781.魔女の弟子エリスと才能がないから
『みんなへ、心配させてしまって申し訳ありません。エリスは無事です』
『今、エリスは色々あってマレウスの北部にあるブリュスターという街にいます』
『本当なら今すぐ帰りたい所ですが、少し面倒ごとに巻き込まれてしまいました』
『敵は八大同盟・クロノスタシス王国。なにやら世界がやばい的な話っぽいのでここを離れません』
『なのですみません、この手紙を受け取ったら直ぐにブリュスターにあるカレイドスコープ邸へ来てください』
『みんな助けが必要です。それまでエリスはなんとかここで持ち堪えるので、お願いします』
『追伸、弟子が出来ました。魔女の弟子の弟子です』
そう書き込んだ手紙を配達員に託した。宛先はサイディリアルのネビュラマキュラ城だ、一瞬にステュクスにも手紙を残した。簡潔に大至急ステラウルブスに届けてほしいという物だ。
ステュクスは察しのいい子ですからね、彼が考え得る中で最速で確実な方法を取ってくれるでしょう。
問題があるとするなら、配達に時間がかかることだ。一日二日じゃ届かないのは確定している。となるとそれまでは確実にラグナ達の救援は来ない…エリスが頑張るしかないですね、不安です。
「さて、今日も修行ですね」
「頑張っているね、エリス」
「貴方は暇そうですね、オリフィスさん」
「そ、そんな事言うなよ…」
朝、エリスは自室にてオリフィスさんと話し合う。ああ、因みにですがエリスは今カレイドスコープ邸に住まわせてもらってます、だって家庭教師寮壊れちゃったので。だから全員揃って館に住むことが許されました。
広い館だから数人増えてもいいらしい。
「エリスは今日もミロワちゃんに修行をつける予定です。オリフィスさんはどうします?」
「俺は……クロックについて調べていた」
「ああ、あの道化師の」
ヘンテコな格好をした道化師だ。あんな見た目だが相当なやり手と見えるアイツは…結局昨日はエリス達に何かを仕掛けてくる素振りはなかった。
「昨日はサブリエを使ってクロックを一日中監視させた」
「大丈夫です?バレてません?」
「多分バレてない…と思う」
「不安ですね。と言うか曲がりなりにも味方判定喰らってるならコソコソ調べるような真似しないほうがいいのでは?」
「あ……」
抜けてる人だな…。
「と、ともあれ…昨日一日監視したがクロックはなにもしていなかった。適当に館をブラブラ歩いたり、メイドにイタズラしたり、ゼルカロにジョーク講座開いたり…それくらいだ」
「うーん、本当にオリフィスさん達のサポートに徹するつもりなんですかね」
「それはない、アイツは姉様と同じ…いやそれよりタチの悪い享楽主義者だ。絶対なにか碌でもないことをやる、見張は必要だよ」
まぁ、エリスはクロックの事をよく知らないのでなんとも言えませんが…。
「ともあれ、エリスはミロワちゃんに集中しますね」
「ああ、頼むよ…そうだ、ミロワの特異性について分かったことはあるかな」
「ん、ありますよ」
「いやあるんだったら共有してくれない!?」
必要かな…必要か。昨日エリスはミロワちゃんの特異性について理解した…と言うより、見せつけられた。
「ミロワちゃんの魔力は普通の魔力じゃありません。彼女が持っているのは星の魔力です」
「星の魔力?なんだいそれは」
む、知らないのか…いや知らないか、なかなか見るものでもないしな。
「人が扱う魔力よりも比重が重く、密度が濃い特別な魔力です。これは人の魔力よりも優先される力があり…まぁ、簡単に言えばこの世の凡ゆる魔術、魔法を打ち砕き貫通する力を持ちます」
「つ、強すぎないか!?聞いた事ないぞそんな洒落にならない力…!」
「本来は古式魔術か、或いは稀少な覚醒にのみよって現れる存在です。エリスもこれを普通の魔力同然に扱う人は見たことがありません…ミロワちゃんは特別です、特別すぎます」
「…………なるほど、星の魔力か。姉様はこれがほしいんだ…しかし、どう使うのか見当もつかないな」
