722.星魔剣と死した者が背中を押すなら
「ふむ、これなんてどうでしょうか。カルさん」
「ん?色がいいな。だが小生は果実の良し悪しなんてわからないぞ?」
「俺もです」
「なら何故ここに来た…」
タロスの街の一角、道行く人々の目を引く二人が果物屋の前で話し合う。
一人は金髪をオールバックに流し、浅黒い肌に刻まれた無数の古傷が歴戦の人生を思わせ、黒く輝く革コートに無数の金細工を取り付けた派手な姿の男…『宇宙』のタヴ。
もう一人は白銀の甲冑で全身を隠し、その上でも隠せない猛者の風格。見上げるような巨体から発せられる低く重厚な声で返答するのは…『極致』のカルウェナン。
タヴはかつて五本指の四番手と呼ばれた実力者であり、カルウェナンもまた六番手の使い手。本来はこんな道端にいて良い二人ではないのだが…今は二人でりんごを手に色々と吟味している。
「フッ、貴方とこうして戦いとは無縁の話をしてみたかったんです。俺達は…マレフィカルムにいる間はそれこそ、何をどう壊し、何とどう戦うしか考えて来ませんでしたから」
「元来マレフィカルムとはそういう集まりだが、そう言えばお前は幼くしてマレフィカルムに加入したのだったな。であるならば…このような日常は得難いのではないか?」
「まぁ、そうですね。最近はカフェで働いていまして…毎日が驚きと発見の毎日を過ごしています」
「ククク、あの宇宙のタヴがコーヒーを運ぶのか?」
「ええ、最近はコーヒーの淹れ方も教えてもらいました」
「想像が出来んな」
今、俺達はとある目的のために行動を共にしている。カルさんもまた俺と同じようにマレフィカルムに反目し…離脱し、かつてマレフィカルムを率いていた『理解』のビナー、ファウスト・アルマゲストを探しているらしい。
俺もそうだ、俺達を使い捨ての駒として使い…シンがあんな状態にある原因を作ったマレフィカルムにはほとほと愛想が尽きた。故に俺たちは今マレフィカルムと敵対する状態にある…。
「フッ、だがタヴ…随分気を利かせたな」
「はて…何がでしょう」
「ずっとぼけて…囮のつもりだろう?ステュクス達が安全に街を散策出来るように、自分を撒き餌にしたのだ、お前は」
「………バレていましたか」
ステュクスという男がいる。なんの因果かアルカナを滅亡に導いたエリスの弟と今俺は行動を共にしている。なんでも師匠を殺されて…敵討ちのためにセフィラの一角を落とすつもりでいるようだ。
そんな彼が今、セーフやアナフェマと街で遊んでいる。だがこの街はマレフィカルムのお膝元…当然監視はいる。
「後ろの物陰、数は十三人だな」
「ええ、天下のマルス・プルミラにしては随分お粗末な尾行ですね」
セフィロトの大樹の抱える戦闘部隊マルス・プルミラ……それがこの街を見張っている。一人一人が覚醒しているというかなりの戦力、それがステュクス達に襲いかかると大変だ。だからより危険度の高い俺達が、街で不自然な動きを見せれば奴らは必然的に俺たちに警戒を向けるはずだ。
そう思い、俺はカルさんを誘ったんだ。俺達が歩けば確実にマルス・プルミラは俺達に全霊の監視を向けるからな。
「しかし、あの程度の人数でなんとかなると思われているとは。小生もナメられた物だ」
「恐らく手出しはしてこないでしょうね。奴らだって俺達と事は構えたくないはずだ」
「大方、マレフィカルムを抜けた連中を警戒しているんだろう。無視でいいな?」
「無論です」
俺はりんごを手の中で踊らせ、軽く笑う。マルス・プルミラは強いが……俺達の敵ではない。第三段階の俺と第二段階最上位のカルさんなら物の二分で壊滅出来る。
「しかし、驚いたな」
「何がです?」
「お前がステュクスという男の為にここまですることがだ。それもまた革命か?」
カルさんは腕を組みながらこちらを見る。ステュクスの為に……か、まぁそうだな。
「ええ、俺はあの男を買っています。己の信念を通す為、単身で北部に乗り込み、敵わないと言われてもまるで折れることなく進もうとする様。あれこそまさに革命者だ」
「ステュクスという男もまた人たらしか。小生も買っているぞ?あの若人の気概をな」
「出来るなら、オフィーリアを討たせてやりたい物ですね」
「ああ、だな……む?」
「ッ……!」
カルさんが背後に目を向ける、俺もまた肩越しに視線を後ろに向ける。なんだ?何か来る…マルス・プルミラとは比較にならん程に強力な気配、これは第三段階?まさかセフィラが出てきたのか?
「何者だ……」
「………」
俺とカルさんは振り向きながらそちらを向くと…そこには、一人の大男が立っていた。セフィラじゃない、だが確実にこいつだ。
そいつは俺よりも大きな身長に、野太い腕、そして柄物の黒いジャンパーを着て隠しているが、そのうちには凄まじい筋肉が控える。
髪は赤茶の長髪、それが腰あたりまで届いており、何より恐ろしいのはその顔。まるで狼だ…鋭い切れ目に金色の瞳、長い口角から見える白い牙、こんな奴はセフィラにはいなかった。
見ない顔に俺とカルさんは警戒心を高めると…。
「おぉっ!マジでタヴやんにカルウェナンのおっさんやんか!懐かしい気配があると思って来てみたら!いや懐かしいなぁ!」
「……その口調…」
あまりにも軽薄な身振り手振り、大袈裟な物言い。何よりこの独特の訛りがある口調…まさか、こいつ。
「お前、ラセツか!」
「おうよ!久しぶりやんかタヴやん!」
「本当に懐かしいな…というかお前、鉄仮面はどうした?」
ラセツだ、パラベラム最強の男にして五本指の五番手。『悪鬼』ラセツ…だが、こいつ。ラセツと言えば鉄仮面だ、何があっても外さなかった鉄仮面をこいつは外している。だから気がつくのに遅れたが……。
「あ?仮面?ああ、あれ捨てた。なんか最近のトレンドやないやん?それにオレってばイケメンやし、こっちのがええかなって」
「捨てたって…まぁいいが……」
ふと、カルさんを見ると、組んでいた腕を解いている。俺もまた握っていたりんごを棚に戻し…完全にラセツと向き合う。
まずいな、こいつはパラベラムの従順な駒だ。そしてパラベラムはコルロと通じている可能性が高い。もしかしたらこいつ…コルロに言われて俺達の始末に来たのか?
