613.魔女の弟子と魔女の意思を継ぐ者達
「メルク〜!やっぱ無事だったよな〜!」
「心配したよ二人とも」
「ああすまん、もっと早く帰ってこれればよかったんだが…と言う私達が居ない間、たった一日で随分話が進んだな」
「…………」
デティを攫われ、下されたのは二つの選択肢。デティを救うか、マレウスを取るか。どちらを取っても今のデティを失う最悪の選択肢。それを突きつけてきたイシュキミリの悪意を前に…打ちひしがれたエリス達。トラヴィスさんも失いこれからどうすれば良いか…そう迷っていたところに現れたのはヴレグメノスの悲劇以来行方不明となっていたメルクさんとナリアさんだった。
二人は全身を土で汚しながらも帰ってきた、あの死の溢れる街から見事帰還したのだ。
それからエリス達は焼けた館を後にし、一旦落ち着く為にもメルクさん達が連れて戻ったいつもの馬車で、揃って一息つくのであった。
「よかったです、メルクさん…ナリアさん、二人とも無事で…ヴレグメノスで嘆きの慈雨が降って、人が大勢死んだって聞いて、二人とも心配してました」
「心配かけたな」
「ごめんなさい、僕達も色々あって…」
しかし、本当に良かった。死んでいてもおかしくない状況ではあった。打たれれば死ぬ最悪の雨『嘆きの慈雨』…それを浴びた可能性が高いあの状況で、よくぞ帰還した。よくぞ生きていてくれた…とエリスはメルクさんの手を握りもぎもぎ揉む。ちゃんと暖かい…よかった。
「あれから何があったんだ?メルクさん、と言うか…なんで生き残れたんだ」
「ああ、実はな…」
そうしてメルクさんは語り出す。あの時、ヴレグメノスでの悲劇をどう乗り切り、今まで何をしていたのか…。
──────────────────────
『ぅぎゃぁあああああああああ!!』
『ぁあああああああああ!!』
『ひぃぃいいいいいいい!!』
紫の雨が降る街の中、次々と人々が爆裂四散する地獄の最中。メルクリウスとナリアはそこにいた、雨が降ったその時二人は街の中心にいた、最早避けられるところにいなかった。そのまま行っていれば…二人とも他の住民同様、死んでいた。
しかし……。
「め、メルクさん…」
「見るな!そして動くな……!」
メルクリウスとナリアは無事であった、紫の雨雲に異様な物を感じたメルクリウスとは咄嗟にナリアを抱え近くの家屋の中に飛び込んだ。しかし嘆きの慈雨は建物さえ貫通してくる、家屋の中にいても安全ではなかった。
だが無事だったのは…トラヴィス卿の修行のおかげだった。
(常時防壁を展開し雨を防ぐ訓練、あれをしていなければ…危なかった…)
メルクリウスは家屋の中、ナリアを抱きしめたまま防壁を展開し雨を一切通さないよう魔力を固めそれを防ぎ切っていた。それはトラヴィス卿がつけてくれた防壁を完全に収束する訓練の過程でやった毒樹の雨を防ぐ訓練の応用だった。
防壁訓練終了後もメルクリウスは真面目に常に防壁を維持し続けるよう心がけていた。そのおかげで咄嗟の雨にも対応出来た。嘆きの慈雨もポーションだ、肉体に当たらなければ意味がない、故にこうして防壁を展開していれば…死ぬことはなかった。
だが。
『うわぁああああああああ!!』
「ヒッ…また人が…」
(どうなってる、嘆きの慈雨は人から魔術を奪うものではなかったのか…!?)
それでも、混乱していた。当初聞いていた話では人から魔術を奪い去る為の物だと聞いてきたからだ、それでも十分警戒に値する物だったが…現実は違った。
雨に触れた人間が須く死ぬ。史上最悪の毒雨だったのだ。次々と人が爆発して死ぬ光景からナリアを守りながらメルクは歯噛みする。
(ヴレグメノスで雨が降ったのも変だ、当初アマルトが持ってきた話ではヴレグメノスで雨雲を作りウルサマヨリに嘆きの慈雨を落とすと言う計画だった…アマルトが偽の情報を掴まされたとは思えんし奴が嘘を言うわけがない、と言うことは計画に変更があった?ならいつだ、いつ計画に変更があった)
メルクリウスは考える、推理する。手元にある情報と手掛かりで考える。当初はヴレグメノスには雨が降る予定ではなかった、だが事実として雨が降った。何よりおかしいのはウルサマヨリに降らなかった事ではなく…このヴレグメノスに降ったこと。
他にも街はある、計画に変更があったとしてもこの街を選ぶ理由はない。選ぶ理由がないと思えるならきっと敵にはあると言う事…ならその理由はなんだ。そう考えた時、一つの答えが脳裏に浮かぶ。
(……イシュキミリだ、我々弟子以外でこの話を知っているのはイシュキミリだけ。そしてこの街に私達が来る事を知ってるのもイシュキミリだけだ。この雨は元々ヴレグメノスにやってくる私達を始末するための物なんだ…!もしそうだとするならこの犯行が可能なのはイシュキミリだけ!)
イシュキミリが裏切ったとしか思えない。ウルサマヨリに嘆きの慈雨を降らせる計画に変更があったとしたならアマルトが情報を取ってきた事をメサイア・アルカンシエルが知覚したからとしか思えない。
そして、ウルサマヨリではなくこの街に代わりに雨が降ったのは、つまりこの街がターゲットに選ばれたのはこの街に私達が来るとわかっていたから、私達を始末する為に計画を変更したんだ。
ならばそれが可能なのは誰だ、アマルトが情報を得た事をなんらかの方法で知覚し計画を変更しただけなら敵が一枚上手だったで済む。だが奴らが知りようのない情報、つまり私達がこの街に来ると言う話を知っているのはあの日の夜、弟子達とイシュキミリが話あったあの場にいた人間しかいない。弟子が裏切ることはあり得ない、ならイシュキミリだ。
奴がメサイア・アルカンシエルと繋がっていて、私達を誘導し嵌めたんだ。クソッ!やられた!まさかトラヴィス殿の息子が敵だったとは、迂闊だったか!
「む……」
ふと、メルクリウスは家屋の窓の向こうに人を見る。苦しみ爆発する人達の中…自分達と同じように無事でいる人間の姿を。
それは髪の長い艶やかな女。それが街を俯瞰できるような小高い館の屋根の上から、街を見回していた。この地獄を見て目を背けず、寧ろ観察するように見回すことが出来る人間…と言えば、そんなのこの地獄を作ったメサイア・アルカンシエルの人間しかありえない。
つまり、奴がこの雨を降らせた犯人か!
