655.魔女の弟子と第三戦前哨
「というわけで!僕達今日遊びに行ってきます!」
「そ、そうですか。お気をつけて」
大冒険祭一週間の余暇、第三戦が始まるまであと六日…と言ったところでナリアは仲間達に提案する。今日から六日間僕はアルタミラさんと一緒に遊び回ると。
仲間達もその提案を受けて普段真面目で殆ど遊ばないナリアさんがいうなら何か意味があるんだろうと受け入れつつも…やっぱり心配する。
「大丈夫ですか?ナリアさん。こう言うのはあれかもしれないですけど…ルビカンテの件もありますし」
「それに以前も言ったがリーベルタースの件もある。街は必ずしも安全とは限らんぞ」
「大丈夫…とは言い切れないかもしれませんが、でも今しかないんです。すみません」
今、街はピリピリし始めている。リーベルタース…ルビカンテ…危険は山ほどある、出来れば第三戦までみんなで一緒にいた方がいいかもしれない…けど、それでも今しかないと語るナリアさんの気迫に押し負け、エリス達は首を縦に振る。
「分かりました、くれぐれもお気をつけて」
「ありがとうございます!エリスさん!」
ニパッと笑うナリアさんにエリス達は押し負けたことを悟る。ナリアさんはこれでいてとても頑固な人だ、決して譲らない…ならもう信じるしかないだろう。
「では!行ってきます!行きましょうアルタミラさん!」
「え、ええ…!わかりました!」
そうしてステュクス邸を出ていくナリアさんとアルタミラさんの二人を見つめ…エリス達魔女の弟子は心配の色を隠せずチラリと視線を交わらせる。
「大丈夫ですかね、ナリアさん」
「さぁ、必ずしも大丈夫とは言えないだろうけどよ。でも本人がああ言ってるしなぁ…」
なんてやや気弱とも取れるアマルトさんの発言にエリスはムッと膨れ。
「そんな弱気な。ナリアさんに何かあったらどうするんですか」
「いやいや…流石にリーベルタースも往来じゃ攻めてこないだろ、なぁ?ネレイド」
「追い詰められたネズミは、物陰から飛び出して九死に一生を得ようとする。今…リーベルタースは火に囲まれたネズミも同然、何をするかは分からないから…安易に大丈夫とは言えない」
「ほら!ネレイドさんもこう言ってますよ!」
「でも、それなら夜にこの館を燃やした方が効率的とも言えるから…往来で攻めるなんて安易なことはしないとも言える」
「だってよエリス!ネレイドさんもこう言ってますよぉ〜ん!」
「ぐぅ!どっちですかネレイドさん!」
「さっきも言った、何をするか分からない。なんとも言えない」
「あんまりネレイド困らせるなよ…」
エリスとアマルトさんの言い合いに巻き込まれて困ったふうに眉を八の字にするネレイドさんを、ラグナは庇う。まぁ確かにエリスもやや過敏になりすぎだだろうか…でも大切な時期だし。
「ナリアだって危険を承知で行ったんだ、それにナリアだって魔女の弟子だろ。危険は自分の手で払うさ…信じてやろう」
「う……」
そう言われると弱い…。エリスは別にナリアさんだから庇護対象として見てるわけではなくて、単に危ないから友達として心配してるだけで…。
「ま!本人が行くって言って行ったんだから。ここはナリア君を信じようよエリスちゃん」
「デティまで……はぁ、分かりました。でもナリアさんに何かあったらエリスはリーベルタースを地表から消し去ります」
「そーしろそーしろ、それより今朝からステュクス居ないけど…どうした?」
みんなで館のリビングに戻りながら話し合う、既にリビングにはコーヒーが置かれている…メグさんが用意したものだな、この匂いは。って言うかステュクスもいませんけど…。
「メグさんも今朝からいませんよね、二人してどうしたんでしょうか」
「ん?そういやメグもいないな…さっきまで居たのに」
「メグならレギナから呼び出されたとかでさっきスルッと居なくなったぞ。ステュクスは知らん」
「レギナちゃんに?」
ああ、と答えるメルクさんはコーヒーを残して消えたメグさんの話をしつつソファにドカリと座りコーヒーに口をつけ始める。レギナちゃんがメグさんを呼び寄せるとは…何かあったのだろうか。
「何の用ですか?」
「さぁな、存外帝国やアド・アストラから取り寄せたいものでもあるんじゃないか?」
「んー、それくらいしか考えられませんよね」
ステュクスがいない…という話題はメグさんの出奔に掻っ攫われ自然と話題のテーブルから消えていった。メグさんと言う人間の便利さを分かっているエリス達からするとまぁ彼女単体で呼び寄せる理由もわからんでもないし…気にする必要はないんだろうけど。
「んんぅ〜…にしても暇だねぇ…」
「残り六日間、俺達はここで待機か?ラグナ」
「そうなるな、下手に出歩いてリーベルタースと出くわすと面倒だ…」
「じゃあしょうがねぇ…なんかボードゲームでもやろうぜ、暇だし。なぁエリス」
「エリスはボードゲームやりません!」
「ちぇ〜、暇」
みんなでコーヒーを飲んで暇を潰す。メグさんがいないから絵画の中で遊ぶことも出来ないし暇だ。手持ち無沙汰だし軽く魔力修行でもしようかな…と思うコーヒー片手に手の中に五つくらい魔力球を作り出しクルクルと三回転、その後回転方向を反転させ四回転、それらを等間隔で上へ下へ移動させながら回転方向とは真逆の方を傾けると言う修行ならぬ魔力遊びにて暇を潰す。
