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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十七章 デティフローア=ガルドラボーク
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611.魔女の弟子と魔涙の地獄


「イシュキミリ…」


「父上、……私は」


向かい合う親子、街は大騒ぎで少なくともこの街の領主たるグランシャリオの名を背負う者同士がこうしてゆっくりと向かい合っている場合でないのは分かっている、双方共に。


だがそれでも、まるでこの世界には外などなく。今この場でのみ世界が完結しているような…そんな閉塞的で、独占的な雰囲気が場に漂う。今この場において…他の事はどうでもいい。


「……座りなさい」


「はい、父上」


一つ訂正するならば、今ここに…二人は親子として存在しているわけではない。


「こうして現れたと言う事は、私に言いたいことがあるんだな…イシュキミリ」


片や魔術界の重鎮にして偉人、トラヴィス・グランシャリオ。


「……………」


片や魔術を憎み、魔術廃絶を望むメサイア・アルカンシエル会長、イシュキミリ・グランシャリオ。


二人は、親子でありながら…全く対極の場所に立っている。魔術を育む者と潰す者、その頂点同士が席を向かい合わせているのだ。


……イシュキミリは、この場にやってきたくはなかった。出来るならもう二度と父の前に顔を出したくなかった。何故なら父に合わせる顔がなかったから。


ヴレグメノスの悲劇、総勢数千名の命を奪った最悪のテロ行為。図らずもその引き金を引いてしまったイシュキミリは今や取り返しのつかない場所に立っていると言える。そこにはもう本来抱えていた崇高な信念や気高い目標などありはしない。


血みどろの道、悪意と害意でべっとりと汚れたこの手は……誰にも見せられるものでは無い。当然父にも、だがそれでも…ここに来たのは。


「父上、もう…お聞きになったのでしょう。私が…メサイア・アルカンシエルの会長だと」


「………ああ」


血に塗れた己を、父に見せたかったからに他ならない。クライングマンに唆され、今の私がどう言う存在に見えるのかを…父に聞きに来た。どうせ魔女の弟子は既に父に私の事を報告しているだろう。


なればこそ、聞く。そして問う…お前は私をどうしたいのかを。


「……ショックですか?父よ」


「……まぁな」


「貴方が必死で継続し、守り抜いた魔術界を…私は憎んでいる。それを破壊しようと、心血を注いでいる。魔術などこの世にない方がいいと…私は確信しているんです、父よ」


「そうか」


「父も魔術師なら分かるでしょう!魔術師は己の自己犠牲を美徳化している!魔術に不可能はないなどと言うあり得ない寓話を崇拝し!命を賭して不可能に挑み!命を落としている!そしてその過程で生まれた魔術はより多くの悲劇を生む!こんなことが世界中で繰り返されている!」


「かもしれないな」


「不毛でしょう!こんなの!だから私は魔術を憎んだのです!否定したのです!魔術無き世はきっと今よりも良くなると!そう信じている!」


「そうなのか」


「だから私は………」


「……どうした、続けないのか」


ふと、冷静になる。私は何を言ってるんだと、聞かれてもいないのに申し開きをして、開き直って白状するように…思想を語り、父に向けて怒鳴りつけ…こんなのまるで。


「続けなさい、言い訳を」


「ッ……」


言い訳だ、自分にはこんな崇高な目的がある。自分は高尚な存在で、その道行は正しいものである、だから…多少のことには目を瞑れと。そう言いたげな自分の姿がひたすらに情けなくなった。


父の言い方はキツイよ、息子に言うようなことではない。けど…言い返せない、だって私は自分の目的の素晴らしさを盾に今、殺戮を肯定しようとしているのだから。


「私は…ただ、良い世の中を…ッ!」


溢れた涙は悔しさの現れだ。自分は確かに崇高な目的を持ってメサイア・アルカンシエルを動かしてきた、その過程で敵対者の命だって奪った事はある。だがそれは今の世の中じゃ珍しいことではないし、そもそも殺さなければ殺されていた場面だって多かった。


私は私の目的の為に、いくらでも汚れる覚悟があると口にして、今日まで進んできた。それほどまでに…魔術無き世に絶対の自信があった、けど私は今その崇高な目的を、盾にした。崇高な目的と言う名の盾の裏に…矮小で下劣な己の本性を隠そうとした。


その時点で私の目的は、色褪せる。私の目的はただの言い訳になる。それがただただ悔しかった…。


「イシュキミリ、お前の語る思想は…確かに正しいところがある。魔術師とは不毛な生き物だろう、魔術に不可能はないと言う言葉を履き違え命を落とす者も多いのは事実だ」


「…………」


「私はお前の思想にまでケチをつけるつもりはない。メサイア・アルカンシエルの語る思想にも、文句は言わん。人は考える葦だ、考える事は人の命題であり、その末に出された答えは如何なる者にも犯される事はない。故に否定はしない」


「……なら」


「だが、お前は間違えた。如何に目的が素晴らしくとも過程を間違えればその結末は正しい者にはならない。血によって彩られた革命が、再び血によって治められるように、殺戮を肯定する目的に一切の正しさはない」


「…………ッ」


仰るとおりだ、父の言葉が実際に正しいかと言えばわからない、だが私には正しいと思える。だって私は父の息子だ、どこまで行っても私はトラヴィスの息子イシュキミリだ。考え方の根底にはいつだって父のそれがある。


そうである限り、魔術道王イシュキミリは大魔術師トラヴィスには敵わない。


「父よ、貴方は…いつだって正しい」


「……………」


「いつもいつだって貴方は正しい、そんな貴方の正しさに…憧れもした。いつか貴方のように人の前に立てる男にと…考えていた」


「…私は正しさを自認したことはない、だが…間違えないように、気は使っていた」


「ええ、私にはそれが足りなかった……けど、父よ。私は今も…自分のやろうとしていることが、間違っているとは思えないのです!」


父の言う言葉は正しいが、だからといって改心する気になれるかといえばそうではない。今も私は…魔術などない方がいいと思っている。やり方は間違えたが、魔術廃絶は遂行すべき命題であると考えているんだ。


