600.魔女の弟子と魔拳の跳梁
魔女排斥組織メサイア・アルカンシエル。八大同盟でも古参でありその影響力は何も知らない民間人にも及んでおり、彼らの掲げる『魔術根絶』に呼応した人々が各地で抗議や魔術開発の妨害活動などに励んでいる。
何も知らない民間人も構成員に入れるなら、その総数は数百万を超え、世界中どこにおいても活動をしている為、マレフィカルムに於いて最も巨大な組織とも呼ばれる存在、されどその大きさとは裏腹に活動そのものは小さく、何をしているか…実際のところよく分からないというのがこの組織の特色でもある。
事実、今まで殆ど姿を見せず表舞台にも拘ることのなかったメサイア・アルカンシエルはアド・アストラと直接ぶつかる事なく今の今まで影の中に隠れていた。
しかし、そんなメサイア・アルカンシエルが今…。
『ともあれ侵入者がいたならば確認も警告も必要ない、即座に殺害するよう仰せつかっている。警戒は怠るなよ』
『分かっている、まぁ今更こんな廃墟に来るやつなんかいないだろう…』
(メサイア・アルカンシエル?何故ここに…)
次世代のポーションに必要な白露草を取りに来たエリスとデティ、白露草が自生している可能性がある唯一の場所である聖街シュレイン跡地にやってきたのだが…そこで見つけたのは街で見かけたメサイア・アルカンシエルと同じ紋章を掲げる兵士たち。
手には武装、鎧を着込み物騒なことを言っている。これは未だ推察の域を出ないがエリスはあれが民間ではなく魔女排斥組織の方のメサイア・アルカンシエルであると踏んでいる。
だからこそ、エリスとデティは廃墟の物陰に隠れて兵士達が過ぎ去るのを待っているんだ。
「あれ、メサイア・アルカンシエルですよね。デティ」
「う、うん…けどあんな武装した奴なんて見た事ない。多分…八大同盟の方だと思う、民間組織を裏から操る、黒幕の方の…」
「………面倒な話になってきました」
デティ曰く、今この神殿内部には大量のメサイア・アルカンシエルが徘徊しているという。奴らの言葉を鵜呑みにするなら、侵入者がいないかを見張っているのだろう。
見張っているということはここは奴らにとって重要な場所、人員を割いてでも守りたい何かがある…成し遂げたい目的があるんだ。
「どうするエリスちゃん、一旦戻ってラグナ達呼びに行く?」
「…………」
戻って仲間を呼ぶか、その選択でエリスは以前間違えた。帝国でデティを呼びに行かなかったからとんでもないことになってしまった。あの時安易に考えたから選択を間違えた。
だからこそ慎重に考える。呼びに行くべきか行かないべきか…冷静に考えれば呼ぶべきだが…。
「いえ、まだ正面衝突は早すぎます。エリス達八人でカチコミを仕掛ければその時点でメサイア・アルカンシエルとの全面対決が始まってしまう。八大同盟を相手に無策で挑んでは勝てません」
無策で八大同盟と戦っては勝ち目がない、情報抜きで八大同盟と戦って勝った事はない、まずは敵幹部の陣容、ボスがどういう人物か、そして今奴らがここで何をしているのか、何をしようとしているのか、エリス達がどう動くべきなのか。
何も分かっていない状態でぶつかれば取り返しのつかないことになる。だから全面衝突はまだ早い。まずはエリス達で情報を集めるべきだ。
何より…。
「あいつら、白露草の名前を口してました…恐らく奴らの目的も白露草でしょう」
「そう言えば言ってたね…」
「何に使う気かは知りませんがあれはデティが次世代の治癒ポーションを作るのに必要なものなんです、奪わせません」
「そ、そっか。それもあったか、っていうか白露草…マジであるんだ」
「ともかく行きますよ、バレないようにこっそり進みましょう」
「ちょ、ちょっと待って」
兵士がいなくなった辺りでエリスは物陰から飛び出し真っ暗な神殿内部を進む。しかし白露草の存在をメサイア・アルカンシエルが知ってるなんて。それ以前に…そもそも何に使うつもりか、実在していたのか。
「エリスちゃんどこに向かってるの?」
「ここではない何処かです」
「目的なしか…」
「はい」
「仕方ない、ちょっと待ってて」
するとデティは走りながら目を伏せ…探る。魔力を、何を探っているのかと思ったが…すぐにデティはそれを見つけ出し、エリスに目を向けると。
「地下だよ、地下に複数の魔力が集まって何か作業してる。動き的に運搬作業、奴らの言動を聞くに地下に白露草があって、それを運び出してるんだと思う」
「地下ですね…!」
そうか、魔力探知。これがあれば視界の通らない部分でも相手の動きを把握出来るんだ。卓越した魔力探知能力を持つデティがいればこの暗闇の中でも敵にかち合わず進めるかも知れない。
「よし、では道案内できますか?」
「うん、魔力をソナーみたいに反響させれば内部構造も把握出来るよ。白露草を確保しつつアイツらの目的を探るんだね」
「その通りです、行きましょう」
エリス達の目的は相手の目的を知ること、なら一番は相手の目的である白露草がある場所。そこに向かう、そしてまぁよろしければ少しくらい拝借していこうって算段だ。
神殿内部に光源はなく、少し進めば居住エリアを抜け、壁に開いた小さな穴のような通路に出る、通路はやんわりと下方に向かっており、デティの言った地下へと続くようになっている。
この街は神殿のようだ、神殿のような街なのか、街のような神殿なのかは分からない。だがどうやら双方の性質を兼ね備えているようで地下に降りるとテシュタル神聖堂のような複雑な通路と壁に刻まれたなんか複雑な彫刻が目に入る。
思ったよりも入り組んでいるな…警備する方も大変そうだ。
「エリスちゃん、正面から来る」
「おっと、では…」
狭い一直線の通路で敵の接近を感知する。逃げ場も隠れる場所もない、故にエリスはデティを抱え壁を蹴って天井にしがみつき指先を天井に突き刺しつつ黒いコートでデティとエリスを包み闇に紛れる。
昔はよくこうやって隠れたりしたもんだ、懐かしい。
『───それ本当なのか?』
『ああ、会長は暫く帰ってこれないそうだ』
『じゃあ指揮は参謀が?』
『ということになるだろうな、この計画も参謀主導だ』
「………………」
油断した兵士二人が無駄話をしながら歩いてくる。しかしこいつら無駄話が多いな…どこに耳があるか分かりませんよ?なんでエリスは天井で聞き耳を立てていると…。
その耳に、入ってくるのは…重厚な轟音。ドスドスと地面を叩くような巨大な足音…それがこちらに近づいてきて…。
『おいお前達、無駄話が過ぎるぞ!職務中は私語は慎め!』
『あ!リノサラス隊長!』
(え…?)
リノサラス…と呼ばれた人物が兵士達を後ろから追いかけてきて、叱り飛ばすのだ。まぁ光景としては当然な光景ではあるが、異常なのは…リノサラスなる人物の姿。
それは…どう見ても人間とは思えない代物だった。
『全く、困った奴らよ』
(あれ…どう見てもサイなんですけど…)
そう、そこにいたのは2メートル近い体躯を誇る二足歩行のサイだ。野太い手足と野太い体、筋骨隆々の灰色の体皮、その上に重厚な鎧を着てハンマーを装備した…サイだ。サイ人間だ、それがブルルッと鼻息荒く普通に人間と話をしてる。
え?何あれ…そういう感じの人?物凄いサイに似た感じの人?いる?そんな人。
(いや…いる、南部に来て最初に見たあの猫人間…まさかあいつも…?)
リノサラスはメサイア・アルカンシエル…ならあの猫人間もメサイア・アルカンシエル?ということは、メサイア・アルカンシエルには人外が無数にいるということか!?
