597.魔女の弟子と魔力の覚醒
「それでは、これより魔力覚醒の修行…いや言い換えよう、一段上の領域へと至る為の修練を開始する」
魔仙郷のど真ん中。この森の象徴とも言えるような巨大なタイタンアームの真下に集まったエリス達はアンブロシウスさんが持ち込んだ黒板が立てかけられた木の幹の前に立つトラヴィスさんの話を傾聴する。
トラヴィスさんの隣には先程合流したイシュキミリさんがいる。さっき色々あったけど…エリス達が合流すると同時に軽く謝罪を行い、トラヴィスさんもそれに対して特に何も言わず、そのまま修行へと流れることとなった。
正直、トラヴィスさん達親子がギスギスしてたらエリス達もやりずらいからわかりやすく仲直りして欲しかったんだが…まぁ、そうも言ってられないか。
「はっきり言えば今までの修行は君達を強くするための前段階に過ぎない。言ってみれば修行に必要な基礎を身につけさせただけ、魔女様は軽視しているが私は君達がより強くなるには魔法が必須だと考えている…そこで、改めて魔法について教えていこうと思う」
そう言ってチョークを手に取ったトラヴィスさんはエリス達に分かりやすいように色々と書き込んでいく。魔法…それが次なるステップには必須だとトラヴィスさんは言う。
事実エリス達が戦ってきた強者達は軒並み魔力闘法を極めており、第三段階にいる人間達はそれを主要な武器として扱い戦っていた。アンタレス様自身も必要だと口にしていた。故にエリス達はこれを明確に習得する必要があった。
そうして身につけたのがこの防壁なのだが…はっきり言ってどれくらい会得出来たのか分からない…と言うか魔法がそもそもどういうものなのかも理解しているとは言い難い。
そこで始まるトラヴィスさんの魔法講座、ありがたく拝聴しましょうか。
「まず魔法とは、本来物理的干渉能力を持たない魔力を押し固め様々な用途に用いる方法だ。これは本質的には技術ではなく人間が本来持ち得る本能であり、極論を言えば一定以上の魔力と才能を持つ者なら誰でも使えるのが魔法だ」
魔法…正式名称を魔力闘法。法であって術ではない、それは即ち手段の一つであって鍛錬を要する技術とはまた別の段階にある物。エリス達は魔法の特訓をしているのではなくより効率よく扱える方法を学んでいるに過ぎないのだ。
「魔法の使用法は大きく分けて五つある。分かる者はいるか?」
チラリとトラヴィスさんがこちらを見る。それに勇ましく答えるように手を上げるのは…メグさんだ。
「はい」
「ではメグ君、教えてくれ」
「まず一つ、我々が学んだ魔力防壁。そして魔力を衝撃波として放つ魔力放出、魔力を流体として操作する魔力操作、そしてそれを形にする魔力形成、最後に魔眼術です」
「ふむ、違う」
「え?」
はっきり言われたな、違うって。メグさんも自信満々だったからキョトンとして呆然としているよ…とは言え、エリス達も正解が分からず全員で視線を合わせているが、答えは出ない。
するとトラヴィスさんは無表情でチョークを動かし。
「四つはあってる。魔力を押し固め防御する魔力防壁、魔力を衝撃波として放つ魔力放出、魔力を体内外で操る魔力操作、そして操った魔力の形を固定する魔力形成…」
ツラツラと説明しながら書き込まれる情報を確認する。
まず防壁とは魔力を固め、物理的影響力を持たせた状態の事。魔力持久性を高める事でより効率よく運用したり、何かと使い道の多い技術だ。
魔力放出、これはあれだ…ダアトがやってる奴だ。一気に魔力を解き放つ事で打撃や遠距離に魔力弾を放ったりする攻撃用の魔法。基本的に世の中で強者と呼ばれる人間は全ての攻撃にこれが乗っている。
魔力操作、これは物理的影響力などは関係なく対外で魔力を操る技だ、これ単体では武器になることは少ないがこれが出来るのと出来ないのでは話がまるで異なる。エリスが師匠から重点的に教えられたのがこれだ、単体ではあまり役に立たないが魔術と合わせると抜群の応用性を持つようになる。
魔力形成、空気のように散ってしまう魔力に形持たせる技だ。エアリエルがやっていたのがこの技…ではなく、エアリエルはこれと防壁を極限まで極め一つの技に昇華していたんだ。
魔法とは基本的にこの四つを組み合わせ掛け合わせ自分に合った使用法を模索し使う事になる。
例で挙げるならエアリエルの御影阿修羅。あれは魔力形成術をメインとして絶対に崩れない防壁を使用しつつ魔力操作で防壁を動かし人型の動く防壁として使った。つまり使われているのは防壁・操作・形成の三つだ。
分かりにくいがダアトもそうだ。アイツは魔力放出で加速しているように見えるため使われているのは放出だけに見えるが…。実際は放出を操作で指向性を持たせている。つまり奴の打撃も放出と操作の合わせ技なのだ。
と…そんな具合に世界中の強者達が使う魔法はこの四つを基本として動いている。魔女様だってそうだ、防壁・放出・操作・形成を組み合わせて使っている。強い奴上手い奴になるほど同時に扱える要素が増え巧妙になる印象を受ける。
しかし、だとすると五つ目はなんだ?あんまり覚えがないが……いや、もしかしてあれか?
「そして最後は『魔力遍在』。肉体に魔力を行き渡らせ敷き詰める法…即ち魔力覚醒に使われる物だ」
魔力偏在…魔力を肉体に敷き詰める法。確かに魔力は意識してないと腕に集まってしまう、それを巧みに行き渡らせる事で全身に魔力を帯びさせることが出来る。覚醒するに当たって使うのもこれだ、つまりエリス達は無意識的にこの魔力遍在を習得していたんだ。
「魔力遍在…魔力を肉体に行き渡らせる法、魔力覚醒以外で使い道がなさそうな技ですね」
「違うぞラグナ君、ある意味これは魔力防壁並みに重要な法だ。例えばこれをマスターし常に肉体全域に魔力を浸透させていれば、覚醒を使わず覚醒並みの身体能力を常時引き出すことが出来る」
「え?…それって」
あの時出会った騎士だ、そうか…アイツや魔女様がやっているのは魔力遍在によって魔力を全身に敷き詰めていたから覚醒と同じ状態を維持出来ていたのか。魔力を浸透させた肉体は強化される…それはラグナの熱拳一発も似たような原理だな。
「そしてこれを極めた魔女様は常に魔力を遍在させ。そして循環させる事により常軌を逸した再生能力を肉体に持たせている…、いつか君たちに言ったな?魔力防壁はマスターが二番目に難しい法だと、一番はこの魔力遍在だ」
…時折、師匠が見せることがあった。師匠は治癒魔術が使えない、しかし戦闘で負った傷は少しのものであれば軽く意識を集中させるだけで治っていた。師匠は瞑想によって回復していると言っていたが…そうか、あれも魔力遍在の応用だったのか。
魔力を敷き詰める事により肉体治癒能力を活性化させ常時回復し続けるようにする…か、最早どうすればいいのかも想像がつかないレベルの話だ。確かにこれはマスターするのは難しいかもしれない。
すると、トラヴィスさんの言葉を細くするようにデティが口を開き。
「みんなも薄々気がついてるかもしれないけどこれは魔力の基本的な動作だよ、専門的な言い方をするなら魔力基礎動体。魔力の基本的な動き方ということはつまりこれは魔術にも適用されてるの。魔力操作を極めれば属性魔術の練度に繋がり魔力放出を極めれば付与魔術の練度に繋がる、つまり全ての基本となる要素のことなんだよ」
「そう言えば俺も師範から魔力をぶちかましまくる修行を受けさせられたな」
「私もだ、魔力で形を形成する修行は大昔にマスターから教わったことがある。錬金術の基本だからな」
「エリスもです、お陰で魔力操作じゃ誰にも負けません」
「つまりそういう事、みんな得意とする分野によって魔力運動の仕方は異なる。私達の師匠は魔法は軽視してるけど魔力の動かし方に関しては事細かに教えてくれてるんだよ」
なるほど、魔力闘法とは即ち魔力の動き方、魔力動方を攻撃に転用したものを言うのか。師匠達は魔力をそのまま攻撃に用いる必要はないと考えていたから魔力闘法は教えなかっただけ…、魔術に必要な魔力の動かし方はしっかり教えてくれていたんだ。
「そういう事だ、つまりこれから君達はそれぞれの分野を伸ばしていく事になる。それはそのまま基礎戦闘能力の向上と魔力覚醒の練度に繋がる、なのでまず…」
すると、授業は終わりだとばかりにトラヴィスさんは立ち上がり…。
「魔力覚醒が使える者、全員の覚醒を見る。つまり組手だ…」
「組手…トラヴィスさんが相手してくれるんですか?」
「違う、アンブロシウスが行う」
