773.魔女の弟子エリスと鋼の心と雷鳴の声
俺達とエリスがカレイドスコープ家に来て最初の一日が終わった。ミトラース曰く次の大周期まで俺の授業を優先的に組んでもらえると言うこともあり、俺はこの九日間毎日ミロワに授業を組めた。
幸いミロワは頑張り屋で真面目だったこともあり、俺の授業をしっかり聞いて授業に取り組んでくれている。
「はい、今日の授業は終わり。よく頑張ったね」
「ありがとうございますオリフィス先生。とても参考になりました…まぁ、魔力は上手く扱えませんでしたけど」
俺は教本を閉じてミロワに微笑みかける。この子は本当に勤勉だ、いつか魔術も扱えるようになるだろう。
昨日に続いて俺の授業がミロワに好評だったこともあり、ミトラースも俺の腕を確認しつつある。メレクからの評価も現状悪くないし…とてもいい。
順風満帆だ、……ただ一つの事柄を除いて。
「じゃあ次はエリスの授業だけど──」
「わ、私数学の先生に聞きたいことがあるので、ちょっと行ってきます!この時間は書斎にいると思うので!そちらに!」
「ああ……」
エリスの名前を出しただけでミロワが逃げてしまった。ミロワとエリスの関係がかなり悪い。ここが気になる点なんだよなぁ…正直エリスとミロワにの関係が悪かろうが、関係ないと言えば関係ない。
だが……一応エリスは今俺の妹だし、なにより俺の勝手で連れてきて、その連れてきた先でエリスが迫害されるのを良しとしているのはな。他の家庭教師達とやってることが同じだ。
なんとかしてやりたい、なんとかしてやりたいんだが……!
「それで、エリスはどこに行ったんだ……」
ミロワが部屋を出た瞬間、俺は教室の奥で座っているサブリエ達に視線を向ける。当然ようにエリスはいない。授業が始まった瞬間、フッと消えるようにいなくなった…。
アイツもアイツだろ!?好き勝手動き過ぎだ!制御が出来ないにも程がある……ええい!クソ!
「す、すんません…あーしが目を離した一瞬で消えてしまいまして…」
「さながら夏の陽炎のように消えますですじゃ」
「なんとかしないとその内アイツ…誰か殺すかも知れないぞ」
エリスを見ていた感じ、ただ乱暴なだけとは思えない。きちんと理屈と理論があってあんな振る舞いをしているように見える。だが殺戮とかはしそうにない…しそうにないが、それにしたってもな所がある。そろそろ手を打たないと。
「なんとか方法を考えないと……」
「見張って制御するのはもう無理じゃないすかね…少なくともあーしには無理」
「その件ですが」
すると、シャーロウがいそいそと懐から取り出したのは…フラスコに入った紫色の瓶だ。薬学者として多くのポーションを作ったシャーロウだが…あんなポーションは見たことないな。
「それは?」
「儂が昨晩のうちに作った服従のポーションですじゃ」
「服従!?」
「そうですじゃ、このポーションを飲んだ者は言われた命令を聞くしかなくなる。命令を無視すれば全身に耐えがたい痛みが走り、やがて精神的にも屈服する代物ですじゃ」
そんなポーションは聞いたこともない、恐らくシャーロウのオリジナル。これ程の物を一夜で作り出すとは…。これを飲ませればエリスは俺達の言う事を聞くしかなくなる…か。
「い、いやそれは流石に…」
「シャーロウ爺ちゃんちょっとやりすぎじゃ…」
「ええい!なにを躊躇しておるのですか坊ちゃん!サブリエ!」
いやぁ…流石に可哀想だって。記憶を消した上に絶対服従の枷をつけるなんてのはさ…罪悪感で俺が潰れちまうよ。とは言うがシャーロウは止まる気がないらしく……。
「このまま行けばエリスがなにをしでかすか分からんですじゃ!なら今のうちにやる事はやっておくべきですじゃ!」
「ま、まぁそうかもだが…」
「じゃあ坊ちゃん飲ませます?あーしは無理、女の子に毒みたいなの盛るとかマジ無理」
「ガー!若者は情けない!なら儂がやってきましょう!このまま余計な事に手間を取られていたら儂の寿命が尽きてしまうですじゃ!」
「シャーロウ!」
シャーロウはそのままエリスを探して行ってしまった。うーん…シャーロウもポーションを作ってきてくれるほど考えてくれていたのかな。うーん…だとしても流石に服従はなぁ。
大丈夫かぁ…?
……………………………………………………………
クロノスタシス王宮切っての天才薬学者シャーロウ。それが若い頃の儂の呼び名だった、クロノスタシス王国は鏡の中にある、物資は限られており、その物資を使ってポーションを作らねばならない薬学者と言う職は、ある意味失敗が許されない職業だ。
そんな重圧の中、儂は成功を収めてきた。特に治癒のポーションの改造、数多の強化ポーションの発明など偉業は数多くある。故に重用されてきた…若い頃は。
どんな天才も老いる。老いていけば目が遠のき、手が震え、精密な思考も消えていく。齢を六十に到達する頃には既に薬学士達の中でも端の端へと追いやられていた。
悔しかった、儂は過去の存在になりつつあると感じあまりにも惨めだった。まだ終わっていないのに、もう終わった存在として見られるのはあまりに屈辱的だった。
…そんな儂に声をかけ、側に置いてくれたのは他でもないオリフィス王子。儂に居場所をくれた彼の為ならこの残り少ない寿命、捧げる事にも躊躇はない。
今、我々は前代未聞の目的の為に動いている。失敗は許されない…絶対に。だからこそ躓くわけにはいかない。
「見つけた!」
握りしめたのは服従のポーション…見つめた先にいるのはエリスだ。なにをしているのか分からない、ただ窓辺に立ってどこかを見ている。
アイツにこのポーションを飲ませれば、少なくともエリスの暴走で頭を悩ませる必要はなくなる。
大丈夫、今エリスは儂を信用している…飲ませるくらい、出来る。
「あ、シャーロウさん」
するとエリスはこちらに気がつき、無警戒な笑みを浮かべる。う…マジで信用しておる、凄く心苦しい…いや迷うな!
