599.魔女の弟子と魔薬の極意
「何したら腕がこんな風になるのさー!」
「す、すみません…修行で新しい技を手に入れて、なりふり構わず使ったら…腕が爆発しました」
「あほーっ!」
エリスはトラヴィスさんの助言と師匠の残したアドバイスにより…新たな戦い方を見つけ、編み出した。それは今までのエリスのどの技よりも強く、どの戦い方よりも体に馴染んだ。これを完全なものにすればエリスの持つ全ての技はもう一段階上に登ることになる。
そんな確信を得られる程強力な技を手に入れた。…けどこれが凄い威力すぎたんですね、ちょっと失敗しちゃって…腕がグミみたいにぐにゃぐにゃになっちゃいました。骨が粉々なんですねぇ。
あんまりにも痛すぎてヘラヘラ笑うことしかできなかったエリスはそのままトラヴィスさんに担がれ、館で待機していたデティに治癒魔術をかけてもらい全回復、流石デティです骨が完璧に戻ってる。
「完璧です!ありがとうございますデティ」
「エリスちゃんさぁ、私言ったよね!無茶したらもう治さないよって!」
「これは無茶じゃありません、事故です」
「どうせ無茶な修行したんでしょ?」
「いやぁまさか腕が吹っ飛ぶ威力が出るとは、咄嗟に力を抜いてなければ肩から先がありませんでした」
「なんでそんなヘラヘラしてられるの…」
別にヘラヘラしてるつもりじゃないんだけどなぁ。ただまぁちょっと浮き足立ってはいる。先程はヘマをしたがやりようはあった、より強くなる道筋が見えた、今まではあやふやでしかなかったエリス自身の強さの道。それが明確になったんだ、痛い事とかはどうでもいい。
ワクワクしてきた、エリスどれだけ強くなれるんだろう。あー!早く手がつけられないくらい強いやつと戦いたーい!
「エリスちゃん」
「ん?なんですか?」
「無茶はもうやめてよ、本当に」
「分かってます分かってますって」
「…………」
次同じ事をした時、また腕が吹っ飛んでたら意味がない。一撃打ったら腕が使い物にならなくなる技は技とは呼ばない、自殺だ。だがそうならないようにするための手段はある。次はインパクト同時に防壁を展開してみるか?それとも腕が壊れないくらい魔力遍在を高めてみるかなぁ。
うーん!一気に道が開けた気がする!久しぶりだなぁこの感覚!戦法を一つに統合したのに出来ることが一気に増えた!これからはこの戦い方を一生かけて極めていこ〜う!
「あ、そう言えばデティ」
「なにさ」
「何不貞腐れてるんですかぁ、それよりデティは修行しなくてもいいんですか?魔力覚醒の修行」
「え!?あー…一応私も修行してるよ、エリスちゃんに追いつけるように」
「ふーん…、じゃあエリスが手伝いましょうか!」
「別にいいよ、エリスちゃんはエリスちゃんの修行に専念して。実は私これから行かなきゃいけないところが出来ちゃってさ」
「へ?今ですか?」
「うん、どっから漏れたのか知らないけど私がこの街に居るのバレちゃったみたいでさ。街の研究所に顔出してくれってさ」
「行くんですか?」
「まぁどの道数週間後に開催する会議に参加して欲しいってイシュ君に誘われてたし…、その時大々的に顔出すよりいいかなーってさ。いいですか?トラヴィスさん」
「構わないが危険だと思いますよ?この街において魔術導皇がどういう存在か…貴方なら理解出来ると思いますが」
「う…ま、まぁうまくやりますよ。私ならほら、………狭いところ入れるし」
不服そうだ…けど確かにこの街において魔術導皇がどう扱われるかは例の本屋の一件で理解出来る。一歩出るだけでもうてんやわやだろう、…確実に護衛が必要だ。
けど、トラヴィスさんでは護衛どころか逆効果になりそうだし、アンブロシウスさんは今ネレイドさんの修行をしてるし…うん。
「じゃあエリスがデティの護衛します、ついていってもいいですか?デティ」
「え?いいけど…いいの?修行は」
「休憩です、闇雲に体動かし続けるばかりが修行じゃありません、今は使い方を考えたいので…それにデティが不在の状態でまたあの修行をするのは怖いですし、その研究所への挨拶ってそんなに時間はかからないでしょう?」
「ま、まぁ」
「なら行きます!エリスなら乱暴な奴がいても投げ飛ばせますから!」
「あはは……まぁ確かに、今のエリスちゃんを置いて行ったら、帰ってくる頃には原型留めてなさそうだし、いいよ!一緒に行こう!」
「はい!」
エリスが一緒ならデティを危ない目に遭わせることもない。何より今は時間が欲しい。
新しい技を作ったとは言え、それは謂わば鉄鉱石を掘り当てただけに等しい。ここから鉄鉱石を鋳造して、磨いて、削って、付け足して、そしてようやく鉄は剣となり振るう事が出来るようになる。
闇雲に体を動かして怪我ばかりするより、まずは戦いの理論を自分の中で形成する必要がある。つまり今は磨く段階、落ち着いて考える時間が欲しいんだ。
「よし!じゃあ行きましょう!」
「うん!」
「夕食までには帰ってきなさい」
「はーい!」
何より、エリスはまだこの街のことをよく知らない。始めてきた街なのに見て回らないなんてエリスの中の好奇心が黙ってない、というわけで行ってきますか!