だとしたらまずい、マルス・プルミラとは比較にならない危険度だ。ラセツの恐ろしい点を挙げるなら、こいつはこの若さでこの強さということ。伸び代も凄まじい、俺が知ってる頃よりずっと強くなってるかもしれん。
こいつを相手にしたら、流石にタダでは済まん……。
「ん?どないしたんよタヴやん。怖い顔して」
「いや…何をしに来たのかと思ってな」
「えぇ、何って会いに来たんやんか…あれ?もしかしてもう聞いとるんかな、オレがマレフィカルム辞めた件」
「へ?」
「いやぁ魔女の弟子とパラベラムが戦ってさ、もう木っ端微塵にパラベラムが粉砕されてな?おまけにデナリウスがマーキュリーズ・ギルドに買収されて今オレってばマーキュリーズ・ギルドの会長サンのお茶汲みしてんねん」
「お前も辞めたのか…マレフィカルムを」
「辞めた、別に未練とかないし。けどあれやんな?二人も辞めたんよな…やったらオレそんな怖い顔で見られる理由ないと思うけど」
「……すまん、お前がまだパラベラムの一員だと思っていたんだ」
「あ、そーいう」
俺とカルさんは警戒を解く。どうやらこいつもマレフィカルムを辞めたらしい、そこについては疑う必要はない。元より何故マレフィカルムにいたのか分からないくらい我が道を行く男だったからな。
しかし、そうか。パラベラムまでも破壊したか…これは本格的に魔女の弟子達をマレフィカルムも無視できなくなったんじゃないか?
「つーかさぁ」
するとラセツは二人の間に割って入り、俺達の肩に腕を回し寄りかかって来て。
「え?二人何してん?お前ら二人揃ってるとか偶然ちゃうやろ。なんかおもろい事しようとしてるんちゃう?」
「面白いことか、どうする?タヴ」
「言っても構わないでしょう。敵ではないようですし」
「そうだな、……ラセツ。耳を貸せ」
「なにー?」
ラセツはカルさんの兜に耳をくっつけ…あらましを聞く。それを聞いていると一瞬訝しむような顔をした後、すぐにニタリと牙を見せ笑い。
「ええやん、やっぱおもろい事しようとしてた」
「どうする、それならお前も付き合うか?正直お前がいてくれれば小生達としてもかなりありがたい」
「ええで、って言いたいけど実は先約があんねん」
「先約?」
「おうよ、実はな…オレこれからマレフィカルムの本部にカチコミかけんねん」
「なァッ!?」
あまりの言葉に俺もカルさんもギョッとする。こいつ…マジで言ってるのか…!?
「悪い事は言わん、やめておけ」
「なんでーなー。カルウェナンのおっさんはいつも固いなぁ。タヴやんなら賛同してくれるやんな?革命やし」
「……解せないな、ラセツ。何故お前がマレフィカルムを?」
「んー?いやほら、言うたやん。今オレってばマーキュリーズ・ギルドの会長サンのお茶汲みしとるって。今この街に魔女の弟子と一緒に来とる…あんたらもよー知っとるやろ、エリスってのを」
「ッ…!?この街に来ているのか!?」
魔女の弟子エリスがこの街に…か。一度奴と腹割って話してみたいと思っていたんだ、確かにエリスはアルカナを滅ぼした女だが…恩義がある。
俺とシンを苦しめていた師団長ループレヒト。奴を殴り飛ばし奴の罪を詳らかにしてくれたと言う恩義が。だからこそ…話をしてみたいと思っていた。
カルさんも同じだ、彼女と戦い…そして敗北した過去がある。話したいこともあるだろう。そこまで考え…俺はラセツの行動の真意を悟る。
「ラセツ、お前まさか…」
「察しがええな、流石タヴやん。せや…魔女の弟子達は強いがセフィラには遠く及ばん。ぶっちゃけると戦力がまるで足りてないんが現状や。お二人さん…マレフィカルムから抜けてるやろ?助けてくれんか?」
「…………そうだな」
俺達を巻き込むつもりで話をしているんだ。こいつもまたマルス・プルミラの存在に気がついている、だから態々こうやって見ただけで分かるように関わって来たんだ。
「お前、そうまでして魔女の弟子を助けたいのか?」
「あいつらにゃあ助けられた。仇も取ってくれたしな…せやから助けたい。なんとかならんか?」
「エリス…そして魔女の弟子達。彼ら若人の手助けをしてやりたいと言う気持ちはある、あれは得難い若さだ、だが小生達にはするべきことがある」
「俺はコルロを、そしてカルさんはビナーを倒したい。まずはこちらを優先したいんだ」
「ビナーは本部を攻めりゃ出て来る。コルロに関してはマレフィカルムそのものの後ろ盾がなくなりゃ宙ぶらりんの状態になるし、コルロより先に本部落としゃ後々楽になる。あんたらの目的ともまるっきり沿わんわけやないで?」
相変わらず口が上手いなこいつは。流石はあのセラヴィが交渉や渉外を任せていただけはある。これは断るのは難しいかもしれん…だが、少しこの話は受けられそうにない。
「実はな、今俺達は二人で行動しているわけではないんだ」
「え?他にもおるん?いや待って?当てるわ。シン…はもうおらんのやったな、レーシュとかコフとかか?後はマゲイアのおばはん…はおらんほうがええから、例の金庫頭と発狂女か」
「レーシュとコフは来てない、セーフとアナフェマはいるが…。組んでいるのはバシレウスだ」
「は?なんで?」
ラセツは少し、距離を取る。それは心の距離とも比例しているのか…理由が分からないとばかりに首を傾げている。
「いや、あんたらセフィラ狙ってんのやろ?バシレウスってアイツもセフィラやんか。しかも現役バリバリのマレフィカルム…なんで組んでんの?」
「知らん、あいつはその辺に興味がないようでな。小生がビナーを討つと言ってもまるで関心を示さなかった」
「バシレウスの目的はコルロを倒すことだけだ。まぁ所謂ところの成り行きだ」
「……うーん。混沌としとるなぁ…」
ラセツは困ったように頭をガリガリと掻く。すると迷いもなく即座に答えを出して…。
「うん、オレから誘っといてなんやけど。この話一旦持ち帰るわ、正直あんたらの助けは是が非でも欲しい…が、そこにバシレウスが付いて来るとなると別や」
