716.魔女の弟子エリスと無窮の旅路
暗黒が視界を満たす、体が浮かび上がり、俺は星のない夜空を漂う。何が起きたのか分からないが、漠然とした予測は立つ。
(俺は死んだのか…!?)
それを自覚すれば、燃え上がるような怒りが湧いてくる。ここまで来て…ここまで来て俺は死んだのかよ!折角ヴェルト師匠の仇を!オフィーリアを見つけ!戦いを挑んで…姉貴を助けられると思ってたのに!
負けたってのかよ!俺は…こんな、こんなところでッッ!!
(守りたいと思えた奴を…守れた時こそ、本当に強くなれた瞬間…か)
師匠の言葉を思い出す。俺は弱いからティアを失った、弱いから師匠を失った、そして今………俺は姉貴という存在を失い、ついでに俺自身の命も失おうとしている。
負けられねぇのに、死んでも負けちゃいけないのに、弱いから…負けたのかよ、俺。
(情けねぇ……)
あまりの情けなさに涙が噴き出る。クソ悔しい……こんなのって無いだろ。ここまで来て、ここまで……来て。
「泣くでないわ、情けない」
「ッ……」
暗黒の海に、声が響く。俺以外の声が響く…誰かいるのか?そんなことを聞くまでもない、この声は。
「ロア……?」
ロアだ、星魔剣ディオスクロアの中にいる存在の声だ。なんでロアの声が?と疑問に思うよりも前に、……答えが返ってくる。
「違うのう、ステュクス。ロアというのは世を忍ぶ仮の名前…ワシの本当の名前は」
光が集う、白色の光が目の前に柱のように屹立し…収束すると共にそれは人の形を生み出し、俺の前に一人の女が……現れる。
「我が名はシリウス、原初の魔女シリウスよ」
「シリウス…って、それって!!」
姉貴達の言ってた…八千年前に人類を滅ぼそうとしたって言う最悪の存在!?咄嗟に体を動かし構えを取ろうとするが、体が上手く動かない。その間にロアは…いや、シリウスは……。
「情けないのうステュクス。ワシはお前に期待しておったのに…こんなところであっさり負けよって」
「……ッ、言い返す言葉もない…」
「じゃがまぁ実際仕方ないと言えば仕方ない。実力差はあったし、格が違ったと言えば違ったんじゃ」
シリウスという通り、オフィーリアは俺の想像を絶する程に強かった。師匠はあんなのと戦い、バシレウスはあんなのと戦い、撃退したのか…って思ってしまうくらいにはオフィーリアは強かった。
あれは人型の怪物だ。天地がひっくり返っても俺じゃ勝てそうにない。
「挙句、師匠の仇は討てん。友達の期待には応えられず終い…全くもって期待外れじゃ!」
「悪かったな…ってか今更何しに来たよ、正体なんか表して…俺を笑いたいのか?」
「………フッ、そうじゃのう」
するとシリウスは空中を椅子のように扱いその場で胡座をかいて浮かび上がり…。
「ワシとて血の通った人間よ、あ!剣じゃないぞ?ワシは本当は人間なのじゃ」
「…………」
「そんなワシとてお前と今まで共に旅をして…何も思わないということはない。お前と戦ってきたわけじゃし?ここで負けて終わり〜ってのはワシもなーんか釈然とせん」
「だから、何が言いたい…!」
すると、シリウスはグッと俺に顔を近づけ…ズラリと並ぶ白い歯を見せ。
「ワシが力を貸してやる、ステュクス。ワシの弟子に…原初の魔女の弟子になれ!」
「は?」
「そうすれば、オフィーリアを倒せるだけの…仇を討てるだけの力を授けてやろうぞ」
そう言って、こいつは笑ったんだ─────。
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空を漂うように、風を纏って駆け抜ける。下を見れば遥か下にマレウスの大地が見える。
流れる運河のように、変わる変わる変化する景色を見ながら、エリスは風と共に駆け抜ける。
「いい景色だ」
エリスは今、みんなと離れてエーニアックの街に向かっている。みんなは今ラセツと一緒にタロスに向かってる、だいたい二日で着くらしいから…エリスはそれまでの間にエーニアックで少し調べ物をしたいんだ。
だから、こうして個人行動を許してもらっている。思えばマレウスに来てから初めての個人行動だ。二年前は師匠と一緒に自由気ままにあちこちを旅していたけど、今はそれがすごく昔のことのように感じる。
「一人になると、色々考えちゃうな」
マレウスの大地を超えて、エリスは飛ぶ。思えばエリスが初めて体感した魔術は旋風圏跳だった。
未だ魔術さえ扱えない頃。師匠がエリスを抱えて旋風圏跳で駆け抜けて、アニクス山を超えてムルク村まで連れて行ってくれたんだ。
それからエリスは師匠に黙って旋風圏跳を会得して…それ以来この魔術はずっとエリスの側に居てくれている。
旋風圏跳がなければ、エリスは何度死んでいたか分からないくらいだ。最初は飛ぶのもやっとだったし、こんなスピードは出なかった。
それから何度も何度も魔術を使って、何度も何度も試行錯誤して、エリスは師匠のように空を飛べるようになった。スピードはまだまだ足りないけれど、それでも出来ないことが出来るようになってる。
今じゃ目を瞑って半分寝てて空を飛べるくらいだし、弟子のみんなの中でエリスと言えば風で空を飛ぶ人ってイメージもついたくらいだ。
