721.魔女の弟子と超人の中の超人
「エリス、大丈夫か?」
「大丈夫です。もう動けます」
エーニアックから退却したエリスは、クユーサーがどこかに消えた事実を不思議に思いながらも…今は目の前の事態に集中することにした。
エリス達の目的は聖霊の街タロスに到着すること。その間にエリスは個人的に識の探究と研究を行うためにエーニアックに向かっていた。まぁ結果はほとんどないに等しいが…ちょっと時間が短すぎた上に邪魔も入りすぎた。
そんなこんなしているうちに、ラセツの車はあっという間に東部のレーヴァテイン遺跡群から北部中心の聖霊の街タロスに到着することになり、エリスはエーニアックから呼び戻されたのだ。
即ち、エリス達は今タロスにいる。車の扉を開けて…若干戦いの疲労が残る足で芝生を踏み締め、目の前を見れば。
「ここが、タロスですか」
「ああ、らしいぜ」
隣でラグナが共に街を見る。そこには風光明媚な煉瓦造りの家々と風流かつ風情ある街並みが広がり、そこを行き交う大勢の人達の姿が目に入る。
ここが聖霊の街タロス。マレウスでも屈指の歴史を持ち…独自の祖霊崇拝という宗教観を持つ街。ここにいる人達は死者を崇拝する。
死して、天に昇った人々を崇拝し…テシュタル教におけるテシュタルのような扱いをする。その証拠というか、証左というか。この街にはその死者を弔う巨大な建造物がある。
それが街の中心に聳える頭ひとつ高い丸い屋根。レトゥス大聖堂…あそこに遺骨を埋葬し、人々は晩鐘に祈るのだ。
なんとも…ロマンチックというかなんというか。風情のある街だと思う。けどエリス達はここに遊びにきたわけじゃない。
「ここに、あるんだな…マレフィカルムの本部が」
メルクさんが口にする。そう…ここにあるのだ、エリス達が探し求めたマレフィカルムの本部が。エリス達はここに決戦のつもりで来ている。全てにケリをつけるため…ここに来た。
「いや正確にいうと本部への入り口があるってだけやな」
ふと、エリス達の覚悟に水を差すようにヌッと顔を差し込んでくるのはパラベラム最強の男にして現在マーキュリーズ・ギルドマレウス支部の支部長になったエリス達の頼もしい仲間、ラセツさんだ。
彼はエリス達をここに送ってくれた上で共に戦ってくれるという。正直、セフィラの戦力を考えるに彼の加勢はありがたいことこの上ない。
「まぁ、わかってるけど…」
「あそこに見えるまぁるい屋根の大聖堂の中心にあるゾーエーの像。そこの下に本部への入り口がある、とは言え…や」
ドカンと音を立ててラセツはエリス達がさっきまで乗ってた車に寄りかかり。大きく息を吐き…。
「ここまで連れてきておいてなんやが、マジで行くんかいな。マレフィカルム本部」
「行くに決まってんだろ、目的地なんだから」
「せやけどなぁ」
ラグナの言葉に彼は少し、自信なさげに眉を歪め。
「ぶっちゃけ、勝てる気がせんで」
「…………」
その言葉にみんな押し黙る。そりゃそうだ…なんたって本部を攻めれば、出てくる。セフィラ達が。
「はっきり言うで?エリスをさっきぶちのめした『峻厳』のゲブラー。こいつはメタクソに強い、洒落にならん強さや…が。それでもセフィラ全体から見ればごくごく一般的な部類に入る」
「あれで強い部類に入らないんですか?」
「せやで?セフィラは大体一律の強さや…つまり十一人のセフィラ全員が少なくともゲブラーに匹敵すると思えや」
……マジかよ、あんな強い奴が他にもワラワラと?バシレウスにダアト、そしてヤゴロウさんにクユーサー…他にもエリス達じゃ手がつけられないレベルの怪物達がそんなにたくさん。
「中でも頭一つ飛び抜けてんのが…『栄光』のホド、『王冠』のケテル、『王国』のマルクト、そして『知識』のダアト…こいつらは帝国の将軍クラスや。お前らも将軍の強さはよーわかっとると思うが、まぁ言わんでも分かるよな?こいつら倒すんは無理やって」
「……お前でも無理か?ラセツ」
「ちょいきつい、いやごめん盛ったわ。だいぶきつい」
ラセツは無理無理と首を横に振る。あれだけの強さを持つ彼でさえ、完全に無理と匙を投げる程か…。いやまぁそうだろう、実際エリスの知るセフィラ達はみんな凄まじく強かった。
