765.星魔剣と悪の華は滅ばない
「いゃあぁああ!終わったなぁ〜〜〜!」
「少しのところで、なんとかなったか」
「肝が冷えたよ〜!もう極寒!」
「ふぅ、久々に動きすぎた」
戦いは終わった、コルロという狂気の学者が引き起こした前代未聞の戦いは俺達の勝利という形で終わった。シリウスの復活も阻止して…一件落着、みんなコヘレトの塔の最上階で倒れ込み疲労で動けていない。
そんな中。
「はーはっはっはっはっ!流石だぜステュクス!お前流石だ!」
「お、おい!俺も傷だらけで痛いんだって!動かすなよ!」
一人元気なバシレウスは、俺の体を持ち上げてぴょんぴょん跳ね回っている。こいつがいたから俺はここまでなんとかやって来れた、俺にとっては大恩人であり……友達だ。友達だけどさぁ!
俺オフィーリアと戦って傷治す暇もないままここまで来たんだぜ!?ちょっと体が動かさないでほしい!戦いが終わって体が傷を認識し始めてるの!痛いの!全身!
「なんでお前そんなに元気なんだよ!」
「あ?」
俺を持ち上げるバシレウスは俺以上に疲弊しているはずなのに、なんで元気なんだと問いかけるとバシレウスは首を傾げ、うーんと悩んだ後……。
「あ、俺も動くないくらい疲れてるんだった」
「は!?おい!!」
俺に言われてようやく消耗を思い出したのか、ピューと全身から血を吹き出しバシレウスは倒れ込む。俺を抱えたままだ、真っ逆さまに地面に向けて落とされ、まるでジャーマンスープレックスのように頭から地面に叩きつけられ俺は転がる…え?なに?トドメ?
「いてぇ…死ぬ、死ぬよ〜」
「バシレウス殿、ステュクス殿、お疲れのようで。傷は私が治しましょう」
すぐにムスクルスが来てくれてなんとかなった…と思いきやムスクルスが治したのはバシレウスの方だ。まぁバシレウスの方が致命傷っぽいしな…そこはいいんだけど。
「ご機嫌ですな、バシレウス殿」
「ああ、ステュクスはすげぇんだ。どんな事でも可能にする」
「俺、そんな凄くないぜ…」
バシレウスはニコニコだ、俺の事を頼めばなんでもやってくれる神様か何かと見ているようだが…マジで俺はなんでもないただの騎士なんだ。お給料も特別多くもらってるわけでもないし、肩書きも普通の近衛騎士。前職は警備兵の…普通の男だ。
そんな男が、これだけの事をできたのは…シリウスの復活阻止と言う大業を行えたのは……。
(ロア……)
俺は星魔剣を掲げる、声をかけても…返ってこない。あのいつどんな時でもうるさかった声はもう聞こえない。アイツはシリウスを殺す為に、……一人で戦いに飛び込んで行ったんだ。
星魔剣の機能自体は残ってる、けどもう意識はないから…前みたいに剣単体でサポートとかは望めない。だけど……信じてる。俺はいつかまたロアが戻ってくるって信じてる。
だって言ってたろ、シリウスは不滅だって。なら俺とロアの友情だって…不滅なはずだ。
「ステュクス、ステュクス」
「え?アナスタシア?」
ふと、声をかけられる。アナスタシアは俺の側まで寄ってきて、顔を近づけコソコソと話しかけてきて。
「この塔にメグ達魔女の弟子がいるよ」
「え?」
メグさん達が?あっ!そうだ!マヤさんを助けにいくって言ってたんだ…でもコルロの目的が成就してるってことは…多分、マヤさんは。
……いや、でもラグナさん達はきっと無事だ。この場でクユーサーが現れてないってことはどうにかクユーサーを倒したんだ。どうやって火はマジで分からないが…。
そうか、アナスタシアは気を遣ってくれているんだ。これの絶妙なこの立ち位置を。魔女の弟子でもマレフィカルムでもない、完全なる中立状態を。バシレウスは…多分俺が説明すれば魔女の弟子と戦うことはないかもだが…いや分からん。
バシレウスが魔女の弟子をどう見てるかによる。例えばコルロ並みに敵意を持ってるなら、流石に止められん。だって俺が『コルロと戦うのはやめよう、実はアイツいい奴なんだ』って説明して聞くか?聞かねーだろ。
ロアも言ってた、バシレウスは自己ルールを絶対として動く男。俺は俺、魔女の弟子は魔女の弟子としてみる可能性が高い。だから事態がややこしくならないように気を使ってるんだ。
「こっそり地下に行きなよ、メグがいる。それで戻ってお姉ちゃん助けな」
「はい……あ」
待てよ、メグさんの時界門でタロスに戻ったら…バシレウスとはここでお別れだ。
「次はステュクス殿ですな、お待たせして申し訳ない」
「ああ…いえ」
ムスクルスがやってきて傷を治してくれる、けど…どうする。もしここで姉貴のところに行くなら別れることになる。ここでお別れ…はあんまりにも悲しいだろ。
けどじゃあ連れていくってなると、それもまた問題の匂いしかしない。なによりメグさん達の反応を見るにバシレウスの一方通行の敵意ってわけでもない。
まだ別れるのは嫌だから車で一緒に…ってのも無理だ、ここからタロスまで一日で戻れない。戻るならメグさんの転移じゃないと期日まで間に合わないし、俺もそれで戻るつもりだった。
つまり……今しかない。
「終わりましたぞ、ステュクス殿」
「あ…ありがとう」
「何か気にされているのですか?」
「え?」
ムスクルスは俺の顔色を見て何かを察したのか、声をかけてくる。どうしたんだ?と眉をひそめる彼の目を…直視出来ない。後ろめたさがある、ここまでお世話になって…で全部終わったらはいさよなら、まるで利用したみたいだ。
