772.魔女の弟子エリスと家庭教師として
「ね、姉様……」
それは突然の事だった。クロノスタシス城の玉座の間に突然踏み込んできた姉様…クレプシドラ・クロノスタシスが両親を殺したのだ。
まだ幼く、何も出来ない俺は…玉座の前に立ち、血に濡れた剣を片手に立つ姉の背を見続けることしか、許されなかった。
「……………」
「姉様…なんで、お父様とお母様を」
家臣達は騒がない、騒ぐような家臣は既に殺され、骸となって俺の後ろで山のように積み重なっている。
兵士達は姉を止めない、いや…止められなかったと言うべきか。クロノスタシス王国の兵士達の半数は殺され、半数は姉に屈服した。
今この場で発言を許されている俺は、姉に向けて真意を問いかける…いきなりだ、本当にいきなり帰ってきた姉は、何もかもを殺してしまった。
「……オリフィス」
「ッ……」
しかし、帰ってきたのは姉の冷たい視線。それに思わず腰を抜かしてしまう…結局俺は姉の真意を知る事は出来なかったけど、それでも疑問はなかった。姉が両親を殺した理由に思い当たる節があったから…聞く必要なんて本当はなかった。
当然だ、当然の帰結だ…クレプシドラと言う怪物のような女を、本物の怪物にしてしまったのは他でもない。両親を含むクロノスタシス王族達なのだから。
でも…でも、それでも。親だぞ…姉にとっては憎らしくも父と母だぞ、それを殺してしまうなんて。一体どう言うつもりなのか…聞きたかった。なのに。
「オリフィス、そこに虫がいます。玉座の間には似つかわしくないので潰しておきなさい」
「え?」
姉は俺の隣の地面を指差し…そう言った。姉の指差した地点を見て、俺は…俺は、首を傾げる事すら出来なかった。何言ってるんだ姉様は、両親を殺して、一族を殺して、大量の人間を殺戮して…今気にすることが、虫?と言うか、これ…………。
「今日から妾がクロノスタシス王国の代表者、女王クレプシドラ・クロノスタシスです。この歪んだ王国と歪んだ世界を私が正当な形に正します。戴冠の時ですので…玉座の間は綺麗にしておきなさい」
「姉様……」
まるで姉はゴミでも片付けるように、玉座の上で死んでいる父を放り投げ、血で汚れた玉座に座り、片手に真っ赤な剣を持ち…そう語った。
その時俺は悟った、姉は本当におかしくなってしまった。病に犯され、人に恵まれず、ただ才能と力に恵まれただけの女は今……怪物王女に成り果ててしまったのだと。
────────────────────────
メレク・カレイドスコープに雇われ、魔術教師になれた。それだけ言えば大貴族に雇われ将来安泰と言えるだろう。けど俺の目的は将来を悠々自適に生きることではなく…ミロワ・カレイドスコープの誘拐だ。その為だけに教師になっただけ。
つまり、勝負はここから。姉様の言葉から察するに制限時間は二週間…で、ここに来るまで二日ほど使っているから残るは十五日間となる。これを破れば当然死刑、実の弟でも容赦なくあの人は俺を殺す。
だが……どうやら、誘拐は簡単な話ではないようだ。
「では、ミーティングを開始します。本日からミロワ様の教師となられたオリフィス、サブリエ、シャーロウ殿の三名です。皆さん拍手」
「どうも……」
雇われてすぐ、俺が通されたのは…教師寮、つまりミロワに物事を教える家庭教師達が集まる寮だ、館に併設されているそれを見た時俺はビビったよ。だって…そこらの兵舎より余程大きかったんだから。
で、中に入り、会議室に通され…理解した。今この部屋の中には大量の人間がいる。部屋といってもリビングくらいの大きさじゃない。
木目の床に、漆塗りの白い壁、それが奥の奥まで続く巨大な議事堂だ。そこに大量に人が集まってるんだから…その数は大体五十人超えだろうか。当然、教師寮なんだから全員指導員だ……。
(常軌を逸してるだろ、こんな数の教師をつけるなんて。王族だってこんな数はつけないぞ…一応王族だから言えるけど)
五十人以上の教師?この数の指導を受けるって…それこそ丸一日拘束しないと成立しない。まだ十一歳の子供に対して行うにはあまりにも異常な人数。カレイドスコープ家はここまでやっているのか…驚きだ。凄いと言う意味じゃない、単純にびっくりしてるだけだ。
「オリフィス君は魔術師、シャーロウ殿は魔術薬学師、サブリエ君は魔術研究員。それぞれがプロフェッショナルだそうです、長い間空位だった魔術方面での教育も期待できるようでしょう」
俺は今、そんな家庭教師達の前で自己紹介をしている。これからみんなで仲良くやっていこう…と言う挨拶ではなく、単純に教師が増えるからスケジュールを見直さなきゃいけないからだ。何故そう言えるとかって?この場にいれば分かる、歓迎の拍手はまばらで…友好的な視線はなく、まるで商売敵でも見るような目つきを見ればな。
「いやぁ…ミトラース様にそう言ってもらえると嬉しいですよ」
「いえ」
そして、そんな教師達のリーダーとも言えるのが今俺の隣に立ち、俺達を紹介するこの老人。白い髪を背中まで伸ばし、白い髭を胸辺りまで伸ばし、ギロリと鋭く光のない黒目だけをこちらに動かし無愛想に会釈するのこの男……。
正直、コイツの顔を見た時驚いた…とんだ大物がいたもんだと。
「では、お三方の時間配分は…このミトラース・メテオロリティスが決定します。暫しお待ちを」
名をミトラース・メテオロリティス…今の肩書きはカレイドスコープ家専属教師総監督官、そして前職の肩書きは元老院直属総教務官。つまり元老院が保有する特殊エージェントの全てを育て上げた大物だ。
