603.魔女の弟子と魔手の迫る時
一週間、エリス達は修行に励むこととなった。一週間後に訪れるマレウス魔術会議にて行われるメサイア・アルカンシエルの襲撃…それを阻止する為、エリス達は奴等と戦う決意をした。
そして訪れた運命の一週間後、マレウス魔術会議当日。その日の朝早く、まだ太陽も登りきらない頃に…。
「では行ってくるよ」
「こっちは僕達に任せてください」
「おう、気ィつけろよ」
「お気をつけて」
エリス達は館の入り口でメルクさんとナリアさんを見送る、二人はヴレグメノスの街にて行われる嘆きの慈雨発生を阻止する為二人で旅立つ事になる。そこに敵がいることは確定しており、当たれば魔術行使能力を永遠に失う嘆きの慈雨もある場所ということである意味危険ではあるが…それはこの街も同じ。
メルクさん達には悪いが、行くのは二人となる。そこで嘆きの慈雨を破壊しこの街を守ってもらう。
「問題ない、最悪嘆きの慈雨だけでも破壊して戻ってくるさ」
「ラグナさん達も気をつけてくださいね」
「任せろ、こっちは戦力潤沢だ。返り討ちにする」
嘆きの慈雨発生後予測されるメサイア・アルカンシエルの襲撃から街と民間人を守る、それがエリス達の役目。何がどうなるかは分からないが、その為の修行は積んできた、新技だって搭載済み、これで勝ち抜くより他ない。
「ではな」
そうしてメルクさんは軽い手荷物だけ持って街の外まで旅立っていく。移動は馬車を使い向かう予定だ、距離的に移動に半日費やすだろうが…間に合うよな。
「じゃあ俺達も準備を進めるか」
「はい」
そしてエリス達もまた戦いの準備を始める、とは言え戦いの準備なんかもう一週間で済ませているし、何をするんでしょうか。
「何をするんですか?」
「ん?トラヴィスさんに報告」
「報告?トラヴィスさんに?でもトラヴィスさんはこの件にエリス達を関わらせたくなさそうですし…」
「それは俺達と八大同盟の話だろ?でも標的はこの街なわけだし、この街の領主に無断で防衛作戦なんて出来やしない。それに……」
「それに?」
するとラグナはやや難しそうに首を捻り。
「いや、この作戦全部イシュキミリが考えたろ?」
「ええ、そうですね」
「けどアイツは戦略の専門家ってわけでもない、至らない部分はこっちで補完した方がいいかなって、なんとなく思うんだよな」
「それがトラヴィスさんへの報告ですか、でも怒られませんかね…結局エリス達がニスベルさんの事を無断で調べた事を白状するようなもんですし」
「怒られるくらいいいだろ?人命かかってるわけだし」
「それもそうですね」
確かに言われてみればその通りだ、トラヴィスさんには恩義があり出来れば彼の気を害したくないが、それはエリス達の気持ちであり街の人達の命がかかっているなら無視してもいい瑣末な事だ。であるならばトラヴィスさんも巻き込もう。
そしてエリスとラグナは館に戻り、トラヴィスさんの執務室へ向かう。まだ寝ているだろうか、それとも起きているだろうか。
「ん?アマルト?」
「あれ?もうメルク達行っちゃった?」
「行っちゃいましたよ、どこで何してたんですか」
ふと、廊下の只中で顔を合わせたのは…アマルトさんだ。折角見送るって時だったのに来たのはエリスとラグナだけ、他のみんなはなんか顔を出さなかったんだ。
何をしていたんですかとエリスが問えばアマルトさんは『悪い悪い』と言いながら左手で頭を掻く、すると…エリスは気がつくんだ。そのアマルトさんの左腕に何かが巻かれている事に。
「なんですかそれ、赤い包帯?」
「怪我か?にしちゃ随分…」
「あ?これ?」
そう言ってアマルトさんが差し出した左腕には、指先から肩口まで敷き詰めるように巻かれた真っ赤な包帯が見えた。黒く澱むような赤、こんな物今まで身につけたことなんかなかったのに。
「なんか痛いですね」
「いや?別に痛くないぜ?これはただ赤いだけで怪我してるわけでも…」
「いえ、いい大人がする格好にしてはです」
「悪かったな!こいつが俺の修行の成果だよ!こいつの準備で手間取ったの!」
「おお、アマルトの修行って覚醒のだよな、それで覚醒するのか?」
「まぁ似たようなもんよ、実戦運用は初めてだから役に立つかは分からねーけど期待しとけ」
なははと笑いながら立ち去るアマルトさんの笑い声を聞いて、エリスは妙に違和感を感じる。あれは無理して笑ってる時の笑い方だな、気になるけど…アマルトさん強情だし、なんか言っても意固地になりそうだ。何かとんでもない事をやらかしそうになったらエリスが止めればいいか。
「みんな、戦いの支度を始めてるみたいだな」
チラリとラグナが視線を移す、すると館のあちこちに魔力の流れを感じる。
ネレイドさんはトラヴィスさんから教えられた防壁を物にするため最後の調整を行っている。
メグさんは分からない、なんかジャグリングしてる。あれは準備なのか、けどこの場で遊ぶ人でもないし…。
そしてデティは…イシュキミリさんと一緒にいる。何をしてるのかと思えばアンブロシウスさんが大量の紙束を持ってデティのいる部屋へ走っていくのが見えた、恐らく彼女は戦いの支度ではなく会議の支度をしているようだ。
そして…トラヴィスさんは。
「失礼します」
「ああ、君達か」
執務室の扉を叩き、部屋に入れば…既にトラヴィス卿は起きて執務の仕事をしていた。メガネをしてカリカリと音を立て慣れた手つきで万年筆を動かして。今日はいつもより動き出しが早いな、まぁ…会議があるからだろうけど。
「おはようございます、トラヴィスさん」
「ああ、おはよう。にしても今日は朝から随分騒がしいな」
「あはは、えっと…その件なんですけど」
「…………」