「エリスちゃんまだその修行やってるの?」
「修行というか…暇なので」
「相変わらず凄い練度だよねそれ、私今も出来ないよそれ」
「まぁこれは技量というより慣れですよね、慣れちゃえば出来るので…だから修行というより遊びなんです」
ココアをチビチビ飲むデティに魔力球を見せながらエリスはボーッと過ごす、はてさて何をしたものか……。
『ごめんくださーい』
「ん?この声…」
ふと、何者かが玄関の扉を開けこちらに向かってくる。足音の数は二つ、一つは聞き覚えのある足音…もう一つはよくわからないがその声は聞いたことがある。
「失礼〜…ってマジでいる」
「ヴェルトさん?」
「ただいま〜」
「ん、ステュクス君もう帰ってきたんだ」
すると帰ってきたのはステュクスと…彼の師匠である元アジメク友愛騎士団の団長ヴェルトさんだ、そう言えばヴェルトさんも今サイディリアルにいたんですね…。
「どうしたのヴェルト、もしかしてお弟子さんと家で過ごしたかった?邪魔かな私たち」
「いえいえ、導皇様が邪魔なんてそんなことないですよ。そもそも俺…皆さんに用があって来たので」
「私達に?」
そういうなりヴェルトさんは静かに息を整え…何かを覚悟するようにエリス達を見遣る。すると…。
「俺がマレフィカルムのことを探ってるって話、しましたよね」
「え?」
ああ、それは聞いている。元はハーシェル一家からトリンキュローさんを取り戻す為に始めた戦いだったが…それは、まぁ…ああいう結果になってしまった。だがそれでも彼の戦いは終わっていない、今もこうしているということは彼はまだマレフィカルムを探っているんだろうと。
だが、そこに対して驚きの声を上げたのはステュクスだ…どうやら彼はこの件を知らなかったらしい、なぜ弟子の彼が知らないのかと思ったが…多分巻き込みたくなかったからだろう。レグルス師匠が詳細を伝えず今どこかに消えているように…師匠として弟子を巻き込みたくないんだ。
だがそれでも、ここでその話をするということはつまり…どういうことなんでしょう。
「聞いてるかは知りませんけど、俺は一人でマレフィカルムと戦ってるわけじゃありません。協力者がいます…いや、いました」
「それって…」
「トラヴィス卿です、トリンキュローに助けられながらも重傷を負った俺を助けてくれたのがあの人なんです」
曰く、ヴェルトさんとトラヴィスさんは二人で組んでマレフィカルムについて探っていたらしい。トラヴィスさんはエリス達もよく知る通り…マレフィカルムの奥の奥まで知っていた、そんな彼の目となり耳となり動いていたのがヴェルトさんだったのだ。
「俺が現地で情報を集め、トラヴィスさんがそれを精査する…そう言う動きで今まで探って来ましたが…トラヴィスさんが死んで、俺はもうこの連携に頼れなくなりました」
「……そう言えばトラヴィスさんが言っていた古い友人って、ヴェルトさんのことですか?」
「古い友人?いやぁ…確かにトラヴィスさんとはウェヌスが子供の頃からの知り合いですけど、友人って間柄じゃないよなぁ…どっちかというと生徒と先生みたいな関係だし」
トラヴィスさんとヴェルトさんが知り合ったのはトラヴィスさんが先代導皇ウェヌス・クリサンセマムの家庭教師をしていた時のようで…そう考えるのであれば友人って言い方はあまり適切ではない気がする。それにトラヴィスさんは何がなんでもそいつの名を口にはすまいと誓っていたし…その正体がヴェルトさんならエリス達に隠す意味もないしね。
「もしかして、あの人のことか…?」
「え?ヴェルトさん知ってるんですか?」
「多分、そう言えばトラヴィスさんはあの人のことを古い友人と形容していたな…。その人がマレフィカルムの極秘情報をトラヴィスさんに流して、それを俺が裏取りするって形だったので」
トラヴィスさんの古い友人とはつまりマレフィカルムに所属する何者か。ということまでは分かっているが実際それが誰なのかは分からない、まぁトラヴィスさんは彼を頼るな…とも言っていたしここに関して詮索する必要はないんですけどね。
「実はその友人と思われる人から今日連絡があったんです」
「え!?そうなんですか!?」
「ええ、誰かは言えません…けどトラヴィスさんが亡くなった事、その事が悲しいという話と一緒に…北部にセフィラの拠点と思われる場所があるという情報を貰いました」
「セフィラの……」
「俺は今からそこを見つけ出し、そして白日の下に晒すつもりです。セフィラの活動拠点が人なくなればその分奴らの動きも小さくなりますから」
「北部か……」
その話を聞いてラグナは目を閉じて考える。北部…その話が出た時エリス達の中にある一つの情報が結びつく。
「そう言えば今レナトゥスがいるのも北部だったな」
今、レナトゥスはマクスウェルと共にサイディリアルを離れている。トラヴィスさん曰くレナトゥスとマクスウェルは共にセフィラの名を持つ者…そして北部にセフィラの拠点。
もしかしてレナトゥスは今そこにいるんじゃないのか?セフィラの拠点に行けばエリス達は何かマレフィカルムの有益な情報を得られるんじゃないのか?
