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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
二十一章 魔女を継ぐ者エリスと怪物王女クレプシドラ
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787.魔女の弟子と鏡の国のエリス


クロノスタシス王国の歴史は一千年に遡る。


神鏡魔術『カトプトロン・クロスボーダー』の開発により、クロノスタシスの民は鏡の世界へ渡る術を得た。最早現実世界に居場所がないと悟ったからだ。


元は、今のマレウスがある地とコルスコルピの間、ギャラクタス運河の近辺に王国を持っていたクロノスタシス、しかしコルスコルピとの経済的な対立により徐々に衰退。当時はマレウスのような非魔女国家にとっての逃げ場もなく、魔女大国との対立は国家の存亡に関わる。


本来なら折れる場面で折れなかったクロノスタシスは鏡の世界へと逃げ込み、そこで文明を成熟させていった。それから数百年後…魔女排斥組織としてのクロノスタシス王国が成立した。


五百年前にマレフィカルムが生まれ、当時八大同盟を名乗っていた組織を圧倒的物量により撃破し、以来五百年間…ゴルゴネイオンと並び無敵の組織として一切の入れ替えも叛逆も許さず、マレフィカルムの頂点に立ち続けた。そんな無敗伝説に近いものを持ち…今もまだ君臨し続けている。


この世のどこを探しても存在しない国、見ることも触ることも感じることも出来ない透明な国。そしてこの世のどこにでもあり、どこへでも行ける王国…それこそがクロノスタシス王国である。


それが…それこそが……。




「クロノスタシス王国…ここが」


攫われたミロワちゃんを取り戻す為、エリスはオリフィスさん達と共にクロノスタシス王国へと乗り込むことになった。オリフィスさんが手に入れた永久鏡を使えばいつでもどこでもクロノスタシス王国に行けるらしい。


で…それを潜ってエリスがやってきたのは、暗天に覆われた黒い国クロノスタシス。天はまるで夜のように暗く、不気味な赤い月が浮かんでいる。


一方街はとても栄えており、無数の塔のような建造物が街にひしめくように立っている。摩天楼って奴だ…そしてその全てが夜に紛れるような黒ばかり、窓は赤い月の光を反射し赤く光り…不気味だ。


黒い空、赤い月。黒い摩天楼、赤い窓…その奥に巨大な建物が見える。多分あれが王城なんだろう…けど。


(この街、見覚えがありすぎる…)


ここは鏡の中の世界、いわばもう一つの世界だ。現実世界にある物は全てここにあるという。であるならばこの大規模な街もまた現実世界にあるものをそのまま流用していると考えられる。


そう、この街は…黄金都市エルドラドだ。中部リュディア領にあった大都市、ジズとの戦いでほぼ半壊し今は廃墟になっている筈のあの街が、ありし日の栄光をそのまま残している。


つまるところ、クロノスタシス王国とは現実世界のエルドラドに位置する場所にあると言うことだ…まぁ、どこでも好きな街を使っていいってなったら、ここを使うか。

しかし現実世界でなくなっても残っているんだな、鏡の中には。


(うーん、エリスは確かに今鏡の中にいるんですよね…あんまりそんな感じがしません)


エリスはこれでもいろんな世界に行ったことがある。絵画の中、夢の中、電脳世界の中…そしてその果てに行き着いたのが鏡の中とは。例に漏れずここも『鏡の中にいるなぁ』って感じはしない…けど。事実エリスは今穴を潜ってきた。


背後を見れば光り輝く穴がある。永久鏡を使って入り込んだんだ…と言っても、やっぱり感覚はないが。


「エリス、あまり目立つ場所に立つな…こっちに」


「あ、すみません」


ふと、永久鏡を回収したオリフィスさんが手招きし、建物と建物の間にある路地裏にえりすを招く。そちらに向かうと既に治療を終えたオリフィスさん達が座り込んでいた。


「どうしたんですか皆さん、座り込んで」


「いや…もう二度とここには戻ってこないつもりだったから…なんかな」


「うう、今から儂らはこの国を相手に立ち回るのか…」


「もう立派に国家反逆罪だよねぇ…いや、そんな段階はもう超えてるかぁ」


「何言ってんですか」


みんな座り込んで自分のやっている事の重大さにようやく気がついたのか腰が引けているようだ。まぁいくら覚悟をしても怖いもんは怖いか。


『軟弱だな、国一つ相手にするだけでビビるとは、それでもマレフィカルムかこいつら』


(まぁまぁ…今気持ちの整理をつけているんでしょう)


エリスは腕を組みながら建物の影から街の様子を見る、街にはたくさん住民がいる。みんな現実世界と変わらない格好、姿の普通の人達だ。

でも、噂じゃクロノスタシス王国は国民全員が構成員だって話だし…油断は出来ないか。


にしても、改めて思うと凄い規模だな。国一つが丸々組織なんて…。


「でも、このままここにいたら誰かに見つかりますよ。オリフィスさん達ってこの街で有名人ですか?」


「有名人だ、顔を見られたら一発で憲兵を呼ばれる。憲兵を呼ばれたら一貫の終わりだ…よし、こっちに来てくれ。まずは拠点に移動しよう」


「あるんですか?」


「一応な、秘密の隠れ家だ。クロノスタシス軍に見つかっていないはずだ…多分」


そう言ってオリフィスさん達は一眼のつかない裏路地へと進んでいく…そんな中、エリスはポツポツと歩き出し、再び元の場所に戻り…真ん中にある城を見る。


(やっぱりあれ、ゴールドラッシュ城ですよね…)