そうしてヌッと出てくるのはここまで役立たずのアンブロシウスさん、彼はぬるりと前に出ると共に小さく礼をしてエリス達の相手をするというのだ。
「その人が?」
「安心しろ、アンブロシウスは強い。魔力覚醒の練度と強力さで言うなれば世界でも指折りだ」
「私が皆様を纏めてお相手しますので、皆様は私に魔力覚醒を叩き込んでくださいませ」
「…………」
その言葉にラグナは静かに腕を組み、数秒考えると…。
「メグ、写真を。ここでやったら無用に森を傷つける」
「畏まりました、では皆様、こちらにどうぞ」
するとメグさんは一枚の写真を取り出すと同時に魔力覚醒『天命のカラシスタストラ』を発動させ次元を越える扉を開く。写真はマレウスの平原の写真だ、写真の中はいくら暴れても壊れることはない。森の中で全力を出せば木々を傷つける。
だからこそ、この中でやろうと扉を用意したんだ…全力を出す為に、アンブロシウスさん一人で相手が務まると思われているその侮りを潰す為に、全力を出すのだ。
「扉?扉を作る覚醒?いや…絵画の中に入る覚醒か?興味深い」
「これは…」
エリス達に導かれるようにトラヴィスさんとイシュキミリさん、そしてアンブロシウスさんは扉を潜り写真の中へと入る。すると世界は薄暗い鬱蒼とした森の中から開けた平原へと出て、偽りの太陽がエリス達を照らす。
「おお…!これは凄まじい!一つの世界が広がっている…!」
「私の覚醒『天命のカラシスタストラ』は次元を越える力。今皆様を三次元の世界から二次元の世界へと移行させたのです。と言ってもこの写真の世界がどういうものなのかは私にもよく分かりませんが…って、あれ?」
「…父上、これは」
「ああ、興味深いな…」
写真の世界に入るなり、トラヴィスさんとイシュキミリさんはメグさんの説明を無視して座り込み、足元に生える芝を触って何やら話し合っている。
さっきまで険悪だったとは思えない、興味深い物を前にして二人とも目を輝かせその質感と存在感に目を奪われているんだ。
「申し訳ありません、旦那様と子息様は二人とも研究者。初めて見る物に目がないのです」
「そ、そうですか…」
「イシュキミリ、お前はどう思う」
「これは恐らく覚醒とは関係ない物かと、元から存在している場所に移動出来る覚醒だと思いますので…多分この場所は」
「ああ、識界論にあった認識可能領域の空間構築だろう。まさか実証例をこの目で見る日が来るとは…」
「あのー、お二人はこの場所がどういう空間なのか、お分かりになるのですか?」
戦う為にここに来たのに、早速話題が別の方向に行ってしまったな。けどエリス達も写真の世界がどういう物なのか分かってないから…教えてもらえるならありがたい。
メグさんの覚醒は写真の中の世界を作る覚醒ではなく写真や絵画の中に行ける覚醒、つまりこの空間は元から存在していた事になる。とはいえ写真の中に世界が広がってるなんて話…エリス達は聞いたことがない。
すると、トラヴィスさんは立ち上がり。
「君達は六大元素構築論を知ってるか?」
「え?四大ではなく…六大属性、いや聞いたことはありますが…なんでトラヴィスさんがそれを知って…」
六大属性構築論…それは史上最初に確認された識確使いにして史上最強の識確術者、羅睺十悪星筆頭のナヴァグラハが提唱した理論。
世界を構築するのは地水火風の四大元素だけでなく、空間を司る『空』と人の認識である『識』も合わさり始めて世界は世界足り得るという理論。しかしそのあまりにも突飛な話と識と空を属性として扱える者がおらず長い年月をかけて淘汰され、消えていった理論だ。
それを何故、トラヴィスさんが知っているのか…そういう質問をしたつもりだったがトラヴィスさんはエリス達の問いを無視して好奇心のままに話を続け。
「そう、六大属性だ。地水火風だけが揃って行ってもそれを入れる容器たる空と認識する為の識がなければ世界は世界とは呼ばれない。それが六大属性構築論だ、この空間は恐らく識によって構築された世界だ」
「識によって?」
「識界論と呼ばれる非常に古い論文があってね。識によって認識される場所には世界が生まれるという理論だ、つまり人が『そこにある』と思えば『そこに物が出来る』んだよ」
「つ、つまり?つまりで要約されてませんけど」
「むぅ、説明が難しい。イシュキミリ、言語化出来るか?」
「そうですね、皆さんは写真と言う道具をどういう物だと思ってますか?」
「え?景色を切り取る道具だろ?」
「そうですアマルトさん、景色…即ち皆さんはこの場所を世界として認識しているんです。それは意識的ではなく無意識的、人の目と脳が勝手に認識してしまうからこそここは識によって世界と仮定される。現実世界を形作る元素である識がこの空間にも適用されてしまうんです…あー、だから…その、ここは六大属性の中の識だけによって構築された世界ってことです」
「あまりにも現実世界と酷似した物は識によって世界と仮定される。だから写真だけでなく恐らくだが鏡の中や夢の中にも世界は存在すると考えられているんだ、行く方法はないがな」
「鏡の中や夢の中?…私の覚醒ではそちらには移動出来ませんが、なるほど。ということは現実世界を投影した物は同じく一つの現実性を持つということですね」
メグさんは理解できたのか、凄いな。エリス全然分からなかったよ、一応分かる範囲で言うとここは識によって生まれた場所。それは即ち人の目が『ここには世界が広がってるに違いない』と無意識的に認識してしまう場所には世界が出来てしまう…と。
だから同じような鏡の中や夢の中にも、識が適用されれば世界が出来上がると。多分ここは人類が『絵画』という物を認識した瞬間から生まれた二次元世界の一部なのだろう。
とは言うが、難しすぎてよくわかってないのが現状だ。
「ふむ、面白い覚醒だメグ君。是非研究してみたい」
「そ、それは後にして…まず組手しませんか?」
「そうだった、アンブロシウス…相手をしてやりなさい」
「畏まりました、覚醒を未修得の方はお下がりを」
「…………」
研究は後にしてもらって。まずは覚醒を見てもらおう、ということで場に立つのはエリスとラグナ、メルクさんとメグさん、そしてネレイドさんの五名。覚醒を習得していないデティ達は一旦奥の方に避難してもらい…偽りの平原の只中に、覚醒を得た魔女の弟子達が揃い踏む。
はっきり言ってこのメンバーがエリス達の最高戦力だ…しかし、あの騎士の件もある。慢心はやめよう。
「では…どうぞ」
アンブロシウスさんが手を差し伸べる…と同時にエリス達は魔力を一気に逆流させ、魂を膨張させ、肉体全てに行き渡らせ…行う、魔力覚醒を。
「『拳神一如之極意』…!」
「『マグナ・ト・アリストン』」
「『虚構神言・闘神顕現』…」
「『ゼナ・デュナミス』ッ!」
「私はもう覚醒済みでございます〜」
「ほほう、これはこれは…」
揃う五つの覚醒、沸る魔力が場を満たし空間を揺るがす。思えば全員揃って覚醒する場面などなかったが…果たしてこれがアンブロシウスさんに通じるかどうか、まずはそこからだ。
事実、アンブロシウスさんはエリス達の覚醒を前にしても慄く事も怯む事もなく、髭を撫で…値踏みするように眺めているんだ。トラヴィスさんが言ったように…やはりこの人も相当強いのだろう。
「私もあまり手を抜いてはいられない様子…では、魔力覚醒」
そしてアンブロシウスさんの魔力もまた逆流し、体内へと流れ、膨張した魂と肉体の境目が消え…一つの魔力事象と化す。彼の筋骨隆々の肉体が輪郭を失い、まるで拡散するように体が透け…姿を変える。
それは…まさしく。
「『雲煙過眼之唐衣』…」
煙だ、アンブロシウスさんの体全てが灰色の煙となって宙を漂い始める、その様はまるで雲の魔神…と言うかこれ。
「…煙となる魔力覚醒…、シリウスが使ったものと同じ…」
四年前の戦いで、イデアの影を用いたシリウスが発動させた覚醒の中にもあった体を煙に変え物理攻撃全てを無効化する覚醒だ。エリス達は何度かシリウスが用いた覚醒と出会ってきたが…その全てが強力無比な物ばかりだった…つまり。
アンブロシウスさんの覚醒はシリウスにも認められる程の物であり、尚且つ八大同盟の幹部級の実力があると見ていいだろう。
「気をつけてください、多分アイツ…物理攻撃が効きません」
「そりゃやりづらそうだ、じゃ!戦ろうぜ!」
「聞いてました?ラグナ…」
ラグナはすでにやる気満々のようだ…だが、ここまで来たら関係ないか!
