654.魔女の弟子と狂愛の蓮
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
私達は、狂った家で過ごしていた。フォルティトゥド家…長兄マルス・フォルティトゥドの凶行により全てが狂い果てたこの家で私と兄さんは生きていた。
「ハル……」
「どうしたの?お兄ちゃん」
幼き日のハルモニアは…今はストゥルティと名乗るかつての兄の側に寄り添う、兄はいつも快活で…私を導いてくれて、何より守ってくれる。当時のハルモニアにとって親よりも親で、父よりも父で、なんでも出来る超人と感じられるくらい…凄い人だった。
そんな凄い兄が、自室の机に座って…黄昏ていたんだ。この時ハルモニアは異様な物を感じ唾を飲んだ。
「ピード…って居ただろ?ほら、よく俺達と遊んだあの生意気なピードさ」
「お兄ちゃんより一歳年上のピードお兄ちゃんだよね、それがどうしたの?」
ピード・フォルティトゥド…ハルモニアから見れば従兄弟に当たる親戚だ。歳が近い事もありハルモニアとストゥルティ兄妹とよく遊んでいた彼の話を出され、小さ首をかしげると…兄は顔を歪めながら。
「ピードが結婚するらしい」
「え、結婚って…ピードお兄ちゃんまだ十代だよね…」
「マレウスの法律じゃ十五歳から上は成人扱いだ、今アイツは十八だったはずだから結婚は可能だ…にしたっても、急だよな」
この話を聞かされた時、ハルモニアはまたかと感じた。最近同年代の親戚の結婚が続いている…それはみんな結婚が可能な年になったからと言うのもあるが、一族の次期当主ロムルスが結婚してからと言い物結婚が続き、どんどんみんなが遠くにいっている気がする。
家族を持てば、家族を優先しなきゃいけない。一緒に遊ぶ…なんて事も出来ないし、同年代での集まりもできない。何より結婚している人間としていない人間では見える物も見れる物も違う、疎外感…と言う物を感じてしまうんだ。
「今回の結婚もロムルスが裏で糸引いてんだってよ、ダイモスの件と同じだ。アイツが無理矢理人を連れてきて結婚させたんだ…」
ロムルスお兄ちゃんは…少し変な人だ、ずっと酷い熱に魘される人みたいにボーッと虚空を眺めて、光のない目でこちらを見る人。それでも実力はあるからまだ二十歳にもなっていないのにマレウス王国軍で千人隊長をやってる…。
そんな人だからか一族の中でも発言権が特に強い、隠居しているアレスお祖母ちゃんはまだしも今一族の当主をやってるはずのマルスさんでさえ息子のロムルスの決定には口出しが出来ない…。
事実上一族の全てを支配しているから…誰もロムルスには逆らえない、ロムルスが結婚しろと言えばするしかない。だからダイモスもピードも……。
「でも、結婚っていい事なんじゃないの」
「お前は、本当にそう思うか?」
「違うの…?」
「俺はお前の気持ちを聞きたいだけなんだが……」
するとお兄ちゃんは席から立ち、大きくため息を吐きながら部屋の隅に立て掛けてある剣を手に…。
「明日、ピードの結婚式がアルスロンガ平原で行われる。そこできっとまた別の誰かが強制的に婚姻させられる…いつもの流れだ、で…順番的に次は俺か…或いは」
チラリとお兄ちゃんがこちらを見る…その視線に思わず息を呑む、何かするつもりだ…何をするつもりだ、剣なんか持って。
「お兄ちゃん、何するつもり」
「別に。ああそれとハル…お前今日の夜その家を出ろ」
「え?」
「家を出てアレスのババアんところいけ、お前ババア好きだったろ」
「何言ってるの…」
「ウチのオヤジもオフクロも文官だ、文官はこの家じゃ身分が低いからな…きっとロムルスの言ってることに逆らうだけの器量もない。だから家を出ろ」
「私に、家族を捨てろっていうの…!?」
「いいや、そうは言ってないさ…俺がいるだろ?大丈夫明日の朝には戻るからさ」
この時私は直感で悟った、兄は…ロムルスを討つつもりだ。今まで何度も反発しその都度跳ね除けられて来た兄にはもうそれしか手段が残されていないから。だから兄はロムルスを討ち…家を変えるつもりなんだと。
されどロムルスは強い、強靭な力を持ち数多く等優秀な軍人を輩出したフォルティトゥド家の中でも最強に君臨する男だ…戦っても勝てるわけがない。
「待って!お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
行っても未来なんかない、だから行くな。私にとって唯一の家族は貴方だけなのだから…みすみす捨てさせるような事はしないでくれと叫びながら追いかけるが、兄は結局私を置いて行ってしまった。
それから私は兄を探し、それでも見つからず…家にも帰らず、祖母の家に行き…兄の言った次の日の朝になり。
そして兄は帰ってこなかった。ロムルスに敗北し…勘当され、名前を捨てストゥルティと名乗り……私を置いて、消えた。
──────────────────────
「すみません、ステュクスさん。女王陛下とお話ししていたのに」
「いやいいんすよ、話したい事は話せたんで…」
レギナと話していたところ…唐突にハルさんに呼び出され、俺はレギナに一旦断りを入れつつハルさんについて行き、王宮の中庭にて二人でベンチに座る。
なんでも結婚についてお話がしたいとか、そんな事だったな…。
「で、なんです?結婚がどうとこうのって」
「はい、その件では大層ご迷惑をおかけしました」
「いやぁご迷惑っていうか…」
ぶっちゃけた事言っていい?迷惑なんかじゃありませんよ!とは言えねぇよな、こっちはほら…貴方さんのお兄様に命狙われてるわけですし、迷惑か迷惑じゃないかで言えば迷惑だ。
でも、迷惑だ…と断れる程俺はハルさんの事が嫌いじゃない。何よりこの人にもこの人なりの事情があるし、何より嫌な話をするとずっと申し訳なさそうにされたらこっちもなんも言えん、
「実はこの間…兄と話したんです」
「ストゥルティと?そうなんですか?」
「ええ、兄は私と話してもステュクスさんを殺すのをやめないつもりらしいです」
「そうなんですか?ふーん…」
「ふーんって…怖くないんですか?」
「なんかもう一周回った感じはありますよね、色々あり過ぎて…そりゃ殺されるのは嫌ですけど」
殺そうとされるのは迷惑だけどもさ。正直あれなんだよな…ストゥルティからやる気が感じられないと言うか、大冒険祭でお前を殺す!と言われても…今の所ストゥルティが自ら俺を殺しには来ていない。それはストゥルティも色々手一杯だからだ。
だからまぁ…今更殺すのやめますって言われても今んところ実害ないし、いいかなって。で別に殺すのをやめませんと言われても、そっかぁ…的な?