「そうだな、寧ろお前こそ俺達の手伝いをしてくれないか?コルロを討てばバシレウスも離れていく。そうすれば手伝えるが」
「その辺も含めて考えるんや。今の段階でマレフィカルムとヴァニタートゥムの二面を相手したくない」
「そうか…分かった、俺達はすぐそこの宿に泊まっている。何かあれば来い、と言ってもこの街滞在するのは後二、三日の予定だが」
「うぇー、あんま時間あらへんやんか…しゃーない、急ぎで考えるわ」
そういうとラセツは一歩歩み出し、離れていく。ラセツが俺達の助けが欲しいように、俺たちもラセツの助けが欲しい。こいつは強いからな、遊ばせておくにはあまりにも惜しい戦力だ。
それにもしかしたら、魔女の弟子達も巻き込めるかもしれない。奴等の生む爆発力は多くの八大同盟を破壊した実績もある。俺達七人に加え、ラセツと魔女の弟子八人…これだけの戦力があればコルロを倒すのも容易だろう。
まぁ…こちらの陣容を見て、組んでくれるかは甚だ疑問だが。
(そう言えば、ステュクスはエリスの弟だったな。上手く使えばエリスだけでも引き込めるか…?)
そう、俺が考えたその時だった。
「ん?」
「む…」
「なんだ?」
ふと、三人が同じ方向に目を向ける…その方角は、街の中心。
大聖堂のある方向だった。そこから…今、何かを感じた。
…………………………………………………………
「まさかラグナさん達もこの街に来てるなんて!すげー偶然っすね!」
「あれからどうしてるかと思ったけど、まさかこの街にいるなんてな。俺も驚きだよ」
セーフさん達と食事に出ようと思って大通りを歩いていた俺達は、なんとばったり姉貴達に出会ったのだった。そして姉貴、ラグナさん、アマルトさんの三人と共に俺とセーフさん達は近くのレストランに入り、みんなで飯を食いながら話をすることになった。
どうやらラグナさん達もこの街にマレフィカルムの本部がある事は把握していたらしく、ついさっきここに来たようなのだ。
「まさか…貴方達と食卓を共にする日が来るとは思いませんでしたよ」
「わわわわ私!貴方の事覚えてますからね!私の事ぶっ飛ばした人ですよね!く、く、狂う〜〜!!」
「だっははは!いやぁいいじゃねぇか。あん時はお互い戦う理由があったけどよ?今ねぇんだろ?にしてもお前らがステュクスと一緒にいるなんてな!」
セーフさんとアナフェマさんはやはり姉貴達を知っていた。セーフさん達は気にしてるみたいだが…向こうは全然気にしてる様子がない。アマルトさんなんかステーキ食いながらめちゃくちゃ笑ってるし。
と思っていると、俺の真横から切り分けられたステーキが刺さったフォークがヌッと現れ。
「はい、ステュクス。あーん」
「あ、姉貴…そういうのいいから」
姉貴だ、俺の隣に座った姉貴は俺にご飯を食べさせてあげると言いながらステーキを切り分け、俺に食わせようとして来るんだ。
姉貴と俺は和解した、サイディリアルでの戦いを経て姉貴は俺を弟として認め、敵対関係を解消してくれたんだ。そこまではいい、だがそこから始まったのはめちゃくちゃ恥ずかしい『弟扱い』だった。
世の中の姉ってのはみんなこんなもんなのか?俺も弟やって長いけど初めて知ったよ。
「フフフ、まさかステュクスと再会出来るなんて。元気でやってましたか?」
「一応」
「怪我もしてなさそうだし、流石はステュクスです。んへへ」
ニコニコしてるよこの人…けどちょっと恥ずかしいなぁ。めちゃくちゃセーフさん達が見てるし…。
「まさかあのエリスが…」
「こんなにデレデレになるとは…はわわ」
まるで怪物でも見るような目で姉貴を見ているセーフさん達に、なんか申し訳なくなっていると…。
「で、セーフとアナフェマがいるって事はカルウェナンもいるのか?」
「え?ああ、はい。カルウェナンさんもいますよ、あの人俺が姉貴の弟だって分かると…俺の協力をしてくれてて」
「あいつとエリス達はちょっと前に戦った間柄なので、多分ステュクスがエリスの弟だってすぐ分かったと思います。カルウェナンは一本筋の通った男なので信用してもいいと思いますよ」
おお、姉貴からの評価が高い。流石カルウェナンさんだ…。姉貴は基本敵には辛辣なのに、敵なのにここまで言わせるんだ、めちゃくちゃ凄いことだよとかつて姉貴から敵認定されてた俺が言わせてもらう。
「しかしそうか、カルウェナン達もステュクスもセフィラを討つ為に旅をしてたんだったな。って事はこうやって手を組むのもあり得るか」
「会ったのは偶然ですけどね」
「運命だろ、そういうのは」
そう言いながらラグナさんはステーキを頬張り、こちらに視線を向けて…。
「なぁ、だったらさ。俺達と手を組まないか?」
そう誘って来る。手を組む…ってことはまさか…。
「もしかして、マレフィカルムと戦う気ですか?」
「ああ、正直お前らがいてくれた方がありがたいってのはある」
「そりゃ俺達もマレフィカルムと戦ってますけど……」
二つ返事で返したいが…今俺達はただセフィラを倒すためだけにここにいるわけじゃない。タヴさんやバシレウスの目的であるコルロ討伐、こっちにも手を貸さないといけない。マヤさんもコルロを倒す為に手を貸してくれているわけだしね…。
だからこっちに義理を果たしてからじゃないと、助けに入れない。
「すみません、実は他に協力者がいて…コルロって奴を倒さないといけないんですよ」
「コルロ?誰だそれ」
「え?知らないんですか?ヴァニタス・ヴァニタートゥムのなんか悪い奴らしいです」
「お前もそんなに知らないじゃん……けどヴァニタートゥムか、そんな組織もあったな。すっかり忘れてた…けど現状俺達が戦いに行く意味もないしな、下手にヴァニタートゥムに手を出して二面で相手するのは避けたいな」
ラグナさんの口振り的に出来ればこちらの手助けはしたいって感じだが、状況が状況だから手出しは出来ないって感じだな。正直ラグナさん達が助けてくれたらありがたいんだけど……。