「みんな!行きますよ!」
「ああ!」
「はい!」
「うん…」
「では、存分に打って来てくださいませ…!」
そうして、アンブロシウスさんのとの組手が…始まり───。
………………………………………………
「『疾風乱舞・怒涛』っ!」
「『穿通連拳』ッ!」
「ほほほほ、凄まじい攻めですなぁ」
「ふむ…」
目の前で繰り広げられる戦いを眺め、トラヴィスは考え込む。エリスとラグナが主体となってアンブロシウスを相手に猛攻を繰り広げる。蹴りを放ち、拳を放ち、そしてその全てをアンブロシウスは肉体を煙に変え捌き切る。
アンブロシウスの覚醒『雲煙過眼之唐衣』は攻撃力こそ乏しい物の耐久性や防戦に於いては無類の強さを持つ覚醒だ。肉体を煙に変える事で如何なる攻撃も防ぎ切る…されどそれは同時に己の攻撃力も削ぎ落とす事になる。その為『そのまま使えば』然程強い覚醒ではない。
だが、アンブロシウスはトラヴィスと共にこの覚醒を極め抜いた…その結果。
「はぁっ!」
「オラァッ!」
「甘いですなぁ〜」
ラグナとエリスの挟撃、左右から挟むように蹴りと拳による打撃を行うも、アンブロシウスは相手の触れる箇所だけを煙に変え透過させると同時に…カウンターの掌底を左右に放ちラグナとエリスを吹き飛ばす。
「ぐぅっ!」
「アイツ…エリス達の動き読み切ってますよ!」
「ほほほほほ」
足を煙に変え空を飛ぶアンブロシウスは挑発するように笑う。アンブロシウスは煙に変える箇所を限定することができる、そこに相手の動きを完全に見切る動体視力も合わさり、相手の攻撃を全て無効化しつつこちらの攻撃を通す一方的な戦いを可能とする。
これがトラヴィスによるアンブロシウスへの教えの結果だ。魔力覚醒とは万能の力ではない、だが自分に配られたその手札を事細かに観察する事により限りなく万能へ近づけることはできるのだ。
そう言う意味では、アンブロシウスは覚醒者五人を相手にしても不足となることはないだろう。
(まあそれはそれとして、やはり魔女の弟子の面々は相応の場数を潜ってきただけのことはある…)
魔女の弟子達の覚醒もアンブロシウスには負けていない、アンブロシウスをあの段階にまで育て上げるのにかかった時間は三十年だ。それを魔女はたかだか数年で…しかもあんな若者をあの段階まで持っていくとは、やはり魔女様達の指導には敵いそうにもない。
魔女の弟子達は強い、だがそれでも…。
(魔女様達から彼らを完成させてくれと頼まれた。その時から薄々感じていたが…やはり魔女様は弟子達に肝心なことを教えていない、あるいは教える時間を持てていない)
ともすれば旅の最中、折を見て教えるつもりだったであろう事が見て取れる。それを教える任を授かったのだ…自分に出来る範囲のことをやろう。
「クソッ!マジで当たらねー!」
「ラグナ殿は凄まじいですなぁ、私でも避けるのに精一杯ですぞ」
まずラグナ・アルクカース。魔力覚醒の練度では彼が一番上だ、と言うより本人が他の追随を許さぬ超天才であると言う部分も大きいのだろう。実力面も洞察力もトップクラスだ、多分あれは放っておいても第三段階に行くだろう。
「退いていろラグナ!大技を行く!」
「え?ちょっ!」
「『概念錬成・転覆』ッ!」
メルクリウスが腕を下から上に振り上げると、それだけで下から突き上げるような衝撃波が走り視界を覆い尽くす程の攻勢がアンブロシウスを襲う。
彼女の覚醒は派手だ、オマケに秘める力も果てが見えない。覚醒の範囲も恐ろしく広いし私が見てきた数多くの覚醒の中でも最上位に入る性能だろう、だが…。
「危ねぇってメルクさん!」
「エリス達ごと吹き飛ぶところでしたよ!」
「す、すまん!加減し損ねた!煙となって逃げられるなら纏めて吹き飛ばしてやろうかと思ったんだが」
…まだ若干覚醒に対する理解が乏しいようだ。まだ自分が埒外の力を持っていると真の意味で理解していないようだな、だが…そこを理解すれば、恐らく彼女は化ける。
「ホホホホ、派手ですなぁ」
「────覚醒冥土奉仕術」
「む…!」
煙となってメルクリウスの波濤の如き衝撃波から逃げたアンブロシウスの背後に、メグが突然現れる、高速移動…を更に超えた唐突な出現。それはアンブロシウスの顔色を変えさせる程の物であり…、
「『空前』ッ!」
「螺旋防壁展開ッ!」
光速を超える速度で叩き込まれたメグの拳に対して煙での回避は不可能と考えたアンブロシウスは両手を合わせメグの拳を受け止めるように防壁を展開する。しかも通常の壁型とは違う…私考案の特殊防壁『螺旋防壁』で。
螺旋状に渦巻く防壁は打撃をバネのように縮み衝撃を和らげる特性を持つ。アンブロシウスの類稀なる魔力操作と形成能力を合わせたバネ状防壁だ、防御範囲は狭いが…的確に攻撃を受け止めた時は。
「ホホホホ〜ッ!」
「グッッ!?」
攻撃をバネのように弾き返す。事実拳を弾き返されたメグは弾丸のような速度で後方に吹き飛ばされ地面を転がる事となる。
…メグ・ジャバウォック。彼女は覚醒の本質を掴みつつある、覚醒は所詮自らの行動をサポートする為の手段でしかないと言う点。そこを理解しているからこそ自らの攻撃への転用も上手い。
ただ、やや火力不足な面が否めない。それでも未知な部分が多い覚醒である以上、育てれば伸びるかもしれないな。
「メグっ!…この!」
「ホホッ!」
そして次に挑み掛かるのはネレイドだ。全身から霧を吹き出させそれを腕に変え猛攻を繰り広げるが…それではアンブロシウスには当たらな…いや、待てよ。
「こっちに来い」
「おや…!?」
違う、闇雲に攻撃していたのではない。自らの霧をアンブロシウスの煙に混ぜる事で体の制御を奪っていたんだ。事実アンブロシウスはネレイドの手に引き寄せられるように吸い込まれ…。
「カリアナッサ・スレッジハンマーッ!」
「グッ!」
叩き込まれる巨拳、回避の道を奪った上で引き寄せたアンブロシウスの顔面に振り下ろす。逃げる事ができないアンブロシウスは迎え撃つことしかできない。故に彼もまた拳の先に螺旋防壁を展開しネレイドの拳を防ぎ…同時に弾き返す。
「うわぁっ!?」
「ふぅー、危ない危ない」
吹き飛ばされるネレイドを見ながら考える。彼女の覚醒について……ネレイド・イストミア。彼女はまさしく…ん?
