768.魔女の弟子エリスと宿敵の存在
「二度と呼ぶなよ!!」
「ありがとうございました、またお願いします」
「二度と呼ぶなよ!!!」
そして、俺達は将軍達とのトレーニング、組み手を終えた。結果はまぁ…いいもんではなかったが収穫はあったと俺は思っている。
特にネレイドの強化具合がえげつない、凄まじい勢いで強くなっていた。なんといってもあのグロリアーナを倒したんだからな、間違いなく世界最強の一人になったといってもいい。
先を越されちまったな。
「ふはぁー疲れたぜ、久々にあんなガチバトルしたぜ本当に」
「やっぱり将軍は別格に強いねぇ」
「だな」
アマルトとデティが大きく息を吐き、座り込む。訓練場を立ち去る将軍達はそのまま仕事に戻るが…その背中は未だ遠く、そして大きく見える。
今回の組み手の目的は自身の強化じゃない。そもそも組み手を一試合しただけで強くなれるわけがない、目的は対セフィラを想定した今後の指針決定。俺達とセフィラの差を明確にしつつ、みんなにこれから超える壁を認識させる。それが目的だった……けど。
「ぼ、僕全然対応出来ませんでした」
「私もだ、情けない限りだ」
「うぅ、ボコボコでございましたぁ…」
将軍を相手にぼろ負けしたナリア、メルク、ナリアには少々キツい結果だったようで…かなり落ち込んでいる。別に負けるのは珍しい話じゃない、戦い続けていれば負ける経験も多くしてきた。
けど、みんな第二段階に入ってすぐ、また新たな壁を突きつけられて少し動揺してるのかもしれない。そもそも対第三段階級の戦力との戦績は皆芳しくないしな。自分の限界ってやつを感じてるのかもしれない…まぁ、そんな限界なんかぶっ壊していくしかないんだが。
(……もっと、俺も強くならなきゃな)
俺は静かに拳を握る。ラセツにも、クユーサーにも、俺の力が通じなかった。たまたま仲間が覚醒しなんとかなったが…次もそうなる確証はない。寧ろ今の状態でセフィラと全面戦争をすれば全滅は確定だろう。
俺は仲間を守りたい、なら……今は一旦立ち止まるべきか。幸い数ヶ月は猶予がある、これを命の如く大切に使っていかないとな。
「ら、ラグナ……」
「ん?どうした、エリス」
そんな中、エリスが俺の裾を引っ張った。どうしたんだろうとそちらを向けば、エリスは汗をかきながら、チラチラと俺の顔を見ている…いや本当にどうしたんだ?
「実は、エリス…なんだか調子が悪いみたいで」
「え?調子が……まさかオフィーリアの魔術がまだ!?」
「い、いえそうじゃないんですけど…ただ、なんかエリス……」
おかしい、いつものエリスじゃない。妙に歯切れが悪い。こんなエリスを見たことがない…一体どうしたんだと俺はエリスに向き直るが、俺が向き直った瞬間、エリスはみるみるうちに表情を歪め……。
「す、すみません!エリス向こうで休んできます!!」
「あ!おい!」
ビューン!と凄まじい速さで訓練場から出て行ってしまった、早いなぁ相変わらず…、にしても。
「どうしたんだ、エリス…なぁデティ」
「言っておくけどオフィーリアの魔術は完全に解除されてるし、死んでた時の後遺症は何も残ってないよ」
「けど調子が悪いって」
「私が言ったのは身体の話、精神の方は…ちょっと違うみたいね」
デティは体を起こしながら、立ち去ったエリスの背を目で追いかける、てっきりオフィーリアの即死魔術の影響で調子が悪いのかと思ったが、デティ曰く体ではなく、心の方が不調のようで……。
「ここ最近、エリスちゃん負けが込んでるでしょ。バシレウス、クユーサー、オフィーリア、ラセツ…第三段階相手に全く通用しない現状に焦ってるみたい」
「はぁ?負けが込んでる?今更気にするか?」
デティの言葉に反応したのはアマルトだ。
「アイツは負けても負けても立ち上がる。そういう奴だろ?今更負け云々を気にするか?」
「アマルトー!あんたねー!落ち込んでる友達にかける言葉なのそれー!」
「落ち込んでるって、アイツらしくないからそう言ってんだろ」
アマルトの言い方はアレだが事実だ。エリスは負けを気にする奴じゃない、少なくとも負けたから落ち込むタイプではなく、寧ろ復讐心と闘争心を燃え上がらせるタイプ。そうやって幾度となくリベンジしてきた……が。
エリスは感じてるんだ、今の自分では…気持ち一つでリベンジすら出来ないと。それがキツいんだろうな。
「アイツなら、きっと自分で立ち直る」
アマルトはそう言う、それも分かる……。
「まぁ、落ち込んでるのは事実だからね、言っておくけど。そしてこう言う時、慰めるかどうかを決めるのはもう友達以上の関係になった人の役目だから」
「つまり、俺か」
「そ、だから任せるよ。慰めるか、エリスちゃんが立ち上がるのを待つかを」
俺はもうエリスと友達じゃない、婚約者だ。だからデティは俺に任せてくれる。とは言えこう言うのは俺も初めてだ…安易に手を差し伸べて、エリスは果たして取ってくれるだろうか。うーん……。
「今は一旦、エリスに任せる。あの子だって弱くないんだ、自分である程度の折り合いはつけられる。それが出来るなら俺はそこに任せるよ」
「あっそう、分かった。けどエリスちゃんが泣いてるのに放置したら…私、ラグナでも許さないからね」
「肝に銘じるよ」
エリスの自己整理に任せる。婚約者だからこそ、彼女を信じてみる。俺達はどちらか片方が手を握り続けるのではなく、互いに肩を支え合う関係だから。それでも立ち上がれないなら…その時に手を貸せばいいんだ。