………………………………………………………
「こうしてデティと二人きりで出歩くのってメチャクチャ久しぶりでは?」
「え?あー…確かに…私なんだかんだアマルトやネレイドさんと一緒にいるしね」
そうしてエリス達は館を出て久しぶりにウルサマヨリの街へと降りる事になる。時刻はお昼頃か…人達も多く街は一日で一番の賑わいを見せている。しかしやはりというかなんというか…外部から街を訪れた人間はいないのか、旅装の人間は全くいない。
立地が立地だけに冒険者も立ち寄らないんだろう。街を歩くのは街の人間だけだ。そんな中にエリス達は混ざるように二人で歩く。
こうしてデティと一緒に二人並んで歩くのは…ディオスクロア大学園以来か。なんかデティとの関係が当たり前になり過ぎてあんまり意識してなかったけどエリス達はあまり二人きりにはならないな。
「一番長い付き合いなのに不思議ですね」
「だねぇ、なんか私エリスちゃんの存在が当たり前になり過ぎてて忘れてたけど。私達他の誰よりも長い付き合いだったね」
エリスとデティは一番長い付き合いだ、古い付き合いで言えばメリディアになるが長い付き合いはデティだ。エリスが一番最初に出会った魔女の弟子にしてそこからずっと手紙でやり取りして、学園では一緒に戦って、そうして今こうして一緒に旅をしている。
友達に優劣をつけるわけではないが、やっぱりエリスの中でデティはなんだか一つ別の枠に入っているような気がする。言ってみればそう…。
「これが幼馴染って奴ですか?」
「かもねぇ〜!」
ニタニタと嬉しそうに微笑むデティの手を握る。しかし相変わらずちっちゃいなぁ。
「今ちっちゃいって思ったでしょ」
「え!?あ!魔力読むのはやめてください!」
「読まなくても分かるよ!そういう顔してたもん!一番長い付き合いだからね、顔見ただけで考えてることは分かりますー!」
「ぐっ…すみません」
「別にいいよ、エリスちゃんだから特別に許したげる」
「やったー!」
そうやって歩いていると次第に周囲がざわめき始める。そろそろデティの存在が気付かれる頃か…。
デティ曰く何処からかデティの情報が漏れていたそうだ、つまりこの街でなデティの存在は既に知るところとなっている。普段はステラウルブスの白銀塔ユグドラシルの奥に居て、謁見しようにも数々の条件を満たさねば会うことも叶わない天上の存在。それと直接話が出来る機会が巡ってくるんだ。
魔術師たる物この機を逃すわけには居ないだろう…故に。
「あれ、まさかデティフローア様じゃないか?」
「あの容姿…間違いない、噂は本当だったんだ…」
「おお…至上の天才だけが放つオーラ、私には分かるぞ…」
「…………」
周囲の魔術師達が色めき立つ、そいつらが放つ気配と言ったらなんとも怪しげで…なんだかとても恐ろしい。特にデティは他者の魔力を感じ取れる…そいらつが何を思っているかも如実に感じ取れる。
だからだろう、デティは周囲の奇異の視線をより一層感じ取り…エリスの手をキュッと握り体を寄せてくる。怯えている…と言うより、嫌悪しているのか。この視線を…なら。
友達として露払いをするべきか…。
「で、デティフローア様!デティフローア様ですよね!実は我が研究を見てもらいたく───」
一人の魔術師が空気を読まず、デティに突っ込んでくる…が。その足が、口が、体が…デティを前に停止する。思い改めて話しかけるのをやめたか?デティを前にし話しかけるのが恐れ多くなったか?…どちらも違う。
「お、おや?なんだ?私の足が動かない、震えて力が入らない、おまけになんだこれは、冷や汗が止まらない。いや汗だけじゃない動悸も異様だ体温も下がるなんだこれは!これは…恐怖!?」
恐怖だ、人は何も感じず底の見えない穴に足を踏み入れる事ができるだろうか?いいや出来ない、人としての本能が体を縛り拘束する、進めば死ぬと分かっているなら人は動けなくなるものだ。
魔術師は今恐怖している、ガタガタと震え恐怖する、何に恐怖する…?決まっている。
エリスにだ。
「……………」
「ヒッ!?悪魔がいる!?悪魔なんているのかこの世に!?」
エリスの眼光を受け魔術師達が恐怖し道を開ける。大地が鳴動するような音を聞き、白く輝くエリスの睨みを受け全てが道を開ける。これぞ師匠直伝『殺しの眼光』…魔獣だってビビらせる超威圧術だ、
これにより魔術師達を近づけさせない、意志を無視した本能に訴えかける恐怖の波で…全てを遠ざける。来れるモンなら来てみろ…デティには近づけさせません。
「さ、デティ…行きましょう」
「う、うん。エリスちゃん時々人間やめるよね」
「デティの為ですから」
ギッ!とエリスが右を向けば魔術師達は右へ右へ動いて逃げていく。ギロッ!と左を見れば左へ左へ逃げていく。ガガッ!の前を見ればババッ!と道が開く。よし…逆らう奴はいないな。
『なんなんだあの怪物』
『見ただけで人に本能的な恐怖を植え付けたぞ、興味深い。興味深いがそれ以上に普通に怖い』
『あんな恐ろしい顔の生き物がいるんだなぁ世の中には』
なんか奇異の視線がエリスに移っただけな気がするが…問題ない。デティが嫌な思いしないならなんでもいい。
「それで研究所ってのは何処ですか?」
「あっちの方」
「なるほど、理学院みたいな感じですか?」
「あそこまで大規模じゃないけど似た感じ」
魔術研究所かぁ…なんの魔術の研究してるんだろう。エリスも魔術師の端くれだから気になる…。面白い魔術を研究してたら教えてもらえないかな…ってトラヴィスさんに言われたばかりじゃないか。闇雲に手札を増やす段階は終わったって。
なんて話をしながらエリス達は街を歩く。本当はもう少し店を見て周りたかったがそう言う空気でもないので致し方なし。エリスはデティの案内で街の路地を通って研究所とやらを目指す。
「ウルサマヨリにはね、魔術を研究する機関がいっぱいあるんだよ」
「たくさん?魔術の研究をするのにそんなにたくさんの機関が必要なんですか?」
「そりゃあまぁ一口に魔術って言っても分野で枝分かれするし、みんな研究したい分野を思うがままに研究してるからこの街には数十近くの研究機関があるの。今無い分野の研究も誰かがしたくなったらまた新しく出来るんじゃないかな」
「そんな簡単に研究機関って作っていいんですかね…」
「まあダメなことはないよね、余程変な研究でもない限りは」
ふーん、エリスは研究者じゃないからよく分からないがそんなモンなのか。まぁそう言う風に研究する人達がたくさんいて、そう言う人達が作る魔術が更に枝分かれして、今現在世界には多種多様な魔術が存在しているわけだしね。
そしてその源流が古式魔術と。そう考えると源流となる古式魔術を作ったシリウスはある意味全ての魔術研究者の母とも言えるのかもしれない。アイツが母とか絶対嫌だけど…いやある意味楽しいか?
「ん?でも研究するにはお金が必要ですよね。みんなどうやって稼いでるんですか?」
「一つは作った魔術を承認してもらって、それを世界に配布して使用料を貰って稼ぐ。と言ってもこっちは人一人が暮らしていける程度のお金しか出ないから…メインは理学院からの研究費かな」
「理学院が面倒を見てるんですか?」
「一応理学院はマレウス魔術研究の権威だよ?研究所を開くなら理学院の傘下に入らなきゃ」
「なるほど…え?じゃあその数十ある研究機関って…」
「全部理学院の下部組織ってことになるね」
「はへぇ〜…手広くやってますねぇ」
魔術理学院…って言ったらコバロスさんのアレや、この間見かけたファウストが所属する組織か。理学院そのものは秘匿されつつも、その下部組織自体はこうして街中に普通にあるのか。
「この街の至る所にある研究所、街の魔術師は殆ど理学院の下部組織に属している。…この街において領主のトラヴィスさんと学院長のファウストってどっちが偉いんですか?」
「街の人的にはトラヴィス卿、魔術師としてはファウストかな…」
「なるほど」
なんて話をしていると…見えてくる、明らかに民間の施設ではない公的施設館漂う白い壁と四角形の建物。アレ絶対研究所だ…と思っていると入口らしき扉の前で何やら見窄らしい壮年の男性が立っているではないか。
「あれ?」
「だーよ」
デティは頷きながらその研究所に歩み寄る。見たところ大きな感じはしない、一軒家を二つくっつけたくらいの大きさだ…いくら呼ばれたからってデティが態々ここに来るなんてことあるか?
