751.魔女の弟子と私の娘
全てがバカバカしくなった私とコルロが決別してから一年。私からすればどうしようもない事、コルロからすればどうにもならない事、共にどうあっても相容れない事が原因で私達は決別した。
私にとってコルロは全てだった、親は遠に私の親権を捨てている。研究所のみんなは優しいけど結局はコルロの部下。コルロと敵対した時点で私に味方はいなくなった。
それからだった、酒を常飲するようになったのは。
「ちょっとちょっとマヤさん、あんたまだ飲む気かい?マジで潰れるよ!」
「……潰れたいんだよ」
コルロがヴァニタス・ヴァニタートゥムを作ってから五年、私は形だけヴァニタートゥムの象徴ということにされヴァニタートゥムに縛り付けられていた。
部下もたくさん出来た、金もたくさん手に入った、けどそれは全てコルロが手を回して手に入れたものであり、私の物は何もない、結局私は…孤独だった。
けどコルロは私を鎖で繋いだり、檻に閉じ込めたりはしなかった。無駄だと分かっているから、私が本気で逃げようと思えばどんな拘束手段も意味をなさないから。
その代わりにコルロは私に生活を与えた。金と家、食事と趣味を与えて……逃げられないようにした。逃げられないようにして、放置だった。
コルロは私に会いに来ない、私はただ毎月渡される莫大な金を持って各地の街に行って、酒場に行って、浴びるように酒を飲むことしか出来なかった。酒を飲んで気を紛らわせたかった。
ただ、人間用の酒じゃアルコールが弱すぎる。私の体はどんな毒も通じない、それはアルコールも同じだ。樽を五つ開けてやっと数分ほろ酔いになる程度、その数分に縋って私は今日も酒を飲む。
「そうは言うけどねぇ、俺ぁ心配だよ。あんた昨日もすごい量飲んでたろ……」
「うるせぇな、金払ってんだから文句言うんじゃねぇよ。この店ぶっ潰すぞ!」
私はコルロから貰った金貨をカウンターにぶちまけ酒場の店主を怒鳴りつける。クソが、気分が悪くなった、酒が不味い。
私は飲みかけの酒瓶を放り投げポケットに手を突っ込み立ち上がる。
「お、おいマヤさん」
「帰る」
全部全部どうでもよかった。コルロは私を人生の全てと言ったけど私にとってもコルロは人生で唯一の存在だった。それが今や私を縛る鎖となって、私に敵意を向けている。それがたまらなく嫌だった。
クソ……クソ、クソクソ。じゃあどうすればよかったんだ私はさ。私が凡人として生まれてればコルロは満足したのか。嘘だ、コルロは私が凡人だったら見向きもしなかった。
いや、或いは凡人として生まれていれば、……こんな訳の分からない事にはならなかったのかな。
「………」
酒場の外に出れば、既に周囲は真っ暗で…夜だ。夜だからかな、周りには家に帰る人達がたくさんいる。
『ねぇねぇお母さん、今日のご飯はなぁに?』
「ん……」
ふと、横を見れば…そこには三人横並びで歩く、家族がいた。お父さんがいて、お母さんがいて、娘がいる、それが手を繋いで……歩いてる。
『今日はちょっといいレストランでご飯でも食べようかしら』
『おいおい、あんまり無茶なところはやめてくれよ〜?』
『えへへ〜、じゃあ私!ハンバーグ!』
『ですって、お父さん。美味しいハンバーグ食べに行きましょう』
『そうだねぇ』
「…………」
私にも、家族がいたはずなんだ。けど私が超人として生まれたばかりに…両親は私を研究所に引き渡した。それ以降会ってない。
両親も、友達もいない。家族も、理解者もいない。あるのは持て余すほどの力だけ……これじゃ、これじゃあ。
「う…うぅ……」
惨めじゃないかあんまりにも。何が超人だクソッタレ、何が史上最高だボケナス、なんでこんな体で産んだ、なんでこんな体にした。私は……私はこんな物いらない。
ただ、普通に家族と…友人が欲しいだけなんだよぉ…クソ、クソ……。
「寂しいよぉお…!家族が欲しいよぉ……!」
酒場の前の樽にもたれかかり、蹲るように震える。悲しいよ、寂しいよ、辛いよ、苦しいよ。私はどうすればよかったんだ、私はどう生きればいいんだ。
たった一人で、化け物みたいな力だけ持って、どう生きていけばいいんだ……!