「……何故だ、イシュキミリ」


すると父は目を尖らせ…問う。


「私は魔術師の一人だ、お前も魔術の研究をしていた、なのに何故…魔術を憎む。メサイア・アルカンシエルの会長になどなった」


「…………」


何故憎むか、それは…決まっている。私の原点たる憎悪は…つまり。


「貴方のせいですよ、父上……」


「ッ……」


お前のせいだよ、トラヴィス・グランシャリオ…お前以外にいないだろう。私を作れるのは。


「母さんが死んだ時、貴方は帰ってきてくれなかったじゃないか…」


「……ああ」


「ポワリお姉ちゃんが死んだ時、お前は帰ってこなかった…」


「……そうだ」


「トレセーナが死んでしまった時も、みんな居なくなって…私一人になった時も、お前は側にいてくれなかったッッ!!」


私はたった一人だった、たった一人でポワリお姉ちゃんが雇った使用人と共に過ごしてきた。父はこの家に人間を残さなかった、それは私を信頼していたからに他ならないだろう。だがそれでも…貴方が側に居てくれれば、私は過ちを犯さなかったかもしれないんだ。


「私は!死者蘇生魔術を作ろうとした…一人が嫌だったから!」


「死者蘇生だと…?」


「頑張って研究して勉強して、みんなを生き返らせれば…またみんなと一緒に過ごせると、そう思った。なのにみんな死んで、みんないなくなって、側にいないお前だけが生き残り!私は……あの時取り返しのつかない過ちを犯した」


拳を握る、責任転嫁なのは分かってる、けれど言わずにはいられない。ずっとずっと言いたかった、でも立派な行いをしている父の迷惑になりたくないと誤魔化し続けた言葉を吐き出して…私は吠える。


「お前が側にいてれれば!死者蘇生は不可能だといってくれれば!…私は過ちを犯さなかったかもしれない」


「……確かに、私はお前を導けなかった。トレセーナに関しては…悲劇であったと思っている」


悲劇か?必然だよあれは。トレセーナが何故私の制止を振り切って死者蘇生を強行したか分かるか。姉が自己犠牲に死んだからだ、故に姉を慕う彼女も自己犠牲を選んだ。結果誰も生き返らず双方死んだ。全て…全て自己犠牲だ。


「私に魔術の知識なんてなければ、魔術に対する夢なんかなければ、死者蘇生なんて叶わない夢を追いかけることもなかった…」


あの時の私はどうかしていた、死者蘇生に傾倒して…人は生き返らないからこそこの世界の摂理は成り立っている。そんな物に入れ込んでどうかしていた、だがそれもこれも私が一人を恐れたから…父が側にさえいてくれれば、私は不可能な夢など見なかった。


そう告白すれば、父は申し訳なさそうに目を閉じ…。


「ああ、すまなかった。イシュキミリ…お前の歪みの根本が私であることは、理解していた…」


「…………」


「怖かったんだ、お前を見るのが。魔術界の繁栄の為身を粉にして働いたのも…母を亡くしたお前から恨み言を聞くのが怖かったから、逃げていたんだ。仕事に…」


「今更、そんな事を言われても…」


「ああそうだ、今更言っても仕方ない…私は、正しく生きようとはしていなかった、ただ間違えないよう気をつけて生きてきた。だが…どうやら私は致命的な間違いをしていたようだ。親として…一人の人間の父として、あまりにも無責任な事をした……すまなかった、イシュキミリ」


そうして父は、私に頭を下げる。それで…スッキリしたか?私がここに来たのは父に問うためだ、その結果父に間違いを認めさせ…謝らせて、それで満足なのか。


いいや違う、満足などない。だってこれは…。


「だが、それでもイシュキミリ…私は、お前を許すわけにはいかないのだ」


そう、今までの話は…謂わば話の枕。本題はどうあれ…避けられない殺戮の件。


「イシュキミリ、お前は私が側にいなかったばかりに…魔術を憎んだ。結果魔術廃絶を目論み、ヴレグメノスを血で染めた…そうだな」


「あれは、私も本意ではなかった…」


「見たところあれは高度なポーション生成技術で作られていた、生半可な知識では作れん…お前が作ったんだな」


「……………」


確かに、式は私が組んだ。そこにマゲイアが古式治癒の術式を混ぜて強化した…だが、嘆きの慈雨を考案し、作り、計画を立て、実行の命令を出したのは私だ。そこには…なんの言い訳もない。だってここにまで言い訳をしたら、私はなんのために何をしてきたのか分からなくなるから。


「魔術を憎むのも、私を憎むのも勝手だ。だがイシュキミリ…お前は取り返しのつかない事に加担した、それが私は許せない。何より私が許せないのは…お前は今この場に及んでも状況を正確に把握出来ていない事が、許せない」


「状況を…?」


「ああ、今のお前は理想を語る変革者でも…魔術廃絶を望む叛逆者でもない、ただの殺戮者だ」


「ッ…だから!」


フラッシュバックする、デティフローアに言われた言葉が。殺戮者殺戮者ってどいつもこいつも!だから!あれは私の本意ではないと言ってるだろう!私自ら進んで殺して回ったわけでもないのになんで私ばかりそんなに言われなきゃいけないんだ!?