「どうしたんですか?」
「む、い…いや、少し所用がありましてな」
「そうですか」
後ろ手に構えたポーションをそっと前に出しながら、エリスを見据える…大丈夫、上手くいく、上手く。そう念じているとエリスは儂の手元のポーションに気がついて…。
「ん?そのポーションはなんですか?」
「あ、ああ。これは儂が開発した新たなポーションでのう…」
「新しいポーション!凄いですね、シャーロウさん。流石です!」
「さ、流石かのう」
「ええ、凄いですよ。エリスもポーション作りには挑戦したこともありますが中々上手くいかないのでその凄さはとてもわかります」
一瞬ギョッとする。ポーション作りをした記憶…それは多分本来の記憶だ。記憶消しを使ったのにまだそんなに記憶が残っていたのか?本当になんなんだこいつは。
「やっぱり、兄さんが一番信用する薬学者なだけはありますね…今もなお、新たなポーションを作って医療の最前線に立ち続けようとする様は、まさしく薬学者の鑑です」
「う……」
エリスは遠くを見ながらそう言うんだ。その言葉に…儂は心が痛くなる。
「世の中には治癒魔術というものがありますが、エリスはポーションこそ…人の命を真に救うものだと考えています」
「わ、分かってくれるか…?」
そうだ、エリスの言う通りなんだ。薬学の本場アジメクでは治癒術師が手慰め程度にポーションを作っているが、儂はポーション生成もっと力を入れるべきだと考えている。
治癒術師は確かに万能だ、大体の傷は治せる。だが…その治癒術師がいない場所ではどうだ?世界的に見て治癒術師の人口は多くない。ましてや重傷をしっかり治し切れる者などもっと限られる。
だがポーションは違う…確かな効果があり、その上その場に治癒術師がいなくともよく、流通も容易い。人の命を助けようと思うならポーション以上に的確なものはない…なにより──。
「なにより、ポーションが手元にあると安心しますしね」
「おお、おおお!」
そうだそうだそうなんだ、ポーションとはただあるだけで安心出来る。家に一本、ポーションの瓶があるだけで安心出来る。儂も昔はそうだった。
儂は昔、体が弱かった。咳をしすぎて直ぐに気道が傷ついて…何度も血を吐いたことがある。けどそんな儂の心の支えになってくれたのがポーションだった。
傷を生みやすい現場では治癒術師以上に懐のポーションが心の支えになる。
儂は、傷を癒す以上に…誰かの心の支えになりたくて。なのに、多くのものは『それ治癒魔術でよくない?』だと…分かっていないにも程があると思っていた。最近の若いのは分かってないと思っていた。だが…だが。
「治癒のポーション…あれはとてもいいですよね、あれを作れる人にエリスはリスペクトを送ります。そしてそれを今も続けているシャーロウさんはクロノスタシスの人達の心の支えになれているはずです」
「ぉお……」
分かってくれるか…そう涙を浮かべてしまう。儂のあり方を肯定してくれるか、理解してくれるか、そんな人オリフィス坊ちゃんだけだと思っていたのに…。
そうだ、儂は人の心の支えとなる薬学者。傷を治し、精強を維持し、精神衛生を守る心の守り手で……。
「そんなシャーロウさんの作ったポーションですから、きっと素晴らしいものなんでしょうね」
「……………」
チラリと見る、毒々しい色合いをした服従のポーション。それをエリスはにこやかに微笑み褒め称える…けどこれは、これは果たして、儂の作りたかったポーションなのか……いや、その答えは出ている。
つまり─────。
………………………………………………
「出来ませんですじゃ……儂には」
「呆気なく絆されてるじゃないか!!」
シャーロウがエリスに服従のポーションを飲ませに行ってより数十分後、空き部屋に戻ってきたシャーロウは服従のポーション片手に項垂れていた。なんでもやっぱり寸前で思いとどまって逃げ帰ってきたとのこと……。
「うう、エリス殿は優しい子で…儂の行いも肯定してくれて、それでぇ…」
「坊ちゃん!こいつ完全にやられてますよ!」
「くぅ、人たらしめ…」
なにがあったかは知らないが、シャーロウは完全にエリスに入れ込んでいる。まぁ優しい子ではあるが…にしたってもだろ。すると、サブリエが動く。
「ああもう、これ飲ませればいいんでしょ!」
「あ!」
シャーロウの手からポーションを強奪したサブリエは、腕を組みながら何度も頷き。
「正直罪悪感はあるけど、今更って感じもあるし。記憶消してるんだから…もういくとこまで行くしかないでしょ」
「い、行くのか…サブリエ」
「はい坊ちゃん、ちょっと待っててくださいねぇ…あーしがエリスに記憶消しのポーション飲ませてくるんで」
「あ……ああ」
今度はサブリエが行くのか。なんか嫌な予感がするが…だがここはサブリエに任せるしかない。サブリエはシャーロウ程甘くはない…今時の子だ。彼女なら或いはと自分を言い聞かせ…部屋を出ていくサブリエを見送る。
………………………………………………………
魔術研究員サブリエ…通称『次代のホープ』、それがあーしの名前であり、呪詛である。齢を十六にして研究員入りをし、そこから五年足らずでいくつもの成果を挙げた。
クレプシドラ陛下が望む魔術式だって完成させたこともあるし、実績十分だとあーしは思ってる……けど。
『今時の子』『若い子』『最近の若いの』…それらの言葉が、あーしを縛る。研究員の平均年齢は四十歳を超えている。そこに二十代のあーしが混ざれば当然異端となる。
みんなみんな、古臭いやり方を捨てることもできず、何十年も前の形式で十数年物の道具を使い、何年も前の研究に固執する。研究とは時代の最先端を超え、さらにその先を見据える仕事。
なのに過去に囚われてなにになる…そう問いかけても、帰ってくるのは最近の奴だからと言う諦念に似た不理解。嫌気がさすよ本当に。あーしのやり方を尊重してくれるのは坊ちゃんだけだ。
そんな坊ちゃんの為ならあーし、悪魔でもなるから。
「いた……」
あーしはエリスを見つけた、場所はキッチン近くの戸棚で何かを確認している。なにをしているのかは分からないが…今がチャンスだ。
シャーロウはポーションをそのまま飲ませようとしたが、そんなのナンセンスだろ。毒と髪は盛ってこそ、それがあーしの信条だ。故に入れた、ポーションを紅茶の中に。
ミルクで濾したロイヤルミルクティー仕立て、美味しそうなこの紅茶にはポーションが混ぜてあるんだ。
「エリス〜?なーにしてんの?」
「あ、サブリエさん」
「そんな忙しなく動いてさ。ちょっとくらい休憩したら〜?」
そう言いながらあーしはミルクティーを机に置いて、エリスにこっちに来いと手招きする。それに応じてエリスはこちらに歩み寄ってくる…無警戒にも程がある、いや信頼しているのか…あーしを。
でもあーしはそれを今から裏切って…いや考えるな!