「自由だ……」
風を纏い、空を飛ぶ。それは何よりも自由な事だ、エリスは自由が好きだ、だからこの魔術が好きなんだ。
けどこんな風に、自由に飛べるのは…今が平和だからだと言うのもある。…この自由を守るには、エリスはもっと空を飛べるようにならないといけない。
だから向かっている、エーニアックに。更なる風を求めて…エリスは。
「見えてきた!」
暫く飛んでいると見えてくる。大体時間にして十数分、数日前に居た街のエーニアックだ。エリスはあそこでレーヴァテインさんと不思議な修行をして、数日かけてレーヴァテイン遺跡群に向かい、そしてそこで戦いを終えまたエーニアックに蜻蛉返り。
数日開けた感覚はない、行って帰ってきたくらいの感覚だ。だから懐かしさもない…。
「よっと、えーっと…ヒュパティアさんは何処かな」
エリスは街の入り口に降り立つなり顔見知りを探す。相手はこの街の学者のヒュパティアさんだ、彼女は識確の研究をしている。彼女に聞けば何か分かるかもしれない…と言う気持ちともう一つ。
(ダアトを育てた人についてもう少し知りたい)
ヒュパティアさんは恐らくダアトの育ての親だ。飢饉で両親を失った、その果てにダアトはヒュパティアさんを頼り幼少期をこの街で過ごしている。
つまりヒュパティアさんこそダアトの育ての親で、ここはダアトの育った故郷ということになる。
……育ての親と育ちの故郷、そこを探ったらアイツの弱点とか分からないかなぁ。
「あれ、ヒュパティアさん居ない……」
エリスは周りを見回すがヒュパティアさんが見当たらない。というか前に来た時よりも人通りが少ない気がする、だが人の気配が全くないわけじゃない。
何処に行ったんだろう───。
『いやぁ納得行かん、なぜアイツの言うことを飲まねばならんのだ』
『仕方ない、お前がアイツの理屈を理論で否定出来なかったんだから』
『充実した討論だった』
『急いで帰ってこの理論の計算をしなくては!』
「ん?」
ふと、後ろの建物からワイワイガヤガヤと声が聞こえ、そちらに目を向けると…そこには他の建物よりも一回り大きな神殿のような場所から、ゾロゾロと学者達が出てきているんだ。
人数的には何十人とかそんなレベルだ。そして…その中には。
「あれ?君は……」
「あ!ヒュパティアさん!」
ヒュパティアさんもいる、彼女はエリスを見るなり軽く手を上げ抱えるような本を手に歩いてきて……。
「また来るとは言ってたけどこんなに早く来てくれるとはね、やる事は終わったのかい?」
「はい、それで二日くらい時間が出来たのでここで識確について勉強しようかなって」
「ふむ、分かった。私も同じ学問に興味を持つ者として君を歓迎するよ、それで宿泊する場所はあるかい?よければ私の家を使うといいよ」
「え!?いいんですか!」
「うん、自宅は考え事をするためにしか使ってないから。自由に使っていいよ」
ヒュパティアさん、識確の分野について研究している彼女に聞けば、エリスは更に…この力を進化させられんじゃないかと考えている。
だからこうして歓迎してくれるのはありがたい。けど……。
「何してたんですか?」
「ん?何が?」
「いや、さっきあそこから出てきたじゃないですか。みんなあそこから出てきたし……」
「え?ああ、学議堂のことかい。あそこは何日かに一度街の学者がみんなで集まって議論するための場所なんだよ。研究発表の場所だね」
「へぇ〜、発表してどうするんですか?」
「別に、何にも。知識ひけらかすの楽しいでしょ?娯楽だよ」
何じゃそら、しかしあの白い神殿…みんなで話し合うための場所なのか。面白いことやってるなぁ……やりたいとは思わないが。
「それよりこっちこっち、家に案内するよ。エリス君」
「あ、はい。ありがとうございます」
「ところで他の子達は?」
「みんなは他の場所に行ってます」
「あ、そう」
ヒュパティアさんはエリスを連れて街を歩く。街のあちこちには難しい顔をしてウンウン唸る者達がうろうろしている、はっきり言って不審な街だ、何も知らず足を踏み入れたら恐怖で顔が引きつるだろう。
しかし、ここで奴が育ったんだよな…。
(ダアト……)
エリスのライバル、ダアトはこの街で育った。彼女が幼少期…どういう感じで育ったかは分からないけど、……感じ入るところがあるな。
あのダアトがこの街で育ち、そしてヒュパティアさんに育てられた…と。
「あ、ここだよ」
「ここが……」
そう言ってヒュパティアさんが案内してくれたのは、それなりに広い家だった。白岩石で作られた四角い家。けどそれ以外に特別な点はなく、至って普通の家。
ここでダアトが育ったんだ。……もしかしたら、あいつについて何かわかるかも。
「お邪魔します」
「はいはーい」
エリスは、ゆっくりドアノブを捻り…中を見るが、そこは。
「…………」
普通の家だ、本があって…ベッドがあって、ボロい机がある家。普通の家だ、普通の家…けどどうしてかな。思い出すよ。
(師匠の小屋に似てる)
あの雨の日、エリスが瀕死の体を引きずって見つけた…星惑いの森の小屋。その中によく似ている、師匠もたくさん本を持っていて、生活するスペースは極小で、そして汚れていた。
