表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十七章 デティフローア=ガルドラボーク
651/835

596.魔女の弟子と魔女の執念


エリス達が南部に来て、早くも二週間の時が過ぎた。


「さぁ動け!考える前に体を動かし!感じるよりも前に魔力を張り巡らせろ!」


木々に囲まれた不可思議な空間『魔仙郷』にてトラヴィス卿が叫ぶと同時に彼の魔術によって操られた剣が、斧が、槍が、矢が、槌が…鉄製の武器が高速で飛翔し木々の隙間を縫って横殴りの雨のように降り注ぐ。


「フッ…!」


そんな中、エリスは軽く息を吐きながら飛び上がり、木を蹴って空を舞い飛んでくる武器を回避しつつ周囲を確認する。目で見ずとも分かる、空気を割いて槍が数本こちらに向かってくるのが。速度は上々、このまま行けばエリスが向こうの木に足をついて再加速しようとしたところで衝突することになる。


出来る事は二つ、クルリと反転して槍を叩き落とす迎撃とさらに強く踏み込み再加速を素早く行う回避。だが双方共にある程度のリスクを伴う、何か一つ踏み間違えればそこら中を飛び回る武器に捕まり瞬く間にエリスの全てが瓦解するだろう。


だからこそ…ここでするべきは。


「…ッ展開!」


瞬間、飛翔し駆け抜けた先にある木の枝に足をついたその時エリスに向けて飛んできた槍が虚空で弾け火花が散る。一瞬展開した防壁が槍を弾いたのだ。


そしてまた次の瞬間にはエリスは枝を蹴って空を舞っている。防壁の展開に一切の『溜め』がない、別の行動をしながら間に挟めるほどに素早く、そして無駄なく最適化された防壁展開はエリスの行動を阻害する事なく瞬間瞬間での展開を可能とする。


「ほう、筋がいい!だが追い討ちが来るぞ!」


それを見たトラヴィスは指を鳴らす、すると天を駆け抜けていた武器の数々が方向を変え更に加速する、空を走るエリスを再び多くの鋒が狙う。これを弾くのに魔術を使うのはルール違反だ、だからエリスに出来るのは…。


「ッ……!」


飛んできた矢に対して防壁を生み出し弾く、飛んできた斧がエリスに当たる前に弾かれひしゃげる、真っ直ぐエリスの背中に向けて飛んできた槍が衝突の寸前でへし折れ火花が迸る。目の前の木に足をついて更にもう一度加速し空へと躍り出るまでの間に十三度エリスの周囲で火花が迸る。


常に防壁を展開する必要はない、重要なのは意識的な無意識行動。攻撃に対して確実に体が反応し、その反応を制御し確実な防壁として顕現させる事。エリスはそれをこの二週間で学んだ。


トラヴィスさんは言った。


『エリス君は物事を捉える事に長けている、そしてどれだけの情報を仕入れてもそれを忘れる事も見失う事もない、なら常に備えるよりも一つ一つの事象を確実に捌く方が戦いやすいだろう』…と。


常に防御し続けるより一瞬に防壁を集中させるやり方の方がエリスにはあっている、こうやって全力で動き回りながら足を止めずにそれをする事でエリスの動きそのものをより先鋭化する。そしてトラヴィスさんの言った通り…エリスにはこのやり方があっていた。


正直目から鱗でしたよ、師匠はエリスに対して立ち回りそのものは教えてくれない。あくまで組み手の中で自分で作り上げろというスタンスだからだ。そのおかげでエリスは強くなれたが…変なところで師匠を真似ていたところがあった。


それが抜けて、今はもう…完全にエリス自身の動きを確立しつつある。


「うむ、やめッ!」


「ッ…」


終了の合図が響き渡り、エリスはクルリと地面に向けて着地をし…息を整え。


「ッ展開!」


最後の最後、騙し討ち気味に背後から飛んできた剣を見逃さずエリスは防壁を展開し弾き返すと…トラヴィスさんはニタリと笑って大きく頷く。どうやら、試されたようだ。


「よし、全員見違えたな」


「ありがとうございます、トラヴィスさん」


「最初に比べればだいぶ慣れたかな」


「ああ、防壁の練度が確実に上がったのを感じるぞ」


武器が転がった大地を歩きながらエリスはトラヴィスさんの元へ戻る。すると方々に散っていた弟子達もまた合流する。ラグナは堅実な防御で武器を弾き、メルクさんは技巧を高めエリス同様行動と防壁を両立させている。


他にも途中合流したアマルトさんもナリア君も、デティもメグさんもネレイドさんも、皆無傷だ。この『千刃の業』を最初にやった時はみんなズタボロだったのに…成長してる、確実に。


そしてそれを認めるようにトラヴィスさんは腕を組み…考え込むと。


「ふむ、よくぞ頑張った。防壁に関してはこれくらいでいいだろう」


「え?俺達防壁極めたんですか?」


「そう簡単に極められる物ではない、一つの技術を極限まで高める事は事実上不可能だ。だが教導によって成長出来る範囲は脱した、ある程度物になったしこれからは自分で組み上げていく段階だ。魔術を修める身ならこの言葉の意味も分かるだろう」


「……なるほど」


ネレイドさんが頷く、というかみんな理解する。エリス達は手取り足取り教えてもらえる段階を超えた、つまり基礎とされる技術は粗方叩き込まれたことを意味する。確かにみんな漠然と使っていた魔力防壁に一つの『理論』を見出しつつある。


エリスの場合『防壁は如何に行動を阻害しないよう最適に展開するかどうか』という理論。


それは一つ一つが違う理論だ、人によって異なる理論にして持論。ここから先は自分でその理論を補完しより完璧にしていく段階なんだ。


「よって!これより魔力防壁の修練を終了とする!」


「ようやくかー!長かったような短かったような」


「毎日のように転がり回ってようやくでございますね」


「うん、…普段使わないところを使ってたから、疲れた」


これにて魔力防壁の修行は終了となる。それはつまりようやくエリス達はこの世界の最上位の戦場…そこに足を踏み入れる権利を得た、ということだ。まだ最上位と互角に戦えるようになったわけじゃない、ただ同じ土俵に立っただけ…でも。


分かる、バシレウスやコクマーが見せていた絶対的な力。圧倒的な実力の正体…それはエリス達では想像もつかないほど強力で無駄のない防壁を運用していたからこその物なのだと、この段階にきてようやく理解できた。


まぁ、追いつけるかどうかはまた別の問題だが…。


「明日から魔力覚醒の修練に移るからそのつもりでいてくれ」


「ああ、けど…その前に」


「分かっているさラグナ君、…その前に約束だ。マレフィカルムについて話をしよう、私が知る範囲の事を」


「ありがとうございます」


が…その前にエリス達はトラヴィスさんから話を聞かなきゃ行けない、彼がそもそもエリス達に連絡を行ってきた理由。つまりマレフィカルムの件について話をしたい、そういう約束だったしね。魔力防壁をマスターしたらその話をすると。


正直、どんな話が出てくるか分からない。当初は何かの手掛かりになれば良いくらいに考えていたが…果たしてどうなるか。


「よし、では返してくれ」


「へ?」


すると、トラヴィスさんがエリス達に向けて手を差し出す。返してくれと…ラグナ達はそれが何か分からないと言った様子で首を傾げる。何かを貸されていたか?何かを持たされていたか?とみんな自分の持ち物を確認しようとしたが、エリス達は今修練用の薄着を着ているだけ。


まさかこの服を返せというのか?だがこれはまだ使う…とラグナが言い出そうとした時。唯一エリスは…唯一『忘れていなかった』エリスは、トラヴィスさんにそれを返す。


「はい、ありがとうございましたトラヴィスさん」


「フッ、君は忘れていなかったか。君に関しては忘れる…という事そのものが出来ないみたいだな」


「こればかりは」


「え?ああ!」


するとラグナ達もエリスが返したものを見て思い出す。そう…返すのは、頭の上のコップですよ。


「やっべー、すっかり忘れてた」


「四六時中つけてましたからね、僕もさっぱり忘れてました」


「癖になっていたからな…だが」


「無意識で展開、出来るようになってた」


全員が気がつく、まだ頭の上の防壁にコップを乗せていた事に。二週間前のあの日、乗せることを義務付けられてから一度として降ろすことなく生活を続けた事により、防壁を展開することが日常の一部になっていたのだろう。


だからこそ、忘れた。忘れるほどに、馴染んだ。まぁエリスはそもそも忘れるということをしないのでずっと意識の片隅にありましたがね?


