745.対決 『反英雄』リューズ・クロノスタシス
エクレシア・ステスの中央広場、ペトロクロスによって根底から形の変わったこの施設にて、争うのは一と零…全てを飲み込む零を前に、拳を打ち鳴らし立ち上がるのは唯一の戦力。
「任せとけ!」
「頼んだ…バシレウス!」
俺はニタリと笑いながら周囲を見る。ステュクスは動けそうにない、他の奴らの魔力も極端に小さくなっている。リューズが魔力を吸っているからだ…そしてそれに反比例するようにリューズが強くなっている。最初会った時とは比べ物にならない……だが。
なんでだろうな、ステュクスの言葉を受けてから…『なにがなんでも勝ってやろう』って気持ちが湧いてくる。俺はリューズの前に立ち、大きく伸びをしたあと力を込めて一歩踏み込む。
「やってやる…!」
「俺に勝つ?不可能だ…」
目の前に立つのは絶大な魔力を手に入れたリューズ、強くなったよ…さっきまでとは比較にならねぇよ。けど…同時に感じるのは失望。
最初出会った時、俺はリューズにある種の危機感を覚えた。或いは俺にさえ迫るかもしれないと。二度目に会った時はもっと恐ろしかった。是が非でも喰らい尽くしてやろうと言う強烈な闘争本能を感じた。
そして三度目、ここまで殴り合って…俺は一つの違和感を感じた。リューズは強くなってる、俺の脅威になり得ている。だが…怖くなかったんだ。
その違和感について悶々と考え…さっき、地面の底に落とされるような攻撃を喰らって、確信した…こいつは。
『強くなる程弱くなっているんだ』…!
「喰らえェッ!!!」
リューズが動く、氷の爪を薙ぎ払い、全てを切り裂く斬撃を放つ。あれは俺には防げねぇな…けど。
「お前さぁ…薄いぜ、薄っぺらだ」
「な…!?」
スルリと間を抜けて、俺は斬撃の隙間を縫う…今の攻撃はないだろ。
「どうやらお前は、魔力と一緒に他人の戦闘経験もコピー出来るみたいだな」
「くっ…寄るな!」
次々と斬撃を放つが、…まるで薄っぺらい攻撃だ。全部どこかで見たようなありきたりな攻撃、ありきたりな狙い方、少しの前のこいつならなにをしてるか分からない怖さがあったのに、今はてんでチープ。
そう、最初戦った時覚えた恐怖…こいつはそのうち魔力以外の、概念的な何かさえ奪うのではないかと俺は感じ、そしてその通りになった。
リューズは今、このエクレシア・ステスにいる連中全員の戦闘経験をコピーし、戦いの達人になった。だがそれは…常識的な範疇の、セオリー通りの戦い方だ、非常識でめちゃくちゃな戦い方をしていたリューズとは真逆。こいつの一番の武器が…常識によって消されている。
つまり濁ったのさ。純粋な狂気を宿していたリューズは、世俗に触れ、普通を学び、いつしか俗物的な野心を抱き、凡愚極まる普通の強者になっちまった。
クレプシドラが必死になってリューズを確保し監禁していたのは、リューズが強くなるのを恐れたからじゃない。リューズは何もない状態が最も強かったのだ。リューズと言うリーサル・ウェポンの劣化を防ぎたかったから…ああも必死になっていた。
結果、恐れていた事態が起こった…リューズの凡人化だ。
「薄弱な人間に成り果てたな、リューズ!」
「ぅグッッ!?」
一撃、必死に爪を振るうリューズの顔面に拳をぶち込み、壁を数枚粉砕しながら吹き飛んでいく。それを俺は…追う。大地を駆け抜け…吹き飛んでいくリューズを追いかける。
「人間に成り果てた…それの何が悪い。お前だって…お前だって!獣から人に成り果てた側だろう!」
吹き飛ばされたリューズは背中の羽を大きく振って空中で姿勢を戻すと同時に、拳を振るい無数の氷弾を連射する。
俺が獣から人になった側?何言って……いや、或いはそうかもな。ならなんで、こいつと俺でこうも差が生まれているか、そんなの決まってる、
「そうかもな、けど…テメェのなりたい人間って、どんなだ?」
「え────」
「魔王か?唯一の人か?…それってなんだ?どうなったらその目的は達せられる?」
氷弾を飛び越えて、一瞬でリューズに肉薄し、俺はリューズの顔面を掴む。俺の問いに絶句し動けないリューズは…抵抗すらしない。
答えられない、当たり前だ、答えがないんだから。こいつはただ欲しがるだけでその欲しい物がなんなのかさえもきちんと理解していない…。
「ほらな、空っぽだ…だから言ってんだろ、薄っぺらだって」
「ぐぅっ!?!?」
地面に叩きつけ、吐き捨てる。人間に成り果てた…この意味が分からないか、テメェは空っぽな奴なんだろ?空っぽの怪物だから強かったんだろ?それがそのまま人間になったって何も変わりゃしない。
空っぽの怪物が人間になったらそのまま、空っぽの人間が出来上がりだ。何もない怪物は強くとも空虚は人間は強くない。だからテメェは弱いのさ…!
