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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十八章 ナリア・ザ・ハード 〜サイディリアルより愛をこめて〜
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673.同盟討伐戦・第四戦『狂気譫妄』ルビカンテ・スカーレット


飢えるとは、即ち求めることである。


餓えるとは、即ち手を伸ばす事である。


渇くとは、即ち望む事である。


それこそが『渇望』、人が原初に持ち得る感情であり生きとし生ける全ての存在が多かれ少なかれ持ち得る絶対の感情。


生きたい、お腹が空いた、喉が渇いた、全て渇望だ。これらの感情がなければ生物は動けない、何かをしたいと思うからこそ一歩目が出るのであって、何もないのに踏み出せる人間はごく稀だ。


だから、渇望とは…決して悪い感情じゃない。それでも、行き過ぎた渇望は身を滅ぼす…狂気的な渇望が数多の悲劇を生んだのは歴史が証明している。だからこそ、止めなければならない。


僕は…サトゥルナリアはそう思ったからこそ、舞台に上がる決意をしたんだ。


……夢世界の最深部。多層構造になっているこの夢で最も深い夢、深層心理の具現たる第四円へと僕は導かれた。


多くの仲間が、僕に託して戦っている。僕はそんなみんなに『任せろ』と叫んで進み続けた。そうして辿り着いたルビカンテの待つ最後の階層…第四円『狂気のジュデッカ』、ここで全ての決着をつける。


「──ここが、第四円…狂気のジュデッカ!」


ルビカンテを追いかけて次階層への穴に飛び込んだ僕は、赤い雲を切り裂いて…天から落ちる。いつもと同じだ、もう三回目だから狼狽えたりしない…けどその目に映るジュデッカの全容に、少し驚く。


第一円は現実そっくりなサイディリアル、第二円は崩壊したアルシャラ、第三円は何もない草原、そして第四円は……。


「またサイディリアル…いや」


そこに広がっていたのは第一円同様サイディリアル…が、その色合いがあまりに悍ましい、黒い影と赤い光だけで照らされた地獄のような様相であり、尚且つ人の気配もなく…何より中心に聳える筈のネビュラマキュラ王城は崩れ瓦解し、酷い有様だ。


その様を形容するなら…『ルビカンテのサイディリアル』と呼ぶべきだろう。奴が望む世界、奴の望みが叶い絶大な力を手にすれば…奴はこの世界を現実のものにするつもりであることが説明されずとも理解出来る。


絶対、止めなきゃいけない。ルビカンテの狂気をこれ以上膨らませるわけにはいかない!


「『衝波陣』ッ!」


そのまま地面が近づいた瞬間、地面に向けて衝撃波を放ち落下の勢いを相殺し…静かに赤いサイディリアルに着地する。さてルビカンテはどこかな…と探るまでもない。


「来たぞ、ルビカンテ!」


「んふふふ…ああ、分かっているさ」


ルビカンテはいる、崩れたサイディリアルの屋根の上で膝を抱えて座り、僕を見下ろしていた。ついに来た…こいつのところに来るまで酷く時間がかかった、けど。


「勝負は僕の勝ちですね、ルビカンテ」


「いいやまだだ、第三円までの全ては前座…余興さ。我々の戦いを彩る為の前振りという奴だ…本番は、ここから」


紅の髪をたなびかせ立ち上がるルビカンテはポケットに手を突っ込みニタリと笑う。勝負はここから…ルビカンテのと僕の勝負。サイディリアルに住む全ての人たちと仲間たち、そしてアルタミラさんを賭けた…一世一代の大勝負。


「君ならここに来ると思っていた、だからこそ全力で邪魔をしたし…君もまたそれを全力で跳ね除けた、嬉しいよサトゥルナリア…君はまさしく主役に相応しい活躍をしてくれた」


「……………」


「そう怪訝で敵意に満ちた目を向けないでくれよ。私はね…寂しいんだ、ずっと君とこうやってお話がしたかった」


「何をバカなことを、ならなんで僕達を殺そうとした!」


「そりゃ、そうした方が満たされるからさ、何か不思議なことでもあるかな?」


……こいつの中では、それが矛盾していないんだ。寂しいから人と話したいという渇望、大切な誰かを殺しより大きな狂気を得て無敵の存在になりたいという渇望、これらが一纏めにならず別の欲求、別の話として成り立っている。


そういう意味で、こいつは僕と同じ人間ではないのだと痛感させられる。どこまで行っても…こいつは悪魔だ。


「君はアルタミラの話を聞いただろう、彼女は…いや私は罪ある存在だ。恩師とは言えないかもしれないが先生を殺している、人を一人殺している。その罪を…君は裁く気がないのかな」


「こういう言い方をしたらあれかもしれませんが、僕には裁く権利なんてありません。罪人を裁くのは裁判官の仕事で僕は役者でしかない。例えアルタミラさんの行いが間違っていたとしてもそこについてあれこれ言う権利なんかありません」


「なら私を止める権利だって君にはない筈だろう。私の前に立ち塞がる理由は君にはない、何故なら君は役者で戦士でも審判者でもないから、そこについてはどう答えるのかな?」


「根本から話が違います、僕はお前が間違っているから止めるんじゃない…お前が危険だから止めるんだ。この国を憂うただ一人の人間として、遍く無辜の人々が織りなす営みを…お前一人の身勝手な願望で破壊するわけにはいかないから、止めているんだ。お前とアルタミラさんを一緒にするな」


「ウアハハハ、そうか…私が危険だからか。そりゃあそうだ、罪ある存在だからね…だがその罪はアルミタラの物であり、そしてその罪が私を具現化させた!彼女の希死念慮が私と言う渇望に水を与えた!全ての始まりはアルタミラだ!同じなんだよ私とアルタミラは!区別は出来ない!」


