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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十七章 デティフローア=ガルドラボーク
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612.魔女の弟子と魔界の様相


エリスは死んだ、臨死体験というのは何度かしたが文字通り本当に死んだのは初めてだった。凄まじい痛みと共に思考が白くなって、意識が体から離れ霧散していく感覚。そして白くなった意識はやはりシリウスのいる真っ白空間へと飛んだ……。




「え……!?」


意識を失い、例の白い空間へと飛んだエリスは気がついたら…あの巨大な扉の前に座るシリウスの前に立っていた。そしてシリウスはエリスを見るなりギョッとして。


「え!?お前死んだんか!?」


なんか言ってる、嗚呼…意識が明瞭になっていく、やはりエリスは死んだのか。


「どうやらエリスは、ミスったみたいです」


「ミスったってお前、そんな…え?ワシ混乱してる。お前そんなあっけなく死ぬんか」


「デティを守ろうとして、ミスりました。アレはカスパールでしょうか…そうだよな、デルセクト製の銃をソニアから仕入れているなら弾丸も仕入れているか…」


「え?ワシ無視されてる?」


ミスをした、そりゃ何か一つをミスすれば死ぬような生き方をしていたが、そうか…そんなにも幸運は続かないか。だが悔しさはない、デティを守れたなら…それでいい。


「シリウス」


「おう?」


「どうやらエリスは死んだようです、貴方と決着をつけられなくてすみません」


「あ?ああ、まぁ…なんじゃあなんか張り合いないのう」


シリウスの顔を見ても、敵意が湧いてこない。それはもうエリスが死んだからだろう、これ以上現世に関わることがないと思えば…途端に全てが他人事のように思える。そうだ、折角だ、シリウスに聞いてみよう。


「ねぇシリウス」


「うげぇ、お前がフレンドリーに話しかけてくるとなんか嫌じゃあ」


「もう死んだんだし、敵意剥き出しにしても仕方ないでしょ、それより聞きたいことがあるんです。隣座ってください」


「ふむ、まぁええが」


そうしてエリスは真っ白な空間でシリウスと共に地べたに座り話をしてみる。こいつと穏やかに話す状況なんてのはかなり珍しいしな。四年前はあれだけ鎬を削った仲だがそれでもエリスはコイツを一人の魔術師として尊敬している。


だからこそ、聞いてみたい。


「エリス今、魔術を否定する奴らと戦ってるんです」


「ほう、そんなのと戦って殺されたんか。無様じゃのう」


「怒らないんですか?魔術は貴方が作った物でしょ?それを否定されて…貴方ならうぎゃー!って怒るかと思ったんですけど」


「別に……」


シリウスはどうでも良さげに頭をポリポリ掻いて鼻くそをほじる。コイツは…人と話してる時に何をしてんだ、いやそれ以前に怒らないのか。


「ワシはのう、魔術は力無き者に選択肢を与えるために魔術を作った。当時は魔法が使える者が絶対じゃったからのう、才能才覚に左右されず鍛錬で誰しもが選択することが出来る世を作るために魔術を作り広めた」


「話には聞いてましたが貴方本当に昔は立派だったんですね、今はこんななのに」


「茶化すな、それで…その選択肢の中には魔術を使わない、否定するというものも含まれておる。ワシは提示しただけで強要はせん、否定したいたらすればいい。そっちの方がいいならそれでいいじゃろ」


なんか、コイツは本当に…考え方というか物の捉え方が人並み外れている。本当に神様みたいな思考や視点を持っているな。選択肢か…そうか、魔術は選択肢一つでは無く選択肢そのものなのか。


「お主にとって魔術とはなんじゃ?」


「え?」


ふと、シリウスがこちらに視線を向ける。エリスにとって魔術とは何か…戦う術、いや違うな。エリスは魔力がなくなって魔術が使えなくなっても戦った、なら師匠との繋がり?いや魔術なんてなくても師匠とエリスは師弟だろ。


……エリスにとって魔術ってなんなんだろう…。


「なんじゃあ答えもないのか、くだらんのう。話振ったならこれくらい答えてみせんか」


「む…」


にしてもやはりこいつの物言いはムカつくな、言い方がいちいちトゲトゲしてて腹立つんだよなぁ、しかもなまじ正論だから言い返せない。


「良いか?エリス、お前の今いる段階は研ぎ澄ます段階を過ぎている、ここから先は如何に『疑問』に『答え』を持てるかにある。『疑問』とは探究心を煽り原動力となる反面迷いとなる、迷いを振り払い到達した領域にこそ『究極』がある」


「答え……」


「故にどんな事にも思考を挟め、考え取り敢えず答えを持て、即ち迷うな」


…答えか、確かに言う通りだ。答えも持たず進み続ける怖さはエリスもよく知っている、答えがあるからこそ、自分を信じられる。そうか…そうだな、シリウスの言うことはもっともだ。


だが!


「やめてくださいよ師匠ヅラするの、エリスの師匠はレグルス師匠だけです」


「お前なぁ〜、ワシが薫陶を授けるなんてメチャクチャ珍しいんじゃからなぁ〜、と言うかお前の師匠の師匠はワシじゃ!」


「関係ありません」


「ケェーッ!…しかし惜しいのう、やはりお前は弟子に欲しいぞエリス」


「無駄ですよ、もう死んだので」


はぁー、しかし死んだのか…師匠に追いつくって言う約束を守れないのは悲しいが、なんでだろうな。エリス…悔いとかないな、みんなを置いていくのは悲しいが悲しいだけでなんとしてでも現世に戻ろうとは思えない。


不思議な感覚だ、自分でも言葉にできない、なんだろうこの感覚は…、


「そうだ、他にも聞いていいですか?貴方ガオケレナを使って復活するつもりですよね?どうやってやるんですか?他にも復活への手立てとか考えているんですか?」


「クソボケが貴様。言うわけないじゃろうが」


「なんでですかーいいじゃないですかーもう死んだんだし…ん?お?」


「ほん?どうしたエリス」


なんだ?その感じ…なんか…向こう側に体が引っ張られている、気がする…なんだこれ。


「引っ張られてます、向こう側に」


「向こう側?現世か?」


「はい…もしかしてエリス、一命取り留めていたのかな…よかったぁ〜!デティが治してくれたんだ!」


(……いや、違うのう。エリスは間違いなく死んでおったはずじゃが)


まるで糸に引かれるようにエリスの体は現世へと招かれていく。よかった!まだ戦える!まだ守れるんだ!みんなを!流石はデティだ!あそこからエリスを救ってくれるなんて!


