678.魔女の弟子とそして、それを続ける事。
「ステュクス、本当に行ってしまうんですか?」
「ああ、師匠の仇は…俺が討たないと」
「ねぇ、帰ってくるんでしょうね…アンタ」
「勿論だよ、きっちり帰ってくるさ…」
城の門の前で、旅装に着替えレギナちゃをや仲間達に囲まれるステュクスを見て、エリスは一旦ホッとする、彼の師匠ヴェルトさんが殺されて…もうなんの気力も湧かないくらい自暴自棄になっている可能性もあったから今こうして何か行動を起こそうとしている事自体喜ばしい事だ。
彼は強いな、エリスならもう何をする気も起きずに飢え死ぬまで不貞寝してただろうから…。
「ステュクス……」
「姉貴、さっきはありがとな…気を回してくれたんだろ?」
「そんなの、当然ですよ。でも…大丈夫なんですか?お姉ちゃんは心配です」
「あはは…まだ慣れねーなそれ」
そんなこと言わないでくださいよ、エリスは本当はこれから彼と街を出歩いて色々食べたり飲んだりしながら思い出話がしたかったんですから…けど、そう言うわけにもいかなくなりましたから、エリスも自重したんです。
「姉貴、俺はオフィーリアを追うよ。師匠の仇を討つ」
「…………」
やめろ、無理だとエリスの中の冷静な部分が叫ぶけど…同時に思う。同じ誰かの弟子として師匠の仇を討たずに生きられるものかと、この部分はいくら現実的な話で諭したり感情を宥めて諌めたりしても無理だと…他でもない魔女の弟子であるエリスだからこそ、分かってしまう。
ならどうすればいい?ここで手足をバタつかせていくなと言えばいいのか?違うだろ。
「分かりました、気をつけてください…本当に。無茶はダメですよ?やばかったらどんな手を使ってても逃げるんですよ?いいですね?」
「分かってるよ」
だから送り出してやるのが正解だ…けど、…けど。
分かってんのかなコイツ本当に、相手はセフィラだぞ?エリス達だって一度も勝ててない難敵中の難敵、それを一人で倒しに行きますって本当に意味が分かってるんだろうか。不安だ…無性に不安だ。彼を信じてないわけじゃないがそれはそれとして不安だ。
「…………」
「まだ何があるかよ…止めないでくれよ」
「分かってます、だから…えっと。そうだ、これあげます」
「え?」
何か渡せるものはないかと服をバタバタ叩いて探して…思いつく。エリスは咄嗟に指に嵌められている指輪を外して…ステュクスに渡す。
「これは?」
「エリスの友人…リバダビアさんが作ってくれた友情の証です。エリスと共にディオスクロア一周を成し遂げた相棒で尚且つ旅の中で何度も助けてくれた大事な物です」
「友人って…いいのかよそんなの」
「構いません、その指輪はエリスを守ってくれました…だから今度はエリスの一番大事な物を守ってもらうんです。貴方がつけていて?ステュクス」
「………分かった」
リバダビアさんの指輪を渡す。これはエリスとカロケリ族の友情の証なんだ、本当に大切な物…だからこそ彼に渡す。今のエリスには必要ないが…きっとステュクスには必要だから、だからすみませんリバダビアさん。
「ありがとう、姉貴」
「うぅー!だとしても不安ですよー!絶対死なないでくださいね!」
「……ああ」
ステュクスを抱きしめてウリウリと頭を擦り付ける。頼むから死なないでくれ…本当に頼むから。
「エリスも北東の街に立ち寄ったらその後北部に行くので、そうしたらまた合流しましょうね!約束ですよ!」
「心配しすぎだって…痛ァッ!?」
「心配に決まってんでしょ!エリスの唯一の家族なんだから!」
「殴んなよ!」
「殴ってません!コツン…って押しただけです!」
「グーで殴ってたろ!」
こいつがあんまりにも危機感ないもんだからもうしょうがないんだ、本当に分かってるのか不安でしょうがない。でも…うん。
「……絶対ですよ」
「うん、絶対だ。次会ったらまた姉貴の飯を食わせてくれよ」
「はい……」
「じゃ、…レギナ!暫くの間休暇もらうぜ!しっかりやれよ!」
「は、はい…ステュクス」
そう言って笑顔を見せたステュクスは踵を返し…エリス達に背を向けた瞬間、鋭い目つきに戻りやや荒い足取りで、急ぐような足運びでそそくさと街の外へと向かって行ってしまった。
……不安だ、死んでしまうかどうかも不安だが。…もしかしたら彼はオフィーリアの前で冷静でいられないかもしれない。
「心配か、エリス」
するとラグナがエリスの隣に立ち…ステュクスの背中を一緒に見送ってくれる。
「気にするなって方が無理なのは分かるが。ちょっと生き急いでいる気がするな…ステュクスの奴」
「はい……激しく燃えているのに、エリス達の前でそれを一切出さないのが怖いです。何もなければ…それでいいんですが」
「何もないことはないだろう、けど……そうだな。元々ヴェルトさんと北部で合流する手筈だったんだ、ガンダーマンの件を終わらせ次第俺達も北部に急ぐとしよう……家族、なんだろ?」
「……はい」
家族…そうだ。家族だ、エリスはサイディリアルに来てからこの『家族』ってワードを幾度となく耳にした、ストゥルティが口にする『友情として家族』…ロムルスが口にした『繋がりとしての家族』…そしてステュクスとの『血族としての家族』。