かつてはあの『美麗』のティファレト…オフィーリア・ファムファタールにすら指導を行ったこともある、謂わばマレウスの闇を育てた男だ。元老院が無くなってから何処へ消えたかと思っていたが、まさかここに居たとは……正直こいつの存在が一番驚きだ。
(こいつもマレフィカルムに関わりのある男…まさか俺がクロノスタシスの人間だって気が付いてないよな)
当然ながら俺の計画、と言うかクレプシドラ姉様の目的は他の組織に共有していない。ミトラースも今は元老院が無くなった以上マレフィカルムに関わりはない…つまり連携は望めないし、バレたら面倒なことになる。
俺は表向きにはクロノスタシスの幹部じゃないから名前も売れてないし、なにより面識もないから一瞬で俺がマレフィカルムだとはバレないだろう。けど……。
「魔術の授業はミロワ様、延いてはメレク様の強い希望により実現したものですので、この一週間は優先的に時間を取ろうと考えていますが…異論のある者は」
「…………」
「では決定で」
……ミトラース、エージェントの指導に当たるよりも前、若き頃は『空魔』ジズと並んで元老院と国王を支えた凄腕の使い手だと聞く。その洞察力は侮れないだろう。
実力面に於いてもそうだ。剣も魔術もなんでもござれとばかりに全てを極めたと言われる男。敵対したら…正直突破は望めない。
本当に面倒なものいたもんだ。
「ふむ、さてと……早速次の時間から授業をしてもらいたいのですが。その前にウチでの授業の仕方を説明しておきましょうか」
するとミトラースは背筋を伸ばしたまま、或いは胸を張ったままこちらに視線を向ける。それに対して怯えや恐れを見せればこいつは怪しむ。出来ればボロは出したくない…なのでこちらも涼しい顔で応じる。
「はい、お願いします」
「まず、授業は朝六時から夜の六時まで、一時間刻みで教師を変更する事で行います。三日を小一周として扱い、一周したらまた同じ時間に授業を行ってもらいます。小周期三回でスケジュールの見直しを行います」
「ん?待ってください。ここにいる教師の数は見たところ五十人…そして授業は一日十二時間、三日を一周として扱うなら一周三十六時間。つまり一周で三十六人の教師しか授業を行えないことになりますよね」
「ふむ、いい点に気が付きましたがそこについては今から説明するので口を挟まないよう」
「あ、はい」
怒られてしまった、確かにその通りだ。サブリエからもお尻を叩かれた…黙っていよう。
「先程も言いましたが三日を小周期、小周期三回…つまり九日を大周期とし、大周期一度ごとにスケジュールを組み直します。つまり今ミロワ様に必要な授業の数を多くし、不必要な授業を外し、調整するのです」
なるほど、全員の授業を闇雲に行うではなく大周期…つまり九日ごとに必要なもの…つまり遅れている授業の数を増やし、不必要なもの…先に進みすぎている、或いは諸事情により進行できない授業を外し、また新たなスケジュールを組み直すと言うことか。
家庭教師を矢鱈と集めているように見えたが…案外考えてはいるんだな。いや、この辺を考えて調整したのはミトラースの手腕かな。メレクは多分買い物感覚で家庭教師を増やしているんだろう。
「大周期の日は授業は無しです。つまりミロワ様にとっては休日となります。なので抜け駆けして授業はしないように」
「抜け駆けなどしませんよ…」
「そうですか?一応言っておきますが、我々家庭教師の給与は授業の回数によって決まりますよ?あまり意欲的でない場合は授業の数が減り、給与も減るのでご注意を」
なるほど…だから他の教師達が俺達を敵意ムンムンで見てたのか。これ以上教師を増やすな!ってのはそのまま、自分の食い扶持が減るから増やすなって話だったわけだ。そりゃこいつらの顔つきも殺気立つと言うもの。
給与に関しては別にいい。金に困っているわけでもない、だが授業の数が減るのはまずい。それだけ誘拐のチャンスが減ると言うわけだからな。
「そこはお任せを。キチンとミロワ様に必要な授業を行いますので」
「ふむ、そこは私が監督して判断します。取り敢えず今から授業を行ってもらいたいのですが、いけますか?」
「大丈夫です」
「では、今の授業が終わり次第挟み込みます。今の授業は…マナー講師のキャサリン君でしたね」
早速授業か。俺の腕をミトラース自ら採点しようと言うのだろう…メレクは魔術に関して素人だったから別になんとかなったが、ミトラースは数多の魔術師やエージェントを育てた凄腕。上手く騙せるか……いや、実力を見せれば納得はさせられるはず──ん?
「坊ちゃん、坊ちゃん」
「なんだサブリエ」
すると、サブリエが俺の肩を叩いて声をかけてくる。今は忙しい、色々考えなきゃいけないんだからちょっと静かに……。
「エリスがいません」
「えッ!?」
瞬間脳裏に過る、最悪の顔。咄嗟に振り向けば青い顔をしたサブリエが首を振っている…エリスがいない。引いていく血の気、青くなる顔。
エリス……我々の目的に関して確実に必要になる人材として記憶を消して俺の妹に仕立て上げ同行させた人物。しかし、先程判明した新事実、それを簡潔に伝えるなら『エリスは普通に危険人物だった』の一言で終わる。
そう、エリスは俺が想像していた以上に頭のおかしいやつだった。けど今更捨てるわけにもいかないし…と考えていたら、アイツ勝手にいなくなったのか!?
