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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十八章 ナリア・ザ・ハード 〜サイディリアルより愛をこめて〜
702/837

645.魔女の弟子と禁断と愛


フォルティトゥド家、伝説のチーム『ソフィアフィレイン』のメンバーであるアレス・フォルティトゥドを家長とするマレウス切っての軍事一家で今日に至るまで数多くのエリート官僚を輩出した名門でもある。


司法、行政、軍事…数多くの要職に食い込んでおり宮に仕えたいならフォルティトゥドとネビュラマキュラには嫌われるな…なんて冗談が罷り通ってしまうくらいには莫大な権力を持つ。ましてや軍事に至っては凄まじく先代防衛大臣マルス・フォルティトゥドと現マレウス副将軍ロムルス・フォルティトゥドの二名が宰相達とは別の派閥を形成しつつあるほどだ。


欠員相次ぐ王貴五芒星にフォルティトゥド家が取り立てられるなんて話も沸いており…まぁ何が言いたいかと言えばサイディリアルに巣食う魔物の一匹と言う事だ。


かつて、天涯孤独で家族を欲したアレスの言葉に従い『家族を増やす事』を命題としたフォルティトゥドはいつしか歪み、結婚と婚姻、そして子作りを強要…まるでがん細胞のように増える事にのみ要点を置いた異常者集団へと成り下がった。そして今…僕の友人であるエリスさんとステュクスさんにもその魔の手が及ぼうとしている…だから!


「なんとかします!」


サトゥルナリアは立ち上がった。今日エリスさんとラグナさんはフォルティトゥドの魔の手を振り払う為『二人が婚約者である』と思い込ませる。実際はまだ婚約していない二人を婚約しているものとしてフォルティトゥドの前に出す、これは嘘を吐き一族の目を騙す詐称だ…僕は役者であって詐欺師じゃない。


だが、見せたい現実を見せる事に関しては…詐欺師よりもプロフェッショナルなつもりだ。だからやってやりますよ。フォルティトゥド家が納得出来るだけの虚構を見せてあげます!


と言うわけで今日はこの後エリスさんとラグナさんはアルバロンガ平原で行われるフォルティトゥド一族主催のお茶会に参加する事になっている、そこに二人は婚約者として参加し全員を納得させる。


そのために必要なのは台本!綿密に練られたバックボーン!それを用意することからだ!


「すみません!台本用意出来ませんでした!」


「えぇっ!?この後茶会だぞ!?」


既におしゃれをしているエリスさんとラグナさんに向け頭を下げる。はい、まず台本ですが用意できませんでした。いやだってこの話聞いたのは昨日の夕方頃、で次の日の朝までに台本一本…無理がありました。


普通に納期が短すぎます、そもそも僕は脚本家ではないので…ですが。


「ですけど任せてください、アドリブで行きます」


「アドリブって…それ作戦無しってのをかっこよく言っただけじゃねかな」


「大丈夫ですって、全く持って作戦がないわけじゃないので…と言うわけでメグさん!」


「はい、メグさん参上メグ参上」


扉を開けステュクス邸のダイニングに入ってくるのは今回の話を聞いて妙に乗り気なメグさんだ。この人に頼めば大概のことはなんとかなる。


「今からお二人にはこちらを装着していただきます」


「これ…念話魔力機構か?」


イヤリング型の通信機構だ、それをエリスさんとラグナさんが装着するんだ。二人お揃いのイヤリングって凄く婚約者っぽくないですか?


「これを使って、…僕が二人に代わって返答します。どんな感じで…どんな口調で…どんなことを言うか、事細かに全て指示します」


つまり、エリスさんとラグナさんを通して僕が即興で芝居を打つのだ。何を言われても完璧に答えられる台本なんてのはこの世に存在しないしそれをラグナさんに覚えさせるにはこれまた時間が足りない…ならもうこうするしかないんだ。


「ちょっと待て、この機構って確か一方通行だったよな?」


イヤリングを通して声を届ける機構、これを使って指示を出す…がラグナさんの言う通りこの機構は一方通行だ、つまりラグナさん側から僕には何も伝わらない…届くのは僕の声だけでラグナさん側の応答はない。と言うことはラグナさんが聞いたこと…その場で何を聞かれたかを僕は聞くことが出来ないんだ。


でもそこはすでに考えてある。


「大丈夫です、僕もその場に行くので」


「行くって…大丈夫なのか?呼ばれてないぞ」


「隠れてついていきます。一応メグさんから視線避けのマントを借りているので」


僕はメグさんから借りた視線を通さないマントを使って隠れてラグナさん達についていく。で遠巻きに話を聞いて僕が代わりに答える…と言う形でいくんだ。


「だ、大丈夫かそれ。見つかったら一発アウトだぞ」


「そうですよ、エリス達の代わりに答えていた人がいたってバレれば根底からこの作戦は崩れますし、何よりしらばっくれても不審者として捕まります…あそこは軍人や司法官の溜まり場です、捕まったらどうなるか…」


「大丈夫です!上手くやります!」


見つかれば…牢屋か、或いは何かしらの罰則を与えられるだろう。そうなれば大冒険祭どころじゃなくなるしエリスさん達を守ることも出来なくなる。一巻の終わりって奴だ…だが見つからなければ何もない。


なら、見つからないようにすればいいだけだ。


「僕からもお二人に言いたいことがあります、僕からの指示がどんな物でも必ず実行してください…僕も全力を尽くすので、お二人も全力で」


「ああ、そこは勿論任せてくれ」


「けど、どんな指示が来るんでしょうか…そこは怖いかもしれません」


「大丈夫、キスとかまでにしますので」


「キスッ!?それ最大限じゃないか!?」


「もう!お二人ともいい歳でしょ!キスだなんだで顔赤くしない!」


「そ、それは…まぁ…うん」


「分かりましたね!では……」


正直に言うと、不安だ。これで上手くいく保証はどこにもない…けど、それでも僕はみんなの役に立ちたい。実力で劣るなら実力以外の場所で…だからここで引くわけにはいかない。


絶対に、やり通すんだ…仲間のために!


さぁ出陣だ、絶対にこの結婚騒動…収めてみせますよ!


………………………………………


アルバロンガ平原…サイディリアルの目の前にあり、尚且つ起伏が少なく森や川などもない平凡でただ名前がついているだけの空間。そこに意味を与えたのはこの土地の持ち主であるフォルティトゥド家だ。


フォルティトゥド家がこの土地を保有して以来ここはフォルティトゥド一族の集会場となっており、冠婚葬祭は基本的にここで行われるし年に数度の一族の集まりもここで行われる…そう、例えば今日みたいな『茶会』もそうだ。


普段はそれぞれの分野で働く一族が一堂に会しそれぞれの分野の情報共有を行い一族の結束を高める目的がある。本来はこの茶会にて行われるはずだったフォボス婚姻発表のように一族の中で未婚の人間が相手を見つけた際もここで発表する場合が多い。


故に、このアルバロンガ平原の茶会には…約三名を除いた全ての『フォルティトゥド』が集う。


「すげぇ数だな…」


「ハルさん曰く、フォルティトゥドは既に百人以上に膨れ上がっているとか…」


アルバロンガ平原にやってきたラグナとエリスはちょっとビビる。家族内の集まりだ…と聞いていたからもう少しこじんまりしたものかと思ったらどうだ。平原の只中に机がいくつも置かれ、会場すらも設営されそこに数百人近くの人々が集まっているんだ。


こりゃ軽いイベントだぞ…そんな言葉をラグナは飲み込む。


「さ、さぁエリス。今日はその…頼むぜ」


「は…はい、緊張してしまいますね…」


二人とも今日はおめかししてる。いつもの冒険者風の格好でいくとそれだけで色々突かれそうだったからだ。しかしこうしてオシャレしたお互いと姿を見ると…どうしても照れてしまう。可愛いし…かっこいいから、顔が熱くなる…しかし。


