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孤独の魔女と独りの少女【書籍版!8月29日発売中!】  作者: 徒然ナルモ
十七章 デティフローア=ガルドラボーク
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592.魔女の弟子と古都ウルサマヨリ

「だぁー…」


「うー…」


「暑い…」


ギコギコと音を立てて馬車が密林を進む。一応舗装らしき何かがされている道を通って進む。私達は今南部最大の都市ウルサマヨリを目指して旅している最中なのだが。


「なんも出来なかった…」


「あんなボコボコにやられるとは…」


馬車の中で、魔女の弟子達は皆揃ってくたばっている。勿論比喩表現だ、本当に死んでるわけではない、ただ死んだようにみんな地面に転がって動かない。病気なわけでも怪我してるわけでもない。


ただ…自信喪失しているのだ。


「なんだったんだあいつ」


「パンイチ騎士にボコられたって一生の恥だぜ」


「でございます」


それは昨日のこと、アマルトが拾ってきた謎の騎士と手合わせを行ったのが起因となっている。というのも、私達はみんな揃って全員ボコボコにされたんだ。それも殆ど一方的に。


謎の騎士は常軌を逸した強さを持っており、ラグナもエリスちゃんも歯が立たず、ネレイドさんでさえ一発でノックアウトされてしまったんだ。その実力差を見つけられ、自分の弱さを痛感して、今まで八大同盟との戦いの中で形成されていた自信…或いは増長を叩き潰され、落ち込んでいるんだ。


落ち込むのは良い、顧みるのは構わない、けどこれは行きすぎたと感じた私…デティフローアは。


「みんな!落ち込む気持ちは分かるけどさ!もう直ぐウルサマヨリだよ!シャキッとしないと!」


「そ、そうだったな。悪い…でもガウリイルとの戦いで結構鍛えられたはずなのにあそこまで歯が立たないとな」


「エリス最近こんなんばっか」


「落ち込まなーい!」


負けというものに慣れているエリスちゃんはここ最近ボコボコにやられる場面に何度も遭遇しすっかり自信喪失、他のみんなも覚醒出来たり成長出来たりである程度自信が打ち砕かれた。それほどに一方的だった…私もあの騎士の強さはちょっと引くくらい強いとは思う。


けど私達は今からトラヴィス様に会うんだ、腑抜けた顔をしてたら怒られる。


「いやデティの言う通りだ、負けて自信喪失…それをいつまでも引きずっているなんて私達らしくもない」


「だよなぁ、まぁぶっちゃけ戦ってりゃ負けることもあるか、寧ろあのレベルが命を取りに来なかったのが幸いと見るべきってやつ?」


「…うん、いい経験だった。私達にはまだ上がある…それが身を以て痛感出来た」


「よしよし」


みんなの魔力が落ち着いてきた、まだ多少気にしてるところがあるかもしれないがそこはね?みんなも歴戦の旅人。一回の負けで精神的に参るほど弱くもない。


「つーわけでウルサマヨリも近いから今回の一件は取り敢えず置いておく。一応王貴五芒星と会うわけだしな…デティ、ウルサマヨリはどんな場所か分かるか?」


「分かりませんッ!エリスちゃんは?」


「話に聞くくらいしか…、ウルサマヨリは他の街と積極的に交流をしているわけでも交易ルートがあるわけでもない謂わば陸の孤島にポツンと建てられた街。その巨大さと周囲の豊富な自然の恵みで自立している街なんです」


「街単体で自立を?」


「はい、魔術師が研究するための土台があり、食料があり、居住スペースがあり、文化的な生活がある。多くを望まなければ人は生きていけます、なのでこの街はこの街単体で成立するんです…故に、最も王政府の干渉を受けない街、と言ってもいいでしょう」


「なるほど、媚びへつらう必要はなく、代わりに大量の魔術師達を抱えるウルサマヨリはある意味サイディリアル相手に大きく出れる存在ってことか」


魔術師とは国にとって非常に重要な存在だ、どの国も自国の諜報機関以上に魔術研究機関を秘匿したがる様に優秀な魔術師の数とそれに伴う研究成果はとても重要。故に魔術師を抱えるウルサマヨリは王政府相手に大きく出れる、対して王政府はウルサマヨリを従わせる材料が殆どない。


それこそがトラヴィス・グランシャリオと言う男がエルドラド会談の場でも一目置かれていた理由だ。その気になれば国王や宰相相手にも大きく出れる権限があるのだから。いや…もしかしたら技術力のチクシュルーブと財力のロレンツォが居なくなった今…トラヴィス卿の存在はより大きなものになっているかもしれないな。


「そして今から俺達はそこに行く、トラヴィス卿曰くマレフィカルムの話をしたいと…」


「でもどう言うことなんでしょうね、トラヴィス卿は何か知ってるってことなんでしょうか」


ふとナリア君が首を傾げる。何かを知っているか知らないかで言えばまぁ何かしらは知っているかもしれない、あの人の情報網はそりゃあもう大きいから。なんせ世界中を駆け巡って魔術界を支えてたんだよ?そりゃあもう表にも裏にも目や耳がある。


私達の目的もある程度は認識しているだろうしもしかしたらトラヴィス卿はトラヴィス卿で色々考えて調べていてくれたのかもしれない。


「まぁトラヴィス卿が何を知っていようとも関係ない。今俺たちは何の手掛かりも持ってないに等しいんだ、何か手掛かりがあればそれを基準にこれから動いていけばいい」


「なんだかんだ、俺達に残された時間は後一年半だしな」


「うっ!そう言われると残り時間が急に無いように感じてくるな。それを超過したら私達は弟子破門に加え国外追放か…」


「そうならない為にも、トラヴィス卿が何か重大なことを知っていると祈りましょう」


もうそろそろ夏も終わる、夏が終わって秋が来て、秋が終わって冬が来たら…私達にとって最後の年が始まる。出来ればそれまでにはある程度の目星はつけておきたいな…。


そんな祈りを込めながら、私達は目前と迫ったウルサマヨリに想いを馳せるのであった…そして。


…………………………………………………………


「皆様、ウルサマヨリに着きました」


「え?」


ふと、いきなり、何の勧告もなく御者をしていたメグさんが声を上げる、いつもなら遠巻きに見えた瞬間に教えてくれるのに、それもなしにいきなり着いたと言うのだ。これにデティ達は慌てて身支度を済ませつつ暖簾を避けて外を見ると。


「ほ、本当だ、もう着いてる…」


「メグ…もっと早く教えて欲しかった」


「申し訳ありません、ですがこのメグの目を持ってしても全く街の存在に気がつけなかったのです。どうやら街の周囲を覆う木々は特段葉の壁が濃いらしく、位置を特定させないようにしているようです」


「まるで隠れ里だな」


密林の木々は濃い、木と木が重なり合うように周囲を覆っており視界は物凄く悪い。そしてそれはウルサマヨリの周辺になるとより如実になる。事実私が周りを見回すとその気は天然の城壁のように連なっており…これでは遠くから見ても分からないだろうなぁと思う。


「で、これがウルサマヨリか…」


「なんか、荘厳ですね」


そして前方に見えるのは…南部最大の都市ウルサマヨリ。緑と茶色だけだった密林の世界にぽっかりと開いた白の穴…とでも言おうか。


どうやらこの街は巨大な窪地に造られているようで外側から内側に行くほどに標高が低くなっており、街全体が斜面に作られる形になっている。そして街を彩る家屋は全てが白岩石で造られており何処か神秘的で荘厳な出立ちをしている。何よりその神秘性を増幅させているのは『緑の光』だろう。


この薄暗い密林の街に於いて、街全体を照らすのはあちこちに配置された漆黒の街灯だ。大きなランプにも見えるそれは緑色の炎をメラメラと燃やし街全体に不思議な雰囲気を持たせている。


まるで砦のような構造の家屋、神の時代の家々のようなそれらは所々蔦が張っており、古都と呼ばれるだけの歴史を持っていることを窺わせる。チクシュルーブのような文明の利器は存在せず、街を歩く人達もローブや一昔前の衣服を着用している。


…一方、視線をもう少し北側に向けるとこの街の心臓部とも言えるだろう畑が見える、棚地のように斜面に作られたそれは階段のように段々と造られその全てが水田である。水田で作られているのは…何だろう、麦ではないようだが青々とした何かが実っている。


「ねぇアマルト、あの畑にあるやつなに?」


「あ?…あー、ありゃ米だな。珍しいなディオスクロアであんなに大量の米作ってるなんて」


「米?」


「ほれ、前作ったろ?オムライス」


「あー、あの卵に入ったモチモチのパラパラ」


「食レポ下手か、ともかくあれが米だ。けど知っての通りディオスクロア…と言うか魔女文化圏は麦が主流だからな、米も一応あるにはあるが限られた湿地帯くらいでしか作ってないって話だ」