「マヤ様……」
「あ……?」
ふと、声をかけられ顔を上げると…そこには、メガネをかけた男が立っていた、白衣を着た……ああ、エクレシア・ステスの研究者か。
「マヤ様、その……」
「ああ、ごめんよ…なんでもない。で?何?」
「コルロ様がお呼びです……」
コルロが呼んでるか、と言ってもどうせまた気狂いみたいな話を聞かされるだけなんだろう。聞くだけで苦しくなるのは目に見えてる。けど行かないわけにはいかない。
今のコルロとの関係も途切れてしまえば……私は本当に一人になる。一人は嫌だ、寂しいから。けど……一人みたいなもんだしなぁ。
(もうどうでもいい……)
私は立ち上がり、男の研究者に向けついていくことを示す。すると男は私に一礼して踵を返す。私はそれについていきながら……後ろを歩く家族達を見る、羨ましい、家族が私にいれば……寂しさもなかったろうになぁ。
「その、えっと。コルロ様も…マヤ様の事を考えてくれていると思います」
「は?」
男の研究員はなにやらしどろもどろになりながら視線を右往左往させる。なに言ってんだ、どう考えたってそんなことないだろ。…ああ、慰めてくれているのか。私が一人で泣いてるのを見ていてもたってもいられなくなったってところか。
「……あんた」
「は、はい?」
でも、寂しい事に変わりはない。だから私は……。
「名前は?」
「え?えっと…コンスですけど」
「そっか、時間ある?」
「へ?」
その寂しさを、酒以外の方法で紛らわせる事にした。
……………………………………………………………
「やぁ、マヤ。久しぶりだね、三ヶ月ぶりくらいかな」
「ああ、また…顔が変わったね、コルロ」
それから数日後、私はコルロの正体でヴァニタートゥムの本拠地、コヘレトの塔へと戻ってきた。ここは私の城ではなくコルロの塔だ。その最上階で、私とコルロは一つの机を挟んで椅子に座る。
昔は隣に座っていたのに、今は分厚い机を挟んで向かい合う。その変化が…寂しかった。
「そうかい?まぁこれも研究の成果さ」
そして、コルロはあれから段々顔が変わり始めた。最初は青い髪が徐々に黒くなり、垂れ目が吊り目になり、黒い瞳が赤くなり、段々と別人の顔になっていった。会うたびに、若干顔が違う。
正直、なにをしているのか聞く気にもなれない。何か恐ろしいことをしているような気がしてならなかったから。
「それより、私は神になろうと思う」
また始まったと私は持ってきた酒を飲む。酒なくして今のこいつの話は聞けない。
「そう、なんの神様?私は酒の神がいいな」
「それは人が作った人の為の神、謂わば神と言う単語を当てはめただけの形のない譫言のことだろう?私が言うのは言葉通り、全てを支配する存在としての神…全てを凌駕すると言う意味での神だ」
「そう、そりゃあ凄い」
「この世にはね、原初の魔女シリウスなる存在がいるらしい、かつて魔女が打ち払ったとされる大いなる厄災、これは原初の魔女シリウスのことを指しているらしい。魔女が八人がかりでなければ討伐すらできなかった存在、彼女はまさしく史上最強の存在だ」
「………シリウス」
そんな名前はポツポツと聞いている。確か…元老院の子飼いであるレナトゥスがそんな話をしていた気がする。他にもそう…マレフィカルム中枢の人間が時折口にする名前。
私はそれが何かはわからないが、どうしようもない厄の匂いがしてならなかった。だから触れないようにしていたが……。
「曰く、魔女シリウスは真理を目指し天に刃向かった存在らしい。私はここにシンパシーを感じてね、まさしく先達だ、そして同時に史上最強の存在ですら天に刃向かう段階で終わり、天は覆らなかった。この意味が分かるかい?魔女シリウスでさえ成し遂げられなかった事がある」
「………」
「私はここにとても興味が惹かれた。だからこそ考えた、時間はかかるが私は魔女シリウスの魂の依代になろうとも思う」
「依代?」
「私の体を魔女シリウスに明け渡すのさ。それで私は史上最強の存在になれる、だがそれだけじゃ足りない、魔女シリウスが蘇ってもきっとまた同じ結果になる、だから私はシリウスの上を行く、つまり魔女シリウスを千人…いや万人用意する、私の体を複製し複数の個体を用意しそこにシリウスの魂を等分するのさ」
「あ、あんた……」
「シリウスの魂はガオケレナ同様、どんな形からでも再生する性質がある。そしてかけらの数だけ新たな魂が生まれる、プラナリアのようなものさ。その性質を利用してシリウスの魂を等分しシリウスを個人の名前ではなく、新たな種族、新たな人類の名前とするんだ」
「……なに言ってんのあんた」
「新たなシリウスの大群はこの地上を制圧し、天に叛逆し、世界は新時代に至る。神が作った古き時代を一層し、私が新時代を作る。これ即ち私そのものが神となると言っても過言じゃないだろう?」
なに言ってるんだこいつは、いつもおかしな話をしてると思っていたが、今日は特段変だ。自分をシリウスって奴の魂を入れる器にする?なんだこいつ、こんな奴だったか?