それはそうだ、星の魔力は稀少だがミロワちゃんはこれを完全にコントロール出来ていない。ミロワちゃんを手に入れたからと言って、これを自由に扱えるとは思えないし…。
なにより、既にクレプシドラは絶対的な魔力を貯蔵している。これがあったら星の魔力もクソもないだろ…なにがしたいんだ。
「この辺はサブリエに聞いておく。彼女は専門家だからな」
「そうですね、お願いします」
デティがいたら直ぐに答えが出るんだろうけどなぁ…はぁ、みんなの助けが欲しい。エリス一人じゃできる事が限られている。
『違う、エリス!お前は一人でこそ輝く!孤軍奮闘してみせろ!』
(シン、うるさいです)
ともかく、今はラグナ達を待ちながらミロワちゃんに修行をつけていこうかな。
………………………………………………………………………
「さぁて今日はこの剣を持ちながらダンスして行きますか」
「え?剣術を教えてくれるんですか?」
「いえいえ、単なる重心の確認ですよ。エリスは剣術とか出来ないので」
そして今日もエリスはミロワちゃんに修行をつけていく、今日は木剣を持ったままダンスをする。と言っても剣術の修行じゃない。
腕を振った時どこに軸を置くべきか、腕を振り抜くには何処に足を置くべきかを自然と分かってもらう為の錘だ。エリスは剣術が出来ないしね、せいぜい昔舞台で振り回した事がある程度…実戦じゃまるで出来ない。
「はい、それじゃあやっていきますよ!」
「はいッ!師匠!」
「はいワンツー!」
ステップを踏んで、腕を振って、修行を開始する。修行とは反復し繰り返す事、つまらなくともこれをひたすらに繰り返す事なんだ。
「……ん?」
ふと、視線を動かすと…アドラ側の館、二階の窓にまた彼が見えた。それは……。
(ゼルカロ君…)
窓からミロワちゃんをジッと見つめていたのは…アドラの息子、ゼルカロ・カレイドスコープだった。昨日ミロワちゃんに嫌がらせをした彼が今日もまた窓からこちらを見ていたんだ。
今日も何かしようと言うのか。だとしたら止めるが…流石に子供同士の喧嘩にしたってもやりすぎ、言い過ぎはある。けど……。
「師匠!これどうですか!」
「ん?おお…!」
ふと見ると、ミロワちゃんが華麗なステップで剣舞を見せていた。凄いな、昨日はてんでダメだったのに今日のステップはキレが違う。
「凄いですよ、出来てます。こんなに急に上達するなんて」
「えへへ、私物覚えが悪いって先生達に言われてたのでノートにその日あったことや反省点を書き出してるんです。それで昨日師匠から教えてもらった事をノートに書いて、改善点を探して…頑張りました!」
ノートに書いて…か。エリスはやったことがないがそれはアウトプットってやつですね、人間の脳みそとはただ聞く、見る、体験する…即ちインプットだけでは直ぐに忘れてしまう。だからこそもう一度ノートに書いてアウトプットする事で確かに記憶に刻み込めるんです。
そうだ、この子は星の魔力以外は至って普通の子で、天才ではないかもしれないが。それを補って余りある勤勉さがあるんだ。
これはエリスの持論になるが、所謂最初からなんでも出来るタイプの天才を才能があるとは言わないと思う。才能があるから天才なんじゃない、ただ初期値が高いから天才と呼ばれるんだ。
なら才能とは何か、それは大成する才能。…即ち『勤勉、真面目、真剣に物事に取り組める意識』『一つ一つの物事に意義を見出せる価値観』そして『人を惹き寄せる縁』、これらを総合してエリスは才能と呼ぶと思う。
そう言う意味じゃ、ミロワちゃんは確かに才能がある…秀才だ、この子は。
「よっ!ほっ!はっ!」
「凄い凄い!ミロワちゃん凄いですよ!この動きを体に染み込ませましょう!これならかなり早くから次の段階に行けますよ!」
「やった!!」
パチパチとエリスは手を叩く、こりゃあ教え甲斐があるぞ。なんだか楽しくなってきた!……あれ?