「なら!僕が変える!お前のような狂気の渇望を叩き砕いて!二度と同じことが起こらないよう…アルタミラさんの心を変えてみせるッ!」


「ンフッ…アハハハハハハハ!流石は役者だ!最高のレスポンス…啖呵の切り方は上等だ」


そして奴は僕を煽るように笑うと、軽く手を上げ…指先を曲げて。


「世間話をして悪かったよ、やりたいんだろう?変えたいんだろう?ならそのやり方を見せてくれ、サトゥルナリア…ケリをつけよう、君と私の芸術…どちらが上か」


「ッ……」


八大同盟の盟主が、僕に言っている。かかってこいと、ジズやオウマ、イシュキミリさんの同格の絶世の傑物の一人が…僕を相手に戦いを挑んできている。いやそんなこと分かっているよ、そもそもこの戦いは僕から挑んだ物で…戦うことになるなんてのはずっと前から分かってたけど。


やっぱり、いざ前にすると…怖いな、足が震えそうだ。けどもしかしたらみんなも…こんな気持ちだったのかな、八大同盟の盟主と戦う時…みんなもこんな風に怖かったのかな。それでもみんなは勝ってきたんだから凄いよな。


……そう、勝ったんだ。八大同盟にじゃない…足を止めるさせる、恐怖に。そして今なら何故みんなが勝てたか、僕にも分かる!!


「お前の芸術と僕の芸術を、一緒にするなッッ!!」


吠える、譲れない物の為に、戦う、守るべき者の為に。絶対に引けないからこそ引かない、逃げない。そうだ、みんなは『愛』を以てして『恐怖』を打ち消したのだ…ならば僕も。


「ルビカンテッッ!!」


走り出す、戦いを挑む、ルビカンテ・スカーレット…この戦いの、全ての狂気の根源と戦い決着をつける。託された全てに応える為に。


…………………………………………………………


「素晴らしい…やはり見込んだ通りだ」


ルビカンテは笑う、こちらに向けて走ってくるサトゥルナリアを見て…思わず笑みをこぼす。素晴らしい、見込んだ通りだ…。


彼は誰かのために身を割ける聖人だ、そんな彼だからこそ戦いを挑んだ。そう言う彼が敗れるからこそアルタミラは絶望し…より一層狂気に染まる、無限の狂気が我が手にあれば私はもっと大きく強くなれる。


大きく強く、絶対になれば…きっとこの胸の渇きも癒えるはずだ。その為ならなんでもしよう、この渇きを消し去る為ならなんだって!


「さぁ始めよう、この世は喜劇。成功の栄華も没落の失態も全ては笑う為にある、なればこそ全ては茶番!お前の決意も私の渇望もアルタミラの悲壮も全てが茶番!」


「ルビカンテッッ!!」


蝉の裁判官が告げる、私の罪状を挙げ列ね刑を言い渡す。


蝉の裁判官が告げる、蝉の裁判官が告げる、蝉の裁判官が告げる。


私は罪であり、その存在が罪であり、そこにある罰は一つだけ。ならばこそ笑おう、ならばこそ泣こう、狂気の上でこそ人は笑い人は泣く、そこにあるのはただ一つ。


渇望の狂気だけ。


感情こそが…人を動かす原動力さ。


「そうだろう!そうだろうサトゥルナリア!同じ芸術に生きる徒よ!私はお前を見るよ!私はお前だけを見るよ!君はこれほどまでに美しい!それ程までに愚かしい!」


「ルビカンテェェッッ!!!」


怒りを込めた声が響く、思わずルビカンテは笑いながら眼下に目を向ける。既に世界は滅びつつある、真っ赤に染まった空は割れ、サイディリアルの街並みは砕け始め天に開いた黒穴に吸い込まれつつある。


直ぐに全ては消えて無くなる。この滅びと死と破壊に満ちる世界の中を突っ切って走るただ一人の少年は…サトゥルナリアは私目掛け走ってくる。実力差は歴然だ、戦って勝てるとは思ってないだろう。


だが彼はそれでも私に向かってくるだろう…だって。


「お前を止める!僕はもう!お前をこれ以上狂わせない!!」


「そう言うと思ったよサトゥルナリアッ!君は私の親友だ!君は私の仇敵だ!殺し合おう!助け合おう!その一途な思いが私をより大きくするッ!」


砕けて崩れた王城の屋根から飛び降りてサトゥルナリアに向かう、きっと彼はここに来てくれると思っていたよ…君は優しいからね、どんな困難が間に立ち塞がろうとも、どんな窮地でも、乗り越えてここに来る。


そんなに大切かい?全てが、ならいいよ…私はそれを壊そう、全てを壊して砕けた瓦礫と破片を一生懸命掻き集めて涙を流そう。やるんじゃなかったって後悔させてくれよサトゥルナリア!


「イィーーーーアハハハハハハハハハハハハッ!」


「もう諦めろ…ルビカンテ・スカーレット!!」


空を駆け抜けるサトゥルナリア、天より飛来し狂気に笑うルビカンテ、第四円・狂気のジュデッカに木霊する二人の絶叫、二人の芸術家の魂の咆哮、それがぶつかり合う。


ルビカンテにとってはあまりにも長く、サトゥルナリアにとってはあまりにも短い、二人の戦いがここで決着を求める。


……………………………………………………………………


『狂気譫妄』のルビカンテ・スカーレット…八大同盟で最も異質で異常な人物であり同時に謎に満ちた人物でもある。されどその実態はアルタミラ・ベアトリーチェの心の中に巣食う意志を持った魔力覚醒『La Divina Commedia』そのもの。


つまりこの夢世界を形成する全ての根源、ある種この世界においては神にも匹敵する存在だ。マラコーダもファルファレルロもアリキーノもスカルミリオーネも強いが…それでもルビカンテには及ばないのは奴が全ての源流だから。