「エリスちゃん、行ったよ」
「え、ええ…それよりあいつは一体」
そのまま通り過ぎていったリノサラスを追うようにエリスは後ろを見る、なんなんだあいつは、魔力覚醒で人間辞める奴は結構いるけど、普段からあんな姿で生活してる人間は初めて見た。
なんなんだあれ。
「なんでしょうかあれ」
「分からない、けどメサイア・アルカンシエルにもいるんでしょ…そういう戦闘員が」
「そう言う?」
「ほら、ジズの所にもオウマのところにも、普通じゃない奴がいっぱいいたでしょ」
確かに…ジズの下には一流の殺し屋。オウマの下にはサイボーグ。どちらも普通の兵士とは違う特異な兵がいた、と言うことはメサイア・アルカンシエルは獣人がそれに当たる?
…やっぱ八大同盟っておかしいよ、普通じゃない。もしかしたらこいつらと戦うことになるかも知れないのか、なら…もっと探らないと。
「行きましょうデティ…」
「うん、こっちだよエリスちゃん」
そうしてエリス達は更に進む。都度都度壁の向こうから話し声が聞こえ警戒しつつも…まるでダンジョン探索でもするかのようにエリスとデティは奥へ進む。すると…。
「ここだよエリスちゃん、この中」
「この中って…断層じゃないですか」
廊下の途中に出来た巨大な断層。恐らく上から強烈な圧力をかけられた影響で地面が沈み込み割れた影響で出来た断層なのだろう。この下に…白露草とメサイア・アルカンシエルが?入るだけでも勇気いるなぁ…。
「早くエリスちゃん、敵が来る」
「はぁ、仕方ありません。気合い入れますか…よっと」
デティを掴んでそのまま下へと降りる。すると断層は下にいく都度間が狭まる…事はなく、寧ろどんどん広がり、フッといきなり地面が現れるように断層の下に空間が見え、エリスは咄嗟に着地する。
ここ…下に元々洞窟があったのか、それが断層で上と繋がった?
「え、エリスちゃん…結構な高さから落ちたけど、足大丈夫?」
「問題ありません、それよりこの洞窟…」
周りを見るここは一本道、洞窟の壁面が横穴のように伸びる長い石回廊。しかし問題は…視界が確保されているということ。何故視界が確保されているか?それは廊下から突き出る水晶が光を放っているからだ。
「これ、光魔晶…?」
光魔晶だ、魔力に反応して光を放つ光魔晶が白い光を放っている。カロケリの魔女の抜け道と同じようになっている。けど異様だ…。
魔女の抜け道の光魔晶は緑色に光っていた、あれは今思えばカロケリの地下に埋められているシリウスの肉体の一部が放つ魔力に反応してたからだろう。シリウスの魔力は緑色だし。
まぁそれはいい、ここの光魔晶は何魔力に反応しているかが問題だ。光魔晶は魔力に反応する、つまり魔力がないと光らない、エリスの指についている光魔晶の指輪も年中光ってるわけじゃないしね。しかしこの近辺には魔力源なんてないのに光ってる。
「なんで光ってるんでしょうか」
「………まさか」
「デティ、思い当たる節が…」
「それより進んで、敵がすぐ近くに、しかもそこら中にいる…!」
「え!あ!はい」
今のエリスはデティの足です、デティ抱えて走るが仕事。この先に白露草があるのならそこでメサイア・アルカンシエルは何かをしようとしている。ポーションの限界を突破させる南部固有の素材である白露草…魔術廃絶を掲げる連中がそれを何に使うか。想像出来ないがよからぬ事なのは確かだ。
「エリスちゃん…」
「見えてますよ」
そしてエリスは走り続け、洞窟の先に見える巨大な空洞を見て、一気にスライディングでそこに潜り込みながらその先に見えた岩場に隠れる。
位置的にはシュレイン神殿跡地のちょうど真下。見渡すほどの巨大な空洞がここにはある。
上を見ればどこに繋がっているかは分からないが光の差し込む穴が空いており、そこから差し込む陽光が空洞を照らし、舞い上がっている砂埃をキラキラと照らしている。恐らくそこから入り込んだ鳥が植物のフンを落としているからだろうか、この空洞には至る所に草が生えており、しかもエリスでさえ見たことのない多肉植物がワラワラと生えている。
…そんな空洞の中心だ、陽光差し込む穴の真下…太陽の光を独占するような場所に生えているのは。
(…あった、白露草!)
そこには真っ白な茎に二本の葉、そして茎の真上にくっつくように真っ白な光を放つ球体のような花弁がくっついた不思議な花がぼうぼうと群生していた。図鑑に書かれていたのと同じ姿、こんな場所に生えていたんだ…だから誰も見つけられなかった。
案外あっさりと見つけられた、いや…こんな状況でもなければエリス達はこれを見つけることが出来なかったかもしれない。…そうだ、エリス達はメサイア・アルカンシエルの気配を辿ってここにきた。
ならば当然いる…メサイア・アルカンシエルの兵士達が。
『全部は刈り取るなよ、ここでしか群生しないんだ。全部刈り取っては後から追加で補充が出来ない』
『はいっ!エレファンタス大隊長ッ!』
兵士達は揃って鎌で白露草を次々と収穫している。人数にして凡そ十数名。それが白露草を束にして上の穴から垂れる籠に収め、上で待機している人間が籠を縄で引いて回収している。
まさしく収穫、運搬と言った様子。そしてそれを指揮するのは…またしても人外。先程見かけたサイの人間よりも更に巨大な象の獣人。真っ赤な大型の鎧を着込み、両手に斧、そして長く伸びた鼻で剣を握り兵士達に指揮を行なっている。
ゾウって…物を掴めなさそうな手なのに、エレファンタスと呼ばれた男の手は文字通り人間のようで、人間とゾウのいいとこ取りのハーフって感じだ。本当になんなんだあいつら。
『大分収穫出来たな、進捗はどれほどだ』
『はい、『嘆きの慈雨』を降らせる為に必要な量を考えるに、進捗は90%ほどかと』
『ううむキリが悪い、今回の収穫では目的に届かんか…仕方ない、栄養剤を巻いてまた一ヶ月に収穫に来るか…、今日は少し多めに収穫しておけ』
『はっ!』
(嘆きの慈雨?雨…水、液体…ポーション?白露草を手に入れたいのは嘆きの慈雨と言うポーションを完成させる為?雨というくらいだから、広域に影響が?嘆き…何を意味するんだ)
指先を噛みながらエリスは必死に聞き耳を立てて話を聞く。奴らの目的は嘆きの慈雨、これが奴らにとってのペイヴァルアスプでありヘリオステクタイトと見るべきか?目的達成まで必要な白露草の総量は足りている。一ヶ月…それまでに。
『もう少し、もう少しで……魔術師全員を皆殺しにし、世界から根絶させることが出来る…』
(ッ…おいおいマジかよ、連中…そこまでトチってんのか!?)
ギョッとする、奴らの最終目的は…魔術師全員の殺害?それも世界の…?嘘だろ、その嘆きの慈雨が何を意味するか分からないが。それが完成したら世界中の魔術師が死ぬってことか!?
何考えてんだアイツらは!そんなの絶対阻止するしかないじゃないか…!
(どうする、ここで襲撃をかけるか…白露草だけでも纏めて吹き飛ばして二度と収穫出来ないようにするか!?でもあれはデティ曰く世界の未来を、次世代を担うキーでもある…いやでもあれがある限り世界中の魔術師が死ぬ可能性も同時に────)
逡巡、エリスは咄嗟に腰を動かし判断を迫られる。どうする、ここで大人しく待機するか、ここで奴らを潰し二度と白露草を回収出来ないようにするか。迂闊な判断は出来ない、間違えれば形成は一気に悪くなる。
もう、エリス達とメサイア・アルカンシエルの戦いは始まっている…。ならばここは…。
(待機…、攻撃を仕掛けず奴らが撤退し根城に向かう可能性に賭け、回収した白露草諸共焼き払う…!)