(ゼルカロ君がいなくなってる…今回はなにもしないのかな)
また窓を見ると、ゼルカロ君がいなくなっていた…なんだったのか。
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ゼルカロ・カレイドスコープは、この世に自分より恵まれている人間はいないと思っている。
王貴五芒星が一角、カレイドスコープ家の主導権を握るアドラ・カレイドスコープの息子に生まれた彼は必然、次代もまたカレイドスコープ家の主導権を握り続ける事になるし、それを次代に託す役目がある。
故に、幼い頃からとにかく立派な貴族になる為様々な教育を受ける義務があり、使命がある。
全てはカレイドスコープの為、カレイドスコープの為全てを捧げた両親に倣う為。
「ゼルカロ、お前は立派な貴族になるんだぞ。未来は私と同じ北部の王者として君臨するのだ」
父は偉大な人だ。僕はいつもそんな偉大な父の背中を見て生きてきた。莫大な資金を用いて、更なる資金を集めた。
西部のチクシュルーブや中部のロレンツォが死んだ以上今このマレウスで最も金を稼げるのは父だ、みんなそんな父を頼るし、父は頼られればちゃんと答える。
素晴らしい人だと思う。僕は将来こんな父のようになり、そして父は僕が自分のようになる事を望んでいる。全てはカレイドスコープ家のためだ。
「ゼルカロ、貴方には才能がある。大丈夫、私が貴方の夢を応援してあげる」
母は優しい人だ。僕はそんな母に様々な夢を与えられた、たくさんの物を買い与えてくれたし、僕が偉大な人物になると信じて止まない。
僕の母は元エトワール人と言うこともあり、芸術の尊さを知っている。だからバイオリン、ピアノ、歌唱…それら全てを僕に授けてくれた。
偉大さには優美さが伴い、優美さには偉大さが欠かせない。それが母の持論だ。故に僕は優美で典雅な貴族の長になる為今日も母と一緒に楽器を奏でる。
素晴らしい両親、恵まれた環境に確かな才能。それらを裏打ちする努力と執念、これらを持ち合わせる僕は間違いなく偉大な貴族になる……。
…一方どうだ、お隣の出来損ないは。
『お前は戦闘をナメているのか!!この出来損ない!才能のカケラもないなお前は!』
『す、すみません…ダエーラ先生』
音楽の授業の後、僕はいつも廊下の窓から出来損ないのミロワを見て笑っていた。アイツはいつも怒られている、いつも誉められている僕とは対照的だ。
家族もそうだ、いつもイライラして父の足元にも及ばれないメレクに、そんなメレクの顔色を窺ってなにも言えない妻。そしてそんな二人の間で俯いているミロワ…。金もないからいつも見てくれだけの料理を食べて偉大さのカケラもない、
アイツらには才能がない、アイツらは恵まれてない。悪いお手本を見て僕はいつも身を正す、将来僕はミロワと家督争いをするが…まぁ、負けないだろ。
嗚呼、僕はなんて恵まれているんだ。
父に恵まれ、母に恵まれ、才能に恵まれ、家に恵まれ、指導者に恵まれ、肩書きに恵まれ…こんなにも恵まれた人間はこの世にはいない。
僕は将来素晴らしい貴族になり、偉大な人間として名を残す。
対するミロワはなんて恵まれていないんだ。
父に恵まれず、母に恵まれず、才能に恵まれず、家に恵まれず、指導者に恵まれず、肩書きに恵まれず…こんなにも恵まれない人間はこの世にはいない。
彼女は将来卑しい貴族になり、名も忘れられ歴史の影に消えるだろう。
恵まれた僕と恵まれないミロワ、本当に…本当に哀れな構図だ。
……ある日、ミロワが誘拐された。相手は影の内閣だと言う。
とは言え、なんか即日で解放された。家庭教師のうちの一人が取り戻したらしい。しかし家庭教師寮は半壊、なにより犯人は山ほどいた家庭教師達だって言うんだからお笑いだよな。
嗚呼面白い、これからミロワはどうするんだろう。分からないがもっと落ちぶれるに決まってる、落ちぶれるに決まって──────。
『やっ!はっ!はいっ!』
『凄いですミロワちゃん!』
「クソッ……!」
窓の縁を掴み、歯噛みする。今日もやってる、あのエリスとか言う奴に弟子入りしてからミロワはなんだか変わった。いつもみたいに下を向かなくなった、楽しそうに笑うようになった。なにより色々な事が上達している気がする。
剣を振り、汗を流すミロワを見ていると…イライラする、恵まれていない人間のお前が、恵まれている僕以上に笑うな。
そうだよ…恵まれている、僕は恵まれているんだ。なのになんでアイツは笑えるんだ…恵まれている僕が。
笑えてないのに……。
「ゼルカロ、お前は立派な貴族になるんだぞ。未来は私と同じ北部の王者として君臨するのだ」
父は偉大な人だ、僕はいつも偉大な父の背中を見て生きている…でも。
「子供を育てるのは妻の仕事だろう!私は仕事で忙しいんだよ…!これ以上私の時間を取らせるな!ゼルカロ、お前も私ではなく母に話しかけろ。私は忙しい」