じーっとゴールドラッシュ城そっくりのお城を見る。あれがゴールドラッシュ城と同じってことは……。


「エリス、急いで移動しようと言ったのは君だろ?早くきてくれ」


「ああ、すみません」


そう呼びかけられ、エリスは慌てて走り出しオリフィスさんについていく。迷いなく進んでいくオリフィスさんの背中を眺めながら…エリスはチラリと隣を歩くサブリエさんを見る。


「あの、クロノスタシス王国って…大体どれくらいの規模なんです?」


「ん?あー…えっとね。総人口は三百六十万人、うち軍部所属は百万人。とはいえ有事の際は全員が武装することが義務付けられてる…とか、戦力的な話?」


「いや、そうじゃなくて…例えば、この街以外に人が住んでる場所はあるんですか?」


「ああ、無いよ。鏡の世界に街はここ一つだけ。人口を一点に集中させて、数を揃えたマンパワーで国を運営してるんだ」


「一点に……」


「そもそも鏡の世界は人間の生活に適していないんだ」


空を見上げながら、サブリエさんは鏡の中の世界…と言うものについて教えてくれる。


「古い伝聞によると、この世界は地水火風に加え空間を司る『空』とそれらを知覚する『識』により構成されていると言う。つまり地水火風も空も認識されることで働き世界となるんだよね」


(この人…六大元素の事まで知ってるんだ)


「逆を言えば識さえあれば世界は成り立つんだよね、そこに地水火風がなくても地水火風があると認識さえすれば形は出来る。そうやって出来るのが鏡の世界、本当はないけど人々はそこにあると認識してるから世界が成り立っている」


本当はないけど、あると思っているからあることになっている。それが鏡の世界、延いては識確世界の全容だ、ある意味エリスの中にある精神世界もそう言う類のものなんだろう。人々の集合的無意識によって構成される世界……けど、とサブリエさんは続ける。


「だけど、いくら識が地水火風を認識しても…ない物はないんだ、ここにある全ては偽りのもの。木も風も水も火も…この世界に最初からある物は全て機能していない」


「機能してないって…それってつまり」


「水は飲めない、木は空気を生ないし、火は起こらないし…土はまぁ、辛うじて物質の体裁を持っているが、栄養も何もないから木々は育たない…この世界で自給自足は出来ないんだ」


あくまでここは空間であって、もう一つの新世界ではない。野生動物も魔獣もいないし、下手をしたら微生物もいないから死体は分解されない…そう言う世界なんだ。


「だから生活には現実世界から持ち込んだ地水火風が必要なる。そして現実世界からそれらを持ち込めるのは王宮だけ…」


「だから王宮を中心とした街が一つあるだけなんですね」


他の場所に街を作っても、作物を育てる事も何もできない。全て鏡の外から持ってこないといけないから、それなら一つの街に人口を集中させるべきなのか。


「まぁ、クロノスタシスは長い年月を使ってより居住に適した街を探して放浪したり、人類居住領域を拡大しようとしたり、色々やってるんだよ?土を持ち込んだり水を持ち込んだり、色々やってね」


「なるほど…それじゃああれも鏡の世界特有のものなんですか」


エリスはそう言って上を指差す。それは建物の隙間からでも見える程巨大な光…赤い月だ。どう考えてもあれはおかしいだろ。そりゃ現実の月も赤くなったりするが…それにしても大きすぎる。


エリスの目で見た計算にはなりますが…本来の月よりもかなり近いところにある気がする。多分だが、飛んでいけば辿り着けるくらいのところにある。


あんなの現実世界にはないよ。


「ああ…あれは赫末の虧月だよ。本物の月じゃない」


「赫末の虧月ですか…」


「そう、あれはクレプシドラが計画の為に作った物らしいよ。あれの中に…例の魔女十人分の魔力が詰まってる」


「あれが……」


「多分、人類史上最も巨大で…最も恐ろしい魔力バンクってやつ」


目を凝らして、月を見る。あまりにも膨大すぎて逆に感じなかったが…確かに見てみれば凄まじい量の魔力が内側に溜まっている。


というかあれ、多分元は真っ黒な鉄の塊みたいな球体だったんだ、で中身は空洞。でもそれが大量の魔力を溜め込みすぎて、その圧力によって赤熱してるんだ。


……つまり、あの月は既に臨界寸前。頭おかしいのかこの国の人間は…言ってみれば頭の上に何もかもを吹っ飛ばす爆弾が浮いているような物だぞ。


「あれで何をしようとしてるのか、あーし達は知らない…けど」


「確かに、あんな物を日常的に見てれば…危機感の一つも湧いてくるか」


寧ろ危機感を感じない方がおかしい。あれだけ魔力を貯めてしまった以上、もう穏便に安全にあれを処分する方法はない。


「おーい、こっちだ。急いでくれ、拠点の中で今後の計画について話し合おう」


「あ、はい!」


そして、オリフィスさんは路地裏の一角に見える扉を開けながらそう叫ぶ。ともかく、エリスはクロノスタシスという敵の本陣にやってきたんだ。まずはこの国の事を…足元の事を知らなきゃね。


……………………………………………………………………


クロノスタシス王国の中心地、赫末の虧月…その真下にあるのは、クロノスタシス王宮、別名虧月城。真っ黒なデザインへと変更されてゴールドラッシュ城の最奥にて、人が集められ…声が響く。