「トツカは主食が米らしいですよ。そして今マレウスで食べられているトツカ料理の九割が南部産だと聞きます。残り一割はトツカから輸入したものですね」


「へー」


あんまり興味がない話が出てきたが、なるほど。この街では米を自分達で作り自分達で消費している…と言ったところか。街全体を補って余りある量となると…恐らくだが見えている範囲は一部でもっと他に広大な水田があるのかもしれない。


荘厳で、歴史的で、何処から牧歌的な街…それがウルサマヨリ。マレウス有数の大都市『古都』ウルサマヨリだ。


「ここにトラヴィス卿がいるんだよな」


「だね、早く行こう!待たせたら悪いよ!」


「あ、おいデティ!」


ウルサマヨリにはもう着いた、後はトラヴィス卿に挨拶するだけだ。しかし…緊張するなぁ、ウルサマヨリに来たのは初めてなんだ。だからその…何というか、空気感に飲まれてしまいそうだ。


「ぎゃっ!?」


しかし、勢いよく馬車から降りた瞬間、私は泥濘んだ地面に足を取られつるりと滑って──。


「ったく、慌てんなよ」


「あ、アマルト」


「恩人に会うんだろ、なら泥まみれで会う方が失礼だって。転ぶなよ」


「ありがとう……」


咄嗟に手を伸ばし、私の体を掴んで転ぶのを食い止めてくれたアマルトは、そのまま悪態を吐きながらもニッと笑みを見せる。こいつは本当…いい奴だよね。


「さて行くか、みんなも滑らないよう気をつけてくれ」


「はい!」


「新しい街!なんだか僕ワクワクしてきました!」


そして、みんなで馬車から降りて…私達はウルサマヨリの街に入ることになる。一歩街に入れば、前方に重力を感じるくらいの斜面になっており、泥のついた足ではそのままツルツルコロコロ滑っていってしまいそうだ。


「不思議な雰囲気の街だな」


「それで?トラヴィス卿は何処にいるんだ?」


「あそこじゃないですか?」


そう言ってエリスちゃんが指差した先は、街の奥。大きく窪んだ街の向こう側に大きくて立派な館が見える。もしかしなくてもあそこがトラヴィス卿の居宅だろう、逆にあそこにトラヴィス卿が住んでなかったら一体何処にいるんだってレベルの館。


つまり、私達は一度街を横断しなくてはいけない…と言うことだろう。


「遠いな、まぁいいや。街の雰囲気掴んでから行こうぜ」


「ですね」


新しい街に来てから一番最初にするべき事は街の空気感に慣れること。もう既に旅の心得を会得している私達にとってその作業は自然なもので、みんな各々街の通りを歩きながら周囲を見回し街の空気感を掴む。


ウルサマヨリは魔術師の街だ、魔術師の街といえばアジメクの皇都ステラウルブスだ。だからこの二つは似通っている…なんてことは無く、寧ろこの街はより一層専門的と言うか、研究そのものに重きを置いている気がする。


「あ、本屋さんがあります…ってなにこれ」


するとエリスちゃんがテケテケと集団から外れ本屋に突っ込み並べられている本を手に取る。しかし、置かれている本、この街で売られている本を見て…ギョッとする。


「「魔力熱量学のススメ』…?何ですかそれ」


「ああ、それ魔力熱量学の入門書だよ。ほら魔力ってそれそのものは熱を持たないでしょ?けどそれを炎や熱そのものに変換した時のエネルギーの推移を学問として解き明かそうって話。熱はエネルギーとして最も推移が観測しやすいものだからそう呼ばれているだけで『魔力エネルギー論』とか『魔力変換論』とか呼ばれたりするんだよ」


「デティ…説明してもらっても感覚でしか理解出来ませんよ」


そう、この街に置かれている本は全て…研究用なのだ。


『治癒魔術に於ける肉体の互換性は…ブツブツ』


『魂を介在させず人工的技術的に魔力を作るには…』


『エウレーカ!』



「なんかこの街にいる人達…」


「ああ、恐らく大半が研究者なのだろう…全員が全員独り言を言っているぞ」


ラグナとメルクさんもこちらに向かって歩きながら街人の様子を見てようやくこの街がどう言う街なのかを理解する。


そう、魔術師の街ウルサマヨリは…魔術を研究し求道する者達が集う街なのだ。魔術を使用する物では無く一種の魔力事象として捉え、その真道を探る。文字通りの研究者達の街。


そりゃ普通っぽい人達も中にはいるが、道を歩く大半が顎に手を当てブツブツ考え事をしたりローブを目深く被りその場でグルグル回ったり、色んな意味で忙しない印象を受ける。


「なるほど、この街全体が一種の研究機関…と捉える方が良いのかもしれません」


「うーんちょっと違うかなメグさん。研究機関はみんなで一つの研究テーマを研究するでしょ?この街の人達は多分フリーの魔術師達。全員が全員別々の研究をしてるんだよ」


「何故そんなにもフリーの魔術師がこんな一箇所に?」


「多分、密林という環境が研究材料の採取に最適だから、あと邪魔が入らないし…何よりここにはあのトラヴィス・グランシャリオがいるからね。トラヴィス卿は大魔術師…今まで幾多の魔術論文を公開し数千年の魔術界に於ける常識をもひっくり返した超偉人だもん!それに肖りたいの」


「ふむふむ、我々は研究職ではないのでイマイチ分かりませんが…そういうこともあるのですね」


まぁ、魔術を研究したい大半の人間はアジメクに行く。アジメクに来ることが出来ない、或いはアジメクじゃできないちょっとディープな研究をしたい人はここに来る…って感じかな。


にしてもこの本屋…いい本が揃ってるなぁ…。


「この本屋、いいねぇ」


「何か欲しいですか?デティ、エリスが買ってあげちゃいますよ」


「いや、全部持ってるからいい。けど品揃えがいいなって…エリスちゃんもこれを機に魔術の学問を習ってみたら?私教えるよ」


「そうですねぇ、基本的な事は前教えてもらいましたし…ちょっと深いところを勉強してみてもいいかもしれません。せっかくなら何か本を買いますか」


昔、私とエリスちゃんが魔伝で連絡を取り合っていた頃。私はエリスちゃんに基本的な魔術学問については教えていた、エリスちゃんならそれを一瞬で物に出来ると理解していたから、そして事実彼女はそれを理解し記憶し今も覚えてくれている。


とはいえそれは基本的な事、もう少し深い所を教えてもエリスちゃんはきっと理解できる…っていうか、エリスちゃんの記憶力はもっと研究とかに役立てるべきだと私思うんだよね。識とかめちゃくちゃ役に立ちそうだし。そもそも識を研究すべきだと私は思う。


「すみません、店主さん」


「おや?なにかな?」


すると、エリスちゃんの声に反応して奥から老齢の店主が髭を撫でながら現れる。そんな彼にエリスちゃんは…。


「すみません、この店で一番高い本ください」


とか言い出すのだ、いや…本とか研究資料ってそういう風に買う物ではないのだが…。高いからと言って良いものとは限らないし…。


「高い物…と言ったらやはり最新ものかね…これとかどうだい?」


店主はそんな曖昧なエリスちゃんの注文に応えて店の奥から分厚い本を持ってきて…ってこれ!!


「半年ほど前に魔術導皇様が公開した魔術研究資料。興味深いことがたくさん書かれているよ」


「え?魔術導皇…って」


チラリとエリスちゃんがこちらを見る。…そうですよ、私が書いたやつですよそれ。私が半年前に魔術研究学会を通して世に出版した資料だ。今までの研究資料を統合して再考察と再研究を行いより一層ブラッシュアップした『私の持論』が書き込まれた駄文。


具体的に言えば書かれているのは魔力と魂の相互間と魔術と魂の関係性についての話だが…この街にも届いていたのか。アド・アストラ圏内でだけ出す予定だったんだが。


当然、魔術導皇の言葉を聞いたエリスはポカンとしつつも分厚い資料を指差して。


「魔術導皇様が公開される研究結果、考察論文、それ即ち魔術界の最先端だからね。値段は張るがここに書かれている話を理解しているのとしていないのとではまるで話が変わってくる程さ」