「あれは!私の本意じゃないと!」


「そこか?」


「え?」


「そこなのか?イシュキミリ。言い訳するのは」


「は…は?何が言いた───」


「お前は本意不本意の話をするが、……お前はそもそも魔術議会に集まった人間を鏖殺しようとしていただろう。そちらは本意の殺しか?ヴレグメノスの悲劇は不本意の殺しか?」


「あ、あれは魔術師にだけ限定するつもりで……」


「そこだ、お前は結局犠牲に区別をつけて自分の中で折り合いをつけているだけだろ。自己犠牲を否定するくせに自らの理想の為の犠牲は正当化するのか?」


「ッ……」


「イシュキミリ、お前はもう既に…人を殺して何かを成そうとしている外道に他ならないのだ、そこに対する言い訳はないのかと聞いている!」


そ、そう言うわけじゃない、犠牲に区別をつけているつもりはない。魔術師を鏖殺するのは…あれだ、仕方のない。いや違う、仕方ないんじゃない、でも私の理想の道を阻む奴はみんな…。違う違う、父上が言っているのはそもそも殺しの正当化をするなと言う話だ。


だが、私はここに至るまで…何人も殺している。何人も何人も……。


「イシュキミリ、こんなご時世だ、人を殺すこともあるだろう。私だって野盗を相手に殺したこともある、魔女排斥に襲われ全滅させたこともある。この手は綺麗ではない…だからこそ言える事が一つある」


「な、なんですか……」


「『人を殺した人間は幸せにはなれない』…例え目的があろうとも、人を殺した時点でその結末は血で汚れた物になる。事実人を殺した私は今こうして…幸せな結末を掴む事ができなかった」


「……………」


「イシュキミリ、お前の理想は…既に叶わん。殺しを厭わない人間になった時点でな」


……私の手はもう既に汚れている。メサイア・アルカンシエルの会長として何人もの敵対者を殺した…いやそもそも、私はトレセーナを殺したも同然なんだ。ならもうあの時点から私の手は……。


じゃあなんだよ、じゃあ私の行動は全部無意味だったと?母を生き返らせたいと願ったのも、そのせいでトレセーナが死んだことに悲しんだのも、もう二度とあんな悲劇を繰り返させまいと誓ったのも、全部全部最初から無駄だったと?


「私は、南部グランシャリオ領の領主として。ヴレグメノス崩壊の一因を担ったお前を罰する必要がある…だが親としての責務もある。故にイシュキミリ…私はお前を──」


なんで今更…無駄だとか言われなきゃいけないんだ、なんで今更なんだ。そんな大切な事なら…もっと。


「……もう、遅いって…そんな事、今更…言われたって……」


「イシュキミリ……?」


「だったら、そんな大切な事なら…最初から!教えておけよッッ!!」


揺らぐ、イシュキミリの中にある何かが揺らぐ。


理想は潰えた、崇高な目的は汚された、その上で原点まで否定された彼は人生で数度しかあげたことの無い怒声を響かせ立ち上がる。


罰すると言うのか、私を。否定すると言うのか、私を。そんな事出来る資格がお前にあると言うのか。


「今更父親ぶって…色々教える気かトラヴィス…!」


「……ああ、それが私の責任だと思っている」


「失敗した息子を処分する事がお前の責務か?お前が私を放置したんだろ!?」


「そこについては謝罪をした」


「謝罪して済むか!私がどんな気持ちでこの館で過ごしたかお前は知らないだろッ!母を失いポワリを失いトレセーナを失い何もかもを失いお前も帰らない!一人だった私に手を差し伸べてくれたのはファウスト様だけだった────」


「待て、何故そこでファウストが出てくる」


「あ……」


「お前は私がこの館に帰った後、魔術の研究がしたいと理学院に向かい、そこでファウストと出会ったといっていたはずだ。何故…そこでファウストが出てくる、……まさかお前」


しまったと口を閉ざす。まずい…父にだけは、この事を言うべきではなかった…だって、ファウスト様は。


「…お前が魔術を憎む理由は分かった、だがそれでもメサイア・アルカンシエルへ加入した理由までは分からなかったが。もし、お前が私の知るところよりも前に…ファウストと出会っていたのだとしたら、まさかお前をメサイア・アルカンシエルへ誘ったのは…ファウストなのか!?」


「ッ……いや、そう言う意味じゃ…」


「この国の要職に就く人間は皆マレウス・マレフィカルムと深い繋がりを持っている、ならファウストだってそうだろう。…そう考えるならお前がメサイア・アルカンシエルへ加入した理由にも説明がつく…お前」


目を逸らすことしかできなかった。その通りだったから、私をメサイア・アルカンシエルへ誘ったのはアルカンシエル前会長のファウスト様だ。私の師匠にして私の先代たる魔術道王ファウスト様が…私をメサイア・アルカンシエルへ招き入れた。


だから私はここにいる、ファウスト様への恩義を返すために…そして、ファウスト様が肯定してくれた魔術への怨念を晴らす為に。


「イシュキミリ!」


「ファウスト様だけだったんだよ!みんなを失って一人でこの館で暮らしていた私の所へ来てくれて、『悪いのはお前じゃない、魔術が悪いんだ』と慰めてくれたのは!一緒に暮らして!生きる術を教えてくれたのは!お前じゃなくてファウストなんだよ!」


「ッ……違う、ファウストはそんな男じゃない!イシュキミリ!ファウストに言われてそこにいるなら早くアルカンシエルから離れるんだ!ファウストはお前が想像するよりずっと悪辣で…」


「関係あるか!!少なくとも…私を、俺を育ててくれたのはファウスト様なんだよッ!俺にとってのは父親は!ファウスト様だッ!!」


私を否定するのはいい、理想を否定するのはいい、殺戮を否定するのはいい、だがファウスト様まで否定するのはやめてくれ。あの人は俺にとっての父親代わりなんだ。


忙しい身の上で毎日のようにここに通って、私にいろいろな事を教え、全てを失い傷つき果てた私を再び立ち上がれるまでに慰めてくれたのは彼の方なんだ。だから私はファウスト様に弟子入りして、あのお方の意思を継いで魔術道王になった。


何も与えてくれなかった、一人にして…ただ重荷だけを背負わせて来たトラヴィスとは違う。


「ッ……イシュキミリ」


だから、だからそんな顔をするなよ。私にとって父親はファウスト様なんだ、だからそんな…悲しそうな顔をお前がするな。お前がそんな顔をするのは…違うだろッ!