「防壁技術を上達させるには、とにかく使い続けるしかない。無意識でも惰性でも使い続ければその分体に馴染む、これからは日常的に自主練に励むように」


「はいっ!」


ラグナは自身の手を握ったり開いたりしつつ感覚を確かめている。防壁が上達した…かどうかはまだ実戦で試してみないと分からないけれど、少なくとも上手くはなってるんだろう…多分ね。


「さぁて、館の方へ行こう。ここで話すのもなんだろう」


「確かに〜、あれ?今日はイシュキミリいないんすか?」


ふと、歩き出したトラヴィスさんに続いたアマルトさんが周りを見る、確かに今日はイシュキミリさんがいない。そういうもんだと割り切っていたが…思えば彼は毎日欠かすことなくエリス達の様子を見にきていた。そして何かある都度的確なアドバイスをしてくれていたのだが…今日はいないのか。


出来ればエリス達がトラヴィスさんから及第点をもらったところを見て欲しかったな…って気持ちはあるのだが。


「今日は仕事だ、なんでも研究以外の仕事があるらしい」


「研究…そういえばイシュキミリさんは普段一人暮らししてるんですよね、仕事の関係上街を離れてるって聞きましたけど」


「ああ、魔術理学院直轄の研究所でな」


「じゃあ今は中央都市に?」


「いや…まだこの街にいると思うが。すまないな、私は彼の仕事に口出しをしないようにしているんだ、だからイシュキミリも仕事の話を私にしない。だから分からないんだ」


「なるほど…」


ともあれイシュキミリさんは今日はいないようだ、まぁ暫く離れるならあの人なら別れの挨拶くらい言うと思うし、何も言わずに行ったと言う事はすぐに帰ってくると思うのだが…帰ってきたらまた修行の成果を話すとしよう。



…………………………………………………


「魔手茶でございます」


「あ、どうも」


そしてエリス達は館のとある部屋へと招かれた。ここはトラヴィスさん曰く『研究室』らしい。


そこかしこに大量の本を敷き詰めた本棚が並び。部屋の中心には何に使うのかよく分からない器具が大量に取り付けられた水晶がドカンと置かれ。窓から差し込む陽光が照らす先には大きな黒板が配置された部屋だ。


そこに並べられた椅子に座るとアンブロシウスさんが奥からよく分からないお茶をみんなに配ってくれた。ティーカップに入った赤いお茶だ…でも匂いが紅茶じゃない。


「これ…魔力薬学の?」


スンスンとデティがお茶の匂いを嗅いでそう言う。それに伴いエリスもまた匂いを嗅いで…理解する。これはよく師匠が入れてくれるお茶に似ている気がする。薬草を煎じて淹れたお茶だ、魔力を活性化させたり疲労を取ったりする効果があるやつだ。


「庭先で栽培してる薬草を煎じた物です、修行終わりなので疲れているでしょうしお淹れしました」


「なるほど、ありがとうございます」


「さて…どこから話したものか」


すると、お茶を飲んだエリス達の前にトラヴィスさんが立ち、黒板を前にチョークを持ち顎を撫でる。そして暫く悩んだ後…トラヴィスさんはチョークで色々と描き始め…。


「まず整理しておく、君達はマレフィカルムと戦っている…そうだね?」


「はい、俺たちは一応魔女側の人間なので」


「そして師匠達からマレフィカルムを倒すことを命じられ、修行の一環としてマレウスにやってきました」


「なるほど、相変わらず凄まじい無茶を言う…。なら君達は八大同盟の構成組織が何かは知っているだろうか」


「知ってます…」


八大同盟、マレフィカルム全体を統括する管理者であり表の顔とでも言うべき八つの組織…。


『ハーシェル一家』『逢魔ヶ時旅団』『メサイア・アルカンシエル』『パラベラム』

『マーレボルジェ』『ヴァニタス・ヴァニタートゥム』『クロノスタシス王国』『ゴルゴネイオン』


それそれが魔女大国と正面切って戦えるだけの大戦力を有しており、彼らがマレフィカルムを支える土台と言っても過言ではない。


また、加入の条件はいくつかあり、まず現行の八大同盟を陥落させること…そしてマレフィカルム内で八分の一以上の傘下組織を持つことだ。と言っても八分の一以上の傘下組織を作ることだって簡単じゃない、結局今の同盟を陥落させるより他ないんだろう。


故に傘下組織を持たない場合はどれだけ強くとも八大同盟としてカウントされない。例えば大いなるアルカナは戦力面で言えば八大同盟級だったが傘下となる組織が殆どいなかった為同盟入りは叶わなかった。


そして同じくマレフィカルム最強の組織と呼ばれる『五凶獣』もそうだ、戦力は八大同盟以上。しかし一切傘下を持たない為同盟入りは果たしていない…まぁ、扱いは八大同盟と同等だが。


「詳しいな、帝国の諜報能力かな?」


「ええ、帝国の捜査により八大同盟の構成組織は分かっています…が、その内約や構成員までは…」


「無理もない、調べられて名前が出て来るような迂闊な奴は…そもそも八大同盟に入ることも出来んからな。かく言う私も完全に八大同盟のメンバーを知っているわけでもない、奴らは文字通りこの世界の暗部…探ろうと踏み入れば、それは即ち奴等に目をつけられる事になる」


「トラヴィスさんは、八大同盟を知っているんですね」


「まぁな…、私もこの国を憂う身としてかつては色々な無茶をした、その甲斐あって多少は物を知っている。私が話したいのは…それよりも先に踏み込んだ話だ」


するとトラヴィスさんは魔術で近くの椅子を引き寄せ、それに腰を下ろすと…大きく息を吐く。


八大同盟よりも深く…踏み込んだ話。マレフィカルムにとっての最大戦力でもある八大同盟、魔女排斥の王と言っても過言ではない奴らよりも更に踏み込んだ先にあるのはなんだ?


一つしかない、そこに居る存在は…。


「私が話したいのは奴等の根源…君達は、セフィロトの大樹という言葉は知っているか」


「あ……」


セフィロトの大樹…魔女排斥機関マレウス・マレフィカルムを創設した中枢の組織。八大同盟すらも上回る最強の存在。ダアトやバシレウス、コクマーが所属する今この世界に存在する魔女排斥全ての大元締め…エリス達が倒すべき存在。


その名は知っている、ダアトと相対した時その名を見ている。勿論みんなも知っている、先日の帝国での騒ぎを知っているから、だから驚きはない…がデティだけが一人口を開き、驚きに満ちた顔をする。


「デティ?」


「…トラヴィス卿、その質問するの…初めてじゃないですよね」


「え?」


「…………」


初めてではない、とはどういうことか?いや…これはデティとの個人的な話しか、つまりトラヴィス卿はデティとの会話でセフィロトの名前を出した事がある…?


