728.星魔剣と男二人旅
俺は今窮地に瀕している。姉貴が死にそうなんだ、憎きオフィーリアにより死の淵に追いやられ、助けるには七日の間にオフィーリアを見つけ、奴に魔術の解除を行わせなければならない。
タイムリミット込み、その上オフィーリアは凄まじい強さだ。正直楽観出来る状況じゃない…のに、俺が今いるのは。
「はぁ…歩いても歩いても景色が変わらねー」
森の中、それもジャングルと言えるほどに分厚い葉に包まれた森だ。ここはヴァニタス・ヴァニタートゥムの本部であるコヘレトの塔がある窪地、ヘベルの大穴の中。下には森があり、その上で分厚い霧がかかっていて前がよく見えない。
なんの因果か俺は今ここにいる、まぁ色々あったわけだが…そこはいい。問題は出口がわからないということ。歩き始めて何時間も経ってるのに全然壁が見えてこない。
本当なら魔力を回復させてから、一気に上に飛び上がれたらいいんだが…それじゃあ時間がかかりすぎる。けどこの分じゃ魔力が回復するのが先かな。
「どうすりゃいいんだ」
これでさ、頼りになる年長者が側にいたらいいよ。ウォルターさんみたいに知識豊富な人とかさ、タヴさんやカルウェナンさんみたいな凄い人が側にいたら、まだいい。けど今俺の側にいるのは。
「よっと」
「お、おい!」
そいつは木の上からガサガサと音を立てて降りて来る。さっきまで俺の手を借りなきゃ歩けもしなかったくらいの重傷だったのに、たったの数時間で歩けるまでに回復した男。そいつは木の上からりんごを収穫しバリボリ食いながら俺を見て。
「おい、ステュクス。いつになったらここから出れるんだ」
「そりゃこっちが聞きてーよ」
こいつの名前はバシレウス、別名大きな赤ん坊。基本自分からは何もしない、やってもらって当然の王様みたいな奴だ、いや王様なんだけどさ……本来はな!逃げ出して王座を継がなかったから絶賛妹に迷惑かけてる最中だけどな!
(くそッ、あのレギナの兄貴がこんなミソッカスのクソッタレとは…)
ここまでの旅路でなんとなく分かってはいたが、こいつマジでなんもしねぇな。基本俺頼みで自分はあっちにフラフラこっちにフラフラ、声かけると『うるせぇ』『うぜぇ』…思春期のガキかこいつは。
「なんだ、まだ出れねぇのか」
「………」
バリボリとりんごの芯ごと食べるバシレウスを見て、ため息も出ない。俺はこいつを外に出すために今頑張ってる…でも。
「お前いいのかよ、りんごの種って毒があったぜ、確か」
「え!?食っちまったけど…」
「確か体内で青酸がどうのこうのとか」
「う、毒なんか消化してやる」
「はぁ……」
置いてっちゃダメか?このアホ。ダメか…こいつが死ぬとレギナが悲しむ。
「ん…そろそろ夜だな」
「え?」
すると、バシレウスは突然上を見上げてそういうのだ。夜って…ここは基本霧に包まれてるから、昼も夜もねぇからわからなかったが、マジかよ…もうそんな時間か。
「仕方なし、そろそろ休もうぜ。バシレウス」
「休むのか?分かった」
「おいおいお前、なにその場で座り込んでんだよ」
「休むって言ったから」
「誰がこんな場所で休むよ。ちょっと待てよ?」
俺は耳を澄ませ、周りの音を探る。目じゃ見えないが……音なら。
「あった!こっちだ!おい立てよ!」
「何があんだよ…」
「川だよ川!」
俺はバシレウスを引きずり走ると、やはり近くに川があった。あると思ったんだ、窪地の中でここまで多湿になるには水がいる、だからこの窪地にも水がある…川がある。そう考えたからこそ音で探した。
川の大きさは申し分ない。向こう側が見えないって程じゃないが…これなら魚が取れそうだ。
「飲み水と飯の確保が必要だろ?」
「魚を取るのか?」
「そうだよ、バシレウスは魚を──」
ふと考える。今から俺はここで夜営をする、必然必要になるのは飯である魚。けどこいつに魚取りを任せていいのか?こいつ基本手近な物はなんでも口に入れるし…最悪口で魚捕まえるかも。
「お前はそこら辺の木の棒を拾っておいてくれ、火をつけるから」
「木を倒しちゃダメか?」
「生えてる木は乾燥してないからダメだ。なるべく多く持ってこいよ」
「面倒クセェ。やりたくない」
「やらなきゃ飯抜きな」
「チッ……」
めちゃくちゃイライラした顔で舌打ちをしつつバシレウスは足元を見ながら木の棒を探してくる。流石に飯抜きは嫌だったか…なんとなくアイツの扱い方がわかって来たぞ。
「さて、じゃあ殺されないように釣りでもしますかねっと」
