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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
四章 栄光の魔女フォーマルハウト
67/842

59.孤独の魔女と海辺の教会


恨むことは悪いことか…欲することは悪いことか


偽善者は皆言う、復讐は何も生まないと


聖人気取りは皆言う、欲深いことは良くないと


くだらない あまりにくだらない、なら偽善者の前で最愛の者を殺してやろう 聖人気取りの前で金貨の山を築いてやろう、そしてこう言ってやるんだ『結局人間は欲深く執念深い生き物なんだ、この感情に背を向け生きる奴らは人ですらない』とな?



それでもお前は…、それでも…それでもこの感情を 俺を否定するのか、俺とお前 一体何が違うんだ、お前の目的はそんなに高尚か!俺の生き様そんなに下劣か!


最愛の師を奪われ失い…怒りに狂い、戦い抜いた果てにここに辿り着いたお前と、復讐に生きる俺の何が違うんだ!


言ってみろ、答えてみろ!…エリスッ!!!!




…………………………………………………………………………



「ぅわぁーーーっ!、師匠!水です!水が一面に広がっています!これが…これが海ですか!」


太陽の光を照り返し キラキラと輝く砂浜に小さく可愛らしい足跡を残しながら はしゃぐ我が弟子、エリスの顔を見て思わずレグルス…私の頬も緩む


「ああ、今までの旅じゃあ立ち寄らなかったからな…これが海だ、どういうものかは知っているな?」


「はい!、本や地図で何度も見ています!ですが…こう目の前で見ると迫力が違いますね!」


一陣の潮風に髪を揺らされながら 私とエリスは海を仰ぎ見る… 、魔女大陸も海には面しているが なかなか立ち寄ることは無かったからな、無理にでも立ち寄ってよかった



今 私とエリスは修行の旅の最中にある…今の目的地はデルセクト同盟国家群だ


アルクカースで魔女大国同士の大戦を阻止する為継承戦やらなんやらを戦い抜き 一時の安寧を手に入れたのも束の間 、アルクカースを統べるアルクトゥルスから告げられたのは…


アルクカースだけでなくその隣国デルセクトもまたアルクカースという大国相手に戦争を仕掛けようとしているという事実だった


アルクカース側だけ解決しても何の意味もない、故に私とエリスはすぐさまアルクカースを発ち 、アルクトゥルス同様暴走しているであろう栄光の魔女フォーマルハウトを止めるためこうしてフォーマルハウトが統べるデルセクト同盟国家群を目指す旅に出たわけだ



そしてアルクカースの面々との別れ…あれから一年近く経ち、今私達はようやくアルクカースを抜け その隣国…ホーラックという国に立ち入ることが出来た、荒原がひたすら続くアルクカースと違い、魔女の加護を受けない非魔女国家ながらに芝の生い茂る平原の中穏やかに小鳥が鳴く落ち着くいい国だ


今我々がいるのはそのホーラックの海岸沿いの海辺、砂浜にやってきているのだ、今までエリスを連れて海に来ることなどなかったからな、さっきから新鮮な景色にずっと目を輝かせているよ


「この海の水はどこから来てるんでしょうか…川みたいにどこかに湧き水があるんでしょうか、…ひゃわ しょっぱぁ…この水すっぱいです!師匠!」


そんなホーラックでエリスは先日 九歳になった、成長期に入り始めたという事もあり最近ドンドン背が伸びて顔も凛々しくなっている、成長したのは姿だけにあらず…体内の魔力も活性化し魔術師としてもどんどん一流に近づき始めている


まぁ、まだ子供であることに変わりはないのだがな…?


「…海はいいな、波の音を聞いているだけで落ち着いてくる」


「本当ですねぇ、ざざーんって…あ!師匠!見てください蟹です!蟹がいます!これ今日の晩御飯にしましょう!」


「それで腹を膨らませるとなると山ほど取らないとな」


小さな蟹を片手にぴょんぴょこ飛び跳ね海を満喫するエリス、うん…アルクカースみたいな物騒な国を抜けたという安堵からか、いつにも増して子供っぽい、あの国じゃあこんな風に気なんか抜けなかったしな