「ど、何処に行った!?いつからいない!?」
「分かりません……!」
「ッ……ミトラース様!」
まずい、エリスが何をするか…俺には想像もつかない、だが今考えられる可能性があるなら、勝手に逃げ出したとか、そう言うのではないはず…なら。
「ミロワ様は今何処に!?」
「ふむ、お屋敷三階の教室にてマナーの授業を行っています。教師はキャサリン様で……おや?どうされたので?」
慌てて走り出す、会議室を飛び出し屋敷の方に。まさかとは思うがエリス…また何かやってないだろうな。そう思い俺はコートを着直しながら全力疾走、サブリエとシャーロウも続く。
「シャーロウ!あれなんとかならないのか!?」
「あれとは!?」
「エリスだ!もうちょっとこう…コントロールできないのか!?」
「無理ですじゃ!我々がやってるのは洗脳ではなく飽くまで関係性の偽造!エリスは我々に敵意を向けませんが他はその限りではないのですじゃ!」
「つまりあの強靭メンタルは本来の気質か!クソッ…想像しないだろそりゃ、突如爆発して目の前の人間を病院送りにする危険人物だなんて」
教師寮を飛び出し、併設されているカレイドスコープ邸に向かう。エリスは既に一人ボコボコにしてる、戦闘を教える教師ダエーラをボコボコにした、エリスと出会う前の俺が想像する『ボコボコ』を四倍くらい上回る勢いでボコボコにした。
おかげでダエーラは教職復帰不可能な状態に追い込まれ、今は病院のベッドで泣いてる。まぁ正直それだけの事したからザマァ見ろとは思うがそれでも勘弁してくれ、ミトラースに目をつけられる!
「なににしても胃が痛いよう!」
「坊ちゃん!胃薬があります!」
状況が最悪すぎる!ただでさえストレスのかかる場面でなんで特大の爆弾が暴れ回ってるんだー!
「ともかく間に合ってくれ!」
俺は屋敷に飛び込み、廊下を駆け抜け、ミロワが授業を受けているであろう部屋に飛び込み。
「エリス!!」
「ぎゃぁぁああーーーー!!!助けてぇーーー!!!」
飛び込んだ瞬間、聞こえたのは悲鳴、見えたのは全開の窓、そしてそこに向かって歩くエリス…とエリスに抱えられ悲鳴を上げる女性、多分キャサリン!やばい!ここ三階だぞ!!
「あ、兄さん。ちょっと待ってくださいね、こいつ半殺しにするんで」
「お前が待てェーッ!何やってんだお前ッ!」
「え?いや…こいつに教えやってるんです、マナーを」
「えぇ!?」
チラリと視線を横に向けると、そこには椅子に座るミロワの姿があった。そして目の前の机には空のお皿とナイフとフォーク…キャサリンはマナー講師、なら教えていたのはテーブルマナーだろう。
しかし、問題はミロワの手…明らかに何かで叩いた跡がある。手で叩いたとかじゃない、手よりも硬い何かで叩いたのだ……子供の素肌に傷が残るような勢いで叩いて教育でもしてたか?ダエーラと言い碌でもない教師しかいないな。
だがなんとなく分かってきたぞ…エリスはミロワを傷つけられて怒ったんだ。なんで初対面の子供が傷ついてそこまで怒れるのか分からないが…。少なくともエリスのスイッチは分かった。
「待て、分かった。だが窓には捨てるな」
「分かりました」
「ぎゃーっっ!?」
そう言われてエリスは窓ではなく床に向けてポイっと人間一人投げ飛ばす。なんとか殺しは避けられた…まぁキャサリンは泡を吹いているが……。
「こいつは後でエリスが木に縛りつけておきます、ここら辺で一番高い木に。……大丈夫ですか?ミロワちゃん」
「…………」
そして、暴走殺戮マシーン・エリスはキャサリンを無視してミロワに歩み寄り…傷ついた手を撫でるが、ミロワはエリスに見向きもしない。そりゃそうだろ、怖いよ、コイツ。
しかしどうする?状況はあんまり変わってないぞ、エリスがやっちまった事に変わりがない。キャサリンは泡を吹いているし…こんなのミトラースに見られたら────。
「何事ですか」
「ゲッ……」
と思ったら、ヌッと俺の横にミトラースが現れる。こいつ、ついてきてたのか…全然気が付かなかった。しかも俺が止める暇もなく部屋に入り込み、状況を見て、カチリと丸いメガネを掛け直し…エリスを睨む。
「さて、これはどう言う状況ですか……、今はマナーの授業です。だと言うのに…何故貴方がここにいるのですか?」
「…………」
ミトラースはエリスを睨む、何故かエリスも睨み返す。お前には睨み返す権利はないぞと言いたいが、エリスはそのまま胸を張ってミトラースの前に立つ、ミトラースも胸を張ってエリスを見下ろす。
「貴方、名前は」
「エリスはエリスです、オリフィス兄さんの妹です」
(やめろ、言うな。そうだけど今俺の名前を言うな)
「エリス、話には聞いています。ダエーラに代わり白兵戦を教える教師になった者と」
「はい、そう言われました」
「なら何故先程の教師会合に顔を出さず、ましてやマナー講師を叩きのめしたのですか?」
ミトラースは明らかに怒っている。そりゃそうだ…ミトラースからしてみればエリスは教師、教師の間である種の競争が行われている中で…エリスは教師として別の教師を再起不能にした。つまり授業を妨害したんだ…。
これが罷り通るなら、今頃教師寮で行われているのは会議ではなく殺し合いだ。ライバルが減ればそれだけ取り分が増えるからな……。それを阻止するのが監督官としてのミトラースの仕事。
早速やばい事になった……どうする、エリスを切り捨てるか?だが流石に記憶を奪うだけ奪って捨てるのは…でも流石にこれはもう助けられない。
「教師会合に顔を出さなかったのは必要がないと感じたからです」
「ほう?」
よりにもよって言いやがったなこいつ…!ミトラースに喧嘩を売ってるのか!
「理由をお聞かせ願えますか?」
「エリスはミロワちゃんの教師に任命されました、理由も状況もよくわかりませんが任命された以上この責務を果たすつもりです。けどエリスはミロワちゃんの名前も何も知りません、なら最初にするのは彼女の事をよく知る事でしょう」
「だからここにいたと?」
「詳しい話は後から兄さんから聞けばいいですから」
「自分勝手です、会合はルールです、が…まぁ言わんとする事は分かります。キチンと後のことも考えていたならそこは評価します。ですが同じ教師たるキャサリン君に暴行を振るった件はどう説明します」
「それは……」
まぁ、エリスの言い分はかなり勝手ではあるが、彼女なりの理屈があってのこと。そこはミトラースも慮ってくれたようだ。一切迷わず発言したのがよかったんだろう…言い訳がましくないからな。
けど、流石にキャサリンを投げ飛ばしたのは…言い訳できないだろ、それともなにか…納得させられる言い訳があるのか?