俺は近くの手近な棒を拾い何度か振るう。川辺に落ちてる流木だ、これは樫かな?いい感じの長さだ、こいつに取り付けるのは糸と針金だ。冒険者必須アイテムである糸と針金は常に持ち歩くようにしてる、マジで何にでも使えるからな。
「よし、出来た」
そのまま完成した即席釣竿を川に垂らす。餌はその辺を這ってた芋虫だ、これならまぁなんか釣れるだろ。
(にしてもなんなんだろうな、このペンダント)
俺は岩の上に腰をかけて、バシレウスから預けられたペンダントを再び確認する。アイツはこれを大事な物と言っていた、けど俺から見りゃよく分からん赤い宝石がついた首飾りでしかない。
アイツが首飾りなんか大切にするタマか?もしかしてガチで価値のある物なのか。
『ふむ、面白いもん拾ったのう』
(え?分かるかのか?ロア)
ふと、ロアの声が響く。もしかしてロア…この宝石が何かわかるのか?
『そいつは随分価値があるもんじゃのう』
(へぇ、なんて宝石?)
『血液じゃ、血の結晶じゃ』
「えぇっ!?」
思わずペンダントを川に落としそうになり。咄嗟にキャッチし一息つく……え?血液?血の塊?なんじゃそりゃ。
「血って医学的には排泄物と同じくらいの汚染物として扱われるよな」
『アホか、そこまで気にするモンでもないじゃろう。加工されて結晶化しておるようじゃし』
「まぁそうだが…にしてもバシレウスはなんでこんなモン、大切にしてたんだ?」
悪趣味な奴だとは思ってたが、まさか血のアクセサリーを欲しがるなんて……ことはねぇな。あの目はそんな趣味とか趣向とかそんな理由じゃなかった。
なにか、もっと大事な物の気がする。アイツがそこまで必死になるほどのものなんだ。
『しかし、面白いのう』
(さっきから面白い面白いって言ってるが、そんな面白いか?)
『面白い、血のアクセサリーくらいならイキったアウトローでも持ってそうじゃが、重要なのは使われてる血じゃな』
(特別な血ってことか)
『うむ、そこに宿る血を用いてコルロは魔術を強化しておったようじゃ』
(血のアクセサリーつけただけで強くなれるんなら、マレウス王国軍でも正式採用してほしいね、マジでさ)
ぶっちゃけ、胡乱な話としか思えない。特別な血、そしてそれで作られたアクセサリーを使いコルロとかいう女は魔術を強化してます。でそれをバシレウスと奪い合ってますってさ、血にそんな力があるとは思えないぜ。
『お前なぁ、血を侮ってはいかんぞ。魔術的観点から見るなら血は人類の未知が眠る秘宝なんじゃ』
(ほーん)
『血は魔力を最も通す物質でもある。故に生きているだけで人間の血には多大な魔力が染み込んでいる、魔力とは魂じゃ。即ち血には魂の情報が詰まっておるんじゃ』
(ふーん)
『血の継承とは魂の継承、理論と理屈を立てて計画的に継承すれば百年前の魂を再現することもできるし、親や祖母祖父の力を再現することも出来るし』
(うーん)
『つまり血には多くの魂、そしてその情報が滲み込んでいるということで……聞いておるのか!』
(あんまり)
だって興味ないし、そんな小難しい事を俺に言われても困るよ。
『ともかく、それは大事にしてやれ。コルロが何を企んどるのかよく分からんが成就させてお前に得のある事でもあるまいよ』
(つまり、このペンダントがあるのとないのとではコルロの計画の如何は変わってくるのか)
とはいえ、アイツが何を企んでるのか俺だってよく分からないし……お。
「釣れた」
『はぁ、お気楽じゃのう』
ピーンと糸が張って一匹の魚が川から引き上げられる。よしよしいい調子、ここ結構釣れるぞ、穴場か?ヘベルの大穴だけに。
「おい、お前。持って来たぞ」
「ん?」
ふと、声をかけられ後ろを見るとバシレウスが手にいっぱいの木の枝を抱えて来ていた。こいつ案外やってくれるじゃんか。
「いいな、よし。じゃあ火をつけてくれ」
「どうやって」
「どうやってって、お前火属性の魔術使えないのか?」
「森ごと焼けると思うが……」
「もうちょい弱いのは…」
「使えない」
「マジか、じゃあ木を擦り合わせて摩擦で火をつけておいてくれ」
「こ、こうか?」
するとバシレウスは木の棒を二本鷲掴みにしてガリガリと擦り合わせる。全然違うよね、と思ったがその速度と勢いがあまりにも凄まじく、あっという間に木から黒煙が立ち始める。
(マジかこいつ)
「ん、火がついた。おい、ついたぞ」
「分かった分かった、よっと」
ついでに二匹目の魚が釣れる。よしよし、バシレウスが焚き火を用意してくれたし、さっきの魚と合わせてそろそろ焼き始めるか……ん?