「じゃあシリウス〜!また今度〜!いや貴方の計画全部潰すんでもう会えないかもしれませんね〜!」


「言っとれ、どうやって復活するつもりか…それはまた現世で話すとしようぞ」


「あはは、吐かさないでくださーい」


そうしてエリスは、光の穴の中に引っ張られ…この白獄の中より消え失せる。そんな中、シリウスは一人巨大な門…幽世の門の前で座り込み、顎を撫で考える。


「おかしいのう、エリスの魂は完全に肉体とのリンクを外れ死んでおったはず。アレが再び現世に舞い戻るには…生き返るより他ない」


考える、エリスの身に起こった現象を。魂と肉体のリンクは一度失われれば再び繋がることはない、それを治癒で留めることは出来ない。即ち死者蘇生…ワシでさえ到達し得なかった領域。


と言うより手を出さなかった領域。難しくて…というよりあまりにも複雑過ぎて作るのが面倒だったんじゃ、とても作るだけの時間を確保出来んかった。このワシでさえ完成には三千年近くの時間を要する筈の大魔術。あの頃は既に魔女達とバチボコにやり合ってる最中で死者蘇生を開発する余裕がなかった。


おかげで今ワシはこうして現世に戻るのに苦慮しておるんじゃが…。


(あり得んのう、ワシでさえ三千年かけねば作れぬ領域に至る人間が現世にいるとは思えん…が、事実としてエリスは今生き返った。ふむ…誰がやったかは知らんが随分根気がある奴がいるんじゃのう)


魂を再構築する魔術式を編み込むのは難しいと言うよりただただ面倒臭い上につまらない、そんなのを淡々と編み込み作り上げるとは…ふむ。


「しかしぃ、死者蘇生の使い手が現世にいるとはのう、良いことを知ったぞ…ぐふふ」


己の手を見る、そこには透けて存在感が希薄な手がある。ワシは今魂だけの状態じゃ、肉体とのリンクは失われておらんが肉体の中に魂がないが故に死んでいる状態にある。もし死者蘇生を手に入れられたら…ワシはそのまま魂を肉体に戻せるのではないだろうか。


いやでもバラバラにされとるしのう、その場合の挙動はどうなるのか、まぁええ。一応…復活のプランの中に組み込んでみるか。


今は本命が『二つ』稼働中じゃ、こっちが上手くいけば死者蘇生魔術など必要にもならんがな。


…………………………………………………


「エリス!エリス!おい!起きろよ!」


「ん…んん、んはっ!!」


唐突に引き戻される意識、まるで水中からいきなり引っ張り出されたようにエリスは微睡から意識を取り戻し息を吐きながら起き上がる。同時に見えるのは明るい光、記憶を辿れば…確かさっきまで夜だった筈。


どうやらエリスは街中で眠ってしまっていたようだ…って。


「ラグナ?」


「ビビったぜ、エリス。胸から血ぃ流して倒れてんだから…」


横を向けばそこには青い顔をしてぶふぅーと安堵の息を吐くラグナの姿があった。そんなラグナが指を差すのはエリスの胸…そこには。


シャツが真っ赤に染まり、小さな穴が空いていた。それを見れば嫌でも想起する、あの弾丸に撃ち抜かれる瞬間の激痛と焦燥、やはりエリスはあの時死んでいた筈だ、感覚を思い返せばエリスが今まで味わってきた重傷とは位が一つくらい違う…致命傷に類する物であったと実感できる。


間違いなく死んでいた、ならどうやって現世に戻ってこれたのか。少なくともエリスは知っている、他のみんなはどうかは知らないがエリスは知っている。


(死者蘇生魔術を使ったんだ…)


あれはデティと出会ったばかりの頃の話、攫われたデティを助けるためエリスとナタリアさんは二人でレオナヒルドに戦いを挑み、バルトフリードの不意打ちを受けたナタリアさんが致命傷をもらったんだ。


そしてナタリアさんが息を引き取る寸前で、デティは彼女を蘇生した。あれは死者蘇生魔術だった…治癒魔術とは違う物だと今なら断言出来る。


あの時はなんとも思わなかったが、多くの魔術を見て多くを知った今なら言える。あれは異常な技だ、シリウスだって出来ない芸当だ。それをデティは五歳の頃から使っていた…。


(デティ……)


あの時とは異なり完全に死んだエリスを生き返らせるなんて…デティって一体なんだんだ、幼馴染だけどちょっとわからなくなったよ。


「大丈夫なのか?胸に傷があるけど…」


「問題ありません、デティに治してもらいました。それより状況は?」


「ああ、…まぁこっちは問題ねぇとは言えねぇかな。ゴブリンもどき共のせいで街はメチャクチャだ、けど…幸い怪我人はいない」


「おお、流石はラグナですね。みんなを守ったんですか?」


「いや、俺じゃねぇ。デティだ」


「デティが?」


その後、ラグナの話を聞いてエリスは状況を理解した。なんでもエリスが死んだ直後嘆きの慈雨が降ったらしく、ラグナ達はその雨に打たれみんな死ぬ寸前まで行ったそうだ。だがそこをなんとかしたのがデティだ。


天に登り雨と共に継続して治癒を放ち街の人間全員を治し続けたらしい。お陰でゴブリン人間達により傷を負った者達も全快したらしい。が、嘆きの慈雨がもたらす苦痛はラグナ達でも耐えられる物ではなかったらしく。街の人達も仲間もゴブリン達もみんな苦痛に苛まれ意識を失ったそうだ。