『お前楽観的過ぎんかステュクスよ、ラグナが言っておったじゃろう。次は奴が自ら来るかもしれんと、殺されるのは第三戦で殺されるって事じゃ』
(そうは言うけどよ、今更どうのこうのなる段階でもないだろ。ならもう腹括るしかないし事実こっちは腹括ってんだ、来るなら来いとしか言えないよ)
『お前、ここ一番って時の肝の据わり様は姉そっくりじゃな』
なんかロアがぐちぐち言ってくるけど、もう覚悟は決まってる。殺される覚悟じゃなくて戦って生き抜く覚悟だ、なら肩透かしは喰らわさないでくれよ…ってのが今の俺のストゥルティへの気持ちだ。
「大丈夫、俺は死にませんよ。必ず帰って来ますって」
「…………」
「ハルさん?」
ふと、俺がそう言うとハルさんは何やら複雑そうな顔をして視線を外す…なんか変なこと言ったかな。
「いえ、昔…兄も似たようなことを言ったんです。必ず帰ってくると」
「ストゥルティが?」
「ええ、ロムルスとの戦いに赴く前に…けど兄は結局帰って来ませんでした…だから」
「俺も帰ってこないと…んまー…うん、じゃあさっきの言葉から『必ず』ってのを取り外しておいてもらえます?聞いた話じゃストゥルティは姉貴と殆ど互角みたいだし、正直やり合って勝てるビジョンも浮かばないし」
「でしたら、戦うのは…やめてください」
「は?いや俺が戦うわけじゃ…」
「ステュクスさん、私…正式に貴方との婚姻を破棄した事をロムルスに伝えます」
「え?……え?」
最初に思ったのは『マジっすか?そりゃあいい!ストゥルティに狙われなくなる!』で…次に『そんな事したらハルさんがロムルスやフォルティトゥドに狙われるんじゃないのか?』だった。
この人が俺を婚姻相手だと言ったのは、ロムルス達フォルティトゥドからの目を背けさせる為…仮面夫婦ならぬ仮面婚約者を欲したから。けどそんな事したら…ロムルス達はまた貴方を狙うかもしれないよ、今度こそ強引に結婚させられるかもしれない。
「ハルさん、そんな事したら貴方…結婚させられんじゃ」
「かもしれません、けどそれでステュクスさんを巻き込むのは…私がただ逃げているだけなんだなと感じたので、なら私は逃げて貴方を巻き込むくらいなら…私自身で戦うと、覚悟を決めたんです」
「なんで…!」
「だって、貴方が逃げずに戦ってくれているから…」
「え?」
「……ストゥルティに狙われたなら、いくらでも逃げられた。大冒険祭に参加せず完全に婚姻を否定し我関せずと無視を決め込む事も出来た、私を追い出して…この一件から手を引く事も出来た、なのに貴方は逃げずにストゥルティに立ち向かい、今も曖昧な姿勢をとり続けてくれている…」
……盲点だった、そうだよ。やりようはいくらでもあったじゃないか、どいつもこいつも話は聞かないがハルさんを放逐する事で結婚を否定する方法はあった…曖昧な姿勢を取らずきっぱり逃げる事も出来た。
けど俺はストゥルティと戦い、今の状態を守る事に固執した。…逃げなかった…なんでだ?
