閑話・アマルトと世界一のパン職人
美食の街ガーメット、温暖な気候と安定した天候、そして平坦で障害物の少ない土地に建てられているが故に商人達も多く立ち寄る立地。それらが合わさり生まれた国内有数の美味珍味が集まる街…それがこのガーメットである。
ここには凡ゆる美食が揃う、どんな偏食家さえも満足させるメニューの豊富さと質の良さから貴族どころか王族までもが立ち寄ることがあると言われるほど、この街は食事によって栄えて来た。
マレウスでも比較的有名な街って事もあり、この国で旅するならいつか寄ってみたいと思っていたんだ。
そして今日、その機会に恵まれた。
「うひょーい!念願のガーメットだぁーい!」
「すごーい!ここからでもいい匂いが漂ってくる〜!」
「もうお腹すいた…」
馬車を止めるなり外に転がるように飛び出るのはうちの食いしん坊達、ラグナにデティにネレイドの三人だ。この街の事を聞きつけこの街に立ち寄る事になり数日間、ずっと楽しみにしていたからこそここまで大騒ぎしてるんだろう。
いやほんと、ずっと楽しみにしてたのよ。メグが『この近くにマレウス中の美食が集まる美食の街があるそうですよ』なんて地図を開きながら言ったもんだからさぁ。
(まぁ、そこは俺も楽しみだったんだけどな)
そうにやつきながら馬車から降りるアマルトは美食の街のオレンジ暖簾が街から突き出る煙突の数々、そこから燻る煙を見て胸を高鳴らせる。
マレウスの美食…正直めっちゃ興味がある。いい勉強ができそうだしな。
「では各人お小遣いは持ったな、当初の話通り二人組に別れて行動する。合流は夕暮れ時、この馬車で、ちゃんと約束は守れよ?いいな?」
「はーい!メルクさーん!」
「うわぁー!何食べようかなぁ」
そして魔女の弟子達はメルクリウスからのお小遣いを手に二人一組に別れる。数日前からどういう風に街を回ろうかって話で持ちきりだったからいさー到着してからの動きは早い。既に組み分けは終わっているし、みんなお小遣いを受け取るなり街の方へと走っていく。
「エリスちゃん!行こう行こう!この街のスイーツ食べ尽くそう!」
「いいですね、エリスあれが食べたいです。シュークリーム」
エリスとデティは仲良しコンビで組んで街のスイーツ巡りをする予定らしく。
「では行くぞメグ、お前の言う調味料とやらを見に行こう」
「はい、メルク様」
メルクとメグの公私混同コンビはそのまま街の調味料を見に行くようだ。
「じゃあネレイドさん!僕達も行きましょう!」
「ん、いいよ」
そしてネレイドとナリアのポルデュークコンビもまた街へ向かう。
この街はあらゆる美食が集う。つまり凡ゆる食材と凡ゆる料理人が集う。それ故に売っている料理だけでなく、食材も調味料も珍しいものが多い。そう言うのを見るだけで楽しいってのがうちのメンツの大多数を占めているため、別に食いしん坊じゃなくても楽しめるようだ。
さてと、みんな行ったし…俺もそろそろ行くかね。
「んじゃ、ラグナ。行くか」
「いいね、行こうぜ」
メルクから預かった金貨数枚をその場でチャラチャラと鳴らしながら俺はラグナに目を向ける。俺のコンビ相手はラグナだ、別になんか深い意味があるわけじゃない。ただ偶には男二人で街を巡ってみたくなったから俺から声をかけただけだ。
そしてラグナもそれを快く了承してくれた。だからこそ生まれた男コンビは二人並んで美食の街の入り口を潜る。
「んんぅ〜、すげぇな。街の至る所からいい匂いがする!」
「だぁな、まるで厨房にいるみたいだ」
匂いを嗅いで興奮するラグナの横で俺も美食の街を堪能する。街の様子はやや忙しない…と言った様子か。多分俺たちみたいな観光客が多いせいか、往来を行く人々の足は少し浮いているように見える。
そして、通路を挟むように凡ゆる店が並ぶ。肉料理店、魚料理店、サラダ専門店にパスタ専門、中には芋一本で攻める店や木の皮をどこまで美味しくできるかを探求する店なんてのもある。
文字通り、美食が立ち並ぶ街。いいねぇ〜、雰囲気も変じゃないし、俺好きかも。こう言う街。
「すげぇ〜…」
「で?何食うんだ?ラグナ」
「え?俺が決めていいの?」
「ぶっちゃけ俺なんでもいいし、お前なら変なの選ばないだろ?」
「そっか、ん〜昨日アマルトあれ作ってくれたじゃん。魚料理」
「ムニエルな、美味かったか?」
「散々言ったろ?最高だって、昨日汁気たっぷりの魚を食ったから今日は反対のものが食いたいな。それと肉…」
「結局か。うーん」
ラグナの注文を聞いて頭の中の辞書を引いてそれっぽいものを探す。汁気がない物というの乾物が浮かぶが、折角こういう場所に来てるんだし雰囲気的に乾物はちょっとなぁ。
ん、そうだ。
「ならパンとかどうよ、焼き立てのホクホクパン」
「おお、いいねいいね、口がパンの口になった、食べたい」
ラグナは子供のように手を叩いてはしゃぎパンを所望する。俺もパンが食いたくなってきた。
パンってのはいいよな、朝に冷えたパンを食うのもいいが、ベーカリーで買ったパンを店先で食らうのもまたいい。流石は主食の王様って感じさ。種類も豊富だし、この美食の街ならいいパンが食えそうだ。
「なら適当なところで食おう、えーっと…小麦の匂いは…スンスン」
「犬みたいなやつだなお前は…」
ラグナは鼻を揺らしながら周りを探る。あちこちから料理の匂いが漂うこの街でパンの匂いだけを嗅ぎ分けられるもんかね、いや出来るんだろうな…多分こいつなら出来ると思う。
「こっちから小麦のいい匂いがする。行こう」
「行こうって…そっちは路地裏だぜ?まぁお前が行きたいならそれでいいけど」
トボトボと何かに誘われるようにラグナは路地裏へと歩いていく。当然大通りから外れるから人気はグッと減るし、正直路地もあんまり綺麗じゃない…並んでる店も閉店してるのばっかだし、大丈夫か?
「あった、パン屋」
「は?…うわ、マジかよ。マジであった」
「疑ってたのかよ…」
「そりゃこんな閉店だらけの場所に、営業してる店があるとは思わなくね?」
「まぁ、それはわかるけど」
しかしラグナの鼻の精度は凄まじく、閉店している店が並ぶ中…一つだけ『Open』の看板をぶら下げている汚いパン屋を見つける。
名前は『エンマーベーカリー』かぁ、しかしきったねぇな!埃汚れで看板も黒ずんでやがる、この街にゃ他にもパン屋があるだろうに…態々ここ選ぶか?
「なぁ、マジでここにするのか?」
「うーん、でもここが一番匂いが濃かったし…入ってみようや」
「止めないけど…止めないけど、気分的には止めたいけど…」
「失礼しまーす」
なーんてラグナは一切躊躇することなくエンマーベーカリーの扉を開けて薄暗い店内へと入っていく。当然俺もそこに続くわけだが…一応食べ物を売る店が、こんな汚くて大丈夫かね。
「……客、いないな」
「……そりゃあな」
店内に入ると、なんというか…薄暗い。床も剥げてるし、廃墟って言われた方が幾分納得出来る状態だ。オマケに棚にはパンは置かれてないし、マジでパン屋かこれ。
…いや待て?確かに小麦を焼くいい匂いがする…、これは…奥の厨房から?
「失礼しまーす!客でーす!パンくださーい!」
ラグナがそう大きな声で店の人を呼ぶと、ガタガタと音を立てて奥から一人…影が顔を出して。
「…お客さん?」
「ウォッ…」
そう言って顔を出したそいつの顔を見たラグナが思わず引いてしまう。そんな怖い顔をしていたか?と言われればまぁ…怖い顔だな。
頬は痩せこけ、目の下にはクマ、髪はガサガサで見てるだけで運気が吸われていきそうな…貧乏神みたいな奴が俺たちを見て客だと言うのだ。そしてその如何にもやばそうな奴は…俺たちを見て目を潤ませ。
「お客さんだ…お客さん!お客さんだぁぁああ!」
「ヒィッ!?寄るなよ!」
「どうぞどうぞお客さま!よくぞご来店してくださいました!いやぁ嬉しいなぁ!今日は何を所望で?パンしかありませんけど!」
「いやパンが欲しいから来たんだけど…」
ガタガタとそいつは俺達によってきて涙ながらに手を取り歓迎の意を示してくれる。なんというか…やばそうな店にやばそうな店員だな。
「いや!いや…嬉しいなぁ…ぐずっ!」
「おいおい、アンタ…来店しただけで何泣いてんだよ」
「いやぁ…一週間ぶりのお客さんなので…つい」
「イッ…一週間か…そりゃあまた」
チラリとラグナに目を向ける、一週間だってさ、一週間…すごいねそれは。
「オマケにパンが売れたのはもう二ヶ月前で」
ほほう、売れたのは二ヶ月前だってさ。うん、帰らない?とラグナにアイコンタクトで伝える。
(ラグナ、帰ろう。悪いことは言わないから帰ろう、明らかにやばいってこの店)
(でもこいつめっちゃ喜んでるし…)
(何をどうしたらこの美食の街で二ヶ月もパンが売れないなんてことがあるんだよ、第一今は朝だぞ!パン屋のゴールデンタイム!なのに客足が遠いどころか遥か彼方だぜ?やめた方がいい、きっと毒入りのパンとか売ってる店なんだよ)
(店のもの食わずにそうとは決められないだろ)
こいつ強情な奴だな…、もうラグナはこの店で食うことを決めてるみたいだ。こりゃ何言っても聞かないか…。まぁラグナなら変なもん食わされても死なないだろうし、別にいいか。
「ううっ、ううぅっ、嬉しいなぁ」
「な、なぁアンタ。名前は?」
「私ですか?私はエンマーと申します。実はパン屋をやってまして」
「実はも何も知ってるが…、なぁ。俺はラグナ、こっちはアマルトだ。実は俺達パンが食いたいんだが、なんかいいのない?肉系のやつ」
「おぉっ!これはこれは!お目が高いですねラグナさん!実は私新開発した新商品がありまして!それが丁度肉を使った物なのです!」
「へぇ、どんなのだ?」
「ラグナ様はハンバーガーって食べたことありますか?」
「ん?まぁな、好物だ」
「それは最高です!私はそのハンバーガーを改良して更なる進化系を作り出したのです!パンとハンバーガーの融合という形で!」
「へぇ、そりゃあ楽しみだな!それくれ!」
「ありがとうございます!お代は結構でございます!」
「えぇ…、そんなんだから利益出ないんじゃないのか?」
異様に腰が低い男エンマーは、何やら新しい形のハンバーガーを開発した…なんて言いながら店の奥に引っ込むと共に湯気立つ包み紙を持ってくるのだ。そこから漂うのは確かに小麦と肉の匂い…。
しかもこの匂い………存外変なものを出す店じゃないのか?しかしならなんだってこんな売れてないんだ?