即ち全ての元凶、故にその力も強いが…だからこそ倒さねばならない。しかし。


「アァーッハハハハハハッ!」


「ぐっ!?」


城の屋根から飛来したルビカンテが石畳を砕きながら強引に着地をする。ただそれだけで発生する紅の衝撃波に耐えきれず走り出した僕は吹き飛ばされ地面を転がる。


「喜劇だ、全てが喜劇。必死さも悲壮さも下劣なジョークで穢して嘲笑う、それが現実…喜劇の本質、共に興じようじゃないかサトゥルナリア!我が親友!」


「誰がお前と────」


転がりながらも受け身を取り、懐から大量のカードをばら撒きながらペンを走らせ……。


「親友なものかッ!!」


「カッハハ!」


放つは僕の最高火力『久那土赫焉』。真っ赤な光がカードと共に煌めき出し両手を広げるルビカンテに迫る…しかし。


「いい赤だ、されど君は赤よりも赤い赤を知らない…」


ドロリとルビカンテの手から赤色の絵の具が出る…早速使ってくる、奴の絵の具を。


「『狂乱真紅』ッ!」


そのまま腕を振るい赤色の絵の具をぶち撒ける、その絵の具は空間にこびり着き燃え上がり、僕の久那土赫焉と同レベルの膨大な熱を生み出し爆裂する。


僕の最高火力がいとも容易く相殺されるか…!ある意味想定内だけど、いざ目の前にするとビビるなぁ!


「狂宴の熱は留まるところを知らぬ、やがてそれは喜びへと色を変える…!」


「えッ……!」


しかし、続いてルビカンテが手から出したのは…黄色の絵の具、それがルビカンテの拳を包んだ瞬間───。


「『五黄狂濤』ッ!」


「なッ…!」


モリモリとルビカンテの右腕が変形し肉が膨張し津波のように僕に迫ってくるんだ。あの変形…それに色は。そう考えながら僕は足裏の衝破陣を起動させ空に飛び上がり、膨張したルビカンテの肉の波を回避して屋根に飛び乗る。


……間違いない、今の色は…。


「それはファルファレルロの、肉体変化…!?」


「どうして使えるなんて言わないでくれよ、彼女達は私の分け身だと言ったはずだ…私が彼女達の力を使えるんじゃない、私の力を細分化させたのが彼女達なのだから!」


そうだ、ルビカンテは全ての源流。マラコーダもファルファレルロも全てルビカンテによって生み出されている…ならばその力もまた元はルビカンテの物。奴はただ一人で全ての悪魔達の力を使えるんだ…それも他の悪魔の誰よりも強く、巧みに。


無限に存在する感情、その全色を扱う…それがルビカンテ・スカーレットという女の力。


「喜劇に笑おう!喜劇を笑おう!サトゥルナリア!」


「何が喜劇だ、愚弄するなッ!」


ぶつりと膨張した肉を切り離し凄まじい跳躍力でこちらに向けて飛んでくるルビカンテを魔術陣で迎え撃つ。


「『衝破陣』!」


「魔術陣か…エトワール人らしい、だがあまりにひ弱だ…勢い余って縊り殺してしまわないか今から不安になってきたよ」


しかし真正面から飛んできたルビカンテの拳は僕の魔術陣を衝撃波ごと叩き砕き僕に向け尋常じゃないくらい速い蹴りを叩き込んで……僕はあえなく吹き飛ばされ、数棟家屋を貫通し瓦礫の中を転がることになる。


「ぅぐっっ……!」


「この程度かな?だとしたら期待外れもいいところだ…もっと私を満たしてくれると思っていたんだが」


ルビカンテの声が響く、その圧倒的な力の差が早くも露見しつつある。…けどそんなことはハナから承知済み。僕の全てが通じないことくらい予想していた…だからこそ。


シフトする、本来のやり方に……。


(戦い方を考えないと、真っ向勝負じゃ絶対勝てない)


瓦礫から這い出てそのままルビカンテの方に向かわず街の路地に身を隠すように移動を始める。そもそも地力からして違う、僕には正面から押し合って競り勝てるだけのパワーはない。


やり方を考える、罠に嵌めて…知力で上回って、それで勝つんだ。その為には、どうすればいいか。考えるんだ…環境を利用して、何がなんでも勝ちをもぎ取る。


「なんだかつまらない事を考えていそうだね、サトゥルナリア」


「ッ!?な…え!?」


が、しかし。ルビカンテは僕の動きを読んでいたのか…路地を出た先で既に待ち構えており、その手には一本の絵筆を握り、穂先にはオレンジ色の絵の具が滴っている……。


「乗って来いよ、つまらない回り道はやめてくれ…なぁ!『狂橙乱舞』ッ!!」


「ッ!」


その瞬間、オレンジ色の絵の具に反応し絵筆が槍ほどの大きさに肥大化し、ルビカンテはそれをグルリと振り回し周囲の全てに物を肥大化させる絵の具をぶち撒ける、それが家屋や瓦礫を染め上げ…狭い路地で足を止めた僕を押しつぶすように膨らみ出して───。


「『瞬風陣・志那都比古』!」


路地を一陣の風が吹き抜ける。魔術陣で風を生み出し咄嗟に後ろ方向に逃げたのだ。…と同時に先程まで僕がいた場所は超巨大化した家屋や瓦礫がお互いを押し合い衝突し崩れていく。


一瞬だ、一瞬判断が遅れていたら…死んでいた。


「啖呵は切るだけかな、私はここにいるよ!」


「ッ……」


そして崩れた瓦礫の中から巨大化した絵筆を手にしたルビカンテが現れ僕に狙いを定めている。細工をする時間もない、ルビカンテは常に僕を見ている、どうしてかは分からないが奴は決して僕を見失わないようだ…なら仕方ない。


真っ向から逃げながら、迎撃する!