だって、デティって魔術導皇だよ?魔術界の権威だ、そんなデティが態々足を運ぶなんて…。
「こんにちわ、貴方がニスベルさんですか?」
「え?あ!貴方があの…!申し訳ありません態々御足労頂きまして」
すると髭を蓄えた壮年の男性、緑のローブを着込んだニスベルなる人物は歩み寄ってきたデティに仰々しく礼をする。見た感じ彼がこの研究所の代表って感じか…。
「まさかデティフローア様にお声掛けして…返答をもらえるとは」
「面白そうな研究してたからね、是非見たいなって」
「そう言っていただけるとありがたい。それでその…隣の方は?」
「あ、私の幼馴染のエリスちゃん。彼女も同行させたいんだけどいいかな」
「幼馴染、なるほど。この方が例の…ええ構いません、どうぞどうぞ」
エリスが一言も発さないうちに物事が進んでく。しかし幼馴染かぁ…やっぱりデティの口からそう言われるとなんだがむず痒いなぁ。
「ではどうぞ、こらちに。研究成果もお見せいたしますので」
「ありがとう、ほらエリスちゃん行こう?」
「え、ええ。でもデティ?いいんですか?」
「何が?」
「ほら、前理学院に行った時はもっとビシッ!としてたのに、今はそんなほにゃにほゃで」
「理学院に行った時は公務だったから、今はプライベートだし」
「なるほどそう言う分け方なんですね」
と言うことはここの研究成果はデティが個人的に見たいと思えるほどのものなのか、そいつはいい。これはいいものが見れそうだ…と思いながらエリスはデティに続いてニスベルさんの後を追い、研究所の中に入る。
すると、外面は白い壁面に覆われたシンプルなデザインだったが…内部は意外としっかりしており、確保された広いスペースに各所に置かれた研究用の大型の机、そして何に使うか分からない器具。トラヴィスさんの研究室と似た空気感を感じるに多分ここはそれなりに良い研究所ということだろう。
「ようこそデティフローア様、我が研究所『マニマニ』へ」
「マニマニ…」
変な名前だな…。多分アマルトさんが居たらゲラーッ!って笑ってたと思う。
「ふむふむ、研究員の数は多くないんだね」
「ええ、私含め十人いかない程度です。研究所としては小規模で理学院から降りてくる研究費も少なくて…なんて話をしても仕方ないですな」
あははと話し合うデティとニスベルさん、二人は研究所の至る所で魔力を動かしたりポーションを作ったりする研究者達を眺めている。人数としては少ないが、それを苦にしている様子もない。文字通りやりたい人が集まってやりたい事をやっている…といった感じか。
そこでエリスはようやくこの街に研究機関が濫造している事の本質に気がつく。つまりこの街には『やりたい事』が溢れているんだ、魔術師達はこの街に研究する為の環境を求めてやってくる。ならその後は何をする?やりたい事をやるんだ、治癒を研究したい人は治癒を、属性を研究したい人は属性を、その過程で同じ研究をしている人たちで集まった方が効率が良いことに気がつき、結果研究機関が増える。
なるほど、この街全体でこう言うことが起これば…まぁそうなるか。
「この研究所では何を研究してるんですか?」
そうエリスが問いかけるとニスベルさんはニコリと微笑み、近くのビーカーに込められた紫の液体を手に取り。
「我々はね、ポーションの研究をしてるんです。治癒のポーション…それも次世代の治癒です」
「次世代?」
はて、と首を傾げる。治癒のポーションといえば今世界で最も普及しているポーションだ、使えば傷を治し、ある程度鎮痛の効果もあり、危険の伴う旅においては必需品と呼んでも良いくらい重要な物。
エリス達もその効果には何度も助けられてきた。けど…次世代ということは更にそこから進化した代物になるんだろう。事実治癒のポーションと言えば濃い緑なのにこれは紫色だ。
「ええ、治癒のポーションと言えば傷を治すポーションという印象があるでしょう」
「はい、というか実際そうですよね」
「起こっている現象を説明すればそうですが、その内部構造を分解すると違います。そもそも治癒魔術と治癒のポーションは回復工程が全く違うものだという事が最近分かったのですよ」
「え?そうなんですか?デティ知ってました?」
「発見者私」
あ、そうですか。まぁそうですよね、治癒のエキスパートですし…にしても、ポーションと魔術では回復の工程が違うとは驚きだな…。だってどっちも同じ『治癒』だ、なら工程も同じだと思って然るべきだろうし、何よりポーションは『薬物で魔術と同じ効果を出すもの』だから、治癒の魔術とポーションが同じものというのは皆無意識的に思っているはずだ。
「まず治癒ですが、術者により被術者の生体的なエネルギーを媒体としてそれを増幅させることによって治癒を行うのです。言ってみればあれですね、超高速で瘡蓋を作って再生させるのです、傷が出来ても人の体は上手い具合にそれを塞ぐでしょう?それの応用なのです」
「へー、全然分かりません」
「一方治癒のポーションは肉体面には影響を出さず、魂の方に影響を出すのです。体に取り込む事で血液と混ざり合い、その過程で魔力を溶け合う事で魂に影響を出す。肉体が欠けると魂も少なからず欠ける、その欠けた部分をポーションにより発生した魔力で補って、回復させてきたのです」
…む、あ!そういうことか。つまり魔術は肉体そのものに備わっている再生能力ベースで、ポーションは欠けた部分を外から粘土みたいに補強する仕組みなのか。
と言ってもこの双方に大した差があるわけではない、どちらも再生させるという点では同じだし、一本のポーションで補強出来る範囲は現代治癒と大体一緒だ。
「因みに古式治癒はポーション寄りの効果を持ってるよ、だから現代魔術では不可能な失った腕の再生とかも出来るの」
「へぇ、古式治癒は魔力で魂を補っていたんですね。そう考えると…ん?」
ふと、考える。エリスは今大した差はないと考えたが…これは大きな間違いかもしれない、だって古式治癒と同じ魂に作用するなら…ポーションにも出来るんじゃないか?