「その上で本部に通じる道を塞いどるのはゴルゴネイオンや、そこのボスやっとるイノケンティウスは並みのセフィラより強い。悪いけどイノケンティウス出てきたらオレはちょっと逃げるかもしれへん」
「イノケンティウス…セフィラ、そしてガオケレナか」
ラグナはチラリとこちらを見る。敵方の戦力は凄まじい、当初思い描いていたよりもずっと戦力差がある。今この瞬間突撃して…果たしてそれを倒せるか、彼は考えるまでもなく答えを出す。
「ラセツの言う通り、現状の戦力で挑むのは厳しいかもな」
「そうかもしれないが…。だがラグナ、我々には制限時間もあるんだぞ?」
ラグナの弱気な言葉にメルクさんは首を横に振り、制限時間のことを告げるつまり魔蝕だ、これが来るとガオケレナがシリウスになる。シリウスになったらそれで終わりだ、アイツがこの世界に復活する事態だけは避けたい。
魔蝕が起こるのは年の末辺りだ…、そこがエリス達にとってのリミットだ。
「分かってる、だが同時に失敗するわけにもいかない。幸い場所は割れてるし目と鼻の先だ…どうだろう、ここらでちょっと腰据えて修行するのは」
「修行か、自主練でセフィラに匹敵するのは難しくないですか?」
「エリスまで弱気になって…まぁ確かに自主練じゃきついかもしれない。だが今は…二人極・魔力覚醒者がいるだろ?こいつらにコツとか聞けば、経験値になるはずだ」
そう言ってラグナが指差したのはラセツさんとアマルトさんだ。ラセツさんは『オレ?』とばかりにキョトンと自分の顔を指差し、アマルトさんはピースしてる。
そうだ、この二人からもっと明確な話が聞ければ…極・魔力覚醒に至れるかもしれない。
「俺の理想を言うなら全員が極・魔力覚醒してから突入したい。タイムリミットはあるが幸い期間は十ヶ月近くある、ならその期間に…最後の特訓をしよう」
「十ヶ月か、それだけあれば或いはいけるかもしれんな」
みんなラグナのプランを聞いて頷く。十ヶ月…今までにないくらい入念な準備期間になるな、けど…。
(エリスには、十ヶ月も余裕がない)
エリスは内心、ナヴァグラハの言葉を思い出す。エリスはこの一ヶ月以内に極・魔力覚醒に至れなければ確実に死ぬらしい。奴はエリスが死ぬのは一ヶ月後とは言わなかった、以内だ。つまり言い換えれば一ヶ月も猶予がないことになる。
悠長にしてたら、エリスは死ぬ。そうすると何故か八千年前の大いなる厄災の結果が変わり、そして最悪世界が最初からなかったことになるらしい。
こんな事、みんなには言えない。だからエリスの胸の中に収める話になるが…だとしても気にせずにはいられない。
(そもそも、一ヶ月以内に…エリスはあの領域に行けるのかな)
正直、行ける気がしない。クユーサーのバカみたいな強さ、バシレウスの嘘みたいな強さ、そしてダアトと言う高みに…エリスは行ける気がしないんだ。どれだけ修行しても新技を編み出しても、まるでアイツらには歯が立たない。
心が折れそうだ……。
「エリス?どうした?顔色悪いけど」
「え?あ!いや…なんでもありません」
「そ、そっか」
ラグナはエリスの顔を見てやや心配するが、申し訳ないがちょっのこの一件をみんなに言う気になれない。心配をかけさせたくないとか、こんな時にエリスのことを気にして欲しくないとか、そういう高尚な理由はない。ただ、なんか嫌だ…。
「…………」
「どうしたよラセツ、お前までぼーっとして」
「んー?」
ふと、向こうでラセツさんとアマルトさんが話をしている。ラセツさんも何かを気にするように街の方を見て……。
「ま、何するにしてもや。一旦街の様子見てくる方がええんと違うかなって」
「え?大丈夫かよ。一応敵地だろ」
「言うてもマレフィカルムは秘密結社やし、表通り歩いてたらいきなり出てきて襲ってくることはあらへん。この街の人間は足元にテロリスト集団のお家があるなんて事、想像すらしとらんくらいや、つーわけで」
すると、ラセツさんは片手をポケットに突っ込んだまま車から体を離し、ポツポツと歩き始めると…。
「オレ、観光行ってくるわ」
「は?」
「ここ最近みんなとおったし、そろそろプライベートな時間が欲しいっちゅうやつな。なはは!夕ごろになったら帰ってくるで〜」
「お、おいおい」
ラセツさんはそれだけ伝えるとフラフラと街の方へと歩いていってしまう。いきなり単独行動か…。大丈夫か?
