691.魔女の弟子と初のおデート
それは今から八千年前、まだピスケスがあった頃。魔女達との宥和を済ませシリウスが暴れる前の時代の記憶。ボクは…ピスケス王宮で毎日のようにため息を吐いていた。
この頃のピスケスはボクの発明によってオフュークス帝国すら上回る文明力により世界最高の繁栄を築き上げていた。
ダークマターから無限のエネルギーを回収し電気も熱力も無尽蔵に使える。
自律思考の機械達が人間の世話をしてこの国から必要な労働以外の全てを消し去った。
食料も安価かつ安易に取れてかつ一つ食べれば一日活動可能な完璧な栄養食を作り飢えを消した。
不朽石アダマンタイトの開発により自然災害の脅威も消え去ったし医療技術の発展により国全体の寿命を二十年も拡張した。
これらは全てボクの発明のおかげだ…けど、みんなはこの技術を前にあまりにもくだらないことばかり言うんだ。
『レーヴァテイン様、もう国は満たされております』
『そろそろお休みになられても良いのでは…』
『今の繁栄に国民まで満足しています、だからもう発明は…』
そう言ってボクの発明を止めようとする。父上もそうだ…ボクを呼び出して…。
『レーヴァテイン、お前のおかげで国は繁栄した。もうこれ以上はない、お前もそろそろこの繁栄を享受しても良いのではないだろうか…』
ってね、分かるかい?くだらないんだ。ボクの周りの人間が言うことは全てくだらない。満たされている?これ以上はない?それは今の話だろう。
時計の針が止まろうとも、時は止まらない。運河の如く流れる時は決して止まる事なく内に浮かぶ全てを置き去りにする。技術とはそんな時の流れに逆らい常に進歩と言う櫂を漕ぎ続けなければならないんだ、でなければあっという間に技術は時代遅れになる…時代遅れになったら取り返せない物も山とある。
だから、発明は止めてはならない。開発は辞めてはならない、満足などしてはいけない。常に貪欲に求め続けなければならない物なんだ…そんな事も、この国の人間はわからない。
今が満たされているから良い、今の繁栄を楽しもう、それを享楽的と言うんだ。そして享楽に流される人間を…凡愚と呼ぶ。
『レーヴァテイン、お前も女だ。そろそろ男を見繕っても良いのではないだろうか』
父上はそう言ってボクを誘惑し凡愚に貶めようとする。ボクが非凡であるが故にこの国が繁栄したのに、なんと愚かなのだとこの時は思った。
そして連れてこられた男達もひどい物で…一人としてボクを理解しようとする人間はいなかった。やれボクの功績がどうの、やれ自分は賢いからお手伝いが出来るだの、やれ自分は優秀だのと……馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しい。男がなんだ、女がどうだ?どれもこれも非効率極まりない、非効率極まりない人間と一緒になるくらいならボクは一生一人でも────。
「のう、レーヴァテインよ」
「シリウスさん…?」
ふと、過去の出来事に思いを馳せていたボクの目に映るのは、窓辺に座り風で髪を躍らせる賢者…まだ正気を失う前のシリウスさんが、ピスケスの繁栄を目にしながら、チラリとこちらを見た。
「お前は効率非効率に囚われ過ぎじゃ、世の摂理は数字で表せる…がしかし人の性というもんは数字では表せん、何故か分かるか?」
「い、いえ……」
「それはな、人は無駄こそを尊ぶ生き物だからじゃ。時として他者との関わりを無駄に思うことはあれど人は一人では生きられぬのは…無駄こそが人を生かす活力となるからだ。そしてレーヴァテイン…お前もまた人の一人であり、この法則からは逃れられん」
「シリウスさん……」
「世の担い手たるはワシでありお主じゃレーヴァテイン。そして人の世を担うべきはいつだって人だけじゃ。故に我等は無駄であるべきなのじゃよ、ワシが足らずばお主が補い、お主が足らずばワシが足そう、そうして支え合う限り独りにはならぬ…それが例え無駄であっても、な」
ニッと笑いながら再びピスケスの…いや、世界の繁栄に目を向けるシリウスさんの言葉をこの時は理解出来ていなかった。けど…その言葉は確かにボクの中に残り続けて…。
「故に囚われるな、今の己に。常に新たな己を模索し更新し前へ進め、時の流れに抗うは技術のみに在らず…お前もまた、抗うのだ」
そして、八千年後に…芽吹くことになる。
……………………………………………………………………
「アマルト君!デートしよう!」
ボクは今、恋をしている。相手は八千年後の未来で生まれた青年アマルト・アリスタルコス。なんとあの変わり者のアンタレスの弟子だというじゃないか驚きだ。
陽光に照らされ金にも見える茶髪と肩までボサボサと伸びる長髪と鋭く伸びる切れ目と目元のホクロがセクシーな男子だ。ボクは彼に恋をした、なんで恋をしたのか昨日夜中寝ずに考えた。
確かに、顔の良さなら父上が紹介してくれた婚約者候補の方が良い。頭の良さなら、父上が紹介してくれた婚約者候補の方が良い。財力も何もかも父上が紹介してくれた婚約者候補の方が良い。
だが…彼の違う点は、まず料理が上手い!気遣い完璧!勇気もあって優しい!何より。
「ん、じゃあしょうがねぇから現代の街を古代のお姫様に紹介してやるかね…ほら、行くぜ?」
馬車から降りて…一歩先を行く、彼はボクの前を歩いてくれる。導くように歩いてくれる、こんな人はボクの国にはいなかった、魔女達でさえボクの隣を歩いた、唯一前を行っていたのはシリウスだけだったが彼女はボクを導かなかった。
彼が…初めてなんだ、なるほどボクはこういう人間がタイプだったのか!そりゃあ八千年前は恋しないぜ!
「うん!手を繋ごう!」
「繋がん」
「そっか!お喋りしよう!」
「今してるくね?」
「アマルト君は何が好き!?」
「ボロネーゼ」
「何それッ!」
そう会話しながらボク達は…東部と北部を繋ぐ街、古き街パスカリヌへと歩みを進めるのだった。よーし!天才のボクが!今日!ここで!アマルト君を落としてみせる!!
