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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十七章 デティフローア=ガルドラボーク
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610.対決 魔狼クライングマン


冒険者協会指定危険度Aランク魔獣。討伐の際は手練の冒険者百人近くが部隊を整え挑むことでようやく安全に討伐出来るとされる魔獣界最強の怪物達。オーバーAランクの怪物を除けばこのAランク魔獣こそが最強の魔獣とされている。


だが、言葉を語る事がない魔獣達に言わせれば…『ちゃんちゃらおかしい』と言わざるを得ないだろう。なんせ指定危険度なんて物は所詮人間が作った枠組みに過ぎず、Aランクだからと言ってその全てが同一の力を持つとは限らないのだから。


例えばAランクではあるものの他のAランクに劣り、実は百人以下でも容易に倒せるような奴がAランクの中にはいる。人間が決めてるだけなんだ、魔獣がそれに合わせて実力を上下させることなんてない。


だからいる、Aランクの中には当然。人間がAランクと決めているだけで同じAランクの枠組みから明らかに逸脱した怪物が。それはオーバーAランクのような特異な物には及ばずともAランクの魔獣から見れば明らかにAランク以上に見える力を持つ。


例えばその代表格が…『シルバーハントウルフ』。別名月下の銀狼と呼ばれる伝説の魔獣だ。出現条件が極めて難解かつ特定の場所以外での活動をしない上個体数が極少である事から文字通り伝説と呼ばれる珍しさを持つ魔獣の一匹。


こいつは他のAランクとは文字通り規格外の力を持つと言える。その膂力は一撃で地表を覆し爪の一振りで鉄板の鎧を両断し目にも止まらぬ速度を持ち。他にも喰らった存在の力を強奪する魔術を持ち、魔力そのものに物理的干渉を行える魔術も使い、空間を歪ませる魔術も使い…あまりにも多くの魔術を扱うこの魔獣と遭遇することは文字通り死を意味するほどに強い。


どう考えてもAランクじゃない、Aランクより上の段階があったらまず間違いなくシルバーハントウルフは入ってくるだろうと断言出来る程に強い。


そしてそんなシルバーハントウルフの力を獲得したのが…クライングマンという男。民間組織メサイア・アルカンシエル抗議隊の代表であり、全国数十万の抗議者達の頂点に立つ男。数十年近く民間組織を支え続けているこの男もまた魔獣の因子を持つ者の一人である。


魔術を憎むがあまり本来の名を捨て『泣く男』の名を名乗り、膨大な憎悪により魔獣の意思さえ組み伏せ飲み込んでしまう程に強烈な自我を持つ彼は魔獣と一体化し更に進化をし別の生命体へと進化した。


彼は最早シルバーハントウルフでもクライングマンでもない。新たな存在クライングハントウルフとでも呼ぶべき存在となった。



当然、別格の力を持つシルバーハントウルフの遺伝子を完璧に操るが故に他の大隊長達とは一線を画する力を持つ彼は…瞬く間に大隊長の筆頭へと上り詰めた。そして今…その牙が向かうは。


彼から全てを奪った『魔術』その物である。


「ぐるぉおっっ!!」


「危なッ!?」


ウルサマヨリにて激突するデティフローアと狼男となったクライングマン。イシュキミリを追う者とイシュキミリを行かせたい者、止めたい者と進めたい者、相容れない二人の思惑は武力による相手の排除という形を取り…戦闘へと至った。


しかし本来ならば魔力も魔術も使えないクライングマンはデティの相手にならない存在だった、魔術の一発を防ぐ術を持たないクライングマンに苦戦するまずはなかった。ただ一つ、魔力を持たない肉体に秘められた神の悪戯、魔獣因子の完全適合と言う才能さえなければ…の話だが。


「ッなんて鋭い爪…おまけにクソ速い…!」


「ゥアォーーーン!!」


クライングマンの一撃を空を駆け抜け回避した瞬間、デティの立っていた場所…家屋の屋根がクライングマンの爪に沿うように四本線が入りそのまま両断されたのだ。


そんじょそこらの鉄剣とは比べ物にもならない鋭さと建物を真っ二つにする膂力。何より反応出来るか出来ないかというレベルの超高速の脚力。その尋常ならざる力にデティは冷や汗をかきつつ別の屋根に移動し着地すると同時に杖を構える。


奴は強い、魔獣の力を完全に自分の物にした上で更にその上を引き出している。その力は既に八大同盟の幹部クラスに高められていると言っても過言ではないだろう。


(強敵だ…けど、引けない)


されど引くわけには行かない、クライングマンは今街で暴れてるゴブリン人間達を統率しているようにも思える、ここでこいつを放置すればゴブリン人間達で溢れたこの街の騒動を止める手段がなくなる、何より…とっととこいつを倒してイシュキミリを追いたいんだ。


私が逃げて終わり、そんな形の終幕を相手が望んでいない以上倒すしかないんだ!だから!


「容赦なく行くから!『カリエンテエストリア』ッ!」


「魔術ゥ…ッ!」


私は杖を振るい灼熱の熱球を放つ。そしてそれを見て目を真っ赤に染めたクライングマンは回避の姿勢すら見せず…。


「グゥぅォォオオォッンッ!!」


拳を握り、唸り声を上げながら熱球を殴り抜き弾き返してみせたのだ。出来るわけがない、熱の塊をパンチで弾くなんて…でも、その出来ないことを可能にするのが、奴の体だ。


「チッ…やっぱダメか!」


「オレにゃあ魔術は効かねぇよぉ!悲しいなぁ魔術導皇ォッ!」


シルバーハントウルフという魔獣は、魔力そのものを物理的に捉え干渉する力を持つ。つまり魔術を物理的に弾く事ができるのだ。カリエンテエストリアは熱の塊である前にそもそも魔術、魔術とは魔力の塊。奴からすればボールのように弾き返す事も造作もないのだ。


狼の動体視力に運動神経、これがある限り奴に魔術を直接当てるのは不可能か…ッ!!


「グシシシシッ!対魔術に特化した体を欲し、そして執念で手に入れた。オレを魔術で倒すのは無理だぜ魔術導皇」


「……さあてそれはどうかな、魔術に不可能はないんだよ」


「言ってろよ…やってみろよ、オレに対してッッ!!」


そしてクライングマンは大きく息を吸い、ボコンと音を立て胸部を膨らませると…。


「バウッッ!!」


「ッッ!!」


吠える、超強化された肺活量を生かした轟音による遠吠え、それは奴の足元の屋根を突き崩し、下層にいるゴブリン達の耳を爆裂させ吹き飛ばし、衝撃波となって私に迫る。受ければ死ぬ、直感で分かる。


故に動く!体が!


「『ダイアモンドフォートレス』ッ!」


展開されるのは虹の煌めきを及ぼす光の壁、それが私の周りを完全に覆い込みクライングマンの音の砲撃を完全に防ぎ切り───。


「悲しいねぇ…魔術ってのは」


「え…!?」


しかし気がつく、音の砲撃は防いだ、完全に。だが居ない、クライングマンが…私の視界から消えている、何処に行った。私は慌てて視界を左右に揺らし…次いで上を見ると、そこには拳を大きく引いた姿勢のクライングマンが、跳躍にて防壁の頭上を飛んでおり。


「グァオゥッ!!」


「ぅぐっ!?」


叩き込まれるクライングマンの拳がダイアモンドフォートレスを打ち据え、叩き割る。レッドランペイジの一撃だって防ぎ切ったダイアモンドフォートレスが割られるという異常事態。されどタネは理解している。


奴の肉体が持つ魔力干渉能力がダイアモンドフォートレスを固体として捉えたのだ。その実態を物理的に捉える力は防壁の硬度関係なしに力で叩き割る事ができるのだ。


粉砕される防壁と共に足場が崩れ、屋根の上に立つ私は家屋の中に突き飛ばされ瓦礫と共に家の中に落ちることになる。


「グッ!」


「な、なんだお前らァッ!?」


家の中は研究所になっていた、そこには一人の魔術師が資料片手に杖を握っており外から迫るゴブリン人間の迎撃に当たっていた。そんな中に降ってきた私…そして。


「グルルゥ…おぉ?魔術師もいるなァ…!」


「ヒッ!?化け物!?」


クライングマンだ、自分で開けた穴に頭を突っ込み、更に両手を捻じ込み穴を広げながら家の中へと体を捻り込んできた。


まずい、奴の目が家の中の魔術師を捉えた。こいつにとって憎むべき敵は私そのものではない、憎むのは…。


「なんだなんだよ研究してたのかよ魔術の研究をよぉ、そんな事されちゃあ困るってぇよぉ。魔術ってのは人を傷つけるんだぜ知らないのかよぉ」


「こ、この怪物人語を解するのか…!?」


「ッ逃げて!」


「オレぁ魔術が許せねぇんだよぉッッ!!」


「ヒッ!」


爪を振るうクライングマンの行動に合わせ私は体ごと魔術師に突っ込みなんとか直撃は免れる、奴にとっての敵は私ではなく魔術そのもの。奴は魔術の全てを恨んでいる。人であることを捨ててでも破壊しに来る。近くに魔術師がいるならそれもまた攻撃対象なんだ。