『こぉらーっ!早速照れない!』


「うっ…ナリア」


耳元からナリアさんの声が響く。エリス達が身につけているイヤリングがナリアさんの声を届けているんだ。


『きちんと見えるところにいますからね、照れたらすぐ分かりますから…』


「あ、ああ。分かってる」


チラリとエリスが横を見ると…そこには小さな茂みがある。ナリアさんはこの茂みの中にいるのだ…正直、バレそうな気がしないでもないが、ここは彼を信じようとエリスとラグナは頷きあう。


ここからは二人とも完璧に婚約者として振る舞わなくてはならない…そうしないと、色々面倒だから。


「おや?来てくれたかい、エリス君…ラグナ君」


「ダイモス…」


ふと、視線を前に向けると…早速やってきた、巨漢の監査官ダイモスだ。彼はいつも通りの制服でメガネを掛け直しながらエリス達の前に現れる…が、いつもと違う点があるとするなら。


「…………」


彼の隣には、小柄な女性が一人立っていたことだ。茶髪で…とても元気とは言えないくらい落ち込んで俯いた女性。それがダイモスの三歩後ろを歩いて来た。…これは恐らく。


「ん?ああ、彼女は我が妻です。ほら…挨拶しなさい」


「……ローラです」


やはり妻だとエリスは視線を鋭くさせる。この人の顔はロムルスが連れていた妻パラティノと同じ憂鬱の顔をしている…きっと、ロクな扱いを受けていないんだろう。


まるで奴隷同然…その扱いにエリスは思わずムッとしてダイモスに視線を向け。


「ダイモス、随分奥さんと距離があるんですね」


「ん?ああ、これが我が一族の仕来りです。フォルティトゥドの血を持たぬ者はフォルティトゥドを立てる…代わりにフォルティトゥドは持たぬ者に富と地位を与える、そう言う関係なんですよ」


そう言ってダイモスが手をヒラリと後ろへ向けると…そこには多くの夫婦達がいる。だがそのどれもがエリスの知る夫婦とはかけ離れた物で…。


『ちょっとお前、ヨタヨタ歩かないでよみっともない』


『ご、ごめんよアモル。でもちょっと荷物が多くて…』


『何?私が持たせたものに文句でも?』


『い、いや…何も……』


高飛車そうな赤髪の女が気弱そうな男を引き連れ歩いている。他にも大柄な男が女を叱りつけ、筋骨隆々の女が男を犬のように扱い…恐らくここでは『フォルティトゥドが上、それ以外が下』と言う空気が生まれているんだ。


フォルティトゥドの女はフォルティトゥドじゃない男をこき使う、フォルティトゥドの男はフォルティトゥドじゃない女に偉ぶる。その代わり軍の高官についているフォルティトゥドは伴侶に生活を保証する…と。


これが家族か?家族なものか…こんなの、エリスの父親となんら変わりない。


「とても、家族には思えませんが」


「…なんだと?」


そうエリスが呟けば…ダイモスがギロリとこちらを見る、何を言われても顔色を変えなかったダイモスがそこだけは許せないとばかりに怒りの形相を見せ、彼女の妻であるローラはビクリと肩を振るわせる…が。


「まるで奴隷と主人です、生活を保証する事がそんなに偉ぶる理由になるんですか?エリスから見れば貴方達のそれは家族ではなく歪な主従関係にしか見えませんが…!」


引かない、こいつらの理屈はどこまでも受け入れ難い。結婚を強要しておいてしたらしたで奴隷扱いか、どこまで人間を馬鹿にすれば気が済むんだ…!


「お前、言っていいことと悪いことがあるぞ…」


「だからなんですか、言ってほしくないから遠慮して欲しいと?なら行動を改めるところから始めて──」


『開始数秒で喧嘩始めないでください!』


「ゔっ…!」


しかし、そこでナリアさんの言葉が耳に響く…しまった、そうだった。今日はここにこんなことをしに来たんじゃない。


『言いたいことがあるのは分かります、でも今ここで口論をすれば後々に響きます…だから今は抑えて』


(……分かりました)


「……フンッ、まぁいい…ともあれ、楽しむように」


そう言ってダイモスはややイライラしながらも取り敢えずホストとして振る舞うようで、そう言い残しエリス達を置いて何処かへと去っていき…後には彼の妻のローラさんだけが残される。


「…………」


「あの、大変そうですね…ローラ、さん?」


そうエリスが声をかけるとローラはやや困ったように笑い。


「ごめんなさい、彼の顔…怖いから驚かせてしまったかしら。でもフォルティトゥドの人達は家族って言葉を大切にしてるから、あんまり否定しないであげてね」


なんてことを言うんだ…あれだけ怯えていたのに、まるでダイモスの肩を持つような物の言い方に違和感を感じる…。


「す、すみません…けど、あなたはいいんですか?あんな旦那で…嫌なら離婚なりなんなり…」


「しないわよ、好きだもの…ダイモスさんの事」


「好き……?」


ローラは述べる、ダイモスが好きだと。好きでここにいるんだと…だがどう見ても今の彼女は幸せそうに見えない。だがしかし…なんで。


「昔はあんなんじゃなかったのよ、フォルティトゥドの人達も…みんな家族と向き合ってくれていた、ダイモスさんも優しかった」


「信じられません」


「かもね、けど…本当にある日を境に変わってしまったの…全部、アイツのせいで」


ローラは睨む、人が集まる海の向こう。人の海を割り現れる男を、全てはアイツが悪いと…何もかもを歪めた元凶だと、それはフォルティトゥドの災禍という巨大な渦の中心にいるただ一人の男……そう。


「ロムルス…」


「アイツが?」


悠然と人の海を真っ二つに割いて現れたのは今フォルティトゥド家を束ねる存在にして直系直下のフォルティトゥド家当主…またの名をマレウス副将軍ロムルス・フォルティトゥド。


薄赤の長髪と薄手のローブという扇情的な格好を晒しながら現れたロムルスの姿を確認したエリスとラグナ、そしてナリアさんの中に緊張感が生まれる、この作戦の本題は彼を騙せるかどうかにかかっている。


つまり、今から始まる作戦は…エリスとラグナとナリアさんでロムルスと戦う、舌戦である。


「なんか…女々しい格好した奴だな、思ったより」


「でもめちゃくちゃ強そうですよ」


「だな、副将軍か…こりゃあ油断できないかもな」


ロムルスの体から立ち上る気迫と鬼気、そんじょそこらの雑魚とは比べ物にもならないレベルにまで研ぎ澄まされた力量が遠目で見ただけでも伝わってくる。それだけ力量がある…ということは、それなりの場数を踏んでいるという事で。


つまるところ…。


(ロムルス・フォルティトゥド…手強そう〜……)


手強い相手という事、そこを感じ取ったナリアはギュッと胸に手を当てる…と同時にロムルスがエリス達に気がつき近づいてきて…そして始まる。


「君達が、ダイモスの言っていたエリスとラグナ…だね?」


「は、はい…エリスがエリスです」


「もう紹介は受けているかもしれないけれど…私がロムルスだ、ロムルス・フォルティトゥド…よろしく?」


(来た……僕がやらないと)


静かな騙し合い、探り合い、化かし合いの茶会が。


………………………………………………………


「さて、君達の話は色々聞いているよ…なんでももう婚約してるから、うちのフォボスとは結婚出来ないとか」


それからエリス達は会場の机の一つに通され、そこに座る。エリスとラグナで並んで座ると目の前にロムルスが座り…フォルティトゥドの血を持たない者達が次々とエリス達の前に料理を運んでくる。だが料理に手をつける気になんてなれない。


「で?実のところそれって…本当なのかな」


「ッ……」


ロムルスの疑いの視線が突き刺さる。ハナっからエリス達の話を疑い否定するつもりの視線、こんなのに晒されて呑気に飯なんか食えない。事実ラグナもさっきから険しい顔をして料理に見向きもしていない。


