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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
四章 栄光の魔女フォーマルハウト
70/840

62.孤独の魔女とエリス、奴隷に逆戻り


「…奴隷…?エリスが?」


一切状況が飲み込めない中、エリスは叩きつけられた言葉を反芻するように 繰り返す、奴隷?エリスが?


「そうだ、捕虜…と言ってもいいな、敗北したお前たちの身柄は我々デルセクト軍が徴収することとなった」


敗北?、ちょ ちょっと待ってほしい 敗北も何もそもそも負けた覚えどころか何かに勝負を挑んだ記憶さえないぞ!?


ああまて、落ち着け…?状況を整理しよう エリスは…そう昨日ホテルでご飯を食べて、師匠にお休みの別れを告げて 部屋に戻り、寝て…起きたら これだ、起きたらホテルではなく小汚く薄暗い部屋で手を縛られ転がされていて?、おまけに寝起きに叩きつけられる奴隷宣言と敗北宣告 理解しろと言う方が土台無理だ


「あの、メルクリウス…さん?」


「長いだろう、メルクで構わない」


青い髪を揺らすメルクリウス…メルクさんは表情を変えずにそう仰られる


「えっと、じゃあメルクさん エリス…状況が飲み込めないんですが、奴隷ってなんですか?敗北ってなんのことですか?、あの 師匠はどこに?」


「質問が多いな、まぁ状況が飲み込めないのは分かる…そうだな、まず教えてやると 貴様の師匠…魔女レグルスは魔女フォーマルハウト様と交戦し敗北した」


「は 敗北っ!?師匠がですか!?」


頭が真っ白になる、何を言ってるんだこの人は 師匠とフォーマルハウト様がエリスが寝ている間に戦ったと言うのか?、いや流石に魔女同士の戦いがあればエリスだって起きるぞ!?というかなんでフォーマルハウト様と戦いなんか


「なんで…」


「分からんか?、お前達は最初からハメられていたんだ グロリアーナ総司令とフォーマルハウト様に、ホテルと言って息のかかった場所にお前達を集め 夜中に油断したところを叩く」


お前がぐっすり眠ったのも あの料理に睡眠薬が盛られていたからだと メルクさんは語る、騙されていた?最初から…そんな、で でも


「でもなんで、フォーマルハウト様にもグロリアーナさんにもエリス達を襲う理由はないはずです」


「いや、あのお二方の狙いは魔女レグルスの身だっだんだ、…フォーマルハウト様の手によって魔女レグルスは石像に変えられ コレクションに加えられた、魔女レグルスを魔女フォーマルハウト様が欲した それだけでデルセクトには戦う理由がある」


そんな、たったそれだけの理由でエリス達は騙され襲われたというのか…、しかし師匠が石像に変えられた?俄かには信じ難い、と思っているとその疑問を察したほかメルクさんは口を開く


「いくら騙されたとはいえ、魔女レグルスは超絶した使い手だ 真っ向から挑めばフォーマルハウト様とて危うい、だから 我々軍人を使い不意打ちをし…我々との交戦の最中を狙い 暗闇から魔女レグルスに錬金術をかけ …石に変えた」


…つまり何か?栄光の魔女フォーマルハウト様はさまざまな策を弄しエリス達をハメ 不意を討ち闇を討ち騙し討ちしたと?、…師匠はフォーマルハウト様はそんなことするような卑劣な方ではないと言っていたのに…


「なにかの…間違いじゃ」


「私はその場で見ていたのだ、これが全てだ…これが栄光の魔女と呼ばれた方の仕打ちだ」


メルクさんは少し複雑そうな顔をしている、…とても情けなさそうな それでいて自虐的に、そうだな 一言で言うと辛そうな顔だ


「何にせよ、魔女レグルスは石にされ敗北しその身を収集された、即ち弟子のお前もまたこの国の持ち物となったのだ!」


しかしそうはいうが、そんな話を聞かされて 大人しくしているエリスだと思うか、縄で縛られた手を使い 起き上がる


「…勝手に負けたことにしないでください、エリスはまだ負けてません 師匠が不意を突かれ捕まったというのなら、エリスが助けに行くまでです」


「何を言う、どこにいるかも分からんだろう それにそんなことフォーマルハウト様が許すわけがない」


「関係ありません!、例えどこにいようと この国ひっくり返して探します、例え誰が守っていようとも、エリスは師匠を助けます!…それが弟子の務めです!」


立ち上がり、メルクさんをギロリと睨む、関係ない 関係ないんだ…その過程に何があろうとも師匠を助けるためなら、エリスは…何とだって戦う!、エリスの視線を受けメルクさんはため息を一つつくと…


「そもそもの話、まず私が許さない…命が惜しければここでじっとしていろ」


ズイとエリスに…なんだこれ?筒みたいな物を押し付けてくる、脅しのつもりか?こんなものでビビるわけないだろう


「なんですかこれ?、こんなものでエリスを止められるとでも?」


「…お前銃を知らんのか?」


「じゅー?、聞いたけどありませんそんな武器 それよりどいてください!エリスは師匠を助けに行きます!」


「…なるほど、銃を押し付ければ脅しになるかと思ったが、そうか…これを知らない人間には脅しにならんか、なんか面白いな」


何も面白くない!と言おうとしたが、直ぐにメルクさんはその筒…銃と呼ばれる物を天井に向けると、指をかけていた引き金をカチリと引き


「ひゃわぁっっ!?な なんですかこの音!」


雷のような爆音がエリスの耳を劈く、いや音だけじゃない ボロい天井に穴が空いている…あの銃という武器がやったのか?


「これはマスケット銃と呼ばれる武器でな、火薬を使い 鉛玉を音速以上のスピードで放ち撃ち抜くデルセクトの武器だ、当たり所が悪ければ即死 良くてもショックで即死、壁もぶち抜く威力を持つ、小型の大砲といえば伝わるか?まぁ性能はこちらの方が断然上だがな」


そんな武器が…確かにデルセクトの技術力ならエリスと見たことない武器を使っていてもおかしくないが、凄まじい武器だ まず打ち出された弾が見えなかった、彼女のいう通り音速以上のスピードで飛んでいるんだろう


回避も防御出来ない、当たれば一気に重傷…とんでもない武器だ、こんなものを装備したデルセクト軍とアルクカース軍がぶつかれば……最悪と言ってもいいほどの被害が出る、両者にだ…


「じゃあ仕切り直そうか?、お前は、ここで 、大人しくしていろ」


ずいっと銃口を額に押し付けられ思わず震え上がってしまう、これが何か知らないうちは良かったが 知ってしまったからには恐れずにはいられない、魔術と同格かそれ以上の武器を突きつけられては何もできない


「ひゃ…ひゃい…」


「うん、素直で結構」


くそう、師匠を助けに行きたいのに…エリスまで捕まっていては何も出来ない、エリスがこんな状況になっているのに師匠が助けに来ないあたり、本当に師匠は石像に変えられてしまったんだろう…師匠…


ふと、師匠を思い窓の外に目を向けると…


「あれ?、今朝なんですよね?窓の外…真っ暗じゃないですか?」


「ん?ああ、暗いに決まってるだろう 地下なんだから」


ああなんだ地下なのか、え?でもじゃあなんで地下に窓なんか…そう思い窓辺に駆け寄れる 妙な違和感を感じて目を見開けば、窓の外に広がっていたのは


「え!?ち 地下に街がありますよ!


