665.対決 狂愛のロムルス・フォルティトゥド
………………レムスへ。
レムス、私は君を愛している。回りくどいのは嫌いだから端的に言うよ。愛してる、愛してる、君を思うと腹の下の方が熱くなる、これ以上ないくらい君を愛している。
君の笑顔が好きだし、君の涙が好きだし、君の吐息が好きだし、君の血さえも愛おしい。こんなにも人を愛したのは初めてだ。レムス、君は私の人生であり全てだ。
レムス、私は君を愛している。けれど私は君と人生を共にすることは出来ない。フォルティトゥドの因縁で私もまた望まぬ相手と結婚しなくちゃいけなくなった。
名前はパラティノ、浅ましい女だ。フォルティトゥドの権威に釣られてやってきた癖をして私の本性を知るなり軽蔑を始めた醜い獣のような女、あれと子供を作らなければならないと思うと今からでも吐き気がする。
出来るなら君と結婚したい、けどそれはフォルティトゥドが許さない。出来るなら君と子供が作りたい、けれどそれは神が許さない。
ああ、レムス。こうして文字に起こすだけでも幸せだ、君はどうしてそんなにも麗しいんだ。君と結婚がしたい、例え誰と結婚しても、例えどれだけ離れていても、私は君への想いを忘れない。
永遠の恋心をここに……ロムルスより。
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夢の世界に引き摺り込まれたナリア達は数多くの助けの上で第一円『絶望のカイーナ』を攻略し続く第二円「狂気のアンテノーラ』へと足を踏み入れた。
全てはこの戦いを終わらせ皆を夢の世界から解放する為、そして囚われたエリス達を助ける為…アルタミラを助ける為。第四円にて待つルビカンテと元へと向かっていたその最中…立ち塞がったのは姿を消していたはずのロムルスだった。
ルビカンテによって夢の世界に取り込まれ彼女の狂気に当てられ暴走したロムルスと色鬼と化したフォルティトゥド家達が立ち塞がり、僕達の道を阻む。それだけなら良かった、戦えばいいだけだったから…ただ問題があるとするなら。
「ハルさん!ハルさんってば!聞こえないのかよ!」
「ゔぅうううう!!」
「くぅ〜!なんか強くなってないっすか!」
雪を踏み締め走るステュクスさんを追いかけ高速の斬撃を見舞う漆黒の色鬼…ハルさんが容赦なく攻め立てる。
色鬼の中にハルさんもいた、ルビカンテは全てのフォルティトゥドを一晩のうちに夢の世界に取り込んでいたんだ…その中には当然彼女もいた。絵の具によって自我を奪われ暴走した彼女に声は届かない。
ステュクスさんは終始やり辛そうだ…なんせハルさんは恩師の一人であり、何より友人だ。そんな彼女が容赦なく攻めてくるんだ、戦いづらい事この上ないだろう。
せめてハルさんだけでも解放したい…そう思ってるんだが、そういうわけにも行かないんだよな。
「アハハハハーーーッッ!」
「ロムルスッ!ぶっ殺してやるッ!!」
黒蒼の空で衝撃波が乱発する。双剣を手繰るこの階層の番人ロムルスとリーベルタースのクランマスターストゥルティさんが崩壊したアルシャラを高速で飛び交い斬り合っているのだ。
元より因縁のある二人の戦いは苛烈を極めている。何よりロムルスが荒れ狂うほどに下の色鬼達も猛り出し暴走していくんだ。
「ぐぉおおおおおお!」
「くっ!危なっ!」
「クソッ!こいつら上の色鬼よりずっと強えぞ!」
崩壊したアルシャラの広場にてナリアとルビーは背を預け合いながら周囲を囲むフォルティトゥドの色鬼達と戦い続ける。上に居た色鬼達より遥かに強い…そりゃそうだ、ただの民間人であの強さになっていたんだ…エリート軍人の家系であるフォルティトゥドが色鬼化したらそりゃあもう比べ物にならないくらい強くなるに決まってる。
「どぉりぁっっ!!」
「ぐぅぅ…ゔぅぅうう」
「くそぉぉー!こいつら頑丈だよ!ナリアさんどうしよう!」
「上の色鬼同様…倒すことではなく突破する方向に舵を取るべきでしょう」
「突破って言っても、どうすんだよ…上ほど戦力ねぇよ」
「……まぁ、それは後で考えましょう」
「後でって…今現在のしかかってる問題だろこれ」
「いえ、今のしかかってる問題は…ストゥルティさんです」
「ストゥルティ?」
そう、突破する事が問題なのではない…突破にはストゥルティさんが必要なんだ、だが彼は今冷静さを失っている。なんとかして落ち着かせないと…けどロムルスとストゥルティさんの問題は根深い、簡単には解決できないか。
「ルビーさん、一人でもやれますか?」
「えっ!?あたし一人!?……ああ!やれる!」
「すみません!倒す必要はないです!ただ色鬼の気を引いておいてください!」
「任せろ!懲罰隊からのらりくらり逃げ回ったあたしの立ち回り見せてやるぜ!オラ来いやボケ共ォッ!!」
ルビーさんに色鬼達を任せる…とはいえあまり長時間一人には出来ない。その間に僕は…今のしかかってる問題を解決しに向かう。
…………………………………………………………
「ゥワハハハハハハ!なんだいなんだい君そんなに臆病だったかな!私から逃げないでくれよ!」
「くっ!こいつ…ルビカンテに強化されてるってのはマジらしいな…」
斬撃の雨が降り注ぎアルシャラの瓦礫を切り裂きながら追い縋るロムルス、その斬撃を弾きながら後ろに向けて飛ぶストゥルティは舌を打つ。
ストゥルティは一度ロムルスに勝っている、そこには明確な差があったしタイマンなら今でも負ける気はしない…ロムルスも俺には勝てないと思っていた。だから今までノータッチだったわけだしな。
だが今はどうだ…今のロムルスは俺に匹敵するくらい、いや上で手がつけられないレベルで暴れてたマラコーダ達と同じレベルの強さにまで強化されてるんだ。
「情けないぜロムルス!テメェはもっとプライドがある奴だと思ってた!なのにルビカンテなんて得体の知れない奴から与えられた力で大喜びか!?浅はかなんだよお前は!」
「これは私自身の力だよストゥルティ!ルビカンテの力を取り込んだのも私の力の強さ故!フォルティトゥドは強さの象徴!私は強い!」
「話もできなくなってんのかテメェ…だが」
クルリと鎌を手元で一回転させ持ち直す、向かってくるロムルスを見据える。大きく息を吐き呼吸を整える、確かにロムルスは速く強い、だが…そうだとしても。
「気に食わねえなッ!貰い物の力程度で勝てると思われる程俺は弱く映ってるかッ!!」
「ゔぅっ!?」
一閃、地面に叩きつけるような軌道で鎌を振るえば放たれた風圧と魔力衝撃が向かってきたロムルスを吹き飛ばし瓦礫に叩きつける。
ロムルスは速く強い、だがそれでも…俺の方が負けることはありえねぇ。
「ぐっ…あ、相変わらず強いねぇストゥルティ…それでこそだ」
「喧しい、けど俺もルビカンテに感謝しなきゃならねぇかもな…テメェぶっ殺すいい機会を与えてくれたんだからな…!」
「ふふっ…まさかあれからずっと私を憎んでいたのかい?私の事を」
「当たり前だろうが…クズ野郎!」
こいつのせいで俺達兄妹がどんな目に遭わされたか!ロムルスは積極的に他の親族達と結託し俺達兄妹を除け者にし迫害し続けた。挙句俺を追放し…ハルモニアの人生さえ歪ませようとした!こいつだけは許せない、こいつだけは生かしてはおけない!
「テメェの素っ首刎ねて終わりだ!ロムルス!」
「フフフッ……!」
鎌を大きく振りかぶり起きあがろうとしているロムルスの首を狙う、こいつ殺せばこっちの問題は諸々解決だッ!!
死ね…そんなドス黒い殺意を込めて鎌を握る手に力を込め一気に振り抜い────。
「来い!ハルモニア!」
「なッ!?」
瞬間、ロムルスとストゥルティの間にハルモニアが現れる。ステュクスを狙っていたハルモニアが一瞬でロムルスの前に現れたのだ…或いは転移魔術にも似たそれを前にストゥルティの動きは停止する。
「は、ハルモニア…!」
「…………」
動けない、斬れない、民間人の色鬼は容赦なくぶっ飛ばすし親族の色鬼もぶっ殺す勢いでボコボコに出来る、だがハルはダメだ…ハルモニアはダメだ。こいつだけは…例え傷つかなくとも攻撃出来ねぇ…!