「師匠師匠!水遊びしましょう!」


「水遊び?、…まぁいいだろう ただしコートは脱げよ?、あ おい手を引くな」


「やったー!師匠ーぅ!」


満面の笑みで浜辺にズイズイ私を引きずり込んでいくエリスに思わず逆らえず水の中に引っ張り込まれる、ブーツの中に水が入り気持ち悪いが、不思議とエリスの楽しそうな顔に引かれてか私も少し楽しくなってくる


思えばエリスとこんな風に遊ぶのは初めてだ、私とエリスは出会ってから修行修行 戦い修行…そんなのばかりだったし、剰えアルクカースではあまり構ってやれなかった


よし、今日は師匠として弟子の努力を労うため一緒に遊んでやるか


「あははは!師匠!師匠!それぇ!」


「わぶっ…おいおい、いきなり水をぶっかける奴があるか ビショビショじゃないか、くくく…」


エリスが手で水を掬い私に引っ掛けてくる、海水をぶっかけられ胸元がビショビショだ


だが嫌な気はしない 寧ろ笑えてくる、アルクトゥルスあたりにこんなことされたら無言で殴り倒しているだろうに、全くかわいい弟子め 、そっちがその気ならこっちも仕返しだ


「ふふふ、エリス?師匠だけ水浸しでは不公平だろう…さぁ!お前も海水を被れ!」


そう言いながらエリスと同じように海水を手で弾きエリスに引っ掛け…かけ…て、あれ?


鳴り響く轟音、立ち上る水柱 思えば至極当然 真っ当な答え、魔女の腕力で同じように水を跳ね飛ばせば生まれるのはエリスのようなかわいい水飛沫ではなく、そう 称するならそれは大波濤…


「え エリスゥゥーーッッ!?!?」


砂浜をえぐるような大津波を片手で生み出してしまい エリスを巨大な波でぶっ飛ばしてしまう、不覚!思わず楽しくなってつい力加減を間違えてしまった、ザバザバと白波を立てて落ちてくる水を掻き分けエリスを探して回る…


……私の数分近くの大捜索の末、エリスは沖合でプカプカ浮かんでいるところを発見された、危うく土左衛門になるところだったがエリス曰く楽しかったらしくもう一度と言われた…いや二度とやるか、濡れた体以上に肝が冷えたわ



「ぷわはぁーっ!、師匠!海楽しいですね!これからずっと海を辿って旅しましょう」


「嫌だ、潮風は髪が痛む…何より海岸沿いを辿って旅していたら余計時間がかかってしまう」


あれからエリスは服のまま泳いだり 魚を追いかけたり 蟹を捕まえて回ったり、疲れ知らずの勢いで全力で遊んだ、更に何処かへ遊びに行こうとしたところで首根っこひっ掴み捕まえておいた、流石にこれ以上遊ばせると何をしでかすかわからないからな


捕まえた後は頭から魔術で真水をぶっかけてやり 体を洗わせ、その後 布で体を拭いてやった…あんだけ遊んだのにまだ疲れていないとは、子供の元気とは底が知れないな


「そうですか…でもとても楽しかったです、海…デティやラグナもいつか連れてきてあげたいです」


エリスは私に体を拭かれながら水平線を眺める、思うのは旅の最中別れた友の名だ、デティフローアとラグナ 両名共にエリスにとってかけがえの無い親友達だ、親友達と海に来ればきっと今以上に楽しいだろうな…


だがまぁ、それはきっと難しいと思うぞ エリス、デティフローアはアジメクを統べる魔術導皇 ラグナはアルクカースを統べる大王、どちらも世界有数の大国の王様と女皇様達だ それらが肩を揃えて海で遊ぶなど、普通に大事件だ 身分の高い友達を持つと苦労するな エリス


…いやきっと、エリスも半ば無理なことは理解しているのだろう、でも願うくらいならいくら願ってもいい


「そうだな、いつか連れてきてやりたいな」


「はい…きっと楽しい場所は海だけじゃなくて 色んなところにあると思います、そこをデディとラグナと共に…きっとすごく楽しいと思います」


「ならいつか、連れていく為に まずはお前がこの世界の楽しい場所を先に見つけておくんだ、いつかそこへお前の友を案内できるようにな」


エリスの肩を抱き、そう言ってやる…思い出すのはかつて 八人の魔女達で世界を旅した時のことだ


私たち八人も昔旅をしたことがある、苦労と試練の連続だったが 正直楽しかった、友と一緒に歩けばどんなところだって楽しくなるものだ、エリスにもそれを味わってもらいたい …相手が相手だから難しいかもしれないがな