「だぁあああああああああッッッ!!!」
「ほほほほ、次はあなたですか」
ネレイドが吹き飛ばされると同時に突っ込んでくるのはエリスだ。全身から風を放ちながら一気にアンブロシウスに突っ込む。しかしそのタックルもアンブロシウスは煙となって回避し…。
「当たりませんなぁ」
「まだまだッッッ!!」
「おや…」
避けられてもまた向かう、何度も何度も高速で転換を繰り返しアンブロシウスに突っ込み突っ込み突っ込みまくる。その都度アンブロシウスは煙となって回避する物の、煙となって散った体を戻す余裕もなくどんどん体が散らされていく。
「貴方!煙になった体を元に戻すには煙をまた体の形に戻さないと元に戻れないんでしょう!何度も何度も攻撃を繰り返せば!貴方は肉体を戻せず煙になったままだ!」
「ほほほ!よく見ている!しかしそれでどうすると言うのです!」
「こうするんだよッ!『風刻槍』ッ!」
「おお!?」
粗方アンブロシウスの体を煙に変えたところで放たれたのは…魔術?殆ど詠唱せずに古式魔術を放ったのか?なんてことだ、こんなことが許されるのか。私の隣で見ているイシュキミリも顔色を変えている…平気な顔で見ているのはデティ様だけだ。
これはアンブロシウスも完全に虚をつかれたのか対応が遅れた。風の槍が煙となったアンブロシウスを巻き込みそのまま吹き飛ばす。そのまま天をかける龍の如く渦巻く風の槍は天空で一回転しそのまま地面に突っ込みアンブロシウスごと地面に叩きつけるのだ。
「よっしゃ!どうだい!」
「これは驚きましたぞ、エリス殿」
「へ?」
しかし、風が散った先にアンブロシウスは居ない。ならどこに居る?…エリスの背後だ。エリスはよくアンブロシウスの覚醒を観察し弱点を見つけた気になっていたが、彼女はまだアンブロシウスの覚醒の全てを理解したわけではなかった…まだ一つの法則を見逃していた。
それは…アンブロシウスは全身を煙に変えた後の挙動。全身を煙に変えたアンブロシウスは煙がある場所ならば何処でも起点にし肉体を再生出来ると言う点。
つまり煙が四方八方に散ってしまっても、その散った煙を自由に選んでそこから肉体を戻すことができるのだ。先程エリスの風に飲まれる前に指先を煙に変えエリスの背後に飛ばし。背後に飛ばした煙を中心に散った煙を集め肉体に変えることで地面に叩きつけられるのを回避したのだ。
「なんで後ろに!」
背後を取られたエリスは咄嗟に距離を取ろうとしたが…遅い、螺旋防壁を使い加速したアンブロシウスは体ごとエリスに突っ込み、その頭突きが腹を打つ。まるでそれは隕石のように白煙が虚空に線を描き今度は逆にエリスの体を地面に叩きつけ…。
「ふぅんむぅ、この程度で…?」
「ッまだまだァッ!!!!」
爆裂する衝撃波がトラヴィスの頬を撫でる。地面に叩きつけられたエリスが闇雲に暴れアンブロシウスを相手に近接戦を仕掛け始めたのだ…他の面々も起き上がり戦線に加わりつつある。
エリス…孤独の魔女の弟子エリスか。覚醒の練度も申し分なし、属性魔術の腕前ならば私に匹敵する、凄まじい負けん気を持ちながら的確に相手の動きを観察する冷静さ…どれを取っても一級だ。流石は魔導の深淵と呼ばれたレグルス様の弟子だ、よく育てられている。
…しかし、気になる。何故彼女はあんなにも……。
(あんなにも効率の悪い戦い方をしてるんだ?あれが彼女のスタイルなのか?)
エリスの戦い方を見ていると、とてももどかしい気分になる。例えるなら部品一つ一つは最高級の代物なのに歯車が噛み合っていない機械、或いは豪勢な建材を使って組み立てられた骨組みだけの城…。あと一歩で飛躍的に伸びる事ができるのに、それをしない、していない。
レグルス様は何を思って彼女をあの状態で放置しているんだ。あのお方ならそれを授けることも…まさか自分で気づくことに期待しているのか?だとしたらあまりにも弟子を信頼しすぎでは…。
「シャアアアアア!!」
「オラァッ!!」
「む…む…」
五人の弟子達の攻勢にアンブロシウスの顔色がやや悪くなる。思ったよりも手札の開示速度が早い、特にエリスは一度見せた動きには即座に対応してくる。このまま行けばややまずいか…そろそろ終わらせるとしよう。
だがその前に…。
「デティ様」
「……なに?」
エリスやラグナを応援する為アマルト君とナリア君、そしてイシュキミリが離れた瞬間を狙い、私は隣に立つデティフローア様に視線を向け、二人きりになったその時を狙って…私は問いかける。
「私は魔力覚醒を会得している人間は前へと言ったはずでしたが…貴方は何故ここにいるので?」
「…気づいてた?」
「ええ、貴方は覚醒を習得しているでしょう」
「……………」
一目見ればそれくらいわかる。デティ様は魔力覚醒を会得している…そして恐らくその練度と強度は、この中の誰よりも高い。私はラグナ君を超天才と称したがそれは飽くまで人類の範疇での天才という意味だ。
デティ様は違う。天才なのは大前提、そこから必要な要素や体質などを計算されて作り上げられた『史上最も魔力を扱うのに特化した存在』なのだ。前提からしてそもそもこの人は人類の中にいない。
それが覚醒を会得しないわけがない…しかし何故それを前に出さないのか。
「ごめん、私…みんなの前で覚醒使いたくないんだ」
「それは何故?」
「……強すぎるから」
「……………」
「あまりにも強すぎる力は、人々を絶望させる。それはともすれば…他の弟子達の意欲を削いでしまいかもしれない、私の覚醒は…強すぎるから」
強ちそれは事実なのだろう。強すぎる力と言うのは万人を恐怖させる、それは他者のみならず…自分さえも恐れさせる。デティ様は今自分の力を恐れているのだ…完璧な覚醒を会得しても、それを使う気にならないのなら意味がない。
だが…それでも。
「分かりました、それ以上は聞きませぬ」
「ありがとう、トラヴィス卿」
それが魔術導皇の判断だと言うのなら…尊重しよう。さて、これ以上放置したらアンブロシウスに後から文句を言われそうだ。
「そこまでだ!皆落ち着け!よく分かった!」
「あぇ?」
そこで止めると、エリス君は手を止める。アンブロシウスを押し倒し髭を引っ張り振りかぶった拳をだ、ちょっと目を離した隙にとんでもないことになってるな…と言うかエリス君は魔術師なんだよな?なんであんなチンピラみたいな戦い方をしてるんだ。
「だ、旦那様。止めるの遅い」
「すまんすまん、お前もよく手を抜いてくれたな。怪我をさせないよう言い含めた甲斐があった」
「いえいえ、ですが弟子の皆様…どれもこれも逸材でございます」
「だろうな」
魔力覚醒には当たり外れがある、覚醒しても内容でハズすと後々悲惨だ。だがその点で言うと魔女の弟子たちは皆どれもこれも強力な覚醒ばかり会得している。覚醒は生き様の具現、ここにいる全員…生半可な人生を送っていないと言うことだろう。
