749.魔女の弟子と神の肉体
突如現れた『峻厳』のゲブラーことクユーサー・ジャハンナム。彼はかつて『業魔』と呼ばれた男。そう、『海魔』『山魔』『空魔』の三魔人の元祖になった男だ。
それが突然大地を引き裂き現れ、地面に奈落の穴を作り、私達を穴に落とし、散り散りにしたんだ。
そうして私達は奈落を落ちて、かなりの時間落下し、見えてくるのは岩場の大地。それを目で見て……私は。
(体調は良くない、けどマヤとの手合わせで大分感覚は戻ってきた……)
超人として一皮剥けた私の感覚は、今までとは全く違うものになっている。具体的に言うなら全てが遅く感じる、二十年近くかけて培ってきたリズム感、距離感、直感、その全てが一気に役に立たなくなったんだ。
けど、マヤが私と手合わせをして、まるで私の体を調整するように鍛えてくれたおかげで……着地出来る。
(ここッ……!)
「ネレイドーーーーー!」
「えッ!ちょっと!」
着地をしようとした瞬間、いきなり視界外から飛んできたマヤが私の足元に挟み込むように滑り込み、あまりの事態に私は対応すらできず地面ではなくマヤを踏み潰してしまう。
「うぎゃー!」
「だ、大丈夫?と言うかなんでいきなり……私、着地できるよ」
「そ、そうだったね。忘れてた……キャッチしなきゃって」
マヤは私の下でにへへと笑う。どうやら私をキャッチしてくれようとしたらしい、けど……ごめんね。私大きいから。
「起きれる?マヤ」
「問題ないよ、このくらい。にしてもまさかクユーサーの奴が攻め込んでくるとは」
私はマヤを掴んで引き起こす。流石マヤだ、傷ひとつついていない。
にしてもクユーサーか、確かそいつってエーニアックでエリスをボコボコにした奴だよね。あのエリスが手も足も出なかったって言う怪物。あれがセフィラか……やはりセフィラは別格の強さだ。
「にしても、ここは?」
「穴だ、クユーサーが作った。それが地下洞窟に繋がったんだろう、クユーサーは地面を潜って高速で移動出来る、下にこれがある事を理解して態々地面を開けたんだろう。そして私達をここに落とし……分断を狙ったと」
「マレウスって、穴ボコだね」
「穴ボコさ、ここは魔女によって整地がされていない大地。魔女が大地を整えた魔女大国とは異なり環境は酷いものなんだ。今でこそ住めるほどになったけれど、昔はもっと酷かったらしい」
まぁ穴というより巨大な谷と言えばいいだろうか。上には光が指す穴が見えるが、左右には巨大な岩壁があり延々と奥に道が続いているんだ。
「……そうだね」
「ここに住まう事を強要された非魔女国家の民の苦労はいかほどだったろうね。さながら、棄民の心情だったろう。魔女から捨てられ、こんな土地で生きる事を強要されたんだから」
目を閉じ語るマヤに私は思わずムッとしてしまう。確かに魔女大国は魔女様により管理された大地で暮らし、とても安定した生活をしてる。大いなる厄災の傷跡の残る土地で生きる人たちは苦しい思いをしたかもしれない。
だがそれを選んだのは非魔女国家の人達だ、魔女様の庇護を嫌ったのは非魔女国家の人達だ。
「違う、魔女様は非魔女国家の人達を捨ててない。ただ自主性を尊重しただけ」
「自主性の尊重なんて言い訳だろう。私は放任は放置と同じだ」
「……マヤ」
私がそう低い声を出すと、ハッとマヤは何かに気がつきこちらを見ると、申し訳なさそうに眉を下げる。
「ご、ごめんよ。そういえばネレイドは魔女大国の人間だったね、今の話は忘れてくれ、聞いてて楽しい話ではなかったでしょ」
「……ううん、こっちもごめん」
そう言いながらもマヤは頭を下げる、謝ってくれる、私を尊重して。でも感じてしまう、やはりマヤは非魔女国家の人で、マレフィカルムの人なんだなって。
「それより、これからどうするかね。私達なら上まで登れるけど、ステュクスやメグちゃんはキツイだろうね」
近くには私達以外の人間はいない、多分みんなは他のところに落ちてしまったんだろう。他のみんなが一緒にいるのか、私達だけが一緒なのかは分からないな。
「問題ない。ここで待機でいい、メグがそのうち私達を迎えにくる」
こう言う分断される状況は初めてじゃない。そう言う時の合流手段は基本メグさんの時界門だ、待っていれば彼女がそのうち私達を転移させる。だから無闇に動き回らず待機すればいい。