「そうですね、ラグナもデティも元気ですかね…あいやデティとは文通してるから元気なのは分かってるんですけどね」


そういえばデティフローアとは例の空間共有の魔術筒を使って文通しているのだったな、アルクカース国内でも一応文通は続けており なにやらとんでもない許可証のようなものまで発布させてえらいことしてるみたいだが


「そうか、デティフローアは元気か?」


「元気…というか最近元気過ぎる気がするんですよね、妙にハツラツというか…なんかだんだんクレアさんに似てきました」


「…クレアが代わりに書いてるんじゃないのか?」


「違います、クレアさんの筆の癖は覚えています、当然デティのも…別の人が書けばエリスは直ぐに分かりますから、あれは間違いなくデティの字です」


エリスが言うのならそれは正しいのだろう、エリスの記憶力は異常だ…筆の癖を覚えるなど造作もないだろう、しかしそうなるとデティという少女自体に変化があったと見るべきか


「クレアさんが出世して魔術導皇専属の近衛士の隊長になったとも聞きましたし、もしかしたら影響を受け始めたのかもしれません」


「…アジメクに帰ったらクレアが二人に増えてるかもな」


「最悪騎士団みんなクレアさんみたいになってるかもしれませんね」


タチの悪い虫みたいな増え方だな…、アジメク国民みんなクレアみたいになったらお終いだぞ、賑やかではあるだろうが


「まぁ、何にしても元気そうならばいい」


「はい、元気ならいいです…」


なんで語り合いながら海を眺める、意味はない ただなんとなく…波の音と照る陽光とちょっとした疲労に身を委ねながら、…マズいウトウトしてきた 弟子を差し置いて海で居眠りとか恥ずかし過ぎるだろう


ああ、だがダメだ…上の瞼と下の瞼が惹かれあって…


「キャーーッッ!!」




「ッ!?」


絹を裂くような悲鳴、そう 悲鳴が響き渡ったのだ 即座に意識は覚醒し目を見開き周囲を見回す、どうやらエリスも悲鳴を耳にしたようで 既に立ち上がり目を配っている


「師匠、女性の悲鳴です!」


「分かっている、…あっちだ 誰かが囲まれている」


透視と遠視 そして熱を見る熱視を組み合わせ周りを見れば不自然に高い体温が、恐怖で底冷えし縮こまる何かを囲んでいるではないか、恐らくはあれだ…我々が思っている以上に切羽詰まっていそうだな


「エリス…」


「はい!、颶風よ この声を聞き届け給う!、その加護 纏て具足となり、大空へ羽撃く風を 力を 大翼を、そしてこの身に神速を! 『旋風圏跳』!」


私の言葉を受け即座に詠唱を放ち風を纏うエリス、アルクカースでの修行はエリスに多大な戦闘能力を与えた、これはそのうちの一つ 速さだ


瞬間的な加速能力だけではない瞬発力 動体視力と言った諸々を鍛え上げた、ただの一年いただけで如実に効果が出たのだ、やはりアルクカースは最も体を鍛えるに適した場所と言える


砂浜の風を撒き散らしながら空を駆けるエリスの後を私もまた追う、悲鳴の聞こえた場所は海辺から少し離れた平原だ、声がギリギリ聞こえるであろう距離にそれは居た


「師匠!、誰かが何かに囲まれています!」


なんの具体性もないエリスの言葉を受け、私も同じ感想を抱く 本当に誰かが何かに囲まれているのだ、…ああいや まぁ何かは分かるんだが…


まず集団の中心、囲まれながら蹲り 必死にブツブツと呟きながら天に祈っているのは女性、いや格好的にシスターだな 魔女大国内では見かけない珍しい職種の連中だ


そしてそれを囲んでいるのは小汚い人型の何か、あれはゴブリンと呼ばれる魔獣だ


「ゲッギョギョギョ…ニンーゲン」


「神よ…どうかこの身を御救いください、それが叶わぬならどうか我が魂…貴方の御座迄お導きを…」


ドブ川の様に汚い体皮を持った人型の魔獣ゴブリン、大きな体に似合わず手足は短く細くあれに生理的嫌悪感を持つ者は少なくない、何より中途半端に人に似ているのがより一層不気味さを醸し出しているが