当然だ、ハルさんを放っておけないからだ。そもそも逃げるって発想もなかった、立ち向かう選択肢しか思い浮かばなかった…ってことは、つまり最初から俺には逃げるなんて選択肢、取るつもりもなかったってことだよな。
「貴方にばかり戦わせたくない。私が本来戦うべきなんです…だから」
「ハルさん、俺別にハルさんの為に戦ってるわけじゃありませんよ」
「え?」
「そもそも話聞かねぇストゥルティは気に食わねぇし、アイツが冒険者協会乗っ取りってぇから戦うしかないし…何より、ハルさんの為に戦ってるってつもりもない、ハルさんを守りたいからやれる事をやってるだけ、その選択肢の中に戦いがあるから戦いを俺の意思で選んでるだけです」
「でも…それじゃあ……」
「つまり気に病むなって事ですよ」
「………病みますよ、そりゃ…」
うーん、相当気にしてるみたいだな。ハルさんは優しい人だしただ俺に迷惑をかけ続ける状況ってのは意外に堪えているのかもしれない。だからこそ俺が『気にすんなよ!』とか『大丈夫!』って言っても傷ついてしまう。
これもある種の狂気なのかもな。狂気的な自罰意識…どれだけ周りが励ますような言葉を述べても狂気に冒された心はそれに過剰に反応し傷ついてしまう。今はその狂気が自罰意識の中で完結してるからいいけどこれが拡大して他の感情にまで作用し出すと…世間からは狂人と呼ばれる類の存在になっちまうわけだ。
ある意味、ルビカンテもそうやって生まれたのかなぁ…なんて他所事を考えてみる。
「せめて…兄だけでも止められたらと思ったのですが」
「ああ、そこに関してなんですけど…ストゥルティってハルさんの言うこと聞かないんですね」
いや、ストゥルティはさ?結局元を正せばハルさんの為に戦ってるわけだしハルさんの言葉なら受け入れそうなもんだけど…そこは聞ききれないんだなって気になるんだよな。ハルさんが私のために戦わなくてもいい!と言えばまぁストゥルティの溜飲も下がろうってもんだけど。
そう俺が言うとハルさんはやや申し訳なさそうに俯いて。
「すみません、先程兄を止めに行ったとは言いましたが…その、兄の前で上手く話せなくて…」
「え?上手く話せない?ハルさんが?」
「どうしても…そっけない態度をとってしまうんです、それで会話もままならなくて…兄を止められなかったと言ったのは兄が頑なだったからじゃなくて、ただ私が上手く話せなかっただけなんです」
「それって……」
なんだか、聞き覚えのあるような…親近感を覚えるような、そんな話だな。
「ハルさん、その話もっと詳しく…」
「え?」
「すみません本当に個人的な話なんですけどそれもう少し聞きたくて──」
『おや?そこにいるのは…ハルじゃないか?』
「ッ……!」
もう少し、その話が聞きたい…そう言い出した瞬間、俺達のいる中庭に何者かが踏み込んでくる。それは……。
「ロムルス…兄様」
「え!?」
「やぁ、久しぶり」
現れたのは薄赤の長髪を揺らし、薄く素肌の見えるようなローブを羽織った、なんかやたら女々しい格好の男だ。腰に剣を差しフラフラと揺れるように現れた男を指してハルさんはロムルスと言った…つまりこいつが。
(ロムルス・フォルティトゥド…マレウス王国軍の副将軍か!)
思わず立ち上がる、俺達近衛騎士は王国軍とは別の指揮系統で動く存在だ…がだとしても一応兵士としての側面も持つ近衛騎士にとって副将軍は上の存在であることに変わりはない。故に立つ…立つけど、ロムルスは。
「うん?君は…ああ、君が噂に聞くステュクス君か。ごきげんよう」
副将軍らしからぬフレンドリーさで俺の肩を撫でる…ってか撫で方気持ち悪いぃ…何そのしっとりとした撫で方。
しかしこいつもまた俺にフレンドリーに接してくるのか…その辺はダイモスと同じだな。ハルさんの婚約者として俺を逃したくないから、実に浅ましい打算が見て取れる友好性だ。
「こ、こんなところで…何をされているんですか?ロムルス兄様」
「副将軍が王城に居る…何か変かな?それにそれはこっちのセリフだよ、普段アレスお祖母様の家から出ない君がこんなところで何を?」
「私はただ…ステュクスさんに会いに来たんです」
「ああそうか、逢瀬の最中だったか。これは邪魔をしてしまったようだ…けど一応近衛騎士である彼は今職務中、いくら新婚とは言え色恋に現を抜かすのは良くないかな?」
「…………」
ロムルスは下世話な視線をハルさんに向け、ハルさんはその視線に応える気がないとばかりに視線を逸らす。聞けば二人は親戚同士らしいけど…とてもそうとは思えない。
そりゃそうか、なんたってロムルスはハルさんに無理な婚姻を迫った男だ。マレウスの果てにいる貴族と無理矢理結婚させようとして、ハルさんはそれが嫌で俺との婚姻を偽ったんだから。ハルさんからすれば嫌で嫌で仕方ない男だろ。
「にしても君、ステュクス君だったね。女王の剣が我が一族に加わると言うのはなんとも心強いことだよ」
「い、いやぁ…ははは」
ロムルスはすっかり俺とハルさんが結婚する流れのつもりらしい…まぁその為に今も着々と準備を進めているらしいし、一応ここは否定せず……。
「ロムルス兄様」
……穏便に、と行きたかったが。どうやらそうはいかないらしく、ハルさんはいきなり立ち上がり。