「あ、貴方は魔術導皇様?」


「クッ…いいからここから逃げて」


「ですが……」


「グフフ…ガハハハハハハハハ!悲しいくらい笑けてくらぁ!」


そして私は是が非でも魔術師を守らなければならない、こいつの毒牙に掛けさせていいわけがないんだ。私は体を引き起こし再び杖をクライングマンに向ける…すると、私が助けた魔術師もまた小さな杖をクライングマンに向け。


「あぁん?」


その事実に気がついたクライングマンは向けられる二つの杖を見て、ニタリと笑う。


「悲しいねぇ、魔術ってのはトコトン悲しい」


「ッ…君、すぐ逃げて」


「で、出来ません!魔術導皇をお守りするのが全魔術師の使命!!だから…」


「グァハハハハ!お守り!お守りと来た!魔術師の悲哀が込められてらァッ!」


ギラリとクライングマンの牙が光る、スラリと爪が伸ばされ光を反射する。先程とは打って変わって奴は杖を恐れていない、そりゃそうだ…恐れる必要のない体を手に入れたのだから。


「魔術ってのは悲しいぜ、人に与えられた人を超える力…それが魔術だ。だから魔術を持った人間は誰しもが思ってしまう…『自分にはなんでも出来る』と。まるで何もかもを可能とする神にでもなったかのように求め、あらゆる物を欲する。…その実態は、相も変わらず脆い人間のままだというのに!」


「う、うわぁあああ!『ファイアアロー』ッッ!!」


「ギヒヒッ!」


発狂するように炎の矢を放つ魔術師、そしてそれを嘲笑うクライングマン…そしてその矢は。クライングマンの胴体に吸い込まれるように当たり…いや、当たらない。直前で奴の大きく開かれた口がバクリと炎の矢を噛み砕き消し去ってしまう。


「なっ!?魔術が…」


「ほらな?魔術に不可能がないと思い込んだ魔術師なんてのはぁ…こんなもんだよッ!」


そして振るわれる剛拳、その一撃が魔術師の胴体を捉え吹き飛ばす。私も、魔術師も反応出来ない速度…同時に裂けた体から血が溢れ、魔術師の体が後方へ飛び───。


「『ヒーリングオラトリオ』ッ!」


「お?」


しかし、吹き飛んでいった魔術師への治療行為は、デティでさえ知覚できないスピードで動くクライングマンですら、認識出来ない程の速度で行われる。反転し杖を魔術師に向けその傷を絶命に至るよりも早く治し切ったその動きにクライングマンは呆気を取られる。


魔術師の存在が、クライングマンの怒りに触れるというのなら。それは翻って言えばデティにもあるということ…これだけは許せないと言う行いが。

それは…魔術師への、自らの臣民への不当な攻撃。今クライングマンはデティの逆鱗に触れ────。


「『バーストゲイル』ッ!」


「ゔぉっ!?」


治療を終えると同時に叩き込まれた衝撃波にクライングマンは吹き飛び民家の壁を突き破り飛んでいく。怒りに身を任せた…友愛の魔女の弟子にあるまじき攻撃、されど…それでも。


「相手するなら、私だけにしなさいよ!クライングマンッ!魔術導皇相手に余所見に脇見とは欲張りがすぎるだろうがッ!!」


許せない物は許せない、今の攻撃でクライングマンはデティの琴線をぶっちぎったのだ。


「ヘッ…悲しいねぇ、魔術でオレを倒すのは、不可能だってのに!」


デティに吹き飛ばされてなお、傷一つ受けぬ無敵の体を誇るように瓦礫を吹き飛ばし街の通りにて起き上がるクライングマン、そしてそれに相対するデティは既に始めていた…この怒りを相手に直接ぶつける戦闘法、その準備を。


「生体認識、座標把握…」


杖に額をつけて、祈るように目を閉じる。巨大な狼男を前にして無防備を晒すその行為…されど必要な工程、何故なら。


「『エーテルハンド・リフトアップ』!」


杖を振るう、生体認識…つまり魔力探知にて周辺にいる全ての魔術師の座標を正確に把握したのだ。ゴブリン人間の波の中から的確に人間だけを見つけたデティは魔術を使う。


それは魔力で出来た腕を作り出す魔術。それを見つけた街人全員の頭上に作り出し全員を持ち上げ家の外に出し…その全てをトラヴィス邸の方へ向けて一斉に飛ばした。その行為を見たクライングマンは気がつく…。


「避難させてるのか?悲しいねぇ」


避難、周辺にいる人間全員を避難させている。クライングマンが先程のように他の魔術師を害さない為に、巻き込まない為に敵を前にして民の移動を優先したのだ。その人命優先の態度にクライングマンは口角を上げ爪を伸ばす。


「なら、オレは遠慮なく目の前の魔術を殺すよッッ!!」


そして振るう、デティの首を狙って、他の人間を避難させ無防備なデティの首を…しかし、違う。誤算がある、クライングマンには。


デティはクライングマンの攻撃に巻き込まれないよう他の人間を避難させたんじゃない…。


自分の攻撃に巻き込まないよう、避難させたのだ。


「なぁっ!?」


消える、爪に当たったデティの姿がまるで煙のようにスルリと…そして聞こえる声は。


「『ホロウビジョン』…」


「後ろから!?」


背後に咄嗟に目を向けると、そこには杖を構えたデティの姿が。『幻影投影魔術ホロウビジョン』…幻惑魔術には及ばない物の自身の幻像を出現させる魔術にクライングマンは騙されたのだ。


そしてデティの杖の穂先が…赤く煌めく。


(攻撃が来るか!だが弾いてしまえばこんなもん───)


「『ポイントグラビティ』」


「は!?」


攻撃が来る、故に防御をとデティを相手に待ち構える姿勢を見せたクライングマンだったが、それが間違いだった。デティが放ったのは局所重力魔術ポイントグラビティ。ある一点を重力発生源へと変える魔術だ。


魔術で指定した部分を重力発生源へ変える魔術。本来は壁に向かって使い、魔術師が壁に張り付くのに使われる移動補助魔術。だがデティがそれを全力で使ったなら…当然、常軌など軽く逸してくる。


「なぁっ!?街が!?」


街が捲れ上がる。大地がカーペットのように捲れクライングマンに張り付き、家屋が崩れクライングマンに張り付き、ゴブリン人間達が吸い寄せられ張り付き、クライングマンを中心に全てが吸い寄せられ何もかもが彼に張り付きその体を押しつぶす。


あっという間に巨大な岩の球体が完成しクライングマンはその中に閉じ込められた…だがまだそれでもデティの攻撃は終わらない。


「『ビッグエーテルアーム・リフトアップ』」


魔力の腕を…巨大な腕を作り出しその球体を持ち上げ天へと投げ飛ばす、と同時に…魔術を放つ、それは。


「『Alchemic・bom』」


──錬金術。物質を別の物質へと変える魔術系統、本来はデルセクトが得意とするそれをデティは扱う、しかも本来使い手であるはずのメルクリウスのそれを大きく逸脱した勢いと威力で。


対象は投げ飛ばした岩球、クライングマンを閉じ込めたそれを丸々纏めて爆薬に変え…夜空の只中にて爆裂させる。超巨大な爆弾の爆発に、その中心部から巻き込まれたクライングマンは天の光と共にその姿が掻き消える。


「勘違いしてない、貴方」


パラパラの落ちる瓦礫、光り輝く炎光の残滓の中、デティフローアは杖を立て…ギロリと天のクライングマンを睨む。


「『魔術に不可能はない』…確かにそれこそが魔術の根底にある論理であり、貴方はそれを否定したいからこそ嘲るんだろう。だが違う…魔術そのものが不可能を可能にするのではない」


燃え上がる大地と共に、それ以上の怒りを燃え激らせるデティフローアは吠える、魔術が不可能を可能にするのではないと。それは、その言葉は…。


「『魔術に不可能はない』んじゃない!『不可能を可能とする事を諦めぬ者に魔術は宿る』んだよッ!人々の安寧の為理を曲げ不可能に挑む魔術師達をッ!徒に傷つけ嘲ることは!私が許さないッ!!」