「私、その話されるの初めてじゃないですよね。昔、アジメクで導皇会議を開いた時…トラヴィス卿から言われました、『セフィロトの大樹という名前に覚えはあるか』と…今、その言葉を聞いて思い出しました」


「……………」


「トラヴィス卿は、そんな昔からセフィロトの大樹について知っていたんですか…いや、確か貴方はそれと一緒に…あの名前も出していました…」


「…魔女シリウスについて、知っているか…とね?」


「ッ…!」


エリス達の間に電流が走る。そもそもセフィロトの大樹とは帝国が死に物狂いで情報をかき集めなんとかその名前だけ知る事が出来たほどのトップシークレット。ましてやデティが聞いたのはマレフィカルムの活動が活発化するよりもずっとずっと前…。


そして、更に魔女様がその存在の痕跡すらも完全に消し去っていた筈の魔女シリウスについても、トラヴィス卿は知り得ていた。


これははっきり言って異様な事だ。トラヴィスという人間は魔術界では偉人ではあるものの、それでも一介の貴族に過ぎない彼が…それほどの情報を持っているのは異常なのだ。


だが、トラヴィスさんは一人…ニタリと笑っており。


「トラヴィス卿、どうしてそれほどの情報を?」


「それが、君達に話したい事…という奴さ」


「私達に…話したい事…」


「ああ、…実は私はね。もう随分前からマレフィカルムについて探っているんだ、世界中を旅して魔術界の安寧維持のために努めつつ、もう一方では情報をかき集めていた…『彼』と一緒にね」


「彼?一人じゃないんですか?」


「…………」


すると椅子に座ったトラヴィス卿は顎を撫でながら暫く目を伏せ考える。今…彼の頭の中では様々な情報が行き交い、整理されているんだろう。話すべき事と話さなくても良い事、そして話すべきではない事が。


そして、その整理を数秒で終えた彼は目を開き。


「私には協力者がいる。いや…正確に言うなれば私は彼の協力者と言うべきか。彼が主体となってマレフィカルムについて調べている」


「彼?…それって誰ですか?」


「友人だよ、私の。古い友人さ…私は表から、彼は裏から、二人で協力して長い間動いていた。けれどすまないね。彼の名は口に出来ない約束なんだ、本来ならその存在すらも口外しない約束だが、私は彼が集めたすべての情報を君達に託す。君達こそ彼が求めた『全ての流れを変える存在』だと見込んだからこそ、話そうと決断した」


するとトラヴィスさんは杖をギュッと握り、動かなくなった自らの足を見る。彼…とは即ちトラヴィスさんの友人、友人は古くからマレフィカルムについて調べ上げトラヴィスさんに協力を仰いでいた。


魔術界の安寧に貢献しながらという事は少なくともその活動は一朝一夕のものではない。それこそ何十年単位で二人で動いていた…その結果彼はセフィロトの大樹とシリウスの存在に行き着くに至った…が。


その無理が祟り、もうトラヴィスさんはその活動に協力出来なくなった…だからこそ、その探究の結果をエリス達に託す決断をした。八大同盟…セフィロトの大樹…そしてマレフィカルムと戦う道を選んだ魔女の弟子達に全てを託す覚悟を。


「友人は長い年月をかけてマレフィカルムを調べ上げた。それは魔女達から見ればなんとも短い…瞬きのような時かもしれないが、人にとってはあまりにも長い長い時をかけてマレフィカルムを調べたんだ…その末に彼は行き着いた、マレフィカルムの闇に隠れた真なる支配者に」


そうしてトラヴィスさんが書き上げたのは…セフィロトの大樹のメンバー達の名。


それは、エリスとメグさんがあの日帝国で出会ったメンバーも含めたセフィラ達の名だった。


王国のマルクト

知識のダアト

栄光のホド

基礎のイェソド

美麗のティファレト

勝利のネツァク

知恵のコクマー

理解のビナー

慈悲のケセド

峻厳のゲブラー

王冠のケテル


…計十一人のセフィラ達、内五人は見た事がある…コクマー、ホド、ケテル、ダアト…そしてマルクト、つまりバシレウスだ。


「十一人…」


「エリスが会ったって奴もいるよな」


「はい、そしてそいつら全員が将軍と渡り合える実力を持っていました。つまり…全員が第三段階です」


「…八大同盟の盟主でさえ第二段階だぞ…、それを超えるのが十一人だと…」


第三段階ってのはそうホイホイ居ていい存在じゃない、百年に一度、二百年に一度…一人現れるかどうかの存在だ。最近ではその数を急激に増やしているとは言えそれでも圧倒的過ぎる布陣だ。


「セフィラは、八大同盟を含め全てのマレフィカルムが反旗を翻しても跳ね返せる戦力を、総帥自ら選定し加えているんだ…強いに決まっている」


「ジズの願いは、どうあれ叶いそうにないですね」


八大同盟が反旗を翻しても大丈夫な戦力か。つまるところそれは総帥ガオケレナは本心では自身の手駒たる八大同盟を信頼していないということか、元より魔女大国と違い自身の思惑から参加したものだけで構成されたマレフィカルムだからこそ、本気で信頼する事は出来ないのかもしれないな。


「にしてもよ、そんだけの戦力があるんなら思い切って戦争ふっかければ少なくとも魔女大国の一つや二つ滅ぼせそうじゃね?いくら魔女がいるつってもマレフィカルムの戦力はとんでもないわけだしさ」


「おいアマルト、滅多なこと言うなよ。俺達は今その可能性に怯えてるんだぞ」


「いや、アマルト君の疑問は最もだ…だが、言っておく。マレフィカルムは魔女大国に対して全面戦争を仕掛ける事はない、これは断言できる。少なくとも今は…だが」


「え?」


ラグナは首を傾げる。トラヴィスさんの断定的な口調に眉をひそめ…なんでそんな事が言えるんだと言いたげな視線を向ける。事実としてマレフィカルムは魔女大国に対して戦争を仕掛けていないが…だとしても何故そうまで断言出来るのか…。


その答えを述べるように、トラヴィスさんはここからが本題だとばかりに姿勢を正す。


「確かに戦力は揃っている、やろうと思えば今からでも攻められるし、セフィラも八大同盟もその備えがある。事実として総帥ガオケレナもまた魔女大国に対抗するために戦力を集めている…だが戦争は仕掛けない」


「なんで…そう言い聞きれるんですか?」


「そこからが本題だ、マレフィカルムにはこれほどの戦力が揃っているのに何故手を出さないか…友人は調べた、調べに調べ数十年の時が経ち、見つけたんだ。言ったろう?支配者に辿り着いたと…」


「支配者?ガオケレナじゃなくて?」


「ああ、ガオケレナさえ従わせる存在がいる…それは」


そこまで言われて気がつく。シンの記憶の中にもいた、マレフィカルムに関わっているであろう存在、そしてその創立に立ち会ったであろう…真の支配者。


そうだ、絶対にあの人だ…彼女だ、そう…それは。


「ガオケレナは…ウルキ・ヤルダバオトの命令を聞かざるを得ない状態にある。つまり今魔女大国との戦争を止めているのはウルキ・ヤルダバオトだ」


「う、ウルキ!?ウルキって羅睺十悪星の…!?」


「ウルキ…そう言えばアルカナ侵攻の際にも顔を出していましたが、そこまでの影響力を…」


ウルキ…師匠達八人の魔女の弟子でありシリウスの忠実な手駒、アルカナ侵攻の際マレフィカルム本部…いや当時はそういう言い方をしたが、今ならこういうべきだろう…セフィロトの大樹。セフィロトの大樹の伝言役としてアルカナの元へ顔を出した彼女こそがマレフィカルムを動かす真なる黒幕…か。


しかし何故彼女がマレフィカルムを止めて戦争を起こさせないようにしてるんだ?彼女にとって魔女大国は邪魔な筈…。


「待ってくれ、なんでウルキが魔女大国とマレフィカルムの戦争を止めるんだ?敵だろ?あいつ」


「ああ、だがさっきも言ったようにガオケレナの思惑とは別の場所をウルキは見ている。つまり総帥ガオケレナの目的とマレフィカルムの存在意義は別なんだ…そして私が伝えたいのは、マレフィカルムの存在意義、奴らの目的だ…」


「……ウルキの目的って言ったら、一つしかありませんよ…」


嫌な予感がする、マレフィカルムという組織そのものをウルキが作っているのだとしたら…ガオケレナの思惑すら無視して戦争そのものを止めているのだとしたら、その目的は一つしかない…!