そこにどうしても重なるんだ。あいつもまた…こういう場所で育って──。
「えーっと、確かここらへんに…」
するとヒュパティアさんはエリスの脇を潜り抜けて家に入るなり、いきなり本棚に掴み掛かり、ワサワサと本やら資料やらを引っ張り出しては下に落とすという奇行を繰り返す。
そしてそれを数回繰り返した後…。
「ああ、あったあった。これこれ、私が研究してきた識確について纏めた物。読む?」
「あ、ありがたいんですけど…床がぐちゃぐちゃですよ」
「ん?ああ…ごめんごめん、研究以外にあんまり興味がないんだ」
文化的な生活に興味云々は関係ないと思うが。でもなんとなく分かってしまった、ヒュパティアさんは所謂『命燃やし系』だ。
エリスも長い旅で何度か見てきた、見定めた一点を目指して進み、そしてそれ以外に思考やエネルギーを割かないタイプ。世間一般では変人と呼ばれる類の人間だ。
エリスはヒュパティアさんから冊子を受け取りつつ、家に入らせてもらう。冊子は分厚く、長い年月をかけて研究してきたことが分かる。
取り敢えず。これを読ませてもらおうかな……。
……………………………………………………………
「にしてもこの家に人が訪ねてくるなんて本当に久々でさ。ごめんね、大したもてなしも出来なくて」
「…………あ、いえ。大丈夫です」
それからエリスは椅子に座って、考え込んでいた。ヒュパティアさんがくれた冊子自体はすぐに読み終えた。エリスは紙面を一目すれば全て内容が入ってくるから、読むのに時間はかからない。
考えていたのは、ヒュパティアさんの認識の深さだ。
(識確には段階と種類がある…か)
識には種類がある。今まで漠然と知識と意識に関するものしかないと考えていたが…ヒュパティアさんはそこから更に思考し、考察し、考えを巡らせていた。
ヒュパティアさんは考えた。識とはなんなのか、識の本質とは何か。人が見て行う認識やそれを蓄えることで生まれる知識、それこそが識であるが…そもそも識とはどこから来るのか。
彼女は一つの仮説を立てた。それが……この世の何処かに超巨大な知識の塊がある、という物だった。ヒュパティアさんはこれを『集合的無意識』と呼んだ。
集合的無意識の中にはこの星が生まれ、そしていつか来る終わりの時までを記録した膨大な量の知識が搭載されている。人は時折この集合的無意識に魂が接続される時があるのだと言う。
例えば人が思い悩み、その末にハッ!とアイデアが浮かぶのは、魂が偶然集合的無意識に接続される、その内側の知識が流入する事によりアイデアという形で表出する。
この接続される瞬間、そしてその現象をヒュパティアさんは『識』と呼んでいる。
そして、この集合的無意識に意識的に接続出来る人間が時折生まれ、そして接続出来る領域の深さによって段階で分けられる。全部で八段階で……。
第一段階が『見識』。集合的無意識と視界がリンクし答えが見える…という物だ。メルクさんが居るのはここだ。
第二段階で『聞識』。聞いた物の本質が分かる段階。
第三段階で『嗅識』。不可視の物を嗅覚という物で感じ取れる。怪しげな雰囲気をきな臭い…と形容するようなものだ。
第四段階で『味識』…味覚と識がリンクしている状態。第五段階で『体識』…肉体そのものに識がリンクしている状態。第六段階が『知識』…あらゆる答えを識る段階。
そして第七段階が『末那識』…即ち己に向く識、己を認識し己の全てを的確に記録する識、自分の中に小さな集合的無意識のような物を形成する段階。
エリスがいるのがここだと本能的に察した。末那識とは内側に向く識であり、常に自分の記録を閲覧出来る状態にある…まんまエリスの記憶力の事だ。
なら次の段階は何か、それは…第八段階『阿頼耶識』。これに関しては事が大きくなりすぎてヒュパティアさんも殆ど断定的なことを言っていない。
曰く、外側に向く識であると。集合的無意識との合一であると。過去の記憶から種子を育て、未来の萌芽を生み出すだとか、曖昧だ。
けど……。
「で、何か掴めたかい?」
「はい、掴めました」
分かった、第八の『阿頼耶識』とは即ち記憶の拡大。エリスの記憶能力その物を拡張し、他者の記憶閲覧などを行える段階だ、人が得た識を吸収し自分の識に変え、集合的無意識を自分で形成する段階なんだ。
(エリスはこれをやった事がある)
そう、やった事があるから分かる。つまりシンの記憶をエリスの中に取り込んだあれだ。エリスはあれから幾度となく超極限集中を使い、多くの敵と戦ってきたが同じような現象は起こらなかった。相手の記憶が流れ込んでくるような事象は。
或いはあの瞬間だけ、エリスは第八識に至っていたのか…そう考えれば納得もいく。だとするなら、もしエリスがこの第八識を物にしたら…。
(シンの技が使えるようになったみたいに、エリスが今まで戦ってきた敵の技を使えるようになったりして)
相手の記憶が読めれば、相手の技術形成の段階が分かるわけで。どのように技が作られたか、どう鍛えたがが分かる。つまり完全な形で模倣する事ができる。