「風よ!」


「アハハハハハハハ!追いかけっこかな!」


紅のプリンケプス大通りをバックで飛びながらカードとペンを手に迎え撃つ姿勢を取る。同時に高速で離脱する僕を追いかけてルビカンテが飛翔する。巨大な絵筆を片手に一足で音速に迫るほどの速度を出した奴の姿がすっ飛んでくる。


捕まってたまるか、近接戦じゃ絶対勝てないんだから!


「『剣天陣・稜威雄走』!」


「『狂戦黒爪』!」


空中に無数の魔術陣を書き残しルビカンテが通過する瞬間を狙い作動させれば魔術陣から無数の魔力刃が突き出て茨の道を作り出す、しかしルビカンテは絵筆槍を振るい魔力刃を黒い絵の具で塗り付け消し去っていく。あれはグラフィアッカーネさんが使った物体を消し去る絵の具か!


「ッこのぉ!『穿火陣・火遠理』!」


背後に向けて飛びながら一瞬で虚空に魔術陣を書き上げる、炎の槍を噴き出す魔術陣が赤黒い闇を切り裂いてルビカンテに飛ぶ…しかし。


「君は…!」


「あ!」


一撃だ、絵筆で軽く打ち払い一撃で僕の魔術が弾かれる。そしてそのまま更に加速し飛んだルビカンテは僕の目の前まで肉薄し。


「存外につまらない男だったんだね」


「ぅぐぅっ!?」


絵筆槍が腹に叩き込まれ、まるで僕の体はボールのように吹き飛ばされ家屋に叩きつけられ壁を崩し中へと転がり倒れる。


「私が八大同盟の盟主にまで上り詰める事が出来たのは、感情の悪魔を無限に生み出せるからでも夢世界を生成出来るからでもない、ましてやアルタミラに才能があったからでもない…何故か分かるかい」


地面に着地し、崩れる家屋に目を向けるルビカンテは語る。何故自分がここまで強いのかと、それは彼女が特異な存在だからではない…断じて。


「それはね、私が天才的な芸術家だったからさ。アルタミラの才能も覚醒の力もそれを支える下地でしかない、私が強いのは有史以来最高の芸術的感性を持ち合わせるからさ」


それは、エフェリーネさんの語った言葉と同じ。技術とは極めればまた別の技術に通ずる点がある…という話、美術を極めれば魔術にも通ずる、故に究極の感性を持つ彼女は同じく圧倒的なまでの魔術の才覚を持ち合わせていた。


「私にはね、世の真理が見えるのさ。観ること観られる事に長けるからこそ…見えるのさ、私だけの視界は私に感性を与える。感性は才覚になり、才覚は力となる。芸術家だからこそ私は強いのさ……それを、君にも期待していた」


絵筆槍を払い付着した絵の具を消し去り元の大きさに戻しながら崩れた家屋に近づくルビカンテは、失望したように語る。


「同じく、私同様芸術の究極に至る君ならばこの胸に滾る渇きを潤すだけの戦いが出来ると期待してここまで招いたのに…正直ガッカリだ、これならあっさり殺せてしまうよ。もういい、終わらせようか…サトゥルナリア」


そう口にしながらルビカンテはサトゥルナリアを押し潰している瓦礫を退けてその手をナリアにかざし────。


「おや?」


がしかし、居ない…そこに居ると思っていたのに、居ない。瓦礫の下には誰も居らず、代わりにそこには魔術陣が刻まれており……。


「チッ!」


瞬間、ルビカンテは瓦礫を盾に後ろに飛び退く。同時に魔術陣が爆発し周囲の瓦礫を吹き飛ばす。そんな中ルビカンテは牙を見せるように微笑む。


油断していたわけじゃないが、虚を突かれた。瓦礫の下にいるものと思っていた、それはナリアが動けないと踏んだからではなく、これだけの力の差を見せれば流石に諦めるだろうと思っていたからだ。


だが…まだ全く諦めていないどころか、ここまで強かに立ち回るとは…。


(これは、まだ面白くなるか…?)


盾にした瓦礫を捨ててルビカンテは周囲に目を走らせる、どうやらまだ戦いは始まったばかりのようだ。


…………………………………………………………


「さて、どこに行ったのかな」


ルビカンテはサトゥルナリアを探す。ルビカンテは常々言っているように『観られる事』に関しては神がかり的な感性を持ち合わせる。芸術家として数多の『見る目』に直面してきた彼女の感覚は見られる事に関して極めて敏感になり、自分を認識する存在を逆に認識するまでに至った。


それは当然、自分を目視する存在の事も視界に捉えずとも確認することができるし、なんなら別世界からここを認識している存在すらもルビカンテは認識出来ている。だから逆説的に今神が我々人間を見ていない事にも気がついている。


それほどの感覚を持つが故に、ルビカンテは常にサトゥルナリアの位置を特定出来る。サトゥルナリアがルビカンテを確認した瞬間ルビカンテもサトゥルナリアの位置を認識することができる、しかし。


「見られていない、どこに行った」


感覚が刺激されない、見られていない、サトゥルナリアが何処にいるか分からない。目が覚めて夢世界から出てしまったということもあるまい、余程のことがなければ目など醒めないから。だからまだこの街の何処かにいるはずだが…。


「……隠れているのか、いや…」


逃げ隠れして、言葉を切り抜けよう…などと考えていないのはさっきの魔術陣で明らかだ。あれば確実に攻撃の為の物だった…同時にあれは挑戦状でもあった。私を倒すという意思が込められていた。


ナリアはきっとまだ何処かで私を倒そうと計画を立てている。好きにさせれば本当に負けるかもしれない…なら私も本気を出さないとね。


「『狂楽緑堕』」


地面に緑色の絵の具を塗りつける、堕ちる享楽…自らを堕落させると分かりながらも享楽酔狂から抜け出せぬ人のサガ。堕ちていく恐怖すらも楽しむ…悪辣なる感情を具現化させる緑の絵の具。