そんなエリスの予感を、確かなものにするようにトラヴィスさんは長い前置きを終えてようやく本題に切り掛かる…。


「そうだ、ウルキの目的…そしてマレフィカルムが存在する本当の理由は…『原初の魔女シリウス復活の土台を作るため』なんだ」


「ッ…シリウスの…!?」


「思ったよりやばい目的が出てきたな、魔女大国一つ潰すのとは訳が違うぞ」


シリウス…それはウルキが八千年かけて動き続けた理由にして、唯一無二の目的。彼女がエリスと出会った時から公言している最大の目標…そうだよな、ウルキが動くなら目的はそれ以外あり得ない。


シリウスは復活の手立てを複数用意していると言っていた。本命がレグルス師匠の乗っ取りだとするなら、第二の候補がマレフィカルムの利用…?


「だがどうやって復活させるんだ…?」


「今から一年後に、魔蝕が起こる…それもただの魔蝕じゃない。惑星が既定の位置に並び惑星直列による本物の魔蝕だ、それにより鳴動する魔力の量は例年の比にならないと予測されている…その魔力を一気に束ね、ガオケレナの肉体を使いそのままシリウスの肉体を完成させるのだと、友人は言っていた」


「……そうか!分かりました!シリウスは師匠達の肉体を乗っ取るのを諦めて自分で一から魔女の肉体を作るつもりなんです!」


「エリス…そりゃ、本当か…?」


エリスが帝国で見たガオケレナは肉体を自在に作り変えられた。そして師匠との戦いで魂の複製も可能としていることを確認している。そこから考えるに恐らくシリウスはガオケレナの力を使い自分の器を用意するつもりなんだ。


ガオケレナの変異する肉体、変質する魂、そして不死身の体はシリウスの魂を受け止めて足る程のもの。そして魔蝕で動く魔力はシリウスの魔力だ、例年よりも多く魔力が動くということはその分シリウスの魔力をより多く使えるということ。


これは仮説だが、惑星直列魔蝕によって動く超膨大なシリウスの魔力を一気にガオケレナが取り込み、大量のシリウスの魔力を吸い込んだガオケレナの魂はシリウスの物へ変異する。魔力とは元を正せば魂だし何よりガオケレナの魂は自由に組み替えられる。


シリウスは師匠達の肉体を奪うという手段以外に、そもそも自分の肉体になり得る存在を作る方法も試していたんだ。かつて存在したニビルもシリウスの肉体になるために作られていたと言っていたが…なんてことはない、あれは試験運用。その本命こそがガオケレナなんだ。


「恐らくマレフィカルムを作ったのはガオケレナの意志、そこに相乗りする形でウルキが関与しガオケレナをコントロールしている。そうやってガオケレナをシリウスの肉体になり得る存在に育て上げ…惑星直列魔蝕を待っていたんだ。魔女大国とマレフィカルムが戦争をすればどの道どちらも多大な犠牲を払う。でもウルキは惑星直列魔蝕が起こるまでにマレフィカルムに滅んでもらっては困る…だから戦争を止めてるんです」


「…でもよ、それって惑星直列魔蝕が終わったら…」


「はい、ガオケレナはそのままシリウスに変わり、シリウスが率いるマレフィカルムが今度こそ地上を焼き払い、世界は終わります」


「なんてことだ…」


「そんな事になったら…起こっちゃいますよ、大いなる厄災が…」


絶句する仲間達を前にエリスは更に考える。だが不自然な点はいくつかある…例えばそもそも最初からマレフィカルムがシリウスの手駒なら何故四年前の決戦にシリウスはマレフィカルムを用いなかった?


これも仮説だ、推理だ。だが恐らくにはなるが…これは完全にウルキ一人で進められている作戦なんじゃないのか?シリウスはその事を知らず、またガオケレナもこの目的を完全に理解していない。ただ時が来たらそうなるようウルキ一人が調整していた…。


ウルキは四年前アジメクでシリウスが復活しなかった時のために、保険としてガオケレナやマレフィカルムなどの手札を切らずに残しておいたとしたら…ある程度説明はつく。


だが…まだ説明がつかない部分がある。それは…ガオケレナ本人の意思だ、マレフィカルムを結成したのはどこからどこまでがウルキの意思でどこからどこまでがガオケレナの意志なんだ?全く思惑の違う二人が一緒に組織を作り運用しているせいで意図が読みきれない。そもそも思惑が違うという点もエリスやトラヴィスさんの推理でしかない。


だが少なくともはっきりしているのは一年後惑星直列魔蝕が起こればシリウスが復活するという事。シリウスのことだ、マレフィカルムという丁度いい手駒があれば存分に活用するだろう。例え自分の与り知らぬところで結成された組織であれ、使えるなら使う…そしてその手の運用は間違いなく効率的なものになる。戦争に消極的なマレフィカルムとは脅威度のレベルが次元違いだ。そういうことする奴なんだ。


「私が友人から聞いた見立ても大体その通りだ。マレフィカルムはシリウス復活のための手立てに過ぎないと。少なくともウルキはそう考えているとな…だからこそ八大同盟や他の組織の意図を無視して戦争を止めている」


「戦争が起これば魔女が出てくる、魔女が出てくれば否応なくガオケレナとウルキの関係が明るみに出る…だから戦争したくないんだ、ウルキは」


「……話が変わってきた…」


ラグナは頭を抱えて項垂れる、エリス達がこの旅を始めたのはマレフィカルムによる破壊を止め、世界に平和をもたらすためだった。だが今はもう違う…シリウスが復活する可能性がある以上、平和をもたらす以上に世界の存亡に関わる話になってくる。


「師範達はこの話知ってるのか?トラヴィスさん、それ魔女に言ったか?」


「言っていない、私がこの事実を打ち明けるのは君達が初めてだ。魔女に知られれば少なくともウルキは勘付く。そしてウルキが勘付いたら…手段はより巧妙化し魔女対策を練ってくる。そうなると手の打ちようがなくなると判断した…だからこそ、君たちを選んだ」


「……………一年後、俺達にとっての期日と同じだ」


師匠達は期限を無くしどれだけ時間がかかってもいいからマレフィカルムを倒せと言ったが、奇しくも奴らの目的がエリス達にとっての刻限と同じである以上、タイムリミットに変わりは無くなってしまった。


「この計画を止めるには、惑星直列魔蝕が起こる前にガオケレナを倒すより他ない。だからこそ君たちはもっと強くなってもらわなくてはならない、ガオケレナの前には八大同盟が立ち塞がり、更にその先にはセフィラがいる。障害は多い、だからこそ…立ち止まることなく進むために、今強くなってもらわねば困るんだ」