「悪いが俺にゃ…死んでもやらなきゃいけない事があるんだよッ!ただ満たされる事だけを目的にしてたテメェとは違うッッ!!」
「げぶふぁっ!?」
そしてそのままバウンドしたリューズを蹴り飛ばし…エクレシア・ステスの外へと追いやる。吹き飛んだリューズは森の中に落ち、三回ほど大地を弾み…瞬間的に森を凍らせ、大地を白く染める。
「ッッざけるなァァアアア!!なんでだよ!!なんでだ!!なんでここまでしてお前に勝てない!勝とうと思っちゃダメだったのか!?欲しいと思っちゃダメだったのか!?俺は満たされちゃダメだったのか!!」
「薄いんだよ、目的が。唯一の人になる?最強の魔王になる?人になって何をする?魔王になったらなんでクレプシドラに勝った事になる!何がしたい…どうしたい、それもない人間が偉そーに究極だなんだ語ったって滑稽だぜおい!」
一気に飛んで凍った木々を粉砕しリューズに迫る。リューズもまた拳を握り応戦の構えを見せる。俺に責められて、詰られて、ちょっとは狂気が戻ったか!
「説教を垂れるなよ!!俺は!俺は強くなっ─────」
「強さってのは、結果なんだよ。今…お前は強いかよ」
応戦の構えを見せた、狂気が戻った、だがこの差は埋まらない。奴が拳を振るうよりも前に俺の蹴りがリューズの顔面を叩き抜き、奴の口からシャーベット状の血が舞い散る。
「ぐぅっっ!?」
「力を得ても、より上の段階に登っても…伴ってないんだよ、テメェって人間の厚さが」
「何を…!曖昧な事を言って!誤魔化そうとするな!!」
「曖昧な奴に曖昧なこと言って何が悪い!!」
咄嗟に殴り返そうとするリューズの胸ぐらを掴み、押し倒すと共に魔力噴射で一気に加速
地面に叩きつけながら何度も何度も加速を繰り返し、そのまま手を離すと同時に前方に投げ飛ばす。
「げはぁっ…ぐっ、おぇ…なんでだよ…!力を得たのに…!なんでさっきよりも押されるんだよ…!わけわかんねぇよ…!強さってなんだ、目的ってなんだ…願いってなんだよぉおおおお!!!」
「テメェ個人の問題だろうがッッ!俺に言うなッッ!!!」
前方に投げ飛ばされたリューズ絶叫が響く中、俺は更に大地を踏み割り跳躍すると共にリューズに追いつく。足先には魔力を、全身に力を込めて…踏み潰すように空を飛ぶリューズを蹴り下ろし、地面に叩きつける。
リューズが落ち、凍った純白の大地は粉々に吹き飛び、白い粒子が宙を舞い、まるで割れたガラスのようなクレーターを作る地面に俺は着地し、白い息を吐きながら舌を出す。
「これで分かったかよ、テメェは何したって俺には勝てねーんだよ。残念だったな、バァカ」
「ぐっ…ゔっっ!!がぁぁあああ!!!」
リューズは起き上がる、白目を剥きながら雄叫びをあげまだまだ立ち上がる、タフネスに関しちゃ変わらねーか。だがいいぜ、お前が気が済むまでやってやるよ!ここで徹底的に叩き潰して!二度と俺に逆らえねーようにしてやる!!
「うるせぇええええええええ!!!テメェに何が分かるッッ!!今の今まで閉じ込められてきた俺の気持ちが!!何も持たされていない俺が!何もかもに満たされたこの世界に放り出された苦しみが!!」
跳ね起きたリューズは背後に巨大な氷の翼を作り出し、一気に加速しこちらに向かい───。
「ッ…!!」
一瞬でリューズは俺の懐に拳を叩き込み、その衝撃で大地が白い粒子に変わるほどに粉砕され、地震が巻き起こる。
「己が零であることを知ってしまったら!もう求める事しか出来ないだろ!!俺だって…俺だって人間なんだから!みんなと変わらない存在なんだから!なのになんで俺ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないんだよぉぉっっ!!」
「知らねーよ…!」
絶対零度を身に纏い、暴れ狂うように乱打を叩き込むリューズを前に俺は両手を前に出し、防御を続ける。リューズの顔を見れば、流した涙が氷になってこぼれ落ちる。君を剥き、狂気の慟哭をあげるリューズは…目を尖らせ。
「俺はお前が嫌いだバシレウス!!!俺と同じなのに全てを持ってるお前が嫌いだ!!蠱毒の儀を乗り越えて…唯一になったお前を!零である俺は!憎むッッ!!」
「ガッッ…!」
鋭い右拳が俺の顔面を撃ち抜き、氷の大地に体が打ち付けられる。それが本音か、或いはオフィーリアに吹き込まれた情報か、何にせよ…こいつは俺への羨望から、ここまで狂ったか。
「お前を殺して唯一になる!誰かにとっての唯一なる…!目的が大事か?人間になって何をするかが大事か?なら言ってやる…バシレウス!俺はお前を殺す唯一の存在になる!その為ならなんだってしてやる!どんなモノにだってなってやる…!」
リューズはそのままオフィーリアにから奪ったペンダントを首にかけ、まるで…俺になりきるかのように舌なめずりをし、バシレウスの座を奪おうと迫る。
「くれてやるかよ…この唯一を」
「死ねぇえええええ!!」
「俺の座は…渡さねーよ、ユリウスから…貰ったこの座を!!」
大地に倒れた俺に向け放たれた拳を、そのまま地面を叩いて跳躍する事で回避する。そしてそのままグルリと体を回し着地した瞬間、俺を睨むリューズの目がさらに輝く。
「お前を殺す!!それ以外もう何もいらない!!お前を殺せば!俺は…俺は!きっと…俺が望んだ人間になれる!」
その望みの内容が薄弱だってんだよ…そう言いかけた瞬間。リューズの体が光り輝き…力が更に、増幅する……これは。
「『極・魔力覚醒』…!」
「なっ!?」
それは、俺の想像を越える程の執念が成せる技か。リューズが俺への殺意を明確にした瞬間…奴の体に蓄積された魔力が呼応し、奴に更なる力を与え────。
「『簒奪者』」
リューズの体が変化する。全身が蒼銀に光り輝き…周囲の木々、生物、…更には大地…星そのものから力を吸収し、文字通り無限に強くなっていく。星が枯れていく、空が澱んでいく。
何もかもを欲し、手を伸ばし続けた男の究極の姿。それは究極の自己中心…星さえも喰らい尽くし、ただ己の為だけにある最悪の自己実現。
こいつ…極・魔力覚醒しやがった…!