で、気がついたら朝。一応確認したら死者はなし、街のゴブリン人間達は気絶している間にアマルトさんが変身呪術で全員纏めてネズミに変え、今は木箱の中に収監中らしい。


「クライングマンは?」


「クライングマン?誰だそれ」


「居なかったんですか?そこの瓦礫で倒れてたやつで…エリスを傷つけた奴です」


「いや……俺が来た時にはお前だけだったが」


チラリと瓦礫の方を見ると、既にそこにクライングマンの姿はない。どうやら奴はまんまと逃げ仰せたようだ、仲間が捕まっても自分だけ逃げる…か、大層な奴だ。


だが逃したか。正直奴の身柄は押さえておきたかった。情報が取れるとか以前にデティを苦戦させる程の実力者だ、奴がまた敵のところに戻り戦線に復帰したら…面倒になる。だが逃してしまった以上追うのも難しい。ここは諦めるしかないだろう。


「分かりました、じゃあ取り敢えずみんなで集まりますか。状況が悪いとのは把握しましたので今後の対策を館で話し合いましょう」


「あー…えっと」


「え?ラグナ?どうしました?」


館で話し合おう。そうエリスが言い出すと彼はなんだか言いづらそうに頬を掻き…真剣な眼差しでこちらを見る。


「それがなエリス、さっきは死者は出てないと言ったが…それは街の人って意味で、実は一人、死人が出た」


「え?…え!?誰ですか…!?」


「……………」


そう言ってラグナは振り向きながら、背後に見える…街の奥。この街のシンボルたる…トラヴィス邸を見る、いや正確に言えば…トラヴィス邸があった場所。


「え…!?」


エリスは目を剥く、そこにある筈のものがなかった。代わりに…巨大な炭の残骸がそこに屹立しており、あれじゃあまるで…トラヴィス邸が火事に見舞われたみたいで…。


「実は、トラヴィスさんが…何者かに殺されたみたいなんだ」


「ッ……」


その言葉を聞いた時、エリスは『トラヴィスさんが殺された!?』とか『誰が殺したんですか!?』とか『絶対イシュキミリ』とか…そう言う疑問が思い浮かんだのではなく。


『デティはそのことを知ってるのか、デティは落ち込んでいないのか』…そこだけが心配だった。


………………………………………………………


「ダメでございます」


その後エリスとラグナは燃え尽きたトラヴィス邸の様子を見に行ったところ、未だ火が燻る館の中から炭化した扉を蹴り破り中から現れたメグさんが首を振るう。どうやらラグナは内部の様子を確認するようメグさんにお願いしていたらしく…彼女は沈痛な面持ちで。


「トラヴィス卿のご遺体らしきそれを見つけました。ソファに座った状態で執務室に残っており…近くに杖がなかったところを見るに逃げ遅れたように思えます」


「………………そうか、悪い。一番辛い役目を任せた」


ラグナもまたその報告を聞いて『やはりか』と言う表情を見せつつも首を振り確認作業を頼んだメグさんに謝罪する。今、こうして言われてもイマイチ実感が湧かない、あの人が…本当に死んだのか?エリス達よりずっと強くて、エリス達よりずっと物知りで、エリス達より多くの事を考え多くを支えてきた男が、こんな呆気なく…。


いや、人は呆気なく死ぬのだ、それはエリスが何より実感したではないか。人とはボタンのかけ違えのような不運一つで呆気なく死ぬんだ。そこに実力や知識は関係ない…世界とはそれだけ残酷なのだ。


「いえ、しかし些か妙な点もございます」


「妙な点?」


「まず火元が不明です。そしてトラヴィス卿の魔術の腕なら火に囲まれても切り抜けることは出来るでしょう、防壁で熱を防ぐ事も、魔術で鎮火する事も」


「…確かにそう考えると妙だな」


「しかしトラヴィス卿はソファに座ったまま、動かなかった。もしくは動けなかったか」


「動けなかった?火に包まれた時点でトラヴィス卿は意識がなかったか…」


「或いは、その時点で既に死んでいたか…誤魔化すのはやめましょう。何者かに殺されたのでしょう」


「………何者かね、候補は一つしか思い当たらないが…だとしたら、胸糞の悪い話だぞ」


デティは言った、この街にイシュキミリが来ていたと、そして見失ったと、そしてその結果がこれ。現状最も可能性の高い人物を挙げるならイシュキミリだ、…イシュキミリだ。


あの野郎、まさか自分の親を手にかけて…。そんな顔をラグナ示し、腕を組む。だとするとエリス達はまんまと陽動に引っかかってトラヴィスさんを殺されてしまったことになるが。だがそれでも妙だよ、いくら息子とは言えトラヴィスさんがそうまんまと殺されるだろうか。


……この状況で聞くべきなのだろうか。わからない…分からないけど、聞きたい。


「あの、ラグナ…」


「ん?なんだ?」


「…デティは?」


それはデティの事、デティの姿がさっきから見えない。デティはトラヴィスさんを慕っていた、それもとても。そんな彼女がトラヴィスさんの死を知れば…きっとショックを受ける。とてもショックを受ける、だから出来ればエリスが側にいて抱きしめて慰めたい。


だが、ラグナは…やはり、暗い顔をして。


「……デティはいない」


「…なんですって?」


「今アマルトとネレイドの二人で探してもらってるが、街中で探してもどこにも居ない…恐らく、あの雨の中で唯一動けたであろうデティの動向を知る人間がこの街にはどこにもいない」


「……まさか」


ふと、エリスは館を見る。まさかデティはトラヴィスさんを助けに…。


「いえ、デティ様の持ち物は館の中に見られませんでした。デティ様はいません」


しかしそれはメグさんに否定される、だとしたら…だとしたら何処に消えたんだ。デティは…。


『おーい、ラグナー』


「ん、アマルト…どうだった?」


すると街の方からアマルトさんとネレイドさんが駆け寄って来る…が側にデティはいない。どうやら結果は…。


「ダメだ、何処にもいやがらねぇ…アイツ、多分だがこの街にいねぇぞ」


「うん、私達で隅々まで探したけど…居ない」


「……そうか、だとすると考えられるのは」


「ああ、一人で責任だなんだって言って出ていく奴だ。そこに恩師の死だろ?ぜってぇ敵討に行ったぞアイツ、しかも一人で」


「…………」


トラヴィスさんの死を前にデティが何もしないとは思えない、デティなら直ぐにイシュキミリの仕業だと気がつく筈だ、なら…デティならば意地でもなんでも絶対に敵を討ちに行く…のか?