(あれ?さっき釣った魚がいない)
ふと、足元を見るが最初に釣り上げた魚が見当たらない。おかしいな、逃げたか?そんなバカな……。と思い探してみると、さっき釣った魚はバシレウスの手の中にあり。
「あー……」
「おい!何してんだよ!」
咄嗟に口を開けて食べようとするバシレウスから魚を取り返す。するとかみるみるうちにバシレウスが不機嫌になり。
「ンだよ、なにすんだよ!!」
「そらこっちのセリフだ!なんでそのまま食おうとするんだよ!」
「はぁ?食うために釣ったんだろ?」
「だからって生のまま食うかね普通。なんのための焚き火だよ、焼くんだよこれを」
そのまま魚に枝を突き刺し、そのまま焚き火の近くに立てて魚を焼き始める。生のまま川魚食うって…寄生虫だらけだし泥臭いし食えたモンじゃないぞ。
「じれったい」
「黙って見てな、魚が焦げそうになったらひっくり返してくれよ」
「…………」
バシレウスは魚をジッと黙って見ている。やたらと従順だな…いや腹が減ってるからか。まぁいいや、どうせこいつおかわりするだろうしもう一、二匹釣っておくか。
……………………………………
そうして俺はそこから数匹釣って、魚が焼け、ここらで夜営のため夕食にする。
「ほら、焼けたぞ」
「遅い」
「うっせぇなお前もいちいち」
俺は枝に突き刺した焼き魚をバシレウスに渡すと、こいつは礼の一つも言わずにグヂグチと魚を受け取り……。
「焼いたからなんだってんだ、生のままのが手っ取り早いだろ」
「黙って食え」
「チッ……」
文句をブツクサ言いながらバシレウスは魚の尾を摘み引っ張り、枝から引っこ抜くとそのまま頭から…っておいおい!
「バリボリ」
「お、おいおい、頭ごと食う奴があるかよ」
魚の頭をパクリと咥え、頭蓋骨をバリバリと砕いて食べるんだ。人間の食い方じゃねぇよ、いやクマとかでもちょっとは利口な食い方するぞ。
「あんま変わらん」
「身がほとんどついてないところ食ったからな。ちょっと貸してみろ」
「お前さっきから人の食い方にグダグダ言いやがって!うるさいんだよ!!」
俺はバシレウスから焼き魚を奪い取り、そのまま尾を引いて中の骨を一気に引き抜く。こうしないとコイツは骨ごと食いそうだしな。別にどう食おうが勝手だが隣でそんな食い方されたら俺の食欲が失せる。
「ほら、これで食え」
「………」
バシレウスに渡すのは身だけになった魚。それをバシレウスは訝しみながらも大きく口を開け…パクリと背中の部分を咥えると。
「………!」
一気に奴の三白眼の瞳孔が広がり、焚き火の光を反射しキラキラと光る。どうやら美味かったようだ。
「美味いか?」
「……………」
「なんか言えよ!!」
そしてバシレウスは三口で大きめの魚を食べ切ってしまい、そのまま次の焼き魚に手を伸ばす。しかし……。
「…………」
バシレウスは最初、一番近いやつを取ろうとする。しかしそれはどう見ても生焼け、それを確認したバシレウスの手は止まり、隣に刺さっているしっかり焼けた魚の方を手に取る。
「……おい、お前」
そして、よく焼けた魚をこちらにズイッと差し出したバシレウスは『ん』と唸る。え…?何?