ハルさん曰く、フォルティトゥドは略奪上等で一度見定めた人間を確実に伴侶にする。その為ならば恐喝も恫喝もなんでもやるとか…それがこれだ。エリス達は今フォルティトゥド家に恫喝されているんだ…。


返答を間違えれば逃げ場を失う…さぁ、どうする。


「……『ああ、本当だ』」


イヤリングから聞こえるナリアさんの声に従いラグナが口を開く、視線を向けず近くの茂みに意識を向けると…その中でナリアさんが必死に話を聞きながらセリフを考えてくれている。ここの返答は全て彼に任せることになっている。


…頼みましたよ、ナリアさん。


「ふぅん、けど…いるんだよね。よくさ、私達一族の謂れなき悪評に怯えて嘘をつく人がさ。もう婚約してるから…貴方達と結婚出来ないって」


「『疑ってるのか?』」


「いや?疑ってないけど?でもなんで疑われてるって思ったの?」


ロムルスはケラケラと笑いながら悪戯に微笑む。エリス達の揚げ足を取る気満々か…一筋縄ではいかないようだ。これは本当に少しでも下手をこいたら尻尾を掴まれるぞ。


「『お前の視線が、俺達のことを疑っているように見えた…大体なんだ、茶会に呼ばれて来てみれば、いきなり尋問風の話し合い。これで警戒するなって方がおかしいだろ』」


「まぁ、確かにそうだね…」


「『俺はエリスを愛してる、愛する伴侶がこうも無体に囲まれて黙ってるのが…お前達の理想とする伴侶の姿か?』」


下唇を噛んで表情を殺す、い…今ラグナ愛してるって言った!?いやいや落ち着け!落ち着けエリス!これは演技…演技ですから。


「ああ悪かったよ、でも疑う気持ちも分かってくれよ。さっきも言ったが私達はよく嘘をつかれるんだ、だからまた今回もそうかな…と思っただけだよ。仲良くやろうぜラグナ君」


「『そっちがその気なら、そうする』」


「そうかい、ならここからは腹の探り合いは抜きだ。君達には迷惑をかけたようだから遠慮なく飲み食いしてくれ、これは私達なりの謝罪だよ…さぁ酒を持って来てくれ」


パンパンとロムルスが手を叩くと、次々と酒が持ち込まれてくる…が。


『エリスさん、ラグナさん、絶対に手をつけないでください』


(分かってるよ、ったく…ロムルスの奴。何が腹の探り合いは抜きだ…全然やる気じゃねぇか)


用意されている酒はどれも悪酔いする事で有名な酒ばかり。恐らくこれはロムルスの攻撃の一つ…酒を飲ませ、エリス達の口を軽くするつもりだ。


だがいいのかナリアさん、確かに酒を飲んだらやばいかもしれないけど…飲まなかったら飲まなかったで。


「おや?酒に手をつけないのかい?」


「…………」


「そう遠慮するなって…それとも、酔うと何か不都合でも?」


ロムルスの瞳がギラリと輝く。飲まなかったら飲まなかったでつけ入る隙を与えるぞ…!どう切り抜けるんだ、ナリアさん。エリスにはもう全く見当もつきませんが!


『エリスさん…、ここで…』


(え?マジで言ってます?)


表情を殺しながらナリアさんの話を聞く…が、そのあんまりにも素っ頓狂な内容にエリスは思わず声をあげそうになる。だってそれって…。


「どうした、酒を飲まないのかい?それとも酔って口を軽くしたくないのかな?言いたくない事でも?」


「『いや、そうじゃないんだ…実は、なぁ?エリス』」


「……『はい、実は』


ええいままよとエリスはお腹を抑えながら…。


「『この子に、悪いので』…」


「この子…まさか、お腹に?」


「『はい、なのでエリス達は今酒を戒めていまして、すみません』」


つまり、妊娠してるので酒は飲めないというのだ。実際エリスは妊娠してないしなんなら生娘だ。だがそんなのロムルスは知る由もない、だからこそロムルス達も無理には勧められないし…飲まない理由にもなる。


「君達大冒険祭に参加してるんだよね、身重で参加してるの?」


やば…そこから突かれるか。


「『はい、恐らく期間から考えてエリスが万全に動ける最後の機会になるので…大冒険祭を最後にエリスは戦いから身を引きたいんです、ただその前に一つ…何かを成し遂げたくて』」


「ふぅん、感心しないけど…まぁ他所様の都合に話をつけるのもなぁ」


するとロムルスは机に肘をつき頬杖で頭を支えると。


「しかし子持ちかぁ…子持ちだったらそれこそ婚姻は出来ないか。フォルティトゥドの血を持たない子を一族として産ませるわけにもいかないし」


なんて身勝手な都合だ…!お腹の子には罪もないだろう!なのにそんなフォルティトゥド本意で考えるなんて!いやまぁお腹に子供はいないんですけど!


「……本当に子供がいればだけどね」


しかし、それでもロムルスは疑いの目を辞めず…。


「『なんだ、まだ疑ってるのかよ。さっきは腹の探り合いはやめるって言ったのに』」


「いやいや疑ってるわけじゃないんだけど…どうにもおかしいなぁと思うことがあってね?」


「『何が…』」


「ラグナ君、君…ラグナ・アルクカースだろ?アルクカースの大王様…それが子供を作ってるなんて話、聞いた事ないけど」


ッ……こいつ、ラグナの素性まで。いや知っているか…こいつはエリスの正体にも勘付いていた、ならここにいるラグナが争乱の魔女の弟子にしてアルクカースの国王ラグナだと気がついてもおかしくない。


そして、国王たるラグナが子供を作った…というのは、そこらの人間が子供を作ったというのとはレベルの違う話になる。もし本当に作ったなら…それは次代のアルクカース国王の誕生を意味する。それが秘匿されているのはおかしくないか?とロムルスは言うのだ。


「悪いね知らないふりをしててさ、だがどうにも納得がいかない。君とエリス君が幼い頃からの付き合いだというのは聞いているが…だとしても婚姻していて、剰え子供も作っているのに一切お触れもなしってのは…ちょっと変じゃないかな」


「…………」


「疑うわけじゃないよ?けどさ…どう考えてもおかしいんだよね。寧ろ幼い頃からの親友であるエリス君を助ける為婚姻してるなんて嘘をついたって言った方が納得が行く…」


切って来た手札、それはラグナの素性。いきなりぶつけるのではなくこちらが言い逃れ出来ないタイミングでの発言…、どうする、どうしましょう、エリスはもうナリアさんにお任せモードです。


「『当たり前だ、公表してないからな』」


「へぇ、なんで」


「………………」


「ん?何?どうしたの?急に黙って」


あれ?どうしたんだ?ナリアさんから声が聞こえない?一体何が…ってナリアさんの茂みの近くに人が!?


(まずい!ナリアさんのいる茂みの近くで料理食べてる人がいる!あれじゃナリアさんが迂闊に喋れない!)


「なんだよ急に黙って…」


「あー、いや…その」


「なんで公表してないんだい?」


「それは…」


ラグナがこちらに助けを求めるように見てくる、ここでラグナが自分で誤魔化してもいいが…ナリアさんが発言の途中で黙ってしまったせいで話に整合性が取れない可能性がある。ここはエリス達がなんとかしないと…!