そう考えると凄まじい気がする。ダアトはこの段階に至ってるんだろうか…いや至ってないはず。なら先にエリスがここに行けば…もっと強くなれるはずだ。
「私の持論だけど、役に立てたようならよかったよ」
「いえ……」
なんて、ヒュパティアさんの言説を基盤に今後の方針を決定したが、必ずしもこの人の考えが正しいわけではないと思う。
というのも、師匠が言ってた…『識はこの世界を認識する事で成立させる為にある』と。識は元素と同じでこの世界を形成する一要因。だとするとちょっとだけ矛盾する。
しかし同時にまるっきり間違ってるのも言い切れない。だって…この集合的無意識。この星の何処かにあるだろう星の全てを記録した存在。
これ、シリウスが探してる『星の記憶』の事じゃないか?奴は唯一識確魔術が使えない、星の記憶への任意的な接続が行えない。だとするなら集合的無意識がイコール星の記憶であると考えると色々納得もいく。
持論で星の記憶の存在へ辿り着いているのだとしたら、この人は凄まじいレベルの天才だ。
「ヒュパティアさんはナヴァグラハの本を読んで識確について知ったんですよね、この説もそこから?」
「ナヴァグラハ?ああ、識確について語った論文の作者か。いやいや、その人は識確の存在そのものを説明してこそいたがその詳細については伏せられていた。或いは識の才覚を持つ人間じゃないと読み解けないようになっていた。だからこれは殆ど私の妄想」
(じゃあ、やっぱり凄いかも……)
いい事を教えてもらった。エリスの記憶能力を拡張する…か、考えたこともなかったが。さて一体どうしたものか。いやこれも一層聞いてみるか?
「あの、ヒュパティアさん」
「ん?なに?」
「ダア……ヒュパティアさんの家で暮らしてた子も識確の才能があったんですよね」
『ダアト』はマレフィカルムのコードネームだ。それを言っても分からないだろうし、言い方を変えて聞いてみる。両親が飢饉で死んで、ヒュパティアさんの家を訪ねてきたダアトの生活から何かヒントが得られないだろうか。
「うん、あったよ」
「どうやってその識確を強化したか、分かりますか?」
「えぇ…いや、分かんない」
だよなぁ…識は目に見えない、筋力トレーニングと違って目に見える形での強化は……。
「あ、いやでも…なんかやってたね。瞑想」
「瞑想?」
「うん、自分の魂の中を覗く感覚って言ってた」
「………魂を覗く感覚」
「そう、そこで『聞いてた』んだって」
「聞いてた?何を?」
「さぁ、話じゃない?」
なんだそりゃ、でもそれエリスもやった事がある。超極限集中を発動させる時の感覚も同じなんだ。
瞑想か……。
「ちょっとやってもいいですか?」
「ここで?今?いいよ」
ダアトがやってたならエリスもやってみよう、何か分かるかもしれないし。そう思いエリスは椅子から降りて部屋の隅っこに向かう。
「ん?どうしたんだいエリス君。なんでそんなところに行くの?何してる?」
「瞑想するんです」
エリスはそのまま部屋の隅っこに向かうとそのまま部屋の角にお尻を当てて座り込み、膝を畳んでコンパクトに体を丸める。それをヒュパティアさんは何やら興味深そうに見ている。
「それ、瞑想?あの子は床に座って座禅ってのを組んでたよ?」
「座禅?」
「トツカに伝わる精神集中法、なんでそんなのを知ってたかは知らないけどさ」
ふーん、そんなのあるんだ。けどエリスそれやり方も分からないし、これでいいや。エリスは背中を壁に押し当てて、膝を更に畳んで、膝の上に頭を乗せて…目を瞑る。
瞑想…目を体の内側に向けて、魂の奥に潜っていく感覚だ。超極限集中の際にはこれを流れ作業のようにやっているけど…思えば意識的にこれをやるのは久しぶりかもしれない。
それこそ、ディオスクロア大学園に通っている頃。超極限集中状態をまだ確立してなかった頃だ。
そこからエリスは大きく成長した、多くを経験し、多くを学び、大きく成長した。
師匠と一緒に旅する事をやめ、仲間を得て師匠の庇護下ではない状態で敵と戦い自分達の手で強くなり続けた。
その旅路は険しく、それでも楽しく。エリスは今を生きる都度に今という時間を守る為に戦う事を選び続け、そしてこうしてここにいる。
今までの旅路を思い返せば返すほどに、エリスの中で何かが変わってきた。何かが変わり、何かを得て、偶に失って。
悲しいこともあったし、同じくらい楽しいこともあったし、笑ってばかりの人生じゃないけれど、泣いてばかりもいられないくらい沢山の物を見れた。
(なんだか、とても色々な物が明瞭になっていくのを感じる)
とても気分がいい、瞑想ってのはこんなにも気分がいい物なのか。
人生、旅路、感情、記憶、成果、失敗、再起、仲間。
この世には色んな物が溢れてる。色んな物があって、色んな事が起きて、その全てが繋がっているのに、その全てを認識する事はできない。けれどそれもまたエリスが先に進む原動力を生み出させる要因となる。
そう、全ては…そうだ、合一。
世界とは…エリスとは…星とは……。
「瞑想上手くっている?」
「…………むぅ」
「あ、ごめん」
いいところまで行ってたのに、側に座ってたヒュパティアさんの一言で全部消える。エリスが抗議の視線で見ると彼女はやや落ち着かない様子で立ち去っていく…悪いけど今は一人にして欲しいんだ。