「くれるのか?」
「骨、取れ」
「それくらい自分で取れよな……」
なんだコイツマジで、どうやって今まで生きて来たんだ。しゃあねぇ、ジタバタしてもどうせコイツは自分でやらないし、骨くらいなら取ってやるか。
「ほらよバシレウス、食え」
「ん」
そして礼を言わんやつだな。まぁいいか……にしても。
(レギナはなんだってこんな兄貴の事慕ってるんだ?)
モグモグと魚の身を食べるバシレウスを見ていると思う。最初は兄貴だから盲信的に慕っているモンだと思ってたが、肉親だからっていう点を考慮しても慕う要素ゼロじゃないか?
粗暴で、乱暴で、口は悪いし性格も悪い、自分勝手で傍若無人で自分のことは自分でしないし、右足の靴下裏返しだしなんでも生で食おうとするし。
なんでこんなのに帰って来てほしいんだ……。
「はぁ、食った食った、寝る」
「あ、おい」
すると食い終わったバシレウスはその場で猫のように体を丸めて眠り始めるのだ…いやいやおいおい、いくらなんでも地べたにそのまま寝るやつがあるかよ。
「なんだよ」
「なんだよじゃないよ。ちょっと待ってろ」
俺は立ち上がり、近くの落ち葉を集め、山のようにしてからその上にこいつが脱いだ上着を乗せて…。
「ほら、この上で寝ろ」
「どこも一緒だろ」
「いいから、ここで寝ろ」
「……お前なんか俺の事ナメてるよな」
あんな硬いところで寝たら体バキバキになるだろ。睡眠は体力回復のためにやるんだから、疲れる寝方してどうすんだよ。
バシレウスはそのまま立ち上がり、俺の集めた落ち葉の上に横になり、直ぐにぐーぐーと寝息を立て始める。
(世話が焼けるやつ)
俺もまた落ち葉を集め、その中に潜り込んで睡眠の姿勢を取る。バシレウスは世話が焼ける奴だよ、レギナ曰く魔蝕の年に生まれてるらしいから、年齢的には姉貴と同じ歳だ。姉貴と同じ歳ってことは結構歳上だぞこいつ。
なのにこんな世話が焼けるかね…姉貴を見習ってほしいぜ。
(………姉貴)
俺は落ち葉の隙間から空を見る。霧が深くかかって星空は見えない。今一日が終わろうとしている、姉貴が死ぬ日が一日近づいた。それなのに俺はオフィーリアの影さえ追えていない。
……こんな所で、こんな事してていいのかな。
「姉貴……絶対助けるから」
今ここで出来る事なんかないわけだし、ともかく明日にはここを抜け出して…タヴさん達と合流しよう、そうでもなきゃ…オフィーリアを見つけても、追い切れる自信がない。
………………………………………
「……おい」
「ん…んん?」
ふと、気がつくと。どうやら俺は眠っていたようだ…疲れていたおかげもあって秒で眠れた…が、そんな心地の良い眠りも妨げられる。何にだ?声にだ、誰のだ?決まってる。
「なんだよバシレウス……」
「シッ!声出すな」
ふと、起き上がったバシレウスは神妙な面持ちで周囲を伺い始める。そして……。
「追っ手だ、隠れるぞ」
「え…!」
追っ手、その言葉と共にバシレウスは俺を抱えて直ぐそこの木の根に身を隠し始める。追っ手?もう追いかけて来たのか!いや追いかけてはくるだろうけどさ!この霧だぜ!?この森だぜ!?そう簡単に見つけられるわけがないだろ……!
なんて思っているうちに、俺達が先程まで寝ていた川辺に…一つの影が現れる、それは。
「ガカカカ…ここら辺だな?」
(ッ……サメ人間!コルロのところにいた奴!)
「チッ、サンライトか……」
サンライト…そう呼ばれた海パン一丁のサメ人間が木々を押し退けながら現れ、牙を覗かせる。やばい、コルロの部下だ…しかもめちゃくちゃ強い奴。それが俺達が寝ていたところを漁るように探してる。
(そうか、サメだから血の匂いが感知できるんだ…!)
サメは水の中で獲物を探す時、相手の血を嗅ぎ分けて行動するらしい。ふとバシレウスの体を見ると、体中にべっとり血がついている…まずったな、先に服を洗わせるべきだったか!