「いや、それはどうかな」
しかしマヤはそれを否定する。
「これが単なる分断ならいい、だがここにはクユーサーがいる、奴は私達を一人づつ殺す気だ」
「……つまり、もしメグさんがクユーサーに襲われていたなら、転移は出来ないと」
「そうだ、クユーサーは基本不死身だ。なんとかするには隙をついて離脱するしかない、だけどタイマンじゃそれも難しい、メグが狙われているなら合流も出来ず、メグも死ぬ。なら私達の方から動き回って探した方が早い」
「確かにそうかも」
「そういうわけで、行こう。ネレイド」
そう言ってマヤは私に手を差し伸べる。メグたちを探すのはいいけど、この手はなんだ。
「なに?この手は」
「いや、足元が不安定だから手を繋いでいこう」
「いや、いいよ」
「なんで!?」
「手を繋いでると、いざって時動けない」
「うう、そうか……分かった、じゃあ取り敢えず向こうに行こう」
マヤはガックリと肩を落としながらも一応一緒に探してくれるようだ。……私はその隣に並んで歩く、さてメグさん達はどこに行ったのかな。体調が悪くて上手く魔力が探れないや。こう言う時、デティがいてくれたらな。
「………」
「……マヤ、さっきから私を見てどうしたの」
なんて考えて歩いていると、マヤがなにやらソワソワと私の顔を見上げながらニマニマしているんだ。その視線が気になり私が声をかけると。
「大きいね、ネレイド」
そう言ってくるんだ、今更?まぁ、大きくのはそうだけど。
「大きいよ、お母さんが私を大切に育ててくれたから」
「お母さん?君の?」
「うん、私のお母さん。……って言っても、血は繋がってないんだけどね」
「その話、もっと詳しく教えて」
な、なんでこんな話に食いついてくるんだ、別に面白い話なんかじゃないけど。
「私、元々捨て子だったんだ。オライオンの港町に捨てられてたの、それを拾ってくれたのが今のお母さん、夢見の魔女リゲル様」
「リゲル様……捨てられてた子を拾ってくれるなんて、優しいんだね」
「うん、とても優しい。お母さんは世界で一番優しいの、血の繋がらない私を大事に大事に育ててくれた」
「そっか、それで君は今日まで育ってこれたんだね」
「うん、お母さんがいなかったら私は強くなれなかった、感謝しても仕切れない」
「そうだね、確かに……その通りだ」
まるでマヤは噛み締めるように頷く、事実としてお母さんがいなければ私は強くなるどころか、あの日オライオンの雪の中で死んでいた。この生涯はお母さんによって生み出されたもの、だから私はお母さんのために戦うんだ……だけど。
「でも、だからこそ……気になる」
「なにが?」
「私を産んだ方の、血の繋がりがある方の、お母さんのこと」
「────」
結局モースは違ったし、私のお母さんは見つからず終いだ。ならどこにいるのか、生きているのか、私だって一応人間だから誰かのお腹から生まれたんだと思う。けどそうなると私を産んだお母さんはどこへ行ったのか?これはずっと悩んでることだ……けど、なんだかマヤの様子がおかしい。
「君を産んだ、お母さんの事?」
「うん、なんで私を置いていったのか、今どこでなにしてるのか、気になるの」
「そっか……まぁ、そうだよね。君を雪の中に捨てて消えた奴だもんね。文句の一つでも言ってやりたいか」
「文句?なんで?」
「え?」
「文句なんて、言わないけど」
なんで文句なんて言うんだろう、誰が文句を言うの?私が?私は言わないけど……とマヤを見ると彼女は目を見開いて、唇を震わせる。声にならない声を出して、どうしてと言いたげだ。
「私はただどこにいたのか、なんで置いていったか……まだ生きてるのか気になるだけ。生きているならそれでいい、元気でいるならそれでいい。今私がここにいるのはその人が私を産んでくれたから、そこに感謝しこそすれど恨むなんてことはない。それだけ今が幸せだから」
「ッ───」
私は今の私を愛している、それは母(リゲル様)が私を育て、産みの親が私をこの世に産んでくれたから成り立っている。そこを蔑ろにするつもりはない、まぁこの話をエリスにすると苦い顔をするけど、それでもこれが私の気持ちだ。