「私は新時代を作るんだ、シリウスでさえ成し遂げられなかった事をする!」
「あんたしっかりしなよ!そんな奴じゃなかったでしょあんた!自分で言ってる事を本当に理解してるの!?」
「してるさ!私は天啓を得た!人類は真理を得るべきだ!」
「そもそもそのシリウスとか言う眉唾話、誰から吹き込まれたの!」
「あ、それ私です〜」
「は?」
ふと、隣を見ると…女が立っていた。見たことのない女、灰色の髪に紫の瞳、黒いローブを羽織った女がニコニコしながら私を見ていた。誰だこいつ、こんな奴ヴァニタートゥムにいたか?そもそもこいつ…いつから。
「おお!ウルキ様!」
「ウルキ様……?」
「彼女は私の先生だ、そしてマレフィカルム創立に携わった特別顧問のウルキ様。彼女が私にシリウスについて教えてくれたんだ」
「はいはーい、私がコルロさんに色々教えましたー、初めましてマヤさん。私ウルキって言いまーす。気軽にウルキさんって呼んでね、年上なんで」
ウルキと名乗った異様な雰囲気を纏わせる女は私の手を取り、微笑む。こいつが何者かは分からない、特別顧問なんてマレフィカルムにいたのか?マレフィカルム創立って…マレフィカルムが出来たのは今から何百年も前だぞ。
というか、それ以前に……。
(こ、こいつ……べらぼうに強い)
分かる、この女洒落にならないくらい強い。私じゃ足元にも及んでない。この私が…比較対象にもならない。そのレベルだ、こんな奴がこの世にいたなんて…。
「おや、私の強さが分かるんですね。流石はホトオリさん以来のスーパー超人ですねぇ、貴方には色々期待できそうです〜」
「期待?私に期待なんかされても困るよ」
「いいや、期待するさマヤ。お前の有効活用法が見つかった」
「は……?」
コルロがゆらりと立ち上がる、狂気に満ちた目で私を見る。いや狂気で満ちたってのは変な言い方だな、狂気で満ちてるんじゃない、そのものだ。我執、怨讐、理想、夢望…それで現実が見えなくなってる目だ。
「お前の肉体を、シリウスの器の材料に使う。お前の肉体強度があればどんな物理的負荷に耐えられる…それまで、生かしておく」
「……マジで言ってるの」
「ああ」
……だが、彼女をこうしたのはウルキじゃない、私だ。彼女が狂ったのだとしたら、その責任は私にあり、彼女を咎める権利は私にはない。
そもそも、生きてたって…どうしようないんだ。だったらまぁ……。
「ああそう、好きにすればいいよ」
「とはいえまだ必要な材料も揃ってない、全て揃うまでは…今の生活を維持し続けろ」
私の答えを聞いてもコルロの顔は変わらない、もう既に私の事は友達ではなく実験材料としか見てないのか。ならもう好きにすればいい。
「ああそうそう、マヤさん」
「ん、なんだ」
ふと、ウルキに顔を覗き込まれ…私は眉をひそめる。お前には顔を覗かれるのが不服であると言う顔をするがウルキはそれを無視する。
「貴方、子供は作らないでくださいね」
「は?」
「女は子供を産むと肉体的に衰えます。私は貴方の肉体が欲しいのでそう言う無駄に衰えるような事は控えてください」
「………私の勝手だろ」
「なに言ってるんですか、もう貴方一人の体じゃないんですから〜、シリウス様の物でもありますからね〜、だから……ね?」
「っ……!」
咄嗟に私はお腹を触ろうとするウルキの手を払う。子供を作るなって?なんでそんな事まで強制されなきゃいけないんだ…それにそもそも。
……もう、遅いんだよ。
…………………………………………………………
私はあの日、コンスと子供を作った。遊びで体を重ねたつもりはない、ただ寂しかった、ただ独りぼっちが嫌だったから、誰か……温めてくれる人が欲しかったんだ。そしてその末に私は子供を孕った。
コンスは慌てていた、よりにもよって私を孕ませてしまったのだから。コルロが私をどう使おうとしているか知っている彼は、取り返しのつかない事をしたと絶望しながらも私に謝罪してきた。
だが誘ったのは私の方だし、彼はなにも悪くない。ただ私は彼に子供が出来たことは内密にするように言った。彼は優しい奴だったから一応承諾してくれた……。
それからは、私はなるべく人に合わないようにしながらも大きくなっていくお腹を必死で守った。酒も絶ったし出歩くのもやめた、けどその代わり……寂しくなかった。
ようやく家族が出来た、私はお腹を撫でながら毎日のように祈った。この子は私と違って普通の子でありますよにと、私の味わった苦しみを一つとして味わうことなく生きられますよにと、……私なんかでは想像も出来ないくらい、華やかで光に満ちた人生がこの子を待っていますように…と。
「男の子なら、ライデン火山のように大きな子になって欲しいから…ライデン。女の子なら、優しくて強い子になって欲しいから…アイナ。そう名前をつけよう……」
とにかく産まれるのが楽しみだった、早く君に会いたいと毎日のように囁いた。そうして時間は経ち……。
遂にその日がやってきた、同時にやってきた。
産まれる日と、コルロにこの件がバレる日が……だ。
『どう言うつもりだマヤ、誰の子だ!!』
いきなり、連絡もなく私の家にやってきたコルロに私の大きくなったお腹を見られてしまった。こいつがいきなり家にやってくるなんて初めてのことで……私は、言い訳もせず逃げた。
コルロの下から、全てを捨てて逃げた。窓を突き破り身重の体で全力で逃げた。コルロに私の子供の事がバレてしまった、そうなったらどうなる?絶対に…私と同じ事になる。
