外伝:星見草の記憶
「お前のせいでみんな死んだ」
金属音を立てて私の腕に枷が嵌められる。
「お前のせいでみんな死んだ」
檻が閉ざされ…檻の向こうに立つ狂気の王は口元を歪め、私を見遣る。
「デティ、お前のせいだ」
「……違う…違うよ、ラグナ」
あの日私は全てを失った。突然蘇った大いなる厄災によって全てを失った。世界は破壊され蹂躙され、築き上げた全てを根底から崩され…世界は混沌と害意に満ちた悪辣なる世へと変貌した。
当然、私達も抵抗したが…厄災は私達の抵抗など軽く跳ね除ける好き勝手暴れ回った。
…厄災……シリウスは、私達の想像を超えるほどに強かった。それでも抵抗をやめない…失われた命全てを背負って立つラグナは世界の全てを受け止め、歪み果てながらも戦っていた。
『天狼撃滅機構アド・アストラ』の総帥となったラグナはただ一人で人類を束ねシリウスに対して抵抗を続けている…そんな中私は、何も…しなかった。出来なかった…安易な道へと逃げた。
ラグナはそれを…怒っているんだ。
「お前さえ裏切らなければこうはならなかったのに…デティフローア」
「違う…違う…ラグナ…」
だから私はラグナに捕らえられ、今こうしているんだ…けど違う、私は裏切ってなんかいない…ただ、別の方法を模索していただけなんだ。だが既にラグナは人の言葉に耳を貸せる状態にない。友を失い国を失い、魔女様達が八等分して背負っていた世界をただ一人で背負ってしまった今の彼には……だから。
「明日、お前の処刑を行う。お前の首は野に晒す…分かったな、デティフローア」
「ラグナ……」
それだけ言い残し狂い果てたラグナは踵を返し檻の前から去っていく…私はただ一人、取り残される…。このままでは殺される、だが殺されわけにはいかない。
私はシリウスを倒さなければならない、先生や魔女様達の分まで私は戦わなきゃいけない。だが今この世界にはシリウスを倒せるだけの戦力はない、今世界が存続しているのはラグナの尽力とシリウスの気まぐれ故。ラグナの寿命が尽きればきっと均衡は崩れる。
だから…私は、何もかもを犠牲にして…『これを作ったんだ』
「ッ……全て、『巻き戻せば』……」
手枷から手を引き抜こうともがき、腕を引きちぎりながら拘束から逃れ…私は、魔術を使う。
不可能と言われた、あの魔術を使う。禁忌とされた…時間遡行魔術を。
その日から、私の呪われた日々が始まった。
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これは何度目の体験か、これは何回目の危機か、何度目の救済か。最早数えることすら出来ない、数える意義さえ見出せないほどに繰り返した日々と生涯。
私は…何度もこの世界を転生している。輪廻転生とは違う…時間遡行による繰り返しだ。そう、不可能と言われた時間遡行による繰り返し。
私は何度も何度も時間遡行を行なっている。失敗したり敗北したりする都度時間遡行を発動させある一定の地点からやり直す。所謂タイムリープというやつを繰り返している。
その目的は一つ…『シリウスの打破』である。そう、原初の魔女シリウスの打破だ、既に封印されているアイツを倒すことが私の目的だ。
まず一つとして確定しているのが、シリウスは復活する。これは確定事項で防ぐことは出来ない。例え奴の復活計画を全て潰しても奴は世界の何処からか蘇ってくる。そうして世界は未曾有の危機に陥る。これは避けようのない事実であることは長いタイムリープで理解している。
当然シリウスが復活した以上世界は存亡を賭けて戦う事になる。私は世界を滅ぼすわけにはいかない為シリウスに対して何度も何度も勝負を仕掛けている。だが今もリープが続いているということはつまり私はまだ奴に一度も勝っていない。
最初、私は時間を巻き戻し全て最初からやり直し、シリウスとの戦いに備えた。
一度目のリープ。
私はシリウスの復活を皆に伝えた、時間遡行で戻ってきた事を先生に伝え、そして魔女レグルスとエリスちゃんがいる場所を伝え二人を本来の時間よりも随分早く皇都へ呼び寄せ対シリウスの作戦を練るよう二人に伝えた。先生がシリウスに乗っ取られないようレグルス様と連携してもらい、エリスちゃんと激しい修行に臨みつつ…二人には世界を一周する旅に出てもらい力をつけてもらった。