「陛下、ミロワ・カレイドスコープの確保に成功しました」


意識を失い、ぐったりと脱力するミロワは玉座の前に転がされ…同時にその隣でヴァントゥーア騎士団副団長のエルフが跪く。無事、作戦は成功したと玉座に座るクレプシドラにそう告げる。


「ほう」


立ち上がり、クレプシドラは一言述べる。そこに労いはなく、また感謝もない。ただ『やれ』と言い『やった』と言う至極当然の結果が伴っただけ。マッチを擦り火がついたことに感謝を感じることがないように、クレプシドラ・クロノスタシスという王者は当たり前の反応をする。


「これが、月の加護を受けた寵児か…星の魔力はあるか」


「はい、陛下。確認済みでございます」


王宮執事長デイデイトが一礼しながらクレプシドラの問いに答える。星の魔力、結局欲しかったのはそこである。それがないのならミロワに価値はなく、それがあるのなら路傍の虫ケラであれ手に入れるつもりだった。


クレプシドラは静かに目を伏せ、満足そうに頷く。


善哉よきかな……これでピースは全て揃った」


「ええ、彼女を赫末の虧月に放り込み融合させればそれで事は済みます。そして既にその準備も整えてあり、陛下の号令があれば十分で起動を完了させられます」


「準備がいいですねデイデイト、時間の有用性を理解する者は好きですよ」


「お褒めに与り光栄です…」


クレプシドラは窓から覗く巨大な紅の月に思いを馳せるように目を向け、玉座に頬杖をつく。




妾は、この時を待っていた。不可能と言われた大業を成す為に多くの時間を使ってきた。その時が今ようやくやってきた。


「デイデイト、虧月内部の魔力量は」


「全体の98%でございます、作戦成功水準が80%である事を考えるに、十分すぎるかと」


さながら、あの月は樽である…。クロノスタシスに似たような諺がある。


『樽一杯の蜂蜜に、スプーン一杯の水銀を混ぜれば、それは最早蜂蜜とは呼べない』


ごく僅かな悪因であれ、全体を台無しにし得る…例え悪因がどれだけ小さくとも、全体がどれだけ膨大でも、そこは変わらない。

あの月には大量の魔力が詰まってる。魔力機構の構造を応用し国民から毎日徴収した魔力を内部に留め続けた虧月は常軌を逸する魔力を貯蔵してある。


だが、それでも。あれはただの魔力であり、虧月はただの鉄屑に過ぎない。まだ……。


あの月は樽である。魔力という蜂蜜が詰まった樽である。ならば…そこにミロワ・カレイドスコープというスプーン一杯の水銀を混ぜたら…どうなるか。


「ミロワ・カレイドスコープの魂を虧月に捧げれば、内部の魔力全てが星の魔力に変わる…虧月に込められた全ての魔力が」


ミロワの身に宿る祝福は『星の魔力を持つ』…ではない。正確には『自らの魔力を星の魔力に変える』だ。何が違うかと言われれば実態としては何も変わらない。


だがもし、ミロワが大量の魔力と融合したら?話は変わる。自らの魔力を星の魔力に変貌させるその力と虧月の魔力が合わされば…諺と同じことが起こるだろう。


「魔力の入った鉄屑が、星の魔力を持った本物の星に変わる…虧月は真なる輝きを得て、盈月へと進化する…そうなれば」


ウズウズと疼く、ようやく得られる。本物の天体と同レベルの力を持つ存在を手に入れることが出来る。有史以来誰一人として獲得出来なかった神の領域へと足を踏み入れることになる。


計画完遂まであと一歩だ……。


「では早速ミロワ・カレイドスコープを虧月に接続します」


エルフがそう進言する、ミロワを虧月に吸収させる為に……何故?


「何故です?」


「へ?」


「何故今ミロワ・カレイドスコープを虧月に接続するのです?」


「ぇ…あ、いえ…その。陛下がそう望んでいるかと────」


エルフがそう答える、妾が望んでいると。


「ほう、妾がそれを望んだと」


口を開け、言葉を発する。つまり、エルフはそう思うと……ならば。


「失礼しました、女王陛下」


……次の瞬間、轟音が鳴り響く。廊下の奥から飛んできた影が一瞬でエルフを捉え…頭を掴み、地面に叩きつけ…玉座の間を粉砕するほどの衝撃を響かせた。

エルフは力無く倒れ、気絶している。その上に乗り、頭を押さえつけているのはエルフと同じ姿…ヴァントゥーア騎士団の制服を着た男。


「……それが貴方が不敬者へ与える処罰ですか、ツヴェルフ」


「はい…」


彼の名はツヴェルフ。灰色の髪と翡翠の目を持つ青年は野暮ったく伸びた前髪の隙間から女王を見つめ…後ろ髪を振るいながら頭を垂れる。


ヴァントゥーア騎士団を統率する団長にして、『十二』…即ち時計の頂点を任せられる男。それが団長ツヴェルフという男である。彼はエルフの不手際を処罰によって謝罪させた。


「女王陛下が計画の完遂は四日後と言った以上、ミロワの使用は四日後であるべきです…その予定の破却を、女王陛下の御意志という言い訳によって成そうとした彼女には…後程私から、改めて処罰を与えます」


