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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十九章 教導者アマルトと歯車仕掛けの碩学姫
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684.魔女の弟子と何処を向いて歩くか


「というわけでエリスとラグナは結婚します」


「そういうわけだ、みんなよろしく」


「は?」


エイト・ソーサラーズ選考会終了後、ナリアが新たなレグルス役のエイト・ソーサラーに選ばれ一頻り喜び終わり馬車に戻った瞬間、とんでもない情報がエリスとラグナからもたらされた。


────ラグナとエリスが、結婚すると。それを受けた魔女の弟子達はポカーンと口を開けつつ…急に脱力したように声を上げ。


「やっとか!」


「や、やっと!?」


「いやお前らどう見ても両思いなのにいつまで経っても進展しねぇからさぁ!こっちもヤキモキしてたんだよなぁ!」


「え!?そんな前から…バレてたのか!?」


ラグナはエリスの肩を抱き、二人で顔を真っ赤にしている。がしかし…他の弟子から言わせれば『やっと』『ようやく』という感想が湧いてくる。古くはディオスクロア大学園から二人の関係を見てきた弟子達はようやく結実した結果に驚きは無く寧ろ遅いくらいだと言い出す。


と言うかどこからどう見てもバレバレだ、ラグナはあからさまにエリスを女性として見ていたし、エリスはラグナに対してだけやたらと甘かった。言葉にしたことはないが…あまりにも奥手な二人に寧ろ他全員は『まさかこのままの関係で老人まで一緒にいる気じゃないだろいな』と危機感さえ覚えていた程だった。


そんな中メルクリウスはため息を吐きながら財布を取り出し、メグに金貨を三枚渡す。


「持ってけ、メグ」


「ありがとうございますメルク様」


「いやいやおいおいメルクさんにメグ、俺とエリスが重大発表してんのに何してるんだよ」


「いや、メグと賭けをしていた、ラグナがいつ告白するかって。私は来年だと思ってた」


「わたしは今年に賭けてたので私の勝ちでございます」


「人の恋愛事情でギャンブルするなよッ!」


「せめて金銭の受け渡しはエリス達の見えないところでやってください!」


流石にもう直ぐ告るだろうと読んだメグと二人のウジウジっぷりを理解していたメルク、二人の間で成立していたギャンブルはメグの勝利で終わったらしく、賭け金となる金貨三枚がメグに支払われる。そんな中ナリアがクイクイとラグナとエリスの裾を引っ張り…。


「あの、それでいつ告白してたんですか?タイミングがいつか全くわからないんですけど」


魔女の弟子達は大冒険祭が終わるなりエイト・ソーサラーズ選考会に直行した。大冒険祭の前にはルビカンテの騒動があり、その前にはバシレウスによる魔女の弟子半壊事件、そしてその前には大冒険祭第三戦…と遡るとどこにも告白のタイミングがないのだ。


それを聞かれたラグナとエリスはやや恥ずかしそうに視線を合わせる。


「その、ナリアの劇の最中さ」


「え?」


「その、そこでいい感じになって…エリスがこう、ガッと」


「ガッて通常の告白には使われない擬音ですよね…っていうか人が人生賭けた劇やってる最中にそんな事しないでくださいよ…」


「それはそうなんですけど…」


「まぁ、何はともあれ」


コホン!とメルクリウスは咳払いで誤魔化すと…フッと笑い。


「おめでとう、二人とも、祝儀は出す。期待しておけ」


そう言って手を叩き心の底から祝福する。喜ばしいのは事実だ、いつか二人が結ばれるのを望んでいたのも事実。二人の恋路を最も長く見守ってきたからこそ…感じ入る物もあるのだ。