「ミルクティー入れてあげたよ、飲む?」
「わぁ、エリス大好きです。コーヒーの方が好きですが…ん?」
「え?」
ふと、エリスはミルクティーを覗き込み……。
「これ、なんか色が変じゃないですか?」
「え!?」
そう言うんだ。いやいやバカな…完全な白だ、色でバレるような間抜けな真似はしない…はずだけど、違うのか?若干…いや分からない、分からないよ。
「そ、そうかな…」
「はい、いつも見ているロイヤルミルクティーと少し色が違う…青、いやほんのわずかですが紫が混ざっているように思えます」
ば、化け物かこいつ…どんだけ記憶力あるねん!ってかいつも?記憶があるのか?記憶消しってどこまで効いてんの!?まずい…バレる!
「そ、そんなことないよ〜!それよりさ!ほら早く飲んじゃって!」
あーしは誤魔化すようにエリスの背後に回る、早く飲めと促すように…しかし。
「あ!」
その瞬間、あーしの足は勢い余って机の足に引っかかってしまい。足元から引っ張られるように躓いて……。
「危ない!」
「びゃわ!?」
しかし、あーしの体は地面に倒れる前にエリスに抱き止められる。しかも抱き止め方がこれまた上手い。左手を腰に、右手を頭の後ろに、そのまま上半身をあーしに近づけ勢いを殺し…完全に受け止める。全く痛みがない。
が…それ以上に。
「くぉ…顔近…」
「お怪我はありませんか?サブリエさん」
エリスの顔が目の前にあるのだ。エリスの青い瞳が、金のヴェールの如き髪が、あーしの視界いっぱいに広がる。さながらそこには宇宙が広がっていた…と形容したくなるほど、凄まじい光景だ。
まず言っておくとあーしにそっちの気はない。普通に男が好き、けど…それでも。
(か、顔良すぎじゃん)
あーしを心配し軽く微笑みを浮かべるエリスの顔がもうドアップ、しかもその顔がまぁ整ってるもんだからドギマギしてしまう。目はキリッと尖っていて、鼻は工芸品のように整っていて、口元なんかは神業の産物と思える程に美しく。はっきり言ってメタクソにイケメンだ……こ、こいつ女だよね。
「サブリエさん?」
「け、怪我ない…怪我ないから!」
慌ててエリスから離れる、やばいやばい…よかった。こいつが女でよかった、この顔で男だったら間違いなく惚れてた……。
そう思いながら胸に手を当てて息を整えていると…ふと、エリスが後ろから寄りかかってきて。
「サブリエさん、やっぱりちょっとおかしいですよね」
「え!?」
手を握りながら脈を測ろうとしてくるエリスにあーしは思わずギョッとする。な、なにこいつ!?距離感近すぎん!?
「サブリエさんは頑張り屋さんですから、無茶とかしちゃダメですよ」
「い、いやいや、大丈夫大丈夫。ほら、あーしまだ全然若いし、多少の無茶なら──」
「若いとか、そう言うのは関係ないですよ」
エリスの目が、こちらを見ていることに気がつく。真っ直ぐだ、余所見をしていない…本気であーしを見て、本気であーしを思い、本気であーしに語りかけてる。あまりにも真っ直ぐ過ぎる、こんな事…こんな事ある?
こんなにも真っ直ぐあーしを見てくれる人…オリフィス坊ちゃん以外いなかった。あーしを若者ではなく、サブリエとして見てくれる人なんて。
「若いとか、年老いてるとかで、人は区別出来ません。貴方は貴方、世界に一人のサブリエさんでしょ?世界でたった一人の存在なんだから、大事にしないと」
「え、エリスちゃん」
「エリスはサブリエさんのことも大好きですから、倒れられたりしたら…泣いちゃいますよ」
そう言ってエリスは困ったように微笑む…それがまた、いい。かっこいい、胸が締め付けられる。こんな優しくてかっこいい子をあーしはなにを騙そうとしてんだ。自分の都合で首輪嵌めて…そんなのクレプシドラとやってる事は同じじゃないか。そんなの許されるわけが──。
「ふふふ、そう言うわけです。そうだ、ミルクティーもらいますね」
「あ」
瞬間、エリスがポーション入りのミルクティーを手に取るのが見えた。あんな優しくて、いい子にあーしは今…毒も同然の物を飲ませようと───────。
……………………………………………………
「で、結局ポーションを飲ませられなかったと」
「エリスちゃんいい子なんで、騙すのやめません?」
「お前も絆されてるじゃないか…!!」
頭を抱える。結局戻ってきたサブリエはポーションを飲ませる事なく、寧ろエリスに絆されて戻ってきやがった。まぁわかってたよ、こいつはこう言うところがある。だが…だが!