だって、デティの古式治癒と世に溢れる現代治癒は、そもそも効果が根本から違うし、もしこれをポーションで再現出来たら…」
「お気づきになりましたか。この次世代のポーションはなんと、傷だけでなく失った魔力まで回復出来るのです。つまりより古式治癒に近しい効果を発揮出来るのです」
「えぇっ!?それ凄くないですか!?」
基本、魔力は一度消費してしまえば休息以外での回復方法はない。魂が生み出したエネルギーの余剰分が魔力なんだ、つまり時間経過以外での回復は難しい。が…そんな点を無視して回復させる方法が実は一つだけある。
それがデティの古式治癒魔術。あれは傷どころか体力や魔力まで回復させる。はっきり言って反則に近い大技だ。これがあればエリス達はほぼ無限に戦い続ける事ができる。
何故古式治癒が現代治癒と違って魔力まで回復できるか。それは前途の通り魂そのものに作用してるから、であるならば同じ工程を辿るポーションでも同じ事が出来るんだ。
飲めば魂を補完しより一層魔力を生成させ、魔力まで回復させるポーションが。
「そんなもの出来たら世の中凄いことになりますよ」
「ええ、戦場での魔術師の価値が飛躍的に上がり、冒険者の比率も魔術師が多くなり、そして魔力消費を気にせず魔術研究が可能になる。世の魔術師全員が生涯で撃てる魔術の総回数が劇的に向上するのです」
魔術師最大の弱点が魔力切れだ、魔力切れが怖いから魔術師は戦場では弓兵よりも後方でいざという時にしか攻撃出来ない、冒険者も魔力の無駄な消耗を抑えるために前衛職の帯同が基本だし、魔術研究を行うために必要な魔力もまた膨大。
それら全てを解決する可能性があるのがこのポーション。文字通り次世代だ…。
「なるほどデティが態々見にくるわけです…」
「うん、これがあれば出来ることがグンッと増える。救える命も増えるし、何より魔術界が発展する。だから私はニスベルさんを応援するためにここに来たの」
「いやはや、ですがこれはまだ開発途上でして…デティフローア様の論文を見てもしやと思い研究しているのですが、魂は未だ不明な点が多く、何より人体的な実験も不可避な為研究も難航しており…是非ご助言願えればと思い、連絡させていただきました」
なるほど、そういうことだったのか。この次世代ポーションが完成すればより一層世界は潤うだろう、魔術師は今世界で最も重要な存在、それが活躍できれば救われる命も増える。というデティの理屈にも合致する。だから態々時間をとって見に来たのか。
「いいよ、協力する。古式治癒と同じ理屈で動くポーションなら私の力が役に立つだろうし」
「これはありがたい、でしたら早速古式治癒を見せていただきたいのですが」
「いいよ、じゃあエリスちゃん。ちょっと怪我して」
「え?いいですよ」
そう言ってエリスは拳を壁に叩きつける。それも割と遠慮なく、岩の壁にエリスの拳の跡が残り、エリスの手も皮が剥げ血が溢れる、感触的に骨もいったかな。まぁデティの役に立てるなら別に…ん?
「えぇ…」
「た、頼んでおいてなんだけどエリスちゃん遠慮なさすぎ…」
「えぇーっ!?なんでエリスがドン引きされてるんですか!?頼まれたことやっただけなのに!」
ニスベルさんもデティもエリスを見てドン引きしてる、特にニスベルさんなんかは青い顔をしてエリスを狂人でも見るような目で見ているではないか。なんでそんな目をされなきゃならんのだ、エリスはただ怪我しろと言われたから怪我しただけなのに。
「エリスちゃん私怖いよ、私が死ねって言ったら死ぬんじゃないかって」
「別に言われただけじゃ死にませんよ、死ぬほど辛いですが、というか痛いから早く治してください」
「あ、お待ちください。こちらの器具を体につけてからにしてください。でないと魔力の動きが見えませんので」
「あ、はーい」
そういうなりエリスはニスベルさんに渡された腕輪のような器具を取り付け、椅子に座るよう指示される。なんだか心外だなぁ…エリスが言われたことなんでもやる奴だと思われるなんて。
「おほん、取り敢えずニスベルさん。よく観測しておいてください」
「はい、しかと」
「じゃあエリスちゃん、行くよ」
「お願いします」
そして、デティは静かに目を閉じ息を吐くと…その手に魔力を集め…。
「癒せ…我が手の中の小さな楽園を 、癒せ…我が眼下の王国を、治し、結び、直し、紡ぎ、冷たき傷害を、悪しき苦しみを、全てを遠ざけ永遠の安寧を施そう『命療平癒之極光』」
『命療平癒之極光』…デティが持つ古式治癒の中で最もスタンダードな技、対象範囲は狭く基本的に一人にのみ有効でありデティの持つ治癒魔術の中でも屈指の回復量を誇り、この魔術にかかれば腕だろうが脚だろうが何が無くなっても元に戻せてしまう。
右腕を失ったルードヴィヒさんだがもしエリス達が即座にデティを連れて戻っていれば、彼は腕を失うという結果にはならなかっただろう。
それ程の回復量を誇りながらなんとこの魔術、疲労感や魔力までも回復させてしまうのだから恐ろしいところだ。回復させられないのは病や毒と身体的消耗、つまり空腹感や血中成分など経口摂取でしか得られない栄養素などは回復出来ないが…逆に言えば戦闘で必要な物は全て取り戻せる。
「なんて埒外な…」
デティの魔術を受け回復していくエリスの手と、その魔力の動きを見ながらニスベルさんは思わず目を見開きその様を凝視する。他の研究員も殺到しメガネを外したり目を擦ったりしながら信じられないものを見るような目でそれを確認する。
古式治癒は正確に言えば治療ではなく欠損部分の補完。そんな話を聞いたからこそ思う、確かにこの魔術は埒外だ。古式魔術の中でもぶっちぎりの反則技だ。
そうこうしている間にエリスの腕の怪我はみるみるうちに治り、骨も裂傷も消え去り完璧な形で元に戻る。
「ありがとうございます、デティ」
「どーいたしまして、で?どうでした?ニスベルさん」
「……いやはや、驚き…という言葉で言い表していいのかこれは」
エリスの身につけていた機器から弾き出される様々な資料に目を通しながらニスベルさんは脱力したように座り込み。乾いた笑みを浮かべる。
「まるで我々の存在を否定されたようですよ」
「え?なんでですか?」
「……現代魔術は、古式魔術をより使いやすい様に改良されたいわゆる劣化版…と魔術史学ではよく言われますが、これはまさしくその証明になる結果と言える。…完璧なんですよ」
「完璧…?」
「魔力運用、魔力配分、魔力操作、詠唱によって魔力を動かしそれによって得られる効果を150%引き出している。古式魔術は古式魔術という形で完成されていた…こんな完璧な形を崩し、現代魔術という形に作り変えてしまった我々はなんと罪深いのか…」
これを組み上げた魔術始祖は一体どれほどの天才だったんだとニスベルさんは資料を見ながら頭を抱え涙ぐんでしまった。なんでそんな泣いてるんだろう…いやまぁ古式魔術が凄いのはよく分かる。