「いいです、まだ事を成したわけではありません。失言の一つは許しましょう…でなければヴァントゥーアという責務に値しない」


「陛下の御慈悲に無上の感謝を…」


妾は四日後にやると言ったのだ、オリフィスに伝えた期間は即ち計画完遂の日程である。先んじて確保したとしても四日後と決めたのだから四日後まで待つ。例え大地が張り裂け天が割れようともその予定は変わらない。


だというのに、よりにもよって妾の名を使い…予定を破棄させようとするなど。本来なら万死に値しますが…ヴァントゥーアはよく働いた。そこを無視して無慈悲に処罰を与えるほど妾は愚かな王ではない。


「なので、その日までミロワ・カレイドスコープには一室を与えるよう。彼女は国賓です、妾の計画の成就と言う大役を担う人物ですので、かれいは妾と同じものを出しなさい」


「はっ!」


「下がっていいですよ、ツヴェルフ。勿論、エルフには治療と叱りの言葉を……妾がそう言っていた事を伝えれば、事の大きさを理解出来ましょう」


「はい…!」


行っていいと妾が手を払うとツヴェルフはエルフとミロワを抱えて立ち去っていく。それを見ていたのは我が両翼とも言える者達…。


「流石陛下でございます。慈悲深き判断…このデイデイトは感銘を受けました」


執事長デイデイトは胸に手を当て一礼し。


「ふぅむ、ツヴェルフも良い男になってきましたな。これなら我が後任もいつかは任せられるでしょう!」


ガシャガシャと銀鎧を鳴らしながら割れた顎を指で撫で、筆で描いたような眉をヒクヒク動かす大男…将軍ベゼルがにこやかに微笑む。


「して、陛下。ここからは如何しますか?」


「時間的猶予もありますし、かと言ってすべき事は殆ど終わっています。公務を除けば…そうですね、暇……というものでしょうか」


「ならばこのベゼル、鍛え抜いた五体を陛下にご覧に入れましょう、暇の毒など我が肉体美の前では軽く消し飛ぶはずです」


背もたれに体重を預け、大きく息を吐く。差し迫ってすることは今のところない…か。


「やめろベゼル、陛下に汚らわしい物を見せるな。処刑するぞ」


「む!何を言うかデイデイト!お前のような痩せた大地で育った根野菜のような痩せぎすの体とは違うのだ!」


そう言って鎧を脱ぎ始めるベゼルと掴みかかって止めようとするデイデイトを眺めながら、妾はふと思う…。


「デイデイト…オリフィスはどうした」


「ミロワを守ろうとしたため交戦しました。しかし回収までは出来ませんでした、少々彼をナメていたのでしょう…最後の一人になっても足掻いておりました」


「ふむ……そう言えば彼は、協力者を得ていると言う話でしたね。どんな奴ですか?」


そう問えば、彼はすぐに資料を用意する。虚空に生み出した光の穴に手を突っ込み紙の束を用意し…それに目を落とし。


「女です、名前はエリス…孤独の魔女の弟子エリスです」


「………エリス」


妾は膝の上で手を重ね…組み直す。エリス…そんな名前はいつだか聞いたことがある。そうだ、大いなるアルカナが消えてなくなったあの日…アルカナに決定的打撃を与えたあの日、初めて聞いた名前だ。


そして、魔女の弟子…八大同盟達を蹴散らし、潰してきた女ですね…ふむ。オリフィスらしい、助かるためなら敵の手も借りますか…。


「魔女の弟子とは。面白いですね、強かったですか?」


「ええ、中々。リューズを相手に一矢報いるほどでした…ですが陛下の足元にも及ばないでしょう」


「リューズに…なるほど」


他の八大同盟など妾からすれば塵芥に等しい。そいつらを潰したからと言って…果たしてどれほどの実力の証明になろうか。

妾ならばゴルゴネイオン以外の同盟全てを相手にしても、十六分ほどで殲滅出来るでしょう。唯一の懸念はマヤくらいです…アイツには十分欲しいですね。


ですが……それでも八大同盟は世界的に見れば超がいくつもつく強豪、それを相手に連戦連勝…か。


「デイデイト、他の魔女の弟子達の情報を」


「勿論、用意してあります。パラベラム崩壊時のものになりますが」


妾は紙束を受け取り、一枚一枚吟味するように確かめる。


…争乱の魔女の弟子ラグナ・アルクカース…栄光の魔女の弟子メルクリウス・ヒュドラルギュルム、友愛の魔女の弟子デティフローア・クリサンセマム…なるほど。


「ユニークなメンバーですね、雑技団?」


「どれも陛下の相手にはならないかと」


「そうですね…ふむ」


ネレイド・イストミア…は確かコルロが狙ってたとか言う。そう言えば話に聞くに魔女の弟子達もコルロとの戦いに参加していたと言う。とは言えあの戦いはバシレウスによって閉じられたもの。


だが…セフィラは違う、確か…魔女の弟子がクユーサーを倒したとか…。クユーサーは強い、あれだけの手駒は妾も持っていない。もしあれを倒したのなら……いや。


意味はないか、クユーサー程度では…それこそダアトを倒したと言うのなら目も見張るが。


「例え魔女の弟子が現れようとも、我々が殲滅して……ん?」


「どうしました?」


ふと、デイデイトが顔を歪め……懐に隠した小さな鏡を確認し。


「……陛下、どうやら客人が来られたようです」


「客人ですか…、妾に会うと言うのならアポイントメントを取ってからにして欲しいですね」


客人、そう言うのだ……。


…………………………………………


「ここが隠れ家ですか?」


「ああ、王宮に住んでたら何されるか分からないから随分前から使っているんだ。ここを活動の拠点にしてもらっても構わない」


そう言ってエリスが案内されたのはやや埃まみれの一室だった。一室とは言え壁がないだけで一軒家くらい広いこの部屋には本棚、ベッド、ついでに体を鍛えるバーベルなどなど…色々置かれている。家というよりは秘密基地みたいな感じだ。