………………………………………………………
「マジで行っちまったぞ、アマルトとレーヴァテイン」
「本当にデートするんですかね…」
「さぁ……」
エリスとラグナ、そしてみんなは街へと降り立ったアマルトさんとレーヴァテインさんの背中を見送る。昨日いきなりアマルトさんに求婚したかと思えばデートを申し込んだレーヴァテインさんによって実現したパスカリヌでのデート…マジでデートするんだ。
「むむむむ……」
「どうした、メグ。随分難しい顔をしてるが」
「い、いえ…あれ…レーヴァテイン様のポジションは私のポジションでは?」
「知らんが…、しかしアマルトは恐らくデートというより昨日言っていたレーヴァテイン殿がこの時代の事をよく知る機会を作ろうとしているのかもしれんな」
メルクさんは腕を組みながら先日の記憶を手繰る、確かにアマルトさんはそんな事を言っていた。なら当人的には現代のことを教えるつもり…っていうのはありえるな、あの温度差的に。
「でもさぁ…大丈夫なわけ?」
「うん…何処にデナリウス商会が居るか分からない、ちょっと…危機感ない」
デティとネレイドさんの言うことも最もであり何が居るかも分からない街に二人きりで行くのは若干危険な……ん?
(あれ?アマルトさん…エリス達の方見てる)
ふと、アマルトさんの方を見ると、彼は肩越しにエリス達に視線を送り顎で『ついてこい』とジェスチャーを送る、なるほど…表立ってついていけばレーヴァテインさんが嫌な思いをするかもしれない、だから秘密裏にエリス達についてこいって言うんだな。
気遣いの出来る男じゃないかアマルトさん、そう言うことなら…。
「こっそりついていきましょう、で何かあったらエリス達で守るんです」
「あー…そうだな、じゃあ俺とネレイドさんで関所の手続きは済ませておく、他はこっそりレーヴァテインさんに見つからないように尾行して…何かあったら即座にレーヴァテインさんを回収して撤退。そのまま馬車で離脱する…でいいな?」
「分かった、まぁそれが固いだろう…では頼んだぞラグナ、ネレイド」
「うん、任せて」
という事でラグナとネレイドさんは関所の手続きに。残りのエリス、メルクさん、デティ、メグさん、そしてナリアさんはアマルトさんにこっそりついていくことになる。見つかってはいけない隠密任務です。
「ではエリスとメルクさんがメインで尾行を、デティは魔力探知で周囲に怪しい存在がいないかを確認…そしてメグさんは出来る限り二人に近づいて見つからないように警護を」
「あーい」
「畏まりました」
「それでナリアさんは、例のあれをお願いします」
エリス達もこの旅で隠密任務というものを何回かやってきた、そういう場面で重宝するのは視界に頼らない索敵が出来るデティと絶対に見つかることのない立ち回りが出来るメグさんの二人だった、この二人は鉄板という奴です…けど今は、そこに新たな手札が加わっている。
「あ、分かりました!魔力覚醒…『ラ・マハ・デスヌーダ』!」
そう、先日魔力覚醒を習得したナリアさんの『ラ・マハ・デスヌーダ』です。彼は覚醒すると共に全身が淡く光り輝き初め…。
「『千人役者・莫逆のコロス』!」
『ワー!』
『よろしくネー!』
『頑張るヨー!』
拡散した光が形を作り、やがて鏡写しのようにナリアさんの姿が増える。その数をして一千人…これがナリアさんの覚醒だ…一気に千人に増える自己増殖系の概念抽出型覚醒。これによりエリス達の前にはナリアさん軍団があっという間に生まれる。
「うぅむ、こうしてこの目で見るのは何度目かだが…凄まじい覚醒だな」
「一気に千人に増える覚醒とか聞いたことないよ、一周回ってこれズルだよね」
「えへへ、これで皆さんの役に立てます」
肉が分裂して増えてるというより魔力体がナリアさん瓜二つになっているということだろうか、これだけ見るなら八体しか出せないエアリエルの御影阿修羅の完全上位互換だ…まぁエアリエルはあの強さがあって御影阿修羅の恐ろしさが際立つ人ではあったが。
おまけに感じ的に分身体はそれぞれ自律の思考を確立してるみたいだし…マジでこれどういう原理の覚醒なんだ?
「と、ともかくナリアさんは一千人で手分けして周囲の警戒をお願いします」
『『『ラジャー!』』』
ナリアさんがこの覚醒に目覚めたおかげで少数精鋭だったエリス達の唯一の弱点だった人手の面が完全にカバーされたとも言える。こうやって人海戦術が取れちゃうんだから凄い覚醒だよ。
タカタカと散っていくナリアさん達といつの間にか消えているメグさん。そしてエリスはデティを背負い…いざ!極秘任務!