「ええ、我々も心から祝福いたします。エリス様、ラグナ様、おめでとう御座います。メグも嬉しゅう御座います」


一礼、綺麗なカテーシーを見せ祝福を表すメグもまた二人の恋路の終着点を祝う。


「まぁ色々長かったけど、なんかこっちまで嬉しくなるな。頑張れよラグナ、そしてエリス。結婚って色々面倒だぜ」


ニッと歯を見せ笑うアマルトは静かに決意する、二人が結婚で困ることがあれば手伝うと。そしていつか生まれる二人の子供に対し教鞭を握るのは自分だと。


「ふふふ、でも二人の恋の完成が僕の劇の前で…ってのはちょっと嬉しいですね。おめでとうございます!!」


パァッ!と両手を開いて歓迎するナリアはぴょんぴょこ跳ねる、二人の恋のキューピッドになれたなら、これ以上嬉しい事はない。


「ラグナ…」


そんな中、デティは静かにラグナを見据え……。


「エリスちゃんを頼んだよ、私の親友を泣かしたらラグナでも許さないから」


「分かってる、けど…もしも俺が間違えた時は頼む」


「うん、ぶん殴るから」


ニィーっ!と笑うデティは親友の婚約を祝う、よもや自分より先にエリスちゃんが結婚するとは…と思う部分もあるが、それでも嬉しい、嬉しいんだ。だってデティにとってエリスは紛れもなく親友だから。


「ありがとうございます、みんな」


「必ずエリスは俺が守る、幸せにする。みんなに誓うよ」


「フフフ、ああ頼んだぞ」


「にしても遂に魔女の弟子達から結婚する人間が出てしまいましたか」


「まぁ俺らももうガキじゃねぇしな」


そして、あれやこれや弟子達が言う中…ネレイドが口を開き。


「それで、式はどうするの?今から挙げるなら…私が神父役出来るよ、テシュタル式になるけど」


そう、結婚するなら結婚式は必須。だが今挙げるとなるとネレイドしかその役が出来ない。ネレイドはヒンメルフェルトの葬式の際もそうだったが冠婚葬祭に関する儀式を一通り覚え儀礼用の資格も持っている人物、やろうと思えばここで結婚式の儀式も出来る。だがラグナは真面目な顔になり…。


「いや、結婚はするとは言ったが…結婚そのものはまだにするつもりだ」


「つまり婚約ってことか?」


「そうですね、エリス達は今旅の最中です。状況も逼迫してますし…今結婚式を挙げるのはどうなんだってエリスとラグナの意見が一致しまして」


「だから結婚式は旅が終わって世界が平和になってから。アルクカースにみんなを招いて盛大に結婚するつもりだ」


「その時どこの国の形式でやるのかは分かりません、アルクカース式なのかアジメク式なのか…或いは、なんの式にも縛られないやり方でするのか、そこはラグナと二人で話し合っていきます」


「なるほどな、まぁ理に適っている。別に今すぐ挙げてもいいが…結婚したらしたで忙しいこともある。それに手を取られるより今はやるべき事をやると言うのならそれに越したことはあるまい」


「そーだね、それにさ。新婚さんなんて一番楽しい時期でしょ?それをこんな慌ただしい中で消費しちゃうなんてもったいはしね、落ち着いてから結婚でもいいかもねぇ」


「はい、なので今はマレフィカルムに集中します!」


今はマレフィカルムとの戦いに集中だ、戦いの中にあっては結婚云々は足枷になりかねない。何より手続きもあるしそれならまずはやることやってから結婚にしようと二人で話し合ったのだ。


だから結婚は旅が終わってから、そういうとみんなも納得する…そんな中。


「へぇ、つまり旅が終わったらエリスはアルクカース夫人様になるってか」


「アマルトさん!?」


アマルトさんの言葉にエリスの顔がぼんっ!と赤くなる、改めて言われると照れるどころの騒ぎではない…。


「だってそうだろ?王族の婚約相手なんだから、ってことはエリスはアルクカースの王女様か…お似合いじゃね?お前アルクカース人より気性荒いし」


「どう言う意味ですか!」


エリスの顔が別の意味で赤くなる。そんな中ラグナはエリスの肩を抱きながら引き込むようにソファに座り、エリスを膝に乗せる。


「正直、王族に迎え入れることでエリスには重荷を背負わせるかもしれないし…そのアルクカース夫人の名前が足枷になるかもしれないとは考えた、俺はエリスという自由な風を縛る檻にはなりたくないんだ…」


「ら、ラグナ…エリスは別に…」


「けど、同時に思ったんだ。それは俺が言い訳してただけ…エリスの人生に責任を持てないと思っていただけなんだ。俺はエリスを縛らない、この子が幸せに生きられるように尽くす。エリスが風なら俺も風になる、エリスが鳥なら俺も鳥になる、それが結婚と言う…いや家族になると言うことなんだとな」


