607.魔女の弟子の魔窟の混沌
あれは今から二十年近く前のことだ。
「…………」
僕は、一人で大きな部屋で…食事をとって居た、長く巨大な机に並べられたのはコルスコルピ式のフルコース。その中から僕はフォアグラのソテーをナイフで切って、口に運ぶ。
味がしない、誰もいない部屋で…ただ孤独に食事をするのが苦痛だった。
寂しかった、ひたすら寂しかった、一人になることが昔から嫌いだった。
昔みたいに両親と一緒に食事をするのが好きだった、けど仕方ないんだ。両親は忙しい、父は魔術師として忙しい、母は父を支える為に色々やらなきゃいけない。なにも出来ない僕は両親の邪魔ならないよう生きることしかできない。
「…………」
でもそれでも。ただ、豪華なだけの食事と無数の空席が…嫌だった。誰かとご飯が食べたい…誰かと。その寂しさが毒のように回り、苦しさを生み、僕と言う人間を歪めていって、そして……。
「───イシュキミリ?」
「え?父上?」
すると、仕事で忙しいはずの父が…食堂の扉を開けて、僕の名を呼んで、こう言った。
「今まで寂しい思いをさせて悪かった、だが今日からこの館も賑やかになるぞ」
「へ?どういうこと?」
「弟子を取ることにした、君と同年代の子もいる。入りなさい」
「はーい!」
そう言って入ってきたのは何人かの若者だった、人数で言えば十人以下だが全員が僕と同じかそれ以上くらいの若者、そんな中の一人の少女、紫髪の少女は…僕の前に立ち。
「キミがイシュキミリだね!私!トレセーナ!よろしく!」
「トレセーナ?」
「今日から私の弟子となるトレセーナだ、…お前の良い友達となれれば良いのだが」
それが、僕とトレセーナの出会いで…そして、僕の孤独の終わりだった。
そうだ、僕の孤独が終わったんだ。…この日から、僕は一人じゃなくなった。
「イシュキミリって呼んでいい?遊びに行こっ!」
「え!?今から!?」
「うーん!」
トレセーナは活発な子だった…そんな彼女に手を引かれ、僕は外に────。
…………………………………………………………
「あんなにも立派な方だったのに、せめて旦那さんに看取られて逝くならば…彼女も報われたろうにね」
「…………」
あれは、雨の日だった。私は雨に打たれながら病にて息を引き取った母の埋まった墓標を見て、ただただ立ち尽くしていた。このウルサマヨリにおいても治せぬ病、ポーションや薬で満ちたこの街でもなんとも出来ぬ大病を患った私の母は、呆気なく死んだ。
彼女はこの街の領主の妻として、皆から慕われており。彼女の葬儀には…街の人間みんなが参列した。
ただ、父を除いて。
「大丈夫、お父さんはすぐに帰って来てくれるわよ。イシュキミリ君」
「…………………」
幼き頃のイシュキミリは、近くの魔術師にそう声をかけられても…とてもそうは思えなかった。父は今アジメクの魔術導皇の教育へと出向している。マレウスとアジメクでは相当距離がある…きっと父の耳に母の訃報は届かないだろう。
母も、父の顔を見たいと言い残して死んだ…苦しんで死んだ。僕にはそれが…堪らなく苦痛だった。
「僕がもっと優秀だったら、何か違ったんでしょうか」
「え?」
恨んだのは父ではない、己だ。自分がもっと魔術師として優秀だったなら…母の病も治せたかもしれない、父のように魔術界を支える大人物だったら、千年に一度の天才と呼ばれるような男だったら。
そうであれば、苦しむ母の願いをいくつか叶えられたかもしれない。苦痛を取り除くか、或いはアジメクまで飛んでいって父を連れてくるか、何か出来たはずなんだ。
だって父はいつも語っていた…『魔術に不可能はない』と。なら母の願いに叶えられない物はなかったはずだ、幼なくも魔術師として鍛錬を積むイシュキミリには不可能はなかったはずだ。
叶えられなかったのは偏に、僕自身の力不足だった。僕は力がなかったから…なんの願いも叶えられず母を見殺しにしてしまったんだ。母の不幸な死の責任は全て私にある。
「ごめんなさい、母上。ごめんなさい…ごめんなさい…」
ただただ、悔しかった。魔術に不可能はないから…魔術に出来ない事がないから、ただただ己の力不足が明確に感じられた。
僕は……僕は。
…………………………………………
「母上、僕は……」
母の葬儀を終え館に戻ったイシュキミリを出迎える人間はいない、使用人のアンブロシウスも父も二人ともアジメクに行ったから。
それはとても誇らしいことだ、魔術導皇の教育役なんて世代に一人いるかいないかの名誉ある称号。父はそれに選ばれ名誉ある使命を全うするんだ、遠くに行ってしまうのは悲しいけれど、でも魔術師としてその役目を全うするのは誇るべきことなんだと母は言っていた。
だから…今こうして寂しさを覚えること自体、よくないことなんだ。
「…………」
それに、僕は今…頑張ってる事があるんだ。それは父の書斎で見つけた『あの魔術』の完成で──────。
「イシュキミリ、お葬式終わった?」
ふと、誰もいないはずの館で声が響く。僕を心配して放たれた声が耳に入る、誰もいないはずの…いや違う、違った。この時はそうだ、居たんだ。人が…。
「トレセーナ…うん、終わったよ」
「そっか、しっかりお別れ出来たんだね。ならよかった」
紫の髪を揺らし快活そうな金の瞳を丸々と開き…、こちらに向かって歩いてくる同年代の女の子。子供ながらにローブを着込んだのは…トレセーナと言う少女、所謂ところの幼馴染だ。
父は館に複数の弟子を引き入れていた。ウルサマヨリの子供達、それ以外の街の子供達、それらを引き入れ弟子として育てていた。トレセーナもそのうちの一人だ。
「ポワリお姉ちゃーん、イシュキミリ元気なーい」
「当然よ、お母さんを失ったんだもの」
同じく紫の短髪と金の髪を持つ女性、優しげな表情を浮かべた女性こそがトレセーナの姉ポワリ。曰くトレセーナとは六歳離れた姉でありポワリはウルサマヨリでも将来有望な若手魔術師として父の弟子になりきた人らしい。トレセーナはそんな姉についてくる形で…一緒に父の弟子になっていた。