「結婚はしません」
と、言い出してしまうのだ。どうやら俺の気に病むな、と言う軽い言葉はハルさんには届かなかったらしい…。
マジか…と目を見開く俺に対し、ロムルスは顔色ひとつ変えず。
「ああそう、結婚しないんだ」
「は、はい…ステュクスさんとの婚姻は嘘です、私は…結婚しません」
「そっか、嘘か。私はどうやら家族によく嘘を吐かれる質らしい、悲しいね」
「だから…だから私は貴方には従いません」
「……ああ、そう。それで?」
「それで…って……」
やり取りの一部始終を見て…俺は悟る。ああこれは無駄だと、そもそも認識が違う…根本から思考回路が違うから会話にならないと。
ハルさんは結婚をしないと言った、俺との婚姻は嘘で結婚しないで生きると…そう宣言したはずだ。だがロムルスは俺との結婚をやめたと認識しただけで…また別の人間と結婚させればいいと考えている、つまり結婚という行為そのものをやめさせる気は毛頭ない。だから会話が成り立っていない。
恐ろしいのはロムルスだよ、あまりにも一般的な思考から外れている…これは狂っているというより異常者だ。
「ステュクスと結婚しないなら以前言ったように地方の貴族と結婚しよう、相手がいなくなったんだし別にいいよね。ステュクス…君には悪いけど婚姻は無しだ、消えていいよ」
そしてこの態度、家族にならないとわかるや否や俺に興味をなくしロムルスは完全に俺を眼中から消え失せさせる。この時点でロムルスの中で俺はもう蚊帳の外なんだろう。
「だから!結婚しないと言ってるんです!ステュクスさんとも!その貴族とも!私は誰とも結婚しない!」
「ハルモニアぁ…いい加減我儘を言うのはやめなよ、みんな結婚してるんだからさ。私たち一族はみんなそうする決まりなんだから、ピードもダイモスもアモルもみんな結婚してるよ?もう子供を作ってる人だっている、君だけだよ…そんな我儘言ってるの」
「我儘じゃ…ダメですか、私の人生について…我儘を言ったら」
「君の人生はフォルティトゥドによって始まった。フォルティトゥドの仕来りがあったからこそ君は生まれ人生を歩めた、原点たるフォルティトゥドには従うべきだと私は思うなぁ」
「そんなの…あまりにも勝手です…!」
「勝手は君だろ?そういう決まりなんだから…ねぇ?」
嫌だ嫌だと首を振るハルモニアに対し、ロムルスは優しく諭すように声をかける。だがその内容は同調圧力、常識の話など確実に相手に圧力をかけることを考えての物…優しさはそこにはない。
するとロムルスはこう言った声掛けでは望むレスポンスを得られないと感じたのか…大きくため息を吐き、態度を変える。
「はぁ、困るんだよねぇ…そうい態度取られたら。さっきも言ったけど子供を産んだ人達もいる、つまり私達の下の世代が生まれつつあるんだ。そういう子達に…君のような存在は悪影響だ、かつてアンテロス叔父さんが一族に刃向かったように…君のような存在がいると悪しき前例になる」
「ど、どうするつもりですか」
「分かってるだろ、君の兄が…どういう目にあったかなんてさ」
ロムルスがゆっくりと腰の剣に手を伸ばす、ハルさんもまた警戒するように剣に手を当て、一瞬…静かな沈黙が場を支配する。俺も一応…修羅場を潜った人間として感じる。
やばい、これ…やるつもりだ────。
「ッッ!!」
刹那、鋭い剣閃が飛ぶ。火花が迸り甲高い金属音が鳴り響き抜剣と共に振り抜いたロムルスの斬撃をハルさんが防ぐ形で刃が衝突する。
斬撃を防ぐと同時にハルさんは一気に一歩踏み出し体ごとロムルスを押し相手の体制を崩そうと試みるがそれさえ読んだロムルスは華麗にハルさんのタックルを刃で受け流し…。
「キャッ!?」
ハルさんの悲鳴が響く、逆に体勢を崩されたハルさんをロムルスの剣が襲う。一度、二度と斬撃をハルさんが防ぐ都度にハルさんの顔色が悪くなる。対するロムルスは軽い運動でもするように表情一つ変えず剣を的確に振るう。
……ハルさんは俺にとって剣の先生だ、剣の腕だけなら俺よりまだまだ上位に居ると言ってもいい。されどそんなハルさんがまるで手も足も出ていない…ロムルスの腕前はハルさんより上、とかそんな次元の話じゃない。
『別格』…そんな言葉が湧いてくるほどに強い、ってかロムルスの奴…まさかマジでハルさん殺す気か!?
「アレスお祖母様から直接師事を受けた剣技が、その程度かい?弱いんだねぇハルモニア」
「ぐっ!?」
一閃、まるで影に忍ぶように体勢を低くしたロムルスの切り上げがハルさんの剣を弾き、遙か後方の地面に突き刺さり……。
「チェックメイトかな…?」
「ッ…兄様…!」
ロムルスはそのまま剣を突き立て、ハルさんに向け一気に斬撃を────。
「ってさせるかよッ!?」
「む…」
「ステュクスさん!?」
いやいや…いやいやいや、いきなり目の前で殺し合い始まって、そんでもって俺の剣の先生が今殺されかかってんのにぬぼーっと突っ立ってられる程俺間抜けじゃねぇよ!
咄嗟に星魔剣を引き抜きハルさんを守るように間に立ちロムルスの振り下ろしを防ぐと、それだけで足の付け根が砕けそうになるくらい重たい衝撃が全身を襲う。
マジかこいつ、軽く振り下ろしただけでこれか!?よくハルさんはこんなの真っ向から弾いてたな!