エリスはサイディリアルでの冒険で加速という物と向き合わされた、その結果…今まで得たことのない家族という存在の温かさを知れた、知れたからこそ…再び失うのが怖い。ステュクス…エリスも直ぐに北部に行くので待っていてくださいね。
「エリスさん、みなさん。私達は彼を追うことが出来ません」
すると、レギナちゃんが険しい顔で…エリス達の前に立つ。その隣には沈痛な面持ちのエクスヴォートさんとオケアノスも共に立ち…。
「私が…もっと手早く終わらせて城に向かっていたら…ヴェルト殿は死ななかったかもしれない…の顔」
エクスヴォートさんは自分も起きていたからこそ、助けられなかったことを悔いていると口にし。
「…………本当なら、私もステュクスを追いたいよ。オフィーリアなんだと思う…クルスを殺したの。クルスも…ヴェルトも殺されてさ、しかも殺した奴が顔見知りでさ…正直腑煮えたぎってるよ…マジで」
オケアノスさんもまた、悔いる。何より彼女はオフィーリアともクルスともヴェルトさんとも知り合いなんだ、ある意味因縁の深さじゃ一番だ…だが。
「それでも、私達はヴェルト殿の意思に従いレギナ様をお守りする義務がある…の顔」
「ヴェルトはステュクスを守って死んだ、ならステュクスの勝手にやらせてやるのが一番だよ。きっとアイツなら…クルスとヴェルトの仇を討って、悪逆なる殺戮者に神の裁きを与えてくれると信じてる」
それでも二人は、ステュクスを信じると…そういうのだ。
「ただの冒険者から…警備兵に転職して、安定した暮らしをしてたはずなのに、気がついたらとんでもないことになってさ…正直もうステュクスの見ている世界に私達はついていける気がしない」
「だが、彼の背中は私たちが守るつもりです…彼の帰る場所になる為に」
そしてステュクスの仲間のカリナさんとウォルターさんもまたそう言ったステュクスを見送る列に加わる。この人たちは本当にただの冒険者だ…それが世界最強の反逆者であるセフィラと戦いに臨むステュクスと共に歩めるかと言えば、そうではない。
だからこそ、彼の帰る場所になる為…ここに残るのだ。ステュクスには仲間がいる、帰る場所があるんだ……。
「だからエリスさん、皆様。どうか…ステュクスをよろしくお願いします」
「ええ、レギナちゃん…皆さん。エリス達も直ぐに北部に向かいますから、ステュクスを守りますから…任せてください」
みんなはここに残る、それはステュクスがここに帰る為に…ここに居なくてはいけない。だがエリス達はそうじゃない、エリス達は根無草…帰る場所はこの国にはない。だからこそ追いかけられる、ステュクスを。
任せておけとエリス達は胸を叩き…大きく頷く。
「ありがとうございます、私も…私のするべきことをやりますから」
「はい………」
「…ん?どうしました?エリスさん」
「い、いや」
任せろと言った手前、多分ここが別れ時なのかもしれない。というかレギナちゃんもみんなもエリス達を見送るムードだ…けど。
どうしよう、言うべきなのかな。
(あの地下にバシレウスがいた件…レギナちゃんは知ってるのかな)
それは彼女の兄に関する件。エリス達がバシレウスに殺されかけた話、それを彼女に伝えるべきか…悩む。
「……さ!そろそろ行こうぜ、エリス。レギナも…ありがとな?」
「いえ、こちらこそ」
どうやらラグナは伝えない方向で行くらしく、立ち去る選択を選ぶ。それに皆も従い…何も言わずに頭を下げる。
「また、この街に立ち寄ってください。その時はもっとゆっくりとお茶が出来るよう私も計らいますので」
「そうだな、もしかしたらまた寄るかもしれない。そん時はまた頼む」
「その時はステュクスも交えてみんなで盛大に飲み食いしましょう」
「ふふふ、楽しみにしています……それでは」
深く、頭を下げるレギナちゃんにエリス達は軽く手を挙げ歩き出す。行き先は決まっている、やるべきことも決まっている。大冒険祭は終わり八大同盟の一角ルビカンテも倒し、失う物もあったしお世辞にも完璧な勝利とは言えないけれど…またもエリス達は乗り越えた。
それでも進む、エリス達は進む。サイディリアルでの冒険を終えて…次に向かうのは北東の特別領事街ヤマト、そこにいるヤゴロウさんに話を聞くんだ…。
…………………………………………
「えぇ、タヴ君今日で辞めちゃうのかい?寂しくなるなぁ」
「申し訳ない、店主よ。我々のような根無草を雇い入れてくれたその革命に無上の感謝を」
「別に革命はしてないけども、しかしなんだって急に」
タヴはエプロンを脱ぎ、今日限りの退職を願い出る。そして今日…稼いだ路銀でまた旅に出るのだ。
……昨夜、俺はテラ・マガラニカと戦った。奴は強くこの俺が全力で戦っても倒し切れる気配がなかった、その後乱入してきたエクスヴォートの圧倒的な戦威を前にマガラニカは一頻り暴れた後…姿を消した。恐らくエクスヴォートの乱入自体が奴の撤退条件だったらしく俺に対して何かアクションを示す事もなくあっさりと撤退したのだ。
その後俺に対して攻撃を仕掛けてきたエクスヴォートから俺もまた逃げ…戦いは終わった。気がつけばコルロもオフィーリアも消えており、クレプシドラも帰宅、バシレウスとダアトもガオケレナの下に戻り、俺だけが取り残される形で誰もいない戦場に置き去りにされたんだ。
正直戦いが終わったなら一声くらいかけて欲しかった、夜中警戒して寝ずに街中を探し回ったんだからな…だがそれもまた革命だ。
