700.魔女の弟子と学問の街エーニアック
「なんだって!?黒衣姫への道を教えた!?」
「パラベラムに…レーヴァテイン遺跡群の制御チップを渡した!?」
「そんなものあったなら最初から言えよ!?」
「う…ごめんよ」
ノミスマ大峡地を超えて馬車を動かすエリス達はようやく落ち着いてみんなで話す機会に恵まれた。アマルトさんは無事にクルシフィクスを倒しレーヴァテインさんを救出し二人で生きて帰って来たんだ。流石アマルトさんですよね。
しかしその後急いで脱出しようとした瞬間…なんと黒の工廠が大爆発。ゴルゴネイオンの二人組が何かしたんだろうけど…まさかマジで吹っ飛ばすとは。まぁそれはいい、肝心なのはエリス達がみんな無事で脱出出来たこと…でも。
「ごめんよ…ボクが喋らなきゃ、みんなを殺すって言われて…ボクのせいでみんなを死なせるくらいなら…って、軽率に思ってしまったんだ」
ソファに座りしゅんと小さくなるレーヴァテインさんを見てエリスとラグナとメルクさんは目を合わせる。駆動車をぶっ飛ばした時の反応と言いレーヴァテインさんはエリス達の実力を正確に理解していない可能性があるとは思っていた…。
だからエリスが助けに来るとも、ラグナ達が自分達で脱出出来るとも思ってもいなかったんだろう。何より。
「まぁ、簡単に捕まっちまった俺達にも非はある、責やしないさ」
「そうだな、我々の認識が甘かった…と言う点も大きい。守ると言いながら危険に晒したんだ、何も言えんさ」
「今反省会をしても意味ありません、それよりレーヴァテインさん…奴らに渡した制御チップってなんですか?そんなの持ってたんですか?」
「うん、一応…」
「なんでその存在をエリスたちに言ってくれなかったんですか…それがあれば黒衣姫を渡さないようにする立ち回りも出来たでしょうに」
「ごめん、これは本当に奥の手として残して起きたかったんだ…もうどうにもならないと思った時、最悪あの遺跡を爆破する…跡形もなく消し去れば東部一帯の地面が捲れ上がり遺跡は崩れ、黒衣姫は回収不可能になるからね…けど」
「……そんなことをしたら、東部に被害が出るな」
「うん、それに……ごめん。出来なかった、奴にチップを渡す時そのチャンスがあったのに…出来なかった……あそこがなくなったら、ボクは本当の意味で…居場所を失う気がして」
「……………」
正直、隠し事をされたのはショックだが仕方ないと思う部分もある。エリス達はまだレーヴァテインさんの本当の信頼を得られていなかったんだ…エリス達がレーヴァテインさんを守り切れる可能性があるか分からないとレーヴァテインさん本人に思われていたから彼女は誰にも言わない奥の手を残した。
それに、彼女の心情的に遺跡の爆破は本当に奥の手の奥の手だったんだ。奥の手というのは追い詰められたら都合良く出して来れるものじゃない…本質は『心情的には使いたくない手』だ。そうでもなければとっととやってる。
彼女は、常に孤独感を感じているんだ。その孤独感に耐えられるのはある意味ピスケスの文化がパラベラムとの戦いの中で垣間見えているからであり、レーヴァテイン遺跡と言う場所があるから。
その全てがなくなれば彼女は…彼女が生きていた世界とのか細い繋がりさえ失うことになる。ただでさえ宙ぶらりんな彼女を繋ぎ止める唯一の紐が消え失せる。そうなったら彼女は完全に孤独だ…だから、爆破という手を使えなかった。
「ボクは…弱い、君たちに申し訳がない…」
「だから反省はいいって言ってるじゃないですか。気持ちは分からないでもないですしそもそもラグナがいながらあっさり捕まったのが悪かったわけですし」
「う…なぁエリス、お前婚約してから俺への当たりキツくないか?」
「エリスの旦那さんなんだからもっとシャキッとして貰わないと困ります…エリスメチャクチャ心配したんですからね!」
「わ、悪かったよう」
(完全に尻に敷かれているな…)
ともあれ、反省はいい。そうなってしまったのは仕方ないしクヨクヨしてる時間も正直ないわけだしね。それより…だ。
「もうこうなったらいよいよディヴィジョンコンピュータを見つけ出して黒衣姫を停止させる手段を見つけないといけませんね」
「だな…、つまり目的に変わりなしってことだ」
「そうだな、しかしセラヴィ達は状況的にレーヴァテイン遺跡群に向かったんだろう?間に合うか?」
「猶予はあんまりない、彼らがレーヴァテイン遺跡に到着するまで多く見積もっても一週間くらいだろう。そこからレーヴァテイン遺跡の掌握に三日はかかるとして…」
「十日か……」
時間がない、あまりにも。それまでに停止の方法を見つけられなければアウトか…。
「レーヴァテインさん、ディヴィジョンコンピュータを見つけたとして…その場で黒衣姫の停止は可能ですか?」
「無理だ、再びレーヴァテイン遺跡に戻る必要がある」
「エーニアックからレーヴァテイン遺跡までどう見積もっても十日じゃ到着できんぞ…」
「まぁ、そこはなんとかするしかありません、今は足を止めずエーニアックに行きましょう」
そら無理難題は山ほどあるだろうがこういう時間がない時に先のスケジュールまで考える必要はない、まずは目前の目的を果たしてからだ。