「どうぞ!こちら私が開発したパンバーガーです!」
「パ、パンパー?」
「パンバーガーです!」
「言いづらい…、ってこれ、普通のパンじゃないか」
そう言って手渡されたのはもっちりした一つの白パンだった。肉の気配はどこにもない…と思っているとエンマーは自慢げに笑い。
「白パンか?」
「そんな面白みのないものではありませんよ、これは『中に入っている』んです、ハンバーグを作り、その上からパンを焼いて作ったパンと肉の融合体でございます!」
「へぇ、中にハンバーグが入ってんのか!いいじゃん!美味そう!」
「それに使われている肉はこの街で手に入る最高級の肉を使って作られた逸品!どうぞ味見してみてください」
「おうおう!楽しませてもらうわ!」
そう言ってラグナは楽しそうに一口パンバーガーを頬張りモシャモシャと咀嚼するのだ。しかし面白いもん作るな…パンの中にハンバーグって、…でもそれって…。
「どうですか?ラグナ様!」
「むぐむぐ……」
パンバーガーを食べたラグナ、そこに込められた期待の目は咀嚼する都度に曇っていき。逆に疑問の色が濃くなると共に、飲み込む頃には遂に首を傾げてしまうのだ。まぁ…お世辞にも美味いって反応じゃないな。
「美味しいですか?」
「んー……うん?なんだこれ」
「なん…だこれ、とは?」
「パンの中に確かにハンバーグは入ってた、匂い的に肉もいいやつなのは分かる。けど…なんでこんなに美味くないんだ?」
「美味くない!?」
「はっきり言ってまずいぜこれ、でもなんでなんだ?素材はいいのに…こう、二口目に続かない…」
「そんな…!」
美味くない、だが美味くない理由が分からない。ラグナはそう言って首を傾げるし、そう告げられたエンマーはこの世の終わりみたいにガックリとうなだれる。しかしそうか…やっぱり美味くないか。
そりゃそうだぜ…。
「口触りじゃないか?ラグナ」
「へ?口触り?」
「パンの中がベチョベチョしてたんだろ?肉汁で」
「ああ…確かに!すげーベチョベチョしててさ、しかもそれをパンが吸ってて、こう…口の中に入れた時の感じが凄い気持ち悪くて…」
「ハンバーグってのは肉をそのまま焼くより肉汁が多く出る。その肉汁を吸ってパンの食感が損なわれてるのさ、それとまずい理由はそれだけじゃない、肉汁が外に出てしまったせいで肉そのものの味が損なわれている。肉汁がパン全体に拡散したせいで肉の味が薄くなり大きく落ちる。それでいて肉には肉特有の油臭さとグニャグニャした食感が残ってるから、美味くなりようがないのさ」
「そ…そんな…、せっかく考えたのに…」
「ハンバーガーはその辺考えてパンの断面を予め焼くのさ、食感の確保のためにな。でもこれは最初から内側に入ってるから、だから浸透が早いんだ。アイディアは悪くないがちょっと工夫不足だな。肉の汁気をもっと閉じ込めるようにするとか色々するべきだったな」
「ふーん、そうだったのかー」
なんて言いながら結局パンバーガーを二口で丸呑みにしてしまうラグナ。だが美味しくはないようで、ちょっと顔を顰めている。
料理において大切な味の凝縮と食感の厳選ができていない。だからパンバーガーはただ食感が悪いパンと味が抜けた肉を掛け合わせた、全体的に微妙な食品になっているんだ。
「そ、それならこれはどうでしょう!口直しのメロンサンドです!」
「メロンサンド?そいつは美味そうだな」
「はい!どうぞ!」
すると今度はどこからかサンドイッチを取り出す。生クリームと薄切りのメロンを挟んだメロンサンド…所謂ところのフルーツサンドイッチというやつだな。こちらは変な改良は加えていないみたいだが…。
エンマーからフルーツサンドを受け取りむしゃむしゃと食べたラグナは…再び首を傾げて。
「ん…んん?変だな、これも美味くない」
「えぇっ!?なんで!」
「なんていうか…想像してたよりも甘くないし、クリームもベチョベチョしてる…」
「そりゃ単純にクリーム作るのが下手だな…、氷水で冷やしながらかき混ぜたか?」
「い、いえ…」
「後砂糖のチョイスも悪いな。多分砂糖の甘みが弱いからメロンの果糖に負けてるんだ、そしてクリームも泡立ってないから変にベチョベチョするんだ」
こっちはアイデアがダメというより単純にクリームの作り方が悪い。こうして見るだけで分かるくらいには下手だ。なんだってこんなもんをプロが作ってんだ?それともただの試作品?
まぁ、どっちにしても…これじゃ売れないな。
「前アマルトが作ってくれたフルーツサンドはメチャクチャ美味かったよな!」
「ま、まぁ俺はデティのせいでクリーム作るのに慣れてるからな」
「……………」
なんか…エンマーがめっちゃこっちを見てる気がする。いや事実睨んでいるのか…だって今の俺凄い失礼だったもんな。いきなりやってきてこれがダメあれがダメ、好かれる態度じゃなかったな。
だが事実としてダメな部分があるのだ、それはハンバーグを中に入れた無思慮とか、クリーム作るのがド下手なのにフルーツサンドなんぞ作った無謀とか、そういうのとは違うもっと根底にあるもの。
多分、これがあるからこの店は売れていないんだ…それは。
「な、なぁエンマーさん。普通のパンはないのか?普通の…白パンとか黒パンとか」
「ありませんよ…そんな面白味のないパンなんて…」
「お、面白味?」
「だって…普通のパンじゃ、ダメなんですから」
これだ、こいつ完全に迷走してやがる。何があったかは知らないがこいつは何か突飛なものや流行ってる物を使わないとダメだって固定観念に囚われている。結果、よく分からん物を作ってみたり、得意でもないだろうスイーツ作りなんぞやってるんだ。
そのせいだな、人が寄り付かんのは…。多分こいつは随分前からこうなんだろう。
「はぁぁぁ…でもいくら考えてもいくら試しても全くいいものが出来ない、材料を吟味して製法を一新して一から十まで気を遣って作っても…ロクな物が作れない」
「別に普通のパン作ればいいんじゃないの?」
「そういうわけにはいかないのですラグナさんッ!」
「うぉ顔近…」
「ぁぁぁあああでもこのままじゃあ私は人生お先真っ暗ッ!今まで打ち込んできたパン作りが結局何も結実しないまま終わってしまうんだぁぁああ」
何やらエンマーは頭を抱え蹲ってしまった、なんか随分思い込んでいるようだな…まぁこの先の人生真っ暗かと言えば今も十分真っ暗な気がするが…。
チラリと俺はラグナと目を合わせる、既にフルーツサンドを平らげていたラグナも今度は小さく頷き。
「じゃ、じゃあ俺達帰るぜ?頑張れよ」
「パンバーガーとメロンサンドありがとな、一応…お代ここに置いとくから」
「……ッ!」
これはもう帰った方がいい、変な事になる前に他所へ行こうと俺とラグナは踵を返した瞬間。エンマーは影もかくやと言う速度でササっと俺達の前に周り店の出入り口に立ち両手を広げ立ち塞がると、もう目ん玉ガン開き血走った目で牙を剥き。
「私の人生!お先!真っ暗になってしまうんですよ!」
「いや知るか!テメェの人生くらいテメェでなんとかしろよ!」
「8歳からパン作りの修行をしてきたのに…、それが全部無駄になってしまうんです!」
「考えすぎだって、手に入れた技術は腐らないだろ」
「違うんです!そうじゃないんです!私には夢があるんです!その夢が…このままでは目前で別の人間に奪われてしまう!」
「そうかい、同情するぜ。ラグナ、裏口回ろう」
「うん」
「待ってくださいぃいいいい!!」
ギャーンと涙を流しながらもう地面でも滑ってるんじゃないかと言う勢いで膝立ちのまま俺の足に組付き待ってくれと懇願するエンマーに辟易する。やっぱり…変な事になり始めやがった!
「離れろよ!」
「貴方!料理が出来ますね!?」
「ああ?いやまぁ…趣味でやってるだけだよ」
「アマルトはメチャクチャ料理が上手いんだぜ?なんだっけ?王餐会?ってのに出入りしてたんだよな」
「あのタリアテッレ様が開いていた料理研究会の王餐会ですか!?」
「おいバカ!言うなよ!」
バカ!今そう言う情報はいらないんだよ!確かに俺は王餐会に出入りしてた。今魔女大国や世界中の国々で一流と呼ばれる人々がタリアテッレの下で料理を研究し、タリアテッレに教えを乞うていた王餐会。
俺は小さい頃からそこに出入りして世界中のシェフやタリアテッレから料理を教わっていた。俺の技術の根底はそこで培われた物と言ってもいいだろう…まぁ普段からやってるからってのもあるが。
でも、今それをエンマーに聞かせるのはまずい…だって、この流れ…きっと。
「ではアマルトさん!是非私のパン作りを手伝ってくださいませ!」
「嫌だ!俺ここに観光に来てるの!なんだってお前の手伝いなんぞせにゃならねぇーんだよ!」
「私のパンを見ただけで悪い点を指摘し的確に言語化する能力、そして何より料理の腕!きっと貴方なら私の夢の手伝いができるはずです!」
「知らねぇー!テメェの夢とかどーでもいいーッ!」
「そんなこと言わずに、パンバーガーあげますから」
「この流れでよくそれを交渉材料に出せるな!」
「って言うかさ、エンマーさん。さっきから言ってる夢ってのはなんなんだ?」
おいラグナーっ!聞くなーっ!聞いたら手伝わなきゃいけなくなるだろうがーッ!
ほら!ほら見てごらん!エンマーさんの目!輝いてる!はぁ〜〜〜…俺、この街観光したかったのになぁ〜。
「実は私は、この街で一番のパン工房『ブロットベーカリー』の弟子でして…」
「ブロットベーカリー…?」
とラグナは首を傾げるが…おいおい、俺聞いたことあるぜ?ブロットベーカリーって言えば。
「ブロットベーカリーって、あの『世界のブロット』で有名なあのブロットベーカリーか?」
「そうです!」
「有名なのか?アマルト」
「有名って言うか、世界一美味いパンを作るパン作りの神ブロット・ファウヌスの工房だよ。この街にあったのか…」
その美味さはまさしく神がかり。態々他国の王が工房を訪れ焼きたてのパンを懇願したこともあり、あのフォーマルハウト様をして『世界一美味しいパン』と絶賛した世界最高の職人の一人だ。
パン作りと言う一点で見れば、タリアテッレでさえ超えるパンの神様ブロットの弟子が…これぇ?