「ラグナ、ステュクスを助けませんか?」
「え?」
そんな中、姉貴がラグナさんにそう言ってくれるんだ。
「い、いやエリス。いくら弟が可愛いからって…状況を考えてくれよ。俺達には時間がないんだ」
「でも実力も足りてないんですよね。なら実戦の場に出るのはいいと思います。実戦を経験した方が強くなれますし」
「そうは言っても、八大同盟は危険な相手だし…」
「もう五つ潰してんですし今更じゃないですか?五つも六つも変わらないですよ」
「そういう問題じゃ……」
「それによく考えてください、ラグナ」
「な、なんだよ」
「ステュクスは貴方の弟でもあるんですよ!」
「え?」
俺は咄嗟に姉貴の顔を見る。すると姉貴は俺をギュッと抱きしめていうんだ…ラグナさんにとって俺は弟って。いや…違うが、俺の親族は今んところ姉貴だけだが。
何がどうなりゃ俺がラグナさんの弟になるんだ、そもそもそんな事言われてもラグナさんも困惑するし──。
「た、確かに!」
「ちょっ!?ラグナさん!?ならないでしょ!?」
「いや!なるんだ!すまんステュクス!言ってなかったが実は…その」
「え?何?」
するとラグナさんは静かに立ち上がり…静かに頭を下げ。
「俺とエリス、結婚するんだ」
「でぅぇっ!?」
そう言うんだよ…結婚するって、姉貴とラグナさんが。いやまぁあり得そうな二人組だけどさ!だけどさ!?え!?
「姉貴王族になるの!?」
「そう言うことになります」
「エリス・アルクカース!?」
「て、照れますね」
「俺アルクカースと繋がり出来るの!?」
「そう言うことになる」
「た、玉の輿〜〜」
マジかよ、俺…大国の王様が兄貴になっちゃった。マジであるんだそんな事…そっか、姉貴が結婚か。思ってみればそんな歳だもんな。
「そっか、姉貴…おめでとう!」
「ありがとうございます、ステュクスもこれでステュクス・アルクカースですね」
「俺まで取り込もうとしないでくれるか?ディスパテルのままだよ」
「と言うわけで!ラグナ!貴方の可愛い弟が困ってますよ!」
「う……義理とは言えど兄弟の危機に背を向けたとあってはアルクカース王族の名が廃る。何より嫁の頼みだし…」
「いや、気にしなくてもいいっすよラグナさん…あー…えっと、兄貴?」
「むふふ……」
なんか兄貴って言ったらラグナさんめちゃくちゃ嬉しそうに笑い出した。なんでだ?と首を傾げると姉貴がコソコソと耳打ちをして。
『ラグナは四兄弟の末っ子で兄弟大好きなので。多分お兄ちゃん扱いされるのが嬉しいんだと思います』とか言うのだ。そっか、あんまりそんな感じしないけど確かリオスとクレーの父ちゃんがラグナさんのお兄さんなんだよな。
なんか、ここら辺と関わりが出来ちまったな。
「ねぇねぇラグナ、可愛い弟が頼んでますよ。あと可愛いエリスも」
「う、うーん…俺個人の感情的に言えば助けてやりたいけどさ…」
「ラグナ〜」
「可愛い声出すよな…」
「えへへ」
……なんか、姉貴も自分の幸せを見つけてるんだな。きっと二人はこのままいい夫婦になって、子供作って、家族が増えて…温かい家庭を作るんだ。
ただ独りだった姉貴が、今や旦那を見つけて…幸せそうに笑ってる。なんかこう言うのを見てると、泣けて来るな…。
(なぁ、母ちゃん。見てるか?あんたが心配してた娘はさ…幸せになってるよ)
母ちゃんは姉貴のことを最期まで心配してた。置いてきたことを悔やんでた、そんな姉貴が今幸せそうにしてること、結婚して所帯を持ってること。母ちゃんはあの世から見てるのかな。
見てるのだとしたら、きっと安堵していることだろう…。
(母ちゃん……俺、何か出来たのかな)
俺は言ったんだ…病気で痩せ細っていく母ちゃんが、姉貴のことを心配するから。俺がいつかお姉ちゃんを助けて、救い出して…幸せにして、守り抜くって。だから俺は師匠に弟子入りしたんだ。
けど、実際俺が何が出来たか分からない。俺がいなくても姉貴は一人で地獄から抜け出して幸せそうになったし…。母ちゃんとの約束は守れなかったな。
「よし!ちょっと一旦この話は持ち帰らせてくれ」
「いいのかよラグナ、あんま時間ないんじゃないか?」
「時間がない、だから考える。ネレイドさんの件もあるしさ……取り敢えずみんなで相談してからにしたい」
そう言ってくれるラグナさんに、なんだか申し訳なさを感じる。がそれを口にする前に姉貴に抱き寄せられ、その温かな熱が肌を通して伝わって来る。
「よかったですね、ステュクス。エリス達に任せてください、一緒に戦いましょうね」
「う…うん」
なんか、めちゃくちゃ見られてる。セーフさんやアナフェマさんだけじゃなくて周りの人間からも…。うう…恥ずかしい、めちゃくちゃ恥ずかしいよ姉貴。
「なんか意外ですねぇ」
「こう見ると本当に姉弟なんですね」
「あんまり見ないでください…」
「いいじゃないですか、実際姉弟でしょ?エリス達」
「ま、まぁ…でも恥ずかしいんだよ」
そう言いながら俺は姉貴を手でグイッと押してため息を吐く。殺しにかかるような真似はしなくなったとは言え…やっぱりあれだな、姉貴はあんまり人目を気にしないタイプみたいだ。
「さて、意外な再会を果たしたところで…飯も食い終わったし、どうするよラグナ」
「ん?どうするもこうするも。ステュクス達はこれからどうするんだ?」
「え?俺は今日一日街を歩き回って遊ぶつもりです」
「そうか、何か目的があるわけじゃないのか。それなら俺達は仲間と合流する為に──」
「いえ、エリスも一緒に行きます、ステュクス」
「え!?いやラグナさん今仲間と合流とか言ってなかった!?」
「いいですよね?ラグナ」
「う、うん」
ダメだ、完全に尻に敷かれてる。つーか姉貴俺についてこようとしてる?それは流石に行き過ぎじゃないか?一応誘ってくれたセーフさん達もいるんだし!