正直言うと、俺はここにいるみんなを仲間だと思っている。最初は偶然で集まったメンバーだけど…俺はみんなのいいところをいっぱい言えるし、聞いたらみんなもたくさん言ってくれる人達だから。
(こんな時、どう動いたらいいのか…教えてくれよ、ロア)
バシレウスを取るか、姉貴を取るか……なんて、考えること自体が二人に対してなんだか失礼な気がして────。
「さて、と……」
すると、傷を治したバシレウスは跳ね上がるように起き上がり、軽くストレッチをして。
「じゃあ、帰るか。ラセツ、車」
「車は外で待機しとるけど…帰るってお前どこに帰るんや?」
「あ?あー…前まではタロスの本部に帰ってたけど、うーん…今は一旦ラダマンテスか?折角貰ったわけだし、しばらく住むわ」
「いやいや、オレはタロスに帰るで?タヴやんは?」
「俺はサイディリアルに帰るが…終わったしな」
「は!?」
そういえば、帰る場所があるのは俺だけじゃなかったな。どうやらバシレウスはラダマンテスに行く気らしい…。
「アナスタシアは!」
「私はサイディリアルだけど?」
「カルウェナン!」
「小生達は…どこだろうな、理解のビナーを見つけたかったが、結局手がかりは得られなかった」
「じゃあラダマンテスに…」
「いや、一旦タロスに向かおう」
「はぁ〜〜?なんだよお前ら!一人くらい出ろよ!祝勝会!」
「やる気やったんか、祝勝会」
ムスッとしたバシレウスは、チラリと俺の方に視線を向ける。まずい…余計言いづらくなった…ここで俺もタロスに行きますは流石に……。
「しゃあねぇ、じゃあここで全員とお別れか…」
「え?」
「え?じゃねぇよ、お前…行くんだろ?姉貴のところによ」
「……いいのか?」
俺は思わず立ち上がる。こいつの中ではもう…区切りがついてるのか?もっと色々言ってくるかと思ったんだが、それこそ地面に倒れ込んで手足バタバタさせて『やだー!祝勝会でろー!命令ーー!!』とか…言うかと。
「元々そう言う話だったろ、お前はその為に命懸けたわけだ。そこに対してどうのと言うつもりはない…それに、多分止めても無駄だろ?」
「いやまぁ……」
「だから行けよ、俺は誰かに縛られるのは嫌いだ、だからこそお前を縛るのも嫌だ。俺は俺の道を行く、お前もお前の道を行け」
バシレウスは俺の前に立ち、歯を見せ笑う。思わず目頭が熱くなってしまう…そんな事言ってくれるなんて、……でもここで別れたら、次いつ会えるかも分からない。もしかしたら一生会えないかもしれない…それは嫌だ。
「な、なぁバシレウス。やっぱりお前も俺と一緒にサイディリアルに……玉座には座らなくてもいい、せめて…城くらいには、顔を……」
「ステュクス」
せめて、レギナに会ってやってくれ…そう言いたかったが、まるでバシレウスは俺の理解を呼び起こすように一言、俺の名前を呼ぶ。言わなくて分かるよな?と首を傾げる。ああそうか、こいつはサイディリアルに戻る気は無いんだ……。
「……レギナは、お前に会いたかってるよ」
「そうか、だけど俺はアイツの兄貴じゃ……はぁ、いいや。お前に意地を張っても仕方ないから言う。確かに俺はレギナの兄貴だ、母親も父親も同じだ」
観念したのかバシレウスは頭をカリカリと掻いて、ため息を吐くと…。
「だが、俺はアイツと同じ道を歩けないと思ってる。俺はアイツの兄貴や姉貴を多く殺した…レギナがどう思ってようと、俺はアイツの兄貴でいるべきじゃない」
「そんな事……」
「俺がそう思ってるんだ、他の誰がなんと思っても変わらねーよ…アイツは俺にとって唯一の妹だからこそ、俺はアイツの兄貴でいたくない。だってアイツは……」
バシレウスは強い男だ、腕っぷしもそうだし芯も強い、まさしく人の上に立てる男だ…だが俺は知ってる、この男がどれだけナイーブか。その内側に抱えている脆い部分がどれだけ弱いかを。だけど…だけど。
「だってアイツは、俺にとって唯一…胸を張って誇れる存在だからだ」
だがナイーブってのは言い換えたら、優しいって事だよ……。お前は十分レギナの兄貴だよ…。
「かーっ!小っ恥ずかしい、二度と聞くなよ言わせるなよ、そしてレギナに言うなよ」
「うぅ、やっぱりお前レギナに会えよぉ」
「がー!だから言うな!」
うぅ、やっぱりここで別れるのは寂しいよ、レギナに会ってほしいよ、これからも一緒に戦ってほしいよ、こいつやっぱりいい奴だよぉ……。
「ケッ、取り敢えず車だ!タロスまでなら送ってやっても────」
そうバシレウスが言った、その瞬間だった。
「うおぉ!?」
「なんだ!?」
地面が揺れる、割れる、壊れる。突然コヘレトの塔が大きく動き、地面の下から何かが上がってくるように、岩を砕いて…飛んでくる。
『うわぁぁああああああああ!!』
「え!?」
ボコンと音を立てて地面をぶち抜き、天井をぶち抜き空の彼方に向け何かが飛んでいった。その影は悲鳴を上げながら天高く飛んでいき……そしてすぐ後に。
『やめてくれ───────!!』
「い、今のは……」
落ちてきた、天井に開けた穴を通って再び落ちてきたそれは地面に開けた穴を通って地下まで飛んでいった、しかも超高速で…と言うか一瞬だけだが、見えたぞ。
地面から昇り、天から落ちてきたのは…クユーサー?と…ネレイドさん?ネレイドさんがクユーサーを抱えて天に昇り、そして再び地面をぶち抜き落ちて行ったんだ。なにが起きてんだ……ん?