「グゥッ…!」


その言葉と共に爆裂に巻き込まれたクライングマンは大地に墜落し、焼けこげた体を震わせながらも立ち上がる…が、その身は先程とは異なり傷が生まれている。


魔術で傷つけることは不可能なはずなのに、デティはそれさえも可能にしたのだ。


「クソッ、どうなってんだ…防ぎきれなかった」


「バカね貴方、確かに貴方の体は魔術に対して強い対抗手段を持つ。けど貴方のそれは魔術を無効化するんじゃなくて『魔力に干渉する』だけでしょ?」


「ああそうだよ、だから今の魔術だって…いや、まさか」


「重力で飛んできた石はただ自然の摂理に従っただけだし、さっきの爆発は錬金術で岩を爆弾に変えただけ、爆弾が爆発するのは魔術じゃないでしょ?」


「……チッ、悲しいねぇ、こんなすぐメタ張られるかよ」


結局、魔術そのもので攻撃しなければいいだけ。重力で岩を飛ばせばその岩は魔術そのものではない、錬金術は『変える』ところまでが魔術だ、その後発生する事象は魔術ではない。だから重力で岩を飛ばせば、錬金術で岩を変えれば、クライングマンは防ぐ術はなくなる。


「ほらね、私が諦めない限り…不可能は可能になる」


「やっぱり、お前がいるから…魔術師が夢をみるッ!」


最早クライングマンは無敵の存在ではない、理学によって解き明かし思考によって正体を暴く。爪も牙も持たない人間がこの自然で勝ち抜く為にやってきた基本行動。これがある限り決して勝てない相手ではない。


故にデティは杖を構える…そしてクライングマンも爪を向ける。まだ戦いは終わってない、ぶつけてないんだまだ。己の信念を。


「グルルゥォアッ!!テメェさえ消し去れば!無意味な夢など消えてなくなるッ!早く失せろや魔術導皇ッ!」


「『オイルカーペット』ッ!」


「ぬぉっ!?」


踏み込み拳を振るうクライングマン、しかしその足元に生まれた油溜まりに足を取られバランスを崩す…と同時に飛んでくる、デティの攻撃が。


「まずッ───」


「『サンダースプレッド』ッ!!」


「グゥッ!?こなくそがァッ!!!」


バランスを崩したクライングマンを包み込む黄金の電流、その雷に肌を焼かれながらもクライングマンは電流魔術をその手で掴み、袋でも破くようにビリビリと引き裂き更にデティに向け口を開き。


「死ねやァッ!!」


「むぉっ!?そんなことも出来んの!?」


放つ、高密度の魔力照射を。光と共に熱を持ったそれを一気にデティに向け放出する…あまりの出来事に咄嗟に回避が遅れ熱線の爆裂に飲まれ吹き飛ばされるデティ、を追いかけるクライングマン。


「ぶち破れろッッ!!」


畳み掛けるような怒涛の連撃、口から放った熱線でデティの動きを抑え、吹き飛んだところに更にかける追い討ち、飛び上がり上から叩き込むように巨大な拳をデティに叩きつける。


「ぐぶふぅっ!」


「潰したぁ!内臓をォッッ!!」


叩きつけられ地面が割れる、デティの体から血が噴き出て口から噴水のように血が漏れ出て轟音が鳴り響く。小さな体では受け止めきれない一撃は内臓をいくつも潰しデティの命を刈り取り───。


「ぅぐっ…治癒魔術師と戦うのは初めて?」


「あ?」


がしかし、潰したはずのデティの体が即座に元に戻る…与えた傷が無意味だったかのように元に戻る、それを見たクライングマンは目を剥きデティから咄嗟に手離す。


(まさか遅延治癒…!?)


遅延治癒、時間差で巻き起こる治癒を体の中に留めていたのだ。故に攻撃を与えた直後に傷が回復した、殴られ内臓を潰されることも織り込みで攻撃を事実上防いだのだ。


そして、殴りかかったが故に今クライングマンはデティの射程の中にいる。


「『ディリュージバースト』」


「がぼがぁっ!?」


ゼロ距離から叩き込まれる水素爆発。物理的干渉を行う暇もない速度の爆裂。デティ自身は自らを防壁で保護しながらの大爆発にクライングマンの体は吹き飛ばされ天を舞い上がる。


「ッ流石に強えな、だが───」


しかしそれでも動く、魔獣の耐久力を持ったクライングマンは生半可な攻撃では倒れない。事実舞い上がった体を空中で整えて空気を蹴り加速しながら再びデティに迫るのだ…が。


そんな動き、見えているとばかりにデティは既に杖を向けており……。


「『ジョークディバイン』」


「は?」


ボンッ!と音を立ててクライングマンに向けて放たれたのは、杖の穂先から放たれたのは…攻撃でもなんでもない、ただの黄色いガスで。それを真っ向から浴びたクライングマンは即座にガスを引き裂こうと爪を伸ば──。


「ぐげぇっ!?なんッ!?なんだこれェッ!?」


否、動けなかった。脳髄に直接針が刺されたような激痛を感じクライングマンは受け身も取れず地面に落ちゴロゴロと転がりながら鼻を抑えのたうち回る。なんだこれ…とはつまり、今のガスがなんなのか、クライングマンは分からないと言うのだ。


簡単だ、今出したのは…。


「今出したのは、ジョークディバイン…三日位放置したたまごの殻と腐ったお肉の匂いを混ぜた悪臭だよ。所謂嫌がらせ魔術って奴」


「なんじゃ…そらぁ、おぇぇえええええ!」


悪臭魔術ジョークディバイン。三日放置した卵と腐ったお肉の悪臭を放つ嫌がらせ専用魔術。言ってみればただ臭いだけの魔術だ、だが…それでも今の奴には毒も同然。なんせ狼の鼻は人間のそれより何倍も鋭敏なのだから…。


「効くでしょ、それ」


「な…なんでそんな魔術まであんだよ…!」


「あるよ、どんな魔術だって。そして私はどんな魔術だって会得している、それがどれだけくだらなくとも魔術である限り会得する、それが魔術導皇だよ」


「ぐっ…ぉげぇぇ」


それがデティの強みである、魔女の弟子…いやともすればシリウス亡き現在の人類に於いて最も多くの手札を持つ人間。現存する全ての現代魔術を習得する彼女の手札は文字通り数万…数十万に至る。


何をしても、その都度デティは的確な手札を選ぶことが出来る。なんてことはない、クライングマンが挑んでいるのは魔術導皇ではなく魔術そのものだと言う認識はなんの間違いもない。


魔術導皇こそが、いや…デティこそが魔術そのものなんだ。


「ぐっ、ぐぞ…!」


あまり悪臭を嗅いでゲロゲロと嘔吐するクライングマンは動けない、動けないクライングマンにデティが迫る。対策を立てられただけであっという間に巻き返された、肉体面の有利など軽く跳ね飛ばされた…その事実に驚愕しながらも揺れる瞳でクライングマンは魔術導皇を見る。


「終わりにするよ、その状態じゃゴブリンは呼べないよね。ならこれで詰み…」


「ぅぐっ…!」


そして、杖が突きつけられる。そこから何が飛んでくるのか予想は出来ないが少なくともこのまま行けば負けることはわかる。そう…負けを認識したその時、クライングマンは…。


(ま、負けたくねぇ……負けたら、オレぁ…『あの人』に恩返しが出来なくなる)


敗北の寸前で彼が想起したのは、彼が忠誠を誓う相手への…憧憬だった。


─────────────────


「君がリュカオン・ネブカドネザル君?魔術師志望だと聞いたが」


「はいっ!僕…昔から魔術師になるのが夢だったんです!「?


それはいつだったか、もうずいぶん前だったように思えるクライングマンがまだ『慟哭の男(クライングマン)』の名を名乗る前の頃の話だ。


マレウスではない、とある国にて中流階級に生まれた彼は両親の後押しもあって中央都市の魔術学校に入学したんだ。まだ何も知らない幼気なクライングマン…リュカオンは満面の笑みで両親と相談の上で買った魔術教本を抱きしめながら希望に満ちた未来を思い描いていたんだ。


学校に入学して、割り振られたクラスで自己紹介がてらに教師に向けて一礼したリュカオンはほっぺたを赤くしながらやや照れた様子を見せていた。夢を語るのは恥ずかしい、けれどそれ以上に教えられなかったんだ。


「ふむふむ、リュカオン君はどんな魔術師になりたいんだい?」


「将来は魔女様のような、魔道の深淵を目指したいと思っています!」


「ま、魔女様…ね、そうかい」


その国は非魔女国家だったからそんな夢を語れば教師に顔を顰められた、けれどリュカオンにとってかつて読んだあの本が脳裏に焼きついて離れなかった。


『孤独之魔女伝記』…孤独の魔女レグルスの伝承を纏めたあの本を読んで、リュカオンは魔術師を目指した。魔術にて全てを決定し凡ゆるを可能とする魔女レグルスの姿はリュカオンにとってあまりに眩しかった。


だから目指した、まだ当時はレグルスは架空の存在とされていたから…話半分ではあったけどみんな聞いてくれた。それが嬉しかった。


「へぇ、魔女目指すなんて大口効くじゃん。頑張れよリュカオン」


「よろしくな、一緒に立派な魔術師になろう」


「うん!みんなよろしく!」


ここにいるみんなと、仲間達と、魔術師を目指して頑張っていくんだ。これから先はただ夢に向けて進む道を歩いていく…と、この時のリュカオンは思っていた。


そう、思っていた。もう一度言っておくとリュカオンは将来クライングマンを名乗る男になる。魔術を心から憎み他者の命を奪うことになんの躊躇いも抱かない男になる。それが立派に夢を叶えられたと思うか?