「アハハッ!!やっぱり動きが止まったね!」
「ロムルス…テメェ!」
そしてハルモニアの影から現れたロムルスの斬撃を防ぎ、ストゥルティは吹き飛ばされる…雪に線を残し地面を滑り、忌々しげにロムルスを睨む。
「ハルモニアはね…君がどれだけ言おうともフォルティトゥドの人間なんだ、私の手駒なんだ、私に人生を握られ、私に使われ隷属する存在なんだ…これがあるべき形なんだよ」
「……………」
ハルモニアの肩を抱きニタリと笑うロムルスに、怒りのあまり気がおかしくなってしまいそうな程激昂するストゥルティは鎌を握り直す。だがそうだ、実際そうなんだ…フォルティトゥドの人間はロムルスに支配されている。
ダイモスも…他の奴らも、おかしくなっちまったのはロムルスのせいなんだ。それが嫌で俺は反抗し…そして負けた。
「アハハッ!!君はまた負ける!同じ手で負ける!君一人で抗おうとも私の手元にはハルモニアがいる!それが変わらない限り君は勝てないッ!」
「…………」
「私に隷属しろストゥルティ、今度は追い出すなんてことしない…一生首輪を嵌めて飼ってあげるよ!」
「吐かせや…誰がテメェに頭なんか下げるか。逆だろ…テメェがッ!」
爆発する、ストゥルティの足元の雪が爆裂し白い柱となり…ストゥルティの姿が消える。跳躍したのだ、目にも止まらぬ速度でロムルスの視界から消えたんだ…そして。
「テメェが!頭下げてこの世から消えろやッ!」
背後からロムルスに斬りかかる。鎌が鋭く光を放ちロムルスの首を狙い…。
「学ばないね君も」
「ッ……!」
がしかし、ダメ。再びハルモニアがロムルスを守るように立つ、ロムルスが指示をするまでもなくまるでハルモニアが意志を持ってそうするように動くんだ。こうなったらもうストゥルティは何も出来ない…再び鎌が止まり。
「私に従わないならそれでいい…もう死ねッ!ストゥルティ!」
「ぐッ…!」
鋭い双剣がハルモニアを押し退け突き出されストゥルティの心臓を狙い突き放たれる。前と同じ…前と同じ方法で負ける、ロムルスはハルモニアを盾にすれば勝てると知っているから、どの道俺には勝ち目が────。
「邪魔だァッッ!!」
「ぐげぇぇええ!?」
────しかし、ロムルスの刃が俺を切り裂くよりも前に何処からか飛んできた蹴りが俺の頬をぶち抜き彼方へ吹き飛ばす。え?俺蹴られた?は!?誰だよ!
「いってぇな!!なんだよ!」
「なんだよはお前にゃ!ストゥルティッ!」
「ネコロア!?」
俺を蹴り飛ばしたのはネコロアだ、そしてそのまま杖を振るいロムルスの剣を弾いたネコロアに俺は激怒する。いや助けてくれたのは分かるけど!もっと優しくしろよ!普通に痛えよ!
「ストゥルティ!お前何ナメたことしてるにゃ!こんな女ぶっ飛ばしてロムルスも斬り殺せばいいだろうが!」
「そうはいかねぇよ…そいつは俺の妹なんだ!だから……」
「散々民間人斬り飛ばしておいてよく言うにゃ、割り切れ割り切れ…それが出来ないなら、やる気がないならお前はもう戦わなくていい」
「ッ……」
「ロムルスとは我輩がやる…お前はそこで見てるにゃ!」
「ふぅん、次は君が相手かい、なんでもいいけどねぇ!」
何も言い返せなかった、割り切れ…と言うのはまさしくそうだろう。色鬼の耐久力はもうわかってるじゃないか、ハルモニアだってきっと平気だし…自我があるならきっとそうするように言う……ってのは都合のいい妄想か。
でもどの道ハルモニアが近くにいる以上俺はロムルスと戦えないのは事実…情けない話だ。
「ぅおりやぁあああ!『天花ニャンニャン』ッ!」
「ふふははは!いいのかい!私を攻撃すれば君の仲間の妹が!ハルモニアが傷つくぞ!」
杖の先に弾力性の高い防壁を集め魔力の槌としてロムルスに殴りかかるネコロア、しかしロムルスはまたもハルモニアを盾に使い───ってアイツまさか!
「知るか誰じゃそいつぅぅうッッ!!」
「ギャアーッッ!!ネコロアてめぇーっ!!!」
殴り飛ばす、普通にハルモニアの事も殴り飛ばしロムルスに襲いかかる。いや分かるけど!ネコロアからすりゃ誰じゃそれかも知れないが!何すんだアイツ!
ああ!ハルモニアが殴り飛ばされて…吹き飛ばされて…転がる。俺の前に。
「ゔぅぅうう……」
(俺の前に…まさか、ネコロアの奴)
ハッとする、まさかネコロアは態と俺とハルモニアを吹き飛ばして…ロムルスと分断したのか。同時に容赦なくハルモニアを殴り飛ばす事でネコロアにはハルモニアの盾が効かない事を見せつけロムルスの防御に使われないようにした…。
全て考えて、アイツはこれを……。
(ヘッ、修羅場で昔の感覚が蘇ったか…すげぇぜネコロア)
ネコロアはロムルスと斬り合いながらこちらを見る。その視線はまさしく…『今のうちに妹をなんとかしろ』そんな風にも見える。
「ぅゔううう……」
「ハルモニア…、目を覚ましてくれよ……」
「ゔぁあああああああ!!」
「くっ!」
呼びかけるが、声が届かない。ハルモニアは俺が誰かも分からず斬りかかる…その速度は俺が知る物より数十倍は速く、油断すると持って行かれそうだ。
振るわれる斬撃を剣で弾きながら…それでも俺は呼びかける。
「ハルモニア!聞いてくれ!目を覚ませッ!ルビカンテに飲み込まれるな!」
「ゔぁあああああああ!!!」
一度は置いて行っちまった妹だが…それでも妹なんだ、せめて…救わせてくれよ。
…………………………………………………………
「ストゥルティの奴、妹の呼びかけに入ったにゃ…あれで妹が目覚めてくれりゃ御の字なんだがにゃ」
ネコロアが動いたのはストゥルティと言う大戦力を動かすためだ。敵にハルモニアと言う駒がある限りストゥルティは冷静になれない、何よりロムルスという敵の大将と正面切って戦わせるにはハルモニアの攻略が最優先。
だからストゥルティには妹をなんとかさせる、目覚めるかは分からないがそこに賭ける…そして私は。
「邪魔をしないでくれよクソ女!」
「口が悪いにゃあこの国の副将軍様は!」
振るわれる斬撃を杖で受け止めクルリと身を翻し全身でロムルスの斬撃を払いのけながら石突きでロムルスの足を払う…がそこは相手もやる物で即座に避けられる。
「この!小賢しいわッ!!」
「フッ!!」
両手の剣をめちゃくちゃに振り回し周囲の瓦礫を全て細切れにする勢いの斬撃の雨が降り注ぐ…が、ネコロアもまた杖を中頃で持ち高速で回転させながら左右に振るい全ての斬撃を弾き落とす。
その冷静な動きに思わずロムルスも目の色を変え…。
「お前…結構やるね」
「光栄だにゃあ、副将軍様に褒めてもらえるとは…!」
「どうだい?君結婚の予定はあるかい?私の親戚に結婚出来てない奴がいるんだけど」
「はぁ、五十超えたババアに何言ってるにゃ!」
「そいつは残念!」
縦横無尽に駆け巡るロムルスの斬撃を的確に防ぐネコロアは静かに呼吸を整えながらその動きを観察する。
(なるほど、こりゃストゥルティも手を焼くはずだ…動きが剣士のそれじゃない。所謂我流…やり辛い上にこの速度。全く…私は傭兵冒険者じゃねぇってのに)
ロムルスの戦闘スタイルは恐らく高速で相手を切り刻むスピードタイプ。出来るなら遠距離から魔術で仕留めたかったが諸事情あって近接から始まってしまった。
いつまでも防げる物でも無いし…ここは一気に決めるか。
「『ぷにぷに防壁』ッ!」
「ぬぉっ!?」
高速で飛び回るロムルスの進行方向に杖を向け弾力のある防壁を生み出し、ロムルスを空中で弾く…と同時に杖を回し。
「『サイクロンブースト』ッ!」
杖を地面に向け大きく仰ぐと大地に降り注いだ雪が舞い上がり吹雪を纏った竜巻となり弾かれロムルスを捉える。
「ぐっ!?小癪な…!」
「小癪で結構、死ぬまでチクチク針で刺すのが冒険者のやり方にゃ!!そらおかわり!『アースブレイク』ッ!」
更に地面を爆破し竜巻に石飛礫も追加し雪と岩でロムルスの体をズタズタに引き裂いていく…はずだった。
「だから言ってるだろ!小癪ってッッ!!」
「おっと」
斬撃によって岩も雪も竜巻さえも切り裂き、逆に岩を足場にネコロアに向けて突っ込んでくるのだ。飛んできたロムルスを前にぷにぷに防壁をトランポリン代わりにし空中へ逃げる。
がしかし、その動きを…ロムルスは確かに目で追っていた。
「ウザいんだよクソ女…!消えろ消えろ消えろ消えろ…!」
(む!やばい予感!)