「お、おお……」


ラグナの落ち着いた語り口を見てこいつ一気に大人になったなと全員が口を開く。ラグナという男がここまで落ち着いた大人に明確に変化するとは…と言う感想を抱いた瞬間。


一つの疑念が浮かぶ。やたらとラグナが達観した…大人になった事実を前に、もしやと言う疑念が湧くんだ。


「…………」


「みんな?」


「どうしました?」


他の弟子達はみんな、黙って唾を飲む。頭の中に浮かんだとある疑問、ラグナが急激に大人になった要因に思い当たる節がある、だがそれを聞いてはいけない。


メルクがメグに視線を向けるとメグも静かに頷き。デティは苦笑いしながらナリア君の肩に手を置きナリアは顔を赤くしながら口を震わせている。


その様を見たエリスとラグナは首を傾げ…一体何があったのかと困惑する…。


だが、これは聞いてはいけないことなのだ…口に出して聞いてしまったら終わりだから。


そう感じていた、全員が、だからみんなこの話を黙って終わらせるつもりだった…そう。


アマルト以外は…。


「あはは、ラグナお前急に大人になったな。何?エリスとヤッたの?」


「なァッ!?」


「アマルトォッ…!?」


「男にしてもらった的な?大人の階段登ったかぁ〜」


そう、超絶ノンデリ男アマルトは冗談まじりに聞く。聞いてはいけないと言うか世間一般の常識と道徳があったら聞かない事を。友達であっても失礼、他人であったら逮捕沙汰の事を平然と聞く…それがアマルト・アリスタルコスなのだ。


「な…な…な……!」


「ッッッッッ〜〜〜!!」


「え?何その反応?まだなの?」


その瞬間ラグナは顔を真っ赤にし、エリスはイチゴみたいに顔を赤くする……ただし、照れではなく怒りで。


「婚前交渉なんかするわけないでしょうがッッ!」


「ごぶふぅっ!?」


「それはマレフィカルム倒してからです!」


抉り込まれる右ストレートに倒れるアマルト。当然ながら…ヤッてない、ラグナは大人になったのではなくただエリスに関する悶々とした想いを解決し落ち着いただけなのだ。


「ぐぶへぇ…」


「流石に擁護できんぞアマルト」


「ディオスクロア大学園では社会通念とか一般道徳は教えないのでございましょうか…」


倒れるアマルトに哀れみの目というか…自業自得だろこいつという視線を向ける弟子達。


「まぁともあれ、俺とエリスは結婚の約束をした段階だ。だからエリスはまだ籍は入れてないし正式な王族なわけじゃない。アルクカースにも連絡はしないし…その、婚前交渉もマレフィカルムを倒すまでお預けだ」


(ラグナ的にはお預けなんだ…)


(本当は期待してたんだ…)