洞窟の中とでも形容できそうな岩窟の中一つの街ができているのだ、それもかなり大規模だ 大きな穴の壁面を沿うようにずらりと並んだ街並みは…遥か下方まで続いており、 これ洞窟と言うよりは巨大な縦穴か?底が見えないぞ…しかしこんな大規模な穴、一体どこに


「通称『落魔窟』、ミールニアの街の真下に作られた超巨大採掘場…ここはそこに作られた落魔街と呼ばれる街だ」


「落魔窟…聞いたことあります、それがここですか…?、というかミールニアの真下?」


「ああ、真下も真下 、直下だ」


えぇっ!?と思い窓から上を見れば、確かに天井のようなものが見える、遠視の魔眼を使って見れば 確かにあの天井はミールニアの地面に敷かれていた石レンガと同じものだ、よく崩れないな…


「よく崩れないな…と考えているな?」


「思考が読めるんですか!?」


「誰だって疑問に思うからな、ここに来たばかりの人間は皆それを口にする、あの天井 …ミールニアの床を作ったのはフォーマルハウト様だ、錬金術を用いて絶対に崩れない地面を作ったらしい、だから何が起こっても真上のミールニアは無事だ」


なるほど…魔女の力といえばなんとなく理解できるが…


「だとしても中央都市の真下に大規模な採掘場を作るなんて、めちゃくちゃですね」


「ミールニアの大地は 魔女様の加護のおかげか、豊富な採掘資源が取れるらしい だからあっちを掘ってもこっちを掘ってもいろいろな金属が出る」


…そういえば、良質な金属が取れるカロケリ山もアルクトゥルス様の住むフリードリスの真後ろにあったな、魔女様が住む場所の近くではそういう資源がよく取れるのだろうか

案外アジメクの白亜の城も地面を掘ったら色々出てくるかもな…


「ここは、借金を返しきれない者たちが落とされる強制採掘施設でもある、底の方では未だに何千にという者たちが強制労働させられている、そして この落魔街は地上ではやっていけなくなった貧乏人の寄り集まる言わばミールニアのスラム街だ」


「スラム街にしてはでかいような…」


「まぁな、ここにいるのは上に住む富豪達によって食い潰された者達でもあるんだ、それだけ数は多いさ…、ここは地獄さ 太陽の光を浴びることを許されず、皆上から落ちてくる貴族達の食べ残しを奪い合って生きている…、富豪達は地下に住む者の事など気にせず豪遊をする、これが今のデルセクトの現状だ」


師匠は…きっと、透視の魔眼でこれを見たから絶句したのだ、地上の住人を遥かに上回る数の人間が地下に押し込められ、ネズミのような生活を強いられている事実を見て…なんて街だ ここは…、人を人と思っていないのか


「……というか、もしかして奴隷って…エリスここで働かされるんですか?」


「違う、ここは私の家だ お前は別に借金など負っていないだろう?、だから働く必要はない、そもそも 働くのは地下最奥にいる者達だけだ…私だってここに住んでいるが、普通に軍人として働けているからな」


なるほどなるほど、ここはメルクさんの家…ん?


「エリスって軍の捕虜になったんですよね、なんでそれがメルクさんの家にいるんですか?牢屋に入れられるとかなら分かりますが…」


「えぇっ!?いや…その、ろ 牢屋は満室なんだ、だから私が引き取った」


いや牢屋が溢れかえるってどんだけ治安悪いんだよ、嘘だな…これは 、この人はまだエリスに何か隠している、何かは分からないが…隠している、まぁ今この状況は謎が多すぎてもはや何を隠されているのかさえ分からないのだが


…つまるところ、エリスが呑気に寝ている間に師匠はフォーマルハウト様の罠に嵌められ石にされ連れていかれてしまった、そしてエリスもまたデルセクト軍のメルクさんに捕らえられ何故か牢屋ではなく 落魔街の自宅へ連れてこられ…奴隷にされた


と…うん、改めて再確認すると状況は最悪だな。エリスも師匠もどちらも動けない状態にある、師匠に至っては救出しなければ動くことさえままならないだろう、この状況を打破するにはエリスから動かねばならないが…メルクさんが見張っている限り動けない


だってここメルクさんの自宅だもんな、丸一日体制で見張りができる環境とも言える そういう意味では牢屋よりも脱出は難しい


「…じゃあ、もういいな?私は仕事に行ってくるから 逃げるなよ」


「え?仕事行っちゃうんですか!?」


「そりゃあ私軍人だし、仕事しないと食べてけないし…」


「エリスの見張りは仕事じゃないんですか?」


「え!?あ…いや、まぁ 仕事…の一部かな?、ともかく!ここから逃げるなよ!、外に出て私以外の兵士に見つかったら今度こそ貴様はおしまいだ!奴隷はおとなしくしているように!わかったな!」


そういうとメルクさんは銃を抱えたまま外へ飛び出していってしまう、…エリスの確保はデルセクト軍の任務ではないのか?、とするとこの状況はメルクさんの独断?…うーんだとするとなおのこと分からない、何を考えているんだ…


「はぁ、大変なことになってしまいました…師匠、まさかこんな事態になってしまうなんて」


ため息をつきながら汚い床に一人で座り込む、…なんだかこうしていると奴隷だった頃を思い出す、というか …今エリスはメルクさんの奴隷だったな、よく分からんが


でも奴隷か………うーん、よし!


「落ち込んでいても仕方ありませんね、今やれることを着実にやっていきましょう!」


そうだ、問題は山積みで分からないことばかりだが一つづつ処理していけばいずれ答えに行き着ける、ここでこうやって落ち込んでいても状況は好転しない、行動あるのみ


と言っても、メルクさんの言葉を信じるなら 外へ出てメルクさん以外の兵士に見つかった時点でエリスはおしまいらしい…、どうおしまいかは分からないが、もしデルセクトの兵士達に狙われたら大変だ、あの銃弾が雨のように浴びせられたらエリスはあっという間に蜂の巣になってしまう


多分、メルクさんのあの言葉は親切心から来ているんだろう…、ならまず出来ることはメルクさんの真意を知ることだな、何か隠している 何を考えてエリスを家に押し込めているのか…そこを聞かなければ行動のしようがない


「つまりメルクさんからの信頼を勝ち得なければ 聞くものも聞けない…っと!」


スルスルと手を動かして腕を縛る縄を抜ける、この程度魔術を使わずとも抜け出す事くらいできる というかまぁ 縄の結びが甘かったというのもあるのだが…、さて信頼…かぁ 信頼とは下手な言葉で生まれるものではなく行動によって示されるもの


行動をもってメルクさんの信頼を得る、難しいだろうが出来るなら良好な関係を結びたい、この国にエリス達の味方はいないし…さっき話した感じメルクさんから悪意や敵意は感じなかった、エリスの疑問にも丁寧に答えてくれたし…多分根はいい人だ、うん、よし!第一目標!メルクさんと仲良くなる!これで行こう!