「すげーなエリス、お前また強くなったんじゃねぇの?」
「それがなんかいつもより体が軽くて…」
「そういえばいつもより魔力の効率が良かったな」
「また強くなったんですね皆さん」
そうして戦いを終え覚醒を解除したエリス君達に合流するアマルト君達を見遣る。フッ…体が軽かったか、どうやら修行の成果が出始めているようだな。
「体が軽かったのは防壁練度の上昇に伴い魔力遍在力が上がったからだ。言ったろう?防壁を極めれば他の魔法も極められると」
「トラヴィスさん…、そうか…そう言うことだったんですね」
「これが遍在力か…」
「そうだ、それを高め続ければ覚醒の基礎能力は上がる。まぁこれは日常的に私が教えた方法で防壁の練度を上げれば良いが…君達が目指すのは第三段階だ、今の組手は君達をどう育てれば良いかを確かめる為の試験であり、見込みがあるか試す為の戦いでもあった」
トラヴィスが話し始めれば弟子達は皆大人しくその話を聞き始める。覚醒は上々、それそれが既に大方覚醒に対する理解を深めており、あとは集中的に鍛えるだけだろう。
「それで、俺達は極・魔力覚醒を会得出来そうですか?」
「言わずもがな、全員に見込みがある。よくもまぁ素晴らしい逸材が集まったと言うものだ…が、第三段階は数百年に一人の天才が無窮の修行と幸運に恵まれようやく会得出来る段階だ、ここからは生半可な修行では辿り着けん。覚悟をするように」
「はいっ!それで…その」
「何かな?エリス君」
するとエリス君がややモジモジしながら聞きづらそうに指を合わせながら言い淀む、それを促すように話を聞くと…エリス君はこう言うのだ。
「…エリス達の中で、今一番極・魔力覚醒に近いのは誰ですか?」
「む……」
魔女の弟子全員の顔つきが鋭くなる。どうやら、彼等は仲間であって親友であって…同時にライバルでもあるようだ、つまり…自分こそが最も強い弟子でありたいと願っている。だからこそ一番最初に極・魔力覚醒を会得したい。
今、この状態にあって最も進歩しているのは誰か、その指標は彼らにとって重要な物なのだろう。
ならばこちらも真剣に考える…と言いたいが、これはもう確定している。極・魔力覚醒には今最も近い者は、私の中で明白だからだ。
「そうだな、それは…」
「誰ですか?エリスですか?エリスですよね!」
「俺だろ!俺…覚醒の修行めっちゃ積んでるし」
「いや私も負けていない、この間覚醒したばかりだが…負ける気はない」
弟子達がやいやい騒ぎ始める、その背後でデティ様がフッと視線を閉ざす…。
…そして、トラヴィスは口を開く。皆思うところはあるだろう、自分の修行と師匠に尊厳を持っているだろう。だからこそ真摯に応える…この中で最も極・魔力覚醒に近い存在、それは。
「………君だ」
ゆっくりと、指を指す。この中で魔力覚醒を一番極めており、現状最も第三段階への移行に近い存在を。
それは……。
「え?私?」
「そうだ、ネレイド・イストミア。君が一番近い」
「えっ!?」
ネレイド・イストミア…彼女が一番第三段階に近い、それは明白だった。と指差せばネレイドも、エリスもラグナも他の弟子も。なんならデティ様も驚いて目を剥く。なんだデティ様…まさか自分が指名されると思っていたのか?だが残念、確かに貴方の覚醒の練度は高いが…私は今ネレイドが一番先をいっていると思っているぞ。
「な、なんで私?エリスやラグナの方が…強いよ」
「強さの話をしているつもりはない。君はこの中で最も覚醒を『状態』ではなく『技術』として捉えている、魔力の運用の仕方、動かし方、その全てで君は他の弟子から頭一つ飛び抜けている。恐らく何か精神的な爆発するきっかけがあれば今すぐにでも極・魔力覚醒を会得するだろう」
「そ、そうなの…?」
ネレイドはこの中で最も覚醒と言う存在の核に近づいた視点を持っているように思える。それは無意識かもしれないが覚醒とは『強くなる状態』ではなく『使えば強い技術』でしかないのだ、その本質に近づいているからこそ極・魔力覚醒の足掛かりも捉えやすいだろう。
そうだ、極・魔力覚醒に至る数多くある条件の中で…そもそも前提となるのは何をおいても『現状に満足しない事』なのだ、技術として捉えるからこそ磨く術を彼女は模索し続けている。だからこそ、上へ行けるのだ。
「か、覚醒したのエリスが先なのに…」
「俺も…まさか知らない間に追い抜かれてたとは…」
「えへへ…照れる…」
「とはいえこれは意識的な物、意識したのなら次は形にするために修行するべきだ。他のみんなも同じこと、極・魔力覚醒は当然ながら魔力覚醒よりも必要とされる物が多い。というわけで…さぁ!やれ!」
「……何を?」
呆然とするエリス達、いきなり開始の合図をされ何が何やら訳が分からずその場に立ち尽くすこととなる。修行が始まったのは分かる、だが何が始まったのかはまるで分からない…と言った様子だ。
「君達は魔力覚醒を目指す際、師匠達にどんな指導を受けた?」
「え?……確か、自分の思う方法で鍛えてみろと」
「そうだ、つまりこれからの修行は…自分で考えて行え。魔仙郷の如何なる設備を使っても構わない、ここからは自主練だ」
「そ、そりゃねぇよ!俺達を導くって言ってたじゃん!」
「ああ導くともラグナ君。だが飽くまで主体は自主練、勿論私もそれぞれの修行を回って指導を加える、だが修行内容は君達が選ぶ。そもそも第三段階に上がる方法は千差万別、これをすれば確実にいけるという物でもない、故に自分の事を最も理解している人物に修行を任せる方が効率が良い」
「つまり、手前の面倒は手前で見ろと」
「そうだ、安心しろ。指導はきちんと行う、だからまずは自分達で考えて覚醒を強化する方面で行ってみろ」
「……分かりました」
納得はしてくれたのか、それでもやや悩んだ様子の弟子達は互いの顔を見合わせている。だが結局何かを極めるとなると指導だけでは行き着けない領域を越える必要がある。本来なら弟子達はその領域を大幅に超えているにも関わらず未だに指導を必要としている。
だからこそ、ここで突き放す。大丈夫、間違えていたら私が指導するから…。
「さて、では覚醒していない組は私が直接指導をしよう」
「やったぜー!頼みますよトラヴィスさ〜ん!」
「………父上」
アマルト君とナリア君にはこちらから個別に指導をする。と…言った瞬間だった、何か考え込んだ様子のイシュキミリが私に視線を向けたのは。
「どうした、イシュキミリ」
「…ナリア君の指導は、私に任せてもらえないでしょうか」
「…お前が…?」
イシュキミリが自ら進んで誰かの指導を…。そうか…そう言えるまでになったか、ものは試しという言い方をすると、ナリア君には悪いが…。
「…ナリア君、君はどうだ?イシュキミリに見てもらいたいか?」
「は、はい!僕イシュキミリさんに見てもらいたいです!」
「そうか、分かった。ならイシュキミリ…お前が彼を高みへ導け、必ず責任を持って育てるのだ」