「い、いやいや…セーフさん達と遊ぶんだぜ?俺の一存じゃ決められねぇよ姉貴」
「いいですよね、お前達」
「イイデス」
「ひぃん、怖い、狂う」
「だそうです、一緒に行きましょうステュクス〜」
ダメだ、この場で姉貴に逆らえる奴がいねぇ…!セーフさんもアナフェマさんも俺から目を逸らし『ごめんね、助けられない』と片手で軽く謝罪する。
そうしている間に姉貴は立ち上がり、お財布を取り出し……。
「じゃあエリスが支払いしてきますね、ちょっと待っててください」
「え?支払うって全員分か!?流石にそれは悪いと言うか……」
「いいんですよ、お姉ちゃんなんですから」
そう言いながら姉貴はカウンターへと向かっていってしまう。なんか…申し訳ないな、と呆然としていると、ラグナさんがこっちに視線だけを向けて。
「悪いな、ステュクス。エリスが無理矢理」
「え?いや……」
「ただエリスもお前と会えて嬉しいんだ。アイツは生まれてこの方…家族って言えるような存在と関わって来なかったからな、ある意味お前がエリスを見捨てないでいてくれたから…あの子は今ああやって笑えているんだ」
「……そう言ってもらえると嬉しいです」
俺が諦めなかったから…か。そうならいいけどな。するとアマルトさんがセーフさん達に絡み出し。
「なぁ、俺達もついてってもいいのか?」
「え?ああ、別にいいですよ」
「昔は争った中ですけど…別に貴方達そのものに恨みがあるわけではないですしぃ」
「マジ?サンキューな、んじゃどっかのお姉ちゃんが支払いしてくれてるからさ、店でようや」
「だな」
そして、俺達は席を立ち店の出口へと向かう。元々はセーフさん達とだけだったけど、そこに姉貴やラグナさん達を加えた六人組になった。もし今いる一行に姉貴達が加わったら…凄い大所帯になるな。
(あれ?そう言えば今俺と一緒にいるメンツの中にゃ現役のマレフィカルムにもいるけど…その辺は姉貴達的にどうなるんだろう)
主にバシレウス。アイツが姉貴達と仲良くやれるビジョンが見えねー…先に言っておこうかな。いや言っておいた方がいいな。
「あの、実は」
「ん?」
レストランの扉を開けながら俺はラグナさんに向けバシレウスのことを言おうとした…その時だった。
「ステュクス〜〜!」
「げぶっ!?姉貴ー!」
支払いを終え、後ろから突っ込んできた姉貴に吹き飛ばされ店の外まで追いやられ。そのまま姉貴は俺の手をがっしり掴んで走り出す。
「ステュクス〜!どこ行きます?なんか買って欲しいものあります?お姉ちゃんになんでも言ってください!」
「あ、姉貴ぃ!」
姉貴は俺の手を掴んだまま前を走る、人混みをすり抜けて、こちらを見て、輝くような笑みを見せて…。
「ステュクス!あれ見てください!なんか面白そうなの売ってますよ!」
(楽しそうだ)
「向こうで吟遊詩人が歌ってます!楽しい街ですね!」
二人で走る、手を繋いで走る、それは確かに目に見える形での『幸せ』。楽しいのは姉貴だけじゃない、幼い日の俺はいつか姉貴とこんな日々を過ごすことを夢見ていたんだ。
母ちゃんも父ちゃんも死んで…一人になった俺に残された、ただ一人の姉。
そんな姉貴と今こうしていられるだけで、幸せなんだ。
「はいステュクス、これあげます」
「え?なにこれ」
なんて考えている間に姉貴は俺になんかを手渡してくる。ジャジャラと音を立ててチェーンが伸びる、これは…首飾り?
「そこの露天で買いました」
「早っ!?いつの間に!?ってこれよく見たら……」
よくよくペンダントを見てみると。真ん中には金属板がついており、削って書き込まれたその文字は『愛しの弟ステュクス』と書かれている。いやいつ書き込まれたんだこれは!?