「お前あのブロットの弟子かよ、終わったなブロットベーカリーも」
「そこまで言わなくてもいいでしょう!?いやまぁ事実なんですけど…。実はブロット師匠も最近はもう高齢でして…、もうそろそろ店を弟子に明け渡そうかと考えているんです」
「マジか、終わったなブロットベーカリー」
「言わないで!…それでその、私の夢が…師匠の店を継ぐことでして…」
「今のままじゃ難しくないか…?」
「分かってるんです、分かっているのですが…」
「ん?ちょっと待てよ?」
ふと、ラグナが何かに気がついたのか。口周りのクリームをペロリと舐めながら…。
「そんな有名なパン職人なら、もっと弟子がたくさんいるだろ?他の奴らが継ぐんじゃないのか?」
「あ…確かにそうかも」
「ええ、そうなんです…実はブロット師匠の下には私の他に後二人いまして…」
エンマーがそう切り出した瞬間、扉のベルが鳴り、外から一人の男性が店の中に踏み込んでくるのだ。そいつは俺の下のに組み付くエンマーを見て…やや表情をひくつかせ、同時にエンマーはギョッとしながら俺から離れ。
「ブロット師匠!」
「お、お前何してるんじゃ…」
「こ、これには色々ありまして!」
サラッサラの白い髭を顎から垂らし、キラキラ光る禿頭を自分で撫でる背の低い老人がいる。なんとも気難しそうな職人気質ですって顔つきの老人を前にエンマーはペコペコと頭を下げる。
話の流れ的に、この老人が…あのパンの神様ブロット・ファウヌスか。
「んん〜、あの爺さん全身から小麦の匂いがするぜ、いい匂い」
「やめろラグナ」
なんかラグナも舌舐めずりしてるし…。食うなよ、ジジイを。しかしブロットは店の様子を見てなんとも残念そうな顔をしている。
「はぁ…そろそろ試験の日だからと様子を見に来て見れば、エンマー…お前何にも進歩しとらんじゃないか」
「す、すみません師匠…」
「まるで改善も見られんし、このままじゃデュラムやトーツブの相手にはならんかもしれんなぁ」
「わ、私も試験の日は頑張って渾身のパンを作り上げますから!だから見捨てないでください師匠〜!」
「見捨てられたくなければパンを作れ!儂が教えられるのはそれだけじゃ!」
今度は自分の足に組みつこうとするエンマーを蹴り飛ばし拒絶するブロットは、チラリとこちらを見て…。
「あんたらお客さんかい」
「え?あ…ああ」
「すまんな、変なところを見せてしもうた…」
「そうだな」
「こいつのパンはどうじゃった」
「さぁ、俺は食ってないからなんとも。ラグナ、どうだった?」
「ん?んー…」
ブロットに味を聞かれたラグナは…やっぱり首を傾げる。対するエンマーは師に自分の不甲斐なさを聞かれると耳を塞いで蹲ってしまう。そんな中ラグナが口にしたのは…。
「分からん」
「分からない?食ったんだろう?」
「うん、いや美味くはないのよなぁ確実に。けど不味いかって聞かれると…分からん…」
「フッ、そうかそうか…なら良い」
美味くはない、だが不味くもない。それは事実だろう、なんせラグナはパンを一つとして残していない、必ず全部食べきっている。…いやまぁラグナは基本的な出されたものは全部食うのが信条だからってのもあるんだろうが。
それでも………。
「ではな、エンマー。試験はもう目の前じゃ、それまでになんとかせえよ」
「う……うう」
それだけ伝えるとブロットは軽く手を振って立ち去ってしまう。しかし試験…自分の他の弟子、なるほど。話が読めてきたぞ。
「おい、エンマーさん。師匠帰ったぞ」
「う…うう…ううう…私はもうダメだ、試験までにしっかりしたパンを仕上げないと、私は師匠のパン屋を継ぐことが出来ない。今までその為だけにやってきたのに…最後の最後で、あああ」
「あんたが試行錯誤して焦ってたのはそれが理由だな?話くらいは聞いてやるよ。ここまで来たら詳しい話を聞かずに立ち去る方が寝覚めが悪いわ」
「ああ…ありがとうございます、アマルトさん。実は……」
そう言って…エンマーは語り始めた。自分を取り巻く現状を。
まず、ブロットの下には三人の弟子がいた。他二人の弟子は出来が良く、既にブロットの補佐を任されるくらいの腕を持っている…のに対して、そんな中でも落ちこぼれなのがこのエンマーだ。
彼は六歳から二十年以上に渡りブロットの下で修行したにも関わらず、白パンと黒パンの焼き方しか教えてもらっておらず他のパン料理やクロワッサンなどの応用的な部分は一つとして教えてもらっていなかったんだと。
…そんな中、今から半年前、老齢を理由にブロットが引退を宣言した。故に世界一のパン工房ブロットベーカリーの看板を弟子の中から誰か一人に継承させると言い出したのだ。選ばれるのは『最も良いパン職人』。
故にこの半年で最高のパンを作る為個々人で修練をしろ…との事で弟子達はそれぞれ個人で店を持たされ三人はパン屋を営み修練を始めた。
当然弟子の一人であるエンマーも張り切った。しかし張り切れば張り切るほどに空回りし、店は繁盛せず、店はどんどん端っこに追いやられ…遂にはこんな路地裏で、二ヶ月もパンが売れない、なんて状態になってしまったらしい。
なんともまぁ…、大変な事で。
「私は明日行われる試験に、最高のパンを持っていかねばいけません。けどその最高のパンを求めて研究を重ねても…私に焼けるのは白パンと黒パンだけ。サンドイッチ一つまともに作れない私では試験なんか受かりっこない、だからこうして試行錯誤を重ねたのですが…」
「ん?これメニュー表か?…うげっ、めっちゃある」
俺はエンマーからメニュー表を受け取り中を見てみるが、もうびっしり文字が書き込まれている。しかも書き込まれているのは。
『生魚の切り身を乗せた寿司パン』とか『ミントまみれパン』とか…絶妙に美味くなさそうなのばっかだな。これじゃあ売れない、とは言えこいつはそう言う応用的な部分を教えてもらっていないからこれもまたやんぬるかな。
「つーかさ、こんな事してよく分からん物開発するより、その白パンだの黒パンだので勝負すればいいをじゃね?教えてもらってんだろ?作り方」
「ダメなのです!そんな面白味のないパンでは!最高のパンは…もっとこう、すごい物じゃないと!」
「どうすごいんだ?」
「え?」
ラグナがキョトンとしながら聞くと、エンマーもまたキョトンとして黙ってしまう。まさかこいつ…。
「まさか、無いのか?その凄いパンの展望が」
「う……はい、ただ漠然と今のままではダメだと言う事しか分からず。何がダメかも分からず、もうどうしたらいいかぁぁあ〜〜!試験は明日なのに!このままじゃ私は師匠の看板を継げないよう〜〜!誰か〜!助けて〜!」
蹲りながらチラッチラッとこっちを見てくるエンマーの態度にちょっと苛立ちながらも…俺はため息を吐く。
「で?どうすんだ?アマルト」
「どうするもこうするも…聞いちまったしなぁ」
「こいつにパン作りを教えてやる…とか?」
「うーん、つっても俺パン作りは素人だし、職人のこいつに向かって指導なんか出来ねぇよ」
「とか言いつついつも美味い物作ってんじゃん。まぁいいけど…それならどうするんだ?」
「…………」
どうするもこうするも…はぁ、仕方ない。
「しゃあねぇ、エンマーさん。俺でよければ手伝ってやるよ…けど言っとくけど俺素人だからな」
と…俺が言った瞬間エンマーはガッ!と立ち上がりバッ!と俺の手を取り涙をボロボロ流しながら何度も頭を下げ。
「ああ!ありがとうございます!ありがとうございます!アマルトさんのような料理人が助けてくれたなら必ずや試験に勝てます!弟子達に勝てますよ!」
「それはどうかね…」
安請け合いしたような気がしないでも無い、正直こいつを置いて出て行ってもいいかもしれなけど…パンを見る都度こいつの顔が浮かぶのも嫌だし、はぁ〜。
なんで俺がため息を吐いているとラグナは手をポンと叩き。
「よし、アマルトはエンマーさんの手伝いするんだな、じゃあ俺はそこのケバブ屋さん行ってるから、頑張れよ」
「オイ待てやコラ!何俺を置いて出て行こうとしてんだよ!」
「いや俺パン作りとか出来ないし」
こいつ…妙なところで変に薄情だよな。でもここまで来たらラグナも巻き込んでやる。
「おいエンマー、お前他の弟子に勝ちたいとか言ったな。ならまず戦略が必要だ、そしてそこにいるラグナは戦略戦術に関してはプロだ、あいつの力がいるぞ」
「え!?本当ですか!ラグナさん!ぜひ力を貸してください!」
「あ!アマルト!お前!卑怯だぞ!」
「お前も付き合うんだよ!オラ!なんかいい手がないか考えろ!」
「くぅ〜…くそ」
お前がここに俺を連れてきたんだろうが!何を嫌そうな顔しとんじゃ!もうこうなったら明日の試験、絶対エンマー勝たせてやる!だからラグナも付き合え!