実験動物同然に扱われ、自由など与えられず、奴の狂気の実験の材料にされるのが目に見えている。
「絶対そんなことさせない……」
私はどうなってもいい、せめてこの子だけでも守りたかった。だから私は逃げたマレウスを抜けてとにかく逃げた。カストリアから出てポルデュークに向かい、その道中で…私は赤ちゃんを産んだ。
「絶対に、絶対に守るから」
私の赤ちゃんはよく泣く元気な子だった。私は赤ちゃんを片時も手放さず、出産で消耗した体を引きずって地の果てまで逃げた、逃げた、逃げ続けた。
全ては…全ては。
「ごめんね、私の赤ちゃん……こんなお母さんで」
「うぅ…ゔぅ」
雪の降る中、抱きしめながら抱きしめて顔を擦り付ける。全てはこの子の為、この子の未来の為、私は逃げた。私はどこかでのたれ死んでもいい。だけどせめて……この子だけは守りたい。
それが私の願いだった、この子の未来を守りたい……明るい未来を。
神にも祈れない、誰にも祈れない。ただただ…この子に祈り続けた、そうして。
その日はやってきた。
……………………………………………………………
「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ」
それは雪の降る日のこと、オライオンまで逃げてきた私は遂に…見つかってしまった。
「どこに行くんだ、マヤ。ようやく会えたのに」
「ッ……コルロ」
オライオンのとある港、私はコルロに見つかり、必死に逃げていた。お包みを抱いてコルロから逃げるように走っていたが……。
「逃げ場はなくなったな、マヤ」
「………」
追い詰められた、目の前には海、左右に逃げ場はなく、唯一の逃げ場にはコルロがいる。流石の私も海に向けて走り出すことはできない…コルロを押し退けて逃げられれば、それでいいんだが。
それも出来ない、何故なら。
「手間かけさせてくれましたねぇ、方々探したんですから」
「………チッ」
コルロの隣には奴がいる、ウルキだ。コルロは大して強くはないがウルキは違う、私はここで全力で走って逃げたのにウルキは容易く私に追いつき、幾度となく苛烈な攻撃を仕掛けてきた。
ウルキを振り切るのは不可能、そう判断した私は街中に紛れ込む事を選んだが…どうやら悪手だったようだ。
「お前を孕ませた男コンスは始末した、あとは君が戻ってくれば元通りだ。子供を作りやや身体能力は落ちただろうが、この際仕方ない。さぁ赤子をこちらに寄越せ、マヤ」
「断る、この子は渡さない。私なら好きにして構わない!だから……」
「そうも行きませんよぉ、もしかしたらその子も強いかもですし、貴方の子ですし…やるなって言った事やったんだからペナルティとして没収です」
「だから、渡さないって言ってるでしょ……」
私がそう言いながら敵意を示すと、ウルキは大きくため息を吐き。
「あのねぇ、なんか勘違いしてるみたいだから言いますけど、渡す渡さないじゃなくて、貴方は私に引きずって連れて行かれるし、赤子はお前を押さえつけて奪い取るつもりなんですこっちは、お前の意思確認はしてないんですよ」
「…………ああそう」
私は近くの木箱に赤ちゃんを乗せる。すぐに帰るからと私は赤ちゃんにキスをして……拳を握る。
「力づくだってんなら、やってみろよッ!!」
「ふぅ〜…」
瞬間、私は全力で地面を踏み込み、消えるような速度でウルキの側面に回り肉薄、同時にウルキの側頭部に刃のように鋭い蹴りを叩き込み……。
「訂正します」
「なッ!」
がしかし、私の蹴りはウルキの片手に容易く止められ、私がどれだけ力を込めて動かず…ゆっくりと足が押し出され。
「貴方はやはり、ホトオリさんには及びませんね」
「ぅぐっ!?」
瞬間、足を引き寄せられ拳が腹に叩き込まれ胃液が飛び出す。洒落にならない重さだ、これ…人間のパンチかよ!
「貴方がもしこのまま強くなり、ホトオリに匹敵する強さになれるのならばと考えましたが、どうやらそういうわけでもないようで」
「ぐっ…ぅぐっ!?」
飛んでくる、拳が飛んでくる。咄嗟に防御の姿勢を取るが全く防げない、腕をすり抜けるように拳撃が叩き込まれ、回避先に拳が飛んできて、滅多打ちにされる。
「それにね、私が子供を作るなと言ったのは…子供が生まれた存在は弱くなるからです、男も女も関係なく。事実としてホトオリもまた子によって死んだ」
「ッ……!」
「超人の悲哀か運命か。ホトオリの過ちを繰り返させない為に、子を作るなと言ったのです…作ったところで、悲しいだけですよ」
「ガハッ…!」
鋭いアッパーカットが叩き込まれ大きくのけ反る。速い、拳の一撃一撃があまりに速く的確だ。なんだこいつ、イノケンティウスやカルウェナン、いやセフィラや…ともすればガオケレナよりも、遥かに強いんじゃないか。
「超人は孤独です、孤独は最強の証です。それを自ら捨ててなにになるつもりで?」
「だったら…いらない、強さなんか。独りぼっちで生きる最強よりも、どれだけ弱くとも、人に囲まれて、笑って生きる方が…何百倍も幸せだ!」
「貧者の理屈、弱者の理論ですねぇそれは」
「弱者で結構、貧者で結構。強者の生き方には…飽き飽きしてんだよ!」
大きく息を吸い、魔力を解放し、内側へ渦巻かせる、取らせはしないやらせはしない。私は私の赤ちゃんの未来を守るんだ!例えどれだけ敵が強くても!強者になれなくても!私が!!