待てよ、俺に見えたってことは……。
「今のはクユーサーと…シスターのデカブツ、確か魔女の弟子にあんなのがいたな……なんでアイツここにいやがる。まさかここにいるのか…魔女の弟子がァ…!」
(や、やべぇ…!)
バシレウスがネレイドさんの存在に気がついた、そして明らかに敵意を向けてる。やばい!もし会わせたら戦いになるか?ええい仕方ない!
「ど、どうしたんだよバシレウス。怖い顔して!」
「あ?魔女の弟子がいた。敵だ、まだ敵がいる」
「ええ?魔女の弟子ぃ?いやいや敵じゃないんじゃないか?話してみたらいいやつかも」
「いい奴か悪い奴かは関係ない、敵だ」
「なんでそんな頑ななんだよ…」
「なんでって……」
必死に誤魔化すように、魔女の弟子は敵じゃないよ?って方向に持っていきたかったが、バシレウスは頑なに敵だと言い続け、何故…という言葉に対して返ってきたのは。
「俺も魔女の弟子だからだ、生命の魔女の弟子バシレウスだからだ」
「は?」
……どう言う事?自分も魔女の弟子だから、他の魔女の弟子は敵だって事?まずい…これ明らかにバシレウスの自分ルールに抵触してる。俺が触れられる領域じゃ…。
「そういえばお前……」
ふと、バシレウスが何かに気がついたように、思い出したように、目を剥くと…俺に目を向け、何かを言おうとしたその瞬間だった。
「お!?アカン!今ので塔が真っ二つに割れとる!」
「これは!崩れるぞ!」
「えぇ!?」
ネレイドさんの一撃でコヘレトの塔が真っ二つに割れ始めている。岩盤にも衝撃が加わったのか、沈みながら右と左に分かれ始めているんだ。どんだけヤベェ威力の技使ったんだネレイドさんは……!
まずい!コヘレトの塔が崩れる!もういかないと…!
「バシレウス!」
「ッ……ああ、もう行くのか?」
バシレウスは何かを言いかけていたが、首を振って俺の言葉に答えると…割れて壊れる塔の中で、大きく頷く。
「うん、俺…行くよ!」
「そうか、止めはしない。行け……俺は、俺の道を行くからさ」
バシレウスの背後には、今回の戦いで出来た部下が大勢いる。これからバシレウスは魔王としての道を行くんだ。その道に俺が交わる日が来るかは分からない、分からないけど…少なくとも、もう一緒に冒険する日は来ないだろう。
「俺はサイディリアルに行きたくないし、レギナに会うつもりもない。お前がレギナの側にいる限り俺はお前の所には現れない」
「……ああ」
「だけど」
するとバシレウスは自分の胸を叩いてから…拳を突き出すと。
「もし!困った事!ムカつく奴!やばい敵が出てきたら!俺を呼べ!レギナには会わないがお前になり会ってやってもいい!」
「バシレウス…!」
「例えここで離れても、スキエンティスの大参謀の座はお前以外には座らせない。お前は俺の参謀であり、友達だ!」
「ああ、…ああ!バシレウス!俺も…お前以外の参謀には絶対にならない。お前のことは忘れないよ!」
俺もまたバシレウスの拳に俺の拳をぶつけ、涙を堪えて叫ぶ。地面が割れて俺とバシレウスの間に亀裂を作っても、お互いに手を伸ばし最後の一瞬まで視線を交わし合う。
「ありがとう!ありがとう!バシレウス!ありがとう!!」
「へっ、馬鹿野郎。こっちのセリフだよそれは!それじゃあな!あばよ!ステュクス!」
「ああ!バシレウスー!!……みんなも、みんなもありがとうーーー!!」
そのままバシレウスは崩れる塔の中を走って、瓦礫の向こうに消えていく。ラセツさんやタヴさん、カルウェナンさんにアナスタシア、ムスクルスに…スキエンティスのみんな、みんながいたから俺はここまで来れたんだ。
たった一人で始まった冒険を最後までやり抜けたのは…みんながいたからだ。本当に礼を言っても言い切れないよ、ありがとう…!
「ッ……よし!」
バシレウスはバシレウスの道を行くんだ、なら俺も止まるな!姉貴を助けるんだろ!こんなところで死ねるかよ!!
「今行くぜ!待ってろよ姉貴!!」
そして俺は、バシレウス達とは違う方向に進み、下を目指す、メグさん達が下にいるなら…そこに向けて走る。もう殆ど崩れているから落ちていく瓦礫の上を飛んで踏みながらドンドン下に降りる。いやぁムスクルスに体治してもらっておいてよかった。
「よっと!ほっ!よいしょ!…っていうかこのまま落ちてもいいのか、別に瓦礫を踏んで降りなくても」
そうやって下に向けて降りていくと……。
「おい!ステュクス!!」
「え?」
崩れている一室が瓦礫の中に見える。崩れて落ちていく一室、そこに見えるのは……。
「あれ?コーディリア!?」
「こっちだ!」
右手をブンブン振ってるコーディリアが見える、アイツ見かけないと思ったらこんな所にいたのか?ともあれそこに向かおうと俺は瓦礫を足場に大穴の空いた一室へと向かうと、そこには左腕を失ったコーディリアがいて…って!