無理だ、当然この夢はポッキリとへし折られることになる。


それは…その時は、意外に早く訪れた。


「あ…あれ………」


「おいどうしたリュカオン、基礎魔術のアロー系さえ使えないなんて…」


それは最初の授業、アロー系を使ってみると言う授業で発覚した。リュカオンは魔術を使えないと言う事実。


みんな使えて当たり前のアロー系が…リュカオンは使えなかったんだ。当時は学校入学の試験は基本が座学で魔術が使えるかどうかなんてテストはしなかった。だって当たり前だろ、魔術師目指してんのに魔術使えないなんてことはない…いやそれ以前に、そもそも魔術は鍛えれば誰もが使えて当たり前の物。確かめる必要も疑う余地もなくて当然の物。


或いはそれはこの世界の歪みだったのかもしれない、歪な構造だったかもしれない。そのせいでリュカオンは今日まで知らなかった、不幸にも知らなかった。


自分が魔力漏洩症…魔術を使えない肉体に生まれている事実を。


「嘘でしょ、アロー系も使えないとか、何しにこの学校に来てんの?」


「魔力の固め方下手すぎ、何あれ」


「悲しいくらい才能がない奴ってのもいるもんだな」


「うっ……!」


そして、魔女大国や都会ならいざ知れず。辺境の非魔女国家には魔力異常のような特異な体や体質への理解度は薄く。リュカオンはあっという間に他の生徒達から『魔術の才能をまるで持ち合わせない癖にたいそうな夢を語る身の程知らず』のレッテルを張られてしまった。


「ち、違うよ。これは何かの間違いだって…」


「なんの間違いなんだよ、全然ダメじゃん」


魔力漏洩症の発覚の遅さ、発見するためのセーフティネットの皆無さ、魔力異常への理解度の薄さ。色々不幸な要因は重なったが…一番不幸なのはリュカオンは焦がれるほどに魔術師に憧れていたという点だろう。


それほどまでに憧れながらも、魔力漏洩症の事を知らず、学校に入学したら使えるようになると…望む場所に行けば望みが叶うと漠然と思い込んでいたこと。それが何よりの不幸だったと言える。


「と、ともかくアロー系さえ使えなければ話にもならない」


「せん…せい……」


「今日は私と残って、補習だな」


「う………」


嘲り、侮蔑、見下し。仲間だと思っていた者達が急に遠くに感じ、自分が地べたを這いずる虫ケラのように思えた瞬間だった。


そして当然ながら、その日は日が暮れるまで先生と共に練習をしたが終ぞ魔術は使えなかった。リュカオンは寮に戻り両親と買った魔術教本を枕に涙を溢れさせた。本を叩きながら表紙がふやける程に泣いた。


泣いて、泣いて、泣き続け、そして朝になって登校して、またみんなが出来ることを自分だけが出来ない現実を突きつけられ、打ちのめされた。


『ねぇあの子、魔術が全く出来ないんだって』


『聞いた聞いた、アロー系も使えないなんて前代未聞だよね』


『今日日子供でも出来るってのに…』


廊下を歩けば、笑い声が聞こえる。ただ魔術が使えない…それだけでこの学校では人間以下の存在として扱われる。


『魔女を目指すとか言ってらしいよ』


『馬鹿馬鹿しい、それ以前に人並みになるだけでも奇跡だろうに』


『才能がないことに気がつく才能までなくて、オマケに恥を自覚する才能もないんじゃどうしようもないね』


ただ夢を語っただけなのに、ただ魔術が使えないだけで差別を受け侮蔑される。名前も顔も知らない人間から後ろを指を差され生きていく事が、ここでは…魔術界では決定されている。


憧れただけなのに、夢見ただけなのに、なんでこんなに苦しい思いをしなきゃ行けないんだ。こんな苦しい思いをするなら今すぐ逃げ出したい…そう思いもしたが…今更どこにも帰れなかった。


両親に申し訳なかった、彼の家は中流…安くない金を払って無理をしてここに入れてくれた。何より夢を語ると両親はそれを応援してくれたし、魔術教本だって買ってくれたし、せめて夢の足がかりだけでも掴んで帰らないと両親に合わせる顔さえ無い。


せめて一つでも、一つでも魔術が使えれば…それさえ出来れば─────。





「もう無理だ、リュカオン。一年間君を指導してきたが…我々では君を導けない」


「え………」


……一年、そして一年間地獄に耐えたリュカオンに突きつけられたのは最後通告。つまり…。


「言い難いが君は退学だ」


「そ、そんな…僕まだ魔術を一つも使えてないんですよ…。憧れてた魔術師にさえなれてないんですよ…!なのになんで!?なんでですか!放り出さないでください!捨てないでください!」


退学宣告、当然だ、ここは魔術を教える学校…なのに教えられた魔術を一つも使えない。夜遅くまでずっとずっと練習しても使えない、どうやっても普通に出来ない。頑張っても普通に出来ないだけなのに周りはそんな頑張りを見もせず『アイツはサボってるから出来ないんだ』と決めつける。


『普通にやればいい』と人は言う。だがみんなの普通と僕の普通は違う。その普通がなんなのかを先に教えてくれ、君の普通を押し付けないでくれ。僕は普通じゃ無いのか?普通じゃない僕は夢見ることさえ許されないのか?


「せめて魔力研究道にだけでも進ませてください!座学は問題ないんでしょう!?」


「だがねぇ、魔術を使えない魔術研究者なんて聞いたこともないよ。第一…そこまで才能がないんだ、諦めなさい」


「なんで…こんなに、こんなに頑張ってるのに!?なんで諦めなきゃいけないんですかッ!」


「その頑張りが、足りなかったんじゃないのかな?」


「は……?」


言葉もなかった、そしてその時ようやく思い知った。学生の身ながら思い知った。この世は結局、自分のことなどしっかり見てくれる人間なんでいやしないのだと。皆分かりやすい上辺だけを見る、そしてその上辺こそが魔術であり、それが出来ない人間は全てができないと決めつけられる。


そう言うもんなら…仕方ないよな。



「うっ…うわぁああああああああ!!」


そして彼は、泣いた…意識を朦朧とさせながら学校を飛び出し、何もかもを捨て去り逃げ出した。ただ悲しかった、魔術なんて夢さえ見なければ…魔術なんて無ければ、そう思いながら慟哭した。


これから何をすればいい、何を目指せばいい、自分の将来はどうなる?両親のところになんて帰れない、ただ才能がないだけで…ゴミクズ同然に捨てられる魔術界のせいで、徹底的に自尊心を破壊された少年は学校を飛び出し、一心不乱に街を飛び出し…。


このまま死んでやると、森の中に飛び込んだ。魔術を目指せないなら生きていても仕方ない、魔術なんかに傾倒した自分がバカだった、こんなバカな自分なんてもう嫌だ。


そう彼は全てに絶望し、全てを諦め、立ち止まった。もうこれ以上進むことはでき無いと…森の中で彼は立ち止まり、命を諦める選択をしたその時だった。


彼はこの日、出会ったんだ。今までの全てが児戯と虚像に思える程の衝撃と…。


「ん?君は…こんな森の中に人とは珍しいな」


「え…ひ、人?」


森の中、茂みを切り裂いて現れたその人。人なんかいないはずの鬱蒼とした森の中…それは悠然と歩き、僕の前に姿を現し…。微笑んで見せた。


「ふむ、いい顔をしている…たまの散歩も良い物だな」


「え……」


その姿は、見覚えのあるものだった。何度も何度も…『あの本』で語られた物と同じ───。


射干玉の黒、宵の闇を切り取ったような黒髪を伸ばし。燃え盛る血潮よりなお紅き瞳。そして何より膨大な魔力を持った絶対の存在────その名も。


嗚呼、その名も…。


「魔女…レグルス様?」


魔女レグルス…それが、僕の目の前に現れたんだ。そしてレグルスは…僕の言葉を気に入ったのか、ニタリと笑うと。


「君、いいな。どうだ?私と共に来てみる気はないか?欲するなら力も地位も与えよう、ただ…私の『お願い』を聞いてくれるなら、全てを与えよう」


そう言って、影の差すドス黒い顔でレグルス…のような何かは僕に手を差し伸べて───。


その日、彼女が述べた夢と目的、その全てが自分に染み込み…変えた、私を。


リュカオンという男から…慟哭の男(クライングマン)という怪物へ。そして彼は敬愛する彼女の言葉を聞いて…メサイア・アルカンシエルへと潜り込んだのだ。


それもこれも、あのお方が語った夢が…何よりも、甘美に思えたから。


─────────────────



「ッッッ……!!」


(うぉっ!?急に意識が!)