ここは地下だ、案内された路地裏の奥…その扉を潜り階段を降りた先にあった秘密の拠点だ。エルドラドは地下にもたくさん施設がありましたからね、多分その一環だろう…。


「ふぅ、我が家に帰ってくると落ち着きますな」


「落ち着いてる場合じゃないけどねぇお爺ちゃん」


普段はここが三人の憩いの場らしく、シャーロウさんは壁際の椅子に座り、サブリエさんはソファに寝転がる。


そんな中、オリフィスさんは本棚からいくつかの本を取り出し、慌ただしく抱えて走るなり、机の上に乗ってるゴミを腕で払い落とす。ドカリと置く。


「さて、今一度…ありがとうエリス、俺達に付き合ってくれて」


「いえいえ、エリスもミロワちゃんを助けたいので」


「それは俺も同じだ…けど、現状ではそれも難しいのは分かるね」


「ええ、……ゴールドラッシュ城、いやあれはその偽物か。その城の中にいるんでしょ?ミロワちゃんは」


「あの城の名前は虧月城だ。仰る通り現実世界のゴールドラッシュ城に当たる存在だ、現実世界ではジズの侵攻を受け破壊されてしまったが…あの城は元来強固な防衛機能を持った城でもあったんだ」


ゴールドラッシュ城は確かに堅固堅牢…凄まじい防御力を持つ城だと言える。ジズの大群のレベルが高かったから守りきれなかったのもありますし、何より空から攻めてくるというイレギュラーも重なりあんな結果になりましたがね。


まぁ崩落の原因は中でジズとメグさんが暴れるように戦ったからでいうのもあるが。ともかく真正面から攻めてミロワちゃん奪取は簡単じゃない。


「だから、基本は忍び込んで…奪取という形になる」


「なるほど」


「だからそのルートを考えないといけない…これも簡単じゃないが」


「それに関してはエリスにいい考えがあります。任せてくれてもいいですよ」


「なに?本当か?」


「エルドラドにもゴールドラッシュ城にも来たことがあります。そしてその地理も頭にあるので…まぁなんとかなりますよ、忍び込むのは」


言ってみればここはエルドラドそのものなんだろう?だったらエルドでの知識も役に立つ。


「そ、そうか…折角地図とか内部構造の本を用意したんだが…無駄になってしまったな」


「でも城の中、それこそレイアウトやそれぞれの部屋の用途は違うでしょうし…一応目を通しておきますね」


「あ、ああ!」


そう言ってエリスは近くの椅子に座りながら本の山を一つ一つ読み込んでいく…すると。


「エリスちゃん」


「ん?なんです?……あ!」


サブリエさんが声をかけてくる…その彼女の手に握られていたのは。


「エリスの装備!」


「ごめんね、取っちゃって。これ返すよ」


「ありがとうございます!!」


それはエリスの着ていた服だ。コートに籠手、それとポーツもある…!よかったぁ!ちゃんと保管してくれていたんだ!!


冒険者協会からコートや籠手はもらっていたが…やっぱりそれでも不足感は拭えなかった。だけどこれがあれば…!


「ちょっと着替えます!」


「あ!ちょっ!坊ちゃんシャーロウ目を閉じて!」


「ここで着替えるのか!?」


「あわわ…」


『無いなぁ、羞恥心』


服をポイポイ捨てて失われていた服に着替える。コートに袖を通し、ブレスレット状のディスペルティリオを装着、そして拳を握り…完成する!


「エリス!完全復活です!」


黒いコートに黄金のブレスレット!そして腰にはポーチ!いつものエリスのスタイルに回帰です!!やっぱこれだね!うんうん!


「そ、そんなに変わるもんかい?」


「全然違いますよ、このコートはどんな刃も通しませんし。このブレスレットもスイッチを押したら籠手になりますし。なによりこのコートを着て生きてきたので…戦い方からなにから全部これらありきになってるんで」


「そうか…」


閉じていた目をぱちりと開いて。こちらを見るオリフィスさんは首を傾げる。分からない人には分からないだろうが、このコートや籠手はもうエリスにはなくてはならない物なんだ。

ある程度の防御はこれに依存していたところがあるから…ここまで戦いづらくてたまらなかった。


(よし!これさえあればエリスは本調子です、もうヴァントゥーアには遅れをとりません…!リューズの相手は難しいでしょうがやれるはずです…なら早速)


『お前、いきなりクロノスタシスに喧嘩を売ろうとしてないか?』


(え?そうですけど)


『アホか、お前…ついさっきリューズ達にボコボコにされたばかりだぞ。傷は治っても疲労は取れていない』


(それは……まぁ、そうですが)


『言ったろ、猶予は四日ある。それを有効活用すればいい…だからまずは休め』


(休む、ですか……でも今もミロワちゃんは敵に捕まり、怖い目にあってるかも)


『こう言ったらなんだがな、そんなところにまで責任は取れんだろ。お前の師匠はお前を守ったかもしれないが、全ての苦しみや恐怖からお前を守ったわけじゃ無い。ここは一つ弟子を信じろ、不確実なまま挑んで勝てる相手じゃない』