「ステュクス君…君、どういうつもりかな」
「どうもこうも…ないっすよ…!」
ロムルスの実力はハルさんも俺も敵わないレベルの物だ、圧倒的と言ってもいい。だがそんなロムルスが何故まんまと俺の妨害を許したか…答えは単純。
マジで俺のことなんか眼中になかったから。俺が婚姻関係にないことを知ったその瞬間からロムルスの世界から俺が消えたんだ。だから直前まで妨害にすら気が付かなかった…ショックだが、ある意味そのトチ狂った物の考え方に救われたぜ…。
「ロムルスさん!いやロムルス副将軍!ハルさんは一応扱い的にはマレウス王国軍の軍人ですよね!謂わば貴方の部下だ!それを…正当な理由なくいきなり斬り殺そうとするのは!いいんですか!?」
「ヤダな、冗談じゃないか。軽い冗談」
バカ言えよ、今の斬撃の重さはなんだ。寸止めする気なんかまるでなかったろうが…!
「というかそこ、退いてくれるかい?」
「退いたら、続きをやるでしょう」
「いやいや?やらないよ?だから…ほら、退いてくれよ」
チラリと俺はロムルスの腰に目を向ける。ロムルスは右と左…左右にそれぞれ一本づつ剣を装備してる。つまりこいつは本来双剣で戦う二刀使い、だが今こいつは一本しか抜いてない…単純な計算になるが今ロムルスが見せた力は半分か、それ以下ということになる。
そんな奴が今、俺を威圧しながら剣を抜きつつそこを退けと言ってくる…けどまぁ、退かねえんだけどな。
「断ります」
「……君はもうハルモニアとなんの関係もない人間のはずだよ、結婚もしないなら他人だ…違うかい?」
「違いますね、第一…無礼を承知で言わせてもらいますけどアンタなんでもかんでも自分の思う通りになると思いすぎじゃないですか」
「はぁ?」
「ハルさんの結婚の件だってそうだ、この人がいつ誰とどこでどんな風に結婚しようがそれはこの人の自由だ、アンタがどうこういうことじゃねぇし…何より家の仕来りを守るかどうかも、この人の自由だろ」
「そうはいかないって話をしてるんじゃないか、そもそも結婚しない人間にはフォルティトゥドの因縁なんか関係ない……」
「そしてもう一つ、他人の人生にアンタが踏み込んでいいって理由はどこにあるよ」
「…………」
百歩譲ろう、フォルティトゥドの仕来りがどうのこうのはその家の事情と割り切ろう。だがその事でロムルスがやいのやいのと言いながら剣で斬りかかる理由がどこにある…だって。
「だってアンタ、まだフォルティトゥドの当主じゃねぇんだろ?ねぇハルさん」
「え?そ…そうですが彼は事実上の…」
「事実上のって枕詞がつくときは大概事実に反する場合が多いんですよ。アンタの父親が当主なんだろ?当主がせっつくなら分かるがそうでもない人間がそこまで強要する意味は?はっきり言って今アンタがやってるのは一族の為を思う行動でもなんでもなくただの凶行だ、批判されて然るべきだと俺は思うね」
「屁理屈だよ、その理屈じゃ私を退けられない」
「屁理屈も理屈だ、今の理屈のないアンタに比べてこっちの言葉は幾分上等って事。それをアンタ自身認めてんだろ…なら、俺の言葉は無視できないはずだ」
チラリとハルさんの方を見る、俺…ちょっと鈍感すぎましたよ。姉貴もラグナさんもやばいやばいって言ってたけど…まさかロムルスがここまでやばい奴だとは思いもしなかった。
心のどこかで…何か穏便な解決法がある気がしていた、けど…今ここでロムルスを退ける方法は、一つしか思い浮かばない。
なら、迷う必要なんてないよな…このまま行けばハルさんは死ぬか望まない結婚をさせられんだ。だったら……!
「……俺は、ハルさんと結婚します」
「え!?」
「む……君が?それなら大歓迎だが…」
「ただし、結婚するなら嫁入りだ。ハルさんにはハルモニア・ディスパテルになってもらう…もうフォルティトゥドじゃねぇよな」
「なッ…!?」
ロムルスがギョッとする、まさか想像してなかったのか?俺の婿入りって選択肢しか考えてなかったのか?だがそこを選ぶのだって俺達の自由だろ…当主でもなく、結婚を強要する謂れのないお前にこれを否定する論理はないはずだ。
そこを理解しているからか、ロムルスは数秒口をパクパクさせ…。
「ダメだ」
なんていうんだ、ふざけやがって。
「何がダメなんだよ、仕来り?それを守らせる義理はお前にはないって言ったよな。言うなら現当主が言え、次期当主でしかないアンタにはその資格がない」
「だが…フォルティトゥドには莫大な財産がある、君も我が一族に入れば今後の生活には一生口が付き纏うことはないだろう。どうだい?」
「別にいいっす、俺女王お付きの近衛兵なんで収入めっちゃあるんで」
「フォルティトゥドの人脈は!今孤軍奮闘している女王レギナには私達軍部を牛耳るフォルティトゥドの人脈が必要じゃないか?君が婿入りすれば実質私達が味方に…」
「軍部を牛耳るって言いますけどそもそもマレウス軍部はマレウス国王であるレギナ様のモンだろ、アンタ達が味方になる云々以前アンタらは女王に忠誠を誓う義務がある。それとも…まさか副将軍ともあろうお方が女王には忠誠を誓わないと?」
「う……」
ナメんなよ、口喧嘩で俺に勝てると思うな…!エルドラド会談でラエティティアに言い負かされまくったの気にして!こっち方面も鍛えてたんだ!こういう時は懇々と一般常識を説いてやるのが一番効くんだ。