「こんなもんつけられねぇよ!?」
「えへへ、つけてください」
「つけられないって言ったよね!?」
「あっち行きましょう!」
「話聞いて?」
なんて言いながら姉貴はドンドン俺の手を引いて人混みを走る。和解はしたけどあんまり話を聞いてくれないところは変わらないのな。
「っと……街の中心まで来ちゃいましたね」
「ん?ああ……」
そうして走っている間に…俺達は街の中心にあるレトゥス大聖堂の前までやってきてしまう。この大聖堂の中にはこの街で死んだ人達の遺骨の全てが収められているらしい。
この街は祖霊崇拝の街だ、故にこの街の人達にとって…死は祈りの始まりであり、生は崇拝の時間なのだ。
「祖霊崇拝か……」
「どうしました?ステュクス」
「いや…この街の人達には悪いけど、俺ぁ…あんまりお墓を崇める気にはなれないなってさ」
墓ってのは、見てると悲しくなる。だって大切な誰かが死んだからこそ、墓は存在するわけで。それを見てると否が応でもその人の死を意識してしまう…。
「それって、エリスのせいですか?」
「え?なんで?」
ふと、姉貴を見るとなんか姉貴が不安そうな……ああ!
「違う、違うよ姉貴。あれだよな?俺と喧嘩したのが…母ちゃんの墓の前だったから」
「そうです、あの時のこと…気にしてるのかなって」
「気にしてない!って言ったらあれだけど…別に俺が墓が嫌いなのは、例の件じゃないよ」
そう言えば俺と姉貴が決別したのは、母ちゃんの墓が原因だったな。ああそこで姉貴が母ちゃんの墓を壊そうとして、俺が止めて、初めて喧嘩して、初めて殺されかかったんだ。
あの時は姉貴を理解できなかったけど、今ならわかるよ。そりゃ怒る、怒るし嫌だって思うのは当然だ。
母ちゃんは姉貴を心配してたけど、そんな事実際に苦しんでいた姉貴からしたら関係ない事だし。ましてや…恨み言の一つも言えずに相手がこの世から消えてたんだ、墓の一つくらいぶっ壊したくもなる。
そこは理解している、だからもうあの時のことをとやかく言うつもりはない。
「俺は、ただ…嫌なんだ。誰かの死を直視するのが」
「誰かの死ですか……」
「うん、だって…悲しいじゃん」
俺はここに来るまで…多くを失った。ティアを…トリンキュローさんを…師匠を、母ちゃんも父ちゃんも…俺の周りにいた人達はどんどん死んでいった。俺が進めば進むほどに…進んだ先で大切な誰かの死を目の当たりにすることになった。
そんな死から、逃げるように俺は戦いの道に進んだ。だから…墓を見て改めてその死を意識するのが嫌なんだ。
「なるほど、確かに悲しいですね……」
しかし、姉貴は…その目でしっかりと大聖堂を見遣り。
「でも、死は…目を逸らしちゃいけないものです。誰かが死ぬのは悲しいですが…決して目を逸らしちゃいけません」
「……けど」
「エリスも、友達の死を看取ったことがあります。エリスの力が足りず、死なせてしまったことがある。恩ある人をむざむざ死なせたこともある、友達の大事な人を助けられず、見殺しにだってしましたし。きっと…進み続ける限り、いつかはそう言う日がまた来るでしょう」
姉貴は懇々と語る。姉貴の旅路は過酷そのものだったと聞く…その過酷に姉貴は死ぬ気で抗って、幾つもの命を守ってきた。そんな姉貴でも…守れなかったものがあるのか。
それでも……。
「でも、目は背けちゃいけません。それは…生き残り、こうしてここに存在している者の義務なんですから」
「……そうだけど」
「大丈夫、例え死したとしても…貴方が前を見る限り、見送ったみんなの魂はきっと貴方の背中を押してくれる。前に進む力をくれる。前に進む理由をくれる…だから進める。ここにある幸せを守るための力をくれる」
拳を握り、俺を見る姉貴の言葉を受け…俺は、俺は……。
(背中を押してくれる…か。師匠…みんな…俺はちゃんと前を見れてるのかな)
俺は、いなくなったみんなを想う。みんなの死を俺はきちんと受け止められているだろうか、分からない…分からないけど、俺は今まるで何かに導かれるように前に進んでいる。
今ある幸せを守るためか、俺の幸せって…つまり、姉貴がいて、レギナがいて、カリナやウォルターがいて、みんなが笑って生きられる未来が、俺の幸せな気がするよ。
「さて、ラグナ達と離れてしまいましたし、一旦戻りましょうか」
「そうだな」
遠くからラグナさんやセーフさん達が俺達を呼ぶ声がする。あんまりにも急いて走りすぎたかな。一旦戻ろう。
それからラグナさん達と相談して、手伝ってもらえるかを考えて…それで数日後にコルロのいるコヘレトの塔を目指す。そこでオフィーリアの居場所を探って……それで。
「───────」
その瞬間だった、姉貴がラグナさん達のいる方角へ歩き出したそれを追いかけて、後ろを向いたその時だったんだ…俺がそれを見たのは。
「え?」
視界の端に映ったのは、人混みの隙間を潜り抜ける金糸の如き、『美麗』なる長髪…俺はその髪に見覚えがあった。ここ最近…ずっと脳内で反芻していた、その髪色は。
「え……ッ!?」
聖堂に向かって歩いて行く女が一人いる。その背中は…間違いはない。
(オフィーリア・ファムファタール!?)
すぐに人混みに消えたその女を俺は目で追って再び振り向く。一瞬で消えたが…確かにいた。
師匠を殺した…ゴミクズ女、セフィラの一角『美麗』のティファレト…またの名をオフィーリア・ファムファタール。そいつが、レトゥス大聖堂の方に…。
「ッッ……!」
「え!?ちょっ!ステュクス!」
姉貴の制止の声など耳に入らず、俺は人を掻き分けて大聖堂に向かった。だってそこにいたんだ、オフィーリアが!
なんでアイツがここにいる!どうしてここで会っちまう!分からねぇ…分からねぇけど!
(絶対殺すッッ……!)
俺の師匠を殺しておいて、呑気に散歩かあの女はッ!死んでも許さねぇ!絶対に師匠の仇を討ってやるッッ!!