「もう俺も…分からなくなったんだ、人間になりたいのか、お前になりないのか…最強になりたいのか。でも最初はただ…木々に触れてみたかったと…思っていたはずなんだ。けどそれももう叶わない…こうなった俺は…もう何にも触れられない」
リューズが手を軽く動かすだけで、空気さえも死んでいくのが分かる。奴が触れた物は全て壊れる、ただ願いを願った男は…人間になる、俺になる、普通の存在になる。あらゆる願いを前に迷い、惑い、結果何も得られない存在に成り果てた。
ただし、それにより…奴は。
「でももういい、お前を殺せるなら…もうなんだって、俺を否定するお前が消えるならなんだっていい!」
俺を殺すためだけに、その全てを使う。俺の目でも追いきれない速度の打撃が…俺の頬を打ち抜く。
「ぐっ!?」
「だから!だから死ね!死んでくれバシレウス!!」
猛然と俺を打つ、打つ、打つ。一撃が加えられる都度俺の中の魔力と生命力が物凄い勢いで奪われ奴に加算されていく。
凄まじい速さの攻撃に、俺は手も足も出ない…いや…いやそりゃないだろ、そんなの無いぜ…。
「ぐっ…無しだろ…それ」
「無し?なんでもありだろ…?殺し合いはなんでもあり、オフィーリアにはそう言ってたぞ」
「いや…だって……」
蹴りを受け、口元から血が噴き出る。いきなり極・覚醒って…お前第一段階だったんじゃ無いのかよ。だからこうやって戦ってたのに…!
「そりゃ!ねぇだろ…!こっちは…お前が第一段階だと思って!」
「うるさい…消えろ、消えてくれバシレウス!!」
振るわれる蒼銀の拳。それが一気に迫る…ああすげぇ威力だ、とんでもねぇよ…もう、第一段階ですら無いんだな。
……ああ、そうか…そうなんだな。
「ふざけやがって…お前が第一段階だと思ってたから…俺は」
「ッな…!?」
瞬間、リューズは目を剥く…受け止められたからだ、その拳が…俺に。けど…そりゃそうだろ、俺は…俺は。
「『極・覚醒ナシ』で戦ってやってたのによ…そりゃねぇだろ?」
「えッ……?」
「けど、マジでやって欲しいなら…そうしてやるよ…ッ!!」
こっちは今の今まで覚醒ナシで戦ってやってたんだぞ、だってあっちが覚醒使えないのにこっちばっかり覚醒…ましてや極・覚醒なんか使って勝ったって恥ずかしいだけだろ。だからその辺は抜きにしてやってたのに。
こっちの思いやりを蔑ろにしやがって、だったらいいよ。覚醒使いたいたらそうしてやるよ、けど…俺が極・覚醒使ったら、もう誰も勝てんぜ。
「『極・魔力覚醒』……!」
「え…え…!?い、今までお前使ってなかったろ…だから、使えないと思って…!」
全身から紅の魔力が噴き出し、それは柱となり天に突き刺さり…空が赤く染まる。世界が赤く染まる。俺の極・魔力覚醒の範囲はセフィラ中最高範囲…さながら世界を塗り替えるが如く、俺の色に景色は染まっていく。
これが俺の極・魔力覚醒だ…魔女にも将軍にも見せなかった極・魔力覚醒!よく見とけや!!
