663.魔女の弟子と『至上の喜劇』マーレボルジュ
突如として現れたルビカンテ…、エリスさん達の傷を治す為馬車に戻った僕の前に現れたルビカンテは僕に勝負を持ちかけてきた。まるで大冒険祭を揶揄うような奴の言葉に乗って僕は勝負を受けたんだ。
アルタミラさんを助ける為、ルビカンテと戦ってケリをつける…そう覚悟したのだが、直後に放たれた奴の赤い魔力に飲み込まれた僕はそのまま意識を失ってしまうのだった……そして。
「ハッ!?あれ…!?」
次に目が覚めると、僕は…サイディリアルのプリンケプス大通りに居た。先程まで夜だった空は明るくなっている、え?朝?
おかしい、僕はさっきまで馬車の中にいた筈。それに時刻も夜だった筈なのに…眠らされて大通りに放置された?
「え?え?ルビカンテは?というか朝になっちゃった!?……何がどうなってるんだ」
ルビカンテは…何をしたんだ?僕に勝負を仕掛けてきて、魔力に飲み込まれて…それで、そのまま意識を失ったのか?しかしだとしたらなんでこんなところに。何が起こっているのかさっぱりだ。
「というか!エリスさん達は!」
何が起きたか分からないが今が朝だとすると、僕はラグナさんにポーションを取ってくると言いながらそれを持ち帰ることができなかった事になる。エリスさん達の容体はどうなった!?まさか下手な事になってないよな!
いや多分アリスさんとイリスさんが準備を整えて…治療に向かってくれたよな、あの二人なら…いやだとするとルビカンテはどこに行った?状況がまるで分からない。
「…………というか、なんだ…今日のサイディリアルは」
僕は見る、目の前にある街並みを。それは記憶にある通りの街…街人はいつものように人混みを作り騒がしく、天には太陽が輝いている。だというのに何処かに…変な違和感を感じる。
何かが起こっている?ルビカンテは街の人達を殺すと言った…その為の何かがもう始まっている?分からない、けど取り敢えずこの事をラグナさんに伝えよう。アリスさん達が治療を終えていると信じて…。
「ナリアさん」
「ッッ……え?」
「偽りの世界に騙されないで」
冒険者協会に走ろうとしたその時、声が僕を止めるんだ…その声に導かれ、後ろに振り返ると、そこには…。
「アルタミラさん!」
「…………」
アルタミラさんがいた、ルビカンテじゃない…灰色の髪だ、アルタミラさんだ!彼女が申し訳なさそうな顔をしながら、僕を見て…また目を伏せている。
「アルタミラさん!大丈夫ですか!」
「来てはダメ!」
「え……何を言って」
「もうルビカンテの言う戦いは始まってる、後ろに進んではダメ、ルビカンテと戦う以上前に進むことしか許されない…もうここは奴の手の中なのだから」
「え…?」
立ち止まる、もうルビカンテの言う戦いは始まっている?でも街を見る限り何も起こってなさそうだけど…。
「何も起こっていませんよ…?」
「いえ、あなたはこの街の違和感に気がついていはずです…この街は、この世界はルビカンテが作り出した偽りの世界です」
「こ、この世界が!?いやどこからどう見てもサイディリアル……」
いや待て、どこかおかしい…そう感じたのは確かだ。そう思いもう一度街を見る、すると違和感の正体に気がつく。
「現実感がない……」
そう、現実感がないんだ。街の誰もが気がついていないけど…ここは現実感がない。リアリティというのかな…確かにこの世界は現実そっくりだがそっくりなだけ、例えるなら現実の世界と現実の世界そっくり描かれた絵画を並べたような。
ここは、現実が本来持つ質感のようたものが何もない…まるで絵画の中のようだ。
「気が付きましたか?そうです…ここは現実じゃない、ここはルビカンテの力によって作り上げられた…『夢の中』なんですか」
「夢の…中?」
「はい、ルビカンテの…私の魔力覚醒『La Divina Commedia』の真の力は範囲内にいる人間に強制的に同じ夢を見せる覚醒、眠っている人間全員を自分の夢の中に、自分の世界に引き摺り込む覚醒なんです。その覚醒が自我を持ったのが…ルビカンテ自身なんです」
「夢の中に引き摺り込む覚醒…じゃあ僕は!」
「現実ではあなたは眠っています、発動と同時に街の人間全員が強制的に眠らされ夢の世界に引きずり込まれたのです」
「まさかここにいる人達全員が?」
「ええ、現実で眠り…ここが夢の世界である事に気が付かず過ごしている」
今は夜だ、それも時間にすればもうみんな眠っていてもおかしくない時間。寝ている人間は全員夢の中に引きずり込まれる。眠ったらルビカンテの夢に引き摺り込まれる、そんなことも知らずみんな眠ってしまった……。
その結果がこれ、現実と変わらない数の人々が今偽りのサイディリアルに溢れている…!
「奴は殺すつもりですここにいる全員を、あなたも含めて街の人間全員を!ここで死ねば…現実でも死ぬんですから」
「アルタミラさん!貴方で…なんとか止められませんか」
「………無理ですよ、だって…聞いたでしょう、私が動けていたのはルビカンテがそう望んでいたから、奴が私を動かしていただけ。最初から私に決定権はなかったんですよ」
アルタミラさんは静々と涙を流す。自由に動けていたのも、僕と出会ったのも、一緒に旅をしたのも、全てはルビカンテの渇望を満たす為の策略でしかなかった。そこにアルタミラさん自身の意思による決定は…なんの意味も持っていなかったんだ。
「私は…!最初から奪われる予定で…ルビカンテによってあなたに出会わされた!貴方はルビカンテによって命を奪われる為に!私と一緒に居させられた!やっぱり…ルビカンテには敵わないんです…!!」
「アルタミラさん……」
「ごめんなさいナリアさん、出会ってしまってごめんなさい…貴方を好いてごめんなさい、一緒にいてごめんなさい…私が、全ては私が…ルビカンテを生んでしまったから」
なるほどと納得する、ルビカンテはこれが欲しかった。アルタミラさんが自責の念で頭を抱え全てに謝罪し狂っていくのを望んでいた。事実今アルタミラさんは絶望し狂気に身を委ねようとしている…。
……なるほど、そういうことか。ルビカンテは…これを望んでいた、なら…僕から出来るのは。
「私が、あの時ロムルスへの憎悪に負けていなければ…こんな事には、ごめんなさいナリアさん!一緒に過ごして…ごめんなさ────」
「いい加減にしろッッ!!」
「え……?」
「僕が!一緒に居たのは!ルビカンテの意志じゃない!僕と一緒にいる事を選んだ貴方の選択は!ルビカンテの選択じゃない!僕達は望んで一緒に居た!そんなところまでルビカンテに決められた覚えはかけらも無い!」
ルビカンテは絶対じゃ無い、奴はただの渇望だ…奴に決める権利はない、決めていたのは僕達だ。それ以外あり得ないだろうと叫ぶ…。
「例え今ルビカンテに好き勝手されていようと僕達は望んで一緒にいた!違いますか?…この六日間、一緒にいて、楽しかったんじゃないんですか?」
「……うん、うん…!」
「なら、ルビカンテなんか知りません!僕は一緒にいたいからいる!僕は貴方と一緒にいたいからいる!だから…アルタミラさん!僕はルビカンテに勝って貴方を取り戻します!!」
「ナリアさん……!」
勝つさ、奴は言った…これは勝負だと。なら僕が勝てば…返してもらったっていいだろう、アルタミラさんを!だから…やるよ、僕は!