ラグナは早速とばかりに切り出して、自分達が持っている情報を明け渡すように全てを話した。メサイア・アルカンシエルの事、嘆きの慈雨の事、そして今日のこと。それを聞いたトラヴィス卿は万年筆を動かすのをやめ、メガネをソッと外すと。
「言いたいことは色々あるが、何故もっと早く共有してくれなかった」
それはそう、としか言えない程ぐうの音も出ない正論が顎先にすっ飛んできてあわやエリスはKOされるところだった、なんて冗談はさておき。
「すみません…、叱責をもらうかと…」
「子供か、いやしかし魔女様達もとんだ悪ガキを育てた物だ、やるなと言えばやる、そして自分達で全て解決しようとする。全く…」
とは言いつつ、怒った様子はなく。彼は静かに机に手を置くと。
「それで、それを私に打ち明けたとて…私の助力を願うわけでもないんだろう?恐らくこの報告は私への義理立て…違うかな?」
「はい、メサイア・アルカンシエルは俺達が倒します。この街も守ります。ただトラヴィスさんは最悪の事態に備えておいてくれればと」
「勝気なのか弱気なのか分からない話だな、だが分かった。どの道マレウス魔術会議に私は参加出来ん、会場で起こる出来事は君達に任せる事になる」
「参加出来ないんですか?」
「息子が出席するのに私まで一緒に行ってどうする。イシュキミリに恥をかかせるだけになってしまう」
確かに、息子が一端の研究者として会議に出るのに壁際にお父さんが立ってたら…それはそれでなんか恥ずかしいな。それに周りの人間だって『トラヴィス卿が健在なら息子じゃなくてトラヴィス卿と話がしたい』…と、イシュキミリさんの背にトラヴィスさんを見てしまう。
そうなったらイシュキミリさんは他の人と正当に、真っ当に話すことができなくなるし、その判断は正しいか。
「そういうわけだ、頼んだよ。萌芽達」
「はい!」
「エリス達はもう萌芽じゃありませんよ!野太い大樹ですから!」
「ふっ、そうだったな」
トラヴィスさんはもしもの時に備えておいてくれるとは言うが、それは最悪の事態。つまりエリス達がヘマった時の話、ヘマれば人の命が失われるんだ、それは許されない。
大口叩いて、逆らって、好き勝手やったんだ、そこの責任は取らねばならない。つまるところ完全勝利、それ以外はあってはならないのだ。
マレウス魔術会議…今日は忙しい日になる、やってやろう。
……………………………………………………………
マレウス魔術会議、マレウスの魔術界に於ける権威達が集まる会議であり毎年開催場所が異なるとされるその会議が今日このウルサマヨリで行われる。みんなあの密林を超えてここにやってくるんだ。
やってくるのは高名な魔術師ばかりだ、マレウス魔術学会の権威たる御三家グランシャリオ・クルスデルスール・カシオペイアを始め王国魔術師団の団長『黒翼』のムルシエラゴ、冒険者協会所属ながら学会にも顔を出す天才『三本杖』のサンボ、そして新興魔術貴族ながら頭角を表しているラステア・フェニックス。
マレウスの魔術の方向性と未来を話し合う為、皆が皆ウルサマヨリに集まるのだ。そして…そんな中に突っ込むのが。
世界の魔術を統べる存在…魔術導皇デティフローア。
「だぇ〜〜……」
「デティフローア様、顔が死んでいます」
「土気色ですね」
「お化粧して誤魔化しましょう」
……ウルサマヨリ会議場。街の中心に存在し普段は魔術学会が話し合うのに使うドーム状の巨大な建物。その控え室にて酷い顔で座っているのはデティだ。
目は血走り、口は半開き、顔は土気色で服もくしゃくしゃ、道端に置いたら通行人が哀れみの目を向けながら銀貨一枚恵みそうなレベルでダメな顔してる。どうやら三日ほど前から資料などを読み込み、寝ずに色々やっていたようだ。
なのでエリスとメグさんでなんとか整える、メグさんがお化粧をしつつ、エリスが魔術で生み出した蒸気を当てて服を伸ばす。一応…なんとかはなる予定だ。
「申し訳ありません、私が資料確認の作業を止めておけばこんなことには…」
「止めてもデティは止まりまんよ」
「この方は元から生真面目なので会議…その上魔術絡みの物になれば全霊を尽くしてしまうのでございます」
「なるほど…、デティフローア様。お気を確かに」
「おぇ〜〜……ハッ!会議は!?終わった!?」
「今からです」
パッと目を見開き控え室の椅子から飛び出すデティ。一応意識は戻ったようですけど…ふと、デティと同じく待機してるアマルトさんが目を合わせると…。
「……プイッ」
「……なんだよ…」
と、目を合わせるなりお互い逸らしてしまい…なんか珍しく険悪なムードが漂っている。二人は言い合いすることはあれどこんな喧嘩をするなんてことはなかったんだけど。
「なんかあったんですか?アマルトさん」
「え?お前聞いてないの?」
「何がです?」
「……別に」
気になるでしょうがそう言うの!!別にじゃないんですよ言いかけたなら最後まで言いなさいよ!とアマルトさんの胸ぐらを掴みかけた瞬間。
「そろそろ会議が始まるよな、みんなの動きについて話し合おう」
ラグナがそう言い出すたのだ。これはエルドラド会談と異なり出席するのはデティとイシュキミリさんだけ、エリス達はみんなフリーで動けるんだ。
「まず会議場周辺はアマルト、ネレイド、メグさんで固めてくれ」
「おい、いいのかよラグナ、数が少ねーのに表にそんな数割いて」
「いいんだ、来るなら外から出しメグさんなら怪しい動きがあれば即座に対応出来るしな」
「エリスとラグナはどうします?」
「俺は会議場を見回る、エリスはデティについていてくれ。それであんまり頼める状態じゃないかもしれないが…デティとイシュキミリは会議場にいる魔術師、そこに敵が潜り込んでいないかを警戒しつつ、みんなを守ってやってくれ」
「ん、任せてよ。エルドラド会談みたいに喧々轟々って感じじゃないだろうからそれくらい余裕だよ」