「レナトゥス、そしてセフィラの拠点…北部は今反魔女思想の巣窟となっているようだし何かありそうだな」
「だな、調べてみる価値は大いにあると私は思うぞ」
「ヴェルトさん、俺達も北部に行きます…つっても大冒険祭が終わるまではここを離れられませんから、大冒険祭が終わり次第すぐに…」
「そういうと思ったから、これを伝えに来たんですよ。正直…セフィラの相手は俺じゃ厳しい…」
ヴェルトさんは窓に映る己の顔を見る。エリスが最初に会った時は彼も若々しく猛る獅子のような印象だったが、今や年老い古傷だらけの有様だ。右目は失い眼帯に覆われ顔には皺が浮かび、あちこちにガタが来ている。彼はもうこれ以上強くなれないばかりか…衰えつつある。
「俺はトリンキュローを助けにいく時、エアリエルにボコボコにされて殺されかけた…あんな強い奴いるもんかと感心するくらい強かった…が、そんなエアリエルも敗れ去った…君達に」
ヴェルトさんはエリス達を見る。トリンキュローさん奪還の為に空魔の館に乗り込みハーシェルの影達を相手に戦ったヴェルトさんは…終ぞジズの姿を拝む事なく敗北した。エアリエルだ…魔女大国最高戦力級の力を持つエアリエルにヴェルトさんは敗北したんだ。
エアリエルは強い、圧倒的と言えるほどに強い。だがそんなエアリエルも負けた…エリスに。ヴェルトさんが手も足も出なかった相手をエリス達は倒したんだ。
「それを聞いた時、正直驚いたよ…けど不思議な気持ちはどこにもなかった。世代交代って奴かな、俺の出番は終わり…君達の時代が来たんだ」
「いや、ヴェルトさんも凄いですよ…空魔の館に単独で乗り込み戦うなんて」
エアリエルに負けた!とはいうがそれ以外はなんとかしたって事ですよね。空魔の館には他にも化け物はいるデズデモーナやオフェリアにクレシダ、コーディリアもいる。ファイブナンバーだってチタニアにオベロン、アンブリエルもいただろう。
それらを纏めてなんとかしながらエアリエルまで引っ張り出したのだとしたら凄いなんてレベルの話じゃないよ。
「いやぁ…昔、バルトフリートさんと話したんですよ」
懐かしい名前が出て来たな…確かエリスにとっての仇敵レオナヒルドのお兄さんだったよな。レオナヒルドを逃しナタリアさんを殺しかけたが…それでも立派な人だったらしく今もアジメクの英雄として祀られているような人だ。
「バルトフリートさんは当時もう引退間近の歳で…俺達若い世代が自分たちの世代よりも強く、逞しいことを喜んでいた。俺達世代が台頭すればアジメクは安泰だって…それが事実だったかは分からないですけど、俺は今…その気持ちがすごく理解できるんです」
「ヴェルトさん…」
「ここにいるみんなの…若い世代が台頭する時代が来た。俺達の世代は終わりを迎え今の時代は君達の物だ…なら老兵はせめて君達の役に立つ事にこの命と力を使いたい。だから君達にもついて来てほしい…俺じゃセフィラには絶対に勝てないが、君たち若い世代なら…勝てるはずだから」
「…………」
エリス達は見つめ合う、エリス達の時代が来つつある。エリス達の世代が時代の中心になる時が来た。
バルトフリートさんの世代と言えばルードヴィヒさんやゴットローブなどの者達が台頭していた。
ヴェルトさん世代と言えばタリアテッレさんやグロリアーナさん達がいる。だがその人達も今や老いつつある…。
そして次に…エリス達の世代が、時代の中枢となる。エリス達の世代は次々と全盛期を迎え始めるだろう。人間の肉体は二十八歳辺りがピークだって言いますしね、そういう意味じゃエリス達は今ピークに向かう上り調子の中にいると言ってもいいんだ。
だからこそ、ヴェルトさんは期待している…エリス達がセフィラに勝つことを、でもそれを言われて嬉しくない人間が一人いる。
「師匠……」
ステュクスだ、かなりショックを受けている。それはヴェルトさんがエリス達を褒めたからではない…今まで自分に詳しい話をしてくれなかったのに、エリス達にはそれを平然とする。剰え師匠の自分でさえ勝てない人間を倒すことを、弟子ではない誰かに期待していること。
全てが、彼にとって許せないことだろう。
「師匠、俺は……」
「ステュクス、お前にはマレフィカルムの事は詳しく話さなかったな…けど、関わらずに生きていけるならそれに越した事は…」
「そうじゃねぇよ、師匠…アンタ戦ってるんだろ、マレフィカルムと…なんで俺と一緒に戦おうって言ってくれないんだよ」
「それは……」
「俺じゃ、勝てないのか…そのセフィラってやつに。アンタの弟子じゃ…勝てないか…?」
「そうじゃない、俺は…ただお前を巻き込みたく──」
「そういうことを言ってるんじゃ!……いや、ごめん。続けてくれ…」
ステュクスはショックを受けたのか、部屋の隅に行きいじけてしまう…それを見てヴェルトさんも心配したように視線を向けるが、直ぐにこちらに目を向け。
「まぁなんだ、俺もまだ北部に行く支度は出来てないから…それが終わり次第一緒にいきましょう」
「ああ、準備はどれくらいで終わる?」
「武器や防具を整えなきゃいけないから…今から十日後くらいかな」
「大冒険祭の期間からちょっと足が出るな。まぁいいや、分かった。それまで待つよ」
「ありがたい…それじゃあ」
「待ちなよ、ヴェルト」
話は終わったとばかりに帰ろうとするヴェルトを呼び止めるのは…デティだ。
「導皇様?」
「話は終わり?じゃあ次の話をしなよ…ステュクス君に色々言ってあげないと」
ジロリとデティがヴェルトさんに視線を向ける、その有り様はまさしく魔術導皇…なんだけど、どうしてだろう。いつものデティと違うように見える…まるで幾星霜もの時を超えた老婆のような、ある種魔女様にも通ずる時を超えた人間の風格を…この瞬間感じるんだ。
「え……」
「ステュクス君を置いてくつもり?置いていくつもりならつもりでちゃんと禍根を残さないようにしてよね。今のは師匠としてちょっと不義理だよ」
「う…」
「ステュクス君はまだ子供だよ。あんまりナイーブになるようなことは言わないであげて」
