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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
二十章 天を裂く魔王、死を穿つ星魔剣
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738.蠱毒の魔王と蠱毒の儀


─────ネビュラマキュラ王家。


それは、この世界における二大名家。魔術導皇一族クリサンセマムと肩を並べる歴史を持つネビュラマキュラの血を継ぐ者達によって構成される一族。


魔女達によりアジメクの統治と魔術の統率を任され、最初から優れた立場にいたクリサンセマムと異なり、ネビュラマキュラ一族の始まりは悲惨なものだった。


祖はオフュークス帝国の皇帝トミテ・ナハシュ・オフュークスの最側近であるセバストス・ネビュラマキュラ。


大いなる厄災最終盤において、突如として皇帝の前から姿を消したセバストスは、在野に落ち、身を隠した。その理由は最早失われなんのために逃げたのかは分からないが、彼は在野に逃げ落ちそこで生涯を終え…こんな言葉を残した。


『ネビュラマキュラは、無限を収束し唯一を生み出し。いつか天の座から見下ろす神を脅かす刃となれ』


……その遺言は、ネビュラマキュラ八千年の呪いとなった。


ありとあらゆる才能を持った者と交配し、ただ一人で全ての魔術を会得し何もかもを成し遂げる存在。唯一を無限に拡大するクリサンセマムとは真逆の思想。


無限を唯一に収束する。セバストスの遺言に従い残されたネビュラマキュラの血を継ぐ者達は一つの儀式を作り上げた。

それは八千年が経ち、今から五百年前…ネビュラマキュラ王家がマレウスと言う国を作り上げてからも王座継承の儀式として残り続けることになる。


その名も『蠱毒の儀』。


それは親族達の中から最強の存在を選定する儀式。つまり殺し合いだ、最初は長兄と次男が殺し合いをして最強を決めた。勝ったのは長兄で一族の長となった長兄は五人の子供を作り、また子供達は殺し合いをし…最優の遺伝子だけが残るよう、剪定した。


ネビュラマキュラ家はこれを繰り返し続けた、最優の遺伝子のみを残す為、他の遺伝子を糧とする儀式を、無駄とも思える犠牲を、それこそ無限に繰り返し積み重ねた。


これがネビュラマキュラ家単体の話であったなら、まだ良かったのかもしれない。しかしネビュラマキュラがマレウスを建国してから、全てが変わった。


マレウス建国の王アウグストゥス・ネビュラマキュラ……彼もまた蠱毒の儀を勝ち抜いた当代最強のネビュラマキュラだった。彼には人間らしい感情はなく、人を殺すことに躊躇はなく、人の範疇に収まる発想しか出来ない女王を皆殺しにし…あっという間に非魔女国家群を統一。……そうやってマレウスが生まれた。


マレウスが生まれたことにより、蠱毒の儀をより一層完璧に執り行う土壌が出来てしまったのだ。


アウグストゥスには弟がいた、名をプリンケプス・ネビュラマキュラ。蠱毒の儀で兄に敗北しながらも儀式終了の日まで生き延び、史上初めて儀式の敗者でありながら生き延びた存在に落ちたプリンケプスが……全ての始まりだった。


兄アウグストゥスの補佐官として働いたプリンケプスは兄の信奉者だった。次代のネビュラマキュラは兄の遺伝子をより多く受け継いだ者を残したいと考え、プリンケプスは蠱毒の儀を改良、或いは改悪した。


元老院初代独裁官プリンケプスは、蠱毒の悲劇を最悪のものに変えたのだ。


往生の地下に巨大な迷宮を作り、殺し合いの土壌を作った。

国王が多くの妻を娶る事ができる『王妻百宮制』を制定、これによりネビュラマキュラ国王は一度に百人妻を娶り、百人以上の子を残せるようにした。

特定の日時が来たら子供達を監禁、次代の王が必要な年数を計算し導き出された時が来たら子供達は親から引き離され…百人の兄弟姉妹を殺すまで外に出られない地獄へと落とされる。