「はい、エリスもデティを守ります」
「私だけじゃなくてみんな守ってあげてね」
装備を確認し、体を伸ばしてコンディションを確認、実戦はほぼほぼ一ヶ月ぶりくらいか。エリス自身に不安な点はない。確実に強くなった、けど。
(無双の剣騎士『極致』のカルウェナン…か)
ディランさんとトラヴィスさんの言った…メサイア・アルカンシエル所属の最強戦力カルウェナン。これが不安点だ、ディランさん曰くカルウェナンはガウリイルとアナスタシアがタッグを組んでも勝負にならず、トラヴィスさん曰くエリスたち全員がかりでもカルウェナンには歯が立たないと言う。
もし、そんな奴が本当にいるなら…きっとこちらに来るだろう。そいつとエリスがどれだけ戦えるか、ここにかかっているかもしれない、メサイア・アルカンシエルとの戦いは。
「そうだ、メサイア・アルカンシエルの件はどうしますか?参加者に共有しておいた方がいいですよね」
咄嗟に思いつき、ラグナに聞いてみる。一応連中が攻めてくるかも知れないならやっぱり他の参加者に共有しておく方がいいだろう、それが義理ってもんじゃないのかと聞いてみたが。
「いえ、無用な混乱を招くだけでしょう」
そう言ってイシュキミリさんが割って入る、メサイア・アルカンシエルの件を共有すれば無用な混乱を招くと。だがそこにラグナは違和感を感じて。
「いや、言っておかない方が混乱するだろ、下手にパニックになられるとそれこそ死者が出かねない。言ったほうがいいと思うが」
「会議場周辺には私が兵を配置しています、簡単には辿り着けないでしょう。もし会議場まで敵が攻め入ってきたら私が皆を統率します、号令をかけて一丸となれば迎え撃つことはできるでしょう」
「態々そんなことしなくても…」
「申し訳ありません、あまり大ごとにはしたくないんですよ…」
「む……」
そう言われるとラグナも返せない。言ってみればイシュキミリさんはあくまで協力してくれているだけ、そんな彼に迷惑をかけるのは良くない。確かに魔術師達もそんな話聞かされたら『会議どころじゃないだろ!』とツッコミが入り会議そのものがなくなる可能性がある。
そうなって困るのはイシュキミリさん、いやグランシャリオ家だ。会議が中止になればグランシャリオの面目は丸潰れ…それは流石にイシュキミリさんに強要はできないか。
「そっか、分かった。じゃあその辺は任せるよ」
「ええ、おまかせを」
そういう話なら…仕方ないか。エリス達が頑張って小規模で終わらせればいいだけだしね。
「さてと、じゃそろそろ行きますか」
「え?まだ開始時刻には早いですけど」
すると、デティは肩を回しながらそろそろ行くというのだ。だがまだ時間は早いと思うのだが…。
「開始時刻はね、けど魔術御三家はそろそろ到着する。一応挨拶しておきたいから」
「なるほど、分かりました。ではエリスもご一緒します、それでそのまま会議場入りしましょう」
「そうだね、ってわけでみんな〜会場警備はよろしくぅ〜」
「あ、私もご一緒しますよ、デティフローア様」
「おう、こっちは任せろよ」
魔術御三家と話をしに行く、確かにこのマレウスに於いての権威であるなら魔術導皇自らお声かけに行くのは良いかもしれない。ならばとエリスとイシュキミリさんは席を立ち控え室を出て、後のことはみんなに任せることにする。
「ところでマレウス魔術御三家ってなんです?」
控え室を出て、扉を閉めたタイミングでそう聞いてみる。するとデティは『待ってました』とばかりにふふんと目を閉じて。
「マレウス魔術御三家ってのは代々優秀な魔術師を輩出する家系だよ、マレウス魔術理学院の役職持ちを輩出したりマレウス魔術師団の団長を輩出したり、血筋的に優秀な3つの家系をそう呼ぶの」
「血筋が良くて役職に就けば御三家になり得るんですか?」
「いいえ違いますよエリスさん、魔術御三家とはそもそも優秀になり得る土壌があるから御三家なのです。例えば血筋や地位もその一環、元々権威ある人物が声をかければ優秀な教師を呼べますし血筋が良ければ生まれつきの魔力量も高くなる、何より魔術師家業は金がかかるので資産も優秀で、尚且つ鍛錬のノウハウがあって…と、まぁ何があるから御三家というより常に上に立ち続けているから御三家と言ったところです」
イシュキミリさんの補完を聞いてなんとなくエリスの中で噛み砕いてみる。つまるところ金があって地位があるから御三家なんだ、別に卑下するわけではない大事な要素だ。修練に集中するには他の事を無視するだけ効率が良くなる。
金を稼ぐ必要も教導役を呼び込む労力もない、そして何より持った力を活かす場を用意してくれる。ならばそれだけ上にも行きやすいんだろう。
「血筋ってそんなに大切なんですね」
「それ私に言う?」
「いやまぁデティはそうかもしれませんけど、エリス別に魔術師の家系じゃありませんよ」
「そりゃね、みんながみんないい血筋ってことはないよ。けどやっぱり魔術の才能云々は血筋に影響されるかな、魔力量が多い人同士で結婚すれば生まれる子の魔力量も大きくなるし、小さい人同士で結婚した子はやっぱり魔力量が小さい。そこから鍛錬で大きくすることは出来るけど生まれつき大きい人はその必要がないからね」
「確かに…」
そう言うこともあるのか、まぁエリスはタクス・クスピディータ家とディスパテル家が魔術師的な適性が如何程だったかなんて知りませんけど。
「魔術師の世界は残酷ですよ、他の世界よりも一層血統や歴史で見られます。当人の実力とは関係なくね」
ポツリと呟いたイシュキミリさんの囁きが、妙に耳に残りつつも…エリス達は会議場の玄関口に辿り着く。すると既に多くの魔術師が会議場に入っており、皆それぞれ護衛を連れている。