「それそんなに凄いんですか?」


「凄いなんてもんじゃない、これは──」


その瞬間、ボケーっと店主の話を聞いていた私達を押し退けそこら中でブツブツと独り言を言っていた魔術師達が寄ってきて私達を押し退け始めるのだ。


「おお!魔術導皇の研究論文!仕入れていたのか!」


「言い値で買う!是非欲しい!」


「しかも最新の物じゃないか!魔力と魂の相互間…?是非彼女の見解が知りたい!私が買うぞ!いくらだ!」


なんて声が方々から飛び交いあっという間に店の前には人だかりが出来てしまう。魔術導皇の見解が知りたい!彼女の考えが知りたい!なんて言いながら魔術師は私を邪魔そうに跳ね飛ばすんだ、なに考えとんじゃこいつらは。


「ちょ!ちょっと!それエリス達が買おうって話してたやつですよ!」


「ん?何だね君は、この街の人間じゃないな?魔術師か?」


「い、一応」


「ふむ、だが旅の魔術師風情が…あの本の価値が分かるとは思えん」


「読んでみなきゃわかんないじゃないですか!」


「ハッ!魔術導皇がどれだけ偉大か分かってるのか?彼女は魔力と魂の性質についての研究の権威そのもの!つまり最も魔術の深淵に近しいお方!五百年停滞していたこの分野を進めるどころか既に千年分は進歩させたお方だぞ!流れの魔術師風情が見ていい代物じゃない!」


「むむっ!なんか言い返しづらい」




「なぁデティ」


「なに?アマルト」


魔術師とエリスちゃんが喧嘩しているのを横目に見たアマルトは私にコソコソと耳打ちをして…。


「お前、マジで凄い奴なんだな」


「まぁ…一応」


一応私魔術学会の会長でこの道の権威ですからね。確かにトラヴィス卿は凄い、魔術師として多くの功績を残した…だがそんなトラヴィス卿を超える魔術学会の研究者は誰か、と聞かれれば。


恐らく万人が万人、魔術導皇デティフローアだと答えるだろう。これは自惚れでも何でもない、事実として私は世界最高の魔術研究者だ。五歳の頃から勉学に励み八歳で学会を纏め十歳で既に世界中に向けて魔術論文を発表しまくってたんですからね私、他所じゃ天才って呼ばれてるんですから。


なんて、だからなんだと言うのか。誰からなんと称えられようと、どう評価されようと、それを誇る事などあってはならない。何故なら私は魔術導皇、世間一般の魔術師よりも『出来て当たり前』の存在。魔術導皇は通例として常にその世代最高峰の知識を持っていることが必要最低限の条件とされている。


だからこそ、これは当たり前のことなのだ。当たり前のことを態々口で流布する必要もない。


「あーねー。エリスちゃん…魔術なら本がなくても私が教えてあげるから…もう行こ」


「え?あ…はい、分かりました」


『私だ!私が買う!』


『やめろ!私の物だ!』


『魔術導皇の知識は私に相応しい!』


寧ろなんだか恥ずかしくなって来ちゃった、エリスちゃんに魔術学に対する興味を持って欲しかっただけなのに、だから本という形ある情報媒体を持って欲しかっただけなのに、こんな事になるくらいなら本なんて買わなくていいや。


「はぁ…」


「デティ?」


ふと、その場から離れるように歩いていると…エリスちゃんが後ろ手を組みながらこちらに微笑みかけてくる。


「なぁにエリスちゃん」


「いえ、やっぱりデティは凄いなぁって。魔術師のみんなが尊敬するくらい立派な魔術師だなんて」


「やめてよエリスちゃん、こう言っちゃなんだけど魔術師達に尊敬されるのは魔術導皇として当たり前の……」


「でもエリスは知ってます。デティのスタート地点を、大きな玉座に座って緊張してカチコチになってた頃のデティを。そこから今この評価までデティは着実に進んできたんですから…そこは凄いなって思いますよ。それは当たり前のことじゃないですから」


「エリスちゃん…」


だからまた今度、魔術学を教えてくださいね?と微笑むエリスちゃんの笑顔を見てジーンとする。本当に私はいい幼馴染を持った、エリスちゃんは私にとって最高の親友だ。他の誰にも評価されなくてもいい、彼女にこう言ってもらえるだけで私は幸せだ…。


「にしても、やはりこの街でも正体は明かさない方が良いかもしれませんね」


すると、メグさんが本屋の騒ぎをチラリと見ながら私を守るようにササっと移動して口にする。


「は?なんで?」


「デティ様の本一つ出ただけであの騒ぎでず。本物の魔術導皇がここに居ると知られたらそれこそあの比ではない騒ぎが起こるでしょう、下手したらみんなでデティ様の四肢をもいで持って帰ろうとするかも」


「確かに」


「怖いこと言わないでよッ!?」


「ともかくトラヴィス様のお館へお邪魔して、要件を済ませたらすぐに帰るか…或いは長期滞在するにしても用心が必要かもしれません。あの手の人間はいざって時どんな事をするか分かりませんから」


「ちゅ、注意します」


魔術師達からしてみれば私は文字通り天上の人間。その存在が明るみになればもうどえらい騒ぎになるかもしれない、と言っても実際どうなるかは分からない。だって今まで私の正体がバレてもみんな大した反応してなかったし…。


まぁでも一応私も他国の王、その辺フラフラしてるのがバレていいことなんてない。今回もまた正体は隠しておくに越した事はないだろう。


「じゃあ観光気分でフラフラするのはやめておいて、今は一直線にトラヴィス卿の館を目指すか」


「賛成〜」


そして、私達はとりあえず街を横断してトラヴィス卿の館を目指すこととなった。しかし…そんな私達の前に立ち塞がる人混みがいきなりもいきなり、ババッと目の前を塞ぐように現れ…。


「魔術は!我ら人の兄弟!それを不当に扱うのは良くない事だと思いませんかッ!?」


「え?」


思わずラグナが呆気を取られたように口を開く、私達の前を塞いだ集団がいきなり親の仇のような剣幕でなにかよくわからない事を言っているのだから呆然とするのも無理はない。


私達の前を塞いだのは白い魔術師ローブを着込んだ謎の集団、人数的には十数人程度だろうか。それが大の字になって私達の行手を阻むのだ。


「魔術は人の兄弟です!魂をわけあった唯一無二の兄弟なんです!」


「お、おいメルクさん、なんなんだこいつら」


「これは…アレか、魔術解放団体…」


そう、これは私達魔術学会の頭を悩ませる魔術解放団体…メサイア・アルカンシエルだ。


「人の兄弟は皆血を分け合い魂を分け合っている、その間に生まれる親愛は無上のものであり決して断てぬほどに濃い!であるならば!魔術に対してもその親愛を向けるべきでしょう!」


彼等は魔術という概念の解放を目指す団体である、つまるところみんな魔術を使うな…という主張をし世界各地で魔術学会などの活動に反対したり妨害したりする人達。彼らの言い分は魔力を分け合った魔術もまた人と同じ、不当に使うな…というかなりの無理筋な話だ。


とはいえそれを真に受ける人間というのは世界全体で見ればそれなりにいるもので、そういうのがより集まれば無視出来ない声となる。ただ一人が口にすれば『妄言』と切り捨てられるそれも千人が口にすれば『思想』として扱われるのだ。


そして往々にして『思想』とは無碍には扱えない、下手に扱えば衝突を生みどちらに正当性があろうとも関係のない損害が生まれてしまう。つまり、無視するに越した事はないのだ。


だが…こいつら、こんなところにもいたのか。南部の魔術理学院にもいるからもしかしたらと思ったが、この魔術師の街でよくやるよ。


「…メサイア・アルカンシエル……」


「ん?どうした?エリス」


「魔術解放団体メサイア・アルカンシエル…それって八大同盟にも同名の組織がありましたよね」


「あー…」


エリスちゃんが目を険しくする、それを受けラグナはやや言いにくそうに頭を掻く。確かにメサイア・アルカンシエルという名前の組織は八大同盟の中にある…だが。


「無駄だよエリス、こいつら締め上げてメサイア・アルカンシエルの情報を抜こうとするのは」


「え?」


「確かにこいつらの所属してる魔術解放団体メサイア・アルカンシエルと八大同盟メサイア・アルカンシエルは同一だ。けど…そんなもんとっくの昔に俺が調べてる、メグと一緒にな」


「はい、ですがどうやら世界各地で活動している彼らは魔女排斥組織メサイア・アルカンシエルの意志に呼応して自立で動いているだけの人たちなようで…、つまり世界各地で声をあげている彼らは謂うなれば『メサイア・アルカンシエルのシンパ』というだけで末端の構成員ですらないのです」


今私達の前で魔術廃絶を説いている人達はメサイア・アルカンシエルを名乗っているが…メサイア・アルカンシエルの一員ですらないのだ。彼らはただ看板を借りているだけ、それも立派な犯罪行為だがそれでも彼らは魔女排斥行為そのものには関与していない。