幸いエリス達はノミスマ大峡地を超えている。ここからしばらく街道を進めばエーニアックに到着する、多分二、三時間だろう。そこですぐにディヴィジョンコンピュータを見つけて…最悪エリス一人でレーヴァテイン遺跡に飛んでいけば間に合うだろう。
「って事は遺跡に向かえばまた幹部と戦うことになるかもしれないんだな」
「むぅ、それもそうか…あのデキマティオって奴が使ってた装備、厄介だったな…あっ、そうだレーヴァテイン、実は幹部がピスケスの装備を使ってたんだけどそれについて教えてくれないかな」
「え?ああいいよ、どういう物を使ってたのかな」
取り敢えず、今は幹部達との戦いを想定して情報を整理するしか無い。エリスは殆ど幹部と戦ってないからここはラグナ達に任せるしか無いか。
というわけで幹部と戦ったラグナ、ナリアさん、ネレイドさんの三人の証言を元に情報が共有される。因みにメグさんは御者で…デティとアマルトさんはこの場にいない。
アマルトさんの負傷が想定以上に凄まじかったんだ、デティがパラベラムに対して激怒する勢いで負傷し瀕死になったアマルトさんは今デティの看病により安静にしているところだ。
「どんな動きも読み切る瞳に、魔女の動きを模倣する籠手に、無限に兵器を生み出せる体…か」
「ああ、種は分かるか?」
「分かるよ、それ開発したのボクだから…にしてもそうか。そういう風に使ってるんだ…」
するとレーヴァテインさんはこめかみをトントンと叩きながらメモリを取り出し…。
「まず、デキマティオという男が使っていたのは『識確システム』だと思う」
「識確…マジで識確を使っていたのか?」
「いやいや、識確魔術は使えないよ?ただ識確術者が見ている景色を擬似的に再現することができるんだ…例えば未来を見たりとかね。エリス君も出来るだろう?」
「はい、超極限集中状態なら…ですがね」
識確という単語そのものはなんら特別じゃ無い、そもそも六大元素の識が表す物は人そのものだ。人が織りなす知識の連鎖とそれにより構築される技術体系が世界に影響を及ぼすのを火や水のような世界を構成する元素とする考え方を言うんだから。
だから識確とは全人類に備わっている力を言う。それを魔術で操る識確魔術が特別なだけでね、だから識確を見ること自体は可能だ…例えばメルクさんの見識ようなね。だからデキマティオの識確システムとはどちらかと言うとエリスよりもメルクさんの方が近いかもしれない。
「識確による未来予知は超高度演算による確率予測だと言うことがわかったボクは小型の演算機構を複数機連結させて擬似的に識確による未来予測を再現したんだ。これが識確システムの正体だよ、君が動きが読まれていると感じたならそれはその通り…なんせ未来を読んでるんだから」
「そうか…そんな凄いものまで開発してたんだな」
「とは言えこれ、失敗作なんだよね」
「失敗作?上手く作動してたが…」
「ううん、稼働は出来た…けど識確による未来予測は識確魔術使いが近くにいると上手く作用しない事が後に分かったんだ」
「ああ〜…」
ラグナがエリスを見て納得する、デキマティオはエリスが現れた瞬間未来が見えないだとかなんだとか言って混乱してたからな。エリスもダアトと戦う時は未来を読まれないように識確による情報奪取をされないように動いているし…そう言うこともあるんだろう。
「識確魔術使いは識確魔術使いにしか倒せないのはこの未来予測を突破できるのが識確魔術使いしかいないからなんだと理解したボクはこれを破棄したんだ。敵方にナヴァグラハがいる以上役に立たないからね」
「た、確かに」
「だからそのデキマティオという男はエリス君が戦えば驚くほどあっさり倒せるだろうね」
「なるほど、確かにアイツ雑魚でしたからね。エリスなら五秒で全身の関節を反対側に曲げられます」
「頼もしいね、それ以上に怖いけど」
デキマティオは完全に識確の未来予測頼りの戦い方をしていた、それが崩されれば雑魚もいいところだ、だが逆を言えば未来予測ただ一つだけでラグナでさえ苦戦するのだ…識確使いがどれだけ戦場で猛威を振るうか、それがいかに恐ろしい力であるかを再確認する。
けど、はっきり言ってデキマティオはダアトの足元にも及ばない存在だ。ダアトは未来予測が効かなくなってもあんなに強いんだから大したもんだよ。
「そして次にクルレイという女が使っていた魔女の動きを模倣する装備という奴だけど…恐らくボクが作ったウィッチデータを用いた物だろうね」
「何それ」
「魔女の戦闘データを収集し、それを様々な兵装で再現して魔女の力を持った兵士を量産しようとしたんだ。例えばアルクトゥルスが一千人いたら頼もしいだろう?」
「この世の終わりだと思うが…」
「これを身につければ誰でも魔女の動きを再現出来る。古式魔術でさえもね…まぁこれも失敗作なんだけど」
「え?凄い発明だと思うけど」
「いや、出力が足りないんだ。レグルス達の力を完璧に模倣するには至らなかった…真似出来るのはあくまで動きだけ、力まで完全に再現すると普通の人間じゃ四肢が飛ぶ」
「ああ…まぁ」
魔女とは超絶した力を持つ摩訶不思議な存在ではなく魔術と言う学問を極限まで鍛え抜いた一種の達人だ。達人の動きを模倣出来てもその速度を出すためには同等の鍛錬が必要だしその威力を再現するには相応の無茶を強いられる。そう言う物に耐えられる土壌もなく無理矢理真似をすればそりゃあ死にもする。