(う……)


シンは本当にエリスを納得させるのが上手いな…確かにその通りだ。エリスはミロワちゃんの周りにある全ての苦しみや恐怖をピンセットで一つ一つ摘んで除くことなどできない。悔しいがそれがエリスの限界だ。


なら、休むしか無いか。


「どうするエリス、これから動くか?」


「いえ、ここは一旦休みましょう。みんな傷は癒えていますが…万全ではありませんから」


「それは…確かにそうだ。姉様はきっと四日後まで動かないだろうからな…うん、こんな状況でも君は冷静だな、エリス」


「それほどでもありますね」


『おい』


さて、なら少なくとも明日までは休みたい…今日の行動は無しだ。なら…そうだな。


「じゃあエリス出掛けてきます」


「は!?」


「この帽子とマフラー借りますね」


「お、おいおいなに言ってるんだエリス!君気は確かか?ここはクロノスタシス…君に取って、いや…俺たちに取って敵地!見つかればその時点で終わりだ」


「分かってますよ、そんな事」


エリスは帽子を深く被り、マフラーで口元を隠す。見つかればアウト…うーん、デルセクトの旅を思い出しますね。

オリフィスさんは慌てた様子でエリスに食い下がる…けど、それでも出掛けたい。


「外出はやめた方がいいと思う」


「でもエリスはこれからクロノスタシスと戦うんですよね」


「まぁ、そうだけど」


「なら、クロノスタシスのことを知りたいです」


「それなら俺が口で教える」


「ダメです、この目で見ないと意味がありません」


「何故そこまでこだわる…!」


「だって、倒すから」


「は?」


オリフィスさんは目を丸くする…いや、倒すから知らないといけないんです。攻略法を見つけるとか、弱点を探すとかではなく、エリスの中でクロノスタシスは完膚なきまでに倒すことはもう確定している。なら…知らないと。


「エリスはこれからクロノスタシスという国が持つ意志や目的を叩き潰し、前に進みます。その時…倒した相手がなにを考え、なにを望んでいたのか…それさえも分からない、答えられないなんてのは嫌です」


「クロノスタシスの…意志」


「はい、これはエリスの信条です。知らないものから目を背け、知らないフリなんてのは出来ません。それに…ここはオリフィスさんの故郷でもありますよね、なら…あなたが守りたいという物を見ておきたい」


「…………そうか」


オリフィスさんは理解してくれたのか、やや気後れしつつも引き下がってくれる。ちなみにシンはなんか楽しそうにケラケラ笑ってる。なんなんだこいつ。


「じゃ、行ってきます」


「待て、シャーロウ。例の顔隠しのポーションを」


「え?ええ、エリスの分でございますな。なら…」


「いや、俺の分も…俺がエリスを案内するよ、この街を」


「オリフィスさんも?」


するとオリフィスさんはシャーロウさんから受け取った緑色のポーションを飲みつつエリスにそれを渡す。これは…前にメグさんから貰った飲んだ人の顔が分かりにくくなる効果があるメガネ、と同じ効果を持つポーションだろうか。


事実それを飲むとオリフィスさんの顔がなんか分かりにくくなる、顔のパーツは変わってないのに別人に見えるんだから不思議だ。まぁ識の力を使えば簡単に認識できるが。


「君の信条、…素晴らしいと感じたよ。ならばこそ案内する…俺の故郷を」


「お願いします、オリフィスさん」


「ああ、一緒に来てくれ…クロノスタシス王国、俺の救いたい物を見せるから」


「はい!」


そうしてエリスとオリフィスさんは二人でもう一度外出する。見つからないように、ひっそり変装を重ねながら…鏡の国の冒険に出かけていく。


…………………………………………………………


鏡の世界唯一の国クロノスタシス、そしてクロノスタシス唯一の街『新鏡都クロノス』。大元はあのマレウス随一の都市エルドラドを基盤にしていることもあってか、非常に栄えていると言っていい。


天高く聳える摩天楼、黒く…そして四角く縦に伸びる塔が所狭しと並んでいる。限られた領域に可能な限り居住空間を…という構想から作られたさながら蜂の巣のような密集都市。

計算され尽くした都市設計が織りなす芸術的な外観も、赤い月の光と黒い外装が全てを台無しに、この街を見て感じるのは不気味さだけだ。


しかし、そんな不気味な街でも人々は生きている、過ごしている、住んでいる。クロノスタシス王国の人口は数百万にも上ると言う。それだけの人間を一つの街に集約するなら…まぁここしか無いか、と言う気持ちにもなる。


「あら、今日はトマトがお安いのね」


「ええ、先日外界からの仕入れ配給があったので。中でもトマトが多くありましてね、買っていきます?」


「そうしようかしら」


軒先では野菜が売られている、新鮮とは言えないがここでは贅沢も言えない。数日おきに外界からの仕入れがあるとのこと。クロノスタシスは世界中に極秘領事館なる物を作っているらしく、そこから非合法な方法で稼いだ金を非合法な形で使い、大量の物資を持ってきているとのこと。