「アイツ、もしかしてマレフィカルムにエリス達のことチクりにいったとかじゃないですよね」
「いや、大丈夫だ。ラセツは裏切らない、そこに関してははっきり言い切れるよ」
エリスが単独行動するラセツを訝しむとラグナは大丈夫だと首を振る。この二日間、ラグナ達はラセツと一緒に居たわけだし、信頼関係を育む機関としては十分か。エリスが気にし過ぎかな。
「それにラセツの言うことにも一理ある。一旦街を見てまわっておくのはいいかもな」
「だが大丈夫か?先程お前も言ったがここは一応敵地だぞ?監視の目ないとは思えん」
「ああ、だから一纏まりには行動しない。四人一組に別れよう、何かあればここに戻ってくる…大きな街だが、戦闘があれば直ぐに分かるだろうしさ」
「それもそうか、分かった」
一旦、街を見て回ると言う事で話がまとまる。マレフィカルムだってこの街を表立って占領してるわけじゃないし、そう言う面だと安心出来る材料はある。
そこでラグナはエリス達は二組に分ける。
まず一組目は。
「一旦、お菓子を見に行きたいでーす」
「またそれか、まぁいいだろう」
「これだけ大きな街ですし、何か面白いものもありそうでございます」
「なんか珍しいメンツですね、僕ちょっとワクワクしてます」
一組目、デティ、メルクさん、メグさん、ナリアさんだ。デティは早速お菓子を見に行きたがり、それに追従するように三人もついていく…。
そして二組目が…。
「これどう言う選考基準なんですか?」
「いや、別に特に意味はないよ?ただまぁ…適当?」
「おいおい、まぁこのメンツも楽しそうだけどさ」
「…………」
二組目、エリス、ラグナ、アマルトさん、そしてネレイドさんだ。選考は本当に適当、なんとなくみんなが立っていた地点を中心に割って二つに組み分けた感じだ。ややこっちの戦力が過多な気がするが、逆を言えば向こうにはデティとメグさんと言う超便利人材が集中してる。バランスはある意味とれてるのかな?
そんな中……。
「……………」
「ん?なぁネレイド、なんか今日無口じゃないか?」
ふと、ラグナが押し黙るように口を開かないネレイドさんを気にする。確かに今日エリスはネレイドさんの声を聞いてない…と言うか。
「顔色悪くないですか?」
「…う、うん……ちょっと」
「えぇ?ネレイドが体調不良?そんな事ありえんのかよ…つーか体調悪いなら言えよ」
なんだか顔色が良くない、若干顔が青いと言うか…よく見れば頭をフラフラと揺らしている。明らかに体調が悪そうだとエリスはネレイドさんを触ると……。
「ぅおアッツ!?」
「エリス!?大丈夫か!?」
「い、いや…大丈夫かってネレイドさんの方がですよ!まるで熱した鉄みたいに熱いですよ!?」
「うぅ……」
熱いんだ、洒落にならないくらい。こんなの人間の体温じゃない、それこそ赤熱した鉄みたいな熱さだ…風邪?いや風邪にしたってもだろ。
「なんだか、レーヴァテイン遺跡群での戦いが終わってから…調子が悪くて」
「調子が?」
「うん…シリウスに言われて、超人としてのリミッターを外したら…息苦しいし、頭がガンガンするし、お腹も凄く空く…今日はそれが特段酷くて」
「風邪…?」
「いや、風邪なら食欲はなくなるだろうし…」
「病院行った方がいーんじゃねぇーの?」
エリスとラグナとアマルトさんはお互い顔を見合わせ……。
「取り敢えず、病院探すところからか」
「私は…大丈夫だよ、みんなで…遊んできて」
「バカ言え、ンなことするわけねぇだろ。よし、エリス!アマルト!まずは病院探しからだ、最悪メグを呼び戻して帝国の医療機関を頼る。それでいくぞ」
「はい!」
「おうよ!」
ネレイドさんの調子が明らかに良くない。ならまずは病院!そこでお医者さんに見てもらう!ネレイドさんは申し訳なさそうだけど…いつも彼女はエリス達を守ってくれるんだ、偶にはその役目くらい代わらせてくれ。
そう考えエリス達はタロスの街で病院を探すことにする。
………………………………………………………
「遊んできてもいいんですかね、こんな時に」
「こんな時だからこそだ。常識は恐れを生む、恐れは身を竦ませ成果を出す事を阻む。解決策は常識に革命を起こし、抗うことだぞステュクス」
「は、はあ…」
タヴさんの話を相変わらずややこしいな…と思いつつ、俺は静かに頭を下げる。昨日セーフさんと話していた街に遊びにいくと言う話、それを実行に移すためにタヴさんに相談をしたら全然OKと了承してくれた。
「丁度、小生とタヴも街を出歩こうと思っていたんだ」