「だから待っていてください!絶望も失望も踏み潰して!狂気なんか抑え込んで!待っててください…必ず勝ちますから!」
「はい…ッ信じてます、ナリアさん!」
すると、僕に向けて叫びこちらに走ろうとしたアルタミラさんは…漆黒の絵の具に包まれ、体を覆われていく。
「アルタミラさん!」
「失敗しましたね、ルビカンテ…私とナリアさんを邂逅させ、私を自責で押し潰そうとして失敗し、慌てて私を連れ戻そうとしましたか…でも、大丈夫。ナリアさん、私も負けません!奴に負けません!だから…きっと────」
漆黒の絵の具はアルタミラを包み込み。虚空へと消える。どうやらアルタミラさんを絶望させようとして失敗したから連れ戻してしまったようだ。
けど、うん…待っててよアルタミラさん、僕絶対ルビカンテに勝って…貴方を連れ戻しますから!
「ッ…エリスさん達!」
ならエリスさん達だ、みんな意識を失っているはずだ…なら夢の中にいるんじゃないのか?ならまずはエリスさん達と合流しよう、もし現実の通りなら今エリスさん達は協会にいるはずだ!
そう思い僕は走り出し冒険者協会に向かう…、協会本部は現実と同じで夢の中でも大きいままで…ただ、中には誰もいない。あれだけ騒がしかった協会本部の中には誰もいないんだ。
まさか…そう思い僕は慌ててエリスさん達のいる、医務室へ向かうと─────。
「ゲームと言えばチェスだ、チェスの基本は知っているか」
扉を開けて、中を見ると…そこにはエリスさん達の姿はなく、代わりに…。
「ルーン、ビショップ、ナイト、そしてクイーン…それらを落としていくのが、定石だよね…ナリア君」
「ルビカンテ…!」
「悪いけど先手はもらったよ……」
ルビカンテがいた、そして医務室で眠っているはずのエリスさん達は…ルビカンテの背後にいた。いやいたというより…『在った』というべきか。
「エリスさん!みんな!」
ルビカンテの背後には七つの額縁が浮いている。七つの絵画が浮いている。中には意識を失ったエリスさん、デティさん、メルクさん、アマルトさん、メグさん、ネレイドさん…そしてラグナさんが鎖に縛られた絵画に変えられていた。
「君の仲間は貰ったよ、悪いが…これで君は一人だ」
「ッ…そんな」
仲間が全員奪われた、みんなが…!僕…一人になってしまった。僕一人で…ルビカンテと……いや最初からそのつもりだったけど、まさか初手でラグナさん達がやられるとは。
「私と君の戦いだ、それ以外の役者は不要。今サイディリアルの人間の全てが!我が世界へと招かれ狂気の祭典の支度は済んだ!ならば始めようナリア君!私と君によって織りなされる…」
ルビカンテは指を鳴らしエリスさん達の絵画を消し去ると同時にこちらに手を向け…始める。
「『至上の喜劇』をッッ!!」
僕とルビカンテの…戦いが。
………………………………………………
「ぐぁぁああ!?!?!」
爆発によって僕の体は吹き飛ぶ。協会の壁が破壊され吹き飛んだ僕は大通りを転がり倒れ伏す。ルビカンテの手から放たれた魔力によって反撃も反抗もする暇もなく吹っ飛ばされたんだ…!
「くそっ!」
戦いが始まった、仲間はいない…魔女の弟子は僕以外全員やられた、僕は一人でルビカンテと戦わなきゃ行けない。だがアイツだって一人だ!ならなんとかなる!と…思う。
「私一人ならなんとかなると思っているのかな…ナリア君、私がなんのために君を夢の世界へ誘ったと思う?」
「ッ……!?」
ふと、気がつくといつのまにかルビカンテは協会本部の屋根の上に太陽を背に立っている。だがおかしい…おかしいんだ。
ルビカンテの影が…分裂する、無数に割れて…増えていく。まさか……。
「ここは夢の世界、感情と記憶の世界…ここでなら私は、一切のデメリットなく『感情の悪魔達』を召喚できる…さぁ、主演に紹介だよ登場人物達を!これから至上の喜劇が始まるんだ!」
『渇望の悪魔』ルビカンテはその身から四つの感情を表出させる、それは絵の具となり色を生み出し肉体を持ち…現れる。夢の世界だから…ここでなら感情達は一切のデメリット、制限なく体を持てるのか…!?