そしてそれを、外部の人間は絶対に知る事ができように、手を回し尽くした。


プリンケプスはネビュラマキュラ王家の為ならなんでもした、ネビュラマキュラの宿痾の為ならなんでもした。その為にマレウスと言う国を頑強な作りにし、当時ガオケレナによって旗揚げされたマレウス・マレフィカルムの結成にも立ち合い、その全面協力を勝ち取った。


これにより、今まで積み重ねきた七千五百年を大幅に上回る程の血が流れるようになった。蠱毒の儀は最悪の儀式となった。


これは初代国王アウグストゥス・ネビュラマキュラが身罷り、プリンケプス・ネビュラマキュラが表舞台を去ってからも続き、五百年間…今日に至るまで継続されてきた。


先先代国王ラワー・ネビュラマキュラもまた兄弟達を九十人以上殺し地上へと上がってきた。その時唯一見逃されたフィロラオス・ネビュラマキュラと共に表ではラワーが王政を敷き、裏ではフィロラオスが元老院の独裁官に就任し蠱毒の儀を支え、子を残す事を許されないまま生き続けた。


先代国王イージス・ネビュラマキュラも兄弟を九十九人殺して外へ出た。当時既に元老院の独裁官を務めていたフィロラオスの束縛により、彼の自由は地上にも存在せず、彼はネビュラマキュラの宿痾に囚われたまま……最後は元老院とマレフィカルムに刃向かい、元老院が差し向けた裏処刑人オフィーリアに殺されることになる。


そして…当代。


『地上に出るのは俺だぁぁあああ!!』


『死ね死ね死ね死ね!!』


『ぎゃぁああああ!!』


……蠱毒の儀は、今も遂行され続けている。元老院の束縛により百人の子供を産み、それが纏めて王城地下の迷宮…蠱毒の壺へと送られた。


外に出るには、殺すしかない。見知った兄弟、見知らぬ姉妹、共通点は血の繋がり一つのみ。


武器はない、或いは拳、或いは魔力だけで殺し合う。


一人殺せば、また一人。そしていつか、誰かにとっての一人になる。ただただ殺し尽くし、生きて外に出る為に…ただ殺す。


『やだぁ…やだぁ…!』


『おか…あ……さん……』


例え、戦いを望まなくとも殺される。例え、平穏を望む優しき心を持とうとも…ここでは意味をなさない。


それが蠱毒の壺、ただここに生まれたと言うだけで。本来ならば愛し合うはずの兄弟が、姉妹が殺し合う地獄。


『誰か、誰か助けて……』


『もう嫌だァァアア!!』


救いなど何もない、たった一人の最優を…無限の中から唯一を作り上げる八千年の妄執は続いていく。



そんな、ある日だった。他の兄弟姉妹達に遅れ今日ようやく蠱毒の壺に落とされた男がいた。


それは如何なる奇遇か。その日はアジメクにて大雨が降った日。


エリスが森の中で師匠に出会い、名前を得た日。

デティが母親を失い、悲しみに暮れた日。


それと同刻、同日。同じく運命を歩み出した者がいた……その名も。


「ぁ…ガッ…な、なんだ…お前……」


「グルル…ふぅ……かはは!」


暗く、ジメジメした石回廊の只中で一人の兄弟が死んだ。白い髪と赤い目を持った青年が目の前に立つ同じ髪同じ瞳をした少年に殺された。


その男は……こう呼ばれることになる。


「ま…魔王…が……」


「フンッ……」


バシレウス・ネビュラマキュラ……ネビュラマキュラの祖セバストスが望んだ。唯一たる銀刃である。


……………………………………………


時は数日前に遡る──────。


「魔蝕の日に生まれた最高傑作だ、彼の身体能力スペック、魔力量、何より才能。全てが最高水準…これは初代国王アウグストゥスに匹敵するか、或いは上回る素養ですねぇ」


「ほう、それはそれは…」


「…………」


バシレウスはただ空を見た、石材に覆われた空を。暗い闇の中大人達が話す内容を耳に入れる気がなく、ただ茫然と彼は空を見ていた。


「これはイージス様の第九十九妻ラティラの息子でしてね、イージス様にとっては大第百人目の子に当たるモノですねぇ。いやぁいっぱい産みましたねぇ〜」


バシレウスの目の前にて話すのは赤い仮面をつけ、その隙間から白い髪を垂らすローブの男。名を『王冠』のケテル…当時からセフィロトの大樹にてガオケレナの副官を務めていた古株のセフィラだ。