それは地面に染み渡り…足元の石材を作り変え巨大なブリキの人形を作り出す。鉄の骨組みが露出し、足はなく腕は六本、牙のような鉄の突起が等間隔に並ぶ巨大な口を持ったゼンマイ仕掛けの魔人を顕現させる。


「壊せ」


その一言に反応し巨大なブリキ人形は手足をばたつかせ街を破壊しながらのたうち回る。足がないから這いずるように、苦しむように手足を打ちつけ街を破壊し周囲の景色を一変させる。


これで炙り出せれば…とブリキ人形の頭に飛び乗り周囲を見るが、まだだ…ナリアの視線は感じない。ここまで徹底していると…意図を感じるな。


(まさか、私の特性に気がついて…敢えて視界に入れないよう立ち回っているのか)


ふと気がつく、ここまで視線を感じないのなら…或いはサトゥルナリアは私の視線に過敏に反応する特性に気がついて立ち回りを始めたのではないか…と。ならつまり、ここでこうやって暴れて街を破壊するのは逆に悪手だったのでは…。


「む…!」


瞬間、ブリキ人形の動きが鈍るのを感じて咄嗟に飛び上がる。見てみればブリキ人形が手を打ちつけて破壊した家屋の下から魔術陣が現れ、魔術陣から飛び出た魔力の鎖が腕を絡め取り動きを拘束しているではないか。


やはり、隠れてあちこちに魔術陣をセットしていたな…ならここからは。


「来るかッ!」


やはり来た、正面の家屋の向こう側から無数の岩が飛んできた。だが相変わらず視線は感じない、私を観ることなく岩を投擲したか…だが一体どうやって私の細かい位置を、まぁいい。


「そこにいるのは確定だろう!」


蹴りで岩を砕き岩が飛んできた方向に目を向け────。


「あぉっ!?」


がしかし、岩を割った瞬間内部から岩が炸裂した。違う…この岩、一つ一つに魔術陣が───ええい!


「『真紅の憤慨』ッ!!」


両手から噴出させた赤の絵の具を振り回し、飛んできた岩が爆裂する前に融解させ燃やし尽くす。憤怒の赤は何もかもを消し去る究極の熱となる…小賢しい攻撃など効きはしない。


「そこかッ!」


そしてそのまま加速し家屋をぶち抜き岩が飛んできた場所に向かうが…。


「チッ!」


居ない、壁を突き破り狭い路地に出たが…そこにはサトゥルナリアはおらず代わりに岩を射出するのに使ったであろう魔術陣だけが残されていた。既に逃げられた後…いや。


「鬼ごっこのつもりかな?」


即座に右側に拳を振るい、飛んできた炎の槍を打ち払う。これはさっきサトゥルナリアが出した炎の槍と同じ物…つまり向こうか、と見せかけて。


「後ろだったりしないかい?」


敢えて誘いには乗らず背後に目を向ける、するとどうだ…今向こうの路地を何かが横切ったぞ。そちらかな…?


「そっちか!」


走る、何かが横切った路地に向けて走り抜け跡を追う。狭い路地を通って影を追いかける…追いかけて、追いかけて。


路地の奥、行き止まりにぶち当たったそこで…私は観る。


「これは」


私が追いかけていたのは…サトゥルナリアじゃない。彼が着ていた上着、それを石に引っ掛け魔術陣で飛んでいたものを追いかけていたのだ。つまりは囮…というか。


まずい、周囲を見ればここが行き止まりであることはすぐに分かる、ここに誘われたのは偶然か?偶然なものか…!


「ッ…後ろ!」


即座に振り向けば、この狭い路地における唯一の出口である後ろのから大量の水が流し込まれてきた。なるほど上着で路地に誘い行き止まりに閉じ込めた後、大量の水で押しつぶすつもりか、私の絵の具は水に弱いから絵の具でも防げない…いい手だ。


だが…!


「甘いねぇ…私が絵の具だけを武器にしていると、本気で思っているのかな」


他の悪魔に通じるような手が、私に通じるものか…ルビカンテ・スカーレットに通じるか。


「『攪拌』」


ぐにゃりと空間が歪む、この世界は私の夢なのだ。だからこそ現実世界なら世界の修正力に消されてしまうような空間干渉も当たり前のように行える。ぐるりと一回転、螺旋を描くように目の前の空間を歪め押し寄せる大量の波濤を歪め空間の穴の中に消し去る。


「アハハハ!いい演目だった…だが無意味だ!」


私を誘い込み嵌めたまではいいがこれくらいでは私は倒せない。そんな事も分からないのかな、彼は………ん?


「視線…!?」


水を完全に消し去った瞬間。何故か今の今まで感じなかった視線を感じる。それは右上…屋根の上、そこに咄嗟に顔を向ければそこには黒い布の目隠しを片方だけ外し私を観るサトゥルナリアの姿があった。


あの目隠し、やはり私の視線に反応する特性を読んでいたか。……いや待て。


(何かおかしいぞ…なんでそれを理解していて目隠しをとった)


今サトゥルナリアは私を見ている、私を見れば私もまたサトゥルナリアの位置を特定出来ると分かっているなら、何故わざわざ目隠しを取った?……いや、まさか!