なるほどだから失敗作なのか。
「魔女量産計画は別の手段を用いる方向に舵を切り直して、このウィッチデータは諸共凍結されたんだ…それを恐らく掘り起こして使ってるんだね」
「弱点はありますか?」
「魔女達の弱点もそのまま再現されてるからいっぱいあるよ」
あるのか?魔女様達に弱点とか…。エリスもラグナもネレイドさんも視線を交差させ小さく首を傾げる。あるなら是非聞いてみたいもんだが…。
「そして次にナリア君が戦ったって言う武器を無尽蔵に作り出せる工場だったね」
「はい、アイツはそれを体に埋め込み中からミサイルをバンバン出しまくってました」
「多分簡易拠点用の生産ラインを体内に埋め込んだのかな。面白い使い方だ…これはボクにも思いつかなかったよ。元々これは敵地にて陣地形成を行う際に設置する物だったんだよ、現地で武器が作れたら強いでしょ?」
「ああ、けど敵地に陣地を作るってことは他の陣地よりも奪われる可能性が高い。となるとそのままその簡易生産ラインも奪われるかもしれないけど…その対策はしてたのか?」
「フフフ、その助言は八千年前にして欲しかったかな」
「って事は鹵獲されたんかい!」
「うん、けどレグルスが暴れてくれたおかげで敵に技術は渡らなかったけどね。ともあれこのその一件があったから簡易生産ラインシステムは破棄、失敗作としてプロジェクトが凍結されのさ」
「………あの、レーヴァテインさん。さっきから聞いてたら全部失敗作って言ってる気がするんですが」
「……あれ?確かにそうだね」
ふとレーヴァテインさんは考える、デキマティオもクルレイもベスティアスもみんなレーヴァテインさんが失敗作と断じた物を使っているんだ。これは如何に?とポクポク考えたレーヴァテインさんは手を打ち。
「あ!やっべ!作った奴そのままの形で倉庫に残してたかも!」
「は?」
「失敗作だしもう使わないし確かレーヴァテイン遺跡の第一層に残してたかも…って事は幹部が使ってる武器は彼らが再現した物じゃなくて、そのままボクが作った物を流用してるのかも。だとしたらやばいぞ…今の技術で辛うじて再現した武器よりもボクが作ったオリジナルの方が断然性能がいい」
「なるほど、色々合点が入ったよ。アイツらの強さの原因はそれか」
レーヴァテインさんが作ったオリジナル。それはパラベラムがなんとか再現したものよりずっと性能がいい、だってレーヴァテインさんが使って失敗作だと断じた戦場は第四段階到達者がひしめく魔境みたいな戦場だ。
そんなハイレベルな環境で失敗作だと言われても…今の世の中じゃ全然通用するどころか反則級の強さになる。ましてやその性能は再現されたものよりもずっと高い…これか、幹部が失敗作を使っていた理由は。
「まぁ簡単には勝てない、そんな事は分かってるさ。けど相手が強いってのが戦わない理由にはならない、代わりに戦う理由はあるわけだしな」
「ですね、どの道奴等は是が非でも黒衣姫を手に入れようとしてくる。どこかでぶつかるなら怯えるより倒し方考える方がお得です」
「君達は…勇ましいね。本当に…昔の魔女様を思わせるよ。…本当に」
すると、レーヴァテインさんは静かに立ち上がり握った拳を前に出し。
「ボクが黒衣姫に通じる道を奴らに示してしまった以上、このままか放置すれば間違いなく今の世の平穏が崩れる事になるだろう。……けどそれだけは避けなきゃいけない、ボクのせいでまたあの時のような、大いなる厄災のような大戦争を起こすわけにはいかないんだ…」
「だな、その為に俺らがいるわけだし」
「ああ、だから…戦うよ、ボクも」
レーヴァテインさんの瞳は決意に満ちている。今までの弱々しい感じはどこにもない、これは頼りになりそうだ。
「よしっ!気合い入った!ボクちょっとアマルト君の様子見に行ってくるよ」
そしてそう言ってレーヴァテインさんはイソイソと走り出しアマルトさんのいる男子寝室に向かっていく。今あそこではデティがアマルトさんの治療をしているはずだ。エリスはそれを見送りさてこれからどうするかと考えたところ…。
「でさ、エリス」
「はい?なんです?」
「お前らどうやって潜入してきたんだ?俺らが捕まってから助けに来るまで…結構早かったが」
「ああそうだ、ラセツがどうとか言っていたな。結局ラセツは黒の工廠での戦いには参加してこなかったし…そろそろ説明してくれてもいいんじゃないか?」
「あー……」
みんなに説明していなかった、けどどうだろう…ラセツは自分が裏切った事を誰にも言わないでって言ってた。そこに仲間達も含まれているか分からないな…いや普通に考えたらエリスの仲間は含まれていないか。だって仲間達に教えたところでラセツに不利益はないし。
アイツは敵ですが助けてもらった義理は果たさないといけませんからね、この辺は気にした方が良い…まぁ仲間には言いますが。
「実はラセツに助けてもらったんです」
「ラセツに?なんで?」
「なんでもセラヴィに親を殺されてたらしくて、その恨みから一泡吹かせたかったらしいです」
「うーん…俄には信じられない話だがエリスが信じたって事は多分マジなんだろうな」
「とはいえ協力関係は一時のものです、次あったらボコボコにします、エリスが」