「『ホライゾン・ネグサ・ナガスト』ッ!!」
紅の魔力に包まれた世界の中心に立つ俺の体から…紫色の光が溢れ、業火の如く体を包む。一歩…俺が踏み出しただけで大地が割れる。これが俺の極・魔力覚醒……身体進化型覚醒の究極系……。
───肉体進化型魔力覚醒『ホライゾン・ネグサ・ナガスト』。それはバシレウスの魔力覚醒『エザフォス・アウトクラトール』と同様の力を持つ。それは支配だ、エザフォス・アウトクラトールは己の肉体を支配しリミッターを外す事で200%の身体スペックを発揮出来るシンプルな肉体進化型。
対するホライゾン・ネグサ・ナガストは…その範囲は半径5km。その範囲内にいる人間全員が対象であり、対象全ての『上に立つ力』がある。支配とは上に立つ事であり支配される側は下である、即ち範囲内にいる人間全員の力を合算した力を三割近く上回る力を手に入れる覚醒。
今、バシレウスは…エクレシア・ステスにいるラセツ、タヴ、カルウェナン、アナフェマ、セーフ、アナスタシア、コーディリア、ムスクルス…周辺にいるクレプシドラやコルロ、焉魔四眷。更にはオフィーリア、クユーサー、ステュクス…何よりリューズ。その全員の力を合算した総力を上回る戦闘能力を得た事になる。
バシレウスの極・覚醒は発動と同時に目の前に立つ相手よりも問答無用で強くなり、尚且つ敵も味方も多ければ多いほど強くなる。相手に絶対の敗北を叩きつける覚醒である──。
「う…ぁあ…ああ…」
「使ったら簡単に勝てちまうからさ、相手が極・魔力覚醒使わない限りナシにしてやってんだ…これで勝ったって最強だって言えねぇからさ」
それは俺なりのマイルールだ。たとえ相手が将軍でも魔女でも相手が極・魔力覚醒を使わないならこっちも絶対に使わない。それで死ぬなら俺は最強じゃ無いって事だからな、まぁおかげで何回か死にかけたが……今はどうでもいい事だ。
「さて、やるか?第二ラウンド…いや、勝負にもならねぇか」
「こんなの…こんなの、こんなのって無いだろ…なんでお前はずっと俺の上にッ──!?」
「お前の上にいるんじゃねぇ、俺は全ての上に立ってんだ。立ってなきゃ…ならねぇんだよ」
リューズの顔面を掴む。奴も必死に俺の力を奪おうとするが、無意味。俺の覚醒の力は相手が強ければ問答無用で発動し続ける。俺を弱体化させたいなら、周りにいる人間全員殺し尽くして、自分も弱くなるしかねぇな。
「テメェのあり方にゃ誇りがないんだよ!背負う物も…何も!無いだろうが!!」
「ぐぅううう!?!?」
叩きつける、地面に、凍った木に、幾度となく叩きつけ、空中に投げ捨て更に上空に蹴り飛ばす。こいつのあり方には誇りがない、目の前に立つ相手によってコロコロ変わる目的が達成されることはない。
俺にはある、何がなんでも曲げられない願いが。ユリウスが願ったように…アイツらの生きた意味を、生まれた意義を…無駄にしないためにも、俺は何よりも強くなきゃいけないんだ。強くあり続ける事そのものが俺の願いだ…例え獣になろうが、なんだろうが…そこだけは曲げねぇよ!!
「ッッ…!嫌だ…嫌だ、お前に負けたら…何もかも捨てた俺はどうなるんだ、せめてお前には勝たせてくれよ!!」
空中で翼を広げ、天を飛ぶリューズ…だが。
「お前な…」
「ひっ…!?」
一瞬で追いつき、リューズの翼を掴む…やっぱり、こいつは何もない時の方が怖かったな。
「人間が…人外の皮を被るな、見苦しい…!」
「あっ…あああ!!?!?」
バリバリと音を立てて俺は翼を剥ぎ取り、更にリューズを掴み奴の纏っている氷の鎧を砕いて剥がしていく。そうすれば後に残るのは…何も持ってない人間一匹。
「う…うぁあああああ!」
空中で翼を失ったリューズは闇雲に拳を振るうが、当たらない。鈍くてとても当たる気がしない。その全てを首を傾け回避すると同時に魔力噴射で足を加速させ…リューズを更に蹴り飛ばす。
「もう俺、お前に興味がねぇ…とっとと死ねや」
手をかざし、その手に魔力を集める。それを見たリューズはパッと顔を明るくし。
「ッ魔術か!ハハハッ!忘れたのか…俺には効かない、逆にそれを奪って…俺のものにしてやる!」
そう言って空中で両手を広げる、だが…分かってるさ、お前には魔術は効かねぇよな…現代魔術はさ。
「……我が内を流れる命脈の力よ、神より賜りし神秘の力を、今我が手中に加え輝きを灯さん。此れは悲劇でもなく惨劇でもなく」
「は?」
唱える、ウルキとガオケレナから授かった血命供犠魔術。血を代償に魔力を作る魔術…五百年前にとある魔術導皇が作ったこの魔術、現代魔術として誕生したにも関わらず何故か存在する…古式魔術。古式血命供犠魔術…別名紅血魔術、それは。
「須らくを真なる道へと導きし天啓である…『紅玉灼道大亡葬』ッ!!」
俺にとっての、秘中の秘…即ち奥の手。即ち切り札だよ、リューズ。
俺の手から放たれたルビーの如き煌めきは空中で拡散したかと思えば即座に一点に集約し…天を切り裂く熱線となってリューズに迫る。当然、現代魔術と古式魔術じゃ威力の比較にもならないほどの差がある。
それに加え、今の俺は背負っている…エクレシア・ステスにいる…全身の力を。その威力は…。
「ぐっ…うっ!う…奪い切れないッッ!?!?」
リューズのキャパシティを一瞬でオーバーし、吸い切れない魔力はそのまま奴の体を押し飛ばし、さながら流星の如く光を纏ってエクレシアの壁を突き破ってその内へと消えていく。