彼らとメサイア・アルカンシエルの関係性まではしっかりわかっていない物の、それでも彼らを締めても意味はないんだ。


「魔術は良くないと思いませんか!若者!」


「え?俺?」


そして、そんなメサイア・アルカンシエルにアマルトが絡まれた。参ったな、トラヴィス卿のところに行きたいのに…面倒なのに絡まれた。


「なぁ、おたくらの言う魔術ってのはどれを指してるんだ?」


「おいアマルト、相手すんなよ…」


「魔術とは人の手により隷属されし魂の分け身を指します!不当に鎖で繋がれた兄弟を見て悲しみは覚えませんか!?」


「つまり魔術は撃った時点で魔術として判定すると?」


「ええそうです!ですから──」


「けどそれ矛盾してないか?魔術を撃った時点で魔術は魔術として認識される。だが魔術は撃たれなければ魔術として認定されない、つまりあんたらの言葉で言うなら撃たれなければ生まれない状態にあるんだよな?」


「え?ええ…」


「つまりあんたらがしたいのは、その人の兄弟である魔術をこの世に生まれないようにしたいと?兄弟なのに存在を否定するの?矛盾してね?」


「え…いや、だから魔術を不当に使うのは」


「そもそも不当ってなんだ?人の分け身の魔術にそう言うこと言うなら他の物にも言うべきだよな、爪とか髪とかも人の分け身か?お前爪切るのにも一々爪にお伺い立てて切ってんの?散髪とか大変だな、髪一本一本に話しつけてんだろ?日が暮れるぜ、けど話つけないとあれだもんな…不当になるもんな」


……違った、メサイア・アルカンシエルよりも面倒臭くて露悪的な男がここに一人いた!なまじ頭が良くて舌が回るから余計こいつのが面倒臭いぞ!しかもこいつはこれを真顔で言っちゃうんだから怖いよ!


「わ、我々の思想を!否定すると!」


「いや?質問してるだけだけど…なんで否定だと思ったんだ?」


「やめろって!アマルト!ネレイド頼む!」


「うん、はい…退いて退いて」


これ以上アマルトの好きにさせるとこの場で乱闘が始まる、そうなる前にネレイドさんにみんなを抱えてもらって取り敢えず目の前を遮るメサイア・アルカンシエル達を押し退け通り抜ける。さしもの魔術解放団体も2メートルを優に超えるネレイドさんの巨体が押し通ろうとするのを止める事は出来ない


「ちょっ!?」


「あ、貴方達!魔術は間違っている!認めなさい!我々を!」


「また今度ね」


「待ちなさい!待ちなさーい!」


流石にこれ以上私達に構うのは得策ではないと感じたのか、彼らは私たちを追うこともなくその場でなにやら喚き散らしていた…。まさかこの街でもアイツらを見ることになるとは。


数年前には主要都市に十人程度だったのに、こんな密林の奥地にまで魔術廃絶思想が啓蒙されているとは…ちょっとこれは由々しき事態かもしれない。


「なんかとんでもない奴らだったな」


「すまんなネレイド、アマルトのアホが炸裂したせいで」


「いいよ、いつもだから」


「アホじゃねぇやい!しかし世の中とんでもないことに反対する団体もいたもんだな、実際問題魔術がなくなったらみんな困らないか?」


「アマルト、そう言う問題じゃないんだ。人は寄り纏まる事を好む生き物だ、分かりやすい思想があるなら迎合し個を群とする事で生きていく生き物だ。その性質自体は否定出来ないんだよ」


「つまりみんなで同調出来れば中身はなんでもいいってか?」


「そう言う事、なんて知った風な口を聞けるほど俺も詳しいわけじゃないけどさ」


ラグナはネレイドさんに抱えられたままチラリとメサイア・アルカンシエルを見て目を細める。もし…マレフィカルムがなくなっても、メサイア・アルカンシエルがなくなっても、魔術解放団体運動自体は無くならないだろう。


それこそ、魔術以外の技術が台頭すれば…その運動は激しくなるだろう。結果魔術が失われる未来も来るかもしれない…まぁ私が現役のうちはそんなことさせないけどね。


「さて、そろそろいいだろ。ありがとうネレイド」


「助かりましたネレイドさん」


「いいよ」


そしてメサイア・アルカンシエルから距離取ったところでみんなでネレイドさんから降りて、再び通りを歩き始める。ネレイドさんの長い足で走ったお陰か、既にかなりの距離を移動出来たようだ。


「ん?もう直ぐ館みたいだぜ?」


そうして見えてくるのは…この街の奥にあるシンボル、黒い館…トラヴィス卿の居宅。はぁ、もう目の前か。


トラヴィス卿…うう、緊張してきた。怖い人でも不当に厳しい人でもないのは分かってるけど…それでも緊張するんだ。


だってトラヴィス卿は、私にとってスピカ様と同じくらい偉大な人なんだから…。


……………………………………………………………


「で、着いたわけだが…」


そして私達はトラヴィス卿の館の前に辿り着く。遠目で見ても大きく感じたという事は、近くで見ればなお圧巻の大きさだ。


漆黒の木で組まれた館の印象を一言で述べるならやはり『荘厳』。厳しさと規律、気風と優美さ、その全てが絶妙な具合で交わり合い芸術的なまでの佇まいを擁している。


私の記憶ではトラヴィス卿はここに住んでいる、息子さんは今遠方に出向き妻には既に他界されている筈だからここに一人で住んでいる事になる。一人で住むにしてはあまりにも広すぎる、なんせ右を見ても左を見ても果てが見えないくらい大きいんだ。


何棟にも分かれた構造、緑の屋根にチョコレート色の外装、そしてそれらが織りなす厳しくも優雅な姿形。それはまさしくこのウルサマヨリの象徴とも呼べる程の物だろう。


そんな館の前に私達はいる。館に来たのだ、やる事は一つ…。


「で…誰がノックする?」


「アマルトさん、行ってください」


「いやだよ、なんで俺…」


「ええい、誰でもいいからノックしろ」


「ではメルク様どうぞ」


「わ、私はいやだ…なんか緊張する」


みんな、なんか緊張してる。と言うかこれは私が悪い、散々私が緊張し倒していたからみんなにそれが広がってしまったんだ。…いや、そうだ…私が悪いんだ。


なら、私が先陣を切ろう。


「私が行くよ」


「デティ…よし!任せた!」


「任せる時ばっか威勢いいんだから!」


大きく息を整え、吸って…吐いて、襟を正して、ごくりと生唾を飲んで。一旦後ろを振り返ってみんなの顔を見て…もう一度前を見て大きくて立派な漆の扉を目にして。


「し、失礼します」


杖をドアノッカーに引っ掛け数度叩く。すると…感じる、足音は一切ないが何かが奥からこちらに寄ってくる、この魔力…これは。


「客人ですかな?」


「アンブロシウスさん!」


扉を開けて現れたのはつるっぱげ上裸の巨漢。野太い眉と顎先から伸びた三つ編みの髭が特徴的な男性…変わらない、以前見た時と変わらない。間違いなくアンブロシウスさんだ、懐かしい…!


「おや、デティフローア殿。懐かしいですなぁ…七魔賢会議以来ですかな?」


「はい!アンブロシウスさんはお変わりないようで」


「丈夫なのが取り柄でして、変わったのはまぁ…多少老いたくらいでしょうか」



「な、なぁデティ?この人は?」


「この人はアンブロシウスさん!トラヴィス卿の助手にして専属の使用人さんだよ!」


アンブロシウスさん…トラヴィス卿の右腕として既に四十年近く彼を支えた助手であり使用人であり…トラヴィス卿の相棒だ。全国を飛び回るトラヴィス卿のサポートをして同じく旅を共にしたこの人とも私は見知った仲だ。


七魔賢会議の時は決まってトラヴィス卿と共にやってくるし、何度かお話しさせていただいた事もある。話によればお父様の教育をトラヴィス卿と共に行った事もあると言う文字通りトラヴィス卿の偉業の全てを影から支えた功労者さんだ。


「あの、アンブロシウスさん。トラヴィス卿からお手紙をもらってやってきたのですが…」


「ええ、存じています。そちらに居るのは魔女の弟子の皆様ですね?エルドラド会談には諸事情により同行していなかった為…これが初対面という事ですか。ならば自己紹介を、私はアンブロシウス…トラヴィス・グランシャリオ様の忠実なる下僕にございます」


ヌゥッと音を立てるかのような動作で一礼するアンブロシウスさんの威圧にみんなちょっと気圧されながらも同じく礼をすると同時に自己紹介を述べる。


相変わらず、アンブロシウスさんの威圧は凄まじい。この人はトラヴィス卿の助手だ…つまりあの大魔術師の技を最も近くで見てきた男であり、トラヴィス卿から護衛を任されている。つまり…メチャクチャ強い。


その実力から来る威圧を、みんなは感じ取っているんだ。


「それでは皆々様、こちらに。我が主人がお待ちです」


「は、はい!みんな行こ!」


「ああ…、にしてもすげぇ魔力だなあの人」


「それに佇まい、従者としても百点満点です。不肖メグ…ちょっと対抗意識を燃やしてしまいました」


「燃やすなよ…」


そうして私達はトラヴィス卿の館へと招かれることとなった。憧れのトラヴィス卿の館だ、ドキドキと高鳴る胸を抑えつつ、私達は玄関を潜りお邪魔することになる。


館の中は外とは対照的に明るげな内装になっており、延々と続く赤い絨毯が伸びる廊下が前と左右に広がっており様々な部屋へと伸びている。明るくも落ち着いた内調はトラヴィス卿の気品の高さを醸し出しており、メグさんがやや対抗心を燃やして調度品の隅を指で撫でるが埃の一つも出てこない。


完璧だ、完璧な館だ。流石トラヴィス卿!