私が何をしても魔女の弟子の面々は変わらないようで一周する頃には見慣れた面々が揃っていた。そうして私主導の下でシリウスの復活に備えて早急に色んな出来事を進めた。全てはシリウス復活による破滅を回避するため。
結果は…敗北だった。私が色んな事を焦って進めたせいで色んなところでボロが出た、みんなと確かな絆が結べず八人の魔女の弟子が一丸になれなかった。またもみんな死んだ。
シリウスの件は無闇に伝えない方がいい事を学んだ。そしてまた時間を巻き戻した。
二回目のリープ。
今度は私はシリウスの復活を皆に伝えず、ただ一人で黙々と修行を続けた。体は戻っても知識や感覚は元の私のままだから十歳を超える前に第三段階に至り二十歳に行く頃には第四段階に到達していた。
この力で今度こそシリウスを倒そうと私は意気込み皆と共にシリウスに挑みかかった。
結果は敗北だった。私一人が強くなりすぎたせいでみんなが本来経験する筈だった戦いを私が蹴散らす形で終わらせてしまったのが原因だ。本来艱難として立ち塞がるはずの敵を経験しなかった魔女の弟子達は私が想像するよりもずっと弱く、シリウスによって簡単に殺された。
私の本来の力は皆に見せない方がいい事を学んだ、そしてまた時間を巻き戻した。
三回目のリープ。
今度は敢えて関わらない形で私は何もしなかった。寧ろみんなに強くなってもらうため敵を増やす方向に舵を切り多くの戦いを弟子達に経験させた。みんなに強くなってもらい、みんなで戦えば勝てると。その甲斐もあり全員が本来私が知る形よりもずっと強くなってくれた。
これなら勝てると私は再びシリウスに挑み…敗北した。原因は明白だった、魔女の弟子達以外の全てが敵になった。敵を多く作る方に舵を切るとシリウスはそれを利用して多くの人を拐かし操りにかかってきた。そうして私達は敗北した。
魔女の弟子達だけではダメだと言う事を学んだ。そしてまた時間を巻き戻した。
四回目のリープ…五回目のリープはひたすら戦いを積みつつ敵を増やさないよう立ち回り、そして敗北した。原因は…よく分からない、ただ純粋に負けた。
そしてまた時間を巻き戻し、巻き戻し巻き戻し巻き戻し……。
それから私は少なくとも四千回以上は戦っている、四千回戦ってただの一度も勝てていない。それだけ奴は強く…果てしない。けどだからと言って負ければ世界は滅亡…諦めるわけにはいかなかった。
私は最初のリープから五回程繰り返しようやく自分にとって都合のいい世界を作り上げる為に動く事を決めた。正直私一人の感情で本来あるべき姿から世界を逸脱させてしまうのは気が引けたが、そんな事も言ってられない。
未来を知るが故に過去の出来事を改変し未来を書き換える。シリウス復活はどうやっても阻止出来ないがそれまでに強くなって、かつ仲間にも強くなってもらってシリウスを迎え撃つ作戦だ。その上で味方も増やしつつより効率よくシリウスを倒す為に動き回るんだ。
その為にはまず問題点がいくつかある。
一つは『シリウスの味方』だ。シリウスは単独でも強いが過去の反省からか周囲に味方を作ろうとする。例えばマレフィカルムを放置するとそれが丸々シリウスの配下になる、非魔女国家も魔女大国に対する敵対心が強い国は全てシリウスに支配される。
そして何より『奴ら』…あれは非常に厄介な敵で尚且つ手を出し難い存在でもある為いつも頭を悩まされる。
二つに『八人の魔女に対するメタ』だ。シリウスは過去の反省を活かして戦ってくる、当然魔女もまたシリウスを打倒しようと動く、だがこれはどうあっても避けられない運命ではあるのだが…シリウス復活と共に『八人の魔女は確定でシリウスに嵌められる』。実質魔女全員が機能停止状態に陥る為戦力として魔女をカウントすることはできない。
魔女抜きで我々は魔女を上回るシリウスとそれが操る大軍勢を相手にしなければならない。
それに対抗して私もまた魔女以外に頼れる存在を味方につける必要がある。
キーマンになるのは四人だ、対シリウス戦を想定した時主軸になる戦力は全世界を見回しても四人だけ。