「これが…私の組織、マーレボルジュだ」
現れたのは四色の姿形様々なアルタミラ達…それがゆっくりと僕の前に現れ、目を光らせる…それは。
「彼女の名は『喜びの悪魔』ファルファレルロ・アマリージョ…」
「ああ嬉しい!空が見える!大地がある!世界がここに!全てが喜ばしい!」
金色の髪をしたアルタミラがぴょんぴょんと快活に跳ね回る、何もかもに感謝し喜ぶ悪魔の名は『喜びの悪魔』ファルファレルロ・アマリージョ、その名は聞いたことがある。
ルビカンテの感情達は皆自らのペンネームを名前とし個別で活動する画家でもある。だからこいつらの名前も世間じゃ名画家として伝わっている…『宴のファルファレルロ』もそうだ。
花や空の美しさを書き上げる名画家、彼女によって作り出される作品は見ているだけで嬉しくなるという凄まじいものばかり、その作者が…こんなのか。
「そして彼女は『楽しみの悪魔』アリキーノ・キジャニビチ…」
「楽しいな!楽しいな!ルンルン!私と一緒に遊ぼうよ!」
そして緑の髪をしたアルタミラ…というには些か小さい、まるでアルタミラさんの子供の頃のような姿をしたそれはぬいぐるみを手にスキップをしている。彼女の名も聞いたことがある。
『楽観のアリキーノ』…彼女の手にかかれば戦争も死もポップにキュートに描き上げる。この世は楽園であると称するアリキーノが今…目の前に。
「こっちは『悲しみの悪魔』スカルミリオーネ・アルバストゥル…」
「悲しい…悲しい、こんな事になってしまうなんて…」
髪の長い…青髪のアルタミラさんが蹲りながら泣いている。青色の涙を流し首を振って喚いている…スカルミリオーネ・アルバストゥル。悲しみの悪魔か。
それは『悲哀のスカルミリオーネ』と同じ名前だ、『嘆き姫エリス』の絵画の中で最も有名な『別れの涙』を描いたスカルミリオーネと。
「最後に『怒りの悪魔』マラコーダ・ネーロ…私に次ぐ実力を持った悪魔さ」
「不満だ!全てが不満!不満で憤懣やる方なしッ!」
腕を組み牙を剥き吠えているのは黒いアルタミラさんだ、他と違い髪が黒いのではなく全身だ…全身が奈落の穴のように真っ黒でひび割れのような目がギロリと周囲を睨んでいる。
最早人間には見えないが、あれもまた名画家…『怒りのマラコーダ』。神の怒りを表現した『神怒の時』を描いた人物でもある。
合わせて四人、人間の主となる四つの感情…喜怒哀楽が今僕の前に立ち、そして。
「それに合わせて私…『渇望の悪魔』ルビカンテ・スカーレット…私達はアルタミラでありアルタミラではない、我々マーレボルジュが君の相手をしよう…覚悟はいいかな?ナリア君」
「もしかして…五人がかりとか言いませんよね…」
「さぁて、どうだろう」
瞬間、五人のアルタミラが僕を囲む…さ、最悪だ。こっちは一人なんだ…それに加え向こうはマーレボルジュの幹部陣である喜怒哀楽まで出してきた、これ…なんとかなるかな!?分かんない!分かんないけど。
「や、やってやる!」
「嗚呼…剛毅、剛毅故に…泣けるぅ〜!」
「あはははははは!君面白ーい!」
「戦うの楽しみだなぁー!ねね!誰からやるの!」
「ゔぅぅうう!!ナメているのか!?ナメているよなぁ!私はナメられるのが嫌いだ!ナメる奴は殺す!」
「うっ!全員狂人!怖い!」
こっちの言葉に全くレスポンスが返ってこない!僕がおかしい気がしてきた!これが狂気の世界!
「んふふふ、では私は失礼するよ…ナリア君」
「え?あ!おい!どこに行くんだ!」
「夢は多層構成になっている、ここはまだレム睡眠の域さ…より奥へ、微睡めば微睡むほどに眠りは奥へと落ち、深層心理の第四円へ到達出来るだろう…そこで私は待つ、君の仲間も夢の奥地へと追いやった。君が私の元に到達出来れば、その時また改めて戦おう」
そういうなりルビカンテは地面に穴を開け落ちていく…深層心理へと落ちて行ったのか?しかしこの場には未だ四人のアルタミラが残っている。こいつらをなんとかしなきゃ…僕は先に進めない。
ルビカンテは奥にいる、奥へといかねばならない。
「通してください…って言っても、通してくれませんよね」
喜怒哀楽はそれぞれ僕を見て逃さないよう立っている。まずはこの場を潜り抜けるのが先か…僕一人で、どこまで出来るか!
やるしかないと何度も何度も覚悟を決めると…まずは一人前に出る。
「イライラするぅ…!」
怒りの漆黒、マラコーダだ。全身漆黒に包まれたマラコーダはなんかプルプル震えながら僕の前に立つ。い、いきなりこいつか…こいつ顔怖いから戦いたくないんだけど…。
「イライラするッ!」
「ッ……!」
その瞬間マラコーダは拳を振り上げ一気に僕に向け振り下ろす…来る!と警戒し体を震わせるが、何もない…攻撃は?とマラコーダを見ると。
「なんだこの石畳の色は!あまりにも芸術的センスが皆無すぎるッ!」
「は?」
地面を指差しなんか吠えてる、何言ってんのこの人。
「そこの家ッ!なんだその直線は!あまりにも醜い!芸術的じゃない!バカにするのもいい加減にし──待てなんだそこの街路樹!そんな色合いで他者の芸術作品に勝てると思ってるのか!ダメだダメだ!何もかも落第!全部が全部芸術的じゃない!」
あっちこっちに指を差し、吠え続ける…終いには近くの路地に横になり…。
「軒先!醜い!イライラする!」
「あの……えっと」
軒先にキレてる…何これ、僕行ってもいいのかな…そう思い足を動かすと。
「イライラする、イライラするイライラするイライラするイライラするイライライライライラ!!」
立ち上がる、イライラして…全身が膨れ上がるマラコーダを見て、悟る。まずい…今の放置しちゃいけないやつだった!
承認欲求のカルカブリーナは見られるごとに強くなった…なら怒りのマラコーダは、怒るとどうなる…!
「イライラするイライラする!」
(魔力が増幅してる!こいつ怒れば怒るほどに際限なく強くなるんだ!まずい!)