「え?タヴさんとカルウェナンさんも?」
「ああ、一応かつては入り浸った街。感傷に浸るのも良いだろうと思って俺からカルさんを誘ったんだ」
「本当は小生一人で出掛けるつもりだったが、可愛い後輩に言われてはな」
カルウェナンさんとタヴさんも街を出歩くようだ。しかし…あれだな、この大所帯が実現したのはカルウェナンさんとタヴさんが手を組んだことに起因する。
即ち、この二人は結構仲がいい。
「お二人って仲がいいんですね」
「仲が良いとは少し違うな。カルさんはマレフィカルムの古株でな、今現在五本指と呼ばれる強者達はその殆どが一時はカルさんを超えることを目標していた時期がある、即ち俺たちにとって良き先輩なんだ」
「そうでもないがな。今も小生を慕ってくれているのはお前とラセツくらいだ」
タヴさんは大体の人間に対して革命だのなんだのと語るが、カルウェナンさんに対しては『カルさん』と呼んで好意を示している。
それは俺がウォルターさんに見せるような『年長者への頼り』であり『敬愛』に近い。まぁ分かる、カルウェナンさんめちゃくちゃ頼りになるし。
「ではな、また夕頃に合流しよう。ステュクスを頼んだぞ、セーフ、アナフェマ」
「はーい!任せてくださいな!」
「そっちもお願いしますね、タヴさん。カルウェナンさん目を離すとフラフラどっか行くので」
「理解している、任せろ」
「む……」
俺の隣に立つアナフェマさんとセーフさんは大きく礼をしてカルウェナンさんをタヴさんに託す。任せろとニッと笑うタヴさんに対しやや不服そうなカルウェナンさんは二人で何処かに歩いて行ってしまう。
「あの二人、街を歩いてたらめちゃくちゃ目立ちません?」
「目立ちますけど、何かあってもあの二人なら大体の敵はなんとかなるので大丈夫でしょう」
タヴさんは目立つ金の髪に浅黒い肌に刻まれた大きな古傷、そして見るからに悪そうな黒革コート、カルウェナンさんは名のある騎士が着るような白く豪奢な甲冑だ。しかも二人ともかなりの高身長…あれが並んで歩いてたらそれだけでただ事じゃないと思うが。
「じゃあ、俺達も行ってきますね!マヤさん!」
「うーい」
と言うわけで俺達も出かけるため、留守番のマヤさんに声をかける。マヤさんは宿の中で一人で酒盛りをして楽しんでいる…っていうか。
「あれ?バシレウスはまだ部屋ですか?」
「アイツは朝早くから外に出てるよ、散歩だって」
「えぇ…まだ帰ってないんですか?」
「腹減ったら帰ってくるでしょ」
猫かなんかかアイツは。まぁいいや、アイツも流石に昨日あれだけ言っておいて街で騒ぎとかは起こさないだろ。多分。
「じゃ、行きますか」
「ですねー!どこ行きます〜?」
「わ、私はどこでもいいです。人が少ないところなら…人が多いと、狂うので」
俺は同行するセーフさんとアナフェマさんに声をかける。こっちもこっちで目立つメンツだ。金庫頭の紳士ミスター・セーフ、生まれてから一回も髪切ってないの?ってくらいの長髪を地面に垂らしているアナフェマ。両方ともいい人なんだけど…なんつーか浮世離れしてるよなって人達だ。
「じゃあなんか飯食いに行きません?」
「お!いいですねえ!」
「私お腹空き過ぎて狂うところでした」
そりゃよかった、幸いタロスという街はかなり栄えている。店も多いし、多くの施設がある。遊ぶには事欠かない街だ。
俺も、師匠の仇を前にあれやこれやと焦る気持ちを抑えるために…今日は一日リフレッシュしたいんだ。ならまずは飯だろう、腹減ったら何も楽しめないし。
それならと俺達は歩き出し、タロスの街の大通りを歩く。さーて…どこ行こうかなぁ。
なんてポツポツ歩き出しながら俺はふと気になったことを口にする。
「カルウェナンさんってマレフィカルムのかなり古株って言ってましたけど、二人は入ってどれくらいだったんですか?」
「えー?」
「どれくらいですかね」
セーフさんとアナフェマさんはお互い目を合わせつつ首を傾げ。
「僕達結構新山なんですよね、あの人に比べると」
「って言っても十年くらい?それくらいは居ますよ」
「へぇー…それってその、イシュキミリさんって人に誘われて?」
「そうですよぉ」
「会長についていくためにメサイア・アルカンシエルに入ったわけですから。だから…会長がいなくなったら、マレフィカルムにいる意味とか…ないですから」
やや、セーフさんとアナフェマさんの空気が暗くなる。ミスった…故人の名前を出すべきじゃなかったか…やばいやばい、空気変えないと。