「ここらで打ち止めでいいでしょうな。では、これ以上勝手に子を作られても困るので、イージスの妻は全員始末しておきましょう」


そしてケテルと話すのは元老院の独裁官フィロラオス、顎髭を撫でながら牙を見せて笑うフィロラオスは、ジロリとバシレウスを見て。


「お前はこれより、蠱毒の壺に入ることになる。そこで兄弟達を皆殺しにしろ、それ以外にお前の価値を示す方法はない」


「…………」


「おい、聞いておるのか!バシレウス!!」


しかし、フィロラオスの言葉をバシレウスは無視する。見向きもしない、その態度にフィロラオスは激怒し机を叩き怒声を上げるがそれを庇うようにケテルが間に入り。


「あーあー、いいんです。この子はあれです、返事が出来ないんです」


「なんですと?返事が?言葉を持っていないと?」


「ほら、彼は魔蝕の子です。魔蝕の祝福により絶大な力を得ていますが…魔蝕は同時に何かを奪う。彼は人間性というものがどうやら欠如しているようでして…まぁ言ってみれば、人の形をした獣です」


「ほう、獣と」


「そうそう、だから余計な知恵も与えてません。別にいいでしょう、必要もないでしょうし」


「まぁ、他でもない貴方様が言うのであれば…」


ケテルの言葉にフィロラオスは溜飲を下げる。他のセフィラに何を言われても従う気にはなれないがケテルだけは別なのだ。

だが同時にフィロラオスは一抹の不安を覚える。


「人間性がない、これが蠱毒の儀を勝ち抜いたら…次はこれが玉座の座るのですか。マレウス王族の威信が砕かれかねませんな」


バシレウスはとても人間とは思えない振る舞いをしている。地面に座り込み、半開きの口からは涎を垂らし、人の言葉も離さない。それが王になれば、とてもじゃないがマレウス王家は存続出来ない。


「まぁ、そこに関してはご安心を。何故なら────」


『私がいるからです、フィロラオス様』


「おや、来ましたか」


コツコツと暗闇に軍靴が響く。スラリと伸びる手足に緑色の軍服、そして肩に黒い外套を羽織った紫髪の女、長い睫毛をパタリと動かし、漆黒の瞳でこちらを見ながら歩く彼女の胸元には…黄金の憲章。


それはこの国の宰相のみが着用を許されるマレウス十字憲章…つまり彼女は。


「来たか、レナトゥス。そうだったな、コレが如何に愚図な王であろうともお前がいる限りマレウスは安泰か」


「はッ!必ずや元老院の皆々様のご期待に応えてみせます」


彼女の名はレナトゥス、長らく空席だった宰相の座に先日就任した女。レナトゥス・メテオロリティス…彼女は元老院によって作られたもう一人のネビュラマキュラだ。険しい訓練、厳しい鍛錬により作られた天才である彼女は元老院フィロラオスを前に敬礼をし…そのままバシレウスに目を向ける。


「これが、例の……」


「ええそうですよレナトゥス、キチンとご挨拶なさい」


「……これが生き残るとも限らないでしょう」


「まぁそれもそうですがね」


レナトゥスはバシレウスを苦々しく、恨みを込めてギロリと見下すと…。


「おい、お前」


「…………」


「フィロラオス様のお前だ、せめて立て」


「…………」


「返事はどうした、声を出せ」


「…………」


「ああ彼は人間性が───」


「全く……」


ケテルがバシレウスのフォローに入る暇もなく、彼女はバシレウスの首根っこを掴む。バシレウスも抵抗する、ジタバタと暴れるがそんな抵抗すら意に介さずレナトゥスはそのままゆっくりと歩み…部屋の壁際に向かうと共に石煉瓦の一つを押し込み、仕掛けを作動させる。