「そういうことか…」


世界の命運がかかった戦いになってしまった。いやもっと思考を巡らせて考えるべきだった、シリウス復活…あり得ない話じゃない。ただ方法が突飛すぎてガオケレナというあまりにもイレギュラーな存在がピースとしてなければ成立しない図式すぎて気が付かなかった。


「…なぁトラヴィスさん、その協力者って人の助けは借りられないのか?」


「無理だ、私から彼に連絡する方法はない」


「本部の場所を教えてくれたりはしないのか?聞いてないか?」


「本部の正確な場所に関しては聞いていない。ただ彼が連絡を取ってくる頻度や状況から考えてマレウスの何処かにあるのは確かだが…こればかりはな。彼も本部の場所については意図的に避けている節があった」


「つまりその人は本部に出入り出来る人ってことか?でなきゃ…その言い方はおかしいよな」


「……………」


ラグナの指摘を受け、トラヴィスさんは黙ってしまう。その友人の素性は晒したくないようだが…どう考えてもマレフィカルムの外側から探って分かる範囲の話じゃない。内側から、それもかなり奥地に潜り込んでいないと分からない内容だ。


恐らくその友人は…マレフィカルムの人間、それも…かなりの地位にある人物だ。


「詮索はやめてくれ、彼の身を危険に晒したくない」


「悪い、友人だもんな…」


「ああ、…彼はデティフローア様にとってのエリス君のような存在さ」


「私にとってのエリスちゃん?それマジで大切ですね」


「照れちゃう」


「だからこそ、彼の名を口にすることはない。当然、彼を頼ることも許さない」


しかし、もしその人物がマレフィカルムの人間で、しかもそれなりに高位にいる人物だとしたら…その人の目的はなんなんだ?どうしてその人はトラヴィスさんに協力を仰いでまでそんな危ない橋を渡っているんだ?


シリウスが復活するから…という理由は『調査の結果』の筈。ならその人にとっては調査を始める理由が別にあった筈。…なんてここを考えても分からないんだけどね?そもそも誰かも知らないわけだし。


「しかしトラヴィスさん、警告のために俺達を呼んでくれたのか?いやありがたいんだけどさ…シリウスが復活するってだけなら別に手紙だけでも良かったんじゃないか?」


「私が伝えたいこととはシリウス復活の可能性、それにより危機感の喚起ではあるが…別になんの情報もないわけじゃない。君達は次の目的を見失っているんだろう?」


「え?なんかあるんですか?」


「我が友はマレフィカルム内部を探るにあたって最も警戒していたのはセフィラの存在だ。奴等はガオケレナ直属の部下にしてガオケレナにとっての手足だ、セフィラの動向は即ちガオケレナ自身の動向でもある…」


セフィラ…あのあり得ないくらい強い連中か。明確に表立って動き始めたのは先日の帝国襲撃が史上初と言われておりそれまでは存在すらも不確かだった文字通りマレフィカルムの闇そのものだ。


ダアトがあの時東部にいたのはジズの裏切りをガオケレナが認識していたから、だからあの時あの場にいて場を掻き回していたんだ…それは即ちマレフィカルムを守ろうとするガオケレナ自身の意思でもあった。


セフィラはガオケレナの意志の代弁者とでも言うべきか。


「ガオケレナはこの国の奥の奥まで根を張っている…当然、奴がこの国を自由に動かすに当たってセフィラは各地に配置されているが…中には『この国の要職』にもついてる者もいる」


「要職…?」


「ああ、ここで挙げた名前は全てガオケレナから与えられたコードネームに過ぎない…本名はまた別にある」


世界のマルクト…その本名はバシレウス、知恵のコクマー…その本名はゲマトリア・ソフィート、と言ったように全員が全員本名と別の顔を持つと言うことだ。多分ダアトにも本名はある…けど、だとするとそれは。


「……少なくとも分かっているメンバーは三人。特に注目すべきは基礎のイェソド、これはこの国の宰相レナトゥス・メテオロリティスだと言うことは確定している」


「……………」


「おや?驚かないのかい?」


「いや…まぁ、なんとなく予測はついていたと言うか…」


「どう考えても、レナトゥスはマレフィカルム側の人間だった。だがまぁ…こちらもビビって手を出していなかったのも事実だ」


レナトゥス…奴はマレフィカルムの人間、それもセフィラだ。正直確たる証拠があったわけではないが今までの状況を考えるにその可能性は濃厚だったよ…だってそもそも奴の部下であるソニアがマレフィカルム関係者なんだし。


けど…セフィラか、と言うことは奴も強いのか。確かに洒落にならない魔力を持っていたが…。


「しかしそうか〜…セフィラか〜…、せいぜい外部の協力者くらいに考えていたが、おもっクソ敵の中心メンバーじゃねぇか…」


「これは調べるしかないな、ラグナ」


「ああ、南部での修行が終わり次第中央都市に直行だな…あ、そうだ。トラヴィスさん、それ他のメンバーも分かるか?」


「ああ、ある程度はな」


「国の要職についているなら…例えばガンダーマンはセフィラじゃないのか?」


「ガンダーマンか?…いや私の手元にある情報には彼の名はなかった。だが彼はかつてマレフィカルムと行動を共にしていたと言う話は聞いたことがあるな」


「それ、マジなのか?」


「と言っても私が生まれる前の話だがね?そもそも彼はマレフィカルムと協力していたマレウス元老院の支援を受けている人物だ。ガンダーマンにとって不都合な出来事があれば元老院が動くし、元老院が動かすのは基本的にマレフィカルムだ。少なくともガンダーマンは空魔ジズの助けを借りていたのも事実だ」


「ジズかよ…、じゃあ限りなく黒に近いな。ってことはケイトさんが言ってたのはマジっぽいな」


ガンダーマンは限りなく黒に近い状態、ならやはり調べたほうがいいか。なににせよ奴のいる中央都市に行くのは確定か。そしてもし行くなら…セフィラに勝てるくらい強くなっておかないといけないな。


「ガンダーマンは分からないが他にわかっているメンバーはいる。まず勝利のネツァクはこの国の将軍マクスウェル・ヘレルベンサハル」


「マクスウェルって…あん時エルドラドにいた将軍か…!」


「……なにしに来てたんだ、アイツ…」


「そしてもう一人、美麗のティファレトはオフィーリア・ファムファタール…」


「…………」


するとラグナは腕を組み、暫く考え…見る、エリスを。そして…。


「誰だっけ」


いや覚えてないんですか!