「だからみんなもエリスをそういう風には扱わないでくれ」


「そういう風にって?」


「アルクカース夫人としてだ」


「別に扱わんだろ、結婚しても。お前もアルクカース国王として扱ってないんだから」


「そ、それもそうか…」


そうしてエリスとラグナは再びソファに座る。二人が同じソファに座るのは今までも同じだったが…今は少し、前より距離が近い。


いや近いどころか…。


「……ラグナぁ」


「ん?どうした?エリス」


「んへへ、なんでもありません…幸せだなぁって」


「…ああ、そうだな」


めちゃくちゃイチャイチャしてる…。、


「っていうかさ」


「うぉっ!?アマルト…生きてたのか」


そんな中ガバッと起き上がったアマルトはメルク達に耳打ちをし…。


「アレ、旅が終わるまで見せられんのか?」


『ラグナぁ…』


『ああ、エリス』


「……かもな」


二人のタガが外れ盛大にイチャイチャを始める。それを見てこれがこれから続くの?とアマルトは言うのだ。まぁイチャイチャする分にはいいが…。


「胸焼けしそうだ…流石の私もラブコメ過多過ぎる」


「お前が言ってるラブコメって小説とか本の話しだろ?結ばれて終わりだもんな、その後に耐性とかなさそう」


「終いには私も殴るぞアマルト」


「ごめんなさい…」


「まぁ…いいじゃないか、寧ろアマルト。お前はきちんと見張っておけよ」


「何を?」


「ラグナがエリスを部屋に連れ込まないかをだ。私もエリスがラグナを部屋に連れ込まないかを見張る、流石にエリスを身重ににはできん」


「あー…うん、まぁ二人がしないって言ったらしないだろうし大丈夫だろ、やろうと思えばエリスがラグナを草むらに引きずり込んでやるだろうし」


「エリス様がヤる側なんですね…なんとなく分かりますが」


「なんかの獣か、いや分からんな…エリスのそう言う性欲面を我々は知らん、もしかしたらとんでもないセックスモンスターかもしれん」


「カマキリみたいにならなければ良いですね」


と言う事で…エリス達の結婚発表は終わった。正直驚きはないし多分環境に変化はないが…同時に弟子達は思う。


二人のためにも、無事旅を終えなければ…と。



……………………………………………………


そして、エリス達は北東部に位置する街『特別領事街ヤマト』を目指して馬車を動かすことになる。ガンダーマンさんからヤゴロウさんがセフィラである可能性が高い…いや実質もう確定みたいなもんと言う情報をもらい、その真偽の確認と…出来るならば彼からマレフィカルムの情報を得たい、と言うわけでヤマトに向かうわけだが…。


ヤマトは東部の果てにある、東部の沿岸部に建てられていることもあり遠い…なので今回の旅路はやや長いものになりそうだ。


「ふんふふーん…」


「あ、アマルトさん。洗い物手伝いますか?」


ふと、エリスがダイニングに向かうとアマルトさんが一人で洗い物をやっていた、帝国の貯水槽に転移で繋がっている鉄の蛇口から流れる水は皿の汚れを落とし排水溝に落ちてこれまた転移で帝国の下水道へ向かい、そして完璧な浄水過程を通ってまた貯水槽へ向かう、と言うループをしてるらしい。


「え?ああいいよいいよ、料理自体は好きでやってるし洗い物も含めて料理だしさ」


「本当にアマルトさんは生活力高いですね」


「それに新婚のお嫁さんを働かせられねぇーなー」


「むぅ」


エリスはダイニングの椅子に腰をかけ、ムッとする。ラグナとエリスは婚約をした、家族という物の存在を知り、そしてそんな家族になるなら…エリスはラグナがいいと思った。ロムルスの一件みたいに無理矢理結婚させられそうになったり、バシレウスみたいに無理矢理結婚しようとする嫌な奴らと違ってラグナはエリスを尊重してくれてたし、そういう人達よりエリスはラグナがいい。


だから結婚できるのは嬉しい、けどそれはそれとして揶揄われるのは嫌だ。とエリスがムッとすると…。


「んはは、キレんなよ。嬉しいんだよ俺も、ダチが結婚してさ?はしゃぎ過ぎてんだ」


「まぁ…悪意がないのは分かってます」


アマルトさんはこういう事を言う人だ、けど悪意から言う人じゃないと言うか…悪意から言う時はもっとあからさまに露悪的に言う人だ。だからアマルトさんはエリス達の結婚を喜んでるのは分かる。この人はただデリカシーという物を持ち合わせていないだけだ…あるいは気にしてないか。


「いやぁめでたい、結婚式呼べよ」


「呼ぶに決まってるじゃないですか、大親友なんだから」


「へへへ、とびきりのウェディングケーキ作らなきゃなぁ」


パッパッと水を払い手元のタオルで手を拭いつつ、キッチンの掃除を始めるアマルトさんを見ていて思う…この人は結婚しないのかな。


「あの、アマルトさんは結婚しないんですか?」


「ん?なんだぁ?お前結婚が嬉しいからって他の人間にも勧めようってか?」


「べ、別にそういうわけでは…」


「まぁでも…俺はもういいかな」


「え?……あ!」


その瞬間遅れてエリスは記憶を手繰り結びつく、彼が結婚しない理由に彼の過去が結びつく。そうだ…彼は結婚しないんだ。


「す、すみません…サルバニートさんの件ですよね」


「ははは、お前としたことが思い出すのが遅かったな。まぁ……そういうこった」


アマルトさんは一度エリス達と同じように婚約まで行ったことがある。それはイオさんから聞いたディオスクロア大学園入学前のアマルトさんの話。


彼は病弱な貴族と親の命令で婚約を結ばされた…それがサルバニートさんだ。望まぬ結婚ではあれどもアマルトさんは確かにサルバニートさんを愛していた、恋をしていた。


しかしーサルバニートさんはアマルトさんを愛していなかった、幼い頃から一緒にいる執事と恋仲にある事を隠しアマルトさんをその気にさせて医療費を出させようとしていたんだ。その事を知った上でサルバニートさんに真実を聞けないまま彼女は病で亡くなり、彼の恋は終わった。