瞬間、クライングマンに杖を突きつけていたデティは飛び退くように離れる。突如としてクライングマンの混濁としていた意識が明瞭となり、意識が覚醒したからだ。


いや、意識の覚醒というより…もっと深い、トランス状態のような何かに入ったのを感じた。そしてその直感は…正しかった。


「グルォオオッッ!!」


「あ!」


クライングマンは吐瀉物をぶちまけながら飛び出し、デティを狙わず尻尾を巻いて逃げ出したのだ。突然の逃亡に驚愕するデティ、だがすぐに気がつく…あれは逃亡じゃない!補給だ!


「グガァアアアアアッッ!!」


爪を振るい、クライングマンは加速すると同時に…街で暴れるゴブリン人間達を襲い始めたのだ。当然ゴブリンとシルバーハントウルフでは基礎となる馬力が違う。共食いをすれば当たり前のようにクライングマンが勝つ…そして。


「ぅぎゃああいああああ!!」


「ガシュッ!グガガッ!ハグッ…」


「く、食ってる…!」


食い始めた、ゴブリン人間達を纏めて数十匹噛み殺しそのまま肉を引きちぎり食い始めたのだ。今はもう人外に成り果てているとは言え元は人間のクライングマンが元人間のゴブリンを喰らうその狂気の様にデティは今恐怖する。異様な何かが起こり始めている。


「ガツガツ…」


「や、やめなよ!あんたそれ仲間でしょ!?それとも頭の中まで魔獣になったの!?」


「カンケイ…ないねぇ。俺ぁ…そもそも、アルカンシエルなんざどーでもいいんだよ…」


「は?」


(レグルス様…レグルス様、彼の方が仰った…力、力を得る。そして…彼の方のお願い…『魔女の弟子全員の殺害』…行う、オレが…!)


クライングマンはイシュキミリとは違う目的を持っていると言っていた、それが魔術廃絶そのもの。イシュキミリは自分達の希望だと…そう語っていた。だがそれは今にして思えば…とても、他人行儀に聞こえないかとデティフローアは考えた。


だってそもそも奴がメサイア・アルカンシエルの一員であるならそれは希望ではなく目的であるべきだ。だが彼はイシュキミリを突き動かす事が彼自身の目的を叶える一助になると語った。


繋がっているようでいて…どこか繋がっていない。まるで…まるで。


(奴はメサイア・アルカンシエルの人間じゃないのか?)


どこか一貫しないクライングマンの物言いと行動に一瞬混乱する。目の前で行われる惨劇も相まってデティのアクションが遅れる。


その隙に、クライングマンはゴブリン達を喰らい付くし…その身が更に肥大化する。


「ゥグググ……オレは、オレはァ…!」


シルバーハントウルフが持つ特性の一つ、食らった者の魔力を吸収する力。無数のゴブリン達を食べることにより自らの増強したのだとデティが気がついた時には既に遅く。クライングマンの標的は食い終わったそれらからデティフローアに移り。


「ゴァッッ!」


「しまッ──ごふっ!?」


吹き飛ばされる。蹴り飛ばされる。矢のように飛んできたクライングマンの蹴りがデティを捉える、防壁を展開していたからこそ致命傷は免れたが軽く小さいデティの体は簡単に突き飛ばされ地面を転がり土煙が舞い上がる。


「ッ速くなった!」


「ぐぅうううう!!」


早くなった、手がつけられなくなり始めた。これはまずい、早く決着をつけなければ…そう焦る物のクライングマンは更に加速を始め、デティの視界中を飛び回る。


「グゥゥオォーーーーン!!」


「チッ…」


狙いが定まらない、あまりにも速すぎて魔術を当てられない。寧ろ下手に焦って撃っても奴に弾かれる、どうすればいい…どうすれば。


「魔術は!全部消えろッ!魔術師なんて!消えちまえ!全部全部!なかったことになれッ!」


そうこうしてる間にクライングマンは口元に魔力を集め────煌めく。


「ッ!『ダイアモンドフォートレス』!」


開かれたクライングマンの口から放たれた閃光は魔力照射だ。凝縮し物理的影響力を持たせた魔力の塊を黄泉のように放ち、前方の物質全てを焼き飛ばす破滅の咆哮へと変えたのだ。


これは受けられない、そう悟ったデティは咄嗟に魔術で結界を張り魔力照射を防いだ…だが。


「ッ……アイツ」


気がつく、防壁の向こうで動くクライングマンは口から光線を放ちながら、何かしている。それは…ズボンのポケットから、何かを取り出している。あれは……拳銃?


(え?今このタイミングで拳銃を撃つつもり?アイツ自身…魔術と銃じゃ勝負にならないって奴自身が─────待て、待てよ…まさか)


クライングマンは拳銃でこちらを狙う。その瞬間デティの脳裏に宿る思考。


奴の持つ銃はデルセクト規格の銃だとメルクさんは言った、つまりソニアが作った銃だ。装備品として劣るが逢魔ヶ時旅団が使っていた銃と同じだ。逢魔ヶ時旅団が使った銃とはどんな物だったか…。


そもそも奴は、なんのかんのと言いながらも…まだ一度も、あの銃を撃ってない。あの銃に込められた弾丸の正体を、私はまだ知らない。


そこから導き出される答え、それはつまり───。


「死ね、魔術…」


「ッッ───!!」


待っていたのだ、クライングマンはこの時を。デティが足を止め停止するその時を。その時まで…ひた隠しにしてきた切り札。それはこの銃に込められた弾丸。


放たれた銃弾は赤い炎を吹きながら一気にデティに迫り、それは一直線に空を駆け抜け…デティの防壁を、魔力照射も防いだ結界を、…容易く貫いた。


「ぁガッっ!?」


防壁と共にデティの肩口が銃弾に射抜かれ…血が噴き出る。防壁が破壊された、防壁で防ぎきれなかった。たった一発の弾丸が防げなかった。


間違いない…あの弾丸は、チクシュルーブで見た魔術を無効化し貫通する弾丸。『魔弾カスパール』ッ!ソニアが開発した対魔術師用銃撃装備!防壁を貫通する弾丸だったんだ!


思い至るべきだった、魔術師を殺すために用意された銃を持つなら、魔術師を殺すのに最適解である弾丸カスパールも持っているべきだったと。だから防壁を展開し足を止めるこのタイミングを待ったのだ。


やられた、撃たれた…肩の肉が、骨が…裂けた!


「ぅぐぅっ!」


「グシシシシ!当たった当たった!悲しいなぁ魔術導皇。理想卿チクシュルーブ曰く魔術はもう時代遅れなんだってよぉ!これがあれば…お前みたいに銃を侮ったバカな魔術師を殺し放題だぜ!」


ここに来て叩きつけられる切り札『魔弾カスパール』、これによりデティは痛手を負う。それは肩の負傷のことではない、戦況が一発でクライングマンに傾いたんだ。


この均衡は、デティが強烈な防壁を張れるという前提の上で成り立ってきた均衡。強靭な身体能力を持つクライングマンを相手に出来る唯一のピースが防壁だった。だが奴はそれを無効化する手段を持っていた。


もう迂闊に防御出来ない、防御したらカスパールが飛んでくる。そして防御をしなければ捻り潰される。


カスパールの存在は、この場において最も大きな意味を持つ、最悪の一手を隠し持っていやがった。


「グシシシシ……」


(何アイツ、急に動きに迷いがなくなった。さっきまで魔術相手にたじろいてたのに…)


それもこれも、急に奴の動きが良くなったからだ。ゴブリン人間達を喰らうという選択を決行させるだけの何かが奴の中で起こった。私が読めるのは魂の脈動だけ、何を考えたかまでは分からない。


だが、奴は自分の中の何かを見つめ直した。言うなれば本来の姿を出してきた。そうだよ、奴の本性ってのは魔術廃絶を高らかに宣言する抗議者などではなく、己の怨嗟をただただぶつけるだけの破壊者でしかないんだ。


「形成逆転だなァ…魔術導皇」


「ッ……」


そして今度は私が銃を突きつけられる。この傷を治して…反撃をするまでの間に、奴は銃を撃つ、私ではその銃撃を避けるだけの能力がない。


まずった、まさかここまで追い詰められるなんて…。


「脳漿ぶちまけて死ねや、お前ら魔術師は…全員差別主義者の碌でなしなんだからよぉ、居ない方がいいよなぁ絶対!」


「……あんたに、何があったかは知らないよ。けど私から言わせればあんたも立派に差別主義者だよ、魔術師ってだけで人を殺そうとする、いや…それさえもない。志を同じくする仲間さえも喰らう、差別主義者以下の殺戮至上主義者だよッ!!」