「急なのは謝罪する、だが……俺にはやらねばならないことが出来たんだ」
そして俺は、翌朝のシフトに入り…そこでここにいる小太りの店主。俺達を雇い入れてくれたカフェの店長に退職を願い出た。
本当はもう少しここで働きたかったが、テラ・マガラニカが動きコルロが活動を本格化させた以上マレウスに絶大な危機が訪れているのは確かだ。奴らを放置すればまた危機が訪れるかもしれない…だから、『俺だけ』退職し…旅に出るのだ。
「うーん、よく分からないが男がやらなきゃいけないって見定めたことがあるなら応援するよ、頑張りなよタヴ君」
「ええ、シ……オーランチアカやコフの事をよろしく頼む」
「任せときな、というかオーランチアカちゃんはもううちの看板娘だからね、寧ろこっちがお願いしたいくらいさ」
「フッ、それならよかった」
退職するのは俺だけ、オーランチアカ…いや記憶を失ったシンとコフはこのままカフェで働いてもらう。レーシュやアグニス兄妹にメムなどのアルカナメンバーも依然冒険者として活動を続けてもらう。
あくまでこの街を離れるのは俺だけだ。正直に言えばコルロが危険すぎるからだ、奴らと真っ当に対峙できるのは俺だけだからな。昔のコルロなら他のメンバーでも倒せたが…どうやら今は違うようだし、警戒するべきだ。
というわけで俺は一人この店を辞め…一人旅に出る為小さなバックを背負い店を出ると。
「一人で行くのかい?タヴ」
「水臭いなぁ…」
「みんな……」
店の外にはコフ…レーシュ、そしてメムやアグニス兄妹達元アルカナメンバーが勢揃いしていた。あの牢獄に共に囚われていたメンバーであり、俺と共に脱獄した者達だ。
「タヴ様!」
「様はやめろメム、今はただのタヴだ」
「しかしタヴ様!私も一緒に行きたいです!ヴァニタートゥムと戦るんでしょう!なら私達の助けがあった方が……」
「要らない、大丈夫だメム」
「しかし、あそこにはタヴ様より強いマヤ・エスカトロジーが…!」
そうだな…懸念点があるならコルロ以上にマヤの方か。
マレフィカルムに於いて最強と謳われる五人の使い手がいる。セフィラや五凶獣を除外したものではあるものの多くの組織達にとって最強の使い手達と呼ばれる五人の革命者達。
一番を『神人』イノケンティウス…。
二番を『怪物王女』クレプシドラ…。
三番を『現人神』マヤ…。
四番を『宇宙』タヴ…。
五番を『悪鬼』ラセツ…。
その下には六番手のカルウェナンと続く物の、この五人の布陣は俺の現役時代から変動していないようだ。つまりこの俺よりも強い奴が…ヴァニタートゥムにはいるということだ。
コルロさえ従わせるマヤ・エスカトロジーが盟主を務めるヴァニタス・ヴァニタートゥム。そこに俺一人で喧嘩を仕掛けるのはリスクがかなりある…だが。
「やめときなよメム。タヴがここまで頑ななら私達にゃあどうにも出来んって」
「でもレーシュ様!私達だってあれから修行しました!第三段階相手でも負けません!」
「だとしても…だよ、ねぇ?タヴ」
「すまないな、レーシュ」
「本当は私も行きたいんだよ?けどまぁキミとは付き合いも長いし考えてることはなんとなく分かるよぉ…」
レーシュはニッと笑いながらも肩を叩く、普段なら是が非でもついて行くよぉ〜!と言うが、彼女も元アルカナとして敵のヤバさを理解している。だからこそそう言ってくれるのだろう。
「コフ、シンを頼むぞ」
「ああ、けど君もいきなりマレウスに押しかけてきたかと思えばまた直ぐに戦いの毎日とは。君の運命もまた随分忙しない物だね」
「まぁな、革命者は眠らない。事実昨日は徹夜だ」
「そっか…でも無理するなよ。君は昔から無理し過ぎだ…また深入りすると面倒なことになる、アルカナの時もそうだったろう?」
「分かっている…いや、お前に言われると襟を正された心地になる。忠告痛み入る、コフ」
コフは昔から賢く…そして理知的だ。アルカナの暴走を感じ一足先にアルカナから離脱しアルカナから逃げ出した者が落ち伸びる場所を作っていてくれた男だ。
我々が帝国を抜けてマレウスに戻るなり、何処から何を嗅ぎつけたのかコフは即座に我々を迎えにきてくれた。彼は既にマレウスにある程度の土壌を構えており、そのおかげで脱獄組はこうして暮らしていけているんだ。
彼には感謝し、彼の言葉には耳を傾けなければな…さて。
「では行ってく───」
「タヴさん?」
「…………」
踵を返したところ、呼び止められる。その声は…聞き慣れた声の、聞き慣れない言葉。かつて俺の隣に立ち…最後まで戦ってくれた相棒にして…俺の───。
「シン……」
「仕事を辞めるって本当ですか?どうして……」
シンだ、相変わらず美しい白い髪と白い肌を持った彼女が、牧歌的なドレスを着ながら首を傾げている。そして似合わない表情…かつての苛烈だった様は今は何処にもない。
シンは…記憶を失っていた。エリスとの戦いで自爆覚悟で魔力を暴走させたところをコフに助けられ回収された物の、全ての記憶を失い…その性格も穏やかなものに変貌した。彼女は自分が戦える事も知らないし、戦っていたことも知らない。
故にコフから言われた。彼女には…無闇にアルカナ時代のこと、そして裏社会のことを教えるな…と。下手に彼女に記憶を取り戻させるのは…逆に苦しいだろうから、と。
だから俺は……。
「ああ、金が貯まったんでな。少し旅行に行ってくる」