「消えろよクソアマァァアアアッッ!!」
その瞬間、ロムルスの体から大量の炎が噴き出す。紫色の炎だ、彼の体のあちこちを染める紫の絵の具から吹き出したそれは上に逃げたネコロアを捉えるように火柱を形成し轟々と燃え上がる。
「ぐぅっ!?炎!?魔術じゃ無い…なんだあれ!」
「ぐぅぅううう!ウザいんだよ女ぁ…女はいつだってそうだ、いつだっていつだって…!」
防壁で自分の体を弾いて炎の中から飛び出したネコロアはゴロゴロと雪の上を転がって体についた炎を消火する。がしかしロムルスの体を包む炎は消えず…寧ろより一層燃え上がる。
詠唱はなかった、覚醒もしていない、ならあの炎はなんだ…。
(あの感じ、感情の昂りと共に力が表出する感じ…感情の悪魔に似てる。そう言えばアイツ力を取り込んだとか言ってたな…じゃあもしかして)
今のロムルスは…感情の悪魔そのものと化しているのかもしれない。マラコーダやスカルミリオーネが見せたあの力に近い物を扱えるのだとしたら、厄介極まりない。
「女はいいよなぁ!女扱いしてもらえるものなぁッ!」
「何訳わかんねーこと言ってるにゃ!女扱いしてもらうために女がどんだけ頑張ってるか知らんのかお前!」
「知らねェーよォーッ!!」
炎が噴き出し雪を溶かし石材すらも焼き溶かす。やがて灼熱の炎はロムルスの双剣にも宿り…感情の炎は更に燃え上がる。
「私だってなぁ!ボクだってなぁ!愛する人の!特別になりたかったんだよォッ!!!」
「ゔっ!」
先程よりも更に速くなったロムルスが炎と共に飛び上がり紫閃の斬撃を振るう。石を焼き溶かし、溶かし斬る斬撃を前にネコロアは防御を諦め小さな防壁を足元に無数に生み出し高速で飛び回りながら逃げ回る。
「それなのに!望まない女と結婚させられ…!この苦しみがお前に分かるか!」
「そもそもお前の身の上話に興味がねぇ!『アクアブラスター』ッ!」
距離をとりながら水を放つが…まぁダメだ、炎が水を消し去りまさしく焼け石に水。寧ろ下手な抵抗はロムルスの怒りを更に買い…。
「ボクはレムスと結婚したかったんだーッ!!」
「まずっ…!」
咆哮と共に放たれた紫炎を前にネコロアは逡巡した。回避と防御…どちらも不確実と言えるくらい速いロムルスの紫閃を前に一瞬迷ったからどちらの選択も取れなくなった。まずい、ここまでか……いや!
「『湾曲陣・祓戸』!」
「待ってたにゃ!援軍!」
「すみません遅くて!」
やはり来てくれた、援軍。ナリア君だ、咄嗟に私の前で魔術人を空中に描き上げ紫閃の方向を逸らし私を守ってくれたんだ。やっぱり来ると思ってたよ…なんでって?仲間ってのは信じるモンだからだ。
ってのは建前、本当は。
「ストゥルティさんを万全に動かせるようにするにはロムルスとハルモニアさんの存在がキーです!ストゥルティさんがハルさんを目覚めさせるまで…僕達でロムルスを抑えましょう」
「だぁあにゃ」
ナリア君は人の感情を読み取るプロだ、逐一相手の反応を理解し都度適切な動きが出来る奴なんだ。本人は役者だからとかなんとか言ってるがその技能はもう立派に実戦級の魔術師のものだ。
「一緒に戦ってくれるかにゃ、心強い。ロムルスは感情の悪魔と同じ力を持ってるにゃ…つまり奴も何かしらの感情に由来する力を持つってことだよにゃ、あれはなんだにゃ」
「決まってますよ、本人も言ってるでしょう…愛ですよ」
「あ、愛?」
ナリア君は静かに頷く、ロムルスが愛の悪魔?なんつーかそんなロマンチックな奴には見えないが…。
「ああ!レムス!レムス!愛しい!今も愛しいよボクは!」
「いや…あれは愛というより、狂愛ですね」
「狂愛…そりゃなんだにゃ?」
「愛とは脆い感情です、報われれば光となり報われなければ闇となる。彼の愛は報われず闇に堕ち間違った方向に育ってしまった…それが狂愛」
曰く、愛という感情が肥大化し狂い果てた物が狂愛らしい。ナリア君がいうに狂気とは感情ではなく感情に付随する作用の一つ…何にも過剰反応を示す状態を指すと。なるほど、と言われりゃ確かに…ありゃちょっといろいろ過敏すぎるにゃ。
「ロムルスさん!貴方は…禁断の愛に焦がれていましたね。それはつまり…そのレムスさんとの恋が報われなかったからこそ!貴方はあの時禁断の愛という絵画の前で涙を流した!」
「……見ていたか。ああそうだよ、私はレムスと言う真に愛する者がいた…けれどフォルティトゥドの宿怨が私とレムスを切り裂いた…私だって、本当はレムスと結婚したかったのに…」
「言い分は分かります…けど、その結果がこれですか!」
ナリアが両手を広げる、背後には色鬼となり暴走し暴れるフォルティトゥド一族が見える。全てはロムルスの暴走から始まった、全てはロムルスが起因だった…そして何よりロムルスの起因はレムスなる人物へ恋心だった。
歪んだ愛が、フォルティトゥドと言う特異な一族を歪め切ったのだ。
「私が幸せになれなかったのに…他の親族が幸せになるなんて許せる訳ないだろ…」
「あまりにも身勝手すぎます…!」
「身勝手で結構!親や祖母の勝手に今まで付き合ってきたんだ!私が勝手をして何が悪いッ!!」
「ッ…ネコロアさん!」
「あいよ、気張れやッ!サトゥルナリア!」
ネコロアは悟る、この戦いは心の戦いだ。ストゥルティとハルモニアという二人の兄妹の感情のぶつかり合い、ロムルスの暴走という感情の発露、そしてそれを止める為奮起するサトゥルナリアの勢い…全てが感情に由来する。
であるならば、この戦いの前にルビーが語った『この中で最も戦う理由があり、熱い奴』であるサトゥルナリアにこそこの状況を変えられる何かがあるはずだと。故に…。
「魔力覚醒ッ!『六壬天符・九天玄女ニャンニャン』!サトゥルナリア!お前はやりたいようにやれ!サポートは私がするッ!」
「ありがとうございます!ネコロアさん!」
サトゥルナリアに賭ける。足りない部分は私が身を削ってでも補う。今ここで求められているのは勝利のみ…であるならば、如何様にでも立ち回ろうとネコロアは魔力覚醒により魔力と魔術に弾性を付与し、生み出したゴムのような魔力で自分とナリアを打ち上げる。
さぁここからだ…!
………………………………………………………………
「レムスッ!レムスッ!レムスぅううううう!!」
「狂愛の炎…身を焼き尽くし滅びを与える最悪の感情。ロムルス…貴方はルビカンテに飲まれる前から狂っていたんですね」
崩れ去ったアルシャラの路地を走りながら炎を吹き出しながら暴れ狂うロムルスから逃げる。元から強かったロムルスだが感情の悪魔としての性質も受け継ぎ最早手がつけられないくらい強くなった。
感情の悪魔は魔力覚醒者級の強さを持つ…つまり今のロムルスは覚醒と同程度の力を発揮しているということ。真っ向勝負じゃまず僕に勝ち目はない…。
けど……!