「もうちょっとちゃんとしてくれ!」
「ぅぎゃーっ!命令しないでください〜!!あーし!エリスちゃんに飲ませる予定だったポーション入りミルクティーを奪って自分で飲んじゃったんすから〜!!」
「なにやってんだよ!?」
「だってあんないい子にこんな怖いもん飲ませられないっすよ〜!!」
俺の命令?を受けサブリエは地面をのたうち回る。自分で飲んだのかよポーションを…バカかこいつは。いやまぁそうでもしないとエリスからポーションを遠ざけられなかったんだろうけどさ。
「こ、これはいかん。サブリエ、これを飲むがよいぞ、ポーション解除剤じゃ」
「シャーロウ…そんな物用意してたのか」
「ちょっと懲らしめるのに使う予定だったんですじゃ。懲りたら直ぐに解除してやるつもりで…」
そう言いつつ、サブリエに服従のポーションを解除する薬を飲ませるシャーロウを見て、ため息が出る。やはり…この二人には任せられないか。
元より、俺達は暗殺者でもなければ…秘密裏に動く諜報員でもない。その道のプロではなく、ただ姉様の言う事を諾々と聞くだけのメンツ。非情にはなりきれない…なりきれていたなら、エリスやミロワを攫う時にもっと別の方法をとっている。
「ふぅー…助かった。ねぇ坊ちゃん…エリスちゃんの記憶消し、解除できないまでも…本当のこと話ません?」
「うむ、儂もその方が良い気がしてきたですじゃ。記憶消しを解除するなら…それでも」
「バカを言え。それでエリスと敵対したらどうする、ダエーラみたいになるぞ」
「そ、そうっすけど…あの子を騙し続けるの、ちょっと気が引ける感じになってきました」
「はぁ……」
素直に話して協力が得られるようなら最初からそうしてる。それが無理だから、こうしているんじゃないか。エリスは我々の目的に必須だ、手放すと言う選択肢はない。
ましてや、敵対するなんてもっての他だ……。
「うーん、やっぱりあーしら…こう言うアウトローなやり方、性に合ってない気がするんすけど」
「そう言ってくれるな。手段は選ばない…あの時そう決めただろ?」
俺達は手段を選ばない。それはあの日…姉様が父上や母上を殺したあの日の晩に誓ったことじゃないか。例え世間から極悪人と呼ばれようとも、後ろ指さされ全てが敵に回ろうとも…三人で生き抜いてみせると。
それなら、エリスの人生だって犠牲にしてみせる……。
「仕方ない、今度は俺が行く」
「えぇ…あーしら以上に甘い坊ちゃんが?」
「同じオチになる気がしてならんですじゃ」
「う、うるさいなぁ!それより服従のポーションは」
「もうないですじゃ」
「どうするんだよ!?」
なんて話し合っていると…ふと、空き教室の扉が開き。
「あ、兄さん」
「エリス!?」
ギョッとする。入ってきたのは他でもないエリスだ…い、今の話聞かれてないよな。と怯えているのは俺だけ。
「おやエリス殿。どうされた」
「やっほーエリスちゃん」
「おや、皆さん集まってたんですね」
(も、もう溶け込んでる。ちょろすぎだろ俺の配下達…)
サブリエとシャーロウはエリスを見てもあまり怯えない。そりゃそうだ、二人はエリスをもう認めているんだから。にしたっても…二人がちょろいのかエリスが人たらし過ぎるのか。
「そ、それよりエリス。どうしたんだい?さっきから随分館を歩き回っているようだが」
「ああ、その件について聞きたい事が…ちょっと来てもらってもいいですか?」
「ん?なにかな」
なにやら深刻そうな顔をしている。これは真面目に聞いた方が良さそうだと気がついた俺は二人に軽く合図をしつつ、エリスについていく。
そのままエリスは廊下を歩き、俺をどこかに連れていく。さて、どこに連れて行かれるんだか、館の裏に連れて行かれて…そのままリンチとかじゃなきゃいいんだが。
「兄さん、エリス…ちょっと気になって館の中を調べてたんです」
「なんで調べてたんだい?」
「直感です」
そっか、そりゃ怖い。いつ俺の尻尾を掴まれることやら……。
なんて話していると、エリスは廊下の窓辺を前に立ち止まる。え?ここ?なにもないが…こんなところに連れてきてなにを。
「兄さん、これ見てください」
「ん?……おや、これは」
ふと、エリスは窓の一箇所を指差す。それは窓を閉める為に使うロック部分、簡単には解錠されないよう堅牢な作りになっているが…エリスが指差したのはその隣。
「穴……か?」
錠前の隣に穴が空いている。一眼見て穴と分からないくらい小さな穴、風も通らないくらい小さな穴。錐で開けたようなその穴はそれこそ針の一本くらいしか通らないだろう……だが、確実に言えるのは。
「兄さん、これ意図的に開けられてますよね」
「ああ、しかも内側から……。こんな所に穴があったら錠前の意味がない、外から針金を差し込んで錠前を操作出来てしまう…」
意図的に開けられている事…それが問題だ。しかも場所的にこの穴の用途は外から鍵を開ける為に、内部の誰かが開けたものと思われる。
なんだこの穴は…メレク様は認識しているのか?いやしていないはずだ、していたらこんな穴即座に塞いでしまう。
「兄さん、こんな感じで外から内側に入れるような仕掛けが…この館には三十四個ありました」
「は?」
「エリス一人で調べただけなので他にもあるかもしれません」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。なんだそれ…それじゃあこの館は丸裸にされているようなもんだ」
「されてます。で更に問題がもう一つ…この外から忍び込める仕掛けはこのメレク邸にしかありませんでした。中央議事堂に入った瞬間、こう言う仕掛けは一つもありません…つまり、誰かが外から何者かをこの館に引き入れようとしている」
「……内通者か」
まぁ、驚きはない。驚きは驚きだが…あり得ないとは言えない。だってそうだろう、ここはマレウス屈しの大貴族の家、盗みに入るなら一番の候補だ。問題は内通者がいるって事だが……。
「エリス、よく見つけてくれた。多分これはメレク様の財産を盗む為…家人の誰かが用意した物で────」
「違います」
「え?」
「盗みじゃありません。だって盗みに入るならお隣さんの方が金持ってるでしょう」
「む……確かに」
エリスは言っていた、この館にしかなかったと。アドラの方が金を持っているのに…メレクの館にしかなかった、なら盗みじゃない?……おい、なんか急にキナ臭くなってきたぞ。
「なら、メレク様の命を狙った暗殺者か?」
「暗殺者なら外から人を引き入れず、内通者が殺るでしょう。人手が必要な物…エリスはこれを……ミロワちゃんの誘拐を目論んだ誰かが用意した物と考えています」
「ッッッ!?!?」
一瞬心臓が飛び出しそうになる…いやいや違う違う、俺達じゃない、俺たちのことじゃない。だってこんな物用意してないから…ん?いや待て。
なら、いるのか?……他に誰か、ミロワの誘拐を目論んでいる奴が、俺達以外に…?