「よし、じゃあみんなもこれから一週間くらい休もうか」
「なに?いいのか?」
「ああ、思えば俺達はここ最近ずっと戦いっぱなしだった。休まる暇もなかったし、一旦各々休息期間を取ろうと思う、その後から…修行を再開しよう」
エリスの件もある、今慌てて動く必要はない。何より俺達はここ最近ずっと慌ただしく動いて戦って追いかけて追われてを繰り返していた。何もない時間というのは今年に入って格段に少なくなった、だから今は休む。
焦る気持ちはあるが、焦って何か解決するわけじゃないし、時間がないからこそ休む時間も重要だろう。
「まぁ、お前が言うなら…そうしよう」
「じゃあ僕も、一旦エトワールに帰ってもいいですかね」
「うーん、エリスちゃんが気になるけど…ラグナに任せたし、私もお休みさせてもらうよ」
「じゃ、俺もおやすみさせてもらうぜ〜。なぁネレイド、お前もこっち来いよ」
「うん、いいよ」
俺がそう言えば、なんとなく理解してくれたのか。みんな休むと口々に言いながら一旦解散となる。折角ユグドラシルにいるんだからな。休息も意味があるだろう。
メルクさんはコートを払いながらデルセクトに、ナリアはエトワールに、アマルトは何故かネレイドと共に何処かに…みんな転移機構を使ってそれぞれの国へと向かっていく。
そうしてデティがユグドラシルの奥、自室の方へ向けて歩きに行ったところで…俺は横に視線を向ける。
「で、メグはどうする?」
「そうでございますね、暇じゃないと言えば暇じゃないですし、暇といえば暇なのでございますよね、陛下いないし」
唯一残ったメグに視線を向ける。首をこてんこてんと傾げている辺り、彼女には早急に片付けなければならない仕事はないんだろう。とは言え休むと言ってもゴロゴロするタイプでもないしな…。
「じゃあ俺と一緒にアルクカースに来るか?」
「これから所帯を持とうと言う男性と二人にきりになるのは問題では?」
「お前なら問題ないだろ」
「それどう言う意味でございますかね、捉え方によっては割と悪口では」
そ、そう言うわけじゃないんだが……。
「おや?もう組み手は終わったのかな」
「あ、ルードヴィヒさん」
すると、訓練場の入り口を開けてルードヴィヒ将軍が入ってくる。この人のおかげでさっきの組み手は実現したんだ、ありがたい話だよな。そう思い俺は軽く頭を下げる。
「ありがとうございました、ルードヴィヒさん」
「いやいいさ、それより観戦しようと思ったんだが…遅かったか」
「先程終わりました。ルードヴィヒさんは仕事の方は…」
「それならもう終わらせたよ、今日の分だけだったからな」
あ、相変わらずすげぇ仕事早いな。こんなに仕事が早いからカノープス様から色々押し付けられて忙殺させられてたんじゃないか?この人。
なんて考えていると、ルードヴィヒさんの後ろについてい来るように、バタバタと誰かが走ってきて…。
「お、おい!いや…その、ちょっと!ルードヴィヒ…将軍!フラフラと何処かに行かないでくれ!」
「え?」
そう言って、後を追いかけて来たのは一人のメイドだ…紺色の髪をした大柄のメイド、俺はしっかりこの目で見たことがないから分からないが…確かこいつって。
「まさか、コーディリアか?」
「お、お前はラグナ・アルクカース…!」
「なんでお前がここにいるんだよ」
「私もいるよーん」
「ッお前はアナスタシア!?」
ルードヴィヒさんの背後から現れたのは、あのハーシェル一家の第六番コーディリア・ハーシェルと逢魔ヶ時旅団の幹部アナスタシアだ。つまり敵だ…なんでこいつらがここに。
「まさか脱獄!?」
「だとしたらこんな風に顔を見せるわけない、メグに釈放されたんだ…されたんです」
「釈放?んなバカな」
「いえ、事実でございます。私が特別に釈放を許したんです」
手を上げススっと俺の視界に入って来たのはメグだ。この二人を捕らえたメグが…自分から釈放したと?なんだってそんな事を。こいつらは二人とも…俺の友達に酷いことした連中だぜ、俺はまだ割り切ってないけどな。
「この二人はレギナ様に頼まれ、一時的にサイディリアルで働かせていたのですが…色々あってコヘレトの塔にもやって来ていたんです」
「色々ありすぎだろ、え?あの場にいたの」
「はい、そこで私と一緒に戦ってアーリウムを倒してくれまして。その時に、もうこの二人に抵抗の意思はないと考えて釈放しました」
「どの道ねぇ、居場所ないし、何処にも。だったら牢獄も外も変わらないよ」
アナスタシアはそう言っているが、こいつは色々大事件を起こしてるんだぞ。デルセクトを襲撃して被害を出してる、小国だって滅ぼしたこともある。抵抗の意思がないから釈放って、それじゃあ司法が形無しだろ。そう考えていたが、そこはメグだ、俺の不信を感じ取ったのか補足を加え。
「勿論、タダで釈放ではありません。彼女達にはこれから一生アド・アストラの為に戦っていただきます。牢屋で一生過ごすか、処刑か…と言う話に持っていくには彼女達の力と知識は得難いものなので有効活用することにしました」
「囚人兵と変わらない気がするが」
「ええ、特にコーディリアは将軍と同じ左腕を失った者同士なので。ルードヴィヒ将軍がこれから使う義手のテストを行わせつつ補佐をさせることにしました」
ああ、さっきルードヴィヒ将軍が言ってた補佐ってのはこいつらの事か。引退済みとは言え栄光ある将軍の補佐が半ば囚人兵紛いの二人ってのはどうなんだ?