「引っかかりましたね」


サトゥルナリアがチロリと舌を出した瞬間、先程消し去った巨大な白濤の中から…鋭い炎槍が飛び出し私の腹を穿ったのだ。


「ガハッ……!」


「僕が貴方を見た瞬間、貴方なら反応すると思いましたよ…だからそれを、逆手に取らせてもらいました!」


行き止まりに誘い込み、波で私を押し潰そうとしたのは…全てブラフ。波は中に隠した魔力陣が書き込まれたカードを隠す為のカーテン、目隠しを外したのは私の視線をサトゥルナリアに釘付けにする為の挑発。


私がサトゥルナリアを見た瞬間を狙い、視界外から炎の槍を放ち…私を穿つ為の策。なるほど…やられたよ。


ああ、いい作戦だ……けど。


「痛いじゃないか、サトゥルナリア!」


「ッ……!」


突き刺さった炎の槍を掴めば、ドロリと溶ける。傷口はない、火傷もない、悪いがこのくらいじゃあ私は倒れないよ。ダメージにもならないんだよ。


「もう少し、効くもんかと思いましたけど…」


「フフフ、さぁていつまでも攻め手が同じだと単調だろう?そろそろ展開を変えよう…次は私だ」


での中から灰色の絵の具をダラダラと垂らし、それに魔力を込める…さぁ次は私の番だ。


「『狂瀾怒濤之灰渦』ッ!」


灰色は風の色、全てを舞上げ吹き飛ばす突風となる。絵の具はグルリと渦巻きあっという間に天を突き刺すようなハリケーンへと変わり、家屋も床もサトゥルナリアも吹き飛ばし破壊する。


「うわぁぁああああああ!!!」


「ウフッ…アハハハハハッ!…はぁ……」


吹き飛ばされるサトゥルナリアを見て、ため息を吐く…結局この程度か…とね。


………………………………………………………


作戦は上手く行った、確かに炎の槍は当てた。その為に色々策を張り巡らせた、奴は視線に反応する…それは今までの会話でなんとなく察していた、だから目隠しをして動いた。音や魔力で凡その場所は分かったし、何よりルビカンテをどう動かして何をするという大まかな台本を組み上げていたから…奴を見ずに戦うことはできた。


だが、それも無意味に終わった。炎の槍で奴の腹を焼き開けても奴にはダメージが入らなかった。理由は分かる…奴の狂気が絶頂の最中にあるからだ。奴は狂っているから、求め続けているから、傷つかない。


それは人に注目されているカルカブリーナと同じ状態。違う点があるなら渇望の悪魔であるルビカンテは…その感情を自己完結で終わらせることができる点にある。


求める、というのは対外的な何かに依存することなく無限に欲することが出来る感情だ。つまりルビカンテは常に感情の悪魔として最高の状態を維持できる。


これをなんとかするには反対の感情を与えるしかない…だが、無理なんだ。


だって…渇望の反対は『満足』だ。ルビカンテを満足させるには奴の目的を達成させるしかないが…それをさせない為に戦っている以上この感情を奴に与えることは不可能。だから直接的な方法で倒すことを選んだ。


が…それも無理、初めて奴にクリーンヒットを当てても…意味がなかった。カルカブリーナのように傷が再生するなんてレベルじゃない、ダメージを与えた側から傷が癒えた、傷が出来なかった。これをどう倒せばいいというのか…。


「ゔっ…ぐぅぅ…!」


ルビカンテのハリケーンに吹き飛ばされて地面を転がる、どうやらルビカンテは本格的に攻勢に出るようだ。つまり今までやってたアレは完全に様子見のそれだったということ。ここからルビカンテの本気が襲ってくる。


「サトゥルナリアァッ!!逃げないと!また逃げないと死んでしまうよッ!」


「くっ!?」


咄嗟に顔を上げてルビカンテの声がした方を見ると…嗚呼、なんてことだ。僕は今どこにいるんだ?海か?いいや街中だ、なのになんで…今目の前で津波が起こっているんだ。


「地面が…波のように…!?」


石畳が形を崩さず、まるで地面が液体のように柔らかくなり…巨大な壁のように競り上がり迫ってくる。その様はさながら津波そのものだ。


逃げる、逃げるしかない。いや…逃げてどこに行く…逃げた後何をする。


「この…」


胸元のカードをばら撒きながら、立ち向かう。そこには作戦も何もない…ただ引きたくない一心で、使う…切り札を。


「魔術箋『嵐颶神須佐能袁舞』ッ!」


無数のカードに書かれた魔術陣と僕自身の魔術陣を組み合わせた魔術箋による一撃は強烈な風を噴射し、それは光線のように飛翔し目の前の岩の津波を破壊し跡形もなく消し飛ばす…がしかし。


「それは魔術箋か、少し前から疑問だったが何故君がイシュキミリの技を…」


「ハッ!?」


刹那、振り向いた瞬間僕の顔面に向けて拳が飛んでくる。岩の津波はブラフ、本命は…ルビカンテは僕の背後に回っていたんだ。それに全く気が付かないなんて…。


「ぅぐぅ……!」


「だが魔術箋は魔術陣を書き込んだ紙が無ければ発動しない、君はここで二度、ここにくる前にもさらに二度使っている。そのカードは後何枚ある?んん?無駄撃ちをしないほうがいいと思うが…」


「グッ…この!」


事実だった、僕の魔術箋には回数制限がある。僕が編み出している魔術箋は全部で四つ。


魔術箋『久那土赫焉』


魔術箋『水龍雨天高龗』


魔術箋『嵐颶神須佐能袁舞』


魔術箋『神霄雷公鳴電陣』


全部で四つ、そしてこれを一度発動出来る分しか持ち合わせていない。ここに来る前に一度久那土赫焉の分だけ補充したけど…それもさっき使ってしまった、そして他二つも使い…残すは魔術箋『神霄雷公鳴電陣』一つだけ…これを切れば、僕は唯一盟主に匹敵し得る一撃を手放すことになる。


使い所がまずかったのは分かっている、相手の攻撃を防ぐのに使ってしまったのが悪かった…けど、それでも…相手の攻撃は僕の魔術箋と同等のものがボカボカ飛んでくるんだ。避けられないものは弾くしかない。


そうしているうちにジリ貧だ。


「『瞬風陣・志那都比古』!」


「君の感性はそこまでのようだね」


「ぐっぅっ!?」


咄嗟に風で飛んで殴りかかったが、エリスさんのようにはいかずスルリと避けられ手痛い膝蹴りが叩き込まれ弾き返される。ダメだ…魔術箋なしじゃそもそもこいつにダメージも与えられないんだ。