一般常識ってのは基本的に念頭に置かれて話は進むが故に武器として用いても屁理屈と切り捨てられやすいが、相手が冷静さをなくし荒唐無稽な話をし始めた時にこそ真価を発揮する。なんせ一般常識そのものは絶対に否定出来ないからな…だから相手も荒唐無稽な話を折らざるを得ない。
「嫁入りは…お勧めしないよ、我々も援助が出来なくなる」
「アンタら、今までそうやって自分達の影響力を使って結婚相手を巧みに一族に招き入れてたんだろ?けど…残念、俺金も地位も今ので間に合ってんだわ…そんなモンよりハルさん守る方が余程大事だぜ!」
「ッく、私は……!」
封殺、その言葉がこれほどまでに似合う状況はないだろう。事前に『ロムルスにはハルモニアの人生に口出しを出来る権利がない』事を強調しておいた上での『嫁入り宣言』。これによりロムルスは強行的な手段に出れず金や人脈といったエサでしか俺を釣れなくなった。そこを断ってしまえば…ロムルスにはもう手札がない。
ロムルスにはもう手出しが…出来ないのだ。
「結婚はします、俺とね。つまり地方の貴族との縁談もなしで…あと嫁入りなんでもうフォルティトゥドじゃなくなりますね、仕来りとかも関係ありません。口出しは無用…諦めてください」
「ステュクス君……副将軍の私を近衛兵とは言え一兵卒である君が怒らせて、タダで済むと?」
「副将軍とは言え一介の軍人である貴方が…女王の犬である俺に何をするつもりで?」
「………」
ロムルスは凄まじい憎悪を俺に向けながら牙を見せる、余程ハルモニアを逃したくないらしい…それほどまでにアンタは一族の在り方に固執するかよ、異常だぜ。打算もなく、利益もなく、そこまで何かに執着出来るのはある意味人並み外れてるよあんた。
けど残念、俺も打算や利益なくハルさん守る事に執着出来るから…まぁこの話は平行線だわな。
「ここは…退散するよ、けどステュクス・ディスパテル…その名前と顔は覚えておくよ…私は、執念深いんだ…」
「結構、ラブラブ新婚生活楽しませてもらいますわ!ご祝儀よろしく!ハルモニアの親戚さん!!」
「チッ」
最後の煽りは余計だったか…?まぁいいや言っちゃったし。
ロムルスは俺に鋭い眼光を向けながら舌を打ち、あからさまにイライラしながら退散する。ふぅ〜やばかった〜『そんな理屈知らねー!お前斬り殺してハルモニアはもらう!』とかされてたら俺死んでたわー。
ロムルスが副将軍という色々な制約がある立場で助かった。同じ軍人で尚且つ近衛兵という特殊な立ち位置だったから上手く追い払えたぜ…。
「いやぁ怖いっすねぇアイツ、絶対学生時代にイジメとかしてましたよ。親戚の集まりで武勇伝とか語ってそう」
「……ステュクスさん、貴方…自分が何を言ったか分かってるんですか」
「ん?ああ…すみません、勝手に決めちゃって」
「そうじゃありません!」
そうじゃないのか、だが俺からすればあのまま強引に拒絶だけを突きつけてロムルスが納得するとも思えなかった。ハルさんの意地もあるだろうが事を成し遂げる為に周到に手を回すロムルスを相手にひたすら拒絶の意を示し続けるだけってのは…自己満足と変わらないと思うよ俺は。
ましてや、あのままじゃ殺されるところだったわけだし…。
「……私は、貴方にこれ以上迷惑をかけたくなくて…」
「だから迷惑じゃありませんって、寧ろ迷惑でした?俺と結婚するの」
「そ、そんな事はありませんけど…」
「じゃ!いいじゃないですか、折を見てまた離婚するなりなんなりすればいいわけですし…結婚するからと言って俺は貴方の何かを制限するつもりはありませんから」
「…………すみません」
ハルさんは自らの敗北感に打ちのめされるように椅子に座り込む、俺も少々強引だったな。相手の了承も得ずに結婚します!ってさ。まぁ仮に了承なんて得ようとすれば間違いなく反対しただろうし…それでもロムルスを退ける方法はあれしかなかったわけだし。
「でも、それじゃあストゥルティが…納得しません。貴方の命が狙われることに…変わりはありません」
「そこは二人で説明に行きましょう、それとも…無理ですか?」
「こんな状況になっておきながら、しておきながら何を言うんだと思うかもしれませんが、多分…私は兄と面と向かって話せば…また意地悪な自分になってしまう」
「それは、どうしてですか」
俺はハルさん隣に座り、再び耳を傾ける。その話が聞きたかったんだよ…だって俺とハルさんの状況は、正反対で、そっくりで、真逆で、よく似てるから。
「……私は兄の事が大好きです、私を守ってくれて手を引いてくれていつも笑ってくれていた兄が大好きです。それは今も変わらない…だけど」
「今は、別れている」
「ええ、兄は私を置いて行った。自分が否定したフォルティトゥドという地獄に私を一人置いて逃げ出した…違う、本当は兄にもやむにやまれぬ事情があったのは分かるんです、けど私の頭はどうしてもそう考えてしまう。兄に置いて行かれ祖母と共に孤独で過ごした時間が私に兄を否定させる…」
ハルさんは置いて行かれた人間だ、兄ストゥルティから捨てられ…フォルティトゥドという地獄に置いて行かれ、そして今日まで森の中で過ごし今もフォルティトゥドの呪いに苦しめられている。