囚人兵ってのは軍規的にも倫理的にもかなり危うい存在だ。もしこいつらがまたマレフィカルムに戻りたがってうちの機密情報を盗み出したら、流石の俺でもメグを庇いきれない。
なんて気にしていたら…ルードヴィヒさんが。
「あまり心配する必要はない、彼女は私の補佐だが…同時に私は彼女達の監視官だ。もし反旗を翻したなら、私がなんとかする。片腕どころか両手がなくても…彼女達くらいなら余裕だよ」
「ま、まぁ貴方ほど人が言うなら…それもそうか。まぁメグの事だ、上手いことやるだろうって信頼はあるし。分かった、俺はもう何も言わないよ」
まぁ実際のところ、ルードヴィヒさんがこの二人に負ける姿が想像出来るかといえば、出来ない。腕を失い、衰えたこの人でも流石に八大同盟の幹部級には負けないだろうなとは思う。
「それに、私達も今更逃げ出そうとは思わない。逃げたところで……どこへ行くんだって話だし、ですし」
「マレフィカルムがあるじゃないか」
「はぁ…私は帰る家の話をしている。マレフィカルムは謂わば街みたいなものだ、お前路上で寝泊まりするのか…するのですか」
それもそうか。マレフィカルムは組織の集まりであって、一個人の居場所ではないか…。戻るにしても何処かの組織に行かなきゃいけないし、だったらって感じかな。
と言うかそのぎこちない敬語はなんなんだ。
「そっか、ごめん。分かった、信用するよ」
「そう言う事だ…です、それよりもメグ。一つ言いたいことがあるんだが…来てくれるか」
「え?私ですか?」
そう言うんだ、コーディリアはメグにツラを貸せとばかりに顎をしゃくる。流石にメグを物陰に引き摺り込んで殺そう…って考えてるわけじゃないだろうが。一体なんの用だ?話すならここで話せばいいじゃないか…と思ったが。
「分かりました、すみませんラグナ様。私も用事が出来てしまったのでこちらの対応をします」
「あ、ああ…分かった」
メグはほいほいついて行ってしまった。なんか俺一人になっちゃった。いやルードヴィヒさんとアナスタシアはいるけど、正直立ち話するくらい仲良いかと言うとそうでもないしな。うーん、みんな祖国に帰ったし……俺も帰るか、久々に。
アルクカース(実家)に……。
…………………………………………
「で?なんですか?コーディリア。ラグナ様の前で話せない事ですか?」
「いやぁ…。私もよく分からない話しなんだけど…」
ラグナ様から離れ、私はコーディリアと共に人気のない廊下に出て話を伺う。彼女がこうやって私と二人きりで話したいと言うのは珍しい気がする。
コーディリアは壁にもたれながらコテンコテンと首を傾げ、私に視線を向ける。
「実は、未来のお前のことだ」
「未来?ああ、十年後の」
そういえば聞きそびれていたな。私はアーリウムとの戦いで奥の手として十年後の未来から私自身を連れてきたんだ、それも意識だけ。その時の記憶はないのであれからなにが起きたか分からないんですよね。。
「十年後の私はどんな感じでした?余裕のある色気ムンムンのお姉様になってました?今も片鱗ありますが」
「い、いやぁ…今とあんまり変わりはなかったけど」
「あら、十年後もこのノリ。三十代になってそれはやや痛いでございますね」
十年後の未来、どうなっているのかは分からないが少なくとも私は荒む事なく上手くやれているようだ、なら結構……とはいえ。
未来とは流動する物。私が呼び出したのは『その時点で確定している未来』と言うだけ。時間軸の研究は今も漠然としており進んでいませんので、呼び出した未来の通りになるとは思えません。
「それで、未来の私がなにか?」
「……最後にお前に伝えて欲しいことがあると言っていた」
「私に?今倉庫に置いてあるスペシャルスーパーチリソースは早めに使えとか?」
「茶化すな」
どうやら真面目な話らしい、これは襟を正した方が良さそうだ。
「なら、なんと?」
「『デティフローアの話はよく聞け』…とさ」
「は?」
デティ様の話をよく聞け?なにをバカな話を言っているんだ?話を聞くもなにも私達はビッグフレンドでございますが、なんでそんな言葉を残したのでしょうか。
「仲良くないのか?デティフローアと」
「そんな事ございません、いつもお話ししてます」
「そっか、だがあの場面で意味のない事を言うとは思えないけどな」
「さぁ、私なので言いそうですね」
「かもな」
とは言うが、もし私が同じ場面に立たされたら。十年前に戻れるなら、意味のない言葉を残して消えるだろうか?しないな。と考えるとなにに引き換えても絶対に伝えるべき内容だったと受け取った方がいいか。
ふむ……。
「それと、未来のお前はこれ以上未来の自分に頼るなとも言っていた。お前の経験がなくなるからと」
「ふむ、それは確かにそうでございますね……じゃあこれからは時空界門の使用はやめておきましょうか」
そこについては私も考えていた。そもそもこれほどの技を現代の陛下が私に教えなかった理由、それを前回の戦いで理解した。まずリスクの割に得られるリターンが少ない、未来の体を手に入れてもそれを動かす私が未熟では意味がない。そして未来の意識を呼んだら私自身の経験にならない。
過去の陛下と現代の陛下なら、そりゃ現代の陛下の方が魔術師として高みにいる。指導に差が出るのは当然。過去の陛下の特訓で得たのはこの技ではなく技術面だと割り切ることにしよう。
「ともかくありがとうございます、覚えておきますね」
「ああ、そうしてくれ」