(なんだ、なんなんだそれ。なんだってあんな普通の子をどいつもこいつも狙うんだ…!?まさか本当に何かあるのか!?姉様が狙うに足る…何かが)
姉様が欲している時点でミロワ・カレイドスコープは普通の子ではないのは知っている。だが昨日今日と見た感じあの子には特別な何かは感じなかった。ミロワを人質にとってメレクを動かす…と言ってもメレクだって精々北部を統べる貴族の片割れに過ぎない。
せめて姉様の手紙を解読できれば理解も出来るが、そもそも何故そうもミロワを狙っ……あ!
「ッ待て、エリス…君はこの館を歩き回ったんだよね、調査したんだよね」
「え?はい」
「ミロワは見かけたか!?」
「ッ!…見てません!」
今、ミロワは空白の時間の中にいる。今の時間はエリスの授業を受けていることになっている、だがミロワはエリスの授業を放棄、エリス自身もミロワから離れている。つまり一緒にいる人間が限られている。
見張りがいたとしても、…内部に複数の内通者がいるのならそこも解決できる、つまり。
(先を越された!)
俺は走る、相手が何者かは分からない。だが少なくとも敵方の戦力と準備期間は俺達を遥かに上回り、あまりにも用意周到に誘拐計画を練っている。
想定すらしていなかった。別勢力による介入、既にこの計画はミロワをどう誘拐するかではなくミロワ争奪戦に変わっていたんだ!
「兄さん!どこへ!」
「ミロワは数学教師に話を聞きにいくと言っていた!数学教師は今この時間は書斎にいる……だからミロワは書斎にいるはずだ!」
「書斎…書斎にも仕掛けがありました。壁に面した本棚の一つが、簡単に動くように細工されてたんです!」
エリスの言葉を聞いて悟る。相手の誘拐計画の内容だ、ミロワは常に複数の大人と一緒にいる。常に授業を受け続けているからだ。いつ一人になるか分からないから…いつでも誘拐出来るようにしておいた。それが館中の細工だ。
本当に用意周到だ…どこまでの時間をかけてこれ程大それた事をやったんだ!?どこの誰だ、こんな大掛かりなことやったのは!
「ミロワ!!」
俺はそのまま書斎に突っ込み、扉を開ける…しかし。そこには無数の本棚と窓から差し込む陽光に照らされる静謐な書斎が広がっている。
つまりいない、ミロワがいない…それどころか数学教師も!
「やられた…!」
見れば本棚の一つが不自然に傾けられ、その奥に開いた穴が見える…連れて行かれている。ミロワが。
まずい、今ミロワを攫われるのはまずい!計画が全部パァ……いや、待てよ。
(……………)
穴を見て、思う、迷う、躊躇う。どうする、追いかけるべきか…このままミロワを追いかけるべきなのか?それとも…黙認する?そうすれば少なくとも──。
「ミロワちゃん!兄さん追いかけますよ!」
「え…!」
「誘拐されてんでしょ!ミロワちゃんが!あんな小さな子供をこんな方法で連れ去る人間がまともなわけありません!早く助けなくとどうなるか分かりませんよ!」
「あ、…ああ!」
そうだ、なに考えてるんだ。ミロワをこのまま放置すればあの小さな子がどんな目に遭うか。命の保障だってないんだ…だったら!
「追いかけるぞ!」
「はい!」
俺とエリスは二人で穴を潜り外へと出る。館の外に通じる穴…それはそのまま館の裏手に出る。目の前には近隣の森に通じており、木々の葉が織りなす緑のカーテンが広がっている。
だが、園木々の奥に見えるのは…茂みを切り裂いて進む、男の背中。そしてそいつが肩に抱える縄で縛られたミロワの姿。アイツらが…誘拐犯か!
「ミロワちゃん…!」
「エリス、声を上げるな…」
瞬間、慌てて声を上げてしまったエリスの声に反応し森の奥へ逃げていく影が加速する。まずい、逃げられる…!いや……。
「───────!!」
「ちょっ!?」
その前に、エリスが動く。同様してたかと思ったその瞬間、エリスは凄まじい速さで、あまりにも綺麗なフォームで、全力疾走を始めたエリスが瞬く間に誘拐犯達に突っ込んだ。
「ミロワちゃんを返せぇーーーっっ!!」
「な、なんだ!」
茂みの奥でエリスの叫び声と、男の悲鳴が聞こえる。猛獣かあいつは…いや。
(エリスだけじゃ対応が出来ないだろう)
今のエリスは魔術が使えない。いくら喧嘩が強くても戦闘法は所詮喧嘩殺法…限度がある。助けに入らないと!
(待ってろよ…!!)