「あら、それも革命…ってことですか?」
「そうだ、己への革命だ。直ぐに帰ってくる…待っていろ、オーランチアカ」
「はい、タヴさん」
何も伝えない、彼女はもうマレフィカルムも裏社会も関係のない身、だから何も教えない。もし教える日が来るとしたら…それはオーランチアカではなく審判のシンに対してだけ、今再び俺の相棒がこの世に蘇る時だけだ。
「では、行ってくる」
「気をつけて!」
拳を上げて、俺はシン達に約束する。今度こそ俺はお前達の居場所を守ってみせる、アルカナでなくなったとしても俺はお前達を守る…だから。
目指すは北部、コルロ・ウタレフソンの野望を俺が打ち砕く。
………………………………………………………………
「えぇっ!じゃあ覚醒したんですかナリアさん!」
「はい!また今度披露しますね!」
「いやぁ着々と我が弟子軍団も強くなってきましたなぁ〜!」
「旅を始めた時よりも何十倍も強くなったな」
それからエリス達はサイディリアルの街の大通り…プリンケプス大通りを歩きながら横並びで歩く。大冒険祭も終わったし人通りもかなり落ち着いた…なんか祭りが終わった感が凄いな。
「さて、それじゃあそろそろこの街ともお別れだな…」
「なんだかこの街に長くいた感はあんまりないですね、あっちこっちに行ったので」
「大冒険祭、また開催されるのでしょうか。そうしたら参加します?」
「もういいだろ…疲れる」
そしてプリンケプス大通りを超え、街の外に繋がる門もまた超え、エリス達は自分達の馬車への歩く。あれやこれやあったけど…もうこの街ともお別れだ、色々あったがやはりこの街を離れる時というのはなんだが少し寂しくて───。
「おーい!お前らー!」
「ん?」
そう…そして、街を離れる時にはいつも決まってアレがある。それはエリス達がこの街で成し遂げた事の総決算…。
街を出たエリス達を追いかけるように、物凄い数の人達が追いかけてくる、アレは……。
「ストゥルティさん?」
「よう!聞いたぜ、この街出るんだってな!てっきりもう数日は休んでいくのかと思ったからさ、聞いた時は焦ったぜ」
走ってきたのはストゥルティさん達リーベルタース。いやそれだけじゃない…。
「エリスさん、そしてナリアさん。…色々ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした、お陰で…助かりました」
「いいんですよハルさん、最後に勇気を出したのはハルさんですから」
ハルさんだ、ストゥルティの妹さん。彼女はストゥルティで並んでなんとも仲睦まじい様子で一緒に走ってきたんだ。どうやらロムルスがいなくなったことによりフォルティトゥド家の閉鎖的な空気が消え去り…かなり自由になったらしい。
ダイモス達既婚者組も妻を蔑ろに扱う風潮も薄れつつあり、ハルさんも自由に行動できるようになり…フォルティトゥドにいい風が吹き始めている。それが一目で分かる光景だ。あんまりこう言うことは言いたくないが…ロムルスは何かを率いる立場にいていい男ではなかったのかもしれない。
「即座に行動か、いい心がけである!」
「ガンダーマン…あんたも出迎えに来たのかよ」
「然り!暇であるからな!」
「あんた会長だろ…」
そして何故かガンダーマンもいる。相変わらず偉そうではあるがエリスは彼に対して強く出れない。命の恩人だから。
するとガンダーマンは胸を張りながらパツパツのシャツに陽光を反射させ…。
「それと貴様らに渡すものがあるのを思い出してな」
「え?まだ何かあるんですか?」
「うむ、少し待て」
まだ何かあったのだろうか。彼にはヤゴロウさんの情報を受け取っているが…まさかまだ他に情報が?と思っていると彼は懐から一冊の本を取り出し。
「これをやろう、少しは我輩を尊敬する気になれる筈である」
「こ、これ……」
そう言って差し出してきたのは…いつぞや渡された事もあるガンダーマンの自叙伝『大冒険王の大冒険』だ。これかよ…よりもよって、本当に大好きだなこいつ。
「貴様ら魔女の弟子達は我輩をもう少し敬え、これに書かれている事を知れば少しは我輩の偉大さを知れるであろう。千を超える魔獣との激戦、アルクカースに喧嘩を売りに行った時の話、そしてキングフレイムドラゴンとの死闘。どれも伝説である!」
「…………」
昔も同じ事を言われて、エリスは『何言ってんだこのアホは』と一蹴した。けど…今にして思うとちょっと気になる。キングフレイムドラゴン…マレウス史上最悪の大魔獣にしてオーバーAランクの怪物。それを単独で撃破したと言う伝説は興味がある。
本当に倒したのか?と言う疑問もあるが、事実として冒険者の街アマデトワールの入り口にはキングフレイムドラゴンの牙が飾られているし、焉龍屍山はそのままキングフレイムドラゴンの死骸だ、ならばキングフレイムドラゴンは実在したし倒されていると言う事。
どう言う話なのか気になるな。
「ありがとうございます、ガンダーマンさん。これ読ませてもらいますね」
「うむッ!しかと読め!」
なので受け取る、するとガンダーマンは白い歯をキラーン!と輝かせマジで嬉しそうに笑う。多分こう言うふうに好意的に受け取ってもらえたのは初めてなのかも知れないな。
「そらそら退いた退いたクソジジイ」
「あ!なんだ貴様ストゥルティ!貴様も我輩を敬え!それが嫌なら死ねェッ!!!」