エルドラド会談の時のように傲慢チキな奴ばかりが来るのかと思ったが、集まっているのは皆そう言う空気はない。やたら目が澄んだ奴だったり痩せぎすでブツブツ呟いてる奴だったり、色々いるが全員が学者肌だと言うのは分かる。ここに集まったのはみんな優秀な魔術学者なんだろう。
「いっぱい来てますね」
「いいことだよ、魔術師が多いのは」
人混みが川のように会議場に流れていく様をエリス達は横道から眺める、しかしあれだけの数の人間全員に挨拶をしていたらキリがないな。これは当初の目的通りクルスデルスール家とカシオペイア家の人を見つけたいところだが。
「どこにいるんですか?そのクルスデルスール家の人とカシオペイア家の人」
「少々お待ちを、魔術御三家は別口からの入場になっているので、一般参加とは異なり所謂義務的な参加ですからね、こういう部分で便宜を図らないと」
そう言いながらイシュキミリがさんはエリス達の近くにある扉を指差す、そう言うところでも特別扱いされるのね。なんて思っていると、指された扉がちょうど開き…。
「おや」
「おっと、これはこれは」
「むむむっ!」
顔を出したのは、エリスやイシュキミリさんと同年代の若者二人、片方はイシュキミリさん同様金髪に蒼瞳、そして白いスーツの上から茶色の一般的な魔術師的なローブを羽織った男がいる。如何にも王子様的な風貌の落ち着いた様子の彼はエリス達を見て軽く会釈する。
もう片方は女だ、紫の髪をぴっちり分けて背筋を伸ばし、何故かマレウス王国軍の制服…緑の軍服をきっちり着込んだ如何にも堅物そうな女の人が、太い眉毛をピクリと動かしエリス達を睨む。
人数的にも、恐らくあれが魔術御三家。
「これはどうも、お二人とも遠路遥々よくぞお越しくださいました」
「いえ、マレウス魔術の総本山たるウルサマヨリに立ち寄るきっかけをもらえて光栄でしたよ。今年からはイシュキミリ君がグランシャリオ家の家督を?」
「いえ、私は飽くまで代理。まだまだですよ」
なんて会話をし始めるのは金髪の王子様とイシュキミリさん、この二人が話しているとなんだかこのなんでもない通路が舞踏会場のように思えてくるくらい優雅だ。
しかしこの落ち着いた人、何処かで見覚えがある気がするな…。
「あ、ご紹介しますね。こちら今回のマレウス魔術会議に臨時で参加してくださる魔術導皇のデティフローア・クリサンセマム様でございます」
「なんと!あの魔術導皇がマレウスに!?…いやエルドラド会談に参加したと言う話は聞いていましたが、まさかマレウス魔術会議に参加してくださるとまた、光栄です」
「いえいえ、私もマレウスの魔術の発展に寄与できればと思い、こうしてお誘いを受けたのです。外様ではありますがどうか末席に座ることをお許しください」
「ま、魔術導皇様にそう言われると。魔術御三家も形無しですね、イシュキミリ君」
「そして、こちらが魔術御三家の一角、クルスデルスール家の家督を継いだマティアス・クルスデルスールです、魔術導皇様」
マティアス・クルスデルスール…ああ、そうか。クルスデルスール家の…。
イシュキミリさんにそう紹介されるとマティアスさんは大きく礼をしてデティに忠誠の意を示すように振る舞う。ここでもデティは大物扱いか、まぁ大物なんだけど。
「しかし驚きました、貴方はラース・クルスデルスール様のご子息ですよね。その割にはその…えっと」
「あはは、分かりますよ。父は野心家だったので常にトラヴィス様とは折り合いが悪かったですからね、ですがご安心を、私は父のようにイシュキミリ君と張り合うつもりはありません、私は凡才ですからね。天才のイシュキミリ君とはとても張り合えません」
曰く、七魔賢の一人だったとされるラース・クルスデルスール…つまりマティアスさんの父親は非常に野心家かつ嫉妬深い人物だったようで、導皇会議の都度トラヴィスさんを敵視してデティ的にも頭痛の種だったと言う話は聞いたことがある。
対するマティアスさんは父ラースと異なり物腰は穏やかでなんとも紳士といった感じ。イシュキミリさんとも友好的なようだし、上手くやっていけそうだ。
「そしてあちらの女性が…」
「レイダ・カシオペイア!マレウス王国軍魔術師隊四番隊長レイダ・カシオペイアです!以後お見知り置きを!」
「お、おう。すごい大声」
バッ!と胸に手を当て敬礼するのは先程の紫髪の女性、名をレイダ・カシオペイア。軍服きてると思ったらマジの軍人なんだ、メルクさんみたいに公私を分けず軍服着るタイプか。
曰くカシオペイア家は代々国の要職を担う家柄らしく、大臣や理学院の院長などさまざまな役職を歴任してきた経歴がある。そしてこの人は魔術隊の隊長らしい、それがえらいのかそうじゃないのかは分からないが本人は誇りに思ってそうだ。
「魔術導皇様と同じ会議に出るとは光栄です!以後お見知り置きを!」
「は、はい。お見知り置きを…」
デティも軽く引いてるよ…と思ったら今度はギロリとレイダ・カシオペイアさんの目がこちらを向いて。
「して!そちらの女性は誰でしょうか!魔術導皇、トラヴィス家の後継と共に居る辺り相当な人物に思えますが!失礼ながら該当する人物に心当たりがありません!」
「あ、エリスですか?」
「……エリス?」
すると今度はマティアスさんが顔を顰めるが…それに気がつかないイシュキミリさんはにこやかにエリスを指して。
「彼女はエリスさんです、魔術導皇様の幼馴染にして今回の会議に於ける導皇様の護衛です、彼女も魔術師なのでどうか。邪険には扱わないよう」
「エリス…エリスだって?今…エリスだと言ったかい?」
「おや?マティアスさん、彼女の事をご存知で?」
マティアスさんはエリスを見てギョッと指をさして…。