「ナリア、自分で防壁を作れるか…雨粒の一つでも通せば死ぬ、自信がなければ…」
「で、出来ます。僕もトラヴィスさんの修行を乗り越えたんですから…」
「そうか、ならここで待機しろ。私はこの雨を作った犯人を追う!」
「待ってください!僕も行きます!」
「しかし…」
「お願いします…」
今ここで犯人を追わなければ、また同じことが起きる可能性がある。だからここで叩いておきたい…だがこの地獄の中を歩み犯人を追うのをナリア君に強要するのはあまりに酷だ。
だからここで待機しろ…と言いたかったが、見てみろ。ナリア君の目を、怒っている、この惨劇を前に、確かに怒っている。義憤に燃える一人の男を、袖に振れるほどいい女でもないんだ、私は。
「分かった、だが動揺するなよ!ついてこい!」
「はい!」
即座にナリア君を離す、と同時にナリア君もまた防壁を展開し雨を防ぐ。そのまま私は血の匂いが充満する雨の街へと飛び出しこの地獄を眺める悪魔を追う。
屋根の上から街を見るあの悪魔、奴が無事なのもきっと防壁を展開しているから。つまり奴は少なくとも雨が降り始めてから降り終わるまで問題なく全身防壁を維持出来る自信と実績があると言うこと。
そんな事が可能な時点で相当な手練である事が想定される。恐らくはメサイア・アルカンシエルの幹部…それも相当上位の存在。戦えば無事に済む保証はない…だがそれでも。
(人が死ぬこの地獄を、平気な顔で眺め笑っているあの悪を、私は許せんッ!!)
許せなかった、こんな非道をした上で観察をする余裕を見せるあの女が…、もう既に大多数の人間が死ぬ中…私は雨の中を突っ切り女のいる屋根に迫るが。
『これくらい良い物が見られれば、イシュキミリもきっとショックを受けるでしょう…ククク、最高の結果を得られました』
「な……!」
女は私達に気がつくことなく屋根から飛び降り何処かへと走っていってしまう。その速度は凄まじく…あっという間に視界から消えていく。まずい見失う!逃してなるものか!
「メルクさん!」
「どうした!ナリア!」
「この雨、錬金術で消せませんか」
ナリアは、見る。街中に溢れる血の海を。動揺するな…とは言ったが、心動かすなとは言えないこの惨状。ナリアはなんとか出来ないか…と言うのだ。錬金術なら或いは…いや。
「今は無理だ」
「なんでてすか…」
「内部構造が分からん、錬金術は構成物質まで把握してようやく機能する…正体不明なものまで書き換えられない」
「そんな…」
「それに今、雨を消しても…手遅れだ」
「…………」
既に街の方には生命の吐息を感じない、私達以外の人は死んでいると見ていい。と言うより、あの雨を浴びた時点で…全員死んでいると言ってもいいのかもしれない。最悪だ、もしこの雨が当初の話通り発生装置をつけるだけでどこにでも作れるのだとしたら、ヘリオステクタイトにも匹敵する兵器だと言ってもいいだろう。
(もうあの女は逃げてしまったか、仕方ない。だが顔は覚えた…次はない)
チラリと視線を向ければ既に女は消えていた、恐らくあのまま私が追ってきたとしても追いつけなかっただろう。ここはプラスに考えよう、そう…例えば私達の生存が奴らにバレなかったと。
(さて、ここからどうするか…)
イシュキミリが裏切っていた、この事実を握っているのは現状私だけ。なら今すぐ戻って皆と共有するべきか。…いや、私がイシュキミリならこのタイミングで動くな。
だってヴレグメノスの街で嘆きの慈雨が発生したと言う事実を紐解いて考えれば直ぐにイシュキミリに行き着く。エリスやラグナもそこまでヒントを与えられれば直ぐに気がつくし、イシュキミリ自身もそこは理解しているだろう。だから恐らく、既に行動を開始している。
既に分かっている事だけを伝える為にウルサマヨリに戻るには…今の状況は惜しすぎる。
(奴らはきっと私達を死んだものと見ているに違いない。つまり今…メサイア・アルカンシエルと魔女の弟子の戦いの中で、唯一私達は誰にも知覚されない透明人間になったに等しい状況だ)
腕を組み考える。奴らは私達を始末したと考える、なら敵の目はエリス達に向く。今私達は奴らの手中で踊らされているに等しく状況の主導権はメサイア・アルカンシエルが握っているだろう。
このまま行けば、完全に奴らに追いやられる。その前に逆転の一手を打つ為の布石を用意出来るのは…私達だけだ。アルカンシエルの妨害を受ける事なく、動けるとは私達だけ。
ならば…。
「……………」
「メルクさん?どうしたんですか?」
「風を読んでいる」
天を見上げ、嘆きの慈雨が何処から流れてきたかを読む。風の流れを見るに恐らく向かってきたのは南側…向こうに街はあるだろうかと地図を確認してみれば、確かにあった。
沼の街パンタノ…恐らくここで嘆きの慈雨を生成して、雨雲にして…ヴレグメノスに流したんだ。もしかしたら、今行けばまだ嘆きの慈雨の生成装置があるかもしれない!