待つ、奴らの撤退を。ここで仕留めるより根城を潰したほうが早い…だから────。
『ところでお前、最近彼女でも作ったのか?』
『へ?何言ってるんですかエレファンタス大隊長…、こんな肝心な時にそんなことしませんよ』
『そうか?なら…なんで、女の匂いがする?』
瞬間、エレファンタスの鼻が持ち上がりエリス達の方向を向く…匂い、そんな呟きで共にだ。そこでエリスはハッとしながら近くのデティと目を合わせる。
……曰く、この世で最も鼻がいい動物は『ゾウ』だと言う。遥か彼方の水の匂いを嗅ぎ分けるその鼻は犬の二倍、人間の五倍の性能を持つと言われている。もし奴が…そんなゾウの特性も兼ね備えていたのなら────。
「エリスちゃん!!!」
「チッッ!」
「『エレファントキラー・ドーン』ッ!!」
飛び上がる、デティを掴み岩場から離脱するように飛び上がった瞬間、エレファンタスが即座に転身し岩場に向け突っ込み、岩石を軽々粉砕し鼻を振るう。
「ぬぅうううん!侵入者がいるではないかッッ!!それもッ!こんな最奥にまでッッ!!」
「なっ!?侵入者…それにあの姿…」
「まさか孤独の魔女の弟子!?何故奴がここに!」
「へっ…エリスも有名になったもんですね…」
デティを置いて、地面に着地し…エリスは籠手を展開する。もうエリスの思惑など関係なくなってしまった、戦闘になってしまった。迂闊だった、ゾウの獣人がこの場にいて、ゾウさながらの性質を持っているとは。
「魔女の弟子か…聞いているぞその武名、ジズを倒し、オウマを倒したらしいな…そして今度は我々か?甘く見られたものよ」
斧を振るいながらエレファンタスがずしずしとエリスの前に立つ。そこから発せられる圧力と威容から察するに、相当強い事が分かる。少なくともハーシェルの影上位ナンバークラス…よりちょい強いか。
「見られたからには死んでもらうぞ!魔女の弟子!」
「すみません、仲間達にこの事チクっちゃいますね」
「エリスちゃん!気をつけて!そいつ…」
「分かってます!強いですね…でもエリスの方が強いですよ!デティは後方支援を!」
やるしかないならやる、もう躊躇はしないし隠れて進むのは終わりだ。このままこいつを吹っ飛ばして上で白露草を回収した奴らも纏めて吹っ飛ばして奴らの計画をオシャカにする!もうそれしかない!
「パォオオオオオオオオオ!!!甘く見るなと言っているッ!」
「おわっ!?」
しかしエレファンタスも甘くない、両手の斧を手の中で高速で回転させ凄まじい速度で斬りかかる。その斬撃の雨の如き連撃を前にエリスは立ち止まり籠手で一撃一撃を弾いて防ぐ。
速い、こいつ見かけの割にずっと速い!まずい…!
「『ノーズフルーレ』ッ!」
両手の斧を使ってもまだ残るのは奴の鼻、それが第三の手として動き凄まじい速度、鋭さの突きが放たれる。それがエリスの防御を的確に掻い潜ってエリスの顔面に向け突かれ、エリスは反応する間も無くあえなくそれを受けることとなる。
第三の手、分かっていても防げない物だ。だから警戒していた、…エリスの両手で防ぎきれないそれを、…『エリスにとっての第三の手』で防ぐべく、警戒していた!
「なっ!?」
エレファンタスが顔色を変える、必殺の一撃として放ったそれが『ガキン』と音を立てて受け止められたからだ。エリスの顔面に突き刺さったはずのそれは…虚空で止まって火花を散らす。そう…これは。
「防壁か!」
「御名答ッ!」
顔の前に展開した防壁でエレファンタスの刺突を弾くと共に一気に懐の中に潜り込む。
「その長い鼻!太い腕!中に入られたらどうしようもないでしょう!」
「ぅぐっ!?」
叩き込む、飛び上がるような蹴りでエレファンタスの顎を蹴り上げ、そのまま風で体を浮かせながら一撃を見舞う。エリスの拳がエレファンタスの額に突き刺さるように食い込み、山のように大きな体が一歩引き下がる…。
「中々にやる、伊達ではないかッ!」
「すぅー…!」
エレファンタスが姿勢を整え、再び突っ込んでくる。鉛の塊のような体はただ前進するだけで攻撃になる、重さとは即ち武器なのだ。だが一転すれば武器とは己のを傷つける可能性さえ孕む。刃は扱いを違えれば己を切り裂き、銃はともすれば自らの命を奪う。この重さが武器であるなら…安易に振るうべきではないんだ。
武とは即ちこう振るう、そう示すようにエリスは息を整え左足を後ろに、右足を前に、エレファンタスに側面を見せるように構え右拳を握り…。
スライドするように一気に加速する、全身の体重を乗せ、勢いをつけ…そして。
「『煌王火雷招』ッ!!」
「ごぼはぁっ!?」
一閃、エリスの拳が炎を吹き出しエレファンタスの胴を捉え、その鎧を砕きながら炸裂する。重い体は容易く止まれず、また勢いも過剰に乗る。そこにカウンターを合わせれば…その勢いは丸々自分を切り裂く刃になる。
「ぐぼぉ…」
「中々やりますがエリスの相手じゃありませんね」
ゾウの体がクルリと宙で一回転し、エリスは自らの拳の感触を確かめる。…いつもより威力が出た、以前より魔力効率が良くなってる。肉体面は殆ど鍛えてないのに火力が一割くらい増した。
これか、トラヴィスさんの言っていた魔力運用に慣れると言うのは。防壁修行で増した魔力遍在と、魔力を動かす感触を鋭敏化させより無駄なく古式魔術を振るう。まだ微々たる物だが…確かに成果が出ている。
そうか、これから先はこうやって進めばいいのか…!
「よし…」
「エリスちゃん凄い…」
道は定まった、歩き方も分かった、ならこのまま進むだけだ……ん?
「ッ…まさか」
ふと、エリスは吹き飛んだエレファンタスの方角を見る。壁に叩きつけられ、ガラガラと瓦礫に飲まれたエレファンタスが…徐に立ち上がってきている。
まだ立つのか、エリスの古式魔術を受けても…いや、今の感触は…。
「ぷふぅ〜、鎧がなけれない危なかったぞ…」
(硬い……)
硬い、人間の体皮とは比較にならない硬度の皮膚。まるで何重にも重ねたなめし革のように衝撃が吸収された上で防がれた。ダメージが軽減された…アイツ、相当耐久力があるぞ。
ゾウの体…、これは意外に厄介かもしれない。
「この体に打撃で対抗出来たのはお前が初めてだぞ魔女の弟子…」
「その体…貴方人間なんですか?それともゾウ?」
「どちらでもない、我等は新たなる人類。魔術を淘汰した先にある新たなる武力…遺伝子を組み替えた『新人類』だ」
「遺伝子…新人類…まさか…」
南部魔術理学院にいたコバロスさん、彼は…ゴブリンの遺伝子を取り込み、その因子に狂わされ、語った言葉。それは人類に魔獣の因子を組み込むことで、同胞とする計画。人類を超えた新人類を創造し新たな時代を作ると、彼は語った。
遺伝子組み換え…そして人並外れた姿形。まさかこいつ…!
「貴方!南部魔術理学院の遺伝子組み換え魔術を使いましたね…!」
「ほう、知っていたか…然り。我等メサイア・アルカンシエル『獣人隊』は人を超えた人外の群れ、人ならざる力を魔術抜きで行使出来る新時代の戦士達だ」
「獣人隊…」
なるほど、どう言う経緯かは知らないがこいつら…南部魔術理学院の遺伝子組み換え魔術を手に入れていたんだ。それを使って、ゾウの遺伝子を体に組み込み肉体を改造することでこの異質な肉体を…。ってことはあのサイも猫もメサイア・アルカンシエルの精鋭か!