「わぁ〜綺麗〜!芸術的ですよ〜!」


「それに綺麗に掃除されちゃいるがこの館相当古いモンだぞ、すげぇな…このレベルの館をここまで維持してるなんて」


「ホホホホ、流石は魔女様達の教え子。目利きも素晴らしいですなぁ」


私達の前を歩き、背後に手を組んだまま姿勢良く歩くアンブロシウスさんは案内がてら館のことをいろいろ教えてくれる。


「この館はこの街がまだウルサマヨリ王国と呼ばれていた頃からここにあるのです」


「ウルサマヨリ王国?つまりマレウス建国前だから…」


「五百年前からですか!?」


「ええ、とはいえ当時のまま残しているわけではなく幾度となく作り替え建て替えこうして存続しているわけですが…、ウルサマヨリ王国の王族グランシャリオ家のかつての栄華の残り香ですので、我々としても大切な館なのです」


「ほへー」


と、なんとも情けない相槌を打つはラグナだ。この街は元々ウルサマヨリ王国の跡地であり、その王族こそがグランシャリオ…つまりトラヴィス卿なのだ。あの人はある意味王家の末裔ということだ。血筋もバッチリ、腕前も素晴らしい…嗚呼、流石はトラヴィス卿だ。


「ふふん」


「なんでデティが嬉しそうなんですか」


「皆様、つきましたよ。こちらにトラヴィス卿がいらっしゃいます。遠方より遥々来ていただいたこと、まずこのアンブロシウスが礼を述べさせていただきます…」


「いやいいよ、俺達も会いたくてきてるわけだし」


「流石はラグナ・アルクカース様。素晴らしい度量でございます…では」


そして、廊下の最奥にある扉の前に辿りついた私達を迎えるように、アンブロシウスさんは扉のノブをつまんでくるりと捻り…私達を奥へと招き入れる。


部屋の様子、それをパッと見た時の印象で述べるなら『書斎』だ。壁にはズーンと天井まで届くような本棚がズラーっと並んでおり、安眠椅子や本を置いておく小さな机なども置かれており如何にも読書するための空間って感じだ。


だがよくよく見てみると置かれている本はどれも研究の為の資料だったり論文だったり、少なくとも娯楽の為にあるものではないのが分かる。そして部屋の中心に置かれたソファ…あれは恐らく応対用の物。


そして最奥には執務用の立派な長机と腰掛け。そう…ここは執務室であることが分かる、大魔術師と呼ばれた男の仕事部屋。そして、先程述べた執務用の机の向こうに見えるのは。


「よくぞ来てくださいました、魔術導皇デティフローア様…そしてその朋友の皆々様」


「トラヴィス卿!」


居る、世界の魔術界を牽引した大魔術師トラヴィス・グランシャリオが。


端正な顔立ちに刻まれた皺は彼の苦労を思わせる、黒く艶やかな髪に混じる銀の輝きは彼の経験を思わせる。黒と赤を基調とした美しい貴服に身を纏い、黄金の紳士杖を手に立ち上がり、片眼鏡を外しながら微笑むその一挙手一投足はまさしく紳士。


全てが煌びやかだ。私の理想の魔術導皇像…そのモデルになった憧れの魔術師。魔導卿トラヴィス・グランシャリオが私達を出迎えてくれた。


「お久しぶりですトラヴィス卿、お招き頂き感謝致します」


「我等魔女の弟子、貴方様の招待により全員馳せ参じました」


すると魔女の弟子達の中からラグナとメルクさんが前に出て優雅に一礼する。そこで気がつく、『しまった、出遅れた』と…。


「あ…あっ!えっと!本日はお招き頂きありがとうございますトラヴィス卿!」


「ふふふ、そう畏まらずとも良いのです。寧ろ敬服を述べるのはこちらの方、一介の貴族風情が国王を三人も呼びつけたのです、無礼千万と罵られてもおかしくない蛮行…先に謝罪しておきたい」


一応、私は魔術導皇だ。そしてトラヴィス卿は王貴五芒星の一角。例えそういう場でなかったとしても私達六王は敬意と尊重を持って先に挨拶するべきだった。ラグナとメルクさんはそれが分かっていた。


なのに私は嬉しすぎていきなり『トラヴィス卿!』…だって、恥ずかしい〜!笑われたし〜!


「いやいや、俺達もマレウスを旅する身。目的があるならば何処にだって来ますよ…それでトラヴィス卿、早速ですが手紙に書いてあった話は事実ですか?」


「ええ、マレフィカルムについてお話ししたいことがある…のですが、少々予定が変わりました」


「予定?」


「お話はこの件を片付けてから改めて…という形でも良いでしょうか」


「は、はあ…それでその件っていうのは」


「移動しながら話しましょう。こちらです」


「……?」


トラヴィス卿は私達を出迎えたばかりだというのにすぐに立ち上がり、部屋から出るように促しながら再び歩き出す。その不可解な歓待の仕方にラグナとメルクさんは首を傾げ、アマルトは『そろそろ座らせてくれぇ〜…』と文句を言う。


それでも杖を突き歩き始めたトラヴィス卿は止まらない…私は咄嗟にトラヴィス卿の隣に立ち。


「あ、あの。トラヴィス卿…お話でしたらこちらのお部屋で。トラヴィス卿は足を悪くされているのですからあまり歩くのは…」


「自宅を歩く分でしたら問題ありません、寧ろ下手に歩かないと寝たきりになってしまいそうなのでね。これは私の軽い運動兼見栄張りです」


「そ、そうですか…」


「それより移動しながらでいいので皆様のこれまでの旅を聞かせてもらえるでしょうか。エルドラドでの戦いの前と…その後を、是非とも聞かせてもらいたい」


「あ、でしたらエリスが…、まずエリス達は…」


そして、トラヴィス卿の案内により再び私達は歩き始める。トラヴィス卿はアンブロシウスさん以外の使用人を雇っていない、故にこんなにも広いのに人の気配がまるでない奇妙な廊下を歩き続け、その最中にもトラヴィス卿は私達の旅路であった事を聞く。


彼は聞き上手だ、『なるほど』と笑顔で返したり『エンハンブレ諸島の研究には私も些か疑問が残るところがあり…』と話を膨らませたり『チクシュルーブがそんな事を、許し難いですな』と感情を露にしたり…色々な反応を見せながらも彼は私達の一年半の旅を聞いて、何度も頷いた。


そして何度か角を曲がったあたりで私達の話は終わり…。


「なるほど、それほどの闘いと旅を。それは良いですな、若いうちに無茶をすればするだけ貴方達は高みへと行ける。魔女様達は皆さんを思ってこそ試練を与えたのでしょうな」


「結構な無茶振りですけどね」


「容易くては試練の意味がないですからな…しかしそうですか。魔女様に唯一誤算があったとすれば…やはり皆様に求められるレベルが、当初の想定より上がった事でしょうか。そして貴方達はその領域へ今のままでは辿り着けない」


「はい、エリス達もそれは深く理解してます…けどどうしたらいいか……ん?あれ?」


するとトラヴィス卿は館の裏口の扉を開けて、外へと出ていってしまう。てっきり館の何処かに場所を移すのかと思ったが、裏口を開け鬱蒼としたジャングルへと歩いていってしまいみんな思わず足を止める。


すると、トラヴィス卿は不思議そうに振り向き。


「如何された?早くこちらへ」


「えっと…俺達、どこに案内されているんで?」


「館の裏にある『魔仙郷』という土地ですよ」


「魔仙郷?聞いたことあるか?デティ」


「ううん、無い…けどウルサマヨリの裏に広大なスペースがあるってのは聞いたことがある」


謂わばこの館の裏庭には広大な土地があると聞かされた事がある。ただでさえ大きなウルサマヨリの街と同程度の大きさの土地、そこには幾多の摩訶不思議な話があると…いう噂を聞いたくらいで実際に何があるかは知らない。