決意を新たに立ち上がりはてさて何をしたものかと周りを見ると


「しっかし汚い家ですね…馬の方がいい部屋住んでますよ」


ドアを開けメルクさんの家の中を見て回る、汚いには汚いが 意外なことに広く、寝室 キッチン 書斎など一通り揃っており、見てみれば二階もあるじゃないか…


「うわっ、二階はもっと汚いですね!ネズミもいますし…これ、掃除してないですね!」


だがキッチンは油汚れや水垢まみれでお皿も洗わないで繰り返し使っているのかギトギトだ

、寝室のベッドもシミだらけでシーツはぐしゃぐしゃ…


書斎はある程度綺麗だが…つつーっと本棚に指を這わせれば…ほら!埃で指先が黒くなる!、おまけに本は読み終わったものは本棚に戻してないのかあちこちに山積みになっている、こんなところで本なんか読んでたら病気になる


……人の家をこんな風に言ってはいけないが、居住空間としては最低の部類だ…こんなに汚いと…騒いでしまう、何がって?…エリスの奴隷根性がだ、人に奉仕し人に尽くす奴隷根性 久しく燻っていたそれが燃え上がる


「メルクさん…あなたは深い意味も考えずエリスを奴隷呼ばわりしたのでしょうが、ナメないで頂きたい…劣悪な環境で奴隷として生まれたエリスの奴隷根性を!」


エリスも幼い頃からご主人様に奉仕して来た身だ、当時の感覚はまだ残っている、なるほどエリスが奴隷か、ちょうどいい信頼を勝ち得るなら…奴隷らしくまずはこの汚らしい家を掃除して出迎えてやる!



大慌てでメルクさんの家の中を駆けずり回り 使えそうな掃除道具を集める、すると新品同然の箒などの掃除用品一式が見つかった、きっと家の汚さを自覚して買ったはいいが掃除まで手が伸びなかったのだろう


道具があるなら後は簡単…お掃除開始だ!、ポーチの中に入っていた手ぬぐいを口元に巻き気合いを入れる


「よっしゃー!行きますよ!」


まずゴミを捨てる 其処彼処に散乱したちり紙や食べカスを回収 、使いそうなものと絶対に使わなさそうなものを分別する、服もあっちこっちに脱ぎ捨てているので回収 使いそうなものと一緒に一旦保管


ハタキで天井や棚の上の埃を落とし、現代魔術『ハイドロスワール』で水を出して雑巾を濡らし 拭いていく、窓や本棚もテーブル 椅子を順々にはたいて拭いていく、上から順番に埃を落として最後は床だ、箒と雑巾で綺麗に汚れを削り落とすように拭いていく


…キッチン周りはカビやら水垢やらで特に酷い、水拭きだけじゃ限界があるがそれでも根気よく掃除する、お皿ももう買い換えた方が早いんじゃないかってくらい汚れてるが一つ一つ丁寧に拭いていく


散乱した本も文字列順に並べ替え整頓し 服も桶に水を張りジャバジャバ洗う…そういえばこの地下でどうやって干せばいいんだ?、よく分からんので周辺の温度を上げる『サーマルフィールド』で熱を発生させて乾燥させる…服が傷んでしまうかもしれないがもう痛むどころの騒ぎではなくらい汚れているのでノーカンだ


「せっ!せっせ!せっせっ!」


家の中駆けずり回りながら掃除をしていてふと思う、やはりこういう日常生活の中では現代魔術が非常に役に立つ、デティに教えてもらっておいてよかった…


デティは現代魔術を日常生活に活かせるようにしたいと言っていたが、その思想を正解と言える…魔術を生活に応用するのはすごく便利だし


ともあれジタバタ暴れるように家中全てを掃除して掃除して掃除しまくる


…そして、数刻後…………


「ひと段落!…」


仕事をひと段落終え 家の中をくるりと見渡す、あれだけ汚かった家がまぁ不思議 もうピッカピカ…と言えるほど綺麗にはなってないが、まぁそれでもある程度マシになったんじゃないか?、少なくとも人間の住む家らしくなったと思う


窓辺に指を這わせても埃はつかない…うん、拭き残しもない!…太陽が見えないのでどれだけ時間が経ったかわからないが、エリスの体内時計では恐らく夕方くらいだと思う…


これ以上の掃除は明日にして…次はご飯の準備だ、しかしこの家には食料は殆どない、あるのは恐らく毎朝飲んでいるであろう牛乳くらいか?、多分食事そのものはメルクさんが外で物を買ってきてそれを家で食べてるんだろう、…食料はないがエリスの手元にはある程度の金貨がある


「…食材がなければご飯は作れませんね、…うーん 『逃げるな』とは言いましたが『外に出るな』とは言ってませんものね」


…そう呟いて ズタボロのカーテンを取り ローブのように羽織る、…うん 外に出なきゃ食材は買えない、要は『逃げずに見つからなければ良い』のだ…あんまり遠くに行かずに食材を手に入れてこよう、この地下でどれだけの食材が手に入るかは分からないが…やれるだけやってみる


…………………………………………………………



デルセクト中央都市の裏の顔…地下に広がる超巨大採掘場 別名『落魔窟』、光さえも這い上がれないほど地下深くまで続く巨大な穴は数千年規模で人力で掘り進められており 今もなお 地下で取れる鉱石を求め 奴隷達と借金に溺れた者達が強制労働させられている


そんな落魔窟の壁面…螺旋状に掘られた広大な穴の壁面を舐めるように街が広がっている…、この街に名前は無い 地上を追いやられ高い物価の中生活できなくなった者が行き着き寄り集まって生きるここを皆は落魔街と呼ぶ