「大丈夫かお前!」
「ああ、問題ない。それよりこっちにメグがいる!回収してくれ!終わったんだろ?戦いは」
「え?」
すると、部屋の真ん中にはグデーンと倒れているメグさんがいて…って気絶してる!?あの人が頼みなのに!?っていうかここでなにがあったんだ!?
「大丈夫かよマジで」
「大丈夫だ、意識を失っているだけだ。取り敢えずメグを起こしてここを脱出しろ」
「お前は?」
「アナスタシアと合流し次第タロスを目指す。アイツは一人に出来ない」
「でもお前、左腕もなしにここを脱出できるのか?」
「ナメるな、元空魔だ。このくらい目隠ししても出れる…じゃあな、メグによろしく頼む」
「あ、ああ……」
そういうなりコーディリアは崩れる塔の中を走って脱出してしまう、バシレウス達のところに向かうんだろう。まぁ確かにアイツなら外にも出れるか……っていうかコーディリアにお礼を言うの忘れてたな。まぁいいや、カルウェナンさん達やコーディリア達はタロスに行くみたいだし、そこでまた礼を言うか。
「それよりメグさんだ!メグさん!起きてください起きてください!!」
「うーん、むにゃむにゃ…もう食べられ…ないのですか?もっと食べてください陛下、ほら煮卵」
「寝言で食べさせてる側のパターンとかあるんだ…初めて見た…ってか起きて!!」
「んんー……ハッ!?私は!?」
俺がグングンとメグさんの肩を揺さぶるとメグさんはバッと目を覚まし、周りを見て…。
「あれ!?どう言う状況!?」
「こっちが聞きたいですが今この塔が崩れているので!早く脱出を!」
「え、ええ!それよりラグナ様とネレイド様、それにマヤ様は……」
『ここだよ!!』
次の瞬間!ボカーン!と音を立てて床が弾け飛び、現れたのは…ネレイドさんだ。ちょっと前までかなり調子が悪そうだったが今や顔色は凄まじく良く、そしてその手にはズタボロのラグナさんと…動かないマヤさんが。
「ネレイドさん!ラグナさん!それにマヤ……さん」
「……マヤはもう、それよりメグ!ごめん!やりすぎた!脱出しよう!」
「悪い、俺もう動けねぇ…というかステュクス」
ふと、傷だらけのラグナさんはこちらを見て、俺の姿を驚いたような目で見つめた後、目を潤ませ。
「お前は、やれたんだな」
ただそれだけ言ったんだ。それで全てを察した、多分ラグナさん達はマジでクユーサーを倒した、けど…一歩遅かったんだ、マヤさん亡くなってしまった。ただその遺体だけを回収したんだと……。
でも、それでも、俺は……。
「姉貴を助ける手立てを回収しました、オフィーリアにも報いを受けさせました」
「そうか、ありがとう…お前には礼を言い尽くして、言い切れない」
「いえ……」
「さぁもう全て終わったので脱出しますよ!『時界門』!」
そしてメグさんは両手を広げて空間に穴を作り、脱出する為の転移穴を作る。この先はタロスに繋がっているんだろう。これで……終わりだ。
俺は戦場の舞台となったコヘレトの塔に、そしてバシレウス達に別れを告げるように…転移穴へと飛び込み、タロスへの帰還を行う。
姉貴を助ける為の一週間にも満たない冒険は…その一歩によって完全に終わりを迎えるのだった。
………………………………………………………………
そして、タロスの病院……その一室。
「大丈夫…まだ大丈夫、死なせない…私が死んでもエリスちゃんは死なせない」
ブツブツと譫言のように呟くデティフローアは、この六日間。片時も離れずベッドの上で眠るエリスに魔力を流し続けた。人力で生命維持装置の代わりを行う彼女には休憩は一切許されない。
六日間、彼女はここを離れなかった。眠ることもせず、食事も摂らず、必要最低限の水だけを飲み、排泄もここで行った。全ては…親友のエリスを死なせない為。
「絶対絶対絶対死なせない…私が死なせない、死なせないよエリスちゃん…私は貴方を失わない、失わせない、世界から貴方を奪わせない。私は貴方を守り切る、全てから守り切る…だから、だから目を覚ましてよ……」
ボロボロと祈るように無間地獄ともいえる六日間を過ごし、心身ともに限界に近づいた彼女は涙を流し、エリスという絶対なる存在に縋り続ける。それは最早信仰の域に達し…ただただ命を繋ぎ続ける。
デティは地獄の苦しみを味わっている…だが、それと同じくらい苦しいのは。
「デティの奴…もう限界だ」
「もうずっとあの様子です…僕達、出来ることないんでしょうか」
「……あったら、もっと早くやっている」
ただ、見守ることしかできないアマルト、ナリア、メルクの三人だ。彼らも片時も離れず、デティの側に居続けた。死にかけているエリスを差し置いて、それを守るデティを差し置いて、自分達だけ食事を取ったりする気にもなれず…ずっとここに居続けた。
三日間はデティが眠らないよう声をかけ続けたが、四日を超えたあたりにデティからの返答がなくなった為、寧ろ声をかけず近くにて見守ることにした。