「私には…兄が幸せそうに見えるんです、クランという新しい家族を得て幸せそうにしている兄が目に映るんです。フォルティトゥドとは関係のない場所に一人で逃げて…対する私は兄が逃げた所為でロムルスから目をつけられ雁字搦めにされ逃げる事もままならない。その対比が…情けなくて、辛くて、苦しい」
対するストゥルティはクランという新しい家族を得て今幸せそうにやっている。自分のことなんか忘れたみたいに。ハルさんは逃げられない…というか逃げちゃいけない。ハルさんとしては大好きな祖母を置いていくことなんかできないから。
ストゥルティに逃げるなと言っているんじゃない、一緒に地獄にいろと言っているんじゃない。ただ…自分を捨てて幸せそうにしているその事実そのものが気に入らない。
…そういう話だ、似てないか?何処かの誰かの話にさ。
「でも、それでもハルさんは…ストゥルティと仲直りがしたいんですか?」
「……はい、嫌だって…恨めしいって気持ちで溢れても、仲が良かった時の記憶まで消えたわけじゃありませんから。ただ私の中にある置いて行かれた絶望がストゥルティを許さないだけなんです」
理屈でも理論でもない…ただ、許せないから許さない。…かぁ、これが置いて行かれた側の気持ちってやつなのかな。
だとしたら、やっぱり無為に触れない方がいいのかな…。
「でも……」
すると、ハルさんは徐に顔を上げ俺の方を見ると。
「でも、ステュクスさんと話していて思った事があるんです」
「え?なんです?」
「私の中にあるこの感情は怒り、私は今までこの怒りに目を背け…忘れることでその火を消そうとしていました。実際そうすれば一時は怒りの炎は胸から消えます…けどまたすぐに何かあると燃え上がる。それは怒りが消えたわけじゃない」
「そうっすね…」
「だから、真の意味で…怒りに打ち勝つしかない。怒りと向かい合い戦うしかないんだと…私は私の怒りを打ち倒さない限りストゥルティと話し合うこともできないんだ…と、そう思ったんです」
怒りは炎に例えられる。それは一見消えたように見えてもまたすぐに燃え上がる様、一度燃え上がれば他の感情も飲み込み何もかもを焼き尽くす様から怒りの感情は炎に例えられる。
ある意味、怒りとは人間の持つ感情の中で最も強く、最も大きな感情だと言える。一度動き出せば喜びも悲しみも歯が立たない、炎が勝手に消えるまで怒りは燃え上がり続ける…だから制御する事は難しい。
……その怒りと向かい合い、立ち向かってこそ、初めてストゥルティを許せる、という事か。
「分かってるんです、私の怒りは私が勝手に抱いてる物だって。だからすみません、ステュクスさん少しお待ちください…私は私の怒りと戦います。直ぐに決着をつけて見せるので…それまでストゥルティと話し合うのはお待ちいただけますか?」
「いいっすよ、ゆっくりやりましょう。家族間とのトラブルのややこしさってのは俺も身にしみて分かってるつもりなんで」
「ありがとうございます…必ずこの怒りに打ち勝ってみせます」
しかし怒りに打ち勝つか、またも感情との戦いだ…もしかしてこれ、ナリアさんの言葉がいいアドバイスになるんじゃないのか?
「あの、ハルさん。話半分に聞いて欲しいんですけど…怒りに打ち勝つには怒りと正反対の感情をぶつけるといいらしいですよ」
「正反対の感情?」
感情の対消滅。承認欲求の正反対は羞恥心…みたいな感じで怒りにも正反対の感情はあるんだろう、ならそれを用意すればいけるんじゃん?とナリアさんの受け売りをしてみる。しかしじゃあ怒りの正反対は何か…と言われればわからないんですけどね。
「まぁ言っておいてなんですけど怒りの正反対の感情とか知らないんですけどね、あはは」
「ふふふ…ありがとうございます、参考にします…しかしそうですね、私個人が思うならきっと怒りの正反対は───」
『おーいステュクス、今いいか?』
「またか…」
またいいところで邪魔が入った、中庭の奥から手を振って誰かが歩いてくる…って。
「師匠!?」
「あれ?話中か?」
「ふふふ、人気者ですねステュクスさん。…私の事はいいので行ってあげてください、いつまでも貴方を独占すると罰が当たっちゃいそうです」
「そ、そうすっか?じゃあ…すみません!」
ふと、ヴェルト師匠に呼ばれ…俺は思わず師匠の方に行きたい!って気持ちを前面に出してしまう。それを汲み取ってくれたハルさんに促され俺は師匠のところへ駆けて行き。
「どうしたんですか師匠」
「いや、いつかも言ったと思うが…俺はそろそろこの城を発とうと思ってな。別れの挨拶ってのを言いにきたのさ」
「ッ……」
そして切り出されたのは…師匠との別れの時、その告白だった。
……………………………………………
「クソッ!」
「お、落ち着いてくださいロムルス副将軍!」
執務室に戻るなり椅子を蹴り飛ばし珍しく怒りを露わにするロムルスは周囲の部下達の制止も聞かず苛立ったまま机の上に座り親指を噛む。
この怒りの根源はステュクスだ…アイツだ、アイツが気に食わない。
(クソッ、ステュクス…やってくれるよ全く。この私を口で退けるなんてね…こんな屈辱はいつ以来か)
エリス、そしてステュクス。ディスパテル姉弟にはつくづく辛酸を舐めさせられる…エリスの件も相まってステュクスには怒り二倍だ、腹が立って仕方ない。
(ハルモニアがフォルティトゥドじゃなくなる?それは絶対にダメだ、何がなんでも阻止しなければ…他の兄弟達が一族から放逐されるのとは訳が違うんだぞ…!)