似ているのは何も見た目だけではない、ゴブリンは魔獣の中でもトップクラスに頭が良く 群れを作り集落を作り、木を切り出して武器を作り、盗みを行い 殺しを楽しみ 時として欲のままに人を襲う、まるで人間をハンパに模倣したかの様な習性を持ち中には人間の魔術さえ操る者もいる危険な存在だ


「っ!待ちなさい!」


「ギィーァ?、ニンーゲン…マタキィタ」


エリスが声を上げてシスターの側に降り立てばゴブリン達は不思議な発音で人の言葉を喋りエリスを睨みあげる、その数は凡そ十数匹 皆手には棍棒や石 また何処からか盗んできたのか錆びたナイフを装備している


「貴方は…き 危険です!、早くここを離れて!」


魔獣の群れに囲まれれば 冒険者とは言え命の危険を伴う、ゴブリン一匹一匹はGからF つまり最低ランクの危険度しかないが、それが群れとなると話が変わってくる…ましてやこんな少女が助けに入っても焼け石に水だろう…なんて考えがシスターから伝わってくる、当然ゴブリンからもだ


が…エリスをただの少女と同じと見てはいけない


「師匠、ここはエリスに任せてください!エリス一人でも問題ありません」


「ゲッギッキッギッキッ…」


「モウヒトリー、ニンーゲン」


ズラリズラリとシスターから視線を移し、エリスへと注意が映る、が…エリスは意にも介さず構えを取り待ち構える、エリス一人でも問題ない?…まぁそりゃあそうだろうよ、何せエリスが経験してきた戦いや修羅場は こんなもんじゃあないんだから


「………………」


数瞬、睨み合う お互いの隙を伺っているのか それとも先に仕掛けてくるのを待っているのか、ゴブリン達とエリスの間で不思議な静寂が流れ…そして


「…フシィィ…キィィィアアアアァッッ!」


猿叫を上げ先に飛びかかったのはゴブリンの方だ、いくら人間に似ていて 知能も魔獣の中では高い方とはいえ、所詮は獣 知識を使った駆け引きなど到底出来ぬ、そしてそれはつまりゴブリン達がエリスとの駆け引きに負けたことを意味し


「遅いです…!」


振り下ろされるゴブリンの棍棒を一歩を身を引き軽く避けると共にゴブリンの首の裏に腕を持って行き、掴むと共に相手の勢いをそのままに流し 投げ飛ばす様に地面へと頭を叩きつける


「ィギャァァァァァッ!!」


「ふっ!」


次いでエリスの背後を狙ってゴブリンがナイフを構えて突き刺そうと飛びかかってくる、小賢しくも連携を仕掛けてきたのだ、だがエリスはそちらに目もくれず体を回転させ後ろ回し蹴りの要領で的確に手に持ったナイフだけを弾き飛ばすと


「イギュォアゥァ…ッ」


その回転のまま拳を撃ち放ち、ゴブリンのどでかいお腹に突き刺せば 奴もたまらず悶絶し、吐瀉物を吹きながら倒れ伏す


倒れた仲間の仇と言わんばかりに次々と襲い来るゴブリン達だが、エリスはそれを的確に素手で弾き 返す刀でゴブリン達を沈めていく、魔術を使うこともなく 一蹴するように



造作もない、そうだ 造作もないだろう、何せエリスが少し前まで経験していたアルクカースでの戦いはこんなもんじゃあない、そこらへんの村人でさえ大熊を狩ってしまうような国で その村人でさえ手を焼くような大型の魔獣の群れを相手取っていたんだ、この程度 児戯に等しいだろう


…アルクカースを出て、このホーラックという国に入った時 ちょうど私達は山賊に襲われたんだ、女子供の旅行者とでも侮ったのだろう 久々に現れた山賊を相手にエリスは戦った…


アルクカースに入る前の時点でエリスはその辺の山賊くらいなら軽く捻れていたが、今はもう相手にもならない 寧ろ五秒で全員叩きのめした後エリスは声を上げて驚いた


『えっ!?この程度ですか!?もうおしまいなんですか!?奥の手隠してるとかではなく?、え…じゃあなんでこんなに弱いのに山賊やってるんですか…』


なんて言ったものだが、仕方ない アルクカースはディオスクロア文明圏内でも屈指の魔境、そこの常識が身に染みてしまった以上他の国じゃあ物足りなく思う気持ちはわかる、事実このホーラックに入ってからというもの 戦いのレベルは格段に下がっている、人も魔獣も 弱過ぎるのだ