ヴェルトさんの気持ちも分からないでもない、ステュクスを巻き込みたくないというのはある…だってセフィラは強いし、関わらないならそれに越した事はない…けどステュクスの気持ちだってあるしね。
「ステュクス君、師匠ときちんと話し合いなよ。ヴェルトも」
「……はい」
「分かりました、…ステュクス。ちょっとこっちで話そう」
「……うん」
そうしてステュクスとヴェルトさんは二人で外に行き……。
「すみません、エリスもちょっと行ってきます」
「え?エリスちゃんも?なんで?」
「……なんとなくです」
「そう、分かった」
エリスもまたヴェルトさんとステュクスの後ろにこっそりついていく。それは理屈や理論じゃない、ただ気になって仕方ないからついていくんだ…どうしてかはエリスにも説明出来ないけど、それでも…。
………………………………………
「師匠、俺……」
「分かってる、すまなかったな。色々教えなくてさ」
「うん…」
館の外で、師弟は話し合う。議題は決まってる…さっきの話だ、俺は…師匠に連れて行ってもらえないのか、俺は確かに姉貴達ほど強くないけど、でもまるで頼りにされてないみたいで…悔しくて。
「別にお前の強さを疑ってるわけじゃないよ。お前が弱いなんて思ってない」
「……じゃあなんで」
「言ったろ、巻き込みたくないんだよ。お前は魔女側でも反魔女側でもない…この二つの争いの真ん中に立って、立ち回る必要はないんだよ」
「………」
言いたい事は分かる、けどその言い方が悲しいんだよ。
「俺、師匠と一緒に戦いたいよ。それとも俺じゃ力になれないかよ」
「そうじゃねぇよ。お前は女王の騎士だろ。側にいろ…」
「師匠はウェヌスさんの件があるから、そういうかもしれないけど……」
「お前だって分かってんだろ、今の女王にはお前が必要だ。お前はもうお前の人生を歩んでるんだ」
「…結局、そりゃあ俺が弱いから連れてがねぇって…そう言う事だろ」
分かってる、今俺が離れるわけにはいかないことを…レギナには俺が必要だ!なんて宣言出来る程俺はデカくはないだろうけど、でもレギナの側を離れてる間に何かあったら俺は一生後悔する。師匠が一生後悔してるように…そうなんだと思う。
でも、なんだか師匠の言葉は俺を納得させようとしている気がして…受け入れられない。姉貴達には声をかけて俺にはかけない…つまりそう言う事なんじゃないのか。
「ステュクス…剣を持てよ」
「え?」
「まぁいいから、ほれ構えろ」
「ちょっ!師匠!」
いきなり師匠は剣を抜き俺に向けて振るう…真剣だよ、刃がついてるよ、それをいきなり弟子に向けて振るうんだ。でも刃に自然と体が反応し俺もまた星魔剣を抜き…師匠の剣を防ぐ。
「ぐっ!」
しかし師匠の剣を防ぐと…手が痺れる。相変わらず凄い力だ…。
「ま、待ってくれよ師匠!せめて真剣はやめよう!木剣でもなんでも!俺の家にあるから…だから!」
「抜けた事言うんじゃねぇッ!」
「えッ…!?」
いきなり怒鳴られ、俺は続け様に振るわれた師匠の剣を防ぎ…震える手で剣を持ち直しながら師匠の顔を見直すと、…怒っていた。師匠は…。
「ステュクス、お前自分が弱いから連れて行ってもらえないとか…自分じゃ力になれないとか、そんな事ばっかり言いやがって…挙句刃を向けられたら木剣にしよう?バカな事言うんじゃねぇよ」
「だ、だって!いきなり斬りかかられて!怪我したら危ないし!何よりこれ…修行か?いつもと雰囲気違うぜ師匠!」
「修行じゃねぇよ…説教だ!」
「ゔっ!」
再び師匠の振り下ろしを弾き俺は咄嗟に後ろに引く。何を考えてるか分からないが師匠はやるつもりらしい…ならこっちも全力で応えないと!
「説教ってなんだよいきなり!せめて説明くらいしろよ!」
「言ってんだろ、バカなことを言うなって!テメェ自分が弱いと…本気で思ってんのか!」
「実際そうだろッ!!」
「いい加減にしろォッ!!!」
「ぅぐっっ!!」
こちらから斬りかかる、されど防がれ…師匠の片腕に弾かれ俺は地面を転がる…やっぱダメだ、師匠は本気だ。師匠の本気には…俺じゃついていけない…。
「ステュクス…お前を育てたのは誰だ」
「え?…師匠だよ」
「俺は、弱い奴を育てたのか?」
「え……」
「テメェの力は、魔女の教えを受けたエリス達に劣るか?実際そうかとか事実がどうかとかじゃない。お前はどう思う」
「…………」
そんなの決まってるだろ、魔女って言えば世界最強の存在だぞ。それに鍛えられた存在は文字通り時代の中心にいる、世界を救うのも壊すのもあの人達の手の中に決定権がある。俺は精々路傍の石だ…言っちゃ悪いが、師匠と魔女じゃ…そこには差が………。
「違う、負けてない…俺の師匠は世界最強だ」
……ダメだ。例え事実がどうであれ…言えない、思えない、考えられない。師匠が何かに劣るとか負けるとかそう言うのは…弟子として口が裂けても言えやしない。師匠は世界最強だと信じているから俺はここまでやって来れたんだ。
「だろ?じゃあそれに育てられたお前は」
「…俺は……」
再び見る、転がった剣を見る…そこに徐に手を伸ばし、再び立ち上がる。師匠は強い、そんな師匠に育てられた弟子は…他の弟子に劣るのか?どうなんだよ…ええ?答えろよ、俺。
「……ステュクス、お前は上を見過ぎだ、下を見過ぎだ、左右を見過ぎだ…お前はお前だけを見ろ。上を見るから過剰に恐れる、下を見るから気持ちがブレる、左右を見るから道に迷う。お前が見るのは…俺が育てたお前だけだ」
「………」
剣を構え、静かに息を吐く。目の前には師匠がいる…でもその先にいるのはなんだ。俺がかつて負けたデッドマンやストゥルティやロムルスや…姉貴だ。
そいつらに負けた時俺はなんて思った?俺じゃ無理だ、俺如きじゃなんともならない。そんな風に自分を卑下して自分自身を下に見て、言い訳をしてたんじゃないのか。
姉貴はどうだった、ストゥルティ達に勝てなかった時なんて言った…今まで何度も負けてきた姉貴は、そう言う時なんて言った?