「あー、えっと。さっきタヴさんが言ってた五本指ってあれですよね、マレフィカルムでめちゃくちゃ強いって言われてる人達」
「え?ええそうですよ、カルウェナンさんも五本指だったんです」
「そうなんだ…え?その時は何番手だったんです?」
「二本指…つまり二番手ですね。当時から一番手に立ってたイノケンティウスさんには終ぞ追いつけなかったようですが」
イノケンティウス…タヴさん達をして『出てきた時点で終わり』と言わしめる絶対強者。一応タロスにあるあの大聖堂の下にマレフィカルムに通じる道があるらしいが、その道中にイノケンティウスが統べる組織であるゴルゴネイオンの本部もあるようだ。
だからここで騒ぎを起こすと、イノケンティウスが出てくる可能性がある。みんなそれを恐れているんだ…。
「イノケンティウスって怖い人です?」
「…………」
セーフさん達は再び顔を見合わせ……。
「いや、よく分からないです」
「そうですね、分かんないです」
「え?接点ない?」
「いや、というより…何を考えているか全く分からないんですよね。何か目的があって動いてるみたいですけどそれもイマイチ僕達には見えてこないというか…ただ、確実に言える事は彼の領域を荒らす存在には、彼は容赦しないってことですね」
「ゴルゴネイオンに誰も喧嘩を売らないのはそういう面もありますねぇ、ほんと狂いますよね」
「狂わないですが…」
ふーん、そんなにやばい人もいるもんなのか。イノケンティウスねぇ、まぁ下手をこかない限り向こうから来るわけではないみたいだし…いいんだろうけど。
そんなにおっかない奴が、この街の地下にいるってことか…気をつけておこう。
「じゃあ僕達からも聞いてもいいです?」
「え?」
ふと、セーフさんは俺の顔を指さして。
「ステュクスさんって、あのエリスの弟なんですよね」
「え?あ…ああ、そうだけど」
「ぶっちゃけ顔はそっくりですけど、性格は全然似てませんよね」
「あ…ああ〜……」
色々察した、だろうなと思ってしまった。この人達はマレフィカルムの元一員、でセーフさん達は姉貴を恐れてる。その理由がなんとなく分かった。
戦ったんだ、そして姉貴は基本…敵にはびっくりするくらい容赦して来ない。手段を選ばない…とはまた違う、本来は色々鑑みて誰もやらないような無茶を持ち前のセンスと戦闘能力の高さで強引に押し通すスタイルを強行してくる。
だからやったんだろう、姉貴はセーフさん達に…その強引なスタイルによる強行を。
「あはは、まぁそうでしょうね…」
「あの女、単騎で私達のアジトに突っ込んできて大暴れして…」
「最後の戦いもメタメタに暴れ回って、怖かったですぅ…」
(相変わらずめちゃくちゃやるな、姉貴も)
「それに引き換えステュクスさんは会話も通じるし、穏やかですね」
「まぁ、俺と姉貴の性格面が似てないのも当たり前ですよ。俺達幼少期は別々の場所で暮らしてましたから。初めて会ったのも姉貴が十歳を超えた時だったかな?」
「訳アリです?」
「結構な」
一応、姉貴が奴隷だったことは伏せる。だってほら、姉貴はまだ気にしてるみたいだし…俺が周りに言って回っていいような内容でもないしね。
「俺も昔は姉貴に嫌われて…顔合わせる都度襲われてました」
「えぇ!?アレに!?」
「よく生きてますねぇ!私なら狂いますよ!」
「あはは…まぁでも、今は和解して…仲良くなれた、のかな?」
サイディリアルの戦い以降、姉貴は俺を弟と認め…寧ろ弟として可愛がってくれるようになった。それはありがたいんだけど…なーんか慣れないんだよな。
姉貴じゃないけどさ、どうしても今までの記憶が俺に『姉貴は怖い存在』と認識させる。俺にとって姉貴は怖くて強くて頼りになって怖い存在だ。つまるところ怖い存在だ。
それが猫撫で声をあげて俺を可愛がる…慣れるわけないだろ。
(……そう言えば姉貴、東部での用事を終わらせたらこっちにくるって言ってたけど、そろそろ終わったかな)
もしかしたら姉貴もそろそろ北部に入ってるかもしれない。またどっかで会えるのかな…会えるとしたら……。
「ん?どうしました?ステュクスさん」
「私達の顔ジッと見て……」
「い、いや」
会えるとしたら…またなんか勘違いされそうだな。だって元とはいえマレフィカルムの人達と行動してるわけだし。
(また変なことにならなければいいけど)
慣れないけど、少なくともまたあの俺を見るなり襲いかかってくる姉貴に戻ってほしいとは思わない。マジで…本当に…切実に……。