するとコーディリアは軽く会釈をし来た道を戻り、私の横をすり抜け、ルードヴィヒ将軍の方へと戻る。彼女が今更ここから抜け出すとは思っていないし、裏切るとも思っていない。彼女はもうジズの支配下にない。だからもう彼女は大丈夫だ……。
「メグ」
「はい?」
ふと、すれ違いざまに話しかけられて、私は振り向くと…コーディリアは私に背を向けながら、足を止めて。
「お前がくれたこの機会は…当たり前のことだとは思わない」
「……ええ」
「贖いになるかは分からないけど、しっかりやり遂げるよ。お前の父を…私が守る」
「お願いします」
軽く、私も頭を下げる。私は彼女に父を任せた、私の父だ。少し昔なら考えられなかった事態だよ。けど私は今コーディリアを信用している。
贖いの為、戦う道を選んだ彼女に私は好感を抱いている。きっとやり遂げてくれるだろう……さて。
「それじゃあ、私は私の言う事を聞きますか」
さてそれじゃあなにをしようかと考えた時。真っ先に浮かぶのは未来の私の言ったデティ様の話を聞けと言う言葉。だから早速デティ様のお話を聞きにいこうと私は時界門を開き適当なお菓子を掴み、そのままデティ様のいる自室に向かって走る。
そして……。
「デティ様〜、差し入れでございます〜」
「あれ?メグさん?」
扉を開ければ、だだっ広い部屋に並ぶ本棚、そしてその本棚に囲まれた大きな机で仕事をするデティ様が、仕事用のメガネを外し私の方を見る。うん、いつも通りだ。
「どうしたの?」
「お菓子の差し入れでございます。イチゴジャムクッキー」
「え!まじィ〜?イャッホーッ!だからメグさん大好き〜!」
ピョコ〜んと脅威の跳躍力で机を飛び越し私の持つクッキーを受け取るデティ様。うんうん、いつも通りだ。クッキー缶を抱え机に戻り、蓋を開けてうへうへ笑いながら両手にクッキーを握りサクサク食べる彼女は至って普通……。
「美味しいですか、デティ様」
「美味しい、これはデルセクトで作られたクッキーだね。で材料は帝国製、うーん素晴らしい、鼻に抜ける香ばしい味わいがバッチリ」
「ふむふむ、ところで私に隠していることはありますか?」
「えッ?」
ポロッと手に持ったクッキーを落とすデティ様を見て、私はギラリと目を鋭くさせる。隠し事、あるなこれ。
「ないよ」
あるな…絶対。
「なんですか?隠し事」
「ないよ」
「そうですか、それ『時界門』」
「あー!!」
瞬間、私は時界門でクッキー缶を引き寄せ取り上げる。人質だ、いやクッキー質か。クッキーを掴み自分の口元に当てて、答えろとばかりに見つめながらもう一度聞く。
「なんですか、隠し事」
「ッ〜だから!なにもないってば!」
思ったより強情だな。仕方ない、このクッキーは食べてしまおう…そう思い口を開いた、その時だった。
「ッ待ってください!」
「おや?」
声が響いたのは、デティ様の天蓋付きベッド。毛布にこんもりとした膨らみがある事に気がつく。そちらから…声が聞こえた。私はクッキーをデティ様に返しつつ、毛布を掴み膨らみの正体を確かめるようにバッと引くと…そこには。
枕が置いてあった……。
「こっちです」
ニュッと天蓋の上から顔を覗かせるのはエリス様だ。ダミーでしたか、にしても凄い隠密術…私が気がつけないとは。
「エリス様?」
「うう、すみません。なんか顔合わせづらくてデティに匿ってもらっていたんです」
「ごめんねーエリスちゃん、けど流石に匿続けるのも無理だし、顔出したら?」
ラグナ様を前に逃げるように消えたエリス様だ、どうやら逃げ場を色々考えた結果思いついたのがデティ様の部屋だけだったようで…いやぁよかった。エリス様にそう言う可愛らしい部分があって。
彼女は消えようと本気で思えば世界の裏側にまで飛んでいってしまう人だからヒヤヒヤしたんですよね。まぁ流石にそこまでするほど思い詰めていないとは思っていましたが。
エリス様はクルリと転がって天蓋から降りてくるエリス様は、そのままベッドに座り込む。
「エリスちゃん、さっき私に話してくれたこと。メグさんにも話したら?」
「え?あ……はい」
「悩み相談ですか?受けますよ。エリス様が話しても大丈夫ならいくらでも」
エリス様はとても悩んでいる。その内容はなんとなく想像がつくが、だからこそ私でも力になれるかもしれない。私達は友達だ、だから…と私はエリス様の隣に座る。
「実は…エリスもう長い間第三段階に入れてなくて」
予想通り、第三段階に入れないことへの焦り。エリス様はこの旅が始まるよりも前から…それこそ魔女弟子達の中で最も早く覚醒していたと言っても過言じゃない。なのに第三段階の到達をネレイド様とアマルト様に先を越されている。きっと…焦ったことでしょう。
その焦りが彼女をここまで追い詰めるのは少々意外でしたが。
だがそれは私も同じ、焦っております。これは共感できますね。
「大丈夫でございますエリス様、焦り必要はございません、エリス様ならこれからきっと……」
「それで、今まで使えてた技が使えなくなっていて…弱くなっているんです、エリス」
「へ?弱く?」
「ボアネルゲ・デュナミス、シンの記憶を使って二つの覚醒を同時に使うやつです。あれが使えなくなってて…」
「ああ、あの……え?それが使えない?」
ふと、私はデティ様に目を向ける。しかしデティ様も原因が分からないとばかりに首を振る。今まで出来ていたことが出来なくなるってのはつまりどう言うことなのか、そればかりか弱体化なんて……。