「死なねー!それよりさ!ナリア!また今度お前の演劇見せてくれよ!」
「そうだそうだ!私もまた見たいぜナリアさん!」
そしてナリアさんに駆け寄るのは冒険者組だ。ストゥルティさんにルビーちゃん、そして四大神衆、彼らは夢の世界でナリアさんと共闘し協力しあった仲だ。故にストゥルティさんはナリアさんの手を握り笑顔を見せる。
最初は、ただ憎悪と敵意だけを向けられていたのに…凄い変化だ、これもナリアさんの真摯な態度のおかげか。
「マジで助かったぜ!夢の世界での活躍もあるしさぁ!いやぁマジでエリス達も含めて俺のクランに来て欲しいくらいだよ!」
「何言ってんだよストゥルティ、ナリアさんはグランドクランマスターだぞ?リーベルタースに入ったらお前、ナリアさんの下だぞ」
「う、……俺誰かの部下とか出来ねー…」
「グランドクランマスター……」
ふと、ナリアさんは何かを思い出したように数秒考え込む。みんなそれに気がついていない、みんなそれぞれ別れの挨拶をしていて…ナリアさんの数秒の沈黙に気が付かなかった。ただエリスだけが…その沈黙に注目した、その時だった。
「あ、じゃあ僕グランドクランマスターやめますね」
「は?」
「後任はぁ…んー、じゃあルビーさんで」
「え?」
「じゃ!そう言うわけで」
そんな事を言い出すんだ。今度はナリアさん以外の全員が沈黙する番だ。驚愕と戦慄、衝撃と思考、全員がナリアさんの言葉を理解するのに数秒かかり……。
「えぇぇえええ!?!?ちょっ!本気か!?」
「な、ななな、なんで私ーーーッ!?!?」
ドヨドヨとリーベルタース全体が騒がしくどよめく、ストゥルティもおしっこ漏らんじゃないかって勢いで驚愕し、ルビーちゃんも青い顔をしてる…けどナリアさんはあっけらかんと。
「だって僕、役者ですから。誰かの上とか似合いませんって」
「いやっ!?譲った俺に向けて言われてもッ!?」
「じゃあ譲り返します、これでおあいこですね」
「すげーいい笑顔…マジかよ」
全国にいる冒険者全てに対する命令権、それはある種の王権にも似た絶対的に権利。それを譲渡されてなお…彼は必要ないと突き返す。
「グランドクランマスターになったら僕は冒険者の皆さんの為に考え、動き、戦わなきゃいけない。けど…こう言ったらアレですけど、僕にそう言うのって似合わないかなぁって思うんです」
チロリと舌を出して彼はイタズラに微笑み、踵を返し馬車へと向かっていく。元々彼は立場には興味がないんだろう…例え彼に一国の王となる権利が与えられても、山のような黄金を明け渡されても、世界を好きに出来る権利を渡されても、きっと同じ選択をするだろう。
「じゃ、じゃあ私が…グランドクランマスター?」
「ってかなんでルビーなんだよ!俺じゃダメか!ナリア!」
「うーん、だってストゥルティさん卑怯ですし」
「うッ!言い返せない!」
「こう言う時は誠実な人に任せたいので……だから、支えてあげてください。ルビーさんはまだ若く、きっと立派な冒険者になれるので…だから、次会う時までにその肩書きに相応しい人になっていてくださいね」
「ナリアさん……うん、うんッ!!」
ルビーちゃんはナリアさんから何かを受け取ったように、満面の笑みを浮かべる。その笑みを見て『よし!』と全ての解決を悟った彼は…馬車に向けて走る。
「じゃあ皆さん!ありがとうございましたー!」
「お、おう!最後の最後に爆弾かまされたが達者でな!お前らー!」
「ナリアさん!私頑張るぜ!頑張るから!」
『また会おうぜー!』
『次は楽しく酒でも飲もうやー!』
『頑張れよーっ!』
走り出したエリス達に冒険者達は手を振り、剣を振り、飛び跳ね盛大に別れの挨拶をしてくれる。ちっとも寂しくない…賑やかな別れ。いいもんだな…。
「にしてもさ、ナリア」
「はい?」
そして……ふと、アマルトさんは走りながらナリアさんに声をかけ。
「よかったのか?グランドクランマスターの座。もらうだけもらってもよかったんじゃね?」
「あはは、さっきも言いましたけど僕には似合わないので」
「へぇ〜無欲だねぇ〜、立場とかに囚われないってか…かっこいいなぁ」
「いえ?無欲じゃありませんよ。似合わない立場はいらないってだけで…僕に相応しい立場は欲しいです」
「え?例えばどんな?」
その質問を前にナリアさんはエリス達の列から外れるように加速し、エリス達の前に立つなりクルリと一回転し両手を広げ…。
「例えば?決まってます、『エイト・ソーサラーズ』ですッ!」
「エイト・ソーサラーズ…あ!それって確か!」
「はい!これから選考会が行われます!なので今からみんなでエトワールに来てください!行きましょう!エトワールに!」
「い、今からァッ!?」
そして、大冒険祭を終えたナリアさんは…彼が本当に欲する称号を手に入れる為。冒険者としてではなく役者としての戦いに身を投じる。
ある意味、これが…彼にとっての本番、なのだろう。
………………………………………………………………
「マジでエトワールに来ちまった…」
「うぅ〜!寒いねェーッ!冬のエトワールは寒いねェーッ!」
「デティ…私の服の中に入っていいよ」
「よーござんすか!入らせていただきやす!」
そしてそれから、馬車で一服する暇もなくエリス達はエトワールに直行。そのままナリアさんはクリストキント劇団に合流しエイト・ソーサラーズ選考会に臨むこととなった。