だがその噂の土地が…魔仙郷?でもなんでそんなところに。わからないけど来いってんなら行こうとみんなはそのまま裏口から外に出て彼についていく。


黙々と歩き続けるトラヴィス卿は黒緑の壁の如き木々生い茂るジャングルを手で押し退けながら歩く、エリスちゃんもそれに続く、ラグナも続く、メルクさんは木々に虫がついていない火を確認し、私とメグさんとアマルト、ナリア君はネレイドさんの影に隠れて進む。


「魔仙郷は代々グランシャリオ家の当主に管理と存続を任される土地でしてね、その歴史はあの館同様五百年と遡る」


「そんな特別な土地なんですか?」


「ええ、グランシャリオ家がこの土地を管理し始めたのが今から七百八十年前、それより以前はリーポス家が、それ以前はカシオペア家が…家を変え時代を変え、この地の魔性に惹かれた人々が守り続けてきた土地で…」


「そんなに前から?そんなに特別な土地なんですか…あ」


ふと、エリスちゃんが近くの木に手をついた時。何かに気がつく…。その木は非常にヘンテコな形をしており、地面から真っ直ぐ生えたかと思えば上空で湾曲し真横へと折れ曲がっているのだ。よくみると他の木も同じように上空で折れ曲がり…いやこれは。


「クルフィーマングローブですか、これ」


「クルフィー…え?マングローブ?」


「ほう、エリス殿は見ただけで分かりますか。他で見たことでも?」


「あるわけありませんよ、これ…絶滅したはずですよね」


上を見上げると、この折れ曲がった木が木ではなく『根』である事が分かる。つまり私達は今超巨大なマングローブの下に自生した植物達により構成されたジャングルの中にいる事が分かる。


クルフィーマングローブ…その名は私も聞いた事がある。確かずいぶん前に絶滅されたと言われる『超巨大樹』の名前だ。


「クルフィーマングローブ…まるで檻のように根を周囲に隆起させその中で自分にとって都合の良い自然環境を作り、効率よく栄養を摂取する樹木。長い時を生きる千年樹に部類される木と聞いていますが…今現在この樹は絶滅していると聞いています」


「詳しいですな、その通り…ここ以外では絶滅しています。我々が管理する魔仙郷はこのクルフィーマングローブによって円形に囲まれた土地なのですよ」


「…さっきから何が言いたいのか判然としませんね。土地自慢の為にエリス達を連れ出しているわけじゃ無いんでしょう?この土地に歴史があることは分かりました、ですがそれが今何故エリス達がここに連れて来られ遥々遠方からやってきた要件を後回しにされて理由とどんな関係が?出来れば分かりやすく、直球でお願いしたいです」


「ちょ…エリスちゃん、トラヴィス卿に失礼だよ…」


「失礼でしょうか、すみませんエリスは遠回しなのが嫌いなので」


エリスちゃんイラっとしてる?…いや違うか、彼女はただ真剣なんだ。今自分の身に起こっている出来事がただならぬ物と理解しているからこそ遠回しには言わないでくれと真剣に言っているだけ…事実彼女の中に怒りはない。


そして、それを理解したからこそトラヴィス卿は足を止めて…。


「なら分かりやすく言おう。ここは…かつて初代魔術導皇ゲネトリスク・クリサンセマムが保持した庭園だ」


「え…!?」


ゲネトリスク・クリサンセマム…それは八千年前、皇帝カノープス様の側近として魔女様達と共に大いなる厄災を駆け抜けた魔術師の一人であり、カノープス様より初代魔術導皇の座を任された…私のご先祖様だ。


思えば、このマレウスという土地はかつて『双宮国ディオスクロア』のあった土地、魔女様達の故郷があった土地だ、ディオスクロアは大いなる厄災において唯一形を残した国…ならば、あるのか?八千年前の土地が…そのまま。


「そんな話聞いたことないですが…少なくとも陛下はそんな事」


「言わないだろうね、ゲネトリスクが今のアジメクに移った時点でこの土地は誰のものでもなくなった、だがゲネトリスクを信奉する支援者が勝手に彼女の帰る場所を残しておくという意味合いで保存をしただけ、そして後に連なる物は保存の伝統を守っただけさ」


「あ〜、あるね〜、伝統の保持。みんな好きだね」


なんて嫌そうな笑みを浮かべるアマルトは置いておくとして。


クルフィーマングローブによって囲まれたこの場所は保存にはもってこいだった。巨大な檻状の千年樹が円形に配置されその内と外を完全に隔絶する。謂わば閉ざされた世界がここにはある、だから八千年前から変わらずここを保存し続けられたのだろう…けど。


「だから、結局何が言いたいんですか」


「今のは話の枕だ、ここは初代魔術導皇ゲネトリスクが保持した土地…そしてつまりここは八千年前から存在した場所、私はね…この土地のとある言い伝えを君に聞かせたいんだ」


そう言いながらトラヴィス卿は目の前の茂みをカーテンのように退ける。するとクルフィーマングローブが作り上げた視線の檻を超え、私達は閉ざされた世界の内側…『魔仙郷』をこの目で見ることになる。


そこにあったのは……文字通り『自然の楽園』だ。


「ここは……」


天は木々に閉ざされ、柱のように巨大な木がポツポツと生える広大な空間がそこにはあった。広さで言えばウルサマヨリと同程度の超巨大空間…そこに川があり、芝があり、生き物が住み、隔絶された空間の中で独自の自然体系が生まれていた。


そこには一切人の手が介在している様子がない、この世界が生まれた当初の姿をそのままに残している…原初の森。そんな光景を前に口にしたのは…。


「この土地にある言い伝え…それは『魔女様達がかつて特訓に用いた』という言い伝えさ」


「え…!?魔女様達が!?」


「嘘だろ!?ありえんのそれ!」


「さぁな、だが私もかつてはここで鍛錬を積んだ事がある。ここは多少暴れても外に影響はなく、森全体が不思議な魔力を持っており修正力にも似た力によって形を取り戻す作用がある。修行にはもってこいだ…つまり」


そしてトラヴィス卿は前へと歩み出し、魔仙郷へと踏み入ると共にこちらを振り向き…。


「君達には今からここで修行をしてもらう、私はその指導役だ…私が君達に修行をつけ君達には更なる高みに登ってもらう」


「は?」


「分からないか?このトラヴィス・グランシャリオが君達の鍛錬を見ると言っているんだ…君達も感じているんじゃないか?激化する戦いに、己の力不足を」


「うっ…」


全員が視線を逸らす、この間謎の騎士にボコボコにされた私たちにとってはタイムリーな話だ。特にエリスちゃんなんかはドンピシャと言ったところ。全員が力不足を感じているのは間違いない…。


「えっと、本気で言ってますか?トラヴィス卿」


「本気ですよデティフローア様。それとも私では不足ですかな」


「いえ…魔術導皇の教育係を任されるということはつまりこの世で最も魔力の扱いや運用法の伝授を評価されているということ。それも他でもない魔女様達から…その腕前に疑いはありません、けど…」


チラリと私はラグナを見る、確かにトラヴィス卿の腕前は凄いだろう、何かを教えることに関してこの人に勝る『人間』は居ない。力不足を感じる私たちに対して修行をつけてくれると言って修行場所まで用意してくれるのはありがたい。


けど…。


「トラヴィスさん、確かに俺達は力不足を感じてるよ…世の中にはもっと強い奴がいるし、俺はそういう奴らと戦っていかなきゃいけないって」


「そうでしょうな、先程の話を聞いていて思いました。悪い言い方をすれば皆様が八大同盟に勝てたのは半ば奇跡に近いでしょう」


「わ…分かってるよ、けど…けどさ、ありがたいけどさ。それでも受けるわけにはいかないよ、その話」


「ほう?なぜですかな?」


そう、受けるわけにはいかないのだ。それはここにいる八人全員が思っている。たとえ自分たちに力が足りず、修行をつけてくれると言ってくれても、受けるわけにはいかない、何故なら私達は…。


「だって俺達は『魔女の弟子』だからだ。弟子は一度定めた師匠以外の教えは受けない、自分に力が足りないのは自分の責任だ、だってのに他人の教えを受ければそれは師を疑うことになる。師を疑うような奴は弟子を名乗る資格はない」


「エリス達は魔女の弟子であることに誇りを持っています。だからたとえどんなにありがたい申し出でもエリス達は魔女様以外から修行をつけてもらうつもりはありません…例え、敗北して死ぬことになろうとも」