「はぁ、分かった。ならまずは」
「まずは?何を作れば良いので?」
「敵の視察だ、敵を知り己を知る事こそ戦の本質、そこは剣を交えない戦いも同じだ、つーわけで他の弟子の店に連れて行け。あるんだろ?お前みたいな店が」
「デュラムとトーツブの店ですか?ええ、分かりました。では案内しますね」
「おう、頼んだぜエンマーさん」
早速店の外に出るエンマーとついて行くラグナ、そんな二人を前にアマルトはふと…先程渡されたメニュー表を見て。
(……………これは)
目を細める、もしかしたら…いや、まだ変な事を思うのはやめておくか。
…………………………………………
そして、まずは視察に赴いた俺達が目指すのはエンマーとは違い優秀な弟子達…デュラムとトーツブの店だ。
エンマー曰く二人は既にプロとしてやっていけるだけの力量を持っており、貰った店を大きくし…今はなんとこの街の中心にどでかい店舗を構えるまでになったのだとか。まさしくエンマーとは正反対だ。
「デュラムもトーツブも優秀な人達です。特に得意分野となると貴族達が買い付けに来るほどの物でして」
「得意分野?」
そう言いながら俺達は街の大通りを歩き、件のパン屋を目指す。しかしこの街…見てみると意外な程にパン屋が少ないな…、ブロットがいるから競合すら出来ずに潰れてるってことか。
「ええ、デュラムは所謂惣菜パン、トーツブは菓子パンを得意としています」
「へぇ、そりゃ楽しみだ」
「ラグナさん…もしかして視察に行くのって…二人のパンを食べるつもりじゃ」
「いやいやまさか、な?アマルト」
「俺に振るなって、ん?あれじゃないか?」
そうして見えてくるのは…『デュラムのパンダイナー』との看板をぶら下げだまぁ豪勢な館だ。エンマーのパン屋が犬小屋に見えてくるくらいデカい上に…繁盛してやがる。
「うわー、客でいっぱい」
「すげぇ繁盛ぶりだな、しかも並んでるし…これは入るのに時間がかかりそうだな」
店の前には行列ができており、見た感じ一時間待ちってところか。こうして列になって待つだけの価値があるってわけだ。すげぇな…こりゃマジでエンマーじゃ太刀打ちできんかもしれない。
「ってか今から一時間待つのかよ…」
「今はパン屋にとってゴールデンタイムだからな、朝飯か…或いは昼飯用を買いに出る人がたくさんいるのさ、惣菜パンになればそれも著しい」
「うう、デュラムのやつ…儲かってるなぁ…」
エンマーは早速戦意喪失って感じだ、まぁ自分の店の惨状に比べて兄弟弟子はここまで上手くやってるんだから泣きたくもなるか…と思いながら俺達は列に並ぼうと歩き出した、その瞬間。
「む?アマルトとラグナか?何しているんだ?こんなところで」
「んぉ?メルク?」
ふと、デュラムのパンダイナーの扉を開けて出てきたのは、メルクとメグのコンビだ。その手には大量の紙袋が抱かれており…って。
「お前ら、デュラムのパンダイナーに行ってたのか?」
「調味料を買った帰りにな、偶然開店の瞬間に立ち会えたから、丁度いいと先んじて入ったのだが…いい買い物が出来た」
「どれもこれも美味しそうなパンばかりで、アマルト様達のお土産にしようかと思いこうして買ったのでございます」
「おお、そりゃいい!今食わせてくれ!」
「い、今か?別にいいが…ところでそこの御仁は…いや今はいいか」
運がいいことにメルク達が先に買ってくれていたようで、俺達は並ぶことなくデュラムのパンを食べることが出来る。いやぁマジで運がいい…というか。
「はい、アマルト様。こっちはラグナ様の」
「ありがとよ、で…メルクの目で見ても、いい物だと思ったか?」
「ああ、ここまでいいパン屋は見たことがない。豪勢で、かつ繊細で、一つ先に食べたが…これなら毎日だって食べてもいいと思える」
「マジかよ…」
メルクって言えば日夜世界最高級の飯を食ってる超リッチセレブだ。そんなメルクがここまで絶賛するとは…デュラムのパンは一体。
そう思い、俺は渡された小堤を開けると…そこには。
「サンドイッチか?」
「はい、デュラムのパンダイナーの名物との事だったので」
分厚い鶏肉に、美味そうなトマト、そしてレタスに…良い匂いのソース。こりゃあ凄い、食材もさることながら何より盛り付けが豪勢だ。
「美味そ〜!頂きま〜す!ンンッ!うめぇ〜!」
「はぐっ…ん!美味い!こりゃすげぇ!マジで美味いぞこれ!」
「ふふふ、だろ?この店の惣菜パンはまるで高級レストランのフルコースのように様々な味を一つのパンで挟んでいる。素晴らしいの一言に尽きるよ」
美味い、美味いのだ。完全に複数の食材が調和している。これはどうやって作ってるんだ?ここまでいいサンドイッチは俺も作れないぜ…。
「デュラムのパンは豪華で、豪勢なのが特徴なんです。アイツは元料理人ですからね、最高級食材をふんだんに使い適切に調理し、それをパンに挟む…これがまたバカ受けでして」
「……お前もしかしてあのパンバーガーって」
「は、はい…デュラムの真似です…」
「…………」
なるほど、だからか。こいつが白パンや黒パンを『面白味の無いパン』と言ったのは、つまりデュラムのような豪勢なパンに憧れて、最高級の肉を使ってパンバーガーを作ったと。だが言っちゃ悪いがこの方面の腕前じゃ天と地ほどの差があるぜ。
「と、というか!デュラムのパンは使っている食材故にメチャクチャ高いはずですが…貴方、こんなにたくさん買って大丈夫なのですか?」
「む?私か?別に大丈夫だが…というか君は誰だ」
「私はエンマーです」
「いや誰だ…」
なんて話していると、店の奥から慌てた様子の一人の小太りの男性が現れ。
「メルクリウス様ぁ〜!オマケのビッグコートレットサンドです!是非これも持っていってくだされ〜!」
「む?おお、デュラム殿。悪いな」
「デュラム!?」
「ん?お前は、エンマー!?何故お前がここに!」
現れたのは油でコッテリほっぺたが輝く全体的にシルエットの丸い男性…、コック帽を被り儲かってそうな恰幅の良い男性だった。というかこいつがデュラムかよ…。
「エンマー、お前こんなところで何してるんだ、試験は明日だぞ。パンの準備は出来てるのか?」
「それがその…」
「まだなのか!?相変わらず優柔不断な奴だ…。これじゃあ試験は私とトーツブだけになりそうだな」
「うう……」
エンマーのやつさっきからモジモジして…。まともに会話すら出来てねぇじゃん、まぁこうも凄まじい実力差を見せつけられたら、こうもなるか。
「それよりメルクリウス様、こちら私の作った新作のサンドイッチです」
「ほう、コートレットが挟まっているのか。美味そうだ」
「はい、これは明日。私の師へ献上する物でして、自信作なんですよ」
「あれが…」
メルクに渡されたそれをみるに、分厚いコートレットにマヨネーズをかけ、刻んだキャベツと一緒に挟んだ豪快なサンドイッチ…って感じか。アレを揚げたてでさ、パンも焼きたてでさ、ギュッと挟んでグッ!と食ったら美味いんだろうなぁ。
そんなもん、試験に出された日には…エンマーなんぞ軽く消し飛ぶだろう。
「感謝するぞ、デュラム殿。明日師匠の試験があるんだったか?頑張れよ。応援する」
「ははぁ、ありがとうございます」
「それではアマルト様、私達はこれからカフェに行ってゆ〜がにお茶しますが、お二人もどうですか?」
「悪い、俺達することがあるからさ」
「そうでしたか、お手伝いはいりますか?」
「必要ないかな、楽しんでこいよ」
「はい、では」
紙袋を抱えたまま、立ち去っていくメルクリウスとメグを見送りつつ、腕を組んで考える。デュラムのパンは最早パンの領域に収まって居ない、これは最早主菜だ。派手で、絢爛で、そしてそんな見た目に相応しいガツンと来る味わいと腹持ち。とてもじゃないがエンマーの作るパンとじゃ勝負にならない。
「うう、もっと派手なパンを作らないと」
これに影響されて作ったのがパンバーガー…だがエンマーに出来るのはパン作りだけ、対する元料理人のデュラムはその辺のノウハウはあるんだ。出来るものが違って当然だ。
「アマルトさん、ラグナさん、何かいい作戦は思いつきましたか?」
「んー、諦めたら?流石に勝ち目ねぇってこれ」
「そんな事言わないでくださいぃいい!」
「って言われてもなぁ、試験明日だろ?…まぁ最後まで付き合うけどさ。この分野で戦って勝てる目があるように見えないぜこれ」
流石のラグナもこればっかりはどうしようもないと首を傾げてしまう、それくらいデュラムのパンは美味かった…いや。
「確かに、サンドイッチは美味かったな」
「そんなぁ、アマルトさんまでそんな事を…」
「オラ泣き言言うんじゃねぇよ、次だ次。トーツブの店も見に行くぞ」
「うう……」
エンマーの尻を叩いて先に進ませる。そんな中俺が思うのは…あの時パン作りの神ブロットがあの時態々コイツの店を訪ねた理由。もし今の俺の中にある考えが正しいなら……もしかしたらブロットがあの場で伝えたかったのは──。
……………………………………………
「ここがトーツブの店である『トーツブ・ザ・ガーデン』です」
「すげぇ〜、これパン屋かよ」
「貴族の庭園だな、こりゃあよ」
そうして次に案内されたのが菓子パン作りの天才トーツブが経営するトーツブ・ザ・ガーデン。この店の凄いところはその景観。
広大な庭の真ん中に小さなパン工房がポツンて一つ立っている。大きさでさえばエンマーのパン屋より小さい。中に売り場はなくあの中は全て工房になってるんだ。じゃあ客は何処でパンを買い何処で食うのか…それは外、つまり庭園だ。
足元に咲き乱れる花々、緑生い茂る芝、そこに置かれたパラソルの下に白い机と椅子が配置され、客はそこでパンを食べる。言ってれば屋外式のレストランみたいな形式だ。
優雅、その一言が思い浮かぶ。庭園でスイーツを食べながら優雅な一時を楽しむ…手が込んでる上に気遣いも細やか。これは凄いな。
「トーツブは元々他の国の王宮に仕えたパティシエだったんです。そのノウハウを活かして菓子パンを作るんですが…これが美味しくて美味しくて、同じ砂糖を使ってるとは思えないくらい美味しいんです」
「すげえなブロット老師。ディラムと言いトーツブと言い…二人ともすげぇよ。お前本当にこの二人と同じ師匠の下で学んだ職人なのか?」
「それは言わないでくださいラグナさん…」
いや本当に凄い、これはタリアテッレの提唱する『空間的美食』と同じ物だ。食事一つの為に環境を整え空間を盛り付けるが如く彩り最高の食事体験を提供する『空間的美食』…それと同じ事をトーツブはやってるんだ。
多分だが、ここにタリアテッレが居ても絶賛すると思う。それくらいレベルの高い事を実現してる…エンマーに勝ち目ないなこれ。
「それよか早く食おうぜ、これどっかの席に勝手に座ればいいのか?」
「いえ、トーツブの店は完全予約制なので入れません」
「は!?入れないの!?今から予約は…」
「一年後までいっぱいらしいです、なのでここから眺める感じになりますね」
「い、卑しいなそれは」
ラグナはガックリと肩を落とす。あんまり甘いものが好きじゃないコイツからしてもトーツブの作るパンは魅力的に映るんだろう。しかし参ったな、流石に敵城視察に来てパンの一つも食えないのは……ん?