けど、父は背中以外を僕には見せてくれない。僕の方を絶対に見ない、父は絶対に僕の方を見ない。仕事が忙しい、ただそれだけ言い足早に廊下を去っていくんだ…僕が後ろからどれだけ声をかけても止まってくれない。
僕を見てくれない。
「ゼルカロ、貴方には才能がある。大丈夫、私が貴方の夢を応援してあげる」
母は優しい人だ。僕はそんな母に様々な夢を与えられた…でも。
「どうして!?どうしてお母さんの言う事聞いてくれないの!?貴方は…貴方は私の代わりに世界で一番の音楽家になるの!!それが貴方の夢なの…幸せなのよ!!」
けど、母が与える夢は僕の夢じゃない、母の夢だ。母はかつてエトワールで音楽家を目指し、そして夢破れた人間だ。自分が大成出来なかったのは家が貧乏だったからと考え、僕には多額の金を使い…そして、僕に自分が叶えられなかった夢の続きを叶えさせようとする。
僕は恵まれている、僕は恵まれている、僕は恵まれている。
例えこれが幸せでないのだとしても、それを幸せでないと断じる資格を僕は持っていない。
「ゼルカロ、お前の役目は私の跡を継ぐ事。それ以上でも以下でもないのだから無用な時間を私に取らせるな」
「ゼルカロ!貴方の為を思って言ってるのよ!貴方のためなの!なんでそれが分からないの!」
だってそうだろう、こんなに恵まれているんだから。
『師匠!次はなにを教えてくれるんですか?』
『そうですね、なら次はダンスに加えエリスの手を避けるように動いてみましょうか。大丈夫、ミロワちゃんなら出来ますよ』
『はい!』
「クソッ…クソッ」
僕はバイオリンを手にミロワを睨みつける、なんでアイツが笑ってるんだ。どうしてアイツが笑えるんだ。なんでアイツは…やりたい事がやれるんだ。
「僕だって…僕だって他に、やりたい事が……」
唇が震える、バイオリンを持つ手に力がこもる。剣を持ち汗を流すミロワを見ていると…無性に情けなくなる。自分がやってる事が無性に惨めに思えてくる。
バイオリンも、ピアノも、母様がやれって言うからやってるだけだ…なのに。
「しょーがない、ですよね!」
「うわっ!?」
ふと後ろから声をかけられ、僕はビクッと肩を揺らす。い、いきなりなんだと慌てて振り向けばそこには…。
「こ〜んにちわ、ゼルカロ坊ちゃん〜」
「お、お前は…クロック」
そこには、白塗りの化粧をし、金髪をクロワッサンみたいに捻ってとんがらせた不気味な男…父様が雇った道化師クロックがにこやかに微笑みたっていた。
全然気が付かなかった、いつの間に背後に…。
「にしても、人生ままならないもんですよねぇ」
「な、なにが…?」
「やりたい事に才能がないように、やりたくない事に才能があるってのもまた悲しいもんです。ゼルカロ坊ちゃんはどうです?才能とやりたい事…一致してます〜?」
「やりたい事と…才能…?」
僕は手元のバイオリンを見る。それに合わせてゼルカロも笑みを浮かべながらバイオリンを指差し…。
「坊ちゃん、バイオリンに大層な才能があるようで。先生も褒めてましたよぉ」
「あ、当たり前だろ。僕はカレイドスコープ家の嫡男だ…これくらい」
「ですよねぇ、やりたくもないのに才能までないとあっちゃ目も当てられないですから」
「やりたくもない…?なにを言ってるんだ…僕はこれを──」
「本当にやりたいとお思いでぇ?」
「ッ……!」
まるでクロックは僕の心の中を見透かしたように囁きながら肩に手を回し、窓のガラスをコンコンと指で叩く。
「坊ちゃん、いつもいつもミロワ殿の修練を見ているようですねぇ、それは恵まれた自分と恵まれてないミロワを比較して楽しんでいるから…」
「な、そんなわけ…」
「隠さなくてもいいんです、私…そう言うの見抜くの得意なんですよぉ〜。それに恥ずかしがる事じゃありません。この世で最も効率の良い娯楽は自身の優位性の再確認ですから、他者を見下すのは楽しいですよねぇ。私も大好きです」
「っ……」
「けどなんだかここ数日は様子が違う。ミロワの様子が変わった…あのエリスとか言う女がミロワの生活を一変させてしまった。彼女は徐々に自信をつけて始めている…もしかしたら、貴方の優位性も揺らぐかも…?」
「ど、どう言う意味だ!この僕がミロワに負けるとでも言いたいのか!!」
「おおっと」
慌ててクロックを振り払う。なんなんだこいつ、先日父に雇われたかと思えばいきなりこんな…。
「も〜道化師の言う事に怒っちゃいけませぇ〜ん。愚か者の言うことなんか寛容な心で受け流すのが肝要…な〜んちゃって」
ケラケラと笑うクロックに、僕は苛立ちしか覚えない。そもそもなんなんだ、父はユーモアを学ばせるために雇ったなんて言うけど、父はジョークやユーモアの類が大嫌いなはずだ。それに…僕の為を思って誰かを雇うなんて、父はやった事がない。
なんでこんな奴が選ばれたんだ…?