「ガカカカカ、隠れるのが上手だな。だが俺にはバレてるぜ…お前の血の匂いがムンムンするからな、直ぐ近くに…いるだろう?」
(やばい……どうすんだよこれ)
木の根に更に身を隠し、ふと俺はバシレウスを見る。バシレウスも隠れてるんだ…こいつの事だから挑み掛かるもんだと思ってたが……いや、まさか。
(まさかまだ体力が完全に回復してないのか。こいつが従順だったのは単に元気がなかったからか……)
戦う気力が湧いてこない程に体力が残っていない。それは今のバシレウスの姿を見ていると分かる…だとすると、まずいな。
頼みの綱のバシレウスが戦えないんじゃ、この状況は戦闘では乗り切れない。
「ここか?いいやここか?ガカカカカ…」
そうしている間にもサンライトは周囲を見回して、茂みや木の裏を探し始める。ダメだこれ、バレるのも時間の問題だ。
(考えろ、戦闘は不可。状況は最悪、移動すれば認識され攻撃を受ける、持ち堪えるのは難しい上に救援を呼ばれたら詰み…ついでに何するか分からないじゃじゃ馬が一人。さぁて…どう切り抜ける)
俺は周囲を見る、使えるものはないか…と言ってもあるのは枝や葉っぱだけ。つーか卑怯だろ、人間なのにサメの力も使えるってさ。
サメはめちゃくちゃ鼻がいい。サメの特色を受け継いだアイツから逃げるなんて……いや待てよ?
(サメの特色を受け継いでるなら……)
もしかしたら、この手が通用するかもしれない。
「よし…!」
一丁、賭けてみるか。
……………………………………
「チッ……」
俺は木の根に隠れてサンライトを見る。最悪だぜ、まさかこんなにも早く捕捉されるなんてよ…しかもこっちの魔力はまだロクに回復もしてねぇ。その上同行してるのはロクに戦えもしねぇ雑魚のステュクス。
最悪も最悪、何が最悪ってこの俺が隠れなきゃいけない事だ。
(ダメだなこりゃあ。サンライトの奴、完全にこの近辺に俺達が隠れてることを把握して動いてやがる…隙が全くない)
やるなら、物陰から飛び出して一撃で仕留めることだけ。出来なきゃ仲間を呼ばれて終わり、出来ても倒せる可能性は現状では薄い。しかしやらなきゃどっち道見つかって終わりだ。
だが、サンライトは隙を見せない。常に死角にある茂みや物陰から一定の距離をとって奇襲に備えて動いてやがる。あれじゃ飛びかかっても意味がない。
だが……。
(ふざけんなよ、俺がただ隠れて、逃げて、戦いを避けるわけがねぇだろ。絶対ここで殺してやる)
生きるには殺すしかない、生きるには殺して進むしかない。なら殺る…殺ってやる。
「ガカカカカ、どうした臆病者。そんなに俺が怖いのか?小さく蹲ってどこかに隠れて小便垂れてんのか?ああ?」
(あの野郎…!俺は最強だぞ…!)
殺す、そう決意を拳に宿し。俺は物陰から飛び出すため足に力を込めた瞬間。
「バシレウス…!」
「ッなんだよ…!」
コソコソと喋るステュクスがズイッと俺に酔って来て…ってなんだこいつ、なんで笑ってんだ。
「邪魔するならお前から殺すぞ」
「いいからいいから、これ…」
「ん?」
するとステュクスは俺に二本の木の枝を渡してくる。武器のつもりか、それとも他に何か用途があるのか、受け取った木の枝をジッと見ているとステュクスはそれを指差しながら。
「バシレウス、そいつを擦って火をつけろ」
「はぁ?この状況で何言ってんだお前」
「いいから、俺に作戦があるんだよ」
「………」
そういうんだ、作戦…ってな。
くだらない、誰がそんなに乗るか!
……………………………………………
「ガカカカカ…さぁてどこだ?どこにいる」
そして、サンライトは一人闇の中を歩きバシレウスとステュクスを探す。川辺付近、ここにいるのは分かっている。
俺はサメの体を持つ、サメは血の匂いに敏感だ、他の連中が手当たり次第に探す中…俺だけは的確にバシレウス達が逃げた方向が分かる。何せアイツは俺達につけられた傷から大量の血を噴き出していた。
血の匂いが道標となって、俺をここに導いた。そして血の匂いはここから移動した様子がない。ってことはこの近くに隠れているってことだ。
(バシレウスのヤローが隠れてるってことは、ヤツは相当な痛手をまだ残してる。ヤツは戦えない…見つけたらそのまま一方的に嬲り殺せる)
だから見落とさないようにじっくり、ゆっくり探す…そんな中、俺は一つの違和感に気がつく。
「なんだ?」
ふと、鼻が異臭を嗅ぎ取る。これは何かが燃える匂いだ、だが目の前にある焚き火の跡は既に火が消えている、なのになんでこんなに匂う…いや、まさか!