一瞬、俺は深く腰を落とし…そのまま腕を振り上げ走り出す。同時に足の裏にエーテルキューブを作り出し。そいつを踏み込むと同時に魔力を噴射させる事で一気に空を駆け抜けるように加速する。
「待て!!」
「チッ…!新手か…!」
木々の間を抜けて瞬く間に誘拐犯達に追いつく。その時気がつく、誘拐犯達の数の多さ…全員が黒い装束を着て顔を隠した男が十数人、そして一際大柄な男が涙で目を潤ませたミロワを抱えている。
そいつらの前にクルリと体を回して着地し、懐からナイフを取り出し突きつける。
「お前ら、何処の誰だ。その子を誘拐してどうするつもりだ…!」
「……見られたからには、死んでもらわなきゃいけないな…」
「質問に答えろ」
黒装束の男達は腰から片刃の直剣を抜き、もう片方の手に拳銃を握り、構えを取る。この構え…何処かで見た事があるぞ。何処で見たんだ?マレフィカルム?いやマレフィカルムにこんなのはいない。…なら、えっと……。
「兄さん!」
「エリス!無茶するな!」
一方エリスだが、やはり苦戦しているようで黒装束を殴り倒しながらも足止めを喰らっている。このままじゃ逃げ切られるか…なら俺がやらないと!
「死ねッッッ!」
「おっと!」
瞬間、踏み込んできた黒装束の斬撃をナイフで捌き…同時に拳を握り。
「『ナックルバースト』ッ!」
「ガッ!?」
右拳にエーテルキューブを纏わせ、叩きつけると同時に炸裂させる。その一撃により黒装束は吹き飛び木に叩きつけられ気絶する。俺は荒事が得意な方じゃない、姉と違って覚醒も出来ないしな。
でも、これくらいなら出来る…!!
「ミロワを返してもらう!!」
「チッ!止めろ!」
そしてそれが開戦の合図となり、次々と迫る黒装束達。対する俺は迫る白刃をナイフで捌きながら魔術にて攻勢を仕掛ける。
「『エーテルキューブ』!」
「ぅグッ!?」
相手の肩に手を当て、その内部にエーテルキューブを作り出す。エーテルキューブは空間に固定された魔力…つまり虚空に打つ釘も同然。魔力の塊により虚空に縫い止められ動けなくなった黒装束の顔面を蹴り抜き。
「『エーテルソーン』!」
「うわっ!なんだこれ!?」
そして手を払い、地面に無数の棘状魔力塊を振り撒き、相手の動きを縛りつつ。ナイフを投擲しその肩を貫通させ……。
「『エーテルブラスト』!」
「ぐぅぁっ!?」
手元に生み出した魔力塊を殴り抜き、放たれる衝撃波によって目の前の黒装束を吹き飛ばす。荒事は得意じゃないとは言ったが、一応それなりに修羅場は潜っている…これくらいなら──。
「邪魔だ」
「ぐぅっ!?」
しかし、次の瞬間。ミロワを抱える大柄な男が…目にも止まらぬ速度で飛んできて、俺の腹に一撃、蹴りを入れる。その威力に肋骨が軋み…木に叩きつけられ意識が滲む。
重い、速い、鋭い。今の一撃…間違いない。
(まずい!こいつ…第二段階だ…!)
「仕事の邪魔だ、消えろ」
異様に長い腕、黒い覆面の奥から覗く白目。そして見上げるような巨体…そこから溢れ出る魔力と威圧。間違いない、第二段階に入っている強者だ。
ただの誘拐犯風情が第二段階?あり得ないだろ、こりゃ…想定外もいいところだ。こんな奴がいるなんて考えもしなかった。
「お前!何者──」
「騒ぐな」
「グッ!?」
咄嗟に反撃しようと構えたが、それよりも前に巨体の男は片手に持った拳銃を放ち、俺の脇腹を撃ち抜く。それにより全身に激痛が走り、溢れ出る血を手で抑え、膝を突く。
「ぅぅ……!」
「防壁も未修得か。話にもならない…このまま消すか」
膝をついた俺の頭に拳銃が突きつけられる。嘘だろ、これで終わるのか…俺、こんな事故みたいな話で死ぬのか俺。
死ねないだろ、こんなとこじゃ…だって俺、まだ姉様に……。
(姉様に、謝れてない……)
目を閉じれば過ぎる。今も鮮明に、目に映る。意識すれば聞こえてくる…あの日の姉、クレプシドラが見せた光景……それは。
『ぐぎゃぁああああああああああ!オリフィス!オリフィスゥウウウ!助けてくれ!助けてくれぇッッ!!!私は…私は何も!何もしてないッ!本当だァッッ!!』
薄暗く、湿ってカビだらけの地下牢で…のたうち回る姉の姿。美しかった髪は荒れ、頭を掻きむしり血で汚れ、爪は剥がれ、噛み締めた唇が千切れかけ、血を吐いて苦しむ姉の姿。
強く、美しかった姉が…人ではない何かのように、血溜まりで暴れるあの姿を見た時、俺は何も言えなかった。手を差し伸べる事も、助けてやる事も出来なかった。
謝れてなかった…俺は。その謝罪が…あまりにも遅く、取り返しのつかない謝罪を俺はまだ出来ていない。
それが終わるまで、俺は死ねないって…あの時誓ったんだ。誓ったんだから…まだ、死ねるかッッ!!