そういう悲惨な思いをしてる彼に…エリスもまたデリカシーがなかった。けど…意外だった。


「まだ、サルバニートさんのこと…好きなんですか?」


「ん〜?」


アマルトさんは背を向け、後ろの棚を整えながらなんでもないことのように語り始める。


「いやぁ?あの女のせいでぶっちゃけ酷い目見たわけだし、何より死んでからもう何年だ?十年?それ以上?経ってるのにまだ好きなんてことないだろ」


「なら……」


「ただ、もういいかなぁってさ」


「もういい?」


「ああ、俺はそういうのに向いてないんだわ。サルバニートの件で知った…俺はこう、夢中になると視野が狭くなる。今はそれより学校の子供の方が大事だし、多分それは一生変わらない。だからしないかなぁってな」


棚を整理し終え、振り向きながらニッと笑うアマルトさんに、なんか申し訳なくなる。彼にノンデリだなんだと言っておきながらエリスもデリカシーがなかったな…と。


「そうですか、変な事を聞いてすみませんでした」


「おう、マジでな。まぁでもなんだ、気にすんなよ?これは俺の個人的な話なわけだしさ」


「だからアマルトさんは女性をそう言う目で見ないんですね」


「え?そう思われてんの?いや俺もちゃんと好きなタイプとかあるからな」


「例えば?」


「えっ…例えば?溌剌な子よりも…部屋の隅で本とか読んでるような子?」


「なんか生々しくて嫌です」


「テメェから聞いたんだろうが…!」


そう言って彼はエプロンを脱いで伸びをしながらエリスの肩を叩いて横を抜けてリビングで休みに向かう。


結婚、それはエリスにとって未知で…とても良い物だと思ってる。けど結婚した結果いい方向に転ばなかった夫婦もエリスは多く知っている。エリスとラグナの関係がどうなってしまうのか…エリスは今から不安になってしまうのだった。


「………はぁ」


みんなに言われてようやく実感してきた、エリスは奥さんになるのか。奥さんって何するんだろう、掃除?洗濯?炊事?まぁ今でも全部やってるからいまいち奥さんになってからの生活がよく分からない。ましてや…王女だ。エリスは魔女大国の王女になるのだ。


ラグナやメルクさん、デティが玉座に座り世間では若い王が乱立したこともあり今世界には王の伴侶がいない。ある意味この世代ではエリスが初めての王の伴侶だ、お手本となる前例がいない、ましてやエリスが例となる。悪ければ悪き前例として語られることもあるだろう、そうなれば迷惑を被るのはラグナの方で……。


「あわわ…い、今のうちにマナーとかしっかり覚えたほうがいいかなぁ…」


「どうした?エリス」


「あ、ラグナ…」


するとラグナはエリスの様子を見るためかアマルトさんと入れ替わりでダイニングに入ってくる。そうして歩いて…寄って、エリスの記憶にある『いつもの距離』よりも更に一歩近く、エリスの前に立ち。


「なんかあったのか?」


「い、いえ…エリス…ラグナの奥さんとしてちゃんとやれるのかなって不安になりまして…」


「心配してた?」


「……うん」


するとラグナは顎に手を当て、静かに考える。言葉を選んでいる…と言うよりラグナもまた一緒に悩んでくれているんだ。


「うーん…まぁ、確かに…うるさい連中はいるかもな、俺のことが嫌いな人間はエリスの悪いところを暴き立てて挙げ連ねるかもしれない」


「うう…」


「けど、問題ないだろ。完璧な人間なんて居ないし、生きてりゃ不当に何かを言われることもあるし」


「けどラグナに迷惑がかかって…」


「なら尚のこと問題ない、お前の夫は…その程度の声すら跳ね除けられないくらい弱い男じゃないさ」


「ラグナ……」


ラグナがエリスの肩に手を伸ばす、それに体を預けて寄りかかる。まるでエリスを安心させるように背中を叩き…彼は強い、分かってる、その程度迷惑にすらならないことくらい…。不安になりすぎなのかな。


分からない、結婚って…未知だ。


「……ん?」


ふと、ラグナがエリスの背中に回した手を徐に上げ肩を支え徐々にエリスの体を引き寄せる、と同時にラグナの顔が近づいて…って!