「オフィーリアッッ!!!!」
俺はそう叫びながら大聖堂の正面門に飛びつくが…。
「鍵が閉まってる!?クソッ!」
動かない、後ろから閂でもされてるみたいだ。けど間違いなくアイツはこっちに向かってた!なら中にいるだろ絶対!
どこかに入れる場所は…!
「ステンドグラス!あそこだ!」
上を見ると聖堂の壁にステンドグラスが取り付けられているのを見て、俺は即座に壁を駆け抜け登り切ると共にステンドグラスを蹴り割って中へと飛び込む…。
「ッ…オフィーリア!どこだ!」
ガラス片を掻き分けながら俺は聖堂の中に入る。中には人はおらず、それでいて凄まじい広さだ…ドーム状に広がる黒い床と白い壁。無数の柱と清廉なる装飾はまるで死者の安寧を祈るようだった。
そんな静謐な空間に俺の声が響く。返答する声は…ない、いや……。
「君ィ…だぁれ?」
「ッッ……!」
そいつは、聖堂中央に聳える巨大な彫像の上に座っていた。無数の腕と無数の顔、それがまるでもがくように折り重なる不気味な像。この街の信仰において最も強大とされる大祖霊・ゾーエーの像。
その真上に座るのは、先ほど見た金の髪に灰色の服、ブカブカの袖に手を隠し、股を開いて座る女は、翡翠の瞳でこちらを見て……。
「君、私の名前呼んでたよねぇ…私ちゃんと知り合いだっけ?」
「オフィーリア……!!」
間違いない、オフィーリアだ…オフィーリア・ファムファタールだ!この野郎、よくも…よくも。
「よくも師匠を殺しやがったなぁッ!!死んでも許さねぇッッ!!」
「ししょ〜う?だぁれそれぇ〜ってか君誰ぇ?まぁいいやぁん。私ちゃん今ちょーっと忙しいから…かるーく殺してあげるよぉ」
服の下から取り出すのは処刑剣。重厚で鋭い丸みを帯びた剣が俺に突きつけられる。
けど…負けねぇ、こいつだけは…死んでも殺すッッ!!!
……………………………………………
ステュクスとオフィーリアの邂逅、それはまるで何かに火をつけるように、まるで幕を開くように、このタロスという街に混沌の燎炎を広げて行くのだった。
それは、タロスの街の各地で巻き起こる。
「ッッ……嘘でしょ」
街の一角で、タロスを散策していたデティ、メルクリウス、メグ、ナリアの四人は足を止め…顔を青くする。
敵との邂逅は予期していた、それもあり得ることだと考えていた、だが…全く予期していなかった存在が前に現れ、全員の身が凍る。
それは……。
「ああ?テメェら…あー、サイディリアルで見かけた。クリサンセマムとその付属品共か」
「バシレウス……!」
白銀の髪、真っ赤な瞳、そしてファーのついたジャンパーに汚いジーパン。ギラリと牙を光らせ路地裏から現れたバシレウスはデティ達を見るなり敵意を示し始め。
「ハッ…なんだ?テメェらまさか、マレフィカルムにでも喧嘩売りに来たか?身の程ってのを知らねぇみたいだな」
「…………」
「まぁ俺もやることがあるからよ、…準備運動がてらに取り敢えず全員殺しとくか」
「ッ…こいつが、バシレウス…」
そんな中、ナリアはゴクリと固唾を飲む。こうして会うのは初めてだ、バシレウスもナリアのことは知らない、だがナリアは…感じていた。
(この人、僕をロムルスから助けてくれた人だ…!)
ロムルスからのリンチを受けていた時、偶然通りかかり助けてくれた人、当初はラグナさんだと思ってたけどこうして前にして理解した。
あの時助けてくれたのは間違いなくこの人。この人がいなければ僕は死んでいた…けど。
(お礼を言って、どうにかなる状況じゃなさそうだ…。この人、僕達を殺す気だ…)
サイディリアルでエリスさん達を殺しかけた存在、デティさんの治癒を以てしてもどうにもならないほどの傷を負わせた存在。それに対して感謝の感情なんて抱けない。
この人は敵だ…そして計り知れないほど強い人だ。エリスさん、デティさん、アマルトさん、ネレイドさん、メルクさん、メグさんの六人がかりでもどうにもならなかった怪物。
けど……。
(全員が覚醒した今なら、なんとかなるかも…!)
あの時は、僕はロクに戦力にならなかったけど…今なら。
(僕がみんなを守るんだ…!)