『次は勝つ』…いつもそう言ってたんじゃないのか?だから勝ってきたんじゃないのか。だったら…俺は俺を下に見るんじゃなくて。
「もう一度来い、ステュクス!」
「ッッ!!」
斬りかかる、師匠に教えられたように踏み込み、師匠に教えられたように腕を振るい、師匠に教えられたように剣を立て斬りかかる。されど師匠はそれを呆気なく弾き…反撃が来る。薙ぎ払うような一撃を咄嗟に剣を引いて防ぐが、やはり重い…手が痺れる。
痺れるけど…。
(防げてる…ちゃんと俺は師匠の全力を受け止められている!)
昔は師匠の剣を受けたら、ゴロゴロ転がって吹っ飛ばされて…情けなく『大人気ないだろ!』と負け惜しみを言ってたのに…俺はちゃんと強くなれてんだ。
(ヴァラヌスの時も…負けそうだったけど俺は最後まで戦えてた、ロムルスの時もそうだ、俺はちゃんと奴の一撃を受け切った…そうか、そうなんだ)
俺は俺を下に見過ぎてた…ああそうか、姉貴も似たようなこと言ったな。お前は戦いの最中余計なことを考え過ぎてるって…こう言うことだったのか。
つまり…俺は!
「ぐぅっっ!!」
「おっ!?」
そのまま受け止めた師匠の剣を、星魔剣の刃の上で流し…体勢が崩れた師匠の手を柄で叩きその手に握られた剣を取り落とすと共に…。
「ッどうだ!」
突きつける、師匠の首元に…俺の剣を。取った…師匠から一本!一本取れた…!
「はぁ…はぁ…!」
「へっ、ようやく気がつけたか。なら上等だ…」
「俺…俺の事、信じられてなかったんすね…」
「ああそうだ、俺は信じてる…俺が教えて育てたお前の剣を。お前は俺の剣を信じられるか?なんて聞く必要ないよな」
「はい…信じてます、俺の師匠の剣は…誰にも負けないって」
態々…これを気が付かせるために、いきなり斬りかかったのかよ…相変わらずめちゃくちゃだな。と思いながら俺は剣を鞘にしまい一息つく…なんか。
「つまりだ、俺はお前が弱いから誘わないんじゃない。俺の優しさを分かれっての」
(なんか上手い具合に納得させられたなぁ)
なんだか師匠に励まされてしまった、やっぱダメだなぁ俺…なんて思う事自体、よくないのかな。
「なんだよ?ステュクス、不満げな顔をして」
「いや?ただ…俺を励ますためにまさか今まで一度も取らせたことのない一本まで取らせてくれるとは〜って思ってさ」
「はぁ?卑屈だな…それに取らせたつもりはないぞ」
「え?」
「俺はこのままお前をボコボコにして説教を続行するつもりだった。だから俺が取らせたんじゃない…お前が取ったのさ」
「……え、いや…でも師匠はもっと強くて」
「いいや、お前が強くなったのさ。衰え歩みの止まった俺を…お前が追い抜いた。それだけだ、言ったろ?これからは若い奴達の時代だって…その若い奴の中にはお前も入ってるんだよ」
「俺も……」
剣を握り直す、そうか…何をまた卑屈になってたんだ。俺はもう…十分強くなってたのか、師匠と本気でやって、勝てるくらいに……。
「まぁ、強さってのは…分かりにくい指標だよな。数字が出るわけでも、誰かに点数つけてもらえるわけでも、ましてや絵や歌みたいに明確な何かが現れるわけでもない…」
すると師匠は剣を拾い上げ、肩に背負いながら歩き出し…その背を俺に見せながら、語る。
「俺も自分の強さを正確に把握してるわけじゃない、けどこれだけは言える。強いってのは…何も剣で山を割ったり、拳で海に穴を開けたり、そう言うことを出来る奴を強いって言うんじゃない」
「なら…どう言う奴が強いんですか?」
「……それは、お前が守りたいって本気で思えた奴を守れた時が、本当に強くなった時さ」
肩越しにこちらを見て、ニッと笑いながら師匠は俺を見る。まるで今の師匠にとって…俺がその守りたい奴であるかのように。
「俺は弱かった、だから守りたい奴を守れなかった。お前にもそんな経験があるだろ?守りたかったけど…守れなかった、それは俺やお前が弱かったからさ」
「…………」
身に染みるよ、まさしくその通りだ。俺が弱かったから守れなかったんだ…ラヴ…いや、ティアを。何度も思った…俺がもう少し強ければって。それは俺が弱いから守れなかったんだ。
「いつかまた、俺やお前の守りたい奴が危ない目に遭う日が来るかもしれない…そうなった時、今度こそ守れるかどうか。その時がお前の強さが分かる時だ…それまでにステュクス、後悔しないくらい強くなっておけよ」
「師匠……」
「俺はなんにも守れないまま…こんな歳になっちまった。だからステュクス、世界最強にならなくてもいい、一人で軍勢蹴散らすような無敵の存在にならなくてもいい…だから」
嗚呼、そうだ…俺が目指すのはそんなのじゃない。俺が目指すのは…。
「テメェで守りたい、そう思った奴を死んでも守れる男になれ、俺みたいになるな。……ンじゃあな。俺ぁ北部に行く支度を始める、次に会えるのはいつになるか分からないが…それまでに立派になっとけよ」
師匠は誰も守れずここまで来た。かつてはアジメク史上最強の男と呼ばれながらも…親友であるウェヌスを守れず、共に歩んだ仲間のトリンキュローを守れず、故郷にも帰れず今ここにいる。そんな風になるなと…主人を守り友を守り故郷で生きていけるような男になれと、師匠はそう言ってるんだ。
「師匠!」
俺は立ち去る師匠の背中に…声をかける。
「俺、もっと強くなるからさ!帰ってきたらまた手合わせ頼むよ!」
また手合わせ頼むよ、次はもっと…本気でやろう。その時は免許皆伝をくれよと俺は叫ぶと…師匠は手をぱっぱッと開き返事をし…立ち去っていく。
(俺、強いんだ。なら……生き残らないとな)
今目の前に迫る危機、まずはこれをなんとかしないと…きっと第三戦はストゥルティと直接対決になる。なら…まずはこれを生き残る!そこからだ!