「この子は私が育てる!!極・魔力覚醒!!」
「………」
全力で魔力を解放し空間を掌握する、私の極・魔力覚醒で、こいつを突破して────。
「強者の生き方に飽きた?たがだか二十年そこらでなにを偉そうな」
……その時だった、ウルキが私に向けて手を伸ばしたその瞬間。私の作り上げた空間が、極・魔力覚醒が、まるでガラスのように割れて、消し飛んだ。
「え……!?私の覚醒が…!」
「魔力覚醒の無効化ですよ、あれ?今の時代にはもうこう言うのはないんですっけ?……一応ここ、魔女大国なんで騒ぎを起こされると困るんですよ。だから大人しく……」
そして、ウルキの姿が私の視界から消え……。
「捕まってください」
「グッ……ガハァッッ!!」
貫かれる、背後からウルキの貫手が私の胴体を貫通し、口から夥しい程の血がこぼれ落ちる。
別格、そんな言葉が脳裏に過ぎる。マレフィカルム最強格の使い手と呼ばれたこの私が、世界最強の超人と呼ばれたこの私が……こんな、手も足も出ないなんて。
「ちょ!ちょっとウルキ様!マヤを殺さないでください!」
「急所は外してますよ」
「そう言うレベルの話ではない気が……」
「こいつら超人はこれくらいしないと倒れません。死にそうになったら私の古式治癒で治しますのでご心配なく…それよりこいつはもう動けないので、赤ちゃんを回収しましょうか」
膝を突く私を尻目にウルキが赤ちゃんのいる木箱の方へ向かう。赤ちゃんが…私の赤ちゃんが奪われる。
ダメだ、あの子は私の…私の家族……。
(……いや、違う)
目を伏せ、口から落ちる血の雫に目を向ける。違う、私に…あの子を守る資格はないのかもしれない。
産んでしまったから、こんな事になった。ただ家族がほしい、寂しさを紛らわせたい、そんな私のエゴだけで産んでしまったから、こんな事になった。
私がもっと耐えていれば、産まなければあの子は地獄の苦しみなど味わうことなどなかった。
全部、全部私のせいだ……!
(ごめん、ごめんね…こんなお母さんが、貴方を産んでしまって……)
口から血が垂れる、傷口から血が溢れる、私のせいであの子がこれから一生苦しくむことになる、その苦しみを他者の利益に使われることになる……全部全部私のせい。
でも…それでも。
「おや?貴方…まだ動いて……」
「ゔぅぅっっ!!」
傷口から血が飛び出すのも顧みず、私はよろめきながら赤ちゃんの乗る木箱にもたれかかる。足がもつれる、もう上手く動けない。
「ウルキ様!マヤが…!」
「いえ、様子を見てあげましょう」
私は赤ちゃんに抱きつき、心の中で精一杯謝る。
ごめんなさい、守ってあげられなくてごめんなさい。
ごめんなさい、こんなお母さんでごめんなさい。
ごめんなさい、貴方を産んでしまってごめんなさい。
本当にごめんなさい。でも……私の赤ちゃん、こんな不甲斐ないお母さんだけど、こんなダメな奴だけど。
(貴方を永遠に愛し続ける権利を、私にください……)
最後に抱きしめる、頬にキスをして、愛を伝える。
「うぅ〜……」
赤ちゃんは優しく、小さな手で私の頬を触り、微笑んでくれる。優しい子だ、この子は優しい子だ。こんな優しい子なんだから…頼むから、幸せになって。
大きく育って、友達に囲まれて、私なんかとは違う…光の下を歩んで生きてね。そしてそれを祈る事を、許してちょうだい…愛してるから、私の赤ちゃん。
「ッッッがぁぁあああ!!!」
最後の力を振り絞り、私は木箱を砕き、咄嗟に赤ちゃんと近くの石をすり替え、木箱の中に赤ちゃんを隠し。そしておくるみで包んだ石を海の方へと投げ捨てる。
「あぁ!貴様!自分の子供を!」
「ふむ、我々に使われるくらいなら…せめて、ってことですか」
「ふぅ……ふぅ……」
「まぁいいでしょう、貴方が回収出来るならそれで」
こいつらは私が赤ちゃんを捨てたと思い込んだ、事実として私は赤ちゃんを手放した。この木箱の中の赤ちゃんに気がついて、誰かが拾ってくれる事を信じて、私は赤ちゃんを手放す。
私の側にいればいつかコルロの魔の手に絡め取られるのは分かりきった話だ。私じゃ赤ちゃんを守れない、だから…無責任な私は、彼女を手放すことにした。
「ぅ…ううぅ……私の、赤ちゃん……」
涙を流す、本当はずっと一緒に居たかった。貴方の成長を目にしたかった、貴方と話したかった、貴方を幸せにしてあげたかった。けどそれには…私はあまりにも弱すぎた。
だから私はきっと、一生謝り続けることになるんだろう。それしか私には、出来ないから。
「チッ、まぁいいです。さぁ帰るよ、マヤ」
「…………」
「その前に本当に赤ちゃんを捨てたかだけ確認しますか。海に投げ捨てたのが赤ちゃんじゃなくて…例えばおくるみに包んだ石とかの可能性もありますし」
「ッ……」
その瞬間、ウルキが海の方に歩みを進めた瞬間。
「……いや、やめましょう。どうやら時間切れのようなので」
「え?いいのですか?ウルキ様」