それが私達の絶対に譲れない尊厳。弟子は師の教えに一生ついていく物、他人からの修練は絶対に受けない。だってみんな自分の師匠こそが最高だと思っているし、自分の師匠こそが最も優れた師だと思っているから。


だからトラヴィス卿の申し出はありがたいけど受けるわけには…。


「はははははは!流石は魔女様達だ、弟子の教育が行き届いている。確かにその通りだ、不躾な提案をして悪かった」


「え?い…いやでも、その…すんません、せっかく言ってくれたのに」


「君たちが師匠を敬っているのはわかるし、師匠以外の教えを受け付けないという心もわかる。私も同じ気持ちさ、きっと同じ立場なら私も拒絶した、これは当たり前の話だ…だがね」


すると、拒絶されたトラヴィス卿は懐から一枚の便箋を取り出して…。


「この提案は…他でもない魔女様達から頼まれた話なのだよ」


「え?師匠達から?」


「ああ、これを見たまえ」


取り出された便箋に刻まれていたのは見たこともない紋章が刻まれた蝋印。それを剥がすように便箋を開くと、中から現れたのは一枚の手紙…ではなく、光だ。


溢れた光が収束するように形を作り出し、徐々に輪郭を持ち、存在感を持ち、虚空に浮かび上がるのは…。


「スピカ様!?」


「先生!?」


『オホン、ようやくトラヴィスの元へ辿り着いたようですね。我が弟子達よ』


スピカ先生だ、手紙の中から出てきた?違う、これは幻像…遠隔でスピカ先生の姿を写し出しているんだ。そして写し出されたスピカ先生咳払いしながら私達を見据え…。


『仔細はそこにいるトラヴィスから聞いていますね?これより貴方達にはトラヴィスからの指導を受けてもらいます。これは師匠からの命令ですよ』


「で、でも先生!私達は師匠達の弟子で…」


『分かっています、ですが我々が想定していた以上に敵が強く、強大である以上貴方達にはより一層高い段階へと至ってもらう必要があります。しかし私達がそこに行って指導をするわけにもいかない…そこで…』


『そこで、そこにいるトラヴィス卿にお願いしたのですよ』


「え?お母さんまで…?」


フイッとスピカ先生を押し退けて現れたのはリゲル様だ。これはスピカ先生の近くを映し出す魔術…ということは近くにリゲル様もいるってことだろうか……なんで魔女様が集まってるんだろう。


『リゲルだけじゃなくてボクも居るし、みんな揃ってるよ』


「コーチ!」


映し出される範囲が拡大すると、…他にも魔女様が居る事が分かる。プロキオン様やリゲル様、他にもアンタレス様やカノープス様、レグルス様にアルクトゥルス様も居る…みんな、みんな揃ってる。


なんでだ、魔女様がみんな揃うなんて…。


『トラヴィス卿の強さはボク達も認識してる、現代に於いて彼程卓越した技術と知識を持つ人間は他にいないとボク達が太鼓判を押せるほどの達人だ。だからトラヴィス卿にはボク達の代理として君達の育成を行ってもらうよう頼み込んだ』


「トラヴィス卿に…」


『トラヴィス卿は第三段階に至っており、尚且つ魔力闘法の達人、そして知識量も豊富で魔術導皇を育て上げた功績もある。これ以上ないうってつけの人材だと思ってボク達から声をかけた』


『貴方達はこれより数ヶ月、そこでみっちりトラヴィス卿にしごいてもらいなさい。彼ならば貴方達を次の段階に進むためのヒントをくれるでしょう』


「マスターまで!?」


すると今度はフォーマルハウト様が現れ、やや険しい顔をしながら腕を組み。


『正直、貴方達の成長速度はわたくし達の想像を超えています。ですがそれすら足りぬ程に事態は逼迫している、時間がないのは重々承知ですが…それでも今は足を止めてでも自身の強化に励むべきです』


「ですがマスター、それならマスター達がここに来てくれれば…」


『スピカが言ったでしょう、わたくし達はそこには行けない…と』


「何故ですか…!?」


『それは、…カノープス?』


すると、フォーマルハウト様に促され、前に出るのはカノープス様だ…するとカノープス様は目を尖らせ、口を開き。


『悪いが我等はこれより暫くの間魔女大国を離れることになった、帰りはいつになるかも分からんし…ともすれば二度と帰らんかもしれん』


「え…!?」


『本当ならばお前達の育成をしたい気持ちはあるが、今現在起こっている『事態』と天秤にかけた結果、今すぐ我らが動くべきだと感じた…故にお前達の育成には行けん』


「だから魔女様達が揃って…?なんですか陛下!それは、その事態とはマレフィカルムの活性化と関係が…」


『無い、別口だ。そしてこの一件にお前達を関わらせるつもりはない、来ても役には立てん』


魔女様達が…魔女大国を離れる?しかも行き先も告げず、二度と帰らないかもしれない?唐突にもたらされた重大な話に弟子達は呆然とする。なんだっていきなりそんな話になったのだと、言いたいことも聞きたいことも山ほどある。


けどそれ以上に、今重要なのは…。


「そんな……で、ですが今このマレフィカルムの活動が激化している現状で、魔女様達に離れられたら…魔女大国は奴らの侵攻に耐えら───」


『泣き言吐かすんじゃねェッ!!!!』


「ヒッ…!」


魔女大国はどうなるんだ、帝国が襲撃された今魔女大国を守れるのは魔女様だけ、そう言いかけた瞬間。鬼の形相のアルクトゥルス様が前に出て激怒しながら吠える。


『テメェらオレ様達の世界を受け継いでアド・アストラ作ったんだろ!オレ様達に道を譲らせ『魔女に依存しない世界』を作るって息巻いてたろ!だってのになんだその情けない物の言い方は!未だ魔女の権威に寄りかかり!魔女の加護に包まれて生きて!これの何処が自立だ!偉そうなのは上っ面だけか!ボケ共がッ!』


「で、でも師範!今の状況はそんだけ悪いってことだろ!そんなにそっちの要件が大切かよ!」


『大切かどうか、重要かどうかの話はしてねぇんだよラグナ。オレ様達はマレフィカルムをお前らに任せた、魔女大国をお前達に任せた、この時点で魔女大国に降り掛かる脅威はお前達の管轄になってんだ。オレ様達はオレ様達の責任の及ぶ範囲の為に動く、それだけだ』


「でも!」


『グヂグチ言うな!今破門にするぞ!…そこにいるトラヴィスはお前達必要な全てを持ってる。そいつを受け取って速攻で強くなって爆速でマレフィカルムをぶっ潰せばいいだけだ、分かったな!』


「………文句言っても、覆らねぇんだろ?」


『ああ、これは決定事項だ。オレ様達は暫くの間消える…お前達が生きてる間に帰るかは分からん。今生の別れになるかもしれない、だから…もうオレ様達抜きでもやれるようしっかり強くなっておけよ、出来るよな…オレ様達の弟子なら』


「…押忍」


これは覆らない話だ、魔女様達は既に別の目的を見定め動き始めている。それがなんなのか…全く教えてくれないが、それでも私達のやることは変わらない…か。


『一応私は変わらず魔女大国にいますが手出しとか助け舟は出せませんのでそこんところよろしくお願いします』


「なんだよ、お師匠は動かねぇのかよ」


『ここから出ないだけです貴方達の助けができないことに変わりはない』


アンタレス様は魔女大国に残る…と言っても、四年前のシリウス襲来の際のアンタレス様の立ち回りを見るにアンタレス様の役割は後方支援、私達に気を向ける余裕はないのだろう。


…いよいよ、不気味だ。このフォーメーションで魔女様達が揃って動く理由なんて一つしか思い浮かばないからこそ、不安だ。


『そう言うわけだ、一応期限を伸ばしてやってもいいが…もうあまり意味のない話だろう。あと一年半でマレフィカルムを打倒せよ、これは破門をかけた話ではなくこれ以上奴らに時間を与えるのは得策ではない、やり通せよ』


「はい、陛下」


『では我等は動く。帝国の運営は一旦ルードヴィヒに任せるが…早めに帰れよ、六王』


「……はい」


そう言ってカノープス様が幻像をかき消そうとしたその時…。


「師匠!」


動く、エリスちゃんが。この話の中で一度として口を開かなかったレグルス様に向けて…エリスちゃんは踏み出して、不安そうに胸元に手を当てる。


「帰って、来ますよね。不安なことばっかり言われて…エリス今、物凄く怖いです」


『エリス…お前もなんとなく理解しているんじゃないのか?』


「……………」


『世界が動き始めている、再び大いなる厄災が起ころうとしている。私達はそれを止めに行く…私達がこれより向かうのは、死地だ』


「……エリスでは、足手纏いですか?」


『ああ、とても戦力にならん。だから今はお前のやれることをやれ…そしてもし、私にまた会いたいならば、マレフィカルムを倒し、そして…』


レグルス様は背を向け…チラリと肩越しにこちらを見て、微笑むと。


『お前が、私を追いかけて来い』


「師匠……はい!必ずや!」


『いい返事だ、なら励め。友と一緒にここまで来い』


ただその一言を残し、便箋から放たれていた光は途絶え、師匠達の姿は消え去る。残されたのは課題、魔女様達はこれから魔女大国を去る、何処に向かうかは全く教えてくれなかったが…私達は今度こそ任された。