そう感じた瞬間にはすでに遅く、マラコーダはギロリとこちらに視線を向け。さ。
「イライラするイライラするイライラする……『イラ・ルヒル』ッ!!」
「うわぁっ!?」
口を開き、放たれる灼炎。光線の如き勢いの漆黒の炎が勢いよく放たれ僕に向け飛んでくる。それは僕の目の前で爆裂し…辺り一体の全てを消し飛ばす。
「ぐぅうう!いきなり仕掛けてきた!」
「イライラするぅああああああああ!!!」
「っ来た!」
爆発に吹き飛ばされ偽りのサイディリアルの上空で姿勢を制御し屋根の上に飛び乗ると瓦礫を吹き飛びしながらマラコーダが突っ込んでくる…それはただの跳躍、ただの疾走、なのに…その威力は凄まじくただ突っ込んできただけで周りの全てが粉砕される。
「ぐっ!防壁ッ!」
「憤怒ッ!」
マラコーダの頭突きを全力全開の防壁で防ぐが、僕の作る防壁なんかでは防ぎ切れない威力のそれは着弾と同時に爆発が起こり…気がつくと僕は民家の二階に突っ込み倒れていた。
「ッゔ……ここまで飛ばされたのか…!」
防壁がクッションになり、着地点に木造民家があったおかげで助かったけど、受けきれなかったり受け身を取れなかったり…下手すりゃ死んでたかもしれない。そんな恐怖が湧いてくる。
感情の悪魔は皆八大同盟の盟主級に強い。怠惰のグラフィアッカーネや承認欲求のカルカブリーナでさえそれほどまでに強かった。そして今僕が相手にしているのは喜怒哀楽…感情の中でも際立って巨大で強大な感情達。
アルタミラさんの感情の中でも最強格の四人なんだ…弱いはずがない。
「ズンタカターズンタカター!」
「何が聞こえる…」
ふと、崩れた二階から顔を出すと…緑髪をした小さなアルタミラ、楽しみのアリキーノがスキップしながらこちらに向かってきていたのだ、あいつだけならまだ弱そうだからなんとかなりそうだけど…問題は。
「なんだあれ…!?」
アリキーノの背後には大量のおもちゃの兵隊が随伴していた、いやおもちゃって言ってもその体躯は2メートルくらいあるビックサイズだ、それらが無機質な瞳で僕を捉え。
「それ!『玩具の行進』っ!」
「まずい…!「『瞬風陣・志那都比古』」」
咄嗟に足裏の魔術陣を起動し空を飛んだ瞬間、玩具の兵隊達が手に持つ大砲のような軍銃が一斉に火を吹き、僕のいた顔を跡形もなくズタズタにする。玩具なのは見た目だけ…持ってる武器は紛れもなく本物か!
「嬉しいねぇー!嬉しい嬉しい!」
「げっ!また来た!」
続いて飛んできたのは金髪のアルタミラである喜びのファルファレルロ。足をグルグル動かし空中を走りながらこっちに向かって飛んでくるんだ。わけがわからない…訳が分からないけど仕掛けてくるか!
「君も嬉しいだろ?嬉しいって言えよぉ〜!」
瞬間、何処からか取り出した大振りの鉄剣を振るいながらファルファレルロが突っ込んでくる、喜び…とは感情の中でも最も明るく最たるプラスの感情として扱われる代物だ、人は喜びの為に生きると言ってもいいくらい喜びとは人の活力となる感情。
しかし、見ていて分かる…こいつの喜びは、色が違う。こいつの喜びは…。
「シャーデンフロイデ…!気味が悪い!」
「そういうなよぉ!私だってアルタミラさ!」
他者の喜びを笑い、他者の凋落を喜ぶ下世話な感情シャーデンフロイデ。こいつはそれによって生まれた感情なのだ…故に僕を傷つけることに喜びを感じる。ある意味こいつも狂気的と言えるだろう、
アクション活劇で培った身のこなしで風を手繰りながら空中でバク宙を披露し斬撃を回避する、こいつの思う通りになんてなってやるか…って。
「喜びは形を変える!如何なる物も喜びに変わるッ!!」
剣を回避したと思ったら、ファルファレルロの持つ剣が黄色に染まり、彼女の体の中に吸い込まれ…増える。全身から刃が突き出て数百の刃になって襲いかかる。
まさかこいつ、自分の体を自由自在に変化させられる力を…!
「『刃血のムディタ』ッッ!!」
「ぅぐっっ!?」
突き出た刃が急激に伸びる、数百の刃が遥か彼方まで伸び空中にいるはずの彼女の体から出た刃が地面に突き刺さり眼下の家屋が次々と倒壊するのが見える。
そのうちの一本が…僕の脇腹に突き刺さる、まずい…痛いのもらってしまった。
「あはははっ!痛いかよッ!」
「がはぁっ!?」
そしてそのまま刃が消失すると同時にファルファレルロの痛烈な蹴りが僕を地面に叩きつける。咄嗟に足を下に向け風を生み出しなんとか地面との激突は防いだが…血が滴る、急いで治癒しないと…けど、僕は治癒を使えないし…。
「ナリアさんが傷ついてる…悲しい…」
「げぇ……」
しかも最悪なことに落ちた先にはまた別の悪魔…悲しみの悪魔であるスカルミリオーネがさめざめと泣いている。他の連中のことを考えるに…悲しみのスカルミリオーネが泣いていていいことなんかひとつもない気がする…。
「悲しい…悲しい、涙が溢れて止まらない、悲しみが膨らんで消え失せない…全てが哀れで憐れで仕方ない…!」
スカルミリオーネは泣く、両手で顔を覆い埋まりながら泣き喚く。その目から、指の隙間から青い絵の具を溶かしたような…真っ青な涙を流し、それがポツリポツリと地面に落ちる。
するとどうだ、青は地面を染め上げるなり即座に膨らみ形を作り…人の姿へと変じていく。
「え…え!?」
涙の中から現れたのは新たなスカルミリオーネだ、落ちた涙の一粒一粒が地面に落ちてスカルミリオーネになっていく。増えているんだ、両の目から涙が落ちるのと同じ速度でスカルミリオーネが増殖している、
際限なく、果てもなく、全てを覆い尽くす悲しみの如く…スカルミリオーネの影は増え続け瞬く間に僕の視界を一杯に覆い…。
「ああ!悲しい!全てを洗い流して!『ラストティアー』ッ!!」
『ぉおおおおおおおおおおおおぉぉおお!!』
滝のように涙を流し一気に己を増やしたスカルミリオーネの叫びに呼応して、号泣し津波のように迫るスカルミリオーネ群が一気に僕目掛け突っ込んでくる。
「ちょっ!やばーっ!」
走る、走って逃げる。路地の真ん中を急いで走ればすぐ後ろをスカルミリオーネの津波が路地を覆い尽くし屋根まで溢れながら追いかけてくる。
どいつもこいつも無茶苦茶だ、魔術というより覚醒に近い力を持って襲いかかってくる…いや実際そうなのか、感情の悪魔達はルビカンテの覚醒によって生み出された存在なんだ。
その存在そのものが覚醒である悪魔達は全員が覚醒者と同列の力を持つ。例えその身が覚醒していなくともただその場にいるだけで覚醒と同じ恩恵を受けられる。
こいつらは常時覚醒しているも同然、覚醒のデメリットとかそういうのもなし…デタラメな存在なんだ。
「っでも!」
僕はクルリと反転し迫るスカルミリオーネの大群を睨みつける。そうだ、だとしても負けるわけにはいかない!今は僕しかいないんだ!僕が負けたらアルタミラさんもエリスさん達も助けられないんだ!