そしてトラヴィスは首を振って杖も持たず一歩、前へ踏み出し叫ぶ。


「ダメだ、イシュキミリ!私の事はどう思ってもいい!だがそれでも…ファウストにだけは従うな!奴は…自分の利益の為に他者を問答無用で切り捨てる男で…」


「それは、お前が…切り捨てられた側だからだろう…!」


「違う…どうすれば分かってくれる、このまま行けばお前は理想など叶えられず使い潰される。お前を殺戮者に仕立て上げたのは奴だ!ファウストは…外道なんだ!」


「ッ…また!」


全てを否定され、全てを揺るがされ、剰え尊敬する父親代わりを罵倒され怒りに悶える。私を殺戮者にしたのは…ファウスト様だと、いや…そうか。


クライングマンは言った、今の私がどう見られているのかを確かめて来いと。そのために私はここに来て父に問うつもりだった。だがここまでの問答で理解した。


ああそうか、そうだったのか。私は殺戮者として蔑まれているんじゃない…私はただ。


憐れまれているんだ…。


「やめろ…!」


憐れむな、私を。ここまでの歩みを…否定するな。


「やめてくれ…!」


私は、誰かに唆されてこうなったんじゃない。私の理想は誰かによって作られた物じゃない、トラヴィスもファウスト様も関係ない。私はトラヴィスによる放置とファウスト様からの導きから自分で考えてここにいるんだ!


だから…だからッ!


「これ以上…道を阻むなッ!トラヴィスッ!」


「ッ…イシュキミリッ!!」



そうだ、全部全部…魔術が悪いんだ。魔術が悪い、夢を見せるから悪い。


あの日、私は不可能な夢を見せられた。死者蘇生なんて言う…悪夢を見た、そのせいで…私は、全部……失ったんだ。


…………………………………………………………………


「嘆きの慈雨…」


天を見上げるデティフローアは険しい顔で雲を見る。今ウルサマヨリの頭上には巨大な暗雲が跨っている、嘆きの慈雨だ、マゲイアが見せたあの時の光景と全く同じものが今ウルサマヨリにある。


「くははははは!みんなみんな死に絶えろ…消えてなくなれ…!」


「クライングマン…お前」


恐らくこれを用意したのはクライングマンだ、本当に完全に自暴自棄になっていたんだ。だってここには抗議者達がいる、イシュキミリがいる、何より自分がいる。なのにそんなのお構い無しに嘆きの慈雨を用意していた。


こいつは…悪意で動く悪人じゃない、真性の狂人だ。


「ッ……」


そして、そんな狂人の凶弾によって今、私は最も大切な物を奪われた。


……エリスちゃんだ、私の手の中で胸から血を流し虚な瞳で倒れる彼女は既に息をしておらず、心臓も鼓動していない。私を守ろうとして…死んだんだ。


エリスちゃんが死んだ、そんな文言を考えるだけで気が狂いそうになるくらい悲しくて苦しくて悔しい。私にとってエリスちゃんとは全てであり、全てはエリスちゃんのためにあった。


あの日、私を救ってくれた私の英雄。


旅の情景を私に教え、白亜の城から出られない私に世界を教えてくれた私の旅人。


私が危機に陥った時は必ずやって来てくれる、私の親友。


魔術導皇デティフローア・クリサンセマムという人間の人生に於いてスピカ先生と同じくらい大きく、重大なファクターはエリスちゃんだと私は胸を張って言える、


そんな彼女が今、死んだ……彼女無しのデティフローアは成立し得ない。つまりもう…私は終わりだ。


「ごめん、エリスちゃん…私が……嘘なんかつかなければ」


それもこれも私のせいだ、私が防壁が使えないなんて嘘をつかなければ…彼女は私を身を挺して守ろうとしなかった。私が何も気にせず覚醒を使っていれば、クライングマンに銃など撃たせなかった。


何より私が、自らを犠牲にしてイシュキミリと向き合わなければ、こんな事にはならなかった。私がもっと真剣に彼女と向き合っていれば…こんな事にはならなかった。


私のせいでエリスちゃんは死んだ、死んでしまった、死なせてしまった。


あれだけ守ると心に誓ったのに…私は。


(………………エリスちゃん)


エリスちゃんの血が私の腕に滴る。まだ温かい血が…私の手に滴る。もう直ぐ雨が降る、そうすれば私も死ぬ…そうなったら、あの世に行けるかな。


魔術学論的にはあの世なんてないけどさ、それでも想像しちゃうよ…死後の世界、死んでしまったエリスちゃんともう一度話せるなら、私は…謝りたい。


「……ごめんねエリスちゃん、私ももう直ぐ…逝くから」


もうあの雨は止められない…だからせめて、死の瞬間までエリスちゃんと。


そう思い、私は目を閉じ…彼女に身を寄せた。


その時だった…ああ、そうだ、いつもその時なんだ。『声』がするのは。




『まだだ、まだ修正が効く。せっかく希望が見えているんだ、こんな所で…終わらせられるか』



なんの声?…そう私が問う前に、私の意識はまるで、『切り替わる』ように…冷え切って冷静になって、それで─────。






「……………」


「ああ?どうした?諦めたか…魔術導皇!悲しいなぁ!」


「黙ってなさい」


「は?」


立ち上がるデティフローアはエリスの服を脱がせながら傷口を確認し、次いで天を見上げる。


(エリスちゃんの傷口的にまだ間に合う。問題は空…状態を見るに恐らく一分後には雨が降る。そうなる前に…全てを終わらせる)


近くに転がった杖を持って、デティフローアは倒れ伏すエリスの前に立つ。その様を見ていたクライングマンは…首を傾げる。


(アイツ…二重人格なのか?さっきまでの顔とまるで…違う)


違うのだ、先程まで見せて来たデティの顔と今のデティの顔は。さっきまではまだ可愛げがあった、けど今は違う…まるで、あの顔は。


神だ、全てが自らの手中で解決出来てしまう、神の顔つき。


「クライングマン、お前は後で殺す。その方がいいだろう、お前的にも」


(目も違う…なんなんだありゃあ)