本来なら投票で選ばれた人間だけが本選に進めるのだが…ナリアさんは投票を除外され、所謂シード枠で本選に参加することが許された。と聞けばナリアさんが特別扱いされ優遇されているように思えるが…これは違う。
ナリアさんが投票に参加すると、例えナリアさんが投票期間中一度も舞台に出演しなかったとしても凄まじい票数を獲得してしまうのが目に見えていたから。そうなると他の劇団達が不利になるからシード枠なのだ。
昔とは状況が違う、ナリアさんは既にエフェリーネさんに並ぶ…あるいはそれ以上の人気を持つエトワール最高の役者の座を手に入れたのだ。
「で、今から劇をやるんだっけ?」
「はい、既にナリア様が席を用意してくれているようですよ」
「仕事早えなぁ…」
で、エリス達は今…この雪の降る夜に屋外席を目指し人の海の中を歩いているんだ。そうだ、今日はエイト・ソーサラーズを決める大事な最終選考の日…『聖夜祭』なんだ。つまりナリアさんは聖夜祭にエトワールに帰国し、日帰りでエイト・ソーサラーズの座を勝ち取ろうと言うのだ。
凄い話だよ、けどなんだろうね?出来ちゃう気がする。
「ん、ここだね…私達の席」
「一等席じゃんか、気前いいなぁ。そう言えばエリスは前回の聖夜祭にも参加してたのか?」
「いえ、一応客席には座ってたんですが直ぐにアルカナの襲撃があって戦い通してたのであんまり見れてません」
「そんな時にもバトルかよ…」
「仕方ないでしょ!」
アマルトさんの言葉で思い返す。前回はレーシュにルナアールと解決しなきゃいけない問題が多い割に戦える味方が少なくて四苦八苦したものだ。
それが今ではこんなに頼りになる仲間がいる。そう干渉に浸りながらエリスはナリアさんが用意してくれた席に座る。舞台がよく見えるいい席だ……。
「うう、寒い寒い」
「ラグナ、大丈夫ですか?」
エリスの隣にはラグナがいる。相変わらず寒いのは苦手らしくもこもこの服を着ながらも震えている…。
「大丈夫だよ、…嘘ついた、大丈夫じゃない」
「ふふふ、ラグナったら」
「ははは……」
ゆっくりと席に腰をかけて…二人で並んで舞台を見る。そうだ…ここでこうやって舞台を見ていると、丁度思い出すなぁ…アレは────。
「おっと失礼、私としたことが失念しておりました」
「メグさん?」
すると、みんなが席に座った瞬間。メグさんがいきなり立ち上がり…。
「私、ナリア様に渡さねばならないものがありました」
「それ、今じゃなきゃダメか?もう始まるぞ」
「ダメでございます、では失礼して…『時界門』!」
「あ!おい!」
スルリと穴を開け猫のように消えていくメグさんを…エリス達はただ見送る。一体なんなんだ…。
………………………………………………
「焦ったぜナリア!今日帰ってこないかと思った!」
「すみませんクンラートさん、色々ありまして…」
「ってかこの台本!通しの練習二回しか出来なかったけど大丈夫かな…」
大冒険祭を終えるなり、直行でエトワールに帰国。そのままクリストキント劇団に合流し僕は既に作っておいた台本をみんなに渡し、そのまま夜になるまで通しの練習をやった。はっきり言って準備時間は少なかった…けど。
「問題ないわ、私達ならね」
「流石ですね、コルネリアさん…頼もしいです」
「フッ、あんたをエイト・ソーサラーにする為に…いつかの恩を返す為に、張り切るわよ」
クリストキントは凄腕集団だ、僕の目から見て十分やれる状態にある。何より今年は僕に匹敵する役者のコルネリアさんがいる。彼女と僕を中心に添えて熱狂を巻き起こせば十分狙えるだけの物があった。
「さぁ上演数分前です!今年こそエイト・ソーサラーズの座を!レグルスさんの座を獲得し!それと嘆き姫エリスも続投しますよー!」
『おおーーっ!』
みんなで円陣を組み…僕は最後の準備に入る。いつも上演数分前は…僕の時間だ。
「ふぅー……」
みんな、それを分かっているから僕を一人にしてくれる。これから僕は一世一代の勝負に出る…それはルビカンテとの戦いにも匹敵する、重要な戦い…だから僕は舞台裏から出て、外に出て。雪を浴びる。
「………………」
求めるのは…美だ、究極の美。僕はそれを体現する為にこの一ヶ月考えに考え抜いた。その結果得た『幕を閉じ終わらせる事、幕を開き始める事、そしてそれを続ける事』と言う答えを…台本に落とし込んだ。
終わるからこそ美しく、始まるからこそ美しく、続けるからこそ…焦がれる。それが僕の答えだ…。
「この答えを得られたのも、全部あなたのおかげです…アルタミラさん」
手を広げれば、掌に落ちた雪が溶けて消える。この雪のように消えてしまった彼女に僕はこの劇を送るつもりだ。彼女と過ごした一ヶ月が…僕を強く大きくした。その結果を…天に届けるのだ。
「アルタミラさん……」
目を閉じ、思いを馳せる…君は満足して逝ったんだよね。けれど僕はちっとも満足出来ていないよ、まだ君の全てを見ていないから。
僕が舞台に立つ姿を見せていない、君の作品を見足りない、何より…君が描く最高の美を、まだ見ていない。そんな暇なかったと言えばそうだけど、それでも僕は───。
「ナリア様?」
「ぎゃぁっ!?」
瞬間、声をかけられて飛び跳ねる。慌てて散ってしまった集中を取り戻しつつ前を見ると…そこにいたのは、メグさんだ。