「そもそも、エリスちゃんのボアネルゲ・デュナミス自体原理のよく分からない技でさ。どうして使えてたのかも分からないのに、どうして使えなくなったか…なんてのは分かりようがないんだよ」
「デティに相談したのですが、それでも糸口が見えず……」
「で、強くならなきゃいけない場面で弱くなっちゃったから…精神的に参ってここに来たってわけ。力になってあげたいから色々調べてるけどね…こればかりはどうにも」
エリス様の力の源流は識確だ。そして識確は今現在失われた概念として扱われている代物。如何にデティ様とは言え伝わっていないものを調べるのは難しいだろう。
帝国も識確の研究をしていた時期もありましたが、あまりにも雲を掴むような話すぎて直ぐに頓挫した…と言う記録が残っています。
ある意味、この現象に対して明確な答えを出せるのは羅睺十悪星筆頭のナヴァグラハ・アカモートのみでしょう。
「まぁ私としては、エリスちゃんなら直ぐに力を取り戻せるって思ってるんだけど…エリスちゃんはそう思わない?」
「分かりません、若い頃は闇雲に鍛えて、足りない分は根性で補って戦ってこれましたが…世界の広さを知ってしまった以上、それだけではどうにもならない事を理解してしまったので」
悪い意味で、賢くなったと言うべきか。無我夢中だけではどうにもならない領域で今我々は戦っている。
この世界は残酷なもので、どれだけ強くなろうと思っても…努力や気概だけでは限界がある。才能、良き師との出会い、経験…様々な概念によって人々は篩にかけられ、厳選されていく。
幾多の篩、幾多の網目を越えて選ばれた一握の砂塵が如き猛者達。それが集う領域が第三段階達が住まう世界。第三段階の世界を知ったが故に、エリス様はその世界に踏み込む前に…篩にかけられ弾かれた気分でいるのだろう。
(うーん…これは思ったより根深い問題かもしれません)
エリス様はいい意味でも悪い意味でも頑固だ、一度思い込んだ事柄は自己解決以外で認識を改めることはない。ステュクス様の一件だって解決するのは大変だった。もしかしたら今回のメンタル不調もかなり引きずるかもしれない。
私はデティ様に視線を再び向ける。彼女も力になってあげたいが…とばかりに俯く。これは…丸投げしても良いのでは?
「エリス様」
「え?」
私は咄嗟にエリス様の両手を包むように握り、その目を見つめる。エリス様は今悩んでいる、それに対して明確な答えを返すことも、ありきたりで感情を揺さぶるように返答が出来るわけでもない。ならば…任せてみようと思う、彼女にとって最も大切な人に。
「ラグナ様が心配していました、あの方は今アルクカースにいます。今の悩みをラグナ様にぶつけてみるのもよいでしょう」
「え、ええ!?ラグナにですか?流石にラグナにこんな事相談するのは…」
「ラグナ様以外誰に相談出来ましょうか、今…エリス様とラグナ様は家族なのです、友達よりも深い関係なのです、ならばラグナ様に相談するしかないでしょう」
「う……確かに、でもなんか違う気が…」
「いいから行ってきてください!ここで悩んでるよりずっといいですから!」
「は、はい」
ラグナ様に任せる、一人で悩んでいてもいつかは解決するだろうがそれは長い時間がかかる。だったら旦那様のお役目でしょうよ、故に私はエリス様を立たせてアルクカース行きの時界門を開き、半ば強引に放り込む…よし、これで解決です。
「メグさん…今のは流石に強引すぎない?」
「エリス様は悩むと悶々とされる方です。多少強引な方がよいでしょう」
「それはそうだけど、今の段階や状態でラグナに任せるのも…いや、旦那という存在がどう働くか分からない以上、期待してみるのもいいかもね」
デティ様はやや不満げだが、最後には納得してくれる。とは言えだ、私だって強引なのは分かっているがここでエリス様に立ち止まられるのも困る。
エリス様は自分が弱くなったと、強くなれていないと言っているが、彼女の存在は戦力面で見ても未だに魔女の弟子最高クラス。エリス様が生み出す推進力は八大同盟打倒に幾度となく貢献してきた。
エリス様は立ち止まっている暇もないのだ。そしてエリス様もそれは理解しているはず、なら…強引に背中を押す。
「はぁ…で、メグさん。なんで私が嘘ついてるって分かったの?」
「へ?」
「いや、急にこの部屋に来たじゃん、なんかあった?」
おっと、忘れるところでございました。私は未来の私の話を由来にここに来たのでした…とは言え、この事を未来の私は危惧していたのでしょうか?うーん。
「いえ、実は未来の私が……」
「未来の私?なにそれ」
私は一から説明した。時間を超える秘術『時空界門』、それにより未来の私を呼び出し、それがデティ様の話を聞けという言葉を残していたという話を。それをした瞬間デティ様は青い顔をして…。
「み、未来の人格を呼び寄せた?メグさんそれ二度としないでよ」
「え?危険だからでしょうか」
「違うよ!未来から人格を呼び寄せるって逆説的に過去への跳躍じゃん!やっちゃいけない事だからね!」
確かに言われてみれば、不可能と言われている時間遡行を私は可能にしてしまったようだ。これは凄い、不可能を可能にする女と履歴書に書けますね、転職しませんが。と言うか……。
「やってはいけない事なのですか?『出来ない』ではなく」
「そうだよ、あれだよね…時間遡行の話してるんだよね。別にね、死者蘇生も世界崩壊も時間遡行も不可能なわけじゃないよ。それらは全て『理論上は可能』な魔術だから、出来ないわけじゃないの」