「よっしゃー!修行頑張るぞー!」
「ステュクス……」
チラリと館の影から覗くエリスは、自分の介入が不要であったことを悟る。どうやら彼は一つの答えを得たようだと…。
(エリスに心配する義理なんてないのかもしれませんけど…よかったですね、ステュクス)
「まずは素振り千回だー!」
元気そうにはしゃぐ弟を見て…安堵する己がいることに少し違和感を覚えつつも、エリスは一人…館に戻るのだった。
……………………………………………………
そして、ステュクスとヴェルトが話し合っている頃、出掛けたナリアとアルタミラといえば…。
「これ見てください!でっかいアイス!」
「まぁ、こんな大きなアイス食べきれますかね…」
二人で呑気に遊び歩いていた。今彼らがいるのはプリンケプス大通りの中腹、サイディリアルで最近流行りのプリンケプスのプリンアイスを手に二人で歩きながらプリン味のアイスをもしゃもしゃ食べていた。
「にしてもエトワールにはない発想ですよね、雪を食べるって」
「あー確かに。エトワールにいると万年雪降ってますしあんまり食べようって気になりませんね」
「僕アイスクリームって初めて食べましたよ〜」
「実は私も……」
「なら初めての共有ですね!」
「う……」
パクパクとアイスを食べながら二人で歩く、さて次はどこに行こうか…そんな話をナリアが切り出そうとした瞬間…。
「って!この遊びの何処が『ルビカンテを倒す手立て』なんですか!?」
「え?」
危うく流れに乗ってそのまま遊びを続行してしまいそうになったアルタミラがハッと顔を上げる。思い出したのだ…この遊びの目的を。
それはルビカンテを倒す手立てとしての行動。ルビカンテも感情の悪魔なら真逆の感情をぶつければ倒せる…と言う話だったのだが、その為の行動がこれ…遊び。
ルビカンテと言えば感情の悪魔の中で最強の存在。今の今までにアルタミラを縛ってきた最悪の存在…それがこうやって遊んだだけで倒せるのかとアルタミラは目を剥く。だが…。
「勿論、こうやって遊んでいればいいんです。今頃ルビカンテはアルタミラさんの胸の中で手足をヒクヒクさせて死にかけの虫みたいにひっくり返っていることでしょう」
「ほんとに…?」
「疑うんですか?僕を。大丈夫です、寧ろ奴を倒すにはこれしかありません」
ナリアはひたすらルビカンテがなんの感情から生まれたから教えてくれない。アルタミラとして自分の狂気から生まれたとしか思えないのに…。それがこんな遊びでなんとかなるとは思えないのだ。
だがアルタミラは同時に考える。
(思えば、こんな風に余暇を過ごすなんてこと…してこなかったな)
自分は基本、絵を描くか仕事をするかしかしてこなかった。仕事とはつまり絵を描くことだ、つまり絵しか描いてこなかった。それは絵を描くことしか出来ないと言うのと同時にある意味自罰的な意識から来ていた。
人を殺した自分に…許されるのか?楽しむなんて、遊ぶなんて、そんな気持ちがあったから余暇を過ごすなんて事、してこなかったんだ。
「さぁプリンアイス食べたら次はあそこ行きましょう。なんか眺め良さそうな建物!」
「ちょ、ちょっとナリアさん。いい加減ルビカンテがなんの感情から生まれた教えてくださいよ〜」
「なーいしょ!あはは!」
「もう……」
でも、アルタミラはそう言う疑問とか…色々抜きにして今を楽しみつつある。もしかしたら遊びを楽しむって心が大切なのか、とか。一緒にいる事自体が大切なのか、とか…色々考えながら、二人で並んで走るんだ。
ただ今は…今を楽しもう。
……………………………………………………
それからナリアとアルタミラは遊びに遊んだ。
「アルタミラさん!どうですか!これ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ…」
噴水広場にて、噴水の前に立ちポーズを決めるナリアをアルタミラが必死に写生する。手元のスケッチブックを持ちカリカリと鉛筆を動かし…。
「出来ました!」
「おお!流石僕!とても可愛い!って…顔描いてませんよ」
「すみません…まだ書けません」
「うぅん、まぁいいでしょう!次行きますよ!