「クソがッ!これやったのイシュキミリだろッ!なんもかんもメチャクチャにしやがって!」


「おいアマルト…」


アマルトさんは珍しく怒りを露わにしながら足元の炭の塊を蹴り飛ばし吠える。彼は細かな怒りとか不満は忌憚なく言う方だが深刻なものは飲み込もうとする傾向にある。そんな彼が飲み込まず吐き出した、あそこまで悪感情を全開にした怒り方は初めて見たので…ちょっと怖い。


咄嗟にラグナも諌めるように手を伸ばすが、アマルトさんは収まらない。


「イシュキミリに騙されてた件もそうだが…デティ!わかんねぇよ俺!言ってくれなきゃ!一人で抱えようとしやがって!どいつもこいつも俺達を蚊帳の外に追いやろうとして!被害だけ押し付けられて!やってられるか!こんなもん!」


「まぁ、そう言うなって、デティにも色々あるのさ…責任感が」


「分かってるよ、…分かってねぇ訳ねぇだろ。何年の付き合いだと思ってんだよ…なのに、ちっともほんとの事を話してくれねぇんだ、アイツ…俺ぁ、嘘の匂いが嫌いなんだよ」


嘘?デティが?彼女はエリス達を慮ってイシュキミリの件に関わらせないようにしたりしたが、嘘はついてないと思うが。それとも他に何か嘘でもつかれたのだろうか…?


「で?」


すると、アマルトさんは座り込んだまま、ラグナの方を見ると。


「返しは、するんだよな」


ギロリと燃えた瞳でラグナを見る、返し…つまり、今回の一件の報復。と言うよりいい加減奴らを止めないと…ここまでのことをやってくる連中をもう放置出来ない、何よりデティがメサイア・アルカンシエルの元へ向かったならエリス達も続かなくては…。


「勿論だ、ここまでやられて黙ってられるか。トラヴィス卿を殺されて、街メチャクチャにされて、オマケに友達傷つけられて。ここで黙ってるよう俺達は育てられていない…が、問題があるとするなら」


「実際問題、イシュキミリ達は何処へ行ったの?」


仕返しはする、だがイシュキミリは何処にいる?デティは何処にいる?何も分からない、何をすればいいかも不明、敵はアジトを複数持っている可能性が高い、それを探して回る時間はあるのか、それさえも分からない状況。


索敵に優れたデティはいない、…これはキツい。


「そうだメグ、デティを時界門で…ってもう試してるよな、そりゃ」


「ええ、やはりと言うかなんと言うか、デティ様は館を出た時点でセントエルモの楔を捨てていました、追跡は不可能です」


「クソッ…」


手詰まりか、そう思えたその時だった…。


『選択肢が必要か?』


「ッ……」


響く、声が。誰の声だ?聞き覚えのある声だ、この声は…聞けば全員が表情を険しくする声…そう、これは。


「イシュキミリ!?」


『やあ、みんな…』


バッ!と振り向くと、そこには…館の入り口だった場所に立つイシュキミリの姿が…。


「テメェッ!!」


「落ち着けアマルト!幻影だ」


咄嗟にイシュキミリを取り押さえようと立ち上がるアマルトさんを手で制するラグナは即座に気がつく。あれは幻影だ、遠方に自らの声と姿を届ける魔術。ファイブナンバーのミランダが使ったものと同じだ。


つまりイシュキミリはここには居ない、ただ…喧嘩売る為だけに姿を見せたのだ。


「お前か…ッ!トラヴィス卿を殺ったのは…ッ!」


『……ああ、そうだ』


「………」


ラグナの拳と額に青筋が立つ、エリスもだ…怒ってるよ、怒ってるさ。けど…エリスはみんなの中で最もメサイア・アルカンシエル会長としてのイシュキミリを見ている。だからこそ、言える。


(なんだこれ、まるで別人みたいだ…)


イシュキミリの雰囲気が、以前までとはまるで別人になっている。言い方は悪いかも知れないが…まるでカリカリに焼かれたベーコンみたいだ。余分な油や水気を全て飛ばし、黒ずんで細くなり、燃えるような何かを秘めて…一つの物として完成された。そんな異質な雰囲気を感じるんだ。


今のイシュキミリには、以前まで見えたような余裕とか、そう言うのがまるでない。だと言うのに纏う雰囲気が格段に重くなっている…なんだこいつ、この短期間で何があったんだ。


『そんな事を話に来たんじゃない、分かるだろう…私は君達の敵で、君達は私の敵なんだ、お喋りをしに来たつもりはない』


「なら失せろよ、テメェの顔も声も…認識したくねぇんだよこっちは』


『ハハハ、酷いなアマルト君。私はね…路頭に迷った君たちに選択肢を与えに来たんだよ』


「選択肢…?」


『ああ、お探しだろ…友を』


薄ら笑いを浮かべたイシュキミリ、何を考えているか全く読めない。そんなアイツが…エリス達を馬鹿にするようにスルリと横に退く。すると…その背に隠れていた物が露わになる。そこに居たのは…。


『え、エリスちゃん…』


「デティィッ!!」


ズタボロに傷つけられた姿で、巨大な機器に組み込まれている…デティの姿だった──。


…………………………………………………


時は一時間程前に遡る…。エリス達が目覚めるよりも前、あの雨の中でも意識を失わなかったイシュキミリは消耗したデティを捕らえ、とあるアジトへと戻ってきていた。まだ魔女の弟子達に見つかっていない中で最も大きな南部のアジト…。