よーし、こうなったら…。


「あ痛ーっ!」


「ちょっ!?何を!?」


「すみませんなんか急に足が動いて机蹴っちゃいましたー!」


「はぁ?」


ゴーン!と机を下から蹴り上げ上に乗った酒をぶち撒ける、おかげで机の上はお酒でびちゃびちゃだ…。よし、これなら…。


「あーあー、全く。おーい、机拭いてくれー」


『あ、はい!』


そうロムルスが叫べば、茂みの近くにいた人達が動き出し慌てて机を掃除し始める。やはり思った通りだ。


「…エリス、よくお前茂みの近くの奴らが動くってわかったな」


「…あそこで喋ってる人たちが、さっき他の人にへーこらしてるのが見えたので、顔を覚えておいて良かったです」


コソコソとエリスとラグナは話し合う、茂みの近くにいる人達…あれは恐らくフォルティトゥドの血を持たない人達だ、だってさっき他の人に頭下げたり怒鳴られたりしてたからね…。血を持たない人をロムルスは動かすってわかってたからこういうこともできる。


『すみませんエリスさん、助かりました』


そして茂みの近くから人がいなくなった…今なら。


「で?なんで公表してないのかな」


「……『それは、今のアルクカースの事情があるからだ』」


「事情、なるほど?」


「『俺の兄ベオセルクが既に子を二人産んでいる、兄様にはその気がないようだが既に現体制に不信を持つ者達が動き出し二人の子供を擁立しようとしている…こんな状況で婚姻と妊娠を発表すれば確実にエリスに危害が加えられる、だから発表は出来ない』」


「………ふぅん」


「『今俺は訳あってマレウスにいなければならない、その事情までお前に話すつもりはないが…帰国をし現体制を崩そうとする者達を征伐した後、正式に発表するつもりだ』」


「…………なるほどね」


上手い、とエリスは思いましたよ。だってラグナが国王であることをロムルスが知っている以上アルクカース国王であるラグナが決めた国内の問題に口出しなんか出来るわけがないからだ、ここでこれ以上この話を掘り下げようとしても『我が国の問題に口出しは無用』と突っぱねられる、そこをロムルスも理解したからつまらなさそうに口を尖らせているんだ。


「……妊娠か」


(ん?)


と思ったら、なんか違うな。ロムルスの顔が影を帯びた…妊娠に対して、何か思うことがあるのか?


「まぁ分かったよ、ここで妊娠していないこともそれを公表しないことも、私には証明のしようがない…これはこれ以上口出しは出来ないかな」


なんてロムルスは諦めたような口振りをするが…油断出来ない、こいつは色んな手を持ってる…まだまだ攻勢は続くと見ていい。ここから納得させることは出来るのか…そうエリスが思案していると。


『エリスさん、お願いします』


そんな声がエリスに届く…どうやら、ナリアさんも仕掛けるようだ。


「『すみません、ロムルスさん』」


「ん?何かな?」


「『エリスとラグナは婚姻関係にあります、だから結婚は出来ません。このお話…エリスは丁重にお断りします』」


「……そうだねぇ、うん…とは言えないかな」


「『どうしてですか?エリスはフォボスとの結婚を望んでいません』」


「望む望まないじゃなくてね、私達にも私達なりの事情があって…」


「『本当にそうですか?ロムルスさん、貴方は…本当は恋人の仲を引き裂く事に忌避感を感じているんじゃないんですか』」


え?自分で言っておいてなんだが…そうなのか?エリスはナリアさんの言葉に従い口を利いてる訳だが、だとしてもそんな…ロムルス自身が恋人を引き裂く事に忌避感を感じてるって。


「……君、何を言ってるんだ?」


ロムルスは笑う、何わけ分からないこと言ってるんだ、お前の言ってることは的外れだと。しかしエリスには分かる…こいつ今、何かを取り繕っている。


「『結婚を強要させるまでなら…いいです、或いはそれが幸せに繋がることもあるかもしれない、けど…既に結ばれている人達を引き裂く、既にある愛を引き裂くことに…抵抗を感じているはずです』」


「…………何を馬鹿な」


「『馬鹿な事なら、否定してくれても構いません…けど思うところがあるから、真っ向から否定しないんでしょう』」


「…………」


すると、ロムルスは静かに目を伏せ…クルリと後ろを向いて。


「すまない、ちょっとみんな離れててくれるか」


「ロムルス兄様?何を…」


「いいから、頼むよ」


「………わかりました」


周囲の兄弟達を遠ざけるのだ。そしてロムルスは…ニコリと微笑み。


「参ったな、なんだか何もかも見透かされてるみたいだ。それも魔女の御技かな?」


「『ただ、そう思っただけです』」


「……君の言ったことを肯定するつもりはない。ただ…昔を思い出したよ」


するとロムルスは近くの酒を手に取り、グラスに映る自分の顔を見る。そこに映る顔は笑顔ではあるものの何処から物憂げで…。


「実はさ、私の両親は略奪愛の末に婚姻を結んだんだ…既に軍で一角の地位にあった父が、既に恋仲にある相手がいた町娘の母を襲う形でね…胸糞が悪いだろ?」


「…………」


「父は強引に母を物にした、そうやって生まれたのが私だ。父からすれば私は成果物、母からすれば私は悪しき記憶の権化。だから君達の言わんとすることは分かる…このまま無理矢理フォボスとエリス君を結婚させても、幸せにはならない。食卓でも口を聞かない夫婦と不幸せな子供が出来上がるだけだ、そこに忌避を感じるかと言えば…心と立場で返答が変わるね」


「……『なら』」


「そうだね、けど…ごめんよ。そうやって生まれた私はフォルティトゥドの悪因に従うしかないんだ、フォルティトゥドを繁栄させるために生まれたのだから、フォルティトゥドを反映させなくては…父の執念にも、母の不幸にも、意味がなくなる。こんな私でも家族は愛しているんだ」


「…………」


「本音を言えば、確かに忌避感はある。だが不幸せのままで終わらせない…私自身はそう決意しているつもりだ。フォルティトゥドという一族が私の居場所だから、その居場所たる一族のみんなを幸せにする義務が私にはあるからね」


ロムルスは懇々と語る。己の身の上を…これを他の人間に聞かれたくなかったら、兄弟家族達を遠ざけたのか…。


彼も、彼なりに思うところがあるのか…ただそんな生まれでも家族を愛すると。


(エリスとは違うな、彼の方が強い)


ある意味、ロムルスの生まれはエリスと似ている。奴隷に落ちた母を襲った父…そして生まれた悪き記憶の権化たるエリス。そんな身の上に生まれながらロムルスはエリスとは違い家族と兄弟を愛する選択をした。


ステュクスに対して…あんな態度をとるエリスとはまるで違う。エリスよりもずっとロムルスは強いんだ、こういうところはある意味…尊敬し──。


『嘘をついてます、ロムルスは』


(え……?)


その瞬間、ナリアさんの声が響く。ロムルスは嘘をついていると…。


『言っている内容はおそらくですが本当です、ですがロムルスはそこに対して抱いている感情は多分家族愛じゃありません。さっきと少しだけロムルスの口調が変わりました…何かを取り繕ってます、流されないで』


(嘘でしょ…今の話、ロムルスはさっきの話を嘘として語っていたのか?いや生まれや身の上については本当だが、家族を愛しているというのは嘘?なら彼は…もしかして)


「私は家族が好きで好きで堪らないんだ、祖母と同じで寂しがり屋でさ、より多くの家族と幸せが見たい。もう父と母のような間違いは犯さない…例え奪うようなことになれど必ず幸せにしてみせると約束している、この場にいる全員にさ」


ロムルスは立ち上がり、ニコリと微笑む、その笑みが…いつもとは違い、とても悍ましく見える。後光を浴び影が差した顔に三日月のような笑みが浮かぶ。


まるで万人を呪うような笑み、されど口は祝福を嘯く。愛が嘘ならその先にある反対の感情はなんだ?無関心?ならここまで必死にはならない。彼は恐らく一族そのものを愛していない。あるのは憎悪かはたまた悪意か、分からないが少なくとも彼はプラスの感情で家族を増やそうとしていない。


「みんなは私を一族を増やして派閥を作ろうとしてるなんていうけどとんでもない。ただ愛する家族により良い生活をしてもらおうと思うと…やっぱり金払いのいい軍部に勤めるほうがいいかなと思って勧めてるだけなんだ。事実私はマクスウェル将軍に忠誠を誓っている」