……俺をガチにさせたい時点でアイツに勝ち目はない。あとは……。
「取り戻す…待ってろよ、ユリウス」
今、ペンダントはリューズが持ってる…この手で、ユリウスを取り戻す。それがケジメだ。
…………………………………………………
「はぐぅはぁああっっ!?!?!?」
壁を突き抜け、また戻ってくる。バシレウスの一撃を受けてすっ飛んできたリューズは俺とオフィーリアのいるところに吹き飛ばされて戻ってくる。
めちゃくちゃだ、リューズはこの施設にいる人間全員の力を吸収してるのに、バシレウスはそれさえも上回る力でリューズをぶっ飛ばしてボコボコにしたんだ。
「マジかよ……」
大の字になって倒れるリューズを見て、呟いたのは俺だけ…隣で座り、致命的な魔力消耗を回復しているオフィーリアは『やっぱりか』という風に残念な目でリューズを見つめている。
「…やっぱ格が違ったか。ネビュラマキュラが作った八千年に一度の天才には…ポッと出の天才程度じゃ勝てないってわけね…」
オフィーリアの呟きに、俺は『そりゃないだろ』と思ったよ。リューズをその気にさせたのはお前だろ、リューズがオフィーリアを利用していたにしても…まんまとリューズを乗せて、その気にさせて、調子づかせて…。
それで、やっぱりって…そりゃリューズがあまりにも惨めじゃないか。
「ゔっ…ぁぁあああああああああ」
リューズは大の字になり、ボロボロと泣き始める。咆哮を上げながら大泣きする、まるで…夢叶わず負けた事を察し、絶望したかのように。
「なんでだよ…っクソ…じゃあなんだ、全部意味なかったって事か…バシレウスと出会い、焦がれたことも。バシレウスを目指し、戦いを挑んだ事も…」
そして起きあがろうと、足を立て…滑って蹲り、震えながらリューズは頭を抱える。
「いや、そもそも…俺なんかよりずっと凄い奴がいるのに、なんで俺は閉じ込められて…アイツはのうのうと生きてるんだ。俺は恐ろしい存在だから…閉じ込められてたんじゃないのかよぉ…俺より恐ろしい奴がいるのに、なんで俺ばっかり……」
メソメソと泣き、蹲るアイツを見ていたら…可哀想になってくる。いやアイツはやばい奴だし、嫌な奴だけど。身の上に関しちゃ…アイツは何にも悪くないわけだしな。
「俺が苦しんで…何も得られず足掻いてるのに、アイツは平気な顔してこの世界で生きてられるんだ!不公平だこんなの!!」
地面を叩いて叫ぶリューズには、ちょっと同情する。アイツは外に出るべきじゃなかったのかもしれない。何も持ってない事を自覚さえしなければアイツは狂わずに済んだ。苦しまずに済んだ。
外に出たから、いろんなものが欲しくなった。人の真似をして色んな目的を持って…あつちこつちに手を出して、それを叶えられるくらい強くなって…で、このザマ。
可哀想だ…何か一つ違えば、アイツも普通の人間らしく生きられたのに。でも…でもさ。
「それは違うよ、リューズ」
「……は?」
俺は、星魔剣を杖代わりに立ち上がり、否定する。
「バシレウスは、何の苦しみもなく生きてるわけじゃない…アイツだって地下に閉じ込められていたことがあった」
「知ってるよ!オフィーリアから聞いた…蠱毒の儀だろ、でも外に出れたんだからいいだろ!」
「じゃあなんで、お前は…そんな自分ばっかりなんだ。バシレウスの苦しみが分かるなら…隣に立ってやれたんじゃないのか」
「………………」
何も持ってないのは仕方ない、そこに関しては同情するよ。けど…だったらバシレウスの苦しみを分かってやれたんじゃないのか。誰かから奪って自分を飾って、バシレウスを殺して全てを奪おうとせずとも、分けてもらうんじゃダメだったのか。
バシレウスは…何も受け入れない男じゃない、アイツと共に立てば…アイツもリューズも、無二の友達になれたんじゃないのか。友達になってたら…リューズだって、救われたんじゃないのか。
「もうやめにしよう……」
自然とそんな言葉が口から出てきた、オフィーリアはそれを聞いて笑っていたが…割とマジだ。リューズは周りにいい奴がいなかったからこうなっただけで、こいつ自身は本当に性根から悪い奴じゃない。
もっと、多くの人と関われば…きっとこいつも変われる。変われたら…それでいいじゃんか。そう…俺が呼びかけると、リューズは。
「……知った事か、他人の事情なんて」
そういうんだ、さっきまで自分とバシレウスが同じ境遇なのにバシレウスばかり狡いと言っていたくせに、そこを突かれると一転他人の事情なんか知らないと…まるで子供のように意見を変える。
「俺だけでいいんだよ!!俺だけで!!全部全部手に入れるのは!!持っているのは!俺だけでいいんだ!!」
牙を剥いて叫ぶリューズを見て、怒りも呆れも湧いてこない…そうか、そうなんだな。結局お前は…何も持っていない自分以上に、何かを持ってる他人が嫌いなんだな…。
「……そうかよ、お前…結局まだ、一人のままだぜ。閉じ込められていた時から…何にも変わってない」
「うるさいッッッ!!」
リューズが拳を振り上げる。青く輝く光が拳に集中し…俺に向けられる。けど違うだろ、リューズ…お前の相手は俺じゃない。
「おうリューズ!!」
「ッ……!」
飛んでくる…紫の光を体から放つ影が、俺の前に立ち…俺とリューズの間に立ち、拳を握る。ああそうだ、アイツの相手は俺じゃなくて…。
「テメェ、相手間違えんなよ」
「バシレウス…」
「ステュクス…お前、説得でもしようとしてたか?甘い奴だよなお前は。で、成果は」