…………………………………………………………
「あ…あぁあ……」
「呆然としてないで、なんか言ってください!」
「い、いや…そう言われましても」
それからエリス達はタロスの街で一番大きい病院を見つけ、体調の悪いネレイドさんを連れてそこの院長さんに色々診てもらったのだ。病室で寝台に寝かされて苦しそうにうめくネレイドさんを見て呆然とする白い髭面の院長さんにエリス達はなんとか言うと睨みつける。
「なぁ院長さん、ネレイドさんは風邪なのか?」
「風邪?風邪って…どう見ても風邪の症状じゃないですよ…」
「そうなのか?」
「いや風邪引いたからって、体が赤熱した鉄みたいな熱を発するわけがないでしょう…」
「まぁ、そうなのか…?悪い、俺風邪ひいたことないから分かんないや」
「ラグナは黙ってた方がいいな」
とりあえず話の分からないラグナをアマルトさんは後ろの方にやりつつ、エリス達は院長さんの診察結果を聞く。
「まず言うと、体に不調は何も見つかりませんでした…」
「どう見ても体調悪そうですけど」
「ですが多分これは病気じゃないですね…、寧ろ体調に至ってはかなり良い状態です、いや逆に良過ぎると言うべきか」
「良過ぎる?」
すると院長さんはエリス達に一枚の紙を見せる。そこには院長さんが色々と記した診察の結果が書かれており。その紙を取り出す院長さんの顔はもうすごいくらい青く…手も震えている。
「私はこれでも人体構造学の専門家でもありましてね、中でも超人…と言う部類の人間の研究を行っているんです」
「お医者さんであり、学者さんなんですか?」
「ええ、まぁ学者は趣味の領域ですが。ですがそれでも知識はあります…そして今回私は彼女の体を透過魔術で内部までしっかりと見せてもらい、その内容をこの紙に記したのですが…」
徐々に院長さんの言葉が早くなる、青い顔から寧ろ赤くなり、何やら興奮するように鼻息が荒くなり。
「はっきり言って彼女の体は人型という形で再現出来得る最高水準のスペックを保有していると言っていいでしょう。血管は通常の人間よりも何倍も太く、筋肉繊維も強靭で何より筋肉量も普通の人間の五倍近い。そしてあの高身長です、これは人体学的に考えて色々おかしいんです!いや内臓もそうですよ、何をどうしたらこんな状態になれるのか、どうやったら生まれるのか、分かりません…分からないんです!」
「そんなこと言われてもエリス達も分かりません!」
「要領を得ない言い方はやめてくれよ、結局あんた何が言いたいんだ?」
「ええッと、……ネレイドさん…でしたか?彼女は超人です。いや私から言わせてもらうと『超人の中での超人』というべきか」
「超人の中での超人?」
院長さんは引き攣った顔でネレイドさんを見て、興奮するように拳を握り…。
「ええ、超人には二種類の存在がいるのは知ってますか?」
「ああ、先天的超人と後天的超人だろ?ここにいるラグナも後天的超人だぜ」
先天的超人と後天的超人。先天的は文字通り生まれた時から人とは違う構造を持っている人達、後天的は生まれてから修練や過ごし方によって人とは違う形に進化した者達。
後天的はある意味誰でもなれるのに対し、先天的はある種の才能…その数の割合は後天九割先天一割くらいには人数に差がある。
ネレイドさんがその先天的超人で、ラグナがアルクトゥルス様の修行で後天的超人になった存在だ。
「ええそうです、先天的超人は生まれながらにして圧倒的な身体スペックを持ち、ある意味が生まれた瞬間から完成された存在なのです」
「そうか?いやそうかも…分からんけど」
「中でもネレイドさんはかなり高水準のスペックを持った超人です…であるにも関わらずッッ!!」
「うぉっ!?」
突如として院長さんはアマルトさんの肩を掴み、グワングワンと肩を揺らし始め……。
「今!ネレイドさんは!後天的超人になろうとしている!」
「え?え?え?どういうこと?つーか離れろよ!」
「分かりませんか?既に超人であるにも関わらず…更に超人になろうとしている!つまり超人の中にあって更に超人になるんです!こんなの今までの歴史で一度として確認されていません!」
「超人から…更にもう一段階上の超人に?」
院長さんはダバダバと走りいろいろな文献を取り出して、興奮したように前例がない前例がないと叫ぶ。
つまりネレイドさんやオケアノスさん、モースさんのような生まれながらの超人達を『普通の人間』として捉えると、ネレイドさんはそんな普通の人達から見た超人になろうとしているってことか?