とはいえ今父はこの家にいない。弟子の多くが父が離れると同時に帰って行ったが彼女達だけが父のいない家を守り、父の帰りを僕と待つと言ってくれて、今もこうして暮らしているんだ。二人とは付き合いが長い…もう殆ど家族みたいな間柄だからこそ、僕は…僕は。
「寂しくないよ…、トレセーナとポワリお姉ちゃんがいるから」
「え?そう?そうかなぁ」
「こらトレセーナ、何デレデレしてるのよ。大丈夫よイシュキミリ、寂しいなら寂しいと言っても、私達が側にいるから」
「うん…ありがとう、ポワリお姉ちゃん」
二人に救われている部分がある、彼女達がそばにいてくれるから僕は寂しくないんだ、何より…。
「じゃあ早速だけどさ!今日の魔術授業で分からないところがあるんだけど!教えてくれない!?」
「え、ええ?今から」
「そうそう今から!ねぇ!書斎行こうよ!」
「う、うん…」
今はやる事がある、悲しさを忘れる没頭できるようなやるべき事が。それはトレセーナに魔術を教える事だ、彼女は姉と違って父から正式に授業を受けたことはない。だから基礎の基礎を誰かが教えなければならない。
そこを僕が教えているんだ。正直…父みたいに何かを教えるのは楽しいし、父に近づけた気がして嬉しいし、とてもありがたかった。
「それでさ、この『フレイムアロー』なんだけど…」
「トレセーナ〜?書斎で炎魔術はダメよ」
「分かってるよ〜、それでさイシュキミリ!」
「うん、属性魔術は魔力の転換を行ってから撃つから、それを意識して…」
何も変わらない、母は居ないし、父も居ないけれど、僕にとっては二人が家族だった。或いは家族よりも大切な人達。そんな彼女達と一緒に魔術を極められる事が、この時の私の幸せだった。
……………………………………………………
「今日も魔術師の修行頑張ったね、イシュキミリ」
「そうだね、でもまだまだこんなもんじゃ足りないよ」
そして母が亡くなって暫く経ってからも生活は変わらなかった、相変わらず父はいない、トレセーナ達以外僕の周りにいない生活は続いていた。
「イシュキミリ君、ご飯できたよ〜」
「あ、ありがとうございますポワリお姉ちゃん」
「えぇー、またお肉〜?しかもステーキとお米って、お姉ちゃん手を抜き過ぎ」
「い、いいじゃ無い。美味しいんだから」
晩御飯はポワリお姉ちゃんが作ってくれる、ただ料理はあんまり得意じゃ無いのか料理といっても出来るのは切って焼くだけ、一ヶ月のメニューの半分以上が焼いた牛肉にソースをかけただけの簡易的な物が多かった。
トレセーナはそれが不満だとばかりにポワリお姉ちゃんが持ってきたステーキを前に口を尖らせる。
「食材とかお金はトラヴィス様が送ってくれてるんでしょ、ならもっと色んなの食べたい。イシュキミリも昔はトラヴィス様と豪華な料理食べてたんでしょ?コルスコルピ流のフルコースとか、デルセクト式のバイキングとか」
「う、うん。けど…僕はこっちの方が好きかな。みんなと食べられるし」
トレセーナは嫌かもだけど僕はこれが好きだった、確かに父がいた頃は貴族として良いものを食べていたさ。けど…。
「まぁいいや!イシュキミリ!脂身のところあげる、肉のとこちょうだい」
「だ、ダメだよ!トレセーナ脂身嫌いだからって押し付けないでよ!」
「もう、喧嘩しないのー」
こうやって賑やかに食べられる方が、僕は好きだった。大きなテーブルに豪華な食事が並べられるより、隣に誰かが座ってくれているだけでよかったんだ。
「むぐむぐ!美味しいねイシュキミリ!」
「トレセーナ、あんた文句言ってたくせに何だかんだ食べるじゃ無い」
「だってお肉はお肉で好きたんだもーん!イシュキミリもそうだよね!」
「うん、ポワリお姉ちゃんの料理は美味しいから」
「あらもう」
「あ、そうだ。イシュキミリ!明日は街に行こうよ!一緒に本屋で買い物しよう?」
「うん、いいよ」
団欒の時間が、僕にとっては幸せそのものだ。だからこそ…悲しい、昔は更にもう一席埋まっていたんだ、母が僕の前に座っていたんだ。トレセーナとポワリお姉ちゃんがその穴を埋めようと、僕を悲しませまいと必死に身を寄せてくれるけど。
穴を埋めようとすればするほど、その穴の存在が目についてしょうがなかった。『ある』物を自覚すればするほどに、『ない』物が際立つんだ。
(母上……)
母上は自分の力不足で、非業の死を遂げてしまった。僕にもっと力があれば…僕がもっと魔術を使えれば、何か違ったのかもしれない。そう思わざるを得ない、だからこそ僕は…取り返したいんだ、その為の勉強なら、今やっているところだ。
「ふぅー、美味しかった。ねぇイシュキミリ、ご飯食べ終わったし今から…」
「ごめん、僕ちょっと書斎で調べたい事があるから!」
「え?う…うん、わかった」
「ありがとうポワリお姉ちゃん!ご飯おいしかったよ!」
食事が終わるなり僕は椅子から飛び降り書斎へ向かう、勉強したい事がある。それは半年前に父の書斎で見つけたとある文書、それを読んだ時…僕は思ったんだ。
「出来る、僕ならきっと…きっと!」
書斎の扉を開けて、誰もいない広大な図書室を駆け抜けいつも通り、机の上に置いてある本を開いて僕は確認する。
作れる、出来る、やれる、僕は…僕は取り返せる。
「『死者蘇生魔術』…これがあれば、母上を生き返らせられる」
それは、事実上不可能と言われる三大魔術のうちの一つ『死者蘇生魔術』の開発だ。書斎で見つけた『ナヴァグラハ・アカモート』なる人物の魂に関する所管を纏めた文書があった、これを読んでいくとナヴァグラハは『魂は魔術で再現できる』と語っており、そしてそのプロセスについて途中まで考察されていた。
多くの魔術師が、触りもしてこなかった領域、魔女に出来ないなら誰も出来ないと最初から諦めていた領域、それが死者蘇生だった。出来ない事が当たり前になっていただけで、誰も挑戦してこなかった領域が死者蘇生なんだ。
そこに今、僕は挑戦している。
「魂に関する文献をひたすら集めて、その内容を考察して、魔術として組み直せば…いける、魔術に必要なのは理解、そして想像力、出来ないことはない」