目も違う、顔つきが違う、何より雰囲気が違う。別人のように落ち着き払ったデティは杖を持ち、魔力を集中させ…エリスに注ぎ込む。


「それは治癒か?無駄だ…死んだ人間は治癒では治らな──」


「天は地に、闇は光に、死は生に、此れ成るは太古の傲慢なりし神の定めた愚法を塗り潰す、我ら人の嘆きの血飛沫…」


浮かび上がる光は、渦を巻く。それはクライングマンが今まで見て来たどの魔術とも異なる…見たこともない何かであった。


「何を……」


「連綿と紡がれた悲劇に打たれる一つの終止符、天を穿つ神への嚆矢、運命を捻じ曲げ、失われた彼の者の息吹を、今一度我が手で冥府より奪い返し」


光が溢れ、収束し、まるで粒子が踊るようにデティの頭上で舞い散り、その全てが空間そのものを隔離する。その時クライングマン悟る。


「まさか…生き返らせようとしてるのか…!?」


それは死者蘇生、人が辿り着けないとされた領域。かつては魔術師を目指し勉強したからこそクライングマンには理解出来た、その所業が如何に人智を逸した段階にあるかを。


だって魔女さえ不可能なのだ、この世の誰も不可能だったんだ。何千年という歴史で何億という人間が心血を注いでも不可能だったそれを、こんな小娘にできるわけがない…とは、思えない。


思えない程に、今のデティは……。


「神の時代を終わらせる…」


人には、見えなかった。


そして、光はやがて渦を巻きグルグルと紋様を描きながら一気に杖に収束し、杖を通じて…エリスへと注ぎ込まれ──。


「『輪廻天星反魂之冥光』」


──それは絶技と呼ばれる代物。響く重低音は福音の如く鳴り響き、クライングマンは歴史を見る。


未だ一度たりとも成功例が存在しない完全なる死者を蘇生するという場面。失われた魂を再度構築する難易度の高さというのは壮絶を絶する程の物だ。それは如何に魔術といえど難しい。


だが、だが今…クライングマンは見る。エリスの傷口がみるみるうち塞がり、失われた血液が戻り、その体に…再び魂が宿る瞬間。


つまり、生命の誕生を…この目で確認した初めての人類となったのだ。


「───マジで生き返らせた」


その言葉と共に、エリスは再び息を吐き出す。生き返ったのだ…死者が今生者になった、不可逆に思われた死を覆し生に変えた。デティフローアがたった一人でやり遂げた…。


「あり得ない…」


思わず口にする、そんな独り言には誰も応えない、だが代わりに自分の頭が答えてくれる。何度も聞かされ何度も言って何度も言い聞かせた呪いの言葉が今ここでクライングマンに答えを与える。


『魔術に不可能はない』……それをデティフローアは自らの手で実証して見せたのだ。


「ふぅー……ッ」


安堵の息を吐くデティフローアは再びエリスが息を吹き返したのを確認し、額の汗を拭う。成功するかは五分であった、だが幸いにも蘇生条件は揃っていた。


まず肉体損壊度が80%にまで抑えられている事。そして死後一時間以内、他にも必要な条件は二十四近くあるがエリスちゃんはその全てをクリアしていた。だから霧散しかけていた魂を繋ぎ止めて再構築が出来た。


だが確かに死んでいた、そこは確かだ。だが人の魂を図式や数式で表すなら…人間の死というのは存外に単純な事象なんだ。一から一を引いたらゼロになる…ただそれだけの事でしかないのだ。


「さて」


エリスちゃんは意識を取り戻さない、その前にあの雲をなんとかしよう…今から私が全力で魔術を撃ってもあの雲は霧散させられない。覚醒すれば可能だが他の弟子達に覚醒を見せるわけにはいかない。


成長が止まる、それは絶対に招いてはならない事象だ。だから覚醒は使わず…なんとかする。


「よっと…!」


クルリとその場で一回転して杖の上に乗り…天へと飛翔する。エリスちゃんの蘇生で時間を使った、後十数秒後には街の人間全員を死に至らしめる災厄の雨が降る。なんとか出来なければ私も含めて全滅。


エリスちゃんも、ラグナも、メルクさんも、アマルトも、ナリア君も、メグさんも、ネレイドさんも…全員が死ぬ、それは…それだけは、嫌だ!


「ぅぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」


加速する、加速する、加速する。私はエリスちゃんみたいに風の膜を張れないからモロに加速風が顔に当たるがそんなの御構い無しに高度を上げる。間に合え…必要な高さまで、そこまでいけば…ッ!


「来たッ!?」


雨雲から、紫の雨が降る。降り注ぐ、当然…私の身にも浴びせられる。血に落ちゴブリン人間達や魔術師達、エリスちゃんやクライングマン、として他の弟子達にも…当たるのが見える。


死ぬ、みんな死ぬ…何より。


「ぅぐっっ!魔力が!」


雨を浴びた瞬間、体の中で魔力が暴れ狂う。肉を引き裂き外に溢れ出そうと増幅する。これだ、人間はこれを受けると爆散して死ぬ。そこは私も変わらない…けど。


(あの映像を見るに、雨を浴びてから大体三十秒は大丈夫だった、ならその間に!)


クルリと更に回転し私は杖を掴み…荒れ狂う魔力を意識一つで鎮める。


救う、全てを。助ける、全員を。それが友愛の魔女の弟子デティフローアに与えられた使命にして、宿命。


なればこそ…救う、全員をッッ!!


「我、ここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん!」


空を飛んだまま、掴んだ杖を天に掲げ、暗雲の中私は声を張り上げる。それはまるで宣言するかのように…地上に響き渡る。


「一切の傷病を取り除き、遍く未来を守り抜き、歩む力と紡ぐ意志を守護せしめ、光を及ぼす希望とならん事を。癒し、繋ぎ、生かし、活かす。我が魔道は全ての害意を消し去り、ただ我が手に託されたる人々の為に身を捧げん!」


デティフローアの師匠スピカは、毎年収穫が終わった後、街や国を巡り、国民を労うように古式治癒を振る舞う。一年で作った傷や疲れ、その全てを癒し新たな一年に備え、良い一年になることを祈る『廻癒祭』を開く。


魔術一つで街の人間全員を癒す、同じ治癒術師だからこそそれがどれだけ出鱈目な行為なのかよく分かる。人一人癒すだけでも神経を使うんだ、それを纏めて…しかも何千人も癒すんだ。正直言って神業だと思う。


本当に凄いと思う、尊敬する…私もその領域に至るには、何年も費やしたよ。


そして今私は、スピカ先生と同じ境地に立ち…先生と同じ、全てを纏めて癒す神業へと挑む!