「魔術箋!」
本当はルビカンテ戦に温存しておきたかったけどそうもいかない、全力を出さないとこいつらは倒せない…そう感じたからこそ僕は魔術箋のカードをばら撒き。
「『久那土赫焉』ッッ!!」
『───────ッッ!?!?』
消し去る、どうやら増殖によって増えたスカルミリオーネは魔力を持たないようで防壁を張ることもなく僕の生み出した炎によって消し去られ跡形もなく吹き飛ぶことになる…けど。
『悲しい悲しい悲しい悲しい!』
「キリがない……」
攻撃すれば消えるけど大元のスカルミリオーネがいる限り増殖は止まらない、増殖体が肉の壁になって本体に攻撃が届かなかったし…今の攻撃は完全に無駄に終わったようだ。
『嬉しいなぁ!そんな大掛かりな魔術が使えるなんて!』
『ずったかたー!』
「アリキーノとファルファレルロも来た…!ここから離れないと…」
遠くからアリキーノとファルファレルロの声も聞こえてくる、スカルミリオーネの津波が襲ってきている状態でこの二人を相手にしたら呆気なく殺される。ここは逃げないと…。
「っ………」
一人で走り、四人の悪魔から逃げるように立ち回る自分を…改めて確認する。冷静になって動くと…昂っていた気持ちが急激に冷えて現実が見えてくる。今の状況…最悪すぎないか?相手は僕より遥かに強い四人、これを倒してもその奥にはルビカンテ。
対する僕は…たった一人、仲間達は皆敵に捕まり奴らを倒さない限り解放されることはない…動けるのは僕だけ。
ここで僕だけがみんなを救えるんだ!と思えたら…きっと演劇の中の英雄みたいになれたんだろう。ただ舞台の外ではただの人でしかない僕は…こう思う。
僕一人で何が出来ると。
「逃げ回るなぁ…!イライラするだろう!」
「うわっ!?」
目前に降り注いで来たのは漆黒の悪魔マラコーダ、怒りで震えながら口から水蒸気を放ちながら拳を握り、僕じゃ到底反応出来ないような速度で一撃を見舞う。
「がはぁっ!?」
マラコーダに殴り飛ばされれば僕の体は砲弾のように飛び、家屋を突きつけ路地の向こう側へと飛ばされ地面を転がる。
またか…またなのか…!
(また僕は!窮地の中で誰かに助けを求めてしまうのか!)
思い返すのはロムルスに半殺しにされた時のこと。あの時も僕は誰かに助けを求めて…それで何も出来なかった。それと同じことが起ころうとしている、だが今度は奇跡は起きない、殺される。
殺されたらみんなも囚われたまま、僕がしくじったらみんなが囚われたままなんだ。
「っ戦え…怖くても戦え、勝てなくとも戦うんだ!」
そうだ戦えとフラフラになりながらも立ち上がる、戦うんだ…そうだ!アイツらは感情の悪魔だ、正反対の感情をぶつければ倒せる。
「ぬぅぅ…イライラするぅ…!」
(ッ…怒り、悲しみ、楽しさ、喜び、それぞれの正反対の感情をぶつければ倒せるんだ、カルカブリーナでそれは実証済みだ!やれ…やるんだ!)
まずは怒りの感情だ…、僕が突きつけた家屋を超えて現れるマラコーダからなんとかするんだ、怒りの感情の反対はつまり────。
「『玩具の行進』」
「っうわぁぁあ!?!?」!
しかし、僕が何かをする前に飛んでくるのは玩具の兵隊による一斉掃射、大砲の弾みたいに巨大な鉛玉が降り注ぎ再び僕は吹き飛ばされる。
ダメだ…ダメだ!反対の感情を突くなんてそんな悠長なことやってる暇がない!
「ゔ…うう……はっ!」
吹き飛ばされ、地面を転がり…気がつく。吹き飛ばされ続けていつしか僕は街の大通り、サイディリアルの中心の道であるプリンケプス大通りに来てしまっていた事に。
まずい、プリンケプス大通りはまずい…アルタミラさんは言っていた、今この街にいる人達みんながこの夢の世界に落ちていると、その上で夢に落ちたことにさえ気がついていないと!
(夢の世界で死んだら現実でも死ぬ…なら人は巻き込めない!)
悪魔達の戦い方はどれもこれもめちゃくちゃで街の被害とかを考えるような奴らじゃない、このままここで戦えば被害が出る…せめて少しでも避難させないと!
「皆さん!今からここに危険な奴等が来ます!急いで王城か街の外に避難を!!」
咄嗟に振り向いて大通りを歩く人達に向けて叫ぶ。みんなここが夢の世界だと気がついていない…ならルビカンテ達の攻撃にも気がついていないかもしれない、だから今すぐにでもここから離れて─────。
「え?」
振り向き大通りを歩く人達に向けて叫んだ…つもりだった。しかし振り向いて気がつく、さっきまで人で埋め尽くされていたこの街が…サイディリアルという街に、人が誰一人としていなくなっていることに。
通行人が消えている…と言うか街全体から人の気配を感じない…。なんだこれ、こんなサイディリアル見たことないよ、だってこの街は何処に行っても人だらけで…。
「無駄だ……」
「っ…マラコーダ、何をした…!」
すると、そんな僕に向け…声を投げかけるのはマラコーダだ、その背後にはファルファレルロやアリキーノ…スカルミリオーネもいる。そいつらは言うんだ…無駄だって。
まさか、街の人達も何処かに攫ったのか…!?