「はぁっ!」


「ゲブギョアッ!?」


エリスのアッパーカットが綺麗に決まる、ゴブリンの半身が宙へと浮かび口から溢れた白い泡が空を舞う、だから今のエリスにとって この程度の相手は敵にもならん


「ギィ…ィギギ…」


エリスの圧倒的強さを感じ取ったのか、周囲を囲むゴブリンがたたらを踏む…連携が止んだ、そこを見逃すエリスではない その瞬間にエリスの魔力が隆起し昂り…燃え上がる


「すぅ、起きろ紅炎、燃ゆる瞋恚は万界を焼き尽くし尚飽く事なく烈日と共に全てを苛む、立ち上る火柱は暁角となり、我が怒り…体現せよ『眩耀灼炎火法』」


ゆらりと空気が熱により揺らぐ、それを合図にエリスの周囲を熱烈なまでの火炎がぐるりと捲き上る、紅蓮の焔が周囲の敵対者全てを焼き尽くさんと膨れ上がり燃え盛る


「ギィッ!?ァギャァ!?」


当然、火から逃れようと一目散にゴブリン達は逃げ去るが、エリスが手を 前へ探せば火炎はまるでエリスの意思の如く動き…、その視線の先 その射線上にある全てを轟音と共に紅炎の中へと消し去ってしまう


「…ふぅ、終わりました 師匠」


エリスが軽く一息吐けば、先程まで盛っていた炎達がまるで嘘のように消え去り、後には焼けて黒ずんだ大地と原形をとどめないまで焼き尽くされた黒い煤…ゴブリンだったそれが周囲に転がっている


強い、もはや大人顔負けの強さを持ち得ている 勤勉に修行し続けた成果が出始めている、…エリスももう九歳 私と修行し始めもうすぐ五年、あと少しで何か一つ殻が破れる そんな段階にまでやってきている


「よくやったエリス、あれだけの炎を一瞬で御するとは 今まで魔力制御の修行を怠らなかった成果が出ているな」


「ありがとうございます、師匠」


だがまぁ、一つ言うことがあるとするなら


「ただし、調子に乗りすぎだ アルクカースを抜けて気まで抜けたか?、油断しすぎだぞエリス」


調子に乗っている、ここ最近敵無しの戦いを続けているせいでアルクカースの時のような謙虚さが見られない、今の戦いだってあんな近接戦の大立ち回りを演じずとも魔術で叩きのめせだはずだ


「え エリスは調子になんか乗ってません」


「そうか?、そう思うなら次からはキチンと気を引き締めて戦いなさい、調子に乗れば油断が生まれる 油断とは毒だ、知らず知らずの間に身体を巡り死に至らしめる劇毒だ、くれぐれも気を抜いてくれるなよ?、悪人相手に油断して 後ろから首をかかれました…じゃ笑い話にもならんからな」


強者とは往々にして、悪人が多い…自分の正義を貫こうと思えば、強き悪にぶつかるのは必定、どんな手でも使ってくる悪を相手にするには…ただ強いだけでは乗り越えられないのだ


「…はい、分かりました」


あんまり納得してないな、まぁだがいい それで、そう言う心の問題は急激に強くなる時期にはつきものだ、私なんか若い頃はずっと慢心してたからな


そう言うのを解決するのは、師の役目だ


「…あ…あの、助けていただき ありがとうございます」


「む?、ああ 無事のようだな」


するとエリスが助けたシスターがおずおずと声をかけてくる、見ればここまで走って逃げてきたのか 服はズタボロだ…が無事なようだな、怪我はない


「怪我はなさそうですね、無事なようで良かったです」


「はい、村の子供たちが襲われそうになってるところを助けたのは良いものの 今度は私自身の身が危なくなって…二進も三進もいかなくなっていたのですよ、嗚呼 これも神の教えに従った結果です、やはり善行を積む者は救われるのです」


「…神?…教え?」


こてんこてんとエリスが首を傾げている、そうかエリスはまだこう言った物を見たことはないのか、シスターを見ても直ぐにそれがシスターであると分からなかったようだし、まぁ仕方ないか 魔女大国内にはいないからな、聖職者は