自分たちにできることはない。その苦しみに頭を掻きむしり狂いそうになるほどのもどかしさを覚えたが、デティの苦しみを考えればそんな物瑣末だと言い切り、ただ見守り続けた。
「ラグナ…メグ…ネレイド、もう六日だ…デティも限界だ……早くしてくれ」
オフィーリアを捕縛に向かった三人に祈る。自分達も後から追いかけたほうが良かったのでは…と考えて考えて、唇を噛み潰す程の後悔を感じたりもしたが…今は祈ることしか出来ない。
デティが提示した七日間の限界は、デティが魔力を通し続け生きていられる限界時間。これを超えればエリスだけでなくデティも死ぬ…目の前で何も出来ず友人二人が死ぬ、そんな最悪の未来を想像した…その時だった……。
「はい着きましたーー!!」
「みんな!ただいま!!」
「エリスは……!」
「ッッ…お前らッ!」
開く、空間が。そして入り込んでくるのは…傷だらけのラグナに、メグに、ネレイドに……。
「オフィーリアは!!」
「それは俺が!!」
「ステュクス!?」
……俺だ、あの日後にした病院に戻ってきた俺はまずギョッとした。ツンと鼻をつく匂いに顔を顰めそうになった。匂いはデティさんから来ていた、この人…一時も離れず姉貴を守り続けたんだ……。
「エリスちゃんエリスちゃんエリスちゃ……ステュクス君?」
「デティさん!俺!戻ってきました!」
「お、おい!オフィーリアは!?捕まえに行ったんじゃ……」
混乱するアマルトさん、黙っているメルクさん、限界を超えてへたり込むメグさん達…そんな中、俺はベッドの脇に立つ。それを見てデティさんが黙り……俺は星魔剣を抜く。
オフィーリアは捕まえていない、ただ…奴からきちんと、これを預かってきている。
「……『アヴローラ・メメントモリ』」
星魔剣を姉貴に押し当て…即死魔術を放つ。すると剣を伝って姉貴の魂を霧散させようとする魔力を感じ取れた。憎らしい…この六日間何度も出会い、今しがた死闘を繰り広げたオフィーリアの残り香がそこにあった。
そいつを、剣で切り払うように霧散させる……。
「ッ……魂が、今なら繋ぎ直せる」
デティさんの目に光が戻り、咄嗟に何か…俺には理解もできないくらい難しい魔力の動きを行い、姉貴の魂を再び肉体にリンクさせるんだ。
後はもう、祈るしかない。間に合ったことを……。
「姉貴、頼むよ…起きてくれ」
俺はその場に座り込み、姉貴に縋り付く。その顔は、肌は、熱は、いつか…ソレイユ村で看取った母ハーメアの最期にあまりにも似ていて、あの日何も出来ず死なせてしまった母を思わせて、ただ祈る。
頼む、起きてくれ…俺はまだ…あんたに礼も謝罪も言えてない。
「頼む、頼むよ…姉貴、目を覚ましてくれ」
皆が押し黙る、ただ姉貴を見守る。六日間死に続けた姉貴が……無事目覚めることを。
祈る…祈る、祈って…見守るのは、その瞼……すると。
「ん……」
「ッッ!!!」
姉貴の瞼が揺れた!息が戻った…そう思った瞬間。
「ハッ!!エリスは!?……あれ?ここは?エリスは?なんで病室?」
「ッ…あ、あね…姉貴ィ……」
「ステュクス……?」
起き上がる、まるで…あの日、大聖堂で俺を守った直後から時が止まっていたかのように、いつものように、いつもの調子で…力強く起き上がった姉貴は、俺を見てこう言うんだ。
「無事でよかった」
「ッッッ〜〜〜……!」
唇が震える、姉貴は…最後の最後まで、俺の事を考えていたのか。ああ…俺はなんて無茶をしてしまったんだ。こんな…こんないい姉貴を心配させて……!!
「そりゃあ…こっちのセリフだよ、ごめん…ごめんよ、姉貴ぃ」
「へ?…っていうか、みんな……」
そして、遅れてやってきた現実に…みんな体を震わせ、体の底から噴き上がるような感情にを身を任せ、首を傾げる姉貴を差し置いて…飛び上がる。
「ぃぃっよっしゃあああああああああああ!!!」
「助かったぁああああああ!!!よかったーーーー!!!」
「ぅゔぅううぅううああああああ!エリスぅううううう!私は!私は!お前が死んでしまったらと考えると!!ぅぅううううう!!」
「み、みんな!?どうしたんですか!?」
「よかった!目覚めたんだね、エリス」
「ネレイドさん?体の調子は……」
「エリスーーー!!」
「ぶわっぷ!?ラグナ!?」
「ゔわぁぁああああもう本当に肝が冷えたーー!二度と無茶すんなよお前ぇええええ!!」
「え?え?え?」
「ああ本当によかったでございますってデティ様が倒れたー!!!」
「今度はこっちの介抱だ!MVPを死なせんなよ!」
大騒ぎの魔女の弟子達、アマルトさん達は飛び上がり、ラグナさんは姉貴に飛びつき抱きついて、デティさんは姉貴の回復を見届け白目を剥いてその場で気絶、慌ててみんなで介抱を始める。
ああ…よかった、そう思うと俺も腰が抜ける。よかった…マジで。
(やり遂げたよ…師匠、バシレウス、ロア…みんな)
俺一人じゃ、ここまで来れなかった。姉貴の回復を見届けられなかった、……よかった…ん?