『彼の言葉を間に受けないでください、言っていることは全て反対だと思ってください』


愛を語るその口がひっくり返って憎悪の印となる。こうも笑顔で、他人に呪詛を吐けるのかと感心してしまう。人はフォルティトゥドはサイディリアルに巣食う魔物だ…そしてそれを魔物垂らしめる魔王こそが、ロムルス・フォルティトゥドなのだ。


「君も子供も、孫も子孫も、必ず幸せにする。誰も孤独にならない…フォルティトゥドはそういう場所さ、どうだろうか、エリス君」


『悍ましい、狂気的な何かを感じます…ロムルスは根底では夫婦という存在を憎んでさえいる。より多くの人間を巻き込んでより多くの『夫婦』を破綻させる事にだけ注力している…こいつおかしいですよ、エリスさん』


(エリスも…同意見ですよ)


ケイトさんはロムルスがより多くの一族を作り上げサイディリアルに自分の派閥を作ることを目的にしていると言っていた。だが違う、彼は憎んでいるんだ…その歪んだ出自からそもそも夫婦、家族というものを。


ダイモスの例が分かりやすい例だろう。彼らは元々仲睦まじい家族だったとローラさんは語っていた、しかしロムルスの介入でダイモスは非情になりローラさんは暗い顔をするようになり、あの家族は破綻してしまった。それは全てロムルスが望んだから…。


彼は家族という概念そのものを憎んでいる。だから、夫婦を…家族を破綻し破壊する事に喜びを感じている。その為に態々強引に夫婦を作りくだらない決まり事で家族関係を破壊する、壊すためだけに作る…家族を破綻させるためだけに結婚させる。


…常軌を逸している。根本からこいつは狂い果てている…こんな奴がフォルティトゥドの舵取りをしてるんだ、そりゃあおかしくもなるよ。


(けど、それだけじゃない…?)


だがエリスは思うのだ、同じく家族を憎んだ者として…ロムルスの狂気は『父と母の歪な関係から生み出された』というだけでは説明がつかない。更にもう一つ…ロムルスという人間を破壊した何かがあるはずなんだ。


一度の悲劇で彼は淵に追いやられ、もう一度の悲劇で修羅に落ちた…エリスはそう見る。が今それを言っても仕方ない。


「だが、君達が既に婚姻関係にあり…それが嘘でないなら、私は君達を引き裂くわけにはいかない。引き裂いて生まれた子供に私みたいな思いはさせられない…そんな歪んだ家族関係では、幸せになれないからね」


ロムルスはエリスを見逃すような口振りで呟く。恐らくだが彼の目的を達成できないからだ…。これでエリスが子供を孕っていないのならロムルスは見逃さなかった。


だが既に血の繋がらない子供がいて、そこから略奪してもフォルティトゥドの血は増えないし…何より家族関係の破綻も狙えない。だってその家族関係はもう破綻してるから。彼自身の手で壊せなければ意味がないんだ。


「分かったよ、君達とフォボスの婚姻は無しだ、ただその前に聞かせてもらえるかな…」


「『何をです?』」


「君達がお互いの何処に惚れたか、惚気って奴だね…それを聞かせてもらったら諦めもつく」


「『分かりました』」


分かってないよ!の…惚気!?エリスがラグナの何処に惚れたかって…そ、そんなの。


決まってる、彼は…頼りになるからだ。エリスはいろんな人に助けてもらって今日まで生きている…師匠から始まり多く出会ってきた様々な人達、そういう人達に助けられた。


ラグナはそういう人達の中でも代表的な人だ、エリスを助ける為に力を尽くしてくれたし、必死になってくれたし、頑張ってくれる。


助けてくれるから惚れたのか…なんて言われたら、現金な奴に思えますけど…。


でも、エリスは心の奥ではそういう人を求めていたんだ…あの暗く薄汚い地下の牢獄、ご主人様に殴られて蹴られ…外に出ることも許されず虐待されたあの頃からずっと。


エリスを助けに来てくれる誰かを…求めていた、ラグナはそう言う意味ではあの日あの時エリスが助けを求めた居るはずもない誰かによく似ているんだ…だから、エリスは彼を愛してる。


まぁでも…この気持ちは言うべきじゃないとわかってる。ラグナはそう言うの好きじゃないですからね……。


「まずエリス君から聞いてもいいかな」


「え?…あ…『はい、分かりました…って言うとちょっと照れくさいですけど、ラグナはエリスの事を支えてくれるんです、助けてくれるしエリスのために怒ってくれる、そんな彼の必死なところが…』す…好きです…」


「エリス……」


ラグナがこっちを見る、うん…見るな。見ないでください、今エリス顔真っ赤なので…。


「そっか、分かった。で?ラグナ君は?」


「『俺は……』」


ラグナが…エリスへの愛を囁く、けれどそれはナリアさんから言わされる言葉、だから本心じゃない…そう自らに言い聞かせてないと頭がおかしくなりそうで、エリスはジッと…その時が過ぎ去るのを待っていた。


すると…その時だった。


「ロムルス兄様、料理が出来ました」


「え?いや今はいいよ、後にしてくれ」


ふと、話を聞いてなかったのか…ロムルスの人払いを無視して一人の女性がスープを運んでくるのだ、ってよく見たらこの人あれじゃん…ロムルスの妻のパラティノさんだ。


…思えばこの人も幸せじゃなさそうだ。ロムルスはあれだけ家族を大切にする、幸せにするとか言っておきながらこの人のことも幸せにしてない、じゃあつまり彼の言ったことはやはり嘘という事になる。ナリアさんの言ったことは正しかったな。


「え…あ、すみません…こ、これどうしたら」


「もういいよ、机に置いてくれ」


「あ、はい…あぁっ!」


パラティノさんがスープを机に置いたその瞬間、テーブルクロスを踏んづけバランスを崩し一瞬机が浮くんだ、それもエリス達の側が。


「ひゃっ!?」


「おっと!」


ふと、迫り上がった机がエリスにぶつかりそうになりラグナがエリスの肩を掴み後ろに引き寄せ机から守ってくれた…こういう所も含めて好きで──。


「あ」


瞬間、ラグナが声を上げる。エリスも気がつく…競り上がった机が手元のフォークを弾いたんだ。鋭く尖ったフォークがラグナに向かって飛んできた…まぁこのくらいならラグナは避けられる、ヒョイと首を傾けて避ける…が。


彼は忘れていた、いつもならつけていない耳元のイヤリングを。丁度フォークがイヤリングに当たり、ピンッと小さな音を立ててラグナの耳元から外れ…。


ぽちゃん…とパラティノさんが運んできたスープの中にイン…。


「あ!」


「やべっ!」


「パラティノ!君ゲストを前になんで粗相を…!」


「すみませんすみません!」


「全く…ん?お二人ともどうかされたかな?」


「いや……」


一瞬二人で身を乗り出してイヤリングを取ろうとしたが…無理だ、スープはロムルスの側にある。取ろうとすればバレる…イヤリングがないとナリアさんの声が聞こえない。


どうする、スープの中にイヤリングが落ちたと告白するか?見かけはただのイヤリングだしそのくらいは…いや、ダメだ。ロムルスは軍人だ、それも副将軍…魔力機構の扱いは心得ている。


もし、『ああそう?なら私が取るよ』とスープからイヤリングを手に乗り間近で目視されたら、それが念話用の魔力機構だとバレるかもしれない。もしそうなったら誰と連絡取ってたの?となるわけで…つまり。


(やべぇ…やらかした)


スープの中に沈んだイヤリングは回収不能、ラグナはナリアさんとの通信手段を失った。エリスのを渡すか?いや不自然だろ、エリスの耳についているイヤリングをラグナに渡すなんて…。


「ごめんよ粗相があって、さぁ聞かせてくれ」


「あー…えっと」


「何かな、…言えない、なんて事はないよね」


再びロムルスの目に疑いが宿る。まずい…ここで下手なこと言ったらまた振り出しに戻る、つまりラグナは今からナリアさんの助言なしで切り抜けなければならない。


…この事態をナリアさんも把握しているようでさっきから『どうしようどうしよう』と呟いている。


「惚れた女の惚れた所、言えない男なんて居ないはずだ」


「…………」


「さぁ、ラグナ君」


ラグナは頬に冷や汗を流しながら、ロムルスの視線を受ける…すると、その瞬間。ロムルスの背後…その奥の茂みからバッ!とナリアさんが上半身を突き出す。


そして周囲の人たちの視線の隙間を縫ってそのまま茂みから体を出したまま両手に旗を持って…。


「ッ…!ッッ……!!」


(手旗記号!?)