「メグさん!?なんでここに…ここは関係者以外立ち入り禁止ですし今はちょっとお話できる状況では……」
「いえ、…実はナリア様に届けなければいけない物があったのです。いえ…今だからこそ、届けなければいけないものが」
「え?今じゃなきゃ…ダメ?」
するとメグさんは時界門の中から…束ねられた紙を二枚、取り出すのだ。それを懇切丁寧に扱った彼女は二枚の紙をそのまま僕に渡す、一枚は人の顔より大きいくらいの簡素な紙。そして二枚目は小さく一枚目の三分の一程度の大きさだ。
不釣り合いな二枚の紙、だけど…それを見た僕は。
「これはッ……!」
思わず納得してしまう、そうだ。これは今しかないなと…寧ろ最高のタイミングで届けてくれたと、納得してしまう。
そう、これは………。
「これは、アルタミラさんから預かった物です。大冒険祭が終わってから…お渡しするよう第三戦の前に言われていたのです」
「アルタミラさん……」
それは……絵だった。とても簡素な紙に色を塗りたくるように書き込まれたアルタミラさんの絵だった、この筆使いや色の扱い方は間違いなくアルタミラさんの絵だ。
何よりこれは、彼女が一番最初に僕を描いてくれた時の絵と同じ…花畑を前に振り向く僕の絵と全く同じ構図。僕と彼女の友情が始まったあの時に描いてくれた絵。
だがあの時の絵とこの絵は違う、全く違う物であり全く意味合いも違う…どこが違うか、それは他の人が見たら些細な違いでしかないのだろうけど…僕は知っている、この違いが大きな違いであると。
それは……『顔が描かれている事』だ。
『私は……人の顔を描くのが苦手なんです』
アルタミラさんはそう言った。
『真に美しくない物は描きたくないんです』
悲しげな顔で言った。
『人と言う生き物が美しいと思えない。木々には木々の美しさがある、水には水の美しさがある、けれど人にはあると思えない』
だから、顔を描く事が出来ないと彼女は言った。それは彼女の中にある人への不信感、或いは諦めがそうさせたのだろう。故に彼女の描く絵は全て顔が空白だった、最初に描いてくれた絵も…そうだった。
「アルタミラさんッ……!」
顔が描かれている、絵の中の僕は満面の笑みを浮かべ…その先にアルタミラさんが居ることを伝えてくれている。そうか、僕はアルタミラさんの前で…こんな顔をしていたんだな。
「ッ……」
そしてもう一枚は、手紙だ。絵画に手紙が添えられていた。それは筆を使って軽く書き込まれ……。
『ナリアさんへ』
『面と向かってこの絵を渡すのは恥ずかしかったので、メグさんにお願いし大冒険祭が終わってからこれをお渡しするようお願いしていました』
『全部が終わった後、きっと大冒険祭を勝ち抜き目的を果たし貴方がまた歩き出し旅に出ていることを祈りながら、この絵を描きました』
『人の美しさを教えると言ってくれた貴方のお陰で、私はようやく知る事が出来たのです。人が美しくないのではなく、美しくないと思う事で敢えて見ないように、目を背けていただけなのだと』
『だから、勇気を出しました。これはきっと私が描く最初で最後の人物画。それを貴方にこそ贈ります』
『ナリアさん、私はきっと旅にはついていけません。けれど私とナリアさんの繋がりは消えません、私の心はいつも貴方と共にあります』
『そしてまたいつか、旅が終わってからでもいいのでサイディリアルに来てください。その時また語らいましょう、今度はもっと落ち着いて、時間をかけて、もっとたくさん』
『それまで私はサイディリアルで待っています。ここを貴方の第二の帰る場所にする為に』
『私も、もっとより良い美を探求しここに残りますから。それではナリアさん、より良い旅を祈ります』
『サイディリアルより、愛を込めて』
「っ……ッ…」
涙が溢れる、その筆の運びにアルタミラさんの幻影を見る。これを書いたのは第三戦前…彼女はまだ己の運命を知らない。いや或いは…何処かで感じていたのかもしれない、ルビカンテが消えれば己も消えることを。
だからこそ、残した。僕の心と共に歩むことを……。
「本当は、劇が終わってからお渡ししようかと思っていました」
メグさんは深刻な面持ちでそう述べる。
「でも、きっと…これは今この時。ナリア様の芸術が結実する直前にこそ相応しいと私が判断しました。出過ぎた真似をお許しください」
「いえ、最高のタイミングでしたよ」
手紙と絵を抱きしめて…天を仰ぐ、そうしていなければ涙が溢れそうだったから。僕とアルタミラさんの関係に涙は似合わない。僕は一人ではないのだから…泣く必要などどこにも無い。
寧ろ…笑え、彼女が笑ってくれた僕の笑顔を天に届けろ。
「アルタミラさん、見ていてください。僕…届けますから」
天に届ける、そして今も…残り続けているサイディリアルに、僕の名と今宵の伝説を轟かせる。……よし、よし!よしッッ!!
「メグさん、これ…預かっていてください」
「え?」
「それを、観客席に」
「あ……承知致しました、では…失礼致しました」
時界門に消えるメグさんに目を向けず、僕は歩み出す。僕一人で出来ることなど限られている、けれど僕は一人じゃ無い。仲間がいる、劇団のみんながいる、客席のみんながいる、何より心にアルタミラさんがいる。なら出来ることだって無限大だ…そうだろう!