「街の人達を何処にやったッ!!」
「何処にも?別に誰も消えていない」
「は……?でも」
「ルビカンテはいつ…『お前の相手は我々四人だ』などと言った?」
「えッ……!?」
その瞬間、近くの家屋の扉が壊れ…中から何かが這い出てくる、一瞬この街の人かと思ったが…違う。
「ゔぅ…あぁあ…ぁあー」
ボタリボタリと重たい泥のようなそれを体から垂らしながら、呻き声を上げて現れたのは…全身を緑の絵の具で包まれた人型の何かだった。
いや…あいつ一匹じゃない、次々と家屋から絵の具に包まれた人型が現れる、色は取り取り。水色、赤色、ピンク、黄色、様々な色の絵の具に全身を包まれた呻いて歩くそいつらは…まるでフィクションに出てくるゾンビのように歩き、僕を見つけると。
「ゔぁあああああああ!!」
「お、襲いかかってきた!?なんだこいつら!」
「それはこの街の人間達だ…」
「な、なんだって…!?」
家の中や路地裏から無尽蔵に現れる絵の具に包まれた人達は僕を見つけるなり雄叫びをあげ飛びかかってくるんだ。その数百や二百じゃ効かない…とんでもない数いる、そいつらから逃げるように屋根の上に飛び上がり街全体を見ると…。
絵の具に包まれた人達が大通りを埋め尽くす…まるで、いつものサイディリアルのように…。
「これはルビカンテの狂気の絵の具、悪夢の残滓に取り込まれた憐れな人の成れの果て。…我々は『色鬼』と呼ぶ存在だ」
「色鬼……」
「今、夢に落ちた街人は全て色鬼になった…お前の相手は我々四人にプラスして、このサイディリアルに住む人間全員だ」
「…………」
グラフィアッカーネは…他の人間の体を絵の具で覆い肉体の主導権を奪っていた、恐らくこれはそれと同じ。ルビカンテが生み出した夢により人の体を覆い肉体の主導権を奪い人間を色鬼に変えたんだ。
サイディリアルの人口は数十万数百万とも言われている…それが全て、僕の的になった?感情の悪魔にプラスして手がつけられない数の色鬼まで相手。いやそれどころか。
(今、この街には……僕しかいないのか)
戦慄する、援軍が望める状況ですらない…この街には、いやこの夢の世界にはルビカンテと戦える人間は僕しかいない。
たった一人、たった一人で…これだけの相手を。
「分かるか、これがマーレボルジュ…夢の世界にのみ存在する八大同盟が一角にして最強の戦力を持つ組織、至上の喜劇マーレボルジュなんだよ…!」
「……ッ」
マラコーダと、感情の悪魔達と色鬼が立ち塞がる。エリスさんはいない、仲間はいない、僕以外誰もいない……。
こんなの無理だ、どうやっても覆しようがない…ここからどんでん返しなんか、出来るわけ……。
(ッ…諦めるな!助けるんだろ…助けるんだろみんなをッ!!なら折れるな!前を見ろ!)
震える、体が震える、無理だ無理だと心が叫ぶ…でも、それでも。
「負けてたまるか…僕は、僕はサトゥルナリア!閃光の魔女の弟子サトゥルナリアなんだッ!!」
「ここでもまだ啖呵を切るか!不満だ…お前のその欺瞞が不満で!憤懣やる方なしッッ!!」
「っ…!!」
マラコーダが突っ込んでくる、苛立ちをチャージして突っ込んでくる。そのスピードは僕には到底対応出来るレベルのものじゃない…けど。
奴は突っ込んでくる前に必ず『怒る』。前兆さえ見えていれば…!
「『湾曲陣・祓戸』ッ!」
「なぬぅぅっ!?」
目の前に魔術陣を展開する、目の前に当たった物の軌道を横へとズラす魔術陣だ。これに突っ込んできたマラコーダは右に急カーブし地面へと突っ込む。
やるんだ、やってやるんだ!僕がやらなきゃみんな居なくなってしまうんだから!
「嬉しいなぁ、まだ諦めないんだぁ…!」
「ッファルファレルロ!?」
しかし、マラコーダを凌いだと思いきや背後には両手を刃に変えたファルファレルロが迫っていた。接近に気がつけなかった…!まずい!
「傷ついて!血を吐いて!苦しんでくれよぉ!!君のような芸術家が苦しむ姿が一番好きなんだよ私はッ!」
「アルタミラさんは!そんな事!言わない!」
ブンブンと振り回される刃を前に地面を蹴り飛び上がり、身を屈め潜り込み、左右へ飛んで回避する。がしかし今僕が立つのは家屋の屋根の上…下には大量の色鬼、このまま逃げれば後がない。
どうする…どうすればいい!これをどうすれば切り抜けられ───。
「『ジャック・イン・エクスプロージョン』ッ!」
「え!?」
ファルファレルロに気を取られた瞬間、背後から飛んできたのは導火線のついたびっくり箱…アリキーノだ、やばい!あれが爆発したら───。
「『水影陣・瀬織津姫』!」
咄嗟に筆を走らせ水を生み出す魔術陣にて導火線のついたびっくり箱を覆い爆発を防ぐ、間に合った…けど。
「私を無視するなよォッ!!」
「ッ!」
ファルファレルロはまだ健在、回避に使うワンアクションをびっくり箱の対処に使ってしまった。来る…ファルファレルロが!
「『アンリミテッドティアー』ッ!」
「えっ!?」
しかもそれだけではなく足元の屋根が崩れ大量のスカルミリオーネが氾濫し溢れ出す。足元の家屋の中でスカルミリオーネが増殖したんだ!
爆発的に増殖し足元の家屋を破壊し溢れ出したスカルミリオーネの大群は僕の体を次々と掴み拘束していく…。
「もらったァッ!」
「ッ……!」
そして、スカルミリオーネに纏わりつかれた僕にファルファレルロが向かってくる。両手を刃に変えたファルファレルロはそのまま手をクロスさせ鋏のように僕に向かってくる…防御、防御しないと!!
「『衝爆陣・武御名──」
「遅いッッ!」
がしかし、防御のため筆を走らせるが全く間に合わず…僕の体にバツを刻むように振るわれた刃が僕の体を切り裂き吹き飛ばす。
僕の鮮血が舞い散り…崩れた家屋と共に僕は地面に叩き落とされることになる。
「ゔっ!…ぐぅ……」
胸に刻まれた傷から血が漏れる…痛い、苦しい…ダメだ。
まるで敵わない、どれだけ格好良く啖呵を決めても…僕は主人公にはなれない、主人公のように窮地にあって力を発揮できず、ただただすり潰されるように殺される。彼我の戦力差はどうにもならず…ただただ敵わず、ただただ殺される…。
(僕じゃ…ダメなのか……)
大の字になって倒れる僕は…大通りの地面を転がる。当然その先にいるのは…。
「ゔうううぅぅううう……」
色鬼だ、大量の色鬼が傷つき動けなくなった僕を取り囲み群がり始める。…最早そこに人の意思はなく獣の如く人の血肉を求め彷徨う無我の怪物と化した色鬼達は僕を殺すため…手を伸ばす。
「腹立たしい!勝利とはまさしく腹立たしい!何も満たされない!まさしく空虚!憤懣やる方なし!」
「あはははは!嬉しいねぇ…死んでいくよ、また一人の芸術家が」
「悲しい…また私は一人を否定した…」
「色とりどりできれーい!楽しい〜!」
悪魔達は僕が死んでいく様を見て手出しすらしない、僕が死ぬ様を見ているつもりなんだ…勝ったつもりなんだ、僕はもう負けたのか…!?