「くっ…クソッ…!」


「はぁ……弱い、弱いよサトゥルナリア…策を弄しても傷一つつけられず、剰え軽く追い詰められただけで動転して切り札を切り、魔術陣を下手に扱いカウンターを受ける…残念ながら戦いという面において君は私の足元にも及ばないようだ」


ルビカンテから鋭い正論の指摘が飛ぶ。失望と嘆きのため息が耳に刺さる…。


「アルタミラを助ける、みんなの期待を背負う、結構だ。けれど…その程度じゃあ期待外れだ、狂気を自称する私が…熱狂する事もできないくらい、君は今私を冷めさせている」


「……うるさい…!」


「みっともない、これ以上立つな」


「ガァッ!?」


立ちあがろうとすると、蹴り飛ばされ地面を転がる。分かってるよ弱いことくらい、けどそれが言い訳にならないって思い知ったから戦ってるんじゃないか。どれだけ力が足りなくても…やらなきゃいけないことがあるから、勇気振り絞って頑張ってるんだ。


「頑張りが正当に評価されず嘆くかい、だがそういうものさ……丁度いい、手本を見せてあげるよ」


地面を転がり、それでも立ちあがろうとする僕に…ルビカンテは更に熱を持った吐息を吐き出し。


「芸術とは…狂気だ、現実から切り離し、世界から突き放し、見る者を狂わせる…それこそが芸術の本質、万人を狂わせる物があるとするならそれが究極の芸術だ、であるならば狂気で満たされた私は究極のそのもの…!」


渦巻く、魔力が渦巻いて天に立ち上り、空を覆う赤黒い雲が渦巻いて広がっていく。


「努力も何もかもを嘲る、それが私だ…至上の喜劇ルビカンテ・スカーレットだ。不甲斐ない役者に代わり本物の喜劇を見せよう…!」


そして、ルビカンテの赤い髪が…より一層赤く染まり…。


「『狂魘夢想』ッ!!」


世界が、ルビカンテ色に染まる。まるで彼女の赤が空間を支配したように大地と空が波打ち荒れ狂い、僕を巻き込んで暴れ狂う。


「ゔっ!ぐぅぁあああ!!」


「世界すらも支配下に置くこの感性!才覚!芸術性の発露こそ…最強の武器なんだよサトゥルナリア!」


大地が紅の剣山に変わり僕の体を切り裂いて吹き飛ばす、ルビカンテの果てなき狂気が…最高潮に達し爆発する。


強い、あまりに強い。芸術性の発露…これがルビカンテの芸術だというのか。嫌だ…嫌だ……。


認めたく…ない。


「ゔぅ……」


「どうかな、君の演ずる二流の演劇と…私の興じる至上の喜劇の違い。分かったかな?」


剣の山に埋もれ、全身を切り裂かれながら…見遣る。そこにはアルタミラさんのと同じ顔が僕を見て笑っている。


……ダメか、実力行使では倒せないのか。…本当なら、もう少し時間があれば…アルタミラさんと過ごしたあの日々で…ルビカンテを倒し得るだけの満足感を与えることが出来ていたはずなのに。それもロムルスによって失敗した。


渇望の悪魔を満たすだけの何かを作るには…今この場では何もかもが足りない。


せめて……せめて、ここに舞台があったなら、クリストキント劇団があったなら、僕の…僕の演劇でルビカンテを消し去れるだけの満足感を与えられたのに。僕一人じゃ…何もかも足りない。


「クククク……」


「………ん…?」


笑みを浮かべながらこちらに向かって歩いてくるルビカンテの背後に、何かが見える。それはそこにあるわけではない…所謂幻覚の一種なのかもしれない。薄らと向こう側が透けるようなそれが…それでも僕の目には確かに映る。


アレは……。


「アルタミラさん……」


そこには…辛そうな顔で何かに耐えているアルタミラさんが、見えた。そうだ…アルタミラさんも戦っているんだ、僕が傷つけられ、もしアルタミラさんが耐えきれず発狂でもしよう物なら…ルビカンテはそれこそ手のつけられない怪物になる。


彼女はずっと己と戦っていた、この夢世界で多くの人達が傷つく様を目の前で見せられても、強い心で耐えて…今も一人でルビカンテの見せる地獄に耐えている。


(アルタミラさん……僕は)


そんな辛そうなアルタミラさんを見て…僕は『彼女が戦ってるんだ、僕も諦めちゃいけない!』とは思えなかった。エリスさん達のように勇敢で優しい人ならそう思えたんだろうけど…やっぱり僕はエリスさん達のようには思えない。


ただ…代わりに、思ったのは…。


(そんな顔を、しないでください…貴方は笑っている方が、ずっと美しい)


こんな時にも、美しさと楽しさの話だった。でも本当に…本能的にそう思ってしまったんだ。笑ってくれと、そう思った。


けどそうだよな、笑えるわけがないよこんな状況で…だって今この世界は地獄で───。


(……この世が地獄なら、笑えない世の中なら…僕を見て笑ってくれ…)


違う…そうだ、この世が笑えないのなら…僕が笑わせる。笑顔にする…その為に僕はここまで来たんじゃないのか…!