「グシシシシシ!!しょ〜がねぇ〜だろぉがよぉ〜!そうしなきゃあオレの夢が叶わね〜んだからよぉ!」


「夢?夢のために殺すと?お前…じゃあニスベルさんを殺したのも、お前の夢の過程だと?」


「ああ、そうだが?……それがなんか、悪いかよぉッ!!」


ベェと巨大な舌をベロベロ出して挑発するクライングマンの態度に、私の怒りは臨界点に達する。やっぱこいつは許しちゃおけねぇ、負けるわけにゃ絶対いかねぇ。


「ああそう、あんたは…自分の目的の為なら簡単に人を潰せるクズってことだね」


「見方によるだろ、そりゃ」


「なら遠慮なく見るよ、アンタは…人でなしのゴミクズ野郎だって」


「この状況でよく挑発できるよなぁ〜!」


出来るよ、だって手段選ばなきゃ私…お前なんかいつでも殺せるもん。けど魔術導皇としてそれをするわけにはいかなかった、…ただまぁ今その理性すら吹っ飛ばす程に怒らせたのもまたお前だけどな。


使う…魔力覚醒を。


(幸いここにはエリスちゃん達はいない、だったら使ってやる…魔力覚醒『デティフローア・ガルドラボーク』を…)


精々後悔しろや…ゴミクズの負け犬が…ッ!!


「…あ?なんだ…!」


デティの体から立ち上る魔力を見てクライングマンの顔色が変わる。というより変わったのはデティだ、まるで別人のような魔力を醸し出し始めた。そこに異様な何かを覚えたクライングマンは咄嗟に銃の引き金に指をかけ……。


「遅い…魔力か────」


「デティッ!!」


「えっ!?」


名前を呼ばれた、クライングマンじゃない…別の人間、この声は…。


「デティ!無事ですかァーッ!」


「エリスちゃん!?」


エリスちゃんだ、向こうのほうでゴブリン人間達を蹴散らしながらこちらに向かってきている。私を追ってきたのか?この騒ぎを聞きつけてやってきたのか!?どっちにしても…。


(さ、最悪だ…!覚醒が使えない!)


エリスちゃんがこちらに来ている以上覚醒は使えない、そりゃ確かにこんな生き死にが関わった場面でもそんな嘘を突き通すとかと言われれば迷う部分はある。


だが…だがそれでも使えないんだ!だって…だってエリスちゃん達に覚醒を見せたらその成長を阻害することになる。強くなることを諦めてしまう!それはダメだ!ダメなんだ!


(嫌だ…エリスちゃん達にはまだ強くなってもらわないとダメなんだ!そうしないと…『またああなってしまう』!……え?またって、なんだ?)


その瞬間デティの脳裏に過ぎるのは……見たことのない、出会った覚えのない…記憶。



───────────────────


燃え盛る『皇都』の中で、瓦礫と血潮に塗れた世界で、ただ絶望だけが漂う。


『ぬはははははははは!なんじゃあ大したことないのう!んん?それで魔女の弟子とは笑わせるわい!ぐひゃひゃ!』


目の前で笑う、天狼。そして…。


『エリスちゃん……』


私の手の中で、冷たくなった親友の姿。


『お荷物が無くなって身軽になったじゃろう、ほれ…冥土の土産じゃ、相手したるわい。かるーく…全力でのう』


『……………』


ダメだった、こうなってはもう勝ち目がない。私は間違えた、私がみんなを守ろうと…『最初』から本来の力を見せたせいで、みんなの成長が止まってしまった。私一人じゃシリウスには敵わない。例え第四段階の力を得た今でも…。


ダメなんだ、私一人じゃ…みんなが強くならないと、嗚呼。


……これは失敗か。またあの時に戻らないと。


────────────────────


「ッハッ!?」


意識が戻る、一瞬…意識が何処か分からない場所に飛んでいた。今のはなんだ?幻覚?にしてはあまりにも現実感が…。


い、いやそれより今は…。


「チッ、増援か…アゥオーーーッッ!!」


「テメェデカい犬ゥッ!デティを傷つけてんなテメェ!粉々にしてやるッッ!!」


クライングマンの意識がエリスちゃんに向かう、同時に咆哮を轟かせ周囲のゴブリンに指示を出す。奴の声は理性を失ったゴブリン人間達を突き動かし…街中にいる全てのゴブリン人間が津波のように折り重なり一気にエリスちゃんに殺到する。


「うぉおっ!?こいつらぁぁ〜〜〜っ!」


これにはエリスちゃんも堪らず押し流される、だが…だが!


クライングマンの意識が一瞬私から外れたッ!今ならッ!!


「ッ!」


「なっ!?しまった…!」


一気に懐に潜り込む、銃口を避けてクライングマンの胴体に向けて飛ぶと同時に杖を突きつけ…。


「『エーテルインヘイル』ッ!」


「ぬグォっ!?」


突きつけた杖の先から…一気に魔力を吸い込む。クライングマンが手に入れた魔力を一気に吸い出し奴から力を奪う。魔力を吸い出せる出来るのはお前だけじゃないんだよッ!


エーテルインヘイル…別名魔力吸引魔術。本来は魔力栓溜症など魔力が肉体に篭ってしまう病を治療する際に用いられる医療魔術の一環。吸収ではなく吸引であるため吸い出した魔力を私が扱うことはできない…だが。


「グッ!テメェ!!」


「『デストラクションバースト』ッッ!!」


「ぉがぁはぁっ!?」


補給した分を失えばそれだけクライングマンは弱体化する。その隙に私は叩きつけるように魔力爆裂魔術を至近距離から叩き込みクライングマンを吹き飛ばす。


さぁて、こっからどーすっかな!アイツ体力ばっかりはクソほどあるし倒すのに難儀しそうだ!


「エリスちゃん!」


「デティ大丈夫ですか!」


「大丈夫だよ!ってかなんで追ってきたの!」


「追ってくるに決まってるでしょ!」


一方ゴブリン人間の波を殴り飛ばしながら泳ぐように蹂躙するエリスちゃんの方を見る、なんで追ってきたんだ、私はただ己の責任を果たそうとしているだけなのに。


「イシュキミリを相手に責任だなんだと!そんな事する必要ありません!」


「別にいいよ…イシュキミリも多分根はいい奴だし、何より丁度いいじゃん。私…元々イシュキミリと結婚するつもりだったし、それが使命だし」


こんな言い方はしたくないが、エリスちゃんを納得させるためにはこう言うしかない。これは私の使命だと、魔術導皇として優秀な血統を欲する必要がある。例え血の出所に問題があろうとも彼が優秀であることに変わりはない。


私はイシュキミリを責任持って導く、それを都合がいい…結婚して血統が欲しいから結婚する。そんな言い方をしたくはない、だが私の…魔術導皇としての責務の重さを知るエリスちゃんなら、こう言えば納得して…。


「ダメです!」


「え…!?」


しかし、今日のエリスちゃんは頑なだ。ゴブリン人間達に組み付かれつつも、剛力で押し返しながら…吠える。ダメだと、結婚するなと…なんで、そんなこと言うんだ。


「エリスちゃんも知ってるでしょ!魔術導皇は子供を作らないといけないの!結婚しないといけないの!そこに文句をつけないで!」


「知ってます!結婚するならそれは祝います!でも今はダメです!!」


「なんで!?クリサンセマム八千年の歴史に…エリスちゃん一人の感情で文句を言わないで!」


「エリス一人じゃありません!!ぐっ…ぅぅぉおおおおらぁあああああ!!!」


投げ飛ばす、数十人規模でのしかかる巨大なゴブリン人間達を吹き飛ばし、私へ続く道を作りながらもエリスちゃんは立ち止まり、こちらを見据え…そこでようやく私は気がつく。


私は、エリスちゃんの事を…今この場で、キチンと見ていなかったことに。エリスちゃんの顔が今、どんな顔をしているか…気がついていなかったことに。


「デティの肩に重たい使命が乗っているのは知ってます!エリスはそれを支えるつもりでいます!けど!今回の話には…絶対に乗れません!だって……」


エリスちゃんは、泣いていた。あの強く凛々しくいつでも果敢に敵に挑むエリスちゃんが大粒の涙を浮かべながら、私を見ていた。


それは、私がエリスちゃんの傷を治している時と…同じ顔。無茶するエリスちゃんを心配している私と同じ顔…つまり、彼女は。


「だって…だって!デティが…笑ってないからッ!」


「ッ……」


「エリスはデティが笑えないなら!従いません!貴方の未来が明るい物にならないなら!抗います!結婚も使命も好きにすればいい!!けど!貴方が…幸せにならないなら!エリスは反対します!」