確かに、不可能な魔術ではなく理論上は可能だけど今まで誰も出来ていない魔術がこの三つだった。なら不可能を可能にする女と履歴書に書けませんね。転職しませんが。
「時間遡行が理論上不可能と言われているのは、それを行えばこの星そのものが消えてしまうかもしれないからなんだよ」
「そ、そうなのでございますか!?」
「そうだよ!これは色々ややこしい理屈になるから詳しくは説明しないけどさ。既に確定した事柄を後から書き換えようとすると、色んな場所で齟齬が生まれる。その齟齬も含めて全部正そうと修正力にも似た力が発動し…この星そのものがなかった事になるかもしれないの」
「へ、陛下はそんな事言ってませんでしたよ!?」
「そりゃ、この理屈が発見されたのは大いなる厄災後だから。大いなる厄災経験前のカノープス様じゃ知らないのも無理はないよ」
理論上は可能、だが使用すれば星そのものが消える可能性がある…それは確かに使用は『不可能』だ。そう言う理屈だったのですね。
「え?ではもしかして私のせいで星が滅びます?」
「今滅んでないなら大丈夫なんじゃない?そもそも滅んだ事もないからなんとも言えない…それこそ理論上の話だし」
「大丈夫なのでしょうか、私…やらかしました?」
「もしかしたら魂か意識だけの時間遡行なら大丈夫なのかも…」
「そうなのですね、ホッ……」
「にしても未来のメグさんが私の話を聞け?未来だと私とメグさんが不仲になってるのかな?」
「それはあり得ないのでは?」
「それもそうかも」
にしても、なんで未来の私はデティ様の話を聞け…なんて言ってたんだろう。よく分からないな、どう言う意図かも付け加えておいてくれないと困りますよ。全く、主語の抜けた報連相程役に立たないものはないと教えてあげないと…いや私だった。
「しかしなんでそんなこと言ったんだろう、分かる?」
「それがさっぱり、そもそも私はその時の記憶がないので」
「ふーん、…一つの肉体に二つの意識がある場合。より強い方の意識が表出し弱い方の意識は眠りについたように活動を停止するって学説もあるし、多分その時のメグさんは寝てる状態に近かったんじゃないかな」
一つの体に二つ別々の意識が表出することはない…か。なるほど、確かに気になっていたのですよね、未来の私の意識が出ている間、私の意識はどこに行っていたのか。
入れ替わるように未来に行っていたわけではないので。だとすると私はあの時寝ていたような物と。
じゃあルビカンテは…と思ったが、違うな。今の私と未来の私はコインの裏表ならルビカンテはブドウの房だ。ルビカンテという房を中心に他の人格が生まれているような物だから、そもそも別人格と言えるかも怪しい存在だったな。
「まぁつまりそういうわけで、なんでこんな事を私が言ったのか分からないのでございます。あ、なんなら今から未来の私をここに呼びますか?なーんちゃって…」
「…………」
「デティ様?」
ふと、デティ様を見ると、虚空を眺めてぼーっとしていて……フッと目に光が灯ると。
「あ、ごめんぼーっとしてた。なんだっけ?」
「い、いえ…なんでもないですが」
「そっか、じゃあ私ちょっと行ってくるね」
「おや?どちらに行かれるので?」
「んー?お仕事、夕方までには戻るから〜」
「はあ…」
急に椅子から立ち上がり、フラフラとどこかへ行ってしまう。お仕事ですか、まぁ魔術導皇は忙しいですから、いいんですが。
なんか、引っかかるなぁ。
………………………………………………………………………………
エリスは今、壁にぶつかっている。乗り越えられそうにない壁を前にただ足踏みをして、みんなは次々とそれを超えていく。みんなに追い越されるのが嫌か…と言えば、まぁ嫌だが、問題はそこじゃない。
このままじゃ、エリスはエリスの守りたいものを守れない。みんなと生きる未来を、これからもずっと楽しく生きていく未来を守れない。エリスはただその為だけに強くなってきた、戦ってきた…なのに、その果てにあるのが。
(エリスはこのままでいいんでしょうか……)
メグさんに追いやられ、アルクカースに飛ばされてしまった。周囲の景色を見渡せば頑強そうな黒い岩の壁が、赤い絨毯が見える。ここは恐らくアルクカースの中央都市大戦街ビスマルシア。そして王城であり世界最強の大砦であるフリードリス要塞だろう。
その廊下をエリスはウロウロ歩く、悩みはラグナに相談すればよい…ラグナはエリスの旦那様だから。そう思えばやや恥ずかしいが……同時に思う。
(こんな事、相談してもいいのかなぁ)
これはエリスの問題だ、それをラグナに相談するのは気が引けると言うより…これを相談して、ラグナが解決したら、それはエリス自身の答えにならないのではないか?と。だってエリスが考えているのはエリスの問題、それを他人に解いてもらったら意味がない。
けどメグさんが言うなら…そうなのかなぁ。
(はぁ、それもこれもエリスがもっと強ければいいだけの話なのに)
あれだけ修行したのに、進むどころが戻るとは。あれだけ戦ったのに、結局壁を越えられないとは。どれだけ足掻いても倒せない敵がいるとは。
なんだか、見えてきてしまったなぁ…エリスという人間の限界が。
前までならどんな限界も越えられると思っていたけど、今は思う…ここが正真正銘、エリスの限界ではないのか。エリスは第三段階に行けず終わるのではないかと。
「はぁ………」
ため息が止まらない、いろんな事を考える都度…お腹が痛む。キリキリとなにがで刺されてるみたいに痛い、辛い。エリスって…こんなに弱かったっけ。