「『エーテル───」
「死ね」
しかし、決意を固めても意味はなく。目の前に突きつけられた拳銃の引き金は…俺の詠唱よりも早く、それでいてゆっくりと、引かれてて───。
銃声が、鳴り響いた。
「え?」
しかし、放たれた銃弾は俺の頭を貫通せず。横に逸れて背後の木に食い込んでいた。気づけば銃口が横にずれていたんだ。なぜずれた?……石だ。
飛んできた石が、拳銃に当たり弾かれたのだ。
「ああ?なん─────」
「どっせいッッ!!」
「グッ!?」
瞬間、目の前の大男の影が揺れる。まるで矢のように飛んできたそいつが…片手に握った石で男の頭部を打ち、殴り飛ばしたのだ。そしてそれはそのままミロワを抱き止め…目の前に着地し。
「大丈夫ですか!兄さん!」
「エリス……!」
「そして、ミロワちゃんも…!」
「ん…んん……!?」
エリスだ、エリスが片手に石を握って現れたんだ。凄いスピードだな…魔法も魔術も使えないはずなのに。戦闘経験が丸ごと消えてるはずなのに。刃に銃に飛び交う戦地に迷いなく突っ込んでくるなんて。
「グッ!テメェ…なんなんだお前ら」
「こっちのセリフです!この腐れ誘拐犯ども!エリスは許しません!子供を…そして!エリスの兄を傷つける存在を!!」
「チッ、やっちまえ!」
「ッ…兄さん!」
迫る黒装束達、刃が陽光を反射し次々と襲い来る。そんな光景を前に…エリスは咄嗟にミロワを俺に向け。
「パスっ!」
「は!え!?」
頭の整理が追いつくよりも前にエリスは俺にミロワを投げ渡す。同時にクルリと体を回し──。
「死ねボケカス共ォッ!!!」
「ガフッ…!?」
「許さないって言ってるでしょう!」
回し蹴りから放たれた一撃が、黒装束を吹き飛ばす。そこから繰り広げられるエリスの戦闘は、戦闘と言うにはあまりにも…暴力的だった。
「ぅがぁあああ!!」
今のエリスは魔力を使えない、その経験を失っているからだ。だがまるでそれを補うように暴れ回る。足元の木の枝を掴んだと思えば、それを容赦なく敵の太ももに突き刺し、怯んだ隙に顔面に拳。
石を靴下に入れ、振り回し勢いをつけ、相手の頭に叩きつけ粉砕。
ネックレスを拳に巻いて簡易的な籠手にしたと思えばそれで剣を弾き、剰えへし折り、折れた刃を掴んで相手の肩に突き刺し張り倒す。
まさしく喧嘩殺法、子供にはとてもじゃないが見せられないバトルスタイル。魔術が使えなくともこんなに強いのかこいつ…!
「ふぅ…!ドンドン来いや!」
「スケアさん!こいつ強いです!どうしますか!」
「名前を呼ぶな……だが、やるようだ」
スケア…そう呼ばれた巨漢の男がコキコキと首を鳴らす。エリスに石で殴りつけられても全然平気って感じだ。やはりあいつだけは別格か……どうする。俺が行くか?だが俺じゃ絶対に勝てない、ましてや負傷がかなり響いている状態じゃとても…。
「ッエリスさん!」
「ミロワ……?」
その瞬間、ミロワちゃんが猿轡を無理矢理自分で剥がし、叫び声をあげ。
「あ、貴方の助けは要りません!私は軍人の娘!ミロワ・カレイドスコープです!貴方みたいな乱暴者助けなんか……」
「お、おいおい。こんな時になに言うんだ」
思わず本音が出てしまう。意地を張るのは結構だが…今それを言うか、エリスがどんな気持ちでお前を助けようとしているか、分かってるのか?因みにだが俺も分かってない。でもそれは今言うべきじゃないとは分かるぞ。
しかし、当のエリスは全く揺らがず…ただ肩越しにこちらを見て。
「ええ、そうですね。だからこれはエリスが勝手にやってる事です…」
「え……」
「エリスは、ただエリスが正しいと思ったことのために…動いているだけです。例え誰であっても、エリスは子供を傷つける存在を許せないだけです。それが戦う理由なら、例え貴方に拒まれても関係ありません」
「………ッッ」
さながら、鋼だ。鍛え抜かれた鋼の如き精神性。記憶を失っても…変わらない芯の部分、そこは俺たちにも変えられない。
エリスという人間は、根っからこういう人間なのだ。……ようやく分かった、そいつが八大同盟を潰した理由が。
……きっと、こいつは元より八大同盟など気にしていない。そこに助ける人がいたから、助けたい誰かが何処かにいたから、ただ戦っただけ。そこにあるのは拒絶でも敵意でもない。
ただ純然たる闘志。逆境や窮地にあっても揺るがない絶対なる信念。
それがエリスの根底……そうか。こいつはただの乱暴者じゃなくて。
(守る側の人間なんだ)
そう理解した瞬間、俺の中のエリスの評価が変わる。同時に過ちを悟る…エリスを味方にしても意味はない。記憶を消して操っても意味がない。こいつはこいつの中にある価値観に準じて敵味方を決めているだけだ。
なら……俺は。
「兄さん、ミロワちゃんを連れて逃げてください」
「え…!?だがお前は…!」
ここに一人残るというのか!?だが相手は第二段階!記憶を失い戦えないエリスでは第二段階には勝てない!ならせめて仲間がいたほうが……。
「いいから!!」
「ッッ……分かった」
エリスはただ俺達を守ろうとしている。その気迫は凄まじく…ここで逆らっても意味はないことを理解した。どの道ここにいても俺はなにも出来ない…なら。
「待ってろ!助けを呼んでくる!」
メレクだ!あいつが持つ私兵団!そしてサブリエやシャーロウ!総力戦で挑めばあの巨漢…スケアも倒せるはずだ!
そう理解した瞬間、俺は脇腹からの出血を無視して立ち上がり…全力で館に走る。エリスを置いて、敵が山ほどいる場所から遠ざかる。
「お、置いていくんですか!?」
ミロワが叫ぶ、だが…。
「そうだ、置いていく…!エリスはお前を守るために命をかけているんだ…そこを無視して、あの場に残って俺たちに何が出来る!」
「……でも」
大丈夫…大丈夫、すぐ戻ってくる。だから…だから頼む。
死なないでくれ、エリス。今俺はお前を計画とか作戦とか目的とか、そういうの度外視で…死なないて欲しいと思っているんだから!!