エリスは小さい頃から古式魔術を使用し続け、未だ極めるに至っていない物の…それでも分かる。古式魔術は魔力を用いる方法に於ける一種の完成形、極致なのだと。
現代魔術も魔力闘法も、極められた古式魔術には及ばない。それは古式魔術が使用魔力に対して抜群の効果を発揮する、つまり費用対効果が釣り合っていない、効果があまりにも大きすぎる。専門家だからこそ分かるのだそういう部分が。
「ニスベルさん」
「はっ…」
しかし、その感動は…デティの言葉により引き戻される。あまりにも冷たい、冷淡な言葉によって。見てみると…デティは怖い顔をしていた、まぁ…面白くないか、現代魔術を馬鹿にされてたわけだし。
「ああえっと、この反応…どう思う」
「えーっと…」
そうしてようやく研究者達は古式治癒の研究資料を見てあれやこれやと話し合う。にしても凄いな、今はああやって機器を接続することで古式治癒の詳しいデータを図面で把握出来る様になっているのか。
ということはあの資料には今古式治癒の詳しい仕組みの様なものが記されているということになるのかな、ちょっと見てみたいけど…エリスが見てもわからないだろうなあ。
「それで、どう?何か役に立てた?」
「はい、デティフローア様。どうやら我々の試みは根本から間違えていた様です…古式治癒は術者の意識で魂の補完部分を認識している様で。術者の存在しないポーションではこの部分が難しい様です…」
「ふむふむ…」
そう言ってデティは資料を見る。すると彼女は数秒考えた後…。
「それならここの部分は魔力伝導吸着を応用すればいいんじゃないかな」
「魔力伝導吸着…ああ!その手がありましたか!」
「それとこのポーションの材料、これ…ノネキの草だよね?これ要らないから別のに変えよう、マテリアルグラスの方が効率がいいかも」
「た、確かに…」
「後はこの湯煎の時間、二分って書いてあるけどそれだとちょっと長すぎるよ、一分と四十八秒。これがベストかも」
「お…おお」
出る出る次から次へと出てくる出てくる、改良点から改善点、おまけに指摘にダメ出し、どんどん出てくる。相変わらず魔術関連に関しては本当に他の追随を許さない、今ここにいるのは全員専門家のはずなのに誰も口出しが出来ない。
「材料の在庫はある?私が試しに作ってみるよ」
「えぇっ!?ですが魔術導皇だけが作れても再現性が…」
「大丈夫、私が作れるってことは少なくとも人間には作れるってことだから、私がそれなりにレシピっぽくしあげるよ」
「う、は…はい」
デティも大概めちゃくちゃでは?と思ったらデティ…顔が物凄い楽しそうだ、多分…彼女的にはこう言う魔術的な研究が楽しくて楽しくて仕方ないんだけど。なんせ彼女もまた魔術研究者、普段はあんな感じだけどエリス達の中で一番知識があるのが彼女なんだ、
「こ、こちらです」
「ふぅーん…品質は上々、保管環境も悪くない、いいね」
そう言うなりデティはなんかよく分からない草を纏めて受け取り、品質をチェックする…がエリスには何も分からない、これはどう言う物なんですか?って聞く前にデティは一気にそれらをナイフで切り刻んで必要な部分と不必要な部分を切り分け、近くの小さな鍋に突っ込み火をつけ始めたのだ。
あ、マジでポーション作るんだ…。
「………………」
「………………」
エリスもポーションは作ったことがある、下手だったけど。だからこそ作り方はわかる、鍋に火をかけ、水を気化させつつ不必要な成分を飛ばし、必要な成分を魔力で増幅させたり変質させたりしながら棒でかき混ぜ、作り上げる。
煮込む時間も重要だ、煮込み過ぎると質が落ちる。だから必要な工程を時間内に終わらせる必要がある、これが難しいんだ…なんせ触れずに魔力を飛ばして成分を変えなきゃいけないんだから。本当にいろんな事に気を遣わなきゃいけないのがポーション作り…それに。、
「デティ、丁寧に作りますね」
「そう?普通じゃない?」
「師匠は料理用の鍋とお玉を使って作ってましたから」
「前も言ってたねそれ…言っとくけどそれが異常だから」
師匠はエリスの前で適当に治癒のポーションを作り、それで古式魔術級の回復力を再現してた。確かに今思えばあれは普通に異常だ、だって途中で『やべっ』とか『あっ』とか言いつつも完璧に仕上げてたんだもん。
「………ダメだこれ」
「え?」
「これ完成しない」
いきなりデティは鍋をかき混ぜる手を止めると同時に鍋を温める火に水をかけ、ダカダカ走って資料を持ってきて内容を確認しつつ今使った材料をそれぞれ数え、やっぱり完成しないと小さく頷く。
「ど、どうされたのですかデティフローア様。一体何が…」
「これ完成しないよ、効果が大き過ぎる…それぞれの要素が強過ぎてお互いを補完しない、だから効果がてんでバラバラになっちゃう…」
「強過ぎて?なら弱くすれば…」
「それじゃあ魂に魔力を生成させるだけのエネルギーが作れない…、効果癒着限界点…基礎の基礎を見落としてた…」
「えっと、デティ…どういう事ですか?」
そうエリスが問いかけると、どうやらポーションとは複数の要素、複数の効果を重ね合わせ一つの効果を作っていく物らしいのだが、ポーションとは無制限に効果を強くし続けることはできないらしい。
例えば治癒なら、魂干渉の効果と欠損部補完の効果、そして微量の生体エネルギー増幅の三つの効果をそれぞれ均等に配分しそれぞれを癒着させる必要がある。だがそれぞれの効果にはある一定以上の強さにすると他の要素と混ざらないと言う特性がある、それが『効果癒着限界点』。これを超過するとそれぞれの効果が癒着せず意図しない作用を引き起こし具体的に言うなれば完成しない、とでも言おう。
つまるところそれぞれの要素の強弱を調整し、上手く効果を癒着させ一本化させて作るのが上手いポーションの作り方らしい。
良質な素材を使うと効果の強化限界点が上昇するらしく、そう言う意味でも素材は選んだ方が良いとのこと。しかし師匠は雑多素材で良質なポーションを作ってましたと聞くが…あれは師匠達レベルの魔力操作があってこそ出来る絶技、素材の質を無視して限界点を大幅に超過させつつ他の要素とも混ぜ合わせる意味不明な技術らしく、そう言う意味でもあの人達は異常なのだ。
今このポーションを作るには合計六つの効果をある一定以上の水準にしなくてはならない、しかしその水準というのが効果癒着限界点を超過する物らしく、詰まるところこのポーションは作れないのだ。
そう説明するなりデティは椅子に座り、頭を抱え始める…。
「効果癒着限界点をなんとかクリアしないと…、もう一回材料比を見直して…いやそもそも別の素材に、でも今この状態がベストでもあるし…じゃあ製法?何かあったかな…」
素材を足したり引いたり、そもそも式を変えてみたり、様々な方法を模索しつつそれらを紙に書き留めるデティは既にニスベルさん達そっちのけだ。
「効果癒着限界点ですか…」