「────ネレイド、実は──」
「でも、知りたいのはもう一つ」
ふと、なにかマヤが言いかけた気がしたけど、私は続けた…その言葉を。
「もし私の産みの親が、もし…悪人だったなら、咎人であったならと、不安な部分もあるから」
「…………」
「もし、私の血が汚れたものなら、私はみんなと一緒にいられないから……」
これは、私がモースを前にした時なによりも色濃く宿った感情。私の血が咎人の血によって生み出された物なのだとしたら私はみんなと一緒にいられない。源流が悪にあるのだとしたら、私は……母の弟子をやめようとさえ思っている。
これを聞いたエリスは、やはり苦い顔をしていた。生まれは関係ない、親でその人の質が決まるならエリスはゴミクズですと叫んでくれた、けどこれは私の価値観だから……。
そう語ればマヤは呆然と口を開け、閉じて、キュッと口に力を込め。
「……そっか、お母さん…いい人だといいね」
そう言うなりマヤは一歩前に出て、腰に手を当て……大きく息を吸う。その一連の動作がまるで高鳴る心臓を落ち着けるように見えた。事実彼女の心音はその一動作でかなり落ち着いている。何故、そうも緊張していたんだろう。
「ねぇマヤ、私も聞いていい?」
「え?な……なにを?」
「貴方の身の上、貴方は自分の意思関係なくマレフィカルムに在籍してると言っていた。なら、何故在籍してるか……聞いてもいい?」
「……話さなきゃダメ?」
「私も話した、身の上を。だから教えて、貴方のことも」
「う……」
折角だから聞きたい、私は彼女をいい人だと思っている。そんな彼女がどうしてマレフィカルムに所属し、マレフィカルムの一員なのに私達にどうして味方してくれるのか。それが知りたいんだ。
だから私は身の上を話した、こうすれば彼女が逃げられなくなると知っていたから。そうだ、卑怯な手を使った。でも……彼女なら許してくれそうだ。
「はぁ、仕方ないなぁ。……聞いても面白くないと思うけど、一応言っておこうかな」
すると彼女は私の前を歩きながら、ポツポツと話し始める。
「私はね、元々エクレシア・ステスと言う研究所に……住んでいたんだ」
「住んでいた?」
「そう、あれは今から……四十年以上も前の事だ、マレフィカルムの研究所エクレシア・ステスで、私とコルロが出会ったところから全てが始まった」
……………………………………………………………
私の人生は、マレフィカルム一色に染まっていたと言ってもいいくらい。最初からマレフィカルムの影響を受けていた。
エクレシア・ステス研究所。今でこそコルロの物になっているが、昔は違ったし、研究内容も今と異なっていた。
研究主任はセフィラの一角『王冠』のケテル。常に仮面で顔を隠した白髪の者、奴はこの研究所で血統を重ねた際、より効率良く高い戦闘能力を持つ子供が生まれる方法を研究していた。
いやぼかすのはやめよう、ケテルはネビュラマキュラの蠱毒の儀の研究をしていた。人の血とはどのようにして受け継がれ、どう受け継いだら高い適性を持つようになるのか、それを研究していた。
エクレシア・ステスは既に四百年以上も前から存在し、ケテルはこの研究所が誕生した時からここにいる。そしてずっとネビュラマキュラ最高傑作を作る方法を模索し続けていた。
その過程で奴は研究職員すらも実験材料にしていたんだ。子供が誕生した時どんな子が生まれるから産んでみなきゃ分からない、だから奴は研究職員達に交配させ、実験として子供を作っていた。
その過程で生まれたのが私だった。魔蝕の日に生まれた子供が高い身体能力を持つことは分かっていた、更にそこからどの時間帯に受胎させるのが最も効率が良いのかを研究する過程で生まれたのが私。
つまり私は魔蝕の子であり、今現在ネビュラマキュラ王宮に蔓延る魔蝕信仰の原点と言えるだろう。
私は生まれながらにして常軌を逸した身体能力を持ち、代償らしい代償も持っていない理想個体とも言える存在だった。まぁこの時は分かっていなかっただけでキチンと代償はあったんだけどね。
だから研究が始まって以来の成功個体である私はエクレシア・ステスで研究され尽くした。私は元来超人としての才覚を持ち合わせ生まれた上で、更に魔蝕の力で超人に本来備わっているリミッターが最初から外れた状態だった。