「……これは暴行ではないので問題ありません」
「は?」
ミトラースの顔が歪む、こいつ何言ってんだ?って顔してる、多分俺も。いやいやどう見ても暴行だから問題だろ……と思っていると、エリスは伸びているキャサリンを見て。
「彼女に聞きました、ミロワちゃんの手を鉄製の金具で叩いた件は暴行かと。すると彼女は『教育の範疇だ』と答えました、『間違った事をしたから、相応の罰が下った』と。だからエリスも間違った事をしたこの女に相応の罰を下しただけですので、暴行ではなく罰です」
「間違った事……ですか」
「はい、エリスは彼女の理屈に則って、彼女のルールの範疇で行動しました。聞けば彼女はこのような教育方針をかなり前から行っていたそうです」
「そうですか、だから問題ないと?」
「そう思っているのはエリスだけです、確かな判断をするのは別の人間だと思ってます。けどもしエリスの行いを問題にしたいなら、そこで伸びている女が今までやった全てを調べ上げ、その全てに対する清算を行うのが先です。エリスがやったのは彼女のルールに則った行動ですから…なら間違ってるのはそのルールもでしょう」
エリスが言っているのは正論ではない…あれは理論だ、理論武装だ。自分に罰を与えたいならその女のやった全てを調べて、そこに罰を与えるのが先だと。
何故なら自分はキャサリンのルールに則っているのだから、間違いがあるのだとするならそれはルールそのものだ。そしてそのルールを提唱したのはキャサリンの方だ…と。
とんでもないこと言い出したな…コイツ。自分はどうなってもいいが、やるならキャサリンも道連れだと…そう言いたいんだ。
「言いたい事は分かりました。確かにミロワ様に対する体罰は容認出来ません、キャサリンの行いは問題でしょう…それに対して指摘を行ったのであれば、正しいのは貴方の方になる」
「別に正しいわけではないです、でもこの子の周りにいる大人がこの子を守らず、不当に傷つけるなら…エリスはそれを許しません」
「分かりました。キャサリンから授業中の体罰が確認されたなら、貴方の行いは一旦不問とします」
「え?」
驚きの声を上げたのは俺の方だ。まさかこんな理屈が通るなんて…ミトラースの立場上『それでも秩序を乱したのは悪』と切って捨てられるだろうに。まさか温情を?と考えたその時、ミトラースはこちらに視線を向け。
「なにか?」
そう言ってくるんだ…なにかって、そりゃ…なにかあるよ。
「み、見逃してくださるのですか?」
「ええ、まぁそうなりますね」
「何故ですか……?」
「ふむ、これは私の持論になりますが。罰則が真に機能を発揮する瞬間とは、罰が執行される瞬間ではなく罪に対する抑止力として存在感を示している瞬間だと私は考えています。人が法を守るのは罰則そのものが怖いからではなく、『罰を与えられるかもしれない』と言う恐怖心が人に自制心を与えるのです」
メガネを掛け直しながらエリスをジロリと見るミトラースは、エリスの顔を眺め。
「ですがこの持論には一つ明確な弱点がある事を教えられました。まさかこの世に『罰せられる事を織り込み済み』で動く人間がいるとは…」
「罰せられる……ああ」
そこで納得した。エリスはキャサリンを道連れにクビになるつもりだったわけじゃない。暴力を振るい、自らが罰せられる事で前例を作るつもりだったんだ。ミロワへの体罰が原因でこの諍いが起こったのなら…ミトラースは当然対策をしなければいけなくなる。
つまり、他の教師が体罰を行えないようにするつもりだった。エリスの狙いはそこにあったのだ。故に己が罰せられる事でエリスの真の目的は達成される。
「この私に良い指摘をした点を鑑みて、今回は許します」
「……エリスを罰さないってことは、つまりそう言うことでいいんですよね」
「どう受け取ってもらっても。さてオリフィス君、マナーの授業が少し前倒しで終わってしまったので、今から授業を頼めますか?」
「え、ええ……分かりました」
ともあれなんとかなったようだ。そう胸を撫で下ろした瞬間ミトラースはそそくさと部屋から出ていってしまう。素早い動きだ…走っているようには見えないのに走っているより早い。よく分からない奴だな……。
と言うかそれより!