まずは私、魔女様が戦力としてカウント出来ない以上シリウスと真っ向切って戦えるのは私だけとなる。なので私が第四段階に到達するのは絶対条件。あまり下手な生き方をするとシリウス戦に必要な覚醒にルートが入らない可能性があるのでここが難しいところだ。
二人目はラグナだ、ラグナが真なる第四段階に到達出来た場合唯一魔女を超える戦力になる可能性が高い。だがラグナだけではシリウスは絶対に倒せない、ラグナの真の魔力覚醒は一見すれば無敵だが対策を取られると旨みがなくなる。そしてシリウスは絶対に対策を取ってくる、それも秒速で。
三人目はエリスちゃんだ、彼女の特異な存在は言い換えればあらゆるピースの代用品になる。心苦しいが彼女生き方をある程度コントロールすれば指揮官にも戦士にも育てられる。その為の土壌たる最初の旅である世界一周での文通は慎重に行う必要がある。
四人目は…業腹だが彼だ。彼が居るのと居ないのでは話が変わってくるレベルで彼は戦力になる。彼が味方になってくれた世界線はどれも善戦できたし完全に敵対したルートでは間違いなく頭痛の種になる。出来るなら…いや確実に味方にしたい。
他にも莫大な戦力になる奴はいるがどうやっても敵対しかしない奴らもいる。まずリーヴやトキシー、エース・ザ・ブレイヴの三名は絶対に味方にならない。全員凄まじい強さではあるが残念ながら味方になるルートはどこにも存在しない。
こちらがどれだけ歩み寄ってもそもそも考え方や価値観が普通の人間とは違うから話にならないんだ。勿論同じ理由でガオケレナも無理だ。
対して確かな条件は不明だが味方になってくれる奴もいる。まずレナトゥス、アレはどう動くか想像がつかないが時折味方陣営に立ってくれることがある。他にもラルクやテルヨシ辺りは実力的に味方にしたいが…イマイチ思考が読めていない。あとは『お姫様』も少し頑張る必要はあるが仲間には出来る。
或いは味方にはなるが味方にした場合マイナスにしかならない奴もいる。例えばクレプシドラやソティス、あれらもかなりの譲歩と甚大な努力を行えば一応味方には出来るがした場合こちらが大損害を被るイベントが確定で発生するから実質無理だ。
全ての戦力を揃え、邪魔になる奴は早い段階から消し、文明強度を高めつつ魔女大国の連携を高める。そして私はこの完璧な布陣を整えシリウス復活に備え最強の力を用意して、奴を迎え撃った。
結果、私は最高の状態で五回負けた。全滅だった。何をどうやってもシリウスに勝つことは出来ない、奴は絶大な力であっという間に現行文明を吹き飛ばしてくる。
この時私は悟った、シリウスを武力で打倒するのは不可能だと。というのもここに至って私はようやくシリウスという人間が持つ二つの性質を発見したのだ。
一つは『超シビアな行動変更条件』。よくあるだろう?過去の世界で何か少しでも事実を変えてしまうと未来が大きく変わってしまうという奴、バタフライエフェクトというのかな。過去で何かを変えると周囲人間の行動が本来取るべきだったそれから変更されてしまう。私はこれを行動変更と呼び、それを引き起こす条件を行動変更条件と呼んでいるんだが。
シリウスはこの行動変更条件がメチャクチャシビアなんだ。例えば私が未来を変えるために少しでも行動するとその時点でシリウスは行動を変更する、私が動けば動くほどシリウスは私の知らない行動をとってくる。奴はループを知覚していないはずなのにあまりにもシビアな行動変更条件で徹底的にメタを取ってくる。これにより私はループの優位性をシリウスに対して活かすことが全く出来なくなっていた。
二つは『世界総魔力量反応』…、シリウスは私が準備をして強くなればなるほど強くなる。一方全く支度をしないとそんなに強くない。これは何故かを考えた、結果シリウスは今現在世界に存在する全ての人間の総魔力量を二段階上回る魔力を発揮する事を発見した…。
シリウスは人類の限界点にいる、つまり人類が進化して力をつけると上限が引き上げられシリウスもまた強くなるんだ。強い世界にいればいるほどシリウスは強くなる。私がシリウスを倒す為に世界全体を強化すればするほど、私が限界を越えれば超える程、奴は強くなってしまうんだ。例え話になるが例えば私が全宇宙を一撃で破壊できる神様みたいな強さを手に入れたら、自動的にシリウスはそれを上回る力を手に入れるのだ。