「エリスちゃん…ッ…!」


理解してた、この子はこう言う子だって。この子は徹頭徹尾私のことだけを考えている、友達の幸せだけを願っている。だからきっと私が笑って幸せそうに結婚すると言えば誰よりも賛成するだろう。


だが逆に、深刻そうな顔をして…彼女に打ち明ければ、彼女は例え私の言葉でも跳ね除けて私を助けに来る。いつだってそうなんだ。


レオナヒルドの時も、シリウスの時も、今回だってそう…エリスちゃんはいつだって、私を助けにやってくるんだ。


「だから!デティ!考え直してください!エリスは…貴方が笑えない未来を歩むくらいならッ!例え貴方のことを傷つけてでも手を引きますからッッ!!」


「エリスちゃん……ごめん」


「じゃなくて!?」


「ありがとう…」


「よしッ!というわけです!邪魔する奴は全員消えろッッ!!」


瞬間エリスちゃんの魔力が吹き荒れ爆裂しゴブリン人間達が弾け飛び周囲に雨のように降り注ぐ。…無碍には出来ないよな、ごめんねイシュキミリ。私友達に想われてるみたい、だから別の責任の取り方を考えて──────。



「全く、オレぁ何見せられてんだ…」


「ッ…クライングマン」


「最悪だよ…悲しいぜ」


クライングマンが再び起き上がる、まだ倒せてない…けど。


「よしデティ!下がっててください!後はエリスが…」


「いやいいよ、私がやる…アイツは私がぶっ倒すから」


「へ?」


隣に立ち私の代わりに戦おうとしてくれるエリスちゃんを制する、確かにエリスちゃんなら上手くアイツをボコれるかもしれないけどさ…私はまだアイツを許したわけじゃない。


ニスベルさんの仇は私が打ちたい。それに倒し方だって思いついたんだ。だから私に任せてと視線を送れば…。


「いけるんですか?プランは?」


「あるよ、ただ…そのコート。貸して」


「え?これですか?別にいいですが」


そう言って私はエリスちゃんからコートを受け取る。このコートさえあれば…奴の爪を防げる。よし、作戦もある、これなら…行ける!


「信じて、エリスちゃん」


「了解です、信じますよ。デティ」


「うん、任せて」


親指を立てる。クライングマンは私がキチンと責任を持って倒す…だから見てて、エリスちゃん。


「ハッ、結局一人で戦うのか…魔術導皇」


「お前が倒したいのは魔術だろう、なら私以外にいないじゃないのさ。なんせ…私こそが魔術そのものなんだから」


「ヘッ…なら望み通り殺してやるッ!」


そう息を巻いて、牙を見せ今にも飛びかかろうと身を乗り出すが…分かっている、これはフェイント。本命は…。


「なんてなッ!」


瞬間身を引いて後ろへと飛ぶ、そう…奴の本命は背後に飛んでゴブリン人間達を喰らい私に吸い出された分の魔力を補う事。分かっていたよ、あれだけ怖い顔してたのに…魂はほくそ笑んでいた。何かを企んでいるってのは…私には丸わかりなんだよ!


だから!!


「逃さないよッ!!」


「なッ!?」


追う、既に杖の上に乗って加速していた私は一瞬でクライングマンに追いつく。そしてそのまま私とクライングマンはゴブリン人間達の群れの中へと突っ込み…そのまま互いに加速を続ける。


「追って来るか、だが……!」


クライングマンは群れの中で腕を振るいゴブリン人間達を喰らい始める。奴の行動は読めていた、それは魂を読むまでもない。私に魔力を吸い上げられたんだ、その補給をしたがるのは自明の理。


次打つ手が確実に分かっているなら、…やりようはあるよ、例えばそう。


「ガァァッ!!」


「ぅがぁっっ!?」


クライングマンが目の前のゴブリン人間の両腕を引き裂き頭からガブリと丸呑みにし食事を行う…そのタイミングを狙い、私は杖の上に乗りながらクルリと杖を回し。


「癒せ!我が手の中の小さな楽園を 、癒せ!我が眼下の王国を、治し!結び!直し!紡ぎ!冷たき傷害を!悪しき苦しみを!全てを遠ざけ永遠の安寧を施そう『命療平癒之極光』ッッ!!」


放つのは古式治癒、対象は…今食われているゴブリン人間ッ!


「ッッぐ!?」


頭から丸呑みにし今魔力に変換しようとゴクリと飲み込んだゴブリン人間が、私の治癒によりその傷を癒やされ…欠損した腕や足、内臓などが一気に元に戻る。


するとどうなる?食べやすいサイズに切り刻んで、急いで丸々飲み込もうとした食べ物が…喉で元のサイズに戻るんだ。喉で食べ物がいきなり膨らんだらどうなるかは…説明するまでもない。


「ごぇっ!?ぉげぇっ!?ガッ!ァガッ!?」


詰まる、息が出来ない、ただでさえ巨大化したゴブリン人間が喉で元のサイズに戻りクライングマンの顎が外れ喉の奥に足が見える。突っかかって取れないのだ、突然喉が詰まり息が出来なくなったクライングマンは慌てる。事実今彼の魂はメチャクチャに荒れ狂っており状況の判断ができなくなっている。


(い、息が出来ねぇ!?や…やばい!口が封じられた!口が封じられたら…咆哮がッ!)


「あんたはいつもゴブリン人間達を動かすのに、咆哮を使ってた…つまりもうこいつらのコントロールは出来ない!だよね!!」


「ぅぐぉっ…!?」


「そうなりゃお前含めこいつら全員烏合の衆!」


「ぅぐ…ぅぉごぉおおおおお!!」


しかしクライングマンも動く、牙は奪われても爪はある。両腕をの筋肉を隆起させ爪を剣のように尖らせ、私に向けて何度も何度も振るう…が。


「ぐぐっ!いてて!けど…効かないね!」


「ふぐぅぁっ!?」


効かない、両断されない。飛んできた斬撃を前に私はエリスちゃんのコートで身を隠し斬撃を防ぎ切る。耐刃性において最高性能を持つエリスちゃんのコート!これがあれば爪もまた…効かない。


「もう牙も、咆哮も、爪もない。あとあんたに…何が出来るの?…ってわけで!決めるよ大技ッ!!」


もう咆哮によるコントロールはない、咆哮の弾丸も魔力照射もない、爪も怖くない!ならば一気に決めるッッ!!


「『オールスイーパー』ッ!」


「むごぉぁっ!?」


『ぅがぁぁああ!?!?』


叩き出すのは超巨大な大竜巻。天に突き刺す柱の如き竜巻は地表を舐めてゴブリンやクライングマンを巻き上げドーム状に纏まり周囲の全てを空へと追いやる。風に舞い上げられたクライングマンにはジタバタもがくばかり、魔力に干渉する為の余裕すらない状態…いける。


見せてやる、私の…魔術導皇の、全身全霊の大魔術ッ!!


「『ポイントグラビティ・オーバーフロー』ッ!」


「ぅぐっ!!」


重力魔術の過重解放。本来の規格を逸脱した量の魔力を消費する事で発生する『オーバーフロー現象』を利用しクライングマンを中心に強烈な重力を発生させる。それによりゴブリン人間達が弾丸のように飛び次々とクライングマンに激突し…空に出来上がる、巨大な球。ゴブリン人間達の肉に押しつぶされそうなクライングマンに向け、更に…!


「『ビッグエーテルアーム・リフトダウン』ッ!!」


叩きつける、空に飛び上がり…天から振り下ろす巨大な魔力の腕を握りしめ、光り輝く鉄拳としそれを叩きつける、巨大な摩天楼の如きそれを肉球に叩きつけ、地面に埋めて、押し潰す…けどこれだけじゃ足りない。


エーテルアームは私の魔力で形成された腕だ、つまり私にとってもう一つの腕と言う見方もできる。であるならば今…ゴブリン人間達とクライングマンは纏めて私の手の中にあると、仮定出来る!


であるならば!!


「廻れ廻れ、廻る定めよ今一時のみその流れを止め我が手元に戻り給え。灰は今一度燃え上がり、砂は今一度頑強なる岩となり、夜は今一度太陽を輝かせる、人の身に余るこの業深き言葉に慈悲を与えるならばどうか!『永劫輪廻之逆光』!!」


「う、ううぉぉっっ!?」


肉体の時間を巻き戻す大魔術にて手の中のクライングマン達の時間を巻き戻す。巻き戻す時間は一日分。それによりゴブリン人間達が因子を取り込む前に戻す。これにより同時にクライングマンも無力な人間に戻す。


「か、体が…!人間に…だが俺はもう因子を取り込んでいる!いつでも変身はできるんだよっ!」


私の魔術により元に戻るクライングマン達、他のゴブリン人間達は纏めて抗議者の姿に戻る…だがクライングマンだけは別、奴は今よりずっと前に因子を取り込んでいる。因子を入れる前には戻せない。


だから放置すれば、全快したクライングマンが再び狼となって暴れる…けど、けどね。


「させるわけないでしょうが…!」


「ッ…!」


させないよ、既にお前の変身が危ないことは理解してるんだ。だから…その前に打つ。問題ないよ、だって狼にならなければアイツは…魔力防御一つも出来ないただの人間でしかないのだから。


「『エーテルアーケイン───』」


(や、やば…変身間に合わ───)


杖に乗ったまま急降下し、クライングマンに向け飛び手の中に魔力を集める、集めて集めて集めまくって凝縮する。それはやがて光に変わり、光は魔術となり、魔術は…凡ゆるを可能とする奇跡となるッ!