「はい、神の教えです!、あ!助けていただいたお礼にお茶をご馳走させてください!、直ぐそこに教会があるので」


「教会?…師匠」


「ああ、行ってみよう、エリス…君の勉強にもなるだろうからね」


そうと決まれば と言わんばかりに目の前のシスターは服を手で払い立ち上がり、我々を案内してくれる、勉強…勉強だ 何事も勉強になる、宗教 と言う一つの分野は信仰するにしてもしないにしても知っておいて損はないしな


…………………………………………………………


「ここが、教会…ですか?」


そう言ってシスターに案内されたのは 平原の小高い丘の上に建てられた、質素な教会だった 、形的には私の知るよくある教会だったのだが、中央の壁にデカデカと掲げられた星空を象ったステンドグラス あれは見たことがない…彼女の宗教ではあれを信仰しているのか?


「お待たせしました、…あ 私まだ名乗ってませんでしたね、私はアリア…宣教師アリア・アンテステーリアと申します、魔獣から助けていただたこと心より感謝いたします」


「ああ、丁寧にどうも 私は……レグルスだ」


「エリスはエリスです、レグルス師匠の弟子のエリスです」


そういうと紅茶をお盆に乗せて現れたシスター…アリアは軽く会釈をする、なるほどシスターと言うよりは宣教師か、なんて合点がいったのは私だけなようでエリスは首を傾げている


「あの…それでアリアさん、宣教師って何ですか?と言うよりそもそも教会とは?神とは?」


「おや、エリスさんは宗教そのものをご存知でないのですか?」


「この子はアジメクで育ったんだ、宗教には縁がなかったのさ」


「いえ、エリスも神とかそう言う単語についてはわかるのですが、…その…この教会はどういった…」


「ああ、ご説明しますよ、ここは我々テシュタル教の教会なのです」


テシュタル教?と首を傾げて私の方を見るエリス、いや私を見るな 今はアリアが話しているだろう、それにそのテシュタル教と言うものが何なのか…と言うのは私もよく知らない


「テシュタル教?ですか?」


「はい、テシュタル様とは即ち我々が信仰する神…星神王テシュタル様のことです、テシュタル様は夜空から我々を見守り教え導く崇高なるお方のことを言います、我々テシュタル教はそのテシュタル様の教えに信じ従い生きる者たちのことを言うのです」


「なるほど…テシュタル教って確か、教国オライオンにいる夢見の魔女様が司祭をされているんですよね?」


「はい、そうです よくご存知ですね、テシュタル教は夢見の魔女にして我らが大司祭リゲル様によって3000年程前に世界に伝えられた宗教と言われています、なのでオライオン国内の国民は全員がテシュタル教徒なんですよ?、かく言う私もオライオン出身ですし」


夢見の魔女リゲル様によって…か、テシュタル教のテシュタルという存在は 私も聞き覚えがない、当然八千年前のリゲルもそんなものは信仰していなかった、リゲルは元々八千年前に存在したアストロラーベ星教の敬虔な教徒だったが…、どこかでアストロラーベ星教とテシュタル教とやらが入れ替わったのか?それとも長い時の間に名前が変わったのか?


分からん、しかし何なんだ テシュタルとは


「師匠…師匠」


するとテシュタル教の成り立ちや教義について教えてくれるアリアを他所に、エリスがコソコソと私に耳打ちをしてくる、なんだ?


「テシュタル…という神様は実在するのですか?」


ふむ、そういう質問か…テシュタルが実在するかどうかといえば、私はしないと思う、星神王なんて大層な存在がいるとは思えん…いたなら何故災厄の時我々を助けてくれなかったのだ という話になってしまうからな


「さぁな、少なくとも…私はそんな存在を感じたことはない」


「神様はいないってことですか?」


まぁそうなるな、少なくともアリアの語るような存在はいないと見ていい、だが神そのものがいないかと言われれば少し怪しいところがある、神と呼べるような超存在が実在しなければこの世の大部分の説明がつかないと私の師匠も口にしていた