一応、自給自足の為外界から持ってきた土に外界から持ってきた種を植え、外界から持ってきた水を与えているらしいが…、それでも数百万の国民を養うほどでは無い。


「さぁて、昼休憩終わり。そろそろ仕事に行くかい、新米」


「はい!親方!」


大通りを歩く人々の海、その半分くらいが作業着で汚れた男性陣。今は仕事の合間、昼休憩の時間帯らしい。

この国の主要産業は他国とは違う。所謂農耕…第一次産業が大規模で無い為、基本的には加工や製造などの第二次産業が主流となる。


もっぱら、クロノスタシス王政府が外界から受注した生産作業を国民が請け負い、そしてそれをまた外界に持っていき売り払うことで物資を買う金を得ている。


作っているのはそれこそ銀細工や腕輪などの装飾品もあれば、銃や杖などの武装もある。唯一ないのは鏡の生産くらいか。理由は色々あるとのことだが…間違って外界に出ると危ないからだそうだ。


と言うのは建前で、勿論理由は国民を外に逃さない為だ。だから、この国にはあまり光を反射する物もない。建物の窓ガラスも赤い月の光で光ってはいるが…基本的には擦りガラスばかり。


かなり徹底してそれらは行われているらしい。まぁ…どれだけ頑張っても水とか氷で反射はするんだが。




……クロノスタシス王国は鏡の世界という特異な環境で生まれた特異な構造を持つ、不思議な国…と言っていいだろう。それでも人々は生きているんだ。

地上の遍く全てを人類の領域としている最たる理由は、人類の強さ以上にどこでも順応して生きていける図太さにあると、エリスは思う。


まぁでも、そう言う特異な環境とか状況を一旦傍に置いておくとして、今エリスが目の前の光景に一つ感想を述べるなら。


「いい街ですね」


「だろ?」


クロノスタシスは敵だけれど、今目の前にある光景を見ていたら…そう言う感想は出なくなる。親子連れが手を繋いで歩き、くたびれた男が愚痴を吐き、若者が騒いで、女の子が鼻歌を歌う。


普通の街なんだ、この街に住んでいる人は普通の人だ。エリスも普通に旅の最中立ち寄ったら、二、三日滞在してしまおうか…と考えるくらいにはいい街です。


「これがクロノスタシスなんですね…なんて言うか、思ってたより普通の街ですね」


「外の世界の普通はよく分からないが、でも悪くはないだろ?」


「はい、みんな賑やかです」


「そう、賑やかなんだ……」


オリフィスさんはエリスを連れて大通りを歩く、街の人たちにまでエリスの風体が知られているかは分からないが、少なくともオリフィスさんが裏切った話は聞かれているだろう。

見つかれば大変なことになる…が、顔隠しのポーションのおかげか、街の人達はエリス達を見ても気にすることなく過ごしている。


「俺はね、小さい頃から王宮の中が嫌いだったから…街に出て、そこら辺で遊んで暮らしてたんだ」


「腕白な王子様ですね」


「まぁね、例えば…よいしょ!」


瞬間、オリフィスさんは近くの塀に登り、両手でバランスをとりながら歩き始める…って。


「ちょ、目立ちますよ」


「大丈夫大丈夫、ポーションのおかげで変なやつがいる程度にしか見られないから」


「それも問題では…」


「昔はね、こうやって遊んだんだ。下はマグマで落ちたら死ぬ」


「へー、面白そうですね」


オリフィスさんはそう言いながら歩いていく、そこは流石の運動神経で前後を入れ替えたり、ターンしてみたりと楽しげに歩いても軸がぶれない。それに気をよくしたのかオリフィスさんは近くの街路樹に目を向け。


「そして、ゴールはあそこの木の枝…あそこにしがみついたらゴール!」


と言いながら飛び立ち、見事街路樹の枝に手を引っ掛け掴まることに成功…と同時にガクンとオリフィスさんと体は下に沈み。


「あいたー!!」


「大丈夫ですか!?」


街路樹の枝は大きくしなりオリフィスさんを下へと滑り落としたのだ。そのままオリフィスさんは尻餅をついてバウンド。恥ずかしそうに小さくなっている。


「オリフィスさん」


「す、すまない…調子に乗りすぎた……」


「恥ずかしいですか?」


「聞かれると余計に……おほん、ともかく俺にとってこの街は我が家であり、自室であり…思い出の場所なんだよ」


尻をタンタンと叩きながら立ち上がり、大きく息を吐く。そのままオリフィスさんは視線を横にスライドさせ。


「そこの野菜屋のおじさんはいい人でね、いつも奥さんに内緒で俺にトマトを食べさせてくれた」


そう言って見るのは近くの野菜屋さん。白髪の老人が椅子に座りながら野菜を売っており、うつらうつらと寝ぼけている。


「そこの百貨店のおばさんは話好きでね…いつも俺にくだらない話を聞かせてくれたよ。くだらないけど、楽しい時間でもあったけどね」


次に見るのは埃取りで店を掃除するお婆ちゃんの店だ。多分息子と思われる人物が軒先で客引きをしており、世代交代したことがわかる。


「で、そこの水屋のお姉さんはいい人でさ…初恋の人だった」


そして最後に指差すのは…水屋?なにそれと思ったら普通に透明な瓶に入った水を売っていた。なるほど、鏡の世界では水も売り物になるのか。

因みに店主をしてるのは太ったおばさんだ、隣にはメガネのおじさんもおり…まぁ、オリフィスさんの幼少期の恋は叶わなかったことがわかる。


これが、オリフィスさんの幼少期の思い出。サブリエさんが言ったように鏡の世界にはここ以外の街がない。簡単に外にも出られないし…本当にこの街で生きてきたんだな…。


「そして……そこの時計柱で」


「時計柱?」


チラリと見ると、大通りの真ん中に柱が立っていた。大理石で作られた古い柱の上には大きな時計がついており、今もチクタクと音を立てて時間を刻んでいる…その様を見たオリフィスさんは、若干目を潤ませ。