つまり、バケモノ地味て強かったんだ。だからかな……欲深い研究職員の一人がケテルにこう進言した。
『マヤ・エスカトロジーを最強の存在に仕上げましょう』
ケテルはそれに親指を立てて快諾、私の意思など関係なく私は鍛えられることとなったが……問題はここからだった。
トレーニングの原理ってのは、即ち筋肉に負荷をかけ、その筋肉を破壊することにある。つまり体を壊すことでより強い肉体を手に入れるのがトレーニングだ。だが私の肉体は最初から強い、なにをしても壊れない。
腕立て、懸垂、重量トレーニングの大多数は意味をなさない。走り込みや拳での打ち込みも意味がない。トレーニングがトレーニングにならない。
研究職員達は頭を抱えた、マヤを最強にすればいずれマレフィカルムの大戦力になる。だが鍛えなければ強くならない、ならばと……職員達は更に過剰なトレーニングを、いや拷問を私に行うことになった。
電流、水責め、鉄塊で押し潰されたこともあるし銃で撃たれたこともある。そんな事して強くなれるわけないのにね、どこまで行っても研究者達は武人ではないと言うことだ。けど子供の私には抵抗する術もなく。
そして、それが間違っていると言う認識もない、だから諾々とその拷問を受け入れていたある日のことだった。
『こんなの間違ってる』
そう言って私の拷問を見て指を差しながら糾弾した子供がいた。青い髪に涙を流すように垂れ目、そして手には小難しい本を持った少女が私を指差しそう言ったんだ。
それを聞いた研究者達はオロオロと慌てるばかりで反論もしない。そりゃそうだ、その子はエクレシア・ステスがある領地の貴族。裏でマレフィカルムと手を組んでいたとある伯爵家の一人娘だったから。
その子は私に近づき。
『肉体負荷と肉体破壊は違う。腹筋を鍛える為に腹をナイフで刺す人がいるか?いるわけがない。これはそれと同じだ、効率も頭も悪いやり方だ』
彼女は呆然とする私のところにやってきて、拷問を中止させながらこう言った。
『私なら君をもっと強くさせられる、私はここにいる凡百の研究者達とは違う、天才だよ。神に選ばれた天才なんだ……だから私と一緒に強くならないかい』
彼女は貴族であり、同時に天才的な学者だった。幼いながらに魔術学、人体学などのあらゆる学問を修めた文字通りの天才。それが私の手を取って、微笑みながら。
『私と君が手を組めば無敵だ。私が君に適切な鍛錬を考える、君はそれを実践して強くなる、そうやっていつか世界最強を目指そうよ』
そう言ってくれたんだ。これが私の人生における、最初の出会い。私が最初に信頼できると思えた人間との出会い。
『君、名前は?……マヤ?マヤ・エスカトロジーって言うんだね』
そして、それは……。
『私はコルロ、コルロ・ウタレフソン。天才だ』
全てを変えた出会いだった。
…………それからコルロは私専属のサポーターになってくれた。
『マヤ、この鍛錬法はどうだろう。ウルサマヨリから取り寄せたんだ、魔力遍在の効率的な行い方、君は肉体面は完成されているから、次は魂……魔力の源流を鍛えてみようよ』
毎日のように新しい本を持ってきて、彼女は私に尽くしてくれた。
『マヤ、今日はたくさん本を持ってきたよ。武術の本だ、無敵の君がより無敵になる為に、天才の私が天才的に選んだ武術だ、これを覚えてみようよ』
彼女は私を強くする事に心血を注いだ。その熱意は彼女のウタレフソン家が経済的に危機に陥り、没落寸前になっても構う事なく本を取り寄せまくる程だった。
『マヤ、今日はマレフィカルムから薬を借りてきた。大丈夫怖いものじゃない、魔力の流出を一時的に増大させる事で魔力消費を早める。これを継続的に繰り返す事で一度に放出する魔力量が増加すると私は考えている』
いつしか彼女は家から本を持ってくるのをやめ、マレフィカルムの力を借りて様々なものを手に入れ、自己推論で私を鍛えるようになった。この頃から多分ウタレフソン家はなくなっていたんだと思う。
この時の彼女がどこで暮らしているのかも、どう暮らしているのかも分からない。だがそれでも私を鍛える事をやめなかった。
お陰で、私は成長する程に。メキメキ強くなった、コルロは本物の天才だった、他の研究者と異なり明確な理論と過去の事例に捉われない柔軟な発想を持つ彼女もまた成長する毎にその頭角を表し……そして。