凡そ宗教で信じられるような存在ではない、人知を超えた超存在はいると私は思う、それを宗教的に信仰したりとかはしないがな


「……テシュタルがいないなら、アリアさんに教えてあげたほうがいいですね」


「待てエリス」


なんかとんでもないことをしでかしそうになったエリスの首っこ引っ掴んで押しとどめる、待て待て何を言いだすんだこの子は


「待てって…でもアリアさんはいもしない存在を信じてるんですよ?、騙されてるようなもんじゃないですか」


「滅多なことを口にするな、それに神の存在の是非はそれほど重要じゃない 大事なのは彼女達がその教えに殉ずるかどうか、さっきアリアも言っていたろう 、教徒とは神の教えに従い生きていく者だと、大事なのは教えを信じているかどうか 貫いているかどうかだ」


神はいない、なんて言うのは簡単だ …だがそんなこと言って何になる?、お前の信じている教義や道徳観 価値観は全て偽物だと言いたいのか?、意味がない 彼女達信徒にとっての当たり前は 私達と少し違うだけで大部分は同じなのだ、そんな価値観を侮辱するような真似 、言っていいはずがない


「アリアは敬虔な信徒だ、真面目に神の教えに従い命がけで子供を助けていただろう、その立派な精神に我々は敬意を示すべきだ」


「でも、いないんですよね…神さま、じゃあいくら信じたり祈っても…」


「ああ、ここにはな…だが彼女の胸の中にはいる、それでいいだろう、思ってみろエリス、お前だって私の教えを否定される気持ちを」


「…………ゆ 許せません!、師匠の教えを否定されるなんて…エリスは許せません」


「ならお前も相手の信じるものを侮辱し貶めるような真似はするな、認め受け入れろ」


「はい!」


「…………あの?聞いてます?」


いつのまにかエリスと私は二人の会話に熱中してしまい、アリアをほっぽってしまっていたようだ、すまん…全然聞いていなかった…


「その顔は聞いてなかったって顔ですね、はぁ…まぁいいです このくらい普通ですから、どこで神の教えを説いてもみんな『神様に祈るくらいなら魔女様に祈る』って言ってさぁ」


アリアは拗ねたように唇を尖らせる、そうだな 今のご時世宗教はあまり流行らない、何故なら魔女という神が如き存在が地上に顕現しているからだ、皆不透明な神という存在よりも 目の前に存在し実際に加護を振りまいている魔女ばかり信仰する


魔女大国内ではアリアのようなシスターや神父を見ないのは、魔女大国内では皆魔女を崇めてしまっているからだ、だからアリアのような宣教師は非魔女国家に教会を構えることとなるのだ


「…レグルスさんってもしかして孤独の魔女レグルス様ですか?」


「え?、あ…いやそうだが、いきなりなんだ?」


するといきなりアリアが私の方を見て魔女様ですか?と問うてくるのだ、なんだろう 話の流れ的に宣教が上手くいかないのはお前達魔女のせいだ!死ね!と襲いかかってくるのか?と一瞬身構えるが 全然そんなことはなく、アリアはほにゃっと笑うと


「やっぱりそうですか、大司祭様…リゲル様のお友達ですよね、リゲル様も仰られてましたよ 早く会いたいって」


「リゲルが?、…そうか 会いたいと言っていたか…、というか言っていたって…お前リゲルに会ったことがあるのか?」


「いえ、直接会って言っているところを見たわけではありません、ただリゲル様がレグルス様に会う日が待ち遠しいと仰られていたと聞いたので」


なるほど、又聞きか…しかしリゲルが私に会いたいと言っていた か…、リゲルの奴よく分からんテシュタルなんて物を崇めて何を考えているのやら


今すぐ会って色々聞きたいところではあるがリゲルの居る教国オライオンは私達の諸国を巡る旅の終着点、つまり行くのは一番最後なのだ、会って話すのは当分先になりそうだな


「大司祭様のお友達とそのお弟子さん そして私の命の恩人とあらば歓待せねばなりませんね、と言ってもこの教会は見ての通り質素で信徒も殆どいないので、何かご馳走出来たりはしませんが…」


「いや構わない、だがそうだな…今日一日ここで寝泊まりしてもいいだろうか、ここ最近宿を取れていないんだ、久々に屋根の下で眠りたい」


「ああなるほど、分かりました そのくらいならご用意できますよ?、ふかふかの枕とおふとんをご用意いたしましょう」


我々がこの教会を寝床に使わせてくれと言うと、アリアは快諾してくれた 事実我々はアルクカースを出てから…というかアルクカース国内でもまともな宿にありつけず、いつも野宿ばかりだった