(感情の悪魔であるなら対処法はある!)
あれは狂愛の悪魔だ…なら狂愛と相反する感情を与えればいい。狂愛の反対は『絶望』だ…と言えば言い方は悪いが、結局のところ狂愛とは言い換えれば『終われない恋』だ。
恋とは人にとって最大の非日常、時が経てば経つ程に人は恋に焦がれる。だが恋はいつまでも恋のままではいられない、例えば恋心を忘れることもあるし告白し振られ諦めることもあるし、成就し恋が愛に変わることもある。
つまり恋とは通過点、大きくなった末に別の感情に変わる…がロムルスは何があったのかは知らないがレムスへの恋心を失えないまま恋心が肥大化した結果…。
愛ではなく恋は恋のまま狂気の愛…狂愛になった。彼に今必要なのは恋心の終わり…即ち絶望なのだ。
(一番はそのレムスなる人物にここに来てもらってキッパリ振ってもらう事が一番なんだけど、そんなの無理だしな…じゃあどうすればいい。どうすれば奴の恋を終わらせる事ができる)
「逃げ回るなよ…!お前ェッ!!」
「あ!やばっ!」
ロムルスの紫色に輝く瞳が僕を捉えて、彼の体から溢れる業火が僕に迫る。速い…まず速い、これを避けるのは難しい、けど。
「ナリア!」
「はい!」
ネコロアさんの声が響く、同時に僕は飛び上がりながら虚空に足をつく…すると僕の体は何かに弾かれたように飛び上がり業火を軽々と飛び越すんだ。
ネコロアさんだ、彼女の覚醒は魔力や魔術に弾性を与える覚醒。僕のために柔らかくした魔力をそこかしこに配置して立ち回れるようにしてくれているんだ。
「どうだ!なんか浮かんだか!」
「まだ何も!」
飛び上がった先には同じように魔力をトランポリン代わりにして飛び上がったネコロアさんがいる、彼女は僕の答えを聞くなり少し考え込み。
「私は見ての通り、生涯独り身を貫いてきた孤独な女だ……にゃ」
「あの、難しいならこの状況でもにゃとかにゃんとか言わなくてもいいのでは」
「はぁ…私は愛だ恋だは分からない。あれの攻略法なんて見当もつかない…だから君はロムルスをなんとかする方法を考えてほしい、それ以外の些事は私が請け負う…いいな?」
「え、ええ…」
キャラ作りをやめたネコロアさんはなんというか…やけに理知的に見える。この人猫キャラでやるよりこういう落ち着いた雰囲気でやった方がいいんじゃないか?普通に実力もあるし何より経験も豊富だし…。
なんて事考えてる場合じゃないな!それよりロムルス攻略だ!一応今浮かんでるプランは一つあるけどそれはまだ使えない…なら、別のアプローチで!
「いい返事だ、さぁ行くぞ!」
「はい!」
「レムス!私を見てくれ!感じてくれェッ!」
燃え上がるロムルスに向け突っ込んでいく僕とネコロアさん、近づけば近づく程に業火の熱はヒシヒシと伝わり…やがて炎は敵意を持ち始める。
「ッ私は!お前らが気に食わないッッ!!」
大きく剣を振りかぶる、燃え上がり熱の柱と化した剣を後ろに引いて僕達に狙いを定めたロムルスはそのまま一気に剣を振り抜き。
「『マルキウスの惨火』ッ!」
一振りで大量の炎の渦を作り出し、地上は一気に地獄の様相と化す。同時に炎は噴き上がり僕達に向けて飛んでくる…だが、任せたんだ。『些事』は!
「『水母ニャンニャン』ッ!」
ネコロアさんの杖から放たれたのは大量の水球。それが僕達の周りを浮かび次々と迫り来る炎の柱を弾き返す。どうやらこの水球は炎であっても弾き返す性質があるようでロムルスの猛攻さえモノともせず防ぎ切る。
「今だ!ナリア君!」
「はい!魔術箋『水龍雨天高龗』!」
カードをばら撒き放つのは魔術箋『水龍雨天高龗』。全てのカードから水属性の魔術陣を放ち一気に爆裂させる事で大量の水弾を雨のように降り注がせる。それらの水は紫炎に蒸発させられながらも負けずに押し切り、ロムルスの周辺から炎を消し去る。
「チッ!貴様ァッ!!」
「ロムルス…お前はレムスの事を未だに諦めきれないと、そういうんですね」
炎を消し去りロムルスの前に立ち、ペン先を向ける。まずはその恋の素性を探る…どういう愛なのか分からなきゃ倒しようがない、
「では始めます!ドキドキッ!サトゥルナリアの恋心相談室!質問その1・まずレムスさんという方は今生きておられますか?」
「答えるかボケェッ!」
「うひゃー!やっぱ普通に聞いても答えてくれませんよねーっ!?」
質問形式でいろいろ聞いていこうかと思ったけど、普通に無理。ブチギレて炎剣を振り回して僕を追いかけ回すロムルスから逃げ回る、うーん困ったぞ!どうしよう何にも思いつかない!
(ナリア君、真面目な子かと思ったが…意外にバカなのか…)
「ごめんなさいネコロアさん見てないで助けてー!」
「む!あいあいッ!」
ネコロアさんに助けを求めれば彼女は杖を片手に炎剣を振り回すロムルスの前に立ち塞がり…。
「いい加減にするにゃロムルス!テメェさっきから聞いてりゃウダウダと女が腐ったみたいな物言いばかり!ちっとも男らしくないにゃ!だから振られんだよダボカスッ!」
杖を槍のように振るいロムルスの剣を撃ち払う。がしかしロムルスは剣を防がれた事以上に…。
「男らしい?私が男らしさを求めてるように見えるか」
「は?」
「ん……!」
ロムルスが涙を流しながら…笑ったんだ、今までと違う反応!ここか!
「フォルティトゥドの男たるもの、体は大きく…筋肉は雄々しく、それが私に課せられた呪いだった…けど、けどッ!」
「チッ、語るのか戦うのかどっちかにしろ!」
瞬間ロムルスが爆裂するように炎を噴き出す、ネコロアさんもまた弾性のある防壁を周囲に展開し飛び交いながら攻撃を避ける…僕もまたそれに乗り空を飛びながらロムルスを見据える。
「ロムルス…お前はひょっとして」
「この姿も!格好も!レムスが望んだからしたものだ!」
ロムルスの格好は一見すると女のように見える…けど、それは彼自身の趣向ではなくレムスの趣向?レムスに好かれるために今もこの格好をしてる?つまりレムスはまだ生きているしなんならロムルスと関われる立場にいる?
「その格好が望まれた!?お前の好きな女って随分倒錯した趣味してるにゃあ!」
「女?レムスが…女?バカにするなよ、バカにするんじゃねぇよッッ!レムスが穢らわしい女と一緒なわけねぇだろうがッッ!!」
「えっ!?ちょっ!」
「女はいつもそうだ!決めつけ!思い込み!正解を捻じ曲げ!嘲笑い!破壊し!抵抗すれば被害者ヅラ!こんな醜い生き物他にいるか?こんな悍ましい生物と子を成すことを定められた私の苦悩が貴様にわかるか!」
「だからちょっと待つにゃ!お前…さっきから何言ってるにゃ、レムスは…お前の想い人だろ、なら……いや、これが決めつけか」
ロムルスは僕と同じだ、欲しいものがそこにあって…でも男のままじゃ手に入らない、だからままごとでもお遊びでもなんでも、女の姿を取るしかなかった。
僕は夢を追いかけた、ロムルスは愛を追いかけた。夢は追えば叶う…だが愛はそうじゃない。ただフラれるだけならまだ諦められた、だが土俵にすら立てずフラれたのなら、狂いもするか。
ああそうだ、そうだったんだ!レムスとは…女じゃない。レムスとは……。
「聞いているかぁああああ!レムスッ!私の愛をぉおおおおおおおお!!」
ロムルスは叫ぶ、レムスへの愛を…天に向けて叫ぶ。まるでここにはいない愛する人に胸の内を明かすように…。だが無理だ、彼の狂気の叫びは届かない、いつもと同じように虚しく木霊し───。
「うるせぇなッッ!さっきから!人の名前ギャンギャン呼びやがって!集中できないだろ!」
「え?」
いや、返事があった…僕達の後ろ。ロムルスが生み出した炎の海の向こう側で…戦うとある人物が返事をした。
それは今ハルモニアさんと戦いながらも、こちらを睨みつけ吠える鎌を持った人物…そう。
「ストゥルティさん?」
「ナリア!そいつ黙らせろ!そいつに名前呼ばれると虫唾が走るんだよ!」
ストゥルティさんだ…名前を呼ばれると、虫唾が走るって…それはまるで。いや…いや!そうだ!そうだった!そう言えばストゥルティさんって!!