次に向かったのは……。
「アルタミラさん!見てください!猫です!」
「お、おお…猫……」
近所でも有名な猫広場。色取り取りの猫が日向でグデーっと溶ける様を見て目を輝かせるアルタミラはおずおずと近場の猫に手を伸ばし。
「ね、ねこ〜…ねこ〜…」
「なんですか?その掛け声」
「シッ、招いているんです…猫〜…」
「あ、怪しい呼び声過ぎる…」
チラチラと指先を動かしてチョウチンアンコウのように猫を誘うアルタミラ、しかし人に媚びて食べ物を貰っているここの猫はある意味甘えのプロだ、それで飯を食っているが故に特に何も食べ物を持っていないアルタミラには見向きもせず…。
「あ、ああ!猫が行ってしまう!」
「残念ですね、ここから眺めて楽しみましょう」
「く…悔しい、悔しさの感情の悪魔が出そう…」
「うーん!逆効果っぽいので他所行きますか!さぁ次々!」
更に次に向かったのは…。
「こ、こんな高そうなところでお昼なんて食べて大丈夫なんでしょうか。えっと…メルクさんからお金ってもらってます?」
「貰ってませんよ、大丈夫です。一応僕魔女文化圏だとそれなりのスターなのでお金持ってるんで」
サイディリアルでもう有名な高級レストラン。アルタミラは普段来ない高いお店にワタワタと周りを見回し落ち着きがない様子だ…とは言え、ナリアもこれで役者の道で大成した身、こう言うお店での食事はそれなりの覚えがある。
「あ、料理が運ばれてきましたよ。と言ってもランチなのでフルコースとはいきませんが」
「お…おお、見た事ないくらい豪華なご飯…これ食べていいんですか?」
「ダメです」
「えっ…なんで…!?」
「嘘ですよ、どうぞどうぞ」
「むぅ…」
運ばれてきた鶏肉のソテーをおっかなびっくりにナイフを差し込み、何故かナリアを警戒するようにフォークで刺し口に運ぶと…。
「う!うまっ!?」
「おいしーですね!アルタミラさん!」
「は…はい、アマルトさんの作るご飯と同じくらい美味しい…」
「アマルトさんの評価が高い」
パクパクモグモグと食べていくうちにアルタミラの顔はみるみるうちに笑顔になっていき、しまいにはニコニコでソテーを完食し『けぷっ』と軽く口を漏らし…。
「美味しかった…」
「どうです?満腹ですか?」
「はい!もうこれ凄く美味しくて!私食事なんてお金かけても美味しさなんてさしたるほど変わらないと思ってましたけど違いますね!私が今まで行っていたのはただの食事、これはまさしく美食。食事に美学を持ち込み美術的感性によって料理を行う一種の趣向なのであると理解しました!食という生命維持活動に楽しさと美しさを求めるが故に美食、お金をかけるのは美術館に通い込むのと同じで相応の金品を代償にしてでも感じたい感覚があるからこそ美食は高いのですね!それだけの価値はありましたありがとうございます!」
「うんうん」
「ハッ…!すみません…饒舌になりました。羞恥心の悪魔が出そうです」
「出るのは顔から火では?真っ赤ですよ、顔」
「あう……」
パパパッ!と顔の前で手を振るい恥ずかしさを誤魔化すアルタミラを見てナリアは満足そうに笑い…。
「よし、じゃあ次は…」
「え、えっと…まだ何処かに行くんですか?」
「はい、次は今までとはちょっと違うところです」
「え?」
更に更に…次にナリア達が向かったのは……。
「なんですか?ここ」
「公園です、日当たりいいですよね」
「は、はい…」
公園だ、フィロラオス王立公園…サイディリアルの中で一番緑溢れる自然公園だ。そんな自然の中…木々の木漏れ日を味わいながら二人は芝生の上で横になる。
「美味しいもん食べてぇ、陽の光浴びながら夕方ごろまで眠る…これ以上の贅沢ってありますか?僕はないと思ってます」
「た、確かに……」
「というわけでお昼寝しましょう、僕もう眠くて眠くて…」
「…………」
ふぁあ、と軽くあくびをして腕枕をしながら寝返りを打つナリア。ここには昼寝に来た、食べてすぐ横になると体に悪いとは言うが…残念、体に悪いモンは心に良いと相場で決まってる。なので寝る…!
「…………」
「アルタミラさん?」
しかし、アルタミラは横にならず起き上がり…何かをし出しているのだ。それが気になりナリアも起きてみると…。
「絵を描いているんですか?」
「はい、いい景色なので」
スケッチブックに絵を描いていた。カリカリと絵を描いて…文字通り寝るのも惜しむように目の前の景色を描いていたんだ。
「すみません、寝ようって言ってくれたのに…」
「いえ、いいんです。寝食を忘れるほどに…好きなんですもんね、絵を描くの」
「はい、…楽しいです。絵を描くの」
ナリアは体を動かし隣に座り、描き上げられる絵を覗き込む…彼女は結局、どんな遊びより絵を描くのが好きなんだ。それは悪い事じゃない。
「僕は、エトワール人は世界で一番幸福な人種だと思ってます」
「え?いいモンじゃないと思いますけど…私も貴方も、雪降る路上での芸術活動を知ってるでしょう…?」
「あはは、まぁそうですね…あれはキツかった〜……けど、ぶっちゃけ嫌ならやらなきゃよくないですか?」
「え?でも…」
「でも、そうはいかない。ですよね、どんなに苦しくても辞められないくらい好きなものがあるから…エトワールはそう言う夢を見せてくれる国ですから」
芸術は夢だ、美術も夢だ、美しい物を見せる芸は夢そのものを見せる。エトワールにはそう言うものが溢れているし、厳しくもそう言う夢を叶えられる場所だ、そしてエトワール人はそう言う夢を見ることを許された人たちだ…それはとても幸運なことだとナリアは思う。
「寝食を忘れ、その事だけを考えて、人生を焚べて、何にも代えて必死になれる物があるって…幸せなことですよね」
「……それは全くもってその通りです」
「そう言う意味だと、僕達芸術家程…幸せな人間はいませんよ!」
「ふふふ、そうかもしれませんね…」
これが僕達の幸せのあり方なんだ、そう悟りながらナリアはふと…笑みを浮かべて絵を描き上げるアルタミラの姿を見て…。
(あれ?)