そう、一人に…そう考えてエリスはもう一度膝に頭を乗せる。
(記憶能力の強化、魂の内側を見る。相手の記憶を閲覧してエリスの体の中に取り込んでいく…かぁ)
ヒュパティアさんの仮説と合わせて考えるとエリスの記憶能力が強化されると他人の記憶もエリスは自分の中に入れられるらしい。それが出来たら強くなれると思う。
けど、なんか大変だよね。人格とは過去により形成され、過去とは即ち記憶により証明される。他の人間の記憶まで取り扱ったらエリスはどうなるんだろう。無数の過去に囲まれて、エリスはその中でも己を確立出来るのだろうか。
いやこういう時は逆から考えよう。例えば…集合的無意識…星の記憶。他者の記憶を取り込みエリスの中に星の記憶のような物を作るのなら。
星の記憶、つまり星は己を己と認識出来ているんだろうか?だって集合的無意識とは巨大な知識の集合体なんだよ?全てを知る星は、自分が誰であるかも分かっているのかな。
(なんて、星が物を考えるわけないか……いや)
しかしこうやって考えてみると、星って物凄く人間的じゃないだろうか。
知識を持ち、記憶を持ち、魂を持つこの星と知識を持ち、記憶を持ち、魂を持つエリス達の違いはどこにある。
星はとても人間のようだ。まるで人のようだ。或いは…逆なのか?人が星のようなのか…?
(星が何を考えているか、気になるな)
もし、ヒュパティアさんの仮説が正しいなら、エリスのような識確の才覚を持つ者は自由に星の記憶に接続出来ることになる。
なら、超極限集中を使えば…エリスは星の声を聞けるのでは。
(試してみよ)
そう考えて、エリスは魂の奥底に意識を向け、手を伸ばすようにその奥にある何かを引き出し…そのまま星の記憶に接続しようとした。
その時だった。
『──────』
エリスの視界の裏で、白い電流が走ったのは。
「っ!?今のは…!?」
接続する寸前、脳裏に走った電流にエリスは飛び起きる。今の電流は…見覚えがある。
真っ白で、強固で、強引な電流…今のは。
「シン……?」
シンの雷だ、でもなんでそれが脳裏に………うん?
「……ヒュパティアさん?」
「え?どうしたの?」
ふと、エリスは立ち上がり…周囲を見回す。気になったからだ、違和感と言うかなんと言うか…。
「なんか騒がしくないですか?」
「え?」
エリスがそう口を開いた瞬間だった。
『キャーーーー!!!!』
「っ!悲鳴!」
悲鳴が外から響いたのだ。それと共に街にドタドタと騒がしい靴音が大地を打ち鳴らし始めた。明らかに何か異常事態が起きている。
トラブルだ、この手の悲鳴はそう簡単に上がるもんじゃないし、何より騒がしい。
「すみませんヒュパティアさん!エリス行ってきます!」
「あ!おい!気をつけてくれよ!…って言うか、なんで騒ぎが起こる前に騒ぎを聞きつけて……」
エリスは扉をガンッ!と開けて大通りを見れば、ほら見た事か。大通りには青い顔をして逃げ回る人々、それを追いかけるのはもう見るからに荒くれ者。獣革のジャケット、手には斧、それが暴れ回りながら叫ぶんだ。
「おいグルァ!宝はどこだッ!宝出せや!!」
「ひぃいい!そんな物この街にはないぞー!」
「ンなわけあるか!隠すならぶっ殺すぞ!」
アイツら山賊だ、それが宝をよこせと騒いでる。そうか、分かった。敵は明白、やるべき事は明確。
山賊が街を攻めてるんだ、やる事は一つだろう。
「俺達は確かに聞いてんだよ!この街には莫大な金銀が隠されて────」
「いい加減にしろッッ!!」
「ぶげっ!?」
足を曲げ、空を飛び、山賊を蹴り飛ばす。そのまま山賊は真っ直ぐ後ろに飛び、地面に三回ほどバウンドし、地面を転がり。動かなくなる。
それを見た周囲の山賊はドヨドヨと騒ぎ始め。
「な!こいつ!」
「俺達に逆らう気かよ!このアマァ!」
「ぶっ殺してやる!」
ギャーギャー騒ぐ山賊を前にエリスは拳を鳴らす。この街には学者しかいない、衛兵もいないし、戦力もない。戦える人がいない、なのにそれをいい事に暴力と乱暴で手前の理屈を押し通そうとする。
許し難い事、この上ない。
「手前ら、ここは学問の街エーニアック…お前らみたいな物知らずが来ていい街じゃないんだよ」
「ああ?知るかそんなもん!」
「本当に物知らずですね。なら…いい事を三つ教えてあげます」
ゾロゾロと集まってくる山賊、その数にして四十…五十、まだ増える。
「一つ、乱暴者や暴力を振るう奴にエリスは手加減が出来ません」
斧や剣がギラリと光り、エリスを囲む。
「二つ、エリスはエリスが嫌いな奴は徹底的にボコボコにする主義です」
そうして街の人達が逃げ、山賊の群れの中に取り残されたエリスは三本指を立てて…。
「三つ、そしてエリスはお前らみたいな乱暴者や暴力を振るう奴が嫌いです」
「やっちまえ!野郎どもッッ!!」
『ぉおおおおおおおおおおお!!!』
雄叫びが響く、次々迫る山賊達。想定以上に多いが問題ない…問題などあるものか、あるとしたらこいつらがやったことくらいだ!許せない!力のない人に力で理屈を押し通そうとするその横暴が!何よりも許せないッッ!!