「何が魔術抜きですか、その体になるのに魔術を使っているではないですか」
「む……」
「それに貴方達、その技術は危険ですよ。人が人以外の遺伝子を取り込むと異常が発生します、人でいられなくなる」
「フッ、南部のコバロスの事を言っているのか?奴は魔獣の遺伝子を取り込み狂っていたからな…、ああそういえばお前達はあそこにも顔を出していたな、だから知っていたのか」
「お前なんで……いや、そう言えば…」
いたな、あそこにも…メサイア・アルカンシエルの抗議部隊が。コバロスさん曰くどこから嗅ぎつけたのかは知らないがある日突然現れ研究所の前で抗議を始めたと言っていた。つまるところ、民間の抗議部隊であるメサイア・アルカンシエルと魔女排斥のメサイア・アルカンシエルには直接的な繋がりは薄い…が、民間の連中は魔女排斥側の目や鼻の代わりとなって動いているんだ。本人達にその気がなくとも、そうなるよう働きかけられている。
恐らく民間人達を使って技術を盗み出させた、それがいつの話かは分からないが…そう考えればこいつらがこの技術を持っている理由も分かる。
こいつらは民間のアルカンシエルを使って、南部を調べてあげていた…ならば!
「ならお前だって!南部で起こった事件は知っているはずだ!」
「知っている!だからこそ我らはより一層研ぎ澄ませた!適応する人間!強靭な精神!これがあれば心は呑まれん!故に…こうする事も可能だッ!」
すると、エレファンタスはボロボロになった鎧を脱ぎ捨て、全身に力を入れると…。
「ぬぅぐぅぉおおおおおおおお!!!獣魂共鳴ッッ!!」
「な、何を…」
モリモリとエレファンタスの体が大きくなる、筋肉が肥大化し、肉体が黄金に輝き出し…一回りも二回りも巨大化し、その力を増幅させる…。
完成するのは黄金の巨大象の獣人…いや、これは…。
「ゴールデンエレファント…」
…ゴールデンエレファント、協会指定危険度Bランクの魔獣だ。黄金の体躯はあらゆる打撃を弾き返し、鼻から光弾を乱射する危険な魔獣。それにそっくりなのだ…。
つまり何か?こいつが取り込んだ因子はただの象じゃなくて…。
「魔獣の遺伝子を取り込んでるのか…!」
「パォアッ!然り然りッ!我等獣人隊は全て魔獣の遺伝子と肉体、そして力を扱う精鋭達ッ!魔獣の遺伝子を飲み込み人のまま扱える選ばれた者達ッ!この体なら…魔術を使わず超常を引き起こせるッ!」
「魔獣が使う力だって魔術ですよ!」
「パォアパォア!人の使う魔術と違うからいいのだ!さぁ…死ね!」
動き出す黄金のエレファンタス、さっきまでとはまるで違う戦闘能力…速度、腕力、耐久、全てが桁違いに強くなっている。魔獣としての力を十全に扱える選ばれた者達?こいつら遺伝子組み換えによる魔獣因子の獲得を物にしてるのか。
いやまぁ確かにコバロスさんはただの研究者だからそう言う精神面は強くはないだろうけどさぁ…。エリス達だって耐えられなかったんだぞ。それなのに…。
「フンッ!」
「ぐっ!」
「エリスちゃん!」
余所事を考えた瞬間、飛んでくる黄金の拳に殴り飛ばされ今度はエリスが壁に叩きつけられる。違うこと考えて勝てる相手じゃない、けど古式魔術を一発叩き込んでも倒れなかった奴だ、普通に戦ってもぶっ倒すには相当時間がかかるぞ。
「クソッ…」
「すぅぅぅーーーー」
すると、エレファンタスはエリスが壁から這い出てくるのを確認するなり、大きく息を吸い、胸を膨らませ、吸い込んだ空気を一気に鼻に集めると…。
「『襲撃者だッ!白露草群生地に襲撃者!相手は魔女の弟子エリス!総員撃滅態勢に移れッ!』」
「しまった…!」
洞窟が揺れるほどの声量で叫び上げるエレファンタスによって、シュレインにいるメサイア・アルカンシエル達にエリスとデティの存在を報される。まずいぞ、大事になった、どんどん増援が来る…!
「パォア!さぁやるぞ魔女の弟子!私が相手だ…!」
「チッ…」
エレファンタスは持久戦の構えだ、上が騒がしくなってきた、下手をすればドンドンこんな奴がやってくる可能性がある。いや…最悪収穫した白露草を遠くに持ち運ばれる可能性も…!
時間をかけられない、けど相手は耐久特化型…おまけにかなり強いときた。こうなったら魔力覚醒を使うしかない…けど。
(丁度いい…)
付け焼き刃は好きではない、だが…今エリスの手元にある一つの『刃』…この切れ味を試したくて仕方がない。と言う欲求が今エリスのたかには確かにある。
新たに作り上げた戦法、エリスの新たなステージ…それを試すには打ってつけの相手だ…!
「デティ!」
「え!?何!?」
「心配ないとは思いますが、また大怪我したら治してくださいね!」
「え?それは勿論…え?何するつもり?」
「魔力覚醒…!」
ゼナ・デュナミスを解放しながらエリスは反芻する…トラヴィスさんとの修行、そして指摘された『唯一無二の武器を持て』と言う話。
エリスは今まで多くの武器を抱えてきた、跳躍詠唱、極限集中、魔力覚醒、疾風乱舞雷電乱舞、疾風韋駄天、捷疾魔風、記憶違い、超極限集中…そしてボアネルゲ・デュナミス。それらを状況によって使い分けて戦い相手の弱点を模索する戦い方をして勝ってきた。
けど、逆を言えば決め手に欠けた。それはかつて帝国を旅した時から言われていた『これを使えば勝てると言う戦い方を持て』と言う師匠の教えを受けてからずっとエリスの問題として残り続けていたものだった。その時は超極限集中を編み出しなんとか体裁は保ったが、それだけではもう不足になってきた。
次のステージに上がるには新たな武器がいる。だがもうエリスの中には何も残っていない、どうすれば良いか…そんな悩みに応えたのがトラヴィスさんだ。彼はこう言った。
『手札を増やすのではなく統合、一つに合わせ…自らの戦い方を確立しろ』と。なんてことはない、エリスの手札はもう十分増えている、なら今度はそれを一つに纏め新たな手札とする。
『無数の手札』を持つのではなく、それだけで勝てる文字通り『ただ一枚の切り札』を持つ。それは即ち師匠の言ったこれを使えば勝てると言う戦い方を持つことに繋がる。
エリスはようやく、あの時の師匠の言葉に応えられる物を得た…それが。
これだ…!エリスの全部を!今まで積み重ねた全てを応用したエリスだけが極めたエリスの戦い方ッ!その名も…。
「『冥王乱舞の型』…!」
「む……」
ドン!と足を前に出し…拳を構えるエリスと周囲に紫炎の如き魔力が漂い、包み込む。エリスが極めたエリスの全て、それらを合わせた一枚の切り札…その名も『冥王乱舞の型』。
何か一つの技を繰り出すのではなく、戦い方そのものを編み出した。冥王乱舞の型…これを使った状態のエリスの技は。
…全て、切り札となる。
「何をするつもりか知らんが…この肉体には如何なる打撃も通用しない!」
「なら安心です…全力で打てますね」
拳を大きく引き…エリスは意識する。冥王乱舞の型とは即ちエリスが培った全ての応用、新しい技術は何も取り入れていない…いや、強いて言えば参考にしたのはダアトの戦い方か。
奴の魔力噴射で加速して殴打を行う戦い方は、風で加速するエリスの戦い方によく似ていた、だがそれでも奴の方が速く鋭かったのは奴の噴射の方が指向性が強く、より勢いがあったから。
ならばエリスも…更に加速すれば奴のスピードに追いつける。そこを基盤に考えた時、エリスに必要な物、出来ることは何かを立ち返って考えた。そうなった時エリスは思ったんだ…エリス、結構いろんなこと出来るって。
「『エーテルタービン・イグニッション』…!」
エリスの肘に生まれるのは流障壁。魔力が渦巻き高速で回転し…それを更に伸ばし、伸ばし、魔力の渦が噴出しまるでタービンのように推進力を得る。と同時に使うのは跳躍詠唱…詠唱なしに魔術を使うこの技で螺旋型に噴き出す魔力に風を…『旋風圏跳』を付随させる。
「ッッ………!」
「な、なんだこの膨大なエネルギー…いや、威圧は…!」
まだ終わらない、噴き出す螺旋型の魔力とそれに付随し回転する風、ここに加え使うのは記憶違い。使い勝手が悪くあまり使ってこなかった技…それは追憶魔術によって引き出す記憶の魔術を無理矢理改竄し、追憶魔術の属性を変更する技。
追憶魔術にてもう一段、旋風圏跳を引き出す…だがこれを記憶違いで性質を変化させ、風ではなく噴き出す魔力に変える。これによる更に推進力を得る…そして更に生み出した三つの推進力、螺旋型に噴き出す魔力、それに伴う風、そして噴き出す風型の魔力…この三つを捷疾魔風の型で束ねる。
魔力を風状に変化させ物理的影響力を持たせる捷疾魔風で…噴き出すそれらを絞り、絞り、限界まで絞り…一点に集約させる。重なった三つの力はやがて溶け合い紫色の閃光を放ちながら噴き出し続ける。
その様は…未だこの世界に存在しない技術である『ジェットエンジン』の如き勢い。エリスは今風を超えて遥か先に存在する文明の力にまで届いた。風さえも超える…最速の推進力に。
「行きます…防御しなさい!」
「ッ…!」
紫色の閃光はジェットの如く噴き出し地面を抉りつつも、エリスは足を踏ん張って力を蓄える。これは飽くまで加速法…更に加える、エリスの全てを乗せるんだ。
更にこの紫の閃光に乗せるのは『旋風 雷響一脚』そのもの、今まで全ての魔術を推進力に変え放つエリスの必殺技。これを記憶違いで全て魔力に変え更に噴き出す!そしてこれを疾風韋駄天の型の如く扱い、疾風乱舞雷電乱舞の技を応用して放つ…!