そこに戻ってきたイシュキミリは、デティを再びいつかのように拘束し…今度は対等に語り合うように話しかけるのではなく、冷たく見下ろすように…一撃、殴りつけデティを起こすのであった。


「ぐっ…ぅぐっ…」


「目が覚めたか、デティフローア」


「こ、ここは…」


明滅する視界の中、デティフローアは自分が頬を殴られたこと。そして手足が拘束され、壁に埋め込まれていることに気がつく。また意識を飛ばされた…イシュキミリによって。


「イシュキミリ……!」


「そう怒るなよ、私だって君に対して苛立っているんだ。君の存在が…私にとってどれだけの物になったか」


「知るかッ!お前だけは許さないからなッ!絶対に!お前だけ──ぐぅっ!?」


「だから、喚くな」


吠えるデティの鳩尾に…イシュキミリの靴先がめり込む。鋭い蹴りが内臓を歪め…デティはゲホゲホと咳き込む。それでも許すにわけにはいかなかった。トラヴィス卿の命を奪った…この男だけは。


「ぅぐっ…イシュ、キミリ…。どうして…貴方のお父さんを」


「どうして殺したか、かい?言ったろう…道を阻んだから。いつもと同じ、そういつもと同じなんだ…私は敵対者は殺してきた、私の道を阻んだ奴は須く殺してきた、そうする事で自分の意見は世に通ると師は語った、師は正しい…だからこれも正しいんだ…」


イシュキミリは自らの顔を押さえながら、その場にしゃがみ込む。どう考えても平常には見えない、何をどう取っても全うには見えない。ヴレグメノスの殺戮、トラヴィス卿の殺害、そして…私の死者蘇生を見たことにより、何か彼の中で大切な物が崩れてしまった気がした。


「……ははは、デティ…私は父を殺したよ」


すると、何を思ったのか、或いは冷静になったのか…イシュキミリは笑いながらこちらを見る。


「そうだよ、お前が殺したんだよ…」


「ああ、私は父に隠れて魔術廃絶を目論み、メサイア・アルカンシエルを運営していた。父を騙し…父に嘘をついていた。けれどね、父の事は悪くは思っていなかったんだ…」


拳を握り、瞳に涙を浮かべるイシュキミリは…ポロポロの内情を吐露するように、震えた声で語り続ける。


「父の事は尊敬していた、信条的に相容れずとも父は尊敬していた…どうなっても父は尊敬してきたんだ。けど…父は、私の事など見ていなかったんだ」


「そんな事ない」


「そんな事ない?お前が…お前がそれを言うのか?デティフローア…私から、私から父を奪い!私に孤独を皺寄せしたお前がッッ!!」


「ぐっ!?」


手足を拘束されている私はイシュキミリの伸ばした手を防ぐことができない、首を抑えられ、頚椎をへし折ろうとするイシュキミリの手を払うことも、血走り荒い息を吐き出すイシュキミリを遠ざけることもできない。


「お前だよ!お前達なんだよッ!私から父を奪ったのは!魔術導皇!ウェヌスもデティフローアも!存在していなければ父は私の側に居てくれた!お前達が奪わなければ!父は…私を見てくれていた、ずっと!私も歪む事はなかった!」


「ぐっ…ぅっ…」


「だが父は魔術師として魔術導皇を支える生き方を選んだ!結果父は私のところに帰ってこなかった!きっと父は…私以上にお前を子供として認識していただろうよ!お前が父の愛を享受している間に私が!どんな気持ちで!あの館にいたか!分かるか!?」


「イシュキミリ…!私は…!」


「聞きたくない!……父はな、あの館で…私を殺そうとした。領主としてヴレグメノスの殺戮を行った私を殺そうとした、息子の私を!殺そうとした!お前を!守ろうとしたんだよ!分かるかよ…この気持ちが…!」


ボロボロと涙を流すイシュキミリは首を振って涙を振り払う。本気だ、彼は本気で父を尊敬していた…だから彼は、私たちと一緒に修行している最中も、悪感情を出すことがなかった。彼はあの場で…嘘なんか言ってなかったんだ。


「私は、実の父に殺されそうになった悲しみと、私を育ててくれた父親代わりを否定された怒りで…反撃したさ、殺されたくなかったからな。…その結果が……あれだ」


力が抜ける、イシュキミリはだらりと手を垂らし…項垂れる。トラヴィス卿はイシュキミリを殺そうとした、その結果が…あの惨劇。イシュキミリは殺されたくなかったから反撃した、怒りと悲しみに塗れた反撃はそのままトラヴィス卿の命にまで届き、館を焼いた…と。


結果として彼は父を殺してしまった、激情と悲観、そして殺戮により揺らいだ彼は…トラヴィス卿を、父を殺すと言う結果に終わってしまった。


その結果が、これだと…彼は語るんだ。


「全部、お前のせいなんだ。お前がいなければ…なのに、お前が死者蘇生を使えるんだから…笑っちゃうよな、どこまでもどこまでも、俺を馬鹿にしやがってッ!!」


「馬鹿になんて…してないよ」


「どうだか、私は確かにお前達を裏切ったよ。だがお前も内心じゃせせら笑ってたんだろ、魂について研究し、死者蘇生の可能性を語る私を」


「……………」


イシュキミリは表の顔として魔術研究家をやっていた、その研究内容が魂と肉体の相互関係について、つまり死者蘇生に類する研究だった。彼は…死者蘇生に焦がれていた、それは例え父の目を誤魔化す為の表の顔であれども覆い隠すことが出来ないほどに…彼は死者蘇生にこだわっていた。