「ええ、リゲルがこっちに来ています。今あいつに見つかる訳には行きません…なのでとっとと帰りましょう。いいですね?マヤ」
「……………」
本当はもっと赤ちゃんをこの目に入れたかった、お別れの挨拶を言ってあげたかった。だが私が少しでも木箱の方に視線を向けたら…ウルキは赤ちゃんに気がつく。だから目を閉じて、必死に耐える。
ごめん、ごめんね赤ちゃん……そして願わくば、独りぼっちにならずに生きてね。
そして私はその日、赤ちゃんを手放した。ウルキとマヤに連行され…コヘレトへと転移させられ、無気力に…生きる事となった。どこかで私の赤ちゃんが生きている事を信じて……。
「おや?ここから怪しげな魔力を感じたのですが、居ませんか」
ウルキ達が立ち去ったと外に、一人のシスターが現れる。誰も居ない港に足を踏み入れ…周囲を見回すが、なにも居ない。気のせいだったかと肩をすくめた瞬間。
『おぎゃー…おぎゃー…!』
「あら、子供の泣き声?」
気がつく、すぐ近くの木箱から聞こえる鳴き声に。シスターは慌てて木箱に近づき…目を見開く。なんとそこには、雪を被った小さな赤ん坊が、捨てられていたのだ。
「た、大変。赤ちゃんがこんなところに!お母さんは……」
そして同時に気がつく、すぐ近くの床に溢れた血溜まりを。察する、ここで誰かになにかがあった事、そしてその人物は止むに止まれずこの赤ん坊を手放した事を。
それがどれだけの苦しみだったか、分からない。だがそれでも……。
「貴方も、親から捨てられた子なのですね」
親から離れ、一人になった子供の気持ちはよく分かるつもりだった。だからシスターは…いや。
「大丈夫、貴方は私が一人にしません。これから貴方は…この魔女リゲルの子です。決して独りぼっちにはしません」
魔女リゲルは抱きしめる、この子を手放した者の分まで、この子を愛すると決めて……。
……………………………………………………………
私が赤ちゃんを手放して、どれだけの期間が経ったろうか。少なくとも二十年以上の歳月が経過した。私は赤ちゃんを捨てた、その慚愧の念に駆られながらずっと生きてきた。
八大同盟の盟主として、コルロの代わりに会合に参加し。魔女憎しの連中に混ざって活動してきた。
そんなある日の事だった。ステュクスって若者によって集まった人達が、オフィーリアを探してるって話を聞いた。レナトゥスはコルロの盟友だ、元を正せばレナトゥスという存在が作られたのはコルロが由来。
その上にレナトゥスはウルキとも繋がっている、そういう縁で二人はかなり親しげだ。そしてレナトゥスの配下にはオフィーリアがいる……私はステュクスに協力し、コルロのアジトへと案内することになったんだけど。
道を間違えてさ、タロスの方に来ちゃったんだよね。まるで何かに導かれるように私はタロスにやってきた……そこでの事だ。
「ぁー酒切れたー、パシリやってくれそうな人もいないし…自分で買いに行くかー」
ステュクス達は街に遊びに行き、カルウェナンとタヴはなんか二人でデートしてる、バシレウスもいつの間にかいなくなったし、仕方ない自分で買いに行くかと私は空の酒瓶を捨てて立ち上がり、街に出た。
そんな時……。
『ネレイド、マジで大丈夫か?』
『無理しちゃダメですよ、何かあったらエリスに言ってください』
「ん?」
ふと、向こうの通りを歩いた数人の男女が目に入った。そいつらは結構目を引く連中で、赤い髪の男に金髪の女、茶髪の青年が見えて…なんか旅行者かなんかかな?と思い視線を外そうとした…すると。
『うん、みんなありがと……』
「え!?」
ふと二度見してしまった。そこにはめちゃくちゃ体格のいい女がいたんだ、けどその体格以上に気になったのは……その子の顔。
赤ちゃんだ、私の……そう思ったんだ。幻覚とか思い込みというにはあまりにも鮮明な気配。なんの因果か、はたまた運命か、私は慌てて気配を消してその子の後をついて行った。
『しかし超人のネレイドが風邪を引くとはな』
『超人だって人間ですよアマルトさん!』
『けどラグナは風邪ひかねーじゃん』
『ラグナはラグナだからです!』
『一応俺も人間だけど』
どうやらその子は超人らしく、ネレイドという名前であることがわかった。後ろからその子の背を見れば見るほどに、運命を感じた。
間違いない、私の赤ちゃんだ…あの子が、大きくなって、成長して……そっか。
「……ハハハ、そっか、そっかぁ……」
私は近くの物陰に座り込み、目元を抑える。無事だったんだ、生きててくれたんだ…それに。
『エリス!ネレイドさんの為に看病しまくります!任せてください!』
『必要ならどんな薬でも取り寄せるしさ、ゆっくりして風邪治せばいいさ』
『そうだ、美味いリゾット作ってやるよ。チーズ増し増しのヤツ』
『うん…みんなありがと』
あんなにたくさん友達がいる。みんなに慕われて、並んで歩いて……それで…。
「ぅ…あぁ……くっ…ぅぅ……」