「エリス!」
俺は妹を叱らねばならない。暴力を振るったのが悪いとかそう言う話ではなく、危うく俺たち全員クビになるところだったんだぞ!と言いたかったが、やめた。なんでかって?エリスの顔がまだ怖い顔だったからだ。
「…………」
「え、エリス?怒っているのか?まだ」
「……兄さん、アイツはエリスを見逃しました。これは問題です」
「へ?」
なに言ってるんだ…見逃されたならそれに越したことは……いや、違う。エリスの目的は『問題を起こし、悪しき前例となることでミロワへの体罰を防ぐ予防線』になることだった、しかしそれがうまくいかなかったってことは。
「奴は、この一件を表沙汰にしたくなかった。表沙汰にすれば不都合だから……つまり」
(相当数の家庭教師がミロワへの体罰を行ってるってことか……)
表沙汰になれば、メレクの耳に入り、半ばブラックボックス化している家庭教師寮に大鉈が振るわれる可能性がある。それで…公になると困ることがミトラース達にはある。現状考えられるのはまぁ体罰だろう…しかもそれを大多数がやっていると見ていい。
だってそうだろう、俺が見た授業は二つ。白兵戦とマナー授業…そしてこの二つで体罰が行われていた。現状体罰率は100%……となると、まぁかなりの数が体罰をやってると見ていい。
(最悪だな…、こんな小さな子供を五十人の大人が寄ってたかって傷つけるって?やはりこの館はどうかしてる)
貴族の家とは良くも悪くも内部だけで完結している。言い換えれば非常に閉鎖的と言うこと。閉鎖的な環境では、道徳や倫理が無視されやすい。つまりはそう言うことだ。
(まぁだからってエリスのやり方も無茶苦茶だが……)
チラリと再びエリスの顔を見る、目は鋭く…怒りに満ちている。そこでようやく察する、多分これがエリスの本当の顔…今までのが偽物ってわけじゃない。マレフィカルム達が相対してきたエリスの顔。
俺が、仲間に引き入れたいと感じた…破壊者としてのエリスの顔だ。
「……ま、何はともあれ。授業を開始するよう言われたんだ、魔術の授業を始めようか。サブリエ、シャーロウ。そこの女を廊下に出してやってくれ」
俺は手を叩きながら二人に頼む。エリスには頼まない、頼んだら廊下どころかなんかもっと変なところまで投げ飛ばしそうだからだ。
キャサリンを退け、俺は教壇に立ち…あらかじめ用意した教材を取り出す。すると既にミロワはこちらを見据えて筆を握っている。授業を受ける姿勢だ…感心感心。
とはならないだろ、普通。…あんな大騒ぎがあったらもう少し不安そうな顔をするもんじゃないのか?なのにこれはちょっと…子供にあるまじきストイックさと言うか。
「ミロワちゃん」
すると、エリスがミロワの隣に立ち…しゃがんで視線を合わせると。
「大丈夫ですか、傷の方は」
そう言って心配する。ミロワの手に刻まれた痛々しい打撲痕…そこに視線を向けるが、ミロワはその視線に拒絶の意を示すように手を引っ込め…。
「……やめてください」
「ん?」
「やめてください、関わらないでください」
返ってくるのは厳しい答えだった。仮にもエリスはミロワの為に身を削るような真似したってのにそれはないだろ。マナーの授業を受けた方がいいんじゃないか?いや受けていたか、なら彼女の教師としての腕は低かったのだろう。
「関わらない方がいいですか?」
「……私は、暴力を振るう人は嫌いです。貴方がダエーラ先生に行った物やキャサリン先生に行った物は…決して許容されるべきものじゃありません!」
ダンッ!と机を叩いて立ち上がるミロワ。一瞬手の怪我により怯みつつも…キッとエリスを睨みながらそう叫ぶのだ。暴力は許さないと…。
「父は言っていました!軍人が手にするのは武力であり!そこから最も程遠いのが暴力だと!だから私は貴方みたいな乱暴者は嫌いです!」
「お、おいおい…」
思わず口を開いてしまう。あんまりだろ、それは。お前の嫌っている暴力から守ってくれたのはエリスだぞ。別に頼んではないが…それでもちょっとくらい感謝してあげても…って気がしないでもない。だがそれは俺が言うことではなくエリスが弁明することで──。
「そうですね、すみませんでした。エリスは乱暴者です」
「え!?」
と思いきやエリスはさっきまでとは打って変わり頭を下げるのだ…わ、分からん。さっきは暴行じゃないって言ってたのに、なんなんだこいつは。
「どうしたんですか兄さん」
「い、いやお前さっきは暴力じゃないって…」
「あれは詭弁です。それに言ったでしょう…暴力かどうか判断するのは別の人間、少なくとも暴力を振るった側の人間が決めることではないんです。周りの人間がそれを乱暴だと思ったならそれはどうあれ暴力です。咎められたら認めるしかありません」
「そ、そうかもだが……」
「そう言うわけです。エリスは乱暴者です、なのでこれからもミロワちゃんを守ります、よろしくお願いしますねミロワちゃん」
「訳わからない…なんでそうまでして私を守ろうとするの、お父様に取り入りたいの…?」
「いえ?ただエリスがそうすべきと思ったからしているだけです。貴方のお父さんにクビを言い渡されたらエリスはここを出ていきますし、言い渡されるまでエリスは貴方を守ります」
狂気的と言うべきか。エリスの顔から滲み出す決意の固さは理屈じゃ説明ができない。ミロワも完全に『理解が出来ない』とばかりに目を見開いて唇を震わせている。
守りますか…そこまで胸を張って言えるのはいいことかもしれないが、行き過ぎればそれは主義主張の押し付けになるし、現状はなっている。
なにより、このままここにコイツを置いておくのは危険だ。
「サブリエ、エリスを見ていてくれるか…」
「あ、あーしに押し付けようってんですか…コレを」
「そうだ」
「チェ…」