『おーい!アマルトさーん!ラグナ〜!』
『なーにしてんの〜!』
「ん?この声、エリスとデティか!?」
ふと、庭園の一つに目を向ければ…そこにはなんとエリスとデティがいるではないか。完全予約制で入れないはずのトーツブ・ザ・ガーデンになんでアイツらが…と思っていると二人はこちらに手招きするではないか、入っていいのかな?いいや入っちゃえ。
俺達はトーツブの庭園に足を踏み入れエリス達の座っている席に向かう。
「お前ら何やってんだよ、ここ予約制だぞ?入れないだろ」
「んふふ、知ってるよ〜。けどね〜!エリスちゃんがね〜!ちょっとね〜!」
なんて言っていると、工房の方から一人の男がやってくる。両手にたくさんの菓子パンを抱えたそいつはエリス達を見るなり。
「おぉ〜!エリスさん達ぃ〜!ドンドン食べてくださいなぁ〜!」
「ありがとうございます、トーツブさん」
「トーツブ、コイツが…」
そう言ってやってきたのは背の高い男。顔も面長で鼻の下に生えた髭はクルリンと数回転している。そんな彼はエリス達を見るなり笑顔を見せて両手の菓子パンをドンドン机に乗せるのだ。
「あ、この人がこの店の主人のトーツブさんです」
「この人が仕入れた商品を運んでた商人がさ、街の外で魔獣に襲われててね?そこに気がついた私とエリスちゃんが商人を助けたら…お礼にパン食べ放題にしてくれたの!予約も関係なし!」
「むはははは、エリスさんとデティさんが居てくれなければ明日以降の開店もままなりませんでしたよ」
「なんで街の中に入って行ったお前らが街の外のトラブルに気がつくんだよ…」
相変わらず、エリスは行く先々でトラブルに見舞われるな。だがそうか、ここも同じようにそのトラブルを解決して現地の人間と仲良くなって…それでパンを貰っていたのか。
するとトーツブは俺達に気がつくと。
「貴方達がエリスさんの言って居たお友達ですか?材料を仕入れたばかりで余裕があるので皆さんも一緒に……ってお前は、エンマーか!」
「う、トーツブ…」
そしてやはり、トーツブのもまたエンマーに気がつき何やら眉をひそめている。大体ディランと同じ反応だ。
「何をしに来たんだ、エンマー。まさか敵情視察か?」
「うう、はい」
おい、正直に言うなよ。
「はぁ、以前も言ったが私はこの味を出すのに十年以上の研究と試行錯誤を重ねてきた。一度二度食べた程度では真似は出来ないし同じ分野で勝負しても意味がないと言っただろ…、お前にはお前のパンがあるんだから敵情視察に精を出してる場合じゃないだろう」
「う、私の地味なパンなんて…トーツブのパンには勝てないですし」
「勝ちとか負けとか言ってる場合かお前は…、全く。まぁ今回はエリスさん達に免じて追い出したりはしないが…明日の試験、パンの一つも持って来れませんでしたでは話にならんからな」
「わ、分かってます……」
そうしてトーツブはエリス達に笑顔を見せ『おかわりが必要ならいつでも言って欲しい』と言い残し仕事に戻るのだった。うーん、なんかトーツブの言ってることは正論に思えるけどな。口振り的にこう言うことするの一度や二度じゃなさそうだ。
とはいえ俺たちは初めての敵情視察なのでこうして見てみるのも意味があるだろう。
「ってかアマルト何してんの?」
「面倒ごと」
「ふーん、なんか幸薄そうなの連れてるし、大変そうだね。まぁいいや、いただきまーす」
デティは相変わらず他の人間が何やってるかとか、あんまり興味なさそうだな。と言うか目の前にある菓子パンに目が眩んでる感じだ。ひょいとデティが手にとったのは…なんだこれ。
ケーキ?シュークリーム?いや両方か?シュークリームの上に生クリームとイチゴが乗ってる、おまけに粉砂糖が降りかかって居て、うーん…美味そう。
「はむっ!んひぃー!美味しい〜!」
「ラグナ達も食べますか?たくさんあるので一緒に食べましょう」
「あ、いいの?だったら俺も…うん!このチョコレートのパン美味え〜!甘いのあんまり好きじゃないけどこれならバクバクいけるぜ〜!」
「じゃあこっちも頂きますかね」
俺はこれでもパンが好きだ。小麦こそが主食の王様だと思っているし何を食うにしてもパンと一緒に食えば美味いと思っている小麦過激主義者だ。だからこそ…生クリームがタルタル乗ったパンとかチョコがデロデロかかったスイーツパンよりも、俺が選ぶのはこのクロワッサン。
地味だ、一見するとな。だが掴んだ瞬間分かるいい塩梅の焼き加減。匂いもいいね、香ばしい。そいつを一口食べて見ればこれがやっぱり美味い。
表面は薄いクッキーのようにサクサクで、中は焼き立ての小麦の甘味がストレートに来る。そして確かな甘味として存在しているのは、シロップか。なるほど恐らくトーツブ独自の製法で作られたシロップを薄く塗ってあるんだ。それが固まってこの食感を…。
甘い、口の中に残る甘味は決して強い主張はしてこない、強すぎれば下品になるし弱すぎれば意味がなくなる。絶妙なバランスで編み込まれた砂糖…これは、これは。
「美味い、こりゃ凄いよ」
「だよねー、いやぁいい思いしちゃってるなぁ!」
あっちのフルーツ山盛りパンもいい具合だ、あっちのクリーム盛り盛りパンも甘さがくどく無い。どれもこれもレベルが高い…いや正直ナメてたわ、こんなに美味いとは。
「うう、どれも私の作る物とはレベルが違いますね」
「なぁエンマーよう、さっきトーツブも言ってたが…この手の菓子ってのは一朝一夕で真似できるもんでも無いぞ」
「ですよね、見様見真似でクリームを作って見ても彼ほど甘くなりませんし…」
「と言うより、トーツブの場合パン一つ一つに使うクリームを分けてる。こりゃ根気もいるし…何より一つ完成させるだけで年単位の時間を使ってる。この方面でやっても勝負にならないぜ」
見てみろ、ラグナを。普段あんまり甘い物を進んで食わないラグナがモリモリ食ってる。食いすぎてデティがガチギレしてる。トーツブはパティシエとして一流なんだ、甘味を作る腕なら俺以上と言ってもいい。
それと同じ土俵で勝負するには、ちょっと経験が足りないな。
「はぁ〜〜…ああ、私はどうしたら」
「ねぇアマルト、さっきからその人何?もう心の中がぐちゃぐちゃだよ。メチャクチャ落ち込んでて…正直パンが不味くなるからここから消えて欲しい」
「正直すぎるだろお前、まぁもう行くから許してやってくれ」
「アマルトさん達何かしてるんですか?エリスに手伝えることはありませんか?」
「今んところないかな、手伝いが欲しかったらまた声かけるよ」
「分かりました、多分エリス達は一日ここにいると思います。デティが離れたがらないので」
「そうするよ、おいエンマー。そろそろ帰るぜ」
「あ、はい!」
さて、敵情視察も終わりましたし…そろそろ取り掛かるかね。
デュラムの惣菜パンは美味く、豪勢だ。
トーツブの菓子パンは美味く、洗練されている。
この二つは既に高められるだけ高められた技量の上に存在している。これに対して勝つことが出来るパンはなんなのか。これが一番の問題だが…まぁ。
なんとかなるだろ、俺の予想通りなら…な。
………………………………………………………………
「教えてくださいアマルトさん!私はどうすればデュラムやトーツブに勝てますか!」
「まぁ待てって」
そしてそれからエンマーベーカリーに戻ってきた俺たちは、エンマーのパン工房にて話し合う。明日の試験…どうするかって話だが既にエンマーは興奮しており、服も制服に着替えやる気満々だ。
「なんか思いついたのか?アマルト」
ラグナは椅子をクルリとひっくり返し、背もたれに顎を乗せて座っている。一応こいつの提案で偵察したが…結局コイツ食ってるだけだったな。まぁラグナはあんまり味にうるさい方じゃないから頼りにしては居なかったが。
「分かったことは一つ」
「なんですか!」
「テメェが作ったパンバーガーだのメロンサンドだのは通じない。ありゃデュラムやトーツブの二番煎じ…いやそれ以下だな。よくて七十番煎じくらいだ」
「う、分かっていましたが面向かって言われると辛いです…じゃあ何か、ありますか?勝てる作戦とか美味しくなる細工とか」
「料理ってのは作戦とか細工とか、そう言うので誤魔化すモンでもないだろ。そもそもだ、あれだけのパン職人を育てたブロット老師に小細工だの誤魔化しだのが通じるとも思えない。正攻法しかないな」
「でしたらどうしたら…」
「まぁ待てって…もう直ぐ来る」
「もう直ぐ?」
ぶっちゃけ、正攻法で勝つしか方法はない。だが現状ではその正攻法すら難しい…なら正攻法に至る為の小細工くらいは必要だろう。と言うわけで俺は必死に頼み込んで助っ人を呼んだのさ…それが。
『お邪魔します…』
『アマルトさーん、買い込んできましたよ〜』
「お、ネレイド!ナリア!ありがとよ!」
店に入ってきたのは偶然近くを通りかかったナリアとネレイド、手には沢山の食材を抱え店の中へと入ってくる。俺が呼んだ助っ人はこの二人だ、さっきも言ったが偶然近くを通りかかってたんだ、そこで俺は事情を説明して二人に食材を買ってくるよう頼んでみた。
「アマルトさん、ここが例のエンマーさんの工房ですか?」
「ん、そこにいる死相が出てる人が…エンマーさん?」
「お、大きい人に…女の子?」
「ああ、コイツらは俺のダチのネレイドとナリア、そっちのナリアは男な」
「ええ!?」
そう言って俺はナリアが買ってきた食材を確認する。うん、確かに言われた通りの物を買ってきたな。それに流石美食の街…食材の質もいい。
「話は聞いてます、エンマーさんはより良いパンを作りたいんですよね。僕料理はとっても苦手ですがお手伝いします!」
「私も、料理はあんまりしないけど…頼りにして」
「は、はい。ナリアさんネレイドさん、私はどう言うパンを作ったら…」
「いきなりそいつらに聞くなよ。取り敢えず…話はこれが終わってからにするぞ」
そう言って俺は買ってきた食材を並べる。それは…『肉や野菜』と『砂糖や果物』、つまりこれは…。
「え?アマルト、そいつは惣菜パンとか菓子パン作る材料じゃねぇの?」
「ああ、まぁ見てろよ」
「一体何を…」
そう言って呆然とするエンマーを前に俺はエプロンを締め、いつも持ち運んでいる小さな鞄から包丁などの調理器具を取り出す。さぁ…やるぞ。
「厨房借りるぜ」
「え、ええ…って言うか、アマルトさん…貴方まさか」
「そう、そのまさか…よっと」
そして俺は食材を並べ…作る。
肉を均等に切り分けつつ味付けをしつつ、並行してクリームを泡立て砂糖で味を調整する。同時に肉を焼きつつ果物を切り揃え同時作業で二つのパンを作り上げる。
「す、凄い手際だ…まさか王餐会のメンバーだと言うのは本当なのですか…!」
「アマルトは王餐会のメンバーだからすげぇんじゃねぇよ、アイツはアマルトだからすげぇんだ」
「僕達、各地を旅していろんな料理人さんに会ってきましたけど…まだ明確にアマルトさんより料理が上手い人にあったことないんですよね」
「多分彼は、もう世界で五本の指に入る腕前の持ち主だよ」
「な、なんて事だ…そんな凄い人が…」
出来上がった具材を記憶を頼りにパンに盛り付けていく。買ってきてくれた食材は全て高品質な物だった、これなら十分に『再現』出来る…そう、俺が今作ってるのは。
「へいお待ち、デュラムの惣菜パンとトーツブの菓子パン」
「え!?作ったのですか!あのパンを!」
「パンそのものはお前の作っておいた奴を使ったがな。まぁ食材的に引けを取らん物を使ったし味は落ちてないと思う」
「い、いやいやそうではなく!作れるのですか!?あの二人に匹敵する料理を!」
「ああ、一から開発となると時間がかかるが一回食えば調理法はなんとなく分かるしな。だから再現して作るくらいなら出来るぜ」
「作るくらいならって…あの二人は超一流のパン職人で…」
「それよか食ってみろよ、ナリアとネレイドも食えって」
そう言って俺は作り出したあの二人のパンの再現を切り分ける。肉を挟んだ惣菜パンとシロップ入りクロワッサンを全員に分配すると…ナリアとネレイドは迷いなくそれらを口に含み。