「はいッ!ではナリア君。早速行こう」
「よろしくお願いします!」
…ナリア君の手を引いて外へと向かうイシュキミリの背を見て、私は何を思ったのだろうか。『どう言う風の吹き回しだ?』なんて悪辣な言葉だろうか、『お前の成長が嬉しい』なんて親気取りの言葉だろうか。
それとも、『トレセーナ達の失態を乗り越えたか』…なんて、残酷な言葉か?分からない、分からないが…イシュキミリ。お前は私を上回る才能の持ち主なんだ、だからもっと…自分を信じてやれ。
「よし、では我々も始めるぞ!アマルト君ついてきたまえ!」
「おう!ってあれ?デティは?」
「デティ様には話したいことがある、故に一旦待機だ…それでよろしいか?導皇殿」
「うん、ありがとうございます、トラヴィス卿」
魔力覚醒を会得している彼女に魔力覚醒会得用の修行は必要あるまい、であるならば…彼女にもひっそりと極・魔力覚醒へと至る為の修行をつける。その事は他のメンバーには伏せておこう。
「では、初めていくぞ」
そうして、修行は次の段階へ…そして、本番へと移行するのであった。
…………………………………………………………
「さて、じゃあ魔力覚醒の修行を始めていくよ。ナリア君」
「はい!」
一方、魔仙郷の一角へと移動したナリアとイシュキミリは、互いに向かい合って立ち、魔力覚醒の修行を開始する。イシュキミリの知識量と指導法なら或いは僕にも覚醒が会得できるような気がしているんだ。
「見たところ君は魔術師として過不足ない実力を持っているようだし、着実に一歩づつ進めば覚醒もできるはずだ」
「はいっ!」
イシュキミリさんは優しい、優しくて賢い、賢くて気品がある。あまりこの手のザ・魔術師と言う人間に関わって来なかったからか…僕はとてもイシュキミリさんを尊敬している。だからこそこうして一緒に修行が出来るのは嬉しい。
けど、気になるのは…僕はそう思っているけど、イシュキミリさんがどう思っているか、と言う話。
「あの、修行を始める前に一つ聞いてもいいですか?」
「ん?何かな?」
「なんで、僕の修行を見てくれるって…トラヴィスさんに言ってくれたんですか?」
「……良い言い方をすると、君を放っておけなかった。悪い言い方をすると…なんとなくかな」
「なんとなく?」
そういうとイシュキミリさんは腰に手を当て申し訳なさそうに微笑んで…。
「一生懸命修行に励み、魔道を進む君たちを見ていたらなんだかとても懐かしい気分になってね。その気分に流されるままってやつさ」
「イシュキミリさんも昔僕たちみたいに修行してたんですか?」
「いや、私は君達みたいに何か明確な修行をしたわけじゃない。研究職だからね、勉強して実跡してを繰り返しただけさ。懐かしんだのは…私の友達と君たちが被ったから、かな」
察した、これはこれ以上聞くべきではない話だと。イシュキミリさんの表情はだんだん曇り、辛そうな表情へと変わっていく、それは先程庭先で見た顔と同じ顔。
彼は昔、取り返しのつかない失敗をしたと言っていた。恐らくそれに関わる話なのだろう…それをほじくり返していい権利は僕には無──。
「察してるんだろ?さっきの話と今の話が繋がってるって」
「う……」
「そうさ、繋がってる。昔私の友達が君達のように魔術を極めようと頑張っていたんだ。私はそれを側で見ていた…けど、色々失敗してしまってね。その時のトラウマがどうもまだ抜けてないんだ」
「トラウマ…えっと…」
「その友達が…トレセーナが、魔術を極める道を私は阻んでしまった。結局そのせいでトレセーナは魔術を極めることが出来なくなってしまってね、…そんな自分が誰かに何かを教えていいのか、ずっと思い悩んできたんだ」
「そ、そんなことないです…って、僕が言っても何にもならないかもしれませんけど。少なくとも僕はイシュキミリさんに教えてもらえるの、とても嬉しいです」
「そうかい?そう言ってくれるかい?…なら、ありがたいな」
人に歴史あり…とはよく言うが、どんな人間も、どんな天才も、順風満帆な人生などあり得ない。みんな何処かで失敗するし、特に大きなものは一生抱えて生きていく物だ。
だけど、一度間違えたからと言って、二度と同じことをしてはいけないと言うこともない。人は成長する物でもあるし、だからこそ何かを極められるんだ。
「はい!そうですよ!だから僕!イシュキミリさんが今度は安心して思い出せるような!そんな立派な魔術師になりますから!そのトレセーナさん?って人の分まで」
「ふふふ、君は本当に優しいな。トレセーナの分までか…思えばトレセーナも魔力覚醒目前まで行っていたな」
「え?僕と同じくらいにですか?じゃあ今頃はもう魔力覚醒してたりするんですか?」
「いいやしてないさ…だって」
またも察した、だが今度遅かった。彼は役者の僕から見ても感情を押し殺すのが上手いようで…寸前になるまで分からなかった。トレセーナさんの話をされた時早々に打ち切っておけばよかった…だって。
今、イシュキミリさんはこんなにも…。
「もう死んだからね、彼女は。私の…失敗のせいで」
悲しげな顔を、していたから。
「う……」
言葉を失う、詰まるところ彼の友トレセーナが閉ざされたのは魔術師としての未来ではなく、人としての未来。イシュキミリさんの語る失敗とは即ち友を失った事実そのもの。
なるほどそりゃあトラウマにもなる、トラウマだと教えられているのだからヘラヘラと喋るべきではなかった。まずい…傷つけてしまった、彼の傷口をまた掘り返してしまった。
そんな風に後悔していたのは、どうやら僕だけなようで。イシュキミリさんはあっけらかんと再び笑顔の仮面を被り。
「さて、雑談はこのくらい。そろそろ修行を始める、まずはゆっくり体内の魔力を動かす方向で進めていこうか」
「イシュキミリさん……」
何事もなかったかのように話を切り替える、いや…切り替えてほしいんだろう。どうやら彼は自分の事を語るのがそんなに好きではないようでこれ以上この件について話すつもりはないと態度で表明を始める。
ならもう…変に突っつくのはやめよう。でも…。
「はい、イシュキミリさん…僕、必ず強くなりますから」
「…ああ」
彼にとって、自分は良い前例になろうと…また失敗してしまったと思わせないような、そんな良い思い出になろうと、より一層…決意を堅くするのだった。
…………………………………………………………………………
「ふむ、アマルト君…もうやめていいぞ」
「へ?」
魔力覚醒の修行を始めた魔女の弟子達。一方でナリアと同じように魔力覚醒をするための個別修行を始めたアマルトは今、魔仙郷を離れトラヴィス邸のとある一室にて、トラヴィスさんと二人っきりで覚醒の為の修行をしていた…いや、これが修行と呼べるかは怪しいが。
「ふむふむ…」
「あのー、これ修行なんすか?」
今俺は、全身に魔力機構みたいな器具を取り付けられた上で磔にされ、魔力を吐き出すよう命じられていた。