「みんな!そろそろ行くよ!」
『おう!準備いいか!ナリア!』
『いつでも行けるよ!そっちは!』
「問題ありません、だって…」
キュッと衣装の襟を整え…浮かべる笑みは確信を纏う。
「僕はサトゥルナリア・ルシエンテスだから」
そして歩む、舞台裏から…観客席に、よく見える場所に、天からでもサイディリアルからでも見える、最高の場所に僕は歩み出す──────。
………………………………………………………
『月と太陽』……それは決して顔を合わせることのない両対の存在。されどそんな二つが出会い、もし恋に落ちたのなら。その愛は永遠となるのか。本来出会うはずのない二人が出会い、許されぬ禁断の愛に惹かれたのならどうなるのか。
『月』を演ずるコルネリアは暗く、清廉な夜に愛を唄う。
『太陽』を演ずるサトゥルナリアは明るく、陽気な昼を愛に捧ぐ。
二人の主演が交互に舞台に上がる、凝った仕掛けも豪勢な演出も難解な脚本もない。ただ肌で感じ取れる互いの『焦がれ』を全面に出した凄絶なる演劇は昼夜を巡る形で進んでいく。
そして徐々に互いが歌う時間が短く、昼と夜の間隔が短く、短く、短くなり。
ハッ…と、まるで風が吹くように唐突に。二人は出会うことになる。焦がれに焦がれた二人の対面は夜のように素晴らしく、朝のように輝かしく、星々の祝福の中で行われるだろう。
二人の恋模様は見てるこっちが幸せになるくらい、初々しくそれでいて清楚で、典雅ありながらも何処か荒々しく、愛は育まれていく。
草原の葉に輝く一滴の朝露のように、窓越しに見る宵の星空のように、光に満ちる愛。しかしそれでも運命は無常にも二人を引き裂いていく。許されぬ恋は許されることなく、二人の愛は恋のまま星々に手を引かれ遠ざけられていく。
二人は再び、出会うことのない運命に囚われる。否、そうではない、そうではないのだと太陽は叫ぶ。
『月よ!涙を流すことはない。お前は美しいのだから』
手を伸ばし、叫ぶ太陽の言葉はまるで客席にいる皆の手を引くように…一気に虚構の世界に誘い込む、そんな気迫を感じさせる。
『これは終わりだ、我々の出会いの終わりだ。だが終わるからこそ出会いは美しいのだ、終わるからこそ我々はまた恋焦がれる、ならばまた始めよう、また我らは共に出会い、そして終わり、また始める。それを永遠に続けていこうではないか』
終わるからこそ、始まるのだ、始まるから、終わるのだ。始まり終わるのならその輪廻を永遠に続けていけば良いのだと語る太陽は…己の胸に手を当てて、笑う。
『大丈夫、例え離れていても…出会った我々の繋がりは途絶えない。私の胸には君がいる、きっと君の胸にも私がいる、なら大丈夫。私達は…一人になんてなりようがないのだから!』
それはきっと、ナリアさんが辿り着いた美の答え。終わりと始まりの美、それは芸術の知識とか感性とか才能がなくてもなんとなく分かる。だって…今こんなにも喜ばしいんだから。
引き離された太陽と月はまたも二人の手の届かないところへと飛ばされる。だが愛の歌は終わらない、きっとこの歌が向こう側にいる君に届くことを祈って…歌はいつまでも続いていく。
きっと二人はまた出会うだろう、それが肌で分かるんだ。寂しくない、怖くない、ただ今はそこにいないだけ、いつかまたきっと…始まるんだ。
周囲を見渡せば、誰もがその名演に息を飲んでいる。観客も、他の役者もだ。
これは結果を見るまでもない。今回参加した役者の中でエフェリーネさんと並び美の究極に至った彼は他の誰にも止められない。
エイト・ソーサラー入りは確実。魔女レグルス役を得たのは間違いないだろう…そして、また五年間エリス姫役の続投もまた────。
「すげぇな、ナリアの演劇をこう言う大舞台で見たのは初めてだ」
「相変わらず、素晴らしい劇です」
ラグナとエリスは舞台上で愛を歌い、なんか盛り上がりどころで急に分裂を始めた大量のナリアさん達を見ながら感傷に浸る。
こうしているとアレを思い出す。それは五年前、エリスがこの舞台で見た…母の幻影。
あの時エリスは、母を許した。エリスを捨てた彼女の影を見て…きっとエリスは愛されていたんだと何処かで悟り、許した。そして今、エリスはステュクスとも向かい合えた。
家族だから、今なら言える。エリスとステュクスとハーメアは家族なんだ。
(やっぱり…家族っていいな…)
ロムルスに言われた時は全く感じなかったけど、やはり家族という繋がりはいいな。家族に虐待され、家族に捨てられ、家族と敵対したエリスでさえこう言えるんだ…これはとても素晴らしい物なんだろう。
今まで師匠としか関わりを持っていなかったエリスに…芽生えた家族と言う関係。だからかな、エリスの中にある一つの考えが…クルリと変わるのを感じた。
「家族っていいですね、ラグナ」
「ああそうだな……ってこれ家族愛の劇だっけ?」
キョトンとしながらラグナは舞台から目を離してこちらを見る。舞台上から照る光を浴びるラグナと顔と、輝くエリスの瞳が向かい合う。
友達ではない、より親密な関係である家族…その存在を理解してしまったから、もう。
「ねえラグナ」
「なんだ…?」
「エリスと家族になってくれませんか?」
「おー…ん?え?」
今まで、漠然と感じていた心。それがリアリティを帯びた…それがどう言う意味なのか、エリスは初めて理解する事が出来た。だから言うんだ、エリスは家族が欲しいんじゃない…彼と。
「エリスと結婚、してくれませんか」
「あ…あぇ…?」
ラグナの顔が真っ赤になる、でもエリスは目を逸らさない、もう逸らさない。ラグナと家族になりたいんだ。そしてまた…彼の心も、ロムルスとの茶会で知っている、だから……。
「……ああ、幸せにする」
キュッとエリスの手を掴み、真剣な面持ちになった彼はエリスの顔を真剣に見つめて、答えてくれる。
月と太陽は離れても、その恋は永遠に終わらない。そして恋はまた…恋のままではいられない。
劇終を告げる花火が打ち上がる、天来の光が二人を照らす。今ここに新たな愛が…始まったのだ。
……………………第十八章 終