「まさか君、あの時冒険者協会に居たエリスか…!?あの凄まじい威力を叩き出した少女の」
「おお、覚えてたんですね」
そう、エリスは彼を知っている。マティアス・クルスデルスール…もう随分前になる、以前マレウスを訪れ冒険者協会の試験を受けた際、一緒になった子だ。
天才、と己で口走り事実それだけの実力を見せつけていたなんか嫌味っぽい奴。そんな彼が名乗った名前が『魔術御三家のマティアス・クルスデルスール』だったんだ。ディオスクロア大学園主席卒業の看板をぶら下げて意気揚々と冒険者協会に乗り込み、鼻高々に魔術を披露していた彼が…今はなんとも落ち着いた物だ。
「覚えているも何も、私は君の魔術を見て心を入れ替えたんだ。魔術で戦闘を行う…その果てしなさに私は絶望にも似た驚愕を覚えた、だからこそ私は冒険者を辞め父の跡を継ぎ、戦闘ではなく前線で戦う者をサポートする魔術を開発する事に尽力するようにしたのさ…」
「そうだったんですね」
「お二人は知り合いなんですか?」
「ああ、イシュキミリ君。いつか語ったろう、冒険者協会に私を超える天才がいたと…それが彼女だ」
「ああ、例の…」
そう、例の。ちなみにそれに関連して思い出すのは…当時エリスよりも上の記録を出していた人たち。
冠至拳帝のレッドグローブ、猫神天然のネコロア、そしてバシレウスとケイトさん。エリスは奇しくも全員と出会うこととなった、と言うか今思ってもケイトさんの記録は凄まじいよ、エリスが八千でケイトさんが二十万だもんな。やっぱあの人ちょっとレベル高すぎるよ。
「むむ、私もその話は聞いたことがあります!なんでも四ツ字冒険者並みの魔術を放ちながらも冒険者協会の誘いを袖に振った達人だとか」
「いや別に袖に振ったつもりはありませんが…」
「出来れば手合わせ願いたいです!」
「は?」
その瞬間、レイダさんはエリスに向けて拳を握り一気に突き出してきたのだ。まぁ所謂ところの顔面パンチ、されどまぁエリスには普通に反応出来る速度だったので軽く受け止めましたけど。
え?手合わせ?手合わせしたいんですか?魔術の話をしてたからてっきり魔術の手合わせかと思ったんですけど…『こっち』で手合わせしたいんですかね。
「ちょっ!レイダさん!」
「むむっ!受け止められた…やりますね」
「やりますねっていうか、やるんですか?別にエリスはいいですけど…会議前ですよね」
ギリギリとエリスは受け止めたレイダさんの拳を握ると、それだけでミシミシと骨が軋む音がする。別に相手する分には構わない、けど会議前にほら…口が聞けなくなったら困るでしょうに。
「うっ!くっ…なんという剛力!」
しかしレイダさんは痛みに顔を歪めながらも…。
「しかし望むところ!」
というのだ、そっか。分かった、なら───。
「エリスちゃん!やめて!今何しようとした!?」
咄嗟に声を上げたデティによって制止され、エリスはこの手を離してしまう。なんで止めるんだ…いや、止めるかそりゃ。
「え?投げ飛ばして壁に叩きつけようかと」
「絶対やめて!レイダさんも!手合わせって言えば手加減してもらえると思った!?エリスちゃんの手加減って物凄くアバウトなの!普通に全治半年とかの怪我負わせてくるから!喧嘩は売らないで!」
「も、申し訳ない…今一瞬、エリス殿の背中に修羅が見えた…これは喧嘩を売らないほうが良さそうだ」
エリスも少しやる気になりすぎた、でも流石にいきなり殴りかかられてムッとした面もある。あんなのエリスじゃなければ怪我をしていた、そして同時にあんな事エリスくらいの人間にすればレイダさんは間違いなく怪我をする。
相手の力量を見極める眼力不足、そう言わざるを得ない。もし襲撃があった時、変なのに喧嘩を売らなければいいけれど…。
「と、ともあれもうすぐ会議です、二人とも今日はよろしくお願いします。私達新生魔術御三家で共に魔術導皇様に見せても恥のない会議を致しましょう」
「ええ、勿論です」
「了解!」
エリスがいつも見ている会議だの会談だのに比べれば幾分小さい物ではあるが、本題はそっちじゃない。
今日確実に敵は動くんだ、それに対してカウンターをぶつける事で優位な形で戦端を切る。いや…それ以前に。
(許せないですよね、人の命を妄りに奪う奴ってのは)
やっぱり、人の事を簡単に殺そうとする奴は、許せないよ。エリスは。
……………………………………………………………………
「エリスちゃん」
「はい?」
そして、会場に向かう道の最中…デティはこちらを見て、エリスの方に駆け寄り歩調を合わせながら、隣に立つ。今エリス達は会議場の裏廊下を歩いている、他の一般参加の魔術師達とは違う、所謂特別な参加者達のための通路だ。
やや薄暗く、狭苦しい通路をイシュキミリさん達御三家と一緒に歩くエリス達、そんな中声をかけてきたデティは。
「……大丈夫かな、メサイア・アルカンシエル」
そう、不安を吐露するのだ。言ってみれば今回の作戦はデティを餌にして敵を釣るような作戦だ…不安に思うのも無理はない、けど。
「大丈夫です、エリスが守りますから」
エリスが守るから大丈夫と口にする。エリスはデティの一番近くにいるんだ、少なくとも敵はデティの下までやってこれない、だから大丈夫…そう口にするがデティはそれでも不安そうで。
「でも敵強いっていうよ…」
「エリスの方が強いですから大丈夫です」
「敵イカれてるよ」
「エリスの方がイカれてるから大丈夫です」
「何にも大丈夫じゃない気が…。でも、うん…」
目を伏せ、デティは大きく息を吐き…呼吸を整えると。
「ごめんね、私のせいで無茶させて…」
「別にデティのせいではありません」
「……ねぇエリスちゃん、無茶はやめてね。治癒で治るからとか…そういうのは絶対やめてね」