私とコルロが二十代に差し掛かる頃。私は第三段階に入り、コルロはエクレシア・ステスの研究主任となった。史上初めてケテルを押し退け研究主任の座についたんだ。
この時の私は……コルロと一緒なら、どれだけでも強くなれると思っていた。
けど……同時に私は、この時思い知る事になる。
この世で最も残酷なのは、神であると。
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「マヤ!聞いてくれ!私の研究がガオケレナ総帥と元老院に認められてエクレシア・ステスに多額の援助を与える約束を取り付ける事に成功したぞ!」
……今から二十年前のエクレシア・ステス。古びた砦の一室を勢いよく開けて、青いロングヘアーの女が、目元の黒子を嬉し涙で潤ませながら、私の前にやってきた。
コルロだ、既にエクレシア・ステスの研究主任となり、マレフィカルムの一員となった彼女は何度もガッツポーズをしながら私の座るソファの前にやってくる。
「へぇ、やったじゃんか!君いつも言ってたもんね、ここの研究設備が古い古いって」
「そうだよ!ここにある道具は何年前のものだと思う!私達より年上だぞ!これじゃ研究所じゃなくて博物館だ」
二十代後半の私とコルロは共にエクレシア・ステスに住み、寝床を同じくする程に親しかった。ソファに座る私を尻で横に押しやり隣に座るコルロは自慢げに書類を見せてくれる。
「ここ見ろ、私が行った魔蝕研究が正当に評価された。レナトゥスって女を知ってるだろ?彼女が生まれたのは私のおかげだ、私の推論によりレナトゥスという天才を生み出せたことが再評価に繋がった!」
「うーん、私にはよく分からんよ〜」
「フフフ、私が分かればいいんだよ。私はマヤの頭脳だ、マヤは私の肉体だ、共にあれば誰にも負けない。それが……ようやくみんなに分かってもらえた、それが嬉しいんだ」
「そーだね、私達無敵だもんね〜、にゃはは」
「あ、おい!酒飲むな!」
この時は、ある意味で幸せだった。私に拷問をしていた研究職員達はみんなコルロによってクビにされ、より優秀な人達が、優しい人達が入ってきて、エクレシア・ステスはとても居心地がいい空間になっていた。
私にとって、ここが居場所で……世界の全てだったんだ。
「それよか、トレーニングしようぜ。このまま魔女を超えるくらい強くなるんだ」
「そうだな!今日は私が考案した理論を試す、魔力解液を血中に流し込み、魔力遍在の強化を常態化させる、これで君の身体能力は常時十倍以上になるぞ」
「そりゃすげー、寝ぼけてコルロのこと吹っ飛ばさないか心配だ」
コルロにとっても、この頃は楽しかったんだと思う。毎日のように新たな理論を試し、その都度に私が強くなるのを感じていた。いや……彼女にとってはそれが全てだったんだ。
「ふふふ、無敵のマヤ・エスカトロジーを強くしたのは私だ。私にとってそれが誇りの全てだ」
「おうともさ、君のおかけだよコルロ」
彼女のアイデンティティは…私の強さそのものだった。
しかし、全てが崩れたのは……あの一言からだった。
「そうだ、今日はトレーニングの前に一つ試したい事があるんだ」
そう言って立ち上がった彼女は、腰から重々しいベルトのような魔道具を取り出した。あれが無ければと今でも思う、これを拒否していればと今でも思う……それは。
「ん?なにそれ」
「ファウストのところから借りてきた。今魔術理学院は細胞に関する研究をしてるらしい、生物を細胞単位で調査するための道具だね、これで君がどれだけ強くなったかを測る」
「ふーん、それで分かるの?」
「君が生まれた時のデータ、成長曲線は全て纏めてある。それに加えて細胞の情報を得れば私の特訓による強化幅が分かる。なにをどうすればより効率よく強くなれるかが分かるんだ」
「つまり答え合わせだね、いいよ、やろう」
「ああ、これで私が君どれだけの物を与えたか、証明するんだ。私こそ君にとって最も必要な物だとね」
私は椅子に座り、コルロはベルトを私の頭に巻いて、それを研究用魔道具に接続。ベルトが青く輝き、それを目の前で操作するコルロによって……私の肉体は詳らかにされる。