………………………………………………………
古き街パスカリヌ、それは名の通り古き伝統、古き歴史、それらを大切にする事を至上とする歴史優先主義者の街。まさしくコルスコルピみたいな街という感想が正しいだろう、建築法もこの街が出来た時から変わってないし書店には古本が並び服屋には古着並び名産品はチーズとワイン、時間の流れというものが大好きな街なのだ。
そこにやってきたアマルトとレーヴァテインは街の大通りを歩く、本来領土と領土を繋ぐ関所の街というのはもう少し栄えているものだがこの街は言うほど栄えていない。隣が全体的に荒涼とした東部だから…と言うのもあるのだろう。
因みにだが、魔女の弟子達はこの街に来たことがある。ケイトの導きで東部に行った時ここを通ったことがあるのだ。
「なぁおばちゃん、このチーズひとつ貰えるかい?」
「あいよ、おや?カップルかい?じゃあオマケしちゃおうかねぇ」
「あれぇ、カップに見えてますぅ?あ!ありがとうございま〜す」
店先でチーズを購入したアマルトはクルリと振り返り徐にレーヴァテインに差し出す。
「ここのチーズはそのまま食えるヤツだ、取り敢えず食ってみな」
「こ、これかい?チーズってあれだよね、牛の乳を固めたヤツ」
「お、それは八千年前にもあったか」
「流石にね、食べたことはないけど」
恐る恐るチーズを食べるレーヴァテインは口元にチーズをつけながら数度瞬きをして…。
「うん、美味しい…美味しいよアマルト君!」
「だろう?前ここに来た時これ食ってまぁ美味くて感動したもんだよ」
「前にもここに来たことがあるのかい?」
「ああ、東部に用事があってな」
そして二人で再び石畳の敷き詰められた大通りを歩く、隙間から苔が顔を覗かせる石畳を踏み締める都度二人の足音が響く。それほどまでに街は静かであり人通りも多くはない。
「アマルト君達はこの国を冒険しているんだっけ」
「そうだ、お師匠さんに言いつけられてんだ」
「フフフ、その話は昔を思い出すなぁ」
曰く、お師匠さん達がこの旅を思いついたのは自分達の経験からくるものらしい。巨大な敵に仲間達と連携しながら戦いを挑む、これにより魔女様達は修行の成果が花開き今も讃えられる程の強さになった。
そしてその相手というのがレーヴァテイン…魚宮国ピスケスだった。
「あの時はボクも過激だったから悪いところはあるけどさ、いきなり国に殴り込んでくるのはどうかと思ったよ…本当にさ」
そう言いながらはにかむレーヴァテインを横目で見て感じ取るのは『懐古』と若干の『寂しさ』。やはりまだ割り切れていないのだろう、自分が生きた時代が教科書にすら載らぬ程、知る者がいない程遥か古の彼方に消えてしまった事実を。
やはり、こいつは何処か達観視している。自分を世界の異物のように捉えているのかもしれないな…はぁ。
「なぁレーヴァテイン」
「ん?何かな、結婚する?」
「この街にある名物見にいくか?」
「無視!……って名物?面白そうだ、見せてくれるかな」
「あいあい、んじゃあいきますかお姫様」
二口でチーズを食べ終え街を歩く、その隣をひょこひょこと歩くレーヴァテインはチラリと俺の顔を見て…。
「ねぇ、一つ聞いてもいいかい?アマルト君」
「なんだ?」
「キミは、恋愛についてどう思う?」
「またど直球な話だな…そんなこと聞いて何になるんだよ」
「ボク自身が、まだよく分かってないからさ」
「ふーん…」
言いたいことは山ほどあるが今は飲み込もう、で?恋愛についてねぇ…うーん。そんな事未婚の俺に聞かれてもねぇ…。
「受け入れる事だな」
「受け入れる?」
「そう、相手の何もかもを受け入れる度量の広さ、それが噛み合った時に生まれる関係性が愛だの恋だのなんじゃねぇの?って思うけどね、俺は」
「受け入れる…か。難しい事じゃないかい?」
「さぁね、でも『まぁいいや』『それでも好きだ』って言えるなら、それはもう愛なんじゃねーの?」
こんな事を聞いて何が楽しかったのか、レーヴァテインは『そっか』と一言だけ言って俺の隣を歩き続ける。チーズの包み紙をポケットにしまい込み、俺は視線の先に映る大きな建造物に目を向ける。
「あれがこの街の名物、大時計だ」
「え?あれが?」
中央広場にデンッと構えるような巨大な建造物、この街の時間を刻む大時計だ。時計塔じゃないぜ?中は全て大昔に設計された通りの巨大な機構が詰まっていて未来永劫動き続けるよう設計されている。かれこれ五百年前から動き続けているらしい。
「あ、アナログ〜〜」
「言うなよ。……俺さ、ああ言う古い建物が好きなんだよ」
「ボクとどっちが好き?」
「建造物、……俺達コルスコルピ人は歴史を重んじる民族なんだよ」
「歴史を?不思議な民族だ」
「だろ?俺も思う。歴史なんて所詮過去でしかないだろ?俺ぁ前向いて生きるから昔のことなんてどうでもいいんだよ…なーんて気取って言えればいいが。実際のところそうは言えない、結局のところロマンだからさ」
「ロマン?」
「そう、百年前も二百年も八千年も、今を生きる人間からすれば等しく過去だ。本で読んだり、絵で見たりするような非現実でしかない…けどさ、こう言う昔からある建造物を見ると過去が今と地繋がりの場所にあるように感じられないか?」
「………確かに」
「過去は過去だが、過去というものを過ぎ去った…もう存在しない虚構のように捉えずに、かつて今だった時間だって捉える。それこそロマンだろ?」
「ロマン…か、君が言うならそれもまた愛すべきものなのかもしれないね」
「つまりは、そういうこった…お前は異世界の人間でも世界の異物でもない。地繋がりの過去から来た…今を生きる人間なんだ、少なくとも俺はそう思うぜ?」
過去も今も、点と点でしかない、間には線がありキチンと繋がっている。歴史的な建造物を見ればそれも理解出来るかもしれない、お前はこの世から爪弾きにされる存在じゃないんだってな…まぁ所謂ところの励ましだ。だからちょっとは元気を出してくれたら……。
「か…か…」
「か?」
「ンッかっこいい!!!!」!