「ナリア君、急ぐぞ。パンタノの街に行く」
「え?ウルサマヨリに戻るんじゃ…」
「ウルサマヨリに戻る前に、手土産を持っていかねば…この状況を見過ごしたんだ。ただでは帰れん!」
「は、はい!」
そうして私はナリア君と共に、誰にも知覚されない透明人間として行動を開始した。馬車は使わない、馬車が動けば私達の生存が見抜かれる可能性がある。ジャーニーには悪いが…きっと直ぐにラグナかエリスが状況を確認に来る。そこで回収して貰えばいい…だから私達は。
「掴まれ、ナリア君!」
「え?何を…」
「時間がないんだ!早めに向かう!魔力覚醒───」
馬車を使わずパンタノの街を目指す。大丈夫…間に合うさ、何故なら。
「『マグナ・ト・アリストン』…」
魔仙郷で編み出した、新技があるから。馬車を使わずとも一瞬で街につける。
トラヴィス殿が私に与えてくれた錬金術の最大。神の錬成…その言葉から着想を得た私の魔力覚醒の強化形態、エリスの『ボアネルゲ・デュナミス』やラグナの『蒼乱之雲鶴』のような、覚醒の最適化…それを私も編み出したのだ。
「神形錬成『ディー・コンセンテス』ッ!」
『マグナ・ト・アリストン』の強化形態『ディー・コンセンテス』を解放する。その瞬間私の体は光り輝き…ナリア君を掴んだまま────光となる。
そして私達は、パンタノの街へ向かい…エリス達が動いている間別行動をしていたのだ。
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「そうしてパンタノの街に行ったら、案の定メサイア・アルカンシエルの構成員達がいてな。嘆きの慈雨の発生装置を街中にドカンと置いてヘラヘラ笑っていたんで、全員纏めてボコボコにしておいた」
「嘆きの慈雨の発生装置を叩いてたのか…それで帰りが遅くなったと」
「ああ、思ったより諸々の動きに時間を要した。おかげで帰りが次の日になってしまったよ」
メルクさんの話を聞いてエリスは感心する、まさか単独でイシュキミリの裏切りに気がつき、自身の置かれた立場を正確に把握した上で最適解を目指し動いていたとは。流石はメルクさんだ、この短時間でここまで明確な目的を持って動いていたなんて。
「それで、収穫としては…これだったんだが」
そう言ってメルクさんがポケットから出したのは…瓶に詰められた紫色の液体だった。それをドカリと机の上に置いてエリス達に見せる…それが何か、聞くまでもない。紫色の液体、間違いない…これは。
「お、おうメルク。お前これ…」
「嘆きの慈雨だ、生成装置の中に詰まっていたんで持ってきた」
「危ないなぁお前!これ触れたら死ぬんだろ!?」
「だから瓶で密閉してるだろ!騒ぐなアマルト!」
「ならもっと丁寧に扱えや!今机に置いた時ドンッ!って言ったぞ!」
「す、すまん。いい物持ってきたからこう…凄さを演出したくて」
嘆きの慈雨、それそのものを持ってきたんだ。これは凄い…敵の本命を少量だが持ってきたとは、これがあれば……いや、今は無理か。
「これを持ってきたのはデティに解析してもらって中和剤を作ってもらいたかったんだが、そのデティがいないとは…」
そう、メルクさんはこれを無効化する為のポーションをデティに作ってもらいたかったんだ。もしデティがいればきっと嘆きの慈雨を無効化するポーションを作り、敵の本命を打ち崩す最強の一手になっていたはずだ。
デティがいれば、これだけで終わっていた可能性がある。だから持ってきた…しかしそのデティがいないのでは…。
「くぅ、折角確保したのに…無用の長物になってしまうとは」
「一応僕は嘆きの慈雨の生成装置をスケッチして来ました、何かの役に立つと思って」
そう言ってナリアさんは小さなスケッチブックを取り出し、事細かに情報やフォルムの書き込まれたページをエリス達に見せる。そこには…あれだ、エルドラドのゴールデンスタジアム地下にハーシェルの影達が設置したポーション爆弾みたいな機構が描かれていた。
大きな瓶に魔力機構が取り付けられており、曰くこの機械が効率よくポーションを蒸発させ空に溜め雨雲に変える役目を持っているらしい。これを街に配置して、風に乗せて隣の街に雨雲として流し、そこに嘆きの慈雨を落とす…そう言う仕組みか。
「大きさはこれくらいで、それぞれに操作を行える専用の構成員が居ました。大体中に入ってるポーションの半量くらいで街一つ覆える雨雲を作れるようで、雨が降っている時間は大体四十五分くらいでした」
「おお、詳細に調べて来たな」
「流石はナリアだぜ、どっかの誰かと違ってスケッチも上手いし」
「どう言う意味ですかアマルトさん!!」
しかし。本当にこの情報はありがたい、なんせこれから三日後…奴らはこれを南部の街全てに配置すると言っていたんだ。見た目が分かった方がありがたい。
「で、そっちの状況は。大まかな部分は分かっているが君達の所感はわからない、ぜひ聞かせてくれ」
「はい、実は……」
そしてエリス達はエリス達で何をしていたかを話す。魔術議会襲撃の話、デティ誘拐及び奪還。その後行われたクライングマンによる街の襲撃と…再びデティが囚われの身となり、今度は何処にいるかも分からないと言う事。
そして、エリス達に突きつけられた二つの選択肢…これを前に迷っている事。その全てを伝えるとメルクさんは。
「まぁ、言うまでもないがどちらかを選ぶ必要はないな」
「そりゃ分かってる、だが時間と手立てが足りない…」
「そうだな、現状の問題点は二つか」
そう、この選択肢を難しくさせている選択肢は二つ。それは『南部の街全ての嘆きの慈雨生成装置を破壊して回る時間と人員が無い事』『今デティが何処に囚われていて処刑が何処で行われるかわからない事』…この二点だ。
どちらかに集中しなければ解決出来ない、南部全域をカバーする事、デティの捜索、これは両立出来ない。したくとも…どちらも困難を極める、なんせ南部は広く三日後に配置される生成装置を破壊するには全員でかからねばならない、そして恐らくそれは一日がかりになる。
一方デティの捜索が出来ても迎え撃つのはメサイア・アルカンシエルの幹部陣。マゲイアもカルウェナンもいる、ネレイドさんを苦戦させたミスターセーフやメグさんを行動不能に陥れたアナフェマもいる。そしてイシュキミリ…やるなら総力戦だ。嘆きの慈雨に取り掛かる時間はとても確保できそうにない。
「ラグナ、正直ここに関しては私はいい案を出せそうにない。君の閃きにかかってるぞ」
「重圧だなぁ、けど考えるしかねぇよな…どっちも両立させる手段か、南部全域で発生する嘆きの慈雨の阻止とデティの捜索及び奪還。……ダメだ考えても浮かばねぇ〜」
ダメだぁ〜とラグナもお手上げとばかりに頭を抱えてソファーにゴローンと横になる。それを見たメルクさんはふむふむと頷いて。
「ならラグナは引き続きそこについて考えるとして別の事に思考を移すか」