これがエリスの新たな奥義…!
「冥王乱舞…!」
フッと足から力を抜くと、膝から放たれる全ての推進力がエリスの体を浮かび上がらせ、初速にて音速を超える。さながらエリスの体が一線の矢の如く伸びる。
ゴォッ!と音を立てて爆裂した地面と共に最高速に至ったエリスの拳が、一気にエレファンタスに迫り─────。
「『一拳』ッ!」
「ごぼぁっっ!?」
叩き込むは『冥王乱舞・一拳』…最高速に至りジェット噴射にて加速を続け、エリスの持つ全てを前に進む力に変えたそれらが拳に乗って、エレファンタスに叩き込まれる。腕をクロスさせ防御姿勢をとったエレファンタスの黄金の腕が砕け、紫色の衝撃波がエレファンタスの体を貫き背後の壁まで砕く。
過剰にして過激なる加速、それはエリスの身に余る速度と威力を出す。先程はそれをそのまま叩き込んだせいで拳が砕けた…だからこそ今度は調整して拳が砕けないように───。
なんてなまっちょろい事は言わない!砕けるなら砕けないよう研ぎ澄ます!拳の先に防壁を張り巡らせ、ドリルのように回転させ抉り込み、尚且つ手の先に乗せたのは…エリスが生み出した独自の風魔術、空気を凝固させる『エアロック』。
これをメリケンサックのように籠手の上から張り、更にエリスの拳は硬度を増し、拳ではなくエレファンタスの体を砕くに至る。
これだ…これなんだ、エリスの戦い方は。思えばエリスは最初から旋風圏跳を使って戦ってきた。メインウェポンとして使ううちに鋭さと速さを求め続けてきた。そしてその到達点がこれ…。
エリスは遂に、師匠の真似ではなく己の技を開拓した…冥王乱舞、これからはこれを極めて戦うフェーズに入ったんだ。師匠のように誰にも真似出来ない技を持って、エリスは進むんだ!
「……まだまだ、速くやれそうですね。想定じゃ、全部砕くつもりだったんですが…やはり付け焼き刃か」
「ゴッ…がぁ…」
一撃でエレファンタスの両腕を粉砕し、壁に叩きつけられたエレファンタスの体はグラリと揺れて倒れ伏す。あの耐久魔人が一撃で倒れた、それほどの威力をこの技は持っている。
けど、真価はこんなもんじゃない。今回は節約したけど超極限集中を使えばもっと素早くなる計算だし、何よりまだ足せる要素は多くある。これらを使えば…エリスはもっと速くなれる。
もっともっと速く、もっともっと走る、そしていつか師匠に追いついてみせる。
(嘘…あれ、エリスちゃん?…まるで違う、今までと…トラヴィス卿と二週間修行しただけで、こんなに…)
一方デティは戦慄していた、エリスが先程出したスピードはどう考えても魔力で出せる限界速度を大幅に超過してる。旋風圏跳の延長線上にあるスピードじゃない、風を操って出る速度じゃない。
何よりあの威力…今までのエリスの力で出せる物では断じてない。
(強くなり過ぎじゃない?いや違う…開花し始めてるのか…エリスという魔女の弟子が、弟子という蛹を破り始めてる)
デティは涙ぐむ、エリスのあまりの成長に。よくぞここまで強くなってくれたと…。
「エリスちゃん凄いよ…本当にすごい…!」
「ありがとうございます、とは言え未だ魔力消費がえげつなくて…もっと上手く使う方法を考えないと」
「うん、うん…ってぇ!エリスちゃん!敵ドンドン集まってくるよ!」
「試し撃ちの的が来ますか、面白い…!」
「あんまり面白くないかも、危ないかも、怖いかも」
エリスは再びコートを翻し天を見上げる、とは言えあんまり面白がってもいられない、とにかく今はこの窮地を脱しなくては。
「敵を軽く撃滅しつつ脱出しますか!…白露草は」
チラリと白露草を見る、殆ど刈り取られているがまだ残っているか…一本だけ確保しつつ、この場所は残しておこう。もしかしたらこの場所…奴らを誘き出すのに使えるかもしれないし。
「さぁ行きますよデティ!」
「う、うん。でも私を連れて移動する時は今の加速の奴やめてね!」
「勿論、あの加速に耐えられるのは多分エリスだけなので…む」
なんて話していると、どうやらもう来てしまったようだ…敵が。
「敵はどこだぁあああああああ!!このリノサラスが相手をしよう!」
エリス達が通ってきた通路を削るように現れたのは巨大なサイの怪物…道中見かけたリノサラス隊長、とか呼ばれてた奴だ。いやもう一人いる…。
「んもぅー!敵は全員このアゲラダ様がぶっ殺すウシー!」
筋骨隆々、寝物語で聞くようなミノタウロスそのもののような奴が両手に盾を持って現れる。名をアゲラダというらしいソイツはリノラサスと共に現れエリスを視認するなり…。
「アイツか!獣魂共鳴!」
「ぶっ殺すウシ!獣魂共鳴!」
そして、魔獣の因子を活性化させ獣人から魔獣人へと変貌する。サイの怪物リノサラスは全身を岩石で覆うサイ型魔獣ヴラフォスリノケロス。協会指定危険度Bランクの魔獣。
もう一人のアゲラダは全身が膨張するように筋肉が膨れ上がり、漆黒の光沢を得る。あれは…ああ、アルクカースでよく見たアイツだ。チャリオットファラリス、あれの因子も持っているのか。
「エリスちゃん!上からも来る!」
「む…」
『ひぃいいいいはぁあああああ!アロゴ様の敵はどこだッ!』
天の穴から飛び降りてくるのは全身炎を纏った危険度Bランクのヘルフレイムホース、その因子を持っているであろう馬型魔獣人アロゴが筋肉を見せつけながら飛び降りてくる。
目の前の通路を塞ぐは岩のサイ、鉄の牛の巨人達。天の穴からは炎の馬の魔人。どちらも見上げるほどの大きさだ…けど。
面白い、止めてみろよ…エリスを!