「え?」
ふと、目を前に向けると…魔女の弟子のみんなが俺を見ていて、え?なに?なんだろう…。
「ステュクス」
「え?あ、はい……」
「ありがとう!」
「へ!?ちょっと!?」
その瞬間、みんなが俺に抱きついてきて、突然胴上げが始まり。
「ちょっと!?」
「マジでありがとう!本当に助かった!!」
「ステュクス様がいてくれなければどうなっていたか!」
「凄いよ、ステュクス君」
「い、いやぁ〜〜」
ありがとう、ありがとうと礼を言われ続ける。そんなに褒められると俺照れちまうよ…ラグナさんもメグさんもネレイドさんも、アマルトさんにナリアさんにメルクさん…みんなみんな俺を称えてくれる。元はと言えば俺のせいで始まった事なのに……でも。
「ちょっとみんな!」
その瞬間、姉貴が胴上げされている俺を抱えてみんなを引き離し、俺をギュッと抱きしめると。
「なにがなんだか分かりませんけどね!この子はエリスの弟ですよ!甘やかすのはエリスの仕事です!」
「えぇ…」
状況は分からないけどこれはエリスのものだと抱きしめ頬擦りを始める。恥ずかしいよ姉貴…恥ずかしいけどさ。でも言わせてくれ。
「なぁ姉貴」
「ん?はい?なんです?」
チラリと、姉貴の顔を見る。不思議そうな顔、もう二度と動いているところが見れないと思っていた瞳と、心臓の鼓動が感じる、熱を感じる。あの日二度と動かなかった母の面影の続きを見れたような気がして…とても嬉しくて。
俺は、はにかみながら…伝える、言いたかった事、伝えたかった事。
それは……。
「姉貴、生きててくれてありがとう」
ただそれだけを言いたかった、俺は今……守りたいと本気で思ったものを守れたんだ。その感覚を抱きしめながら、姉貴を抱きしめ返す。すると姉貴は不思議そうな顔をして…。
「よく分かりませんけど…こちらこそ!生きててくれてありがとう、ステュクス」
「うん…うん!」
……俺は多くを失ってきた、守れず死なせた人を数えたらキリが無い。
けど同時に、きっと守れたものも多くあるんだ。変えられた物も多くあるんだ。
俺は確かに強くなれているんだ、なぁ……そうだよな。
立派になれたかな、なぁ…見てるんだろ?ヴェルト師匠。
─────人生は空であり、人は空を征く渡り鳥だ。
空を飛び続ければ、同じ方向に飛ぶ鳥と出会うこともあれば、また別れることもある。
空を飛び続ければ、時に明るい晴天を行く事もあれば、寒い夜を飛ぶこともあり、打ち付ける雨に耐えることも、吹き荒ぶ向かい風に見舞われることもある。
それでも、鳥は飛び続ける。見えない果てを目指して、空を飛び続ける。その先になにがあるか分からなくても飛び続ける、空を選ぶことなく、一つの天を駆け抜け飛んでいく。
どれだけ苦しくても、辛くても、鳥は一人で空を飛ばなきゃいけないもんだ。
けれど…きっと大丈夫。諦めず飛ぶ鳥は迷わない。
夜空に輝く満天星が、行く先を照らしてくれているのだから。
…………………………………………………………………
ステュクス、バシレウス、魔女の弟子が立ち去り…そして崩落したコヘレトの塔。持ち主のヴァニタートゥムもコルロも皆もうこの世にはおらず、ヴァニタス・ヴァニタートゥムは拠点も含めて跡形もなく消滅したといえるだろう。
そんな跡地とも言える瓦礫の山。コルロの夢の跡に一人が踏み込み…瓦礫を持ち上げ放り投げ、瓦礫の山を掘っていく。
「はぁ〜〜…えー?もしかして私、遅刻してしまいましたかね…バシレウス様ってば私に助けを求めた割に、私の助けもなく勝っちゃうなんて私の立つ瀬がないじゃ無いですかぁ」
片手で巨大な瓦礫を掴み、放り投げるのは仮面の者。白いローブを着て、不可思議な模様が刻まれた仮面を被り、後ろからは白い髪を腰まで流すそれが肩を落とす。
此れの名はケテル。セフィラが一角『王冠』のケテル。総帥の右腕『栄光』のホドと並び、総帥の左腕と呼ばれる人物であり、帝国将軍ゴッドローブと互角に打ち合える実力を持つセフィラ最強の一人でもある。
ケテルはバシレウスに呼ばれていた。ラダマンテスにてイノケンティウスと会談していた時、バシレウスと出会った彼はコルロとの抗争があるからお前も手を貸せとケテルに言い、ケテルも仕事が終わり次第向かう…という話だったのだが。
まさかまさかのそこから数日とたたずヴァニタートゥムが崩壊するとは思っていかなったのか、完全に出遅れたケテルは取り敢えず瓦礫を掘り返してバシレウスか、或いはその仲間がいないかを探していた。即ち救出活動である。
「うーん、ここまで掘り返した感じ…いないっぽいか…?」
結構掘り進めたが、ケテルは結局誰も発見出来なかった。それはそうだ、コルロの部下は全員干物のように乾燥し塵と消えコルロもシリウスも跡形もなく消え、バシレウス側に死者も出ていないためこの塔は完全に無人なのだから。
だがそんな事全く知らされていないケテルは健気に瓦礫を放り投げ、救出活動に勤しむと……。
「この塔には誰もいませんよ、両陣営消えるか立ち去るかしたようです」
「おや?」
ふと、近くの瓦礫の山に座る人物が、突然声をかける。さっきまでいなかったはずなのに声が聞こえるとケテルは仮面をそちら側に向けて確認すると。
「あらダアトさん、あなたも来てたんですね」
「ええ、そして私もあなたと同じく遅刻です。まさかバシレウス様がこうも早く終わらせるとは…私が見ていた未来では少なくともコルロ討伐まで十日はかかる予定だったのですが、何処かで予測が狂ったみたいです」