トラヴィスさん曰くここは『地下実験室』らしく、トラヴィスさんお手製の魔力機構がそこかしこに転がっている。そんな転がった魔力機構の上に座りながら機器から吐き出される紙を見ていたトラヴィスさんは、俺の言葉を聞くなり首を振り。
「違う、これは君の体内の魔力を確認するための機構だ。魔力の状態と魂の安定度を記号化し分かりやすくしている…まぁ簡単に言えば君がどれだけ魔力覚醒に近いかを視覚的に確かめているんだ」
「へぇー、そんな便利なモンがあるんすね〜」
「ない、だから私が作った。精度は…まぁ私を信頼してくれるなら疑わなくても良い、ってくらいか」
「へ、へぇ〜…」
ないから作ったって、この人マジの天才なんだな…。まぁともあれ今は覚醒する為の修行の前段階、何をどうすれば覚醒できるかを確かめているんだ。
正直自分で言うのもどうかと思うが、俺はそろそろいい加減覚醒してもいい頃だと思っている。だってもう魔力覚醒者二人も倒してるんだぜ?それも両方修羅場。実力があって相応の場面に出会せば覚醒が出来る…と言うのなら俺はもうとっくに覚醒しているはずだ。
なのに未だに覚醒の兆候すら見えない…これは一体どう言うことなのか。それをトラヴィスさんに話したらまずは調べてみようってことで今に至るわけだ。
「で、なんか分かりましたか?」
「ああ、事細かに分かった。まず最初に言うと…君はもう既に第二段階の入り口に差し掛かっている」
「え?差し掛かってるって…」
「軽く鍛錬を積めば第一段階の壁を越え第二段階に入ることができるだろう」
「おお!マジっすか!…え?でも俺まだ全然覚醒習得してないっすけど」
「第二段階に入る=覚醒を習得する…ではない、第二段階に入った者は須く魔力覚醒を使えると言うだけで、この二つにそもそも連動した関係性はない。事実第二段階を大幅に超える実力者でも魔力覚醒は使えないと言う事例もある」
「え…じゃあ俺、覚醒は…」
「ふむ、その件だが…そうだな、しっかり話すとしよう」
するとトラヴィスさんは紙をそこら辺に捨て、読書用のメガネを外しこちらを見る。その畏まった態度にちょっと恐怖を覚える、だってこう…覚醒なら直ぐに出来るよって空気感じゃないからだ…むしろ嫌な予感さえする。
「魔力覚醒には当たりハズレがあるのは知っているか?」
「え?当たり外れ?」
と、いきなり突拍子もない話をされて頭にハテナが浮かぶ、けど直ぐに理解する…当たりハズレ、つまり覚醒の良し悪しだ。使いやすい覚醒もあれば使いにくい覚醒も当然ある…それはつまりくじ引きを引くように運とかなんだとかの不確定要素に頼らざるを得ない部分が多い。
「使いやすい覚醒使いにくい覚醒ってことてすか?」
「ああそうだ、して…君は当たりの覚醒とはどんな覚醒だと思う?」
「そりゃメチャクチャ強い覚醒っしょ、メルクとかラグナとかあの辺は強いなぁとは思いますよ」
「そうだな、概念抽出型や世界編纂型は非常に強力なものが多い、ならハズレは?」
「肉体を強化するだけ…とか、変化の幅が小さいやつ?」
「違うな、肉体強化は元より肉弾戦を主とする者が目覚め覚醒だ。元から強い肉体がさらに強くなるのだから弱いと言うことはない」
「えぇ、じゃあ何がハズレなんですか?」
そう問いかけるとトラヴィスさんは近くの本を掴み、パラパラと捲る…すると。
「数百年前、とある魔術師が魔力覚醒を習得した。その魔術師は第二段階に至ると同時に魔力覚醒を発動させたが…どうなったと思う?」
「え?どうなったって…そりゃ覚醒したんでしょ?」
「ああ、覚醒した…と同時に、死んだ。覚醒と同時に彼の体は爆発四散し跡形もなく消し飛んだ」
「え…!?」
「恐らくだが彼の覚醒は肉体を爆薬に変える覚醒だったか、そもそも肉体を破壊する覚醒だったと推察される。つまり自己破壊系の覚醒だったんだ、魔力覚醒とは強力だが必ずしも自分にとってプラスになるものばかりではない、生き様によっては自分にマイナスしかない覚醒に目覚める場合も少なからずある…これが所謂、ハズレだ」
言われてみれば…確かにそうだ。必ずしも自分にとって良いことばかり起こる、そんな都合のいいものではないと言うのは分かる。だって魔力覚醒は生き様によって決定される、つまり覚醒の内容は自分では選べないんだ。
なら、悪いことが起こる覚醒だって存在する…けど。なんで今…その話するんだよ、この話の流れ的に…それじゃまるで…。
「もったいぶった言い方はやめる、はっきり言おう…君の覚醒はその自己破壊系、つまり…覚醒すれば君にとって良くないことが起こる覚醒だ」
「え…え…えぇ?」
「恐らくだが君は既に覚醒の要項はクリアしている、しかし君の『死ねない』と言う心に呼応し魂が魔力覚醒にロックをかけているんだ。君の経験した戦いはどれも…死ねないものばかりだったろう?」
それは…確かにそうだ、アンブリエルの時もサイの時も…絶対死ねない、負けられない戦いだった…けど、だから俺の覚醒は答えなかった?使えば…俺は。
「じゃあ俺、覚醒したら」
「ああ、死ぬ。ここは推察ではなく間違いないと断言出来る」
「────────」
愕然とする、詰まるところ俺は魔力覚醒を習得しそれを発動させたら、そのまま爆発して死ぬのか…?な…なんだってそんな…。
「なんで…!」
「君、今まで相当無茶をしてきただろう、それこそ命を投げ打つような戦い方を何度も」
「う……」
「自分の命の価値を軽く見ていた、自分が死んで解決するならそれで良い…そんな生き方をしてきたから、君の生き様によって覚醒が決定し、命を投げ打つ覚醒になってしまったんだ…」
「…………」
今まで俺は、自分が死んで解決するならそれで良いと思っていた。だから魔女の血を飲んだり、シリウスの血を飲んだりして…時に死にかけながら、リスク承知で戦ってきた。そこに俺自身の自暴自棄になりやすい元来の性分が合わさって…そんな覚醒になっちまったってのか。
詰まるところ何か?俺は覚醒を使用したら死ぬ…、死ねないと思っている限り覚醒は答えない。それはつまり俺は今後一生…どうやったって覚醒出来ないってことじゃねぇか。
「………嘘だろ」
「…君は覚醒を使えば死ぬし、死ねない心がある限り覚醒することもない。君が今後覚醒することはない…と断言する、悪いがそれが真実だ」
「…………」
そりゃねぇだろ…仲間達はみんな覚醒して、ドンドン強くなってる。敵も強くなっていくし事態だってやばくなっていく。そんな中俺だけ覚醒も出来ず今までみたいになんとか騙し騙しやっていくってのか?これから一生。
そんな誤魔化し…いつまで効く、いや誤魔化しが効いたってそんなの…俺一人置いていかれることに変わりはないじゃねぇか…。俺だけ置いて行かれて、俺だけ弱いままで、みんなに気を遣われて…足を引っ張って…。
それって…友達って…言えんのか……?