「冥王乱舞の型…点火ッ!」
手でデティに下がっているよう示しつつ、エリスは再び冥王乱舞の紫炎を灯す。これで一気に蹴散らす…まずは真上。あの馬だ…。
「お前だな魔女の弟子は!こぉのアロゴ様が焼き殺してやるぅぉおお!」
「……冥王乱舞…」
天に手を向ける。冥王乱舞は今までの全てを重ね合わせた戦法だ、故に疾風乱舞や雷電乱舞のように近接主体、というわけではない。エリスの全てというのなら当然入っている…古式魔術も強化対象に。
ダアトは現代魔術を、しかも初歩の初歩を使い凄まじい威力を出していた…なら同じ事をエリスが古式魔術で行えばどうなるか。
エリスの広げた手の中で魔力が渦巻き螺旋となる。そして先程と同じ手順で手の中です紫の閃光を集め…作り出すのは風の魔術。それを加速の勢いと噴射口の限定、そして魔力出力を極限まで高めるッ!!
「『冥嵐風刻槍』ッッ!!」
「ぉあッ───」
瞬間噴き出したのは紫の光線…の如き風の槍。その威力は通常の風刻槍がそもそも比較対象にならない程の威力。加速とは力だ、魔術の威力は出力量で決まる、ならばこの勢いテロ放たれたそれは今までのエリスの魔術を数段上へと押し上げる。
冥王乱舞を使ったエリスの魔術は全てが強化される。一切の例外なく全てが旋風 雷響一脚並みの切り札になるんだ。
「問題があるなら、些か強過ぎることくらいか…下手をすれば殺しかねない」
フッ…と蝋燭の炎を吹き消すように一瞬でアロゴの炎は消え、ついでアロゴの姿も消えるように吹き飛び天の彼方へと飛んでいきます…頭上の穴は更に大きく広がり光が大きく輝き始める。
さて、残り二匹…。
「貴様…なんだその力は!」
「ウシッ!?よく見ればエレファンタス大隊長がやられている!?幹部陣に次ぐ大隊長の一角が崩されて…!」
「冥王乱舞…!」
「っ来る!?」
拳を握り、開き…中に作り出すのは膨大な熱エネルギー。炎雷の玉を生み出し…それを握り締め形が変形するほどの勢いでキツく圧縮しながら大きく振りかぶり、リノラサスとアゲラダに向け狙いを定める。
「ッ!来るなら来い!『フォートレスガード』」
瞬間盾を持った鉄牛のアラゲダが防御姿勢を取りリノラサスの前に立つ、その様はまるで硬く閉じられた城門…されどエリスは一切そんなもの気にすることなく、炎雷を一気に投擲する。
投擲した瞬間それを冥王乱舞の推進力で一気に加速。雷はジグザグに進むことなく虚空に線を描くような軌道で…いや軌道すら見せることなく一瞬の輝きと共にアラゲダに向けて飛び。
「『冥轟火雷招』ッ!」
「んなッ──────」
爆裂する。軌道すら見えない熱の塊がアラゲダに衝突し炸裂。紫色の炎雷が嵐となって洞窟内で荒れ狂う。魔力出力そのものが劇的に向上していることもあり、その熱量と破壊力は通常の火雷招の数十倍…。アラゲダの盾は一瞬で砕け散りアラゲダ自身も全身にヒビを入れ吹き飛びあっという間に視界から消える。
しかし、そんなアラゲダに守られたリノラサスは…。
「この、化け物がぁああああ!!」
突っ込んでくる、爆風に乗りハンマーを構えてエリスに向けて突っ込んでくる。玉砕覚悟か…だが、悪いが砕けるのはお前だけだッ!!
「冥王乱舞…!」
拳の中に魔力を溜める…と同時に飛び上がり、紫色の魔力を一気に噴出させ加速し────。
「消えた!?」
リノラサスの視界から消える。いや消えたのではない、足先から放った魔力の噴射がエリスを肉眼では捉えられない速度に押し上げたのだ。ならエリスはどこに行った?決まってる…上だよ!
「ッ…こっちか!?」
「『冥壊 阿良波々岐』ッ!」
「ギッ─────!?」
放たれたのは拳の先から振動波を放つ『震天 阿良波々岐』。それが壮絶な魔力噴射の勢いと強引な魔力圧縮による効果範囲の限定、それに伴う攻撃威力の上昇を受けドンッと天鼓を鳴らすが如く勢いで振り下ろされた拳と共に放たれ、眼下のリノラサスを粉砕する。
岩の体はバキバキに割れ、全身に亀裂を入れ、意識を刈り取り…打ち倒す。
「よし終わり!」
コートを払い獣人部隊を粉砕したことを確認しエリスは脱出の準備を始める…すると、それを側で見ていたメサイア・アルカンシエルの一般兵達は震え上がりながらエリスを指差し。
「な、なんだあれ…隊長達が勝負すら出来ないなんて…!」
「ふざけてる!ふざけてるよあれ!なんだあれ!何処が魔女の弟子だよ!魔女そのものじゃないか!」
「あんなのと戦えない!殺される!俺殺されるよぉ!!」
「…………」
腕を組み、考える。アイツらの目…何処かで見たことがある…なんだっけ。ああそうだ、師匠を見た敵が…いつもあんな目をしていた、そうか。エリスもようやく、敵対者にあんな目をさせられるようになったか。
逆らったことを後悔した目を…。少しは師匠の背中に近づけたかな?
「さぁデティ、行きますよ」
「うん!」
そしてエリスはデティを掴んで一気に穴の外へと飛び出す。穴の外に飛び出すとそこは砕けた神殿の跡地で…どうやらシュレインの街の聖堂のような場所らしく、天井が完全に崩落しており、崩れた祭壇のような物が見える。
…だけで、周りに敵の姿はない。どうやら白露草は完全に持ち去られたようだ…やらかしたな。仕方ない、今はこの情報だけでも持ち帰って…。
「待っていたぞ、魔女の弟子…」
「はぁ、またですか…」
いや、嘘をついた…敵がいる。現れたんだ、祭壇の奥から…他の奴らより一層巨大な、カバの戦士が。
「我が名はイポポタモス…メサイア・アルカンシエル獣人部隊の十大隊長が一人!屍の戦士イポポタモス!」
ズシンと大きな頭と大きな体を動かす現れたカバの戦士イポポタモスはその手に持った巨大な斧を手にエリスを睨む。どうやら既に魔獣の因子を解放しているらしく、あれは…多分エビルヒッポだ。
協会指定危険度Aランク。大地ごと全てを飲み込む超危険な大魔獣だ…今まで見た中では一番の大物か。
「ここで貴様らまで終わりだッ!!喰らえぇいっ!」
「デティ、エリスの後ろに」
「う、うん!あ!後ろ!」
「『ギガンティックプレス』ッ!」
叩きつけられる斧、それが防壁を纏い更に巨大化し圧倒的膂力で振るわれるそれは大地にヒビを入れる。こいつ防壁使いか…!それも相当上手い、修行前のエリスより上手いんじゃないかと思えるくらい防壁が硬い。
まぁそれでも修行前の話だ、今のエリスはその比ではない。
「むっ…特殊防壁持ち!?しかも全身防壁とは!」
防ぐ、全身を覆うように展開した流防壁がイポポタモスの一撃を容易く防ぎ、堰き止める。回転する防壁は通常時よりも更に加速しガリガリとイポポタモスの防壁を削っていく。
「ぐぅっ!この若さでその練度!武人として血湧き肉躍るわッ!」
「一人で勝手に踊っててください!一気に決めますッ!冥王乱舞!点火ッ!」
一気に紫炎の閃光を噴き出し、神速へ至る。吹き飛びされたように飛ぶエリスの体は一気にイポポタモスの懐へと転移し…。
「冥王乱舞・奥義…!」
「ぬぅっ!?速い!?」
回す、回す、回す、腕に魔力を集めて循環させるように様々な現象を引き起こし一気に加速させる。エリスの中にある物を火に焚べ火力を増大させるように加速させる。
紫炎の閃光は炎が吹き出すような轟音から徐々に絞られ、耳を劈くような超高音を放ちながら、エリスに更なる加速をもたらす。
加速させるのは両腕、そして放つのは必殺!