「お、おいストゥルティ何言ってるにゃ!お前はストゥルティだろ!?今はレムスの話を……」
「ああ!?言ってなかったか!?俺の本名!……勘当された時名乗るのを禁じられ捨てた本名。俺の名前はレムス!レムス・フォルティトゥドだ!!」
偽名だったよそう言えば!ストゥルティ・フールマンは飽くまで彼が名乗ってるだけ!彼には親からもらったもう一つの名前があったんだ!!
ストゥルティさんは元々フォルティトゥドの人間だった、だが勘当されなり剥奪されストゥルティと名を変え冒険者になった。つまりストゥルティ・フールマンの本名はレムス・フォルティトゥド……ってことは。
「ロムルスの想い人ってストゥルティなのかにゃ!?!?!?!?」
「レムスぅううううう!私を見てくれよぉおおおおおお!!」
「だから言ってんだろ!!テメェなんぞと結婚するくらいならゴミ捨て場の生ゴミと結婚するってなッッ!!」
「そんなこと言わないで…私を見てくれよぉ、私が男だからダメなのか?私が子を成せない体だから…妊娠できない体だからダメなのかぁっ!?」
「お前がお前だからだよ!!」
呆然とする、僕はてっきりレムスなる人物は女性で…家柄のこととかで引き裂かれたモノと思っていた。けど…実際は違う。
ロムルスが惚れていたのはストゥルティさん、彼が彼の手で追放し迫害し続けたストゥルティさんだったのだ。これにより状況が一転した…レムスにキチンと振って貰えば諦めもつくと思っていたが…そうじゃなくなった。
(ロムルスは…ただめちゃくちゃ諦めが悪い恋愛下手だったんだ…)
フラれても諦められないくせに相手をいじめて反応を楽しむ。そんなことしてるから余計嫌われ『自分が男だから』『自分が妊娠出来ないから』と劣等感を勝手に募らせる。実際は普通に嫌なことしてる嫌な奴だから嫌われてるだけなのに…。
これじゃダメだ、ただフッただけじゃ狂愛は消えない!どうすりゃいいんだこんなの!!
「レムス!レムス!レムス!私には…君しかいないんだ……」
頭を抱え悶え苦しむレムスを見て、僕はただただ…唖然とすることしかできなかった。
─────────────────
誕生を祝福されない子…ロムルス・フォルティトゥド。彼はその誕生の経緯から呪われていた。
祖母アレス・フォルティトゥドが最初に産んだ子供マルス・フォルティトゥドはどうしようもない奴だった、粗暴で荒くれ者でそのくせ腕っ節はあるから軍人として優秀で…それなりの地位を築いていた男だった。
この時から今ほどではないにしても祖母アレスの孤独感を紛らわせる為によりたくさんの家族を作る…という風潮はあった。とは言えそれは天涯孤独だったアレスを安心させる為に子供達は世帯を持つようにしていたという程度で強制権はなかったんだ。
だが、次々とアレスの子供達が結婚する中…長男のマルスだけが結婚出来なかった。当然だ、ただ腕と地位があるだけの悪漢であるマルスに相手など出来ようもない。だが家族内に蔓延していた結婚ムードと長男である自分を差し置いて弟や妹が結婚する様に焦りを感じたマルスは……間違いを犯した。
……彼はバカだった、腕っ節に物を言わせればなんでも叶うと思っていた。だから彼は道行く娘を一人…強引に路地裏に引き摺り込み、……子を成したんだ。
当然家族達はマルスを糾弾した、その間違いを指摘し罵り倒した…がしかし既に女の腹には子供が出来ていた。もう後戻りは出来なくなったフォルティトゥドは女と女の家族に贖いを続けることを約束しながら、生まれてくる罪なき子に生を与えるよう懇願し…。
そうして生まれたのが…ロムルス・フォルティトゥドだった。彼は父の過ちから生まれ母の悲劇により誕生し、その経緯を親族全員から否定されて生まれてきた…呪いの子であった。
で話が終わるなら、きっとこの話を聞いた者は母に…私の母に同情するだろう。事実祖母も親族もみんな母に同情していた、しかし…私だけは違った。
「やめなさいロムルスッ!!」
「ッ……」
あれは五歳の時、母に手を引かれ街を歩いていたら…いきなり母が金切り声をあげて私の頬を叩いたのだ。当然私は何もしていなかった…ただ母に手を引かれ歩いていただけ、殴られる謂れはなかった。
だが…母はこういうんだ。
「貴方!今そこの女性のこと見てたでしょう!?いやらしい目で…いやらしい目で女を見ていた!そんな気持ち悪い目をしないで!お父さんみたいな目をしないで!」
「な、何言ってるの…お母さん」
「気持ち悪い…そんな歳から性欲を滲ませるなんて、気持ち悪い!」
……母は私がすれ違った女性を見ていたと言うんだ。実際そうだったかは覚えていないが母はそう感じたらしい。だが確かなのは五歳の子供が女性を見て性欲など感じようがないことだ。
だが母は私の男の部分を徹底的に否定し忌避し…罵り倒した。
「女の人を見ないで!お前は直ぐに人をそう言う目で見る!この悪魔が!」
女性と話しているところを見られただけで、母は私に水をかけてきた。
「気色悪い!気色悪い!なんでお前は男なんかに生まれてきたの!今直ぐそれをやめなさい!」
成長と共に得る生理現象を見て母は狂ったように吠えた。年頃の男がする勃起を見て…それは悪きものだと否定した。
「お前が女だったらよかったのに…お前が、男なんかに生まれたから!」
母は…私の性別を徹底的に否定して私を育てた。母の気持ちも分かる、父とのトラウマもあるしそう言う面もあるだろう…だが父はあれから母に徹底的に謝罪し、母の望みは叶え、反省し母に尽くして生きてきた。一生を贖いに捧げると宣言し…父は母の物言いに一切抵抗しなかったし、なんなら罪の象徴である私を恨んでさえいたよ。
母はただ父の行いにより歪み、父はその歪みを前に一人で勝手に反省し過去の己を恨み…ついでにその象徴である私を憎んだんだ。
複雑な家だよ、でも父がやった事は罵られても仕方ないし母が狂ったのも不思議ではないことだ。でもね?それと子育ては別なんだ…私は何にもやってないんだ、何もやってないのに…罪人同然に扱われた私は、いつしか己の性を否定するようになった。
女になりたいってわけじゃない、何かあるとけたたましく喚く母と同じになりたいなんて死んでも思わない。されど男である事に対しても受け入れる気持ちにもなれない。
そんな男でも女でもない…歪な存在に私は育ってしまった。そして胸糞が悪いことに…私にもフォルティトゥドの宿命は降りかかった。
『ロムルス君は結婚しないの?』
親戚のおばさんがそう言った、バカかこいつはと思った。父の血を継ぐ私がそんなことをしていいはずがないし…何より女にはカケラも興味が湧かなかった。
だって、女性を見たら殴られる、話をしたら水をかけられる、反応すれば徹底的に否定される。体に染み付いたそれは僕から性欲そのものを奪った。
『ロムルス君は優秀だし、さぞ引く手数多だろう』
気持ち悪かった、周囲の目がひたすら気持ち悪かった。結婚なんか出来るわけがない…あんな気味の悪い生き物と……でも、結局するしかないのか。
そう思っていた…ある時だった。
「レムスッ!いい加減にしなさい!」
親族の集まりに参加してきた時、いきなり金切り声が聞こえ…私は反射的に動悸が激しくなってしまった。咄嗟に振り向きそこを見ると…私のではない別の母が、一人の少年を叱りつけていた。