声を押し殺して泣く、よかった、よかった、本当によかった。あの子が幸せであってくれるならそれでよかった。本当に…感謝する、あの子を育ててくれた誰かに、この不甲斐ない私に代わって育ててくれた事を。
そして同時に……。
「……うん、これで…もう」
私は振り切ることができた。今更あの子の前に出て行って自分がお母さんだなんて名乗れやしない。あの子を育てたお母さんは私じゃない、あの子はもう別の人の子供だ、手放した無責任な私の子供じゃないんだ。
だから、元気でいてくれるなら……それで。
「……いや」
しかし気がつく、なんであの子はここにいるんだ。北部はコルロの領域だ、そこにいればコルロに……。
「……コルロに気づかれたら、やばい」
コルロは私よりも娘を狙うかもしれない、そうなったらまた同じになる。
……守らなきゃ、今度こそ。いや今度は母親としてではなく、見知らぬ誰かとして…コルロから、あの子を。
そうして私はこっそりあの子の向かった病院について行き、そして……。
───────────────────────
「マヤ・エスカトロジーとネレイド・イストミアは血縁関係だ。これは間違いない、疑う余地もなく二人は親娘だ。何故隠す、マヤ!」
「違う…違う!私はあの子のお母さんじゃない!」
「………マヤ」
私はただ、衝撃を受けていた。コルロが言うにマヤは私のお母さん、生みの親だと言うんだ。マヤは否定する、コルロは肯定する。
けど、私は……何処かで、そうなんだと納得していた。だって、だって否定するにはあまりにも。
「だから貴方は、そんなに優しかったんだね」
「ッ……!」
マヤは私を見て、ボロボロと涙を流す。その涙が…答えだった。そっか、そうなんだね……。
「違うッ!私は…貴方のお母さんだなんて、名乗れない。私は君を…あの雪空の下に置き去りにした!君を育てたのは別の人だ!リゲル様だ!だから……私は、君のお母さんじゃ」
「ううん、貴方だよ。今の私を作ったのは貴方。貴方が私を産んで…私を生かしてくれたから、私は今…こんなに幸せなんだよ」
「ッゔ…ゔぅ…私は、私はァ…!!」
私を胸に手を当てて、頭を下げる、彼女がお母さんなのだとしたら私は酷い事を言った。己の生まれを疑るような事を言ってしまった。それが彼女を傷つけたに違いない。
だから、謝らないと。
「マヤ、私は今……」
「そこまでだ、私は今急いでると言っただろ」
するとコルロが動き出し、腕を組み私の言葉を遮る。
「実験は最終段階、であるにも関わらず材料の確保が出来ていない。もうこうなったら仕方ない、超人の因子が欲しい。マヤ……君が適格だったが、君以上にその素質を持つ娘がいるなら、そちらに担当してもらうことにした」
「……コルロォ…!」
「私としても、友人である君を生贄にするのは忍びない!だから一緒に来てくれるか!ネレイド・イストミアァッッ!!」
「ッ!」
瞬間、コルロが私に狙いを定める。だが……望むところだ、こいつが何をしようとしてるかなんて関係ない!私は…私は!
「私は私の家族を傷つける人間を!一人として許しはしない!!」
駆け出す、戦う…私も!マヤが私のお母さんなら、彼女にだけ戦わせられない!だから私は────。
「ハッ!貴様如きが私に敵うと本気で思っているのかッッッ!!」
しかし、その刹那の時。コルロが私に肉薄しその鋭い爪を剥き、牙を見せ、レグルス様とは似ても似つかない表情を見せる…まるで、シリウスのような。
「貴様の命は!生まれたその時から!私に使われることが決定しているんだ!!さぁ私の肉体の一部になれ!ネレイ─────」
「それはッッッ!!」
「ゲブっっ!?」
私に向けて手が伸ばされた瞬間、突如横から突っ込んできた足がコルロを蹴り飛ばす。まるで、私を守るように。
「それはッ!私も同じだ!ネレイド!!私を……こんな私を家族と呼んでくれるなら、私もまた…守る。家族に手を出す奴は、一人だって許さない!!」
「マヤ……!」
「君が生きて、友達と一緒に生き続ける。それが私の願いだから…!」
マヤは私の前に立ち、私を守ると叫んでくれる。その背中が…とてもとても、大きく見えた。私の背中なんかよりもずっと。
「ッマヤァァアアア!!今更私の邪魔をするか!また私の夢を挫くかぁ!だが私は変わった!!あの時から変わったぞ!!もう二度とお前を前に屈したりなどしない!!」
コルロは立ち上がる、蹴り飛ばされ頭が弾けたにも関わらず、即座に再生し狂気の笑みを浮かべる。奴もまた不死身か……!
「ゲブラー!!手を貸せ!確保する!!」
「チッ、しゃあねぇな!!」
そして不死身のクユーサーもまた並び立つ。不死者が二人、それに途轍もなく、途方もなく強い二人が…私の前にいる。この中で私は弱い、ただでさえ実力が及んでないのにさらに本調子でもない。
足手纏いになるのは…分かりきってる。
「ここを退けマヤッッッ!!」
「こうなったら諦めろや!」
早い、コルロの動きとクユーサーの速度は完全に私のキャパシティを超えてる。目では見える、けど対応出来るかは別…!