「それより坊ちゃん、いいんですか?」
「なにが!」
「このまま行くと坊ちゃん、そのバイオリンでミロワちゃんと戦う事になりますよ?」
「ッ……」
「ミロワちゃんはこのまま行けばみるみるうちに大きくなるでしょう〜、自信と確かな腕を身につけて、強さとそれに比例する精神を手に入れて。貴方の前に立つでしょう…」
想像してしまう、このまま十年、二十年経った先を…ミロワはエリスの指導でひたすらに強くなり、いずれディオスクロア大学園なんかに留学させられるかもしれない。そしてマレウス軍に参加し…強くなった彼女なら一角の軍人になるかもしれない。
そうして、僕よりも身長も高くなり、多数の味方と勲章を持って帰ってきたミロワを前にする僕の手には…バイオリンしかない。それで…いいのか?
本当に…こんなもので、戦えるのか…?カレイドスコープ家の家督を守り切れるのか?
「大丈夫ですかぁ?坊ちゃん」
「だ、大丈夫に決まってるだろ!才能があるんだ僕には!この道の!第一腕っ節なんかなんの役に立つんだ…母様も言ってる、言ってるんだ。才能があるから、やり遂げられるって」
「本当に貴方が望んでやりたいことなんですか?」
「────は」
ギョロリとクロックは瞳孔を動かし、窓の外に視線を向け。
「本当は貴方、…ミロワみたいな事がしたいんじゃありませんか?」
「は…は?」
「『バイオリンみたいなのは女の子のする事、自分だって外で剣を振ってみたい』…年頃の男の子ですもんね、そう言う風に考えたって仕方ありません。ましてや…やりたくもないのに強制されて音楽の道に進まされているなら、尚更」
「………」
「外を見て、ミロワを見ているのも、実は自分の欲望の投影をしていたりして…」
震える、身が震える…こいつは、どこまで僕の事を見透かして──。
「なぁんて、ジョークユーモアユニークですよ。私は道化師、道化の言う事を真に受けちゃいけません〜」
「ッ本気になんか!」
「なら結構、あちらで音楽の先生が待ってますよ」
そう言うなり、クロックは僕に道を開ける…気持ち悪い奴だ、なにを考えているのか全く分からない。僕を馬鹿にしてるのか…或いは、僕に……忠告をしているのか。
計りかねる距離感に言い知れないものを感じて、僕はクロックから距離を取りながらこいつの横をすり抜ける…。
幸い音楽の教室は目の前だ。とっととバイオリンの練習を始めよう。
(あんな奴の言うことなんか、忘れて…僕は僕のやるべき事をやろう。集中するんだ、やるべき事に…だって僕には才能があるんだから)
例え、例えやりたくないことでも…例え、例え望まないことでも。僕にはこの恵まれた武器が…。
「ああ、言い忘れました。靴紐解けてますよ」
「え?」
背後からクロックの声が聞こえたと思い振り向くが、奴はどこにもいない。代わりに下を見ると…確かに靴紐が解けている。僕は音楽の教室の前でしゃがみ込み解けた靴紐を結び直して……。
『───はぁ、旦那様にも困ったものだわ』
(ん?先生?)
ふと、教室の中から音楽の先生の独り言が聞こえた…。珍しく口を言っているような口振りに僕は少し聞き耳を立ててしまい…。
『聖楽祭への参加を取りやめるだなんて。折角私がゼルカロを人前に出せるまでに育ててあげたのに…。あんな物覚えの悪い子に一端の音楽を教えるのがどれだけ大変か。猿に芸を教えている気分だったわ』
(え……!?)
普段は聞かないような…先生の汚い言葉に耳を疑う、と言うか…僕が物覚えが悪い?猿に芸を教えている気分…なに言ってるんだ、いつも…いつも才能があるって。
『まぁでも、あんな才能のない子を一端の音楽家に育て上げれば私の名前も売れると言うものですね。はぁ…あんなのに時間を割かれるなんて、人生の無駄だわ』
(は……?え?…なに…言って)
『幸いな事に、ゼルカロには才能がないって察する才能までないみたいだから、いいんだけれどね』
腰が抜けてしまう、バイオリンを取り落としてしまう。僕に…才能がない?才能がないと気がつくこともできないくらい才能がない…?