何を弱気になっている、そうだよ…ああ、そうなんだよ。


僕は、役者だ。どこまで行っても役者なんだ…魔術師として強くなるのはもうやめよう、役者として強くなろう。


なら役者として強いってのはつまり…どういうことだ?魔術師としての強さは未だ曖昧だけど、その分野の強さなら…知っている。


「さぁ、これで至上の喜劇も幕引き、終わりだ…サトゥルナリア────」


「ぷっ…あはははははははっ!」


「……あ?」


「あははっ!ぶふっ…なははははは!」


笑う、腹を抱えて笑う。手に突き刺さった剣山を引き抜いて、血が足りなくてヨロヨロになりながら、笑えないくらいの重傷で。僕は笑う…ケラケラと笑う、その様にルビカンテは呆気を取られる。


けど笑う、それでも笑う、誰かを笑わせる奴はいつだって笑ってる奴なんだから。


「狂ったか?サトゥルナリア……」


「あははは…はぁー…ひぃー…ルビカンテ!これが笑わずにいられるか!君はさっきなんて言った?僕の二流の劇?君の至上の喜劇?ちゃんちゃらおかしくて…笑っちゃったよ」


「何……?」


そう思えば、思考が晴れる。地獄の世界が…色鮮やかに見える、今ならエフェリーネさんの言った言葉が…明瞭に理解できる。


「確かにこの世は地獄だ!笑えないくらい残酷で笑わない人達で溢れている!色褪せて濁っていてもう最悪だよ!」


「ならばお前も─────」


「だからこそ!」


クルリと体を回して、ルビカンテが操る大地の剣を避けて…格好をつけて、その上に立つ。この世は地獄だ、現実は残酷で笑顔なき人々が日々を過ごす…そんな世の中さ、これは変えられない。


だが、だからこそ…。


「色褪せた世界だからこそ、役者がいるんだ…最悪だと思える日々を彩るからこそ、美は美たり得る…。お前ようにただ受け入れるのではなく、風刺で茶化すのでもなく、真っ向から立ち向かい日々を変える!それが役者のお仕事さ!」


「随分高説を垂れる、なら変えられるか…今を」


「勿論…!僕は魔術師サトゥルナリアじゃない、世界最高の役者サトゥルナリアだからね」


エフェリーネさんは言った、人は星の光に焦がれ手を伸ばし、絵筆を取って絵を描いた。その全ては渇望から始まり、未だ飽くなき探求の中人々は絵の具を取る。役者とはそういう物で…美術とはそういう物だから。


だけどそんな美術にも究極はある。それが何かわかれば…僕は魔術の究極も掴めるかもしれないと。今僕は美術の究極と共にある…ならば、今ならば…行けるのではないか。


「さっきまでの前座をかき消すくらい、鮮烈でどうしようもうないくらいおかしくて楽しい劇を…見せてやる。だからアルタミラさん…!」


魔力を高め…手元に防壁を作り出す。普段ならそんなこと出来ようはずもないのに、今ならその防壁を操り形を作り、シルクハット型に成形することが出来た。


それを頭の上に乗せ、僕は剣の先に立ちクルリと回ってポーズを決める…今そこにいる君に、この劇を送る。


「笑えない世の中よりも僕を見て、僕の織りなす世界を見て!笑えッ!これは君の為の演劇!題目は……!」


そのままターンでシルクハット型の防壁を投げ飛ばし──開演する。


「魔力覚醒ッ!!」


「なに……!?」


さぁ見せるぞ、僕の集大成…否、サトゥルナリアという人間の真骨頂。これが僕の見せる究極の美!演目の名前はもちろん!


「『ラ・マハ・デスヌーダ』ッ!!!」


投げ飛ばしたシルクハットが光り輝き、空間を満たし彩る。その瞬間僕の魔力が渦巻き、僕に応えるように力を与え…僕が思う『最強の形』を顕現させる。


「ぐっ……目眩しか…ん?」


光に包まれた世界はすぐに元に戻る。だが……。


「何も変わっているようには見えないが?」


「………」


そこに変化はない、サトゥルナリアの姿に変化はなく、魔力もたいして増えていない。本当に全く変化がないのだ、強くなってもいないし姿も変わらない。そんな覚醒なんかあるわけがないとルビカンテは鼻で笑い。


「まさか失敗したのかい?ふふ…結局その程度の……ん?」


ふと、ルビカンテは見る。それは近くの物陰だ、瓦礫の陰で何かが動いた、それに反応し彼女がそちらを見ると…その物陰に目を向けると。


『アッアッ…見つかっちゃっタ…』


「は?サトゥルナリア?」


その物陰にいたのはサトゥルナリアだ、慌ててルビカンテは視線を僕の方に戻すがやはりサトゥルナリアはそこにいる、だが物陰の方にもいる。やや淡い光を放つサトゥルナリアは物陰からチラチラと顔を出してルビカンテを見ている…。


「二人に増えた…?い、いや…視線が増えている、二人じゃない…三人でもない」


『ここにもいるヨ…』


『見つけてネー…』


『こっちこっチ〜!』


「……何人いるんだ…!?」


ひょこひょこと全ての瓦礫から、崩れかけの家屋から、なんなら僕の後ろからも…淡い光を放つサトゥルナリアが次々と顔を出し、あっという間に数えきれない人数へと増殖する。その全ての視線を感じるルビカンテは頭を抱え…。


「視線の数が…百…二百?いやもっと?五百…七百……千ッ!?」


「そうだよ、これが僕の魔力覚醒…『ラ・マハ・デスヌーダ』。そして…これこそが!来い!」


パチンと指を鳴らせば…一千人の僕が物陰から飛び出す、そう…これがラ・マハ・デスヌーダ…僕の覚醒の力。


「『千人役者・莫逆のコロス』ッ!今からお前が相手にするのは世界最高の役者だけで構成された千人劇団だッ!覚悟しろよ狂気の渇望!あっという間にお前を…満足させてやる!」


『『『おおーーー!!』』』


「な…な…なぁッ!?!?」


『劇団を作り上げる覚醒』…それこそが僕の覚醒、そしてこれを発動してしまった以上ここから先は喜劇でも悲劇でもない。


僕の…独壇場さッ!!!!

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― 新着の感想 ―
師匠の極致が世界を舞台に変えていたように、美の極致に辿り着いたナリアもまた役者としてこれ以上にない覚醒が発現してしまった。
くれぐれもお身体に気をつけて、ご自愛ください。弟子たちの活躍を見るのが生き甲斐なので…! これでついに8人の弟子達が第二段階到達ですね!ナリアの覚醒…劇団を作り上げる!?千人とな!?面白いですねー …
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