「『救神廻癒之明光』ッ!」


詠唱と共に光り輝く煌めきは一瞬でテディを包み込み、雲の切れ目から大地を纏めて照らし、月のない夜にあって太陽が顕現したが如き異様な光景が生み出される。


街全体が、治癒の光で包まれているのだ。これがデティが持つ古式治癒魔術の奥義が一つ…『救神廻癒之明光』。膨大な範囲をカバーし街一つを纏めて癒す治癒の究極系の一つ。


この光に触れた物は問答無用で治される、傷だけではなく疲労や魔力消耗、何より…荒れ狂う魔力すらも鎮める効果がある。嘆きの雨で増大した魔力を元に戻し体が爆ぜるのを阻止する。


この治癒がある限り、人間は雨によって死ぬことはない。


だから…雨が終わるまで、この治癒を絶え間なく行い街全体を守り切る!!


「ぐっ…ぅぁああああああああああああ!!」


絶叫と共に力を入れ、天上にて地上を癒す。癒し続ける、誰も死なせない為に一人天井で耐え続ける。雲の最も近い地点にいるが故に最も雨を浴びる。


絶え間なく行われる魔力増大を絶え間ない治癒で治し続ける。それは筆舌に尽くし難い苦痛と不快感を生む。言ってみれば胃袋の中で蛇が暴れてるような状態だ…それをなんとか人間が死なせないよう薬を撃ち続ける。


孤独、ただただ闇の中孤独に癒し続ける…だがそれで良い。それが……。


(守る!救う!死なせない!私が!絶対に!)


それが治癒術師デティフローアの戦い方なのだから……。



そして、嘆きのジウが降り終わるまでの時間。合計四十五分間…デティフローアは夜空の上で杖を掲げ治癒を行い続けた。数千人規模の人間を常に癒やし続ける神業を、終わることのない苦痛の中でただ一人で行い続ける。


喝采も応援もない中、彼女は一人敵も味方も死なせない為戦い続け…そして。


「ぐぶぇおっ!」


胃液を吐き出し…ふらりと浮力を失い、倒れ込むように地面へ向けて落ちる。と同時に…紫の光を保っていた慈雨の暗雲は、晴れる。


やり切った、やり切ってやった…これで…、嘆きの慈雨は…凌いだ。


「ぐっ…死者蘇生に、超広域魔術の連続行使。肉体遡行もやったし…流石にもう魔力がないか……」


ここに至るまでの間、デティは常に癒し続け戦い続けていた。メサイア・アルカンシエルに攫われエリスを時間遡行で治癒し、そこから時間を殆ど空けずクライングマンとの戦闘、エリスの蘇生、そして四十五分間継続しての大治癒魔術。


その消耗はさしものデティさえも力尽きる程であり…。


だがこれで終わりだ、この戦いももう終わり………。





「んっ、んん…あれ、私…何を」


ふと、朦朧としていた意識が…戻る。不思議な心地だ、エリスちゃんが死んでから…私が行った行動全て記憶にあるというのに、それが自分の意識と紐付けされない。まるで別の誰かが自分の体を使っていたような。


…いや種は分かっているんだ、『アイツ』はもう随分前から私の中にいることは、でもアイツの考えていることも分かるから…別に問題と思っていないというか。


「エリスちゃんは…」


下を見れば、エリスちゃんは今も無事だ。息もある…良かった。死者蘇生魔術…上手く行ったか。後は……。


「は?」


ふと、落ちるデティは街を見回していた。エリスの無事を確認し、仲間達の無事を確認し、街の何処からも血の匂いがしないことを再確認していたその時だった。


目に入る、それは街の奥…トラヴィス邸。私達が住んでいたあの館が……。


『燃えていた』のだ…。


「な、あ…はぁ!?」


二度見する、何故トラヴィス邸が燃えているんだと。既に業火は館全体を燃やし尽くしておりのシルエットしか見えない程に焼き尽くされている。雨にばかり気を取られて後ろがどうなっているか見ていなかった。


いつの間にこんな事に…でも弟子のみんなは外に出て─────。


「ッ!トラヴィス卿ッッ!!」


杖をもう一度掴み、無くなりかけた魔力をより集め吠えながら飛ぶ。残った全てを賭けて私は街を横断し空を駆け抜け館へと飛び抜ける。


ダメだ、トラヴィス卿を失うわけにはいかない。それは彼が魔術界にとって大切な人で、彼の損失がどれだけの損害を生むとかそういう打算的な話じゃないんだ。トラヴィス卿は…トラヴィス卿は、私にとって!


「ぐっ…ぅゔっ!トラヴィス卿!トラヴィス卿!」


そのまま館の庭先に飛び降り、着地も出来ず泥に塗れてゴロゴロ転がりながら私は咄嗟に館の扉を開ける…が。


「うわぁっ!?」


吹き飛ばされる、扉を開けた瞬間流入した空気が一気に燃焼し爆発的に炎が増すバッグドラフト、その勢いに吹き飛ばされ…私は再び地面を転がる。


今の炎の勢い…もう間違いなく、館の中は…全て炎で満たされている。この中にいたら…助からない。足の悪いトラヴィス卿が…外に出ているとは考え難い。つまり…まだ、この中に。


「ぅぐっ…『ウォーター……』」


それでも諦め切れず私は手元に水を作り出す…が、最早それさえ叶わぬ程に消耗した私の体は水の一つさえ作ることも出来ず…打ちひしがれる。


……助けたい、助けなきゃ…助けなきゃダメなんだ。だってトラヴィス卿は…。




『君がウェヌスの息子かい?ああ、彼に似て良い目だ…これからは私が君を支えよう』



初めて会ったあの日、私は初めてスピカ先生以外に明確に尊敬出来る大人に出会った。物心付く前に父が死に、父と言うものを知らない私にとっていつも私を支えてくれる、色々なことを教えてくれるトラヴィス卿は…父親同然だった。