(な、なんで…そんな、嘘だ……僕には、僕には才能があるって…だから、だから僕は…!)
チラリとバイオリンに目を向ける。母に言われやってきた成果がそこにはある、やりたくないけど母がやれと言ってきた事がそこにある。才能があるから、才能がないと怒られるミロワと違って才能があるからと続けてきたものがそこに転がっている…でも。
『はぁ、才能がないと言うのも罪なものねぇ』
(ッッ……!!)
頭が真っ白になる、脳みその奥の方からトゲみたいなものが溢れるみたいに痛い。目頭が熱した鉛を押し付けられたみたいに痛い。
なんだそれ、馬鹿みたいじゃないか…僕が…こんなの!!
「くっ…ぅう!!」
逃げた、僕は逃げ出した。反芻する、頭の中で反芻する…クロックの言葉が。
『やりたくもないのに才能までないとあっちゃ目も当てられないですから』
……言う通りだと思ってしまった。今の僕は…目も当てられないくらい惨めだ。怒鳴られ貶されていたミロワよりも…何倍も、何倍も────。
「ゼルカロゼルカロ、才能ない才能ない」
音楽教室の前から走って逃げ出したゼルカロを見送るように、教室の中で彼の才能の無さを力弁していた音楽教師の老婆の声が響き…同時にそれは教室の前に転がるバイオリンを見て近づいてきて…。
「本当に才能がない……なぁんて、だから言ったじゃないですか…道化の言う事、真に受けちゃいけませんってね」
口から音楽教師の声を出しながら、落ちたバイオリンを拾い上げる影はニタリと笑い…。
「あら、クロックさん。どうされましたか?」
「おぉ〜音楽の先生メレーヌさん。今から授業で?」
ふと、今この場を訪れた音楽教師のメレーヌは、音楽教室から出てきたクロックににこやかに声をかける。
「音楽教室から出てきたみたいですが、なにか?」
「いやぁ珍しい楽器がたくさんあってぇ、私興奮して見学してしまいましたぁ〜」
「あらそうですか、でしたら今からゼルカロ坊ちゃんの授業が始まりますし見学して行きますか?坊ちゃんは本当に音楽の才能がありますから、惚れ惚れする演奏を聞かせてくれるでしょう」
「そうなんですか?ですが私これから行くところがあるんですぅ残念。ですが……そうですね」
クロックはゼルカロの逃げた方角を見ながら舌なめずりし…。
「ゼルカロ君の才能は、大切にしてあげてくださいねぇ…?」
「え?ええ」
ニタリと笑い、まるでこれから始まるとびっきりのお笑いショーを楽しみにするかのように、彼は歩き出す。
爆笑必至のギャグというのは、前振りが欠かさないのだから。
……………………………………………………………………
「はぁ…はぁ…はぁ!僕は…僕にはあるんだ!才能が…才能があるんだ!」
髪を掻きむしりながら僕は走る、言い聞かせるように走る。
「僕はやりたくてやってるんだ、だから…だから!」
音楽はやりたくてやってる…才能があるからやってる恵まれてるからやってる、なのにあんな…音楽教師の言う事になんか耳を傾けてたまるか、真に受けてたまるか。
アイツの言ってる事が間違ってるんだ、僕は才能がある…それを否定するなら父様に頼んで首にしてもらおう。
そうだ、僕にはその力がある。出来損ないのミロワと違って、家庭教師に裏切られたミロワと違って…僕は。
「と、父様……」
僕は慌てて父様の私室を訪ねる、今は仕事で忙しいかもだけど…僕が言えばきっと。
『ええ、はい。確かに確認しました』
ふと、扉を開けると…父は珍しく一人だった。薄暗い部屋で、淡く光り輝く鏡に向かって話しかけていた。その様が…なんだとても恐ろしくて、父様がおかしくなってしまったように見えて…。
僕は、少しだけ扉を開けて、中を見ていることしか出来なかった。
『先日、家庭教師との魔力トレーニングの最中に発現を確認しました』
(魔力トレーニング?僕はそんな事やってない…僕の話じゃない?)
父の言う話は僕の話じゃない、僕は魔力の修行なんてしてないし…ましてやトレーニングなんて、母様が許すはずが…。
『十年前、赤子のミロワが発現させたのはやはり星の魔力でした。あの子には特別な『才能』があります、影の内閣がそれを聞きつけたようですが…問題ありません』
(ミロワに…特別な才能が…!?)