「ゔぅううううう!!」
「ぐっ…この!」
負けられない、死ねない、その一心で僕の足を掴もうとした色鬼を蹴飛ばすが…一体蹴り飛ばした程度じゃどうにもならない、右手を掴もうとした色鬼の手を振り払い体につかみかかってきたそれを殴りつけ、抵抗する。動けば動くほど血が溢れ意識が朦朧とするが…諦められない。
分かってる、勝てないことくらい!僕が弱いことくらい!いくら強い自分を演じようとしても僕は主人公にはなれないことくらい!
アルタミラさんと言うヒロインを!かっこよく救えるヒーローになりたかったわけじゃない…なんで言えば嘘になる。ラグナさんのような主人公になりたかったと言えば否定出来ないよそりゃ!
けど!ダメなのか!?そんな風に思うことくらい!誰かを助けるためにヒーローになろうとすることが悪いことなのか!弱いことがそんなにダメか!
「クソッ!くそぉっ!」
「ゔうぅううううう!!」
「あっ…た……」
瞬間、右手を色鬼に掴まれ危うく口に出そうとしてしまう…『助けて』と。でもダメだ、そんなこと言っても誰も助けてくれない、分かってる。何よりそれを口にしたら…僕はまたあの時みたいに、ただ助けられるだけの存在になってしまう。
それじゃダメなんだ、僕は主人公にはなれなくても…みんなみたいに一人でみんなを助けられるくらい、エリスさんみたいにと一人で戦えるようになりたいから…この絶望的な状況を覆せるのはエリスさんのような人じゃないと出来ないから。
弱い僕になったら…あとは死ぬだけなんだ、だから…助けなんか求めちゃダメなんだ…!
「んん?今…助けを求めようとしたかな?」
すると、ファルファレルロはニタリと笑いながら僕を屋根の上から見下ろし…。
「アハハハハハハッ!聞いたかいみんな!彼!この場で誰かに助けを求めようとしたよ!」
「悲しい…誰もいないのに」
「ぬぐぅ〜情けない!潔くない!腹立たしい!イライラする!」
「あははっ!おかしいのねー!誰も助けてくれないのにねー!」
「ッ……」
嘲笑われる、悪魔達が僕を笑う。ああそうだ…なんて情けないんだ。
ごめん…ごめんみんな、アルタミラさん。僕じゃやっぱり……。
「ゔぅううううう!!」
(ッ…エリスさん、ラグナさん…みんな……!)
「あははは!死んでいけ死んでいけ!一人で孤独に死んでいけ!助けなんか求めちゃダメなんだよぉーっ!」
木霊する笑い、とめどなく伸びる腕、それに囲まれ…抵抗する力を失い、死に行く僕。絶望の悪夢は僕を飲み込み…決意も、覚悟も、勇気も…何もかもを黒で染めて……。
ああ……やはり僕じゃ、強く…なれないのか…………。
『助けを求めることのッッッ!!!』
瞬間、光が差す。銀色の光が風のように薙いで…僕を囲む色鬼が吹き飛んで……。
……え?
「何が悪いッッ!!!!」
「え……」
この悪夢の世界に、味方はいない、僕以外いない、はずだった。なのにそれは突如として飛んできて…僕の窮地を前に現れて、その金の髪を揺らし…救ってくれる。
それはいつか、僕を救ってくれた…ヒーローのように、僕を守るように色鬼達を吹き飛ばし僕の前に立ち…腕を組み、その背を晒す。
「人はッ!誰だって一人じゃ生きていけない!戦えない!どんな凄いやつだって一人じゃ何にも出来やしないッ!そう言う意味じゃどいつもこいつも弱いのさ!けどな…それでも守りたい何かがあるから!弱さ噛み殺して立ち向かうんだろうがッッ!!」
「貴様……誰だ」
「誰だっていいだろうが!ただなぁ…俺の恩人を傷つけるってんなら、弱い俺でも…勇気振り絞って!弱さ噛み殺して!テメェにだって喧嘩売ってやるよッッ!!」
その背は、エリスさんのようでいて…エリスさんではない。片手に剣を持ち、鎧を着た…英雄のような姿をした金色の勇者。僕は彼の名前を知っている…彼は僕を知っている。
味方のいない絶望と悪夢の中にあって、ただ独り現れた…僕の味方。
その名は…ああ、彼の名は!
「ステュクスさんッ!!」
「ナリアさん!俺城で寝てた気がするんすけど!ぶっちゃけ状況はよく分かりませんけど!…助けに来ましたよ!」
彼の名はステュクス…エリスさんの弟のステュクスさんだ。なぜ彼が…と思ったが、そうだ!ルビカンテが襲ったあの場にステュクスさんはいなかった!ルビカンテが狙ったのは魔女の弟子だけ…ステュクスさんはノーマークだったんだ!
その上で色鬼化の侵食も弾き返し…王城から飛んできてくれたんだ…!