ラグナは腕を組みながらうーんと唸りながら頭を掻いて。
「まぁ〜何考えてるか分からないやつだが、敵対関係そのものが解消されてないなら…やはり戦いの場には現れるだろうな」
するとラグナはソファにゴローンと座り込み…。
「強え奴と戦うのは結構だが、正直アイツは強すぎる。手に負えるとは思えない」
「なんだ、随分弱気な発言だなラグナ」
「そりゃあそうだろ…血気に任せて突っ込める程単純な状況じゃないし、何より…俺が判断をミスったら死人が出るかもしれないんだ」
「まぁ……」
ラセツは強い、本気でエリスが戦っても奴と張り合う事すら出来なかった。強すぎると言うより…差を感じるんだ。
エリス達は今第二段階にいる。ラセツは恐らく第三段階…第三段階とは即ち人類最強の領域だ。
第三段階に入った者は有象無象とは違う隔絶した存在になる。たった一人で国のあり方を左右したった一人で勢力同士の抗争の抑止力にさえなり得る文字通り『桁外れ』の存在。魔女大国でさえこの段階に入っている人は数える程度しかおらず…歴史を振り返っても殆どいない。
第三段階に至れば人類最強になれると言うより、人類最強になるだけの力を得てこそ第三段階と言える。そして今エリス達はそう言う奴等に勝ったことが一度もない。
バシレウスやダアト、ラセツにタヴ…未だかつて手の届いたことのない領域に立つ存在。それと戦い勝つっていうのは…簡単なことじゃないんだ。
「俺の目測になるけど…ラセツの力はカルウェナンの数倍近いと考えている、俺達が四人がかりで戦ってようやく勝てたカルウェナンよりも強いアイツを倒すには、はっきり言って現状の戦力は足りてないと思う」
「全員がかりでも無理ですか?」
「無理だ…気弱な事を言うとな、この中の誰かが第三段階に入れば或いは可能性もあるが…」
第三段階か…エリスはまだ入れそうにない、それはラグナもデティもメルクさんも同じだ、一番可能性が高いと言われてるネレイドさんはルビカンテ達との戦いで一度試したそうだが、体が耐えきれず暴走しかけたらしい。
「ごめんね…私が、トラヴィスさんに第三段階に一番近いって言われてるのに…前やったら、耐えられなかった」
「耐えられなかったか、ネレイドさんの体でも無理な程の出力が出るのか…いや、或いは過剰に出過ぎたのかもな」
「出過ぎた?どう言う事?」
「いや、この辺はデティ辺りに聞かなきゃ分からないけどさ。覚醒ってのはつまり自分の可能性が発芽し顕現するものだろ?ネレイドは超人としてすげぇ馬力が出るからその分覚醒の出力もとんでもないんじゃないかな」
「或いは、ネレイドさえも知らない更なる潜在能力が隠されているか…だな」
確かに、ネレイドさんはエリス達の中で最も強い肉体を持つ人物と言える。昔戦った時も…実戦の中でさえ無意識に手を抜いていたりもした、つまりネレイドさんは意識しないところで何処かで力をセーブし続けているのかもしれない。
だが極・魔力覚醒はそう言う部分を考慮せずフルパワーが出るから…セーブされた力では対応が出来ない、とか。
「私、力隠されてるの?」
「いや知らないが…」
「何はともあれ…アレですね、もう一回腰を据えて修行したいですね」
エリスがそう言うとみんな静かに頷く。にしても師匠達も無茶をしたもんだよね?だってこの旅が始まった時のエリス達の実力的に到底八大同盟やセフィラたちを倒せるとは思えないぐらいだった。
安全に倒せたら修行にはならないと思うけど。でも…この場に至ってエリス達は思うんだ。
もう一回、師匠達の指導を受けたいと。
「もう一回でいいから師範にアドバイスを受けたいよな…俺も使いたい技があるんだけど、使い方が分からないんだよな」
「私もだ、概念錬成についてマスターに意見を聞きたい」
「うん…修行したい」
「エリスもですよ〜…」
みんな師匠達の修行が恋しいんだ。だが以前帝国で会った時も師匠はエリスに殆ど修行をつけてくれなかった。私が教えられる範囲にないと師匠は言っていた…それがどう言う意味なのか分からないけどさ、修行はつけて欲しいよ…。
「後はアレだな、期待するしかないな」
「何にです?」
「レーヴァテインが言ってた…ディヴィジョンコンピュータで行う特別なトレーニングって奴にさ」
ああ、そうですね。と言ってもエリス…あんまり期待してないんですよね、帝国の最新器具でトレーニングしたことはあるが…。
確かに最新器具でのトレーニングは効率が良いが、それは自主練の域を出ない。エリス達が今受けたいのは指導なんだ…若干ニュアンスが違う。
どんなトレーニングが受けられるか分からないが、そこでラセツと戦えるくらいの強さを得られるといいなぁ。
……………………………………………………………………
ボクは非力だ。あんまり強くない、けどそれをコンプレックスに感じたことはない。人間には出来る範囲が予め決められておりそれ以上の事を求めると何処かで破綻する。そもそも人とは群を成してこの地上の覇者になった生き物だからただ一人の特例が強くなっても意味がないと考えていた。
しかし、その考えを改めたのは…群によって力をつけた人類とは正反対の方向を行く圧倒的な個であるシリウスの存在だ。そして彼女が育てた八人の魔女もまた絶大な力を持ちボクの考えを改めさせた。