環境は最悪だ 篭った熱と薄い酸素 オマケに食べ物も殆ど流通しない、強いて言うなら 地上から捨てられる食材や食いかけ…即ちゴミしか食べ物がないのだ…


太陽の光を浴びることさえ許されず、頭の上を貴族達に踏みつけられながら生きることを強いられる地獄、生きるために僅かなものを奪い合うここは…まさしく地獄


そんな地獄の一丁目を歩く影が一人


「…はぁ、疲れた…」


棒のようになった足を引きずりながら落魔窟の道を行く女軍人、メルクは柄にも無く疲労を口にしていた


昨日夜遅くに特殊任務に就き そのまますぐに朝を迎えそのまま軍人として訓練に赴く、殆ど徹夜で休む間も無く仕事をしていたから、流石に疲れてしまった…


おまけに、…家に置いてきたあの少女 エリスのことが気になってロクに仕事にも集中出来なかったし


「何をやってるんだ、私は…衝動的にとはいえこんなことをしてしまうなんて」


エリス…孤独の魔女の弟子、あれを衝動的にとは言え私は連れてきてしまった…あのまま放置すればきっと他の兵士に見つかり、殺されていたかもしれないという理由だけで…咄嗟に連れてきて匿って助けてしまっていた


当然軍には家に置いていることを報告していない それどころか私はエリスを『始末した』と虚偽の報告をしてしまった、…これがバレれば私は確実に処罰を受けるだろう、何せこの国に牙を剥く可能性がある存在を軍に嘘をついて匿っているのだから


だが、我々の目的は孤独の魔女だけ 、おまけにその孤独の魔女だって別に何かこの国に対してしたわけでもない 罪のない存在だった、その弟子ともなれば尚のこと我々軍人が手を出していい存在じゃないんだ…


とは言え…軍に嘘をつくなんてやっていいことでもない


「はぁ、…これから私はどうなってしまうんだ」


トボトボと歩きながら帰路につく…、一応エリスには『お前は奴隷になったから外に出るな』とその場凌ぎの嘘で家に留まるよう言ってある、外に出れば軍にどんな扱いを受けるかがわからない…少なくとも生かしておく理由がない以上確実に殺される、目の前で失われる命を見て看過などできない


おまけにエリスが生きていると知られれば私も始末されるだろう、ああ…私はなんてことを…嘘に嘘を重ねて、おまけにあんな非道にも加担して…私の軍人としてのプライドはもうボロボロだ


「まぁいい、どうするかは明日考えよう…今はとにかく家で休んで、眠りたい」


と落魔街の一角の家の前について、一つ忘れ物をしたことに気がつく


「あ!…しまった、晩飯を買うのを忘れた…」


いつも節約のために食べている安くて硬いパンを買うのを忘れてしまったのだ、落魔街は地上での廃棄物を売り物として出しているためどれも品質は最悪だが、私にはそう言ったものを買う金しかないしな…どれだけ硬くて不味くても生きていくには不可欠な食料で…ん?


「すんすん…いい匂いがする?、なんだこの匂いは 落魔街にこんな美味しそうな匂いが漂うなんて…」


とても香ばしくいい匂いが鼻をつく、久しく嗅いでいない暖かな香りだ、嗅いでいると自然と腹が鳴ってしまうような そんな匂いが周囲に漂っている、なんだこれは…しかもこれ、私の家から匂いがしてないか?何故だ?あそこは私しか住んで…いや、今は違う!


…まさか!あいつか!


「おい!貴様!、何をしている!」


私の家の扉を蹴破り怒鳴り声を上げる、何をしているかは分からないが止めなくては!と使命感に駆られて家に入れば…、あまりの衝撃に絶句し言葉を失う、あれ?ここ…私の家だよな?


「あ…あれ?、家がすごく綺麗だ」


私の家が 埃一つなくキラキラと輝いているのだ、あの埃やらなんやらで汚れきった廊下が 壁が 天井が、綺麗になっている…いつも仕事で疲れているからろくすっぽ掃除なんかできていなかったのに


あれ?疲れのあまり家を間違えたか?、そう思い外を見れば…うん間違いなくここは私の家だ、え?どういう事?


「あ!、メルクさん おかえりなさい、ちょうど晩御飯できましたよ?」


「なっ!?貴様!何をした!」


そう朗らかな声を上げて出迎えてくれるのは例の捕らえた少女 エリスだ、縄で結んで閉じ込めておいた筈なのに、ニコニコと微笑みながら家の中を自由に歩いている


「何をって…何をですか?」


「何故家がこんなに綺麗なのかを聞いている!」


「そんなもん掃除したに決まってるじゃないですか」


「そんな事わかってる!、何故掃除をした!」


「汚かったので、ダメでした?」


「いやダメって…いやダメなことはないけどさ、何故捕らえられたお前がそんなことをしてるんだ…」


「エリス奴隷なんですよね?だからメルクさんの家を掃除するのが仕事かと思いまして」


そうあっけらかんと言い放つエリス、いや奴隷とは言ったけど あれはお前を大人しくしくさせるための嘘で、…そう思いながら家の中を歩けば…


寝室も綺麗に掃除されており、眠るだけでチクチクと体が傷んだあのシーツも美しく整えられ 洗濯されている、書斎も埃一つなく掃除されており廊下だけでなく家中がまるで別物のように輝いているのだ、私の家が こんなに綺麗に…


「掃除…してくれたんだな」


「ええ、この方が居心地がいいでしょう」



まぁな、…正直 あのゴミ溜めのような家にいるのは苦痛だった、だがどうにも掃除と言うのは苦手で…、いつも仕事の忙しさを理由にほっぽり出していた、それがこうも綺麗になっているのだ、うん なんだかとても家の居心地がいい、こんなのは初めてだ


「それに、晩御飯も作っておきましたよ」


「は?…晩御飯?」


そう言ってエリスはキッチンから鍋を持ってきて…ってこれ


「し シチューか!?」


「はい、エリスの得意料理です、あとカリカリに焼いたパンもありますよ」


そこにはくつくつと優しげな匂いを放つシチューと香ばしく焼かれたカリカリのパンが現れる、なんだこれは 貴族のあまりものとゴミしか食うもののない落魔窟では絶対に見られないメニューだ


「なんでこれが、こんなところに…というか!貴様!外に出たのか!」


「まぁまぁ、その話もちゃんとしますから、ほら座って座って ご飯にしましょう?」


何を軽く言っているんだ!あれだけ外に出るなと言っておいたろうが… そう怒鳴り声を上げるよりも前に私の腹がギュルギュルと歓迎の声を上げてしまう、…まぁ もう作ってしまったものは仕方ないからな、話を聞くのは食ってからでもいいか


「わかった、頂く…冷めてしまってはもったいないからな!これを食い終わったらまた尋問だ!」


「はいどーぞ、アツアツのうちに食べてしまってくださいね」


私が席に着けば 皿に乗せられたシチューとパンが出てくる、なんというか…こういう生活らしい生活をするのは本当に久しぶりな気がする、私が汚した皿も新品同然に拭かれているし