「あ、レナトゥスさぁん?」


「こいつをこのまま蠱毒の壺に落とします、構いませんね」


「あ、いやまぁいいですが…」


「そういうわけだ、お前はお前の価値を示せ」


「ぅがぁあ!がぁあ!」


「ハッ、ディオスクロア語も話せないか。お前は王になる為に生まれた、王になれないなら生まれた意味もない。故に……」


仕掛けが作動し、壁が開き、地下へと通じる穴が開く。蠱毒の壺に通じる悪夢の入り口…そこにバシレウスを追いやりながらレナトゥスはバシレウスの目を睨み、そして嘲る。


「地獄に堕ちろ」


「ッ!」


離される手、重力に従い落ちるバシレウスの体。開いた穴に飲み込まれるように落ちたバシレウスは叫び声すら上げる暇もなく、闇の奥へ奥へと追いやられる。


そうして、始まったのはバシレウスにとっての国王継承の儀式……いや違う。


この時、始まったのだ。バシレウス・ネビュラマキュラの運命が。


…………………………………………………………………


蠱毒の儀…それは元老院初代独裁官にして蠱毒の儀にて敗北しながら初めて生き残った者、プリンケプス・ネビュラマキュラによって建造された巨大地下迷宮『蠱毒の壺』の中にて行われる。


国王の血を継いだ百人の子供、それを五歳になった順から閉じ込める。泣いても喚いても閉じ込める。出れる条件は一つ、最後の一人になるまで兄妹達を殺し尽くしたら…ただそれのみである。


それ故に蠱毒の儀に制限時間は設けられていない。最後の一人になるまで続く為数ヶ月単位で行われる事が平常、歴代最も長い期間行われた儀式で十年もの歳月をかけた例もある。


また、百人の殺し合いが終わり、最後の一人になった時点で儀式は終了。その後生まれたネビュラマキュラには王族としての権利が一切与えられず、以降王宮への立ち入りを一切禁じられる……即ち、ネビュラマキュラの子は全員王になる宿命を背負わされ、王になれないのなら一切の価値を見出されない、という形になる。


現元老院独裁官であるフィロラオスもまたこのようにして生き残りながら、とある人物の口添えにより元老院へと成り上がった経歴を持つ。



「うぅ……もう嫌だ、誰かここから出してよ……!」


「おかあさん…おかあさん……」


ただ、問題があるとするなら殺し合いを強要されているのは年端もいかない子供達という事。暗く、湿った、ただ入り組んだだけの地下迷宮に閉じ込められ、血を分つ兄妹を殺す事を求められる。


中には戦いを拒否し、ただただ隠れて殺し合いをを拒否する者もいる…が。それは元老院が許さない。



「しょ…食糧だ!」


「俺のだ!誰も寄るな!」


「寄越せ!もうずっと何も食べてないんだ!!」


食糧の投下は一日二度行われる。場所は東西南北それぞれの決まった場所、決まった時間に地上から投げ入れられることになっている。内容は乾物や水などで栄養もほとんどないようなものばかり…だが。


問題があるとするならその量だ、一度に投下される食糧の数はあえて『現在確認出来る生存者数』を下回るように投下される。つまり全員が食糧を食べる事が出来るわけではない。そして決まった時間決まった場所に投下されるという性質上…必然的に起こるのは……。


「それは俺のだ!!」


「ぐぎゃぁあ!!」


食糧の奪い合いだ。今食糧を多めに確保し逃げようとした青年が、一回り体の大きな男に後ろから石で殴りつけられ、血をぶちまけて死んだ。男は落ちた食糧をその場に跪くようにして食べ始め…今しがた殺した兄弟の血で濡れた干し肉を食う。