父はよく言っていた、魔術に不可能はないと、なら母を生き返らせるなんて事だって出来るはずだと。僕は考えた、だからこうしていつも夜になったら勉強している。それもトレセーナ達には内緒で。
トレセーナ達にバレたら、なんか気を遣わせそうだし。僕が母を失ったことを僕以上に気にしてるから。
「一度失われた魂の情報を魔術で再現するのは難しい、その人個人の記憶や今まで人生全てを閲覧し確認し再構築する必要があるから。でも魂と肉体が同期しているなら、肉体にもの情報が少なからず残っているはず、断片的な情報を繋ぎ合わせる魔術を作れば…きっと母上は生き返る」
そのために必要なのは肉体情報の習得と、肉体そのものの再構築、完全なる治癒魔術と時間遡行に等しい奇跡が必要、そしてそれを実現するにはあまりにも膨大過ぎる魔力が必要だ。逆に言い換えればそこさえクリア出来ればいける。
そうだ、行けるんだ。僕ならこの魔術を完成させられる。魔術を完成させれば…僕はきっと、父に恥じない魔術師になれるし、何より失われた物をまた取り戻せる。
また四人で、この館で…ご飯を食べて…それで……。
「イシュキミリ君?」
「ハッ!?」
瞬間、声をかけられ咄嗟に読んでいた本や書き記していた紙を隠し後ろを見ると…そこには、心配そうに眉を下げたポワリお姉ちゃんがいて…。
「ごめん、勉強中だった」
「う、ううん。それよりどうしたの?ポワリお姉ちゃん」
「イシュキミリが、なんか思い詰めている様子だったから」
ポワリお姉ちゃんは僕を心配したのか、洗い物を終えるなりこちらに来てくれたようだ。もしかしてと思いトレセーナを探すが…居ない、どうやら僕を気づかい一人で来てくれたようだ。
心配…させてたのか、僕は。
「ごめん、心配させて」
「そりゃ心配するよ…、イシュキミリ君は私にとって弟みたいな物だからね、師匠の息子さんとはいえこうして今まで暮らしてきたわけだし」
「うん…」
「でも大丈夫そうだね。それにイシュキミリ君も必死になって勉強してるんだね」
「え?僕…も?」
まるで他にも勉強してる人がいるみたいな、ああ…そうか。
「うん、私もなんだ、実はさ…私ね?今魔術理学院の本部研究所に入れてもらうために勉強してるの」
「研究所?魔術研究の…」
「うん、今マレウスが国家ぐるみで研究してる魔蝕研究のプロジェクトに入れてもらえるって話が出てさ、私…昔から立派な魔術研究者になる事が夢だったから、嬉しくてね。張り切ってるんだ」
マレウス魔術理学院と言ったら、マレウス魔術学会でも頂点に君臨する大規模研究機関だ。ウルサマヨリの研究者でも下部組織に入るのがやっとなのに、その本部研究所に入れてもらえるなんて凄い話じゃないか。
「凄いじゃないですかポワリお姉ちゃん!」
「うん、ちょっと凄いと思ってる。けど…本部はサイディリアルにあるからさ」
「あ……」
「私はここを離れることになるかもしれない、だから…お母さんを失って悲しいかもしれないけれど。イシュキミリ君には妹の事をお願いしたいなって」
トレセーナは姉を慕っている。お姉ちゃんと一緒にいたいからこの館に魔術師として弟子入りに来たくらいお姉ちゃんが好きだ。でもポワリお姉ちゃんは才能がある、それをもっと活かせる場所で輝かせるのは…魔術師としての。
「と、トレセーナには、ポワリお姉ちゃんが必要だと思います。連れて…いけませんか?」
「きっと連れて行っても悲しい思いをさせるかもしれない、私はきっと研究所に篭りきりになる、一人にしてしまう。ならここに居た方がいい」
「あの子は、まだ魔術を完全に使えません。せめて魔術が使えるようになるまで…貴方が側で教えてあげた方が」
「私よりイシュキミリ君の方が教えるのは上手いよ。君は将来、きっといい指導者になれるよ」
「でも……」
魔術師として、歓迎するべき出来事だ。一人の天才が魔術界の発展に踏み出すのだから…けど。この時僕が思ったのは、魔術界の輝かしい将来ではなく。
(また、穴が広がる…)
また一人僕の側からいなくなる、父がいなくなり、母がいなくなり、今度は姉同然のポワリお姉ちゃんがいなくなる。穴がドンドン広がっていく…僕は独りになってしまう。
一人は嫌だ、寂しい。今穴が目の前にあるだけでもこんなにも寂しいのに、これ以上穴が広がったら…僕は、僕は。
「お願い、君にばかり背負わせて申し訳ないけれど。でもきっとすぐにトラヴィス様も戻ってこられるから、だから…」
「……うん、分かったよポワリお姉ちゃん。頑張ってね」
けど、止めることは出来なかった。僕一人の我儘でお姉ちゃんを引き止められない、お姉ちゃんは魔術界の礎になるべき人物だ、なら僕一人のわがままなんて捨てるべきだ。
そうだ、僕一人が犠牲になれば…魔術はもっと、もっと発展するんだから。
そう……魔術界では自己犠牲は尊ぶべき物なんだ、ならばこれもきっと、トラヴィスの息子として相応しい行動だったんだと、この時は…思っていた。
………………………………………
それから、一年が経った。ポワリお姉ちゃんはあの時書斎で話した後、数ヶ月してから研究所からお声がかかり、サイディリアルに旅立って行った。その時、トレセーナは泣いていた、とても泣いていた。お姉ちゃんと離れたくないと。
でも、イシュキミリが側に居ると言うポワリお姉ちゃんの言葉を受けて納得して…最終的にはお姉ちゃんを見送ることになった。研究者の人達と一緒に街を離れるお姉ちゃんを、僕達はずっとずっと…見えなくなるまで見送って。
そしてまた、僕の穴は広がった。
………それで、トレセーナは。
「『フレイムアロー』ッ!」
「『ウォーターガード』」
場所は魔仙郷、木々の隙間を縫って飛んでくる炎の矢を僕は水の盾で防ぎ透過した水盾の向こうに見える影を目視する。
「そこか!『サンダースプレッド』!」
「甘い!」
杖の先から電撃を放つ、しかし影は僕の甘さを見抜いていたのか、飛び上がり電流を避ける…いや違う、寸前で地面に杖を突き刺し避雷針代わりにしたのか!まずい詰め寄られる!