「そう言う訳だ、エリス。ちょっと部屋の隅で待機していてくれるか?」
俺はエリスの背中を押しながら教室の外へと押しやっていく。その過程で…俺はエリスの耳元に顔を近づけて、小声で話す。
「エリス、お前…なんでそんなにミロワに固執する」
「へ?」
コイツには記憶がないはずだ、昔なんらかの経験で子供を守るべきと言う発想になったとしても…その記憶はない。なのに何故こうも迷いなく動ける、まさか消し忘れた何かがあるのか…そう思う聞いてみると。
「傷ついている人がいて、その人が力を必要としているなら、助けるのは当然ですよね」
「ッ……!」
エリスは当然のようにそう言うんだ。全くの迷いなく、全くの躊躇なく、格好をつけているわけでも、言い訳をするでもなく。ただ木から落ちたリンゴがどこへ行くのか聞かれたかのように…当たり前の質問に当たり前のように答える。
その言葉と、その顔を見て…一瞬重なってしまう。よもや…言うのか、お前がそれを。
「兄さん?」
「い、いや……いい、大丈夫。ともかく奥へ」
下手な顔を見られて変な勘ぐりをされても困る。俺はそそくさとエリスを部屋の隅に追いやり自らの口元を触る。
歪んでいるのは分かる、俺の口元が。けどそれが喜色によるものか、悲観によるものかは分からない…少なくとも心動かされたのは本当だ。
だって…傷ついている人がいて、その人が力を必要としているなら、助けるのは当然のこと。これは…俺にとって。
(祝詞であり…呪詛であり、今一番聞きたくない言葉だった)
まさかそれを、曲がりなりにも今俺の妹をやっている奴の口から出るなんて…運命か何かなのだろうか。
「オリフィス先生、大丈夫ですか?」
「え?ああ…うん」
ふと、ミロワを見ると…彼女は『早く授業始めろよ』とばかりにこちらを見ていた。あまり待たせてもあれかな……よし。
「じゃあ授業を始めようか」
そう言いつつ、教壇に立つ。同時に魔眼を用いて周囲を見る、魔視、熱視、透視…それらで周囲を確認すれば。
まぁ、当然…見えてくるのはこの館の従者達だ。隣の部屋に四人、廊下を歩くのは十人以上。なんでかは知らないが天井裏にも二人いる。
これは見張りだろう、俺を見張っているのか…ミロワが授業から逃げないよう見張っているのか。そこら辺は分からないが少なくともこれくらいは想定内。強硬策が通じるならそうしてる。出来ないから今ここで教師をしている。
まずは、ある程度の信頼を勝ち取るのが先。そして職場の信頼とは真っ当な仕事にのみよって得られるべきものである。つまり真面目に仕事をしよう。
「ではまず、ミロワ様は魔術についてどれだけの知識があるかな?」
「なにもないです」
「なら結構、教え甲斐がある」
一応、教師をやるにあたって魔術の勉強をしてきた。限られた時間の中で知識を取捨選択し、教師として不足ないようにしたんだ。本当は教員免許を取るまでいきたかったけど…ちょっと時間が足りなかったな。せめてあとプラスで二週間ほどあれば行けたんだが……ん?
(あれ?)
ふと、教壇の上からサブリエに視線を向ける…俺の視線を受けたサブリエを首を傾げているが、お前……。
(おい……エリスがいないんだけど!?)
(え!?)
いない、サブリエの隣に。見とけって言ったのにもういないぞ!どうなってるんだ!って言うかこの一瞬で消えるって……野良猫かアイツは!
サブリエ!すぐに連れ戻してくれ!放っておいたらアイツ…マジでなにするか分からないから!!!
……………………………………………………
「なるほど、つまりこの館と向こうの館は中央議事堂で繋がってるってことですね」
「はい、そうです」
「ふむふむ」
エリスは兄さん授業を邪魔しないように教室を出て、そのまま近くの廊下を歩いていたらメイドさんを捕まえて、色々と事情を聞いた。この館の構造から一日のスケジュール…とにかくいきなり連れて来られたこともあり、エリスはこの館、家の事をなにも知らない。
兄さんの口振り的にしばらくここにいることになるだろう。なら、今のうちに聞くことは聞いておいた方がいい。
「あの、他には何か?」
「いえ、もう結構です。お仕事の邪魔してすみませんでした」
「では……」
メイドさんを見送りながら、エリスは腕を組みながら考える。どう言うわけか分からないが、エリスは今なんらかの理由で記憶を失っている…と、エリスは考えている。
何故こんなことになったのか分からないが、まぁ識の力になにかしらの不具合が起きているんだろう。
確証はない、なんでそう思ったか…と言う明確なきっかけがあったわけではない。だがそうとしか考えられない。だって……。
エリスはここに至るまでの記憶が連続していないからだ。今までエリスは兄さんの許しを得て各地を旅していた、そして兄さんと合流し今に至るが…その間、例えば記憶と記憶の間にある繋ぎの部分が曖昧だからだ。
まるで紙芝居のように記憶と記憶が連続していない。こんなのおかしい、この不調について考えたいところだが…今は後回しにする。多分考えても解決する話ではないし、兄さんに言っても困らせるだけだからね。
今エリスが考えるべきは……。
(この館、この一族…どうにもおかしい)
カレイドスコープ家…二つの家が常に主導権を争い合うと言う、そもそもの構造からおかしいところはあるが、それ以前に倫理観があまりに欠如していたり…子供に対する暴力を容認していたり。
まぁ、違和感があると言うよりこの家の連中の人間性を疑ってるって感じですね。
(それにあのミトラースって奴、多分なんか隠してますね。そんな気がします)
これは直感の話にはなるが、この館には表沙汰になってない秘密がたくさんある気がするんだ。だってそうでしょう、あんな数の家庭教師を引き入れて…それはつまり大量の部外者を家の中に入れてるってことですよ?