その様はさながら兄弟の生き血を啜り、肉を食うが如く…あまりにも凄惨な、そして惨たらしい光景が繰り広げられる。


これが毎日、至る場所で行われる。そうして徐々に徐々に数を減らす。極限状態に置かれ、自分が生き残る為に進むしかない。


ネビュラマキュラの子達は進む。進んで進んで進み続ける。


進み切ったその先には、まるできっと…奇跡みたいな幸せが待っていると信じながら。



……そんな中、彼は現れた。


「はぁ…はぁ、水だ…水……あ、あぁ!」


一人の青年が、水瓶に入った水を啜りながら石室にぶちまけられた食糧の山を確保しようと屈んだ瞬間。石室の闇を切り裂いて現れるその影を見て…瞳を揺らす。


「ゆ、ユリウスだ…ユリウスだぁああ!!」


「ひぃいい!こっちに来やがったのか!!」


「助けてーー!!」


皆、殺し合い、奪い合いをやめて石室の闇の中に消えていく…全ては、石廊を超えて現れた一人の青年の姿を見たからだ。


彼は…蜘蛛の子を散らすように逃げる兄妹達の背中を見て、悲しそうに目を伏せながら、次に食糧の山を見て。


「また、量が減っている…。また兄妹達が死んだのか…」


長く伸びた白い髪、手入れなどする暇もなく…それは腰あたりまで伸び。爛々と煌めく赤い瞳は悲しさに溢れる。泥や埃で汚れた頬を拭う彼は…他の兄妹達が着ていた簡素な布製の衣服を繋ぎ止めた法衣を払いながら、石を削って作った剣を掲げ…背後を向く。


彼の名はユリウス。ネビュラマキュラ王族長兄にして最も早く、そして長くこの壺に閉じ込められている者の一人だ。


既に七ヶ月近く地上に出ていない。この地獄に七ヶ月も監禁されている。ただ閉じ込められた時点で齢は十歳を超えており、年上と言うアドバンテージと高い戦闘能力により…目下のところ最強のネビュラマキュラと見られている一人である。


そんな彼は、背後を見ながら剣を掲げ。


「兄妹達!必要な分の食糧を確保したら即座にここから退くぞ!俺達がいたら…他の兄妹たちが怖がって食事が取れない」


「はい!ユリウス兄さん!」


彼の背後には十人近い弟や妹がいる。ユリウスはこの地下にて数少ない『派閥』を持つ男だ、兄妹達を束ね組織を作り…生き残り続けているのだ。


ただ一人しか生存の許されないこの地下において、他の兄妹達を生かす道を模索する彼は…逃げて行った他の兄妹達を見て心を痛めながらも、必要な食糧だけを確保する。


「兄さん…また食料が減って…」


「多少切り詰めればなんとかなるさ」


「切り詰めるって…それ、兄さんが何も食べないって事じゃ」


「大丈夫、俺はお腹が減ってないから」


「兄さん……」


ユリウスは首を振る、強がりや嘘を言っているわけではない。本当に食欲がないのだ。昨日ユリウスは三人殺した、自分の傘下に入るよう求めたが既に会話の出来る状態ではなく、半狂乱になりながら襲いかかってきた兄妹を三人殺したんだ。


(何故、兄妹を…長兄たる俺が殺さなきゃいけないんだ)


兄妹とはそういうものじゃないはずだ、こんな家に生まれなければ仲良くできたはずの人間を、この手で殺めたんだ。そんな慚愧の念が彼の心を蝕み病ませていった…しかし、それでも。


「…………」


ユリウスは上を見る、上だ。そこには暗い闇だけが広がり、その先には石の天井が覆い被さり…空は見えない。


兄妹は空を目指している。いつかまた青い空を見る為に、青い空の下を歩く為に、皆が皆必死に生に食らいついている。その希望を、夢を封じるような石の天井を憎々しく睨みつけ。