「もらった!『ディリュージバースト』ッ!」
「防壁展開!」
跳躍と共にこちらに飛んできた影の一撃を咄嗟に魔力防壁を展開し防ぐ…と同時に。
「『バインドフラッシュ』!」
「うわっ!?」
杖を振るいその先から魔力の縄を生み出し影を拘束する…。拘束されたそれは手を縛られ地面に落ちて…僕は、一息つく。
「ふぅ、なんとかなった」
「あーん!もうー!防壁はズルだってー!私まだ使えないのにー!」
「ごめんよトレセーナ、でもまた強くなったね」
そう言いながら魔力の縄を解けば、影は…いや、成長したトレセーナは口を尖らせながら立ち上がる。そうだ、僕は今トレセーナと戦っていた、とはいえ喧嘩してたわけではない。これは修行…彼女と二人きりで行う修行なんだ。
あれから一年、魔術を習得したトレセーナは実戦形式の修行を望んだ…それがこれ。
「まだまだ、こんなんじゃ足りないよ。私はもっと強くなりたいの、もっと強くなって…王宮の魔術師になりたい」
「そっか、なら頑張らないと」
彼女は、姉を追いかけるためにサイディリアルに行く事を望んだ。とはいえ姉とは違い研究者としての才能がない彼女が、本部研究所に行けるわけもない。だからこそ彼女は別方面…つまり戦闘を行う魔術師として王宮に行く事を目指しているんだ。
そこからはひたすら実力を磨く訓練に舵を切った。最初はへなちょこだった彼女も最近は駆け引きを覚えて、ただ魔術を撃つだけでは倒せなくなってきた。だから僕も釣られて強くなり、最近じゃ半ば殺し合いみたいな修練になってしまっている。
でも、彼女はまだ足りないって言うんだ。
「はぁ、全然勝てないなぁ。流石はイシュキミリだね、あれを咄嗟に防ぐとかさ」
「途中で杖を捨てたのがダメだったね。素手だと魔力が溜まるのに時間がかかる、安定性も欠くしいい手ではなかったかも」
「そっか、杖は魔術師の命だもんね。捨てたらもう魔術師じゃないか」
「別にそこまでは言ってないけど…」
トレセーナは必死だ、必死に修練してる。あれから一度もポワリお姉ちゃんは帰ってこないし、父上はまだ帰ってこない。母もいなくなって、僕にはトレセーナしかいない。でも今彼女はここから出ていくために努力していて…。
早く、早く死者蘇生魔術を開発しないと僕は独りになってしまう。けどまだなんだ、今まで順調に進んでいたけれど…パタリと進捗が止まってしまった。
ナヴァグラハの魂の考察文書、それは『魂とは何処から来て、どうやって生成されるのか』…この項で止まっていた。彼にも分からなかったのか、或いは途中でやめたのか分からない。けれどここが分からない限り魂の再構築は無理なんだ。
あと一歩まで来てるのに、最後の最後で立ち止まる…この感覚の如何にもどかしい事か。
早くしないと、トレセーナが僕より弱いうちはいい、けど僕より強くなったら僕は独りぼっちに……。
「イシュキミリ?」
「え?なななに?」
「ご飯食べよ、今日は私がご飯当番ね」
「う…うん」
そうして僕達は、暮らしていく。いつまでこの暮らしが続くか分からないけど…それでも、嗚呼、それでも…。
「それでさぁ、今日ね。街に行ったらチビッタレが私見てなんて言ったと思う」
「分からんない」
「おばさんだって!まだ十代じゃい!って怒鳴ったら、泣いちゃった」
「泣かせないでよ…」
今日もステーキだ、トレセーナは自分が嫌だと言っていたにも関わらず、自分が作る番になったら結局ステーキを作る。理由は楽だからだって、でも僕はステーキが好きだ、今も昔も好きだ、だってこれはみんなと食べた…思い出のご飯だし。
「ねぇ、イシュキミリ」
「なに?」
「久しぶりに、二人でどっか出かけない?ヴレグメノスに美味しいお菓子出す店があるらしいよ」
ね?どう?と笑顔で聞いてくれるトレセーナの話を聞いて、僕は考える。出かけるか…けどそんな事をしてる場合じゃないよ。君がここを出ていくまでに僕は死者蘇生魔術を作らないといけないんだから。
トレセーナの飲み込みは早い、今に僕を倒して出ていくかもしれない。そうなるまでに母上を生き返らせないと…いけない、だから。
「ごめん、僕ちょっと勉強したいことがあるんだ」
「…………」
そう、笑顔で伝えると…トレセーナの顔は、みるみるうちに曇り。
「なんで、もう暫く出かけてないよ…」
「え?」
「私達、友達でしょ…なんで一緒に出かけてくれないの?寂しいじゃん」
「あ、えっと…」
想像以上に思い詰めた言葉が返ってきてなにも返せなかった。するとトレセーナは席を立ち、僕の隣に座り直すと。
「私には、イシュキミリしかいない、親はもう死んでる…お姉ちゃんはサイディリアルに行っちゃった。私にはイシュキミリしかいないの…蔑ろにしないでよ」
「そんなつもりは、ないよ…」
「本当に?」
「うん、僕にも…君しかいないから」
彼女とは、特に長く一緒にいるから、そう思う。幼い頃から一緒に居て、同年代の唯一の友達として一緒に育ってきた。幼馴染と言ってもいいくらい、彼女は僕の中で大きな存在だ。
蔑ろにしたいわけじゃない、君に離れられるのが怖いから…僕は今も魔術の勉強をしてるんだ。いつかまた、ポワリお姉ちゃんと母上と、父上と…トレセーナ。そして僕の五人で一緒に食卓を囲む為に、僕は…穴を埋めたいんだ。
「ごめんね、最近イシュキミリが全然構ってくれなくて…寂しかったの」
「ううん、いいんだ。寧ろトレセーナは大切だから…寂しい思いをさせて悪かったなぁって思ったから」
「た、大切?本当に?」
「え?うん…」
なんか、トレセーナの頬が赤いような…まさか熱?