すると、ニスベルさんは顎に手を当て…暫し目を閉じると。
「そういえば、白露草は…」
「何?」
ニスベルさんが何か言いかけた瞬間、デティはそれに反応し飛び上がるように椅子から降りてニスベルさんに歩み寄る、その圧にニスベルさんもギョッとしつつ…。
「あ、いえ…白露草ならばその問題を解決できるかと」
「白露草?そんな草…聞いたこともないけど、アジメクにも無い草なんてあるの?」
「はい、と言っても私も実物を見たことはないのですが…少々お待ちを」
すると、ニスベルさんは本棚にしまってある埃を被った植物事典を抜き取ると、パラパラとページを開き…。
「実は数年前、この街のポーション学者が南部の密林の中で見つけたとされる未発見の植物『白露草』を持ってきましてね?なんでもそれは混ぜるだけで効果癒着限界点を超過させても効果を組み合わせる事ができる凝固剤のような役割を果たしてくれるようで…」
「そんな出鱈目な素材が南部にあるの?ならなんで誰も使わないのさ」
「それが、その学者が利益を独占しようと在処を誰にも言わず…、オマケに彼は白露草を使ってどこまで効果を引き出せるかの実験をしてる最中に、そのポーションが爆発して還らぬ人となって…」
「在処が誰にも分からなくなっちゃった…と」
「はい、この辞典は奴が書いた物ですが…、在処までは書いておらず。ウルサマヨリの学者の中にはそもそも存在すら疑っている者も多いです。まぁ私もその一人なのですが…」
「でもそれがあればこのポーション出来るよね、分かる範囲でいいから場所教えて、今から取ってくる」
「今からですか!?それもデティフローア様自ら!?危険です!密林には魔獣が…」
「問題ないよ、私には食物連鎖の頂点が護衛にいるんだから…ね?」
「ん?エリスですか?勿論!」
なるほど、その白露草とやらを取りに行けばいいんだな。しかし白露草か…エリスも聞いたことのない植物だ、植物事典を拝借しそのスケッチを見るに…うーむ、やはり見たことがない。
白い茎に白い葉、そしてみょーんと一本上に伸びた茎の先に丸い花が咲いている。まるで子供が書いた花の絵みたいな形だな。一体どこに咲くってんだ?こんなの。
「ほら、何かヒントない?今日中に帰ってきたいから出来れば正確な情報」
「う…ヒントと言われましても…、ああ。そう言えばアイツ、よく聖街シュレイン跡地に向かっていた気が…まさかあそこで白露草を?」
「シュレイン跡地?エリスちゃん聞いたことある?」
「………シュレインという名前は聞いたことがありますが、街はないですね」
シュレイン…という名前は、マレウスを旅していれば一、二回は聞くくらい有名な名前だ。されど街の名前ではない、シュレインとは…宗教の名前だ。
マレウスと言えばマレウス真方教会だが、真方教会が出来たのはマレウス建国後…つまり、それまでは各地にテシュタル教が点在する程度だった。そんな中、テシュタルより古くからこの地域で信仰されていた宗教がある。
それこそがシュレイン聖教、と言ってもテシュタル程カチッとした宗教ではなくシュレインのお守りを持ったり、教えを守ったりする程度で崇める神がいるわけでもない。だからかは分からないがマレウス建国後は地方に点在していたテシュタル教の収束とその際生まれる熱量によって掻き消され、マレウスの歴史から姿を消してしまった失われた宗教だ。
そんな宗教の街が…あるというのか。
「シュレイン教はマレウス建国後間も無く消えてしまいました。ですがシュレインを信仰する人間まで消えたわけではありません。彼らは自分達で街を作り、そこに住んでいたのです。それが南部の隠れ里聖街シュレイン…と言っても、これも数十年前のキングフレイムドラゴンの襲撃を受け壊滅、街は跡地となりそこに住んでいた人間は皆…」
「なるほど…、人はいなくなっても街は残ると、そのシュレインは何処に?学者一人が歩いて行ける距離ならそう遠くはないよね」
「はい、ここから南東の方に進んだ辺りに木々に囲まれた街があります。恐らく見ればすぐに分かるでしょう」
「オッケー、じゃあエリスちゃん。お願い出来る?」
そういうなりデティはポーチを持って旅装を整える、ここから南東か…学者が歩いて行ける距離ならエリスなら秒だ。デティを抱えて行っても今日中に帰って来れそうだ。
「よし、分かりました。では早速行きましょうか!」
「うん!じゃあニスベルさん!ちょっと待っててね!すぐ白露草持って帰ってくるから!」
「あ、ああ!はい!お願いいたします!」
そしてエリスはデティを背中に背負い、外に飛び出すなり風を纏って空を飛びシュレイン跡地がある方角へと飛び立っていく。
「行ってしまわれた…意外にアグレッシブな方なのか…」
そして、後から追いかけるように研究所を飛び出したニスベルは、空の彼方へと消えていくエリス達を見送り…呆然とするのだった。
…………………………………………………………………
「うひゃあー!エリスちゃんはやーい!」
「もっと早く出来ますよ!」
「あはは!密林が川みたいに流れてく!」
デティと共に、南部の密林を飛び抜けるエリスは木々の上を飛び越し、空を駆け抜ける。みんなで移動するなら馬車を使うしかないが…エリスとデティ二人だけなら態々歩き難い密林の中を進む必要はない。木を飛び越え空を進めばいい。
「でもエリスちゃん、ごめんね。エリスちゃんも修行があるのに…」
「別にいいんですよ。エリスはエリスのペースで修行しますから」
「でも感じてるんだよね…力不足」
「ええ、でも…エリスはエリスのペースで修行をするんです。例え周りにどれだけ強い人がいても、エリスはエリスの速度でしか進めないんですから、慌ててジタバタしたって仕方ないですよ」
「そうかも…だけど」
「それに修行しなきゃなのはデティもでしょ?帰ったら一緒に修行しましょ〜」
「うん!そこはうん!絶対ね!」
「はい!…む、見えてきたかも」
ふと、エリスは視界の端、密林の緑の中に…異物を見る。ニスベルさんの言った通りこの方角に何かあった、と言えことはそこがシュレイン跡地なのだろう。
そう思いエリスは一層加速し近づくと。
「えぇっ!?これ…街?」
「街というより…どでかい神殿じゃない?」
そこにあったのは、小さな街一つ分の大きさを持つ真っ白な神殿だった。それが密林の蔦や草に侵食されながらもドカンと一つ打ち立てられていた。
これがシュレイン跡地?街というより一つの神殿…そう観察していると。気がつく、この神殿…あちこちに穴が空いて壊れている。そしてその穴の中に幾つかの家屋らしきものが見える事に。
そこでエリスは一つの推察を立てる、聖街シュレインとは…一つの巨大な神殿の中に街を内包した街なのだと。というより街を神殿で覆ったと言った方が正しいのかもしれない。どうしてそんな作りをしてるのか分からないが…それを聞こうにも既に街の人間はいない。