……ここに、エリスは違和感を感じている。だから直感的に動いているんだが…。
(ああクソ、記憶の部分が上手く作用してないから今までの経験から答えを導き出せない。すごく気持ち悪い)
頭をコンコンと叩いてみるが、記憶はエリスの思った通りの答えを返してくれない。いつもなら今までの事例や経験からある程度の推察を行えるのに…それも機能しないから答えが出せない。
いっそ兄さんに相談するか?…でも家庭教師を頑張ってる兄さんに負担をかけるのはなぁ。
「はぁ、まぁいいや。取り敢えず歩き回ろう」
ここでボケーっと立っててもあれだし、兄さんの授業が終わるまで散歩していよう。そう考えたエリスは館の中を歩く。メイドさんもかなりの人数を雇っているらしく、廊下も隅々まで綺麗だ。
そして窓もよく磨かれていて……ん?これは。
『さぁ鍛錬だ!最高級の武器を用意してやったのだから強くなれ!!』
「ん」
窓の外を見れば、庭先で誰かが怒鳴り声をあげている。窓を開けてみればそこには大量の私兵を前に檄を飛ばすメレクさんの姿があった。
元軍人ということもあり、その劇の飛ばし方はまぁまぁ様になってる。言ってることはめちゃくちゃだが。
「もっともっと武力を得るのだ、アドラになんぞ負けないくらい強く……ん?おお、エリス殿」
「こんにちわ、メレクさん」
メレクさんはエリスの方を見るなり顔を明るくする。彼はエリスの武力が気に入っているようだ、エリスは別にそんなに喧嘩が強い気がしないんだけど…まぁそれでもいい。窓を飛び越え、メレクさんの元まで歩むと…。
「娘の教育の方はどうかな?君の強さは中々の物だ、娘にもあれほど勇猛果敢になってもらえればと思ってやまないよ」
「まだ授業してないです。今はオリフィス兄さんの授業中です」
「む、そうか」
メレクさんは割とどうでも良さそうだ。…しかし、気になるな。
「あの、メレクさん」
「なにかな?」
「どうしてそこまで武力に拘るんですか?こんなに私兵を揃えて。戦争するんですか?」
「なにをバカなことを」
チラリと私兵を見る。数にして百人近く…立派な軍団だ。よく磨かれた鉄の鎧に、研がれた剣、槍、斧。これだけの装備はクロノスタシス王国の王国軍でも全員に至急はされていまい。多分近衛兵とかにしか配られないレベルのものだ…エリスは近衛兵を見たことないけど。
これだけの武力があれば、クーデターぐらいできるでしょ?と思うが、その気はないらしい。
「武力に拘る理由は一つ。必要だからだ」
「必要…その理由が聞きたいんですけど」
「……私は、きっと私の代ではアドラには勝てないと思っている」
後ろ手を組みながら空を見上げるメレクさんは、懇々と語りかけるように、何かに対して祈るようにそういうんだ。
「うちの歴史は知っているだろう。私の家は代々アドラの家と家督の争いをしている。常に勝負の歴史を歩んできているが…はっきり言って、私はアドラと勝負させてすらもらえなかった」
「どういう意味ですか?」
「アドラが今北部の主導権を握っているのは、親の遺産による部分が大きい。アドラの父は財政面で多大な成功を収め、私の父は貿易に力を入れたが…それは失敗に終わり私が当主になった時には我が家の金庫はカラだった。当然、勝負するまでもなくアドラがカレイドスコープの主導権を握り、北部の覇者になった…私は舞台にすら上がるまでもなく、終わったんだ」
「なるほど、つまり先代の負債を返す役割を担った、所謂繋ぎの代がメレクさんですね」
「お、お前…全然言葉選ばないな…。だがそうだ、私は先代の負債を返し、次代を再び勝負の舞台に送る繋ぎの代だ……正直財政面では勝負にはならない。だから武力という金では買えない物を、ミロワに残してやりたいんだ」
なるほど、そういうつもりでしたか。一応この人なりに考えはあるようですね。金がないとは言いつつあんな量の家庭教師を雇えたり、色々持ち直すのに努力したようですが…その結果が良くない気がしますね。
言ってやろうかな、言ったやろうか。
「そのミロワちゃんですがさっきまた別の家庭教師から体罰を受けてましたよ」
「なに?」
そう伝えるとメレクさんはギロリとこちらを見つつ、軽く首を振り。
「いや、あの子は私の子だ、軍人の子だ。それくらいではへこたれない、寧ろなにクソと奮起するはずだ」
「それは貴方の思い込みでは?」
「なに?……じゃあ聞くが、ミロワがその体罰とやらに対して、やめてくれと一言でも言っていたか」
「む……」
「それ見たことか。あの子は強い子だ、今戦っている最中なんだ。邪魔をするなら君は必要ないからな」
言われてしまった。けど確かにミロワちゃんはやめてとは言ってないな……うーん。確かに確かに。助けてと言われてないのに助けようとするのは確かにエリスのエゴかもしれない……か。
寧ろ彼女はメレクさんの期待に応えようとしていて……。なら、おかしくないか?
「あぁー!こんなとこにいた!エリス!エリスあんたちょっと!」
「あ、サブリエさん」
ふと、声をかけられ振り向くとそこには青い顔をしたサブリエさんがこっちに走ってきて。
「あ、あんた…なにしてたの」
「体罰の件、メレクさんに言っておこうと思って」
「あんたマジでいい加減にしなよ本当に!全然止まらないじゃん!」
「すみません、止まるところでないと思ったので」
「思え!いいからこっち来る!あんたを好きにさせるとあーしが坊ちゃんに怒られんだから!」
「はい」
そう言いながらエリスはサブリエさんに引っ張られながら考える。メレクさんは多少の体罰は容認している…なら、なんであそこでミトラースは引いたんだ?
キャサリンの体罰を表沙汰にしたくないから、引いた。エリスはそう思った、けどメレクさんはどうやら体罰は絶対に許さないタイプじゃない。ならあそこでエリスを許す理由はないように思える。
とすると、ミトラースには別の意図があったんじゃないか?……やはり、やはりここの家の人間は何かを隠している。エリスの嗅覚がそれを捉えましたよ。
とはいえ。
(捉えても、今の状態じゃこれを手繰り寄せることはできなさそうですね…)
エリスは手を引っ張られながら、ため息を吐く。この不調…いつになったら治るんだろう。
…………………………………………………………
「以上が、魔力四大基礎だ。分かったかな?」
「はい、魔力操作、魔力防壁、魔力衝撃、魔力遍在…これらを操る術を総じて魔力闘法、魔法というのですね」
「ああ。まぁ…これを実践レベルで使おうとなると、かなり上級者レベルの話になるから、今は覚えておくだけでいいよ」
取り敢えず授業を終えて、俺がミロワに対して思ったのは…可もなく不可もなしってところだ。覚えが特段いいわけではなく、されど悪いわけでもない。一般的…魔力覚醒を会得することは生涯ないだろうが、それでも魔術は一端に使えるようになるだろうって感じだ。
……こう言ってはなんだが普通の子だ。なんでこんな子を姉様は欲しがっているんだ?分からないな……。
「次の授業までにきちんと予習しておきます…」
「………」
普通の子だが、懸命な子だ。必死にノートにメモを繰り返している…異常とも言える執念。なにがそこまでさせるんだ?家の役に立つため?貴族としての誇り?だとしてもだろ。
「あ!坊ちゃん!エリス連れてきましたよ!」
「ただいまです、兄さん」
と思っていたら丁度エリスが帰ってきた。青い顔のサブリエとは対照的にエリスはもう飄々としてる。こいつを制御する術を探さないと…多分心労でサブリエかシャーロウのどっちかが倒れる。或いは俺の胃に穴が開くな……。
「ちょ…丁度いい、エリス。確かスケジュールでは次はエリスの番だったはずだから、準備しなさい」
「あー…そうですね。って言ってもエリス…トレーニングの仕方なんて分かりませんし…」
む、そういえばエリスには修行の記憶もないんだった。となるとトレーニングなんてつけられるわけがないか…まずいな、でももう雇われてしまったし…適当に走り込みでもするよう言うか……?