突然ゴハァーッ!となんかを吹き出しながら頭を抱えてブンブンと振り回し始める。んーん…こりゃ俺の言いたいこと、通じてるから怪しいな。
「アマルト君とそういうところ大好きッ!!なんでボクの考えてること分かるの!?なんでボクの欲しい言葉が分かるの!?凄すぎ!やっぱり結婚して!」
「しねぇって…」
「じゃあチューしてぇー!!」
「ぅがぁーっ!寄るな!」
チュー!と唇を伸ばして来るレーヴァテインの頭を抑えて遠ざける。そもそもだ、俺は結婚をするつもりがないんだ、好きとか嫌いとかそういう話ではなくそもそもする気がない。
俺は半端が嫌いだ、片手間ってのも結構嫌いだ。俺は今やるべきことに全力を尽くしたい、それは今はマレフィカルムを倒す事、そしてその後は立派な先生になってディオスクロア大学園の理事長になること。
これに全力を尽くしたい、そしてもし誰かを愛するなら誰かを愛することにも全力を尽くしたい。理事長目指しながらだと片手間になる、それは嫌なんだよ。
「レーヴァテイン、俺は結婚をする気がない」
「なんで!」
「なんでも!」
「じゃ、じゃあ…せめて」
「せめて?」
「レーナ…って呼んでほしい」
「レーナ?」
「ほら、レーヴァテインって…仰々しい名前だろう?だから、キミには…そう呼んでほしい」
「………」
レーナ…ねぇ、まぁ確かにいちいちレーヴァテインって呼ぶのはかったるい、レーナでいいならそれでいいか。
「嫌だ」
「えぇっ!?なんで!」
「いーじゃんレーヴァテイン、かっこいいし。な?レーヴァテイン!」
「ヴッ…名前で呼ばれるの…いいかも」
「おいお前鼻からなんか垂れてるぞ、鼻血?」
「オイル…」
「壊れてんじゃねぇのか…お前」
興奮あまり鼻から黒いなんかをタラタラ垂らし出すレーヴァテインにハンカチを渡す。つーかこいつオイルで動いてんのか…。
「もう一回呼んでください!」
「呼ばねー!そこの君!次はあっちに行こうか!」
「名前呼んでよアマルト君〜!」
「やかましー!!ベタベタ触れるな!」
まぁ何はともあれ、ちっとは元気になったかね…なんてな。
……………………………………………………
「仲良くやれてる…んでしょうか」
「ラブコメ感は全くないな、寧ろアマルトがやたらとレーヴァテインの事を気にかけているようだ…」
一方そんな二人を影から見守るエリスとメルクさんは二人のやりとりを見て難しい顔をする。デート…というにはいささか色気がない、寧ろこう…アマルトさんがやたらとレーヴァテインさんの事を励ましたり、元気付けてあげようとしている感が強い。
「やはり、棺を開けた事を気にしているのかもしれんな」
ふと、メルクさんが口にする。アマルトさんがやたらとレーヴァテインさんを気にするのは…棺を開けたから。確かにそのせいでパラベラムに狙われることになりはしたものの、だがあの調子じゃいつかパラベラムが第四層に辿り着いていてもおかしくはなかった。
それに何より。
「レーヴァテインさんは感謝してますよね、棺を開けてくれた事を。あのままじゃずっと眠ったままだったって」
「ああ、だからだよ…アマルトはもしかしたら、レーヴァテインが目覚めない方が幸福だったのではないかと考えているのやもしれん」
「なんでですか…」
「さっき言ってただろう、世界の異物がどうのと…アマルトはある意味彼女を孤独にしてしまった。起きなければ彼女は孤独にならなかったからな」
「そんなの……」
「ああ、元も子もない話だ、だが事実だ。故にせめて一人にすまいと彼は責任を感じているんだろう」
「…………」
帰る家もないし、元の時代に帰れるわけでもない。この先どうしたらいいか分からない、パラベラムを倒したってレーヴァテインさんを取り巻く状況は何も変わらない、だからこの時代に迎合し孤独からせめて助け出す。それがアマルトさんを突き動かしているんだろう…とは言え、その親切心が翻ってレーヴァテインさんにベタ惚れされている状況が色々とややこしくしている話してはあるが。
「エリスはアマルトとレーヴァテインが結婚するべきだと思うか?」
「本人の勝手では?」
「まぁ、だよな……」
ちなみに結婚に関してだがエリス達は特に触れないことにしている。したければすればいいししたくないならしなければ良い。だってアマルトさんの人生の話だからね、デティの時は止めはしたけどあれはデティが嫌がっているのにそんな自分を押し殺して結婚しようとしたから止めたわけだし。
ただまぁエリス個人が思うのは……レーヴァテインさんが可哀想だから、憐れみや慰めの為に結婚しようとするならエリスは殴って結婚を止めますよ。両方を殴ります。
「む、今度は噴水の方に行くそうだ…エリス。移動するぞ」
「はい、にしても…この街やたらと人気が少ないのが気になりますね」
移動し始めたアマルトさんについていく為エリス達もまた動き出す、が…こうして移動していてもやはり人の気配がない、こうも人の気配がないとなんか気になるな。
「どうしたエリス、前髪を指で立てて…」
「危機感知センサーがビンビンです」
「何?」
「人の気配がなさすぎます、デティ…この街に人はいますか?」
「ん?普通にいるよ?周りにはいないだけでちゃんと歩いてる人とか暮らしてる人の魔力とかあるし…」
あれ?とエリスは首を傾げる、人の気配がないからてっきり既に何が起こってると思ったが…なんだ、偶然この辺りを人が歩いてないだけか。気にしすぎでしたね…。
「気にしすぎでしたか」
「うんうんそうそう」
「いや……待て」
すると、メルクさんが立ち止まり…周囲を注意深く見回すんだ、その目は鋭く。既に臨戦態勢に入るように銃まで抜いて…。
「それはあまりに不自然じゃないか?私達は街に入ってから殆ど人を見かけていない、なのに我々の周りには普通に人がいる?…そんなのまるで──」
「周りを歩いてる人たちが、意図的にエリス達を避けてる…?」
瞬間、嫌な予感が増幅する。まずい…まずいぞ、エリス達はもしかしたら…。
『敵の規模感』を間違えたか…!?
………………………………………………………………
「見て見てアマルト君!猫がいるよ猫が!」
「猫くらいどこにでもいるだろ…」
「そうかい?ピスケスには動物園にしかいなかったよ」
「ま、マジか…」
ふと、噴水広場に行く道中、レーヴァテインは道端で寝転ぶ猫を見てキャイキャイと寄っていく。どうやらピスケスでは猫が珍しかったようだ。
「んふふ、ずっと触ってみたかったんだ…キミを。キミみたいな呑気な生き物が平然と暮らしていられるなら…この時代も悪い物じゃないのかもね」
「ごろごろ〜」
猫を前にしゃがみ込みその首を撫で回すレーヴァテイン。その様子は…俺から見てかなり良いものになっていた。昨日から抱えていたこの時代への違和感…そして自分の異物感、そういうものが薄れつつある。それを感じるんだ。
結婚云々はあれとしてさ、こうやって今を楽しめているのなら…まぁそれはそれで良かったのかもしれない。
「おい、レーヴァテイン。そろそろ……」
ともあれこの街にいられる時間も無限じゃない。噴水見に行くたら見に行こうぜ…と言おうとした、その瞬間。
「ああ、すぐ行くよ───え?」
突如として路地裏から伸びた手が、レーヴァテインの手を握り…闇の中に引きずり込み始めたのだ。
「え!?何…!?」
「ッしまッ────」
しまった、やられた…パラベラムだ。そう感じた瞬間には遅く、レーヴァテインの口には猿轡が嵌められ一気に体が闇に飲まれていく、やばい!連れてかれる!呑気過ぎた…やっちまった!
