…。
「甘い!」
「なっ!?」
「無思考で攻撃するなと教えたはずです!!」
「ぁがぁぁあ!?」
指で刃を摘み、受け止める。同時にミロワちゃんの顔目掛け裏拳を飛ばし、彼女の体が空中で四回転する。軽々と吹き飛ぶミロワちゃんに…エリスは変わらぬ眼光を飛ばし続ける。
「ちょっとエリスさん!?流石にやりすぎでは!?」
ナリアさんが口に手を当ててアマルトさん達を見る…だがアマルトさんは首を横に振り。
「まぁ過激ではあるが、これに関しちゃ俺ぁエリスの肩を持つぜ。あれは師匠として正しい振る舞いだ」
「ああ、ここで下手に寸止めをしては意味がない」
「多分、私達がエリスちゃんと同じ立場でも、同じことしただろうしね」
「で、でも……」
これに関しては正しいと、アマルトさん達は判断を下す。何故か、決まっている…自分達がそうやって育てられたからだ。魔女様達に何度も死ぬような修行をさせられたし、殴られたり投げられたり吹き飛ばされたり、色々あった。それもミロワちゃんよりも幼い頃から。
これを否定することは即ち、師匠の方針を否定する事…故に否定はしないし、出来るはずもない。
「それにな、ナリア。あのエリスが子供を殴ってんだぞ」
「ッ……」
「アイツだって殴らなくていいなら殴りたくはないだろ、でもやらなきゃいけないからやってんだ。心を鬼にして…なんてレベルじゃねぇ、アイツの覚悟……そして、ミロワの覚悟を汲んでやれ」
「ミロワちゃんの……」
そうしてナリアさんの、そしてエリスの視線の先にいるのは…再び吹き飛ばされたミロワちゃんの姿。地面を転がり、口から血を吐きながらも…直ぐに立ち上がり。
「ッはぁああああああ!!」
挑み掛かる、突きにかかると見せかけ…今度はエリスの前で立ち止まり、フェイントをかけて体を回転、そのままエリスの側面から切り掛かり…。
「遅い!」
「がはぁぁ!」
だが効かない、エリスはそれを受け止め、逆に殴り飛ばす。分かっているから殴り飛ばす、ミロワちゃんに今必要なもの、ミロワちゃんが望むものを得るため、ミロワちゃんに与えるべきもの、ミロワちゃんを思えばこそ…やるべき事が分かるから。
苦しいさ、子供を殴るなんて最低の行いだ。こんな事をする人間は必ず地獄に落ちる。だが…それでも、優しく甘やかすだけでは、きっとこの子はこの世の悪意に立ち向かえない。
「立ちなさい!敵は貴方が折れた瞬間を狙ってくる!!」
「ッはい!!」
この世は残酷です、厳しいです、それはミロワちゃん…貴方の言う通りです。でも同じくらい、優しくて、美しいものでもありますよ、この世界は。その美しさを理解し、そして守る為には…残酷さに立ち向かわないといけない。
その力を、エリスは与えます。だから…だから。
「そこッ!」
「ぎゃっ!?」
エリスの掌底がミロワちゃんの体を突き飛ばし、再び地面を転がる…だから立て、折れるな、過つな。負けるな、力に…不条理に。
「ッく……!」
「ミロワちゃん!いい事を一つ教えてあげます」
「…なんですか、師匠」
「エリスは今まで、多くの敵と戦ってきた。中には中には弱い奴もいれば強い奴もいた、そんな中で出会ったとびっきり強くて凄い奴らってのには、ある共通点があります」
エリスが出会ってきた凄い奴ら。シン、ダアト、そしてクレプシドラ…全員めちゃくちゃに強かったです、強かったですけど同時に凄かった。そんな奴らにはある共通点がある、それは…。
「それは『折れなかった事』です。どんな境遇、逆境、艱難辛苦を前にしても折れず立ち向かい、踏ん張り続けたやつが…上に行けるんです!」
シンも、ダアトも、そしてクレプシドラにも…地獄のような過去がある。だが折れなかった、全員。シンは幼少期、実験動物同然に扱われ、ダアトは幼い頃から病を抱え両親を失い、そしてクレプシドラも…信じていた民から裏切られた。
だが、全員折れなかった。折れず、立ち続け、努力し続けたからあんな強いんです。
そう言う奴らの纏う『凄さ』ってのは…立場とか、やろうとしている事とか、そう言うのを抜きにして…エリスに尊敬の念を覚えさせる。エリスはミロワちゃんにそう言う人になって欲しいんです。