『知識』のダアトだ、エーニアックでの用事を済ませ、その後コヘレトに急行したものの。やはり戦闘は終わっており、彼女も無駄足を踏んだようだ。
「コルロは死にました、やっぱりというかなんというか…上手くやったみたいですよ」
「へぇー、まさかマジで倒すとは…バシレウス様の実力的に難しい気がしてたんですが…」
「いえ、どうやら成ったようです。今の彼は私より強いですよ」
「マジで?」
ダアトは感じ取っていた、バシレウスが第三段階の限界を跳ね除け第四段階の扉を開いた事を。臨界覚醒を会得していないものの、そもそも段階とは上に行けば行くほど実力の限界値が更新されるもの。
バシレウスが第三段階を超えた時点で第三段階相当のダアトでは勝負にもならない。それこそ止められるのはガオケレナか…或いは魔女のみ、という領域に入ったのだ。
名実ともに、バシレウスはマレフィカルム最強の男になった。
「ようやくカタログスペックを発揮出来るようになりましたか。いやいや蠱毒の儀に力を入れていた身としては感慨深いですねぇ」
「…………」
ケテルはバシレウスの成長を喜ぶ、というより自らが主導していた蠱毒の儀の成功を喜んでいるようだった。その様をダアトはやや冷ややかに見ながらもケテルの隣に立つ。
「で、ダアトさん?もう戦いが終わったなら貴方、なんでここにいるので?貴方なら予測が狂おうとも戦いが終わったことくらい遠方からでも分かるのでは?」
「それは、これの処理をしに来たからです」
そう言ってダアトは瓦礫の隙間に手を突っ込み…引き出したのは。黒い木片だ。
「これは不死者の…まさか、クユーサーですか?」
「ええ、再生を封じられた上で敗北したようで」
「再生を封じて!?あり得るのですか!?それ!少なくとも私は……聞いた事ないですけど」
「私もです。私以上に認識を操る能力を持った奴が相手だったようです」
握ったのはクユーサーの破片だ。これでもまだ生きている、だがネレイドの幻惑に囚われ、体が傷を認識出来ていない為再生が出来ないのだ。
不死者の体は傷を受けると再生する…というより、無傷の状態をデフォルトとして、常にデフォルトの状態を保ち続けるよう肉体が動くという性質を持つ。つまり傷がないと体が認識すると、再生を起こすことができないのだ。
それを受けケテルは若干信じられないと首を振り、ダアトは面白いと軽く微笑む。
「まぁとは言え、これでも生きてるので。取り敢えず…始末だけでもと」
「そうですね、こいつは裏切り者なのでね。だから私は言ったんです、百年前…総帥がこいつを仲間に加える時、ただのならず者風情を腕っぷしだけで選ぶなと」
メキメキと音を立ててケテルの右腕が変形し、黒い樹木となって巨大化する。ケテルもまたクユーサーと同じ不死者、長く生きる者でありガオケレナが不死にした最初の人間である。
不死者を殺すことができるのは不死者だけ、その常識を覆す事態を前に同じ不死者として衝撃を受けつつ、ケテルは巨大化した手をダアトに差し出して。
「それ、ください」
「はいはい」
クユーサーの木片を要求する。ここでクユーサーを殺す為木片を欲しているのだ。それに抵抗することなくダアトはクユーサーを渡す。ある意味ダアトにとっても故郷を襲おうとした憎い相手、守る義理はない。しかし。
「おっと」
瞬間、手渡されたクユーサーの木片が突如動き出し、ケテルの頭を狙って木の根を伸ばしたのだ。それは槍となりケテルの頭を貫通……していなかった。
「危ない危ない、殺される前に私を殺そうとしましたね?クユーサー」
貫通したのはケテルの仮面だけ、咄嗟に頭を動かし回避していたケテルはニタリと笑いながら…仮面の内側に秘められていた紅い瞳を揺らす。
「所詮、犯罪者風情。野心と野望を自制する理性も持たない人型の獣。貴方はマレフィカルムの崇高な道行には些か不適合でしたね…消えてもらいましょう」
そして、ケテルは手を動かし、ギリギリと音を立ててクユーサーの木片を握りつぶし、その奥にある魂すらも粉砕する。不死身のクユーサーを殺し得る唯一の手段として…ケテルは今この時クユーサーに引導を渡す。
「はい、終わり!」
そして、塵となって消えるクユーサーの木片を手を広げながら見せる、その様を…ダアトは意外そうに見て。
「…………」
「どうしました?そんな顔して」
「……いえ、思えばケテル。貴方の顔を肉眼で見るのは初めてでしたね」
「えぇ、私の素性くらい知ってるでしょ〜」
「まぁそうなんですが……それにしても」
晒された面は、端正な男の顔立ち、目鼻立ちは整い、或いは光を纏うほどの美貌。それ以上に目を引くのはその赤い目…そして腰まで伸びた白い髪、そう、それは……。
「見れば見るだに、バシレウス様そっくりですね…ケテル。いえ…プリンケプス・ネビュラマキュラさん」
「もう、その名前で呼ばないでくれますか?」
『王冠』のケテル、またの名をプリンケプス・ネビュラマキュラ。マレウスの歴史に名を残す建国王アウグストゥスの弟にして、…元老院初代独裁官。サイディリアルにもプリンケプス大通りの名で残る史上の偉人、ネビュラマキュラの一員であるが故にバシレウスと似ているのは当然か。
或いは、子孫のバシレウスが祖先であるプリンケプスに似ていると言った方がいいのかもしれない。
「……バシレウスは私にとって可愛い子孫です。私が一生懸命作った元老院をぶっ壊したり、言うことも聞かず好き勝手やったり、やんちゃなところはありますが…それでも私達ネビュラマキュラの八千年に正当性を持たせる存在なのです」
「……妄執ですか?自分の苦しみが正しいものだったと思い込みたいから、貴方は蠱毒の儀なんて言う狂った代物を強化したと」