「…しかし、具材なんか どうやって手に入れたんだ、落魔街の外に出なければ上等なものなど手に入らないだろう、まさか本当に外界に出て」


「いいえ、落魔街の中 それもこの近辺で手に入れた食材だけですよ」


「だけって…ここら辺には、ごみみたいな酒屋とか魔獣の素材の加工場くらいしかないだろ」


「あと、ゴミ捨て場です…地上の料理屋が地下にゴミを捨ててるじゃないですか、それを譲ってもらったんです、あ!ちゃんと洗いましたし新しいものを使いましたよ」


「ゴミって…ん?、これ!肉が入ってるじゃないか!な なんの肉だ」


スプーンでシチューを続けば中から肉が出てくる、肉だ 肉…この地下で肉といえば貴族の食いかけか腐りかけのものしか手に入らないが、見た所新鮮な肉だ…一体なんの肉を


「魔獣の肉ですよ、ほらそこの加工場あるじゃないですか…地下で出た魔獣を解体して牙とか爪とかを外に卸してるところ、あそこからお肉を譲ってもらったんです ここの人たちは魔獣の肉は食べないそうなので」


「ま 魔獣の!?」


食べないんじゃない、硬くて食べられないんだ…そういうとエリスはこう返すのだ『酒に漬けて食えるほどに柔らかくした』と、本当はもっと漬けた方が柔らかくなるのだが今日は時間がなかったのでこのくらいになっちゃいましたがと…酒漬けで肉を柔らかくする手法は聞いたことがあるが それを魔獣の肉でやるのは あまりこの国では聞かないな


むしろこの国はでは魔獣の肉は邪魔者としても扱われる、硬く 食えず 放っておくと異常なレベルで虫が湧く、この地下じゃあ焼いて処理するのも一苦労だからな


「ほら、なんでもいいので食べちゃってください」


「あ…はい、分かった では…いただきます、あー……」


パクリとシチューを口に運ぶ、見てくれはちゃんとしているがこの近辺のわけのわからん素材で作ったというシチューだ、味は覚悟した方が…


「うっ……」


うまぁっ!?、美味い…やば 声が出るところだった、うわ美味ぁ…なにこれ 肉も思っていたよりも柔らかいし、何よりシチューに野菜の芳醇なコクが付いている、しかしシチューの中に野菜はない…肉だけのシチュー…でも美味い 、なんだこれは


「美味しいですか」


「え?…あ、うん…とても」


「えへへ、それは良かった」


ほにゃりと顔を柔らかくするエリスに、驚いた こいつ…本当に善意だけでこれを作ったのか…うまぁ…、金取れるぞこれ


「どうやって作ったんだこれ…はむっ、野菜なんか なかなか出回らんだろ」


「普通に、上から降ってくる野菜の皮をキャッチしてそれで出汁をとったんです 上の人達は食材を綺麗なまま落としてくれるので、他の人達も上から降ってくる食材を狙ってましたが 野菜の皮を狙う人はいなかったので、助かりました」


野菜の皮か、それを煮込んでブイヨン代わりにしたのか それでこんな味が出るとは…うまぁ、いつもパサパサのパンと干し肉で済ませている私には…ダメだ染み渡る、身体中にエリスのシチューが染み渡って全身で喜んでしまう


「さぁ、パンもどうぞ?」


「あ…うん、パンもだな…これ 新品のパンか?偉く柔らかいが」


「いえ、そこで売ってた硬いパンを一回蒸して柔らかくしたあと魔術で表面だけ焼いて食感だけでも元に戻したものです、本当ならバターも塗って風味も入れたいところだったんですが…」


そうはいうがエリスこれ、むぐっ…美味い 美味いぞこのパンも、いつも硬く引きちぎるようにして食っていたパンが、柔らかく噛んだだけでほろりと私の口に入ってくる…


「肉を漬けるお酒は普通に買いましたし、牛乳はこの家にあったので使いました、どうでしょう 今日の晩ご飯は」


「とても美味しいよ、ありがとうエリ…ス…じゃない!、お前これを買うために外に出たのか!?」


危ない危ない、危うく騙されるところだった、落魔街とはいえデルセクトの兵士は他にもいる、それに見つかればエリスも私もおしまいだ


「大丈夫ですよ、古いカーテンをローブがわりにして顔を隠していったので」


「いや…とはいうが、それでも危ないだろう!見つかったら本当にどんな目にあわされるか!」


「心配してくれるんですね、メルクさん…エリスのことを」


「あ…いや、…その」


心配してくれる その言葉を受けるとどうにも返し辛い、確かに…心配していた、私自身の保身以上に この子が周りに酷い目にあわされると思うと放って置けない、小さな子供を守るのが軍人の仕事だから…


「…ねぇ、メルクさん 朝は混乱していてロクに話もできませんでしたから、ここでしっかり話し合いませんか?」


「話し合う…だと?、今更お前をなにを話し合えというのだ」


「エリスを捕虜にしたとか奴隷にしたとか、あれ嘘ですよね…奴隷のエリスが勝手に外へ出ても、貴方は怒らず むしろエリスの身を案じてくれている、貴方は奴隷なんか飼うような人じゃない」


「……まぁ、そうだな …」


エリスに問い詰められて、改めて思う 確かにエリスは奴隷じゃないし奴隷にしたつもりもない、ただ奴隷といえば外に出ないかと思っただけで 奴隷にしたなどと嘘をついただけだ…


外に出て見つかればエリスは殺されてしまう、目の前で殺されそうになっている無辜の少女を見捨てるなんて真似、私には出来ない…だから嘘をついてまでエリスをこの場に止めようとした



「エリスが推察するに、きっとメルクさんはエリスを匿ってくれているんですよね、師匠が狙われた以上 エリスを生かしておく理由はデルセクト側にはない、なのにこうして五体満足で生きていられるのはメルクさんがこうしてエリスを助けてくれたから…じゃないですか?」


「………………」


「でも分からないんです、どれだけ考えても デルセクトの軍人たるメルクさんがエリスを助ける理由が、だから聞かせてくれませんか?…何故エリスを助けたのかを」


「……勝手に話を進めるな、私は別に…」


ここでまた嘘をつくのか?、また誤魔化すのか?…ならいつまで誤魔化せばいい、その場凌ぎの嘘を毎日のように重ねてエリスをここに止めるか?、無理だ…こいつは一瞬で縄を抜けるような使い手…その気になれば私の監視なんてするりと抜けて外へ出て行ってしまう


今回はたまたま戻ってきたが 私が嘘をつき続ければ、いつか私に対する信用はなくなり エリスは出て行く、そして殺される…私の嘘が原因で人が一人が死ぬことになる…それは、それは許容出来ない、何より嘘に嘘を重ねるなんて 私が一番嫌うことではないのか


一度助けたなら 最後まで助け抜く、それが私のポリシーだ


「…そうだな、私の胸の内を話したら、私の言うことを聞くか?」


「はい、まぁ内容によりますが…エリスはメルクさんを信用したいので」


信用したい…か、簡単に言ってくれる、何故出会ったばかりの私をそこまで信用できるのだ、だがまぁ悪い気はしないな


「…まぁ、大体はお前の推察通りだ 魔女レグルスが石に変えられたあの夜、あのまま放置しておけばお前は確実に始末されていた…だからそうなる前に私はお前を回収したのだ」