この理由は恐らくシリウスの力は『そもそもこの世界に収まる規格ではない』からだろう。つまり世界の限界点が999ならシリウスの力も999になる、9999なら9999になる。何故ならシリウス本来の実力は9999999……と果てしないから。
それはクッキーを作る工程に似ている、広大な生地に型を押し当てる…シリウスは広大な生地で型とは世界、シリウスの力は世界に収まり切らないから収まる限界分しか発揮出来ない。当然型が大きくなればなるほどシリウスの力も大きくなる。
まぁ簡単に言えば、こちらが強くなればなるほどシリウスが使える力が増えていく。人類が強くなればなるほどシリウスは本来の力を発揮できるようになってしまうと言うこと。そしてシリウスの本来の力は…まぁ、とてもじゃないが全人類が束になっても太刀打ちできるものではない。
この二つの事実に気がついた私は、心が折れた。どうあってもシリウスを倒すことは不可能だ。
魔女様達がシリウスを封印せしめたのは半ば奇跡に近いと言ってもいい。それほどまでにシリウスという存在は絶大過ぎる。魔女にメタを貼られた時点でこちら側に勝ち目は一切ない。
魔女様が全力でシリウスの復活を恐れ、第二のシリウスの誕生を恐れ、世界を八千年もの間強引に支配し続けた理由がよくわかった。痛感した。アレはそもそも戦ってはいけない存在、蘇らせた時点でこちらの負けは確定するのだから。
私は何度も何度もリープしながら、シリウスのけたたましい笑い声を聞きながら…考えた。どうにか出来ないか、何か手はないかと。
考え考え考え尽くした…だがいい手は浮かばなかった。何もいい手は浮かばなかった。
そう、『良い手』は浮かばなかった…代わりに浮かんだのは『悪い手』。
それは今まで取ったことのない手……そうそれは。
………………………………………………
「あぁ…あぁあぁぁ、ナタリア先輩 死なないでください!死なないでください!、まだ先輩から聞きたいことがいっぱいあるんです!、先輩に教えてもらいたいことがあるんです!、なんでもしますから!なんでもしますから治ってください!…お願い…」
メイナードの指示を受け、外へ駆ける騎士達。大粒の涙を流しながらも魔力をどんどん注ぎ込み必死に傷を塞ごうと叫ぶヴィオラ。クレアさんは顔を背けぐったりし肩を震わせている。
あの日、私はレオナヒルドという悪人に誘拐された。私の身柄を利用してアジメクから逃亡しようとしたレオナヒルドに誘拐されて…そしてそれを取り戻そうと戦ったエリスちゃんとナタリアさん、そしてクレアさんによって私は助け出された。当時はまだ全然弱かったエリスちゃんは勇気を振り絞ってレオナヒルドと戦い…そして勝利したんだ。
けど、その代償は高くついた。私を助けようとしたナタリアさんが…バルトフリートさんの一撃を受け致命傷を負ってしまった。戦いが終わった後助けに来たヴィオラさんの治癒魔術も受け付けないほどに衰弱し、死を待つばかりとなった騎士の姿に私は…デティフローアは震えた。
「あ…あぁ…」
私は……無力だ、何もできない、傷を治す手段を持たない、何も出来ることがない。今私を助け出そうとした人の命が失われようとしているのに、何も出来ない。まだこの頃は古式治癒を与えられていなかった私には…何も出来る事がなかった。
ひたすら…ひたすら無力感に打ちひしがれながら、私は何も出来ず助けられるばかりだった己を呪いながら蹲った。
「私が…もっと優秀だったら、もっと先生に認められてて、古式治癒魔術を…教えられてたら…ナタリアさんは…あぁ…あぁあ」
「デティ…」
蹲り頭を抱える私を、エリスちゃんは気にかけてくれた。自分も戦いの傷で苦しいだろうに私の心配をしてくれた。なのに私は傷一つ負わず、今ここで何も出来ずに命の灯火が消えるのを見守っている。
なんと…なんと苦しいんだ、そして恐ろしいのか。私の手はなんと小さいのか…この手から命が溢れていくのに止める事ができない、力がないとはこんなにも恐ろしいのか。もしかして私はこれからもこんな思いをし続けるのか?力がなければ私は…エリスちゃんやクレアさんが死にかけても何もできないのか?