デティは、エリスに無茶させるのを嫌う。いつもいつも無茶して大怪我すると心配しながらも怒ってくれる。アマルトさん曰くいつもデティは凄い顔しながらエリスの事を治しているらしい、だからこそ…無茶はやめてか。
……エリスだって、デティのこと心配させたいわけじゃありませんよ。
「はい、無茶しません」
「うん、お願いね」
そう口にしてエリスの手をちょんと触ってから歩みを早めるデティの背中を見る。無茶はしない、けど…デティ守るためだったら、まぁ多少の無茶くらいならいいよね。
「……………」
「……ん?」
一瞬、イシュキミリさんと視線が合った気がしたが…気のせいだろうか。まぁいいや、ともあれ…始まる。
マレウス魔術会議が…いや、エリス達の戦いが。
……………………………………………………………
会議場はややこじんまりとしつつも、やはりどこもこんな感じか…と思えるホール状をしており、巨大な円卓を囲んで魔術師達が既に座っていた。そしてもうこれはお決まりなのだろう、誰も違和感を覚える事がない程に自然と三つの席だけは隔絶された場所に置かれていた。
円形の巨大な机の背後に、どんどんどん!と置かれた三つの机…というより巨大な台のようなそれに座るのは魔術御三家グランシャリオ・クルスデルスール・カシオペイア。そして今回特別に配置された台として新たにもう一つ追加されたそれに座るのは…クリサンセマムだ。
『まさかあれが』
『噂には聞いていましたが、本当に来られるとは』
『これがグランシャリオの権威。先代魔術導皇に教育を施したトラヴィス様の権威は健在か』
円卓に座る魔術師達が口々に噂するように囁く。このマレウスに魔術導皇が現れる理由なんてのは一つしかない、トラヴィスさんの口添えだろうと皆勘ぐり、グランシャリオの名声が勝手に高まる。
まぁ実際はイシュキミリさんが頼み込みデティが承服しただけなんですが。なんで考えているとそのイシュキミリさんが席を立ち…。
「今日はこのウルサマヨリに集ってくれた事への感謝、グランシャリオ家次期当主イシュキミリ・グランシャリオが述べる」
凛々しい顔つきで背筋をピンっと張って述べるその姿を、威風堂々ってのかな。こう言ってはなんだがレギナちゃんとはレベルの違うカリスマ性が垣間見える。今はまだ次期当主の肩書きがついているが、直ぐに家督を継いでマレウス魔術界、延いては世界の魔術を牽引するだろうことが容易に想像出来る。
事実、彼が語り出すと場がシャンッとするんだから凄いよね。
「そして今日はこのマレウス魔術会議に、アジメクの魔術導皇デティフローア・クリサンセマム様も参加される。このお方は…などと今更説明をする必要があるだろうか。その必要がある者はそもそもこの会議に参加する資格すらない、そう言えるほどに偉大なお方だ。皆も肝に銘じ普段以上に気を引き締め会議に臨んでほしい」
パチパチと万雷の拍手によってデティは歓迎される。いつぞやのエルドラド会談みたいに『魔女の手先がーっ!』的なヤジは飛ばない。まぁそもそもここにいる大多数は貴族ではないからそういう国家間の確執に興味がない人が大半だから、そういうもんなんだろうが。
それ以前に、そもそも魔術師を志した時点で。その者の天には魔術導皇の威光が煌めく。魔術師に国籍国境は関係ない、全員が魔術導皇の臣民となるのだ。
そう思えば、デティはある意味、世界で最も権威ある王と呼べるのかもしれない。
「ご紹介に預かりました、クリサンセマム家248代目当主デティフローア・クリサンセマムです。今日はオブザーバーとして参加させていただきます、是非…魔術界の発展のため、共に邁進してまいりましょう」
そしてデティも導皇モードだ、あの状態のデティはちょっと怖くてかっこいい。エリスも友達として鼻が高いですよ、ちなみにエリスはどこにいるかと言えば、壁際です。会場の守衛と一緒に立ってます。
「では、会議を初めて参ります…議題は魂と魔力の相互間性について…」
はい、エリスの分からない話が始まった、もうここからはエリスにできることは何もない。
マレウス魔術会議とは即ちマレウス魔術界の方向性について話し合う会議、そして同時に後に行われる導皇会議に持ち寄る議題を決める場でもある。つまりこれはデティが毎年やっている導皇会議の前段階に当たるわけだ。
導皇会議に参加出来るのは七魔賢のみ、そして現状七魔賢のうち二席をマレウスは確保している。トラヴィス・グランシャリオとラース・クルスデルスールだ。今ここにいるイシュキミリさんとマティアスさんのお父さん達だ。
トラヴィスさんとラースが引退したら、きっとそのまま二人が受け継ぐだろうことは容易に想像出来るくらいには、二人とも優秀。つまりここ暫くは導皇会議でのマレウスとしての意見は強く反映される可能性があるということ。ならば話し合う内容も重要だ。
まぁ残り五人は全員アド・アストラ側だが、国が違うしね。
「現状南部理学院の研究方針を変更して────」
「私の研究では魂と肉体の結びつきには個人差があり、結びつきが強い程に行使魔術の威力に差が───」
「魂縫合技術の研究は順調で─────」
「魂の発生条件は未だ判然とせず────」
しっかし難しい話してるなぁ、マレウス魔術会議は導皇会議に比べりゃ多少ローカルだしレベル低いかなぁと思ったが、全然違うなぁ。そもそも魔女大国に匹敵する国力を持つマレウスで優秀な魔術師がたくさん集まってるんだからレベル低いなんてことはないか。
しかし魂と肉体の結びつきねぇ、エリスには何も分からないですよ…。
「魂と肉体は強く結びついている反面、他の魂が肉体の内部に入ると異常をきたすことがあります」
すると、マティアスさんが何かを語り出す。なになに?他の魂が他の肉体に入ると異常をきたす?