「空が、見えない」


手を伸ばす、闇の天井に手を伸ばす。その先を求めて……。


「聞け、兄妹達よ」


食糧を確保する兄妹達に語りかけるユリウスは…強い視線で空を見上げ続ける。


「今は、俺達は小さく弱い。俺達をここに閉じ込めた連中は…大きく強い。だがいつか、この地獄の中で兄妹達を束ね、みんなで強く、大きくなって。あの暗く固い天井を破壊し…空に出よう」


目的は一つ、こんなくだらない儀式を破壊し…やめさせる事。ネビュラマキュラ八千年の呪いを打破する事。


「そして、俺達を地獄に放り込んだ元老院…フィロラオスをこの手で殺し、俺達は自由になるんだ。だから…生き残るんだ、この地獄を」


「うん!お兄ちゃん!」


「だな!ユリウス兄さんがいるなら、きっと俺達も生き残れる!」


全ては長兄としての役目を果たす為。ユリウスは天を見続ける……すると。


「ん…?」


ふと、その天井の一角、パネルの一つが開いた…そこから何か、食糧とは別の物が落ちてきたのだ。こんな事は七ヶ月間迷宮に閉じ込められ続けて初めての出来事。


「な、なんだ!」


「なに!?何が起こったの!?」


「………食糧じゃない、なんだ…」


轟音をあげて落ちてきたそれは、ユリウス達からやや離れた地点に投下された。慄く兄妹達を宥め、ユリウスは石剣を手に落ちてきたそれを確認すると…それは。


「ッ……人、それもネビュラマキュラか」


「ゔぅ…ぅ〜〜……」


落ちてきたのは、少年だ。白い髪、赤い瞳、兄妹達と同じ姿をした少年、つまり新たな兄弟が壺の中に落とされたのだ。しかしこんな乱雑な方法で入れられてきたのは初めてだとユリウスは驚愕しながら…石剣から手を離す。


「あ、ああ…ごめん。驚かせたかな…君を傷つけるつもりはない」


「…………」


「俺はユリウス、いきなりこんなところに落とされて…混乱しているだろうけど、まずは君の名前を聞かせてくれるかな」


そう言いながら、俺は…落ちてきた彼に手を差し伸べながら…名前を聞く。こんなところに落ちてきてしまった以上、彼もまた我々の同志であり、同胞であり、兄弟なんだ…だから、名前を聞きたかった。


すると…彼は。


「バシレウス」


そう、ぶっきらぼうに答えたんだ。


「へ?」


「バシレウス、俺…は……バシレウス」


────それが、ネビュラマキュラ一族長兄ユリウス・ネビュラマキュラと蠱毒の魔王となるバシレウス・ネビュラマキュラの出会いであり、そして─────。


「ぐぅぅうううう!!」


「え?な…なんだ、どうし──」


「うぐがァッッ!!」


「なッ!!」


そして、彼は…突如として俺に、飛びかかってきたのだった。


…………………………………………………………


俺は、どうでも良かったんだ。


『バシレウス!…あんたは…私の子じゃない!人の子じゃ……ない!』


俺を生んだ女、母親と呼ばれたそれは俺を見てそう言った。


『バシレウス…お前は我がネビュラマキュラ一族が生んでしまった呪いの結晶だ。すまない…本当に…すまない』


俺を生んだ男、父親と呼ばれた男は俺を見るなりそう言った。


『バシレウスさん、貴方はこれから魔女狩りの最終兵器に育つんですよ〜』


俺をこの穴に連れてきた仮面の奴は、そう言った。


俺の出会ってきた人間は皆、俺をバシレウスと呼び…まるで背中を押すように、俺をこの穴の中へと押しやった。俺には母親の言葉も父親の言葉も仮面の奴の言葉も理解出来なかった。


言葉の意味は分かるが、それを言う意味も口にする意味も俺に対して言いたいことも何も分からなかった。理解が出来ないんだ、何故母親が俺を見て泣いたのか…父親が俺を見て謝ったのか、仮面の奴が俺を見て嬉しそうにしていたのか、何一つとして…共感出来る物がなかった。