そして、ある日聞いたんだ…どうして君達はそんなに強くなろうとするの?修行をするの?って。そうしたらアルクトゥルスは。
『オレは言い訳が嫌いだからだよ。弱いと言い訳が出来ちまう、言い訳出来ないくらい強くなって…それで負けたらまだ格好もつくだろうがよ』
でもどうして魔術なの?銃を使えば済む話だよね、そう聞いたらフォーマルハウトは。
『それはわたくし達に示された道が魔道だからですわ。わたくし達はわたくし達の道を歩く事を選んだ…この道以外の歩き方も知りません、だから魔の道を歩き続けるんです』
でも、効率が悪いよ…そう言ったらレグルスは。
『うるさい、死ね』
そう言って殴ってきた。右ストレートを受けながら錐揉み…ボクは思った、即ち自らで志した道を歩くことこそ強くなると言うことなのだと。それはつまり魔術にせよ科学技術にせよ変わりはないんだって。
そんな彼女の強さに焦がれて、ボクはウィッチデータプロジェクトを推し進め、そして黒衣姫を作り上げたんだ…。
……そんな事を、思い出した。アマルト君の言葉を聞いていたら。
「アマルト君、大丈夫かい?」
「ん?」
ダイニングで治療を受けているアマルト君を見に行くと…彼は既に起き上がり、料理を作っていた。
「え!?いや!安静にしてるはずじゃ!?」
「安静期間は終わったよ、私が治癒したからね」
ふと見てみると既に一仕事終えたデティ君が机に座ってスナック菓子を食べていた。そうか…彼女はあのゲネトリクスの子孫でスピカの弟子だもんね。そりゃあ治癒の腕前も凄いか…。
「流石だね、スピカの卓越した治癒魔術も受け継いでいるんだね」
「まぁね、先生の教え方がいいので」
「おいデティ、お前の先生は飯の前にお菓子食っていいって教えたのか?」
「………え?何?聞こえない」
「こいつ…」
「それにしてももう動いても平気なのかい?ちょっと休んだ方が…」
「あーいいんだよ、怪我は慣れてるし痛いところもないしな。ちっとは疲れてるがそれは全員同じだろ?」
「ま、まぁ」
「だからいいのさ」
アマルト君は肉を焼いて野菜を切ってテキパキと仕事をしている。これは……うん。
「もしかして看病とか期待してた?」
「ギクッ…」
う、…何故バレた。あわよくば彼の汗を拭いてみたいとか彼の寝顔とかを見てみたいとか思ってただけなんだが…。うう、まさか看病の必要がないほどに回復しているとは…ピスケスの超回復カプセル以上の治癒能力だよ。
「心配してくれてありがとよ、お前も無事みたいで何よりだよレーヴァテイン」
「ううん、君が助けに来てくれたからさ…。それにさ、アマルト君」
ボクはデティ君の隣に座ってアマルト君の方を見る。相変わらず何かの作業をしている彼は格好いいな。
「ボク、覚悟決めたよ」
「なんの?」
「戦う覚悟さ、君達と一緒に戦うよボクも」
「今まで決まってなかったのか?」
「そういうんじゃなくてぇ!」
「分かってるよ、分かってるさ」
するとデティ君が部屋から出て、ダイニングにボクとアマルト君の二人きりになった瞬間…アマルト君は静かに口を開き…。
「お前は強いさ、自分と向き合ってる…俺とは違う」
「アマルト君?」
アマルトの表情に影が浮かび上がる、まるで仲間の前では必死に隠しているような…そんな闇がチラリと垣間見えつつ彼は料理を続ける。
「つくづく痛感させられたよ、俺も…もう少し強けりゃな」
「何言ってるんだいアマルト君、君は強くて…」
「クルシフィクスの時何度も痛感した…俺がもっと強ければってな。言ってなかったか?俺…魔力覚醒がちゃんと出来ないんだ」
「え?」
彼は語る、彼の魔力覚醒は使えば死んでしまうものなのだと言う。確かに覚醒の中には自分を傷つける物も少なからずある。中には寿命を消費して攻撃する…なんで奴も見たそことある。アマルト君が…それと同じ?
「つまり、第二段階に正式に入れていない…ってことかい?」
「ああ、アイツら向こうで第三段階に入れたらって話してるだろ?みんな第二段階なのに俺だけまだ第一段階ってことさ」
覚醒出来るからと言って第二段階という事はなく、その逆もある。覚醒を確定させられていないのなら…彼はまだ第二段階、みんな第三段階を見据えているのに自分だけ置いていかれている現状を…一人だけ気にして。
「し…仕方ないよ」
「え?」
彼の気持ちが…なんとなく分かってしまった。一人だけ置いていかれる…それはとても寂しい事だ、ボクもまた八千年前…一人だけ弱いから、戦いに出るみんなを見送っていた、もっと強ければと何度も思った物だ。
だから…言うんだ。
「君は…頑張ってる、頑張ってるんだから…仕方ないよ」
「…………」
「君は十分強い、自分を責める事ないよ」
取り留めもなく、何が言いたいかもまとまらず、ただそんな顔をしないでと…必死に伝える。だってそうだろ?彼はこんなに頑張ってるんだから自分を責める事はないよ、それにクルシフィクスと戦いボクを守ってくれたじゃないか。
そう伝えると…彼は。
「………………………」
ボクに背を向け、数秒何かの作業をしたかと想うと…。
「ああ、そうかもな…!」
振り向く、ニッと笑いながら…いつもみたいに笑顔を見せて、大きく頷くと。
「まぁ実際俺頑張ってるしな、まぁそのうちなんとかなるよな。気にする必要もないか」
「そ、そうだよ…!」