「レーヴァテインッッ!!」
咄嗟に手を伸ばしレーヴァテインを連れ戻そうとするが…俺の手は助けを求めるように伸ばされたレーヴァテインの手を掴む事ができず空を切り──────。
「ッッ尻尾をッ!見せたなぁっ!!」
……瞬間、背後から吹いた一陣の風と共に現れた影が…闇の中に突っ込みレーヴァテインの体を掴む存在を蹴り飛ばす。エリスだ…とんでもねぇ速度で後ろから飛んで来て刺客の顔面に一発喰らわせたんだ…!
「ぐふふぅ!!」
「大丈夫ですかレーヴァテインさん!」
「あ、ありがとう!ってこいつら…パラベラム!?」
蹴り飛ばした相手は全身黒ずくめのマスク姿の男だ、そいつは路地の樽に突っ込み動かなくなる。レーヴァテインを抱き止めながらエリスは周囲を見回し…。
「アマルトさん!この街…パラベラムの刺客がいます!!」
「何!?そいつの他にもか!でもそんな気配なんか…」
怪しい気配なんか感じなかった、そりゃ周りに人の気配はなかったし奥の方には民間人が動く気配だけで俺達に近づく気配なんか……いや、まさか。
「まさかこの街……」
「はい、この街は既に…パラベラムに占領されています。視界外で動いていたのは民間人じゃありません!全員パラベラムです!」
エリスの言葉を聞きつけ、バレては仕方ないと思ったのか…ゾロゾロと路地裏から黒ずくめの集団が現れる。手には麻袋、猿轡、縄に手錠…そういう事する人達ですって自己紹介されずとも分かるわ。
「テメェら、パラベラムか…って聞く必要もないわなぁ」
「レーヴァテインを渡せ、さもなくば…」
「全員殺すって?それはエリスのセリフですよ…死にたくなけりゃ全員退きなさい!」
『人の話は最後まで聞いてくだサ〜イ!』
「え!?」
エリスと俺がレーヴァテインを守るように構えをとった瞬間…突如空から降り注いだ白い糸がレーヴァテインを巻き取り空へと引き上げるのだ。一体何事と視線を糸の出所に向けると…そいつは大時計の上に立っていた。
まんまるの体に短い手足、シルクハットを被ったマスクマン。そいつがレーヴァテインを手から糸を出しながらクルクルとレーヴァテインを簀巻きにして手元に引き寄せ…帽子を手に一礼する。
「我が名はラセツ様率いるパラベラム遊撃隊『悪事三戒』が一人…人攫いのコレッジョでございます。我々の要求は一つ…レーヴァテインを渡せ、さもなくば奪う…でございます」
「テメェ!レーヴァテインを返せや!」
「返す物をハナから奪うとでも?悪いですが彼女の所有権は我々パラベラムが有していますので…諦めてくだサーイ!」
パラベラム遊撃隊と名乗ったコレッジョはケラケラと笑い身動きの取れないレーヴァテインを抱きかかえる。しまった…敵の規模感を間違えた。
こいつら、レーヴァテイン一人攫う為に街一つ丸々制圧したってか…やられた、この街にやってきたのは間違いだったか!ともかく奪い返さないと…けどここから大時計まではかなり距離がある、どうする…!
「フフフフ!では貴方達!そいつらの足止めをお願いしますよ!私はレーヴァテインをラセツ様にお届けし────」
「だからッ!」
が、しかし…その瞬間…またも吹くのは、太刀風の如き疾影。逃げ出そうとするコレッジョに向け…それは動き出す、いや…敵を前にして、こいつが動かないわけがない。
「テメェらこそ!!エリス達から逃げられると思ってんじゃねぇッッ!!」
「ぐびゅひゅぅっ!?!?」
一閃、俺の隣から一瞬でコレッジョのところまで飛んだエリスの拳が野郎のどでかい腹を歪めコレッジョは胃液を吐き出しながらピンボールのように街中の壁を反射して飛んでいく。そんな中エリスは糸まみれになったレーヴァテインを抱え…大時計の屋根に立ち、俺を見る。
「アマルトさん!当初の作戦通り!離脱しますよ!」
「ッ!ああ!!」
「逃すな!死んでも!こいつら全員ぶっ殺してレーヴァテインを奪え!」
エリスが動く、俺が吠える。地面に墜落したコレッジョが部下に命令する。…始まる、本格的に…パスカリヌという名の戦場を舞台にした。
魔女の弟子とパラベラムの『レーヴァテイン争奪戦』が…。
…………………………………………………………………………
北部の一角に存在する、超巨大工業地帯『黒の工廠』…ここは世界の戦争を裏から牛耳るパラベラムの本社であり、八大同盟としてのパラベラムの最大拠点でもある。漆黒で彩られた無数の摩天楼が屹立する黒の工廠の最奥にて…足音が響く。
磨かれ鏡のように反射する漆黒の床、黄金と水晶をあしらった柱が延々と続く大部屋の真ん中に置かれた豪奢な鋼鉄製の長机…左右合わせて合計五つの席が用意されたこの部屋こそが、パラベラム全体の活動指針を定める会議室であり、唯一幹部達が集まる空間である。
そんな長机の前に立つのは…パラベラム渉外部門の本部長。仮面の巨漢『悪鬼』ラセツだ。彼はポリポリと頭を掻いて惚けた態度を取りながらヘラヘラと口を開き。
「ですんでェ、黒衣姫に繋がる情報を持った碩学姫レーヴァテインを見つけたんやけど〜それを魔女の弟子に取られてもうたから奪還部隊を編成してください言うてんです〜」
議題はパラベラムの今現在の最大目標『黒衣姫』の取得に関する物。今まで所在すら不明だった黒衣姫の場所を知り、そこに至るまでの道を確実に知っているであろうレーヴァテインの出現を伝える為、そしてそれを奪って逃げた魔女の弟子達をやっつける為の部隊が欲しいと無心する為にラセツはここにいるのだ。
しかし…目の前に座った幹部達は、大きなため息を吐き。
「お前がミスをしたのか?ラセツ。それだけの実力がありながら?」