それが、アイツ等いう人間性の欠如なのかもしれないが…だからと言って俺には理解しなくてはいけない事の意味も理解出来なかったから、どうでも良かったんだ。


ただ、今の俺を動かすのは…純粋な衝動。穴も人間性もどうでもいい…俺はただ、生きたかった。


「ぐがぁあああ!!!」


「ちィッ!!」


穴に落とされた俺は本能的にユリウスと名乗った男に飛びかかった。しかしユリウスは俺の事を拳で弾き飛ばし、地面に落とした剣を拾い上げる。


防がれた、痛かった。殴られたのは初めてだ…。


「どうしたんだ!バシレウス!まさかフィロラオスから…元老院から何か吹き込まれているのか!俺達を殺したら王になれると!」


「ゔぅぅぅううう!」


「ならやめるんだ、俺達は兄弟だ…殺し合う関係なんかじゃない」


そうユリウスは言った、殺し合い関係じゃないって…でも殺し合う関係じゃないってどういう意味だ、兄弟だから殺し合わないってどういう意味だ。


だって、みんな言っていたぞ…俺は人じゃないって、お前は人だろ…なら俺とお前は兄弟じゃないだろ…!


「知らねェッ!!!寄ってくるなッッ!!」


「チッ…気が狂っているのか…!?」


人じゃないんだろ、俺は。人じゃないから俺は今ここにいるんだろ、なのになんで都合のいい時だけ人扱いをするんだ、分からない、何も分からない、分からないから……なんだか嫌だ。


「兄さん!」


「ダメだ!近寄るな!こいつ…かなり強い」


「ゔぅううううう!!!」


四つ足をついて牙を剥く、剣を構えるユリウスを威嚇する。拒絶だ、俺は今こいつを拒絶している、こいつの目が気に食わないからだ。

目だ、俺を見下す目……全員そうだ、あの目をした奴は俺をどんどん外に追いやるんだ!


「…………落ち着け、落ち着くんだ」


「うるせぇッッ!!」


「ッッ!!」


飛び掛かる、再び飛び掛かる。力を込めて、全力で真っ直ぐ。それを見たユリウスの動きは早く、石剣を手元で回し俺の拳を防ぎ火花を散らす。


「ッ魔力遍在…!?魔法使い、いや本能で扱っているのか!地下迷宮ここじゃオーバースペックすぎる…!」


「ぅがぁああああああ!!!」


「仕方ない、加減…出来ないからな!!」


そして拳を弾いた石剣を再び手元で回し、腰を入れた斬撃で俺の脇腹を打つ。刃は通らず、打撃として俺の体を打ち飛ばし…俺は地面を転がることになる。

ユリウスの動きは速いわけじゃない、鋭いわけでもない、速さで言えばこちらが上だ…だが、的確だ。


「ぐっ…うぅ……!」


脇腹を打たれ俺は床をのたうち回りながらユリウスを睨む。痛い…痛い…痛い!


(くそっ…!)


「あ!おい!」


ダメだ、敵わない。殺される…そう考えた俺はその場から四つ足をついて走って逃げる。ここがどこか分からない、なんでここにいるかも分からない、でも死にたくはない…生きていたい。