「死ねやクソアマァッッ!」
「テメェが死ねッッ!!」
「ごぶっ!?」
目の前から迫ってくる斧を持った山賊を拳の一撃で殴り飛ばし…。
「このォッッ!!!!」
「邪魔ッッ!」
「ぅぎゃっ!?」
背後から迫る山賊を後ろ回し蹴りで吹き飛ばし。
「手加減出来ないって!言ったでしょうがぁぁあああああッッ!!!」
「ぎゃぁぁあああああ!?!?」
目の前の山賊の足を掴み、それを鞭のように振り回し周囲の山賊を蹴散らす。許さん、許さん!暴力を振るう奴には暴力で分からせる!これがどれだけ怖いことかを!!
「死に晒せクソボケどもがァッ!!!」
「げびゃぁ!?」
「ひ、ひぃ!アイツ人間じゃねぇよ!!」
「つーかあの金髪、どっかで見たことある気がする…!」
アッパーで顎を砕き、フロントキックで壁に埋め、顔を掴んで地面に叩きつけ、そのまま別の奴に飛びかかって馬乗りになりながら肘を何度も叩き込む。
その暴れぶりを見て山賊達が怯え始める。クソ甲斐性無しどもめ…!ビビるなら最初から喧嘩を売るな!!
「喧嘩上等な奴はかかってこい!逃げた奴は待っとけ!後でぶっ潰してやるから!!」
「この!俺達を誰だと思ってんだテメェ!」
「知らんッッ!!」
「ぶぎゃっ!?」
右ストレートが炸裂し目の前の山賊が吹き飛び、壁を砕き倒れ込む…すると。
「ん?」
その懐から、何かが出てきた。それは…刺繍のされたハンカチ…いや布だ。問題はその刺繍のデザイン。
『剣を咥えた怪物』のデザイン…これは。
「テメェ!俺達モース大賊団に逆らって!どうなるか分かってんのか!」
「モース?…お前ら、モースんところの!」
モース大賊団、山魔モースの部下がこいつら!いやこいつらこんなところで何やってんだ!?アイツら東部にいる筈だろ!?ここは北部だぞ!なんで東部に…。
いやなんでもいい、全員粉々にしてやる!
「全員血祭りにあげる!!!」
「ひぃ!」
『退け!どうした!敵か!私が相手をする!』
するて、そんな声が響き…和服を着た一人の剣士が山賊達を押し退けてやってくる。灰色の髪、端正な顔立ち…それには覚えがある。モースのところの剣士と言ったら、一人しかいない。
「お願いしやす!カイムさん!」
「任せろ……って、あれは!」
「カイムッッ!!」
カイムだ、モース大賊団最強の幹部…第一隊長『山鬼』カイム。それが片刃の剣をてに現れたのだ。こいつまでいるのか…!!
「貴様!エリスか!?」
「カイムゥッ!!お前ら…また略奪をしようっていうんですね!」
「いや待て!話を聞け!」
「略奪をしようって!言うんですね!!って!こっちが先に聞いてんだろうが!!」
「それはそうだが…!」
「なら潰す!!」
瞬間エリスは魔力覚醒を解放し、同時に冥王乱舞を噴かし一気にカイムに殴りかかる。カイムは少し驚くが…そこは『山鬼』と呼ばれる男。即座に剣を振り抜きエリスの拳を弾きエリスを相手に剣を構える。
「アスタロトから聞いていたが、お前本当に頭がおかしいんだな!」
「おかしくて結構、人から奪い、人を傷つけ、血を啜る倫理観がおかしいお前らに比べたら!ウン倍マシだ!!ぐちゃぐちゃのミンチにしてやるッッ!!」
「貴様も倫理観がおかしいだろうが!!」
エリスは一気に風を纏い籠手を叩きつけるように何度も拳を振るうが、カイムは逆手に持った剣でそれを全て弾き落としながら…。
「甘く見るな、アスタロト一人に苦戦していたお前が…私に勝てるか!魔力覚醒『魔至の炯眼』!」
カイムの目が燃えるように煌めき、全てを見透かす瞳を開眼する。メグさん達から聞いている、これを開いたカイムは相手の動きを確実に見切りカウンターを叩き込んでくるって…でも。
「エリス忘れてませんから!お前のせいでアマルトさん達が死にかけた件ッッ!!」
「話を聞かんなら、切って捨てる!!」
カイムの動きが加速する、エリスの動きを見切って右脇腹に向けて一閃。剣を振るい───。
「遅い…!」
「なッ!?」
「『疾風乱舞・風神脚』ッッ!!」
「ッッ!?!?」
しかし払われた刀を指で掴み、同時にカイムを引き寄せると同時にその胴に鋭い蹴りを叩き込み、足先から風を放ち吹き飛ばす…と、そのまま吹き飛ぶカイムを追いかけで風で加速し。
「人から奪うなッッ!!」
「ぐっ!?貴様…!強くなりすぎだろう!!」
吹き飛ぶカイムの首を掴み、そのまま風で地面に向けて加速し叩きつけ。胸倉を掴み何度も頭を地面に叩きつけまくる。
「ッッ!!この…!」
「どっこいしょッッ!!」
そして胸ぐらを掴んだまま、エリスはカイムを持ち上げ壁に叩きつけ家屋の壁を崩す。するとその時……。
「カイム!無事か!…ッ!お前はエリス!」
「アスタロト…お前もいるか!!」
「げぇっ!いつかのイカれ女!」
壁に叩きつけられ気絶するカイムを助けにやってくるのは…剛柔術の使い手である第二隊長『山龍』アスタロト、そして第四隊長『山虎』ベリト。隊長勢揃いで…こんな安穏とした街を襲おうとしてたのか!!