因果応報、食らって寝てろ。これがお前に下す……!


「『オーバーチェアー』ッ!!」


──────審判だ。




「ゔぐぅぉぁっっ!?」


叩き込まれたのは超巨大な魔力爆発。凝縮されたそれは元の大きさに戻るように巨大な光の円形になるように爆発し私もクライングマンも包み込むように爆ぜ…光の粒子となって周囲に弾け散る。


一点突破型の大魔術『エーテルアーケインオーバーチェアー』…今現在存在する現代魔術の中でも最古に位置する単純な火力特化魔術だ。それを魔力を纏えない体で受ければ当然…。


「ぅ…ごぁ…ぐっ…クソッ…」


「ふぅーーー…」


大きく息を吐き、私を見る。一直線に吹き飛ばされ瓦礫の山に突っ込んだクライングマンを…。


「よし……倒したァッ!!」


「やりましたね!デティ!」


なんとかなった、辛うじてだが…危なかった。思ったよりも強かった、対魔術師特化型の戦闘スタイル、厄介だったがなんとかなったと私は拳を握り駆け寄ってきたエリスちゃんと喜びを分かち合う。


「にしても、出ていった先であんなのに絡まれるなんて…」


「いや絡まれたわけじゃ…あ!イシュキミリだ!イシュキミリ!アイツこの街に戻ってきるの!」


「何ですって…何をしに?」


「分からない、けどよくない予感がする…早く探さないと!」


危ない危ない、すっかり忘れるところだった。途中から熱くなって本来の目的を忘れていたが私はイシュキミリと話がしたかったんだ。しかし街中ゴブリン人間達で大騒ぎ…これじゃイシュキミリがどこへ行ったか探すのは困難だ。


いや、困難でもやるんだ…なんかイシュキミリ、思い詰めた顔をしていた。なんか…とんでもないことをやらかすんじゃないだろうか。早く探さないと…そう私は杖を持ち直し歩き出そうとした瞬間。


「探して…どうするんですか?」


「え?」


エリスちゃんは…止める。真剣な顔で…不安そうな顔で、私を見る。エリスちゃんは私に結婚してほしくない…と言うより、身を犠牲にして欲しくないんだ。


だから、そんなに不安そうなんだよね……。うん、大丈夫。


「大丈夫、もう自分を犠牲にことを納めるような真似はしないよ」


そうだ、イシュキミリにも言われたじゃないか。魔術師は自己犠牲を尊ぶ性分があるって、そこを変えたいと彼は言っていた。なら……私から変えていこう、自己犠牲はしないと。それが彼に対する最も良い責任の取り方になるんじゃないだろうか。


分からないけど、彼にはそう話してみよう。


「うん、ならばよし」


そう言ってエリスちゃんは腕を組みながらうんうんと頷き、そして…。


「エリスはデティを守ります、何があっても。貴方の幸せを守ります、何者からでも。例え貴方自身からでも…貴方の幸せを守りますから」


「うぅ、いい友達を持って嬉しいよ、私」


「当たり前じゃないですか、だっていい友達のお手本がここにいますからね」


ニッと笑うエリスちゃんの顔を見ていたら、悩み事とか色々とどうでも良くなる。守る…か、それはこっちのセリフだよエリスちゃん。


エリスちゃんは、私が守るからね。


「よし、じゃあ行きますか」


「うん、魔力探知をするからエリスちゃん、私を連れて飛んでくれる」


「もちろ──────」


その時だった、イシュキミリを探して魔力探知を行ったその時だった。視覚情報では認識出来なかったそれが…私達の見えないところで動いていたそれが、未だに動き続けていることに…私は今、この段階で気がついた。


それは後ろ、イシュキミリを探しに動き始めた私達の後ろ…クライングマンを吹き飛ばした瓦礫の山、その隙から…。


「グッ…へ…へへ……」


「なッ……!」


クライングマンが、這い出てきていることに、私は気がついた。咄嗟に振り返り…驚く間も無く、奴は動き出す。


とはいえ既に戦える体力も変身出来る体力もない、足も手も動かない、せいぜい指先が動く程度の体力しかないだろう…けど、ある。


指先を動かすだけの力は。


「死ね…魔術導皇…!」


(魔弾カスパールッ!?まずい…!)


向けられていた、奴のリボルバー式の拳銃。それを震えながらこちらに向けて…笑っていた。魔弾だ、魔力防壁を無効化し貫通する弾丸、防ぐことの出来ない魔弾…まずい、避けられない、反応が遅れた。


既に銃は火を吹いている…どうする、防壁は間に合わない、詠唱も間に合わない、いや…せめて衝突点をズラして即死を回避し、その傷を治癒で直せば─────。





誤算があった、それは二つ。まず一つ…私が気がついたと言うことはつまり、エリスちゃんもまた銃撃に気がついていたと言うこと。銃撃を受けた私を前にエリスちゃんがすることは決まっている。


「デティ!!」


「え!?」


私の前に立ち私を庇うように両手を広げるエリスちゃんの背が、視界を覆う。私を守るつもりだ…けど、更にここでもう一つの誤算がある。


それは…エリスちゃんは────


「展開……ッ!」


────魔弾がここにあることを、奴が魔弾を持っていることを、知らない。


エリスちゃんは私の防壁が、未熟で下手くそなものだと思っている。それは私があの時ついた嘘、アマルトとナリア君に合わせるようについた『防壁が使えない』と言う嘘を間に受けて、防壁の修行を終えた今も…自分の方が防壁は強いと思っている。


実際はそんなことない、使おうと思えば立派な防壁は使える、けどついた嘘は今もエリスちゃんの中に印象として残っていた。だからこそ自分が代わりに防壁で守ろうと言う発想が出てしまった。


だが、だが防壁の強度は関係ない…関係ないんだ。エリスちゃんッッ!!!


「やめて!エリスちゃんッッ!!」


「なッ───────!?」


しかし、私と叫びも虚しく…弾丸は貫通する。いつもなら、コートがあれば彼女の体は銃弾を弾いただろう。だが今そのコートは私の手元にある。今エリスちゃんを守る物は何もない。


防壁は打ち崩され、銃弾はエリスちゃんの胸を貫通し…血飛沫が私の頬にかかる。


エリスちゃんの体から力が、魔力が失われていく。


エリスちゃんが…エリスちゃんが…嗚呼、嘘…嘘ッッ!!


「デ…ティ……」


「エリスちゃ……嗚呼」


受け止めた、崩れ落ちるエリスちゃんの体を。しかしその体には既に力もなければ、脈も………。



……息も、なかった。


「嘘…嘘だ、こんな…こんな呆気なく…私の…全てが…」


弾丸は心臓を貫通していた、その一撃は容易く人の命を奪った…私の大切な、最愛の人の命を奪った。体が震える…視界が歪む。


『エリスちゃんは私が守るから』


口癖のように呟いた言葉が全てまとめて無意味となる。何もかもが意味を持たなくなる、デティフローアという人間の持つ何もかもが…根底から崩れていく。


「エリスちゃん…エリスちゃん!!やめて!死なないでッ!!」


私の手の中でぐったりと目を開けたまま、光の薄れていく瞳を見ていると…気がおかしくなりそうだ。けど同時に思う。


私は……これを………。



「あはははははははっ!もうどうでもいい!もう全部どうでもいい!みんな死ね!死に晒せェッ!!」


「クライングマン……」


狂ったように笑うクライングマンを見る。渦巻く憎悪と怒り…そして絶望。…されど、私のそんな感情すら、上書きするほどの事態が、悲しむ暇もなく巻き起こる。


「………え……?」


ゲタゲタと笑うクライングマンの頭上、否…このウルサマヨリの街の頭上。月が見えていたはずの夜はいつしか蓋をされ闇だけが広がっている。


星月の代わりに…今、天に見えるのは。


「嘆きの…慈雨?」


紫に発光する、巨大な暗雲。それが街全体を覆うように…天に広がっていた。こいつら…嘆きの慈雨まで用意して───。


「全員死ぬんだよ、デティフローア……」


「………………」


最愛の人を失い、その上で叩きつけられる果てのない悪意。今…天に跨る災厄の雲を前に、私は…唇を噛む。


これは…もうダメか……?

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