立ち塞がる、バシレウスを相手にナリアはペンを握り、メルクリウスやメグ、デティもまた臨戦態勢を取る。
「さぁ、精々足掻けや…虫ケラ共がァッ!!!」
タロスの街でもう一つの戦いが巻き起ころうとしていた…そして。
………………………………………………………
「ふむ。出来ればタロスには近寄りたくなかったが…究極なる肉体があるのであれば、致し方ないか」
街を見下ろす丘の上に立つのは、新調した純白のローブを羽織る一人の女。射干玉の如き黒い髪、紅玉の如き赤い瞳、魔女レグルスと同じ顔を持ったもう一人の女。
今、マレウスを震撼させマレフィカルムを二分させている存在…コルロ・ウタレフソンが院長からの連絡を受け、コヘレトの塔からタロスへとやってきたのだ。
「あまり近づくとガオケレナの招来を引き起こしかねない…が。これはどういうことだ…?」
街を丘の上から見下ろす。どういうことか、街の各地から信じられないくらい強大な魔力を感じる。これほどの強者が一つの街に集まっているなどそうそうあり得ることではない。
何が起こっているのか、分からないが…コルロは静かに、そしてクツクツと肩を揺らし笑う。
「クククク、カカカカ、そうか…どうやら時代を掻き回す螺旋の中心に、私は立てたと言うことか。今この時代は私を中心に巡っている」
恍惚とする。確実に己と言う存在が高められているのを感じる。これほどの強者達が集まるのなら、この力を試すにはもってこいだ…が。
問題が一つ、ある。……それは。
「それで、お前はどの陣営だ?何を目的にこの街にいる」
「そんな、怖い顔で見ないでくれよ。何もしてないだろ」
パキパキと、足元の芝生が凍る。霜が周囲に迸り、その身から白い冷気を漂わせ…現れたのは一人の男。
空の青よりなお青く、水の藍よりなお藍い、蒼の短髪を揺らす。額を超えて伸びる髪によりやや隠れたその隙間から覗く瞳は色素が薄く、銀のようにも見える吊り目がこちらを見ている。
羽織った白いパーカーで頭を隠し、ポケットで手を隠し、周囲の白から浮き立つ黒いズボンと黒い靴で、足元の霜を踏み締めたその男は…私を見て、目を細める。
「ただ、道に迷っただけなんだ…俺は」
「お前、リューズ・クロノスタシスだな」
「知ってるのか?」
「知らん方がおかしいだろう」
この青髪の男の名はリューズ。あのクレプシドラの従兄弟にして別名『史上最強の第一段階』と呼ばれる怪物だ。幼少よりクレプシドラに軟禁され、外の世界を知らずに生きている…と聞いていたが。
(何故こいつがここにいる…、クレプシドラは是が非でもこいつを出さないようにしている筈なのに)
クレプシドラはこいつを恐れているらしい、何故あの天下無敵とさえ称される女がこいつを恐れているのかは知らない、剰え絶対に外に出さないようにしているはずのこいつがここにいるのかも分からない。
ただ一つ言えることは。
「何もしていないと言うには無理がある。私の前に立つのなら覚醒を解くのが礼儀だ」
こいつの身から溢れる冷気は覚醒由来の物だろう。それを全身から滲み出しながら敵意がないだなどと……。
「覚醒…?これがか?」
「何?」
「悪い、ずっとこうなんだ。生まれた時からずっと…だから解き方が分からない。許してほしい」
(………違う、覚醒じゃない)
咄嗟に思い出す、そうだ。こいつは史上最強の『第一段階』…覚醒など使えるはずがない。ならなんだ?覚醒じゃないなら…魔力同化現象?いやそれも違う、冷気が勝手に魔力に変換されているとも言えない。
なんなら…そもそもこいつは第一段階ですらない。第一段階とは魔力をある程度コントロール出来る状態を指す、こいつは…魔力をコントロールしてすらいない、使ってもいない。
つまりこいつは言うなれば『第零段階』。それが覚醒も同化現象も起こせる筈がない。
それに…この冷気、魔力由来でもないぞ。
「貴様、なんだそれは」
「……俺は、何も…持ってないんだ、生まれながらにして、何も。魔力も持っていないし、魂を維持する力もない。空っぽなんだ、だから…周りの物を奪って、維持されている」
(何を言ってるんだこいつは……)
呆れ半分、興味半分。何も持っていない?魔力も何も?いや魔力は持ってるぞ、感じるからな。魂もある、生きているから。
だがこいつの言葉を聞いて私は再びリューズの魔力を深く察知してみると……なるほど。
(そう言うことか)
リューズは確かに魔力を持っていなかった。こいつの内側にあるのは『木々や周囲の小動物から強制的に略奪した魔力だけで構成されている』んだ。つまり本当に何も持っていない。
そんな人間が生きられるのかと言えばそうじゃない、ならこいつは何故生きているか…それはリューズと言う虚空の穴が、全てを吸い取っているから。
世界を水で満たされた水槽だとするなら、リューズはポッカリと開いた穴だ。何も持っていない空っぽの存在だ。だからこそ周囲の物を常に吸い続け、奪い続ける性質を持っているんだ。
その性質が隆起し、成長と共に変質している。今奴の足元で伸びる霜は…魔力だけでなく温度も奪っているからだ。
リューズ・クロノスタシスはその場にいるだけで、ありとあらゆる物を奪う性質を持つ…と言えこと。
(ハッ、聞いたこともないぞそんな話。だが……)
まるっきりあり得ない話でもない。世の中には魔力理論では説明のつかない存在も多くいる。
例えば、世界の理を無視出来る『英雄』を筆頭に、ルビカンテのような魂を分割する者、識確などと言う曖昧な存在を感じ取る者、他にも様々な特異点が歴史上幾度となく見られている。
星の事象に問答無用で干渉する点から英雄と類似する点がある。この新たな性質に私が名をつけるなら…『反英雄』。英雄と対極に位置する零の性質を持つ者か……。
(なるほど、クレプシドラが恐れるわけだ)
『反英雄』たるリューズは世界を好きに歩いていい存在ではない。今はまだこの程度で済んでいるが、成長した場合どうなるか分からない。例えば英雄が成長するとこの星に存在する事象では傷つかなくなるし、識確使いは進化すると知識を歴史上から消し去るなんてこともできる。
なら反英雄たるリューズはどうなる。成長しこの性質が強化されれば…何もかもを吸い込むブラックホールにでもなるのではないか?
周囲の魔力を吸い上げ、温度を吸い上げ、その先は恐らく他者の識確すら奪い、時間や空間すらも飲み込む存在になる。だからこそ第一段階で止める必要がある。こんな厄物、よくもまぁクレプシドラは生かしておくものだ。
「……リューズ・クレプシドラ。お前はなんのためにここにいる」
リューズは危険だが、殺すわけにもいかない。殺せばクレプシドラが激怒する、今の私でも流石にクレプシドラの怒りは買えない。奴とは可能な限り敵対しないよう立ち回ってきたのに前回の一件で確実に目をつけられてしまったからな、これ以上関わりたくない。
じゃあどうするか、この特異な性質を持つ男を。
決まっている、利用するまで。
「やりたい事がないのなら、私が用意しようか。お前もその力を試したいんじゃないのか?」
「……分からない、けど。姉様が恐れるこの力を試してみたい、誰かいるのか、俺が触っても壊れない男が」
いるさ、この街にはたくさん。英雄も識確使いも…魔王でさえも。