「ま、まぁ今日はその言葉に免じて許してあげましょう!とにかく勉強もいいけどさ!偶には私と出掛けてよ」
「うん、約束。この勉強が終わったら行こうね」
そうだ、その時は生き返った母上と一緒に、三人で出かけよう。それはきっと…とても楽しいに決まってる。その為にも…その為にも、魔術の勉強を頑張らないと。
「なら私も頑張って強くならないと!そうだ!イシュキミリ…私が強くなったら」
「なに?」
「………ううん、なんでもない。ごめんね!おやすみ!洗い物やっといて!」
「ええ!?なにさ!」
なんだったんだ、強くなったら…なんなんだ。僕を置いていくって話か?だとしたら…聞きたくなかったかもしれない。
パタパタと消えていくトレセーナを見送りながら、カラになった皿を見る。肉が失われた皿は酷く汚れている…そしてとても寂しい。僕は…こうなりたくないな。
(なら、早く勉強しないと)
皿を持ってキッチンに向かい、皿の汚れを水で流し…僕は慌てて書斎に向かう。勉強の続きをしないと。
「魂の再構築はどうすれば出来るんだ、なにをすれば達成されるんだ」
書斎の扉を開けて、ブツブツ呟きながら机に向かい合う。今の課題は魂の再構築、けど魂の材料が分からない、製造法も分からない、書斎の本全て読み終えてもそれに類することは書かれていなかった。
つまりここから先は完全に未知の領域…。
「魔力を魂に戻す、魔術には微量の魂が宿っていると聞いたしそれを応用すれば…いやだめだ、とても一人の魔力じゃ足りない、数百人用意しないと…。魔術の効率が悪すぎるのか、ならもっと効率的に…」
ペンで魔術式を書き上げながら考える。魂を再構築する方法を、母上の肉体はある、墓地にある。そこから肉体情報をとって、断片的な魂の設計図は手に入る、けど材料がない。魂を作る材料が分からない。
なにが足りないんだ、今の技術力じゃ不可能なのか、もっと画期的な魔術理論があれば…でもそんな物、あと数十年は待たないと生まれない。そしてそれが生まれたとしても死者蘇生が可能になるとは限らない。
待てない、もう時間がない。一旦仮にでも組んで見て不良点を洗い出すか?でもそんなのもう何十回も試したけど、なにも……。
「はぁ…はぁ…魔術に不可能はないんだ、きっと人間だって生き返らせられる」
僕には才能があるって、みんな言ってる。本当にそうかは分からないけど今はその言葉に縋るしかない、僕に才能があるならこれくらい可能にしてくれよ。頼むよ…。
そう祈るように僕は未知の領域を一人で考察しながら解き明かしていく、その作業は遅々として進まず、新品の蝋燭が溶け切って消えるまで勉強は続く…そして。
「はぁ、今日はここまでにしようかな」
蝋燭がフッと消え、部屋が暗くなる。これ以上続けても集中がもたない、ここらで終わりにしようと僕は席を立ち、仮に組んだ魔術式を本の間に挟んで部屋を出ようとして…。
「あれ?扉が開いてる。閉め忘れたのかな…」
ふと、書斎の扉が開いてることに気がつく、どうやら閉め忘れたようだ。ちょっと根を詰めすぎたかな。はぁ、早く寝よう。
そうして僕は部屋の扉を閉めて…また明日の修行と勉強に備える。明日は勝てるかな、明日の明日は勝てるかな、僕がトレセーナに負けたら…その時は。
「イシュキミリ…、生き返らせるって…貴方」
疲れていたからか、僕は気が付かない。暗くなった書斎の影に…隠れていた小さな影に。
……………………………………………
それから数日後の出来事だった。僕の人生が大きく変わる出来事が起こったのは。
それは………。
「え、今…なんて」
それは、母が亡くなった日と同じ雨の日。土砂降りの雨と共にやってきたその人たちは、こう言ったんだ。
「残念ではありますが、ポワリ様はお亡くなりになりました」
「は…?なんで…」
それは理学院の人達だった、数人でやってきて、棺を抱えて現れた。そして…僕に向けてこう言ったんだ、ポワリお姉ちゃんが…死んだって。
「なんで!なんで死んだんですか!」
「彼女は優秀な学者でした、自らが考案した魔術式の生体実験の際、自らを被検体にしより一層多くの研究成果を取ろうとした際、不測の事態が起こり…事故にて亡くなられました」
「実験で……!?」
咄嗟に横を見る、横に立つトレセーナは呆然と立っていた。今まで…お姉ちゃんに会う為に頑張っていた彼女は、ただただ脱力したように目を見開いて、持ってこられた棺を眺め。
「お、おねぇ…お姉ちゃ…あ、嗚呼…!」
「ポワリ様の遺言により、この街の館に運ぶよう仰られていたので、その通りに」
「お姉ちゃん…お姉ちゃんッッ!!ああ!ぅあああああ!!」
「トレセーナ…」
トレセーナは泣きじゃくり、棺に抱きつき喚き始める。僕はいきなりの事でなにも分からなかった、死んだ?死んだのか?ポワリお姉ちゃんが?いや…死んだのに、なんで…理学院の人達は、こんなにも静かなんだ。
「返してよ…」
「トレセーナ…その」
「返してよ!お姉ちゃんを!!私のお姉ちゃんを!唯一の家族だったのに!!」
そして吠え立てる彼女は、見たこともない顔をしながら理学院の学者達にくってかかる、しかし学者達は大した反応を見せず…。
「ポワリ様に関しては残念でした、ですが彼女が残した功績は消えません。彼女の犠牲はより多くの人たちを救うでしょう」
「は…は?」
「彼女はその身を犠牲にして、魔術界の未来を作ったのです。彼女の自己犠牲があってこそ、救われたのです、理学院は」
「…………」
茫然自失とはこの事か、そんな話が聞きたいんじゃないのに…そんな、人の命がなくなったのに、未来?功績?なに言ってるんだ。
いや、自己犠牲…それは魔術師が、尊ぶべき物で…でも、いや…でも。
「ポワリ様の残した遺産は貴方達に使われます。面倒を見てやってくれとのお話でしたので明日にも彼女の遺産にて雇われた使用人が、この館に来ます。我々はその報告に来ました」
「……………」
「彼女の名は魔術界に永遠に刻まれるでしょう、栄光ある魔術師の勇気に我々は感服の意を示します」
「……………」
「それでは、失礼致します」
「……………」
なにも、言えなかった。ポワリお姉ちゃんがやった事を褒め称える気にも、悲しむ気にもなれなかった。ただ、自己犠牲とはなんなのかを…僕は考え続けていた。
気がつけば学者は帰っていたし、トレセーナはグズグズと泣き疲れて棺に突っ伏していたし。部屋は暗くなっていた。
穴が広がった気がした、なんでか分からないけど…広がった気がした。お姉ちゃんはずっと前に居なくなってたのに、今更…。
「イシュキミリ…」
っ!今はトレセーナだ、僕もショックだ…けどそれ以上に彼女は、生きる目的すら失ったに等しいんだ、なら僕が慰めて…。
「生き返らせて、お姉ちゃんを」
「え……?」
いきなり、トレセーナは立ち上がり…涙で赤くなった瞳で、僕を見ながらそう言った。生き返らせろ…と。
「知ってるよ、死者蘇生魔術…作ってるんでしょ」
「な、なんでその事を…」
「いいから!そんな事!それより早くお姉ちゃん生き返らせて!お願い!」
突然、そう叫びながら僕の手をがっしり掴むトレセーナに、絶句する。何故死者蘇生魔術の事を知ってるんだ。彼女には内緒にしていたはずなのに…いやまさか、あの時扉が開いていたのは…。
見ていたのか、書斎に忍び込んで…僕の研究を。
「私には、お姉ちゃんしか家族が居ないの。知ってるよね…私のお母さんもお父さんももう居ないの」
「知ってる…」
「その上、お姉ちゃんまで居なくなったら私、もう頼れる人が…イシュキミリしかいないの…だから、だからお願い。私…一人になりたくないの」
「トレセーナ……」
そりゃ、そりゃあさ。なんとかしたいよ僕だって、ポワリお姉ちゃんが死んだままなんて嫌だ…生きててほしい、生き返ってほしい。けれど出来るならとっくに母上を生き返らせてるんだよ!