「んま〜〜〜…はい、ちょい敵の力量見誤りましたわ」
「全く、腕っぷしだけが取り柄のお前がそこでミスをしてどうする」
「ミスちゃいますねん、まだミスやないねん、ただ手元にないだけやねん」
「それをミスというんだよ…全く」
「ハハハハハハハァーッ!豪胆!剛毅!いいじゃないか!アタシはラセツの言葉を気に入った!こいつほどの勇士が取り逃すなら敵もまた勇士!ならばこちらもより一層に気炎をあげて取り掛かればいい!それだけだろう!」
「で、でも…魔女の弟子達は強いよ、真っ向からやれば…戦力の摩耗は逃れられない」
目の前にする幹部は全部で三人、空いた席は二つ…一つはラセツの席でもう一人は不在だ。目の前に座る三人の幹部は口口にラセツは罵り、または魔女の弟子達の存在に悲喜交々の反応を見せる。
「全く、我々が今まで一体いくらの資金を黒衣姫発掘に投じてきたか分かっているのかね。あの遺跡を維持する為の必要経費がいくらか理解してから物を言って欲しい物だね」
「そう言わんといてやデキちゃん、な?」
片眼鏡を布巾で拭くのは切れ目に片分けの髪型をした神経質そうな男。彼こそこのパラベラムの経営そのものを取り仕切る経営本部長…。
「まぁいい、これもゲームだ。損害を少なくより多くの利益を出す、対戦相手に事欠いていたところだ…面白くなりそうで結構な事だよ」
『悪計』デキマティオ・ドゥポンデス。またの名を『万象帳簿のデキマティオ』…超巨大企業であるパラベラム全体をまるでチェスのコマのように動かして明確な利益を生み出す天才である。顔の右半分が完全に機械化しており、黒い鋼に覆われた黄金の瞳がギロリとラセツを睨む。
「ゲームもいいが、やっぱ戦争だ!闘争だ!最近はどこも腑抜けた戦争しかしない、相手が魔女の弟子ならいい戦争が出来そうだ!アタシは嬉しい!みんなもそうだろう!?」
一方、ラセツにも迫るほどの巨大な筋肉を持った黒と紅のメッシュの長髪を靡かせる女が牙を見せ笑う。そして徐に握る両拳に装備された巨大な黒いガンドレッドが青白い光を放ち闘争心に震える。
「ラセツ、部隊はアタシが出そう!共に汗と血を流し勇気を示そう!」
「おっ!クルレイの姐さんはほんま話早いから助かるわ!行きましょ行きましょ!」
彼女の名は『悪報』クルレイ・アルゲンテウス…パラベラムが行う傭兵派遣業を取り仕切る傭兵統括主任である。逢魔ヶ時旅団が消え去ったことにより現状世界最強の傭兵の名を手にした女は血気盛んにも歯軋りのような笑い声を響かせる。
「あ…あぅ、でも…勝手に我々で決めるのは…、それにまだピスケス製兵器の量産化が出来てないわけだし、せめてそれが終わってからでも…」
そんな中気弱そうな小太りの男が脂汗をハンカチで吸いながらキョドキョドと周りを見ながらヒュヒュと息を繰り返す。汗かき故に着ている白衣を汚らしく汗で汚し贅肉で膨らんだ頭の中心にキュッと集まるような目と鼻と口が彼をより一層肥満に見せる。
「やるならもう少し慎重に…慎重に」
「なんねんベスティアスちゃんはほんまビビりやのう…、つーか汗かきすぎ、いいダシ出てんで?」
彼の名はベスティアス…『悪障』ベスティアス・クィナリウス。パラベラムの主要商品でもある兵器全般の開発を行う兵器開発の天才であり兵器開発部門の本部長。ピスケス製の兵器の再現にも成功している彼はその量産化まで動くのを待てと言うのだ。
「ベスティアス、量産化はそもそもまだ決定事項ではないはずだ。費用対効果も検証せずただ闇雲に作ればいいと言う物ではない」
「それは違うぞデキマティオ!お前がそうやって武器の開発に資金を回さないからウチの傭兵団が成果を上げられないんだ!剣を持たない勇気はただの蛮勇だ!我々は勇壮なる勇士であり勇気を示して戦わねばならないのに蛮勇を示し死んでは意味がない!」
「そ、そそ、それに作った分を売るのは経営本部長の貴方の仕事ですよね、そもそも契約をとってくるのはラセツ君の仕事であるからして…」
「お?なんやねん豚おいコラ、オレのせいや言いたいんか?ええ?おう目ェ逸らすなや手前で吐いた唾くらい飲み込むなやおいコラ」
『悪鬼』ラセツ
『悪計』デキマティオ
『悪報』クルレイ
『悪障』ベスティアス
…そしてここにいないもう一人も加えた五人こそがパラベラムを支える五本の柱、パラベラム五大幹部である。とはいえ…お世辞にも仲がいいとは言えず顔を合わせるなり言い合いを始める。
そんな幹部達を諌めることができるのは…社長のセラヴィと、あともう一人。彼ら幹部の上に立つ唯一の人物の声がなくてはならない。
本部長の上…即ち。
「静まりなさい、…ここは会議室。会議をする場所であって言い合いをする場所でないありません」
「おっと…こりゃすんません。専務様?」
コツコツと奥の扉を開き現れるのは黒いコートに漆黒のハイヒール、そして金の髪を後ろで結んだ気難しそうなメガネの女性。彼女こそがパラベラムに於いて社長であるセラヴィの次に強い発言権を持つ存在。
「で、ラセツ…報告をもう一度。非常に興味深いです」
役職を専務取締役、名を『悪道』クルシフィクス・ミリアレンセ。立場においてはセラヴィに次ぐNo.2、実力においてもラセツに次ぐNo.2に着くこの会社の指針決定権を持つ人物である。その仕事ぶりをしてパラベラムの心臓とまでセラヴィに称えさせ政治・金融・運営戦略全てに於いて他の追随を許さぬ鉄の女傑。
そんな彼女がラセツに視線を向け、メガネを掛け直しレンズが白く光る。
「だーかーらー、碩学姫レーヴァテインがなんでか知らんけど生きてたねん。でそれが逃げました〜捕まえるんで人手ください〜」