「へっ、サンキューな?レーヴァテイン…お前優しいな」
「そ、そうかな……そ、それにもうすぐエーニアックだ、ディヴィジョンコンピュータが手に入れば君の手伝いも出来る」
「ああ、なんかトレーニングできるんだっけ?期待してるぜ」
「う、うん!」
「へへ、じゃあちょっと待ってろよ。すぐに料理出来るから」
「分かった、気にしないでね…アマルト君」
「してねーよ」
それだけ…ただ伝えた。ボクはアマルト君が頑張ってる事を知ってるから、頑張ってる彼は何も気にする必要はないんだ、頑張ってる…それだけで人は讃えられるべきなのだから。
ボクは言いたい事を言い、彼に背を向けてダイニングを後にして……。
「頑張ってる…か、そりゃ…前提だろ」
ただ…彼が呟いた言葉に、気がつくこともなく。呑気にその場を立ち去るのだった。
………………………………………
それから、数時間経ってだ。エリス達は遂に目的地である学問の街エーニアックに到着したんだ。
学問の街エーニアック…この街はその名前の通り学問を重んじる者達が寄り集まる街で感覚的には魔術研究者が集まるウルサマヨリに近い。街の殆どが本屋なのもそうだし街の人達がみんな小難しい話をしてるのもウルサマヨリにそっくり。いきなり街の人が裸で家から飛び出してきて『エウレーカ!』と叫んで走り出すのも同じだ。
ただこの街がウルサマヨリと違うのは学ぶのが魔術ではなく学問であると言う事。哲学然り数学や語学、歴史にもっと小難しいなんかよく分からない学問とか色々雑多に学ぶ人が多いんだ。
この街が出来たきっかけは詳しくは分かっていない、なんでも予言の賢者バベッジなる存在が知恵の殿堂を開いたからと言われている…そう、知恵の殿堂…これが問題だ。
エリス調べの情報ではですね…この知恵の殿堂とやらは巨大な山の上にあるらしいんですわ、でね?その山は天から降り注いだ隕石により出来たとかなんとか…これ、ビンゴを通り越してジャックポットでは?
ここにディヴィジョンコンピュータがある、間違いない。そう確信したエリス達は今…エーニアックに降り立つ。
「ここがエーニアック…」
「なんか騒がしい街ですね」
街は白岩石で作られた家々が立ち並び間から苔やら草やらが生えている遺跡のような出立ちであり、そこかしこで学者と思われる街人達が言い合いをしてるんだ。
『違う!そんな事も理解出来ない癖をして私に生意気な口を聞くな!』
『お前はそもそも論点を違っている!意固地になって聞く耳を捨てるのは今すぐやめろっ!!』
「ここに住んでるのは皆博学な学者達と聞いていたんですが…」
「学者なんてあんなもんだろ」
「それより、とっととディヴィジョンコンピュータを探しに行こうぜ」
街の前で屯するエリス達は揃って街の一点を見つめる。エリス達がここに来たのは観光でも漫遊でもない。ディヴィジョンコンピュータを探す為だ…けど、さっきも言ったが探すまでもない。
ある場所に予測はつけている。知識の殿堂アナリティカル…それはこの街の小高い山の上に立っている巨大な神殿があるんだ、城みたいな巨大さの純白の神殿…あれが予言の賢者バベッジが開いたと言う知識の殿堂そのものだ。
エリス達はあそこにディヴィジョンコンピュータがあるのではと見ているわけだ。
「どうです?レーヴァテインさん…ありそうですか?」
「うん、間違いないよ。サイズ的に間違いなくあそこにディヴィジョンコンピュータがある」
「さ、サイズって?」
「山の大きさ的にさ。言ってなかったかい?ディヴィジョンコンピュータはそこらの城より大きいよ」
い、いやいやそもそもコンピュータが何かも知りませんよエリス達は。けど計算機って聞いてたからもっとこう…コンパクトなものかと思ったが、なるほど。コンピュータって場所取るんだなぁ…。
「きっとあの山の中にディヴィジョンコンピュータがあるはずだ!さぁ行こう!ディヴィジョンコンピュータさえあればボクは本領発揮できるぞ〜!ようやくみんなの役に立てるんだ!」
「あ!おい!レーヴァテイン!」
「張り切ってるねぇ」
「もうパラベラムは追って来ないんだ。好きにさせてやろう」
慌てて知識の殿堂アナリティカルへと向かうレーヴァテインさん。それを追いかけるようにみんなの背中をボーッと眺めているエリスは…ふと、思う。
(何か感じる……)
この街から何かを感じる、魂の奥底がゾワゾワする感覚…街の入り口にいるだけでそれを感じるんだ。その不思議で名状し難い感覚は覚えがある。
これはいつも…奴を前にした時決まって感じる感覚…そう。
(ダアトを目の前にしてる時と同じ感覚だ…)
エリスの識確の魔力と奴の識確の魔力が交差して不思議な反応を起こしてる時の…それこそ、誰にも予知出来ない未来が作り出されている時と同じ感覚を覚える。
まさか近くにダアトがいるのか?と思って周りを見るが見当たらない。
(って探したって見つかるわけないか。それにアイツもいきなりエリス達に仕掛けてくるようなことはしないはず…)
ダアトならエリスを見つけたら確実に接触してくる。戦いになるかは分からないが少なくとも不意打ちを仕掛けるような奴じゃない。そこは確信できる部分だ…しかし。
もしダアトがこの街にいないのだとしたら、エリスはなんでダアトの気配を感じてるんだ?