「後天的超人になろうとしているのか、或いは今まで隠されていた何かが目覚めようとしているのか分かりませんが!彼女は今凄まじい身体スペックを獲得しようとしてる!」
「ならなんでこんなに体調が悪そうなんだよ!」
「それは…先程も言いましたが、彼女は既に人体で考え得る中でも最高水準の身体能力を手に入れている。にも関わらず更に上を目指した結果…破綻してしまったんです」
「破綻……?」
「ええ、これほどの筋肉量…消費カロリーも凄まじいでしょう。これだけの上背、骨にかかる負荷も凄まじい、そもそも体が大きすぎて取り込む酸素量も口だけじゃとても足りない…」
そうか、そういうことか!ネレイドさんの言ってた苦しいっていうのは取り込む酸素量が足りなくなっているから、体が痛いのも骨にかかる負荷が増したから、頭が痛いのも…或いは身体能力が上がり神経にかかる負荷が増したから。
元々奇跡的なバランスで保っていたネレイドさんの肉体に変化が起きたせいで、本来は無視されていた負担が如実になってしまったんだ!
「だからこれは体調不良ではありません、寧ろ体調は良いのです…良過ぎるのですよ。彼女は今人間として破綻している状態にある…」
「ど、どうすりゃ治る?」
「…………分からないどころか想像も出来ません、私は体調を崩した人間なら大量に見てきましたが、逆にあまりにも良過ぎるが故に苦しんでいる人間なんて、見たことがありません。私だけではなく世界中の医者達がそうでしょう」
「そんな……」
これが風邪なら、治せたかもしれないが。肉体が進化した結果苦しくなっているのであれば…治しようがない。
つまりネレイドさんは一生このまま?そんなの…あんまりだろ。
「…………ッ」
ベッドの上で苦しそうにうめくネレイドさんを見て、エリスは顔を歪める。どうすればいいんだこんなの。
この院長さんはある意味医者であり超人の専門家、この人でわからないなら他の医者に当たっても尚のこと無理だろう。
どうすればいいんだ…、もうすぐ旅も終わろうって時に。こんなことになるなんて…。
「ラグナ……」
「………なぁ院長さん、ネレイドさんの命に別状はあるのか?」
「それはありません、寧ろここまで来るとそう簡単には死ねないでしょう」
「そうか、なら一旦…この病院に入院させよう」
「入院ですか」
確かに、今このまま連れ回してもアレだしね…命に別状がないなら、今は一旦休んでもらった方がいいだろう。長い旅路での疲れもあるだろうし、今は休息期間ということにしよう。
「入院させてもいいかな」
「それは構いませんよ、寧ろお勧めしたいくらいですね。今は疲れて眠っていますがすぐに目を覚ますでしょう、そうなったら私の方から色々説明しておきます」
「ありがとう、なら俺達は一旦この事をみんなに伝えに行くよ。それで今後のことを話し合う」
もしかしたらみんなで考えたら解決策も浮かぶかもしれないしね。
「では、失礼します。ありがとうございました」
「いえいえ…」
そうしてエリス達は病室を出て、廊下を歩き病院の外を目指す。にしても……。
「どーなっちまうんだろうな」
「ですよねぇ…体が強くなりすぎて、人体じゃ許容出来ないくらいになっちゃったってことですもんね」
エリスとアマルトさんは揃って肩を落とす。ネレイドさん…どうなっちゃうんだろう…なんでエリス達が不安に思ってると。
「別に、そこまで気にしなくていいんじゃないか?」
ラグナはあっけらかんというのだ、気にしなくてもいいって。いやいや…。
「ちょっ、お前そりゃねぇだろ…」
「そうですよ、ネレイドさん苦しそうにしてました!」
「別に苦しんでるのを気にするなってわけじゃないよ、ただ今後大丈夫なのかは気にしなくてもいいって話さ」
「なんでです?」
「俺も、一応後天的超人だ。この体になる前日くらいはなーんか熱が出てた気がするし、体がキツかった気がする」
「いやお前風邪引いたことなかったって言ってたじゃん」
「うん、なんかよく分からなくて体調悪いなーと思いながら仕事してたけど、きっと…今にして思えばアレがそうだったんだと思う」
そんな神妙な顔で言われても…要は風邪引いてたことに気が付かなかっただけでしょう。いや?そうじゃないのか……!
「エリスは気がついたか、そう。俺はその苦しみに順応できた。ならネレイドさんが出来ないわけないだろ?きっと乗り越えて…昔とじゃ比較にならないくらい強くなるさ」
「確かに、そうですね」
「ネレイドなら…か。まぁ確かにネレイドならなんとかしそうだよな」
なんたってネレイドさんだ、ネレイドさんが苦しみを乗り越えないわけがない。理由がわかったなら彼女は必ず克服する。だったらエリス達はそれを応援し、時に手伝うだけでいい。心配したり身を案じたりする必要はないんだ。
「そういうこと。一旦みんなと今後の方向性を考えよう」
「ですね!ネレイドさんが目を覚ましたらまたここに来ましょう!」
「だなぁ、んじゃメグ達を探すか?」
「だなー、その前になんか飯が食いたいけど……」
と言いながらエリス達は病院の扉を開けて、タロスの街の大通りに出ると……。
「ん?」
「え?」
ふと、偶然、ばったり、たまたま…病院の前を通りがかった通行人と目が合いエリスは口を開ける。その人もまたエリスを見て口を開け……。
「え?いや…なんで」
「え?え?…え?」
エリスはゆっくり指差す、その人もまた指を差す。見覚えがあった顔がそこにいる、なんか見覚えのある金庫頭と長髪女と一緒に行動する…とてもとても見たことのある青年がエリスを見て。
「姉貴!?」
というのだ…そう、彼は…。
「ステュクスーー!!!」
「うわっぷ!?ちょちょちょ!?ここ往来!頬擦りやめて撫でるのやめて!?」
ステュクスだ、そう…エリスの可愛い弟のステュクスだ!