バッ!バッ!と必死に旗を振ってラグナに何かを伝えようとするナリアさん、その動きにラグナも気がついてチラリと視線を向けると…。


「ん?どうした?後ろに何かあるのかい?」


クルリとロムルスも後ろを向く…がその瞬間ナリアさんも姿を隠す。やばいよ、手旗じゃ限度がある!というかエリスは旗を振られても全く分かりませんでしたよ…何が伝えたかったんですかナリアさん!


「……俺は」


すると、ラグナは徐に口を開く…ナリアさんの助言もなしに、彼自身の言葉で……。


「俺は、どうしようもなくエリスに惚れてる。俺の弱い所を支えてくれるのも、俺の強さを信じてくれているのも、全部ひっくるめて丸々惚れてる」


「ッ……」


「幼い頃からの付き合いだってお前言ったよなロムルス、その通りだよ。俺は小さい頃からエリスと一緒にいた…その時からだよ、エリスに惚れてたのは。味方がいない中いきなり現れて俺の全てを肯定してくれて、救うわけでも助けるわけでもなく一緒に戦うと言ってくれたエリスの姿に…惚れたんだ、俺は」


これは…あれだよね、嘘…なんだよね。ロムルスを騙す為にラグナが自分で考えて…自分で思って、ラグナ自身の想いを…元にした嘘、なんだよね。


(嘘です、嘘に決まってる…ラグナがエリスに惚れてるなんて、そんなの…だってエリスは旅人でラグナは王様で………)


その時、エリスは思い返す。ラグナが昔の話をしたからエリスも昔のことを思い出す。彼はずっと…嫌がっていた。


エリスに王様として扱われることを、自分達は王と旅人ではなく…対等なのだと。もしそれが…そうなのだとしたら。


(ラグナ……)


「だから俺はエリスと結婚したい、一生側で守りたい、一生側に居て欲しい。それは家族になりたいって気持ち以上に……俺が愛する女はエリス一人だけだからだ」


「……熱いね、嘘のない熱さだ」


ラグナの言葉を受け納得したのか、ロムルスは座り…。


「妬けちゃうね、そこまで愛を捧げて…愛を叫べて、オマケに子供まで作れて…妬けちゃうよ。どうやらこれは本当だ、分かったよ…諦める、フォボスには悪いけどこの件は無しだ…」


そしてロムルスは今度こそエリス達を諦めたとばかりに首を振るう、どうやら彼を納得させられるだけの熱量を示せたようだ。というよりこれ以上追いかけるだけの理由がなくなったという事か。


ホッと一息つく、一時はどうなるかと思ったけど…なんとかなるもんだな。


「おい待てよ!なんだよそれ!」


しかし、その決定に不服を言い渡す者が一人…ロムルスの言葉を遠巻きに聞いていたフォボスだ、どうやら話が決裂に終わった事をエリスか或いはロムルスの表情で察したフォボスはズカズカとこちらに寄ってきて。


「ロムルス兄ぃ!そいつ俺の物になるんじゃなかったのかよ!」


「まぁまぁフォボス、相手ならまた別に探してあげるから」


「嫌だ!次どんなドブス連れてこられるかも分からねぇんだ!そこの上玉がいい!」


そう言ってエリスを指差すフォボスにムッとしてしまう、なんだかそこのって…第一お前みたいな女を女とも思わないドクズと結婚したがる奴なんかこの世にいないよ。


「おい!どうせ嘘なんだろ!結婚も婚姻も!俺から逃げる為の嘘なんだろ!愛し合ってもいねぇんだったら俺でいいだろ…!いいから来い!」


無体な顔つきで一気にエリスに詰め寄ってきたフォボスはそのままエリスの手を掴もうとする。その手は、目は、表情は…いつか見た悪き記憶。人を人とも思わないクズの顔、ご主人様のそれと重なって…。、


「いいわけねぇだろうが…」


「ゔっ!?」


がしかし、守ってくれるんだ。今のエリスは…独りじゃない。自分を守れる力を与えてくれた人がいて、そしてエリスを守ってくれる人がいて、独りじゃない。


ラグナはエリスを掴もうとしたフォボスの手を逆に掴み上げ、エリスの肩を抱く。


「エリスは、俺の婚約者だ。手を出すなら…その手を引き千切る」


「ぐっ!?いたた!テメェ分かってんのか!俺のお父さんはこの国の防衛大臣で俺に手を出したらお前なんか……」


「やめときなよ、フォボス」


「へ?ロムルス兄ぃ?」


「一声かければ兵が集まる、そう言いたいんだろ?君。けど君が相手にしてるそれはアルクカースの大王だ…彼が一声かけたらそれこそ国が動く。私も流石に…アルクカースとだけは戦争したくないなぁ」


「アルクカースって…ババアの故郷の…こいつが!?」


「まぁそういうわけだ、もしこの二人が恋仲なら…アルクカースに戦争する口実を与える。そういう意味でも手を出すべきじゃない、諦めるよ…手は出さない」


ロムルスはフォボスに対し興味なさげに視線を向けて首を振る。もうエリス達に手出しはしないしフォボスの手出しも許さないと。その言葉を聞いたフォボスは顔を真っ青にし慌てて逃げていく…どうやら、彼は相手の名前と肩書きで喧嘩相手を選ぶ奴のようだ。


本当ならあんな奴、エリスが殴って退散させたかったけど…でも嬉しいんだ、守られた事が。守ってくれたことが。


だって守られるって…独りじゃ出来ませんからね。


「さ、もう茶会は終わりだ、帰っていいよ。君達」


(そっけな…、本当に興味ないんだな…)


興味ない、って感じだな。ともあれこれでロムルスの執着から逃れられた…けど、それは飽くまでエリスの話。フォルティトゥドの渦中にいるハルさんやステュクスはまだ狙われる…何よりこれからもフォルティトゥドは歪み果てた願いを叶え続けるんだろう。


けど、今のエリス達にはそれをなんとかするだけの余力はない…いつかまた、ロムルスを改心させる機会は来るんだろうか。


(それにしても、ナリアさんは手旗で何を伝えようとしてたんだろう…)


それとどうでもいい事なのかもしれないけれど、ナリアさんはあれで何を伝えたかったのか。そこが少し気になるんだ…必死の表情で、まぁいいか…。


(ナリア……)


そんな中、ラグナは目を伏せ思い返す。ラグナは分かっていた、手旗信号はアルクカースでも使われる暗号法だ、ラグナなら分かると踏んでナリアは用いたのだ。それを受け取ってラグナはあの場で喋る事が出来たんだ。


ナリアの信号はちゃんと届いていた…それは至極短く、それでいて確かなメッセージ。


『心、正直に』


それはつまり、俺の想いを嘘偽りなく伝えろ…って事。どうやらナリアには俺のエリスへの想いがバレていたようだ。恥ずかしい限りだが…救われた。


あの時俺は、嘘偽りない言葉を使った。あれが俺の気持ち…まぁエリスには嘘の言葉として伝わっているだろうが。


でも言葉にして心が固まった、やはりはエリスが好きだ。誰にも渡したくない。だから…今はまだダメでも、いつか必ず。


「さて、帰っていいみたいだし…帰るか、エリス」


「は、はい…」


未だ肩を抱きしめたままのラグナは微笑む、もう照れも迷いもない…今はただ愛する女を見て、笑っているのが幸せだったから。


……………………………………………………


「よろしかったのですか、ロムルス大兄」


立ち去っていくエリス達の背中を見つめるロムルスに、ダイモスが声をかける。よかったのかとはつまり…逃してよかったのか、という話だろう。だが別に逃す逃さないという話ではない。