「んー!美味しいです!僕達はそのデュラムさんとトーツブさんのパンを知りませんが、これがいい物である事は分かりますよ!」
「ん、流石アマルト…でも、美味く再現できるてるの?分からない。ラグナはどう?」
「んんっ!?おお!?美味い!アマルトこれ再現どころか超えてるぜ!?なんだこれ!めっちゃ美味い!」
「ッ…本当だ、デュラムとトーツブのパンより、美味い…」
おお、絶賛の嵐。んじゃ俺も一口…んん〜デリシャス。我ながら上手く出来たもんよ、確かにあの二人のパンより美味く出来たな、やっぱり…思った通りだ。試してよかったぜ。
「ッ…私はあの二人の真似をしようと何年も苦慮してきたと言うのに、アマルトさんはこんな一瞬で真似出来てしまうんですね」
「そりゃ仕方ないよ、お前パンしか焼いてこなかったんだろ?俺は違うから、本業は料理と菓子作り。性質としてはデュラムやトーツブのと同じだから同じ事が出来ただけ」
「だとしてもですよ…私にはやっぱり、才能がないんですね…」
「へそ曲げんなって、さて…俺がこうして二人のパンを作った理由、分かるか?」
「え?なんでしょうか」
……さて、ここからが考え所だ。どうやってコイツに試験を合格させるか。
試験を合格させるにはデュラムとトーツブよりも美味いパンを作る必要がある。だが現状コイツの腕ではそれが出来ない。と言うかデュラムとトーツブの腕はある意味極限に近い段階にある、今更せっせと努力しても追いつけやしない。
「言ったろ、俺はトーツブやデュラムと同じ性質の料理人…そんな俺がお前に料理を教えれば…」
「わ、私にも二人のようなパンが!」
「ヘッヘッヘッ、希望が見えたか?」
「ええ!ええ!やはりあなたを頼って正解でした!よーし!やるぞ!パンの材料持ってきます!」
ダカダカと走ってパン作りの材料や道具を揃えに行くエンマーを見て、俺は椅子に座り込む。上手い具合にやる気出してくれたな。
「本当に可能なんですか?」
「ん?」
ふと、俺の隣に立ったナリアが不安そうな顔をする。本当に可能なのかってのはつまり…さっきの話か。
「さっきも言いましたが僕はデュラムさんやトーツブさんと言う方のパンを食べてないのでなんとも言えませんが。さっきのパンと同レベルの物を作れる人達に…一朝一夕で追いつけるとは思えません」
「おお、意外に考えてくれてるんだな。ナリア」
「はい、料理も美術も技術が全てとは言いません。けど思い描いた物を現実に抽出しようと思ったらやはり技術は必要です。その技術は…普段の努力にのみ作り出されるもの」
「その通りだ、それに加えて試験は明日。まぁ今のエンマーがあの二人と同じレベルのものを作ろうと思うと今から俺の指導ありでも三年は必要かもな、越えるとなるとさらに時間が必要だ」
「なら……」
「大丈夫、結局のところ試験で勝てばいいんだ。例え…誰を騙してもな」
「えッ……」
道具を持って帰ってくるエンマーを見て、俺は笑みを浮かべナリアにウインクする。結局んところエンマーは俺を頼ったんだ、そしてその頼った内容は試験をなんとかしてくれってだけだろ?なら俺が面倒を見てやるのはそこまででいい。
試験さえ、なんとかしちまえるなら例え誰を騙したっていいのさ。
「それはつまりどう言う…」
「さ、エンマー…始めるか!」
膝を叩いて立ち上がり、俺は始める…プロットベーカリーの次期店長を作るための作業って奴を。
…………………………………………………………
それから俺はエンマーに料理を叩き込んだ。
「味付けは…こんな感じですか?」
「んー…まぁまぁだ、デュラムのには遠く及ばない」
「うう……」
「まぁ気にすんな気にすんな、どんだけ料理が上手くても人間が『美味しい!』って感じられる範囲ってのは広くない、結局美味いと思わせりゃこっちの勝ちだ。気ィ取り直してさぁ次に行け!」
「は、はい!」
味付け、火加減、取り敢えず教え込むのはこの二つ。特殊な技法やら長い時間かけて肌感覚を養ってからじゃないとできないようなやり方は教えない。ともかく時間がない、教え始めたのは夕方で試験開始は明日の朝なんだからな。
「アマルト先生!これどうですか!」
「んー…なんか焦ったか?途中の工程が抜けてるぞ。味が安っぽい…つーか味見してないだろ」
「う…はい…間に合うのか不安で…工程を飛ばしてしまいました」
「間に合うかどうかじゃない、間に合わせたいんなら一足跳びに何かしようとするな、堅実に行こうぜ」
「は、はい!」
エンマーは今までパン作りに従事して来ただけありまるっきり素人ってわけじゃない。だがこいつはどこまで行ってもパン職人…今までパンしか焼いてこなかったって事もあって慣れない作業に悪戦苦闘してる。
そして生来のビビり。これがどうにもこの状況にあって足を引っ張る要因になっている。間に合うかどうか…これでいいのかどうか、オドオドと料理してちゃ味もブレるってもんだ。
「うう……」
「……………」
青い顔をして冷や汗をかきながらビーフシチューを掻き混ぜるエンマーの手際の悪さを見つつ、俺はここまでにエンマーが作ってきた失敗作を横に退け処理場に送る。
「んまんま」
「ほんとよく食うな」
「んー、まぁ不味くはないしな」
処理場の名前はラグナ君だ。鍋一杯のビーフシチューを秒で平らげ、焦がしてしまった食材も文句一つ言わずバクバク食う、こいつの存在はメチャクチャありがたい。
そして…。
「これ、どうでしょうか」
「んー…」
出来上がったビーフシチューをコップ型のパンに入れて焼き上げる。その試作品を食べるのは審査員係のナリアとネレイドだ。
「ん、美味しいよ」
「ほ、本当ですかネレイドさん!!」
「そうですね、今まで食べた物の中では一番の出来です」
「ナリアさんも…う、嬉しい!」
二人は優しいからな、エンマーのビビりチックなメンタルをケアしつつ審査員をやってくれる…と、俺は思って二人を読んだんだが…ここで一つ誤算があった。
「でもそれはエンマーさんの作った物の中で一番と言うだけです。他者と比べる競争の場に立てる段階にはありません」
「え……な、ナリアさん?」
「誰かに評価してもらう、他の何かと争い選んでもらう、それは簡単なことではありません。明日の試験はエンマーさんにとって大切なものであるように他のお二方にとっても大事な物、きっと普段出している物とは比べ物にもならないレベルで仕上げてくるはずです、それが試験であり競争なのです」
「う…う…」
「何かに勝つなら、人生に於いて指折り数える出来の物をそこにぶつける能力が必要です、エンマーさんにはそれが不足しています、いい物を作るんです、より良い物を」
「う…あぁ…!」
「鼻歌を唄って、片手間にやってエンマーさんがいい物を作れるならそれでいいです、でも現実は違いますよね。楽に良い物が出来ないのなら楽はしてはいけません、血を吐いて汗を流して髪の毛掻きむしってようやく良い物が出来るならそうするべきです。まだ良いものを作るために差し出せる物があるんじゃないんですか?何処かで諦めて作業してるなら今すぐやめたほうがいいです」
「う、うわぁぁああああああ!」
「ナリアナリアナリア、言い過ぎ言い過ぎ」
ここで誤算だったのはサトゥルナリアという男が予想以上にガチ目に審査員をやってくれていること。ナリアは優しい、人に気を使える男だしキツイ言葉は絶対に言わない。
がそれは芸術や何かを創造する事に関しては話が変わる。ナリアは何かを作る分野に於いて絶対に妥協は許さない、最高の物を作る過程で死ぬなら遠慮なく死ね、それでいい物が出来るんだから。そう言う思考をしている男だ。
良い物を作る…そこにナリアは妥協をしない。忘れていたのだ俺は…普段のナリアを前に芸術家サトゥルナリアの顔を。
まぁつまり、そう言う顔を見せてキツい事を言う程に…義理も何もない筈のエンマーに向き合ってくれているって事だから、本当は感謝するべきなんだけど…。
「心折る気かお前…」
「でもこのくらいで折れるなら最初から目指さないほうが…」
「お前なぁ…そんなスパルタでやっても意味ないだろ」
「す、すみません…」
だが残された時間が少ないのも事実、ここでエンマーに全てを放り込み出されても困るんだよな…折角こっちも頑張ってんだからよ。
「おいエンマー、そらそら次行こうぜ。次でナリアを黙らせればいいだろ?」
「うぅ…出来るんでしょうか」
「出来る出来る、さぁ今日は徹夜で頑張るぜ」
そうして、夜は深く深く、沈んでいく。
…………………………………………………………
「えっと、火はこのくらい…味付けは、これで…」
深夜を超えて、もうすぐ明日の朝だ…時間的な余裕もなくなってきた。エンマーもここまでやってある程度良くなってきたところはある…。
俺はそんなエンマーの作業を椅子の上に座って見ながら…ふと、隣にナリアがやってくるのを感じて視線を向ける。
「す、すみません…僕、言いすぎてしまったでしょうか」
「ん?」
謝罪、エンマーに対して言いすぎてしまったか、と言う謝罪だ。だが恐らくナリアは例の批評を決して間違った物と思っていないんだろう。間違っていると思ったらエンマーに対して謝るもんな。
俺に謝ってくるってことは、俺のエンマー育成計画の妨げになったのでは…と考えたからだ。まぁナリアは毎回毎回エンマーに結構なことを言った、それはナリアがガチでエンマーに勝って欲しいから。
今さっきあった男に真摯にそこまで向き合えるのはすごい事だよ。
「別にいいよ、まぁもうちょいオブラートに包めよとは思ったけどな」
「う…でも…」
「そう、お前があそこまで言ったから…エンマーは本気になれている」
ナリアは言った、言い続けた、楽はするな…と。
「人間は弱い生き物です、苦難の道と楽な道が二つ並んだら楽な方を選びます。それが遠回りでも行き止まりでも見えてる結果を見ないフリして楽な道を選びます、そして行き止まりにたどり着いたらこう言い訳するんです…『才能がなかった』って」
「実体験か?」
「才能ある役者がそうやって潰れるのを何度も見ました、エンマーさんも確かに才能があるはずなんです。本気になって得られる物があるなら…本気になるべきだと僕は感じました」
大層なことだぜエンマーよ、ナリアがここまで言うならお前には確かに才能がある…けど。
「でもアマルトさん、これ以上続ける事の意味を…僕は見出せません」
「…………」
「エンマーさんには才能はあります、けど時間が圧倒的に足りない。才能っていうならデュラムさんもトーツブさんにもあるはずです、二人はその才能の上に努力を積み重ねています、長い年月をかけて」
「…………」
「それを覆すのには、後ろを追いかけるだけの時間が足りない…アマルトさんも分かってるはずですよね、もしかしてアマルトさんは…エンマーさんに諦めさせるために、ここまでのことを?」
つまり、本気でやって…ダメだったと言う結果をエンマーに与えたいと。今までのようにオタオタしてるよりせめて最後くらいは本気で取り組んで負けたほうが諦めもつくと。ナリアはそう考えてるわけか。
まぁそうだな、多分…ここでエンマーが最高の物を作っても、普段デュラムが作ってる料理の所謂失敗作にすら及ばないだろうな、それは分かってるさ。
デュラムはプロだ、プロがガチになったら…エンマーにゃあ勝ち目はないな。
けどな…。
「違うな、俺…勝つつもりだぜ?」
「え……?」
「デュラムにもトーツブにもな」
俺は最初から、負けるつもりで引き受けない。負けるなら勝手に負ければいい、勝てる算段があるから引き受けたのさ。そういえばナリアはハッとして…。
「アマルトさん!ナリアさん!出来ました!味見お願いします!」
「ん、どれどれ」
ビーフシチューを中に納めたパン、それを俺とナリアは受け取りパクりと食べる。
「…………」
俺はチラリとナリアを見る、ナリアの顔は曇っている。確かに上達してる、だが微々たる物だ…目標には到底及んでいない。時間的にそろそろ試験の物を作らないと間に合わない時間。それでこれは…とナリアは言いたげなんだろう。
だから俺は……。
(ナリアナリア…頼む)
(え……!?)