「そこの柱…ああ、あそこだ。あそこでいつも…姉様が俺を迎えに来てくれていた」


「姉様って…まさか」


「クレプシドラさ…」


クレプシドラにはとんでもないイメージしかないから想像がつかないが、昔はいい人だったのだろうか…。


「クロノスの大時計…あの柱はこの街の象徴の一つでね。王宮に居たくなかった俺はいつも街で遊び、そしていつもあの時計の下で姉様は俺を迎えに来て、手を繋いで帰ってくれた」


「……思い出なんですね」


「ああ、思い出だ。この街には俺の全てがある…星のないこの空も、いつも暗いこの街も、俺にとっては…全部が全部大事なんだ。だから守りたい、例え姉様と戦うことになってもね」


「…………」


悲壮、そう言う言葉が浮かんでくるほどにオリフィスさんは悲しそうだ。今彼は天秤にかけているんだ。


大切な街と、大切な姉を、思い出の残る時計の前で…刻々と迫る決断の時を感じている。そこから来る覚悟は…どうやらエリスが想像してるよりずっと凄いらしい。


「……なんて、俺ばっかり話してたら申し訳ないな…。エリス、君の話しも聞かせてもらえるかい?」


「え?エリスのですか?」


「ああ、君の故郷や幼い頃について教えてほしい」


エリス達は二人で街を歩きながらそう言うんだ。しかしそうか…エリスの故郷かぁ。


「うーん、どこなんでしょう」


「ん?どう言う意味?」


「エリス小さい頃はアジメクで育ったんですけど、六歳くらいで旅に出て…以来家に帰ってないんですよね」


「…マジ?」


「一応別荘らしい別荘はあるんですけど、そこにももう二年くらい帰ってないし…今の所エリスの家は旅で使ってる馬車でしょうか」


「……なんか想像してたより凄い人生を歩んでるんだね」


はぇー…とオリフィスさんは口を開け、そして腕を組むと。


「つまり、色んなところを旅して生きてきたんだね…」


「そうですね、ディオスクロア文明圏内の国は大第行きました」


「…さながら、羇旅の流星だ」


「え?」


オリフィスさんの首がゆっくり上を向く、そこには赤い月と星のない夜空が見える。


羇旅きりょ…故郷を離れ、流離い、彷徨い、目的もなく続ける旅。さながら星の海を征き、どんな星にも縛られることなく進む『羇旅の流星』のようだ、君は」


「エリスが流星ですか…」


「ああ、…ただ王宮にいることを嫌い、それでもこの街から出ることも出来なかった俺にとって、君の羇旅は…俺にとっては流星のように思えるよ」


以前言っていた、クロノスタシスには流星が降らない。星がないから、星が見えないから。だからオリフィスさんにとって流星は特別なものだと…そう言っていたな。


そんな特別な言葉を与えてくれるその心、その気持ち。どれほどの物か、エリスには察するに余りあると言う物。


「……今更ながら、君の記憶を奪った事をとても後悔しているよ。君の在り方は素晴らしい、きっとこんな出逢い方でなければ俺は君を全力で応援していただろう」


「……ふふふ、別に出会い方なんてどうでもいいじゃないですか。オリフィスさんは今もエリスを全力で応援してくれてるじゃないですか」


「む…いや、それは…」


「罪悪感から…ですか?それだけじゃないんでしょう?貴方は優しい人ですから」


「……君には敵わないなぁ。だがそうだね、…うん。俺は君の在り方を素晴らしいと思う、だからこそクロノスタシスの事情で死なせるわけにはいかない。一人じゃなにも守れない俺だけど君のことは責任を持って守るつもりだ」


「エリスの方が強いですよ」


「それは言うなよ…」


ガックリと肩を落としながらも、オリフィスさんは見据える。この戦いはあくまで自分の為の戦いだと。あくまでエリスを巻き込んだ側だと…そう言う風に考えるような人だから、エリスも彼を信用しているってところはあるんだが。


ともかく…だ。


「オリフィスさん、守りましょうか。この国を、あなたの大切な街を」


「ああ…守ろう」


ここにはオリフィスさんにとって大切なものが多くある、なら守ろう。きちんと責任を持って…エリス達で。


鏡の国、そこを征くエリス達は決意を改める。今エリス達が背負っているのはミロワちゃんの未来だけじゃない、世界の未来、鏡の国の未来、全てを背負っているんだ…だから。


次は勝つ、絶対に……!

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「これが、月の加護を受けさえ寵児か…星の魔力はあるか」 受けたではなく、受けさえか…。どういう意味なんだろう。 あとクレプシドラの台詞って、丁寧な喋り方と、そうでない喋り方の2パターンあるのだ…
星空なんて存在しないクロノスタシスで育って上に大陸横断をしたエリスでも知らない流れ星のジンクスを知っていたり、やけに日本男児っぽい遊び、オリフィス転生してません?前に転生者は見つけ次第処理してるって見…
速攻でクロノスタシスいっちゃうのか……てっきりラグナとか待つもんかと。 囚われのミロワちゃん……一応4日間は悪い扱いはされなそうです。ミロワちゃんはちゃんと賢いので無駄に暴れたりはしなそう…… ただつ…
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