「ッ!?これは…黒煙!」
気がつくと周囲は黒煙に包まれていた。何処かで何かが燃えている!?いやそれ以前に…まずい、黒煙で血の匂いが薄れる!これで血の匂いを誤魔化そうってか!
「ハッ!だが考えるのは上手じゃねぇみたいだな!血の匂いは誤魔化せたが位置がバレバレだぜ!黒煙の出所が丸わかりだよ!」
俺は見る、周囲を漂う黒煙は川辺の木の根、その向こう側から漂って来ている。血の匂いは誤魔化せても煙の出所は誤魔化せない!そこにいるんだな!ぶっ殺してやる!
「ガカカカカ!上手に立ち回るべきだったな!」
俺は急いで木の根に向かう、しかし…その時だった。木の根から溢れる黒煙を切り裂いて…何かが飛んで川の中に飛び込んだ。水飛沫を上げて川の流れに乗って離脱しようとする影が見えた。
「あれは…」
血の匂いだ、黒煙の中でも漂うようなバシレウスの地の匂い!なるほどそういうことか。黒煙で血の匂いを紛らわせ、その隙に水の中に入って血を洗い流しつつ、この場から離れようって魂胆だな?
確かに水の中なら血の匂いは漂わない……だがなぁ!
「ガカカカカ!!バカだよバカだよ!バカがいるよ!テメェ俺を誰だと思ってる!なんだと思ってる!」
俺はサメだぞ!水の中の血の匂いだって分かる!なにより水中なら地上の五十倍は速く動けんだよ!!目論見が全て外れたな!!
「食い殺してやるぜ!バシレウス!!」
そのまま俺は川の中に飛び込み、足をヒレのように動かし一気に加速。見えるのはバシレウスの姿、だが泳ぐ速度はてんで遅い。俺はそのまま加速しながらバシレウスの背中目掛け、水中で拳を振り上げ。
「死ねや!!!」
一気に拳を振り抜きバシレウスの背中を貫き、水中に奴の血が一気に溢れ出て………ん?
「は?」
俺はバシレウスの背中に突き刺した手から感じる違和感に首を傾げ、そのまま水面に出て…腕に突き刺さったバシレウスを引き上げ確認すると…それは。
「これは…上着?」
ザブザブと音を立てて引き上げられたのはバシレウスの上着だ、血がべっとりついた上着だけだ。上着の中には木の葉がみっしり詰められており、木の葉にも血がついていて……まさか!
「しまった!」
咄嗟に俺は水面から飛び出し、慌てて黒煙の湧き出る木の根の影に走り寄り、確認する…。
そこにあったのは、木の葉の山に突き刺さった燃える木の枝と、振り荒らされた地面…やられた、罠だ!!
(アイツら…!血のついた上着を水面に投げ入れて揺動しやがったのか!!)
黒煙は煙幕兼血の匂い封じの役割を担う。霧と黒煙に満たされた空間は視認性がとても悪く、木の根から飛び出した影が人かどうかも判別が不可能なほどだ。
そんな中、奴の血が大量に付着した上着で木の葉を包み、ボール状にして水に投げ込む。上着からは血の匂いがする上に、水面に飛び込んだ拍子に広がり、一見すると人型のようにも見える形になる。
それで俺を誘い、その間に奴らは逃げたんだ。血の匂いを捨てつつ、黒煙の中に逃げ、俺を巻きやがった!!
「クソッ!どこだ!どこ行きやがった!」
慌てて俺は血の匂いを探すが…ダメだ、さっきよりも血の匂いが薄い上にそれ以上に黒煙の匂いがキツすぎて追えねぇ!この俺が出し抜かれただと!?
(バシレウスがこんな頭のいい真似するわけがない、ってなると…これはアイツの仕業か!)
またしても、出し抜かれたのか…俺が!!