「おお、凄い。凄いよマヤ、君は人間の限界を超えている…いや限界の先にある限界も超えているよ」
「君のおかけだよ、コルロ」
「ははは、言ってくれるよ」
コルロはにこやかに微笑みながら、調査を進める。どうやら超人というのは肉体の中にある超人因子なるものが作用しているようで。私はそれが普通の超人よりも何十倍も多いらしく細胞単位で他とは違うらしい。
それを確認して上機嫌なコルロ。
「ふふふ、流石私のマヤだ……これだけ強くなってくれるなんて鼻が高い」
そう言って、調査を進めた……その瞬間だった。
「ん……?」
コルロは、何かに気がついた。ブワッと冷や汗をかいて何度も手元の資料を確認、過去の資料も広げバラバラと紙が舞い散る音がする。私はそれを見て異様な何かを感じ取った。
「どうしたの?コルロ、なんかあった?」
「……………」
コルロはそれを無視して、ひたすらに細胞の情報と今までの成長曲線を照らし合わせ、そして……見開き、震える瞳孔、乾いた唇を動かし、口元に手を当て、呟いた。
「強くなってない……」
「は?」
そう言った、強くなっていないと。私はそれを聞いて眉をひそめる。
「なに言ってんのコルロ、私強くなってるでしょ、事実第三段階に入ってるわけだし…」
「……違う、違う、違う……嗚呼、なんてことだ。…これじゃ、これは……単純な肉体成長、マヤ…君はただ加齢によって、強くなったんだ」
「え……」
ギョッとする、マヤは泣きそうな顔になりながらそういうんだ。頭の悪い私でも分かったよ、加齢によって強くなった。
つまり、私は子供の頃からただ歳を取り体が大きくなり強くなったという事。つまりコルロが今までやってきたトレーニングは……。
「マヤは、私がいなくても今と同じくらい強くなっていた…。私が二十年かけた修練は全て……全くの無駄。マヤに…なんの影響も、与えていなかった……」
「コルロ、そんなわけないよ!私はコルロのお陰で強くなれたんだよ?あんたの行いが無駄なわけ……」
「やめてくれ!!」
私は咄嗟にコルロをフォローしようとしたが、彼女はもう私の声を聞くだけの余裕がなかった。そりゃそうだ、自分が今まで心血注いできた全てが無駄、効果がなかった、自分のおかけで強くなったと思った相棒が、実はただ成長と共に力をつけただけ。ただ単に私の才能があっただけで、コルロはそこに何の関与もしてなかったんだから。
「私は、私は今までなにをしてきたんだ……あれもこれも、全部無駄?私の二十年は一体、なんのために……」
「違う、違うコルロ、君が私を強くしたんだ。君がたくさんのことを私に教えてくれた。こんな…細胞だのなんだのの資料やデータなんかなんの証拠にもならない!ここに現れないものが私の中にはあるだろ!?」
肉体や細胞だけで見たら、分からないけどさ。でもそこに現れないものだってある、私に魔力の使い方や体の動かし方を教えてくれたのはコルロだ。強くなろうって意思をくれたのはコルロなんだ。
こんな紙に書かれた文字だけで私達の関係は、今までは語れないだろ、そう言いたかったんだ…私は。でも。
「資料やデータが証拠にならない…?なら、ならそれに固執してた私はなにになる、私が!心血を注いで作り上げてきた推論は全て無駄だったと言いたいのか!」
「違う!そうじゃない!落ち着いてくれよコルロ!」
「なにが違うんだ、結局……私はお前の才能を、神が与えたものを、自分の物だと思い込んでいた愚か者なんだ。理論や推論では測れない存在がお前なんだ!!」
コルロの目には、怒りしか宿っていなかった。私は言葉を間違えたことを悟る。私が言いたかったのはそうじゃない、コルロが今までやってきたことは無駄じゃないって言いたかったんだ。
けど、コルロにとって自分がやってきたこととはつまり、この紙に書かれているデータが全てだった。目の前にいる私よりも、紙に書かれたデータだけで私を見ていたんだ。
「こんなのあまりにも惨めじゃないか。私の頭脳とお前の肉体があれば最強になれると思っていたのに、お前は結局神に与えられた全てだけでここまで強くなった、私の頭脳なんて最初から必要なかったんだ!!」
「違う、違うよコルロ。私には君が必要なんだ……」