「エリスは一体どうしたら……あ」
ふと、廊下を歩いていると。見えてくるのは、開いている扉、その先に見えたのは…テラスで日を浴びるラグナの姿だ。メグさんが言った通り、ラグナはアルクカースに帰ってきていたんだ。
「ラグナ……」
光を浴びて、赤く煌めく髪と。遠くを見据える赤い瞳。そして国王としての職務を行う際着込む白いマントを風に踊らせる姿を見ていると…胸が高鳴る。あんなかっこいい人がエリスの旦那さんって思うだけで、顔が熱くなる。
(ラグナは…特別な才能を持った人だ)
初めて会った時から、それは分かっていた。ラグナは天才だと。魔女の弟子になる前からエリスと同じくらい強く、弟子になってからはあっという間に追い越し、エリスが彼に並べた時期なんて殆どないんじゃないかと思えるくらい、彼は強い。
今はエリスと同じ第二段階だけど、すぐに第三段階に行くことは目に見えている。それくらい天才的な強さを持っている。
彼を羨ましいと思った時もあったが、その羨望は彼に対する侮辱に等しいと思い直ぐに捨てた。エリスは彼を乗り越えるべきなんだ、そして彼もそれを望んでいる気がする…なのに。
はぁ…ため息が止まらない。
「ん?エリス?」
「あ」
ふと、彼が扉の隙間から覗くエリスを見つけて声を上げる。見つかってしまったかとエリスは息を整え、扉を開き……ああ気まずい、さっき変な声の掛け方で別れたばかりだから。まぁ彼は気にしてないだろうけど。
「そ、そのラグナ…さっきは変なことしてすみません」
「いやいいよ、なんか…悩んでるんだろ?」
「はい……」
そう言うとラグナはこちらに来いとばかりに右手を広げる。それに導かれるようにエリスは隣に向かう…すると、テラスから見えたのは。
「おお…」
そこには、青い空と赤い大地に挟まれた絶景が広がっていた。無限に広がるように見えるアルクカースの街、記憶にある通り…いやエリスの記憶にあるよりもずっと栄えたビスマルシアがあった。
街にはアルクカースの人や、アルクカースじゃない人が行き来して、活気のある街並みが視界一杯に飛び込んでくる。一眼見ただけで『いい街だ』と思えるくらい…。
ビスマルシアは今こんなにも発展しているのか。
「いい景色だろ?俺の理想とする国が出来上がりつつある。無意味な闘争ではなく、守る為の闘争。隣に立つ誰かを守る為の戦いを広げる為今日まで頑張ってきた甲斐があった…王冠を被ってから、十年以上かかっちまったけどな」
「立派です、記憶にあるアルクカースよりずっと素晴らしいです」
「ははは、それもこれも君があの日…俺を助けてくれたからだ。今ここに広がる景色、そのカケラの一つに至るまで、君のおかげだ…」
エリスはただ、ラグナの姿勢に共感し…助けたいと思ったから。思わせてくれたから、エリスは戦えたんだ。エリスは戦っただけ、国を強くしたのはラグナだ。
ラグナは静かにエリスを抱き寄せ、目を伏せる。
「俺にとって、君はこの国の一部であり、この国は君の一部だ。なににも代え難い存在だ…君を守る為なら、俺は無限に強くなれる」
「無限に……」
「ああ、俺はー君には今までずっと守ってもらっていた……」
するとラグナは、エリスの肩を掴み、そのまま自分の方を向かせ…ラグナもエリスの方を向く。かっこいい顔がこちらを見る、鋭い剣のように真っ直ぐな視線がこちらを見る。ラグナの意識がこちらに向いて、エリスのハートを貫くんだ。
「だから、これから先は俺が守る。俺が君を守る、どんな厄災からも君を」
「っ…ラグナ」
守る、そう言ってもらえて…喜んでいるエリスがいる。エリスはみんなとの未来を守りたかった、だけどそれはラグナも一緒で、ラグナの未来の中にエリスもいるんだ。
そうか…そうだったのか。ラグナは…エリスを。
「今はさ、ネレイドに負けてるかもしれないけど。直ぐに追い抜く、そして自慢させてやる。私の夫は世界最強だってな?」
軽くウインクするラグナに、エリスはただ頷くことしかできない。今この胸に宿るときめきの正体はなんだ?恋?愛?いやもっと単純な感情……それは。
『安心』だ。
(ラグナがエリスを守ってくれる……か)
雨風の中にあって、家屋に守られるように。
燃えるような日差しの中、木陰に守られるように。
猛烈な刃撃の中、盾に守られるような。
安心がエリスの中に宿る、守ってもらえる…エリスよりずっと大きな人に。こんな感情いつ以来か。エリスは旅を始めてから、ずっと己の身は己で守り、誰かを背中に置いて…守るように戦ってきた。
けど…ああそうだ、これは師匠と一緒にいた時に味わった安心感に似ているんだ。守る側ではなく守られる側に移る感覚。肩の荷が一気に降りる感覚。エリスは…何処かで責任感と使命感を感じて、それに押し潰されていたんだ。
この悩みの正体は…それなんだ。
「だから、…悩みに押し潰されるな。俺がいる、どうにもならないと思ったら俺を頼ってくれ。その為に俺は強くなったんだから」
エリスは、もう一人で抱える必要はないんだ。守ってくれる人がいるんだ…それなら。
それなら……それでいいかな。
「ラグナ……」
「エリス…」
彼の胸に抱きつき、顔を埋める。それならそれでいいか…エリスだけが、エリスだけが無理に強くなる必要はないんだ。
エリスだけが…背負っているわけじゃないんだから。守られる側でもいいんだ。
(ああ、そう思うと…凄く楽になって───)
彼の腕の中で、安らぐように目を閉じて…エリスは安心感に身を委ねていく……。
『情けない』
(え?)