そんな彼を前に、私は嘘をついた。死者蘇生が使えると言わなかった…これもまた、私のエゴによる誤魔化しだ。それが結果としてイシュキミリを歪ませる一因になった。


「死者蘇生…完成させたかったんだね」


「違う、研究をして…突き詰めて、不可能である事を証明したかったんだ。だがまぁ…ははは、それもお前のせいでひっくり返ったけどな。……忌々しい奴だよ、お前は」


イシュキミリは項垂れたまま背を向け、大きく息を吐く。その背はかつて情熱に燃えていた彼の背中には程遠い、私とは違う理想ながらも、良い世を追い求めて走っていた彼の背中とはまるで違う。


ただ、疲れた。もう疲れてしまった。そんなくたびれた寂静感を感じる背中に…私は言葉を失う。


「私にはもう何もない、何もな。…全部どうでも良くなったんだ、お前のおかげで」


「…………」


「よりにもよって魔女の弟子のお前が、私をここまで否定したんだ。なら私も…やるしかないだろ、やる事は一つしかないだろ」


「何するつもり…イシュキミリ」


彼にはもう何もない、語る理想も、思う世も、何もかもが根底から否定され、彼自身が手放してしまった。なら…何をする、彼が今も進み続ける原動力はなんだ。…分かる、今の彼はクライングマンと同じ目をしている。


「決まっている、私は…魔女排斥組織メサイア・アルカンシエルの王だ…丁度魔女の意志を継ぐ者に恨みが出来たんだ、ならやってやるよ…全部壊して、終わらせる…私と言う間違いを」


『イシュキミリ坊ちゃん…あの』


『会長……?』


すると、部屋の扉を開けて入ってくるのは、いつか見た金庫頭のセーフと陰湿女のアナフェマの二人だ、二人は何やら怯えたように身を寄せ合いながら…扉を開けて現れる。それを見たイシュキミリはにへらと笑い二人を歓迎する。


「出来たか?二人とも」


「は、はい。指示通り…ですが、いいんですかイシュキミリ会長。あれは…」


「構わない…」


「でも魔術のない良い世の中を作るって…会長はそういつも言って、それが夢だって」


「いい、と…私が言っている」


「は、はい…」


明らかに様子の違うイシュキミリに怯えつつも従うセーフとアナフェマ。どうやら私が寝ている間に…既に事は進んでいたようだ。いや、進んでいたと言うより、進めたのか?


こいつの目的は嘆きの慈雨による魔術廃絶、しかし嘆きの慈雨が変質したことによりそれは不可能になった…が、捨てた。理想を、理想を捨てた…そんなイシュキミリが、次に描く絵がどんなものかは、言うまでもない。


「デティフローア、私は君に対して怒りを覚えている。それが身勝手なものなのは重々承知だ…けど、悪いね。もう指を咥えて我慢はしないんだ…嫌なら嫌と、主張する」


ギロリとこちらを見て笑うイシュキミリは、当初の予定通りとばかりにアナフェマに指示を送り…。


「今から、君の仲間に選択肢を提示する。それが君に対する最も効率的で重大で甚大な苦痛になると…私は考える、だから精々…苦しんでくれ」


「何をするつもり…」


「殺戮さ、だって私は無意義な殺戮を好む、下劣な男だからね」


そうして彼は語った…私に、今から起こる…最悪の計画。それは世を変えると言うにはあまりに小さく、それは理想と語るにはあまりに乏しく、そして…恐らく。


彼が、人生で初めて…嬉々として行う初めての殺戮となるだろう。


………………………………………………………


『君達には今から二つの選択肢を提示する、どちらを選ぶも自由だ。好きに行動するといい』


二本指を立ててエリス達に選択肢を提示するイシュキミリは、ズタボロのデティを見せつけながら…エリス達に対して嬉々として口を開くのだ。その様に脳みその血管全部ぶっちぎれそうになるも、今は聞く。


それがエリス達に与えられた唯一の行動権利なのだから。


『私は今、メサイア・アルカンシエル全構成員に命令を下し。今…南部の全ての街に嘆きの慈雨発生装置を設置するようにね』


「南部の全ての街に…お前それ」


『ああ、私はこれからマレウス全域に嘆きの慈雨を降らせるよ。今ある量全て使ってね、まぁその為にはもう少し製造しなきゃいけないが…時間の問題だね、あと数日後には白露草の確保も出来るし、ああ勿論。収穫を邪魔しようとしても無駄だよ?対策は打ってある』


「ッ…させるわけねぇだろ、是が非でも止める」


『ああそう、なら君達はそっちを選ぶんだね』


「あ?」


ラグナは訝しむ、だがそうだ…まだイシュキミリの話は終わってない、だってそうだろう。奴はまだ一つカードを切ってない、今の話のどこにも…デティの身柄を押さえた上での行動は含まれていない。


くつくつと笑いながらイシュキミリは椅子に座り足を組み、デティを指しながら…。


『私は同時に並行してデティフローアの処刑も執り行うつもりだ』


「なッ…!?」


『彼女の魂を抜き取りその魂を焉龍屍山へと投げ込む。彼女の魂には古式治癒の力が染み込んでいるからね、骨だけになったキングフレイムドラゴンの肉体を僅かながら回復させるだろう。そうすれば細胞を確保出来る、それで獣人兵を作る。昨日起こったゴブリン人間の大襲撃、あのゴブリンが全部オーバーAランククラスの怪物になるわけだ…戦力的にも大幅増強が可能だね』


「お前…正気かよ」


アマルトさんが呟く、とても正気とは思えない。デティの魂を使って…キングフレイムドラゴンの肉体を蘇らせそれを利用すると。そう言うんだ、それが出来るかは分からない…だがイシュキミリが言いたいのはつまり。


『君達には今から三日猶与を与える、それまでに考え選べ…『マレウス全域に降る死の雨』か『友の命』か、嘆きの慈雨を選べば君達が各地の街で戦っている間にデティフローアの魂を抜き出す、デティフローアを選べば私は遠慮なく嘆きの慈雨をマレウス全域に降らせる。同時に二つ…なんて選ばない方がいい、デティフローアを助けにきたら私はメサイア・アルカンシエル全戦力を以てして君達を迎え撃つからね』