開いている穴はどれも外側から圧力をかけられて壊されたような形状をしている。つまりニスベルさんの言ったキングフレイムドラゴンの襲撃を受けて滅んだのだろう。
「大きな穴…エリスちゃん、この穴…」
「はい、恐らく足で踏み潰したのでしょう…信じられないくらい大きいですね、これ」
街の中心に空いた穴、それは特に大きく鉤爪で引っ掻いたような跡もついていることからキングフレイムドラゴンが足で押し潰して出来た穴なのだろう。その穴のサイズは端から端までエリスが走っても一分くらいかかるんじゃないかってくらいの大きさだ。
足の大きさから体の大きさは推察出来る、恐らくだがキングフレイムドラゴンは…それこそ天を突くような身の丈だったのだろう。レッドランペイジも小島くらいの大きさだった、あれと同レベルの大きさの奴が歩き回って街を襲う、キングフレイムドラゴンによってどれほどの被害が出たか想像したくないな…。
「ん…?」
ふと、視線を横に向けると、神殿の向こう側に…何やら禍々しい山が見える。黒紫の煙をもうもうと天に発し続ける真っ白な山。どう考えても普通の山とは思えない何かが…見える。
あれってもしかして。
「もしかしてあれが焉龍屍山?」
マレウス三大危険地帯の一角に数えられる最悪の地、キングフレイムドラゴンの死体が残り続け、山となった『焉龍屍山』…通称マレウスの毒山と呼ばれる代物だ。マレウス南部の異常な生態系の原因と呼ばれており、あれが常に毒素を撒き散らし続けているせいでマレウスの生態系はおかしくなってしまったとマレウス南部理学院の院長コバロスさんは言っていた。
死してなお、世界に影響を与えるほどの大怪物…こうやって遠目に見ても見えるくらい巨大な死体か。本当に大きな魔獣だったんだな…ちょっと見てみたいかも。
「やめてよ、エリスちゃん」
「え?」
「見に行こうとしてるでしょ、あの山」
「わ、分かります?」
「伊達にエリスちゃんの幼馴染やってないよ。けどやめてよ、あの山が出してる煙…あれまじの有毒性ガスだよ、なんの防具も無しに足を踏み入れれば、多分人間は十分と生きていられない。
魔獣は死ぬと極めて不快な異臭を放つ、それは微量の毒を含んでいるらしく、長時間吸い続けると気分不良で倒れてしまうらしい。なら…オーバーAランクの大魔獣の死体はどうなる。
最早それは異臭どころの騒ぎではなく、文字通りの毒となるのだろう。…確かに、ここからでも危険な匂いがプンプンする、気になるが…下手に近づけば本当に死んでしまいそうだ。他の危険地帯とは比べ物にならない程激烈に危険な場所…ってことかな。
「今はあそこは無視、白露草を探しに行こう」
「りょーかい!」
クルリと一回転しつつ背負ったデティをお姫様抱っこしつつ、エリスは大きく開いた穴の中に飛び込み…シュレイン跡地へと降り立つ。
キングフレイムドラゴンがここを壊滅させてより数十年。人のいなくなった神殿街は既に密林に飲まれており、降りた先に広がる黄金色の煉瓦とそれにより形成される崩れた家屋は、緑と蔦を生え散らかしながら穴から降り注ぎ雨粒と光を求めて伸びている。
クルリと周りを見回すと、見た目よりも結構広くかなりのスペースがあるように思える。視界の先には闇が広がっており未だ全容は把握出来ない。
…うーん、ゾクゾクする。なんか冒険してる感が半端ないな、お宝とかないかな、ないよな、学者が出入りしてるわけだし。
「ふむふむ」
「ん?デティ何してるんですか?」
「ここら辺に生えてる草の性質を調べてるの」
するとデティはエリスから飛び降りると共にその辺に生えてる草を引きちぎり、ポーチの中に入っていたビーカーを持ってきた液体で満たし、その中に千切った草をポイポイと入れシャカシャカシェイクする。
草の性質を調べて何になるのか、わからないがエリスはその場に座り込みデティの作業終了を待つ…すると。
「うん、やっぱり…」
「何か分かりました?」
「このビーカーの中で軽くポーションを作ってみたの。そうしたら…想定よりも性質が癒着した。多分この街全体が特殊な植物の培養器として機能してるんだと思う」
「なんでそんな事になってるんですか?普通の街、いや廃墟ですよね」
「あの毒山から最も近い人工物はこの街、そして雨風を凌ぎ易くその上に独特の生態系を維持し易い環境。そこに…多分もう一つ何か要素が加わって魔力と親和しやすい植物が生まれてるんだと思う。そしてその中でも特に親和性が高いのが…」
「白露草ですか…」
「うん、こりゃあ〜強ち嘘とか噂じゃなさそうだなぁ〜、もし実在したら絶対アジメクに持って帰る、そしてそこで繁殖させて〜より強力なポーションを作って〜、あ次世代治癒ポーションの特許も買わないと」
よく分からないけどデティが楽しそうでなによりだ、彼女の助けになれたのならエリスも満足で…。
「ん?」
ふと、立ちあがろうと地面に手をついたその時…エリスは指先に違和感を覚えて手を戻し、違和感の残る指先を見る。
するとそこには…黒い泥が付着していたのだ。
「泥……?」
「んー?どうしたのエリスちゃん、何か見つけた?」
「はい、泥を見つけました」
「そんなもの見つけて何になるのさ…」
「何になるも何も…これ……」
エリスは即座に立ち上がり周囲を見る。ここは廃墟とは言え神殿の中、そこに泥があるのはどう考えてもがおかしいし周囲の環境を見るに地面は基本的に乾いている。それはここの石材が水捌けが良い素材で作られているからだろう。
なら何故指先に泥がついた?この黒い泥は恐らく外の土、つまり外から泥が運び込まれた。つまり靴の裏に泥をつけた状態でここを歩いた奴がいる。エリスはここに来るまで一度も地面を踏んでいないから足の裏に泥がつくわけがない。
ということは…。
「誰か、エリス達以外の人間が…ここを通った。それも本当についさっき」
「え…?もしかして、学者さんかな…」
「………デティ、こっち!」
「え!?」
ここを調査に来た学者が歩いて、泥がついたならそれでいい、だがそれは楽観が過ぎたと言わざるを得ない。エリスはデティを抱えて崩れた廃墟の影に隠れつつ…こちらに迫る影に視線を向ける。
あれは…。
『今声が聞こえた気がしたが…気のせいか?』
『入り口は見張っているんだ、最近誰かが出入りした様子もないしあり得ない話だろう』
『それもそうか、侵入者かと思ったんだが…』
(武装した兵士…?)
それは白い鎧を着て、銀の槍を携えた兵士だった。それが二人…エリス達を探すように周囲を見回している。あれが学者だってんなら逞しい限りだ…だが。
違う、断言できる。それは奴らの兜に刻まれた紋章が物語る…あれは。
「メサイア・アルカンシエル…」
街中でギャーチク騒いでたあいつらと同じ、金の翼が羽ばたく紋章が記されている。つまり奴らはメサイア・アルカンシエル?それもただただ抗議するだけの奴等とは違う。本物の魔女排斥組織…八大同盟としてのメサイア・アルカンシエル?