「いいや、事実として必要なかったとデータに出たんだ。お前が口でなにを言おうとも変わらない……お前の存在は、私の今までの全てを否定する」
「コルロ……」
コルロは足元に散らばった紙を破き、全部全部意味なかったと暴れ回る。私はそれを見て悲しくなった、ただ私に才能があったからこうなった。
ただ才能があるだけじゃない、研究者やコルロが考える以上に才能がありすぎた。人地を逸した力の前には、頭脳など必要ないのだと…私の肉体は告げてしまった。
「矮小な人間の、小賢しい研究では……神の作り上げた叡智には、敵わないってことか」
コルロの呟きを聞いて私は恨んだ、私を作った神を。これ以上ないくらい神を恨んだ、私にこんな生活を強いて、無二の友を奪って、神は私を孤独にした。
神を……殺してやりたいとすら思った。
「いいや…まだだ、まだ終わってない……」
コルロは涙を溜めた目で膝を突きながら私を見上げる。明確な怒りと、明確な敵意を持って、私を睨み上げた。
「私は必ずや、作って見せる。最強の存在を…私の頭脳と研究で、知識と叡智によって、神の肉体を凌駕してみせる……!!」
「コルロ……私は」
「神の作った肉体を超える肉体を、私が研究で作り上げる…!神を超える神に私がなる…!天に選ばれた私が…お前を!!」
そう言って立ち上がり、走り去ったコルロは…白衣を脱ぎ捨て、その日から私へのトレーニングをやめた。無駄なことはもうしないと言って、私は一人になった。
私にはここしか居場所がないのに、私にはコルロしかいないのに、彼女は私に対して注いだ全てを……別のことに注ぎ始めた。
それでも彼女は私を捨てなかった、私を怨念と執念で縛り上げ、引き込んだ。
彼女は直ぐに、組織を作り上げた。私はその象徴に祭り上げられ、私とコルロの二人から始まった組織は瞬く間に改題し、私の力を使いコルロは八大同盟の座さえ手に入れた。
「『死蠅の群れ』!ヴァニタス・ヴァニタートゥム!無駄と切り捨てられる叡智を!虚無となった叡智を!最強の糧とする!!私は私を最強へと押し上げる!神の肉体を超える存在になってみせる!!!!」
力に溺れ、己を強くすることだけに囚われ狂っていくコルロを私はそばで見ていることしかできなかった。
「神を超える神となる資格を私は持っている、神の肉体なんかよりも余程得難い頭脳という才能を持つ私こそ天に選ばれし存在!」
狂い果てて、おかしくなっても……コルロは友達だった。
「私こそ!新たな世界を作る!神となる!!!」
だから私は……ヴァニタートゥムを抜け出せなかった。コルロの狂気に縛られ、まるで才能を持って生まれてしまったことを詫びるように、友達の人生を無駄にしてしまったことを贖うように。
私は、ヴァニタートゥムに残り続けたんだ。
────────────────────
「正直もうコルロには愛想がつきてる、ぶん殴って止めてやりたいとも思ってる。けど……彼女をああしちゃったのは私だから。コルロ・ウタレフソンという狂気を生んだのは私だ」
「だから、今も抵抗せず残り続けているの?」
「そう、私が残る理由のうち、大部分を占めるのはそこかな」
コルロ・ウタレフソン。ヴァニタス・ヴァニタートゥムの事実上の実権を握る女、それもそうだ、ヴァニタートゥムはコルロのエゴによって誕生していたんだから。
全てはマヤが超人を超えた超人だったから、友を持つことさえ許されない程に卓越しすぎていたから。その気持ちは分かる……とは言えない、私は友達に恵まれすぎたから。
「私はコルロを止める気がない、けど誰かがコルロを止めるのもまた止めはしない。アイツはそれだけのことをしているから。仕方ないことだから」
「……それは、無責任じゃないの」
「は?」
でもごめんね、私は……同情出来ないよ。
「そう思っているのなら、どうして貴方の手でコルロを止めないの」
「え?…私が彼女を狂わせたから」
「そう思うのなら、友達だと言うのなら…ぶつかり合うべきだと、思う」
私も昔同じ思いをした。狂い果ておかしくなったお母さんを前に全てを諦め従う選択をした。今なら分かる、それが間違いだったと、あのまま私がリゲル様に従い続けていれば今はない。