「以前、イシュキミリ君と話し合ったことがある。錬金術で肉体を用意し、病気を患った肉体を捨て魂だけを健康な体に移植することは可能かと。しかしそのような論説があることを知りましてね、結果全ての人間は魂と肉体を一つしか持てない、という結論が出ました」
へぇ、考えたこともなかったな。複数の魂を持つ人間なんていないから考えることもないけど…でも不可能ではないよな、とエリスは思う。一人の人間が複数の魂を持つ、一見あり得ないように思えるが、エリスはその実例を見てる。
そう、シリウスだ。アイツは自分の魂を師匠の中に捩じ込んで体を動かしていた。まぁシリウスだし…と言えばそこまでだがそれでも不可能ではないから奴も強行したわけだしなぁ。
「その点をどう思うますか、魔術導皇様」
唐突に飛んでくる話題、デティに。いやオブザーバーじゃなかったの!?と思いもしたが…デティは既に資料を用意している、そういう点を見るに多分ここで質問は既定路線だったのかもしれない。
「そうですね、『魂器一体論』に基けば人間は一つの肉体と魂しか保有出来ないでしょう。事実八十年前に行われた魂移植実現は四例とも失敗という凄惨な結果に終わりました。ですが私はこれを不可能であると考えていません」
「ほう、というと。何か可能にする方法が?」
「可能にする方法というより、可能な例ならあります。恐らく姉妹か兄弟、同一の材料で作られた存在であれば移植も可能かと思われます、ですがこれも完全ではありません。完全な形での魂の移植を可能とするならば…」
「可能とするならば…?」
「『もう一人、新たな自分』を用意する必要があるかと」
もう一人新たな自分をか、ある種これはシリウスの目的に通ずる物があるのかもしれない。
シリウスは死してなお絶大な影響力を持つ存在だ、そいつが八千年かけても復活できていないのはそういう理屈というか法則があるから、その辺の人間の肉体乗っ取ってはい復活、というわけにはいかないんだ。
もう一人の自分を用意する、なんてどうやればいいのかも分からない方法をとるしかない。或いはそれを可能とするのがガオケレナなのかもしれないが。
「もう一人の自分を、可能なので?」
「細胞レベルでその人間に変質させれば或いは可能かと、まぁ…そういう技術はありませんが」
「ではマレウスの遺伝子組み換え魔術は…」
「おい!マティアス!それは国家機密だろ!」
「いいんだレイダ!私は聞きたい、魔術導皇の見解を…遺伝子組み換え魔術なら、それは可能ですか!」
マティアスは目を血走らせ、食いつくように叫ぶ。いきなり何をイキり立ってるんだと思ったが…どうやら彼も研究者、今自分が研究している分野の新たな意見を、それも魔術導皇の意見が欲しくて欲しくてたまらないのだ。
それにエリスも気になる、細胞レベルでの変質なら魂を受け入れる土壌ができるなら、遺伝子組み換え魔術なら…行けるのではないか?それとも…。
「それは…」
それは、そう口にした瞬間デティは首を横に振り。
「不可能です」
「不可能…何故、肉体を変質させるなら、魂を受け入れる為の土台は出来上がるはず」
「遺伝子組み換え魔術は種別上は『現代呪術』の『変身呪術』に当たります。私の友人にも変身呪術を使う者はいますが、仮に動物の遺伝子を加えたとしてもその動物が持っていた固有の特徴は受け継がれません。つまり遺伝子を情報を受け取った被術者の遺伝子を元に全く新しい遺伝子を作り上げるので、他の誰かと同一の細胞を作ることは出来ません」
エリスなりに解釈する、今までアマルトさんの変身をたくさん見てきたからこそエリスにはある程度理解できる。
例えば、ジャーニーの毛を使って変身したら、ジャーニーと全く同じ体になるだろうか。否である、何故か?エリスはその実例を見ている。そう、あれはジャーニーを買う前の事。
エリス達は馬を手に入れる為馬の肉を食べて馬に変身した、するとどうだ?みんながみんなそれぞれの特徴を備えた馬になった。ネレイドさんは大きく、デティは小さく、ナリアさんは美しく、ラグナは強く。
それはつまりラグナ達の遺伝子を元に馬の遺伝子が作り上げられただけで元の馬の特徴などはそもそも受け継がれないのだ。
だからエリスがニスベルさんに変身しても、それはエリスとニスベルさんの遺伝子を限りなく融合させた新たな遺伝子が生まれるだけテロ別人となる。だからもう一人の自分…ということにはならない。
「これを可能にするなら、遺伝子組み換え魔術を更に進化させるより他ありません、或いは膨大な時間をかけて遺伝子情報を修正して、元の自分の遺伝子を消し去り他人の遺伝子だけに置き換えるなどの工程を挟まなくてはなりませんが、正直現実的ではありませんね」
「なるほど…なるほど、つまり現状は無理と」
「ええ、『現状』は」
今は実例がないから、無いとしか言えないが…或いは誰かが可能にするかもしれない、そういう結論となる。
今現状それを可能とし得るのはガオケレナだけか、だがそもそもガオケレナがどうやってシリウスの肉体となるかは、未だ判然とはしていない。まぁ多分、細かいことを説明されてもエリスも理解出来るかは怪しいが。
「やや議題が逸れましたね、では修正して…魂と肉体の相互関係についてですが…」
そして、議会は進む。今のところ滞りなく…。
本当に、敵は来るのだろうか…メルクさんは大丈夫だろうか、心配なことは尽きないが、それでも今は待つことしか出来ないのだった。
……………………………………………………………
「会場全域を見回ってきましたが、特に異変はありませんでした」
「そっか、もう会議が始まってるから…引き続き宜しく、メグ」
「おまかせを、既に会場中に魔力機構を配置してありますので、何かあればすぐに分かるかと」
一方会場の外を見回るメグとネレイドは、真面目に会場の警備を続けるアイツらを見て俺は…。
「はぁ〜〜」
「どうしたの?アマルト、さっきからため息ばっかりだけど」
「別にぃ」
俺は、ずーっと他所事ばっかり考えていた。ポケットに手を突っ込み街をボケーっと眺めてお世辞にも真面目に警備してるとは言えねー状態だ。