父の温もりを知らない私にとって、規範となる姿を見せ続けてくれたあの人は…父親そのものだったんだ。


「トラヴィス卿ぉ……!」


土を握り締め悔しさに拳を打ちつける。嫌だ…失いたくない、私にとっての父を、心の父を、尊敬する…トラヴィス卿を。


なんでこんな事になった、どうしてトラヴィス卿がこんな目に遭わなければならないんだ、誰がこんな事を……。


誰が………。


「…………イシュキミリ?」


そう呟きながら、私は立ち上がり…視線を後ろに向ける。背後に目を向ける…そこには。


「…………………」


立っていた、瞳から光を失った…被害者ヅラをした、クソ野郎が…イシュキミリがッ!


「イシュキミリ…お前、まさか…ッ!」


「ああ…私が、殺したよ…私の道を阻む、邪魔者を…いつも通りな」


そう、呆然と口にするイシュキミリに…私は、頭が吹っ飛ばされるような怒りを覚える。


こいつは、何を言ってるんだ。こいつは…こいつはァッ!!!!


「イシュキミリィッ!!お前ッ!!父親をッ!殺したのかッ!」


「喧しいッッ!!」


「ぐっっ!?」


咄嗟に掴み掛かった私を、イシュキミリは殴り飛ばす。魔力がなくなれば、こんな小さな体では…何もできない。殴り飛ばされ地面を転がる私を…イシュキミリは見下ろすように前に立ち、ゆっくりと手をこちらに向ける。


その目は、あまりにも…あまりにも冷たい。


「なんで、どうして…」


「どうして?…さぁな、もう分からない。分からなくなった…お前の、お前のせいで…ッ!」


「ぐっ…!?」


その手が首にかけられて、私の首がギリギリと締められる。冷たい目をしたイシュキミリは歯を食い縛りながら怒りと憎悪に満ちた目で私を睨み…牙を剥く。


「もう全部、どうだっていい。何もかも無意味だったッ!より良い世なんて作る意義もない…!父を目指す意味も!師に従う意義も!私自身の…人生も、何もかも…無だった」


「何を…言って…」


「お前が…お前がいなければ……どうして、どうしてお前なんだよ…」


「ッ……?」


ポタポタと首を絞められる私の顔に、水滴が垂れる。雨か?いや…違う、涙だ。イシュキミリは泣いていた。虚な目で、冷たい目で、感情を爆発させながら泣いていた。


その涙の理由は、分からなかったけど…一つあるとするのなら。


「どうしてッ!お前が死者蘇生を使えるんだよ!よりにもよって!魔女の弟子のお前がッッ!!」


……一つあるとするのなら、それはまた…私のせいだと言う事だ。


………………………………………………………


呆然だった、父との話し合いを終え…燃え盛る館の前に私は立っていた。沸々と湧き上がる怒りが炎の熱さに当てられて冷えていく。


今、私は父を殺した。己の全てを否定された怒りと、心の父を否定された憎しみと、殺戮者たる己の本性への蔑みから、私は父を殺した。


父は強い、戦えば私は敵わない…だが、あれは戦いではなかった。ただの殺人だった。


それに…最後の最後に、あんな……。


「………………」


クライングマンはこれを見越して、私をここに連れ出したのか。私の本性が殺戮者である事を父に肯定させ、その上で…私が父を殺す事を、私が父を殺せる事を見越して、私を使ったのか?


だとしたらその目論見は大成功だ、だって父は…最初から……。


「………ん?」


チラリと天を見る、そこには急速に立ち込め始めた紫の暗雲がかかっていた。アレは嘆きの慈雨?…そうか、クライングマンの奴、私諸共この街を滅ぼす気だな。だがもう勝手にすればいい…もう全部どうでも良くなった。


魔術がない方が良い世の中になる、私はそう信じていた。死者蘇生に傾倒した私によって生み出された悲劇と同じような悲劇が、もう二度と繰り返されない事をただ願った。


死者蘇生は不可能なのだから、手を出すべきではないのだ。そこを理解出来ないから…人は繰り返す。そう考えていた…けど、この血塗れの手で作れる世の中が果たしていいものか?私がやろうとしているのは世直しなのか?それともただの破壊?殺戮?


分からない、もう考える気力さえない…。もうこのまま、雨に打たれて消えたい…。


「………あれは」


そんな中私は更に見る、遠視の魔眼で見る。そこは街の入り口付近、デティフローアとクライングマンが戦っていた、とは言えもう既に戦いは終わり、デティフローアの勝利で終わるところだった。


…勝ったか、デティフローア。だが無意味だ、もう雨が降り全て終わ────。


「え?」


動く、私は動く。踵を返し走り出し魔術を使って飛び上がり…加速しながらデティフローア達のいるところに向かう。


今、起こった出来事を口にするなら、エリスが殺されたと言う事。これだけならまた死者が出たと…それだけで終わったかもしれない。だが今…デティフローアが死したエリスに対して何かをしようとしている。


死んだ人間に出来る魔術なんて何もない…何もないんだよ。なのにお前は何をしようとして…。


『天は地に、闇は光に、死は生に、此れ成るは太古の傲慢なりし神の定めた愚法を塗り潰す、我ら人の嘆きの血飛沫』


それは詠唱だった、私はデティフローアに悟られない場所で…それを確かに見た、聞いた。


『連綿と紡がれた悲劇に打たれる一つの終止符、天を穿つ神への嚆矢、運命を捻じ曲げ、失われた彼の者の息吹を、今一度我が手で冥府より奪い返し』


渦巻く魔力が、魔術式を形成する。それを見て…聞いて、私の中の何かが叫ぶ。


やめてくれ、やめてくれと。頼むからやめてくれ…それをされたら私は…私の人生は。


『神の時代を終わらせる…』


私の全てが終わってしまう。そんな祈りにも似た言葉が…口の中でモゴモゴと声にならぬ声となり、漏れ出る。見たくない、そんなの見たくない、なのに見てしまう。死んだエリスに対してデティフローアがやろうとしているのは…。


嗚呼、間違いない…間違いない…!