「エリスくーん!何してるんだい?」
「え!ああいや…すみません。すぐ行きます!」
遠くからレーヴァテインさんに言われてエリスは慌てて駆け出す。置いていかれるところだった…危ない危ない。
そうしてエリス達は学者達で溢れたこの街を歩き、余所見も脇見もせず一気に山を登り知識の殿堂アナリティカルへと向かう。遠目から見ても大きかったその神殿はこうして目の前にするとなお大きい。
「おお!美しい神殿ですね!」
「ああ…こいつは、数百年前からあるってのも納得の荘厳さだ」
白い神殿の前、巨大な門の両脇には筋肉ムキムキの石像が巨大な本を抱えている像が二つ。神殿は飾り気こそないものの数百年前からあると言うのも頷ける荘厳さだ。
「二人とも、早く中に入ろうよ」
「おいおいレーヴァテイン、慌てんなって。別にディヴィジョンコンピュータは逃げないだろ」
「そうだけど…この街の感じがあんまり好きじゃないんだ」
「え?」
するとレーヴァテインさんは何やら落ち着かないようで。周りをキョドキョド見ながらアマルトさんに擦り寄っている。
「好きじゃないって、お前も学者だろ」
「僕は発明家!学者じゃないよ…」
「学者嫌いなのか?」
「嫌いというより…うーん、学者という人間にあんまりいい思い出がないんだ…」
「ふーん」
「ここの学者達、感じが…その。似てるんだよね、ボクの嫌いな学者に…見てると気分が悪くなる、早く中に入ろう」
そう言ってレーヴァテインさんはそそくさと中に入って行ってしまう。それを見てエリスとアマルトさんは首を傾げる。彼女があんなに露骨に嫌悪感を示すなんて珍しいな…。
「なんか…あるみたいだね」
「だな、学者が嫌いとはやや意外だが」
「まぁ人に歴史ありさ」
ネレイドさんとメルクさんが何やらぼやいているが、まぁ嫌いなものは嫌いで仕方ない。それより中に入ろうとエリス達は白い門を潜って、そうして白い神殿の中に入ると…レーヴァテインさんが嫌いだという学者がそこら中にいた。と言っても仕方ないよね、だってここ知識の殿堂だもん。
「うう、ますますアカデメイア…」
「そんなに嫌いなんですか?」
「うん…というかここはどういう施設なんだい?」
なんてエリス達が話していると…ふと、近くの学者と思われる女性が寄ってきて。
「あら?貴方達この街の学者じゃないわね?」
「え?ああ…はい。一応旅人で…ってここ旅人が入っちゃダメですか?」
「いえ?構わないわ。知識の殿堂は学ぶ気のあるものには門を開け、無い物には道を閉ざす施設。貴方達がここで学ぶ気があるなら決して追い出したりしないわ」
女性は紫の髪に赤い瞳をした白衣の人物だった。やや年がいっているように見えるが…やる気や活力にあ溢れた人間とは如何にもこうにも美しく見えるもので、恐らく見た目はかなり若く見えるが実年齢はかなりいっているものと思われる。
そんな彼女はエリス達に手を差し伸べて…。
「私はこの知識の殿堂の蔵書庫番、所謂司書をやっているヒュパティアよ。よろしく」
「エリスはエリスです、よろしくお願いします」
ヒュパティアと名乗った女性はエリスの手を取り軽く握手をする…その瞬間。
「え?」
エリスの手から何かを感じ取ったのか、ヒュパティアさんはエリスの手を凝視して…。
「ん?どうしました?ヒュパティアさん」
「い、いえ…今は話をややこしくするだけだと思うから黙っておくわ。それより貴方達…何か用があってここに来たのよね?」
「はい一応」
「ねぇ君、ここはどんな施設なんだい?」
するとレーヴァテインさんがエリスの背中からひょこりと顔を出してヒュパティアさんに声をかける、するとヒュパティアさんはレーヴァテインさんの顔を見てニコッと微笑み。
「ここは知識の殿堂、知識を蓄え奉納する蔵書庫であり新たなる学を開く為に学者達が集まる学びの場…所謂大人の為の学園ってところかしらね」
「へぇ、面白いね。研究所とは違うのかい?」
「違うね、研究者は何かを得る目的があって学ぶ者。ここにいる人間はみんな好きでやってるから研究とは少し違うのさ、それに研究成果のように形あるものは残せないからね…まぁ、その代わり新しい常識や知識を作り出せるから、尊い場所であることに変わりはないわ」
ヒュパティアさんは随分気の良い性格をしているようでレーヴァテインさんの若干無礼に思える物の言い方や聞き方にも反応することなく答えてくれる。
「なぁヒュパティアさん」
するとラグナが頭をポリポリ掻きながらこちらにやってくるなり…。
「ディヴィジョンコンピュータってどこにあるか知ってるか?」
「は?」
「ちょ、ラグナ…!」
なんて事を聞くんだ、ヒュパティアさんは当然目を丸くしている。当然だ、ディヴィジョンコンピュータはそもそも発見されていないという前提の話だ、もし彼女達が発見していたらコンピュータの存在は明るみになっていただろうし、エリス達も知っていただろう。それがないということは発見はされてないんだ…なのに聞いたって意味ないよ。
「ご、ごめん…そのディヴィジョンナンタラについては分からないな。けど興味深いな…学者として興味がある」
「ああいやすみませんヒュパティアさん、あんまり気にしないでください」
「そう?あんまり蚊帳の外は悲しいな…これでも結構私賢いんだよ?例えば…識確の研究とか、しているしね」
チラリとヒュパティアさんはエリスを見ていうんだ、他でもないエリスを見て…識確だと。