「ごめん、トレセーナ…まだ未完成なんだ。死者蘇生魔術は」
「え……」
「再現するには、あまりにも膨大な魔力が必要なんだ、これを効率化しない限りは…使えない」
「………そうなの、イシュキミリでも…無理なの?」
「ごめん……」
魔術式は組んだ、詠唱も用意した。だけど必要となる魔力があまりにも膨大過ぎる、それを効率化し必要魔力量を減らす段階にある、僕はそこで躓いているんだ。
現状では魂を数個砕いてその断片を繋ぎ合わせて新たな魂を構築するような魔術になっている。こんなもの魔術とは言わない、ただの不平等な交換でしかない。これをクリアするには…魔力で魂をどう作るか、魂がどう作られるかを完璧に把握しなければならないんだ。そしてきっと…それを見出すのは、僕が数十年研究に捧げて、ようやくヒントが一つ、見つかるかどうかだ。
魔術に不可能はない、だが僕には不可能がある。なんてことはない、僕は魔術師であって、魔術そのものではなかったんだ。
「ごめん、ごめんよトレセーナ。僕だってポワリお姉ちゃんを生き返らせてあげたいよ。けどまだ無理なんだ…だから」
魔術では、この問題は解決できない、けれど他に…解決できる方法があるなら。
「だから、僕が君のそばにいるよ。君を…一人にしない」
「イシュキミリ……」
僕が、君の穴を埋める。いつか君がやってくれたように、君のそばに一生居て、君の穴を僕が塞ぎ続ける。二人で穴を…塞ぎ続けるんだ。僕には不可能を可能にするだけの力はない、けれどきっとそれくらいなら出来るはずだから、
だからせめてお願いだ、僕も一緒に居させてくれ。そう頼み込むように、手を差し伸べるように僕はトレセーナに手を伸ばす。すると…。
「一人に……」
トレセーナは僕の手を見て…小さくはにかむと。
「ありがとう、イシュキミリ…嬉しいよ」
「トレセーナ…」
「うん、確かに…私は一人じゃ、なかったね。酷いこと言ってごめん、…ちょっと部屋で頭冷やしてくるよ」
そう言って僕の手を握った彼女は、そのままスルリと僕の横を抜けてヨタヨタと歩きながら部屋を出ていってしまう。まだ現実を確かに受け止めきれて居ないような…そんな不確かな足取りを気にしつつも、僕はこの部屋に、棺の置かれた部屋に残り続ける。
(トレセーナは、ショックを受けてる…僕の時よりずっと、当然だ。彼女は今真の意味で独りになった、僕にはまだ父がいる…けどトレセーナにはもう居ない、ポワリお姉ちゃんは…もう居ない)
トレセーナの穴はあまりにも大きい、僕にそれを埋められるのか…いや、埋めるんだ。そしてどれだけの時間がかかっても…いつか必ず、死者蘇生魔術を完成させて、また全てを取り戻して…。
(ポワリお姉ちゃん)
僕は、ただお姉ちゃんを求めるように棺を開ける。せめて顔が見たかったから…すると。
(あれ?なんで…)
するとそこには、綺麗な顔で…まるで眠るように息を引き取っているポワリお姉ちゃんがいた。見たところ顔に傷はない、顔どころか体にも傷はない。外傷はなにもないんだ。
(学者達の説明だと実験中の事故で亡くなったと言って居たから、てっきり爆発か何かに巻き込まれた物と思って居たけど…違うのか?)
外傷はない、ならもっと内的な要因で亡くなったのだろう。けど…死因が皆目見当もつかない。そういえばお姉ちゃんはサイディリアルで魔蝕の研究をしていたと言って居たが。
魔蝕って、特殊な月蝕の際起こる魔力変動現象のことだよな。その実験でどうして人が死ぬんだ?一体なんの実験をお姉ちゃんはして居たんだ……。
「分からない事を考えても仕方ないか…」
ガックリと肩を落としつつ、姉代わりとして今まで僕のそばに居てくれた彼女の喪失を改めて確認し、僕は棺を閉じる。母に続いて姉までも…でも死者蘇生魔術が完成さえすれば、完成さえ…すれば。
(もっと時間を使って、急ピッチで研究を進めないと)
出来るなら、父の助力が欲しかった。それは父が魔術師として僕を遥かに上回る実力を持つから、それと同時に…今、僕は誰かに支えて欲しかったから。
けど我儘は言えない…、だって父は…誇るべき事を、やっているから…。
「今日から、お姉ちゃんが雇ったお手伝いさんが来てくれるんだったな…なら、料理版も必要ないか……修行も今日は出来ないし、勉強しよう」
お姉ちゃんの遺産で雇われたお手伝いさんが来てくれる、雑務はそちらがやってくれるなら、僕は一層研究に集中出来る。今よりずっと時間を使って研究して…なるべく早く、二人を生き返らせないと。
(あんな不完全な魔術じゃ、死人を増やすだけだ…もっともっと、上手くやらないと)
重たい足取りで、僕はゆっくりと書斎へ向かった。意気込みはあるのに…なんだか今日は、凄くやる気が出ない。そんなこと言ってる場合じゃないのは…分かってるんだけど。
「はぁ、………ん?」
そして僕は書斎の扉を開けいつも使ってる勉強机に向かい合った瞬間…違和感に気づく。
「………なんか、違う」
昨日僕が使った本や筆記用具の配置が絶妙に違う。誰かが動かした?じゃあ誰が動かした?なんのために動かした?そこまで考え僕はすぐさま確認する、昨日…本に挟んだ紙を、仮組みとして作った死者蘇生魔術の魔術式、それを書き留めた紙を…、昨日確かにこの本に挟んだ。
けど…けど。
「無い……」
魔術式を書き込んだ紙が無くなっていることに、気がつく。誰かが本を開いて…持って行った痕跡がある。ここに死者蘇生魔術がある事を知っているのは…僕と、後もう一人。
「まさかッ……!」
僕は椅子を弾き倒して全力で走り来た道を戻る。書斎を出て廊下を走り、自分でもこんなスピードが出せたのかと思えるくらい全力で走る。
あそこに死者蘇生魔術があるのを知ってるのは僕と…もう一人、トレセーナだけだ。トレセーナは僕があそこで勉強してる内容を知って居た!ならどこになにがあるか知っている!まさかさっき部屋に戻ると言って…部屋じゃなくて、書斎に行ったのか!?