「…………ッ」


エリスはそれを聞いて『嫌がらせ以外の何物でもない』と率直な感想を持った。こいつはエリス達に二択を迫りつつも結局は一つ…デティに苦痛を与える結果だけをエリス達に押し付けようとしている。


エリス達が嘆きの慈雨を優先すれば、デティは殺され更なるメサイア・アルカンシエルの虐殺の道具にされる。


エリス達がデティを優先すれば、嘆きの慈雨がマレウス中に降り注ぎデティは永遠に数十万人の命を犠牲にしたと言う咎を背負う。


どちらを選んでもデティにとってマイナスしかない。そしてそれをエリス達デティの友人に選択を委ねる事によりデティ自身に文句を言わせないおまけ付き。悪辣極まる選択肢…選ぶことなど出来やしない。


だが…だが……。


『猶予は三日、そこで準備が整う。と言ってもゆっくりする時間はないと思うよ?嘆きの慈雨を優先するなら数時間以内に南部の街全てを回るルートを考えなければならない、デティフローアを優先するなら私達の居場所を探すところから始めなければならない。だからまぁ…決断する為の時間はあまりないだろうね』


「……………」


『君達は散々振り回された、出来る限り…苦しんだ顔を見せてくれたまえ』


イシュキミリは笑う、だが笑ってない。笑ってるのは口元だけ…目は笑ってない、まるで何か自分でもよくわからない物に突き動かされているような不確かさを感じる。だが一つ確かな事を述べるなら…イシュキミリは本気だって事だ。


本気で…デティを苦しめ、デティを殺そうとしている…なんで、なんでですか。


「やめてくださいッ!」


「エリス……?」


エリスは前に歩み出てイシュキミリに懇願するように頭を下げる。今…エリスに出来る事はこれしかない。やめてくれと頼むことしか出来ないんだ。


「お願いします、デティを狙うのはやめてください。デティを殺そうとするのはやめてください、どうしてもそこに…誰かを人質にしなければならないと言うのならエリスを代わりにしてください」


『自己犠牲かい?君も魔術師だね。だがダメだ、デティフローアだけなければ意味がない…私の怨嗟の始まりとなったデティフローアでなければね』


「ならエリスの識を自由に使ってもいいです、あなたの為ならなんでもします…、魔術を消せと言うのなら消します…だからお願いします、デティだけはやめてください」


膝を突き、頭を下げ、大地につける。地に伏して…頼み込む、お願いだからデティだけはやめてくれと。彼女が今まで一体どれだけの苦難を跳ね除け、苦労を背負い、魔術導皇の座に座り続けたか…分かってるのか。


齢を五歳にして、玉座に座る事を決められて。彼女は皇都の外に出たことが殆どなかった、学園にいた頃はいつも新鮮な反応をして、楽しそうにしながらもいつも部屋に篭り仕事をして。学園を卒業してからは世界の為を思いアジメクの統治と魔術界の統率を同時に行い。その上で自己研鑽も重ねて。


自らの肩に世界の安寧とクリサンセマムの歴史を背負って、それでも気高く快活に笑うデティの笑顔を奪わないでほしい、それを守る為なら…なんと言われてもいい、何を手放してもいい…だから。


「お願いします、イシュキミリ…」


『…………』


今、エリスにはこうすることしかできない…他に出来る事がない、敵に頭を下げて、エリスの全てを差し出すことしか─────。


『ぷふっ…!』


「…………」


しかし返ってきたのは、嘲笑。


『エリス君、君は何か勘違いをしていないか?』


「なにが……」


『私はね、デティフローアという存在を許せないんだ。私が目指した魔術無き世の根底となるのは魔術にも不可能がある…と言う理論だった、が…あろう事かデティフローアは証明してしまった、魔術に不可能はないと…私が縋ってきた理屈を、根底から覆しやがった。死者蘇生を以てしてな!』


「死者蘇生…?」


ラグナ達がなんのことだとばかりに顔を顰める。エリスもまた…自らの身に起こった出来事に確信を持つ、やはり死者蘇生だったのか。


しかし、死者蘇生が可能と証明されたからと言って…なんでデティを恨むんだ。


『お陰で私にはもう何も無いよ、縋ってきた信念も何もかも否定されて酷く落ち込んでいるんだ、だから私は私を否定する無限の可能性を否定したい。死者蘇生はあってはならない、だからデティフローアは存在しちゃいけない』


「なんで!人を救う魔術を作って!なんでデティが恨まれなきゃ──」


『恨んでるのはデティフローアだけじゃない、お前もだエリス』


「え……?」


『デティフローアを消しても死者蘇生の残り香は消えない、死者蘇生で生き返ったお前がいる限り…私の胸の怒りは消えやしない。だからお前も苦しめ、そして死ね…デティフローアを人質にとれば、お前も苦しむだろう?なぁ…だから、お前の申し出は受けない、精々苦しめ…苦しめ死人ッ!!人は生き返っちゃあいけないんだよッ!!』


「ッ……」


なんなんだこいつ、さっきから言ってる事がめちゃくちゃだ、崩れて壊れた理想を掻き集めて、それを捨てたり拾ったりして行動に一貫性がない。狂ってる…完全に…もう何かを壊したくて仕方ないんだ…だから、こんな…。


『そう言うわけだ、君達の苦しむ顔が見たい…選んでくれ、苦渋の決断をしてくれ、じゃあね…魔女の弟子』


その言葉を最後に、イシュキミリの姿は掻き消える。虚空に消え…エリスが見つめる先にいたデティもまた、露と消える。…エリスの願いは、どうやら叶わないようだ。


「イシュキミリの奴…どうかしちまったんじゃないか」


「ああ、普通じゃないって感じだ」


アマルトさんとラグナはエリスの背後で話し合う。イシュキミリの様子について、やはりどうにもおかしいと…そう思うんだ。


(見た感じ、アイツはもう自分の寄りかかっていた唯一の理想が崩れてなくなっちまってるんだ。だがそれでも組織の長として立つ事を自らの強要した結果。魔女や俺らへの敵意に依存する事で自己を保ってる…って感じだな)