「別の事…?」
「ああ、デティの居場所だ」
ネレイドさんがコテンと首を傾げる中メルクさんはチラリとエリスに視線を向ける。まずは出来る範囲から、つまりデティが今何処に捕まっているかだけでも考えておこうと言う話だ。
「エリス、何か推理の材料はないか?」
「材料……」
と言っても材料なんかあそこでイシュキミリが話していた範囲のことしかわからない。奴等は密林の只中にも基地を作れるんだ、この膨大な森の世界の何処に隠れているかなんて調べようがない。
いや待てよ…あるとしたら。
「焉龍屍山、奴等はデティの魂を抜き取り焉龍屍山に投げ込む事で活性化させると言っていました」
「うん?活性化させるとどうなるんだ?」
「詳しくは分かりませんが、デティの持つ死者蘇生の力が宿った魂がキングフレイムドラゴンの死骸である焉龍屍山と混ざる事で細胞が活性化し因子の取り出しが可能になるとか、それでキングフレイムドラゴンの獣人兵を大量に作る…って言ってました」
「死者蘇生ってなんだ、そんな力が宿ってるのか?」
「はい、デティは死者蘇生の古式魔術が使えますから…」
「そう言えば古式魔術は魂の内側から力を取り出す術式だったな、なら魂そのものにも魔術が宿るか…いやにわかには信じ難いが今はそこではない。メグ、取り出した魂とは保管が可能なのか?」
「不可能でございます、取り出した魂は依代が無ければ直ぐに霧散してしまいます。ジズのように魂を宝玉のようにコーティングすれば行けますが…そんな絶技が出来るのはこの世に一人しかおらず、かつその一人は既に捕縛済みなので」
「いつぞや出会った人形師のウィーペラだな、あれほどの使い手がメサイア・アルカンシエルにいるとは思えん、なら魂を取り出しても持ち運びはできないと言うことか…」
「どれだけ万全を尽くしても一時間持たせるのが限度でしょう」
「なら焉龍屍山に魂を投げ込むなら、焉龍屍山から遠すぎてもダメという事だな?」
確かに言われればそうとも言えるかもしれない、この情報だけでかなり範囲は絞られるぞ…。そうか、奴らがデティの魂を取り出し焉龍屍山に持ち込む予定ならその近辺という事になる。
「では焉龍屍山の麓あたりにいるのではないだろうか」
「いえ、それはないです。焉龍屍山には毒ガスが満ちていて人間が立ち入ると十数分で死んでしまうのだとか…」
「それに魂を取り出すなんて言うのは超高等技術のございます、道端で出来るような物ではありません、必要機材の大きさからして恐らく何処かの街…そこに備えてある基地を使うのが一番良いかもしれません」
「なら焉龍屍山に最も近い街を探せばいいんだな、よし…それなら」
とメルクさんは南部の地図を出し、焉龍屍山の周りを指で撫でて考える…が。
「む……」
「これは、無いですね」
「一番近いのは、この街…」
しかし、調べてみると無いのだ。焉龍屍山の毒を警戒してか…南部焉龍屍山近辺には一切街はなく、最も近いのはこの街という事になる。それでもここからでは焉龍屍山は見えない程遠く…何より奴らがこの街にいるとは到底思えない。
「参ったぞ、いい感じで進んでると思ったのにこんなところで躓くとは」
「ウルサマヨリが一番近く、それ以外の街となると一時間以内に取り出した魂を持って向かうには少し遠すぎる…」
「むぅ、いや何かある筈だ、何かタネが…きっと考え方の方向性は間違っては無い筈」
メルクさんはウンウン唸りながら考える。メグさんも考える。そしてエリスも考える。
焉龍屍山…こうして地図で見てもおどろおどろしく書かれている。真っ黒で街一つ分の大きさがある巨大な山、元は魔獣の死骸で作られたと言われる巨大なそれは…周辺の環境さえも歪ませている。
デティと一緒に遠目で見た時にも大きいとは感じたがこうして地図で見ても……あ!
「いや!ある!」
「何?なんだエリス、何があるんだ」
「あるんですよ!ウルサマヨリよりも焉龍屍山に近い街が!」
「は?…だがそんなもの書き込まれてないが…」
「聖街シュレイン跡地…、地図に書き込まれていない廃墟の街が、ここにあるんです!」
それはデティと共に白露草を取りに行った時のこと、直ぐ近くに焉龍屍山が見えたんだ。つまりシュレイン跡地は少なくともウルサマヨリよりも焉龍屍山に近い場所にあるという事。シュレインは広義的には廃墟だから地図にも書き込まれないし…ここからなら、魂だって運搬も可能。
何より人目につかず、スペースも確保出来て、尚且つある…白露草が。
奴等は白露草の収穫を邪魔されないよう対応手段があると言っていた。それはつまり…なんでも無い、既に奴等はシュレインに戦力を集めエリス達を警戒していたから、対応策があると言っただけなんだ。
「ここに街の跡地があります、ここからなら魂も運搬出来ませんか?」
「ここからなら、ええ…いけると思います」
「つまりデティは今このシュレインにいる、ということか」
「今から助けに向かいましょう!そうすれば嘆きの慈雨を準備される前に相手を叩けます!」
「いや無理だろ」
しかしそこを止めるのはアマルトさんだ、ニュッとエリス達の話に入ってくるなり難しい顔をして。
「アイツらの柔軟性見ただろ、襲撃受けたらある分の嘆きの慈雨をブッパする可能性が高いぜ…?アイツらはデティか嘆きの慈雨を選ばせたいわけだしな」
「う……」
「どちらも選ぶなら、少なくとも嘆きの慈雨に対する対抗策を作っておいてからの方がいいだろ」
「確かに……」
「そしてそれを考えるのは……」
みんながチラリとラグナを見る。ラグナは考えに考えを重ねた結果何故か逆立ちで壁にもたれかかっているのだ、どうやらいいアイデアが出た…っていう風には見えないな。
「なんで逆立ちしてるんですか?」
「こう、逆さにしたらいいアイデア出てくるかなって」
「お前の脳みそは胃袋についとるんか」
「思い浮かばねー!」
ドーン!と肩から落ちてそのまま逆さの状態であぐらをかくラグナは考え続ける。デティの居場所は分かった、けど嘆きの慈雨の方の対抗策が無い限り敵が雨を降らせる可能性は常に付きまとう。
だからなんとかいい手段を思いついて欲しいんだが…。
「はぁ、折角よ…嘆きの慈雨がここにあるってのに、デティが居れば嘆きの慈雨を無効化出来るような物を作れるかもしれないのにさ」
「嘆きの慈雨も元を正せばポーションだ、不成立にする方法は多くあるし中和剤を作れば脅威ではなくなる…が」
「デティがいねぇもんな…、じゃあデティを助けたら速攻で作ってもらうとか」
「無理だろ、間に合うか?」
「………無理かも」
にゅうとラグナは唇を尖らせながら嘆きの慈雨が詰まった瓶を見る。嘆きの慈雨攻略において最大の要因となり得る現物の確保。最大限活用すれば嘆きの慈雨の攻略も可能なのだろうが…残念ながら活用出来る人間がこの場にいない。
デティをさえ居てくれれば…そうラグナは考えながら、瓶を持ち上げ、それを透かしながらエリス達を見て……。