なんて考えていたら……。
「まともな理屈もない人に暴力を教えてもらうつもりはありません…!」
ミロワが立ち上がる。エリスに教えてもらう事はなにもないと…俺に対する態度とはまるで違う。やたらと攻撃的だ、ダエーラをボコボコにしたのがそんなに嫌だったのか?だとしてもダエーラは俺の目から見ても碌でもない男だ。あれはクビにされて当然だ……けど。
「私は!別の授業を受けに行きます!貴方の授業は受けません!」
「あ!おい……」
それでも、ミロワはエリスを認めないようだ。ま、余計なボロが出ずに済んだと思うべきか?……うーん。
「兄さん、エリス…ミロワちゃんに嫌われたみたいです」
「だ、だろうね」
「エリス…どうしたらいいでしょうか」
「…………」
困るな…そんな風に真剣に相談されたら、答えるしかなくなるよ。
「うーん、まずは…彼女と打ち解けるところから始めたらいいんじゃないかな。でもまぁ…今日は難しいだろうけど」
「打ち解ける…分かりました。ありがとうございます」
「え?ちょぁぉっ!?」
その瞬間、エリスは我々が反応できない速度で反転しミロワを追いかけていってしまった!まずい!また一人にしてしまう!
「さ、サブリエ!ちゃんと捕まえておけよ!」
「無茶言わんでくださいよあーしはデクスワーカーなんすよ坊ちゃん!」
「そ、それより捕まえに行った方が良いのではないじゃろうか。最悪ミロワを殴り飛ばしたりするかも…」
「流石にそれはないとは思うが、分からないな!待てエリス!」
ああもう…なんなんだよクソーーーっ!!!
……………………………………………
まずは分かりあうところから、そう言われてエリスはミロワちゃんを追いかける。ただそれだけを考え追いかけ走る…すると直ぐに追いついた。ミロワちゃんは館の廊下を走り、家庭教師寮へと向かっている最中だった。
ミロワちゃんの小さな体を飛び越え、エリスは前に立つと。
「こんにちわ、エリスです」
「ぎゃぁっ!?」
ミロワちゃんは小さな体をビクゥッ!?と揺らし目の前に現れたエリスを前にあわあわと口を震わせている。なんでそんなに怖がってるんだろう。
「な、なにする気です!わわ、私はミロワ・カレイドスコープ!メレク・カレイドスコープの娘!軍人の娘ですよ!た…戦ったら強いですから!」
「戦いませんよ、エリスは弱い者いじめはしません」
「よ、よわ……!?なんなんですか!貴方!」
まるでチワワだ、フガー!と牙を剥く姿はとても可愛らしい。けど…怖くはない。
「ミロワちゃん、エリスは貴方のことが知りたいです。教えてください」
「は?」
「貴方がなにを考え、なにを感じ、どこへ向かって進んでいるのか。全く見当もつきません、それを聞きにきました」
打ち解けるのに必要なのは理解。相互でなくともどちらか一方の理解が不可欠であるとエリスは考える。そもそもの話、エリスはミロワちゃんの事を何も知らない、なら知ればいい、教えて欲しい、そう言うが……。
「……言いましたよね、私は暴力を振るう人は嫌いだって」
「そうですね、貴方が言うならエリスはもう誰かに暴力は振いません」
「……本当ですか?」
「はい」
人間を排除する手段は暴力だけじゃない、例えば…そう。ある日いきなり消えていたりしたら、それは失踪として扱われる。他者の干渉が認識できなければ暴力とは言われない。なんて詭弁だ…彼女がやるなと言うならエリスはやらない。
エリスはその場に座り込み、背筋を伸ばしてミロワちゃんと視線を合わせる。
「エリスは貴方の味方のつもりです、ミロワちゃん。だから助けます…けど、貴方が助けるなと言うなら助けません」
「………私は、助けて欲しいなんて言ってません」
「はい、言ってない。だから聞きます……ミロワちゃん、エリスは貴方に対する体罰を異常なものだと感じています。でも貴方は我慢しようとする…なんでですか?嫌なら嫌といえばいいのに」
「……お父様は私に強い子になって欲しいから、助けを求める子は弱い子だから。私はお父様の自慢の娘だから…だから、貴方の助けなんていりません!」
「…………」
それだけ言い残し、ミロワちゃんはエリスの横をすり抜けてどこかへと走っていってしまう。……なるほど、まぁそう言う事ですね。
「はぁ、参りましたね」
助けなんていらないか、そう言われたら助けられない。けど……今の顔は。
(助けを求めていない人間の顔じゃない、あの子は我慢している……とは言え、それをあの子は口にしていない。エリスが勝手に我慢していると決めつけて行動するのはあまりに勝手すぎるか)
さて……どうしようかな。それでもエリスはあの子を助けたいぞ……なんでだろうね。
分からないけど、それでも、それでもと頭の中に言葉が湧いてくる。湧いてくるなら、動かないとな。