……………………………………………
「走れ走れ!バシレウス走れ!」
「お前!なんで俺の上着捨てたんだよ!」
「あんなもん着てたらまた追いかけられるだろ!この際捨てろ!新しいの買ってやる!」
俺はバシレウスの手を引いて霧の森の中を走る。どうやら作戦はうまく行ったようだ。
バシレウスは木の枝で即座に火をつけられる、それを使い落ち葉に火をつけ煙幕を張って、その隙に上着を川に捨てて陽動した。
サンライトはサメだ、サメの嗅覚を持ってるってことはアイツの体はサメの体質そのものを受け継いでいることになる。
サメってのはな、人間を食わねぇんだ。海で人間を襲うのはアザラシと間違えて襲ってるって前聞いたことがあるんだ。なら間違えるだろ、上着と人間も。霧と黒煙に包まれた状況なら視認できずシルエットだけで間違えて追っかける……。
って予測を立ててみたら大正解!アイツまんまと騙されやがったぜ!
「あはは!滑稽だったよな!アイツさ!俺達を差し置いて自分から水に飛び込んでさ!いやぁ痛快!腕っ節じゃねぇのよ世の中はさ!」
俺は片手でバシレウスの手を引き、もう片方の手で自分のこめかみをコンコンと突く。いくら強くたって騙されてちゃわけないぜ〜!
「…………」
「あはは…あ?どうした?バシレウス」
ふと、立ち止まったバシレウスを見てみる。なんだろう、上着捨てたの怒ってるのかな、でもあれ着てたら捕まるしなぁ。事実上着で包んだ木の葉…あれはベッド代わりに使ってた葉っぱだぜ?ちょっと寝転んだだけでべっとり付着するくらい上着は血塗れだったわけだし。
「なに?怒ってるのか?上着捨てたの」
「別に、そこは怒ってねぇ…けど。腹立つだけだ」
「それ怒ってるって言わない?」
「……うるせぇ、あのくらいの雑魚なんか。一発でぶっ飛ばせなきゃいけないのに」
バシレウスはややセンチになっているようだ。そもそもプライドの高い奴だ、それが二度も尻尾を巻いて逃げる結果になった上に、剰え俺に助けられたんだ。いくら傍若無人で厚顔無恥で暴君気質で我儘放題のこいつでも感じ入るところはあるってか。
「コルロには借りがある、二つある。前回の分と今回の分」
するとバシレウスの奴は俺の手を振り払い、ポケットに手を入れて歩き始め…俺の隣に立ち。
「そしてお前にも借りがある、二つある。さっきの分と今回の分…この借りは返す、コルロにも返す。でなきゃ俺の最強にケチがつく」
「はぁ?」
「おら、行くぞ。ステュクス」
借りがあるって…俺の借りはコルロへの借りと同じ判定かよ。つーか礼を言えよ…いやまぁいいけどさ。別に礼が欲しくて助けたわけじゃないし……っていうか。
(こいつの行動理念は一つ、コルロへの借りを返すこと…そのためだけに北部まで来た。ってことは…こいつにとって借りってめちゃくちゃデカい言葉なのかな……)
いや、分からん。マジで分からん、分からんけど……。
「ん、おい!ステュクス!」
一つ言えることがあるとするなら……。
(ようやく名前呼びやがったな、アイツ……ステュクスってさ)
「なにしてんだよ!早く来いって!」
「はいはい」
俺はバシレウスの呼び声に反応して霧を裂いて走る。まぁ少なくとも、俺はアイツに名前を呼ばれるだけの男になれたってことなのかね。
「で、なに?」
「これ見てみろ」
「ん?……お!岩壁!」
バシレウスの前には岩壁がある。つまりこれはヘベルの大穴の淵ってことか!これを登ればここから出られる!
めちゃくちゃに走った甲斐があった、ようやく出られそうだ!…と思っているとバシレウスは壁に肘をかけ、自慢げに笑い。
「俺が見つけた」
「…………」
まさかこいつ、自分の手柄だと思ってんのか……。
「もうそれでいいから、上行こうぜ」
「ん、そうだな。こんなしみったれた所にいたら病気になるぜ。なったことないけど」
そう言いながらバシレウスは静かに手を動かし、壁にしがみつき上へと登り始め……って!