……悩みの種は単純、デティの件だ。
(結局あれから、結婚のことは誰にも言わず、何も言わず、有耶無耶になりかけている)
デティは俺に結婚すると打ち明けた、相手は誰かいつするかも言わない、ただ結婚するって話だけを聞かされた。結果アイツは俺にブチギレて…それから顔を合わす都度なんか気まずくて、やりづらいったら無い。
…俺は一体何を間違えた、良かったと言ったのが悪かったのか?だとしたらなんて言えばよかった、まさかするなと言って欲しかったのか?だがアイツは常々『魔術導皇として結婚も出産もしなきゃだからね』とか言ってたしな。
なら別に応援するくらいいいじゃねぇか、それとも何か?俺に…その使命とやらを捨てろとでも言って欲しかったのか。だとしたら流石に…荷が重いぜ。
(ああクソ、言いたいことあるんならとっとと言えよ。おかげでこの一週間モヤモヤしてしょうがねぇ…)
っていうか、結婚するって話ならなんで俺以外に言わねーんだ、クソ…!言いたいことを言えよ、言ってもらわなきゃモヤモヤ…って、そりゃ今の俺も同じか、俺も誰にも相談してねーし、そもそもできそうにねーし。
「……………」
「如何しました?ネレイド様」
ふと、ネレイドが背筋をピンと張って、まるで周りを警戒するように見回している。そこに気がついた俺とメグはネレイドを見上げて…。
「妙だ…」
「妙?」
妙…そんな言葉を呟くネレイドの顔は神将の物になっている、つまり…マジでなんか異変が起こってのか!?けど俺何にも…。
「静かだ」
「静か?」
「街で響いていた、抗議者達の声が止んだ」
「ッ……」
抗議者達、つまり…メサイア・アルカンシエルの…。
「何か来るぜ…」
そこで俺もようやく気がつく、来る…街の向こうから大挙して、抗議者達が幽鬼のような足取りで、軍勢となってフラフラとこちらに向けて歩いてくる。全員が白いコートを着て、全員が意思のない瞳で…いや、憎しみしか篭らぬ目で、こちらを見て。
「…魔術行使者共め、罪深き者め」
「罰を、鉄槌を、粛清を…」
「我々は正しい、我々は…」
「なんか言ってますぜメグさんよ!」
「ありゃあ正気じゃありませんぜアマルトさんよ」
「…………」
気がつけば、会場の入り口を囲むようにして抗議者達が群がってきていた。どうやら、始まったようだ。
「ここは今会議中だ、立ち入ることは出来る。お引き取り願えるだろうか」
そうネレイドが低い声で威圧するが…奴らは聞く耳を持たず。
「お前達魔術行使者達は…悪魔だ、魔術なんかこの世になくていい。魔術があるから…この世界が狂うんだ!」
「今そんな話してない、ここは会議中、お引き取り願えるか」
「魔女が!我々の時代に持ち込んだ旧時代の遺産にいつまでも踊らされる愚者共よ!魔術を使う者は皆!過ちの時代を生きたい愚か者の傀儡だ!」
「私達が傀儡ならあなた達は何、私には糸の切れた人形に見えるけど」
「我々はッ!」
瞬間、抗議者達が胸元から抜き放ったのは…拳銃だ、リボルバー式の!来た!メルクの言ってた魔力を用いぬ武装!こいつらマジで会議場を襲撃してきやがったッ!
「ネレイド!」
「うん、防壁広域展開!」
「死ねェッ!!!魔術を行使者達よッッ!!」
数にして数十とも呼べる量の人間達が一気に拳銃を抜き放ち銃声と爆音が木霊する、がその前に展開されたネレイドの防壁により弾丸は弾かれる…けど問題はそこじゃねぇ!
「後ろに鎧を着た兵士も控えてる!メグ!アマルト!迎撃を!」
「畏まりました!アストラセレクションッ!」
「………なんだよこれ、なんか…おかしくねぇか」
安物とは言え銃で武装した人間数十人、それに加えて後ろに控える兵士達、けど問題はそこじゃない。そこじゃないんだ、おかしいだろこれ、だって。
(雨がまだ降ってねぇのに、攻めてきやがった!?)
奴らは嘆きの慈雨を降らせてから攻めてくるんじゃないのか?でなけりゃ魔術師達から魔術を奪うことが出来ていないし、それじゃあいくら銃で武装しても魔術師には敵わない。だから嘆きの慈雨が必要だったんだろ。
メルク達が嘆きの慈雨を破壊したにせよ、だとしても奴らの動きに迷いがなさ過ぎる。まるで最初から嘆きの慈雨など関係なく襲撃をかけるつもりだったような。
だったらあまりにもおかしいだろ、嘆きの慈雨をここで試すんじゃないのか!?襲撃は嘆きの慈雨を振り終わらせた後の話じゃないのか!?
クソッ!どうなってんだ!
…………………………………………………………
「嘆きの慈雨は何処だ…?街中見回したが何処にもないぞ」
「この街で雨雲を作ってウルサマヨリに嘆きの慈雨を降らせる予定の筈じゃ…」
そしてヴレグメノスの街に到着したメルク達も混乱していた、ヴレグメノスにあるはずの嘆きの慈雨発生装置が、街中探しても何処にもないからだ。
てっきりこの街の何処かで、と思っていたのに…街には何もない、普通に街人が行き来し、何事もないように平穏な日々が続いている。こんな中でメサイア・アルカンシエルが何かしようとしているとはとても思えないのだ。
「どうなってるんだ、ヴレグメノスじゃないのか…!?」
「どうしましょうメルクさん、もう時間的に会議が始まってますよ…」
「ああ、だが…いや、待てよ…」
そこでメルクは一つの危機感に気がつく、もし…もしこの仮説が当たっているなら。
『ん?なんだあれ』
『あら、雨かしら。急に雲が出てきて…』
「ッ…まさか!」
周囲の人達が、ヴレグメノスの街の人達が、皆足を止めて天を見上る。メルクリウスもまた天を見上る。するとそこには…禍々しく紫色の光を放つ巨大な雨雲が、野垂れかかっているではないか。
それはゴロゴロと雷を燻らせながら、降ってくる…紫色に光る、雨が。
「まさか…狙いはウルサマヨリではなく、ヴレグメノス…ここかッ!?」
何かがおかしい、敵の計画と手元にある情報が乖離しすぎている。何かが起こっている、そう悟りながらもメルクリウスは降りかかる紫色の雨を、触れれば二度と魔術が使えなくなる雨を前にして────────────────。