そう理解するなりエリスはステュクスに飛びつき、彼に抱きつき頬擦りしながら頭を撫でる。え?なんで彼がここに?彼も北部にいると聞いてたけど、まさか偶然ここに?
「ステュクス〜〜!」
「あ、姉貴……」
まぁいいや、これも運命の出会いです!お姉ちゃんがたっぷり可愛がってあげましょう!
…………………………………………………
「……ネレイド・イストミア、やはり信じられん」
一人取り残された院長はネレイド・イストミアの体を見て…唸る。これほどまでに純度の高い超人は見たことがないからだ。
「まず、この体……これほどの上背なら、当然それを支える骨は太く、それでいて頑丈でなければ立つこともままならない」
透過魔術…物体を透過する『レントゲンアイ』で彼女の体を確認する。その骨は牛骨のように太く、それでいて頑丈だ。
しかし同時に骨は太くなればなるほど重くなる。これだけの身長と筋肉量に骨密度なら…体重は軽く1トンに至るだろう。だが……。
「軽過ぎる、体重が100キロ台に収まるなんて…物理学にすら反している」
軽いんだ、あまりにも軽過ぎる。そう思う私は色々と探ると…驚愕の事実にたどり着いた。
骨の成分が違う。見たことのない未知の物質で構成されており、なんと重量は十分の一であるにも関わらず強度は十倍近いものになっており、もし全人類がこれを手に入れたら…少なくとも素手で魔獣と殴り合っても死ぬことはないだろう。
関節もそうだ、本来人間は2メートル前後になるよう設計されてることもあり、これ以上高くなると関節が破綻し壊れることが多い。だがこの部分も潤滑性の高い粘膜で覆われており、一切破綻することなく維持されている。
更に驚きなことに…彼女の心臓は『三つある』。これだけ大きいと心臓一つのポンプ機能では酸素を送りきれず、末端から壊死するはずだ。
だが彼女は本心臓一つに加え複心臓が二つ付随するように動いている。恐らく心臓が三分割されるよう進化したのだろう。タコやイカも三つの心臓を持つが人間がそれを持つなんてあり得んことだ。
血液もまたヘモグロビンの含有量が高く…代謝エネルギーも徐々に解消され始めている。
はっきり言おう…彼女の体は今、自分の体を最適化する方法を勝手に模索している。
「神だ…、神の奇跡がここにある」
これはもはや、神がそうしているとしか思えない。調べれば調べるほど人間の体でこれができるかと思わざるを得ない程に、彼女の体はめちゃくちゃだ、そしてそのめちゃくちゃを正当な形に整えるよう、内臓が動いている。
だが……。
「果たして、うまくいくかどうか」
彼女の体は様々な方法を試しているが、これが正しい形に行き着くか…それは分からない。私の見立てだがかなり確率は低いかもしれない。
というのも、正解が分からないからだ。どうすれば良いか彼女の体自体が分かっていない。謂わば難解な式を解いているようなもの。誤答すれば…一生病室から出られない体になる可能性もある。
せめて…前例、或いは彼女以上の超人の肉体情報があれば、彼女の体もまた進化できるだろう。
「だがこれは素晴らしいことだ、是非とも報告しなくては……」
そうすると院長は手元の長距離連絡用の魔道具に手をかけ…。
「聞こえますか?コルロ様」
自らの主人に連絡を取る。そしてネレイドに目を向け……。
「マヤ・エスカトロジーに匹敵するか…或いは上回る可能性のある肉体を見つけました。ええ、はい…現在病室で寝ております。ですがサイズがかなり大きく持ち出しは困難でして…え?」
そして、その通話口から聞こえた言葉に驚き…院長は反芻するように繰り返す。
「コルロ様自らが、回収を?ここに来るのですか?ええ、大丈夫ですよ。ここにいますので」
ここに来る。その話を聞いて院長は静かにほくそ笑む。ネレイド・イストミアの体があれば…コルロ様の目的は更に完璧な形になるだろう。