俺はナリアにパチリとウインクする、それだけでナリアは俺の意図を察したのか一瞬驚きながらも……。
「……エンマーさん!」
「は、はい…」
「凄いですよこれ!今までの物とは比べ物にもならないくらいいい物です!美味しいですよぉ!」
「ほ、本当ですか!?いや…でも今までとそんなに劇的に変えたつもりは…」
「いやいやエンマーよ、今までの努力が実ったな。努力が実る瞬間ってのは意外にあっさりしてもんさ」
「そ、そうでしょうか」
「それにナリアの顔見てみろよ、本当に美味いって思ってる顔だろ?」
「うぅ〜ん!美味しい〜!」
「確かにお世辞を言ってるようには見えない…」
「だろ?これで行こうぜ」
「は、はい!じゃあ早速試験用のシチューパンを作ってきます!」
「ああ、あ!それとここまで付き合ってくれたナリアとネレイドとラグナにもパンを作ってやってくれ」
「え?ですがそんなにシチューは多くは…」
「いいさいいさ、普通の白パンで」
「え?そんなのでいいんですか?」
「構わんよ」
「わ、分かりました…では」
そう言ってエンマーは慣れた手つきで白パンを作り始める。そして…その手つきは…。
「え……!?」
ナリアは口を開けて驚愕する、エンマーが白パンを作る様を見て…驚くんだ。そして俺に視線を向けて…。
「僕、アマルトさんが何を考えてるか…分かった気がします」
「へへへ……」
どうやらナリア君はもう分かったようだ。なら…行きますか、早速試験にさ。
…………………………………………………………………
「ん、見事じゃデュラム。やはりお前の作る惣菜パンは惣菜の領域に収まっておらぬ、それをここまで安価に出すとは…師として鼻が高い」
「ありがたき幸せ」
ブロットべカーリー本店、パンの神ブロットが休業して以来クローズの文字がぶら下げられているパン工房で行われるのは…ブロットの後継者を決める為の試験。
試験を受ける弟子は三人…惣菜パンのデュラム、菓子パンのトーツブ、そして我らがエンマー君だ。特別に俺やラグナ、ナリアにネレイドも同席させてもらっているが。
「う、レベルが高い…」
一番最初にパンを差し出したデュラムのパン…『キャベツとコートレットのサンドイッチ』を前にエンマーは慄く、この場にいる全員に振る舞われたコートレットサンドの美味さと来たら凄まじい物で…食べたブロットも思わず唸ってしまう程の味わいだ。
「美味しいです、これ」
「だな、ここまでのパンを作るには…まぁ洒落にならん時間を鍛錬を費やしただろうな」
俺とナリアは二人でコートレットサンドを食べて目を伏せる。明らかに昨日食ったサンドイッチよりも美味い、コートレットはサクサクだしキャベツも新鮮、マヨネーズも恐らく自家製、それを一口で一気に食えるんだから美味いに決まってる。こりゃデュラムもガチで勝ちにきてるな。
「では、次はトーツブ」
「はい、私はパフェとパンを合体させた、パフェパンでございます」
「安直な名前だのう、がしかし…腕前は相変わらずよ」
次に差し出されたのは真っ白なパンの上に生クリームといちご、チョコやスナックが乗った豪華なパンだ、見てるだけで美味いってわかる。
「美しいですねぇ」
「うぅ、こっちもレベルが高い」
こちらにも運ばれてくるパフェパンを前に戦意喪失するエンマー。相変わらずこいつはビビリだな…よーし。
「おう、エンマー…そういやまだ聞いてなかったな」
「え?」
「お前、何でそこまでブロットの店を継ぎたいんだ。パン屋なら勝手にやればいいだろ?店もあるし」
「それは……」
俺はパフェパンをナイフとフォークで切り分けて食べる。お、これパンの間に蜂蜜が入ってやがる、デティの奴好きそ〜…。
「私が…ブロット師匠のパン屋を継ぎたいのは……私にとって、ブロットベーカリーの名前が…大切だからです」
「モグモグ…ふーん、なんでだ?」
「私の家は…貧乏で、子供の頃はいつも硬いパンを食べて暮らしていました。私にとって硬いパンは貧しさの象徴でした…けど、あの日…この街を訪れ、ブロット師匠のパンを食べた時、世の中にはこんなにも美味しいパンがあるのかと、衝撃を受けたんです」
エンマーは今はもう空になったブロットベーカリーの商品棚を見て、目を細める。
「パンは人の人生を、価値観を、変えられる。そう思い知った私は師匠のように人の価値観を変えられるパンを作りたいと思ったんです。温かくて、小麦の香りが鼻に抜ける…あんなパンを」
「ふーん」
「その為に…今まで修行してきたつもりでしたが…やはり私には」
「バァ〜カ」
「え?」
俺はパフェパンを食べ終わり、ハンカチで口を拭きながらエンマーの背中を叩く。
「デュラムもトーツブもすげぇパンを出した、それはアイツらが今まで努力してきたからだ。けどよエンマー、他人の努力がどれほどであってもお前の努力が消えてなくなるわけじゃない、お前だって遊んでたわけじゃねぇんだろ?お前はお前のパンを作った、それを胸張って出してこい…お前の人生で焼いたパンを」
「っ…は、はい!」
そして…皆がパフェパンを食べ終わり、ブロットが静かに目を開く。
「うむ、トーツブらしい良い味であった。これは菓子パンを超えた甘味の極致と言えるだろう」
「ありがとうございます、マイトル」
「では最後に…エンマー、パンは作ってきたか?」
「は、はい!」
さて、エンマーの番だ。予め用意した銀の蓋をした皿を持ってエンマーは前に出て、ブロット師匠の前に出る。この日のために培ってきた物を出せば勝てる…そう信じて俺は腕を組んで、見守る。
「何を作ってきた、エンマー」
「わ、私は…シチューパンを作ってきました」
「シチューパン……?」
ブロットの表情が曇る、詰まるところ惣菜パン…それはデュラムの分野だ、デュラムはあからさまにガッカリしたように顔に手を当て。
「だから…私の物真似はよせとあれほど言ったのに…」
「違います!私は…私なりの努力で作り上げたんです、デュラムにも負けないパンを!」
「ふむ…そうか、なら出してみろ。お前のパンを」
「はい、師匠…これが」
ブロットに言われ、エンマーは銀の蓋を掴み徐に持ち上げる。そうして出てきたパンは──。
「えっ!?」
「む?」
「こ、これは……!?」
デュラムが驚いて目を剥く、ブロットが表情を変えてそのパンを見る…何より。
エンマーも銀蓋の中のパンを見て顔色を変える…そう、そこにあったのは。
「こ、これは…白パン!?なんの変哲もない白パン!?バカな!ここには確かにシチューパンを入れたはず!?」
皿の上に乗っていたのは…白パンだった。最もスタンダードなパンで…なんの変哲もないパン。ここには確かにシチューパンを入れてたはずなのになんでここに白パンが…と青褪めるエンマーに…ふとラグナが。
「え?朝方にシチューパンくれたよな?付き合ってくれたお礼だって言って。なのに今はないのか?」
そう言うんだ、俺が頼んでラグナ達のために作らせた白パン、それは確かに朝方渡していた。だがそれは白パンだ…渡したのはシチューパンじゃない、なのにラグナはシチューパンを食べたと言う、これはつまり…そこに気がついたエンマーはみるみるうちにさらに青くなり…。
「え?私が貴方に渡したのは白パンですよね…シチューパンは渡してませんよ」
「は?いやでも確かに中にシチューが…」
「ま、まさか…取り違えて…間違えて、ラグナさんに渡すはずの白パンと試験に出すシチューパンを…誤って…あ、ああああ……!」
ミス、ここに来て間違えて試験用のパンを食べさせてしまうミス、そこに気がついたエンマーはこの世の終わりとばかりに膝から崩れ落ちる。あれだけ頑張って作ったのに、全てが水泡となって消えてしまったのだから、当然だ。
「そ、そんな…あんなに頑張って作ったのに…こんな…こんな……」
「まぁでもあのシチューパンあんまり美味くなかったぜ」
「そんなはずはありません!少なくとも…こんななんの変哲もない白パンよりは、面白みも何もない白パンよりは美味しいはずです!…なのに、こんな……もう終わりだぁぁ!!」
蹲り泣き出してしまうエンマー、大の大人がみっともないとは思うがそれでもこれにエンマーは全てを賭けていた、なのにそれが挑戦する前に終わったのなら…こうも落ち込む、けどな。
「そいつはどうかな?」
「え?アマルトさん…?」
「なぁ、あんたはどう思う…ブロットさん」
「師匠…?」
ブロットは動じていなかった、それどころかエンマーの白パンを…徐に受け取り、しかとその口でかぶりついて食べたのだ。
「師匠!それは…!」
「エンマー!黙ってろ!」
止めようとするエンマーの首根っこを掴んで静止する。まぁ待て、見てろ。
ブロットは静かに二、三度咀嚼し、ゴクリとエンマーの白パンを飲み込むと…ニタリと笑うんだ。まるでそれを待っていたかのように、望んでいたかのように…そしてこう言う。
「美味い、エンマー…美味いぞ」
「え……!?」
「デュラム、トーツブ、お前達はどう思う」
「……やはり、エンマーの白パンには…敵いませんな」
「ふぅむ…試行錯誤したが、こればかりはなんとも…」
「え?え?…え?」
絶賛だ、デュラムもトーツブも白パンのカケラを食べて唸る。なんならブロットに至っては美味いと言う、気がついてないか?エンマー。この日…ブロットは初めて『美味い』って言ったんだぜ?