私は母に怒られたら、縮こまることしかできず…ただただ混乱していた。だがその少年は…。
「うっせぇー!俺が俺のやりたいようにやって何が悪いよ!」
反抗していた…レムス、と呼ばれた目つきの悪い彼は私では到底考えもつかない言葉を叫んでいた。
「貴方!親に向けてなんなのその態度!」
「へっ、親だからなんだってんだよ。親たらちったぁ子供のやり方尊重しろっての!」
「だから尊重して!貴方にお見合いを持ってきてるんでしょ!?」
「だからそれがいらねーつってんの!自分で好く奴くらい自分で決められるっての。いつまでも離乳食食わせてる気になってんじゃねぇよ!」
周囲の言葉は散々だった。『悪童レムス』『フォルティトゥドの恥晒し』『お父さんとお母さんが可哀想』『なんとかならないのかあのアホは』…と。だが私が感じたのは…別の熱。
(かっこいい……)
見惚れてしまった、彼の在り方に…言葉に惚れ込んでしまった。ただ恭順し生きることしかできなかった私とは違い自分の道を持つ彼の在り方に…私は恋をしてしまったんだ。
恋だ、恋だよ。人生で初めて自分以外の誰かに興味を持ったんだ…これはきっと恋だ。
「レムス……」
そう思えば私はうっとりと彼の背中を眺めていた。声をかける勇気はなかったが…私はその日からレムスに全てを支配された。
彼の家を突き止め彼の家の周辺をうろうろし、物陰に隠れ彼の言葉を耳に刻んでその場で己を慰めもした。女性に抱いたことのない感情に私はただただ熱狂し。
次第に…私は彼を迫害するようになった。私は彼が何かに反抗し己の道を突き通す様が好きだった、だから敢えて艱難を用意し彼がかっこよく己を突き通す様を…最も近くで眺めたくなった。
「ロムルス!テメェ…これはどう言うつもりだよ!」
一番気持ちよかったのはあれだ、レムスが王国軍に士官した時…父の力を使って時間合格の話を取り消した時だ。私に向けて反抗的な視線を向ける彼の目を見ていると…その場で至ってしまいそうになったんだ。
「別に、どう言うつもりもないよ…ただこうしたかっただけだ」
「気味の悪い奴…そんなに俺が憎いか…!?」
「ああ、憎い…憎いと言ったら君はどうする」
「ケッ!どの道王国軍なんかに入るつもりはなかった!テメェがいる軍なんか興味もねぇ!清々するぜ!」
嗚呼、レムス。君はずっとそうだね、何があっても折れない、オドオドしない、逞しく、自分の道を進み続ける。彼のようになりたい…いや、彼に愛してもらいたい。
それ以上に、彼の素晴らしいところをもっともっと見たい。
そして遂に、あの日がやってきた。父は私に逆らえずフォルティトゥドの実権を握り副将軍の座も見えてきて…事実上フォルティトゥド家の当主になったあの頃。レムスは私に刃を向けてきた。
ショックだったがそれ以上に嬉しかった。私はレムスと剣を交えた。彼の腕は私なんかよりずっと野太く、雄叫びは凛々しく、どこまでもかっこよくて…私は呆気なく彼に負けてしまったんだ。
流石だと思った、同時に私は更に欲してしまった。
「ハルモニアが…どうなってもいいのかい?」
「……なんだと?」
切り札を切った、それは私が負けそうだからじゃない…この窮状を彼はどう切り抜けるのか、この最低の人間を前に彼はどんな反抗を示してくれるのか。私はただそれが見たかっただけだった。
きっとレムスは私の思いもよらない方法で私を満足させてくれる…そう思っていた。
「チッ、……外道が……」
しかし……その時レムスが選んだのは、よりにもよって……無抵抗だった。彼は剣を捨て…私に降伏した。
彼は私に抵抗しなかった、妹を人質に取られたら仕方ないとばかりに彼は私に抵抗しなかった。違うんだレムスそうじゃないんだ私はそれが欲しいんじゃない。
「レムス!レムス!?なんで抵抗しないんだい?どうして!」
「ぐっ…くぅ…!」
「惨めだ…あまりにも惨めだよ今君は!」
私は怒った、そんなのレムスじゃない。こんなのレムスじゃない。怒りのままに彼を甚振り私は彼をひたすらに傷つけ…最後にこう言った。
「お前はもうレムス・フォルティトゥドじゃない…その名を名乗ることは許さない。消え失せろ」
……そしてレムスは私の前からいなくなった。そしてレムスはストゥルティになって…冒険者を始めた。もう無抵抗なレムスなんて興味もない…興味もないと思っていたのに。
離れたら…寂しくなった。また彼の顔が見たくなった、近くにいた時よりもずっと愛おしい、ずっと恋しい。気がつけば私はレムスに焦がれていた、狂うほどに焦がれていた。
会いたい…会いたい、そう思い私は冒険者をやっているレムス…いやストゥルティの元へこっそり向かい、仲間と離れた彼をひっそりとつけ回し…無理矢理路地裏に引き摺り込んだ。
「レムス!」
「ッ!?テメェ…ロムルス!?」
彼の体を体で押さえつけ、首に刃を突きつけ…私は安堵した。彼は変わっていなかった、寧ろ前よりも逞しくなり…また私に反抗的な目を向けてくれた。
「レムス…元気そうだね」
「テメェも…早くくたばれよクソ野郎」
「そう言わないでくれよ…会いたくなったんだ」
「はぁ?」
私は、恋に焦がれ彼への想いを我慢できなくなった…そして、告げたんだ。
「レムス…私は、君を愛しているんだ…私と、結婚してくれ」
そう言った、覚悟を決めてそういった…母から否定されたモノも熱り立っていた、けどロムルスはそれを前に。
「お前何言ってんだ?俺の事を…妹を…散々迫害し、剰え追放しといて…今度はどう言う趣向だ?ええ!?」
呆れたように…拒絶した、でも違うんだあれは私が君を愛していたからで迫害も追放も、別に君を傷つけてやろうってつもりじゃないんだよ。
「愛してる、愛してるよ…受け入れてくれよレムス」
「狂ってると思ってたが…いよいよ終わったなお前も!」
「ぅぐっ!」
「二度と近づくなよ、俺にも妹にも…カス野郎」
レムスは私を蹴り飛ばし、唾を吐きかけて去っていった。拒絶された…こんなにも恋しているのに、愛しているのに。
「なんで、なんでだレムス!私が女じゃないからか!?妊娠出来ない体だから!?子供を作れないから…フォルティトゥドの宿命を果たせないからか!?」
「お前会話にならねぇな、そう言う話してないだろ今。フォルティトゥドと宿命とか…子供とか、そもそもそう言うもんに興味がねぇって言ってのになんでそうなるよ、俺はな…ただ単純にテメェが嫌いだから言ってんだよ」
「嗚呼!私は…私はこの身が憎い…憎いよぉ!レムス!」
「はぁ……だったらどうする」
「私の物にならないなら……殺すしかないよ」
「俺も同じこと考えてるよ、テメェは死ぬしかない…ハルを支配し追い詰めるお前はな!」
私は憎んだ、フォルティトゥドの宿命と男の体を。この体は妊娠出来ない、子供を作れないこの体をレムスは愛してくれない…禁断の愛なんだ。
フォルティトゥドの為に子供を作らなきゃいけない私達は、生まれながらにして引き裂かれる定めにあった。絶対に幸せになれない体に生まれた私は…どうすればいい。
ダメだダメだダメだこんなの!私だけ幸せになれないなんて嫌だ…私以外のフォルティトゥドが結婚して幸せになるなんて許せない!
全部全部狂わせてやる…フォルティトゥドを狂わせてやる、レムスが私の物にならないから悪いんだ!レムスが私を幸せにしてくれたら私だってみんなを幸せにする!