「メルクさんが…でもなんでですか?、さっきも言いましたが理由が…」


「理由は単純、私は納得していないからだ…なにもしていない魔女レグルスとその弟子を騙して 襲う事を、いくら魔女フォーマルハウト様の命令とはいえ なんの罪もない人間に銃を向けるなんてことはあってはならないからだ!、…軍人の銃は守るためにある、だから…」


だから、これ以上この国が過ちを犯さないためにエリスを匿った、私と戦った魔女レグルスは言った 今の我々には誇りも栄光もないと…ぐうの音も出なかったよ 私もまさしくその通りだと思っていたから


栄光の魔女の名を預かる我々が 栄光を捨て戦うなどあっていいはずがない…


「なるほど、…メルクさんは正直な方なんですね」


「悪いか…」


「いいえ、むしろ好きです、そう言う自分の確固たる信念を持つ人」


「確固たる信念か、…そうだな この国にはもうそんな軍人殆どいないからな、他の軍人たちは金を貰えば平気で民間人を殺す、軍の名を使って好き放題する奴もいる…金さえあれば金さえもらえればいい…そんな誇りを持ち合わせない腐った軍人が 今この国の大多数を占めている」


情けない限りだ、デルセクト人は皆アルクカース人を野蛮で頭の悪い奴らとバカにするが、私からしてみれば彼らの方がよほど高潔で素晴らしい戦士たちだと思うよ


「私は…誇りこそ 何より尊ぶべき物だと思っている、我々はただ欲のまま暴れる魔獣ではない、人を人足らしめるのは誇りがあるからだ、それが無ければ人は獣畜生と同列に落ちる」


「なるほど、メルクさんは誇りを重んじ それを貫く為にエリスを助けてくれた、というわけですね」


「…まとめるとそうなるのかもな、ただ人助けのために助けたのではなく 、助けるのが当然だから助けた、それだけだ」


なんて、格好をつけるが…今私は 己を誇る高き軍人とは呼べない、あの夜 非道に加担しフォーマルハウト様に投げつけられた金貨を拾った時、…あの時私の中のちっぽけなプライドは壊されてしまった…


金のために武器を振るう小汚い軍人と非道に手を染め金貨を拾い上げる自分、一体どこが違うんだと…心が折れてしまったよ


「…ようやく分かりました、メルクさんという人が」


「この程度でわかった気になってくれるな」


「いいえ分かりましたとも、少なくともメルクさんは信用できる人だ これが分かっただけでも十分です」


「信用できる?、私が?お前の師匠を襲った張本人の一人だぞ?」


「でもエリスをその場から助け出してくれた張本人でもありますよね?、それに今の言葉はきっと嘘偽りのない言葉、誇り高い軍人の誇り高い言葉を聞かされて 信用しないほどエリスは腐ってないですよ」


にっこり笑うエリスの顔は、そうだな デルセクトの商人がおべっかを使いながら浮かべる信用を勝ち得ようとする打算に塗れたものではない、明け透けの本心が見え隠れする笑み…デルセクトじゃ珍しい笑顔だ


「つまり 君は私を信用して正直にいてくれるんだな」


「はい、…メルクさんはエリスを助けてくれましたし、正直に色々話してくれました、だからエリスもメルクさんには正直でいたいです」


「なるほどな、……なら正直に聞こう 君は魔女レグルスを助けるつもりか?」


「はい、そこは変わりません」


即答した、…まぁそうだな 彼女の目的は結局そこに行き着く、このまま隠れて国外へ逃亡すれば彼女は無事 デルセクトの魔の手から逃げおおせることが出来る、だがそれはしない 何故なら師匠がここにいる以上 彼女もここを離れることはしない


「そうか、…だが 君にはなんの手立ても何もないだろう、どこにいるかも分からない魔女レグルスを一から草の根分けて探すつもりか?、いやそれ以前に お前は外に出ればデルセクト連合軍に狙われる身だぞ? それから逃げながら本当に魔女レグルスを見つけ助けられると?」


「そ…それは、でも エリスは諦めません」


「いくら諦めなくても無理なものは無理だ、今は地下にいたからなんとかなったが 外界に出れば監視の目はより一層強くなる、何よりあのグロリアーナ総司令が国中を見張っているのだ 外界に出れば即座にグロリアーナ総司令が飛んできてお前を殺す、あの人には絶対に敵わない」


「…そ…れも、なんとかします」


「しかも見つけられたとして、それからどうする?今のお前の師レグルスは石像に変えられている…どうやって元に戻す、超絶した錬金術の使い手であるフォーマルハウト様の手によって石にされたのだ、この国のどの錬金術師にも解除は出来ない、…まさか彫像と化した師を抱えて旅を続けるつもりか?」


「…あぅ…」


勇ましいが 彼女の前の立ちはだかる現実はあまりに重く あまりに大きい、勇気や根性ではどうしようもないレベルで今の彼女は追い詰められているんだ、…この家に転がり込むことでかろうじて首の皮一枚繋がっただけで状況は何も好転していないのだから


「確かに、メルクさんの言う通りです…エリスは一体どうしたら…」


さっきまでの威勢は何処へやら、あまりの絶望的状況に縮こまってプルプル震えてしまう、…考えがあるんだかないんだか…


この状況が分かったのなら 大人しく我が家にいろ!、…と言えるほど 私も腐ってないんだよ


「…だがエリス、お前がどうしても諦められないと 師匠を助ける為ならなんでもすると言うのなら、一つ 話はある」


「ほ 本当ですか!なんですかメルクさん!エリスなんでもします!なんでも!」


「落ち着け、私の胸ぐらを掴むな…いいか、話とは エリス…お前私の手伝いをしろ」


興奮し私の胸ぐらを掴みあげるエリスの手を払いのけ…ようでしたが余りにも強い力で握り締められてきて振りほどけない、なんだこの子 見た目の割にめちゃくちゃ力あるな


まぁいい


「手伝い?、なんのお手伝いですか?」


「まぁ聞け、私はあの夜 レグルス襲撃事件の時改めてこの国の零落具合を感じた…あの場に集められた軍人たちは皆 金がもらえるからと言う理由だけで、平然とエリス達民間人に銃を向けていた…それを容認した総司令官も魔女様も、みんなどうかしている…」


拳を握り思い出すのはあの夜、栄光の魔女様から投げつけられた金貨を拾う時感じた感情、何もしていない する気もないレグルスという民間人に銃を向け その褒美に地に落ちた金貨を拾う自分の惨めさ