「ダメです!」


「え!?」


咄嗟にラグナの顔を抑える、こ…これあれですよね…接吻、接吻ですよね。なんでいきなり…いや二人きりだからそう言う空気なのか…!?で、でもダメ!ダメです!


「なんで!」


「は、恥ずかしいので…」


「そんな…!だってキスならエトワールでもやってるじゃないか!」


「でもダメです!恥ずかしいので…」


「う……」


確かにエトワールで一回…した。お互いの愛の言葉を囁いた後、ちゅーってした…けど、一回やったからってそんな簡単にホイホイ出来るもんじゃないんですよ!魔力覚醒じゃないんですから!


恥ずかしいんだ…あの時は雰囲気に飲まれてやったけど、シラフじゃ出来ないよ…。


「…………」


ラグナをチラリと見ると、なんか物凄く悲しそうな顔をしてる。別にラグナが嫌ってわけじゃないんですよ…寧ろ、するならしたいし…やれるならやりたい、これはエリスの勇気の問題です…ですから。


「か、代わりに抱っこはいいです」


ボスッと肩でラグナの懐に追突し体を預ける。するとラグナは悲しそうな顔から一転…嬉しそうにふにゃーっと顔を緩めて両手でエリスを抱き止めてくれる。……あったかい。


結婚は不安だけれど、ラグナと一生こうしていられるなら…安心かなぁ。




「メチャクチャイチャイチャしてるな」


「なんか見てるこっちが気恥ずかしいでございます」


そんな二人の様を…ジッと見るメルクとメグの顔は、エリスとラグナよりも赤いのだった……。



そうして、東部の果てに至る旅は…続いて行って、そして…。


………………………………………………………………


「そろそろ東部入るよ…」


御者役のネレイドさんがそう呟いたことによりヤマトへの旅路が半分ほど終わった事をエリス達は知る。東部に入ってしまえば後はもう山も谷もないから真っ直ぐ最短距離でヤマトに向かえばいいだけだ。


「アルトルートさん元気かなぁ」


「東部と言えばモース様もいらっしゃいますね」


「まぁ、会いに行く時間はないだろうけどなぁ」


まぁだとしても今この時がすることのない暇な時間であることに変わりはない。みんなそれぞれの時間を過ごしている、今日はもうめいいっぱい修行したしすることもなくナリアさんは演劇の練習でクルクル回転してるしメグさんは紅茶を入れメルクさんとアマルトさんは読書をして…そしてラグナは。


「それにしてもヤマトって──」


「ひゃっ!?ちょっとラグナ!」


「あ、悪い…」


突如頸にピリピリと甘い電流が流れエリスは振り向き怒る。今…ラグナはエリスの後ろにいる、具体的に言うとエリスが膝の上にいる。エリスの頭の後ろにラグナの頭がある。だからラグナが急に喋るとくすぐったいんだ。


なんでこうなってるかって言うと…まぁ、エリスがやりたいって言ったからなんですけどね。


「お前らな、なんか真面目な話するんならせめて絵面だけでも真面目な空気にしろ」


「そ、そうだな…エリス」


「むぅ」


アマルトさんに怒られてエリスはラグナの隣に退く。エリスはただ…イチャイチャと言う奴をやりたかっただけなんです、ただこう…上手いやり方が分からないだけで。


「おほん、でさ。ぶっちゃけ特別領事街ヤマトってなんなんだ?」


「おいマジかよラグナ、お前知らねえの?」


「アマルトは知ってんのか?」


「いや?知らない。けどお前王様だろ…」


「アルクカースのな、国交断絶してる国の内部事情なんか知らん、と言うわけでエリス」


「エリスを都合のいい旅行雑誌扱いしないでください」


「ご、ごめん」


ため息を吐く、てっきりみんな知っているものと思っていた。エリスも別にこの国に来た時点では特別領事街に詳しかったわけではない。だから一応調べておいたんだ…けどまさか調べてたのがエリスだけとは。


「みんなはマレウスが外文明と交流を持っているのを知ってますか?」


「それは知ってる、スシとかテンプラとかマレウスで流行ってるよな」


「外文明との交易は魔女大国側は殆ど出来ていない。外文明との交流と言えば最近外文明の国である武国ボルテギスがデティを嫁にしたいと言ってきたくらいだな、当然断ったからそれ以降交流もない」