私を止めてくれたのはエリスだ、エリスが言った通り……想うなればこそ、ぶつかり合うべきだった。マヤもまたコルロに対して贖罪の意志を感じるなら、コルロを殴って止めるべきだった。
それが本当に正解かどうかは、ごめん、責任は持てない。けど私はそうやって生きてきて今を得たから、私にはそれしか答えが出せない。
「…………確かに、ね。その通りだ」
マヤはそう言って俯きながら、腰に手を当てる。ただ…彼女の肩は、姿は、疲れ切っているようにも思えた。
「殴ってやりたいって思ってたのは、アイツに呆れたからじゃなくて……そうやってでも止めるべきだと思っていたからかもしれない。でも……もう全て遅い」
「遅いなんてことはない、まだなにも失われていない。なら……今からでも止められる。私と一緒に止めよう、コルロを」
「でも君にはオフィーリアって目的があるだろ?」
「オフィーリアを捕まえる、コルロも止める、全部やる。私はの手は他の人より大きいから、色んなものが掴めるよ」
「ネレイド……フッ、生まれて初めてだ。他の誰かみたいになりたいと思ったのはさ」
するとマヤはニッと笑い、手を差し出す。ゆっくりと、私に向けて。
「なら、手伝ってくれるかな。私のバカな友達を止めるのを」
「うん、止める……」
そう言って、私はマヤの手を取り新たな誓いを立て─────。
『おいおい、そりゃあねぇんじゃねぇか?今更裏切るなんてのはよぉ、マヤ・エスカトロジー』
「っ……」
しかし、その前に……鳴り響いたのは、男の声。
「クユーサー……!」
「ゲブラーだ、いい加減覚えろや」
黒い角、狂いコートを羽織った…大男。それが近くの岩場の上に立っていた。やってきたんだ、ここに……っていうか!アイツが手に抱えているのって!
「メグ!!」
「このバカ、お前のだろ。ああまだ殺しちゃいねぇよ……使えると思ったからな」
クユーサーの手に握られていたのはメグだ、ズタボロになり意識を失った彼女が抱えられぐったりしてる。狙われたんだ、転移を警戒して…一人になったところを。
「メグを返せ…!さもないと──」
「殺すって?…やってみろや、デカブツ」、
クユーサーは岩場から降り、メグを片腕で抱えたまま私を睨む。凄い威圧だ、今まで戦ってきたどんな敵よりも大きく見える。これがセフィラか。
「ケッ、ビビりやがって。聞いたぜオイ!ここにいるメイド、お前、そしてラグナとか言う赤髪のガキ!全員がそれぞれ三魔人を倒したって言うじゃねぇか。この程度のガキにやられるとはよォ、後輩の不出来さに涙が出るぜ!」
「ッ……」
「やってみろよ、三魔人と俺様……どっちが強いか、教えやるぜ」
三魔人は全員強敵だった、あれから強くなったけどまだ楽に勝てる相手とは思えない。それでも分かる、クユーサーは別次元の強さだ。ジャックもモースもジズも、クユーサーには及ばない。
足が竦む、こんなの初めてだ……私の手に負える相手じゃ───。
「その子を……」
「む!」
しかし、そんな私より早く動いたのは。
「離せやッッ!!」
「げぶふぁっ!?」
マヤだ、一瞬でクユーサーの側面に飛び、鋭い蹴りを放ちクユーサーを吹き飛ばしメグを助けた。クユーサーの体は岩壁に叩きつけられ、岩が割れ、地割れが起こり、周囲が崩落を始める。
「ネレイド!メグを!」
「う、うん!」
「クユーサー!帰らねーとボコボコにするよ!」
「……マヤぁ、テメェやってくれたなぁおい」
投げ飛ばしたメグを私は受け止める…と、同時に迸るのは凄まじい闘気の嵐。今の一撃を食らってもピンピンしてるクユーサーと、静かに構えを取るマヤの間で敵意が激突し、爆発し、荒れ狂っているんだ。
「三本指如きが俺様に勝てると想うんじゃねぇよ…!」
「あんたなんか楽勝だから、言ってんだよ。死なねーからって調子乗るなよ」
「上等だ、テメェをボコってコルロのところに引きずっていく!でなきゃ俺様のメンツが立たねぇんだよッッ!!」
「フッッ!!」
そして、激突する。クユーサーの拳とマヤの拳。一瞬で肉薄した二人の打撃は重なるようにぶつかり合い、周囲の瓦礫が消し飛び、虚空に地震の如き振動が走り、私でさえ立っていられないほどの余波が迸る。
これが、第三段階同士の戦い…マレフィカルム最強の使い手同士の戦い。
これ……どうなってしまうんだ。