「クルスの奥さんですよ!」


「あッ!いたなぁそんなの。なんでクルスの妻がセフィラやってんだ?」


「逆ですよ!セフィラがクルスの妻になって奴を動かしてたんですよ!王貴五芒星を支配出来る立場にマレフィカルムの手が及んでいたんです…」


そう考えるとこの国は完全にマレフィカルムの手の中にあると考えてもいい。ソニアは逢魔ヶ時旅団と組み、クルスはセフィラに裏から操られていた。そしてその王貴五芒星を動かしているのはレナトゥス、軍部を統括するマクスウェルもセフィラ。


エリス達が知らなかっただけであちこちにセフィラがいる。文字通りマレウスはマレフィカルムに支配されているんだ。恐らくだが他の機関や地位にもセフィラは潜り込んでいるんだろう。


思ったより、深く根が張られているようだ…なんて冷静に考えてますけど、正直メチャクチャ焦ってますよエリスは。だって…こいつら全員バシレウスやコクマーと同等ってことですよね、レナトゥスもマクスウェルも…もしアイツらが何処かでエリス達に襲いかかって来てたら、エリス達はその時点で全滅していた可能性もあるってことですよ。


「もし、マレフィカルムの本部を探りたいならレナトゥスを探せ。まぁ…そう簡単には行かないだろうが、手掛かりがないのとでは訳が違うだろうしな」


「いきなりセフィラに突っ込むのはちょっと怖いが、やるしかねぇしな」


「その通りだラグナ君。レナトゥスは狡猾で悪辣な女だ、なんせあれは元老院が多額の費用を使い作り上げた最高傑作だ。魔術の撃ち合いならともかく、戦闘になれば私だって勝てるか怪しい程なんだからな」


「そんなにか…なら気合い入れて修行しないとな」


結局、話はそこに行き着く。なにをするにしても今は強くならなくてはダメなんだ。今のまま本部に乗り込んでも、勝つことは出来ないんだから。


「よし!トラヴィスさん、早速修行をつけてくれ!」


「ああ、勿論だ…なら再び魔仙郷に…」


「……ん?」


瞬間、デティが険しい顔をして後ろを振り向く…と同時にエリスも察知する。魔力を感じるんだ、それもかなり大きな魔力、それが今…館の玄関を開けて入ってきた。


「誰か来た」


「イシュキミリじゃねぇの?」


「違います…あ、イシュキミリさんもいますけど、知らない奴が一緒にいます」


デティとエリスは椅子から立ち上がり思わず警戒してしまう。イシュキミリさんが誰かを館に入れた…けど、その入れた人間が問題だ。そこら辺をウロウロしてていいレベルの魔力じゃない。確実に名のある実力者と思われる存在が…黙ってエリス達のテリトリー内に入ってきたんだ。否応なく警戒するというものだ。


「…ッ!この魔力は!ッ…イシュキミリ!」


「ちょっ、トラヴィスさん!」


するとトラヴィスさんは何かに気がついたのか慌てて椅子から立ち上がり足を引き摺るように杖をついて部屋から出ていってしまう。恐らくは玄関に向かったのだろう、エリス達もそれを追いかけ玄関に向かう。


トラヴィスさんの様子はどう見ても普通ではなかった。何事も含み笑いか苦笑いで受け流す彼があからさまに顔色を変えて悪い足を引きずってでも移動したのだ、確実に良くないことが起こっている。


そう感じたエリス達はトラヴィスさんを追い早足で玄関口に駆けつけると…そこには。



「ッ…父上!?今は魔仙郷にいるはずじゃ…」


大慌てでやってきたエリス達やトラヴィスさんを見て驚くイシュキミリさんが玄関口に立ってこちらを見て、その傍らには…。


「…………」


大男がいた、頬は痩せこけ枯れ枝のように細く。目元はクマに覆われガサガサの唇と不健康そうな白い肌の大男が。そいつは純白の法衣を肩から袈裟懸けにし灰色の髪をだらしなく胸あたりまで伸ばしており。その隙間から金色の瞳が覗いている。


異様なのはその頭、頭部に荊の冠をかけ、背中から金色の腕が四本生えているんだ。もう一眼見ただけで普通じゃないって分かる、こんな格好の奴が街歩いてたらエリスは絶対二度見する。そのレベルで異質な気配を漂わせた男が…無感情な瞳でエリスを見ていた。


そして、息を切らしたトラヴィスさんと…大男は視線を合わせ。


「何をしに来た、ファウスト…!」


「ファウストって…魔術理学院の本部長!?」


ファウスト・アルマゲスト…魔術理学院の統括院長、即ちマレウス魔術学会の頂点でありマレウスの魔術を統べる者だ。国家ぐるみで秘匿される機関の院長がいきなり館の扉を開けてお邪魔しますしに来たんだからそりゃあ驚きだろう。


だが大男は…ファウストは特に反応を示すこともなく。


「亦復如是…知れた事、我が愛弟子の家を訪ねただけ」


「や、やくぶ?…なんて?」


「さぁ?」


トラヴィスさんとファウストは互いに対立するように玄関口で睨み合う。あのトラヴィスさんが明確な敵意を示しながら目を尖らせ魔力を隆起させているんだ…ただならぬ仲なのは分かるが…。


「弟子の家を?お前がそんな情に満ちたことをするものか!大方私の蔵書を求めてきたんだろう!」


「…私はまだ何も得ていない、警戒するなトラヴィス」


「…ッイシュキミリ!なぜこいつを館に招いた!」


ギロリとトラヴィスさんは怒りに満ちた目でイシュキミリを睨む。その眼光に晒されたイシュキミリさんは表情を曇らせながら口を数度震わせ…。


「申し訳ありません、ただ…師がウルサマヨリを訪れましたので、休めるところをと…」


「こいつが私に何をしたか、私とこいつがどんな関係か…知らないお前じゃあるまい!」


「それは…ただ、師も父上を理学院から追い出した件に関しては、今は深く悔いており」


「悔いいる?そんな事こいつがするか。大方後になって私の蔵書の価値に気がついて惜しくなっただけだ。こいつは自らの利益のことしか考えない下劣な男だ!」


「…その件に関しては、お前の息子を弟子に取る事で贖罪を済ませたつもりだ、トラヴィス」


「私はただイシュキミリを理学院へ向かわせただけだ。お前の弟子になることはまだ承服したつもりはない…!」


「ふむ……」


「それにな、ファウスト。私は私を理学院から追いやった事に関して怒っているつもりはない。お前は…理学院の人間が必死に人生をかけて続けてきた研究を全て焼き払っただろう、お前の利にならない研究だからと!私はそれが許せないのだ!魔術研究は人々のために行う為のもの!決してお前一人のためにやっているわけではない!」


「……………相変わらずだな、トラヴィス。お前とは会話にならない」


「こっちのセリフだ、帰れファウスト!お前の顔は二度と見たくない!」


「ち、父上お待ちください!師も…せめてもう少し話を…!」


イシュキミリさんは必死に二人の間に入って仲裁しようとするが…意味をなさない、そもそも二人は互いに和解する気も和解する理由もないのだ。事実ファウストはトラヴィスさんの顔を一瞥するなり背を向けて。


「すまないイシュキミリ。ここでは心休まる事はないだろう…家主の言うように、私は帰る」


「そんな!師匠!」


「羯諦…羯諦…」


そしてボソボソ呟きながらファウストは踵を返して去っていってしまう。いきなり現れて、空気や場を掻き乱して、なんか不満そうに去っていく。少なくとも友達にはしたくないタイプの奴だな…。


「師匠……」


イシュキミリさんは去っていく師の背中を眺めながらガックリと肩を落とす。にしても…イシュキミリさんの師匠ってファウストだったんだ、魔術理学院の統括院長…その身に宿す魔力を見るに相当な手練れでもあるだろうに、研究者としても一流とは…変人っぽいけどすごい人なんだな。


そんな凄い人を師匠に持って、師を敬愛するイシュキミリさんだったが…今回はちょっと、やらかしたようだ。


「イシュキミリ、何を考えている…あの男と私がどれだけ因縁ある仲か…考えなかったのか」


「父と師の因縁は…私には関係ありません」


「だからと言って私の家に勝手に入れていい理由にはならん」


「なので…二人が鉢合わせしないように……」


「私が魔仙郷にいる時間帯を見計らって招いたと?…イシュキミリ、それは私に対する裏切りだぞ。何も言わず、勝手に玄関口を開けるなど…」


「申し訳ありません…」


「私はお前を信頼している。今更ファウストとの関係を切れとは言わん…奴は研究者として外道の部類だと私は思っているが、それでも知識と腕は超一級だ。そんなアイツに師事を仰げばお前の成長に繋がると過去の想いを飲み込んで今までお前と奴の関係に口出しはしてこなかった」