ラグナは顎に指を当てて考える。人は脆い生き物で、何かを成す為に歩き続けるには寄りかかる為の何かを欲する物だ、イシュキミリは今まで魔術無き世に理想を見て、その理想に寄りかかる事で如何なる苦難にも耐えてきたんだ。


だが、デティが不可能を可能にした。死者蘇生を可能にした。そのせいでイシュキミリが持つ根底の理論である魔術にも不可能はある。不可能に挑む為自己犠牲を繰り返す魔術師達を救いたいと言う理屈が根っこからへし折れちまった。


もう寄りかかれる物がない、だから…俺達、特段デティとエリスへの敵意や憎悪を自分の中で膨らませて、意地と執念で立っている状態なんだ。けど立ってるだけ、普通じゃないのは言うまでもねぇんだ。


(ああ言う目をした奴は何をするか分からない、こりゃマジでマレウス全域に雨を降らせたり、デティの魂を抜き出したりしそうだ…だぁ〜クソ、どうすりゃいいんだこれ。完全に八方塞がりだぞ)


どっちかを選ばなければならない、だがどちらかを選んだ時点でイシュキミリの目的は達成される。それは許してはならないが、こちらにはあまりに選択肢が少ない…出来る事も少ない、時間もない。


逆転の一手を打つ余裕が…こちらにはない。


「……どうしますか、ラグナ様」


「考えるしかねぇよ、アイツの思い通りにさせてたまるか。なぁ、エリス」


ともあれ動くしかない、生還すれば通してはならない要求を二つ通す事になる。ならば最善策を講じるべきだとラグナは早速エリスの肩を叩くが…。


「ラグナ……」


「ッ…エリス!?」


彼は、その動きを止める。振り向いたエリスの顔を見て、驚愕する。ラグナはてっきりエリスが怒りに燃えているものと思っていた、親友を殺すと言われいつものように激烈に燃えていると…そう思っていたんだ。


だが違った、ラグナは浅はかだった。


「ゔっ…くぅ…うぅ、ラグナぁ…ラグナぁぁ…」


「泣いてるのか…エリス」


ボロボロと大粒の涙を流し、泣いていた。ぐしゃぐしゃに顔を崩し、ラグナに縋り付くように嗚咽を漏らし、泣いていたのだ。何故か、決まっている…悔しいからだ。


「エリス…みんなと約束しました、デティを必ず連れ帰ると。デティとも約束しました…必ず守ると、なのに…なのに今エリスに出来るのは、ただ敵に頭を下げて、お願いしますと懇願する事だけでした…!何も、何も守れてない…!」


「そんな事ねぇよ、お前だって…頑張ったろ」


「何もです…何も、修行して強くなっても…何も守れないんじゃ、意味がない。デティが折角救ってくれたのに…何も……」


悔しい、ただひたすらにエリスは悔しかった。デティに守ると約束したのに、この有様。イシュキミリを相手に懇願し助けてくれと頼むことしか出来なかった。その自分の情けなさに涙が出てしょうがないし、こうして今泣いていることも情けない。


修行して強くなっても、修行をつけてくれた人一人守る事も出来ず、今親友は囚われの身。助ける手立てもなく、今泣いている。これのどこが…魔女の弟子か。師匠に追いつく以前の話だ。


「ラグナ…エリスはどうしたらいいんですか…、デティを守りたい、けどデティから笑顔も奪いたくない…エリスには、どちらも選べません」


「………それは…」


嘆きの慈雨を優先すればデティが死ぬ、デティを優先すればきっとデティは二度と笑えない。そして残酷にもその選択をエリス達はしなくてはならない。今ここで選ばなくてはどちらも失う…。


「選べねぇよ…けど、方法がない」


「ッ……」


選べない、だが選ぶより他ない。エリス達は…ただ、イシュキミリの選択を受け入れるしかない。何をするにも何もかもが足りない今の状況を打開する手段はない、選ばなくてはならない。…ああ、まるでこんなの。


「まるで、闇の中です…何も見えない、闇の中…どっちに進んでも絶望しかない」


闇の中だ、絶望が漂う闇の中だ。今エリス達は闇の中にいる…どこに進んでも光のない闇の中に。こんなのどうすればいいんだ…何をすればいいんだ。


嗚呼、デティ…それでもエリスは、どちらかを選ばなくてはならないなら…エリスは──。






『闇の中にいるのなら、払えばいい。光でな』


「……え?」


刹那、闇しかないと思えた世界に…一陣の光が差し込む。いや違う…闇を切り裂くように、光が声を上げたのだ。ラグナでもメグさんでもネレイドさんでもアマルトさんでもない、別の誰かが…声を上げた。


「この声……」


『闇の中にあって照らす光に名があるならば、それは知識と覚悟。例え絶望の中にあって諦めず、考える事をやめぬ者にこそ、打破する光は訪れる』


それは、土を踏み締め。軍靴を鳴らし、現れる。館の庭先、その門を超え…軍服を揺らし、絶望するエリスの元にやってくるのは…もう一人の親友。


それは絶望を切り裂く覚悟、闇を破壊する……。


「悪が闇をもたらすならば、光と正義で私は戦うぞ。エリス」


「メルクさん!?」


…正義の光、それを伴い現れたのは。軍服のコートを肩に背負い、あちこちを土で汚した…メルクさんとナリアさん。ヴレグメノスの一件以来生死不明となっていたメルクさん達が、今…帰ってきたのだ。


「ナリア!お前やっぱ生きてたんだな!」


「嗚呼!メルク様!心配しておりました!」


「二人とも今までどこに…」


「すみません、皆さん。ご心配おかけしました!」


「ああ、すまんなみんな、戻ってくるのが遅れた。だが話は大方分かっている、随分な有様だ…だが」


メルクさんは戻ってくるなり、エリス達の顔を見て…絶望の漂う空気を見ながらも、凛々しく笑い。


「ここから捲るぞ、逆転開始だ!」


それは────状況を打破する、光の始まりだった。

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