………………………………………………………
「ぐぁっ!?」
「フンッ、偉そうなこと言った割にはてんで弱いじゃないか」
スケアと呼ばれる巨人は足を振るいエリスを吹き飛ばす。オリフィスが駆け出してより数十秒、持ち堪えることすら出来ず…真っ向から叩きのめされていた。
「喧嘩は強いが、それだけだ。中身が伴わない戦術に捉えられる俺ではない…魔術を使うまでもないな」
「グッ…この!」
咄嗟にエリスも地面の土を掴み、スケアの顔に向け投げ飛ばすが…当たるわけもない。初撃は油断してもらったもの、既に防壁を展開しているスケアには一縷の隙もない。
「仕事の邪魔だ、死んでろ」
瞬間、反撃とばかりに銃撃をエリスに向け放つ。しかし。
「っとや!」
避ける、咄嗟に地面を叩いて飛び上がったエリスは銃弾を回避し、猫のように四つ足をついて地面に着地する…その様を見て、スケアは目を細める。
(なんだこいつ、戦闘経験はなさそうで…魔力もほとんど使わない。なのに直感だけがバリバリに冴えている…なんて気持ち悪いやつだ)
例えるならば、今のエリスは『人を斬るのに最適な形をしている癖に、傷も汚れもない名剣』とでも言おうか。戦闘でしか鍛えられない直感を、戦闘を経験せずに保有しているような…そんな気味の悪さを感じ、スケアは警戒を強める。だがそれ以前に。
(あの男がミロワを抱えて逃げた、ここから館に戻り兵士を連れて戻ってくるまで凡そ八分と見た。俺の魔術ならこの女をあと三十秒以内に殺せれば逃げた男が館に戻る前に殺す事もできる……なら、急ぐか)
スケアの目的は逃げたオリフィスとミロワ。エリスはただの路傍の石に過ぎない。ここでメレクに誘拐計画が露見するのはあまりにも都合が悪い。
幸いオリフィスは負傷からスピードが出ていない。ならばと全身の魔力を体の内側に収納し……。
「そこだ!」
「うわっ!?」
瞬間、踵から魔力を噴射し加速。スケアは地面を滑るようにエリスに突っ込み、足先をエリスの足に激突させ、体勢を崩し。
「フンッ!」
「ぁがっ!?」
体勢を崩したエリスの後頭部に拳を叩きつけ、更に魔力を爆発させ威力を増幅。エリスの体は地面に叩きつけられ地面を転がる。
「ッッ……やぁ!」
地面を転がるエリスは地面の石を掴み投げつけるが、その意味がないのはエリスだって分かっている。防壁に弾かれ砕かれる……。最早意にも介さずスケアはエリスの胴体に足を乗せ、踏みつける。
「いい加減にしてくれよ、魔術も使えない、魔力も使えない。基礎の基礎も出来てないお前が俺に勝とうなんて……無理に決まってるだろう、がッと!」
「ぅぐ……ぅ……」
そして、エリスの顔に一発、蹴りを見舞いその意識を刈り取る。勝負にもならない、そもそも武器すら持っていない今のエリスが勝てる相手ではない。
ともすれば、記憶があったなら…スケアを相手にも勝負出来たのだろうが、今のエリスにはそれもない。勝ちの目が一切ない戦い、それを前にエリスは呆気なく敗北を喫した。
そして、この戦いにおける敗北とは。
「じゃあ、死ね」
拳銃を突きつける。意識を失ったエリスの額を狙う。敗北とは死である、死をもってその無茶の代償を払うのだ。
(あの男は……見えないな、だが遠くには行ってないはず)
スケアは拳銃を構えながらオリフィスの行方を目で追うが…、木々に阻まれ見えない。だが見えないだけでまだ遠くには行っていない。
ならここでエリスを殺し、魔術を使って追いついて、殺し。ミロワを奪い、彼に引き渡すだけだ。それでこの仕事は終わる……。
「さて」
次の目標を捉えつつ、拳銃に指をかける。意識を失ったエリスに最早抵抗の術はない、これは作業だ。ただの作業…………。
の、はずだった。
「は?」
再びエリスを見たスケアは目を見開く。意識を失いー気絶したはずのエリスの目が開いていたからだ。凄まじい威圧を放つ眼光がスケアの顔を真っ直ぐ見つめ──。
(やばいッッ!!)
瞬間、スケアは拳銃を捨て咄嗟に飛び退く。武器も持たない、魔術も使えないエリスに対して行うにはあまりにもオーバーなリアクション。周囲の部下達は一瞬首を傾げる。
どうしてそこまで恐れ、飛び退く。もう殺せるはずのところまで来て何故逃げると。だが…その疑問の答えはすぐに露わになった。
「ッッ!?」
スケアが捨てた拳銃が爆発したのだ。内に装填した弾丸、その火薬が勝手に暴発し炸裂したのだ。内側からひしゃげ、黒煙を漂わせる拳銃は……白い電流を迸らせながら、地面に落ちる。
「ほう、避けるか…。伊達に第二段階には入っていないと見えるな…」
「な、なんだお前」
立ち上がる、エリスは立ち上がる。まるで別人のように口調を変えながら…髪を掻き上げ、その手に電流を迸らせながら、立ち上がる。
「全く、情けない…情けないにも程がある。あんな奴にいいように記憶を書き換えられ、利用され。剰えこんな雑魚に殺されそうになるなんて…それでも私の宿敵か、エリス」
指先から放つ電流、浮かべる獰猛な笑み。少なくとも待った、オリフィスとミロワの撤退を待った。あいつらに見られないように…ギリギリまで待ち、エリスの今後の動きに支障が出ないよう気を遣った。
なら、もういいだろう。オリフィスはいなくなった…なら後は。
「お前…さっきの女と別人だな。誰だ……お前」
「あ?」
エリスは…いや、意識を失ったエリスに代わり体の主導権を握った彼女は、スケアを見て不機嫌そうに眉を歪ませ…言い放つ。
「フンッ…こんな間抜けでも宿敵なんだよエリスは、この『審判』のシンのな。故に…それを邪魔立てするお前を、審判の名において粛清する…!」
これより、審判を開始すると。