「ふむ、碩学姫レーヴァテインの復活ですか……確かに確保は急務ですね」
「やろ?それをお前…やれコストだやれ利益だ、バカバカしい。なんのために金稼いでんねん、なんのために何十万と社員雇ってんねん、こう言う時に思いっきり張る為やろ?ビビってたらチャンス逃すで」
「そうですね、チャンスの女神は後ろハゲ…掴むには前髪しかありません」
「いや普通に肩とか手ェ掴めばええやろ、なんで髪掴むねん」
「即ち後になってからでは後悔もできません、ここはパラベラムの全勢力を注ぎ込みレーヴァテイン追跡を行いましょう。私から社長に報告をしておきましょう」
「んー、頼むで専務サン」
「で…ラセツ、追加で質問です」
「なんやねん、オレ出来れば早う追いかけに行きたいねんけど」
「簡単な質問です、無駄口を叩けば出発が遅れますので黙って聞きなさい」
クルシフィクスは腕を組みながら考えるような素振りを見せながら、腕を払う。するとその動作に従い虚空に光が生まれ…その光がマレウスの地図を映し出す。これは遺跡から発掘したピスケスの技術を流用し作られた空中投影機構『バーチャルホログラム』である。
それを使い地図を確認したクルシフィクスは…。
「魔女の弟子達はどこに向かったので?」
「いや知らんがな、知ってたらそこ行ってるわ」
「魔女の弟子、およびレーヴァテインは離脱後移動を開始したのですよね」
「そうやろうな、近辺を捜索させたけど見つからんだし」
「…………エーニアック…」
「え?」
「学問の街エーニアックに向かったかもしれません」
「なんでそんな事言えるんや」
クルシフィクスは再度手を広げると様々なデータが空中に浮かぶ。それは今まであの遺跡を調べ研究し隅から隅まで観察し研究者達が累積させてきたデータの数々。社長や研究主任から何の役に立つのかと言われたデータをクルシフィクスは展開して。
「まずあの遺跡は本来空中要塞であったと言う説があります、その一部が墜落してあそこにある…と考えた場合、これらのデータを参照すると」
遺跡のある場所、地下にどれだけ埋没していたか、どちらの方角に傾いているか、損傷が激しい箇所は何処か、それらを合わせクルシフィクスは手元で算盤を動かすように指をシャカシャカと動かすと。
「恐らく、ここから…こうやって移動し落ちた可能性があります」
クルシフィクスはデルセクトからレーヴァテイン遺跡群までを線で引く…すると。
「お?直線上にエーニアックがある……」
「そう、もし…レーヴァテインが黒衣姫に脅威を感じ、それを停止させる手段を模索しているとしたら?もし墜落の最中に落としてしまった物を回収しようとしているとしたら?我々も知らない『ピスケス製兵器を完全に停止させる方法』をレーヴァテインが持っているのだとしたら?」
幹部達の顔色が悪くなる、そりゃあそうだ。今のパラベラム最大の柱はピスケス製兵器の複製品。されどその全容は未だ解明出来ておらず理解もできないまま設計図通り作っているに過ぎない。
そんな中、全てを理解しているレーヴァテインが一緒にいる魔女の弟子達がピスケスの兵器を無力化する方法を見つけたりなんかしたら。
「ふむ、考えられる話だ。黒衣姫の存在は奴らも知るところなんだろう?なら放置はしないはず、つまり奴らにとってのキングはレーヴァテイン遺跡の黒衣姫、そこに向かわず別の場所に向かっているなら…」
「ろ、ろろ、鹵獲を警戒して開発者が兵器に意図的な弱点や停止用の仕掛けを施すのはよくあります。魔術の世界にもそう言うノウハウがあると…き、きき…聞いたことあります」
「ハハハハハハハァーッ!つまり何か!奴らは逃げているフリをして我々の狙いを潰そうとしているのか!なんたる勇壮!なんたる剛毅!気に入ったぞアタシは!」
幹部達は口々に考えを述べる。つまりクルシフィクスの警戒は最もなのだ、それを受けラセツはポリポリと仮面の上から顔を掻いて…。
「あー、つまりエーニアックの近くになんかを落としたって?なんでそれがパッと出るねん」
「エーニアックの地表や土の材質は他の街と若干違うと言う調査結果が出ています。それがもしピスケスの発明品がこの地に落ちた時の影響による物なら或いはそれもあり得るでしょう。そしてあのレーヴァテイン遺跡から墜落した何かが重要な品であるならいの一番に乗りにいく理由にもなる、奴等は今エーニアックに向かっています」
ラセツは思わず息を吐く、リアリストで利益主義者のセラヴィが『例え何万人の社員が死んでもクルシフィクスだけは失ってはならない』と言った意味を理解する。瞬く間に理論を形成し魔女の弟子達がエーニアックに向かっていると結論づけるクルシフィクス、そして彼女は…。
「デキマティオ、魔女の弟子達が移動した際に使った転移魔術。それを解析し何処に転移したかを割り出しなさい」
「いいだろう、少し待ちたまえ…『識確システム・起動』」
片眼鏡をつけつつデキマティオは側頭部にあるスイッチを押すと彼の顔の右半分を覆う機械が起動し青白い光を放つ。そして黒く輝く瞳孔がギョロギョロと動くと…。
「恐らく転移に使ったのは皇帝カノープスの『時界門』…そして今の魔女の弟子達の予測魔力量と技量から分析するに、だいたい東部の中心辺りに出たと思われるね」
レーヴァテイン遺跡から出土したとあるシステムを流用し作られた人工頭脳によりマレウスの一部を指差すデキマティオ…それを受けクルシフィクスは。
「ではここからエーニアックに行くなら、恐らくこのルート…奴等は必ずパスカリヌを通る。ならまずはここに人員と配置…そこから逃げられた時のために各地の街にも人を置きましょう」