でもそれが無理なら…もう、仕方ないよな……。
────────────────────
「レムス!私は君を愛しているんだ!前も言ったよね…愛してるって」
「だぁー!もう!会話にならねぇ!ナリア!ネコロア!そっち頼む!こっちはこっちをなんとかして…直ぐに助けに行く!」
暴走したハルさんと斬り合うストゥルティさんはロムルスとの会話を切り上げる。と言うかそもそもロムルスとストゥルティさんの会話は成り立っていない。
ロムルスさんは『ストゥルティを愛している、けど愛されないのはなんで?愛してくれないのはなんで?』と言う話を。
ストゥルティさんは『妹を迫害しといて愛してるとかクソもないだろ、俺を追放した件はどう説明すんだよ』と言う話を。
ロムルスさんは愛の話をして、ストゥルティさんは家族関係の話をしてる。と言うか当然だろ、ロムルスは愛される以前にやり過ぎている。男だ子供を作れるだのは今は後の話…今はその前段階のロムルスの所業の話をしてるんだ。
なのにロムルスはそこに気がついていない、ストゥルティさんがロムルスから迫害された事をどう思っているかを…勘定にいれてない。どこまでも身勝手な愛だ。
どこまでも…どこまでも。
「なんで無視するんだよレムス!君に愛されるようにこんな格好をして!君に好かれるよう努力をしてるのに!どうして…」
「それは貴方が……何者でもないからですよ」
「は?」
僕は一歩前に出る、炎を前にしても怯む事なく前に出る…だって、そうだろう。僕は一瞬ロムルスと僕は同じだと思った、けど違う。彼の態度を見ているとこの考えを改めざるを得ない。
「何が言いたい…!」
「貴方は空っぽだ、男である事を嘆きながらも女の存在を否定する、男でも女でもない…何者でもない貴方は…誰かに愛されることもない」!
「なんだと…!私の何が分かる!お前に!この気持ちの何が!」
「分かりません、でもストゥルティさんをそこまで愛せるのは素晴らしいことだと思います、そこに性別の壁はないのかもしれない。けど貴方は過程を間違えた…相手を傷つけ、自身の弱さを棚上げして、自分を変えようとしなかった…他者批判ばかりを繰り返し、自己を顧みることがなかった」
「お前にはわからない!私の呪われた生まれを!子供を作らなければならない家系に生まれ!男を愛しながらも男に生まれた私の呪いを!」
「……ロムルス、僕もこんな姿をしている人間です。男の身で女優をやっています、でも…僕は一度も女として生まれたかったなんて思ったことはない。僕は…この世に生まれ落ちて、夢を得て、歩き続けて僕になった、男で女優な僕になったんだ。お前だってそうだろう…お前がお前になったのは、お前の意思だ」
「ッ……私は…っ!」
「自身に何もない事を理解しながらも自己を変えようとせず、他者に愛を依存し他者を傷つける事で自尊心を満たしてきたお前には…何もない。何もない人間は…誰にも愛されない」
ペンを取り出し、哀れみも込めて鋒を向ける。彼には愛しかない…狂った愛しかない、だからルビカンテは彼を依代に出来なかった。
何せロムルスは…生まれながらにして感情の悪魔と同じ性質を持っていたから。それは悲しい事だ…そこを変えられなかったのはある意味呪いだろう。だがそれでも…彼は多くの人を傷つけすぎた。彼自身の勝手な都合であまりにも多くの人達の人生を踏み躙り過ぎた。
誰かの人生を否定した彼は、誰かに人生を否定されるのだ。
「僕は君を倒すよ、ロムルス。これは恨みや正義感からじゃない…君の在り方を許容すると僕の生き様まで汚されるからね」
「よく言う…今まで逃げ回りロクに私に攻撃も当てられていない雑魚が…私を倒せるか?」
「倒せますよ…おかげさまでね」
彼の話を聞いていて一つ思いついたことがある。彼の中には愛しかない、それが彼が暴走する一因にもなったが逆に言えばストゥルティさんへの想いはあまりに一途な純愛だ。
……僕は言いましたね、愛とは恋が形を変えたものであり、恋とは肥大化に伴い別の感情に変わるものだと、ならつまり彼のやり場のない愛に答えを与えてやれば或いは絶望させずとも彼の力を削ぎ落とせるんじゃないか?
(恐らく…やれる、僕にはある…『幻夢望愛陣』が)
対ロムルス戦の最終兵器になりえる魔術陣、それは刻んだ相手が最も望む愛すべき人の幻影を見せる古式魔術陣。これをロムルスに直接書き込み彼が望む光景を見せれば或いは彼の愛は結実しその力を急激に落とすはず。
なら…これなら、いけるはずだ!
「ならやってみろォッ!『スペルブスの龍火』ッ!!」
「やってやるよッ!ロムルスッ!『穿火陣・火遠理』ッ!!」
ぶつかり合う二つの炎。崩壊したアルシャラのど真ん中に炸裂する爆炎は二人の戦いの狼煙となる、魔力覚醒者級の力を持つロムルスと未覚醒のナリア…実力差は歴然だが。それでも…。
「うぉおおおおおおおお!!」
「殺してやる!殺してやるぞッ!」
ナリアは一歩も引かず炎の中を走り抜けペンを片手に真横に向け走る。まず幻夢望愛陣をロムルスに書き込むにはロムルスにこれ以上なく接近せねばならない!
実現するのは難しい…でもやるんだ!
「待てぇぇええ!ナリアぁぁああああ!!」
「っ僕だって!速筆!『剣天陣・稜威雄走』」
ナリアを追いかけ炎を翼のように展開し空を駆け抜け無数の爆撃を高速で複数書き上げた魔術陣から噴き出した魔力の剣で迎撃しながらひたすら駆け抜け隙を伺う。
実力差は分かってる、誰よりも僕が分かってる。けど…如何なる龍にも針を刺すだけの隙はある、その一針を狙え。一針で決めろ、それが弱者のやり方だ。
「ナリア君!」
ネコロアさんの叫びと共に僕は飛び上がり形成された弾性のある防壁を踏んで空に飛び上がる。と同時に背中から炎の羽を伸ばしたロムルスが迫り両手の剣を爪のように振るう…。
「私を否定する奴は許さない、私の全てを否定する奴も許さない、私は私以外の幸せを許さない!」
「そこだよロムルス!まだ分からないのか!お前は愛だのなんだの言う前に!人を傷つけすぎなんだよ!」
次々と生み出されるぷにぷに防壁を踏み空中で乱反射しながらロムルスの斬撃を回避する。ロムルス…お前は幸せになりたいのなら他者の幸せも祈るべきでしたね。
「一々五月蝿いんだよお前はァッ!!!」
僕の言葉が余程図星だったのかロムルスは大きく剣を振りかぶり、再び噴火の如き爆発を起こそうとモーションに入る…だが。
「取った…!」
「は?」
その瞬間、ロムルスの動きが止まる…否、ロムルスの剣が何かに拘束されていたのだ。どこからか伸びる魔力の縄が彼の刃を縛り上げていた。
「魔筆『拘束陣』…恋は盲目、ですか?」
魔筆…魔力防壁に魔術陣を書き込むコーチ直伝の執筆術、その奥義に部類される技。それを使いそこかしこに配置されているネコロアさんのぷにぷに防壁に魔術陣を書き込んで置いた。
防壁から離れた魔力縄が剣を縛ったのだ。
「知ってますかロムルス、ペンはね…剣より強いんですよ」
「ハッ…!?」
そしてロムルスが再びナリアに目を向けたその時には既にロムルスの体に魔術陣が書き込まれている真っ最中であり…今それが完成しようとしていた。
書き込んでいるのは幻夢望愛陣…複雑な魔術陣を一秒にも満たない速度で書き上げロムルスに刻み込む、その時だった。
「ナメるなよ…画家気取りがッ!」
一瞬の判断だった、縛られた剣からロムルスは手を離し拳に炎を纏わせナリアの体に一撃を打ち込んだのだ。
「ぐふぅ…!」
それにより魔術陣完成前に筆がブレ陣が不成立に終わり、彼の体を燃え上がる炎の衝撃波が射抜く。そして怯んだ僕にもう一度炎を纏った手が襲いかかり───。
「終わりだッ!!」
「ナリア君ッッッ!!」
刹那、僕との間に割り込んだネコロアさんがその背でロムルスの灼拳を受け止め爆裂と共に弾き飛ばされるのが目に映る。庇ったのだ、防壁による保護が間に合わないと踏んで僕を庇って!
「がはっ!?」
「ね、ネコロアさん!」
「芸術家気取りと冒険者が敵うほど…副将軍の座は甘くないんだよッ!」
「ッッッ!?!?」
咄嗟に吹き飛ばされ地面に落ちていくネコロアさんを目で追った、目で追ったその一瞬を突かれロムルスの炎を纏った蹴りが炸裂し僕もまた吹き飛ばされる。
激しい痛みと共に体が地面に吸い込まれるように落ちていく、やってしまった!寸前で仕留めきれなかった!いや今は着地だ…着地を!