お前の白パンを食って、美味いってな。
「な、なんで!そんな面白みもないパンを…!」
「エンマー、お前だけだぜ気がついてないのは…」
「な、何に…」
「お前の悪い癖は…味見しないってことさ」
「え?」
エンマーは味見をしない、これが非常に悪い癖だ。俺達が最初に会った時に食わされたパンバーガーもフルーツサンドもエンマーは不味いことに気がついておらず、味見をしていなかった。シチューの時も味見をしていなかった。こいつはそもそも味見をしないからその辺がダメなんだ。
だから…気がついてなかった。自分の作る面白みのない白パンの価値に。
「食ってみろ、自分の白パンを」
「え?…はい……むっ!?」
そして白パンを食べたエンマーもようやく気がつく。
まず、この件の犯人は俺だ。ラグナ達に白パンを作ってやってくれ…と言いつつ出来上がった白パンとシチューパンを入れ替えラグナにシチューパンを食わせここに白パンを持って来させた。それは嫌がらせでもなんでもない…そうすれば勝てると確信していたからだ。
そもそもラグナは最初のパンバーガーを食った時も言ってたよな?美味くはないけど不味くもない…と、それはエンマーの料理の腕がそこそこだからじゃない。下地を支えるパンの部分がメチャクチャ美味かったからさ。
俺がエンマーのところのパンを使ってデュラムとトーツブのパンを再現した時、あっさり二人のパンを超える美味さのパンを作れたのもそう、デュラムとトーツブが作るパンよりもエンマーのパンが美味かったから惣菜にしても菓子にしてもより美味くなった。
つまり…エンマーのパンは。
「お、美味しい…こんなに美味しかったのか、私のパンは……」
美味いんだよ、そりゃそうだ。そりゃそうだ…何せこの街に来て一番最初にラグナは言ってたろ?『この店が一番小麦の匂いが濃かった』ってエンマーの店を指差して言っていた。デュラムとトーツブの店を差し置いて、ラグナはここが一番美味そうだと言ったんだ。
そして厨房に入って確信した、こいつのところの小麦は一級品、くだらねぇ肉や果物の添え物にされてた白パン黒パン両方とも絶品の領域にあった。なのに当人がその美味さに気がついてないんだから勿体無いったらありゃしない…だから引き受けたのさ、この仕事をな。
「エンマー、お前にはパン作りの才能があった」
「師匠……」
「儂も長くパンを作ってきたが…お前の才能は儂を遥かに超えている。だからお前にはパンの真髄だけを教えた」
「え?でも私…白パンと黒パンの作り方しか、教えられてませんよ。それは私が…出来が悪いから、デュラムやトーツブのような豪華なパンを作れないからで…」
「違う、パンとは即ち白パンと黒パンだ。パンは…例え貧しくとも共にあり、例え金がなくとも食える人々の食の友なのだ。豪華でも絢爛でもある必要はない…ただ傍にあって当たり前、それこそがパンの真髄なのだ」
「ッ……」
「デュラムのパンもトーツブのパンも一級品だ、しかし…儂が求めたのは『美味いパン』だ、美味しいコートレットでも美味しいパフェでもないし美味しいシチューでもない。パンの部分こそ儂が求める部分だ…そしてそれに応えたのが…お前だ、エンマー」
「…………私は、なんで…そんな基本的なことを…自分のルーツを…見落として…」
ブロットは別にエンマーを見捨てていなかった、むしろ気にかけていた。エンマーは才能がなく師匠から見捨てられるかもと不安に思っていたが…逆だぜエンマー、それを気にしていたのは…。
「全く、エンマーのパンを越えようとあれやこれやと試行錯誤したが…本質を見失ったか」
「師匠に見捨てられまいと頑張ったつもりでしたが…残念だ」
デュラムとトーツブの方さ、二人が惣菜パン、菓子パンという方向に行ったのはそれが得意だったってのもあるが…それ以上にパンと言う分野ではエンマーには敵わないから。つまりエンマーのように色々気にしてたのは二人の方だったんだよ。
「デュラム、トーツブ…お前達はよくやった、今まで一番良いパンだった…しかし」
「ええ、わかっていますよ。ブロットベーカリーはパン屋だ、パンが美味くなくては意味がない。だが我々の感性では…小麦の真髄を引き出すには至らなかった、だからこそ肉やソースを添え物にするつもりだったが、いつしかパンそのものが添え物になっていたようだ」
「イチゴやクリームにばかり執心して…最も大切な小麦の風味が消えている。小麦の香りがしないパンなど…甘くないケーキのようなものだ。パン屋失格ですな」
「…デュラム、トーツブ…師匠………」
エンマーのパンは絶品だ、それは俺が保証する。だから言ったろ…例え誰を騙してでも勝って見せるってさ、騙して悪かったな…エンマー。
「では…試験の結果を鑑みて、二代目ブロットベーカリーの工房長は…エンマー!お前に任せるものとする!」
「ッ…わ、私が……!」
「これからは、お前に任せよう。頼んだぞ、エンマー」
「師匠……」
こうして、新たな世界最高のパン職人が誕生したんだ。自分に自信は持てないし道も間違うし狼狽えるしワタワタするしビビリだしどうしようもない奴だが……それでも。
「おいエンマー、世界一のパン職人が何情けない格好してるんだ?」
「アマルトさん…ッ!そうでした…そうだった、私は…もうブロットベーカリーの工房長なんだ、…もう…迷えない」
「ああそうだ、これからは上手くやれよ」
「はい…本当にありがとうございました!アマルトさん!皆さん!全ては皆さんのおかげです!」
「別にそんな事ないよ、言ったろ?今までの積み重ねが物を言うって、今回勝てたのはお前がひたすら白パンと黒パンを作り続けてきたからだ、そこに関しては俺は何にも関与してないぜ?…ああそうだ、ついでだ。餞別にこれやるよ」
そう言って俺は懐から紙を取り出す、中には例のシチューのレシピがしっかり書いてある。騙すためとは言え一晩中シチュー作らせたからな…これくらいの選別はやらんと怒られそうだ。
「シチューのレシピだ、今回は完成させるための時間が足りなかったが…じっくり完成させろ」
「シチューの……」
そう言ってエンマーは紙を受け取ろうとし…ピタリと手を止め、首を横に振る。
「いえ、私はもう迷わないって決めたんです。これからは…一途に白パンと黒パンを作っていきます、惣菜パンと菓子パンでは…ここにいる二人より美味しいものは作れません、けど白パンなら…私はやっていけると分かったんです、だから……これからは一途に迷わず頑張ります!」
「へっ!そうかい。そう言うと思ったぜ」
まぁ断られるとは思っていたさ、けどまぁ…それもいいだろう。迷わないってのは強いことだ、強いってのは折れないって事だ。折れないってのはつまり…まぁ言わなくてもいいだろう。
「んじゃ、もういいよな。帰ろうぜ!みんな」
「はい!アマルトさん!」
「ん……私何もしてないけど…いいのかな」
「つーかなんか食べたい」
用件も終わったしもう帰ろう、そう言ってダチと一緒に店を出ようとすると…。
「待ってください!アマルトさん!」
「ん?何?」
「せめて、お礼をさせてください」
「え?」
そう…エンマーが言い出したのだ。
…………………………………………………………
「えぇ〜〜!それであの後ずっとそのエンマーって人のパン作りに付き合ってたの〜!?」
「まぁな」
カラカラと音を立ててガーメットを離れる馬車の中、デティは口に手を当てながら俺を憐れむような目で見る。
「あんたねぇお人好しすぎるよぉ、私とエリスちゃんはあの後スイーツ巡りしたんだから!」
「たくさん食べましたね、でもそう言う事ならエリスにも声をかけてくれればよかったのに」
「いいんだよ、別に人手は足りてたし」
「でも…せっかくのガーメットだったわけですし、もうちょっと色々観光したかったんじゃありません?」
「ん?んー…」
「そーだよ!色々美味しい物あったのにさぁ…楽しみにしてたんじゃないの?」
まぁ確かに楽しみにしてた、なんならもう一日くらいいたかった気持ちはあるが…まぁでもいいんだよ、これはこれで。
「私とエリスちゃんは色々お土産買ったよ!食べる?ガーメットのお菓子だよ」
「別にいらねー、これがあるから」
そう言って俺は、傍から紙袋を取り出す。確かにガーメットで見たいものはたくさんあったし、食材も買いたいとは思った、だがそれもどうでもいいと思える物を手に入れたから…俺は満足なのさ。
「何それ」
「ん?これ?これはな……」
紙袋の中に手を突っ込めば、中から出てくるのは…。
「世界一のパン職人が焼いた、世界一のパン。これがあるから他はなんもいらねー」
白パンさ、新生ブロットベーカリーの白パン。そいつを山ほど貰ったからな。これより良い物はガーメット以外じゃどこへ行っても手に入らないぜ。
「えー!何それ!私も食べたい!」
「おお、なんて小麦のいい匂い…こんな良質なパンは世界中探しても見たことがありません、エリスも食べたいです!」
「ふふーん!ダメー!これは俺が報酬としてもらったんだから俺が一人で食べるー!……なんてな、全員で食おうぜ!」
パンは分け合う物、パンは誰の傍にもある物、あって当たり前…だからこそ尊く、誰の手にもある物だからこそ有り難く、それを極めることはまた難しい。
それを一途に貫いた、これからも貫いていく男の焼いたパンは…やっぱりみんなで分け合って食わないとな。
「んはーっ!美味しい〜!」
「むっ!鼻に抜ける香ばしい香り…素晴らしい!」
「ふふん、だろ?いいもん貰ったぜ」
俺達の旅はこれからも続く、けど…いつか。
またあの街に立ち寄って、今度は客として…パンを焼いてもらわないとな。
世界一のパン職人…エンマーさんに、な?