「………」


「それは偏に私の親心故だ、親心に恩義を感じろとは言わん。だが………限度はある、以後は控えろ、分かったな」


「はい……」


イシュキミリさん的にも、難しい立場なのだろう。彼の様子を見るにイシュキミリさんは相当師を尊敬している。そしてまた父親であるトラヴィスさんに対しても敬愛を向けている。しかしそんなトラヴィスさんとファウストさんは互いに互いを蛇蝎の如く嫌いあっている…。


そんな二人に板挟みにされ、結果彼は最悪の判断と行動をした。許しを与える事はエリス達にはできない…と言うかする権利がないが、それでもまぁ…理解はする、師匠を尊敬する気持ちは分かるから。


「すみません…頭を冷やしてきます」


「イシュキミリ…」


するとイシュキミリさんはトボトボと庭先へと歩いていってしまう。それを見て…即座に反応したのは。


「ぼ、僕ちょっと行ってきます」


「ナリア君?」


「イシュキミリさん、多分後悔してると思うので」


と、イシュキミリさんの様子を心配したナリアさんはその後を追って館を出ていってしまう。ナリアさんはなんだかんだイシュキミリさんを信頼している、懇切丁寧に魔術について教えてくれるイシュキミリさんはナリアさんにとって良い教師でもあったからだろう。


あんまりゾロゾロ行ってもあれだしね、一応トラヴィスさんに教えを受けている立場としてイシュキミリさんをみんなで追いかけるわけにも行かない。ここはナリアさんに任せるとして…。


「トラヴィスさん、今のやつは…」


エリス達は、こちらの話を聞くとしよう…つまり、ファウストの事だ。エリス達が視線を向けると…トラヴィスさんは顔を手で覆い、怒りの形相を隠し取り繕うと。


「…ファウストだよ、君たちの言った通り魔術理学院の現トップ。そして…私のかつての研究仲間さ」


「トラヴィス卿は魔術理学院に居たんですか?私…そんな話はじめて聞きましたけど」


「魔術導皇殿には言っていないからね、…ウェヌスに魔術を教えるずっと前のことだ。私はかつて理学院に在籍し、日々を魔術研究に費やしていた…その時出会ったのがアイツだ。自慢では無いが私は当時から理学院でそれなりの地位を持っていてね。私に比肩する実力を持つのはファウスト一人だったんだ」


「そんなに優秀なやつなんですね、あの変人」


「ああ、変な奴だが実力は凄まじかった。頭も良く、独特の空気感はカリスマに似た物を纏い、研究者でありながら超常的な実力を持つアイツは…私と並んで理学院の未来を担うと言われていたよ…、私も…なんとなくアイツとは終生を共にし死ぬまで共に研究する物だと思っていた、なのに…!」


ギリギリと杖を握りしめるように掴み抑えられない怒りを露わにするトラヴィスさんはかつての出来事を思い出し、時間でさえ風化し切れぬ怒りを追憶し吐き出す。


「奴は統括院長になると同時に今まで続けてきた魔術研究を全て破棄し奴にとって都合の良い魔術のみを研究するよう強要したのだ…!」


「トラヴィス卿が研究していた魔術って…」


「簡易治癒魔術だ、民間でも扱える簡易的な物…魔術の訓練無しに誰でも扱える物を作る予定だった、だが…魔術師の価値を貶めるとファウストは研究内容を全て焼却し、軍事転用可能な物のみを研究し…それを上層へ、元老院や宰相へ献上し始めたのだ…」


「民間でもって…」


それはデティが幼少の頃夢見ていた魔術と同じだ。生活に根ざした魔術、それを作ることをデティは夢見ていた…とは言え、大人になり現実を知り始めた彼女は最近その話をしなくなったが…トラヴィスさんはそれを実現しようとしていたんだ。


難しいことだとは思うが…それでも実現すれば今よりずっと死者は減るだろう。だがファウストはそれを消して…魔術理学院を上層の傀儡へと変えてしまったんだ。


「当然私は反発した、いくら院長であっても横暴すぎるとな。奴のやろうとした事はマレウス魔術理学院全ての人間と奴を信じて支援した者全員に対する裏切りだ。…だが」


「その結果、追い出された…と?」


「…ああ」


「トラヴィスさんはファウストと比肩する人物でしたからね、それが反発すればファウストにとってはさぞや邪魔な存在になり得たでしょう…まぁ、横暴ではありますが」


「そうしてマレウス魔術学会を追い出された私を、スピカ様は拾ってくださり魔術導皇の教育係という大任を与えてくださった。その恩義に報いいる為私はアジメク魔術学会と共に世界の魔術界に出来る限りの貢献をしようと思ったのだ」


なるほど、そう言う経緯だったのか。確かにトラヴィスさんはどちらかと言うとマレウス寄りではなく魔女大国寄りだった、けれどそれはマレウス魔術学会を追い出された結果スピカ様に拾われたから…だったのか。


もしスピカ様がトラヴィスさんを拾っていなければ、トラヴィスさんは魔術学会に戻る事が出来なかっただろう。結果魔術界にとんでもない損害が出ていた可能性がある…と考えるとファウストのやった事は凄まじく横暴な事だと分かる。


「…あのー、トラヴィスさん」


「なんだ、アマルト君」


「その…アイツとは昔仲が良かったんすか?」


「まぁ、私はそう思っていたが?」


「じゃあ例の協力者ってもしかしてファウスト…」


「あれが私の友人に見えるか…!」


「ご、ごめんなさい…」


「ファウストは私にとって不倶戴天の男だ。…今も私の蔵書を狙っている…奴にだけは、我が蔵書を渡すわけには行かない」


そう言えば、ファウストはこの館にトラヴィスさんの蔵書を求めてきたんだったな…。マレウス魔術学会の頂点たる男が態々足を運ぶ程のものが…この館にはあると言うのか?


「あの、その蔵書ってなんなんですか?」


「………趣味が、本集めでね。それも骨董と言われる品に目がないのだが…その中にはかなり希少な物もある。ディオスクロア大図書館並みに歴史ある文献が多数ね」


「え!?あそこ並みのやつが!?」


「ああ、必要があればいつか君達にも見せる。だが…今はそれより、修行をしよう。いつまでもアイツに関わる話をしたくない」


「わ、分かりました。じゃあエリスはナリアさんを呼んできますね!」


「ああ、頼む…」


ファウスト・アルマゲスト…色々と良い噂を聞かない人間だったが、どうやらかなりトラヴィスさんとも因縁が深い相手なようだ。


しかし、引っかかる…先程トラヴィスさんから聞かされた『セフィラ』の話。奴等はこの国の重要な機関全てに根を張っている。ならそれは…魔術理学院もそうなんじゃないのか?