「『ぷにぷに防壁』ッ!」
「えっ!?」
しかし、着地の姿勢を取るよりも前に僕の体は防壁に受け止められる。ネコロアさんだ、自分の着地よりも僕の保護を優先し、自分は瓦礫の山に打ち付けられ痛みに悶えながらも杖を振るい防壁を展開していた。
「ネコロアさん!!大丈夫で──」
「些事だッ!!」
「ッ…!」
瓦礫に手を突き立ち上がり、額から血を流すネコロアさんは僕を睨みつけながら吠える、些事であると…。
「私は凡ゆる些事からお前を守る!それが私の役目だ!私も含めてロムルスを倒すこと以外は些事だ!脇見をするなッ!!」
「ッわかりました…!」
「一度でダメなら二度だ!繰り返せ!何度だって!懲りずに突っ込み続けろ!!」
血混じりの咆哮に背を押されもう一度僕は空を飛ぶ。ぷにぷに防壁で大きく勢いをつけて炎の翼で空を飛ぶロムルスに突っ込む。
だがしかし、このまま突っ込んでも負ける。奴に直接魔術陣を書き込めるだけの距離はロムルスにとっても僕を殺しやすい距離。何より近接戦を主体とするロムルスのに真っ向から魔術陣を書くのは凄まじく難しい。
奴の炎は水では消し去れない、剣は奪えたが炎がある限り奴は……いや待て!
(愛が肥大化し、ロムルスは暴走し狂い果てた。それと同じで…肥大化させ暴走させれば!)
「懲りずに来たか!次こそ焼き殺してやるッ!!」
黒青の空に浮かぶ紫の太陽に挑み掛かる。空に投げ出された僕は目で見て…確認する。
ネコロアさんが残してくれた弾性のある防壁はロムルスを囲むように漂っている、あれが僕に取っての唯一の足場、あれを使ってロムルスに組み付く必要がある。だが背中はダメだ、背中から火が出てるからあそこには書き込めない…やるなら正面、正々堂々以外あり得ない!
「ぅがぁあああああ!!」
「フッ…!」
クルリと一回転し近くのぷにぷに防壁に足をかけ再び飛び上がり加速し次々と降り注ぐ炎弾を回避する、上に右に左に…時に下にも飛びロムルスの周りを乱反射し炎から逃げ回る。
「くっ!ちょこまかとッ!!」
「ロムルス!お前は情けない奴だよ!」
「何ッ!?」
「男に生まれたのが嫌だ!?女という存在が嫌だ!?お前はどちらにもなりきれない半端者の癖をして何を言ってるんだ!好きな子にちょっかいをかけ気を引く男性的な面と愛に狂い他者を傷つける女性的な面!双方の悪いところを的確に引き継いだだけじゃないか!その癖をして何を達観して!情けない!」
「五月蝿いッッッ!!」
周囲を飛び回りながらひたすらに挑発する、その言葉にロムルスは焚き付けられメラメラと体を更に燃やして行く。
「これ以上お前の声を聞いていると!苛立ちで狂いそうだ!」
「ハルさんだけじゃない!親族達全員の人生を狂わせて!お前はまだ狂ってないつもりか!ルビカンテどうこう以前に!お前はとっくの昔に狂い果てて外道に堕ちてたんだよ!!」
「がぁああああ!黙れぇえええええ!!」
そして吹き出した炎は一気に集約し…ロムルスの胸元に集まる、強烈な攻撃が来る…つまり、今だ…ということだ!
「『クゥイリヌスの天爀』ッ!!」
爆裂する、巨大な炎の渦が荒れ狂い爆発となって周囲を光に飲み込む。これによりロムルスは勝利を確信するかもしれない…だが。
「ヴッ!?ガァッ!?」
逆、引き起こされた爆発はロムルスの体を巻き込んで暴走し逆に焼き焦がしていた。それに混乱し慌てて火を収め消し去るロムルスが見たのは…。
「魔術陣…『火油之陣』」
エトワールにて暖を取る際に使われるストーブがある。エトワールではそれに『火油之陣』という魔術陣を使って継続的に炎を維持するのだ、可燃性の油を作り出す魔術陣、それを周囲のぷにぷに防壁全てに書き込まれロムルスに向けて油を放っていたのだ。
(油を放つ魔術陣…まさか)
そう、全て無駄な動きではなかった。ぷにぷに防壁で乱反射したのは全ての防壁に魔術陣を書き込んでいたから、挑発したのはロムルス自身もすぐには消せない炎を撃たせる為、全てロムルスの暴走を招く為に行われた行動。
愛と同様、炎も暴走すれば身を焦がすのさ!
「引っかかりましたね!ロムルス!」
「グッ…クソがぁ!」
ロムルスは即座に体に付着した油を焼き飛ばし態勢を整えるがもう遅い、僕は既にロムルスに向けてペンを突き立てていた、もう遅い…もう遅いんだ!
「『幻夢…!」
「何をするつもりか知らないがさせるわけが……!」
それでもロムルスは止まらない、での中に炎を集中させナリアに向けて───。
「そこにゃっ!!」
「なっ!?」
叩きつけられる杖がロムルスの手を弾く、下から飛んできたネコロアさんだ…彼女の一撃によりロムルスの手が僕から離れた。
「貴様…!どこまでもッ!」
「悪いにゃあ…冒険者風情が、邪魔をしてッ!」
「消えろ…消えろぉおおおお!!!」
そのままロムルスは僕に向けるはずだった手をネコロアさんに向け、放たれた業火がネコロアさんを包みその体を炎で覆い吹き飛ばす…その様を目の前で見せられて、歯を食いしばる。
「ぐぁあああああ!!」
(些事だ!ブレるな!)
より一層集中し一気に魔術陣を書き上げる、ネコロアさんの悲鳴を聞いて体が反応しそうになるがそれでも書き切るんだ、だって…それがネコロアさんの言った僕の役割だから。
ここまでお膳立てされて、ネコロアさんはブレずにサポートに徹したんだから…僕もやり切るんだ!それが助けられる者の責務だ!!
「ッ『幻夢望愛陣』ッッッ!!」
「なっ!?」
光り輝く、ロムルスの胸が赤く輝き始める…愛する者の幻影を見て、その愛に終止符を打つ。これでロムルスの力は衰える…!
「ロムルス!お前の愛は…ストゥルティさんに拒絶された時点で終わっていたんだ!!いい加減諦めろ!!」
「あ…ぁ…ああ!」
ワナワナと震え炎が弱まるロムルスを見て幻夢望愛陣が機能したことを悟る、上手く行った…後は───────。
「後は勝つだけ、かな?」
「え……?」
ふと、目を向ける。ロムルスに書き込んだ魔術陣を見て…驚愕する。だってロムルスの胸に書いた魔術陣…それが歪んでいく。
彼の体に付着した紫色の絵の具が集まり、ロムルスの体からぬるりと顔が浮かび上がる…それは。
「───ルビカンテ…!」
「残念だったね、サトゥルナリア」
ルビカンテだ、そうか…そうだったんだ。ルビカンテはロムルスの事を依代に出来なかったんじゃない、敢えてしなかった……いや、出来ていたけどロムルスの意識を意図的に奪っていなかったんだ。
既にロムルスの中にはルビカンテの感情が…狂愛の感情が潜んでいた。ロムルスは自分の力で押し退けたと思い込んでいただけで実際は違った…全部ルビカンテの手の中で踊らされていた、そして敗北しそうになったから仕方なく出てきたんだ。
「精神に作用する魔術陣か、これは恐ろしい…だが魔術陣は脆いもの、塗り潰せばそれで効果はなくなる」
「ッ……」
そこまで読みきれなかった、最後の最後でルビカンテに全部ひっくり返された。魔術陣は紫の塗料で塗り潰され、ロムルスの体を覆う紫の比率がドンドン広がって行く。
「ロムルス・フォルティトゥド…君には失望した、或いは意趣返しになる物と任せるつもりだったけれど……君の言う虫一匹潰せないならもう君には頼らない」
「あ、ああ…ああああ!」
「この力はね、こう使うんだ……さぁ焼け散れ、『カントピリーノ・アモール』」
その瞬間、ロムルスの体から濁流の如き勢いで炎が吹き出す、ロムルスの体を焼き尽くさんが如く勢いで漏れ出した炎は空中で滝のように爆発し、僕の体さえ吹き飛ばしす。
「さぁここらで終わらせよう!我が愛で!本物の狂愛の炎で!この階層を満たし切ろう!」
そして溢れる炎は第二円狂気のアンテノーラを満たし始める。狂気の愛は未だ…止まらない。