はっきり言ってしまえば…ハルモニアという女はロムルスにとってある意味特別な存在だ、他の兄弟達が婿入りします嫁入りしますと言ったら止めるには止めるがどうしてもダメならまぁ仕方ないと割り切れはする。
だがハルモニアだけは…ハルモニアだけはダメだ。彼女が居なくなるのだけは絶対に許容出来ない理由があるんだ。
(クソッ!あの阿婆擦れ女が…厄介な男を連れてきやがって…!殺せるならあの時殺してやりたかった!!)
ロムルスだってハルモニアの顔はもう二度と見たくない、だがそうするわけには行かない事情というのがあるんだ。
それに何より…何より、羨ましい。
(ハルモニアとステュクスの相性は良さそうに見えた…きっと結婚すれば上手くいくだろう、そんなの…そんなの許せない!!)
自分を差し置いて他の兄弟姉妹や家族達が幸せになるなんて絶対に許さない、だからフォルティトゥドの人間全員を不幸せにしてきたんだ、不幸せにする為に家族を量産してきたんだ…だというのによりにもよってハルモニアが一族を抜け出し幸せに?
許せない許せない許せない許せない許せない!!絶対に許せない!!
(私だって、…私だって……!!)
ロムルスは妻がいる、正直名前も思い出せないくらいどうでもいい奴だが妻がいる。だがそれとはまた別に…彼には愛する者が居る。
(くっ…私だって、許されるなら愛する人と結婚したかった。レムス…レムス…!)
愛する者の名は『レムス』…こうして結婚してもなおレムスへの愛は衰えない、寧ろ強く燃え上がる。許されるのであればレムスと結婚し幸せな家庭を築きたかったと夜を経るごとに思う…。
だが許されなかった、絶対に許されるはずもなかった。だからレムスへの愛は諦め…他の女と結婚したというのに!他の家族が!ハルモニアが!自分を差し置いて愛する人と結婚し幸せに!?
許される訳がないだろ!私は…レムスを諦めたのに。
(レムス!レムス!!会いたい…また会いたい)
頭を掻きむしり狂気が抑えられない、狂愛が抑えられない。またレムスに会いたい…今から会いに行こうかな……。
「ロムルス大兄…!如何されましたか!」
「ダイモスか……」
すると、配下の兵士達の騒ぎを聞きつけ…ダイモスや他のフォルティトゥド達がやってくる。流石に他の兄弟達にこんな姿は見せられないとロムルスはコホン!と咳払いし。
「…実は、ハルモニアが結婚するそうだ」
「え?ええ、ステュクス君とでしょう…それは知って──」
「嫁入りだそうだ」
「なっ!?フォルティトゥドを抜けると!?」
ドヨドヨとフォルティトゥドの兄弟達の間に混乱が走る。やはり嫁入りなんか許されないよなぁ…?
「阻止するべきです!大兄!」
「分かってる、けど真っ向からじゃ難しい…向こうはもう完全に理論武装を固めてるし……」
ダイモスか、あるいは司法官のロースを連れていけばステュクスの理論武装を破壊できるかもしれないが…ステュクスの後ろにはレギナ様がいる。国王は司法の上にいる女だ…いくらこちらが理論で攻めても最後は王権という力で一気にひっくり返されるかもしれない。
それにそう言えばステュクスの背後にはラグナ・アルクカースもいるんだった…最悪だな、アイツの後ろに二人も大王が……。
「ん……?」
ふと、気がつく。そう言えばステュクスは大冒険祭に参加していたな…と、大冒険祭だ…よりにもよって大冒険祭。ロムルスにとっても…あれは大事な───。
「どこまでも…!」
ギリギリと親指を噛む、ステュクスはどこまでも…こちらの事情を踏み躙り大切な物を奪っていくようだ。ならいい…もう手段は選ばない。
「ダイモス、一つ提案があるんだ…」
「ハッ、なんでしょうか…」
「ステュクスの所属するチームの名前は」
「へ?」
「大冒険祭の、ステュクスが参加する…チームの名前は?」
「あ!えっと…」
その意図を察し、苛立ち始めたロムルスに従いダイモスは手元のメモをパラパラと捲り。
「ソフィアフィレインです」
「ソフィアフィレイン…その構成メンバーの名前をここに挙げろ。その中から弱そうなのから一匹づつ…消していこう。そしてステュクスに分からせる、フォルティトゥドを怒らせるということはどういうことかをね」
まずはステュクスの周りから潰す、大冒険祭に参加するチームということはステュクスの仲間ということ、ならそこから…消してやろう。そして彼に思い知らせるのだ…私を怒らせた、その罪深さを。