忘れない、あの時の感情を…我が誇りを傷つけたあの魔女様の目を、だからこそ


「だからこそ、私は 二度とあのような過ちを犯さない為にも、この国を魔女様を 元に戻そうと思う…フォーマルハウト様には栄光の名を冠する魔女様に戻って頂く」


聞けば、フォーマルハウト様は本来 誰よりも高潔で誰よりも誇り高い人物だったという、それがどうしてああなってしまったのか、何故ああも変わり果て変貌してしまったのか…私はずっと 疑問だった


いつか伝承にあるようなフォーマルハウト様に戻ってくれるのだろうか、彼女が戻ればこの国もまた栄光の名を手にすることが出来るんだろうかと…


だがその答えは レグルスがくれた…あの日、レグルスは石になる寸前確かに口にした


「魔女レグルスはフォーマルハウト様が暴走している…と言っていた、つまり我を失っている状態にあるんじゃないか?、もしその暴走を収めることが出来ればフォーマルハウト様は正気を取り戻し かつての高潔なお方に戻ってくれんじゃないか?」


半ば願望に近い願いだ、それでもレグルスがとっさに口にした一言に縋る…あの平然と非道に手を染める悪魔のような姿がフォーマルハウト様の本来の姿じゃないんだと、するとエリスも口元に指を当てて


「その通りです、今現在フォーマルハウト様は体内に異常に溜まった魔力により 魂が汚染、つまり精神に異常をきたしている状態にあります、それを解決できればフォーマルハウト様は 伝承にある通りの人物に戻ると思われます」


肯定された、…私の願望が 上手くいく保証のなかったそれが、今エリスの言葉により 確かな目的へと変じた


「本当か!やはり戻せるのか!フォーマルハウト様を!…」


「はい、そもそもエリス達はフォーマルハウト様の暴走を止め 元に戻す為にこの国に赴いていたので」


なんと、この国を救いに来てくれた者を襲っていたのか…それを我々は、いやいい そこはいい、だが確かにフォーマルハウト様を元に戻せると言うのなら


「…分かった、なら改めていう 手伝って欲しいエリス、フォーマルハウト様を元に戻すのを」


「フォーマルハウト様を元に戻す…メルクさんがですか」


「ああ、はっきり言おう この国は今腐敗の渦中にある、そしてその腐敗の根源はフォーマルハウト様にあると私は思っている、つまり フォーマルハウト様を正せば…この国もまた元の姿に戻り、誇りを 栄光を取り戻せると私は…あの夜感じたのだ、だから それに手を貸して欲しい」


それは即ち、魔女フォーマルハウト様の意向に逆らうことになる、魔女様の意志に逆らえば 極刑に処されるのは魔女大国の常識だ…だとしても私には 義務がある


『この国と魔女様のために戦う義務』だ、魔女様が本来の栄光を失い外道へと落ちようとしているなら例え魔女様に抗っても 魔女様を正すのが、軍人の責務だ…この国の栄光のため戦うのが 誇り高き軍人の責務なんだ


「これは君にとっても悪い話ではないはずだ、フォーマルハウト様が本来のお方に戻ればきっと魔女レグルスのことも開放してくれる、石化した魔女レグルスを戻せるのはフォーマルハウト様だけ…なら この手しかあるまいよ」


だが 私一人では無理だ、これから魔女に逆らって 魔女の道を正しましょうなんて言って、味方をしてくれる高尚な軍人はこの国には殆どいない、…味方もなしに出来る事ではない


だからこそ、エリスに協力を持ちかける…私の目的が上手くいけば フォーマルハウト様は外道から元に戻り 国は浄化され レグルスは戻ってくる それはエリスにとってもいい事ずくめの筈だ、少々楽観的かもしれないが目的は一致している…なら手を組めると踏んだが…いけるか?


だがエリスは難しそうに目を閉じ考えている、…なんだ?


「…メルクさん、確かに メルクさんの言う通り それは今取れる最善手だと思います、フォーマルハウト様が元に戻れば それだけで全てが解決します、ですが」


「で…ですが?」


断られる…いや確かに思ってみれば信用してくれるとは言ったものの、私はレグルスを襲い エリスを縄で縛りあげた張本人、それで目的があるから協力しろとは 確かに都合が良すぎる…


「今のエリス達ではそれは不可能です、エリス達はまだお互いのことを知りません せいぜい名前くらいしか知りません、だからお互いのことを語り合いましょう!」


「は?、語り合う?」


「はい、エリスがどういう人なのかメルクさんに知っていただき メルクさんがどういう人なのかエリスが知る、まずこの段階を踏まないと協力も何もありません」


まぁ…確かにそうか、私はエリスのことを何も知らんし 多分エリスも私のことを何にも知らん、それでこの場ですぐに協力するか決めろってのは些か酷か…少々結論を慌て過ぎたか


「なので、お互いのことを 語り合い…そして挑みましょう、魔女に この国に…お互いが欲するものを、取り戻すために」


エリスが手を差し伸べる、私の事など分からない 何を考えどうなるかさえ分からない、それでもコイツは 手を差し伸べ共に行こうと言うのだ、…そうだ エリスは最愛の師を取り戻すために 私は零落し誇りを失ったこの国に今一度栄光の光を灯すため


その手を握る、たった二人の同盟を結ぶように 硬く手を握る


……………………………………


語り合う、今まで自分が何をしてきたか 今までエリスが何をしてきたか、どうやって師匠と出会い アジメクでどのように生き アルクカースでどんな風に戦ったか、身振り手振りを交えてメルクさんに語る



今エリスは、メルクさんと同盟を組むために互いのことを話し合っているのだ、そう…同盟 エリス一人では師匠を助けられないメルクさん一人ではこの国を正せない…だからエリス達は組むのだ


しかし組むにしてもエリス達は互いのことをあまりに知らなさすぎる、ここはひとつ 親交を深める為にお話し合いしましょうと言うわけだ


「と…言うわけでエリスは今デルセクトにいるのです」


「波乱万丈だな」


メルクさんはエリスの長い話を嫌な顔せずに聴いてくれた、…こうやって話しているうちになんとなく分かった事がある、彼女の印象だ


名をメルクリウス・ヒュドラルギュルム デルセクトに所属する軍人、一応レグルス師匠を襲った中のうちの一人ではあるものの メルクさんはそのことに納得していないようだ、民間人同然のエリスに銃を向けたことを悔いて この国そのものを変えることを決意するくらいには真面目だ


そう、真面目…不器用だが真面目で 素直ではないが正直な人、それがこの人の印象だ、エリスの勘だが 悪人ではない、…でなければエリスを助けたりしないしね


「アジメクの魔術導皇とアルクカースの大王と友人…か、俄かには信じ難いが 確かに噂話程度には聞いた事がある、幼い少女が魔術導皇を助けたとか 継承戦でラグナ大王を勝たせたとかな…それが君だったというわけか」