これから彼女はいろんな奴に狙われるだろう。あまりにも稀有な力を利用しようとする悪の手が忍び寄る。きっと…辛い日々が待っている。
だから、折れるな。折れずに立ち続けろ…。
「立ちなさい!信念を持って!挑みなさい!覚悟を持って!半端な信念と覚悟では貴方は貴方自身も守れません!!」
「ッ……」
「自分も守れないようじゃ…誰も守れませんよ」
「ッ分かりました!!」
そう叫びながら、ミロワちゃんは挑んでくる。信念も覚悟も十分か…言うまでもなかったか?でも、不思議だな。
(エリスは果たして、持っているのか…クレプシドラを前に立ち続ける信念と覚悟を)
ミロワちゃんと戦いながら、エリスは考える。
クレプシドラは恐ろしい奴だ、悪い奴というより恐ろしい奴だ。狂気的な強さは嵐の如く…目的も他の追随を許さないほど巨大で、果てしない。きっと奴の中には折れない覚悟と何もかもを犠牲にする覚悟があるんだろう。
奴の前に立つには、強さ以上に…確たる信念と覚悟が必要だ。なければエリスはきっとエリス自身の身さえも守れない……でも、エリスは。
『エリス!!余所事を考えるなッッ!!』
「ッ…そうでした!」
瞬間、エリスはミロワちゃんの斬撃を捌き、同時に顎先に拳を叩き込めば…彼女は膝から崩れ落ちて。
「はぁ…はぁ…」
「もう限界ですか?ミロワちゃん」
「…………」
膝を突き、息を整える彼女は地面を見つめながら…汗を拭う。もう終わりか、やめにするか…そう厳しい言葉を吐こうとした瞬間。
「師匠、私は…師匠の弟子として。そして、『剛腕』メレク・カレイドスコープの娘として。恥じない軍人になるつもりです」
「…そうですか」
「けどはっきり言って、私は甘ったれです…私を攫おうとした人達、そして師匠、みんなが持ってるような凄みを私は持ってません。それはきっと…私の認識がどこかで甘かったからなんだと、…最近になって理解出来ました」
立ち上がる、息を整え立ち上がったミロワちゃんのその目には…宿っている、覚悟の炎。
「だから、余計な物は削ぎ落とします。守る為に、勝つ為に、私には…師匠の弟子としての誇りがあればいい!!」
「む……」
何か来る、そう理解した瞬間……ミロワちゃんは刃を自分の左腕に突き立て。
「フッ!」
「えッ!?」
切り落とした…手首から先を切り払いミロワちゃんの手が鮮血と共に宙を舞う、なんて事をしてるんだ…!そんなことしたら失血死して─────。
『エリス!よそ見するな!』
「ッ!?」
気がつくとミロワちゃんは左手を切り払い、それを空中に置き去りにしながらエリスに向かって飛んできていた。まさか囮…というより、手を切り落とす事でエリスの思考を止めたのか!?そんな事するか普通!?
「チッ…」
「大いなる四大の一端よ、我が手の先に風の険しさを与えよ『風刻槍』!!」
「ここで…!」
ミロワちゃんはエリスに接近しながら右腕を突き出し、古式魔術を放ってきた…これはまずい、星の魔力は防御が出来ない!避けなければとミロワちゃんの射線から外れた瞬間、違和感が走る。
(魔術が出てこない…!?)
ミロワちゃんの右手に魔力が集まっている様子がない…詠唱はブラフ?でも確かに魔力が動いて……まさかッ!
「左手か…!」
瞬間、飛んできたのは明後日の方向…切り捨てた左手から風の槍が飛んできたのだ。左手に先んじて魔術用の魔力を集めておいて、それを空中に置き去りにしつつ本人は移動。
そのまま詠唱する事で左手に集まった魔力を魔術に変換。こうする事でミロワちゃん本人のいる場所とはまた別の方角から魔術が飛んでくる。魔術は術師のいる方角から放たれるという常識を覆す一撃…まずい。
「ぐっ!!」
咄嗟に防壁を放とうとするが無意味だと気がつく、だって簡単に貫通されたんだから、まずい…ミロワちゃんの射線から外れるのにワンアクション使ってしまったからこれは避けられない!
「ッ師匠を!」
瞬間エリスは飛び上がり、大地から足を離しながら敢えて風の槍に突っ込み…。
「ナメるな!!」
脱力し、寧ろ風の槍に乗る事で受け流す。風に乗るのは慣れている…これくらいではエリスは倒せないですよ!!!