嫌だ、そんなの絶対に嫌だ…欲しい、もっと…もっと力が─────。
「私にもっと…力があったら」
そう、呟いたその時が…私の運命の分かれ道だった。私の長い生涯に於いて一番最初に…そして一番深く記憶に刻まれた地点だった。だからだろうか…選ばれたのは。
『自分が情けないか?無力が苦しいか…いや、苦しいよね。よく知っているよ、だって私は───』
「ぇ…何、…なんなの…」
突如、私の脳裏に…声が響いた。いや正確に言うなれば脳裏に響く文字とでも言おうか、それが声だと分かるのに、どんな声なのかは分からなかった。
ただ、何かが聞こえた。その事実に私は…驚いて顔を上げた。誰かが声をかけてくれたのかと思ったが、周りを見てもエリスちゃんしかいない…声の主がいない。
『私を探してもいないよ、けど大丈夫…私は貴方を害する事はない』
それでも声を語りかけてくる、訳の分からない状況に幼い私は頭を抱え狂いそうな心を必死に押し留め、揺れる瞳孔で虚空を眺める。
『いいかい?お前はこれから魔女の弟子として生きていくにあたり…多くの死を見る、多くの傷を見る、お前が不甲斐ないから何人も死ぬし何人も居なくなる』
幼い私にはあまりにも鋭利な言葉、明確な死のビジョン。抉るような鋭さで、突き刺すような声で、そいつは私に語り続けた。
『お前はこれからたくさん友達を作るだろう…、だがそれは全てお前の不甲斐なさで失われる。離別であるならまだ良いだろう、だがその悉くが死別であるなら…それは避けるべきだとは思わないか?』
『そしてそれは…お前の友達エリスも含まれている…』
奴が語ると、私の頭の中に知識が流れ込んでくる。知らない知識だ…それがまるで脳みそに刻み込まれるように鮮明に色を持つ。それはまるでこれから私が辿る未来を映すように…鮮明に目に映る。
(何これ…!)
見てきたのは『血の赤、燃え上がる街、そして…今よりずいぶん大きく成長したエリスちゃんが、胸に大きな穴を開けて、血を流して、苦しんで…絶命する姿』『目の前にいる存在は白い髪と赤い瞳を持った者、それがこちらを見てゲタゲタと笑っている』…。
そして私はそれを抱き寄せて…泣いている。これが…私がこれから辿る道?これが私の…未来?
「そんな知らない…やだ、やめて」
『嫌だろう、嫌に決まっている。ならお前は私に従うべきだ…最初に言った、私はお前の味方だよデティフローア、だから私を受け入れろ…』
「それは…でも」
何が起こっているのか分からない、けど受け入れろと言われて受け入れていいのかも分からない。何か…恐ろしい、こいつは誰なんだ…こいつを受け入れて…いいのか、本当に。
そう私が迷っているのを見た『ソイツ』は…。
『私なら、ナタリアを助けられるぞ。私ならお前の出来ない事ができる…助けてやるぞ?ナタリアを』
「あぁ…ぅあ…」
『それとも、死んでもいいのか?ナタリアが…エリスが』
「それは…ダメ…」
酷な話だとは思う、齢を五歳程度の子供に自らの身と今目の前で死にかけている騎士と友の命を天秤にかけろと言うのは。それはたまらなく怖い事だろう、得体の知れない存在の言葉を聞き入れるのは怖いだろう。
それでも、彼女は友愛の魔女の弟子だから…受け入れるのだ。受け入れるしかないのだ…だからこそ、だからこそ…。
『…優しい子だ、大丈夫…きっと上手くやるよ。だから私の言うようにしなさい、私が君に…魔術を教えてあげよう。人を…蘇生する魔術を』
「あ……」
そして、私の中に流れ込んでくるそれは…得体の知れない知識が私の中に注がれる。この時からだった、この時はまだその異常性を理解していなかったが…私は間違いなくこの時から変わった。
私が…ソレの影響を受け始めたのはこの時から、ソレは常に私の隣に立ち、私と同じ物を見て、時として私の自覚を奪い体を操り動き。私と共にあり続けることになった。
「デティ!しっかりしてください!気をしっかり持ってください!」
錯乱し始めた私を心配してエリスちゃんが私の肩を掴んで、顔を覗き込んで…怯えている。しっかりか…けどごめんねエリスちゃん。私は今この時を以て…完全に貴方の知る私ではなくなった、いや…私は私のままなのだろうか。