何より元老院や宰相に気に入られるような行動をとっているあたり…もしかしてファウストも…。


………………………………………………


「イシュキミリさん!」


「…ん?ナリア君?」


あれからあの場を去ったイシュキミリさんを追って、僕は館の庭先を走った。アンブロシウスさんによってよく手入れされた深緑の生垣が生い茂る広々とした庭の奥にある小さな池の前に…ただただ呆然と佇むイシュキミリさんの背を見つけ、僕は急いで駆け寄り声をかける。


「その…えっと」


「もしかして心配して追いかけてくれたのかな?」


「はい、落ち込んでると思って」


「……フッ、優しいな。君は」


「イシュキミリさんも…優しいですよ」


これはただ、そうするべきだと思ったからそうしただけだった。イシュキミリさんを追いかけて何を言ってこの件をどう収めようとか、そう言う計算が出来てたわけでもなく、気の利いたセリフが思いついていたわけでもなく。ただ寂しげに遠ざかる背中を夢中で追いかけただけだった。


だから今、僕はこの場に於いて何も言えず。ただイシュキミリさんの隣に立ち…彼の顔を覗き込むことしかできなかった。


「……別に、父を欺くつもりはなかった。けれど師匠の気持ちにも応えたかった…その為の折衝案があれだった」


「トラヴィスさんのいない時間帯を狙って…館に入る、ですか?」


「ああ、今思えば発想そのものが空き巣同然だ。激怒されて当然だった…深く反省せねば」


僕はイシュキミリさんが優しく賢い人だと思っている。そんな彼がこんな危ういことをするなんて半ば信じられないところもある。けれどきっとそれは…。


「それでも、師匠を無碍に出来なかったんですよね」


「…………」


弟子にとって師匠の存在はあまりに大きい。弟子が花であるならば、師は雨であり太陽だ、生きるのに不可欠…と言う段階を超え、自らの存在を定義するに当たり…必須の存在とも言える。


かけるべきではないのだが、親と天秤にかけても…どちらに傾くか僕でさえ分からないほどに、師匠とは大切な存在なんだ。だからこそ、こんな危ういことをしてしまった。僕も弟子だから…気持ちはわかりますよ。


「……ああ、師匠を無碍には出来ない。あの人は私にとって…光そのものなんだ」


「ファウストさん…ですよね」


「そうだ、…私が今よりもずっと若い頃。私はね…取り返しのつかないとある失敗をしたんだ」


「失敗…ですか?」


「ああ、私はその失敗に打ちひしがれ、この命を絶つ寸前まで行った。けれどその時父は私の近くには居らず…代わりに私を奮い立たせてくれたのは、ファウスト様だったんだ」


イマイチ想像がつかない…と言ったらイシュキミリさんには悪いが、あの人が誰かを励ましたり手を差し伸べて優しく引き起こしたりするようなイメージが湧かない…。


けど、事実としてイシュキミリさんは立ち直った、それはファウストさんが彼を励ましたからなんだ…。


「『お前には才能がある、だが才能があるだけだ。今はその使い方を知らないから失敗し、後悔し、下を向くことしか出来ない。今一度…私と一緒に前を向いてみないか』…なんて、そんな風なことを言われてね。あんな風に親身になってもらえたのは初めてでさ、もう少しだけ頑張ってみようと思えたし、だからこそ私は今ここにいるんだ」


「尊敬してるんですね、ファウストさんの事を」


「ああ、みんな師匠を利己的だとか秘密主義だとか罵るけれど…私は知ってる。あの人は誰よりも人々の事を考えている。父のように人々を救う魔術の為に生きるのではなく、魔術を足がかりにしてでも人々を救う師匠のやり方の方が…私は好きだ」


「お父さんよりも…ですか」


「言葉が悪かったが…まぁそうだね、私はあの人の掲げる理想に同調した。父との確執があるのにそこを飲み込み知識と技術を与えてくれた、だからこそあの人の力になりたい…と、気持ちが逸ってしまったようだ」


ガックリと肩を落とすイシュキミリさん。まぁ勝手にやったのは悪い事だとは思うが気持ちそのものまでは悪いわけではない、何よりイシュキミリさんが悲しんでいると僕も悲しい。


「げ、元気出してください。確かにイシュキミリさんは良くない事をしたかもしれませんが師匠のために動く気持ちは僕もよく分かります、またトラヴィスさんに謝罪して師匠さんともしっかりお話しすれば大丈夫だと思います」


「……………」


「い、イシュキミリさん?」


すると、彼は視線だけこちらに向けて。僕の顔をジローっと見つめたかと思うと…。


「ふふふ、なんだか気持ちのいい励まし方だな。分かった、確かにここで一人でいじけてるより余程建設的だね。今から父のところに戻ってもう一度心から謝罪するよ、ありがとうナリア君、お陰で頭が冷えた」


そう言って徐に僕の頭に手を乗せて、そのまま髪を撫でて…ってぇッ!


「ちょ!なんで撫でるんですか!」


「あはは、なんでだろうね。なんだか必死に私の事を励まそうとしてる姿を見てたら、愛しくなったからかも」


「そんな口説き文句みたいな…」


「悪い悪い、けど君は本当に可愛らしいね。同じ男とは思えないよ」


「一応女役として舞台に上がる人間として顔には気を使ってますから」


「すごい自信だ、しかしそんな華奢な体でも魔導の深淵を求めるか…うーむ、背徳的だ」


「意味わかりません、けど…元気になったみたいでよかったです」


イシュキミリさんの顔にもう影はない、元気になった…と言いはしたが多分割り切っただけだろう。この人は大人だ、年齢的な意味合いではなく精神的な意味合いで大人だ。割り切ることも出来るし飲み込む事も出来るだろう。


そう信じて僕は彼はもう大丈夫だと確信して…。


「ああ、元気になったよ」


「……………」


イシュキミリさんが笑う、いい笑顔だ、もう悩みなんてないって具合のいい笑顔に…『見える』。


これは職業病だろうか。人間の自然な表情を演じる為に数千数万と凡ゆる表情を見てきたからだろうか…僕は気が付いてしまった。


イシュキミリさんの右頬、笑みを浮かべる際引っ張るように口角が一瞬だけ上がった。あれは無理に笑顔を作った時の兆候。…無理に笑ってる?


……いや、僕を心配させまいと気を遣ってくれているんだろう。多分、そうなんだろう…。


『ナリアさーん!』


「へ?エリスさん…?」


「どうやらお友達がお呼びのようだ。きっと修行が始まるんだ、ナリア君は先に…」


「イシュキミリさんも一緒に行けませんか?僕…イシュキミリさんに教えて欲しいです」


サッとイシュキミリさんの手を掴み、一緒に行こうと口にする。するとイシュキミリさんは驚いたように目を見開くと…。


「…………弱いなあ、そう言われると。分かった、行こう」


そう言って了承してくれる。なんだか分からないけど…やっぱりイシュキミリさんは一人にできないと思ったから。何より…純粋に僕はイシュキミリさんに色々教えてもらいたかったから。


「ナリアさん、もう修行が始まります」


「はい!すぐ行きます!ね!イシュキミリさん」


「ああ、すぐ行こう」


そしてやってきたエリスさんと共に僕らは魔仙郷に戻り─────。








「あれ?坊ちゃん行っちゃいましたなぁ」


「会長…私を無視して行ってしまいました…」


エリス達が去った後、池の向こうの生垣がガサガサと揺れ。立ち去ったイシュキミリを見るのは招かれざる客人…金庫頭とコミュ障だ。


「我々の事忘れてたんですかねぇ、ここで合流して第二プラン練るって予定だったのに」


「会長ぅ…私放置とかされると、く…く…狂───」


「はいタンマ、ここで叫ばれると我々終わっちゃいますぞ」


「むぐぅ〜〜〜〜!」


取り敢えず狂いそうな女の口を手で押さえつつ金庫頭はポリポリと頭の金庫を掻くと…。


「仕方ない、ここは参謀殿に報告に行きますか」


「むぐっ」


何やら計画とは別の事が起こったようだ。ならば軌道修正するのが出来る幹部の仕事、丁度…この街には揃っている。


メサイア・アルカンシエルの全ての幹部と参謀、そして魔解軍が。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