「ッうわぁぁああああああ!!!」
「ッ!」
が、風の槍を避け切るか避け切らないかというタイミングで…突っ込んできたのはミロワちゃんだ、自分から自分の魔術に突っ込み魔術の回避に専念するエリスに飛びかかってきたんだ。そしてそのまま真剣を突き立て…。
「ッくっ!!」
蹴り飛ばす、ミロワちゃんを…突っ込んできた彼女を風の勢いを活かした蹴りを使い、吹き飛ばす。そしてそのまま着地し……。
「まだまだですね…!」
「う…ここまでやって、ダメか…」
大きくエリスは息を吐く。倒れるミロワちゃんに立ち上がる力は残っていない…けれど。エリスは肩口に手を当てる、傷はない、けど…シャツが切れている。普段ならコートに防がれている場所に剣が引っかかりシャツが切れたんだ。
一瞬対応が遅れてたら…斬られていた。何より……。
『アハハハハハハハ!蹴りを使ったなエリス!お前!自分の一番の武器を封じて戦っていたのにまんまと引き出された!』
(ええ…大したもんです)
エリスは今まで拳だけで戦っていた。普段戦闘においてメインで使っている蹴りを封じて戦っていたんだ。手加減じゃない、ただハンデとして…けど、それすら彼女は解禁させた……大したものだ、師匠にここまでさせるなんて。
「デティ!!」
「はいはーい!自分から腕切り落とすとかマジ?」
左手からダクダクと血が溢れるミロワちゃんに、エリスはデティを呼び寄せ治癒させる。デティにかかれば失われた手くらい直ぐ治る…けど、ミロワちゃんはそれを知らなかったはず…腕を切り落とせば、一生そのままの可能性だってあった。
なのに……。
「はぁ…はぁ…」
「ミロワちゃん、貴方…なんでこんな事したんですか?エリス言いましたよね、無茶はするなと」
「でも…でも」
するとミロワちゃんはエリスの目を見ながら、冷や汗まみれの顔で笑い。
「エリス師匠なら、死んでも負けられない戦いを前にしたら…これくらいやるかなって…」
「………………」
黙らざるを得ない、これは。無茶は無茶だ、二度とやるなと言いたいが……これは、覚悟云々について教えるつもりが、教えられたかもしれない。
死んでも負けられない戦いなら…か。
「はぁ、……まぁよしとします。今回だけは、次はやらないように」
「はぁい」
ミロワちゃんはニッと笑う…すると、エリスの隣に青い顔をしたアマルトさんが寄ってきて、ゴンッとエリスの肩を叩き。
「あれ、完全にお前の弟子だな」
「どういう意味ですか」
「そういう意味以外ねぇだろ、ボケナス。これ以上この世にお前を増やすな、一人でもこんな危ないのに」
「腕引きちぎりますよアマルトさん!」
「襲ってくるなーっ!!」
冷やかすな!今エリスがいい感じに感傷に浸ってるのに!全く……そう思いつつ、アマルトさんからコートを受け取り、ミロワちゃんにしばらくの休憩を言い渡し…エリスは訓練場の座椅子に座り、ポーチから裁縫セットを取り出し切れたシャツを塗って直していると。
「エリス様どういう教育施したんですか?」
「ギャッ!イタッ!」
「あら失礼」
「針仕事してる最中に後ろから話しかけないでくださいよメグさん!!」
突如現れたメグさんに話しかけられ、思いっきり人差し指を刺してしまう。別に脅かすのはいいですけどね、時と場合を選んでください!っていうか…。
「メグさん、もしかして…色々分かったんですか?」
「はい、アドラ邸に忍び込んだ結果ですが…やはりアドラ・カレイドスコープはクロノスタシス家と繋がりがありました。我々の出現に慌てたのか…作戦会議してましたよ、おほほ…分かりやすい」
やはりそうか…、まぁこれはほぼ確定事項だった。しかしまさかアドラ側がクロノスタシスと繋がっていたとは、大方ミロワちゃんの星の魔力に気がついてクレプシドラに売り込んだのはアドラだろう。
よくもまぁ今日まで誘拐されずに済んだものです……。
「それでここから本題…奴等が話すに、明日…仕掛けてくるそうです。ここに軍勢を召喚し一気呵成に攻め落とし、一切の被害を考えずミロワ様を確保すると」
「…………つまり、この館が戦場になると」
「ええ、なのでそのつもりでいてください。恐らく、これはもう我々がどう動いても変わらない事なので」
「…望むところですよ」
メグさん曰く、明日…攻めてくるそうだ。まぁそうだろうと思っていた、ならやってやろう…どの道そのつもりだったんだ。
だが逆を言えば今日は何もないという事。ならこのまま今日は平和を享受しようじゃないか。
「よし…ところでラグナはどこにいます?今日見てませんが」
「何やらネレイド様と一緒にいるようですよ?ああ、もちろん浮気ではありません」
「そんな事微塵も思ってません」
「ただ、エリス様を助けに鏡の世界に行く前からお二人で何かをしているようで…何かはわかりませんが、まぁおおかた想像はつくでしょう」
「そうですね……」
エリスはシャツを縫い、大きく息を吐く……クレプシドラその決戦はもう直ぐだ。エリスが負ければ世界は終わる、エリスに世界の命運がかかっている。明日…明日だ。
全てが決まる、泣いても笑っても…明日には全てが決まるなら。覚悟決めて、前に進もう。
そして…勝ち取る、未来を。