『『輪廻天星反魂之冥光』』


(あ…ああ…ああああ……)


青褪める、頭から血の気が引いて意識が朦朧と崩れ、膝から倒れるように私はその場にしゃがみ込み、口元を押さえ…嗚咽する。


アレは間違いない…死者蘇生。それも完全な…死者蘇生。私が辿り着けなかった領域…それをデティフローアは実現していた。死んだはずのエリスが息を吹き返し、一定のリズムで呼吸を繰り返す。


あの光景を、私はどれだけ焦がれたか。あの現象を、どれだけ夢見たか。何度も何度も夢に見て焦がれ求め全てを犠牲にしてでも手に入れたくて全てを費やして、その末に私は全てを失った。


無理だったんだ、魔術にも不可能はあるんだ。私はそこに挑んだから罰として失ったんだ。


そんな風に、答えを見つけて…自分に言い聞かせてきた。そもそも出来ないんだよ死者蘇生は、だから目指しちゃいけなかったんだよと。


なのに、だと言うのに…よりにもよって、お前が…お前が使うのかよッッ!!


「あぁっ…ぅぐっ…くっ…ゔゔぅ…!」


デティフローアが飛び立つ、雨が降る、紫の雨が降りかかる。雨は私を打ち据え…全身が濡れる。これがどれほど危ないかを私は知っている。だがそれでも…私は悶える。


身を焼くような苦痛さえも、目に入らないほどに…私は心が焼けている。


想像すらしていなかった最悪の現実を叩きつけられ、私の中にある全てが壊れていく。


『死者蘇生』は可能だったんだ…、出来たんだ。魔術でも実現出来たんだ、じゃあ…じゃあ何か、トレセーナが死んだのは…私が誰も生き返らせられなかったのは。


死者蘇生が不可能だからではなく…ただ、ただただ…私の力が足りなかったから、なのか。


「ぐっ…ゔぅぅぅぅうう……!!」


頭を掻きむしる、根底が崩れる。魔術には不可能がある…私のそんな理屈が、デティフローアに崩される。


私は魔術によって全てを失ったんじゃない、ただ私の力が足りなかったから母を生き返らせられなかった、ポワリを生き返らせられなかった、トレセーナを死なせた…父を、憎んだ。


全ては…私が至らなかったから!じゃあ全部全部…私のせいじゃないかッッ!!


「ゔぁぁああああああああああッッッ!!!」


頭を抱え叫ぶ。魔術に不可能などない、間違っていたのは私の方だ。私の人生と理想は間違ったものだった。


父は言った、間違えないよう生きたと。師は言った、私は間違えていないと。


間違いは否定される物だ、間違えた私は否定されるべき存在だ。


なら…これから、どうすればいい…どうしたらいいんだ私は。掲げた理想さえ血に塗れ、夢見た世界さえ否定され、剰え…自分を守っていた唯一の言い訳さえ今、現実によって打ち砕かれた。


魔術さえなけれないい世になる?私みたいに死者蘇生に縋らなければ良い世になる?…馬鹿馬鹿しい、私がただ無力だっただけじゃないか。じゃあ魔術は…結局、正しいものということになるじゃないか。


何もない、もう私には何も……でも、一つこの胸に宿る感情を言葉にするなら。


「デティ…フローア……」


天を見上げる、降り注ぐ光を見る、そこにいる…実現の体現者を見上げる。


アイツが…憎い。ただ今はアイツが憎い、それが見当はずれな憎しみであることは理解している、けれどそれでも…なんだかとても憎らしかった。


なんでアイツなんだ、なんでアイツに出来て私に出来なかったんだ…。


師は言った…『魔女は旧時代の遺産である魔術を現代に押し付け、今も縛りつける過ちの権化である』と、そんな意識を継ぐ魔女の弟子が…私の夢見たものを持っていて、私が縋りついた魔術否定すらぶち壊し。全てを奪った。


憎しみ、悔しさ、悲しさ、怒り…全てが入り混じった私は、雨の中…苦痛の中、立ち上がる。


「もう私には何もない…なら、もう…どうしたっていいよな」


ここから先は…もう、理想などない。ただの私怨だよ……。


…………………………………………………


「お前が死者蘇生さえ使えなければ、私は…」


「バカな事言ってんじゃねぇよ!お前が間違えたのはお前自身の責任と選択だろ!その自分勝手な理屈と我儘と!子供じみた責任転嫁でトラヴィス卿を殺したのはお前だろッッ!!」


「ああ、そうかもな…」


そしてイシュキミリはデティフローアを見つけ、首を締め上げる…殺そうと画策した。だが…その手が止まる。


「……お前、私に何か言いたいことがあるようだったが、なんだったか。責任?」


「もう、お前にどうこうしてやるつもりはない…お前が、まだ引き返せるところにいるのなら、私が責任持って引き戻すつもりだっただけだ」


「ああ、お前も父と同じ事を言うんだな。私の道を否定するんだな…嗚呼いいよ、もう」


ただ殺してやるだけじゃ物足りなくなった。今ここで殺してやっては意味がないような気がしてきた。どうせもう理想を掲げる必要などないのだ、理想がなければ手段など選ぶ必要はない。


ただ、この憎悪を晴らせれば…それでいい。


「お前は殺す、最も良い方法で……」


「ぐっ……」


これはお前と言う魔術に対する復讐だ。そして自分と言う愚か者への当てつけだ、力も無く何も成せない己への罰として…こいつを殺す。だがここでじゃない…最も良い方法で殺す必要がある。


「故に今は眠れ…準備が整うその日まで」


「う……く」


強制催眠魔術にて…眠らせる。そしてデティを抱え…私は歩みだす。全てを救おうとした私の罰は…全てを壊す事で完遂される。


丁度いいものも、揃っているしな…。


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