「フッ!丁度いい!エリス!貴様との再戦!ここで果たしてやるッッ!!」
「喧しいんだよ、今それどころじゃない!!」
アスタロトはいつかのように両手を開きエリスを受け止める姿勢をとり、エリスはそこに一気に風を纏い突っ込む。
剛柔術…力と技の融合技。それを扱う一流の武術家たるアスタロトは強敵だ、強敵だが。
「冥王乱舞!」
「なっ!?それは…!」
冥王乱舞で一気に再加速、アスタロトが知覚出来ない速度にまで至り、そのままその胴体に蹴りを加え吹き飛ばす。
「ぶぐふぅっ!!そ、それはダアトの技!?」
「違う!エリスの技です!!」
「ッ貴様も強くなったか!だが私も強くなった!!」
「うるさい!!」
蹴りを受け吹き飛びながらも耐えたアスタロトはその大きな手でエリスを掴もうとブンブンと振り回すが、エリスはそれを避け──。
「捉えた!剛柔術!」
アスタロトの腕が避けようとしたエリスの肩を掴む。そのまま投げようと力を込める。しかし。
(なッ!?動かない!?まるで断崖絶壁を掴んだようだ!!)
「二度とお前の技なんか喰らうかッッ!!」
逆にアスタロトの体を掴み、冥王乱舞による加速を活かし体を回し、アスタロトの体を振り回しながら地面に叩きつけ投げ飛ばす。大地が砕け、白目を剥いたアスタロトが一度バウンドする…。
「ね、姉さん!」
「次はお前だッッ!」
「ひっ!『大崩か──」
「冥王乱舞!」
瞬間、山虎のベリトを捉え…全身の魔力を手に集め。一気に発射する。
「『魔道』ッッ!!」
「ちょっ!?」
手から放たれた魔力はその圧力により空気を圧縮。灼熱を生み出し燃え上がりながら衝撃波となってベリトへと迫り…爆裂し、吹き飛ばす。
「ぐっ…げぇ…!」
「知り合いであっても!外道は許しません!さぁ次は誰だーっっ!!」
倒れ伏すベリトを確認した後、エリスは山賊達に向けて吠える。周りには気絶したカイム、アスタロト、ベリト…そしてそれを見た山賊は。
「だ、大隊長三人が!?モース大賊団の主戦力が一分足らずで…!?」
「ありえねぇよ!カイムさんとアスタロトさんは第二段階だぞ!?」
「八大同盟の盟主相手にだってもうちょっと持ち堪えられるぞ!」
怯え始め、悲鳴あげる側が入れ替わる。分かるか、これが恐怖だ、抵抗出来ない側の恐怖だ。こんな簡単なことさえ理解出来ない程度の脳みそしか持っていないのなら、エリスが丹念に教えてやる。
暴力で得られるのは、暴力による返礼のみと。
『手前────!』
「む…」
そんな中、一際濃厚な気配を感じる。強く、濃く、そして厚い気配が山賊達の向こうから燃え上がる。カイム、アスタロト、ベリトときたらもう一人しかいないだろ!
「あーしの可愛い子分に何してくれとんじゃァッ!!」
「モース…じゃない!?」
山賊達を割って突っ込んできたのは、違う。モースじゃない!女だ、いやモースも女だけど。違うんだ!
エリスの記憶の中にあるモースは、痩せ細り、枯れ枝に筋肉が乗った細長いスタイルの人物だった。それは行方知らずになってしまった娘への贖罪の為食事の殆どを戒めていたからだ。
だが目の前のこいつはどうだ。もーのすんごい筋肉!腕だけでエリスの体くらいはあるんじゃないかというくらい太く、逆三角形の筋肉はぱつぱつに膨れ上がっており、エリスの知るモースの二倍くらい体躯が巨大化してるように見える。
けどその特徴的な深緑の髪はモースで…って!
「『煉獄張り手』!」
「あぶねっ!」
その壁のような手を振るい地面に叩きつけると同時に魔力衝撃波を放ち、大地を呆気なく砕く。それをぴょんこと飛び跳ね回避しつつ、観察する。この技…確かにモースの。ってことはこいつはモース!?何があって…いやなんでもいい!