「いや、もういい…」
バシレウスだ。ああやって泣いてるリューズにやり直す機会を与えたかった。姉に閉じ込められ、オフィーリアから見放され、バシレウスには敵わず、たった一人になったアイツを捨ておけないと思った。
傲慢で偉そうな話だけど…手を伸ばさずにはいられなかったんだ。けどその手を振り払われた以上俺にはもうどうしようもない。
もう止めない、続けてくれ…そして、終わらせてくれ。
「バシレウスッッ……俺は、俺は人間になりたい!唯一の一人になりたい!世界が欲しい!魔王になりたい!お前を殺したい!勝ちたい!勝ちたいぃいいいいい!!!」
「そうかい、いろいろ欲しいんだなお前は…けど、俺からの要求は一つ」
リューズは全身から魔力を放ち、蒼光の中に紅の光を宿し、二色の炎を体からあげて牙を剥く。そんなリューズにバシレウスは指を一本立てて…。
「ペンダントを返せ」
ありとあらゆるものを欲し、結果何も得られなかったリューズに対し、ただ一つ…最初から欲したものを一つだけ要求するバシレウスはそのまま拳を握る。紫の光と赫蒼の双光が鬩ぎ合う。
「俺は…俺は最強になるんだぁぁああああああッッ!!」
「ッ……!」
突っ込んでくる。その拳に全魔力を込めたリューズが、最強になるため突っ込んでくる。
対するバシレウスは大きく息を吸い……。
「最強は俺だよ」
……百人の兄弟達の上に立ち、最強である事を定められた男は。ゆっくりと拳を引いて…眼光を煌めかせる。
そこで俺は、ようやく確信する。バシレウスという男は強い、何よりも強い。だがこの男の実力には時折ムラがあるように感じられた。
こいつが本当に強くなる瞬間を、俺はずっと考えていた。けどやっぱりそうだ…デスペラードの時に見せたあの背中。
バシレウス・ネビュラマキュラという男は…多くの意思を、人を、運命を背負った時にこそ…強くなる。
まさしく王の中の王。バシレウスは嫌だろうけど…やはりこの男は、誰よりも王に向いているんだ。
「うがぁああああああ!!!!『凍崩式最終奥義』ッッ!!」
世界が凍る、冷気が迫る、莫大な光が波のように押し寄せながら…一気にバシレウスに迫る。その拳は全てを奪い、消し去る拳。何もかもを欲した男の魂の叫び。
「『不尽龍頭奪掌』ッッ!!!」
「ふぅ〜……それがテメェの奥の手でいいんだな、だったら…ぶっ潰す」
巨大な氷の拳となって突き出されたリューズの渾身の一撃を前に一つ大きく息を吐いたバシレウスは、踏み込み、拳を更に強く握り、全身で前に進み────。
「『波旬一天』ッッ!!」
踏み込みから放たれ振り上げられた拳は一撃で氷の刃を切り裂き、その奥にいるリューズの顔面を打ち抜き、衝撃波で周囲の氷を、冷気を、霜を、何もかもを消し飛ばし、大地が陥没する程の一撃によりリューズの体から冷気が抜け落ちていく…。
「ぐぅう…ぅうう!ううぅううう!!!」
何もかもを奪い、最強になった筈のリューズはなす術もなく…本物の最強の手によって、打ち砕かれる。バシレウスの一撃により吹き飛んだリューズは天高く打ち上げられ、天井を破壊し、更に天高く飛んでいき…同時に、リューズの覚醒もバシレウスの覚醒も解除される。
そう、即ち……戦いが終わったのだ。
「………………」
振り上げられた拳に、砕かれた天井から差し込む青い空が落とす…煌めく陽光が差し掛かる。
粒子となった氷の粒が反射し、キラキラと輝く中。一人立ち続けるバシレウスの拳には…握られている。ペンダントが。
(勝ったんだ……)
勝った、勝ってみせた、絶望的な相手を前にアイツは最強を示し続けた。そうだ…バシレウスは証明したんだ、証明しているんだ。兄弟達の命を背負ってたったユリウスの意志を背負い…彼らが死んで、最強のネビュラマキュラとなったことの責任を…果たしていることの証明を。
『唯一』となった責任を果たし、零に打ち勝った。
「ユリウス……見えるか」
己の力で遂にペンダントを取り戻したバシレウスは。拳を突き上げ、天高くペンダントを青空にかざし…告げる。
「空だ、今俺は…ここにいる」
惑うことなく、迷うことなく、ただ一念を貫き通し、失われた誰かの為に、今ここにいる誰かの為に、ただ一人で戦い…勝ったあの男の背中は。
やはり…俺の目には王に見えた。
「バシレウス…っう!魔力戻ってきた!倒したんだな!」
「ああ………」
咄嗟に俺はバシレウスに駆け寄る。既にバシレウスの顔は真っ青だ…リューズに魔力を吸われ続け、それを血を消費することで相殺していたんだ。既にこいつは貧血状態…とてもじゃないが立ってられる状態じゃない。
事実俺が駆け寄るとバシレウスはフラフラと足取りも覚束なくなり、俺に体を預けるように倒れてしまう。それを受け止めると…衰弱したバシレウスは朧な瞳でこちらを見て。
「俺も、もっと早く…リューズみたいに人間になりたかった」
「え?」
「薄っぺらでもいい、弱くてもいい、人間になりたかった…あの地下にいる時から、人間になりたかったと……ずっとそう思っていた」
バシレウスは弱ると虚勢が剥がれる。それはコヘレトの塔から脱出した直後、俺に対して従順だった事から俺は知っている。
こいつは最強である事を証明する為に、常に意地を張り続けている。けどその心根そのものは…結構ナイーブだ。
それが出てきている、マジでヤバい状態なんだろうな。
「けど、俺は獣でよかったと…今思ってるよ、ステュクス」
「それは…なんでだ?」