「『百連怒涛雷旋掌』ッッ!!!」
「ぐぼぉっ!?」
爆裂するような勢いで放たれたのは拳による怒涛の殴打。…これ一つ一つがかつてエリスの最大火力だった旋風 雷響一脚だ、それと同じ現象を腕で引き起こし、百発放つ。いや放つだけではない、捷疾魔風による風状防壁、これを拳型に形成し魔力風弾として一撃ごとに放つのだ。
さながら流星群のように紫炎の拳が飛び、イポポタモスの鎧を砕き、筋肉を粉砕し、全てを破壊し吹き飛ばし、殴り飛ばす。
「ぐぶふぅぅっ!?」
「一丁…ゼェゼェ…上がりッ!」
殴り抜いた後、エリスは膝に手をつき呼吸を整える。たった数分全力で動いただけで凄い魔力と体力を持って行かれた…。まぁそうか、一行動一つ取るのにエリスはいくつもの技を使っている。大体五つくらいの技を同時に束ねて動き続けてるんだ、単純計算で魔力消費は通常の五倍、六分動けば凡そ一時間動き続けた消耗に匹敵する。それを制御する神経で大量のスタミナも奪われるし…もっと効率よく運用する方法を模索しないと。
けど威力は抜群…これは使えるぞ。
「エリスちゃん!今の…」
「はい、旋風 雷響一脚を連打で放ちました。雷響一脚の持続力のなさを断続的な連続攻撃で補ったんです」
「凄いことするね…敵死んでない?」
「その辺は加減しました、それよりそろそろ帰りましょう…疲れた」
「あ、そっか…じゃあ治癒するね、魔力も減ってるし」
「ありがたい〜」
デティが治癒してくれただけでエリスの中で減っていた魔力が全快する。これデティがいるだけで冥王乱舞のデメリットらしいデメリットがないに等しくなるな。今までエリスが手に入れてきた大技はどれもデメリットが大き過ぎて使う場所を選んできたが。
デティがいるなら迷いなく使っても良さそうだ、それに消費が激しい程度じゃ正直デメリットと呼んでいいかも分からない。
…いい物手に入れた。
「さて、帰りますか」
「エリスちゃん、こいつらどうする?」
「え?」
じゃあ帰ろうと踏み出したところでデティに問われる、デティが指差すのはボコボコにされ気絶したイポポタモス…。確かにボコすだけボコして満足してしまったが放置はダメか、かと言って持って帰るわけにはいかないし…でもそのうち目を覚ましてエリス達の事報告するよな。
「あ、ならこうしましょう」
「こうする…?え?ちょっ!エリスちゃん!何するつもり!何してるの!?ちょっと!?」
……………………………………………
「白露草の収穫隊が襲われた…!?何故!」
ウルサマヨリの闇にて待機していたマゲイアは、魔伝にて突如舞い込んだ知らせを受け驚愕する。それは白露草収穫隊が襲撃を受けたという内容だった。
続いて箱状の魔伝はパラパラと紙を続けて吐き出す、そこには何がどうなったかの報告が事細かに書かれていた。
「被害状況…獣人隊五名再起不能の重症…うち二名は大隊長だと。あり得ない…大隊長クラスがこうも呆気なく潰されるなど…」
マゲイアは考える、シュレイン神殿跡地に向かっている大隊長は二名、地上にて斥候を行うイポポタモスと地下で兵士達を動かすエレファンタスの二名だ、両名共に十大隊長の中でも屈指の耐久力と頑強さを誇る二名。それが襲撃の報告と共に撃ち倒されたという報告が飛んでくる程の速度でやられたとは考え難い。
(あの二人を秒速で片付けた?こんな事が可能なのは八大同盟の盟主クラスだけ…、私でさえ本気を出さねばあの二人を瞬殺することなど出来ない。なんだ…何が現れた)
「どうしました!マゲイア…」
「…お爺様には、ちょっと刺激の強い話かもしれないわ」
ふと、何かを鞄に詰めていた『参謀』シモンが訝しげに顔を歪め、興味深そうにメガネをクイクイ動かす、こればかりは隠しても仕方ないと感じたマゲイアは紙をヒラヒラと振って。
「悪い知らせよ、白露草収穫隊のイポポタモスとエレファンタスがやられた、襲撃ね」
「なんですと!?二人が!?誰に!」
「さぁ、そこまでは…ん、報告が来たわ。多分これに」
そうしてマゲイアは新たに舞い込んだ報告を見て、目を白黒させ眩暈を覚える…そこに書かれていた名前は。
「孤独の魔女の弟子エリス…!?」
「何故!?彼女があの場に!?」
「わ、わからない…」
マゲイアとシモンは完全に首を傾げる、なんでこいつがシュレイン神殿跡地に居るんだ?エリス達は今魔仙郷で修行中の筈、それにこちらの存在にも気がついていない筈だ。
なのに何故我々の計画の要である白露草の存在を知り、尚且つ我々が秘密裏にそれを収穫し集めていたことを知っている。シュレイン跡地に来て襲撃をかけたということはつまりエリスは私達の存在と計画の仔細を知っているということだ。
だが何故、何処から知った?もしかして最初から知っていてここに来た?なら魔仙郷に籠る理由が分からない、もっと我々を探すようなアクションを見せてもいい…だがそれもなかった。
…完全に点と点が繋がらない、唐突に現れたエリスが唐突に攻撃を仕掛けてきた。まさか偶然?いやそんなの出来過ぎだ。奴は私達の存在と計画を知っていると見ていい…けど、何処から!?情報の出所が全く掴めない!