「ではそれはこのデキマティオが手配しよう、面白いゲームだ…ラセツのいう通り今回は大盤振る舞いで行く。パスカリヌや周辺の街全てを買収し住民を追い出しパラベラム構成員を住民に偽装しよう」
「お!面白くなってきたやないか!専務サン!オレはどこ行く?パスカリヌか?今から秒で行けんで?」
「…………」
「専務サン?」
「ラセツ、これを見なさい」
「お?」
魔女の弟子の現在地とエーニアックまでの予測ルートを表す赤い線、パスカリヌを経由して北部に入った魔女の弟子達が通る可能性が非常に高いルートのど真ん中に、それはあった。
『没落の街ディーメント』…それは北部で最も治安が悪い犯罪街であり、そして。
「へぇ、オレんちやんか」
ラセツが牛耳る街、そしてディーメントの更に向こうにはこの黒の工廠もある。つまり魔女の弟子達はここで待っていれば自然と寄ってくる…というわけだ。
「貴方は後詰です、パスカリヌ及び周辺の街の包囲が抜かれた場合の保険です。次は確実にレーヴァテインを捕獲出来るよう努めなさい」
「あいあい!任せといてやもうホンマに、オレに掛かれば楽勝や」
「い、一回しくじってるんですけどね…」
「お?なんやおいおい豚おいコラ、お前今日はエラい喋るやんか?全身から脂出過ぎて口もギャグも滑ってんで」
「ひ、ヒィ…」
「そこ!争わない!」
クルシフィクスに怒られる舌を打つラセツは手元の遠距離通信用機器、ピスケスの遺跡から出土したそれに耳を当て…。
「ああおい、俺やコレッジョ。お前今からパスカリヌに行け、そう今すぐや。そこにターゲットがおる、捕まえてこい。え?夜踊亭の予約?バカお前今真面目な話を…あー…うん、行くで、今日帰るで、うん、頼むわホンマに。予約はそのままで」
「ラセツ……」
「あぁ!専務サン!今部下に命令しましたんで!すぐに行ってくれるかと!」
「夜踊亭…私の記憶が正しければ店員の女性とお酒を飲んだりいかがわしい事をするお店だったと思いますが」
「あー…そこであれがありますねん、契約の話。よその国のお偉いさんとな?これがホンマの接待ってな?うはは!」
「職務中にバカな事をする貴方はレーヴァテインを見つけられなければ減俸です」
「ひぃん…」
ガックリと肩を落とすラセツに対し、未だ真面目な顔で椅子を立ち上がるのは…傭兵長のクルレイだ。
「待ってくれクルシフィクス!アタシは!?アタシ達傭兵団は!?この荒事に於いて傭兵団は指を咥えて見てました…はあんまりにもあんまりじゃないか!勇気を振り絞らせてくれよ!」
「勿論貴女達にも出てもらいます」
「アタシは?!この事態において幹部が一人も出ないのは少し戦力的に心許ない!是非アタシにいかせてくれ!大丈夫上手くやるさ!この…『ウィッチデータ』があるのなら、無限に勇気が湧いてくる!」
そう言ってクルレイは八つの光が刻まれたガンドレッドを手にニタリと笑う。がしかし…クルシフィクスは困ったように首を傾げ。
「申し訳ありません、既に幹部の手配はしてあります」
「何!?誰だ…いやまさか……」
「ええ、この中で最も早く動くことが出来て、最も目標の輸送を得意とする人物…」
クルシフィクスは向ける、その視線の先には…唯一この場にいない幹部。
「『悪疾』ポエナ・アウレウス…我がパラベラムの基盤たる輸送部門の本部長です。彼女が出たなら…他は不要でしょう」
その瞬間、黒の工廠の頭上を一瞬、巨大な影が通過する。
それを窓から見るクルシフィクスはメガネを掛け直す。鳥の如きフォルムでありながら全身を鋼鉄で固め、無数の砲門を携え、空を駆け抜ける。それはかつてピスケス空軍の主力兵器として剣と槍で戦う他国を圧倒した『空の王者』…。
戦闘航空機構『アイテール』…そしてそれを手繰るポエナが出撃したのだ。魔女の弟子達は何で逃げている?馬車か?徒歩か?なんでもいい…アレを相手にすれば人間の強さなど無意味に等しいのだから。
「さぁ、パラベラム…始動です。魔女の弟子に見せてあげましょう、ピスケスの求めた『英雄のいらない戦い』を、『磨き抜いた個を否定する大量生産を象徴する群の勝利」を」
クルシフィクスは両手を広げ虚空に無数のデータを浮かべ囁くように宣言する。パラベラム全支社全戦力を動かし開戦の銅鑼を鳴らす。
「では私は社長に報告をしてくるので、皆は命令があるまで待機をお願いしますよ」
「…………」
背を向け立ち去るクルシフィクスに対し幹部達は立ち上がり静かに頭を下げる…そんな中ラセツはただ一人ポケットに手を突っ込んだまま微動だにせず、クルシフィクスの背中を睨みつける。
「英雄のいらない戦いね……、そいつはピスケスが追い求めた物でもセラヴィが求めた物でもない、クルシフィクス…テメェ一人の願望だろうが」
クルリと踵を返し、ラセツもまた会議室を後にする。ともすれば自分が戦線に出ることはないかもしれない、ポエナが魔女の弟子を皆殺しにするかもしれない。アイツらの実力的にオレの部下とポエナに挟み撃ちにされればひとたまりも無い。
だが…ジズやオウマ、イシュキミリにルビカンテ達は容易い奴らではなかった。そいつらを倒した魔女の弟子の底力ってのがこの先発揮されるなら、或いは…。
(期待してるで、オレの退屈をぶっ壊してくれるのを…それと)
懐から取り出したのは小さなペンダント。黄金で作られた三つの爪が真鍮の玉を掴むようなデザインをしたペンダントに目を向けたラセツは、鉄仮面の向こうで牙を見せ笑い。
(親父……)
期待する、魔女の弟子達に。アイツらがパラベラムさえも上回るならば…その時こそ、と。