まさかアイツらもこの地に…。
「デティ、貴方なら気がつく筈です…この神殿に今、どれだけの敵がいるか」
「…ッ、ごめんエリスちゃん。白露草に気を取られて…今気がついた。いるよ、しかもこの神殿中に山程…あいつらみたいな存在が」
「…やはり」
つまるところ、エリス達はまたも…かち合ってしまったようだ。八大同盟と…偶然にも。
………………………………………………………
エリス達が立ち去ってから十数分後。ニスベル達が日夜研究に励む研究所はあれからどうなっていたか…、またいつもの研究に没頭していたか?
いいや、違う。エリス達と入れ違いになる形で訪れた来訪者達により…。
「んぐーっ!ぐーっ!」
手足を縛られ猿轡をされたニスベルは床に転がされ、…望まぬ闖入者達により荒らされる自らの研究所を眺め暴れていた。そいつらはいきなり裏口を開けニスベル達を拘束し、研究資料を漁り出し、次々と成果を持ち出し始めたのだ。
そう…つまり今この研究所は襲撃を受けている。それも襲撃しているのは…。
「こんなにも魔術の研究を…忌々しい」
「この研究所後と焼き払ってやりたい…」
白いローブを着込んだ悪漢達…今街で活動している魔術解放団体メサイア・アルカンシエル達だ。ただいつもは騒ぎ立てるだけで何もしない筈の連中がいきなり牙を剥いてきた、その事実も驚きだが…それ以上に。
…研究成果を持ち出そうとしていることが問題だ。奴らが一体何をしようとしているのか。理解出来ないながらもニスベルは暴れる…すると。
「うっ…うぅ…嗚呼、くぅ〜…なんて悲しいんだ…」
「んぐーっ!」
ニスベル達を監視するように、目の前の椅子に座る大男は、周囲のメサイア・アルカンシエル構成員達に命令をしながら…泣いていた。
「うぅ…うっ…うっ…」
顔を手で覆い、海藻のようなロン毛を揺らし、女々しい態度とは裏腹に鍛え上げられた体をズタボロのローブの下に覗かせる男は…慟哭していた。
「悲しい…悲しいぜ研究者さん達よ…俺ぁ悲しくて悲しくて涙が止まらねぇ…、分かるかいこの気持ちが」
「んぐっーっ!」
「何が悲しいって歴史さ、歴史が悲しいのさ…うぅ、迫害の歴史って言うのかな。本来なら…人と人に隔てりなんて悲しいモンは存在しない。俺とあんただって本当は肩を組みあって笑い合えた筈なのによぉ〜…悲しい、悲しいことに、こうなっちまってる…うあぁ…」
悲しい…悲しいと口にしながらも男の片手に握られているのは全弾装填されたリボルバーだ。それをちらつかせながら顔を覆う指の間から涙をポタポタと流す。
「迫害だよ迫害、人はさ…人を迫害するんだ。それが差となり違いとなり敵を生む…その際たる差とはなんだと思う。魔術だよ…魔術が使える使えない、上手い下手、強い弱い、これだけで一体どれだけの差と違い、そして迫害が生まれてきたか…ッ!考えるだけで俺あー悲しくて悲しくてたまらねぇんだよぉぉ…!」
叫び散らしながら男は慟哭を響かせる、迫害、歴史、それが何を意味するかは分からない。ただ一つ言えることは…この男が疑う余地もなく異常者であると言うこと。
「あるべきじゃないんだよ迫害ってのはさ、お前もそう思うだろ?なぁ…聞かせてくれよ、お前の悲しみをさ…」
そう言うなり男はニスベルの猿轡を解き口を解放する…その瞬間弾かれたようにニスベルは口を開き…。
「違う!君が何を言いたいかは分からないが我々の研究は人を救うための物だ!決して誰かを傷つけ迫害する物では断じてない!」
「救うための?」
「そうだ!それが我々の使命───あがっ!?」
「悲しいぜ…」
その瞬間、男はニスベルの口にリボルバーを突っ込み、ダラダラと涙を流し始め。
「救うってのは、強者が弱者に行うモンだ。泣けてくる…お前は芯の芯まで魔術を持たざる弱者に対する迫害意識に染まってるんだな…」
「んがっ!?ぁ────」
「やっぱり俺達には分かり合えない『違い』があるようだ…」
瞬間、引き金を引き。バケツをひっくり返したような水音と共に鉄と硝煙の匂いが充満し…男は崩れ落ちるように椅子に座り込み、両手で顔を覆う。
「あぁ悲しい…また溝が深くなった、対立が激しくなった、俺達魔術の才能を持たぬ者達と魔術を尊ぶ連中の溝が。…けどニスベルよぉ、お前が悪いんだぜ?これはさ…魔力も回復出来るポーション?そんなモン完成したら魔術師一強の時代が来る、魔術師の力がますます強くなる、そうなったら俺達は…もっと迫害されちまうよ。だからさ、悪いけど居なくなってくれや」
死体に語りかける男は迫害を憎む。今この世界で最も尊ばれる力は魔術だ、魔術を使える人間は使えない人間よりも強く、まさしく歩く兵器とも呼べる存在だ。世に魔術が溢れ魔術師が蔓延れば蔓延る程に自分達魔術を使えない側の人間は生きづらくなる。
それは迫害だ、迫害は良くない。されると悲しい、だから抵抗するんだ。
「クライングマン様!例のポーションの資料発見しました」
「おおご苦労、ニスベルよぉ…お前の言ってた人を救う研究とやら、俺達メサイア・アルカンシエルがきっちり…『正しい事』に使ってやるよ…」
男の名はクライングマン…魔術解放団体メサイア・アルカンシエル民間部隊…即ち抗議などを行う民間組織の頂点。魔女排斥組織としてのメサイア・アルカンシエル…通称『本家』でも幹部を務め、数少ない排斥組織としてのメサイア・アルカンシエルとも関わりを持つ民間組織のメンバーは、研究成果を片手にニタリと笑みを浮かべる。
「ですがこれはまだ完成していないようですが…」
「問題ない、必要な白露草は今本家が回収しに向かってる…問題はこのポーションを『嘆きの慈雨』に変質させるための式が未だ未完成な事だけ、悲しいぜ…後少しなのによお…」
「クライングマン様!こちらに何やら見慣れない資料が…」
「ああ?」
すると、部下の一人が持ってきたのは…ニスベルが保管していた古式治癒魔術の魔術式を解明した資料で…。それを受け取ったクライングマンは…。
「………こりゃ、いい報告が本家に出来そうだ…」
笑う、…魔女の弟子達が与り知らぬ場所で、闇は蠢動を始めていた。