目を見開き、父の背中を見る。僕に見向きもしない父がミロワの話をしている、僕を褒めない父がミロワを特別な才能だと褒めている…認めている。
才能があるのは…僕の方じゃ……。
『ええ、はい。なのでここからはクロックとオリフィスと連携し、メレクの手からミロワを回収しましょう。なので是非…資金提供の話を…ええ、はい。ありがとうございます』
「ッ……」
ソッと扉を閉め…声にならない声で、僕は叫ぶ。馬鹿な…馬鹿な馬鹿な、馬鹿な。
才能があるのは僕だろ、恵まれてるのは僕だろ、父の子は僕だろ、僕だろ…ミロワより優れているのは……。
才能があるのは、特別なのは!僕の方で────。
『ミロワちゃんには才能がありますね!』
『ありがとうございます!師匠!』
「ッ……ぐぅうう!!」
外から耳障りな声が聞こえてくる。髪を掻きむしりながらその場から逃げるように走る。なんでだ!いつだ!いつの間にだ!なんで僕よりミロワの方が優れているって話になってるんだ!?
「なんでだよ!!!!」
嫌だ、嫌だ…なんだこれ、嫌だ。このままじゃ僕は負ける、ミロワに負ける。いつも二階から見下ろしていたあの出来損ないに負ける、負けてしまう!!
いつか、強くなり大きくなったミロワを前に立った時、僕の手には才能もなく続けた音楽だけ?やりたくもないのに嫌々続けた音楽だけ?嫌だ…嫌だ嫌だ!
嫌だ、負けたら僕は誰からも見向きもされなくなる。そんなの絶対に嫌だ!!
「うわぁあああ!!!」
走る走る、とにかく走って逃げるように走る、どこへ行くでもない、ただ廊下を走り…何処かへ。
「どこへも行けないでしょう、貴方は…」
「ッ……!?」
立ち止まる、目の前に立つ…クロックに道を阻まれて。
「な、なにを……」
「なにをじゃありませんよ…、嫌なんでしょう?ミロワ・カレイドスコープに負けるのが」
「や、やめろ!見透かすな!!」
クロックはまた、僕の中を覗いてくる。奴の目が僕を覗いてくる……。さながら僕は乾いた大地から伸びる萎びた花に見えている事だろう、情けなく…下を見る、いつかのミロワのように見えているだろう。
「でも大丈夫、方法はありますよ」
「ッ……」
だからかな…今、こうして。
「ミロワが大きく、強く、ならなければいいんです」
差し出された水を…乾いた大地に垂らされた僕は。
「つまり…エリス、あれがいなくなればいい」
……それを受け取らざるを得なかった。
…………………………………………………………………
「エリス、これ。シャーロウからの差し入れ」
「ん?オリフィスさん。それは…おお、薬草茶ですね」
それから午前中はミロワちゃんの身体トレーニングに使った。一日ダンスしてましたよエリス達、さながらダンサー。今ならナリアさんにも勝てそうです、嘘です、勝てません。
「ミロワちゃん、オリフィスさんがお茶持ってきてくれましたよ」
「はひぃ、はひはほうほはいはふ」
「バテてるな…シゴき過ぎじゃないかな、エリス」
オリフィスさんが持ってきてくれたのはお茶だ、エリスも昔師匠が作ってくれたこのお茶を飲んで疲れを癒したもんです。懐かしいなぁと思いながら地面で潰れたカエルみたいに倒れているミロワちゃんに差し出す。
「ひひーん…」
「疲れすぎて馬みたいに泣いてるぞ…厳しすぎじゃないか?エリス」
「甘ったれた修行には意味がないですよ?」
「鬼かお前は…」
エリスは子供をいじめる奴は許さない、だからエリスは努めて子供には優しくしているつもりだ。だが優しいのと甘いのは違う。修行をつけてくれと言われたらきっちりやる、ここで甘くしたら意味がない。
「それにしてもミロワちゃんは本当に凄いですね、エリスの言った事をきちんと反復して。強くなる才能があります」
「え、えへへ…そうでしょうかぁ…」
「優しいんだから厳しいんだか分からないな…」
ミロワちゃんは才能がある、強くなる才能がある。星の魔力云々関係なしにね…だからエリスも本気で教える、本気で教えるから苦しいんだ。苦しいけど…乗り越えた時、強くなれる。
エリスはそう…何度も痛感してきたんだ。
「よし、じゃあ少し休憩したら魔力修行に移りますか」
「はい!」
「魔力修行か、俺も見て行ってもいいかな」
「ん?構いませんよ」
なんてエリス達が話していると…ふと、アドラ邸の方が騒がしくなったのを感じ、エリスはそちらに視線を向ける。
「なんだ?急に騒がしくなったが…」
「………なにかあったんでしょうか」
まさか、クロックが何かしたのか?いやだが向こうの方で騒ぎを起こす意味がないだろう。
「オリフィスさん、サブリエさんは今もクロックの監視を?」
「いや?してないが…例の魔力の件について調べさせている」
ああ、星の魔力について調べているのか…だとするとクロックは完全フリー…ん?