「……フッ!なんだろうねネレイド、私は今、負ける気がしない」
瞬間、マヤが動く…動いた、と思ったよりも速く、彼女の蹴りはクユーサーとコルロの二人を蹴り飛ばす。
「ネレイド、戦ってくれようとするのはありがたい。けど君は逃げるんだ、こいつら不死身だ、不死身を倒す方法はない。だから君は逃げろ」
「でも!私は……」
「こういう時!守る為に前に出るのは!親の仕事だ!!君には傷ついた友達もいるだろ!そっちを守れ!!!」
「ッッッ……」
チラリと見るのは傷ついたメグの姿、このままここで消耗戦を続けても意味はないかもしれない…けど、けど。
嫌だよ、置いて行きたくない!折角会えたのに…!
「ネレイド!!」
「ッ……!」
でも、マヤの言葉に足が動く…その瞬間だった。
「ハッ!逃げるのか!お前逃げるのか!」
クユーサーが叫ぶ、私に向けて。嘲笑うように受け身を取り。
「マヤはお前の母親なんだろ?言っとくが俺達はこいつを捕まえたらこいつを殺すぜ!コルロの狙いは最強の肉体を作ること!こいつの魂抜き出してその情報を基に体を再構成するんだ!分かるか!死ぬんだよマヤは!お前のお母ちゃんがお前のせいで!!」
「………ッ!」
「けどまぁ、逃げるなら逃げろよ。どうせお前もすぐに死ぬことになるからな」
突きつけられる事実、マヤが死ぬと言う話を聞いて…私は。全力で踏み込む。それはクユーサーに向けてじゃない、メグに向けてだ。
「メグ!起きて!離脱する!」
「ハッ!?今の聞いて逃げるかよ普通!」
そうだ、逃げるさ。今の挑発を聞いて確信した。私がこの場に留まるのはあいつらにとって都合がいい、立ち向かっても…意味がない。だから今は離脱する、離脱して……離脱して。
「マヤも死なせない!必ず助けに戻ってくるから!マヤ!!』
「………うん、大丈夫だよ。私が…守るから」
必ず!マヤを助けに戻ってくる。絶対に、何がなんでも、戻ってくる!
「メグ!起きて!」
「うぅ……はれ?わたし何を……」
「転移!離脱!」
「ハッ!?敵!?ッ!離脱でございますね!」
流石メグだ、私が声をかけたらすぐに起きて状況を把握し魔術の準備を始める、それを見てコルロはギロリとクユーサーを睨み。
「余計なことを!つくづく役に立たない奴だなお前は!!」
「あんだと!!テメェ!」
「いいからネレイドも確保しろ!!今のマヤだけでは足りない可能性があるから言ってるんだ!早くしろ!!」
「チッ!」
瞬間、クユーサーが体を木の根に変えてこちらに飛びかかってくる。しかし……その時だった。
空間が魔力に満たされたのは。
「極・魔力覚醒…」
「なっ…!」
「しまった…!」
マヤだ、マヤが両手を開き…この場全てを満たす領域を作り上げていた。淡く輝く大地、空、そしてマヤ自身。
「『鬼神御陵・天星満宮』……私を守るよコルロ、私の娘を…何度だって」
「ッ……貴様」
──肉体強化型魔力覚醒『鬼神御陵・天星満宮』。半径50メートル以内全域を覆う魔力領域、その範囲内にある全てに物理的干渉を与える魔力覚醒。それ即ち、近接戦主体ねマヤは今この場に至って…場を制したことを意味し。
「『鬼神猛虎羅刹掌』ッッッ!!」
「グッッッ!!?!?」
「げぇっっ!?」
マヤが全力で拳を振り下ろした瞬間、空間に巨大な腕が飛び出しマヤとクユーサーを叩き潰す。その一撃で大地が砕け、地面が消え去り…そして。
「ネレイド!」
「わっ!」
押される、マヤに背中を…そして。
「生きて、私の望みは……それだけだから」
「マヤ……待って、まだ私は!」
待って、まだ言いたいことがある、必ず助けに来ること、それまで持ち堪えて欲しいこと、何より……私があなたに言った酷いこと、その謝罪がまだ……。
「マヤ!!」
押し飛ばされた私の体はグルリと吹き飛ばされ、その先で待機していたメグにぶつかり…。
「『時界門』!退路できましたネレイドさ…まぁっ!?」
「マヤ!待って!私は──────」
押し飛ばされ、吹き飛ばされ、転移の穴の向こう側に飛ばされる寸前、私は手を伸ばす。必ず、必ず助けに来るから…待ってて。
そう言いたかったのに、マヤは聞き入れる様子もなく首を振る、そしてただ一言…こう言うんだ。
「何度だって守るから、私の可愛い娘よ」
満面の笑みで……そう言った。
そして、無情にも……時界門は閉じたのだった。
……マヤ、貴方は私を守るって言ったけどさ。私だって貴方を守りたいよ。
だからまた助けに来る。私に今…コルロと戦う理由が出来たんだ。