「ある意味、マレウスは魔女大国に出来てない事が出来てるって事だね」


師匠曰く魔女大国以外…つまりディオスクロア文明圏以外の文明は気にする必要がないらしい。それはこの世界の中心がディオスクロア文明圏でありディオスクロアに生きている時点で態々外文明に目を向ける必要性がないからだ。


とは言え、外文明にもそれなりに力を持つ大国は多くある…さっき言われた遊牧と征服の大国『武国ボルテギス』もそうだし、理性と浪漫の国『マルセイエーズ共和国』や英雄と叙事詩の国『楽園エリシュオン』


覇道と野心の国『リューゾク』や勇気と騎士の国『ブレトワルダ王国』、神と星の国『風と砂のラシード』、死者と生者の国『暗国シバルバー』なんてのもあるし…。


唯一大いなる厄災を乗り越えた最古の国家『レストガルズ王国』そして極東の島国『トツカ』…他にも魔女の力を借りず八千年間かけて成長してきた国は外大陸に多くある。


そう言う国と、基本魔女大国は貿易をしない。距離的にも遠いし外文明に必要なものがないから…だがそれでも外文明の国々はそれなりの国力のある大国達だ。それらをマレウスは味方につけたと言う事だろう。


「そうです、マレウスは特に極東の島国トツカと深い国交を結んでいます。その友情の印としてマレウスは北東の一つの街をトツカと共同統治を行うことにしたそうです」


「つまり海の向こうの国に土地を無条件で明け渡したってか…気前がいいな」


「それだけの事をしてでも、外文明とのとっかかりが欲しかったんだろう。恐らくこれを考えたのは…」


「はい、レナトゥスです……」


レナトゥスはセフィラだ、そしてそこに住まうと言われているヤゴロウさんもまたセフィラ。見方によってはセフィラによってセフィラの為の街が作られたとも言える。ヤマトという街がどこまでクリーンな存在かは分からないが、あまり気を抜いて歩ける場所じゃないかもしれない。


「特別領事街はマレウスの国政の影響を受けない唯一の場所です。街にはトツカ人も多くいますし街そのものもトツカ風の様相らしいですよ、それにトツカとの貿易の拠点でもあるので連日トツカ行きの貿易船が出ているそうです」


「つまりその船に乗ればトツカにいけるのか…」


「行ってどうするんですか…」


ラグナは興味ありげに呟くが…ぶっちゃけ行ったところでどうするよって話だ。確かに気になりはするが今のエリス達にはあまりにも関係がない。今トツカに行って得られるのは新鮮なカルチャーショックくらいだ、時間を代価に得るにしてはあまりにも希薄な報酬だ。


「ともかく、トツカではマレウスの常識が通用しないかもしれませんで注意してください」


「だな、それにヤゴロウの件もある…くれぐれも!旅行気分にはならないように!」


「お前がそれ言うか?ラグナ」


ともあれ、ヤマトはトツカの一部…或いはそれに準ずる場所と考える必要がある。エリス達にとって初めて触れるディオスクロアの外の文明。ラグナは旅行気分になるなとは言っているけど…。


(どんな場所なんだろう…)


少し、ワクワクしてしまう。エリスの知らない…遥か遠くの国の築き上げた物を見てみたい。そんな風にエリスは黄昏るのだった。



そして………。


……………………………………………………………


サイディリアルを旅立ってより二週間。エリス達は辿り着くことになる。


そこは、マレウスの地図を広げた時端の端に位置する北東沿岸。宰相レナトゥスの号令によりトツカとの友情を込めて作られたトツカとの貿易拠点にしてトツカとの共同統治を行う特別領事街。


その名もヤマト…トツカの不思議な響きの言葉をそのまま用いて名付けられたこの街はマレウスでのトツカ食ブームの震源地でありマレウスに外文明の道具が持ち込まれる入り口でもある。


この街はディオスクロア文明圏の中にあってディオスクロア文明とは違う外文明の叡智で作られた…ある種、この文明圏において最も異質な街。それはエリス達が立ち寄ったどの街よりも、ずっと…。


「お、おおお……」


「違う…!」


到着、ヤマトに。そして街の入り口にやってきたエリス達はまず驚いた、それは…ヤマトと言う街の様相。


「家のデザインが違う!」


「屋根が黒い!」


「柱が外から見えるな」


ディオスクロア文明圏において一般的な建築方は石煉瓦を積み重ねた物が一般的であり古くは十二王国時代から続く歴史ある建造法だ、だが今エリス達の目前に広がる街は全く違う。