「ん……?」
「どうした?ラグナ」
「いや……そうか、そうだよ。なんで俺こんな単純な事思いつかなかったんだ…?」
「え?ってことは…」
「ああ、嘆きの慈雨…なんとかなるかもしれない」
そう言うのだ、まさか本当に思いつくとはとエリス達は感嘆する。嘆きの慈雨をなんとかする方法…?けどそんなの、どうすればいいんだ。
「何をするんですか?」
「ああ、これをさ……」
そう言いながら嘆きの慈雨が詰まった瓶を持ちながらそれを指差し、作戦を説明しようとしたその時だった。
「あの〜メイド長」
「ん?どうしました?アリス、急用でなければ後にしていただきたいのですが」
ふと、馬車の外からアリスさんがおずおずと顔を出すのだ。珍しいな、彼女はいつもこう言う作戦会議の時は弁えてあまり混ざってこないのだが…。
「それが実は、お客様が」
「お客様?」
「はい、如何しましょう」
何やらお客様が来られたというのだ。しかし今は大事な話の最中、ここは少し待ってもらって……。
「いや、いい。通してくれ」
「え?」
しかし通せとラグナは言う、その顔はまるで…勝ちを確信したような顔で。
「きっと俺が今から呼ぼうとした奴だ、…嘆きの慈雨攻略には、『そいつら』の助けが必要だ」
「そいつら…?」
それは、ラグナが語る逆転の一手…その内容を聞いたエリスは、こう思うのだった。
これはイシュキミリにとって、最高の意趣返しになる…と。
………………………………………………
「お待たせ致しました、イシュキミリ様」
「ん」
一方、シュレイン跡地…そこに作られた臨時のメサイア・アルカンシエルの基地にて、豪奢なテーブルを置いたアルカンシエル達は、その机の上にツラツラと豪華なフルコースを用意する。ソテーにスープ、ワインにサラダ…埃臭い遺跡の中にあるまじき料理の数々を前に黙々と食事を摂るのは…イシュキミリだ。
「………」
「あ、あの〜坊ちゃん?」
「なんだい、セーフ」
「いやぁ豪華なお食事の数々流石ですねぇ〜!でもほら!もしかしたらもう直ぐ弟子達が攻めてくるかもですし〜!力の出る物とか食べません?ほら!ステーキとか!」
「いや、いい」
「そ、そうですか…」
「それよりマゲイア、首尾の方はどうなってる」
イシュキミリは食事も程々に口元を拭き、部屋の最奥に立つマゲイアに視線を向ける。既に計画は開始している、弟子達がどちらを選んでもいいよう、どちらを選んでも奴らが何かを失うよう努めて用意する。その為にマゲイアに各地の調整を行わせているのだ。
「ええ、勿論準備は着々と進んでおります。各地に散っていた構成員をフル稼働し南部の街全てに嘆きの慈雨生成装置を配置しており、今日の午後にも雨を降らせる事はできるでしょう、やや量は足りませんが…まぁ問題はないかと」
「そうか、だが雨を降らせるのは三日後だ。奴らに選択肢を提示し選ぶ事を強要した以上我々は約束を守る事に意味がある、何かを選んだら…選ばなかった方を即座に切り落とす、でなければショックも少ないだろ」
「まさしく仰る通りで…」
「デティフローアの様子は?」
「魔力吸引装置に組み込む形で拘束しています。魂の抜き出しはいつでも行えます…が」
「が?何か問題でも?」
「食事を食べないんですよねぇ…何にも、今日の朝も、昼ごはんも」
「……フンッ、別にいい。奴の余命もあと三日だ、水だけ飲ませておけばそれでいい」
経過報告を聞き、イシュキミリはくだらないとばかりに鼻を鳴らす。食事を摂らないなら摂らないで構わない、どうせ三日後には死ぬのだ、なら好きにさせればいい。そう考えながらイシュキミリはワインを一口飲み…ふと、思い出す。
「御意に」
「他には、そうだ。クライングマンはどうした?奴は帰ってないのか?」
クライングマン、奴の姿が見えないのだ。奴もまたデティフローアの治癒で回復している筈。だが結局イシュキミリが回収に向かった時にはいなかった、もしかしたら先に帰っている物と思っていたが。
「え?クライングマン?…いえ、まだ帰っていませんが、奴も捕まったのでは?」
「いや、そうとは思えんが…」
ふむと顎に指を当てて考えるが、クライングマンがどこに行ったかなんてのはわからない。アイツはそもそも何処から来て何をしたがっていたのかも私には知らされていない。先代会長ファウスト師匠の時代から居て、…噂じゃメサイア・アルカンシエル黎明期からいたと言う噂もある。
そんなアイツが、何処かへ逃げるとは思えない。一人で離脱して何処かで魔獣にでも食われたか、それか野生化したかだな。
「まぁいい、計画は恙無く進めろ、三日後に事が起こる。だから…」
『イシュキミリ!』
「……ようやく来たか」
すると、部屋の扉を開けて、ずかずかと入ってくるのは…イシュキミリの暴挙を前に怒る義人が一人。カルウェナンだ、彼がイシュキミリの計画を聞きつけて激怒し乗り込んできたのだ。
「イシュキミリ!聞いたぞ!…貴様、狂ったか!」
「どの件を聞いた、魔術導皇の処刑か?父親の殺害か?それともマレウス全土に雨を降らせる事か」
「全てだ!お前は魔術無き世に理想を見たんだろう!?これが…今やろうとしている事が理想に通ずる事か!?何を考えているんだお前は!」
「……私の理想は、否定された。デティフローアの存在によってね、私はどうやら間違った存在のようだ」
「だからなんだ、間違った理想を抱く事が罪であるなら、そもそも魔女排斥は成り立たん…人は理想を抱く物だろ、そこに正誤も貴賤もない筈だ」
「フッ、なんだ随分優しいじゃないかカルウェナン。だがね…もういいんだ、私は理想に寄りかかり過ぎた、自分の行いを正当化するのに理想を言い訳にし過ぎた、だから…私はもう理想には依存しない。全てを壊し、その上に自分の理想を築くよ」
「お前………」
カルウェナンは絶句する、イシュキミリの有様とその瞳を見て…言葉を失う、そして…睨みつけるのは。
「マゲイアァ…貴様、これが望みか…ッ!!」
「あら、なんのことかしら?」
「惚けるな…と言いたいが、小生も責められる立場ではない…」
「あら?」
カルウェナンは静かに頷く、マゲイアに対する怒りはある。イシュキミリを陥れこんな状態に持っていく事がマゲイアの狙いである事は分かったと…だがそれを責めるには自分はあまりに好きに動き過ぎた。イシュキミリの事で怒る権利は自分にはない。
「イシュキミリ、戦うのか?魔女の弟子と」
「ああ、きっとな」
「なら小生を好きに使え、今回ばかりは…小生自身の道は関係ない」
「何?…いいのか?」
「お前が理想を捨て、信念を曲げて戦おうと言うのだから…小生も共にしよう。それこそが小生なりの忠誠の示し方だ、小生はお前の騎士なのだからな」
「…………」
「だが忘れるな、イシュキミリ。お前は一人で戦ってるんじゃない、お前は何処まで堕ちようとも…それでもついて行きたがる者はいる。お前はそう言う奴らの…希望だと言う事を忘れるな」