「別に…そもそも引っ掛からなかったんだし、いいんじゃない?」


これで既にエリスがフォボスとある程度の婚姻の話を進めた状態なら誘拐してでも逃さなかった。だがこれはそれより良い前の段階の話…ならそこまで全力になる必要はない。


「アルクカースの大王が相手じゃ分が悪い…こう言うこともあるって諦めようよ」


「分かりました…」


そう言ってダイモスは引き下がるが…ロムルスはエリス達から目を離さない。別にエリスたちに未練があるわけじゃない、彼女がダメなら他の女をが連れてくればいい。そうして結婚させて…言うことを聞かせる。


子供を作らせて、家族を増やして…それでフォルティトゥドはさらに繁栄する。それでいいんだ……。


「…………チッ」


そう理性的に己に言い聞かせるが…それで良い腹が立つモンは腹が立つ。幸せそうにしやがって、愛してるだと?既に子供が出来ているだと…?何より、愛する者を引き裂くのに躊躇があるだと?


人の気も知らないで好き勝手言いやがって、喧嘩を売っているのかと錯覚したぞ…。


(私だって、私だって本当なら…愛する人と結婚したかったさ。でも世の中にはいるんだよ…愛を叫ぶことすら許されない愛も…)


拳を握る、私だって許されるなら愛する人と結婚したかった。それが叶わないとは分かりきっていたがそれでも好きになった物は仕方ないだろ。私は今もあの人を愛してる…愛して愛してやまない程に愛してる。


だがその気持ちを必死に抑えて結婚したくもない女と結婚したんだ。なのに私を差し置いて他の家族が幸せになるなんて許さない。ましてや他の兄弟達が幸せになるのも許さない…だから全ての家族をぶっ壊してやるんだ。


ぶっ壊してぶっ壊して…ぶっ壊して…嗚呼、虚しい。


(レムス…会いたいよ、君は今どこで何してるんだ…元気でいるならもう一度会いたい、話したい、君の顔が見たいよ…!)


レムス…それは愛した者の名前。許されるならあの人と結婚したかった…子供を作りたかった、幸せな家族になりたかった。けど許されなかった、だから諦めた、だから他も諦めろよ幸せになるのを。


許されぬ禁断の愛に泣いたのだから、他もまた引き裂いてやる……。


『くだらねぇな!ロムルス!テメェは何処までも!』


「……………」


そんな事を考えていると頭の中に声が響く。嗚呼これは…彼の言葉か、ストゥルティ…私の支配に唯一争った君の言葉だ。


『俺は俺のまま生きる!支配や抑圧なんざクソ喰らえだッッ!!』


「…………はぁ」


ロムルスはただ、天を見上げる。呪いあれと、この世の全ての幸せに呪いあれと。ただただ狂気に身を燃やす失愛の男は…愛ある全てを呪う。


(ところで、さっきからそこの茂みに隠れてた小鼠は何かな…?)


チラリとロムルスは背後の茂みを見る、今はもういないがさっきまでそこの茂みに誰かいた。紫髪の青年だ…あれは一体何だったのか。


(ま、誰も気にしてないし、別にいっか…)


大きくため息を吐き、考える。さて…今後エリス君をどう扱おうかな。


…………………………………………………………


「いやぁ!上手くいってよかったぁ…」


「ありがとうございます、ナリアさん」


「いえ…十全じゃありませんでしたが、なんとかなって幸いでした」


それから僕達は帰路についた、なんとかかんとかフォルティトゥドの追求を逃れ無事帰ってくる事が出来たんだ。とはいえ最後はグダグダでしたけどね。


「なんとかって、完璧だったろ。途中あったアクシデントだって対応出来たもんでもないし、ぶっちゃけ俺のミスだし」


「いえ、もしあそこにデティさんがいたら魔術で遠隔通話出来ましたし、メグさんについてきてもらっていたらもっと色々出来た。他のみんなの力を借りてればスムーズだった…単に僕が舞い上がったせいで、危ない橋を渡らせたんです」


もしかしたら役に立てるかも、そう思って舞い上がった。より良い作戦はあった、他のみんなの力を借りるって作戦が。ただそれをしなかったのは僕の傲慢だ…いつも僕を助けてくれるラグナさんとエリスさんを助けられるなら、出来る限り僕一人の手でやりたかった。


そこに傲慢があった、もっとクレバーに行くべきだった。僕の個人的感情で事態をややこしくしかけた。反省しないと…。


「……ナリアさん」


「え?」


すると、僕の隣を歩くエリスさんがにこりと微笑み。


「何を気にしてるか知りませんが、エリスはナリアさんのサポートをとても頼りにしてました。正直ロムルスの追求は鋭くて…どう誤魔化したらいいか分からなくて、だからナリアさんが力を尽くしてくれた事が嬉しいんです」


「エリスさん…でも」


「エリスはナリアさんに助けられた、エリスは嬉しい、それでいいじゃないですか」


「ああ、ぶっちゃけ即興で台本作って対応したとは思えないくらい上手い事やってくれたぜ、ナリアだから出来たんだ」


「ふ、二人とも〜…」


ウルウルと涙が出てきてしまう。なんて優しいんだ…そんな風に言ってくれるなんて。嬉しい…嬉しいですよ僕も。そっか、僕役に立てたのか…それなら嬉しいな。


「さぁ帰りましょう!今日は悩み事もなく眠れそうです!」


そう言ってドレス姿でズッカズッカと進んでいくエリスさん…それについていこうと足を早めようとした、その時。


「なぁ、ナリア…」


「ラグナさん…?」


ふと、ラグナさんに呼び止められそちらに視線を向ける。するとラグナさんは数秒待った後…。


「ありがとな、おかげで決心がついたよ」


「あ……はい!」


言葉の意味を数秒噛み砕いて、理解する。どうやらあの旗上げは効果があったようだ。…なら早いところ告白してくださいよ?でなきゃまたエリスさん…変な男に狙われちゃいますからね。


「早めにするんですよ、ラグナさん」


「ああ、すぐにするさ」


そう言い残し…結婚、子作り、家族を起因とする問題は一時的にだが解決に向かうのであった。フォルティトゥドの問題はまだステュクスさんを狙っているが…今すぐに解決する問題ではなくなった。


後は大冒険祭に集中するだけだ…次の競技は何になるのか、今から楽しみだ。


(そう言えば、今日はハルさんを見かけなかったけど…あの人どこに行ってたんだろう)


フォルティトゥドで思い出したけど…今日ハルさんを見かけなかった。何処かに出かけていたのか…まぁ、何処にいっていようとあの人の勝手ではあるが…。


そうして僕はエリスさん達と共に帰路に着く、勝ち取った帰路に。


……………………………………………………


「ハルモニア……」


「ストゥルティ、ようやく見つけました」


そして、冒険者通りの一角にある酒場にて…当のハルモニアが入り、今日一日かけて探してきた人物と邂逅する。


探していたのは…兄、今はストゥルティと名乗る兄を探していたのだ。


「……どうした?なんか用か?あんまりこんなところに来るな、見るからに治安悪いだろ?」


「…………」


兄は、私を気遣うように周囲で騒ぐ冒険者達を見て優しげな視線を向ける。兄が私の元からいなくなってから…もう何年も経つ。兄は私を置いて逃げた癖に今も私を愛していると気を遣ってくれる。