その時だった、エリスの脳内に…再び声が響いたのは。
『強くなる方法を模索して悩むならいい、だがその結果、その答えが、男に委ねる?なんて色ボケた答えだ…軽蔑する』
「え、な…なんですか?これ」
「どうした、エリス」
頭が痛い、頭の中に誰かいる…なんだこれ、なんだこれ!?
『いつからお前はそんなに腑抜けた!』
「だ、誰ですかお前は…!」
『そんな腑抜けたお前に負けた覚えはない!』
「負けた…なにを言って」
「お、おいエリス落ち着け!」
声がする、声がする…いや声だけじゃない、この光は……。
『腑抜けるくらいなら、ここで死ね!エリス!!』
(雷……)
耳の中で雷鳴の如く響く声が木霊する。それと同時にエリスの体内で生まれた光が、雷が、胸を穿ち……。
「がぁああああ!?!?」
「エリス!エリス!!」
感電する。咄嗟にラグナから離れた瞬間電流がエリスを包み込み…一気に意識を、奥の方へと引き摺り込んで……。
………………………………………
いきなりだった、エリスがいきなり光を放ち、自分の電流に焼かれ…悲鳴を上げた。一体何が何だかわからず俺は混乱することしか出来ない。なにが起きてるんだ?ただ悩んでるだけじゃないのか…!?
「エリス!大丈夫か!」
ともかく今はエリスだ。ふらふらと千鳥足で黒煙を上げるエリスを支えようと手を伸ばした、その時だった。明らかに意識を失っていたはずのエリスが…。
「触るな!!」
「イッ!?」
急に動き出し、俺の手を叩いた。その時走った静電気のような痛みに俺はのけ反る。痛い?なんでだ、英雄としての力が高まってからは電気なんて殆ど効かないのに…。
と言うかエリスだ、なんだ。なんで拒絶された?怒らせた?なにがまずかった。
「え、エリス…どうしたんだ」
「五月蝿い、黙れ。…これ以上エリスを惑わせるな…今のエリスに必要なのはお前の甘い誘惑ではない…」
「は…?」
頭を抱え、フラフラと遠ざかるエリスはまるでエリスじゃないみたいに喋り…俺を睨む。その眼光は。どう見てもエリスには見えない。
「エリス……?」
「っ…私は、エリスはこれから…しばらく眠りに入る。無理に起こそうとするな、ベッドにでも寝かせておけ…分かったな」
「は?なに言ってんだ、って言うかお前誰だ!」
「後でエリスから聞け……じゃあな」
「エリス!」
その瞬間、倒れ込むエリスを支える。今度は電気は走らない、ただぐったりと目を閉じて眠っていた。
なにが起きたんだ……一体。
………………………………………
「あれっ!」
ふと、次の瞬間…目を開くと。そこはラグナの腕の中でも、アルクカースでもない…なにもない白い空間だった。エリスは訳が分からずペタペタ自分の顔を触る。なにが起きた?
エリスはいきなり声を聞いて、それで…胸の中から電気が走って、死んだとかないよね、この間死んだばかりなんですけど!?
「嘘でしょ…えっと」
周りを見回す、こう言う時は大概シリウスがいる。エリスが死にかけるとシリウスが現れる、これはお決まりだ。ん?でもオフィーリアに殺された時はシリウスに会わなかったな…そもそもエリスは死んでいた時、どうなってた?
というか!それよりも!なにが起きて─────。
「情けない情けない、歳をとって落ち着いたのか。そうでないのだとしたら私の見込み違いか…」
「っ……」
声がする、さっき頭の中からした…稲妻の如き声。それが今は直ぐそこからする。はたと視線を前に向けると、白かったはずの空間が彩られ、無数の本棚が浮かび上がる。大量の本棚が並んだ城、それが無地のシャツにインクを落としたようにジワジワと広がり景色が変わっていき。
現れた世界の中から、一緒に歩んできたのは…白い髪と、白い肌と、白い服を着た…雷電の女。
「どこまでも、甘ったれたヤツ」
「シン……!?」
バッと手を広げれば、世界が本棚に包まれ、電流が迸る。その中心に立つのは…エリスの宿敵、審判のシンだった。
そうだ、今の声は…シンの声、っていうか。
「腑抜けて、骨抜きにされ、剰え堕落するなら…ここで私が粛清してやる!」
マジでなにが起きてるんですか。