魔女大国の趨勢を…世界の命運を。ならば…今のままでは不足かもしれないな。


「そう言うわけだ、理解してもらえただろうか」


「…はい、トラヴィスさん。ありがとうございます…態々エリス達が納得出来るよう説明してもらって…」


「構わない、それより受ける気にはなったかな?どうしても私が不要と言うならこの場を貸し与えるだけに留めるが…」


「いえ、師匠達はトラヴィスさんを信頼していました、だからエリス達も信頼します。是非…ご指導のほどよろしくお願いします」


全員で頭を下げる。魔術導皇を育て上げたトラヴィス卿の実力は魔女様達も『自分以外で任せられるのはこの男だけだ』と太鼓判を押すほどだった。


だからこそ私達も頭を下げて、指導を請う。魔女様達の言う高みへと至る為。今はここで力をつけるのだ…。


「では今日から、今この時から私は君達を魔女様から一時的にお預かりする。魔女様より預かるからこそ…甘えは許さない、言い訳も弱音も許さない、全員確実に強くする」


「お…す、すごい威圧」


トラヴィス卿は手に持った杖を手の中でポンポンと動かし、顔つきを変える。険しく、厳しく、私には一度も見せたことのない真剣な顔…そこから発せられる威圧は凄まじく、恐ろしい。


「もしかしてですけど、トラヴィスさんって…厳しいですか?」


「何を言うか、私は不当に痛めつけたり不条理な物の言い方は好きじゃない。怒鳴ったり無理難題を押し付けたりと言うのは効率が悪いからね、それに君たちは本質的には私の弟子ではない、安心してくれ」


「ホッ…」


「だがね、私のかつての愛弟子ウェヌスによく言われていたんだ…『お師匠はスパルタが過ぎる』と、あんなにも効率的にやってやったのに酷い言いようだと思わないかい?安心してくれ…君達にはウェヌスにやったのよりもっと『効率的』にやるから」


「ひぃん…」


怖い…顔怖い、お父様もよく言っていた…トラヴィス卿は『人間が耐えられないラインと人間が本当に耐えられないラインの見極めが非常に上手い、故に本当に耐えられない部分を撫でるような厳しさでくる…』と。


壊れるか壊れないかのラインを攻める指導…それを容赦なく行える知能と精神、少なくとも…簡単な鍛錬ではなさそうだ。


「よし、では早速初めて行こう」


「今から!?」


「ああそうだ、今休む意味はあんまりないと思えるが」


「いや俺たち今ここに来たばっかりで…」


「フフフ」


「いや全然聞いてくれない…あー!分かったっすよ!でもその前に聞かせて欲しいっす!マレフィカルムの話は!?」


「ふむ…そうだね、今ここで話してもいいが、修行に専念出来なくなるかもしれない。私が出した課題を全員が達成出来たら話す、これでどうだろうか」


「課題?」


「ああそうだ、…アンブロシウス!」


するとトラヴィス卿は杖の先端で地面を突きながら吠える、自らの従者の名を…すると、吹くんだ。


風が…突風が、それが私達の背後をスルリと抜けて…。


「痛ッ!?」


「あいたー!?」


「ぅぐっ!?」


「ウッ!」


瞬間、背中に衝撃が走り私、アマルト、ナリア君、メグさんの四人が痛みに顔を歪める。私やアマルト、ナリア君はそのあまりの衝撃にゴロリと地面を転がり、メグさんは防御姿勢をとったものの間に合わずガクリと膝を曲げる。


「ッ…!?」


「おっと」


「何…?」


「なんだ?」


対するエリスちゃん、ラグナ、ネレイドさん、そしてメルクさんの四人は防壁の展開が間に合いその衝撃を弾く事が出来たが…一体なんなのか、明らかに風が当たったレベルの話ではなかった。寧ろ拳骨で背中を殴られたくらいの衝撃…それに全員が咄嗟に後ろを見るが、誰もいない。


と…その時。


「こちらでございます」


「ッ…あんた、アンブロシウスさん?」


ハッと気がつき再びみんなが視線を戻すと、いつの間にかあの巨漢…アンブロシウスさんがニコニコとトラヴィス卿の隣に立っていた。さっきまで居なかったのに…そこで全員が気がつく。


「まさかさっきのって…」


「ええ、すれ違い様に一発入れさせていただきました。失礼いたしました」


アンブロシウスさんは私達の背後から飛んできて、誰にも認識される事なく全員の背に一撃を入れ更に視界を掻い潜りトラヴィス卿の隣へと馳せ参じた。その速度と身のこなしに驚くとともに…なんで殴ったの?と全員が顔を歪める。


「今の一撃で、皆様の防壁の練度がどれほどか…確認させていただきました」


「いきなり殴ったのは、防壁が出来ているかを確認する為って事か?」


「ええ、咄嗟にどれほどの防壁が展開出来るのかを見たかったのでございます」


防壁の確認のために殴った。これは謂わば抜き打ち試験のような物なのだろう、これから修行するに当たって私達の実力を試した、その為に咄嗟に防壁を展開出来るかを確認した。


気配を感じ即座に背中に防壁を張る…と言うのは簡単なことではない。私なんかは防壁自体張る事が出来ない、アマルトもナリア君もそうだ。だから私達三人は無様に転がり気配を察知できたメグさんは防御姿勢を取ることはできたが防壁の展開が間に合わなかった。


完璧な対応ができたのはエリスちゃん、ラグナ、ネレイドさん、メルクさんの四人だけか…。


「で?どうだった?」


「ふむ、私の知見から申させていただきますと…」


ラグナが自信満々に聞いてみる、するとアンブロシウスさんは指を一本立てながら柔和な笑みを浮かべ…。


「全ッ然ダメ、よくそれで生き残って来れましたね」


「は!?」


出てきたのはダメ出し、防壁を展開出来なかったのはそもそも論外、展開出来てもあまり良い物ではなかったらしい。そしてその話を聞いたトラヴィス卿は大きくため息を吐き。


「ふぅ、やはりか…防壁は高位の実力者との戦闘では命に等しい要素。魔女様達は防壁を教えなかったのかと疑ってしまうほどに、君達の防壁はダメだ」


「そんな…」


「唯一エリス様の防壁はかなり上等な物でしたがやや展開に粗があるかと」


「エリスもダメでした!?師匠から良いと言われてたのに…」


「恐らく取ったのは及第点、マレウスの旅で戦闘を重ね、防壁技術の向上を見込んでの及第点…ですが、どうやらあまり防壁の方は伸びなかったようで」


「うっ…まぁ、あんまり使ってきませんでしたから」


「トラヴィス様、彼等は未だ魔法は発展途上の様子」


「のようだな、事実魔女様達から届いた伝聞にも書かれている…『魔女の魔法はあまり参考にはならない、そもそも魔法否定の時代に生まれたオレ様達が魔法を教えてもあまり良いものにならないだろうからそっちで現代風の魔法を教えてやってくれ』とね」


(絶対師範の手紙じゃん)


魔女は魔法を軽んじている。だがそれは時代的な背景が大きな要因にあるだろう。魔女様もそこを理解している、だからこそ魔女よりも一層魔法を理論として理解しているトラヴィス卿に修行を任せたと…。


今の私たちに必要なのは『魔力闘法』に他ならない…故に。


「よし、では課題は『ここにいる全員が魔力防壁を完璧に習得すること』だ!それまでは修行以外考える事は許さん!」


「え…防壁をですか?でも…」


「返事は…!」


「は、はい…」


「では早速始める…アンブロシウス、ついて来い。みんなもだ」


「は、はーい!」


歩き出したトラヴィス卿の背中を追ってみんな走り出す。ひょんな事から唐突に始まった私達の修行、魔女様達から任されたトラヴィス卿は私達を鍛えてくれるだろう…きっと厳しく。


でも、きっとトラヴィス卿についていけば私達は強くなれる…だって、あのトラヴィス卿だから。


今私はワクワクしています!だってお父様を鍛えてくれたトラヴィス卿の指導を受けられるんだから!これはきっと…楽しくなるぞ!

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