「考えなさい参謀でしょう貴方、どうしてエリス達が私たちに攻撃を仕掛けてきたの…」
「分かるわけがないでしょう!まるで虚空からいきなり現れたようだ…、行動の由来がまるで掴めない…どうなっているんだ…」
シモンは頭を抱える、エリスが唐突に攻撃を仕掛けてきたその意味がまるで分からない。まさか相手の存在を知っているのは我々だけではない?既に魔女の弟子達は我々の存在を知り得て攻撃する隙を伺っていた?だとしてもどうして我々が居ることを知っている。
まさかイシュキミリが口を割った?あり得ない、しかしイシュキミリが何か漏らした事以外考えられない…だが、イシュキミリがそんなヘマをするということ自体、もっと考えられない。
「意味不明!理解不能!予測困難!なんなんですか!彼女は!」
「………まさか、これかしら」
「なんですか!何か知ってることでも!?」
「それが人に物を聞く態度かしら。いえ…昔聞いた事があるのよ」
魔女の弟子エリス。それが八人もいる魔女の弟子の中で最も警戒されている理由…それは『異常なまでに間が良い事』だ。魔女排斥が何かを企むとまるで誂えたかのように唐突に現れる。それは偶然であり、時に必然的に現れる。
これによりアルカナは滅ぼされた、ジズだって殆ど偶然招かれたエリス達に敗れた。
まだ詳しい情報は来てないがオウマも、もっと言えばジャックやモースと言った面々もそう。
つまるところエリスは、異様なまでに丁度良く事件に居合わせるのだ。そういう星の下に生まれているのかもしれないが…マゲイアは痛感する。エリスという人間の魔女排斥を嗅ぎ分ける嗅覚は異常であり、今まで数多くの強豪組織を潰してきた恐るべき存在であると。
「つまり現れたのは偶然?偶然我々の計画の心臓部に現れたと?そんな奴対応のしようがないじゃないですか…」
「だからハーシェル一家も逢魔ヶ時旅団も潰されたんでしょう、そして次は私達の番ってことよ」
「ぬぐぐぅ……」
まずい流れに乗った、今まで不明瞭だった魔女の弟子とメサイア・アルカンシエルの静かな戦況が、唐突に現れたエリスによってひっくり返された、そんな錯覚を覚えるシモンは忌々しげに歯を食いしばる。
このまま行けば、エリスは我々にたどり着く、全面戦争になる。それはまだ早い、早すぎる…。されど如何なる手を打ったものか、マゲイアとシモンが思案する。
その時だった。
「なら、小生が見に行こう」
声が響いた、二人以外の声が。
「ッ…貴方」
闇の中に光を灯すように、鎧を鳴らして現れたのは白銀の甲冑。仰々しい飾りさえも相応しく見えるほどの気風と威風を漂わせる男が。二人の話を聞きつけたのか徐に歩いてやってくる。
騎士だ、それも一介の騎士ではない。総戦力数千万、数億に迫ると言われるマレウス・マレフィカルムに於いて『六番目』の実力を持つと目される男にして、メサイア・アルカンシエルが擁する武の権化…。
「カルウェナン…」
「すまんなマゲイア、シモン老師。暫く留守にした」
名をカルウェナン、第一刃『極致』のカルウェナン。魔力闘法の達人にして常軌を逸した実力を持つメサイア・アルカンシエルの第一幹部にして、マゲイア、シモン同様先代会長時代からメサイア・アルカンシエルを支えたこの組織の大黒柱だ。
彼は新品の白銀甲冑に松明の光を反射させながら小さく頷く。その様にシモンはグッと表情を悪くし。
「カルウェナン君!君ねぇ!こんな大事な時期においそれと消えられては困るんですよ!」
「すまない、鎧を新調していた。デザインを決めかねていてな…時間がかかった」
「え…?鎧の新調?確かにデザインが変わっているわ。武道にしか興味がない堅物かと思ったら、そんなオシャレをするいじらしさが貴方にあったなんてね」
少し前のカルウェナンは使い古した鉄製の甲冑を全身に着込んでいた。ボロボロで至る所にシミがある地味な鎧だ、そのせいでパッと見非常に弱く見えたんだ。お陰でカルウェナンの実力を知らない奴からはまぁナメられるナメられる。
だが今回それを一新しなんとも神々しい鎧に変え、しかも全身新調したと言うのだからなんともいじらしいとマゲイアは笑う、するとカルウェナンは小さく首を横に振り。
「いや、めかしこんだつもりはない。ただ散歩の途中で鎧を落としてな」
「は?鎧を落とした?」
「ああ、兜以外全部。だから買い換えた」
「どういう状況であんた散歩してたのよ…」
「何がどうなったら鎧を落とすのですか…」
確かカルウェナンは鎧の下にはパンツしか履いてなかった筈だ、つまりこいつはパンイチで散歩してたのか?武道にしか興味がないのは知っているがまさか一般的な倫理観や道徳感にも興味がなかったとは驚きだ。
「それより老師、何やら面白い話をしていたな。イポポタモスとエレファンタスが敗れたと」
「え?ええ。魔女の弟子による襲撃を受けました、まさかこの二人が容易く敗れるとは私も想像だにしていませんでしたよ…」
「なら小生が見に行こう。イポポタモスとエレファンタスに武練を授けたのは小生、つまり小生の弟子も同然。それが倒されたというのなら…」
「敵討ち…ってわけね」
「いや、あの二人を倒した奴と小生も戦いたい。行ってくる」
「はぁ?…あんたは本当に…」
カルウェナンという男はいつもこうだ、マレフィカルムでも屈指の使い手であるにも関わらずあまりにも自由、いや己の価値観のみに従って生きている、その価値観とは即ち武であり戦、これに反するなら先代会長にもイシュキミリにも刃向かい動かない。
あまりにも扱い辛い、イシュキミリがいつも頭を抱える自由人がこの男なのだ。
しかし…それでも。
「シュレイン跡地だな…ならばすぐに着く、待っていろッ!」
「クッ…!魔力で加速するなら離れてやりなさい…!衝撃波がこっちまで飛んでくる」
「相変わらず凄まじい魔力放出…、何をどうやればあんな高みへ行けるのですか…」
カルウェナンが両足から魔力を噴出し、黄金の閃光を吹き出し一瞬で音速を超え闇の中から消えていく。
カルウェナンは自由人だ、制御が効かない。それでも重用されるのは…あの男が常軌を逸して強いからだ。イシュキミリさえも超える実力、セフィラに肉薄する力量、並の八大同盟の盟主さえ超えるあの男は、あんなにも自由で、あんなにも言うことを聞かないのに…メサイア・アルカンシエルの柱として過不足ないのだ。
………………………………………
「フンッ!ここか!」
マゲイア達と別れて一分と四十秒、カルウェナンは魔力放出による加速を行い…シュレイン跡地へと到着した。地面を砕き地下から現れた白騎士は周囲を見回し…既に敵対者がいないことを悟る。
「遅かったか…」
滾っていた魔力を無理やり鎮め、カルウェナンはシュレイン跡地の祭壇に向けて飛び、地面に向けて降り立つと共にすぐ近くに倒れるイポポタモスに気がつく。
イポポタモスは防壁の達人だ、攻防一体の構えに隙はなく、そこに加えカバの魔獣の力も得た彼は並大抵の戦士では勝負すら挑めない程の高みに登った。
だがどうだ、今のイポポタモスは。全身から血を吹き出しまるでミンチの如き有様だ、だと言うにまだ息がある。これはイポポタモスが丈夫だからではなく相手が意図的に生かした。生と死のラインを完全に見切った上での完全破壊。
これをやったのが魔女の弟子か、恐れ入った…戦ってみたかったが、それは次の機会にお預けのようだ。
「む?」
すると、ふと…カルウェナンはイポポタモスの傍に紙が置かれていることに気がつく。それはイポポタモスの血で文字が書かれている、ナイフをイポポタモスの体に突き刺し、画鋲のように固定してあるその紙には…こう書かれていた。
『お前達の目的は理解した、一ヶ月後お前らを潰す。ボコボコにされる回数を減らして欲しいならそれまで悪事は控えるように。メサイア・アルカンシエルへ…エリスより』
「……エリス」
ピクリと眉が動く、脳裏に過ぎる金髪の少女の勇ましい面が浮かぶ。なるほど…なるほどなるほど。
「面白くなってきた」
紙を掴み引き千切ると共にカルウェナンは笑う。こんなにも血湧き肉躍るのはいつ以来か。
エリス…魔女の弟子、お前の言うその時を小生は待とう、だが…果たしてそれまで、メサイア・アルカンシエルが待ってくれるかな?
奴らはもう動き出しているぞ。
…………………………………………………………
「これ…どういう事ですか…」
「……………」
白露草を持って、メサイア・アルカンシエルへの牽制を済ませ、ともかく今はニスベルさんの元へ戻ろうとウルサマヨリに急いだエリス達だったが…、彼の研究所の扉を開けたエリス達を待っていたのは。
「……血?」
そこには、荒らされ回った形跡のある研究所と…誰かの物と思われる血がべっとりとついた壁が残り…、足元には…頭を撃ち抜かれ死亡したニスベルさんの遺体が、転がって…。
「………誰かが、研究所を襲撃した…」
「…………」
「何者かが…ニスベルさんを殺した…!」
「………」
「また…始まるのか…ッ!ここで!」
もう数度味わった屈辱と恐怖、濃厚な死の気配と血の匂いの只中にはいつも奴らがいる。破壊と殺戮を撒き散らす…『否定』の権化。
エルドラドで引き起こされた死の螺旋、チクシュルーブで蔓延した生命否定…、それと同じことがここで起こる。またも…八大同盟達によって。
「ッ…メサイア・アルカンシエル……ッ!!」
拳を握り、怒りを露わにする。…エリスがじゃない、いつも怒りに狂うエリスの手を引いて止める側に立っていたはずのデティが、見たこともない形相で歯を食い縛り、涙を堪えて…怒っていた。
始まってしまったのだ、メサイア・アルカンシエルとエリス達の…死闘が。