「街を襲うな馬鹿野郎っっ!!」
「ぐぎっっ!?」
冥王乱舞で足先を加速させ、そのまま体を三回転させ目の前の女の顔面に叩きつけ、女は一歩、二歩、三歩と引き下がり…。
「いッつつ…なんつー威力でごすか…ナニモンじゃお前…え?あれ?」
「ごす…やっぱり貴方、モース?」
「ありゃあ?エリスじゃないでごすか。こんなところで何を……」
目前の筋肉ダルマはエリスを見るなり目を丸くして構えを解く。やっぱりこいつモースか…最後にあったのは一年前。そこから変わりすぎだろ。
「それはこっちのセリフです!モース!お前東部にいるんじゃないんですか!しばらく山賊はお休みするって言ってたのに!ここ北部ですよ!」
「しばらく休んだでごすよ。ウチの娘が元気にしてるって分かったら食事も進んで、体の調子も戻ってきたし!一丁肩慣らしに街でも襲うかって思ったでごす」
「肩慣らしに街を襲わないでください!改心したんじゃないをですか!!」
「別に、山賊やめたわけじゃないでごすから」
「コイツッ!!」
「あー待った待った!流石に娘の居場所教えてくれた恩人とは戦れんでごす。エリスがここを襲うなっていうなら、襲わんでごすよ」
モースはやる気がないとばかりに両手を上げている。戦う気がないのか、エリスは相手に戦う気がなくても普通にボコボコに出来ますが。
ここで無抵抗のモースをボコボコにしたらネレイドさんに嫌われそうだし…やめとくか。
街を襲わないって言ってるし、まぁよしとするか。なんでここにいるか聞きたいし。
「許しましょう、ですが許すのはエリスだけです。後で街の人達に謝ってください」
「へいへい分かったでごすよ。にしてもこんなところで会うなんて奇遇でごすなぁ、まさか北部で会うとは…一年ぶりでごすか?」
「そうですね、それくらいです」
「あれから、お前らがジズと戦うって聞いて。心配してたでごすが…風の噂で聞いたでごす。ジズ達ハーシェル一家をぶっ潰したって。マジですごいでごすなぁ」
モースはその場に座り込み、手をスッスッと払うと山賊達はエリスを化け物でも見るような目で見て気絶したカイムやアスタロト達を回収していく。そうこうしている間に街にはエリスとモースだけになる。
「モース、貴方さっき肩慣らしに街でも襲うか…と言ってましたね。ですがなんで態々東部から離れたこの街を?さっき山賊達は宝がどうこう言ってましたけど」
「あ?ああ、そりゃ…聞いたからでごすよ。この街に天下ひっくり返せるお宝があるかもしれないって」
「お宝…ディヴィジョンコンピュータでしょうか」
「でび?さぁ名前は知らんでごすが、そう聞いたでごす。宝があるならまぁ…貰っとこうかなぁって」
こいつ芯まで山賊だな。そりゃそうか、これでも山賊の王とまで呼ばれた女。こいつが賊らしからぬ性格なら世界はもう少し平和だったろうし。
にしてもこの街に宝か。そんな物あるとは思えないし、多分ディヴィジョンコンピュータのことだとは思うが……だすると一体どこから漏れた?あれはこの街の人間が秘匿しているものだし。
「一体誰から聞いたんですか?」
「ん?情報屋でごす。シコラクスって女の情報屋でごす」
「うーん、……どこで知ったんだか」
「え?やっぱりお宝あるんでごすか?」
「お宝はありませんよ、ただまぁ…ちょっとした計算機みたいなのがあるだけです」
「なーんだ、だったらいらんでごす」
「渡しませんよ!」
シコラクス…か、なんか嫌な予感がするな。ディヴィジョンコンピュータを手に入れようとしている奴がいて、しかもモースを使ってまで奪おうとするなんて。
もしかしたらそれなりの組織かもしれない。けど今はエリスしかいないし、時間もないし、参ったな。
まぁ、何が来ても追い返すだけですが。
…………………………………………
「モースはどうやらしくじったようです」
「そうか……、ご苦労だったシコラクス」
「いえ」
報告を受け、指を肘掛けの上で踊らせ、玉座に座り直す。まるで闇に紛れるような室内、窓の外に映るのは星空…否、星空しかない。その下には雲海が広がり、まるでここが雲の上かのように無限の世界を映し出す。
その室内には、無数のメイド達が玉座に座る男に礼をする。そんな中…一人のメイド服の女が玉座の男に寄り添い。
「最初からモースなんか信用せず、力で捩じ伏せる方がいいんじゃないでしょうか」
「かもなぁ……、コルロが言っていた話が本当なら。あの街に未来さえ見通すピスケスの秘宝が眠っているのなら、是が非でも確保したい。それさえ手に入れれば我々は再び、裏社会の頂点に君臨する事ができる」
男は、玉座の上で拳を握る。そして数秒の逡巡の後…決意したように立ち上がり。
「よし、直接乗り込むぞ…『空魔の館』をエーニアックの方面へ動かせ」
そして、男は球体関節を動かしながら、片眼鏡の奥に光る赤い瞳を妖しく光らせ…見据える。
「『山魔』で無理なら…『空魔』が出るまでだ」
見据える、エーニアックを。…男の名は空魔、空魔ジズ・ハーシェル。かつて八大同盟の一角を担った男が、エーニアックを目指す。