「全部、守れたから…ユリウスの意志を、取り戻せたから」
ペンダントを手に軽く微笑むバシレウスを見て、俺は首を振る。獣だから勝てたんじゃないさ。
「違うよ、バシレウス。前も言ったがお前は人間だ、お前が勝てたのは獣だからじゃない…誰よりも人らしくあったからこそ、勝てたのさ」
「…………お前が言うなら、そうなのかもな」
そうだよ、だから弱気になるなと俺はバシレウスに笑いかける。正直お前が素直でいると気持ち悪い、もっと意固地で頑固でいてくれよ。
「ちょっとー、いちゃいちゃしてるところ悪いけど…私ちゃんのこと忘れてない?」
「ッ…!」
「チッ…まだいたのかよ」
俺は咄嗟に剣を持ち、バシレウスもフラフラながら立ち上がり、見遣るのは…オフィーリアだ、リューズが負けて全員に魔力を返した…俺にも返した、ならオフィーリアにも返されている。
オフィーリアは俺達の前で処刑剣をプラプラさせてニヤついている。
「リューズがやられちゃったのはあれだけど仕方ないと割り切ろう。バシレウスはフラフラ、残るは雑魚だけ。これだけの状況を作っただけでも良しとしますか」
「ッ…ステュクス、お前…動けるか?」
「動けるけど…」
正直、厳しい。オフィーリアと戦って分かったがアイツは生半可な強さじゃない。まだ切り札は残ってるけど…この分じゃ切り札も通用するかどうか…。
「クフフフ〜!バシレウスもステュクスも始末しちゃおう〜!面倒なのと嫌いなのが同時に死ねばレナトゥスしゃまも大喜び〜〜ん」
「ぐっ……!」
でも、やるしかねぇ!バシレウスは意地を貫いたんだ…だったら俺も!!
「やってや───────」
『待ちなさい』
「るッ…!?うっ!?」
「げぇ……」
響く、声が……女の声が。その声を聞いた俺は身が震え、オフィーリアは嫌そうな顔をし…バシレウスは押し黙る。
そうだ、そりゃそうだ…だってこの声は……。
「妾の前で…争うことは許しません」
「クレプシドラッ…!」
バシレウスが開けた穴から飛来したのはクレプシドラだ。奴は地面に着地するなり凄まじい威圧を放つ。
ヤバい怒ってるか?コルロ押し付けた事…ってかコルロは?いないのか?
「ふむ……」
「ぅーーー」
ふと見てみると、周りを見回すクレプシドラの手には気絶したリューズが抱えられており、吹き飛んだリューズを無事回収できた事が確認出来る。そしてクレプシドラは俺をみるなり。
「そこのお前」
「アッ!ハイ!」
「報告ご苦労、無事リューズを確保出来ました。見つけ次第教えなさいとは言いましたが…まぁその不手際、リューズを見つけた労と無力化した労によって不問としましょう」
「あ、ありがとうございます」
「にしても……やってくれましたね、オフィーリア」
クレプシドラはオフィーリアを睨み、同時にリューズの首根っこを掴み…見せつける。
「お陰でリューズが使い物にならなくなった」
「え?いや、ボコったの私ちゃんじゃない」
「違う、お前がリューズに無用な事を教えたせいでリューズが凡愚に成り果てた。これは純粋であるが故に強かった、強いが故に妾も兵器として重用していた…と言うのに、こんなにも無駄な知識で薄汚れて。まるで無価値に成り果てた…この責、如何にして取らせようか」
「……………」
「殺しましょうか」
「だと思った!」
クレプシドラが手を払った瞬間オフィーリアは精霊を警戒しその場から飛び上がる。そして開いた天井の穴に手をかけ……。
「あーあ!リューズを上手く使えばいいん感じになると思ったのに!やられちゃったんだから仕方ないや!つーわけで私ちゃん帰るねー!」
「………………」
「ステュクスく〜ん!キミ!次会った時は殺すから〜!」
奴は逃げるつもりだ、まぁ…だと思ったよ。そのままオフィーリアは穴から外へと飛び出し…その瞬間奴の魔力が追えなくなる。追跡は不可能だ…。
「おい!ステュクス!お前なにボーッとしてんだよ!」
「いいんだ、バシレウス…」
「いいわけねぇだろ!お前…姉貴助けるんじゃないのかよ!」
「いいんだって…ちゃんと手は打ったから」
「は?」
俺はここでオフィーリアを倒すつもりだった。ここでアイツを倒して、蹴りをつけるつもりで戦っていた。けど同時に頭の片隅にあったのは…オフィーリアが逃げる可能性。
アイツはヤバくなるとすぐ逃げる。そのせいで俺は幾度となくオフィーリアを取り逃してきた。オフィーリアという絶対強者が持つ手札の中で最も強力なのが『遁走』なのだから…アイツほどの強者に逃げの一手を打たれたらこっちはマジでなす術がない。
だから、一応…手を打っておいた。次アイツが俺と出会ったら…アイツが逃げられないようになる一手だ。俺だってそう何度も無駄な追いかけっこを続けるつもりはない、次で確実に終わらせる…その為の手札がこっちにも揃いつつある。
「ふむ…オフィーリアも逃げましたか」
「も…って事は、コルロは……」
「ああ、貴方が妾に押し付けたコルロもまた逃げましたよ。リューズの力が覚醒して周囲の魔力を吸い上げた時にね、一応追いかけましたが…どうやら先にこっちが終わったようなので、追うのをやめました」
そうか、上手くやればクレプシドラがコルロをぶっ殺してくれると思ったが、そう上手くいかないか。っていうか今サラッとなんかすごい事言ってなかったか?リューズが魔力を吸った時?こいつ魔力吸われても普通に動いてコルロを追いかけてたのか。
だとすると、コルロ的にも今回は危機一髪だったってところか。……うん、うん?え?