旅の身とはいえ、たまには木の床の上でゆっくりと休みたいのだ、こういう時こそ聖職者の見返りを求めない優しさは輝いて見えるものだ


「それに、このホーラックで宿を取ろうと思うと大変ですしね」


すると、アリアが最後にポツリと言った言葉…それが妙に引っかかった、まぁ引っかかっただけで深く聞いてみたり探ってみたりはしない、ただ頭のどこかにか引っかかって思考は消えた…



その日はアリアの紹介で 教会内を寝床に一晩過ごすこととなるった、エリスはお礼と言わんばかりにアリアにご馳走すると言ったのだが、どうやらアリアはテシュタル教の教えの中の『食べ物は出来る限り手を加えないままの方が良い』という教えを守る為料理は受け取らないと断られた


なのでその晩アリアは木から捥いだきのみと魚を炙り味付けもしないものを一人でパクパク食べていたよ、教義的に酒も嗜まないらしいし 非常に真面目だ…しかしまぁ不思議な教義だな



そしてエリスはアリアに用意してもらったベッドで就寝、海で遊んだのと長旅が応えのか、もう泥のように眠りかーかーいびきをかいていたよ、対する私は眠らない…教会の椅子に座り黙って 月明かりを差し込ませるステンドグラスを見て一人物思いに耽る


想うのは友のこと、フォーマルハウトは暴走しているらしい、…自分を見失いこの世界へ牙を剥く災禍になり始めている可能性がある、あのフォーマルハウトが…



栄光の魔女 フォーマルハウト、栄光の文字が表す通り彼女は気品に溢れた気高い人物だ、非道を嫌い外道を蔑む 、友情を尊び誇りを重んじる人物…少々頭が硬いお嬢様気質な奴だが、その一本筋通った生き方は私としても好ましかった


乱暴なアルクトゥルスを窘め 出不精なアンタレスを引っ張り 泣き虫なスピカを慰める我ら魔女の緩衝材としてよく立ち回る聡い子だった、傲慢だった当時の私のことを見捨てず改心させてくれた恩もある


元々成金商家の娘ということもあり ちょっとお金に無頓着というか…変にブルジョワなところもあった、だからこそフォーマルハウトが世界一の金持ち国家を作り出したと聞いてなんとなく納得してしまったものだ


だが…同時に思う…デルセクトは世界一金にがめつく汚い国であるとも聞く、そんな不名誉極まりない嘲りをフォーマルハウトが許すはずがないし、何よりフォーマルハウトが国の舵を握っていながら何故そんなことになったのか…聞けばデルセクトが汚くなったのはここ数百年近くから それも悪化したのは五十年前からだというではないか


アルクトゥルスが暴走した頃と凡そ時期が合致する…フォーマルハウトもまたアルクトゥルスのように我を失っているのか…だとすると またフォーマルハウトと戦いになる可能性があるな


「フォーマルハウトとか…面倒だな」


戦うとなると両者とも恐ろしいが、フォーマルハウトとアルクトゥルスの恐ろしさは方向性が違う、アルクトゥルスの暴威が如き力とは違い フォーマルハウトの戦法はまさしく一撃必殺、初見ではまず勝てない


先手を取られれば私とても危ないかもしれん…だが、フォーマルハウトを暴走から救うには私の魔術…虚空魔術であいつの体内に溜まった魔力を霧散させる必要がある、…ならやるしかあるまい、先手を取られなければアルクトゥルス程苦戦する事もないだろうしな


「はぁ…ただの修行の旅と思ったことが、とんだ大事件になってしまったな」


溜息を吐き、ステンドグラスを見上げる…描かれているのは星空、…いや夜空に浮かぶ星達を描いているのか、輝く星は全部で八つ…これはリゲルがデザインしたものなんだろうか、だとするとどういう意味が…まぁいいか 今度会ったら本人に聞こう


「…また八人全員が揃う日は…来るのだろうか」


手摺に持たれ、頬杖をつきながら呟く…らしくもなく、祈るように小さく小さく


この平穏がどこか嵐の前の静けさのように感じながらも、私達のホーラックでの一日は過ぎていく


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