「ダメだァッ!!トレセーナァッ!!あれはまだ未完成なんだッ!使っちゃダメだッッ!!」
走る、走る、絶叫しながら棺があった部屋の扉を跳ね除け吠える…が。
「居ないッ!?」
居ない、トレセーナも…ポワリお姉ちゃんもいない!棺が開けられている!中に居ない!やる気だ、トレセーナ!アイツ死者蘇生魔術を使ってポワリお姉ちゃんを!
ダメだ…ダメなんだ!言ったじゃないか未完成だって!あれは確かに理論上は成立しているように見える、使えば発動するように見える!けど仮組み!膨大な魔力が必要になるって言っただろ!
膨大な魔力が必要ってことはつまり、人間一人の魔力じゃ足りないってこと。そんな魔術を…消費魔力が体内魔力を上回る魔術を使ったらどうなるか!
代わりに消費される、魔力と一緒に消費される!魂が……。
「使っちゃダメだぁあぁぁあああッッ!!!トレセーナァァアアア!!!!」
闇雲に走り、外へ向けて走り、玄関の扉を開ければ…その向こうには水のカーテンの如き土砂降りが視界を覆い、そして…そのカーテンの向こう、僕に見つからないようにしたんだろう…グランシャリオ邸の庭の一角で。
「あ…ああ……ああああ……!」
濡れることも厭わず、僕は歩く。その庭先に転がるそれに向けて…。
視界が歪む、顎が震える、喉が痛い、声が漏れる、感情が抑えられない。
「ぅ…あ…ああッ…!」
庭先の、水たまりに淀む泥に塗れ、見える赤が目に映える。
そこには、雨に濡れた…真っ白なポワリお姉ちゃんと、それに…被さるようにして、血を吐き倒れる、トレセーナの…姿が。
「あぁぁああぁああああ………!」
顔を押さえる、自らの頭を握り潰すが如き勢いで、頭を両手で押さえ後悔に叫ぶ。トレセーナの口から溢れる血は水溜まりと共に僕の足元に広がり、光のなくなった瞳が僕を見る。
使ったのか、不完全な魔術を…。どうして…!僕が…そばに居るって!穴を埋めるって!言ったのに!……納得、してくれなかったのか。
僕じゃ不足だったのか、力も…存在も…僕じゃ足りなかったのか…!
「うわぁぁあああああぁぁあぁああぁぁああああ!!!」
失った、失った、また僕の力不足で。僕が完成させていれば、僕にもっと力があれば、トレセーナを納得させられたのか。死者蘇生を完成させられて居たのか。それともそもそも僕さえ居なければこんなことにならなかっ──────。
「僕が…死者蘇生なんて、作ろうとしたから……?」
そこに気がついてしまったらもうダメだった、僕が魔術に執着したから…死者蘇生になんて囚われたから、全て…全て失った。
僕の力不足のせいじゃ無い、悪いのは…僕自身─────────。
…………………………………………………
「今日からこの館に使えることになりました、今後は雑務や炊事は我々にお任せください」
気がつくと、僕は食堂にいた。館の食堂にいた、そして椅子に座って…ポワリお姉ちゃんが雇った使用人達が僕を囲み…。
「ではこちら、本日のお夕食になります。コルスコルピ式のフルコースでございます」
「あ…………」
眼下に用意されるのは、絢爛豪華な食事の数々。麗しく、綺麗に皿に盛られた、豪奢な食事────。
「ハァ…ハァ…ハァ…ッ!」
右を見る、空席がある。誰もいない。
「ハァッ…ハァッ…ハァッ…!」
左を見る、空席がある、誰も座ってない。
「ハァッハァッハァッハァッ……ぁぁああ…ッ!」
目の前を見る、空席がある、誰もいない。誰も座って居ない、ただ目の前には豪奢なだけの食事と…僕を囲む使用人達が、穴を作り、僕を飲み込み。
「ぁああああああああああああああああ!!!!!!」
居ない居ない居ない居ない!また一人になってしまった!また孤独になってしまった!今度は僕自身の手で!全部取りこぼしてしまった!僕が魔術なんかに傾倒したから!魔術なんかを信じたからッ!!
「先程伝達が入りました、トラヴィス卿はこれより魔術界安定の為遠征に出るようで、帰りが更に遅くなるとの事で──────」
一人にしないで一人にしないで!僕を一人にしないで父上!早く帰ってきてよ!でないと僕は…僕は…………。
─────────────────────
「あ…あああ…あぁあ、なんで…こんな!?」
イシュキミリは呆然として居た、マゲイアが持ってきた情報を見て目を白黒と明滅させて、繰り広げられる惨劇を見て、呆然として居た。
人が死んでいる、おかしい、こんな筈じゃない。悪いのは魔術で、人じゃない、魔術を奪えば、私はより一層…良い世の中を作れると、そう思って居た。
人は不可能はない無限の力と可能性に夢を見る。だが人には不可能がある、そのギャップに苦悩する人間は多く、今日もまた私のように魔術の可能性に魅入られた人間が自己犠牲を強いられる。もうそんな悲劇は繰り返させないと…それがなくなれば良い世の中になると信じて居た。だから魔術を奪う嘆きの慈雨を作り、叶わぬ夢を潰そうと画策したのに。
(なんだこれは!?嘆きの雨は人類から魔術を奪い叶わない夢を消し去る為だけの物!私はそのように嘆きの雨を設計したはずなのに!なんで人が炸裂して死んでいるんだ!?)