「お、押し付けた…!?バレてた…」
「妾をナメない事ですね。ですが妾は本当にお前がリューズの居場所を教えてくれたことに関しては感謝しているのです。妾を使った無礼も合わせて不問とします」
「あ、ありがとうございます……それでその」
「では妾は帰ります」
この後も続くコルロとの戦い、オフィーリアとの戦いを手伝ってくれませんか?…と言いかけたが、ダメだった。
クレプシドラは俺が何か言う前にクルリと踵を返し、リューズを小脇に抱えたまま歩き始める。これで最も不安定で不確定だった因子であるリューズはこの一件から脱落することになる。それと同時にリューズがいなくなったことによりクレプシドラも関わらない。
クレプシドラって言う化け物が北部を歩き回ることは無くなるが、同時に鏡を使ってクレプシドラを召喚する奥の手は使えなくなる。残念だが…仕方ない。
「デイデイト」
「ここに」
クレプシドラが指を鳴らすと、どこからか執事が現れる。手には黒鉄の籠手を装着し、口元にはトラバサミのような金具を取り付けた奇妙な姿をした執事だ。あれは精霊なのか?それとも人間?
「帰路を」
「こちらに」
そしてデイデイトと呼ばれた執事は何処からか巨大な鏡を取り出す。黄金の額縁で作られた姿見よりももっと巨大な鏡だ…多分、あれで帰るんだろう。
「ん…んん……」
「おや?」
ふと、クレプシドラが鏡の中に入ろうとした時…リューズがムズムズと目を覚まし始める。嘘だろ、あれだけのダメージを負ってもう目覚めるのかよ…どんなタフネスだ。
「う…俺は………あ」
「………………」
リューズは見る、自分を抱えているクレプシドラよりも先に…俺の隣に立つバシレウスの顔を。バシレウスはリューズが目覚めるなり腕を組みグッと目を尖らせ、鬼のような形相を向ける。
「あ…ああ………」
それを見たリューズは…ワナワナと青い顔をして、バッ!とクレプシドラの手を早い退け…。
「うわぁああああああ!!!もう…もうやめてくれぇえええええ!もう外の世界は嫌だぁあああああああ!!!」
「あら…」
リューズは号泣しながら叫び出し、バシレウスを恐れて鏡の中に自分から入って行った。あれだけ出たがっていた外の世界を嫌い、あれだけ焦がれていたバシレウスを恐れ、人ではなく…獣のように、一人で元来た道を戻って行った。
なんか…哀れな奴だったな。
「なんだアイツ、なんで俺の顔見てビビるんだよ」
「ビビるだろそりゃ…」
「ふむ、リューズが恐れを知りましたか。やはり劣化が激しい……このような損失を被るとは、時間の無駄でしたね」
そう言って肩をすくめるクレプシドラは鏡の中に一歩踏み込む。アイツもアイツで薄情な奴だよな、本当だったらさ…アイツが一番リューズに寄り添ってやるべきだったのに。それを道具みたいに…って言わないけどさ、言ったらまたどえらいことになるのは見えてるし。
「ですがまるっきり無駄というわけでもないようでした」
がしかし、そんな中クレプシドラはこちらに視線を向ける…いや、見たのは。バシレウスか?
「礼を言いますよ、バシレウス・ネビュラマキュラ」
「は?何が?リューズの件か?」
「それもですが、…貴方がリューズ相手に使って見せた古式魔術、あれこそ妾が最も欲した魔術…最高の手札を与えてくれました」
え?バシレウス古式魔術なんて使えるの?ってかクレプシドラがそれを見てたって?つーかなんでそんなもん求めて……。
「くふ…くふふふははは!ようやく…過去改変の為の手札が揃いました、妾の目的も…これでようやく果たせる。うふふ…アハハハハハハッ!」
そんな不気味な笑いを残し、クレプシドラとデイデイトは鏡の中に消え、二人が消えたことにより鏡もまた霧のように消える。なんなんだ、過去改変?何わけのわからないことを…狂ったような奴ではなくマジで狂ってたのか。
「ふぅ、帰ったか」
ふと、バシレウスを見ると…腕を組み警戒している姿勢を解いた瞬間、俺の方にもたれかかってくる、…どうやら俺を守るために虚勢を張ってくれていたようだ。
「おいステュクス、オフィーリアが逃げて、コルロが逃げて、リューズもいなくなった…もうここでの戦いは終わりだろ」
「そうだな」
「なら行くぞ、次の行き先を考えなきゃならねぇ……けど、歩けない。肩貸せ」
「あいあい」
俺はバシレウスに肩を貸し、歩き出す。結局コルロにもオフィーリアにも逃げられた、儲けはあったが…それでもここでの戦いでは終わらなかった。
俺たちはまだ戦い続ける、続けるけど……いや、今は言うまい。
バシレウスと姉貴の関係。これは今は…関係ないことなんだから。