生存本能に任せて走って逃げる俺は背後から響くユリウスの声を無視する。


「待て!せめて食糧を持って行け!我々は全て必要なわけじゃない!ここに残っている分を少しでも持っていくんだ!おい!バシレウス!!」


信用が出来なかった、そういう事を言う奴はみんな俺を外へ外へと押しやっていく、そうして俺は今ここにいる、暗くて…ジメジメしてて、何もない空間に。


だから俺は…行くんだ、誰もいない場所に…もう誰も俺を、何処かへ追いやられないように、何処かに行くんだ。


「バシレウス!!……行ってしまった」


「兄さん、あれ…どうしますか」


「………今は、置いておこう。もしかしたら彼もまだ自分の状態を上手く把握できてないのかもしれない」


そんなやりとりを最後に、全てが闇に消え、俺は…迷宮の奥へ奥へと走っていった。


俺は一人でいい、人間じゃないのに、人間の枠組みに入れられて、よく分からないルールを強要されて、理解出来なかったら拒絶される。…もうたくさんだ。


だから俺はもう何も理解しないし、拒絶される前に拒絶するんだ……。


俺は……独りでいい。


…………………………………………………………………


「ラティラの始末が終わりましたよ、フィロラオスさん」


「おお、仕事が早いですな。ああ…オフィーリアを用いたので?」


「ええ、彼女は実に使える。総帥も気に入っていますし、レナトゥスちゃん共々セフィラに迎え入れても良いという話でしたが……」


バシレウスとユリウスが別れたちょうどその頃、地上にて…薄暗い部屋で語らうのは王冠のケテルとフィロラオス、共々ソファに座りなんでもない事のように話を続ける。


既に百人の子供の用意は出来た。あとはもうそれ等が殺し合って最後の一人になるまで待てば良い…そういう段階にあって。


一つ、問題が発生した。


「本題はそっちじゃなくて、実は問題が見つかりまして…どうやらラティラの奴、我々に内緒でもう一人子供を作っていたようです」


「バシレウス以外に…もう一人?」


「ええ、まぁそっちは魔蝕の日に生まれてないので雑魚もいいとこですが。どうやらラティラとイージスはネビュラマキュラの掟とはまた別の感情で結ばれていたようで…まぁつまり恋愛によって発生した子供ですね」


「………即ち、イージスは我々元老院の意向を無視して子供を作ったと」


「はい、なのでオフィーリアに頼んでイージスの方も処理するよう頼んでおきました。どうせ蠱毒の儀が終わり次第政権はレナトゥスに移行するつもりだったので、もう殺してもいいでしょう。それより問題は…あのガキです」


チラリとケテルが目を向ける先にいるのは、泣き晴れた目で部屋の隅に縮こまる小さな少女…、フィロラオスもケテルもそれに対して憐憫も同情もすることなく、まるでゴミクズでも見るような冷淡な目を向ける。


「困りましたねぇ、どうしますか?フィロラオスさん」


「どうもこうも、いても面倒なだけですし…壺の中に入れておきましょう。何かの贄になればそれで良いでしょう」


「ですねぇ、じゃあ後で壺の中に入れておきます。どうせ蠱毒の儀を生き残るわけでもなし、存在していても面倒なだけ、蠱毒の壺の中で消えてもらいましょう」


ケラケラと笑うケテル、難しい顔をするフィロラオス、二人によって少女が蠱毒の壺の中に落とされることは確定した、……が。その前にフィロラオスは少女に目を向けて。


「で、あれの名はなんというのです?」


「ああ…えっと確か」


少女は、九十九妻ラティラの娘、即ちバシレウスの妹にあたる人物…その名は。


「レギナ…レギナ・ネビュラマキュラ、でしたね、確か」


「………………」


少女は、ただ独り絶望していた。母を殺され、父から引き離され、天涯孤独の身となった。これからこの悪い大人達の手によってどこかへと連れて行かれることが決定した。


最早自分に生きる道はない、希望も何もない。それは少女の身でありながらよく理解していた…だが、それでも彼女が舌を噛み切らず、今も生きているのは…ただ一つ。


「……助けて、おにいさま……」


会ったこともない、どんな人かも聞いたこともない、ただ父から聞かされたお前に兄がいるという一言に…縋っていた。


自分はまだ独りじゃない、その事実に縋って…彼女はただ思う。会ったことない、唯一の肉親……バシレウスの存在を。

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― 新着の感想 ―
蠱毒の儀は碌でもないない儀式だと思っていましたが想像以上に胸糞な儀式だった…元老院を滅ぼしたレナトゥスは敵ながらMVPすぎる。 これまでのバシレウスの行動が人間性を持たないという一言で納得していまし…
ここを見る限りバシレウスが魔蝕で失ったのは人間性じゃない気がするんだよな。むしろバシレウスがこう育ったのは周りのクソみたいな環境のせいな気が…… 暴力でしか感情表現出来なかったのも、それしか知らなかっ…
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