…昔こんな話を聞いた事がある。とある船乗りの話だ。古くなった船を修理した船乗りは船の全ての部品を取り替えることになったという。そうして出来上がった船と取り替えられた古い部品を使って作られた船、この場合どちらが真の意味で船乗りの船なのか…なんて意地悪な問題。
あるいは今の私はそれと同じ、…いや。どちらかと言うと沼の男の方か。
少なくとも、今…この時、この体を動かしているのは…。
「エリスちゃん…………ねぇ、私変かな」
「デティ……」
…エリスちゃんの知るデティフローアではない。けれど安心して欲しい、たとえ私が何になろうとも。
「大丈夫だよエリスちゃん、私はこの国とこの国の全てを、そしてエリスちゃんを守るからね。例え何を敵にしようともエリスちゃんだけは私が守る。絶対に」
「え…」
大切な部分は変わらない、私はこの国とこの国の全て、そしてエリスちゃんを守る。私にはもうそれしか残っていない、その決意は永遠を貫く槍となって…この時から始まる。
………今度こそ私は、エリスちゃんを守る。例え何を敵に回そうと…そう、世界を滅ぼしラグナ達から恨まれようとも。
エリスちゃんを殺そうとするシリウスも世界も、私の敵だ…。
(ごめんね、デティフローア…)
そう、『私』はデティフローアの意識の奥に潜り込み、時を待つ。私は出来る限りこの世界への介在はしない、普段はデティの意識の奥に隠れ…必要な時だけ彼女の体を借りて動くことにした。今回の世界ではなるべく干渉はしないようにする。
ただデティフローアには私の魔術の知識だけを貸し与え、私の記憶を夢という形で見せ、無意識的に悪手を避けるよう誘導して…動かす。
全ては『あの時』の為に。デティフローアは私を恨むしこのエリスちゃんも私を恨む、けれどもう手段がないんだ…他に手がない。
だからごめんね…私は、第二の厄災に成り果ててでも…シリウスを止めるよ。
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「エリスちゃーーーんん!!」
「ぐぇーっ!デティ!なんですか!」
「虫出た!虫!倒して!」
「虫?ああ、バッタですか…全く、怖がり過ぎですよ」
「いや人間の腕ぐらいの大きさのバッタなんて普通ビビるよねぇ!?」
南部の戦いを終えたエリス達は再びジャングルを馬車で進みながら旅を続ける、多くの死者を出しながらも動き続ける馬車の中…弟子達は今日も変わらぬ日々を過ごし続ける。
「騒がしいぞデティ」
「メルクさーん!おっきいバッタ出たのー!」
「うっ、それはもうどこかにやったのか」
「エリスちゃんがガシっ!って捕まえて外やった」
「相変わらず凄まじいなエリスの奴」
「つーか腹減ったー」
リビングに集まり思い思いの時間を過ごす魔女の弟子達。それは何も変わらぬ平穏の象徴…そんな中。
「………」
「ん?どうしました?アマルトさん」
「ん?ああ…いや」
アマルトは考える、リビングのソファに座って仲間達と共に戯れるデティを見て…。
(結局、アレなんだったんだ…?)
首を傾げつつ、考える。
南部理学院での戦いで…アマルトは一度垣間見た。デティの不可思議な雰囲気。
思えばデティという人間はよく分からない物を多く抱えている、『アブソリュートミゼラブル』と言うよく分からない魔術に『死者蘇生』なんてよく分からない魔術も使うし、なんならあの覚醒だってよく分からない。
そこに来て更に…時折見せる『別人のような雰囲気』。
(アイツ…二重人格だったりするのかな)
まるで一人の人格の中に二つの意識があるような、普段のデティの他にもう一人別のデティがいるような感覚をアマルトだけが覚えていた。
けど普段から変かと言えばそうじゃない、あの変化を見たのは本当に南部の時一回きりだし何よりデティ自身もそれを自覚している様子もない。
(……気にしない方がいいのか?)
指摘するにしてもなんて指摘すればいい?指摘したところでどうなる?まるで分からないし意味もあまりないような気がして…彼は。
(うーん、考えるのやめとくかな)
今は一旦、考えるのをやめる。けどまたもう一人のデティが表に出てくることがあったのなら…その時は───────。
もう一人のデティは眠りにつく、アマルトの想像通りデティのにも自覚されない深い領域の中で眠りにつき…全てが動き出す時を待ち続ける。