「違います、アウグストゥス兄様の苦悩が報われたのが嬉しいのです。このままバシレウスにはドンドン魔王になってもらいましょう…そして」
踵を返し、歩き始め。瓦礫を蹴飛ばしたプリンケプス…いや、ケテルは天を見上げ。
「兄様の作ったマレウスという国を、地上唯一の国にする。その為には魔女大国は邪魔なので…消えてもらいましょう」
「はぁ……」
「え?ちょっと、そんな反応ないんじゃないんですか?」
ダアトはもうかける言葉もないとばかりにため息を吐き、ケテルから距離を取り、その場を立ち去るように歩き出す。
「もう帰るんですか、ダアトさん」
「帰るのは貴方の方です、今すぐここを離れなさい。厄介なのに見つかる前に」
「え?」
そしてダアトは走り出す、このヘベルの大穴での戦い…それに裏から関わり続けた陰の勢力に。
この戦いをバシレウス達は『バシレウス陣営』『オフィーリア・クユーサー・リューズ陣営』『コルロ陣営』そして『魔女の弟子陣営』で見ていただろう。だがダアトはそれは違うと首を振る。
まだいる、まだ動いていた奴が。裏からずっとバシレウス達を見て…コルロ達を見て、最後の最後で全てを掠め取ろうとしている奴が、マレフィカルムでも魔女の弟子でもない最後の陣営、それは…。
(オフィーリア……)
慌てて走る、コルロは跡形もなく消し飛んだが……オフィーリアは違う。
……奴は死んだ、『死体』を残して。
……………………………………
ヘベルの大穴の端、内に流れる川辺の辺りに浮かぶのは……恐らく、史上最も美しい死体。
ステュクスとの戦いに敗れ、愚かにも自滅した美女オフィーリア・ファムファタールの死体が、水辺に浮いていた。それは誰にも気づかれることなく、埋葬されることもなく、哀れにもこのまま腐り果てて消えるだろう……と、思われていた。
「可哀想になぁ、こんなところで死んじゃうなんて。強かったのに、こんなに可愛いのにさぁ」
ポケットに手を突っ込み、川辺に足を踏み入れたのは、帝国の軍靴を履き、将校のコートを着込んだ眼鏡の女……かつて、リーシャ・セイレーンと呼ばれていた筈の死者が、同じ死者のオフィーリアを迎えに来たのだ。
「へへへ、けどラッキー…顔が残ってるよ。これはありがたいね、こんだけ可愛いならまだまだやりようはある……」
そう言ってリーシャはゆっくりとオフィーリアに手を伸ばし───。
「なんで邪魔するかなぁ!」
「ッッ!!」
瞬間、リーシャは背後から飛んできた拳を…風よりも速く飛んできた一撃を飛んで回避する。ポケットに手を突っ込んだまま上に跳ね、攻撃してきた者の背後に立ち…舌をべろりと出す。
「ねぇ、…えっと…ダアトだっけ?今は」
(……避けられた、私の攻撃が…)
背後から飛んできたのはダアトだ。知覚できないはずの攻撃を回避され…ダアトは少し顔色を変え、錫杖を手に振り返り、リーシャに突きつける。
「この死体には手を出さないでもらえますか?『大公』」
「んふふふ、ガシャガシャガシャガシャ、嫌だ…私はそれが欲しい」
「……私、マレフィカルムの一員なので」
「だから?君が私に命令出来る義理ないよね…それとも何?その可愛くてちっちゃいおっぱいでさぁ、ンメトシェラを誘惑して言ってみる?……私の敵を殺してぇ〜って」
そう言って手を伸ばしたリーシャの手をパシリと叩き、ダアトはギロリと睨みつける。それにリーシャは表情を変えウザそうに眉を歪める。
「あのさ、私としても今回の一件は苦労したわけ。ンバシレウスを見張ってさ、ン魔女の弟子も見張ってさ、誰か死なねーかなーって見てたのに焉魔四眷は死体も残らない、ようやくンマヤが死んだってのに持ち帰られてさ。これしかないからこれにしてるわけ…手ぶらじゃ帰れんぜ」
「人生とはそういうものですよ」
「ならお前がここで加わるか?私の軍列に……」
「本気で言ってるんですか?」
「だとしたら」
ジロリとリーシャがダアトを睨む、リーシャもダアトを見下ろし、両者一歩も譲らず…二人の闘気が空間を歪める。そして、ダアトが錫杖を握った…その瞬間。
「ま、待った待った、やっぱ冗談冗談、今の私じゃあんたとはやれんよ」
リーシャの方が引く。こっちが不利だと…そう言ってリーシャが引いたのを見てダアトも安定の吐息を吐く。もしやることになっていたら…と考えたのだ。
「どう考えても私の方が不利じゃね」
「知りません」
「まぁいいや、けど…まぁ私の行動を邪魔したことは、メトシェラに報告しとくから、嫌われちゃうよ〜」
「別に構いません、それに…彼なら分かってくれます」
「あっそう、ケッ…つまんねーの」
リーシャは立ち去っていく、踵を返し…立ち去りながら、肩越しにダアトを見て。
「あんたの師匠ナヴァグラハは羅睺十悪星のリーダーだったかもしれないけど、あんたは私達のリーダーじゃないからな、それだけ覚えとけよ」
「分かってますよ」
捨て台詞のように吐き捨て、森の霧の中に消えるその背中を見送ったダアトは…静かに息を吐く。なんとかなった…ってわけではないだろう。
大公は執念深い、今ので敵視された可能性が高い…本当に面倒な事になってしまった……。
(エリスさん、前に向かって歩き続けるのはいいですけど、そろそろ本気で走り始めないと…危ないですよ、貴方自身が)
考えられる最悪のシナリオ、それは今も水面下で動いている。私としては……もっと。
いえ、そんな事を言っても仕方ない。今はただ…動き続けよう。
メトシェラ、貴方の意志を…見つけ出すその時まで。