昔からこの人はそうなんだ、私を第一に考え、私のことを守ろうと戦ってくれる…昔はそれが嬉しかった、けど今は。


「言ったでしょ、今更兄貴面しないでくださいと…貴方は私を置いて逃げたんですから」


「……そうだったな」


今はその優しさが憎らしい。私は兄を恨んでいる…だって兄は私を置いて逃げたんだから。一緒にお祖母様の所で生きていこうって言ったのに、一生私を守ってくれるって言ったのに、兄は私を置いて逃げ出し…一人で冒険者になって自由の身になった。


私はそれが許せなかった、だから今も…恨んでいる。


「ロムルス兄様から絶縁された貴方はもうフォルティトゥドの人間じゃない…フォルティトゥドの人間じゃないなら、兄じゃありません」


「……そんな事言うために、態々ここまで来たのかよ」


「ッ……」


ハッとする、違う…違うんだ、こんな事を言うために一日かけて兄を探し出したわけじゃない。どうしても兄を前にすると意地悪な私が出てきてしまう。


今はいいんだ、過ぎたことなんだ。…うん。


「ち、違います…実は」


「ステュクスの件か」


「え?…そうです、もう彼を狙うのはやめてください。聞きました…赤龍の顎門まで使って彼を攻撃したそうですね」


「ん?なんのことだ?俺分からねぇよ…初耳だぜそれ」


「……相変わらず、嘘をつく時に瞬きの回数が多くなる癖は抜けてないみたいで…」


「…………」


今回の要件はステュクスさんの件だ。ステュクスさんは赤龍の顎門に襲われ死にかけたらしい…兄は本気でステュクスさんを消すつもりなんだ。その本気度の高さに戦いたからこそ…兄を探して止めに来たんだ。


「もうやめてください…ストゥルティ」


「断る、そればっかりは聞けない相談だよハルモニア」


「どうして…」


「どうせアイツはロムルスの手先だろ、そんな奴と結婚することねぇよ…アイツはイカれてんだ、お前だって分かるだろ。アイツが…俺たちに何をしてきたか」


兄が…拳を握る。確かにロムルスは少しおかしい男だ、家庭環境が家庭環境だから悍ましい程に歪んで育ってしまった。ある意味フォルティトゥドの歪みの根幹であり歪みが生んだ怪物だ。彼が私達兄妹を目の敵にしてるのは知っている…けど。


「違います、彼はロムルスとは関係ありません。寧ろ……」


「寧ろ?」


「……ロムルスからの追及を振り撒く為の、嘘なんです。ステュクスさんと結婚すると言わなければ地方の貴族と結婚させられそうで…」


「どの道同じだ、ロムルスのせいで結婚しなきゃいけない事に変わりはねぇだろ」


「でも彼はそんな酷い人じゃ……」


「違うだろッッ!!」


「ッ……!」


「後悔するぞ!ハルモニア!ステュクスはお前がいながら女を連れ回すような碌でなしだ!きっと後悔する!!そもそも…結婚なんかするんじゃねぇ!」


兄が怒鳴った、初めて私に怒鳴った。都合がいい話ですよね、あれだけ失礼な態度をとっておきながら心の何処かで兄だけは私に怒鳴らないと、怒らないと思っていたんですから。だからこんなにもびっくりして…なんと浅ましい女なのだろう、私は。


「っ…違う、悪い。感情的になり過ぎた…」


そして、都合が良く、あまりにも身勝手な私は…兄の怒鳴り声に驚いて、怒ってしまうんだ。


「な、なにさ…!私のこと…置いて行ったくせに、今更私の人生の心配なんて!私が誰と一緒にいようが勝手でしょ!ステュクスさんの事何も知らないのに嫌な事言わないで!」


「ハルモニア…」


ボロボロと涙を流して…いい大人がみっともない。でも結局本音はそこにある、兄が私を置いて行ったことがどれだけショックだったか。一緒に手を繋いでいてくれたのに…外に出て自由になって、冒険者協会で仲間を作って楽しそうに笑っている兄を見て…私がどんな気持ちになったか。


あの小屋でお祖母様と二人きりでロムルスに怯えて生きている間に、兄は仲間達と一緒に楽しんで暮らしていたんだと…私は思ってしまったんだ。兄だって苦労しただろうし、大変な思いをしてきたのは分かる。


分かるんだよ、けど理解と感情は別なんだ…!


「私は私のまま生きる!支配も抑圧もしないで!」


「ハル……」


兄がいなくなって、一緒にいてくれたのはステュクスさんなんだ。特訓相手として共に過ごしてくれた彼は私にとって数少ない友人であり、理解者だ。彼は今も私のせいでいろんな問題を抱えているのに文句の一つも言わない…そんな優しい人を悪く言わないで欲しい。


そう叫ぶと兄は、静かに…そして居た堪れないように視線を右往左往させ。


「別に、お前を縛るつもりなんかない…けど、でもダメだ。ステュクスはダメだ」


「なんで…!」


「アイツじゃ、お前を守れねぇ…」


「そんなの決めないで!」


「じゃあ、大冒険祭で見極める…でいいな」


「ッ……」


やられた、カッとなって上手い具合に誘導された。兄を前にして冷静さを失った私を上手く扱い兄は大冒険祭でステュクスさんを攻撃する名分を得た…やってしまった。


どうして、兄を前にして…私は冷静でいられないんだ。嫌な気持ちばかり湧いてくるんだ…。本当は…こんなこと言いたくないし、したくない。


出来るなら仲良くしたい…前みたいに過ごしたい、けど私の中にある記憶と心がそれを拒絶する。兄を…どうしても許せないんだ。


「…………」


「分かったら帰れ、ここはお前にゃ刺激が強い」


「……ストゥルティ、ステュクスさんは負けませんよ」


「そうかい」


もうこれ以上兄は私と会話する気がないようだ…やはり私では兄を止められない。勝手に動いて勝手に怒って何がしたいんだ私は…ステュクスさんの役にも立てず、情けない……。


ごめんなさいステュクスさん、私貴方に迷惑ばかりかけて…役にも立ててない。あまりの情けなさに居た堪れなくなり…私は逃げるようにその場を後にして……。





「……ハルモニア」


そして、ハルモニアが去った後…ストゥルティはチラリと酒場の出入り口に視線を向ける。


「そうだよな、俺を許せないよな。お前を守るって言っておきながら…ロムルスからまんまと逃げた俺のことを」


出来るなら一緒にいたかった、だがロムルスがそれを許さなかった。だから逃げた…だから冒険者になった。


かつて、一族の宿命に抗い一族からリンチを受けてなお逃げ落ちたアンテロス・フォルティトゥドという男がいた。俺の叔父に当たる男だ、そいつは自らの意思を貫いて生きたという…野に落ち、偶然出会った山魔モースと結ばれ子を成したと俺の父は語った。


一族の恥だと父は言う…だが俺はその生き様こそが、正しく人のあるべき姿だと思った。自分で選び自分で勝ち取った未来…それこそが最も尊ぶべきものだと。


だから俺もフォルティトゥドのやり方には従わない。けど俺はただ逃げるだけじゃダメだ…ハルモニアがいる以上逃げたままじゃダメだ。


今のままじゃ…俺はロムルスからハルを助けられねぇ。だから待ってろよ、ハル。


「必ず大冒険祭に勝って、戦力を手に入れる…」


グランドクランマスターになれば冒険者協会全てのクランを思うがままに動かせる、そうなれば戦力が手に入る。戦力さえあればロムルスが実権を握るマレウス王国軍とだって互角にやれる。


そこでロムルスをぶっ飛ばして、フォルティトゥド一族なんか全員ぶっ殺して…ハル、お前を助けてやるからな。


(だからそれまで、結婚なんか絶対させない…ステュクス、お前もぶっ殺してやる!)


俺はハルを守るためだけに…今も戦っているんだ。だからそれを邪魔する奴は王国だろうがなんだろうがぶっ潰してやる!


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