……また、助けられてしまった…。
「アイツらカルカブリーナと同じ奴ですよね!感情の悪魔…それが四人!街の有り様もアイツらのせいってことですかナリアさん!……ナリアさん?」
「…………」
僕には味方がいた、ステュクスさんが助けに来てくれた、それは嬉しい…けどまた助けられてしまった事実に打ちのめされそうになる。やはり僕じゃ何も出来ないのかと…何処かで理解してしまう。
そんな場合じゃないのは分かってる、けど…体力も魔力も尽きかけの今、精神力の磨耗は致命的であり僕から体を動かす力を奪う。
「ナリアさん!ひどい傷だ…動けますか!」
「ああ悲しい!まだ動ける者がいたとは!悲しい悲しい悲しすぎるッッ!!」
「ッ…ヤベェ!悪魔が動き出した!」
ステュクスさんの増援を見て早速動き出したのはスカルミリオーネだ、奴は涙を流し次々と増殖を始め再びスカルミリオーネの大群を作り出し、僕とステュクスさんを飲み込もうとする…ダメだ。
「げぇーっ!増えやがったーッ!!」
「ッ…ステュクスさん!今は…ぐっ」
「ナリアさん!クソッ…姉貴達は…まだ目覚めてないのか…!こんな時に!」
迫る涙雨、大群となり襲い来るスカルミリオーネを前に僕は動けない。血を流しすぎたと言うのもあり足先が痺れる…そしてそんな僕を守る為にステュクスさんは剣を構え、迎え撃つ姿勢に入る。
だがダメだ、このままステュクスさんが戦っても二の舞だ…!敵は四人いる…僕の時のようにすり潰されるッ…………そう、この時は思っていた。
『討龍隊ッ!!撃てェーッ!!!』
「おっ!?」
僕達の背後から無数の炎弾が放たれ増殖体のスカルミリオーネ達を撃ち抜き次々と消し去っていく。この炎…この声、それはステュクスさんと僕を守るように現れる。
やってくる、次々と足音が背後から聞こえてくる。
「助けられることの何が悪い、いい啖呵だステュクス・ディスパテル…そうだ、助けられる事は悪い事じゃない。誰かの手を掴んででも前に進もうとする意志を…嘲笑う下劣な感性よりも余程良い」
「あんた…ヴァラヌスか!助けに来てくれたのか!」
現れたのは紅の鎧と龍の兜を被った大柄な剣士、ヴァラヌスさんだ…彼も来てくれた。いや彼だけじゃない。
「そうだにゃ、そもそも冒険者って生き物の本質は人助け、助けを求める声があるのなら西へ東へ何処でも行く…勿論ここにもな。それを否定されちゃあ面白くないにゃ」
「ネコロア!あんたも…!」
肉球型の杖を肩に背負い、僕の隣に立つネコロアさんは…ニッと笑い牙を見せ笑う。
そこで悟る、思い出す。そうだ…ヴァラヌスさんやネコロアさん、大クラン達は明日の競技の会場設営の為に街の外にいたんだ。だから色鬼化の侵食が起こらなかったんだ…!そうか…そうか。
ネコロアさんはそのまま傷ついた僕の頭に手を置いて、ゆっくりと優しく撫でながら…落ち着かせてくれる。
「サトゥルナリア、お前一人でよく頑張ったにゃ。だが一人で頑張りすぎにゃ…無理だと思う範囲がであるなら助けを呼べばいいにゃ。助けられることは悪い事じゃないにゃ」
「でも……」
「何を気にしてるか知らねーが…それ、死ぬ事より嫌な事かにゃ?」
「え?」
「何がなんでもしなきゃいけない事があるなら、助け求めたっていい、情けなく泣き喚いて逃げ回って謝り倒してバカにされまくって泥に塗れたっていい…やっぱりダメでした、より余程格好がつくぜ?にゃ」
「ッ……」
助けを求めるくらいなら死んだほうがマシか?そんな事…ない。僕が負けたらそれで終わっていたんだ、終わりだと思っていたんだ。ならせめて…誰かに助けを求めるくらい、してもよかったのかな。
助けを求める事は…そんなにも悪い事なのか?いや違う…。
「ぬぐぅうううドンドン現れおって!イライライライライライライライラするゥッ!!『イラ・ルヒル』ッッ!!」
その瞬間マラコーダが口から灼熱の光を放ち、僕達を消し去ろうと吠え立てる。しかし、それと同時に動くのは空だ。まるで星のように輝いたそれは流星の如く降り注ぎ…助ける為に、守るように、灼炎を前に躍り出て…。
「その通りだッ!サトゥルナリアッッ!!」
「なっ!?」
破壊する、そいつは降り注ぐと共に大鎌を振るいマラコーダの一撃を粉砕し…バラバラと崩れさり光の粒子となって空間を舞い散る、そんな幻想的な光景を背に…彼は、こちらを見る。
「人間ってのは弱えよ、全員纏めてな。だからこそ守られる奴がいるし守る奴がいる、それは当たり前のことで恥ずべきことじゃない…だから、だから言えよ」
彼は浅橙色の髪を揺らし、凶暴そうな目で僕を睨みながらも…笑みを見せ、マラコーダ達と相対する。
そうだ、助けられる事は悪い事じゃない。戦うことをやめるのが悪いことなんだ…何もかもを諦めて任せてしまうのが悪いことなんだ、だから今ここで僕がするべきなのは…落ち込むことでもなんでもないッ!
「だから言えよサトゥルナリア!俺達に助けを求めろッ!ここには…冒険者がいるッ!」
「はいッ!!助けて…ください!一緒に戦ってください!ストゥルティさん!みんなッッ!!」
「よし来たァッ!!!」
現れたのはストゥルティさん、彼はネコロアさんやヴァラヌスさん、そしてステュクスさんと肩を並べ前に立つ…そんなみんなに遅れを取らぬよう、僕もまた立ち上がり…一歩踏み出す。
誰かの後ろにいたらダメだ、前に出て並んで戦うんだ…ここにいるみんなと!
「聞いたなヴァラヌス!ステュクス!ネコロアッ!状況はわからねぇし何が起きてるかも意味不明!街には怪物が溢れ世界の終わりみたいな状況だ!けど…『依頼』が来た!なら俺達のする事は決まってるよなァッ!!!」
鎌を振るい、屋根の上から見下ろす…四人の悪魔に視線を向けるストゥルティさんは、見定める。この戦いの…この依頼の討伐目標を。
それを聞いたネコロアさんとヴァラヌスさんは……。
「ああ、勿論だ」
「そうだにゃ、決まってるにゃ」
小さく頷き、動き出す──!
「ああそうだ!やるぜッ!決戦────」
「撤退だにゃあー!!!」
「は!?え!?バトルじゃねぇの!?」
「ナリアが重傷!状況不明!敵もよく分からん!今は撤退撤退!」
「ストゥルティ、ここはネコロアの言う通りにするべきだ、どうやら敵は強そうだ…作戦を決めてまた来るんだ」
「ほらほら行くぜストゥルティ!」
「えーっ!いい感じに啖呵切ったのに…チッ、しゃあねぇ!」
ネコロアさんは即座に僕を抱え色鬼達の間をスルスルと抜けながら街の外に逃げていく。ヴァラヌスさんもステュクスさんも、ストゥルティさんもそれに続く。
……対する悪魔達は、追ってこない。ハナッから迎撃しかするつもりがなかったと言わんばかりに奴等は屋根の上でこちらを睨みながら見送っている。
(……アルタミラさん)
また助けられた、けどいいんだ。僕は一人じゃ何も出来ないくらい弱いよ…けどいいんだ。
一人じゃないと分かったから。この敵に満たされた偽りのサイディリアルに於いて、僕は確かな味方を得た。だから今は引く…けど。
(必ず戻ってきます、それまで待っててください。みんな…アルタミラさん)
そうして…僕のサイディリアルでの戦いは、魔女の弟子達は皆囚われサイディリアルの全てが敵に回る最悪の状況で最終局面を迎えるのだった。