「希望……」
そう言ってカルウェナンはイシュキミリの視線を誘導するように、部屋の片隅に顎を向ける。そうして視線を移した先にいたのは…。
「坊ちゃん…」
「会長ぅ…」
「セーフ、アナフェマ…」
所謂新参組、ミスター・セーフとアナフェマ。先代会長時代から居た配下であるカルウェナンやシモン、マゲイアとは異なりイシュキミリが会長になってから、イシュキミリについていくと言ってくれた二人が、不安そうにこちらを見ている。
……何故、二人はあんなにも不安そうなんだ。あんなにも不満そうなんだ、違うだろう…私は二人にあんな顔をさせたいんじゃない。そうだ、私が魔術廃絶を目指したのは自分の為だけじゃない、あの二人のような─────。
「そ、それよりイシュキミリ様ぁ〜!お話ししたい事がいろいろありましてぇ、このままでは計画が上手くいかないかもしれないんですよぉ〜」
「ん、そうか…分かった。現場で話そう」
しかしその瞬間マゲイアが慌てた様子でイシュキミリとセーフ達の間に割って入り何やらチャカチャカと手を振るう。何やら重要な話があるようだ、なら今は考える前に動かなくては。
「カルウェナンの奴…余計な事を言いやがって…」
「ん?どうしたマゲイア」
「いえいえ〜、ささこちらに」
「ああ」
そうして、イシュキミリは部屋を出て…計画の陣頭指揮に向かう。カルウェナンもまた何処かへと去っていく。そうして部屋にはセーフとアナフェマだけが残され…。
「せ、セーフさん。これで…いいんでしょうか」
「………分かりませんねぇ」
二人は、迷う。二人はイシュキミリの在り方と『約束』に惚れ込んでここにいる。だが今は…なんだか自分達の惚れ込んだイシュキミリが消えていっているような感覚に、不安を覚える。
「このままじゃ、会長…く…く…狂ってしまうんじゃ」
「……それでも、私達に出来る事は坊ちゃんを支える事だけじゃないでしょうか…」
「うう…」
「大丈夫、きっと…この計画を終わらせたら、坊ちゃんもスッキリする筈ですよぉ、それでまたいつも見たいに戻って…それで、また……」
不安だ、不安だ、恐ろしい、イシュキミリと言う素晴らしい人間が失われるのは恐ろしい、けれど…それでも、例えイシュキミリが地獄へ堕ちようともついていくと覚悟した二人は、ついていく覚悟を決める。
地獄を踏み越え、怨嗟を振り早い、血を濯ぎ落とした先にこそ…きっと理想が、イシュキミリの理想があると信じて…。
「だから勝つんです、絶対に。魔女の弟子達が来ようとも…計画の遂行をさせる。計画が終わればきっと坊ちゃんも戻りますから」
「は、はい…ですよね。勝ちましょう…会長の為に」
勝つ、乗り越える、地獄を踏み越えその先に行く。何者にもその邪魔はさせない…そう覚悟した二振りの刃は己を研ぎ澄ませる。是が非でも…勝つと
……………………………………………………………
『───と言う作戦で行く、決行は三日後。それまでにみんな戦いの支度を済ませておいてくれ』
ラグナさんが語ったのは決戦の段取り、僕達はこれからメサイア・アルカンシエルと最後の戦いに挑むことになる。全面戦争の為の条件は整った、後はいつものように戦いの支度を整えるだけ…。
三日後、動くのは三日後。デティさんを待たせることになるけどその事に関してエリスさんは。
『分かってます、エリス一人の我儘では何も変えられない事を。だから…支度しますね』
悲しげな顔で語るエリスさんは、ともかく打ちひしがれている様子だった。デティさんを守れなかった事を割り切れずにいるようだった…けど、落ち込んでるのは僕も同じなんだ。
「信じられませんよ、イシュキミリさんが裏切ってたなんて」
「え?」
僕はアマルトさんと一緒に燃え尽きた館の跡地にやってきた。戻ってきて、トラヴィスさんが亡くなった事を聞いて…ショックを受けたが、それ以上にメサイア・アルカンシエルのボスがイシュキミリさんで…しかもトラヴィスさんを殺した犯人だなんて、みんなから聞かされても僕は受け入れられなかった。
「あー、お前は魔力覚醒の修行をイシュキミリにつけてもらってたな」
「はい、優しくて…的確で、あんないい人が…敵だなんて信じられません」
僕は敵対したイシュキミリさんとまだ一度も会ってないから、見てないから、まだ実感を持てていない。僕の中ではまだ…一緒に修行してくれていたイシュキミリさんで認識が止まっている。
けどアマルトさんはそう言うわけでもないようで…。
「お前、大丈夫か?嘘とか教えられて魔力覚醒から遠ざけられてんじゃねぇの?」
なんて、言うんだ…けど僕は。
「そんな事!あり得ません!」
違うと思うのだ、イシュキミリさんがそんな嘘を教えて僕の不利益になるような事を教えるわけがないと、大声で主張してしまうくらい…彼は真剣に──。
「うぉっ!?キ…キレんなよ」
「あ!すみません…でも、あり得ないですよ。そんなの」
「そうなのか?」
「はい、だって…実感がありましたから」
目を閉じても思い浮かべる事ができる。
魔仙郷で、彼は僕に多くのことを教えてくれた。魔力覚醒のコツ…魔力覚醒とはなんなのか、僕が勝手に一人で思い込んでいた勘違いを訂正して、丁寧に…手をとって。
『ナリア君、君には才能がある。なんて言ったら君は自信よりもプレッシャーを感じてしまうだろうね』
『けど、君には確かに何かを成し遂げられる輝く才覚を感じる。きっと魔力覚醒に辿り着ける、その為の一助に私がなるよ』
『そう、私がついてる。そうそう、魔力はそう動かすんだ…それでこう言う風に──』
僕は役者だ、それも超一流の。ここは自信をもって言える、だから他人が演技をしていればそこを見抜く事ができる。そんな僕が何故彼の裏切りに気が付かなかったか。
そんなの決まってるよ、僕に魔術を教えているイシュキミリさんは…本当に心の底から楽しそうにしていたんだ。あの人は誰かに何かを教えるのが好きな…優しい人なんだ。
それがメサイア・アルカンシエルに与して大勢の人を殺したなんてあり得ない。あの雨を降らせたのは絶対…彼の意思とは関係のない何かが働いたからだ。でもきっとあの人はその事にも責任を感じる筈だ。
だから僕はこの戦いで…イシュキミリさんをやっつけてやろうとは思っていない。ただ…伝えたいんだ。
「イシュキミリさんはきっとやり直せる。あの人は…ただやり方を間違えただけ、魔術のない世の中もあの人が本当に望むならいいものにだってなる筈ですよ。だから…もう一度、ちゃんとしたやり方で前を向いて欲しいんです、僕は」
「……お前は優しいよな、ナリア。こんな事になってんだぜ?…親不孝モンの俺が言えたことじゃねぇけどよ、アイツは親殺してんだ」
「それは………」
「行くとこまで行った人間に、今更振り返って鑑みろってのもなぁ」