「お、おい!お前これ登る気か!?」
「はぁ?仕方ねぇだろ、魔力で飛べたらとっくにやってる、出来ないから壁を探してたんだろ。じゃあ登るしかないだろ」
「いやまぁそうだけどさ…俺も魔力残ってないから空飛べないんだけど」
「だから?」
「え?俺も登るの?」
「お前ここに住むのか?」
マジかよ……嘘だろ。俺てっきりバシレウスが上まで連れて行ってくれると思ってたけど、えぇ…登るの?ロッククライミング?でもこの穴結構な高さだぜ。
岩壁は垂直に上に続いているし、それに命綱もない。えぇ…冗談だって言ってくれよ誰か。
「ぁあ!仕方ない!待てよバシレウス!」
「はぁ……」
幸い壁は音を吸収する形状をしている、つまりギザギザだ、手をかける場所はたくさんある。とはいえ怖いもんは怖いが……。
「ま、待ってくれよバシレウス〜」
「五秒待っただろうが」
「早いよ〜」
そうして俺とバシレウスは一緒に虫みたいに壁に張り付いて登り、ヘベルの大穴から抜け出すことができた。
ヴァニタス・ヴァニタートゥム…そしてコルロ。オフィーリアと繋がりつつも北部にて暗雲を立ち上らせる悪の化身が身を潜めるこの大穴から俺達は抜け出す。
いつかまた、ここに来ることがあるのだろう…そんな予感を感じながらも、今はただ地上を目指して進み続ける。
……明日を生きるために。姉貴との明日を掴むために。
…………………………………………
一方、バシレウスとステュクスがヘベルの大穴を登り始めた頃。
「ステュクスはこの近辺にいる…のかなぁ」
「そのように聞いているけど…実際のところは分からない」
二つの影が森を歩む。その足取りに油断はなく、また慢心もない…何故なら二人は北部の一帯が、ゴルゴネイオン…或いはヴァニタートゥムの管轄内であることを知っているから。
それでも進む、それでも女二人は歩み出す。
「本当なら近づきたくもないけど、まぁ仕方ない。雇い主の…レギナの頼みだしね」
「しかし手助けと言ってもなにをしたらいいんだ」
他陣営に遅れて乗り込んだのは新たな戦力…それは女王レギナの名を受けて動く者達。
その名も……。
「まぁ私は傭兵として、あんたは元殺し屋として。きっちり依頼はこなしましょうや、コーディリアちゃん」
「ちゃん付けをやめろ」
ピンク色の長髪を腰まで伸ばし、パンクな黒ジャンパーに穴の空いたジーンズでスラリとボディラインを見せつけるのは元逢魔ヶ時旅団の第二隊長アナスタシア・オクタヴィアス。
そして、漆黒の髪は背後に伸ばす長身のメイド、元ハーシェルの影その六番コーディリア・ハーシェル。
メグにより帝国に投獄され、レギナのとある計画の為にマレウスに呼び出された二人は…レギナの頼みによりステュクスの戦いの手助けをする為に北部へとやってきていた。とは言え二人はステュクスが何処にいるか全く分からない状態…。
ステュクスは何処にいるのか、その僅かな情報を与えてくれたもう一人の同行者に二人は視線を注ぎ。
「ねぇ、マジでここらにいるの?」
「確かなことは何も言えん…だが、オフィーリアがコルロと繋がっているのならオフィーリアもまたこの近辺にいる。そしてオフィーリアを追うステュクスという青年もまたこの近辺にいると見て間違いないだろう」
二人の視線を受けるその男は、やや申し訳なさそうに頭を下げる。その身には布一枚、さながら野晒しの大布の如き黒い外套を羽織り、垣間見えるのは鍛え抜かれた巨大な筋肉と重厚な肩幅。そして顎先から生える長く白い髭…。
(ここまで来られれば、バシレウス様も見つかろう…)
彼の名はムスクルス、元悪魔の見えざる手の五番手『筋肉法師』ムスクルスだ。サイディリアルの地下牢に囚われていたところをバシレウスに拾われ、その後一時は行動を共にしたが…バシレウス為に日銭を稼いでいたところ、当のバシレウスにその存在を忘れ去られ置いていかれたのだ。
置いていかれた彼はその後アナスタシア達と出会い、ここまでやってきた。北部は魔境だ、少しでも強い力を持つ者と一緒にいた方が良い…という判断だ。
「憶測をいくつも経由している。確かな情報でないことだけが確かな状態か」
「ま、それ以外ヒントがないしね」
「ここまで連れてきてくれた礼だ、このムスクルス。微力ながら力になろう」
悪魔の見えざる手、逢魔ヶ時旅団、ハーシェル一家。その残党とも言える三人の奇妙なパーティは北部を征く……。