まず、木の壁に黒く薄い煉瓦を重ね合わせたような異質な作りをしているんだ。ディオスクロアとはまるで違う建造法にエリス達はみんな口を開ける。


「トツカの家は…通気性がメインだね」


「分かるんですか?ネレイドさん」


「一応、趣味で大工やってるから。そもそもディオスクロアの建造物は壁を分厚くして保温をメインにしてるけど、こちらは通気をよくしてる…多分、トツカが湿地的な土地柄なんだと思う…」


「確かに、見ろよあのでっけぇ窓。ガラスじゃなくて紙くっつけただけだぜ、寒そう。っていうかあの扉…ドアノブないけどどうやって開けるんだ?」


それに家だけじゃない、歩いてる人の服装も全然違う。なんていうかこう…ダルっとしてる、大きくな布を降り重ねて腰の帯で締めたような服装はディオスクロアの体のラインに合わせて裁断した服装とはまるで違う。アレがキモノか。


何より目を引いたのが…男の人だ。


(あれ…何を頭に乗せてるんだ)


腰に刀、キリッとキモノを来た男の人…その髪型があまりにも見慣れない。変な事を言うと頭頂部だけツルッとハゲててその上に黒いのを乗せてるんだ。ナマコ?いや銃!?……あ違う、結った髪だあれ。


「なんか文化の違いを感じるなぁ……」


「世界は広いんだな」


「ああ、びっくりだよ」


エリス達は早速圧倒されてしまう。これがトツカの文化か……何がどうなってこんな文化になったのか気になるが、とは言え変だとは言うつもりはない。


だって彼らからすればエリス達の格好や髪型も変に映るだろうし、それを挙げ連ねて否定をすれば無用な火種となる。違いは変ではなく、むしろ当然の物と受け入れるのが一番賢いんだ。


「よし、じゃあ早速行くか」


「ええそうです……まずは」


歩き出すラグナの隣を歩き、エリスは述べる…そうまずはヤゴロウさんを探して──。


「ああそうだ、まずは……観光だ!」


「お前が一番観光気分じゃねぇか!」


「いやっふー!」


「わーい!」


「アレ食べましょうスシ食べましょうスシ!」


ダカダカ!と走っていってしまう、ラグナとデティとナリアさん…そしてメグさん。やっぱり観光したかったんですね。


「どうするよ、メルク」


「どの道ヤゴロウの居場所はわからんのだ、手分けをした……と考えよう」


「まぁ、そうだなぁ」


ラグナはメグさんとデティとナリアさんを率いて行ってしまった。こちらにはエリスとメルクさんとネレイドさんが残っている…ならエリス達はエリス達でヤゴロウさんを探しますか。


「よし、では早速あそこのウドン屋の中を探しますかアマルトさん」


「お前も観光したかったんかい……まぁいいけどさ」


と言うわけで、エリス達もまたヤゴロウさんを探してこのヤマトの街を冒険することになる。だからまずはウドンとやらを食べて…キモノも買いたいな、他にもアレやこれやを見て……えへへ。




「………………」


そんなエリス達は気が付かない、遠目でエリスを見て…アゴを撫でる一人の侍がいることに。


『今、ヤゴロウと言ったか…?あの若造達』


腰に刀を、黒いキモノを着てアゴを撫でる無骨な侍は聞き覚えのある名を聞いてエリス達を見る。


『よもやあの人切りが他国で他を売ろうとはな、剣の価値は他国でも変わらぬと見える』


彼はトツカ語で呟きながら腰に差した刀を撫でる。そして……。


『がしかし、極楽気分もこれまでよ…ヤゴロウ。貴様には将軍の所へ来てもらう』


そう語る侍は踵を返し目を瞑る。ヤゴロウを我が前に連れてこいと将軍が仰られた、天下の刀剣将軍ヨシフジがそう言ったのだ。ならばこそ…ヤゴロウはトツカに帰ってきてもらわねばならない。


もし、抵抗したならば…。


『覚悟してもらうぞ…このネギシの刃を』 


髭を撫でる、鯉口を鳴らす、土を踏んで…彼は消える。

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― 新着の感想 ―
甘いあまりにも甘すぎる。最後に不穏な空気がトツカで何やらかしたあの人。
2025/04/28 16:20 陽気なアインシュタイン
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