それはそうなんだよな、アマルトさんが言うように僕は燃え尽きた館を見る。本当に…イシュキミリさんがやったのか、これを。やってしまう程に…今のあの人は追い詰められているってことじゃないのか。
「あの、トラヴィスさんは…」
「もう埋葬済みだよ、つっても…『全部』を墓に納められたかは分からんがな」
「……そうですか」
「『そうですか…』って言いながら館に入ってくなよ危ないぞ!」
どうしても、気になる。トラヴィスさんがイシュキミリさんにただ殺されるとは思えない…実力的にもそうだが、それ以上に自らがイシュキミリさんの手で殺されればどうなるかなんて分かる人だ、それがイシュキミリさんに消えない傷になることを理解出来る人だ。
だから、気になるんだ。殺された瞬間…そこに何があったかを。
(ここが廊下なら、執務室はこっち)
僕は焼けて空が見えるようになった炭の廃墟を進み、トラヴィスさんがいたであろう執務室へと向かう。炎はどうやらかなりの物だったらしくその殆どが焼けてしまっているが、色々と原型を留めているものはある。
それらを道標に、僕は執務室へと辿り着き…。
(ここでトラヴィスさんが…)
黒い部屋、炭の匂い籠る部屋、それらを踏み締め色々と見回す。トラヴィスさんはいい調度品を使っていたんだろう。ここは特に色々と燃え残っている。
(もし、もしも…僕が思う通りなら)
僕は歩く、炭を踏んで部屋の奥へ。燃え残った机の前へ、そして…その机の戸棚を引こうとするが取っ手が崩れてしまう。なのでそこら辺の硬い残骸を使って戸棚を崩して中を確認する。
一つ、二つ、三つと棚を壊して中身を確かめると…。
「やっぱりあった」
「おうナリア〜、何してんだよ」
「アマルトさん、見てくださいこれ」
「ん?何これ」
「棚の一つに箱が入ってました、そしてその箱の中にこれが…」
それは、木箱に納められていた紙…その中身を読んで僕は確信する。トラヴィスさんが残した…遺言書だ。
「遺言書です」
「遺言…?そんなモン残ってたのか?」
「トラヴィスさんはソファの上で亡くなってたんですよね。つまり事が起こってからもある程度動けてたって事です。きっと炎の中で…これを書いたんだと思います、だって…そう書いてありますから」
僕は、遺言書を確かめる。トラヴィスさんならこう言う物を残していて然るべきだと思ったから、炎の中にあって…なお燃えない箱と棚の中にこれを隠して。
「なんて書いてあるんだ?」
「あの場で起きた事、そして…イシュキミリを、頼むと」
そこにはあの場で起きた事の真意とトラヴィスさんが何を望んでいたかが書かれていた。けどこれは…きっと、みんなに見せるべきではないのかもしれない。
どうあれ僕達はイシュキミリさんを倒さなくてはならないし、きっとイシュキミリさんも止まれない。だからこれは僕の胸にしまっておく、そしてイシュキミリさんに見せるんだ。
それがきっと、彼に対する最も強い罰になる。どうしてあそこでトラヴィスさんが殺されて、イシュキミリさんがトラヴィスさんを殺してしまったと思ったのか…。
イシュキミリさんはきっとトラヴィスさんは、父は自分を罰すると思ったんだ。けど…本当は───。
(本当に…イシュキミリさんもトラヴィスさんもデティさんも、みんなみんな真面目過ぎますよ…)
みんなみんな真面目過ぎる、みんなみんな悲しいほどに真面目過ぎる。それがこんな悲劇を生んだのだ。
「え?見せてくれないの?」
「見せません」
「えぇ…でもまぁいいか、ぶっちゃけ事の真相なんざ後でいい。今は…イシュキミリ達をなんとかする為に戦わないとな」
「はい、絶対…イシュキミリさんを、助けます」
もしここに書いてある事、トラヴィスさんが最後に思った事が本当なら…本当に許せないのはイシュキミリさんではなく、別に居る。
僕はそいつが許せない、鳥肌が立つほどに許せない、今までの人生でこれほどまでに許せないと思ったのは初めてだ。
絶対絶対、そいつは…僕が倒す。
………………………………………………………………
「デティの居場所も分かった、嘆きの慈雨をなんとかする『作戦』も整った、なら後残る問題は一つだよな、みんな」
ラグナは語る、決戦を前にして残る問題は一つであると。
「ここまでの過程で相手の存在は判明している。肉体的超人の金庫頭ミスター・セーフ、現代呪術使いのアナフェマ、特級の魔術使いマゲイア、そして…」
「エリス達を遥かに上回る達人カルウェナン…ですね」
「ああ、全員洒落にならんくらい強い。そしてデティを助けるにはこいつらを倒さねぇとそもそもイシュキミリのところにすら辿り着けない、だが…現状じゃそれも難しい、特にカルウェナン…アイツは今まで戦ってきた奴等とは次元が違う」
エリスとラグナ、メルクさんとネレイドさん、そしてメグさんの五人は踏み込む…魔仙郷に。残る問題は純粋に…エリス達が勝てるかどうかと言う部分にある。敵は強い、特にカルウェナンは別格に強い。
今、エリスが奴と戦って勝てるかと言われれば…怪しい。アイツはエリスと戦っている最中も全く真の実力を見せているようには見えなかった。こっちは後先考えず全部つぎ込む勢いで戦ってたってのに…まるで勝機が見えないんだから、笑えてくるよ。
だから…これは最後の準備。
「俺達は是が非でも勝たなきゃなんねぇ、だから…この三日!死ぬ気で鍛える。もう修行不足は言い訳にならねぇ、トラヴィスさんが残してくれた教えを…完成させるぞ」
「はい、と言いたいですが…たった三日でどれだけ強くなれますかね」
「新たな技を編み出したりとかは出来そうにないな」
残された時間はたった三日、それまでにカルウェナンの領域まで辿り着けるかと言えば正直難しい。奴に勝つには後一年位時間が欲しい。
「分かってる、カルウェナンを超えるのは無理だ。悔しいがアイツは今の段階で戦っていいレベルの男じゃない…だから俺たちがこれから修行するのは、技じゃない」
「技じゃない?ならなんですか?」
「魔女八手型…つまり連携だ」
それはかつてエリス達が完成させた陣形の事、シリウスと戦う為に八人全員の連携を高めた時使ったエリス達の陣形だ。
「俺達はカルウェナンと全員で戦い負けただろ?」
「そうなのか?」
「そう言えばメルクさんはカルウェナンの正体を知りませんでしたね…」
「話の腰を折るなよ、…俺達はカルウェナンと八人で戦い負けた。正直その時の連携はボロボロだったと俺は思っている。それは連携を形作った頃から俺達自身が強くなったせいでそれぞれのできる事が大幅に変わったからだと俺は思っている」
「なるほど、成長して靴のサイズが合わなくなるような物でございますね」
「多分そんな感じだ、だからこの三日でここにいる全員で、連携を高める」
なるほど、確かに四年前のエリスと今のエリス、どっちの方が強くて出来ることも多いかと言われれば断然今の方が芸達者だ、戦闘の中で咄嗟に起こす行動も今と昔では違う。だから自然と連携も噛み合わなくなると。