「俺…どうしたら…、今から覚醒を変えることって…」
「無理だろうな、自らの生き方が確定し覚醒が出来上がる年齢が大体十二歳前後と言われている。そこを超過している以上どうしようもない…何より今更君自身が生き方を変えられるか?」
「……じゃあ俺、一生覚醒出来ないんですか…」
「……悲しい言い方にはなるが、そうなるかもな…」
「……………」
なんだそりゃ、そりゃねぇだろ。いつもいつも…こんなのばっかかよ、一生涯かけて目指そうと思う物を見つけても、何かにそれを踏み潰される。
今回のは特に効いたぜ、まさか今まで頑張ってきた分野で絶対に大成出来ない事が確定しちまったんだから。オマケにこのまま行けば俺は無二の友から置いて行かれるかもしれないんだ。…いや置いて行かれることはねぇだろうな、アイツらはきっと俺を待つし、手を引いて連れて行ってくれる。
だからこそ、それが情けねぇ…俺はただみんなと一緒にいたいんじゃねぇんだ。みんなと一緒に戦いたいんだ…アイツらの守りたいモンを俺が守ってやりたいんだ。なのにこんなの…あんまりにも……。
「……くっ…」
「アマルト君…」
落ち込み項垂れるアマルトを前にトラヴィスは少しだけ、逡巡し…迷うように口を開き。
「アマルト君、これが君の望む結果になるかは分からないし…どのような結末になるかも、私でさえ分からないが…一つ、提案がある」
「提案…?なんすか?」
「ああ、それは───────」
それが如何なる結果になるかは分からない、だがそれでもアマルトを放っておくことが出来なかったトラヴィスは…一つの提案を彼に持ちかけるのであった。
……………………………………………
そして、弟子達が修行を開始した時刻と…丁度同刻。
「つまりイシュキミリ様はこちらに来られないと」
「みたいです」
「なるほど…」
古都ウルサマヨリに張り巡らされた裏路地に地下通路、それらを越えた先に存在する領主さえも知らない広大な地下空間にて、闇は蠢く。
薄暗く半端に灯る青白い炎のランタンはこの部屋を支える無数の白い柱に取り付けられ我々を照らす。されど未だ闇は深く部屋の最奥は闇に包まれ、柱の先もまた闇に飲まれ、ただただ黒い闇が視界には広がる。
「ご苦労、ミスター・セーフ」
「あいあいシモン様、それでなんか思いつきました?」
シモンと呼ばれた男はミスター・セーフの言葉に反応して顔を上げる。そしてそんなシモンの前に立つのは頭部が金庫の異形の紳士ミスター・セーフ。その隣にはコミュ障の女魔術師アナフェマも一緒だ。
そう、ここに集いたるはその全てがメサイア・アルカンシエル。魔術解放団体メサイア・アルカンシエルの中枢を担うと言われるメンバー達だ。普段路傍で抗議活動をしている末端の構成員とは違う、本物の魔女排斥派、本物の八大同盟、他の魔女排斥と争い勝利を収め長きに渡り同盟の座を死守してきた本物の武闘派達だ。
そして、そんな武闘派達を纏めるのが。
「あ、すみません聞いてませんでした」
「えぇっ、聞いてなかったって、参謀じゃないですか〜しっかりしてくださいよ〜、え!?返事しましたよねぇ!耳ついてるんですかぁ?」
「あ、はは。申し訳ない」
「しっかりしてくださいな?メサイア・アルカンシエルを裏から支える大参謀『シモン・アルマンデル』様」
「いやぁ…」
彼こそが、メサイア・アルカンシエルを支える裏の支配者『大参謀』シモン・アルマンデル。なのだが…。
「にしても冴えないですねぇ」
そう言って向けられる視線の先にいるシモンを一言で表すなら『モブ』だ。痩せぎすの体の、枝みたいな手足、ボサボサの白髪に丸メガネをした壮年の男。冴えないと指摘されれば困ったようにハンカチを取り出し汗を拭いながら慌ただしくメガネをクイクイと動かす、まさしくモブ、絵に描いたようなモブだ。
しかしこんな奴でもメサイアアルカンシエルの先代会長に付き従った三人の忠臣のうちの一人にして未だ若く組織運営を知らぬイシュキミリに代わって彼を支えるように組織を維持することを命じられた大参謀、それが彼だ。
齢を七十以上としながらも未だ聡明かつ悪辣な頭脳を持つと言われる彼はイシュキミリが戻らぬ現状に顔の皺を撫でる。
「あのー、それでイシュキミリ様が戻られないと言う事ですが。何かあったんでしょうか、あのお方は自らが決めたことはしっかり守られる方だと思っていたのですが、いやはや」
「いや、別にないっすよ」
「せせせせせセーフさん嘘ついちゃいけませんよ、なんか客人がいたんですよトラヴィスの館に!それでいつもより人目が多くて抜け出せなかったんですぅ!」
「おやぁ?客人ですか…そうですか」
キラリとシモンのメガネが白く光る、トラヴィス邸を訪ねる者は少ない、そもそもトラヴィスを態々尋ねようと思えばあの密林を超える必要があり、尚且つそうまでしてトラヴィスに会いたい人間なんて魔術師くらいしかいない。雑多な魔術師風情がトラヴィスに客人として招かれるはずもないし、招かれる程の高名な魔術師ならそもそもトラヴィスを訪ねる暇もない。
一体誰が…そう考えていたがセーフもアナフェマはたじろぐばかりで何も答えない、肝心な情報をとってこないとは役立たず極まりない。
「魔女の弟子よ、シモン」
「んん……?」
響く声が、闇を切り裂きシモンの耳に届く。その声に反応しメガネをクイっと上げるシモンはズラリと並んだアルカンシエルの構成員達が海のように割れる様を見る。
「今トラヴィス邸にいるのは八人の魔女の弟子、貴方には共有してなかったかしら?今あそこに魔女の弟子が来ているのよ」
「おやマゲイアさん、お久しぶりですね」
現れたのはアルカンシエルの大幹部…四魔開刃、その第二刃マゲイアだ。カルウェナン、シモンと共に先代会長時代から幹部を務めていた者の一人であり、シモンからしても長い付き合いである彼女が一人遅れて現れてきたことに対し穏やかに挨拶を交わす。が、マゲイアはそれを無視。
自由人のカルウェナンと自由行動のマゲイア、どちらも実力だけで見るなら超一級ではあるもののどちらも自由気ままに行動する気質であり、彼女達の独断専行に何度も頭を抱えさせられた身としてはどうにも好きになることが出来ないのだ。
「しかしそれは本当ですかマゲイアさん、魔女の弟子とは。と言うか何故それを私に教えてくれないんですか…」
「ごめんなさーい!忘れてましたー!」
「え?え?え?わわわわ私は教えようとしましたけどマゲイアさんが私からシモンさんに伝えると…」
「マゲイアさん、貴方…」
「オホホホ、ごめんなさい。私も忘れていたわ?」
「いやはや、困りましたなぁ」
「そう言わないでお爺様?こうしてちゃんと教えてあげたでしょう」
「いやぁちょっと報告が遅いですなぁ、何せ魔女の弟子と言えば…ほら、八大同盟を潰してる人達ですし」
魔女の弟子は今現在最も警戒すべき存在だ、守りに入っている魔女大国よりも、生半可なことでもなければ戦線介入しない魔女よりも、積極的にマレウス内を飛び回り八大同盟を潰してまわっている魔女の弟子の脅威度は高い。
高い戦闘能力と急激な成長速度、どれを取っても最悪と言ってもいいレベルの存在…それが来ていることをよりにもよって参謀に言わないとか頭がおかしいとしか思えない。
「今魔女の弟子達がトラヴィス邸にいる、けど何をしているかまでは分からないわ」
「では調べてきてください」
「無理よ、下手に近づくとトラヴィスの魔力探知に引っかかる。デティフローアの魔力探知範囲もえげつないわ、無意識にあり得ない範囲を探知し続けてるの、接近は不可能よ」
「………なるほど」
今、トラヴィス邸に魔女の弟子がいるのは完全なる誤算だ。だがそれは同時に魔女の弟子達にとってもそうだろう、まさかここに我々がいることなど露にも思っていない。
つまりそれがアドバンテージ、自分達は先に敵の存在を知覚している。ならばこそ…そこを活かすべきか。
「敵が居ようとも、計画に変更はありませんね。皆々様、早く白露草を取ってきてください」
今必要なのは魔女の弟子の首ではなく『白露草』だ。ああそれと…。
「ついでに、『彼』も殺してきてくださいね」
そうシモンは告げる、まるでなんでもないことを命令するように一人の男の殺害を。
既に計画は動き始めている、だからこそ今更誰にも止められないと…シモンは笑顔も見せず、ただただ先に進める。