「あはは…改めて言われると照れますが、その通りです 二人ともエリスの大切な友人です」


「あとアジメクの盗賊を小指で吹き飛ばしたとか アルクカースの地下で作られていた巨大兵器を鼻息で吹き飛ばしたとか そういうのも聞いた事があるぞ」


それ広めたの絶対ホリンさんだ、あの人面白半分で変な噂広めてるからな…まさかデルセクトまで届いていたとは


「それは流石に嘘ですよ、どんな怪物ですかそれ」


「なるほどな、まぁ 今の君の話を聞いていればなんとなくわかるさ、しかし君 見掛けによらず凄い奴だったんだな、ただ料理がうまい子だと思っていたよ」


「分かってもらえたようで何よりです、じゃあ次はメルクさんの番ですね!出生から今に至るまで話してください」


「長過ぎる上に覚えてない、…だが 私の話か、君のように面白い話でもないぞ」


そういうとメルクさんは食べ終わったシチューの皿を横に退けると 椅子に座りなおし、何かを思い出すように虚空を見る


「…私の父と母は デルセクトで店を構える立派な商人だった、昨今じゃあ珍しい人情味に溢れた人でな 、金を稼ぐことより客を大切にすることを選ぶいい人だった、何より父はいつも語っていたよ 『お客様の満足こそ 我ら商人の誇り、誇りは何よりも大切にせねば』とね」


メルクさんの懐かしそうな顔からは、とても幸せそうな一家の団欒の光景が見えてくる…そうか、いい家族じゃないか 誇りを持った商売…きっとメルクさんの誇り高い性格はそこからきているんだろう



「だが…」


そう続けるのだ、目を険しく 怒りを露わにするように…鋭く尖らせると


「そんな誇りも 商売が立ち行かなくなると共に父はあっさり捨てた、貪るように金を欲し 縋り付くように金貸しに金を借り 殺すように無知な客から金を巻き上げた、その商いに誇りなど微塵も感じられなかったよ…だからかな、誇りを失った父は死んだ」


「し、死んだって…」


「店は潰れ 莫大借金だけが残り、剰え父を裏切り母は間男と逃げてな…朝起き起きたら首を吊って死んでいたよ」


そう無表情で語るメルクさんを見てゴクリと 固唾を飲んでしまう、浮かぶのだ その時の絶望的な光景が、…何より幼き日のメルクさんが どんな顔をしていたのか、ありありと瞼に浮かんでしまい、思わず顔を硬ばらせる


「母も後日死んだ事がわかった、間男と逃げる最中 盗賊に襲われ…一緒にいたはずの間男に見捨てられ殺されたらしい、その時悟ったよ ああこの二人は私に命をもってして教えてくれたんだと」


「な…何をですか?」


「誇りを失えば滅びる 役目を途中で投げ出せば死ぬ、故に私は誇りを貫く 故に最後まで軍人の役割捨てない、父は商人としての誇りを失ったから死んだ 母は私の母としての役目を捨て私を裏切ったから死んだ…そう理解したのだ」


違った、彼女の異様なまでの誇りと一途なまでの軍人への拘りは、今にも壊れそうな心を守るための硬い殻だったんだ、父のようになるまい 母のようになるまいという恐れからくるものだったんだ…


「…それから幼くして軍に入隊し 今に至るというわけさ…この歳で一介の軍人としてやってこれたのは、父と母の命の教えがあったらだな」


「この歳でって…メルクさん何歳なんですか」


「ん?、見ての通り 十四だ」


「じゅうしっ!?み…見えません」


見ての通りとメルクさんはいうが、どう見ても二十代そこそこの風格だ…いやまぁ確かに言われ見れば顔つきは未だ幼さが残るし、まだ背丈もそこまで…いや結構背が高いぞ?、え?ちょっと待て? 今エリスが九歳で ラグナが十一だから…ラグナの三歳年上?ってこと?


エリスと最初に会ったときのクレアさんが十五だから…エドウィンさんの館にいた頃のクレアさんより年下なのこの人ぉっ!?、今現在クレアさんは十九歳になった頃だろうけど 多分今のクレアさんより大人びてるぞ、メルクさん…


「…老けて見えるか?」


「いえ、大人びて見えます」


「同じだろ、意味合い的には…そうだな、子供のままじゃ一人で生きていけないからな、心まで軍人であろうとするうちに 幼さは消えていったのかもな、まぁ私から言わせれば君もとても九歳には見えないがな」


「あはは…お互い様ですね」


でも、なんだろう急に親近感が湧いてきた…、さして歳が変わらないと知ったからだろうか、それともこの人が包み隠さず過去を語ってくれたからだろうか、今 エリスはとてもメルクさんを近くに感じている


「…しかし親の借金ですか、それってまだ…」


「ああ、返し終わってない…私に返済義務が回ってきていてね、軍人としての給金だけではとても生活していけないのでな、こうして地下に落ちて生活している、ここなら物価も安いし何より土地代も安いしな」


なるほど、だから 軍人なんて儲かりそうな仕事をしているのにこんなところに住んでいるのか…、この人はエリスを波乱万丈な人生と形容したが エリスからしてみればこの人も結構怒涛の人生だと思う


「さて、…私はもう語ることなんかないぞ、私と組む気になったか?エリス」


「はい、十分です メルクさんのこととてもよくわかりました」


「そうかい、…なら…ふぁ、そろそろ寝かせてもらってもいいか? 昨日から殆ど一睡もしてないんだ、もう限界だ」


大欠伸をかますメルクさん…、本当はこれからどうするかとか エリスは何をしたらいいかとか、色々聞きたかったが あまり無茶はさせられない、この人は明日も仕事があるんだ


「分かりました、では先にお休みください エリスが洗い物をしておきますね」


「いやいいよ、流石に君にそんなことまで任せられない…」


「いいんです、エリスはメルクさんの奴隷なので」


「いやそれは…まぁいい、じゃあ任せるよ エリス」


もはや反論もめんどくさいと言わんばかりに重たそうに体を引きずりベッドへと向かっていくメルクさん、ふふふ…エリスが洗濯した新品同然のベッドでぐっすり眠るがいい…


しかし、これで少し状況が好転した…何も変わってないし進んでもないが、当初の予定通りメルクさんと協力関係になる事ができた、メルクさんもこの国を憂いているようだし…エリスとメルクさんが見つめる先は一緒だ…



この国で、デルセクトでの状況は 未だ嘗てないほど最悪だ、アジメクやアルクカースの時以上に状況は悪い、師匠はいない 魔女大国という国全体がエリスの相手、…だが大丈夫だ メルクさんという味方はいる、エリスはこれからメルクさんと共に 互いに求めるものを取り戻すために戦うのだ…


エリスのデルセクトでの新たなる戦いの火蓋が切って落とされる、よし!やるぞ!…とは意気込むも、はてさて何からしたものか…まだデルセクトでの道筋は 暗く一寸先も見渡せないままなのであった


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