ふと、アルタミラの描いている絵が目に入る。そこに書かれているのは綺麗な風景画だ…とてもよく描けているしいつも通りとても上手い、けど…。
いつもと画風が違う…僕が今まで見てきたアルタミラさんの絵と画風が全く違うんだ…、これはどうしてだろうか。いや…そう言えばグラフィアッカーネさんやルビカンテは言っていたな、ってことは…もしかして。
(もしかして…アルタミラさんの正体は……)
「ん?どうされました?ナリアさん」
「いえ、僕のやってることは正解なのかなって思って」
「?」
深い意味はない、そう思っただけの話だ。…さてと、相棒が創作活動に励んでいるんだ、僕もやりますかね。
「じゃあここらで僕の一人劇を見せますか」
「え?なんで?」
「やりたくなったので!劇目は…『天涯のモノローグ』!」
クルリクルリと回りながらアルタミラさんの前に立つ。するとアルタミラさんは不思議そうに首を傾げて…。
「モノローグ…一人芝居ですか?」
「はい!と言うか…一人劇でやるしかないんですよね。僕の劇団はエトワールに居るので…何かこう、劇をやろうとすると僕一人でやる以外ないんです」
「エリスさん達に頼むのは…」
「確かにエリスさんは役者経験があるので芝居は上手いです、けどエリスさんはイマイチ乗り気になってくれませんし。こう言ってはあれですが他のみんなは所謂素人ですので…」
「なるほど…大変ですね」
「構想はあるんです、アルタミラさんに見せたい劇が。でもそれには僕が千人くらいいないと…」
「ど、どんな大規模な劇なんですか…」
「…………」
一千人の劇か…口からポッと言ったけどそれも面白いかもしれない。というか…。
「ああ…忘れてたけど僕、大冒険祭が終わったらエイト・ソーサラーズの選考会に出ないとダメなんだ〜…!」
「エイト・ソーサラーズの…それは凄いですね、でもナリアさんならいけるのでは?」
「うう、それがそこでやる劇が決まってなくて…そこで僕は僕なりの究極の美を求めてたんですけど、結局今の今まで見つかってないんですよね…」
「究極の美ですか…人に伝わる形で表現するのは難しいですよね」
アルタミラさんは、それを諦めた側の人間だ。それが悪いことじゃない…ただ、僕が諦めの悪いだけだ。しかしどうするかなぁ…究極の美。
一体何が…究極の美なのか。まるで分からない…僕はこれを掴めるのかな。
「……ナリアさん?」
「ああすみません、なんか劇のこと考えたら落ち込んじゃって」
「なら、そろそろ帰りますか?日も落ち始めています、お昼寝は家でやりませんか?」
「それもそうですね、また明日も遊ぶわけですし」
「…え?明日もやるんですか?」
「勿論、言っておきますけど六日間…みっちり遊びますよ!それとも嫌です?」
「嫌じゃありません、楽しいですとても…けどいいんでしょうか」
「いいんですよ、きっと」
そう言って僕が胸を張ると…アルタミラさんは嬉しそうにはにかんで。
「そっか…ならよかった。今日でこんな楽しい日は終わりかと思ってしまったから…絵に描いておこうと思ってしまいました。そっか…明日もあるんですね」
キュッと自分で描いた絵を抱きしめてそう言ってくれるんだ。楽しい日は今日で終わりかと思っていた…なんて悲しいことを言うんだ、明日も全力で楽しませたくなっちゃうよ。
(終わりだなんてことはありませんよ、例え今日が終わっても明日が来る。明日が終わっても明日の明日が来る。連綿と続く終わりと始まりのサイクルは…不幸と幸福を巡らせる。十分苦しんだ貴方は今幸福の中にいるべきなんですから)
なんて考えて明日のプランを練っていたら……ふと。
(あれ?)
思った、ピカリと頭の中に閃きが沸いた…それはエフェリーネさんの言った。
究極の美とは、才能や技術を見せびらかす物とは違う。もっと別のところにあると言う言葉。その言葉と…今の状況を組み合わせると。
一つの答えが出るんだ…それは即ち。
「あ、わかったかも…究極の美」
「え!?今!?」
分かってしまったかもしれない、究極の美とは何か。そうか…そう言うことだったんだ!
何も難しいことはない、僕は既に究極の美を手に入れていた…或いはみんなが持っていた、それに気づけるかどうかだったんだ!そっか…そっかそっか。
「ふふふ、なんだ…簡単なことだったんだ」
「なんですか、教えてくださいよ…」
「はい、僕の考えた究極の美とはつまり…幕です」
「幕?あの舞台を仕切る幕?」
「そう…究極の美、それは──────」
そうして、二人で遊ぶ六日間の一日目を終えたナリアとアルタミラ。ルビカンテを倒すため…始まった二人の旅は、続いていく。幸せな日は続いていく、続けていく…それこそが大切なのだ。
第三戦が始まる六日後に備えて今は、ただ今を楽しむのだ!
しかし………。
「ん?あれは…」
「どうかされましたか?ダイモス兄さん」
「いや、あそこにいるのは…ロムルス大兄が言っていたソフィアフィレインの…」
公園の木々の向こう…キラリと光るメガネが一つ。…ナリア達は気が付かない、自分たちの与り知らぬところで魔の手が迫っていることに。
そしてその魔の手は、サイディリアルでの戦いを…一転させ、一気に『結』へと向かわせていく地獄の手となるのだった。