思わず顔を手で覆う、何か間違えたのか?あり得ない、そんな事あり得ない、また私が失敗したなんて。
だが事実として今マゲイアが映し出した光景は、ヴレグメノスの人間が残らず死んだ事を意味している。ヴレグメノスが滅びた、街人も役人も魔術師もみんな死んだ、無くなった…ヴレグメノスが、私のせいで、関係のない人間まで死んだ。
雨を浴びた人間が残らず死に絶えた…、内側から炸裂するように爆発した。もしかして嘆きの雨の魔力生成能力が強すぎたのか?魔力の通り道を焼き潰すに留まらなかった?だがあそこまでの威力が出るわけが…。
「ッッ………」
ふと周りを見ると、メサイア・アルカンシエルの兵士達の一部がこの惨劇を前に怯えて居た。怯えているのはセーフやアナフェマのような比較的新規で入った…私の政権が樹立した後に加入した人間達だ。
私が加入する前からいた古参達は顔色一つ変えていないマゲイアもシモンも反応がない…いや、一人反応してる男がいる。
「イシュキミリィィイイッッ!!これはどういう事だッッ!!」
「か、カルウェナン…!」
カルウェナンだ、彼は私の胸ぐらを掴み上げ怒鳴り声を上げ目の前の惨劇を指差し怒りを露わにする。
「貴様は言ったな!魔術を奪うだけだと!最初の計画である魔術師達の鏖殺についても文句はあったがそれがお前の目指す世なればと目を瞑った!だが!これはなんだ!これのどこに貴様の語る世界がある!これの何処に理想がある!こんな物ただの虐殺じゃないか!!」
「う……」
分かってる、私は確かに魔術師達を殺そうとした、それは必要な行程だと割り切っていた。魔術師達の大好きな自己犠牲…、それを最後の自己犠牲にするつもりでこの計画に臨んだ。なのに…これは。
これは根本から違う、意思なき虐殺、見せしめの如き殺戮、無意味な鏖殺。私の…目指す世はこんな物じゃない…!これじゃまるで、逆らう者を容赦なく殺す暴君でしかない。
「小生は我が道に外れる事に手は貸さない!いや…これはそもそも人の道から外れた所業だ!いつのまに外道に落ちたッ!イシュキミリ!!」
「あ……う……!」
けど違う!こんな結果望んでいない!私は…私はただ…いや、違う…これは。
「お前の指示だぞッ!イシュキミリッッ!!!」
「ッッ……!!」
私がやったのか…望まずとも、私が…命じたからああなった。私のせいで…?また私の力が足りないから人が…関係のない人間が死んで─────。
「イシュキミリ様!どうですか!この成果は!素晴らしいでしょう!」
「マゲイア…?お前…」
すると、カルウェナンとは異なりマゲイアは興奮したように息を荒くしながら私に寄ってきて、カルウェナンとは正反対になんとも嬉しそうにこの光景を前にして笑みを見せる。
「マゲイア、貴様…よくもやってくれたな!」
「興奮しないでよカルウェナン!貴方は理解していない!魔術導皇の古式治癒を応用して強力に改良した嘆きの慈雨は人の身を爆散させるほどの威力を得ました!これはもう立派な兵器です!」
か、改良?そういえばさっきそんな事を言ってたような、え?私に無許可で…そんな事を?なんで…私はそんな事命じてないぞ…。何より、望んでない。
「もう魔術師を狙って、なんて必要ない!魔術導皇と婚姻を、なんて必要ない!!私達は!世界に脅威を与える最大の武力を手に入れたんですよォッ!あはははははっ!」
「武力…?」
「ええ、私たちの主張を押し通すなら必要なのは武力!何にも押し負けぬ力と他者が道を譲らざるを得ない武力が必要なんです!これで私達は他の八大同盟を出し抜き!魔女さえも竦ませる力を得た!私達こそが最強の同盟になったんです!」
前半はおべんちゃらだろ、本音は後半だ。けど…そうか、お前はそれを望んでいたのか。そうか…そうか。
私は何をやってたんだ…、私のせいで、こんなことになって…。
「イシュキミリ……」
「……デティフローア…」
そして、デティフローアは…私を見る。怒りに満ちて、憎悪に満ちた目で…私を見て。
「貴方の語る世もまた一つの志と…理解を示していた私は、どうやら馬鹿だったみたいだね。こんな物をお前は望んでいたなんて…」
「ち、違ッ……」
「これがお前の望んだ景色かッ!!お前の作ろうとする世界はこれかッ!イシュキミリッ!なら私はお前に協力などしない!絶対に…」
違う、違う…違うんだ、私は望んでなんかいないんだ、私のせいなのは認める、けど…私の心は……。
「この、殺戮者ッッ!!」
「───────ッ」
心は…関係、ないか。ああ…そうか。
私は、何を…………。
………………………………………………………
最悪の事態になった、嘆きの慈雨が想定よりも危険な物となった、私が残した古式治癒魔術のデータをもとにして嘆きの慈雨が強化された。よりにもよって…友愛の魔女の技を、私が先生から賜った技を、虐殺の道具にされた。
許し難い、あまりにも度し難い。絶対に阻止しなければならない、絶対に嘆きの慈雨は破壊しなくてはならない、メサイア・アルカンシエルは…消し飛ばさなければならない。
そうデティは考える、しかし今私に出来ることなんか限られている…ここから、どうすればいい。
「殺戮者などと褒めてくれるな魔術導皇、お望みならしてやろうか?殺戮を」
「やめろマゲイア!殺戮には加担しないぞ小生は!」
「カルウェナンッッ!黙っていろ!貴様の価値は我が組織の武力に他ならない!嘆きの慈雨が完成した今!お前の存在などいつでも放逐出来ることを忘れるなよ!」
「貴様、それを本気で言っているつもりか?」
カルウェナンとマゲイアが言い合っている間に私は必死に縄を解こうと足掻くが…ダメだ、取れない。何より…。
「………………」
イシュキミリが動かない、彼の内から魂の鼓動を感じない。何を考えているんだアイツは…いや今はすぐにこの事をみんなに伝えないと!
「そいつを連れて行け!魔術導皇の古式治癒にはまだ利用価値がある!」
「やめろ!これ以上外道に落とすな!この組織を!」
「ええいうるさい!カルウェナン!なら貴様からまず最初に殺し───」
そうこう言い合っている間にも兵士が迫る、混沌とするこの場において、落ち着いている者は一人もいない、冷静な者は一人もいない。
混迷とする空間、闇に閉ざされた場に…差し込むのは。
「ッッ!!?なんだ!?!」
轟音が響き、壁が崩れ、外の光が差し込み、現れる。この混迷の中にあって、尚輝きを放つ。
「見つけました…デティを、返してもらいますよ…エリスの…友をッッ!!」
「エリスちゃん!?」
──────最強の『混沌』の権化が。