そこは分かった、だが…ラグナのその言い方、気になるな。
「ラグナ、その言い方…まるで」
「ああ、…正直言うと俺はカルウェナンとタイマンで勝てる気がしない。だから挑むなら原則…四人以上だ」
デティが動けないことを考えると、エリス達は七人…そのうち四人をカルウェナンに投入する、残りの弟子は三人、敵の幹部は全部で四人…カルウェナンを除くと三人。
つまりカルウェナンに四人使い、残り三人の幹部を残った弟子三人で倒すと言う形になる。限度一杯まで使ってカルウェナンを倒す、と言う形になるのか。
「誰で挑むんですか?」
「難しいところだよ、最高戦力で行くなら魔力覚醒者全員投入で行きたいけどそうもいかない、他の幹部もいる…こっちにも戦力を割く、だからやるなら俺とエリスとメグさんとナリアの四人だ」
アタッカーであるエリスとラグナ二人とメグさんナリアさんのサポーター二人の構成か。悪くない、悪くないがやはりサポーターの要であるデティの不在はあまりに痛いな。
「そう言うわけだ、一応連携の向上はここにいる全員で行うけど…いいよな」
「いいよ…じゃあ、準備しよっか」
「でございますね、私も大敵との決戦に備えましょう」
総力戦だ、この三日の準備が勝敗を分ける。となれば…出来ることは今のうちに全て終わらせておきたい。
「よし…」
これから修行だ、そう思いエリスは軽く柔軟をしていく、すると…。
「ぶぇっくしょい!」
「可愛くないくしゃみでございますね、エリス様」
「ずずっ、肌寒い」
大きなくしゃみが出てしまう、いや別に寒いわけじゃない、どちらかと言うと蒸し暑い…それでもくしゃみが出てしまうくらい肌寒く感じるのは。
「そう言えばエリス、いつも着てる上着がないな」
メルクさんがエリスの変化に気がつく。そう…コートがないのだ、コートはクライングマンとの戦いの最中にデティに貸したきり。見たところ捕まっている今も着ているようだったし…今エリスのコートは敵陣のど真ん中にあるんだ。
回収は出来ない。だからしたのシャツだけで行動してるんだが…いつも着てる上着がないと肌寒い。
「コートがないのか」
「はい、だからなんか調子が出なくて」
「ふむ、メグ」
「はい、でしたら帝国側で代用品をご用意しましょう」
それはありがたいがコートはエリスにとってただの衣服以上の存在だ。大切な物と言えばそれはそうだがそれ以上にあれは防具としても優秀、ただの皮のコートを着て感覚が狂うくらいなら何も着ない方が…いや待てよ。
「そうだメグさん、『アレ』頼めますか?」
「アレ?ソレ?コレ?ドレ?」
「ほら昔エリスに貸してくれたアレですよ、アレ」
「ああ、アレ……えぇー、嫌かも…」
そんなこと言わないでくださいよ、エリスが着た物の中ではあれはコートに次ぐ優秀な防具だった。だからアレを貸して欲しいと頼み込むと彼女は不承不承と承服してくれる。とりあえずアレがあるならそれでいい。後は……。
『……で、……なんだよね』
『そりゃ……、だよな……』
「ん?」
ふと、エリス達が上着の話をしている間、ネレイドさんとラグナが何か難しい話をしていることに気がつく。
「どうしました?二人とも」
「ん?ああ、実はネレイドさんがトラヴィスさんに教えてもらった技をまだ上手くものにできないってさ」
「教えもらった技ってアレですよね、特殊防壁」
「うん、それが難しくて…ってなんでそんな顔するの」
にゅっとエリスは顔をしかめる。なんでだと思う?そりゃエリスもトラヴィスさんに魔法を教えもらいたかったのにネレイドさんばっかりずるいなって思ったからですよ。別にネレイドさんは何も悪くないですけど。
「特殊防壁をやろうと思うと、魔力消費が多くなり過ぎる。この点をトラヴィスさんに教えてもらいたかったんだけど……そうもいかなくなっちゃったし」
「魔力消費に関しちゃ俺からアドバイスできることはねぇかな、俺あんまり魔力使うタイプじゃないから…」
「なるほど、消費が…」
ウンウンとエリスは話を聞いて首を縦に振り考える。消費が激しいのが今の悩みか…うーん?でもネレイドさん、それおかしくないか?…。
「ネレイドさん、それ悩む必要なくないですか?」
「え?なんで」
「いやなんでって…ネレイドさんは────」
悩む必要はない、そこは。だから言ってみる、エリスの考えを…するとそれを聞いたネレイドさんは。
「あっ!」
と口を開けて手を打つ。どうやら…思い出したようだ、ネレイドさんには魔力消費を考えなくてもいい手段があること。そう…それは。
「魔力覚醒でいくらでも魔力を用意できた…」
そう、ネレイドさんの覚醒は魔力を無限に用意できる。霧で世界を騙し魔力としての機能を付与する事ができる。だが魔力を無限に用意出来るだけで自信が元々持つ魔力自体は回復しないと言うややピーキーな性能だったこの特性…コレを使えば、少なくとも使用魔力の大きさの問題は即座に解決だろ?
「ごめんエリス」
「え?なんで謝るんですか?」
「私最強になっちゃったかも」
「ほほぉ〜〜!」
な〜んかすげ〜こと言い出したぞ?最強になった?そりゃあ〜また、すげ〜な!上等ですよ、エリスの冥王乱舞に勝てますかね?ん?ん?
「そんなことありませんよ、エリスの冥王乱舞が最強ですから」
「ううん、私がトラヴィスさんから教えてもらった『開門防壁』が最強だよ」
「なんでございますか皆様何やら面白い話をしていますが多分最強は私の不法投棄戦法でございますよ」
「おいメグ乗るな、だが…まぁなんだ、私のディー・コンセンテスの前では、多分みんな霞んでしまうな」
エリスとネレイドさんが言い合っているのを確認し、メグさんとメルクさんも混ざってくる。自分が持つ技こそが最強だと…みんなこの修行期間で新たな技をいくつも身につけた。みんな一段上の段階へと昇ったんだ、だからこそ自分の技に自信があるんだ。
だから、負けたくないんだよ、最大のライバルには…同じ魔女の弟子には。
「おいみんな、言い合うなって…それより早く連携の修行を…」
「いいえラグナ!その前にタイマンさせてくださいネレイドさんと!最強はエリスの冥王乱舞だって先に証明しないと集中できません!」
「い、いや何言って…」
「いいよ、かかってきてよエリス…相手する」
「上等じゃい!」
「私も混ぜてくださいませエリス様ネレイド様!」
「面白くなってきた!私もやるぞ!」
「みんなも…だぁ〜クソ!言うこと聞けや!俺が最強じゃオラァッ!!」
だからまずは連携の前に…どっちが上か、決めとこうやとエリス達は早速全員で殴り合いを始める。
………そうして三日の修行期間が始まった、これが最後の修行期間。運命を分ける戦い前夜。
必ずデティを助ける為に、今はただ…耐える、デティのいないこの時に。
だからデティ、もう少し待っていてくださいね…エリスは絶対、貴方を助けますから。