「なんで知ってるんですか…」
そもそも色々引っかかる、さっきエリスの手を掴んだ時の反応と言い彼女は明らかに識を知っている。だがそもそもだ…識という概念は一般では知られていない概念だ、エリスが最初に識について調べた時はデティでさえ知らない程一般では認知されていない失伝した学問だったはず。
なのになんで…この人が知ってるんだ────。
「なんで知ってると言われても、クライド・ノーレッジの伝手でちょっとね」
「クライド?」
「何者だそれは」
ラグナがコテンと首を傾げる、メルクさんも分からないと首を振るうけど…知ってるよ、その名前は。
「もしかして、復本士のクライド・ノーレッジですか?」
「え?知ってるのか?エリス」
「知ってるも何もラグナ達もこの名前は聞いてますよ」
「ど、どこで?」
「トラヴィスさんです」
トラヴィスさんの館にいた時だ、エリス達はあの人の書斎に招かれ…とんでもないものを譲り受けた。その名も『識確白書』…即ちナヴァグラハの書いた本、その写本だ。そしてその写本を描いたのが古代の本を復元し新たな写本として世に出す要人クライド・ノーレッジだ。
「思い出した!識確白書を書いた奴か!」
「正確に言えば写本を書いた…だな。だが彼は老衰で死に息子も大飢饉に巻き込まれて死んでいる、聞いているが」
「ええ、クライドと知り合ったのは私がまだかなり若い頃でね。ここで復本士をしていた頃知り合って…その伝で彼の孫娘を預かったりした時期もあったんだ。その時孫娘が識確白書を持っていてね、宿賃代わりにもらったのを読んだのさ」
「ということは今も識確白書を持ってるんですか?」
「いや?クライドの孫娘が旅に出ると言った時売って金にしちゃったからもうないよ」
そうか…出来れば燃やしておきたかったんだけどな。今エリスが持ってる識確白書はトラヴィスさんはクライド自身から識確白書を譲り受けた物をそのまま譲り受けた物だ。ヒュパティアさんが言っている話が本当だとしたらトラヴィスさんの話と齟齬がある。
つまり識確白書はもう一冊ある…ということになるな。
「君…エリスって言う名前かな、君と握手をした時…クライドの孫娘と同じ感じがした。君もまた識確の術者なんだろう?是非話が聞いてみたいんだが…」
「……クライドの孫娘も識確の力を?」
「ああ、珍しい体質の子だと思っていたがどうやら体質以上に珍しい性質を持っていたようだ。今頃どこで何をしているやら」
「……その人って髪とか黒だったりします?」
「え?知ってるのかい?」
「……………」
そう言う縁か……。そういやアイツ…初めて会った時大飢饉で両親を亡くしたとか言ってたな。それを預かったのが…この人か。
「いえ、エリスとしてもその話には興味がありますが今は関係ない話です」
出来れば話が聞きたい、だが今は関係ないことだ。パラベラムの一件が終わったらまた一人でここに来て色々話を聞くのもいいだろう。
「それより、この神殿の地下に行く方法はありますか?」
「地下?……ないなぁ、ここに居て長いけど、ちょっと聞いたことがない」
エリスはチラリとレーヴァテインさんやみんなに目を向ける。レーヴァテインさんは『間違いなくこの下にディヴィジョンコンピュータがある』と目で言っている。まぁ地下に行ける道があったらもう発見されているか。
「地下にディヴィジョンコンピュータってのがあるのかい?それとも居る?」
「忘れてくださいってば」
「ははは、こりゃ訳ありか…よし。これも何かの縁だ、学長に聞いてみよう」
「学長?」
「ああ、この殿堂の管理者さ。彼はこの街で一番賢いんだ、彼に聞けば何か分かるかもしれない。何せ彼は『予言の賢者バベッジ』の教えを受けた弟子のそのまた弟子だからね」
「ちょっと遠いですね」
「まぁいいから、ついてきなよ」
そう言いながら彼女は歩き出す、そんなか背中を見つつ…エリスはチラリと後ろを振り向く。
「どうしたんだ?エリスは、さっきの話」
「え?」
「黒い髪がどうとかさ」
ラグナがエリスに視線を向けていることに気がつき、エリスは小さく首を横に振る。別に大した事じゃない…ただ気づいただけだ。
考えてみれば…アイツだって人の子で、生まれ育った故郷があるだけで…大した話じゃない。
ただ…気がついただけなんだ、本当に。
(ヒュパティアさんの語った子供は…ダアトのことだ)
識の力を持った子なんてそう多くはいない、エリス以外にいる奴は一人しかいない…この街に入った時、奴の気配を感じたのはそういうこと…ここはダアトの故郷なんだ。
幼い頃、飢饉に襲われたと言う話は本当で…その後この街に来て彼女は育った。そして彼女は旅に出てマレフィカルムに入ったのか。
何にせよ、この街にはダアトのルーツがある。
(ダアトの…いやナヴァグラハの弟子のルーツがこの街に)
ダアトがいつどこでナヴァグラハの弟子になったのかは分からない、だが八千年前の遺物が眠る学問という知識の象徴たること街に縁深い人間が史上最強の識確使いと縁があるのは何かの偶然か。
何にせよ、エリスはこの街に興味がある。その戦いが終わった後…またここに来ようと感じながらも今は動く。エリスのライバル…ダアトに想い馳せながら、エリスの旅は彼女の故郷へと舞台を移すのだった。
次回から投稿時間が変わります、次回からは午後六時になります。少しだけお待たせしてしまいますがご了承頂ければ幸いです。