「ちょっといいですか?」
エリスはダッシュでアドラ邸の方に駆け寄り、廊下を走っているお婆ちゃんに話しかける、確か聞いた話ではこの人はゼルカロ君の音楽教師のメレーヌさんだ。彼女に窓越しに声をかけると…彼女は慌てて窓を開けて。
「え、えっとどうされました?」
「こっちのセリフです、なんか騒がしいですけど…」
「それが…その、これをメレク邸の人に言っていいのか…」
「困ってるならどっちの家も関係ありません。エリスが力になれるかも」
「な、なら…その、ゼルカロ坊ちゃんがいなくなったんです」
「え?」
ゼルカロ君が?いなくなった…か。なにやら物騒な話だ、彼もミロワちゃんと同じ子供、一人で遠くにはいけないだろうに…。
「音楽の授業をすっぽかしてどこかに消えてしまったんです。こんな事初めてで館中を探してもどこにもいなくて…」
「行く当てとか分からないんですか?」
「坊ちゃんは館から出たことがないんです…あと探してないとしたら」
チラリとメレーヌさんが目を向けるのは、館の裏手にある森。エリスが影の内閣と戦った森の方だ、まさかあそこに立ち入ったのか?おいおい…。
「だったら館の中で慌ててないで森のほうに行かないと!」
「で、でも森には最近魔獣が出たって…今冒険者にかけあってる最中なんです、立ち入ったら危ないですよ」
「その危ないところに子供が行ったんですよ!?何言ってるんですか!!衛兵は!武器を持ってる大人を動かしてください!」
「う、うちの衛兵は全員メレク様の配下で…メレク様の手を借りたら、アドラ様がなんと言うか…!」
「ええい!馬鹿らしい!!大人のしがらみで子供を危険に晒すな!エリスが行きます!森を探してきますから!」
「え!?ちょっと!?」
森に行ったのだとしたら、そちらを探す。多分だが既にメレーヌさんは館の使用人全員に言って探させている、知らないのはアドラとその妻くらいだろう。その人数で探して見つからないならもう館の中にはいないと見るべきだ。
で、最有力候補の森には魔獣?慌てるしかないだろこんなの!
「オリフィスさん!すみません!エリスちょっと森の方に行ってきます!!」
「え!おい!!」
エリスは慌てて森のほうに向けて飛ぶ。風を纏い空を飛び一気に森へと駆け抜ける……。
「し、師匠!?私も行きます!連れて行ってください!」
「あ!オイ!君まで行ってどうする!がぁーー!!クソォ〜!!俺も行くしかないじゃないかーー!!」
そして、風を纏い高速で空を飛ぶエリスを追いかけてミロワちゃんが…そんなミロワちゃんを追いかけてオリフィスさんが追いかけ、全員が森へと走る。
……………………………………………………………
「ゼルカロ君!!ゼルカロ君!!」
エリスは森の中へと降り立ち呼びかけるが、周囲には鬱蒼とした木々が広がるばかりで人の姿はない、このまま探しても埒が明かないか…!
「シン!電磁波です!ゼルカロ君を探してください!!」
シンに頼んで周囲を探ってもらおうとしたが…。
『その必要はない』
「え?」
そんな一言が返ってくる…必要はないって。
「近くにいるんですか?」
『ああいるぞ、…敵だ』
「は?」
その瞬間、茂みを引き裂いて現れたのは…影の内閣!…ではない。
「なんですか、こいつら」
現れたのは、兵士だ。鈍色の鎧に身を包み、時計の針のような槍を手にした大柄な兵士が六人、中でも目を引くのは…こいつらの頭部についている兜。
ネズミの頭部を模したような兜をつけている。ネズミの兜で顔を覆っている…まるでネズミ人間だ。
『分からないかエリス、お前は罠に嵌められたんだ…クロックのな』
「え?」
『こいつらクロノスタシスの下級兵士だ…!どうやらお前、クロックから敵認定もらったらしいぞ!ゼルカロはお前を誘き寄せる罠だ!つまり…』
「……なんだ、もう始まってたんですね。クロノスタシスとの戦争は…」
エリスを囲むように現れた兵士達、それらを睨みつけるようにエリスは拳を握り…冷や汗を流す。参ったぞ、思ったよりも…思ったよりも事態が動くのが早い。




